South of Heaven


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今夜の観望は無し

2000年04月09日(日) 23時08分 星見

 では観望をと思って夜空を見上げると、すっかり雲が覆っている。月もうす雲に覆い隠されている。残念だが今夜は無理だ。

湘南台にお出かけ

2000年04月09日(日) 20時06分 天気:晴れ

 昼頃まで寝て、さてどうしようかと思案した。BORG等からの荷物を待っていたのだが、この分では未発送だと推測される。では外出しよう。
 湘南台まで230円。つくづく納得できないのが、あざみ野まで乗っても500円だという点だ。距離的には10倍ではすまない。
 湘南台に出ると、図書館のほうに歩いていった。途中、ちょっとした公園があるのだが、そこでは多くの人々が花見を楽しんでいた。そうか、花見の季節だったんだ。公園のそこここや、隣の中学校に点在するさくらを眺めながら、図書館に向かった。
 図書館では臨死関係の本を探してみた。昨日から立花隆の「臨死」上下巻を読み出していた。500ページ2巻の大著で、この間再放送を見たNHKスペシャルでの取材を起点に書かれたものだ。この中で「死ぬ瞬間」(キューブラー・ロス著)が取り上げられていたので、探し出して斜め読みしてみた。時代はベトナム戦争末期の'69年。「アメリカの20世紀が終わった」といわれた頃だ。様々な価値観が大転換を遂げつつあった頃にこの本が書かれたのは、ある意味で象徴的といえる。
 ロス博士は死病に力尽きようとしている人々にインタビューを試み、その貴重な体験から何事かを学べるのではないかと考えた人だ。最初の頃は現場の医師たちの理解を得られず、インタビューは困難を極めた。しかし少しずつ支持を集めていき、最終的には毎回50人規模のセミナーを開けるまでに発展した。
 ロス博士は人が死を受け入れるまでには五つの心の段階があると説いた。
 最初は否認。自分が死ぬことなどありえないと信じ、死病に取り付かれたことを否定しようとする時期だ。この時期は永続せず、死の瞬間まで否認しつづけることは出来ないとしている。
 次に怒り。「なぜ自分が死なねばならないのか」といったように、自己に死すべき理由がないと捉え、その不条理さを前に怒りという形での発散をせざるを得なくなる時期だ。多くの末期患者が医療の現場で扱いにくい人物となるのは、この時期の存在のためだという。
 続いて取り引き。「せめて子供が大きくなるまでは」あるいは「作りかけの本棚が出来るまでは」といった風に、生あるうちに成さねばならぬことがあると設定し、その間の生を継続できるように訴えるものだ。超越者が相手である場合もあるし、自分の欲求を叶えられる身近な人物である場合もある。~
 続いて抑鬱がくる。死という避けがたい運命を前に、成さねばならなかった事、成したことを思い返して悲しみに暮れる時期だ。
 そして最後に受容だ。死をあるがままの事実として受け入れる。しかし必ずしも死に積極的な意味付けが成されたわけではない。病者の体力的な問題から思考が鈍り、無気力とものぐさのうちに受け入れていることも多い。
 ロス博士のこの分類は、あまりにも物語的に過ぎると感じるが、同時に広く受け入れられている考えでもあるらしい。ターミナル・ケアの現場では、なんらかの指針が必要だということなのだろう。
 こうした分析を元に、死すべき人々と、残された人々への対応を説いたのがこの書だ。ロス博士はその後も死に関する本を著している。
 ロス博士のこうした活動を通じて、ターミナル・ケアという考えが医療の主流に持ち込まれることになったのだ。従来から宗教を中心としたターミナル・ケアはあったが、近代医療においては胡散くらいモノと捉えられていた。近代医療の現場では長い間人の死という運命を受け容れず、戦うことを前提に組織づくられて来た。そこにインパクトを与え、死生観に新しい意味を付け加えたこの書は、歴史的なものとしてもっと評価すべきだろう。
 さて、他に臨死関係はというと、少なくとも宗教、哲学関係には無い。心理学関係でもない。探してみると、医療関係に固まっていた。確かにごもっともなのだが。
 その後、PC屋と本屋によって帰った。おっと、文房具屋でちょっとしたアイテムを購入。原稿用紙などの目隠し用テープだ。剥がしても跡が残らないテープを探したら、たまたまこれだっただけなのだが。実は100EDのタレットからやや重いLVアイピースがすっぽ抜けそうなので、なにか手当てしようと思い立ったのだ。これで固定してみると、かなり強度が増したように思える。剥がしても跡は残らないので、抜き差しするときにも安心だ。

今夜も観望できました

2000年04月08日(土) 23時59分 星見 天気:晴れ時々くもり

 夕方までドロドロと眠り、起きだしてぼんやりしていた。本当はちょっと出かけたかったのだが、発注した分の荷物が届くかもしれないと思い(期待)、外出を控えたのだ。
 まだ眠いので夕食を食ってさらに眠りこけ、目覚めたら既に真夜中だった。ベランダに出てみると、それはくもりがちで観望には向きそうも無い。
 やむなくしばしチャットして、ネット土左衛門になり、あくびをかみ殺しながら夜明け前のベランダに出た。すると晴れている。早速望遠鏡を出した。
 昨日、低倍率作戦で敗退したので、今夜は中倍率作戦でM4にチャレンジ。SWK22mmやWO13.5mmでM4のある辺りを凝視する。うーむ、確かにぽつぽつと小さな星がいるように見えるが、散開星団といえるほどだろうか。やはりもっと大口径の望遠鏡で光量を稼ぐか、フィルタを導入してコントラストを上げるかしなければ、M4のような淡い天体の目視は難しいのかもしれない。
 こうなるとBORGに発注中のVIXENデジカメアダプタに期待するしかないと思われる。加算的に光量を稼ぐことで淡い天体を浮き上がらせるのだ。あるいは目に良い食品で体質改善作戦をするか。旧日本海軍では夜戦時の監視員にうなぎ等の特別食を振舞うことがあったそうだ。こうした監視員たちは一日中真っ暗な特別室でずっと待機し、暗順応を極限まで高めていたのだそうだ。こうした人々には、光害の無い夜空とあいまって、空の眺めはさぞかし見事なものだったろう。その余裕があったのならば。

久しぶりに観望

2000年04月07日(金) 23時59分 星見 天気:結構晴れな感じ

 春の空は春霞でどうもはっきりしない。昼に空を見上げても、晴れてるんだか曇ってるんだかさっぱりわかりゃしない。春から梅雨時にかけては、きっぱり望遠鏡をしまっちゃう人も多いそうだ(その代わりに双眼鏡を使うんだとか)。僕も100EDにカビが生えないか心配になるくらい、ベランダに持ち出せない日が続く。これがいきなり20cm級のニュートン式なんて買っていたら、今ごろ錆付かせていたかもしれない(早すぎ)。
 そんな風に空を心配しながら夜を迎えたが、今夜は結構晴れていた。結構、というのはぼんやりかすんだ感じがどうにも拭えないからで、真っ暗になった丑三つ時に空を見上げると、冬時には無かったような空全体に渡る薄明かりが感じられた。冬に比べて大気中の浮遊物が増え(水滴だけでなく黄砂なども)、光害もさらに甚だしいものになるのではないだろうか。
 それでも宵の口にはまもなく観望シーズンが終わるオリオン座とおおいぬ座の眺めを楽しんだ。トラペジウムはくっきり分離できるので、透明度は悪くないようにも思われるのだが? 風が無く、シンチレーションが安定しているためかもしれない。さらに西の空低くでは、火星、木星、土星の会合に月が加わり、結構にぎやかな眺めだったようだ。しかし僕の部屋からはどうしても西空の展望が不可能なので、この天体ショーは双眼鏡で、屋根のぎりぎりに身を乗り出して眺めるより他は無い。
 夜中に起きだして続きを見ようと思い、少し眠り込んだが、うっかり3時過ぎまで寝てしまう。まあ日付が変わる頃の南天は、明るい星座が一つも無いので、今日見れなくても構わないのだ。起きだして、ちょっとチャットしながら、またもやアンタレスの周辺に目を凝らした。手元のアイピースではもっとも低倍率のH50mm(なにせファインダーとして使えというくらい)でアンタレスとさそり座β星(いやγ星だったかな)を視界に収め、M4があるという辺りを一心不乱に眺めてみたが、念写と違ってそこに映像が浮かび上がるということは無かった。夏至辺りの、もう少し高度があるときならば見えるのかもしれないが、この分では望み薄だ。すっかり闇に慣れた目で夜空を見上げると、空全体が明るくて雑誌が読めそうだった(さすがにこれは無理)。夜明けが近いせいかも知れないが、本物の夜明けは間もなくやってきて、真夜中に感じた薄闇とは違うものだった。
 夜が明けきって、腹が空いたので、例の吉野家まで歩いていって朝飯を食い、それから寝た。

久々に一瞬だけ観望

2000年04月06日(木) 23時02分 星見

 夜、なかなか雲が切れないので今日も観望は無理かと思ったのだが、深夜になってようやく雲が切れるようになった。望遠鏡を出し、アンタレスの横に注視した。M4がこの辺りにあるのは間違いない。何枚か天文写真を検索したのだが、β星との二等辺三角形の鈍角に位置するものがあったのだ。しかし、いくら目を凝らしても見えてこない。光害が打ち消してしまうのだろうか。一番明るいのが9等星なので、高度が低いとつらいのかもしれない。まもなく雲が空を覆ったので、観望はここで中止。

これでもたまにはフィクションも読むのだ

2000年04月06日(木) 21時00分

 夕方までドロドロと眠ったので、病み上がりは快適かと思いきや、まるで気分が乗らない。まだ寝たりないくらいだ。自家中毒の前兆と思われるので、茶を喫しつつ本を読んだ。
 読んだのは神林長平の「魂の駆動体」。ホビーとしてのクルマが、それどころか実体としての肉体が捨て去られつつある時代に、その自動車を蘇らせようとして情熱を燃やす老人たちの話が前半。この辺り、個人的には涙無しに読めなかった(いやほんとに泣いたわけじゃないが)。最近になって、天体観望という廃れつつある趣味を得た僕には、この老人たちの生き様は過大なくらいのリアリティを伴って感じられる。望遠鏡自作などという日本では滅亡寸前の趣味を持つ人々も、とても冷静に読めないのではないだろうか。
 後半は遠未来、既に滅亡した人間を研究する翼人の活動を軸に展開される。翼人の一人が人間の肉体を得て、その視点で人間の遺物を研究しようとする。最近、エクリチュールという問題を少し探求しているので、この翼人の思考法はよくわかる。僕たちはどれほど精神が自由だと信じていても、事実は肉体に縛られ、モノに囚われ、言葉に拘束されている。だからこそ精神は自由だという言明が尊いものになるのだが、ともあれ何をするにも晴れ上がり前の宇宙のように、光はまっすぐに進めない。この闇の中で真理を探究するには、真理を曲げて見せている(というか"真理"の外形を定めている)モノどもの形を把握し、それが認識に与える影響を探る必要があるだろう。翼人はヒトの思考法の中心にあるであろう肉体を模倣することで、その闇を突破しようとしたのだ。
 翼人による人間研究は長足の進歩を遂げるが、しかし魂の無い研究用アンドロイドに魂が宿ったことから、事態は急速に発展していくのだ。
 この「魂」という科学の俎上には載りにくいモノを、神林は饒舌なほどの理屈で修飾してみせる。理論というより理屈というべきだろう。人間の動機や生きる意味、そして機械の発展系に過ぎないアンドロイドとヒトとを分けるものとして、ともあれ魂なるものを置くのだ。実体は何でもいい。そして実はヒト(や翼人)はこの魂が目的を果たすために存在しているに過ぎないというわけだ。オブジェクト・オリエンテッドな駆動法なのだ。
 ラストシーンは、この老人たちならば必ず目的を実現したに違いないと思わせ、ニヤリとさせられる。この神林の飄々としたユーモアには、いつもホッとさせられる。

久々に休む

2000年04月06日(木) 20時59分 暮らし 天気:くもり

 前日、深夜までどんちゃん騒ぎしていたので(嘘です、ひざを抱えて黄昏てました)、目覚めは最悪。そのせいか、起き抜けに腹が異常発酵している感じだった。地下鉄でピーは恐怖なので、さっくり休む。が、これは食中りの前触れだったようで、会社に電話を入れてまもなく吐いた。うげぇ、少し痛んだオレンジを食った祟りか。ともあれ、水分を摂り、梅干パワーに頼った治療を試みた結果、夕方までには快復した。

4/5の暮らし

2000年04月06日(木) 20時56分 暮らし 天気:くもり

 くもりというか、雨だけど。
 昼に、新会社の設立式が執り行われた。設立式というより結社式かな。なんだかKKKの集会みたいで楽しそう(KKKは嫌だが)。
 実際の式典は楽しくもなく、新執行部の顔ぶれを眺め、多少の演説を拝聴しただけのものだった。30分で終わったのが救いだった。
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