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休み明け

2000年05月08日(月) 19時54分 暮らし 天気:晴れかもしれない

 10連休は終わった。なんだかこれから長い刑期を迎える受刑者のような気分で会社に向かった。実際には夏休みまで3ヵ月程度のことなのに。
 会社ではサーバの重さに死にそうになる。いや担いでいたわけじゃないですけど。休み中の多量のメールを処理しているのか、凄まじいばかりの重さで反応がなかなか返ってこない。例のILOVEYOUウィルスを警戒してサーバでのチェックを厳しくしているのかもしれない。これほど有名になったウィルスだが、厳重な警戒態勢が幸いしたのか、職場では一通も発見されなかったらしい。
 休み明けのだるい体に鞭打って仕事を片付ける。

観望なし

2000年05月07日(日) 23時57分 星見

 夜空は今夜も真っ白。またもや星が見えない。早く夏にならないかな(x_x)

NHKスペシャル

2000年05月07日(日) 23時51分 テレビ

 連休の終わりゆえか、NHKスペシャルは昨夜に続いて面白そうなものだった。今夜は村上龍が"インターネット・エッセー"と題して、バブル崩壊後の日本のあり方に思考を巡らす。
 最近、村上は経済に興味を持ち、メールマガジンを主催して読者の意見を募ることを始めている。彼は'90年バブル経済崩壊後の『失われた10年』とはなんだった(あるいはなんなの)だろうかという問いを読者に投げてみた。
 村上は、まず「バブルの原因はなんだったのか」という問いをMLに投げてみた。それに対する読者の回答は様々だった。
 単に官僚や不動産、銀行関係者に原因を求める意見も多かったと推測するが、いくつか新しい知見をもたらしてくれる意見もあった。
 イギリスの経済アナリストは「欲が無かったからだ」と逆説的な意見を述べた。バブル当時にありあまる資金の投下先を見つけることが出来ず、結局土地神話にしがみついて『確実な回収』を怠ったというのがそのアナリストの意見だ。あるいは土地神話から目覚めていれば、このアナリストの言うとおりに確実な回収を心がけることも重視されたに違いない。今なら確実にそういう思考が働くはずだ(今もそうでないのなら銀行関係者の無能さに絶望するしかない)。しかし当時は地価が下がるなどという事態は想像の外にあり(このこと自体は官僚、銀行関係者の想像力の貧困さを反映したものではある)、土地を担保に取ることが『確実な回収』と等号で結べるとされていたのだ。このアナリストの意見は正鵠を射たものではあると思うが、同時に局外に立ちすぎて"なぜ"(つまり"犯行動機")を見失っているのではないかと思った。
 「バブルのときに何に金を使えばよかったか」という問いとも密接に関係するだろう。その中には「ベンチャー企業に投資すればいい」という意見が散見された。しかしベンチャー企業に投じることが出来る資金は多くなく、また回収率にも問題がある。日長銀の元行員の「かつてベンチャーに大量の資金を投じたことがあったが、回収率は惨憺たるものだった」という指摘を知れば、ベンチャーに投資されなかったことを一概に非難は出来ない。残念ながら、日本ではベンチャーが育つ土壌が醸成されていないように思われる。
 村上は、これらの結果を踏まえ、バブル当時には土地以外に大量の余剰資本を吸収できる物件は無かったとする。銀行員たちは儲けに走ってバブルを引き起こしたのではなく、資金を消化するためにやむなく土地に走ったのだ、と。バブルの悲喜劇が銀行マンたちのまじめさによるものだとすれば、まことに日本的な状況だといわざるを得ない。
 銀行内部でも土地神話の危うさは盛んに指摘されていた。「土地が下がったらおしまいだ」という指摘は、既にバブル当時から散見されていた記憶がある。しかし銀行のノルマ主義という現実を前に、そういった市場の現実は無視されてしまった。一線の銀行マンたちの懸念の声は、ノルマ消化のための軍事機構とでも言うべき銀行組織の内部で消滅する運命にあったのだ。
 そう、バブルは'80年代という特殊な状況で用意されたものではなく、実は日本的な組織運営が抱えてきた時限爆弾が、あの日あの時に炸裂したものに過ぎないのだ。
 日本的組織の限界、あるいはその崩壊というものを白日の下に曝したのが、海外での日本金融機関の不祥事、そして海外企業による日本企業の買収だった。前者は海外の、つまり世界デファクトのモラルと日本的モラルの深刻なズレを、後者は日本型組織の自己浄化機能の低さを暴き立てる結果になった。日産、マツダのトップ人事は、日本型組織の限界を確かに示している。
 バブルの原因はどこに求められるだろう。村上は、'60年代も終わりに入り、日本の高度成長期が終わりを告げた時期に求められるのではないかという。日本はその時期に"大人"になったのだ。しかしその新しい経済的現実に見合った体制を作ることを怠ってしまった。これは社会のすべての階層、すべての人々に当てはまることだ。当時の人々は未来に関してのビジョンを持つことなく、ただ過去の継承という形でしか未来を生きることが出来なかったのだ。そしてビジョン無き社会が一気に破綻したのがバブル(バブルそのものが破綻だったといっていいだろう)であり、その後の荒涼とした焼け野原のような日本だったのだ。
 村上は「高度成長期の日本を心の拠り所にしてもいいのではないだろうか」という。あの時代、確かに奇跡のような経済成長を達成できたことを、日本人はもっと誇りにしてもいいのかもしれない。しかしあの時代の再現はもはや出来ない。日本は質的に違ってしまったのだ。
 村上が20代の読者を対象にした簡単な実験が面白い。'60年代に多い白黒画像の中の"日本"を見せ、感想を求めたのだ。彼らの感想は「同じ日本とは思えない」というものだった。そして同時代、あるいは直後に多いカラー映像に関しては、なんとなく今との均質性を感じているようだ。'60年代に巨大な断層があるという村上の感想は当たっているのだろうか。
 最後に村上は「生まれ変われるとしたらいつの時代がいいか」と問うた。答えは圧倒的多数の「現在」だった。このことは人間の本能的な保守性にのみ求めうるものではなく、恐らく現在ただいまがやはり住み良いという認識を反映したものだと考えて良さそうだ。そんな時代を築いたこと、そんな時代に生きていることを、もっと誇りにして良いのではないだろうか。村上はそういう。
 確かに、過去に戻ることだけは出来ない。昨日、「後退する勇気をもつべきだ」と書いたけれど、実際に実現可能なのは、過去を参考にした未来に過ぎないのではないか。
 我々は誰でも過去の苦さを感じている。アメリカはベトナム戦争に、イギリスは植民地経済に翻弄され、そこからようやく這い上がったのだ。そしてそれぞれの経験は貴重な知識につながったと思う。
 僕たちがやるべきことは、バブルという過去を忘れることではなく、その苦味を思い返しつつ新しい知識を創出することだと思う。そのとき、バブルは決して無益で有害な経験ではなく、いずれ通らねばならなかった道だと思い返せることだろう。

休みの終日も緊張感ゼロ

2000年05月07日(日) 20時49分 暮らし 天気:やっぱり晴れだかくもりだか BGM:See Through/Y.M.O.

 今日も今日とて朝寝に耽り、いつの間にやら日は高くなっている。のろのろと起き出して雑用を片付けていると、もう日が暮れていく。一日が短いなあ。というかお寝坊さんなだけですけど。
 この連休もなにもしなかったなあ、いやアレはしたなあと思いつつ夕暮れ時を過ごす。休暇の終わりには一抹の寂寥感が漂うものだ。詫び寂び。

今夜の観望はなし

2000年05月06日(土) 23時49分 星見

 空は真っ白なくもりです。観望なし。

NHKスペシャル

2000年05月06日(土) 22時47分 テレビ

 帰宅して、夕食を作ったらNHKスペシャルが始まった。今夜はツキノワグマの生態を追うという内容。
 舞台は広島県の山中、中国山地。なんでも中国山地には数多くのツキノワグマが生息しているとか。しかしその数も年々減少しつつある。
 取材班は冬眠中の親子を発見、その近くの窪地を見下ろす場所に観測小屋を設置した。その親子が冬眠から目覚めると、まっすぐここにやってくるだろうという目論見だった。しかし春がきてもその親子は姿を見せず、また他の熊たちもほとんど姿を見せなかった。動物を自然の状況で観察しようとすると、時々こういうことが起きるようだ。
 取材班はリモートカメラをあちこちに設置して、ツキノワグマの動静を探った。その結果、ツキノワグマが非常に広い範囲を移動していることがわかった。
 このことはツキノワグマの減少傾向と関係がある。ツキノワグマ同士が交尾できる期間は限られているのだが、この間に異性に出会える可能性は元々高くは無い。しかも森の奥深くに入り込んだ林道などにより、森は次第に分断されつつある。林道は動物の移動を妨げるので、その内外にいる個体同士が交流できる可能性も低くなってしまうのだ。
 中国山地といえば、それが瀬戸内に流れ落ちる辺りが僕の故郷なので、多少なりとも親しみのある地勢ではある。故郷の呉市の山間には「熊野」とか「焼山」とかいう地名が散見される。熊野はいうまでも無いだろう。焼山も熊が出没するたびに山焼きをして追い払ったという故事に基づいているらしい。かつては僕が住んでいたような、海が見える傾斜地にまで熊が日常的に出没したものだという。しかし人間社会の拡大は、共存していた多くの生き物たちを追い払ってしまった。人間にとって快適な環境と、他の生き物たちにとって危険な環境とは、それぞれ等号で結んでしまってもいいだろう。
 人間は少し、というか、かなりやりすぎてしまった。人とその愛玩動物だけがぽつんと存在する世界というものは味気ないものだ。
 僕たちはもう少し後退する勇気を持っていいのではないだろうか。例えば山間地を縦横に走る林道や道路網を統合し、森を分断する部分を少なくするとか、今あるインフラを放棄してでも森を守る処置を講じなければならないのではないだろうか。山で暮らす人たちには悪いけど、しかし山を見たことも無い役人たちが計画した林道が、地域経済に本当に貢献できているとも思えないのだ。

秋葉へ

2000年05月06日(土) 20時46分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 まったくもってはっきりしない天気が続く。いや日差しはあるのだが、春の朧に包まれていまいち現実味を欠いた太陽ではある。Sun Dog......幻日か。
 今日はどうしようかなと考えて、秋葉に出かけることにした。考えてみたらこの休み中に電気街へは一度も行っていない。去年の僕なら3回は行っていたね。人間、変わるものだ(電気街が望遠鏡屋と書泉に変わっただけ)。
 いつものようにやや遅め、14:30に出て、16:00時前には到着。今日乗った東海道線の便はやたら早く、途中で品川とか飛ばしていたような気がする。
 秋葉では昭和通口を出て、東海銀行に寄り、まずは書泉を攻める。いまだに仮想戦記モノが元気なのにはびっくり。まるで妖怪だ。最近の流れは戦国モノらしい。
 ここで「日本SF論争史」を探したが、1Fには無い。上のほうの濃い階にあるのかも。
 そのまま万世方面に抜けてKYOEIに寄った。ここでBORGの15*50(だったかな?)ファインダーを探したが、棚には無かった。こういう中物はスターベースのほうが強いかもしれない。
 我がBORG100EDは、現状ではファインダーは無く、4頭タレットの直結側にH50mmアイピースを着けてファインダー代わりにしている。これはこれで便利な構成なのだが(ファインダー軸の調整が不要なので)、タレット側に切り替える度にピントの調整が必要になるのは不便だ。それと100EDがかなり重いので、片持ち赤道儀がややへたり気味なのが気がかりだ。それをいくらかでも改善するために、思い切ってタレットを外してしまおうと考えるようになったのだ。このタレット、アイピースの保持がプラスチック管の噛み合いだけなので、重いアイピースだとすっぽ抜けてしまうのだ(事実、LV4mmは一度ベランダに落下している)。まあ軽いアイピースが揃ったらやはり便利なのでまた使うかもしれないけれど、欲しいのは重い広視界型なので、ここは外して重量軽減にも役立てようというわけだ。その代わりにファインダーと重い広視界型アイピースを着けると、結局元の木阿弥かもしれないが。
 結局、KYOEIでは天頂ミラーだけ買った。
 その足で電気街を回る。若松の地下でPalm用折り畳みキーボードというそそるアイテムを発見したが、僕自身が次にPalm3cを買うのかPalm5系を買うのかはっきりしなかったので、ここは見送りすることに。しかしこのキーボード、折りたたむとPalmと同じサイズで展開するとフルサイズになる。入力するという点に関しては決定打かもね。問題は展開した時点で、膝の上で入力できるほどの強度があるかどうかだ。
 小物をいくつか買って帰った。

今夜の観望はなし

2000年05月05日(金) 23時45分 星見

 そんなわけで、今夜の観望はなし。昼には少し晴れても夜には必ず曇ってしまうのが春の辛いところだ。
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