Strange Days

2000年03月31日(金曜日)

今夜の観望

23時46分 星見

 いい気分で帰宅して、明日は謎宴会だから早く寝なくちゃ、と思いつつもチャットしてしまう俺様だった。チャットを早めに切り上げて、ベランダに出て夜明け前の星を眺めた(ようするに早寝してない)。今夜はシンチレーションが安定していた。

さらば我が社よ

22時45分 暮らし 天気:くもり

 期の変わり目直前ということで、様々な業務が待ち受けていた一日だった。
 もう一つ、今日は我が社最後の日という意味でも特別な意味を持つ日だった。4/1に我が社を含むこのきなんのき系企業3社が合併し、新会社になるのだ。僕が入社した日に出来た会社だったので、それなりの感慨はある。
 これを記念して、18:30から横浜のホテルで解散式なるものが催された。宴会中の抽選会で僕に5000円の商品券が当たった。これで運は使い尽くしたか? でも会社が無くなることだし、リセットされるよね(誰に念押ししてるんだ)。

2000年03月30日(木曜日)

今夜の観望

23時44分 星見

 帰宅したのが20:00過ぎ。それから望遠鏡を出してオリオン座に向けた。オリオン座は既にかなり高度を下げている。望遠鏡はこいぬ座方面にも向けることが出来る。明るい星が視野の中心に燃えている様は見ものだ。
 望遠鏡をさらにしし座のレグルス辺りに向けてみた。天頂近いのでレグルスだけが視野に入っている状態だ。しかし天頂近辺の空の透明度は低高度のそれとはかなり違う。
 食事して風呂に入って、日付が変わる頃にベランダに出てみたが、既にかなりの雲が空を覆っていた。眼が闇に慣れてないと星が見えず、曇っているのか見えてないだけなのか区別がつかないので、しばらく空を見上げていた。が、やはり曇っている。双眼鏡で星を見ると、嵩がかかっているのがわかる。望遠鏡をしまいこんで寝た。

3/30の暮らし

20時43分 暮らし 天気:概ね晴れ

 朝からレビューがある日はつらい。眠いので薄荷の飴をしゃぶりながら凌ぎ通す。眠いというより目が痛いのだ。花粉症と寝不足のダブルパンチだ。

2000年03月29日(水曜日)

今夜の観望

23時42分 暮らし

 日付が変わる頃にベランダに出てみると、空は雲に半ば覆われていた。寝る前、2:00過ぎにまた出てみると、今度はきれいに晴れている。しかし望遠鏡を出す気力はなく、双眼鏡でスピカ、アンタレス、ベテルギウスの三角地帯を眺めただけだった。風は弱くシンチレーションは安定していたので、まったく残念なり。

3/29の暮らし

22時41分 暮らし 天気:晴れ時々曇り

 本来ならば定時退勤日だった。ところが定時後も長引く仕事がだらだらと続き、帰ったのは21:00過ぎ。クリーニングだの買い物だのしなければならなかったのに、なにもする時間がなかった。一人身のつらいところだ。
 帰ると、運送屋から『荷物持ってきたけどいなかったので云々』というメモが入っていた。送り主からすると赤道儀他が届いたようだ。

2000年03月28日(火曜日)

Morphy One/2

23時40分 コンピュータ

 Morphy Oneのスケジュールが進み始めたようで、適当なキーボード付PDA(というか日本語入力機)が欲しい身としては楽しみになってきた。今のところOSとしてはPC UNIX系、DOS系の二つが考えられているようだ。別にLinuxでも構わないのだけれど、どうせなら使い慣れた環境が良かろうとOS/2の搭載を検討してみた。
 OS/2をM1に載せるにあたっての最大の障壁は、実は画面周りがCGAであることだろう。CGAは最初のIBM/PCが標準としたアダプタで、簡単なカラー表示に適する(というかそれ以上は不可)という位置付けだった。2ビット色で640*200ピクセル、4ビット色で320*200ピクセルの表示が可能だ。
 現在の大半のOSは、その後IBMが発表したPS/2が搭載したVGA(4ビット色で640*400ピクセル)を最低ラインとしている。Windows、BeOSなどの稼動が端から諦められているのも、これらがVGA以上の画面を必要としている点にあるのだろう。そもそもこれらはGUIに特化しすぎていて、キャラクタベースがメインになると思われるM1では辛そうな点もあるのだろうが。
 OS/2もVGAを最低ラインとしている。その点で動きそうもないし、GUIベースを主眼に置いたインタフェースからもつらそうだが、実はOS/2にはその最初期にCUIベースのみで動いていたという歴史がある。OS/2 1.0は現在OS/2のGUIの基礎であるPMの開発が間に合わず、その足回りとコンソールのみを搭載した状態で登場した。この時点でVGA必須だったのだが、走るコンソールアプリ自体はキャラクタベースなので、画面がVGAかどうかなど気にはしないのだ。つまりCGAのコンソールさえあれば動きそうなのだが、どうだろう。
 こういう詳細情報は「OS/2のデザイン」を読めば載っているかもしれないのだが、あいにく引越しのときにどこかに埋もれてしまったようだ。
 hobbesを漁ればCGAベースのドライバがありそうなのだが、日本語が通るかどうかが問題だ。
 もしも日本語表示可能なコンソールを確保できれば、w3mとかいったコマンドラインアプリを持ち込めばなんだって出来るだろう......。
 あ、PCMCIAはどうしよう?

3/28の暮らし

20時39分 暮らし 天気:雨

 昼頃から雨が降り始めた。予報どおりなのだが、あいにく折り畳み傘しか持っていない。夕方帰る頃にはかなり激しく降っていたので、うちに帰り着くまでの間に濡れ鼠になってしまった。いやはや、酷い目にあった。広く開けた平地のせいか、立場近辺は風が強いようだ。夜通し雨戸をガタガタ揺らせていた。~

2000年03月27日(月曜日)

今夜は観望なし

23時38分 星見

 夜になってベランダに出たら、空が曇っていた。観望はなし。その代わり、発注した赤道儀が発送された旨、メールで来ていた。早いな。週末は赤道儀を抱えて近所をうろうろすることだろう。

花粉症真っ盛り

17時37分 暮らし 天気:曇り

 朝、目覚めると、目やにで目がもこもこした感じだ。こんな密閉した部屋だってのに、この仕打ちはないだろう。
 出勤途上で多量に花粉を吸うので、会社に着いたら目を洗うことにしている。多少は楽になる。これでさくら花粉症なんてのにかかったら、世を儚んじゃうよな。

2000年03月26日(日曜日)

世紀を越えて

23時34分 テレビ

 「世紀を越えて」。今回はテロリズムの恐怖を描く。
 いまやイスラム(と括らずともあらゆるカルト/セクト)は諸々のテロの源泉となっている。特にイスラム原理主義は'60~'70年代の共産テロをもしのぐ激しい活動振りだ。近年では世界貿易センターでの大規模なテロ、アメリカ大使館同時爆破などアメリカを標的にしたテロを繰り返している。これに対してアメリカもアフガニスタンやスーダンに存在するテロリストの拠点を攻撃するなど、状況は次第に戦争に近いものになりつつある。
 イスラム原理主義が伸張する背景には、イスラム教徒の増大と、その割に不遇なままの経済的状況があるのだろう。経済的に救われず困窮のまま置かれた人々は、なんらかの形で救済を求める。そこに手を差し伸べるのがイスラムであるというわけだ。イスラムが唯一の行動原理となった人々にとって、原理主義はすぐそこだ。
 イスラム過激派の指導者ラディンは、『アメリカとその同盟を攻撃する』と言明している。つまり日本も既に標的になっていると考えていいだろう。世界貿易センターの次は、新宿新都庁辺りかもしれない。
 もしもイスラム過激派がイスラムの抜きがたい体質を具現しているのだとすれば、当然の帰結はイスラム対それ以外の全面戦争しかありえない。どのような形態をとるにせよ、イスラムと周囲の摩擦は戦争状態としか形容できないものになるだろう。アメリカとラディンはその先頭を切っているに過ぎない。この不気味な予測を裏付けるのが、「ラディンはイスラムが世界を支配するまで闘争を止めないだろう」という別のイスラム指導者の言だ。
 問題はイスラム"以外"がイスラムにどう付き合っていくかにあるだろう。その伸張を認め、最終的に飲み込まれる覚悟で受け入れるのもひとつの手だ。しかし非イスラム圏には諸々の原理主義と闘争してきた暗黒の歴史がある。その中で原理主義に対して共通の対処法が見出されている。欧州の、特にドイツでのプロテスタント運動(なかんずくドイツ農民戦争)、そして日本の戦国時代における織田勢力対一向一揆の戦いでは、原理主義を支える人民そのものを殺戮し尽くすことで決着がついた。いかな原理主義といえど、支持者を失えば消滅するしかない。このことを我々は歴史を通じて知っている。もしもこのことを現代に愚直に当てはめれば、テロリズムに対して絶滅戦争で報復しようと考える勢力がいたとしても不思議ではない。アメリカもアメリカ先住民に対して絶滅戦争を仕掛けた歴史がある。
 今すぐにそのような世論が形成されるとは思えないが、この先イスラム理解不能論の類が出てきたら要注意だろう。当然、日本もそうした動きに巻き込まれるだろう。

今節の「みんなのうた」

20時32分 テレビ

 いいかげん今節も終わりそうだが、すっかり忘れていたみんなのうたの感想を書こう。
 「YES,YOU」。絵のせいもあるんだろうけど(というか曲にあわせたか)女の子らしい歌だ。ああ、女心は矛盾に満ちている。
 「生命の話をしよう」。ジュディ・オングも声が老けない人だ(もともと老成した声質だったけど)。登場する女の子がちょっとロリです。素直に前向きに聴こう。
 「だけどI Love You」。5分も流す曲じゃないね。
 再放送分。
 「雪うさぎ」は寒太郎ともども冬の定番。
 「おもいでのアルバム」。芹洋子の声は朗らかだ。20年前の歌らしい。この年にジョン・レノンとジョン・ボーナムが死んだ。
 「ピアノとわたし」。みんなのうたによく登場する八神純子の曲。結構好きな人が多い歌らしい。
 「メッセージソング」。ピチカート・ファイブの曲だが、展開が早くてわしゃついていけんよ(スラッシュは別耳)。

番組改編期

17時30分 テレビ 天気:多分晴れ

 をを、心の支えであった「新日本探訪」が逝ってしまったとは。これからは何を肴にしみじみすればいいのだろう。やはりこんな早朝の時間帯に移動させられた時点で雲行きが怪しかったのだな。「新日本紀行」を勘定に入れると30年以上も続いてきた看板番組が消えるのは、時代の流れとはいえ寂しいものだ。この分では「中学生日記」も怪しいぞ。
 なんてことを思っていたら、日曜夜の楽しみだった「誰もいない部屋」もこっそり終わっちゃったらしい。ああNHK、なぜに僕につらくあたる(T-T) ちゃんと受信料だって払ってるってのに。
 テレビ雑誌によれば「C.C.さくら」は日曜の6時に移動するらしい。その代わり、土曜6時からは「6番目の小夜子」が入る。これは原作を読んだことがあるぞ......内容は忘れちゃったけど(爆)。学園物なので「時をかける少女」の線を狙ったジュブナイル・ドラマ路線なのだろう。これは楽しみだ。

2000年03月25日(土曜日)

今夜の観望

23時55分 星見

 さて、シンチレーションの安定した今夜は、オリオン大星雲が相変わらず良く見えた。双眼鏡を東に向け、上りつつあるおとめ座方面を眺めた。おとめ座近辺には、髪の毛座局部銀河群があって、M天体が密集しているはずだ。しかしおとめ座の形が良くわからない。スピカだけは良くわかるのだが。
 LV4mmは5mmに比べてさほど差がないように見えた。あまり必要なかったかもしれない。
 チャットしてインターネット放浪している間に、とうとう赤道儀と三脚を発注してしまった。最近発見したインターネット通販(確かKYOEIだか誠報社だかがやってるところ)で三脚とムーングラス込みで発注した。モノはVixenのGP赤道儀に赤経モーターを組み合わせたもの。問題はベランダに収まるかどうかだが......。
 チャットを抜けてベランダに出ると、もう空は月の天下だ。おとめ座方面を見るなら0:00辺りが良さそうだ。月をしばらく眺めて寝た。

秋葉原

19時14分 暮らし 天気:晴れ

 前日、明け方まで観望していたので、寝たのは6:00近かった。それでも昼前には起きようと思っていたのだけれど、実際に目覚めたのは13:00過ぎ。身支度して秋葉に出かけた。
 秋葉原駅の電気街口ではあまりの混雑にロープ規制が始まった様子だ。僕は昭和通口から出るので問題なし。実際、デパート口に回ったほうがよほど早いんじゃないだろうか。
 昭和通口を出て、まずはスターベースへ。途中のカメラ屋でE950に取り付け可能なスリムタイプのスリングと、レンズクリーニングキット、汎用のレリーズを買った。レリーズはE950には本来接続できないが、装着部品を自作するつもりだ。
 スターベースに入ると前回と異なり他の客がいて、店員のおじさんと親しげに話している。適当なアイピースと、ムーンフィルターを買いたかったのだけど、ちょっと悩んでここではひよった。また100EDに最適な架台について相談したかったのだけど、他の客の相手で忙しそうだったのでやめにした。
 その足で書泉グランデに向かい、雑誌を何冊か購入した。今回はじめて4階以上に上ったが、ずいぶん濃い品揃えだ。
 KYOEIではスターベースで買わなかったLV4mmを購入。これを100EDにつけると160倍だ。なんだか中途半端だが、この次はいきなり3.2mmとかになって200倍を超えてしまうので、これくらいが使い勝手の点からも限界なのだ。その意味では、KYOEIオリジナルのLA3.8mmが良いのだけれど。
 電気街を巡回中、メッセサンオーでULTIMA1から8までを一まとめにした恐ろしいパックを発見。エミュレータで動く代物らしい。こんなものを買っては他に何もできなくなる、と警戒はしたものの、事実はこいつを手に店を出る羽目に。うーん、Wizといいこれといい、やばい物が次々に手に入ってしまう。
 歩くのも飽きたので、とんかつを食って帰った。
 帰って早速Ultima1をプレイしてみた。驚くべきことにこれはファミコンかなんかのコンシューマ機用の移植品を、エミュレータ上でそのまま動かしているという代物だった。でも動作は予想外に軽快だ。ファミコン用は3の移植のあまりの酷さに憤慨し(許すまじ秋元康)、4の出来の良さに感激した経験があるのだが、1と2はプレイしていない。というか最後までやり通したのがファミコン版の4だけという無惨な状況だ。ウルティマ萌えな人に「ウルティマってのはねえ」などとほざけば撲殺間違いなしだ。

2000年03月24日(金曜日)

今夜の観望

23時13分 星見

 春めいてきて、風も凪ぐ日が増えてきた。今夜も多少の風はあったが、大体のところシンチレーションは安定していた。
 帰ってすぐに望遠鏡を西空の木星と土星に向けた。既に低高度にあるこれらの天体は大気の影響を大きく受け、シンチレーションは安定せず、また倍率を上げるとどんより濁ったように見えてはっきり見えない。観測シーズンは終わった。
 望遠鏡をまだまだ高度の高いオリオン座に向けてみた。赤道儀と三脚を逆接する前は見えなかった高度だが、今はさらに天頂近くまで良く見える。ただし手前の手すりが邪魔になるので、エレベータを上げなければならない。オリオン大星雲は相変わらずの美しさ(もちろん写真で見るようなものではない)。トラペジウムも四つまで分離できた。M42も細かな星まで良く見えた。
 ところで手持ちのBORG製SWK22mmは確かに見かけ視野が広そうではあるのだけど、アイリリーフの短さには閉口する。本当に密着しないと良く見えないのだ。WO13.5mmも似たような傾向があるので、BORG製の安価な接眼鏡はアイリリーフと引き換えに安価を実現したのかもしれない。SWKは視界周辺の像の崩れがすごい。でもまあ視界中心で像が安定していれば問題ないだろうし、物凄く安いのでなんでも許せちゃうな。軽いのも良い。
 ちょっとチャットしようと思ったらもう終わっていたので、2:00くらいにまたベランダに出た。この時刻には月が沖天にかかっていて、空一面が真っ白という感じだ。やむなく月に望遠鏡を向けた。1週間ぶりの月はかなり欠け始めていて、昼夜境界線上の山脈がくっきりと見えた。

OFFICE2000

19時11分 コンピュータ 天気:晴れ時々曇り

 会社の統一オフィススートがOFIICE95からOFFICE2000に変わった。相変わらずのMS萌えだな。またメールに巨大ファイル添付する馬鹿が流行ることだろう。いいかげん、これくらいはHTMLで十分だとかいった判断ができるような教育が必要なんじゃないだろうか。SE/営業さんなんて下手すりゃ入社以来MSなフォーマットがすべての世界に生きて来たのだろうから。
 OFFICE2KをいれてWordもExcelもさらに重くなって嫌なのだけど、唯一良くなったのがIME2000だ。前のIME98があまりにもひどかった面はあるにせよ。学習のストラテジがよほど変だったのか、あっという間に変な学習をしてしまうのには閉口した。ハッ、その意味ではIME2Kも油断はならないな(単に辞書がリセットされただけかも知れず)。

2000年03月23日(木曜日)

吉野屋

23時11分 暮らし

 家に帰る前、帰って食事を作る材料が無さそうに思えたので、吉野屋で牛丼をかっ食らって帰った。特盛を食らいながらふと壁の広告スペースに目をやると、「吉野屋中田北店3月上旬開店予定」とあるのが目を引いた。やっぱり近所に出来るようだ。が、もうとっくに3月上旬は終わっているような気がするのだが。

3/23の暮らし

23時09分 暮らし 天気:雨

 朝方はまだだったが、昼前から雨が降り始めた。それでも宵の口くらいまでは降ったりやんだりする程度だったのだが。
 21:00前に帰宅した頃から、天候が急変した。大粒の雨が横殴りに吹き付け、強風が雨戸を激しく揺らす。ベランダに吹き込んでくるような強風は初めてだったので、ちょっと驚いた。まだ雨が小降りだった時刻に帰れて良かった。

2000年03月22日(水曜日)

自動導入

23時55分 星見

 眠れないのでインターネット遭難に出かけた。望遠鏡関係を回っていると、最近Meadeが売り出した低価格の自動導入望遠鏡をあちこちのショップで見かける。60mmの屈折式に自動導入用コントローラを組み合わせて5万しない。なんだかやたら欲しくなるアイテムだ。
 Meade製品は海外のショップと国内のショップとで価格差が目立たないものが多い。ETX90ECやLX200-20なんかはかなり戦略的な値付けがされているといえる。市場を広げるのに熱心なメーカーのようだ。逆にCelestronは内外価格差が冗談のようなレベルにある。国外で3000ドル程度の製品が国内では60万円で売り出されるなどざらだ。望遠鏡の評判はいいのだが、その姿勢には大いに疑問を抱かざるを得ない。

去る人

23時07分 暮らし 天気:晴れ

 会社の同僚が名古屋に帰る事になり、近くの別の部署に配置替えになる人も含めた送別会に参加。僕は名古屋に何の未練も無いのでなんとも思わないが、名古屋出身の人たちの中にはうらやましく思っている向きもあるようだ :)
 帰宅したのは21:00頃だったが、既に頭が痛くて眠かったので、着替えてそのまま爆睡した。ここ数日、星を見る余裕を失っているな。
 しかし1:00過ぎに目覚めた後、寝付けずに朝までゴロゴロしている破目になった。慣れない事をしたせいだろうか。

2000年03月21日(火曜日)

耳に残るあの曲

20時05分 思考 天気:晴れ BGM:TAISO/YMO

 数日前から頭の中をぐるぐる繰り返されている曲がある。ハミングできるくらい曲も音も明瞭に覚えているし、いかにも英語圏のロックらしい歌詞も書き出せそうな気さえする。音的にアンスラックスのような気がするがインペリテリだったような気もする。まあ音的にはスラッシュぽいのだが(アンスラとインペリでは、やすきよとダウンタウンくらい違う)。
 こういう時に頭の中の"音"を取り出す技術はどれくらい可能性があるのだろう。音とはもちろん主観的なものだが、絶対音感とかあるいはもっと素朴に譜面というものが成り立っている事を考えると、ある程度客観的にも成立しているように見えるのだ。人間の頭の中で起こっているあまりに複雑な事件を再現する事は不可能かもしれないが、もしも可能ならば従来の芸術論に大きなインパクトを与えるだろう。音を取り出せるなら文章だって取り出せるはずで、やはり文藝へのインパクトも大きそうだ。
 音楽家にしても小説家にしても、譜面や原稿用紙という客観的なモノの上にごく個人的なモノを展開できるのが面白い。音楽や小説という個人的な世界が、譜面上の音符や原稿用紙の上の文字という抽象的な記号列に置き換えられ、それらはさらに受信者によって様々な解釈をされる事で超個人的な発展を遂げていく。
 まあ記号列というものが客観的な存在であるとするのは一種の信仰なのかもしれないけれど、先の構図からすればこれらがボトルネックになっている事は確かなような気がするのだ。それを脳内の情報(と決め付ける事で科学的価値観に屈従しているのかもしれないが)を直接やり取りする事で、乗り越える事は出来ないだろうか。記号がもたらす客観化を回避する事で、個人的な情報をあくまで個人的なままに受け取れないだろうか。
 しかし個人的な情報はあくまで個人の内部にしか成立していないという観察からすると、いったん記号化しない限り個人の内部情報を他者が受け取る事は出来ないような気もする。つまり生の個人情報を受け取ったところで、それを解釈する手がかりが無い限り、無意味なノイズに過ぎないだろう。記号化は情報を共有化する上で避け難い作業なのかもしれない。

2000年03月20日(月曜日)

今夜の観望

23時04分 星見

 3連休も終わり。黄昏ながらチャットして、抜けた後に望遠鏡を出した。昨夜はシンチレーションがきわめて安定していたが、今夜はちょっと風がある。
 満月が沖天高くにかかっているので、他の星はほとんど目に付かない。素直に月に望遠鏡を向けた。春分の日の満月は目が焼けそうなくらいの明るさで、実際のところ明かり無しで本を読めそうなくらいだ。
 しばらく130倍弱で月の地表を眺めていたが、物足りなくなってきたので思い切ってLV5mmに2.2倍バローレンズをかませてみた。280倍強の高倍率だ。さすがに視界がかなり暗くなるが、対象が月なので光量は十分だ。重くなってプラスチック製のチューブでは持たないのではないかと思ったのだけど、案に反してがっしりと支えてくれる。差し込みがかなりキツ目に作ってあるのが幸いしているのだろう。
 さすがに視界はぼやけるが、40倍程度ではまず見えない月表面の細かな地形も良く見える。月や惑星相手なら結構常用できるかもしれない。

ご近所出店ラッシュ

20時02分 暮らし 天気:晴れ

 前日までのぐずついた天気はどこへやら、終日いい天気だった。しかし我が輩は終日部屋の中でゴロゴロしていたのだった。困ったものだ。
 さすがに16:00くらいに体が腐りそうな気がしたので、ちょっと近所の散歩に出かけた。望遠鏡を出すにふさわしい開けた場所を探した。途中に畑が多くて、結構開けた場所は多そうだが、土埃が多そうなのが難点だ。その他にちょっとした公園のような、舗装された区画もあった。街灯が過大に明るくなければ有望そうだが。
 国道に戻ってアパートの近所まで戻った時、最近建設中の建物の外に吉野屋のアルバイト募集の文字を見つけた。もしかして吉野屋がこんな近所に出来ちゃうんだろうか。するとかなり強烈に嬉しいのだが。CoCo一番辺りも出来てくれないかな。近所には中華料理屋、ファミレスも多いので、もう選り取り見取りだ。

2000年03月19日(日曜日)

今夜の観望

23時01分 星見

 予報では終日曇りという事だったし、チャットしながら宵の空を見上げると雲が多かったので、今夜の観望は無しだろうと思っていた。ところがチャットを抜けてふと空を見上げると、晴れ晴れと冴え渡る夜空である事よ。
 いい機会なので、望遠鏡に架台にちょっと手を加えた。手を加えるといっても、架台への赤道儀の取り付け方を逆に変えただけだ。従来は三脚の一辺が手前に来るようになっていたのだが、それを逆にして手すりの側に一辺が来るように変えた。こうすると、赤道儀の中心がより手すり側に寄り、天頂まで見渡せるようになるのだ。その代わり、手前の低い高度の天体を見るには、エレベータを上げる必要が生じた。こうすると振動に弱くなるのだが、致し方ないだろう。多少なりとも改善しようと、オプションで買ったストーンバッグを付け、適当な重しを載せてみた。多少、耐震性が改善されるようだ。
 早速、西空にかかっているスピカ(前にカペラと書いたが間違え)やアンタレスに向けてみた。満月間近の月が非常に明るく、明かり無しでも天文ガイド誌の星図を読めるほどだった。星図と見比べながら、ようやく今見ているのがスピカとアンタレスである事を納得した。しかしM4が見えないのは気持ち悪い。天頂近くのアルクトゥルスにも望遠鏡は向けられるので、観測範囲はかなり広まった感じだ。しかし都市の光害はなかなか難敵である。

スターベース

20時57分 暮らし 天気:曇りのち晴れ

 午前中に目覚めると、空は曇り。前日の天気予報では午後にかけて雨になるという事だったが、家にくすぶっているのもなんなので出かける事にした。
 出かける前に秋葉ホットラインを見ると、メモリがまたしても暴落気配。急いで買わなくて良かった。メモリもプロセッサも1Gクラスが視界に入ってきた。
 電車を乗り継いで、4時前には昭和通口を出ていた。いつもなら書泉ブックタワー方面に曲がるのだが、今日は逆方向に向かった。秋葉近辺にあるもう1軒の望遠鏡屋、スターベースをのぞいていこうと思ったのだ。スターベースは高級/高剛性望遠鏡で有名な高橋製作所の直営ショップだ。太い通り二つ目を曲がるとあるという事だが。
 そこに行くまで、今まで来た事が無かった方面の店を見る事が出来た。カメラ屋があったのでのぞいてみたが、E950のパーツはなさそうだ。しかし汎用の部品は扱っているので、なにか欲しい時に便利かもしれない。その近くにはドトールもある。電気街方面のドトールは常に超満員なので、空いていそうなこっちは便利そうだ。
 さて、地図通りに歩いていくと、確かにスターベースの文字が目に入った。大きな通りに面した、便利そうな場所にある。店は静かで、おじさんが一人、奥のカウンターに腰掛けていた。KYOEIよりちょっと広くて、望遠鏡の品揃えも豊富だ。高橋の高そうな(実際高い)望遠鏡もいくつか置いてあった。FS-60ってちっこいんだな。ドブソニアンも置いてある。
 面白そうな望遠鏡もあった。Meadeの小口径(60mm?)屈折経緯台で、望遠鏡としての能力は低そうで安価なのだが、ETX系列で大々的に売り出した自動導入が可能な機種らしいのだ。自動導入付きで5万円しないので、ガイド用にどうだろうか。などと考えるくらい天体の導入に苦労する俺様である事よ(爆)。
 続いてKYOEIに寄った。どっちかで4mm弱、あるいは7mm弱程度のアイピースの安いのを探したが、あまりピンと来るのが無かった。単体で、あるいは手許の2.2倍バローレンズと組み合わせて200倍程度の倍率を得たいのだが。
 結局、ここではなにも買わず、電気街巡りでPalm用画面保護シートとPC-UNIX用VJEを買って帰った。
 帰って、鉄腕ダッシュを見ながらPalmにシートを貼り付けたが、どうしても細かな泡が入ってしまう。しかも慎重に何度も貼り直したためか、指の当たっていた辺りに埃が盛大についてしまった。どちらも実用上の問題はないにせよ、なんだか頭に来る。

2000年03月18日(土曜日)

番組改編期だ

23時55分 テレビ

 NHKの番組に3月一杯で終わりというのを見かけるようになった。サイエンス・アイは4月から23:30に移動してこっそりと続くようだが、三井ゆりが降りた。三井さん、ご苦労様でした。って何者か知りもせんで気安く労う俺様は何者だ。
 日本映像の20世紀もそろそろ全都道府県をカバーする頃だろうから、たぶん終わりだろう。すると9:00からぽっかり開くことになるが、なにを入れるんだろう。未来潮流が復活するならちょっと嬉しいぞ。大穴でYOUの復活だ(どんな大穴だ)。
 23:00からの「街道をゆく」も今週で最終回。今回は司馬の絶筆となった、また出版もされてなかった(と思ったらちゃんと出版されていた)濃尾参州紀行だ。実際の道行きは尾張から三河にかけてだが、この地域から出た戦国の三雄のうち、信長、秀吉は美濃と縁が深いので題名のようになる。
 話は信長の桶狭間強襲に始まる。東海一の弓取りといわれ、決して暗愚でも怯懦でもなかった今川義元を討ち取ったこの戦いは、小勢力に過ぎなかった織田勢力を一気に歴史の表舞台に立たせることになった。信長は神仏を奉ずることを嫌い、むしろそれを利用する事に努めた(足利将軍の扱いと同じだ)合理主義者といわれているが、司馬の見方もそれに準じている。信長は熱田神宮の権威を利用して兵を奮い立たせ、桶狭間強襲戦に打ち勝ったという。信長の偉さは、と司馬はいうのだが、この桶狭間の模倣を二度としなかった点にある。つまり桶狭間の戦いを奇跡と見て、同じように圧倒的に不利な状況からの戦いは挑まなかった点にあると。これは確かにそうなのだろうが、同時に織田が既にかなりに勢力を築いていた点も見落とせないだろう。そもそも極小豪族に過ぎなかった毛利元就の場合、その初陣、郡山城籠城戦、そして厳島の奇襲戦と、大勢力になれるまで幾度となく"奇跡の"勝利を遂げねばならなかった。いずれの場合も大勢力を敵に苦しい戦いを強いられ、物量で勝ち抜けるような戦いは老境に差しかかって以降の尼子攻めなど、むしろ少数とさえいえるくらいだ。こうした点を見ると、信長にはいくつもの恵まれた条件、運がついて回った点も否めず。それが天下人に近づいた少数者の条件であったとさえいえるのではないだろうか。
 司馬は三河に残る蜂須賀小六と秀吉、当時日吉丸といわれた小者の出会いにまつわる伝説が残されている。また小六と秀吉が八丁味噌を盗みに蔵に忍び込んだという残されている。美濃から尾張にかけて小勢ながら野盗や野武士を糾合して大勢力の下働きもしていた小六が、なにを好き好んで三河に出張したというのだろう。ともあれ、なぜか小六と秀吉の伝説が三河にいくつも残されているのである。司馬はそれを秀吉が偉くなりすぎたからだといっている。小六程度の小勢力は、歴史のなかに埋もれるはずなのに、秀吉という天下人と結びつけられたがために、純朴な三河人の記憶に「情け容赦無く」残されたというのだ。
 三河といえば最終的な天下人となった家康の祖地だ。家康の祖先は三河松平郷に流れ着いた修行僧だといわれている。その三河の小豪族が徐々に勢力を伸ばし、家康の父の代には三河半国を占める有力勢力にまで発展している。ところが東の今川氏、西の織田氏という有力な勢力に挟まれたのが松平氏の不運で、あっと言う間に三河は二大勢力の草刈り場と化してしまった。家康も少年時代は織田、次いで今川に人質として送られ、更には父が家臣に弑殺されるという事件も体験している。恐怖に満ちたものだったろう。しかしその家康を家臣団がよく支えた。家康にとって唯一最大の宝は、彼の幼少期からともに艱難辛苦を味わってきた家臣団だったといえる。彼ら家臣団から見て、家康は「愛敬のある人」に映っていたらしい。愛敬とは、愛すべき欠陥を抱えていることと見ていい。家康の場合、それは臆病さだったろう。
 家康の臆病さと勇敢さは三方が原の一戦に現れている。家康は彼を無視して進もうとする武田信玄の大軍に挑みかかるという暴挙を図り、思慮深い信玄にまさに鎧袖一触というべき無残な惨敗を遂げてしまう。この時に本多忠勝の勇戦により辛うじて危地を逃れるが、飛び込んだ浜松城ではすべての門を開け放ち、かがり火を皓々と灯すという一か八かの策略に出た。案の定、疑い深い武田の追撃隊は、策の存在を疑い、結局引き返してしまう。この敗戦で、家康は逃げ帰る途中に恐怖のあまり脱糞したという逸話も有名だ。この様に家康という人は勇敢さと臆病さの両極端を揺れ動く振幅の大きい人であり、それが天下取りという大事業を成し遂げたという想像も成り立ちそうだ。
 この家康の人柄に関する考察が、司馬の絶筆となった。
 1年に渡った街道をゆくも、今回が最終回。司馬遼太郎という人は司馬史観という(たぶんに批判的な)ものも語られるほど、近年の歴史観にインパクトを与えた人だった。しかし司馬は小説家だ。桁外れの見識を持つにせよ、その真偽を問われるような立場にはない。司馬の提示する"歴史観"に乗ったり誹ったりする方がおかしいのではないだろうか。
 僕が最近になって司馬の書くものを好むようになったのは、そのものの歴史観というより、歴史を眺めながら密やかに笑ったり悲しんだりする態度を気に入ったからに過ぎない。過ぎないなどと口幅ったいことをいえる相手ではない大作家ではある。しかし司馬自身は、自分の著書を斜め読みしてお気に入りの逸話や、自分の持つ幻想を投影するような読まれ方を、案外に疎ましく思ってはいなかったのではないだろうか。いずれにせよ、歴史とは無数の価値観が、残された事物をその物差しで読んでいく作業のことなのだから。
 司馬の面白さは中国に対して下へも置かぬ評価を書きながら、実はそこかしこで現代中国の矛盾を密やかに暴き立てているような、筆の掠れを読ませるようなところにある。歴史に対しても、また須田画伯に対する剽軽な記述にもそれがある。過ぎ去ったものに哀惜の想いを評しつつ、実はその裏で舌を出しているようなユーモアが、どこか殺伐としがちな歴史という舞台を、これほどまでに魅力的にしてみせたのではないだろうか。
 テレビでの放送は終わったが、本の方はやっと20巻を読み始めたところだ。今しばらく、司馬の剽軽な筆に付き合える。

ゴロゴロ

22時54分 暮らし 天気:曇り

 今日はひたすらなにもしないで怠けるつもりだったので、ひたすら惰眠を貪った。おかげで夕暮れまでには立派な自家中毒にかかっていたものだ(ダメだなあ)。
 それも夕食に鍋を作って汗をかきつつ食らい、長風呂で汗を流すとさっぱり解消された。

2000年03月17日(金曜日)

星座を探す

23時53分 星見

 今夜の観望は晴れた空に助けられて大いに収穫があった。木曜日の雨に大気中の粉塵が洗い流されたのか、透明度はかなり高い。また風が弱かったのでシンチレーションも悪くなかった。こんな夜のオリオン大星雲の眺めは見事なものだ。8"級のシュミカセが欲しくなる瞬間だ。M42も大倍率で安定して見える。
 夜明け前にもう一度空を見た。相変わらず大気は安定しているが、明るい星が少ないので寂しい感じがする。前から4時ごろに東南東辺りに見える赤い星がアンタレスだろうと目星をつけていたのだが、その周囲の星の配置がなんだかさそり座に見えず、その同定に苦労していた。今夜は時間があるので、天文ガイドのとじ込み星図を眺めつつ、ああでもないこうでもないとためつすがめつ見比べた。ずっと西の方に明るい星があって、これがカペラのような気がするのだが、2等星以下の暗い星ばかりなのでなかなかはっきりしない。困りつつ星図と空を眺めていると、ふと非常に特徴的な星の並びを見つけてしまった。ちょうどカペラ(?)とアンタレスの中間付近だ。渡り鳥の雁行のような、五つの星が上向きの矢尻型に並んだ、ちょっと珍しい配置だ。星図を見ると、まさにその通りの並びがある。するとそれを挟んだ二つの明るい星はアンタレスとカペラか。それは予想以上に空に広く、かつ傾いて位置していた。考えてみれば空は球形で、星図はメルカトル図法で製図されたものなのだから、位置的に歪みが出るのは当然だろう。さらにアンタレス周辺の星の並びを眺めて、ようやくそれがさそり座であることを納得できた。サソリは地平線上の家々にしっぽを突っ込んで立ち上がっている。
 ようやく自分が見ているものの正体が知れたので、今見えている南天のM天体を探してみた。有名どころでは、M4がアンタレスの並びにいるはずだが......見えない。それらしいものが見当たらない。ガイドブックによれば、M4は小口径の双眼鏡や、場合によっては肉眼でも見分けられるそうなのだが......。それが見えないということで、本当にこれがさそり座であるかどうかがまたあやふやになってきた。いやまあ、その他の星の並びなどが一致しているので、間違いないと思うだが......たぶん。
 同じようにカペラ周辺のM天体も探しては見たが、これらは仰角30度以下の低い空にあり、なかなか見えてくれない。ベランダからもっと天頂近くまで見渡す方法が必要になりそうだ。さて、どうしたことか。

3/17の暮らし

19時52分 暮らし 天気:曇りのち晴れ

3連休前日ということで、どことなくざわついた雰囲気の一日だった。休日出勤はしなくて済みそうだ。

2000年03月16日(木曜日)

今夜の観望

23時51分 星見

 帰宅した頃には雲が空を覆っていて、観望は無理だと諦めていた。ところが寝る前にベランダに出てみると、いつの間にか雲は駆逐されて晴れやかな星空が広がっているではないか。
双眼鏡でしばらく空を眺めてみた。月はもう西の空に傾いていたが、双眼鏡を向けると眩しいくらいに明るい顔を見せてくれた。それにしても色収差の大きい双眼鏡だ。南西の位置にケンタウルス座と思しき星座がかかっていた。一番明るいこれが太陽系に一番近いアルファ・ケンタウリか。......本当に合ってるんだろうな?(爆) ちょっと無理な姿勢ながら、天頂近くに双眼鏡を向けてみた。いつも見ている高度の低い領域と異なり、小さな星の連なりが絨毯のように見えた。あたり前の事だが、天頂付近は星の光が大気を通過する距離が一番短いので、光が減衰したり発散したりする事が最も少ない。そういうわけで天頂に望遠鏡を向けたいのだが、ベランダからだと手すりに付けるタイプの経緯台が無いと無理だ。秋葉で探してくるか。

3/16の暮らし

20時50分 暮らし 天気:雨のち晴れ

 朝起きると、久しぶりに本格的な雨が降っていた。昨晩、寝る前に空を見上げた時、意外に分厚い雲が広がってるのを見て、もしかしたらと思っていたが。
 小田急&JRで通っていた時、ホームに雨が吹き込んできたりしていろいろ不便な思いをしたものだが、地下鉄ではそういう思いはしなくて済む。しかし季節感に乏しいのは否めない。車内広告がわずかな季節感を醸し出してはいるのだが。

2000年03月15日(水曜日)

今夜の観望はなし

23時49分 星見

 曇っていたので、今夜の観望は無し。この所、夜になると曇る日が続いている。

速さ

20時48分 思考 天気:曇り

 眠さに死にそうな日だった。ゆっくりフレックスで出勤したかったのだけど、全員出席が求められた予算説明会が朝早くにあったのでそうもいかず、その説明会の途中で眠りこけそうになりながらなんとか乗り切った。
 こういう時に後ろの方から眺めていると、真剣に聞き入っている者、内職している者、寝ている者が一目で見分けられて楽しいもんだ。期末が近づいているせいか、睡眠不足の向きも多いようだ。不思議な事に、同じような生活をしながらも、十分寝足りている人とそうじゃない人の差が生じるのだ。あたり前の事だけど、人は一人一人体質も生活のリズムも違うのだ。本来ならば。
 しかし社会で生活する限り、社会が強制するリズムに合わせて生きていかざるを得ない。例えば、9:00に出勤して17:00に帰るという生活だ(実際にこの通りに生きている人は少ないだろうが)。現代人は都市で生きる限りなんらかの形で生きる速さを強制される事になる(今や田舎も小都市という位置付けに過ぎないのは言うまでもない)。特に企業で生きるサラリーマンにはそれが著しい。僕たちは母親の膝の上を離れて這い始めた時から、いつの間にか本来自分のものでない速さで歩く事を強制されてきた。
 なぜ速さを強制されるのだろう。それは結局のところ文明の本質がそうだからと答えざるを得ない。現代が文明優勢の時代である事はほぼ断言できそうに思う。ふつうは文明対文化という視点は成立し得ないのだが、個人の速さというものに対する作用という点では、この二つは鋭く対立している。
 文明の本質は汎的である事だ。文明とは異なるモノどもに同じ物差しを当てて行く作業に他ならない。そして物差しというものが登場する以上、その物差しで指し計れる数値以外の何者も無視される運命にある。酒池肉林の生活を送り無頼の日々を送るA氏と、花鳥風月を愛で詩的精神世界に生きるB氏は、同じ仕事をこなす以上、企業にとっては同じ人間に過ぎない事を意味する。この事は両氏にとって有利にも不利にも働く。
 しかし高度に細分化された専門分野での仕事を除けば、大部分の企業人が決められた手順をこなす事だけが求められる。どのような作業も、それが決められた基準に沿う事を求められる以上は、ルーチンワークの域を出ない事は言うまでもない。残念な事に、創造性を求められるような作業はごく少ないのだ。となると、どんな人が担当しても、その結果に質的な差は少ないだろう。いや、実は順序が逆だ。質的な差が生じないように、基準に沿って作業する事が求められているのだから。
 質的に差が出ないのなら、量的に差を付けるしかない。時間当たり多くの仕事を処理できる者が有利になる。ここでようやく速さの話に戻ってきた。つまり、企業というものの内部で生きる以上、質的な差などほぼ問題ではなく、量的な差だけが評価される事になる。その結果、多くのごくあたり前の能力しか持たないサラリーマンは、朝早くから夜遅くまで働き詰めになり、道を早足で歩き、発車間際の電車に駆け込んでコートの裾を挟まれる事になるのだ。
 唐突な思い付きを書くと、学校とは、人に社会で(企業で、ということとほぼ等価)生きるための術を学ばせる場所だと思う。事に小中学校では様々な形で速さを守る事を教え込まれる。その意味では学校とはどこまで行っても非人間的な存在に過ぎないのだろうと思う。この事を忘れて、学校を人間の本質を伸ばせる素晴らしい場所である"べき"だ等と規定してしまうと、どんな教育政策もうまく行かないのではないだろうか。学校は概ね会社人間を作る場所である、という確信を持った上で、それでも幾ばくかでも個人個人の抱える差異を残してやろうという方法論以外、教育の現場では生き残れないのではないだろうか。
 こんな事を取り止めもなく、会社のマシンでコンパイル終了を苛々と待ちながら考えていた。恐らく、出来ればこんな事ばかり考えている社員は、どんな会社だって欲しく無いだろう。

2000年03月14日(火曜日)

3/14の暮らし

22時46分 暮らし 天気:晴れ

 花粉症と寝不足に散々に叩きのめされながらの1日だった。
 今夜の観望は眠かったので無し。しかし寝る前にベランダに出てみると、冬の大三角形が沈んだ後の物静かな星空が広がっていた。こっちの方が悠久の時を思わせて味わい深い。

2000年03月13日(月曜日)

今夜の観望

23時45分 星見 天気:晴れ時々曇り BGM:Bound to Fail/Accept

 早く帰れたので、望遠鏡を木星に向けてみた。19:00時点で既に西の空低くにあり、間もなく観測シーズンは終わりそうだ。そのせいか、揺らぎが極めて大きく、像が安定しない。慎重にピントを合わせても縞3本が見分けられるかどうかという程度だった。土星も輪が分離できるという程度。
 もう少し高度の高いオリオン大星雲やM42はマシだったが、トラペジウムの星を分離するのが精一杯だった。しかし大気の透明度自体は高かったのか、心なしか星雲全体に赤味がかかっているようにも見えた。気のせいかもしれない。また外し見で星雲の形を読み取ると、大体写真で見るそれに近いものが見えているように思えた。大口径の望遠鏡ならもう少しいけるかもしれない。
 天頂近く、屋根に隠れるぎりぎりの辺りにすばるとヒアデス星団が見えている。こちらも望遠鏡を向けたらさぞかしいい眺めだろうが、路上にでも持ち出さない限り無理だ。
 日付が変わる頃にベランダに出てみると、もう空を雲が覆い尽くしていた。こりゃあかんとばかりに望遠鏡を仕舞い込んだが、2:00くらいにもう一度出てみると、雲が次第に東に追いやられ、晴れ間が広がりつつあるところだった。もう望遠鏡を出す気にはなれず、双眼鏡でしばらく空をなぞってみた。この時刻にはやはり天頂近くに明るい星が集まっている。Borg100EDもかなりお手軽な望遠鏡だが、もっと軽いのが欲しいところだ。

2000年03月12日(日曜日)

今夜の観望

23時59分 星見

 20:00頃に空を見ると、やっと晴れ間が広がっていた。望遠鏡を出して既に高度が低い木星に向けると、高度が低いせいで揺らぎが大きく、縞がかすかに見える程度だった。
 オリオン大星雲も生彩を欠き、M41も見づらい事おびただしかった。一見して空の透明度は高そうだったが、雲が生じ易く朧が広がっていたようだ。
 日付が変わる頃に空を見ると、既に雲が空を覆い尽くしていた。
 天文ガイドやスカイ・ウォッチャーの広告を眺めていて、最近頓にベランダの狭さを克服するアイテムの必要性を、強く感じるようになってきた。一つはベランダの手すりに取り付ける頑丈な経緯台(別に赤道儀でもいいが)。これがあれば奥まった位置に望遠鏡を置いて視界が制限される事無く、空を観望できる。もう一つは全長のなるべく短い大口径望遠鏡。大口径といっても8インチとかになるとハンドリングもままならないだろうから、10cmくらいで十分だ。これで全長が短いとなると、どうしてもマクストフ・カセグレン式などが候補に上がるだろう。実際に10cm級で安価なものもあるようなので、良く見えるかどうかは別として一つ入手したいものだ。

誰もいない部屋

23時55分 テレビ

 今夜の誰もいない部屋。最初の部屋は川にこだわるかっぱ好きの住人の部屋。たくさんの写真を参照しながら謎の長い板で仕事をする。石や水にこだわりがあり、地名はかなで正確におぼえておく必要がある。また不動産会社の案内広告を集めている。
 さっぱり分からないので井戸掘り職人としておいたが、答えは絵地図(観光地などで良く売っている)の作者。広い見識と取材を必要とする仕事のようだ。
 最後の部屋は謎の骨ルーム。なにやら面白い形にこだわる人のようで、様々な標本を集めては計測している様子。謎の断面図らしき図面もある。別室にはおびただしい骨の標本があり、住人はその計測を楽しんでいるとか。
 これもさっぱり分からないので骨相学者(そんな学者がいるのならどんな専門分野でも成り立ちそうだが)としておいたが、答えはマネキン原形の造型者。難しい。
 あまりに難しすぎたのか、今夜は全員不正解の連続だった。巨匠山田五郎も形無しである。

世紀を越えて

22時40分 テレビ

 世紀を越えて。今夜は続発する巨大事故を取り上げる。
 アメリカではWW2後、特に'80年代に入っての規制緩和以降、航空業界が活性化され、その旅客人口も大きく増大している。それに伴って航空機の墜落事故も増大し、その抑制に大きな努力が傾けられている。
 航空機を作り、運用する技術は長足の進歩を遂げたが、にもかかわらず事故は減少しない。その要因の一つに、航空機の複雑化がある。航空機があまりにも巨大化したため、チェックの手順がとてつもなく複雑になり、どうしても整備不良の見落としが減少しないのだ。戦前のDC-3と最新のDC-11を比べると、その見た目の大きさはもとより、その構成部品の多さに驚くほどの差がある。特に電気/電子部品の増大は、一面で運用コストを引き下げているものの、故障要因の増大をも引き起こすのだ。乗員乗客200名余が死亡したTWA航空機事故でも、原因は主翼部フュエルタンク近くを通った電線の劣化だった。たかが1ヵ所、しかし致命的な場所で起きたスパークが、この大惨事を引き起こしたのだ。
 航空機が進歩できても人間は簡単には変われない。その為にヒューマンエラーによる事故も続発している。アンデス山中で起きた墜落事故では、パイロットの入力ミスが原因と判明した。パイロットは航法支援装置を参照しながら飛行経路を選択する。ところが事故機の場合、飛行中に飛行経路を変更するという作業が発生した。この時にパイロットは中間地点として入力する空港名の省略形として頭文字のみを入力した。ところが頭文字に合致する空港は比較的近隣にもう一つあり、しかも航法支援装置のアルゴリズムとして複数の空港名にプライオリティを付けて処理していた。その結果パイロットが入力した地名と航法支援装置が認識した地名とが異なってしまい、事故機はまるで違う方向のアンデス方面に向かってしまい、ついに山肌に激突してしまったのだ。
 この事故では確かにパイロットが不注意だった点は否めないが、同時に航法支援装置にヒューマンエラーを防ぐ仕組みが足らなかったようにも思える。それ以上にパイロットが航法支援装置に頼り過ぎ、自らの位置と進行方向を十分確認しなかった事が原因だといえるだろう。いずれにせよ機械と人間の双方を改善しない限り、ヒューマンエラーは根絶し得ない。
 本来ならば航空機を安全に運営するべき航空会社、そしてそれを監督すべき役所の腐敗もヒューマンエラーの一種と考えられる。今も記憶に生々しいスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故は、打ち上げを予定通り実施したいNASAが、事故を予見していたメーカー側に圧力をかけ、打ち上げを飲ませた事に起因している。
 同じ構図は航空機業界にも見られる。フロリダ近郊で発生したValujet墜落事故では、直接原因は整備会社が使用期限切れ酸素発生装置を、適切な安全装置を付けないまま誤って事故機の貨物室に積み込んだ事にあった。しかしこの整備会社に対して、航空会社は必要な安全指導を全く行っていなかった事が判明している。事態を救いがたいものにしているのは、航空会社の安全性をチェックすべき省庁が、政策的に監査を手控えていた点にある。クリントン政権が行った航空業界への規制緩和で目に見える成果を出すために、Valujet社の成長は仕組まれたのだった。
 こうして航空機事故の要因を振り替えると、人間による検証という方法論にも、機械的なチェックによるそれにも、限界がかなり以前から見えていた事に驚かされる。根本的な解決は、人間のように思慮深く柔軟で、機械のように疲れを知らずミスもしない新しい機械知性が登場するまでは不可能なのではないだろうか。

爆睡の日

20時38分 暮らし 天気:雨後曇り

 前夜、明け方近くまでチャットして、それから爆睡したので、目覚めたのは2時近くだった。これでも8時間近くは眠った事になる。
 起き出して、さてどこかに出かけようかとぼんやり考えていたが、細々としたどうでもいい事柄どもを片づけているうちに面倒くさくなり、とうとう今日は外にもでなかった。経済的でいいな。
 原稿用紙に向かったり、PCに向かったりしているうちにまたもや眠くなり、もう少し一眠りしてしまった。ますます金のかからない奴だ。しかし平日の深刻な睡眠不足からすると、これでようやく釣り合いが取れるくらいだろうか。

2000年03月11日(土曜日)

今夜の観望は無し

23時37分 星見

 また曇り。曇りの日が続きます。

臨死体験

23時34分 テレビ

 今夜の「時の記憶」は'91年に放送されたNHKスペシャル、立花隆の取材で製作された「臨死体験」だった。1.5時間の長尺の番組だが、非常に面白かった。
 臨死体験とはなんだろう。それは人が死線をさまよっているときに体験する奇妙な出来事のことだ。近年、医療技術の発達により、少し前なら助からなかったような危篤状態から生還する人が増えている。そうした人々の中に、従来の科学的な説明が当てはまらないような体験をする人も多い。それらの奇妙な体験をまとめて臨死体験と呼ぶ。
 臨死体験の細かなパターンはいくつもあるが、共通して見えてくるパターンもある。
1.肉体から視点が離脱する(いわゆるオカルト用語の幽体離脱)。
2.暗い穴の向こうに明るい光が見える。
3.明るい場所には花園が広がっている(あるいは大変居心地よさそうな場所である)。
4.そこでかつて死んだ肉親と出会うこともある。
5.そこから先に進むが、障壁(川のような場合もある。肉親に呼び戻される場合もある)を前に引き返し、息を吹き返す。
 これらの体験はたいてい宗教的ないしオカルト的意味付けがなされる。しかし近年になって多くの体験が知られるに連れ、科学的な文脈で解釈し直そうという動きが起こっている。
 全米の臨死学会が設立され、そこで数多くの事例が報告されている。学会の設立に関わったある医師は、医療の現場で数多くの臨死体験に接し、その存在には疑問の余地が無いという。死地から生還した患者の多くは臨死体験を口にするという。
 立花もその報告数の多さから臨死体験の"実在"は疑えないという。では臨死体験の正体はいったいなんなのだろう。
 臨死体験者は多くの場合意識不明の昏睡状態にある。従って体験者は外部からの情報を受け取り得ない状況にある。しかし体験者の中には幽体離脱の最中に、当人が知り得ないような事項(たとえば昏睡中の現場の状況や、医師たちの会話、仕種)を言い当てる者もある。そこでこれら臨死体験は現実の体験であるという説が成り立つ。
 一方で臨死体験は脳内の"体験"に過ぎないという説もある。先の昏睡中の体験は、医師たちの会話を体験者が無意識のうちに聞き取ったいたものという解釈だ。しかしそれだけでは説明できないような事柄まで憶えている患者もいる。
 脳内現象説にはある有力な証拠もある。1950年代、北米の脳外科医が、局部麻酔で開頭した患者の大脳に電気的刺激を加え、その時になにを感じているかを聞き取るという実験を行った。すると側頭葉の一部を刺激すると、幽体離脱のような感覚をおぼえる事が発見されたのだ。つまり昏睡中の体験者は、この部分が活性化される事によって、擬似的な体験をしているに過ぎないとも考えられるのだ。また他にも大脳生理学的な手がかりがいくつか得られている。
 ところが脳内現象説には大きな落とし穴がある。昏睡中の体験者の脳の活動レベルは極めて低く、夢を見たり幻覚をおぼえたりする力も無さそうなのだ。また個体の終焉という、種の保存という視点からは無意味な場合に活性化される機能の意味はなんなのだろう。
 臨死体験現実説を取った場合、肉体から抜け出して外部の情報を得る事が出来る"実体"が想定される。大抵の場合、それは古典的な意味での霊魂であると解釈される。こうした2元論を取る人々は、どうも医療の現場に近い人々が多いような節がうかがえる。実体験者という特権的な立場に近い者ほど、そのリアルさを疑い得ないという事を示しているのかもしれない。
 こうした臨死体験のモチーフは、実は宗教にも大きな影を落としている。仏教、キリスト教を問わず、宗教画には光の道というモチーフが数多く登場する。これは臨死体験者が宗教的な影響を受けている事を示しているのだろうか。実はまだ宗教的なカラーに染められていない少年期の臨死体験者も、似たような体験を語っている事から、必ずしもそうとはいえない。逆に宗教の誕生に臨死体験が深く関わっているという説もある。もしそうなら、臨死体験は宗教の誕生と同じくらい古い歴史を持っている可能性はある。
 こうして多くの事例を並べてみても、臨死体験の正体ははっきりしない。明らかに脳内現象説が有力だ。例えば幽体離脱者がふつう知り得ない事項を語るという現象は、実は事後的に記憶された事柄に過ぎないという考えもありうる。また幽体離脱感覚を誘発する機能の存在意義は、例えば通常の生活では別の機能を発揮するものだとも考えられる。また死から生還した人が死を恐れなくなるという事実(後で記述する)から、実は個体の生存に極めて有利に働く機能であるとも考えられる。しかしこれだけでは体験の全てを網羅できるとはいえない。その意味では、臨死体験という魅力的な現象は、21世紀に入っても追求されつづける事になるだろう。
 ところで、臨死体験者の多くが死を恐れなくなるという現象はなんなのだろう。先の生存有利説に従えば、実は進化論で説明可能な形質の一つに過ぎないともいえる。だが臨死体験者が喜びを持って語る様子を見ると、無理に科学的な解釈に委ねなくてもいいのではないかとも思えるのだ。科学的に探求するのは構わないが、それが臨死体験者に「それは脳内の現象に過ぎない」と語る事の意味は果たしてどれだけあるのだろう。臨死を境に新しい肯定的な価値観を持った人に対し、こうした言説はどれほどの価値があるのだろう。科学的な価値はあるだろうが、人間の価値観全てを科学に委ねる必要の無い事は言うまでもない。人間の価値観は常に科学、宗教、その他の論理に関連しながらも、なおもその外に立つものだと思う。僕たちは個人的な経験という計量も一般化も拒絶した物差しに依って生きている。この事実を直視しないで一つの価値観を強制する事は、多くの知性的な存在が見逃しつづけている暴力ではないだろうか。それが臨死体験者にまで及ばない事を祈るばかりだ。

街道をゆく

23時33分 テレビ

 今週は肥前の道行き。肥前は古く遣隋、遣唐使船の寄港地として、またその後もモンゴル帝国の来寇やキリスト教伝来など、歴史の波にさらされてきた土地だ。
 1274年、1281年の2度に渡った元寇は、遣唐使の停止以来海外とのかかわりが薄かった日本に、大きな衝撃を与えた。元という世界帝国の持つ論理に対し、日本という狭い島国の論理が衝突し、様々な意味で試された事件だったといえる。幸いにして(なのか不幸にしてなのかはわからないが)元の来寇はいずれも失敗、日本が外国に侵略されるという最初の危機は免れた。元寇が挫折した原因は来寇側が日本近海の暴風を甘く見て、いずれの場合も大風により船団が壊滅するという少し情けない理由だった。しかし元軍が陸に拠点を移さず、船上にこだわったのは、鎌倉武士団の予想を超える勇猛果敢さにあったといわれている。しかしこの時、日本が一時期でも世界帝国の版図に組み込まれる結果になっていたら、どういう事態が起こっていたのだろう。その後の歴史の流れもよほど変わったかと思うのだが。
 肥前長崎といえば南蛮舶来、基督教伝来の故事が憶えられている。最初期のポルトガル人はキリスト教の布教と対で貿易も行っていた。そのために日本で最初にポルトガル船を受け入れた大村氏は、キリスト教の洗礼を拒んだために巨利を得る機械を逃してしまったという。その後、キリスト教の布教が禁止され、日本に帰港できるのが布教にこだわらなかった新教徒のオランダ人に限られてしまったことを思い起こせば、歴史というものの皮肉さにあきれざるをえない。

今夜のサイエンス・アイ

20時30分 テレビ

 今夜のサイエンス・アイは、海外のドキュメンタリーをそのまま放映していた。期末で製作が間に合わなかったのか。
 番組では様々な動物が示す能力を取り上げていた。だいたい、我々が知能の定義に深く関わると思われるような能力ばかりだ。
 例えば良く訓練されたオウムは数を数え、色を見分けるなど、人間が出す課題を理解し、正確に答えるがごとき行動を示す。オウムに人間の言語を理解できるというのは信じ難いが、とにかく実験者の言葉を理解させ、その回答を音声で答える(オウムだから)という実験を行っていた。なにか「賢い馬」の類かとも思えるのだが。
 さすがに猿を使った実験だとこちらも納得しやすい。ボノボを使った実験は著名だ。またキツネザル(だったっけ、真猿類じゃないの)を使った実験でも、猿は的確に状況判断する能力を持っていることが示されている。キャンディを取るという課題を与え、二つの到達性に差をつけた方法を示してやると、大抵はより簡単に到達できる方法を的確に選択するのだ。こちらは言語を使った実験ではないので納得しやすい(どうも言語というモノは人間の特権的な能力という気がする)。
 また良く訓練したチンパンジーは、ある部屋に隠したおやつの場所を、その部屋の模型を使って説明してやると、簡単に到達できる。これはチンパンジーが部屋の模型という抽象概念を理解し、それを現実の場で再適用できる能力を持っているからだと説明できる。この課題をヒトの2才児に与えるとこなすことが出来ない。この年齢ではヒトの方が猿に劣っている面もあるらしい。
 またチンパンジーには他人(他猿?)がある事柄を知っているかどうか推測する能力もあるらしい。2匹のチンパンジーを使い、ある猿に対し、猿たちが大嫌いな獣医が、別の猿に接近する状況を見せてやる。この時、接近されている方の猿が明らかに獣医の存在に気づいていない場合、それを見ている猿は警告の声をあげる。逆に明らかに知っていると思える場合、警告の声は上げない。別の猿が危険な状況を察知しているかどうか理解しているからだと説明できる。
 同じような能力はより脳の小さなキツネザルにもある。実験者が二つの箱に果物を隠し、それに別の実験者が操作を加えるという状況を猿に見せる。実験者1が箱に果物を隠し退出する。そこで実験者2が果物をもう一方の箱に写すという操作を猿に見せ、戻ってきた実験者2が果物がない方に手を突っ込んでも、猿は注目しない。しかしこの時にトリックを使い、無いはずの果物を取り出してみせると、猿はしばらく注目する。あり得ない状況が発生して事を理解しているからだと説明可能だ。
 このような事例は様々な動物にも見られるが、注意が必要なのは全て人為的な環境での実験だということだ。つまり、猿たちは自然環境の中では人間の言語を使うことも、模型のような抽象概念を扱うこともない。ただし他者がある事柄を理解しているかどうかという能力は、自然環境でも役立つと考えられている。
 このように動物にも抽象概念を扱う能力はあり、実験ではそれを引き出すことが出来るというのは興味深い。しかしそれがなぜヒトほどにまで発達しないのか、あるいはなぜ言語を獲得しないのか。ヒト自身の言語獲得にまつわる謎と絡めて、これからもますます追求されていくだろう。

休日出勤

17時29分 暮らし 天気:曇り

 久しぶりに休日出勤するはめに陥った。さすがにY2K越え前後の活況は無いが、それでも職場にはちらほらと人影があった。
 暖房は入ってなかったのだが、マシンの熱のおかげで寒くはない。眠気に悩まされつつ定時までに仕事を片付け、さっさと帰宅した。
 しかし人が少ないせいか、すぐにプロキシ様が音を上げる我が社のネットワークも軽くて快適だったな。

2000年03月10日(金曜日)

ごめん > driveway

23時28分 インターネット

 昨日のデータホスティング特集(そんなたいそうな)で「複数ファイルの一括アップロード可能なのはmydocs」と書いたけど、これは間違いでdrivewayが正解だった。ごめん。
 しかし一括といっても5つまでで、ディレクトリ丸ごととはいかないので非常に不便だ。mydocsの方は一つずつなのだが、こちらの方はPalmの類からのアクセスで便利な仕組みがあるようだ。それぞれ一長一短あるようだが、全体的にはまだまだ使えないという評価が妥当だろう。

今夜の観望もなし

23時27分 星見

 帰宅して、カレーうどんを作って食らったが、明日は休日出勤せざるを得ないので、かなりテンションが低く、望遠鏡は出さなかった。その癖チャットにはまって2時過ぎまで起きている俺様だった。なにしてるんだか。
 寝る前にベランダに出てみたが、雲が多くてシリウスがぼんやり霞んで見える程度だった。

背中にキます

17時25分 暮らし 天気:晴れです BGM:Heaven Can Wait/Gamma Ray

 職場にある椅子はみんな背もたれのスプリングが弱くて、ほとんど抵抗無しにストッパーに当たるまでリクライニングするものだ。事実上体を支えてくれないので、腰から背中にかけてかえって負担がかかる。特に長時間のマシン作業は背中に来るのだ。そんな訳で、四六時中背伸びして背骨を引き伸ばしながらのお仕事となる。ところが伸びをしている最中に上司と目が合うと、なんとなく気まずいものになるのだ(笑)。はっきりいって、背もたれの無い椅子に替えて欲しいくらいだ。

2000年03月09日(木曜日)

今夜の観望

23時15分 星見

 すげー眠かったので無しです。ちょっと雲も出てました。

無料データホスティング

16時04分 インターネット 天気:晴れ BGM:The Score/Emerson Lake and Powell

 どこで見かけたのか忘れたけれど、インターネットでのサービスの一つにデータホスティングというのがあると知った。これはサーバ上のエリアを貸し出し、インターネット経由(大抵はブラウザ経由)でアクセス可能にするサービスだ。通常のレンタルスペースの類に比べていまいち利点が分かり難いが、インターネットに接続できていればどこからでも自由にアクセスできるというのは魅力的な場合もあるのだろう。
 単なるレンタルスペースとの違いは、収納するデータに細かいアクセス権限を設定できる事だ。例えば、サーバ上のあるファイルのみ、外部に公開したいとか、特に認証された人(々)にだけアクセスさせたいとかいった事が可能だ。もちろん、通常のレンタルスペースでも同様の事は可能だが、Webベースで考えるとCGIを自前で組まなければならないので面倒だ。
 この仕組みをうまく使って、インターネット上での共作環境を作れないかと考えてみた。共作はリレー競技のバトンの受け渡しのような要素が必要だと思う。つまり一群のテキストをある時は双方同時にアクセスし、ある時はそれぞれ片方からしかアクセスできないという状態を作らなければ収拾がつかないだろう。もちろん、ニーブン&パーネルのようにお互いの肩越しにチェックしながら進めるやり方もありだが、インターネット上で進める場合などの様に不特定多数が参加する場合は、こうして資源を受け渡しながら進めたほうが便利そうだ。
 実際には、これらデータホスティングは必ず誰かの権限の元にデータを管理しているので、その管理者からアクセスできないようにするのは危険だ。従って管理者を決めて、その管理の下に権限の委譲を行っていくのが現実的だと思う。
 この関連でインターネット上の無料サービスを見て回ったのだが、実に様々なサービスが産み出されているようだ。果たして広告収入のみでいつまでやっていけるのか、いささか不安は残るのではあるが。
 無料データホストを二つ紹介しておこう。一つはmydocsだ。容量は20MBで、PalmなどのPDAからもアクセス可能にするサービスを売りにしているようだ。
 もう一つはDriveway。容量は25MBくれる。
 しかしどちらもデータの出し入れがブラウザベースでのみなので、大量のデータを出し入れするのにかなり難がある。どっちかといえばmydocsの方が複数ファイルの一括アップロード可能なので、幾分かはマシかもしれないが。

2000年03月08日(水曜日)

今夜の観望

23時03分 星見

 早く帰れたので、8時前には望遠鏡を空に向けていた。まもなく観測シーズンが終わる木星と土星を観望する。この日は大気中に水分が多いせいか、、透明度、シンチレーションともに悪く、木星も土星もボケボケに霞むだけだった。高度が低かったのも災いしていただろう。オリオン大星雲、M41はそれよりははるかにマシだった。しかし春の霞が頻繁に雲を作るので、観測には不利な季節がやってきた。
 飯を食って風呂を沸かし、少し横になっていたら、うっかり2:00まで爆睡する羽目になった。ノロノロ起き出して、風呂に入り、インターネットで遭難し、寝る前、4時ごろにふと空のことを思い出した。
 ベランダに出ると、さっきまでの曇りがちの空はどうしたことか、ほとんど雲のない快晴が広がっているではないか。肉眼では暗い星までは見えないのだが、双眼鏡を向けるとたくさんの星が散らばっているのがわかった。全体像を朧に想像してみると、なんとなくさそり座のような気がするのだが......。あちこちのWebページで今の星座を見てみると、真南に来るのはどうもさそり座らしい。正しいのかな?
 さそり座ならばアンタレスがあるはずだが、それは頭上に延びているのかこの時には気づかなかった。しかし望遠鏡で眺めていると、どうしても光芒が小さくならない星があるのに気づいた。もしやと思って大倍率で見てみると、思ったとおり2重星だった。なるほど、これが重星かと思うような、ごく近接した星たちだ。星図で見ると、さそり座には確かに2重星が含まれている。しかし周囲の星座がまだ見分けつかないので、本当に見ているのがさそり座なのかどうか不安だ(爆)。
 星座を見分けにくい一因は弱い視力にある。メガネを作り直すか。

花粉症の攻勢

20時01分 暮らし 天気:快晴

 朝、起きたときから目がちくちくする。会社でも同様。帰っても収まらない。かなりのきつさだ。頻繁に手洗いに立ち、顔を洗い、時々目も水洗いする羽目になっている(別に眼球を取り出して丸洗いしているわけではない)。睡眠不足が拍車をかけている観がある。早く寝ないとと思いつつも、ダラダラと夜更かしするのだった。

2000年03月07日(火曜日)

今夜の観望

23時55分 星見

 22:00過ぎにちょっと望遠鏡を出してみた。既に冬の大三角形もかなり高度を下げ、間もなく夕暮れに沈むようになってしまうだろう。シンチレーションは安定していたが、心なしか透明度が低く、オリオン大星雲はあまり細かく見えなかった。黄砂が降る季節がやってきたのだろうか。
 ちょっと食事して、11時過ぎにまたベランダに出たら、もう薄い雲が空を覆っていた。

望遠鏡自作の世界

20時59分 星見 天気:晴れ時々曇り

 望遠鏡関係の掲示板を巡っていると、自作の情報が結構目に付く。市販の望遠鏡は使い勝手で不満がある、あるいは大口径のものは価格が高い、などと言った理由から自作に走る人は少なくないようだ。
 自作も様々なレベルがあって、キットを用いる人からレンズを磨く人までいる。レンズだけ買って口径60cm(!!!)の反射望遠鏡を作っちゃった人もいるらしい。凄いな、かつての国立天文台レベルだ。
 さすがにレンズ(反射鏡)を磨く場合は反射式がほとんどだが(屈折式のレンズだと両面を研磨しなければならないため)。メッキとかはどうするんだろう、業者に出すんだろうか。
 Borg100EDはかなりのポテンシャルを持った望遠鏡だが、都会で淡い天体を見るとなるとより大口径が欲しくなる。8"級のシュミット・カセグレン式は比較的安価だが、それでもあれこれで40万するのだ。それを考えると淡い天体観望専用のドブソニアンでも自作したほうが安上がりかもしれない。
 レンズはロシアが得意らしくて、大きなものでも結構安価であるようだ。なにか、かつてのPCパーツ個人輸入を思わせる(事実はこっちの方が先にあった世界なのだが)。

2000年03月06日(月曜日)

3/6の暮らし

20時58分 暮らし 天気:曇り続きの1日でした

 今日は会議に消費され尽くしたかのような1日だった。なにせ昼から定時後までずっと会議だったのだから。他の事をやる時間が無いとは。
 疲れた頭で飯を作る気にならなったので、帰りは吉牛で特盛をかっ食らって帰った。帰って、風呂に入って、ちょっとインターネットの入り口をうろうろしたらお終い。なにも出来ない一日だった。計算上、かなり残業しても4時間ほど余裕があるはずなのに、いったいその時間はどこに消えていってしまうのか。時間泥棒はどこだ。

2000年03月05日(日曜日)

今夜の観望もなし

23時56分 星見

 朝のうちに雨は上がり、一日中どんより曇った1日だった。宵の口にベランダに出ると、多少の切れ目は見えたので晴れてくれるかなと思った。しかし日付が変わる頃になっても空は晴れず、今夜の観望も無し。天体観測には不向きな春がやってきた。

3/5のテレビ

23時55分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは新潟の監禁事件の話だった。うーん、こういう時事性の強すぎる話題はパスだ。
 誰もいない部屋。
 最初の部屋の住人は薬草を育て、竹細工や謎の金属を用いたある事をしている。猫の目は時を測るのに使う(そういう話を確かに聞いた事がある)。謎めいた英語の書き付けはまったく正体不明。
 とりあえず忍者(爆)としておいたが、本当に忍者だった。いかにも子供の頃に学研のひみつシリーズを読んでいそうなタイプだ。
 最後の部屋は一見してごくふつうの住宅。住民は謎めいた可変式定規(?)と年代物PCのスプレッドシートでなにやら計算したり、グラフを書いたりしている。どうやら野外でのなにかをやっているらしい。~
 ここ一月ほど頭が天体観測にばかり行っているので、これらのヒントはどうしても天体観測に関係するなにかに思えてならなった。しかしグラフを見ているうちにスキーに関係したなにかだと気付き、ゲレンデの設計者だと考えた。答えはスキーはスキーでもジャンプ台の設計者だった。なるほど、そういわれてみれば謎定規は人体模型にも見える。大体、いかにも関係ありそうなのに雪のゆの字も出ないのは怪しいのだ。

湘南台は便利だ

15時53分 暮らし 天気:雨後曇り(暗い1日でした) BGM:Chaos A.D./Sepultura

 前日、深夜までチャットしていたが、昼前には目が覚めた。さて、どこかに出かけようかとしばらくぼんやり考えた。E950のオプション類(ワイド・コンバータとリストバンド)が欲しかったので新宿に行こうかとも思ったけれど、まあ急ぐ事はないだろう、来週土曜日にしようと今日はやめ。替りに湘南台に出向いた。
 湘南台では市民図書館に寄り、のろのろ歩き回っては本を読んだ。哲学書のコーナーに立って、何気なく手にした現象学の本があまりに難しそうだったので、一生のうちに60秒くらいは必死に文字を追っても構わないだろうと、死ぬ気で読んでみた。結果は玉砕(爆)。ナニがモナドだ、ナニがエポケーだぁぁぁ、と狂ったように叫びたい強迫観念にとらわれたのだった。もう少し精神に余裕がある時に読むべきだ。たとえ分からないにしても。
 ちょっとした収穫はあった。別の科学史の本にダモクレスの剣ならぬ「レウキッポスの剣」という表現があった。うん、なにかに使えそうだ。レウキッポスは古代ギリシャで原子の概念を"思い付いた"人だ。なにか詩的な表現ではないか。
 少し不快な事があった。一つは大声を上げて肉親を呼ぶ子供がいた事だ。子供が親を探す時に周囲への配慮が足らないのはまあ仕方ないのだが、そういう子供を放っておく親には本当に腹が立つ。貴重な思索の時間を踏みにじりやがって(いや、たいした事考えてないんですけど)。もう一つは蔵書の中に鉛筆で傍線を引いているものが目に付く点だ。大学が多い土地柄、学生が勉強用に使ったのだろう。かれらが図書館の席を占有してしまっているのはいいのだが、こういう形で社会の共通財産を私物化するのはどうだろう。と、藤沢市とは既に縁も所縁も無い僕が憤慨するのも妙だが。
 図書館を出て、WaveEyeに立ち寄った。つくづく考えてみるに、湘南台で僕が寄りそうな場所(図書館、本屋、PCショップ)のうち、前2者は戸塚にもあるのだけれど、PCショップのみは無い。戸塚はちょっとしたPC空白地帯で、LaOXぐらいしか思い付かない。そういうわけで湘南台の方が便利なのである。ただ二駅で230円になってしまうのはなあ。

2000年03月04日(土曜日)

NHK特集再放送

23時55分 テレビ

 今夜の時の記憶(大層なタイトルだ)はなんと1978年に放送された番組の再放送だった。画家の青木繁の生涯を綴った番組。ドラマ部分と進行部分の接続がなんとも時代を感じさせる。
 青木繁といえば「わだつみいろこのみや」を思い出してしまう。子供の頃、百科事典で見かけた青木の絵は、ムンクの「さけび」とともに悪夢絵画のナンバーワンを分け合っている観があった。妙に写実的な画風と、強いテーマ性を打ち出している点が、子供心にそう感じさせていたのかもしれない。
 青木繁は若い頃に傑作をものし、その後はそれを越えるに越えられぬプレッシャーのうちに討ち死にしたような人だ。番組ではそう描かれている。後世に語り伝えられるほどの才能を持ち、またいくつもの作品を残した彼も、同時代の人間にはまるで評価されなかった。生活費に事欠き、絵の具代にも事欠くほどだった。友人にたかり歩いているうちに、その友人さえも徐々に失い、最後は肺病で野垂れ死ぬようにして逝ってしまったのだ。なにやら真の無頼派人生を垣間見るようだ。
 青木は絵画には思想が必要だと説いた。単に写実に留まるのではなく、そこになにを描くかという視点が。この事をドラマ性という言葉に翻訳してしまって良いものかどうか迷うが、ニュアンスとしては同質なものがあるように感じる。単に技巧の延長に過ぎない写実ではなく、それを用いて見る者に訴求する思想を持てという青木の主張は、より強いドラマ性を扱う文藝の世界でも、十分に考慮されてしかるべきではないだろうか。単なる技巧に堕した"小説"のなんと多いことか。
 青木の人生最後の作品は、自分の火葬代を稼ぐために描かれたという凄絶な背景を持つ。しかし描かれた「朝日」は、僕にはどうしたことか穏やかに沈みゆく夕日のように見えてしまう。あるいは、青木の心象が強く作用したのかもしれない。

街道をゆく

22時50分 テレビ

 夜、NHKをぼんやり眺めていたら街道をゆくが始まった。久しぶりに日本国内に戻って、今回は越の道と北国街道。
 越は駿河から新潟にかけての日本海側という、かなり広大な地域を表している。上古から律令時代にかけて、この地域は中央から半ば独立した勢力が存在していたようだ。そのピークが継体天皇の登場といっていいようだ。
 そういう半独立の地域故か、越は中央から恐れられ、軍事的な関門を設けていつでも遮断できるように気をつけていたということだ。なんとも涙ぐましく、臆病な処置だが。
 戦国時代、この地は上杉、織田の二大勢力が割拠することとなった。織田勢力の担当者が柴田勝家だった。勝家は賤ヶ岳で秀吉に撃破されてしまうのだが、山上に布陣し、平地に陣取った秀吉と一月余りも対峙したことから、司馬は勝家が傲岸だが臆病だと決めつけている。確かに、瓶割りの逸話なども、実は勝家がその恐怖心を部下と分かち合うのが上手だったことを示しているに過ぎないのかもしれない。

3/4の暮らし

15時49分 暮らし 天気:久しぶりに雨になりました

 午前中に目が覚めたが、どこにも出かける気にならずぐずぐず一日を過ごした。午後にしばらく原稿用紙を眺め、数枚追加。あと数日で書き上がりそう。
 気怠い空気に任せて一眠りしようかとまた布団に入ったが、かえって眠れずいろんな事を考えてしまう。怖い考えにならないうちにようやく少し寝入ったが、目覚めても目が痛い。これはもしかして花粉症?

2000年03月03日(金曜日)

今夜の観望

23時48分 星見

 早い時間に帰ったので、まもなく観測シーズンが終わりそうな木星と土星を眺めた。今夜は風が強く、シーイングは悪い。視界の中の木星が揺れる揺れる。シンチレーションのせいもあるが、なんといっても三脚の剛性が低すぎるのだ。軽いカメラ三脚だからねえ。そろそろ換え時かも。でもシンチレーションが安定した瞬間には、すばらしくくっきりと木星の縞縞や土星の輪が見えた。~
 早朝にもう一度さそり座でも眺めようとベランダに出てみたが、既に雲が厚く空を覆っていた。~

3/3の暮らし

20時34分 暮らし 天気:晴れのち曇りですか

 なんとなく気分が乗らない一日。こんな日はマシンでも叩いているに限る(いや機械の前で猿のようにそこかしこをバシバシ殴打してるわけじゃないですけど)と、黙々と機械的作業に励む。ルーチンワークの集大成だ。
 帰りに吉野家で牛鮭を食らうが、特盛がいつの間にか600円に値下げしていた。こっちにすればよかった。
 帰って、我がHページGIF民族浄化作戦(国際法廷爆)を継続した。今日はQuake2のページに手をつけた。この間の作業に懲りて、出来るだけ機械化するべく、コマンドラインでGIF->PNG変換できるツールを探した。が、見当たらない。やむなくGUIベースで一括変換できるものを探してきて、これを使用した。さらにawkでhtmlファイルの内容も一括変換。これで一気に完了した。でも、Quake2ってしばし塩漬け未完コンテンツだな;・_・)

2000年03月02日(木曜日)

今夜の観望は無しです

22時33分 星見

 帰宅したのは20:00過ぎ。しかし異様に眠かったので、今夜の観望は無しにした。しかし寝る前にベランダで双眼鏡を空に向けてみた。相変わらず星座が分かりません(爆)。でもなんとなくさそり座を見分けられたような気がした(気がしただけか)。

MSがHTML言語を作ってるんだって(追記)

20時32分 インターネット

 GIFからPNGにコマンドラインで一括変換できるツールはないものかのお、と実にぐーたらな俺様はネットを徘徊したわけです。その旅の途中、偶然goo様が捕らえたページで、「ホームページ作るにはなにがいいだろう」などという趣旨でHTMエディタのお勧めを挙げているページがあったと思いねえ(場所は忘れた)。
 このページの作者はFrontPageとIBM Hページビルダー2K+1を比較して、FrontPageを薦めている。根拠が薄弱すぎないかと思うのだが、なぜかFrontPageなのである。Expressを薦めないのはまともな点だ。
 そりゃまあいいでしょう。しかし楽しかったのが、機能比較の中でHTMLページ作成機能機能としてはFrontPageが断然優れているとしている点だ。その根拠は、「HTML言語はマイクロソフトが作っているから」らしい。凄いなMS、とうとうW3Cを駆逐したか。
 しかしこの人は意図しないで正確な事をいっているかもしれない。つまりPC市場でのWebブラウザの多数をMSIEが占めている状況では、IEでの再現性を最重視したページ作りも当然ありという事になってくるからだ(僕は死んでもそんな事はしたくないけれど)。つまりこの人にとってはNCやその他のブラウザなど眼中に無いという事だろう。けだし正直者なりと言えにけり。
 ではこのページをAnother HTML Lintにかけてみると、IE5用方言を指定したにも関わらず、得点は45点。よくよく見るとWebページはHページビルダー2K+1をお使いではありませんか。自分も使ってないものを薦めとるのか!
 しかしまあ、どういうHTMLエディタを使っても、そのままではHTML4(.01) Strictに決してならないのは困り者です、ハイ。

ブラウザ戦争など

15時30分 インターネット 天気:晴れてました

 この日記をw3mやNC4.61 for Warpなんていうブラウザで見に来てくれている方々がいるようだ。個人的には一人くらいWeb Explorerなんていう方もいないものかなと思う(今となってはなんの取り柄も無いブラウザだが)。
 zdnetが例によって例の如く「ブラウザ戦争の終結」を強調する記事を掲載していた。以前にも同趣旨の記事を掲載していたが、よほど根拠薄弱で恣意的な点を叩かれたのだろう。しかしブラウザ戦争(?)の行く末は、既にNC v.s. IEという構図ではなくなったのは事実だろう。NCはAOLの不手際で、ほぼ自滅してしまった観がある。ビジネスの現場でもIEの要望は増えているのだ。
 しかしzdnetの偏狭な視界に「ブラウザ戦争」が終わったように見えようと、現実にブラウザ戦争は続いている。ステージは携行端末やマルチプラットフォームでの戦いに移り、Windowsはむしろマイナーな一角に後退しつつあるのではないだろうか。2003年までに5億台もの携帯電話が普及するという予測がある。その3割のシェアを取っても、現在のPCの普及台数に迫るものがある。ライセンス・ビジネスとしてみれば、既に旨みの無いPCよりは、確実にライセンス料を取れる組み込み分野の方が得策なのは明らかだ。MSがとってもファック^hトなPoket IEを必死にリファインしようとしているのも、まさにそういう情勢を読み取っているのだろう。もっともMSは、PCデスクトップ以外の分野でいまだに"勝利"した経験が無いのだけど(Tigerの失敗なんてかわいいもんだよね)。
 ビジネスの現場でどうなろうと知った事じゃない。恐らく、NetscapeはNCの改良を止めないだろうから、当面は安心してNCを使っていられるだろう。むしろNCがマイナー化する事で、セキュリティに関しては有利になる可能性がある。インターネットでのクラッキングは、これからますますIE(そしてMSのプロダクト)を付け狙う事になるだろう。これがMSプロダクトのセキュリティを高めてくれる結果になれば良いのだが、とてもそうなるとは思えない。あの企業にはセキュリティなんて概念が無いのだ。後はガタガタになっているmozilla.orgが立ち直ってくれればいいんだけど。

2000年03月01日(水曜日)

今夜の観望

23時29分 星見

 早目に帰れたので、今夜も木星と土星に望遠鏡を向けた。今夜は風が弱くて、シーイングも良好。大気が安定した瞬間には、木星の縞がかなりくっきり見えた。見え方から考慮して、もしも大赤斑がこちらを向いていれば見えたはずだ。ガリレオ衛星も鋭く小さな輝点となって見えた。
 アイピースの位置的な問題から、時々左目でのぞいていたのだが、どうも僕の場合は左目の方が優秀らしい。右目では縞縞が滲んだように見えるのだが、左目でピントを出してやると縞がくっきり見えるのだ。それどころかその地の斑も見えそうな気がするほどだった。土星も輪がくっきり識別でき、倍率を上げればカッシーニの間隙も見えそうだった。大気が安定する夏場に見てみたいものだが(暑くて死ぬかも)。
 ちょっと横になっていたらいつの間にか深夜になっていて、寝る前に空を見てみた。深夜の冬空は明るい星座たちが既に沈み、見た目は寂しいものだ。しかし双眼鏡で眺めていると、面白そうな星の並びが次々に目に入ってくる。これは、さそり座だったかな.....星図を見てもわかんないや(爆)。昔は結構星座を憶えていたものだが、さすがに20年も経つとあらかた忘れてしまうのである。早見表を作っておくか。

今日の対GIF戦線

15時28分 インターネット

 秀丸のgrep機能を使って、Diablo、Quake2関連のコンテンツを除いて、全てのページの脱GIF化を達成した。細かいファイルをディレクトリにまとめておいて良かった。
 後はDiablo、Quake2だけだ。この二つは独立させておいて、気長に片づける事にしよう。後、アクセスカウンタね。

無意味に新Webスペース取得

10時25分 インターネット 天気:最近は晴れが続いてます BGM:グラハムとーちゃんの新譜

 会社で昼休みにアイスを食っていると(冬だというのにアイスでも食わないとやっていけないくらい暑いのだ、僕の座っている場所は)、ふとTripodが日本に進出していたなと思い出した。
 Tripodは海外のH系ページの巣窟として一時は有名だった、無料のWebスペースサービスの事だ。最近は撲滅運動でもやっているのか、そういうのはかなり減ってきてはいるようだが。~
 なんとなく無料レンタルスペースの実態を見たくなって、TripodのWebページにアクセスして、アカウントを取ってみた。
 アカウントの取得は、使用可能なメールアドレスさえあればものの5分で終わってしまう。住所氏名を要求されるが検証されるような性質のものでなく、到達可能なメールアドレスさえあれば誰にでもアカウントが与えられる。そのメールアドレス宛ての仮パスワードを使ってログインすると、もう使用可能になっている。何とお手軽でいい加減な検証なのだろう。まあ誰が、というよりは何を、という方が運営側には問題なのだろう。
 与えられるレンタルスペースは12MBで、CGI/SSIは駄目だが提供されているアクセスカウンタを使用可能で、フォームの類も用意されているようだ。
 面白いのはHTTPさえしゃべれるUAがあれば、Webページの作成、メンテナンスが可能な点だ。これは企業内のイントラからプロキシ越しにメンテする場合に便利だ。プロキシ越えの場合、ふつうはFTPの方は認証の問題もあって制限があったり、全く使えなかったりするからだ。
 なるほど、メールアカウントが認証の最後の決め手なんだなと思いつつ、適当なページを作っていたら、ふとTripodのバナーに「無料メール」というのがあるのに気付いた。Tripodは日本ではLycosの下にあるようで、このメールアカウントもLycosのそれだった。これもホンの数分で取れた。
 ここでふと思ったのだが、この無料メールアカウントでTripodのアカウントを取得する事は可能なのだろうか。同じサービスに属する以上、可能だろう。TripodはLycosのメールアドレスを信用できないなどとは口が裂けてもいえないはずだ。すると個人情報の検証は全くといいほど行われていない事になる。
 このメールサービスも、HTTPベースで全ての事をこなせるので、やはりプロキシ越えの場合には非常に便利だ。Webアクセスは可能だがメールアカウントは持ってない、あるいは別に持ちたい場合には非常に便利だ。また別のPOPからメールを取ってくる事も出来る。SSLくらい使ってよといいたくなるが......。
 この分ではわざわざ有料のレンタルスペースを取得したり、さらにはレンタルサーバを持つなどというのは、よほどの動機を持つ人だけに限られてくるだろう。12MBもあれば、よほど巨大なファイルを置かない限り、いいたい事はいえるはずだ。