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世紀を越えて

2000年03月12日(日) 22時40分 テレビ

 世紀を越えて。今夜は続発する巨大事故を取り上げる。
 アメリカではWW2後、特に'80年代に入っての規制緩和以降、航空業界が活性化され、その旅客人口も大きく増大している。それに伴って航空機の墜落事故も増大し、その抑制に大きな努力が傾けられている。
 航空機を作り、運用する技術は長足の進歩を遂げたが、にもかかわらず事故は減少しない。その要因の一つに、航空機の複雑化がある。航空機があまりにも巨大化したため、チェックの手順がとてつもなく複雑になり、どうしても整備不良の見落としが減少しないのだ。戦前のDC-3と最新のDC-11を比べると、その見た目の大きさはもとより、その構成部品の多さに驚くほどの差がある。特に電気/電子部品の増大は、一面で運用コストを引き下げているものの、故障要因の増大をも引き起こすのだ。乗員乗客200名余が死亡したTWA航空機事故でも、原因は主翼部フュエルタンク近くを通った電線の劣化だった。たかが1ヵ所、しかし致命的な場所で起きたスパークが、この大惨事を引き起こしたのだ。
 航空機が進歩できても人間は簡単には変われない。その為にヒューマンエラーによる事故も続発している。アンデス山中で起きた墜落事故では、パイロットの入力ミスが原因と判明した。パイロットは航法支援装置を参照しながら飛行経路を選択する。ところが事故機の場合、飛行中に飛行経路を変更するという作業が発生した。この時にパイロットは中間地点として入力する空港名の省略形として頭文字のみを入力した。ところが頭文字に合致する空港は比較的近隣にもう一つあり、しかも航法支援装置のアルゴリズムとして複数の空港名にプライオリティを付けて処理していた。その結果パイロットが入力した地名と航法支援装置が認識した地名とが異なってしまい、事故機はまるで違う方向のアンデス方面に向かってしまい、ついに山肌に激突してしまったのだ。
 この事故では確かにパイロットが不注意だった点は否めないが、同時に航法支援装置にヒューマンエラーを防ぐ仕組みが足らなかったようにも思える。それ以上にパイロットが航法支援装置に頼り過ぎ、自らの位置と進行方向を十分確認しなかった事が原因だといえるだろう。いずれにせよ機械と人間の双方を改善しない限り、ヒューマンエラーは根絶し得ない。
 本来ならば航空機を安全に運営するべき航空会社、そしてそれを監督すべき役所の腐敗もヒューマンエラーの一種と考えられる。今も記憶に生々しいスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故は、打ち上げを予定通り実施したいNASAが、事故を予見していたメーカー側に圧力をかけ、打ち上げを飲ませた事に起因している。
 同じ構図は航空機業界にも見られる。フロリダ近郊で発生したValujet墜落事故では、直接原因は整備会社が使用期限切れ酸素発生装置を、適切な安全装置を付けないまま誤って事故機の貨物室に積み込んだ事にあった。しかしこの整備会社に対して、航空会社は必要な安全指導を全く行っていなかった事が判明している。事態を救いがたいものにしているのは、航空会社の安全性をチェックすべき省庁が、政策的に監査を手控えていた点にある。クリントン政権が行った航空業界への規制緩和で目に見える成果を出すために、Valujet社の成長は仕組まれたのだった。
 こうして航空機事故の要因を振り替えると、人間による検証という方法論にも、機械的なチェックによるそれにも、限界がかなり以前から見えていた事に驚かされる。根本的な解決は、人間のように思慮深く柔軟で、機械のように疲れを知らずミスもしない新しい機械知性が登場するまでは不可能なのではないだろうか。

爆睡の日

2000年03月12日(日) 20時38分 暮らし 天気:雨後曇り

 前夜、明け方近くまでチャットして、それから爆睡したので、目覚めたのは2時近くだった。これでも8時間近くは眠った事になる。
 起き出して、さてどこかに出かけようかとぼんやり考えていたが、細々としたどうでもいい事柄どもを片づけているうちに面倒くさくなり、とうとう今日は外にもでなかった。経済的でいいな。
 原稿用紙に向かったり、PCに向かったりしているうちにまたもや眠くなり、もう少し一眠りしてしまった。ますます金のかからない奴だ。しかし平日の深刻な睡眠不足からすると、これでようやく釣り合いが取れるくらいだろうか。

今夜の観望は無し

2000年03月11日(土) 23時37分 星見

 また曇り。曇りの日が続きます。

臨死体験

2000年03月11日(土) 23時34分 テレビ

 今夜の「時の記憶」は'91年に放送されたNHKスペシャル、立花隆の取材で製作された「臨死体験」だった。1.5時間の長尺の番組だが、非常に面白かった。
 臨死体験とはなんだろう。それは人が死線をさまよっているときに体験する奇妙な出来事のことだ。近年、医療技術の発達により、少し前なら助からなかったような危篤状態から生還する人が増えている。そうした人々の中に、従来の科学的な説明が当てはまらないような体験をする人も多い。それらの奇妙な体験をまとめて臨死体験と呼ぶ。
 臨死体験の細かなパターンはいくつもあるが、共通して見えてくるパターンもある。
1.肉体から視点が離脱する(いわゆるオカルト用語の幽体離脱)。
2.暗い穴の向こうに明るい光が見える。
3.明るい場所には花園が広がっている(あるいは大変居心地よさそうな場所である)。
4.そこでかつて死んだ肉親と出会うこともある。
5.そこから先に進むが、障壁(川のような場合もある。肉親に呼び戻される場合もある)を前に引き返し、息を吹き返す。
 これらの体験はたいてい宗教的ないしオカルト的意味付けがなされる。しかし近年になって多くの体験が知られるに連れ、科学的な文脈で解釈し直そうという動きが起こっている。
 全米の臨死学会が設立され、そこで数多くの事例が報告されている。学会の設立に関わったある医師は、医療の現場で数多くの臨死体験に接し、その存在には疑問の余地が無いという。死地から生還した患者の多くは臨死体験を口にするという。
 立花もその報告数の多さから臨死体験の"実在"は疑えないという。では臨死体験の正体はいったいなんなのだろう。
 臨死体験者は多くの場合意識不明の昏睡状態にある。従って体験者は外部からの情報を受け取り得ない状況にある。しかし体験者の中には幽体離脱の最中に、当人が知り得ないような事項(たとえば昏睡中の現場の状況や、医師たちの会話、仕種)を言い当てる者もある。そこでこれら臨死体験は現実の体験であるという説が成り立つ。
 一方で臨死体験は脳内の"体験"に過ぎないという説もある。先の昏睡中の体験は、医師たちの会話を体験者が無意識のうちに聞き取ったいたものという解釈だ。しかしそれだけでは説明できないような事柄まで憶えている患者もいる。
 脳内現象説にはある有力な証拠もある。1950年代、北米の脳外科医が、局部麻酔で開頭した患者の大脳に電気的刺激を加え、その時になにを感じているかを聞き取るという実験を行った。すると側頭葉の一部を刺激すると、幽体離脱のような感覚をおぼえる事が発見されたのだ。つまり昏睡中の体験者は、この部分が活性化される事によって、擬似的な体験をしているに過ぎないとも考えられるのだ。また他にも大脳生理学的な手がかりがいくつか得られている。
 ところが脳内現象説には大きな落とし穴がある。昏睡中の体験者の脳の活動レベルは極めて低く、夢を見たり幻覚をおぼえたりする力も無さそうなのだ。また個体の終焉という、種の保存という視点からは無意味な場合に活性化される機能の意味はなんなのだろう。
 臨死体験現実説を取った場合、肉体から抜け出して外部の情報を得る事が出来る"実体"が想定される。大抵の場合、それは古典的な意味での霊魂であると解釈される。こうした2元論を取る人々は、どうも医療の現場に近い人々が多いような節がうかがえる。実体験者という特権的な立場に近い者ほど、そのリアルさを疑い得ないという事を示しているのかもしれない。
 こうした臨死体験のモチーフは、実は宗教にも大きな影を落としている。仏教、キリスト教を問わず、宗教画には光の道というモチーフが数多く登場する。これは臨死体験者が宗教的な影響を受けている事を示しているのだろうか。実はまだ宗教的なカラーに染められていない少年期の臨死体験者も、似たような体験を語っている事から、必ずしもそうとはいえない。逆に宗教の誕生に臨死体験が深く関わっているという説もある。もしそうなら、臨死体験は宗教の誕生と同じくらい古い歴史を持っている可能性はある。
 こうして多くの事例を並べてみても、臨死体験の正体ははっきりしない。明らかに脳内現象説が有力だ。例えば幽体離脱者がふつう知り得ない事項を語るという現象は、実は事後的に記憶された事柄に過ぎないという考えもありうる。また幽体離脱感覚を誘発する機能の存在意義は、例えば通常の生活では別の機能を発揮するものだとも考えられる。また死から生還した人が死を恐れなくなるという事実(後で記述する)から、実は個体の生存に極めて有利に働く機能であるとも考えられる。しかしこれだけでは体験の全てを網羅できるとはいえない。その意味では、臨死体験という魅力的な現象は、21世紀に入っても追求されつづける事になるだろう。
 ところで、臨死体験者の多くが死を恐れなくなるという現象はなんなのだろう。先の生存有利説に従えば、実は進化論で説明可能な形質の一つに過ぎないともいえる。だが臨死体験者が喜びを持って語る様子を見ると、無理に科学的な解釈に委ねなくてもいいのではないかとも思えるのだ。科学的に探求するのは構わないが、それが臨死体験者に「それは脳内の現象に過ぎない」と語る事の意味は果たしてどれだけあるのだろう。臨死を境に新しい肯定的な価値観を持った人に対し、こうした言説はどれほどの価値があるのだろう。科学的な価値はあるだろうが、人間の価値観全てを科学に委ねる必要の無い事は言うまでもない。人間の価値観は常に科学、宗教、その他の論理に関連しながらも、なおもその外に立つものだと思う。僕たちは個人的な経験という計量も一般化も拒絶した物差しに依って生きている。この事実を直視しないで一つの価値観を強制する事は、多くの知性的な存在が見逃しつづけている暴力ではないだろうか。それが臨死体験者にまで及ばない事を祈るばかりだ。

街道をゆく

2000年03月11日(土) 23時33分 テレビ

 今週は肥前の道行き。肥前は古く遣隋、遣唐使船の寄港地として、またその後もモンゴル帝国の来寇やキリスト教伝来など、歴史の波にさらされてきた土地だ。
 1274年、1281年の2度に渡った元寇は、遣唐使の停止以来海外とのかかわりが薄かった日本に、大きな衝撃を与えた。元という世界帝国の持つ論理に対し、日本という狭い島国の論理が衝突し、様々な意味で試された事件だったといえる。幸いにして(なのか不幸にしてなのかはわからないが)元の来寇はいずれも失敗、日本が外国に侵略されるという最初の危機は免れた。元寇が挫折した原因は来寇側が日本近海の暴風を甘く見て、いずれの場合も大風により船団が壊滅するという少し情けない理由だった。しかし元軍が陸に拠点を移さず、船上にこだわったのは、鎌倉武士団の予想を超える勇猛果敢さにあったといわれている。しかしこの時、日本が一時期でも世界帝国の版図に組み込まれる結果になっていたら、どういう事態が起こっていたのだろう。その後の歴史の流れもよほど変わったかと思うのだが。
 肥前長崎といえば南蛮舶来、基督教伝来の故事が憶えられている。最初期のポルトガル人はキリスト教の布教と対で貿易も行っていた。そのために日本で最初にポルトガル船を受け入れた大村氏は、キリスト教の洗礼を拒んだために巨利を得る機械を逃してしまったという。その後、キリスト教の布教が禁止され、日本に帰港できるのが布教にこだわらなかった新教徒のオランダ人に限られてしまったことを思い起こせば、歴史というものの皮肉さにあきれざるをえない。

今夜のサイエンス・アイ

2000年03月11日(土) 20時30分 テレビ

 今夜のサイエンス・アイは、海外のドキュメンタリーをそのまま放映していた。期末で製作が間に合わなかったのか。
 番組では様々な動物が示す能力を取り上げていた。だいたい、我々が知能の定義に深く関わると思われるような能力ばかりだ。
 例えば良く訓練されたオウムは数を数え、色を見分けるなど、人間が出す課題を理解し、正確に答えるがごとき行動を示す。オウムに人間の言語を理解できるというのは信じ難いが、とにかく実験者の言葉を理解させ、その回答を音声で答える(オウムだから)という実験を行っていた。なにか「賢い馬」の類かとも思えるのだが。
 さすがに猿を使った実験だとこちらも納得しやすい。ボノボを使った実験は著名だ。またキツネザル(だったっけ、真猿類じゃないの)を使った実験でも、猿は的確に状況判断する能力を持っていることが示されている。キャンディを取るという課題を与え、二つの到達性に差をつけた方法を示してやると、大抵はより簡単に到達できる方法を的確に選択するのだ。こちらは言語を使った実験ではないので納得しやすい(どうも言語というモノは人間の特権的な能力という気がする)。
 また良く訓練したチンパンジーは、ある部屋に隠したおやつの場所を、その部屋の模型を使って説明してやると、簡単に到達できる。これはチンパンジーが部屋の模型という抽象概念を理解し、それを現実の場で再適用できる能力を持っているからだと説明できる。この課題をヒトの2才児に与えるとこなすことが出来ない。この年齢ではヒトの方が猿に劣っている面もあるらしい。
 またチンパンジーには他人(他猿?)がある事柄を知っているかどうか推測する能力もあるらしい。2匹のチンパンジーを使い、ある猿に対し、猿たちが大嫌いな獣医が、別の猿に接近する状況を見せてやる。この時、接近されている方の猿が明らかに獣医の存在に気づいていない場合、それを見ている猿は警告の声をあげる。逆に明らかに知っていると思える場合、警告の声は上げない。別の猿が危険な状況を察知しているかどうか理解しているからだと説明できる。
 同じような能力はより脳の小さなキツネザルにもある。実験者が二つの箱に果物を隠し、それに別の実験者が操作を加えるという状況を猿に見せる。実験者1が箱に果物を隠し退出する。そこで実験者2が果物をもう一方の箱に写すという操作を猿に見せ、戻ってきた実験者2が果物がない方に手を突っ込んでも、猿は注目しない。しかしこの時にトリックを使い、無いはずの果物を取り出してみせると、猿はしばらく注目する。あり得ない状況が発生して事を理解しているからだと説明可能だ。
 このような事例は様々な動物にも見られるが、注意が必要なのは全て人為的な環境での実験だということだ。つまり、猿たちは自然環境の中では人間の言語を使うことも、模型のような抽象概念を扱うこともない。ただし他者がある事柄を理解しているかどうかという能力は、自然環境でも役立つと考えられている。
 このように動物にも抽象概念を扱う能力はあり、実験ではそれを引き出すことが出来るというのは興味深い。しかしそれがなぜヒトほどにまで発達しないのか、あるいはなぜ言語を獲得しないのか。ヒト自身の言語獲得にまつわる謎と絡めて、これからもますます追求されていくだろう。

休日出勤

2000年03月11日(土) 17時29分 暮らし 天気:曇り

 久しぶりに休日出勤するはめに陥った。さすがにY2K越え前後の活況は無いが、それでも職場にはちらほらと人影があった。
 暖房は入ってなかったのだが、マシンの熱のおかげで寒くはない。眠気に悩まされつつ定時までに仕事を片付け、さっさと帰宅した。
 しかし人が少ないせいか、すぐにプロキシ様が音を上げる我が社のネットワークも軽くて快適だったな。

ごめん > driveway

2000年03月10日(金) 23時28分 インターネット

 昨日のデータホスティング特集(そんなたいそうな)で「複数ファイルの一括アップロード可能なのはmydocs」と書いたけど、これは間違いでdrivewayが正解だった。ごめん。
 しかし一括といっても5つまでで、ディレクトリ丸ごととはいかないので非常に不便だ。mydocsの方は一つずつなのだが、こちらの方はPalmの類からのアクセスで便利な仕組みがあるようだ。それぞれ一長一短あるようだが、全体的にはまだまだ使えないという評価が妥当だろう。
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