South of Heaven


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速さ

2000年03月15日(水) 20時48分 思考 天気:曇り

 眠さに死にそうな日だった。ゆっくりフレックスで出勤したかったのだけど、全員出席が求められた予算説明会が朝早くにあったのでそうもいかず、その説明会の途中で眠りこけそうになりながらなんとか乗り切った。
 こういう時に後ろの方から眺めていると、真剣に聞き入っている者、内職している者、寝ている者が一目で見分けられて楽しいもんだ。期末が近づいているせいか、睡眠不足の向きも多いようだ。不思議な事に、同じような生活をしながらも、十分寝足りている人とそうじゃない人の差が生じるのだ。あたり前の事だけど、人は一人一人体質も生活のリズムも違うのだ。本来ならば。
 しかし社会で生活する限り、社会が強制するリズムに合わせて生きていかざるを得ない。例えば、9:00に出勤して17:00に帰るという生活だ(実際にこの通りに生きている人は少ないだろうが)。現代人は都市で生きる限りなんらかの形で生きる速さを強制される事になる(今や田舎も小都市という位置付けに過ぎないのは言うまでもない)。特に企業で生きるサラリーマンにはそれが著しい。僕たちは母親の膝の上を離れて這い始めた時から、いつの間にか本来自分のものでない速さで歩く事を強制されてきた。
 なぜ速さを強制されるのだろう。それは結局のところ文明の本質がそうだからと答えざるを得ない。現代が文明優勢の時代である事はほぼ断言できそうに思う。ふつうは文明対文化という視点は成立し得ないのだが、個人の速さというものに対する作用という点では、この二つは鋭く対立している。
 文明の本質は汎的である事だ。文明とは異なるモノどもに同じ物差しを当てて行く作業に他ならない。そして物差しというものが登場する以上、その物差しで指し計れる数値以外の何者も無視される運命にある。酒池肉林の生活を送り無頼の日々を送るA氏と、花鳥風月を愛で詩的精神世界に生きるB氏は、同じ仕事をこなす以上、企業にとっては同じ人間に過ぎない事を意味する。この事は両氏にとって有利にも不利にも働く。
 しかし高度に細分化された専門分野での仕事を除けば、大部分の企業人が決められた手順をこなす事だけが求められる。どのような作業も、それが決められた基準に沿う事を求められる以上は、ルーチンワークの域を出ない事は言うまでもない。残念な事に、創造性を求められるような作業はごく少ないのだ。となると、どんな人が担当しても、その結果に質的な差は少ないだろう。いや、実は順序が逆だ。質的な差が生じないように、基準に沿って作業する事が求められているのだから。
 質的に差が出ないのなら、量的に差を付けるしかない。時間当たり多くの仕事を処理できる者が有利になる。ここでようやく速さの話に戻ってきた。つまり、企業というものの内部で生きる以上、質的な差などほぼ問題ではなく、量的な差だけが評価される事になる。その結果、多くのごくあたり前の能力しか持たないサラリーマンは、朝早くから夜遅くまで働き詰めになり、道を早足で歩き、発車間際の電車に駆け込んでコートの裾を挟まれる事になるのだ。
 唐突な思い付きを書くと、学校とは、人に社会で(企業で、ということとほぼ等価)生きるための術を学ばせる場所だと思う。事に小中学校では様々な形で速さを守る事を教え込まれる。その意味では学校とはどこまで行っても非人間的な存在に過ぎないのだろうと思う。この事を忘れて、学校を人間の本質を伸ばせる素晴らしい場所である"べき"だ等と規定してしまうと、どんな教育政策もうまく行かないのではないだろうか。学校は概ね会社人間を作る場所である、という確信を持った上で、それでも幾ばくかでも個人個人の抱える差異を残してやろうという方法論以外、教育の現場では生き残れないのではないだろうか。
 こんな事を取り止めもなく、会社のマシンでコンパイル終了を苛々と待ちながら考えていた。恐らく、出来ればこんな事ばかり考えている社員は、どんな会社だって欲しく無いだろう。

3/14の暮らし

2000年03月14日(火) 22時46分 暮らし 天気:晴れ

 花粉症と寝不足に散々に叩きのめされながらの1日だった。
 今夜の観望は眠かったので無し。しかし寝る前にベランダに出てみると、冬の大三角形が沈んだ後の物静かな星空が広がっていた。こっちの方が悠久の時を思わせて味わい深い。

今夜の観望

2000年03月13日(月) 23時45分 星見 天気:晴れ時々曇り BGM:Bound to Fail/Accept

 早く帰れたので、望遠鏡を木星に向けてみた。19:00時点で既に西の空低くにあり、間もなく観測シーズンは終わりそうだ。そのせいか、揺らぎが極めて大きく、像が安定しない。慎重にピントを合わせても縞3本が見分けられるかどうかという程度だった。土星も輪が分離できるという程度。
 もう少し高度の高いオリオン大星雲やM42はマシだったが、トラペジウムの星を分離するのが精一杯だった。しかし大気の透明度自体は高かったのか、心なしか星雲全体に赤味がかかっているようにも見えた。気のせいかもしれない。また外し見で星雲の形を読み取ると、大体写真で見るそれに近いものが見えているように思えた。大口径の望遠鏡ならもう少しいけるかもしれない。
 天頂近く、屋根に隠れるぎりぎりの辺りにすばるとヒアデス星団が見えている。こちらも望遠鏡を向けたらさぞかしいい眺めだろうが、路上にでも持ち出さない限り無理だ。
 日付が変わる頃にベランダに出てみると、もう空を雲が覆い尽くしていた。こりゃあかんとばかりに望遠鏡を仕舞い込んだが、2:00くらいにもう一度出てみると、雲が次第に東に追いやられ、晴れ間が広がりつつあるところだった。もう望遠鏡を出す気にはなれず、双眼鏡でしばらく空をなぞってみた。この時刻にはやはり天頂近くに明るい星が集まっている。Borg100EDもかなりお手軽な望遠鏡だが、もっと軽いのが欲しいところだ。

今夜の観望

2000年03月12日(日) 23時59分 星見

 20:00頃に空を見ると、やっと晴れ間が広がっていた。望遠鏡を出して既に高度が低い木星に向けると、高度が低いせいで揺らぎが大きく、縞がかすかに見える程度だった。
 オリオン大星雲も生彩を欠き、M41も見づらい事おびただしかった。一見して空の透明度は高そうだったが、雲が生じ易く朧が広がっていたようだ。
 日付が変わる頃に空を見ると、既に雲が空を覆い尽くしていた。
 天文ガイドやスカイ・ウォッチャーの広告を眺めていて、最近頓にベランダの狭さを克服するアイテムの必要性を、強く感じるようになってきた。一つはベランダの手すりに取り付ける頑丈な経緯台(別に赤道儀でもいいが)。これがあれば奥まった位置に望遠鏡を置いて視界が制限される事無く、空を観望できる。もう一つは全長のなるべく短い大口径望遠鏡。大口径といっても8インチとかになるとハンドリングもままならないだろうから、10cmくらいで十分だ。これで全長が短いとなると、どうしてもマクストフ・カセグレン式などが候補に上がるだろう。実際に10cm級で安価なものもあるようなので、良く見えるかどうかは別として一つ入手したいものだ。

誰もいない部屋

2000年03月12日(日) 23時55分 テレビ

 今夜の誰もいない部屋。最初の部屋は川にこだわるかっぱ好きの住人の部屋。たくさんの写真を参照しながら謎の長い板で仕事をする。石や水にこだわりがあり、地名はかなで正確におぼえておく必要がある。また不動産会社の案内広告を集めている。
 さっぱり分からないので井戸掘り職人としておいたが、答えは絵地図(観光地などで良く売っている)の作者。広い見識と取材を必要とする仕事のようだ。
 最後の部屋は謎の骨ルーム。なにやら面白い形にこだわる人のようで、様々な標本を集めては計測している様子。謎の断面図らしき図面もある。別室にはおびただしい骨の標本があり、住人はその計測を楽しんでいるとか。
 これもさっぱり分からないので骨相学者(そんな学者がいるのならどんな専門分野でも成り立ちそうだが)としておいたが、答えはマネキン原形の造型者。難しい。
 あまりに難しすぎたのか、今夜は全員不正解の連続だった。巨匠山田五郎も形無しである。

世紀を越えて

2000年03月12日(日) 22時40分 テレビ

 世紀を越えて。今夜は続発する巨大事故を取り上げる。
 アメリカではWW2後、特に'80年代に入っての規制緩和以降、航空業界が活性化され、その旅客人口も大きく増大している。それに伴って航空機の墜落事故も増大し、その抑制に大きな努力が傾けられている。
 航空機を作り、運用する技術は長足の進歩を遂げたが、にもかかわらず事故は減少しない。その要因の一つに、航空機の複雑化がある。航空機があまりにも巨大化したため、チェックの手順がとてつもなく複雑になり、どうしても整備不良の見落としが減少しないのだ。戦前のDC-3と最新のDC-11を比べると、その見た目の大きさはもとより、その構成部品の多さに驚くほどの差がある。特に電気/電子部品の増大は、一面で運用コストを引き下げているものの、故障要因の増大をも引き起こすのだ。乗員乗客200名余が死亡したTWA航空機事故でも、原因は主翼部フュエルタンク近くを通った電線の劣化だった。たかが1ヵ所、しかし致命的な場所で起きたスパークが、この大惨事を引き起こしたのだ。
 航空機が進歩できても人間は簡単には変われない。その為にヒューマンエラーによる事故も続発している。アンデス山中で起きた墜落事故では、パイロットの入力ミスが原因と判明した。パイロットは航法支援装置を参照しながら飛行経路を選択する。ところが事故機の場合、飛行中に飛行経路を変更するという作業が発生した。この時にパイロットは中間地点として入力する空港名の省略形として頭文字のみを入力した。ところが頭文字に合致する空港は比較的近隣にもう一つあり、しかも航法支援装置のアルゴリズムとして複数の空港名にプライオリティを付けて処理していた。その結果パイロットが入力した地名と航法支援装置が認識した地名とが異なってしまい、事故機はまるで違う方向のアンデス方面に向かってしまい、ついに山肌に激突してしまったのだ。
 この事故では確かにパイロットが不注意だった点は否めないが、同時に航法支援装置にヒューマンエラーを防ぐ仕組みが足らなかったようにも思える。それ以上にパイロットが航法支援装置に頼り過ぎ、自らの位置と進行方向を十分確認しなかった事が原因だといえるだろう。いずれにせよ機械と人間の双方を改善しない限り、ヒューマンエラーは根絶し得ない。
 本来ならば航空機を安全に運営するべき航空会社、そしてそれを監督すべき役所の腐敗もヒューマンエラーの一種と考えられる。今も記憶に生々しいスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故は、打ち上げを予定通り実施したいNASAが、事故を予見していたメーカー側に圧力をかけ、打ち上げを飲ませた事に起因している。
 同じ構図は航空機業界にも見られる。フロリダ近郊で発生したValujet墜落事故では、直接原因は整備会社が使用期限切れ酸素発生装置を、適切な安全装置を付けないまま誤って事故機の貨物室に積み込んだ事にあった。しかしこの整備会社に対して、航空会社は必要な安全指導を全く行っていなかった事が判明している。事態を救いがたいものにしているのは、航空会社の安全性をチェックすべき省庁が、政策的に監査を手控えていた点にある。クリントン政権が行った航空業界への規制緩和で目に見える成果を出すために、Valujet社の成長は仕組まれたのだった。
 こうして航空機事故の要因を振り替えると、人間による検証という方法論にも、機械的なチェックによるそれにも、限界がかなり以前から見えていた事に驚かされる。根本的な解決は、人間のように思慮深く柔軟で、機械のように疲れを知らずミスもしない新しい機械知性が登場するまでは不可能なのではないだろうか。

爆睡の日

2000年03月12日(日) 20時38分 暮らし 天気:雨後曇り

 前夜、明け方近くまでチャットして、それから爆睡したので、目覚めたのは2時近くだった。これでも8時間近くは眠った事になる。
 起き出して、さてどこかに出かけようかとぼんやり考えていたが、細々としたどうでもいい事柄どもを片づけているうちに面倒くさくなり、とうとう今日は外にもでなかった。経済的でいいな。
 原稿用紙に向かったり、PCに向かったりしているうちにまたもや眠くなり、もう少し一眠りしてしまった。ますます金のかからない奴だ。しかし平日の深刻な睡眠不足からすると、これでようやく釣り合いが取れるくらいだろうか。

今夜の観望は無し

2000年03月11日(土) 23時37分 星見

 また曇り。曇りの日が続きます。
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