Strange Days

2000年05月31日(水曜日)

観望はなし

23時32分 星見

 雨なので今夜の観望はなし。

(なかなか)鳴らない目覚まし時計

19時30分 暮らし 天気:雨

 今を去ること十数年前に買った目覚し時計が、ここ数年いよいよ鳴らなくなってきた。ここ数年、というところに僕の尋常でない気の長さがあるかもしれない。
 この時計、指示針と短針が合致すると機械式に検知され、電子音が鳴り始めるという形式だ。その検知機構がおかしくなったのか、最近(といってももう何年も)合致しても鳴らない事が多くなってきた。予定時刻が過ぎても沈黙したままなのである。
 では役に立たないかというとそうでもなく、指示針が合致した瞬間の「カチッ」とう音が結構大きいので、眠りの浅いときにはそれだけで目覚めるのだ。ところがそれでも目が覚めなかったりすると、少々寝過ごしてしまう。しかし人間の肉体には何か神秘的な機能があるのだろうか、だいたい10分のタイムラグを置いて目覚めることが出来るのだ。その機会を逃すと盛大に遅刻してしまう(でもフレックス勤務制度のおかげで大事にはならない。フレックス勤務制度万歳!)。しかしまあ、だいたい目覚ましにはなっているので、捨てることなく使っていた。ってここまで書いて早く買い換えろよと自分に突っ込みたくなった。
 しかし最近、こいつにいうことを聞かせる方法を発見した。目覚ましをリリースした後で、支持針をぐるぐる回してチャイムが鳴るかどうか確認する。ダメなときは本体の向かって右奥側から衝撃を加え(ようするに殴りつけ)、またぐるぐる回してチャイムが鳴るかどうか確認する。チャイムが鳴るようになったら、指示針を設定し、「そっと」本体を置く。これでだいたい鳴るようになった。僕はスパルタ式目覚まし設定法と命名した。
 この目覚まし、僕が会社に入ったときに買ったもので、その当時買ったものとしては唯一残っているものだ。別に愛着があるわけじゃないが、まあ完全に壊れてしまうまでは使ってやろうかと思っている。
 実はこいつの鳴ったり、鳴らなかったりという辺りが実に生物的で、なかなか味があったりする。昔、物は100年使うと魂が宿るとかいわれ、その前に捨てると良いとか捨てたら祟られるとかいわれたらしいが、さすがに昨今は100年も使える物を想定するのは難しい。精霊たちには住みにくい時代だろう。

2000年05月30日(火曜日)

観望なし&NIKONの小物

23時29分 星見

 空は真っ白なくもりなので観望はできなかった。
 マメにチェックしているボーグのサイトを見ていると、期待の栃木ニコン謹製テレスコマイクロがいつの間にか発売されていることが判明した。楽天市場にあるニコンのショップで売っているらしい。見に行くと、あまりの売れ行きに生産が追いついていないらしい。そうだろうなあ。これは20倍の望遠鏡、60倍の顕微鏡になる単眼鏡で、軽くて使いやすそうな製品だ。似たようなものはあちこちのメーカーが出しているのだが、このテレスコマイクロの最大の特徴は、Coolpixシリーズに装着して望遠レンズとなるという点だ。実は以前から栃木ニコンのサイトには載っていて、「いつ発売できますか」と最近問い合わせたのだが、発売に向けて準備してますという回答を得られたのみだった。こんなに早く売り出すなんておくびにも出してなかったのだが。
 今予約しても届くのは7月以降になるという。それでも欲しいので早速予約を入れた。今持ってるE950にはぴったりのアイテムだし、E990に買い換えてももちろん使いまわし出来る。単独でも使える。同様にCoolpix用のワイドコンバータも買った。E950はDC210に比べて視界が狭いのが難点だったが、ワイコンを装着すれば全然オッケーだ!
 こうして怪しい小物が増えていくのである(だいたい、そんなもの買ってなに撮る?)

怪談

22時27分 思考 天気:まあくもりかな

 夏が近づくと活発化する怪談サイト。(主にマシンの)暑さにうなされつつうろつきまわった。
 定番の新潟発・ちょー電脳心霊怪奇倶楽部を見に行くと、そろそろ怪談の登録が増え始めているようだ。テケテケもの、「死ねば良かったのに」ものも相変わらず元気だ(なにがだ)。しかし定番ものと、落ちに由縁話がついたものはいまいち怖さに欠ける。やはり日常でいかにも起きそうな、しかも落ちらしい落ちの無いような話が恐い。最近結構恐いと思ったのが、鏡を見続けていると、自分の横の何も無いところに顔が見えてきたというもの。これは精神医学的には良く知られている現象で、一応の説明がつくものではある。しかし何かしらその説明では包括しきれないような、不気味な印象をぬぐいきれない現象でもある。光学的には鏡というものは単純な現象だが、そこに人間が見出す印象は複雑で、豊穣なものだ。どこかに死角があるのではという期待を持てそうな気がするのだ。人間の精神の内部は複雑だし、自然界はなおさら複雑だ。光学という人間の創造物では割り切れないなにかが。
 なんて事を考えていると、歯を磨きながら鏡を見ているだけで恐くなってくる(爆)。このままではまたお化けが恐くて眠れなくなってしまうので、早々に布団に潜り込んだ。
 自分ではかなり強固な科学主義者で唯物論的な思考傾向だと思っているのだけれど、なぜだかお化けは恐い。情けない奴である。

2000年05月29日(月曜日)

今夜の観望

23時26分 星見

 強い高気圧にでも覆われているのか、今夜もそれなりの夜空だった。シーイングは昨夜とほぼ同じ程度。「メシエ天体クラブ」を眺めながらさそり座からいて座にかけての領域を眺めていった。M7は4等星弱と、メシエ天体としてはすばるについで明るい。低高度というハンデにもめげずよく見えるわけだ。これが天頂に懸かる南半球での眺めは見事だろう。M6は微光星が10個程度見えるくらい。M22はやっぱり分解できない。不思議なのはM8が見えて、同程度の光度のM4がまるで見えないことだ。M8の光度は周囲の散光をあらわしているのかもしれない。M8からM20にかけての眺めは、夏の空のハイライトといえるかもしれない。
 やっぱり大口径の望遠鏡が欲しいと思う今日この頃。

意外!

20時25分 暮らし 天気:晴れ

 会社に近い酒屋さんの駐車場に、電光掲示板形式の看板がかかっている。そこにはその時々の様々なコピーが流れている。今朝見たのはこんなのだった。
 まず「意外!」と出て、一拍置いて「結構おいしい」と出る。そこで通り過ぎてしまったのでその後に続くコピーは確認できなかったが、おそらくなんらかの商品、あるいは産品がドーンと出てくるわけだろう。
 しかし後で気になった。あの後に続くものはなんだったんだろう。「意外」というからには社会通念上誰もがおいしいわけが無いと考えているものだろう。ちょっと考えてみた。
「意外! 結構おいしい 薄口ソース!」やっぱあれだね、カリフォルニア辺りで広く使われているのだろう。濃口ソースの本場はボストン辺り。
「意外! 結構おいしい あのお肉!」いや、"あのお肉"はおいしいに違いない!
「意外! 結構おいしい アマゾン羊羹!」なにせブラジル柔術があるくらいだから。しかし3時間くらいしかもちそうに無い。
「意外! 結構おいしい 納豆リキュール!」こんなのがあったら僕は卒倒するね。
 というわけで応用範囲はかなり広く(どこがだ)これという対象に絞り込めなかった。謎は深まるばかりである。

2000年05月28日(日曜日)

今夜は観望

23時58分 星見

 夕方、外に買い物に出た時に見上げた空はかなりの快晴で、薄曇も最近になく少なかった。
 日が暮れて、さっそくMIZAR20*80をベランダに出した。お久しぶりのからす座方面を眺めた。今宵はかなり細かい星まで見える。北東の重星近辺もくらい星まで見える。シーイングは6/10というところか。スピカでピントを正確に出してやると、小さくきれいな星像が得られた。このMIZAR20*80、たった29800だったくせに良く見える。周辺像は崩れるが、真ん中ではかなりシャープだ。いい買い物をしたと思う。
 さそり座が南中する頃にまたベランダに出た。今夜もM4は見えない(いい加減あきらめろよ)。しかしM6、M7は美しい。特にM7は霞というハンデに負けない眺めだった。
 あいにく、細く刷毛で引いたような雲が現れては消えていく状況だったので、シーイングは絶好ではない。しかしM8も散光は見えなかったが微光星の群れる様は良く見えた。
 100EDでM6を眺めた。MIZAR20*80より多少明るいが、それほどでもない。なによりファインダーが無い事が取り回しを難しくさせている。この点、双眼鏡はとても楽だ。100EDにはやはりファインダーが必要だと感じつつ、今夜の観望を終えた。

今夜のテレビ

23時21分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「世紀を越えて」、"心の病"。近年、続発する巨大事故やテロ、幼児虐待などにより、深い後遺症に悩む人が増えている。なかんずく心の傷は、外からは容易にうかがえないだけに深刻化する傾向にあるという。
 人間は、大きな衝撃を受けると心が変形してしまい、元に戻るのに時間を要する。人間の心は柔軟で、十分な時間をかければ原状に復旧できる。しかしあまりに強い衝撃を受けたり、あるいは回復する暇がないほど続けて衝撃を受けると、回復不能に塑性変形してしまう。これを心的外傷、トラウマという。そしてこのトラウマが引き起こす心の異常な反応をPTSD、心的外傷後ストレス障害という。
 PTSDが引き金となって現れる異常行動の一つが多重人格だ。一人の人間にあたかもスイッチで切り替わるように複数の人格が入れ替わり立ち代わり現れる。多重人格の要因の一つが、個人では対処しきれない衝撃から心を守りたいという欲求だという。『この状況にあるのは自分ではない』と、あたかも傍観するような別の人格を想定することで、自分の心がこれ以上のストレスにさらされるのを防ごうとするのだ。その結果、個人の内部で別の人格が際限なく生成されて行くことになる。
 PTSDは肉体にも強い反応を引き出す。テロによる爆破で強い恐怖を与えられたある女性は、いまでも大きな音に対して押さえがたい恐怖を感じてしまうという。それだけではなく、心拍や血圧の上昇が現われ、理性的な判断が困難になってしまう。
 こうした生理的な反応の原因は、人の恐怖体験の記憶の仕方、そして感情を抑制する脳のメカニズムにあるのではないかと考えられている。人間の脳では興奮を促す機構とそれを抑制しようとする機構がせめぎあっている。前者を扁桃体が、後者を前頭葉が担っている。人は恐怖を感じると扁桃体の活動が活発になる。これが現実の恐怖ならば問題はないが、例えば映画などによる偽の恐怖でも活発になりつづけることは、心に大きな負担を与えてしまい良いことではない。そこでその恐怖が真に存在するかどうかを前頭葉で理性的に判断し、しかるべき抑制を加える。ところが、あまりに強烈な恐怖体験は、脈絡の無い体験の固まりとして記憶されてしまうため、前頭葉で処理できなくなってしまうというのだ。
 PTSDによるストレスは、脳の機能にも障害をもたらす。人間の脳はあちこちの部分がそれぞれの機能に沿って処理した情報を統合して活用する超並列マシンだ。この情報の統合を行うのが海馬という部分だ。ところが海馬はPTSDによるストレスに弱く、長期間にわたってストレスが加えられると、萎縮して機能を減退させてしまうことが知られている。その結果、人の心の統合が緩み、人格乖離や、PTSDが顕著になってしまう。
 これを克服する手段の一つが、かつて受けた強い衝撃の原因となった出来事を言語化することだ。言語化することで前頭葉での判断が可能になり、抑制できるようになる。しかし恐怖体験を思い出すこと事体が苦痛なので、それを克服する作業は容易ではない。
 一方、萎縮した海馬を修復する手段として注目されているのが、セロトニンという物質を投与することだ。セロトニンは人間の情動を平静にする作用があり、海馬にダメージを与えるストレスを抑制することができる。すると海馬の神経組織が回復し始めるのだという。人間の不思議な、しかしすばらしい機能の一つだ。
 セロトニンは投与しなくても人間の脳に自然に存在する。その分泌を促すには、人の心を落ち着かせて平静にしてやることだ。そのことによってセロトニンが分泌され、ますます平静になってゆく。従って心的外傷を負った人の心を癒すには、その平静を取り戻してやるという伝統的で直感的な治療法が正しいことになる。
 以前、自分はPTSDだと主張する人とメールをやり取りしたことがある。以前、NIFTYにいた頃、そのフォーラムの一つで知り合った人だ。その人は周囲と軋轢を起こしやすく、その原因は自分には無いと主張していた。当時の僕は見るところ、その人自身の支離滅裂な主張に周囲が振り回され、当然の帰結として拒絶に遭っただけだと考えていた。自らがどれほど論理的に破綻していても気づかない末期的状況だった。しかしそんな暴走の果てにあったのは、自分を受け入れてくれなかった周囲(主にフォーラムの運営陣)を告訴するという恫喝だった。これでは多くの人が見放してしまうはずだ。僕は多少なりとも説得を試みたのだが、結局手におえなくて引き下がらざるを得なかった。未だに尾を引いている、苦い体験だ。
 僕はフォーラム制というものを憎みつつも、この事態に巻き込まれた運営陣には同情せざるを得なかった。彼ら自身は概ね善意の人々だったからだ。
 しかし、この時どうすれば良かったのだろう。他に道はあったのだろうか。決裂を回避しつつ一人の人間のために他のすべての人々を犠牲にすることも、逆に一人の人間を切り捨ててしまうこともしないで済む道は無かったのだろうか。経済効率とか社会正義というものがそれぞれ登場してくると「無い」という事になってしまうのだろう。しかし粘り強く対話を続けていけば、何かしらの進展があったのではないか。
 その時、一番いけなかったのはフォーラム制の官僚主義と経済効率を押し付けたNIFTY自身、そしてそれを求めて一連の事件を黙殺し早く無いものにしたいと無言の圧力をかけた一般会員ではなかっただろうか。それぞれが当事者同士の解決に時間を与えなかったことが、無惨な決裂へと至ったように思えてならない。せめて周囲の人々が双方の対話継続に好意的な反応を示していたらと思う。彼らに時間を貸してあげられたならば。こんな風に責任が運営陣に集中してしまうことがフォーラムという官僚制度の限界であり、それを越え得なかったことがそのフォーラムを構成していた人々の限界だったのだろう。
 しかしなぜ対話の継続というサインを出せず、むしろ阻害する方向へとサイレント・マジョリティは動いたのだろうか。僕はそこに心の病への根強い無理解があると思う。先のPTSD(と主張している)の人は、元々論理的に支離滅裂なのではなく、感情をまったくコントロールできないのだ。だからこそ大量の感情的記号を含有した文書ばかり書いていたのだと推測する。従ってその人に対して必要だったのは受入れること、それが不可能ならば好意的に中立する事だったと思う。心の平静を取り戻す時間を与えてやるのだ。この両者が困難なのは言うまでもない。支離滅裂な主張を繰り返し、論理的な矛盾を指摘しただけで攻撃してくる相手には、中立でいる事さえも難しい。しかし精神の病とはそういうものだ。バランスを失った精神は退行するか、攻撃的になってしまう。そして僕たちは大なり小なり同じ病を抱えている。それが顕在化しやすいかどうかの違いでしかない。だから拒絶は、その場に心の病への拒絶という負の遺産ばかりを残してしまい、僕たち自身に病の顕在化への恐怖という新たなストレスを付け加えてしまう。
 継続する事は重要だ。しかし支離滅裂な要求は拒絶しなければならない。受入れつつはね付けるという態度をじっと我慢しながら続けなければならない。聖職者以外には不可能そうに思える。
 しかし多くの人が少しずつ分け合えばどうだったろう。何万人も要らない。せいぜい10人ほどが参加すれば事足りたのだろうと思う。それには心の病に関する深い理解までは不要だ。自分もその一人かもしれないという共犯関係への認識と、少しばかりの同情が必要だったのではないだろうか。もしもそんな事が可能だったならば、フォーラム制にだって少しは価値があったのにと残念に思えてならない。

強風一過

17時20分 暮らし 天気:くもりのち晴れ BGM:愛をあきらめないで/伊藤銀次

 昨夜の雨と強い雨はどこへやら、今日は五月晴れというにふさわしい天気だ。こういう天気の日には、伊藤"いいとも"銀次の「愛をあきらめないで」という曲を思い出す。五月になるとなぜか聴きたくなる曲だ。
 さて、東京方面に出かけようかなと思ってはいたが、100EDにつけるファインダーはどういうのが良いのだろうとか、アイピースに何を買おうとか考え始めると、全然何を買えばいいのか分からなくなってきた。無駄な出費は控えたかったので東京方面は止め。逆方向、湘南台に出かけた。
 本屋、PC屋を回ったがめぼしいものは無い。その後でダイエーに寄り、前に会社からもらった商品券で少々買い物をした。買ったのは超小型扇風機、掃除機、タオルケット、靴。現金を使わずにすんだのはありがたかった。この超小型扇風機、中国製の2000円ほどの物で、クリップで机の端などに留めるタイプだ。これでも強弱の切り替えと首振り機構が着いている。しかしこいつをPCと同じコンセントに挿すとノイズが凄い。電源は分けなければならない。

2000年05月27日(土曜日)

雨なので観望はなし

23時19分 星見

 強い風とともに雨が振り込んでくる。ちょうどベランダの近くにLANのHUB、テレビのアンテナ分配器が転がっていて、水に濡れてしまった。さらに近くのコンセントも水にぬれているのを発見したときは、かなり恐怖した(笑)。幸い、通電部にはかかってなかったようだ。明日もこの天気では、出かけるのも嫌になる。

じっとしている週末

22時17分 テレビ 天気:雨

 昨日から天候が悪く、せっかくの週末だというのに星空観望できない。かなり欲求不満気味。
 こういうときに秋葉に出かけると馬鹿買いしてしまうので、自宅でじっと我慢。とりあえず少したまり気味だったビデオ録画分を見る。
 C.C.さくら。さくらの学級の学芸会を前後編で。小狼め、ますます色気づきやがって(笑)。りりしい王子様のさくらとキュートなお姫様の小狼......ケロじゃないが男の子と女の子の役ぐらい分けとけ~! さくらのこととなるとすぐ妄想に走る知世様もよいですわっ☆
 グルグル。ククリの出生の秘密が、今暴かれる! ククリへの遺産を豪快に売り払ってしまった一行の運命や如何に? 幼児退行するククリがそそる(なにをだ(笑))。キタキタ親爺はますます妖怪じみてきたぞ。
 「東寺平成の大改修」。これは先週撮っておいたNHKの番組。空海建立の東寺が大改修されることになり、その仏像たちが修復される過程を追ったドキュメンタリー。これら平安初期に中国の強い影響下に作られた仏像たちは、過去何度かの改修により本来の姿を失っているという。今回の修復ではそれらの改修の悪影響を除去し、本来の姿に戻すことが目論まれた。例えば明王像の一つは表面に塗られた漆のために、平安期の表情を失ってしまっているのだという。厚さ1mm程度というのだからそんなに厚くなさそうだが、それでもその下の表情を塗りこめてしまう。逆にいえば、本来の表情がいかに微妙な凹凸で表現されていたかが分かるというものだ。
 NHKスペシャル、「密輸オランウータン故郷に帰る」。オランウータンはワシントン条約で輸出入が禁止されているが、そのことが闇市場での価格を吊り上げ、密輸出入が絶えない。最近、日本でも大阪のペットショップでも4頭のオランウータンが保護された。このペットショップ、広告にご禁制のオランウータンを堂々と載せていたというのだから、まったく神経を疑う。しかしこのことを裏返せば根強いニーズがあるということでもある。こんな高価なペットを買う方も、ワシントン条約に関して無知であるとは思えない。確信犯だろう。まったく、頭がどうかしているのではないだろうか。
 一度人に馴れたオランウータンを野生環境に帰すのは容易ではない。一つにはこうしたオランウータンたちが幼い頃に母親と引き離され、生きるために必要な知識を学べなかったという点がある。恐らく、母親は密猟者に殺されたのだろう。一匹の密輸オランウータンには、必ず一匹の母猿の死が付きまとっている。つまり、日本で密輸オランウータンを購入した人は、最低でも一匹の死に関与していることになる。この場合、無知であることは許されないことだ。多くの無知は罪ではないと思うが(つまり価値中立的)、この場合の無知は明白に罪だ。一人の満足感が、それ以外全てにネガティブな影響をもたらしているのだから。と、ここで僕が怒っていても仕方ないが、なんともやりきれない話だと正直に思う。オランウータンがここ数年で半減するほど生息状況が悪化していると聞けば、なおさらのことだ。
 さて、こうして生きる術を学ぶことが出来なかったオランウータンに、森で生きていく術を教える施設がある。元々は年々減少する森から追われた猿たちを保護する施設だったのだが、近年は密輸されたオランウータンを再教育することが多い。以前この施設のレポートを見たときは、確かに森林火災で云々というところに主眼が置かれていたと思う。
 猿たちは木登り、食餌の確保だけではなく、猿同士の付き合い方も学ばなければならない。例えば、Play Fightという行動は、模擬的な喧嘩を通じて猿同士の社会的地位を確認しあう行動だ。しかし一匹で育ってきた密輸オランウータンにはこれを学ぶ機会が無かった。猿同士のぶっつけ本番の付き合いの中で学んでいくより他に無い。また幼少時の生育環境から、木に触れることを怖がったり、神経症を患ったりする猿も多い。オランウータンが人間に近く、かなり社会的で精神的な生き物であることが良く分かる。これらの障害を乗り越えてオランウータンを森に帰す地道な作業が続いてはいるが、生育環境の悪化という大原因が手付かずである以上、焼け石に水というのが正確なところだろう。このままオランウータンが消えてしまうのだとすれば、人類が犯した大罪リストにまた一つ、大きな項目が付け加えられることになるだろう。やがて悲しい結末を迎えてしまうのだろうか。

2000年05月26日(金曜日)

結構ピンチ

22時16分 暮らし 天気:くもり

 結構ピンチってのも考えてみれば変な表現だが、確かにピンチだ。財政的に。
 手取りと生活費を見比べてみると、ほとんど遊ぶ余裕が無い。これではミューロン180を買えない!
 ってことで、こういう場合の常套手段である食費の切り詰めに走ることにした。切り詰めるとはいえ抜くことは出来ない。例えば朝食を取らないと、午前中はほぼゾンビになってしまう。ということで単価を下げるしかない。
 幸い、会社の社員食堂は朝夕晩と三食やっていて、ご丁寧に全て食費補助がつく。少なくとも朝食は使えそうだ。夕食は元々軽くしか食ってないので、そもそもこれ以上は切り詰められない。案外に朝食に金を使っているのだった。

2000年05月25日(木曜日)

久しぶりに観望できた

23時14分 星見 天気:晴れ

 仕事が長引いて帰宅したのは日付が変わる頃だった。帰り道、空を見上げると存外に暗い。高高度に目をやると、肉眼でも星が光っているのが見える。これは期待が持てそうだ。
 帰宅して洗濯しながらベランダに出てみると、確かに昨夜よりも星がくっきりと見える。早速観望態勢を整える。MIZAR20*80を出し、この間買った折りたたみ椅子でその背後に陣取った。をを、これは楽だ。0から60度くらいの高度は無理なく見渡せる。この三脚のエレベータは短いのだが、その範囲で充分対処できる。
 アンタレスに向け、ピントを出してやると、最近に無くくっきりとした星像になった。そのままM4を探したがやはり見つからない(しつこいな)。やはり大口径を買うしか。
 風呂に入り、再び観望を続けた。部屋の照明を落とし、ベランダで真っ暗な近所を眺めて目を慣らす。普段は部屋の電気を全て落とすとお化けが怖いのでマメ球をつけて寝るほど怖がりなのに、こういうときにはまったく気にならないのが不思議だ。
 目がそれなりに慣れてくると、さそりの尻尾辺りがようやくくっきり見え始めた。空の透明度はやはり悪くない。高くも無い。街の明かりを受けて、夜空が少し青く光って見える。
 M7に向けた。最初、隣家のアンテナに隠れて見えにくかったのだが、少し時間が経つとようやくその全貌が浮かび上がってきた。今夜見える微光星はそう多くは無いが、久しぶりに見るので味わい深かった。少し瞬いてる感じがあるのでシンチレーションは良くないようだが、強い風が春霞を吹き飛ばしてくれたようだ。シーイングは6/10というところかな?
 M6もパラパラと見える。さらにM8も微光星が固まって見える。南中しているので少し高度が高く、大気の影響を受けにくいのが良かったようだ。M22はかろうじて存在が分かる程度だ。さらに高度の高い天の川方面に目を向けると、小さな星が敷き詰められている様が目に飛び込んできた。今夜はそれなりの観望だった。やれば出来るじゃないか、春の夜空!
 明日も朝一から仕事なので1時間ほどで片付けたが、昼間の疲れも吹っ飛んでしまった観望だった。

2000年05月24日(水曜日)

ちょっと観望&暗闇に思うこと

23時13分 星見

 夕方、空を眺めると相変わらずの春霞の空だ。このまま入梅してしまうのではないか知らん。21:00くらいの空も煙っている。
 真夜中、さて寝ようかと思ってベランダに出たら、東に月が出ていた。それが昨夜のような赤い月ではなく、かなり黄色っぽい月だ。なんとなく昨夜よりは期待持てそうな月だったので、ワイドビノで空を眺めてみた。さそり座は案外にくっきり見え、南斗六星もけっこうくっきりと見える。少し空をのぞいてみる気になった。
 いつもならベランダに双眼鏡なり望遠鏡なりを持ち出すところだが、今夜は真正面の家が窓を開け、涼を取っているのが気になった。覗きに間違われるのは嫌だし、隣家の住民もいい気分ではないだろう。そういうことならと、MIZAR20*80を担いで外に出た。
 その三脚を近所の路上に設置し、さそり座方面に双眼鏡を向けた。うーん、やはりいまいちボケたような夜空だ。やはり透明度が低いのだろう。もう一つ、街灯が明るくて目が充分暗順応できないというのもありそうだ。近所に開けたスペースがあるのだが、生憎なことに近くの自販機の明かりが眩しすぎるくらい明るい。都会で暗い空を得るのは難しいことなのだ。
 街灯や自販機の明かりを見て、その明るさが防犯に役立っていると思っている人もいるようだが、そうでもないのではないか。人間の目は暗いところではその暗さに順応してちゃんと視界を得るという優れた機能がある(これが暗順応)。ところが、暗い中に明るい光源が点在するという状況では、この暗順応が充分働かない。暗順応の反対に明順応という機能もあるのだが、この明順応は暗順応の何倍もすばやく機能する。そのため、前述のような状況では目が光源に向けられるたびに高速で明順応してしまい、次に暗い領域に入ったところでは暗順応が進まず、充分な視界を得られないことになる。暴漢がいれば余計危ないし、そうでなくても足元に何があっても気づかないことになる。
 解決策の一つは膨大なエネルギーを費やして全ての闇を駆逐してしまうことだ。しかし都市の消費するエネルギーは周囲の環境に確実にダメージを与えている。都市の照明のため、夜空を行く渡り鳥が迷子になるという事例もあったと思う。
 そのように周囲にダメージを与えかねない方向に進むより、ここは後退する勇気をもって都市の闇を復活させるべきだと思う。都市には重点的に照明すべき場所と、その必要が無い場所がある。夜間でも営業している店舗などは前者の範疇に入るだろうが、その場合でも遠距離に照明が届かないように配慮するべきだ。後者は一般の歩道などで、ここでは今のように街灯を増やすことではなく、目にまぶしくないような種類の照明を採用し、なおかつその間隔を充分に取ることが必要だ。
 えらそうに書いてきたが、これらは暗い夜空を取り返そうというダークスカイ協会の主張を、僕が理解したままに書いただけだ。しかし天体観望の趣味を得たからというのもあるが、引越しの度に人が自然環境を駆逐してしまう現場に立ち会うことになってきたので(ようするに街のはずれの田舎に住むことが多かったというだけだが)、こうした主張にはほぼ同意できると思う。天の川が見えないなんて、寂しくありませんか?
 結局、その自販機の近くでは東天の視界が充分得られなかったので、双眼鏡を高高度に向けて他の星座を見ようとした。が、この雲台では70度以上の視角は得られないのだった。手持ちではさらに見えない。シーイングの悪さもあって、結局今夜の観望も不完全燃焼のまま終了。

マシン停止

20時12分 暮らし 天気:晴れ......だと思う......

 朝、前日の出張疲れで深く寝入っていた俺様は、不快だがきっぱりした目覚めを迎えた。
 暑い。
 冬場に買った羽毛布団を頭から被って寝ていたのだが、部屋の中にいつの間にか暑気が侵入して、暑さにうなされながら寝ていたらしい。寝室には他の部屋のように電子機器がないため、いつもならむしろ朝方は涼しいくらいなのだ。ところが昨夜は、風が強くて障子を揺らすので、風の抜け道を作るために少し開いておいた。そこが暑気の侵入経路となったらしい。
 居間(というかマシン室というか)には暑気というより熱気がこもっている。朝方風が止み、気温が上がるにつれてマシンの熱気もこもるようになったと思われる。これでは昼間に熱暴走する可能性も否定しきれない。第一、帰宅した途端に、部屋にこもった熱気を浴びるのは嫌だ。
 というわけで、引越し以来連続稼動していたPC群の電源を、出勤前に落としていった。4台のデスクトップPCが停止するとこれほど静かになるとは(というか普段うるさすぎ)。
 帰宅すると今度はマシン群を再立ち上げする仕事が残っている。WindowsやOS/2はともかくとして、このLinuxな機械はソフトウェアRAID絡みで呪術を使わなければならないのではなかったかな。なにせ何カ月も連続稼動させていたので、以前の起動手順を思い出せない(爆)。ええい、ままよとばかりに起動すると、しかし案外にあっさり起動した。MOでエラーが出ているようだが、これもやはり呪文を唱えなければならなかったかな。単に認識できる領域(要するに媒体)が入ってないので文句をいっているのかもしれない。
 ともあれ、全部の機械をいちいちON/OFFするのは面倒なので、OS/2な機械だけ付けっぱなしにしようと思う。ここにはD-netのパーソナルクライアントがあるので、あちこちに分散しているノートPCからアクセスされる可能性がある。またメールなどはこの機械を使っているので、帰ったらすぐ使える体勢のほうが良い。

2000年05月23日(火曜日)

空が曇ってるなあ

23時11分 暮らし

 帰宅してベランダに出てみると、空は晴れているのだが、霞がしっかりとかかって明るい星しか見えない状況だった。
 日付が変わる頃にまたベランダに出て空を見上げたが、霞はさらに濃くなっていて明るい星さえもほとんど見えない状況だった。月もくっきり見えはするものの、不気味な赤い月になっていた。霞に短い波長の光が散乱してしまったのだろう。早々に就眠した。

久しぶりに超早起きで名古屋へ

22時09分 暮らし 天気:晴れですか

 今日は名古屋で教育を受けるために、日帰りで出張する必要があった。朝の8:50には名古屋は新栄にいなければならない。よって朝4:30起床なのである。
 空が白む頃に起き出して、簡単な朝食(スパ王)を5:30の地下鉄に乗るべく立場駅に向かった。地下鉄にはこんな時間なのに案外に乗客が多い。戸塚と名古屋の間では席は全て埋まり、立っている人も多いくらいだ。
 6:30のひかりで名古屋に。乗り過ごすと大変なのでしっかり目を開け、音楽を聴きながらの旅だ。名古屋には8:00過ぎにつき、新栄町には20分には着いた。
 新栄のビルにあるにあるわが社の教室に入るが、誰もいない。前の黒板には10:00から授業開始である旨が書かれていた。時間を1時間あまり間違えていたらしい(図らずも笑)。仕方ないので近所の喫茶店でモーニングサービスを食いながら一昨日分の日記を書いた。340円でコーヒー、トースト、ゆで卵、サラダまでついている。あいも変わらず名古屋恐るべしである。
 10:00になって授業が始まった。授業内容はWindowsNTの導入とやらで、文字通りインストールして初期設定をするというものだ。そんなことは散々やってきているので半分寝ながらでも楽勝だった。しかしまったく無駄な授業だったかというとそうでもない。ユーザ管理などは自宅で使う限りほとんど必要じゃなかったので、ここで体系的に学習して初めてよく分かった部分もあったのだ。
 昼飯は地下鉄の駅近くに出来ていた藤一番でラーメンを食らった。
 定時に終わってさっさと帰宅しようと名駅に着いたが、空席が19:00の便しか無かったので、それまでは暇つぶしに名駅地下の三省堂をうろついた。さらにホームできしめんを喰らう。今日は3食麺類である。
 19:00の便で新横浜に帰り、そこからうんざりするほど接続の悪い横浜線、京浜東北線、東海道線を乗り継いで、戸塚から地下鉄で帰宅した。

2000年05月22日(月曜日)

さっさと寝るダス

23時09分 暮らし

 明日は名古屋に日帰り出張で、起床はなんと4:30。5:30には地下鉄に乗らなければならない。22:00には布団に入った。

そろそろ暑

19時07分 暮らし 天気:晴れかな

 少々気温が低いという日でも、熱気が部屋のこもることが多くなった。なにせ、我が家のPCは全部が全部24時間運転だから。RC5-64暗号のクラックを試みているのだ。って人聞きが悪いな。そういうコンテストがあるんです。
 夏場のことを考えてデスクトップPCは全てエアコン直下に集めてあるが、昼間は会社に出かけてる間にエアコンつけっぱなしというのは、さすがに気がひける。隣室の住民に「死体でも保存しているのか?」と疑われかねないご時世だ。
 ところでこのRC5-64クラッキングコンテストでは、僕はDistributed.netに参加している。というか、この暗号破りコンテストに参加している人の大半は、研究者でもない限りここに所属するだろう。このD-netは、世界中の参加者の所有するPCにクライアントプログラムを埋め込み、それをデータ集配機能を持つD-netのサーバと適宜接続しながら、各クライアントでプロセッサの空き時間を利用してデータを処理しようというものだ。なぜ暗号破りを試みているのかというと、様々な暗号体系の中でのRC5-64の強度を検証し、それを元に米国政府が課している暗号技術の輸出規制を撤廃させようというのが狙いなのだ。
 ところでこの一般ユーザの機械でデータを分散処理しようという方式は、seti@homeでも取り入れられているものだ。参加者数はseti@homeの方が多いが、時期的にはD-netの方が早い。またseti@homeの標準クライアントがスクリーンセーバーとして実現されているのに対し、D-net側は一種のデーモンとして動作し、プロセッサの遊休時間を見つけるたびに小刻みに処理を実施していく方式だ。遊休時間を使用するという観点ではD-netの方がより効率的に思える。問題は各自の環境への悪影響だが、これも洗練が進んだ結果ほとんど影響が無いレベルまで進歩している。というか、ここ1年ほどの間に、システムにダメージを与えるような悪影響はまったく無かったといっていい。
 地球外文明の探査も夢があると思うが、現実に全てのユーザが利益を蒙るだろう暗号規制解除につながるD-netのチャレンジも、やはり同じくらい重要だと思うのだ。なにせ、地球外文明があるかどうかは分からないのだから(個人的には無いかもしれないと思っているのだが)。

2000年05月21日(日曜日)

観望なしです

23時50分 星見

 今夜もくもりですね~。ということで観望なし。プンプン(`-´)

世紀を越えて

23時04分 テレビ

 今夜の「世紀を越えて」は脳死患者からの臓器移植をめぐる話題。
 脳死患者からの臓器移植は日本でこそ始まったばかりだが、欧米では既に日常化しており、毎年数千人の患者が臓器の提供を受けている。
 冒頭、脳死した男性から臓器を次々に摘出する現場が映し出されたが、まさに人間の部品取り、いや解体工場という感じだった。今や臓器だけでなく骨や皮膚まで利用されている。
 欧米では肉親の同意があれば臓器提供が可能なため、このように臓器移植が盛んになり、それが医療技術の発展につながってきたのだ。
 しかしこうした臓器移植の普及の陰で、提供する側と提供される側ぞれぞれの問題点も浮き彫りにされつつある。
 アメリカに住むある外科医は、重い心臓疾患に苦しめられた末、臓器提供を受ける事を決意した。そして提供を待つ間、彼には奇妙な性癖が現れたという。強盗や事故、火災といった悲惨な記事を追い、肉体は健康でも脳死を迎えた人を探すようになったのだ。それは彼には「ごく当然のこと」だと思っていたという。
 やがて心臓の提供者が現れ、彼は死の時期と宣告された3ヵ月前に移植を受け、そしてかなりの健康を取り戻すことが出来たという。
 しかし移植された心臓は彼に健康をもたらすと同時に、心の問題をももたらすことになった。
 移植された心臓は血管などの接続はされているものの、収縮パルス自身はペースメーカーで作り出しているようだ。そのため、心臓の鼓動は彼の心の動きとは独立して常に一定だ。奇妙なことだが、まるで一体感が感じられないという。「まるで体の中にエイリアンがいて、自分の生死を支配しているようだ」と彼は語る。
 さらに、自分が生きているのが正しいことなのだろうか問う疑問も拭いがたいものになる。一人の人間が死んで、一人の人間が生き長らえる。しかしなぜ提供者が死に、彼が生き延びることになったのだろう。そういういささか抽象的な悩みにも苦しめられた。彼は同じ悩みを抱いているだろう受領者の相談に乗るカウンセリングのボランティアにも関わっている。
 臓器移植は盛んになってはいるが、需給のバランスはいまだ需要の側に大きく傾いたままだ。脳死という概念を受け入れてきた西欧諸国では、もっとも大きな供給を見込める提供者、すなわち脳死者のうち、臓器提供に同意した割合を増やすためにあの手この手を尽くしている。
 オランダでは18歳以上の国民すべてに同意書を送付し、同意、拒否、同意の形態、そして提供する臓器などを決めさせる試みを続けている。国民はこの同意書をいつまででも保留できるのだが、それが大きな誤算を生んだ。いつまでも提出しない人が多いのだ。そのため、イタリアなどでは3ヵ月以内に提出することを義務付けている。しかもイタリアの場合、その後の同意内容の変更はかなり難しく、なおかつ一度提供を決めたらどの臓器を提供するか本人には決定権がない。これはイタリア憲法で国民は公共に尽くすこと、国家は国民の健康を国益として重視することが謳われているからだ。それにしても、これほど強制力を持つ法律を、しかも臓器提供という議論の余地が大きい分野で成立させるというのがすごい。日本ではまず成立しないだろう。しかも、これらの法律が成立している地域は復活の奇蹟を重視するカソリック圏なのだ。死体損壊に対する抵抗は、日本などよりもむしろ大きかったのではないか。これらの地域の政治にキリスト教が大きな影を落としているのは間違いないが、それを超克して新しい認識を切り開いていこうという西欧諸国の姿勢には、日本は学ぶところはあっても教えるものは何もないような気さえする。
 その西欧圏でも、脳死者からの臓器移植が一般化するにつれ、提供者の家族の提供を受けた人たちの事を知りたいという願いが顕在化してきた。
 元々、臓器移植では提供者と受領者のそれぞれが秘密にされる原則があった。臓器提供はあくまでも人の善意によるものであり、それがビジネスや他の関係を生み出してはならないと考えられている。だから双方に深い関係を築かないほうが良いだろうと考えられてきたのだ。しかし提供者の家族の「知りたい」という願いを無視しつづけるわけには行かない。提供者の脳死という最期をどうしても受容できない家族は数多くいるからだ。
 次男の臓器提供に同意したある家族も、それ以来次男の臓器の行き先を知りたいと願い、コーディネータに働きかけるようになった。当初、コーディネータからは、それぞれの臓器の提供を受けた人々の簡単なプロファイルが伝えられただけだった。しかし家族の方は次男の"死"にどうしても納得できないものを抱きつづけざるを得なかった。
 増えつづけるこうした声に、コーディネータたちも従来の方針を転換せざるを得なかった。様々な問題は考えられるものの、心の問題を放っておくことは、臓器提供という行為自身に悪影響を与えかねないと考えられたようだ。結局、双方に念書を取ることで対面を実現することにしたのだ。
 先の家族は、何人かの受領者の中から一人の女性に会うことができた。心臓の提供を受けたその女性も対面を希望したことから、ついに対面が実現することになった。
 提供者の母親は、感動的な対面の場面でその女性と抱き合った。「心臓が脈打っているのが感じられた」と母親は喜ぶ。彼女の息子の心臓は、別の生命を確かに支えている。
 ところが対面を果たした母親の認識は、ある部分で変化を遂げた。彼女が会ったのは他人に渡った息子の心臓なのではなく、息子の心臓を受け継いだ一人の女性なのだ。そのことを感じた母親は、ようやく息子の"死"を受け入れることができそうだという。
 僕が思うに、一人の個人から肉体の一部を部品のようにして取り出すというやり方は、今だけの一時的な方便に過ぎないように思える。クローニングや遺伝子改変技術のおかげで、別の動物から部品取りをするという技術が登場するのも、もう間もなくのことだと思える。恐らく、人間からの部品取りという抵抗の大きい方法にとった変わるのも、そう遠くない日のことだと思える。
 しかしたとえそうであっても、一人の人間の"部品"で別の人間が生き長らえるという事実が今あることに変わりない。それを一時の異常な現象ではなく、人間の生命をめぐる紛れもない一つの真実として考えることを怠りたくはないのだ。

近場に出かけよう

18時04分 天気:くもりと晴れの遷移状態

 雨が上がった。空を見上げると雲が多いが、所々青空が見えて、そこだけは五月にふさわしい濃い青空だ。ちょいと出かけた。
 部屋を出た瞬間はいずみ中央からいずみ野の図書館にでも行こうかと思っていたが、立場駅が見えるとそっちに足が向き、湘南台の方に出てしまった。こっちの方がいろいろあって便利なのだ。
 湘南台の図書館では政治関係の書棚でいろいろ読み漁っていたが、異常に熱心に棚を眺め、本を次々抜き出している中年男性に気兼ねして、早々に移った。といっても三歩横に移動しただけだが。この人は要するに政治ヲタクなのだろうか?
 その三歩歩いた場所にあったのが、立花隆の「日本共産党の研究」。手に取って読み始めたが、いや面白いのなんの。高度なジャーナリズムと良質のエンターテイメントは両立しうる事を示しているのだろう。戦前、治安維持法下の共産党というアンダーグラウンドにしかなり得ない存在が、戦時色が濃厚になっていく日本でどうあがき、自滅していったかを解明した大著だ。文藝春秋連載当時から日本共産党自身との激烈な論争(といえるものではなく中傷に過ぎなかったのが残念、と立花は述べているが)を経たこの書は、版を重ねるごとに手が加えられ、戦前の国内共産主義史を研究する上での原典足りうるものになっている。非常に精緻に証拠を集め、確実な解釈を取り、そして新たな思考へと導いていく。一説には、'80年代に入っての日本共産党の退勢は、この本が与えたインパクトによるものだとさえ言われる。田中金脈に対する執拗な追跡が時の総理大臣を退陣に追い込んだことと思い併せれば、立花隆まことに恐るべしとしかいいようが無い。しかも、立花の筆致はなおも中立的なのだ。
 面白いのはその批判本が(主に日本共産党周辺から)山のように出版されていることだ。それほど痛いところを突かれたのだろうかと思いたくもなる。しかし今も論議に耐えうるほどの価値をもっているのは、当の「日本共産党の研究」だけだ。
 図書館は5時閉館なので、その前に出た。
 その足でPC屋に寄り、さらにダイエーの5Fをうろついた。なんとなくFMラジオが欲しかったのだが、思ったより高かったのでやめた。ここでは大皿と食器棚、そしてレジャー用の折りたたみ椅子を買った。折りたたみ椅子は観望の際に使用するつもりだ。

2000年05月20日(土曜日)

今夜も観望不可かよ

23時12分 星見

 夜、ちょっと横になっていたら翌日にワープしていた(爆)。NHKの9時から深夜にかけては面白そうな番組が並んでいたのだが。
 久遠さんとこのチャットに顔を出して、外をうかがうとまだ雨だった。気落ちしつつ就眠。

またしてもなにもしない週末

21時11分 暮らし 天気:雨

 今日は東京方面に行こうかなと思っていた。水道橋の誠報社に行ってみようかと思っていたのだ。しかし朝、寝床でぼんやり天井を見上げながら、やっぱりやめようかなと思い始めた。我がワールドスタンダードレベルというべき優柔不断が始まったのだ。
 正直、金が無いからなと思った。連休中にちょいと使いすぎた。正確には現金が手許に無いわけではないが、これを使うと来月もまた勢いで散財してしまいそうな怖さがあった。ここらで生活を引き締めなければ。
 結局、前日から降り続く雨もあり、この日は日がな一日中ぼんやりと過ごすことになった。
 世の中にはなにもしないと称しながらも本を読みふける不逞の輩がいるようだが、僕の場合は正真正銘なにもしない。本さえも読まないでボーっとしているのだ。テレビも見ない。ただ雨の音を聞きながらいろいろ考えている(ようするに妄想している)。妄想は最も金のかからない娯楽です。
 夕方には、さすがに足腰がなまりそうだったので、雨が小降りになったのを見計らってスーパーで買い物をした。今夜は焼肉でも、などと考えていたのだが、買ったのはなぜか麺類ばかりだった。

2000年05月19日(金曜日)

今夜の観望はなし

23時11分 星見

 夜更け過ぎに雨が降り始めて。今夜も観望はなし。

新しい望遠鏡が欲しいなあ(またかよ)

21時10分 星見

 天文雑誌を眺めている。あまりに晴れない空に嫌気がさして、そろそろ妄想の世界に逃避しつつあるのだ。
 この間からコンパクトな赤道儀が欲しいとかなんとかいってたのだが、よくよく考えてみると頑丈な経緯台があれば十分ではないかと思い始めた。見たいのはだいたい星団の類で、観望は100倍以下の低倍率になる。高倍率で惑星や月を見る場合は、GP赤道儀で十分だ。経緯台ならばかなり軽くて丈夫なはずだ。
 そういう目で見てみると、広告に経緯台が載せられている例は少ない。わずかにタカハシが数種類販売しているだけだ。しかしこのタカハシの経緯台、かなり頑丈そうだ。価格は結構する。
 その経緯台と組み合わせた商品の一つに、ドール・カーカム・カセグレン(なんちゅう長い名前だ)式のミューロン180と組み合わせた商品があった。鏡径180mmとなると、かなり明るそうだ。それに見るからに取り回しが良さそうなのだ。これに2インチアイピースを組み合わせた物が24万円。経緯台だけで7万強することを考えれば高くはない。このミューロン、見え味がいいという評判なのだが、この価格なら8インチのシュミカセも買えそうなのでちょっと躊躇している。今あるGPに8インチの鏡筒だけ買って載せれば一番安上がりなのだが。
 なんとなく目的を見失いつつあるな。てへっ。

週末にホッと息をつく

20時09分 暮らし 天気:雨っぽいな

 また週末が来た。会社勤めの重圧が一気に緩み、またハチャハチャな生活パターンが現れる。今日も帰宅してすぐ寝てしまい、起きたのは真夜中という体たらく。寝る前には多少の雲の切れ目があったのだけど、起き出すと既に半ばを覆い、やがて完全なくもりになった。なんでも雨になるということだ。

2000年05月18日(木曜日)

久しぶりに星を見るつもりだった

23時07分 星見 天気:晴れ時々雨

 昼間に多少雨が降ったりしていたが、帰宅する頃にはすっかり止んで雲が切れていた。帰宅してベランダに出てみると、既に月が浩々と地上を照らし出していた。既に満月になっている。月が相手なら100EDだ。ベランダに持ち出した。
 満ちた月は陰影に欠けるので、ティコやケプラーから伸びる筋を愛でよというのがスカイ・ウォッチャー誌のお勧めだ。素直に従うことにする。
 それにしても、遠く離れた地球からもあんなにはっきり見えるほどの跡を残した隕石の衝突とは、大層な見ものだったことだろう。それが地球に起きる可能性は、今のところ世紀単位では少なそうだが、数百万年に一回程度は発生しているらしい。
 目を危機の海周辺にやった。満月期には月の周縁部の陰影が良く見えるので、スカイ・ウォッチャー誌を参考にしばらく眺めてみた。地上プリズム+天頂プリズムという変態的な組み合わせでの使用を強いられているせいか、160倍程度の大倍率では今ひとつ像がはっきりしない。要するにプリズムを4つも通過しているせいだろう。早く適当なアダプタを買わなければ。
 月を見るのにも飽きてきたので、次にMIZAR10*42双眼鏡を使って満月の真下にあるさそり座を眺めた。満月の猛威の前に、アンタレスなど主要な星以外ははっきり見えない。さそりの尻尾の辺りにあるはずのM7もまったく見えない。これはMIZAR20*80双眼鏡でも同じだった。月をワイドビノで見ると嵩がかかっているように見えたので、どうも薄雲が空を覆っているようだ。この季節はすぐにこうなるから辛い。
 今度は20*80で月を眺めてみた。まぶしいほど明るかったが、意外なことに100EDで30倍で眺めた時よりも辛くは無かった。光源(月)が小さいので、目への負担が少ないのかもしれない。またちゃんとした正立像で見えるので、100EDの裏像でのぞいたときよりも、月の地形図を参照しやすかった。
 薄雲が切れず月も明るすぎて、いて座はいまいちはっきり見えない。もうしばらく月を眺めて就眠した。

2000年05月17日(水曜日)

じめじめ

21時06分 暮らし 天気:くもりのち雨

 からっとした五月晴れなんぞは幻かと思うくらいはっきりしない天気が続く。まあだいたい晴れかもしれないなー、という感じの空模様ばかりだ。
 湿度の高さに心配なのが羽毛布団と書籍類だ。羽毛布団は天日で干せないので陰干しするのだが、この高湿度では干すうちに入らない。布団乾燥機が欲しいところなので、近々ダイエー辺りで見繕ってみるつもり。
 しかし、夜はさらに晴れないな。

2000年05月16日(火曜日)

観望できない

23時05分 星見

 今夜もくもり。本当に夜になると真っ白に曇ってしまうものだ。今夜も観望はなし。

ともに生きる

20時04分 思考

 僕たちは様々な身体的機能差を持つ人々と共存している。なぜかこのところ足を骨折した人を街中でよく見かけるのだが(スキーで足を挫いたのかな)、こうした人々は一時的な身体機能差を獲得したと考えるべきだろう。職場には事故かなんかで片腕を切断してしまった人もいる。
 なかでも不自由そうなのが視覚障害者だと思う。目が見えているのならば、自分の能力に合った行動パターンを選ぶことで、危険を低減できることだろう。しかし目が見えてないと、自分の現在位置を見失ってしまえば、今自分が危険なのかどうかさえもわからなくなる。人間の生活に視力による検証というものが濃厚に盛り込まれている以上、もっとも割を食うのが視覚障害者だろうと思うのだ。
 東京かどこかの鉄道で、視覚障害者が発車直後の車両に引っかかり、数十メートルも引きずられて大怪我をするという事故があった。被害者はこの鉄道会社を告訴している。鉄道会社は一応点字案内板と点字パネルを巡らせてはいたのだが、それは視覚障害者の事故を防ぐには不十分だったというわけだ。視覚障害者の事故を防ぐには、車両とホームを分離する柵とドアが必要だと被害者と支援者たちは主張している。ちょうど新幹線の新横浜、新神戸駅のホームの装置が該当するのだろう。
 彼らはこのような装置が鉄道会社に過大な経済的負担を与えるものではなく、また必須のものだと主張している。視覚障害者が今のように狭いホームを安全に通過するのは、利用者の多さとともに確かに困難そうな感じがする。だって、満員のホームの端に立ってる時、すぐ横を列車が発車していくのは怖くありませんか?
 しかし経済的負担が小さいというのはどうだろう。経済的負担というものは負担に見合った効果によって大小が云々されるものだ。この場合、健常者にはさほどうまみが無い。今の方式の制約の少ないホームの方が、様々な行動をとりやすいからだ。歩行障害者にとっては難所になる高さ20cmほどの段差も、それを難なく飛び越えられる健常者にとっては、長さ2mほどのスロープと手すりのコンビよりは好都合なのだ。スロープと手すりの工費は、健常者にとっては無用な負担と解釈しうる。もちろん、その段差に引っかかって転倒してしまうこともあるだろう。しかし日常的に問題なく通行できている健常者は、そのような不測の事態を都合よく忘れてしまえるものなのだ。
 同じように、それなりに運動の自由な健常者にとって、ホームの幅を実質的に狭めてしまう柵は邪魔に感じられるだろう。
 この訴訟に関わる支援者が作るサイトを僕が見たときに感じたのは、なぜだか怒りに近い不快感だった。それは民事訴訟にありがちな「私は悪くない!」「あいつが悪いんだ!」「あいつは社会の敵だ!」というややヒステリックになりがちなトーンを感じ取ったからだというのもある。しかしそれとともに、原告側が主張する「健常者へのメリット」が胡散臭く感じられたからだというのもあったのだ。要するにそんな負担は不要なのではないか、と。
 果たしてそうだろうか。「健常者」にだって運動や視覚の機能に差があるのはまず間違いない。万人が青年期の体力を維持できているわけではないのだ。老年期に入ると、体は健やかでも体力は着実に落ちてしまう。同じように視力も着実に落ちてくる。そうなってきて始めて、それぞれの障害者の主張する「健常者」へのメリットも実感できるようになるだろう。僕個人にとっては、今は幸いにして想像の域にとどまっている。しかしそれを実感する日がくるのも、まず間違いないことだ。
 このように、本当に人間にとって住みよい社会を作るには、様々な局面で想像力を要求される。思いやりという言葉に代表させたくは無いが、それも人間が持つべき想像力の一つだと思う。この点で、障害者とその支援者たちは日々を迂闊に生きる僕のような「健常者」よりもはるかに先達だ。この件をしばらく考えてみて、少しばかり蒙を啓かれる思いがした。
 しかしながら、社会全体を見ると、こうした想像力が発揮される余裕が失われているようなのが気にかかる。犯罪者、特に若年犯罪者に対する論調の険しさだ。なんというか、問題のすべてを犯罪者当人に求めようという姿勢が気にかかる。確かに純粋に個人の責任に帰すべき犯罪もあるのだろう。しかし多くの犯罪が社会的に醸成されてしまうものであるという認識に立てば、彼らは結果に過ぎない。終わりの無いもぐらたたきゲームに興じながら、そのゲーム機の存在に気づかないような迂闊さを秘めてしまっているように思える。
 逆に全てを社会に帰す姿勢も歓迎できない。個人の行為が社会と個人の相互作用のなかで生み出されていく以上、個人と社会という二つの地点の間のどこかに、本来求めうる力点があると思うのだ。そしてそれがどこにあるのかを推し量るのに必要なのが、結局は「健常者」を「障害者」へと敷衍していくような想像の目なのではないだろうか。犯罪の要因を個人に求めれば事足りるとする姿勢は、結局のところ人間を社会に関連無く点在するだけの個人として孤立させてしまうだろう。

そば拳

12時03分 暮らし 天気:晴れかもくもりかも

 近所に「そば拳」なる蕎麦屋がある。「そば挙」でもないし「そば幸」でもない。「そば拳」なのだ。
 店構えからするとふつうの蕎麦屋だ。ふつうのサッシの引き戸に暖簾。その脇にふつうの蕎麦屋の範疇にとどまっているメニューのショーケースがある。店構えのどこにも不穏さは無い。ただ屋号だけが只者でなさを主張している。
 なにが「そば拳」なのだろう。どうにも気になる。時々、入ってみようかと思うのだが(場所的に便利なので)、引き戸を開けた途端になにが起こるかを想像すると、どうにも怖いものがある。
 もしかしてアレかな。やはり引き戸の向こうには店主が身構えていて、パンピーの迂闊な客(僕みたいなの)が入ってくるのを待ち構えているのであろうか。そして引き戸を開けた途端に「きえーい!」とか「ちぇすとーっ!」とか気合をかけながら顔面めがけて強烈な正拳突きを繰り出してくるのかな。するとなにせ迂闊な客(僕みたいなの)なので豪雨を受け止める相模湖のようにまともに食らうことであろう。これはもう吹き飛びますな。鼻血を撒き散らしながら飛ぶだろう。前歯の6本くらいもイッてるかも知れない。後頭部を硬い路面に思い切り打ち付けるのも当然のことだろう。
 もしも意識があったら店から出てきた店主の顔を拝めるだろうな。店主は容貌こそごくふつうの親父だが、眼光の鋭さで只者で無さを主張していることだろう。もしも多少の気力が残っていて、なにか不服そうな表情を見せようものなら、親父は襟首をつかんで引きずり上げてくれるだろうな。そして言い聞かせるようにしていうのだ。
「いいか、俺の蕎麦はおまえのような間抜けに食わすことは出来ん。一昨日来やがれ、この腐れド外道めがっ」
 そしてとどめのアッパーカットを食らわせてくれることだろう。
 この店主の一撃をかわした者だけ、そば拳のそばにありつくことが出来るのだ。
 さぞかしうまいのだろうって? いやいや、やっぱりまずいのである。

2000年05月15日(月曜日)

体調不良

21時10分 暮らし 天気:晴れ

 週末二日に歩き回り、さらにむちゃくちゃな睡眠時間というダブルパンチで、月曜日の目覚めは最悪。足が痛いんでやんの。数秒間の慎重な熟考の後、まあ休もうかいとなんとなく決定。そのまま昼まで爆睡する。
 昼頃に起き出して、ふと用事を思い出して泉区役所に出かけた。いや生活保護とかじゃないです。区役所は新しい建物で、職員の応対もかなり丁寧だった。
 帰路、なにか昼食をと思いつつ歩いていたら、モスバーガーがあるのを思い出した。照り焼きバーガーと玄米フレークシェイクというなんだか分からないものを買って帰った。
 それを食いながら窓を開けて風に当たっていたが、そのうちにだんだん熱が出てきたので、またしても布団に逆戻り。そのまま真夜中まで起きたり寝たりしていた。

2000年05月14日(日曜日)

今夜もちょっと星を見た

23時09分 星見

 夕方、空は曇っていたので観望は無理そうだった。ところが20:00を過ぎる頃に空を見ると、天頂付近は案外に晴れて、そこに月が皓々と灯っている。月が相手ならば100EDの出番だ。ベランダに出して危機の海やその周辺のクレーターをじっくり眺めた。
 ふと思いついて、タレットを外して替わりに2インチスリーブ、1.25インチアダプターを着けようとした。天頂プリズムを付けると焦点距離が長すぎて像を結ばないので、タレットを外すしかないのだ。ところが2インチスリーブがはまらない。これはプラスチック製なのだが、金属製の直進ヘリコイドの中になぜかはまらないのだ。2インチのはずなのに。
 考えあぐねた僕は、やはり2インチ径の地上プリズムをはめてみた。するとコイツはぴったりはまる。噛み合いの関係か、プラスチックのスリーブはやや大きめに作ってあるようだ。
 地上プリズムの眼視側は1.25インチなので、ここに天頂プリズムをはめてアイピースを咬ますことが出来る。この状態でピントを出せた。地上プリズムのおかげで見やすいかなと思ったのだが、天頂プリズムが天地を逆転させるので結局似たようなものだった。光のロスを考えるとあまり嬉しくはない。金属製の2インチ/1.25インチアダプタを買ってきた方がよいだろう。

近所を歩く

18時08分 暮らし 天気:晴れ

 早々と目覚めて、さて前から考えていた近所の散歩を実行に移した。近所の散歩とはいっても、だいたい数キロ圏内の目立つ場所を回ってみようという目論見だ。出来れば、夏までにいい星見の場所を見つけておきたい。
 家を出て、まずは北西に進路を取る。一番近い公園があるはずだ。そこは前にもちらりと見た。場所は消防署の分署前で、結構広々としたフラットなスペースだ。周りに高い建物もないので、街灯さえなんとかなれば良さそうだ。
 そのさらに奥にある神社に向かったが、一見して鬱蒼とした木立が目に付いたので、中まで入らずに引き返した。
 中田方面に出る。駅周辺には本屋や各種の店が点在していて、立場より広くて拓けた感じだ。その奥の方にある公園に向かったが、ここは高台にあるものの木立があって星見には向きそうにない。
 今度はいずみ野方面に向かった。泉区の合同庁舎があるはずだ。立場を過ぎ、ヨークマートの向こうに出ると、NTT、モスバーガー、そして本屋が点々と店を構えている。いずみ野合同庁舎は新しくてキレイだった。近くには相鉄ローゼンなどが入ったビルがあり、駅舎もキレイで新しかった。
 そこから相鉄でいずみ中央に向かった。そこで泉区の図書館に入ってみた。湘南台の藤沢市総合図書館より小さいが、それなりに蔵書は揃っている。それと藤沢のように学生が自習スペースを占有していることもないので、なかなか良さそうな感じだった。
 その足で立場方面に向かった。立場への道は途中車道が2車線、歩道はその脇わずかとなるので、なんだか危険そうな感じだ。この途中には泉郵便局がある。
 だいたい20分程度だろうか。やがて立場のヨークマートに着いたので、ちょっと買い物をして帰宅した。思ったより帰宅は早かった。

2000年05月13日(土曜日)

今夜は一瞬だけ観望

23時07分 星見

 夕方、雨がしとしとと降り続いていたので、今夜も観望は無理だと思っていた。ところが2:00過ぎにふと外を見ると、雲が切れかかって暗い空が見えているではないか。そろそろいて座が南中する時刻である。早速20*80をベランダに出してみた。
 空の透明度は異様に高い。雨の後だというのが信じられないくらいだ。最近の夜空はぼうっと白い霞がかかっているような状態が多かったのだが、今夜は違う。本当に暗い夜空がくっきりと見える。ワイドビノで見ると、さそり座のすべての星がくっきりと見える。
 20*80をアンタレス近辺に向けてみた。今夜こそM4が見えそうな気がしていたのだが、やはり気のせいだった(爆)。しかしM7は......まさに渦巻く微光星の塊だ。今までで一番美しく見えていたと思う。M8は確かに光の滲みが感じられ、M20もそれなりに良く見えた。M22は相変わらずの星雲状だが、大倍率なら確かに分離できそうな見え方だった。
 今夜は雲の動きが速くて観望の機会は少ない。手早く100EDを出してM4方面を見たがやはり見えない。
 M7は雲がかかっていたので後回しにし、M8を眺めた。やはり中倍率で見た方が映える星雲だ。出来るだけ大口径で見た方が映えるだろうが、今夜のようなシーイングの良い夜に小口径で見ても、そこに群れる微光星は良く映える。今夜のは圧巻だった。M20も視界に入れてやると実に見ごたえがある。この辺りはオリオン星雲と並んで夜空の名所といえるのではないだろうか。
 M22は100EDでも分離できない。20*80双眼鏡で無理なのだから、100mmでも無理なことは無理なのだろう。
 雲の動きが速くて、さそり座が隠れたり現れたりし始めたので、即応性の高い双眼鏡に戻して100EDは引っ込めた。双眼鏡でいて座方面を見ると、そこにぶちまけられたような星の群れが様々な表情を見せ、まさに天の川だ。
 小1時間は眺めていただろうか。やがて薄い霞が空全体を追い、その上に雲が掛かり始めた。西を見ると厚い雲がひっきりなしに現れている。魔法の時間は終わった。
 まだ痛む頭を抱えて寝床に入った。今夜は良い子への天の神様のご褒美だったのだろうか(良い子って誰だよ)。

死んだような一日

18時06分 暮らし 天気:くもりのち雨

 前日、なにを思ったか朝まで起きていて、それどころか寝たのは昼だったので、いい加減体調がむちゃくちゃになった。夜中に起き出したがまだぐったりしていて、なおかつ頭痛がする。明らかに自家中毒だったので特効薬の葱&七味入りうどんを平らげたが、全然快復する気配はない。そのままテレビも見ないで真夜中までウトウトしていた。

2000年05月12日(金曜日)

まだ観望できんのかい&赤道儀選び

22時05分 星見 天気:くもり気味

 今日もくもり。いい加減にして欲しいものだと思うくらい、空が晴れない。五月晴れとはいうが、そんなさわやかな夜空にはとんとお目にかかってないぞ。
 鬱憤がたまっていたせいか、昨日のうちにTomy Oasis Directに質問のメールを送ってみた。今の100EDをタカハシのスカイパトロールで駆動できるか、あるいは別に軽くて赤経モータ付きの赤道儀があるのなら推薦して欲しいというものだ。回答が早速あった。相変わらずレスポンスが早くて嬉しい。
 中川さん(スカイウォッチャー誌に登場していた)の回答は、「スカイパトロールでドライブ可能」であること、また僕の条件にぴったり赤道儀は無く、「スカイパトロールか、同じタカハシのP2かというくらい」だとのことだった。スカイパトロールの場合は今の片持ち赤道儀と同じく、三脚との接合部の強度が問題になるとのことだった。やはり汎用の三脚とのコンビネーションはなかなか難しいようだ。
 それならスカイパトロールでいいと思った。P2クラスになるとかなり重くなる。手許には既にVivenのGPがあるので、持ち運び可能なのが欲しいのだ。今の片持ち式フォークで問題なのは、微動ノブを使うときにその振動がもろに伝わる点だ。この点、赤経モータ付きのスカイパトロールならばかなり解消されるはずだ。それに長時間の観望では赤経モータがあった方が便利だ。
 まあじっくり考えようと思う。

2000年05月11日(木曜日)

今夜も観望は当然なし

23時04分 星見

 夕方には少し雨が降ったくらいで、雲が一面を覆っている。よって今夜も観望不可。

陥落寸前

20時02分 暮らし

 昨夜、早く帰宅したので20:00には一度寝てしまった。その後1:00に起きてしばしネット遭難を楽しみ、さて寝ようかと横になった。
 眠れない。目が冴えてしまっている。そうして寝床で死にかけた肺魚のようにのた打ち回っていたが、とうとう朝まで一睡も出来なかった。寝るタイミングがあるんだな。
 午前中は何とかなったが、午後は昼から定時まで続く会議地獄。数分ごとに意識がふっと途切れ、眠りこけないように必死に意識を保とうとする。膝を手で打ったり頭をシャーペンで刺激したり(爆)しながら必死にこらえる。しかし我が意識はもはや川中島で上杉方の猛攻に曝される武田方のように陥落寸前である。しかも武田と異なり別働隊が駆けつけるということもない。3時間もそんな地獄が続いた。おかげで会議のほうは内容をかけらも憶えてないじゃないか(滅)。まあ資料があるからいいか。
 それで帰って爆睡したかというと、実はきっちり2時まで起きていたのである。ダメだこりゃ(ドリフ落ち)。

アクセス倍増

20時01分 SF 天気:くもりでしょう

 昨日、ふと日記ページのアクセスログを見ると、新規訪問者がなぜか倍増しているではないか。しかも見慣れないページから飛んできているようだ。
 そのリンク元がSFセミナー関連レポート リンク集なのだ。どうも5/3の日記が検索にヒットしたので加えてもらえたらしい。しかもリンクの方には短評が載っているので、どうやら中身を読んで確認までしているらしい。いささか恐縮である。
 それにしてもSFセミナーなどというマイナーそうな集まりのしかも人のレポートを読みたがる人が、思ったよりたくさんいると知って心強い(あるいは怖い)。

2000年05月10日(水曜日)

今夜の観望はなし

23時59分 星見

 またしても真っ白なくもり。今夜の観望もなし。

本を買い込む

20時58分 天気:くもりでしょう

 定時退勤日なので、帰りに戸塚の有隣堂に寄った。「日本SF論争史」が欲しかったのだけど、まだ発売されてないのか見つからなかった。マイナーな本なので、見つけたら買わなければ。
 その代わりに目に付いた本を5冊くらい買って帰った。
 そのなかの一冊は佐藤大輔の「レッドサン・ブラッククロス」パナマ強襲編。えっ、徳間で出してた文庫版のほうはどうなるの? いちおう、文庫版の続き(ソコトラ強襲上陸の直後)の状況なので、連続性はあるようだ。いずれ文庫に落ちるだろう。でも買った。
 SF本としてソウヤーの「フレームシフト」。遺伝子を扱ったSF(もう独立したジャンルが出来るかも)としてよく出来ているという評判だったので買い。
 そしてついに手に入れた「キャッチ=22」。まさか有隣堂に上下揃いで置いてあるとは。これで「キャッチ=22」上巻買占め闇組織の存在は、ようやく否定されたのだろうか。いや、あるいは彼奴らの魔手が及ぶ前に発見できただけなのかもしれない。彼奴らの魔手は次にどの本に及ぶか分からないぞ。
 最後は話題の「作家の値うち」。なんで"値うち"なんだろう。"値打ち"だと読めないからか(そんなばかな)。
 この本は純文学、エンターテイメントの現役作家50人の代表作に点を付けるという、ある意味粗雑極まりない暴挙を試みたものだ。他のジャンル(例えばゲーム)では点数制でゲームを評価する記事などというものはふつうなのだが(ファミ通が走りか?)、文学では滅多にお目にかかれない。しかも100点満点で、評価基準も明らかにされないという粗雑さ。ふつう、個人の主観に完全に依拠するような評価では、評価段階を適当に荒くして幅を持たせるものだ。実際、この本でほぼ同点になっている別個の作品の優劣がいまいち分からない。40点の作品は41点の作品より1点分だけ優れているのか。1点分の優位とはなにか、まるで伝わってこない。そういう精密な評価ではなく、もっと私的な「オレ文学適合度」と解釈した方がまだ理解できる。しかしそれは卑しくも公的に「書評家」と名乗っているものの仕事ではない。これはもう叩いてくださいといわんばかりだ。
 内容的にも村上春樹や石原慎太郎(確かにかっこいい小説を書く人ではあるが)の評価が異常に高い一方、丸山健二や船戸与一の評価が異常に低いのが不思議だ。丸山に関してはまだ理解できるかなと思うのだが、船戸に対する「評価不能(なくらい低い)」という"評価"は何事だ。書評家としての責任放棄も甚だしい。船戸が一定の読者を得ているという現実をどう解釈するつもりなのだろう。単に船戸が体現する「国際陰謀史観ロマンティシズム(?)」を理解する能力がない(正確にはそういう評価をする読者がいると理解できない)と表明しているに過ぎないのではないか。つまり書評家としての一種の敗北宣言ではないか。むしろテキスト以外の影響(例えば船戸に夜這いをかけられたかとか)いったものを疑ってしまうのである。
 このようにあちこちの極地ではかなり破綻してしまっているのではあるが、筆者自身はいずれどこかが破綻するだろうと覚悟しながらの上梓だとも読める。しかしだからといってそれを「読者との評価軸のズレ」に帰するのはいただけない。それを敢えて<絶対>的な評価軸に置換して見せるのが書評家の仕事でしょうに。
 これだけ読むと、買うに値しなかった本なのかということになりそうだが、実は全然そうではない。買ってよかったと思った。書評家としての筆者の評価軸にふらつきがあるにせよ、一人の読書人としてしては質/量共に隔絶したレベルにあるのは疑いようもない。それに、極地以外での諸作品の評価は、概ね納得できるものでもあった(渡辺淳一に対する論評は痛快)。また「読者の評価の手助けになれば」という筆者の言葉を素直に受け取れば、確かに大きな手助けになりそうだ。同時に、あまり意思的でない読者は、この本の評価に支配されてしまいそうだ。
 しかしながら、書評家の仕事の半分が絶対的評価である半面、残り半分は「オレ文学」の評価軸をいかに世間に押し付けていくかという事でもある。そういう意味で非常に分かりやすく増殖しやすい形で「オレ文学基準」を押し出した福田和也という書評家は、確信犯ならば実に強かだといわざるを得ない。ゆめゆめ、飲み込まれないように気をつけながら読むべし。

2000年05月09日(火曜日)

観望なしなしの日

23時57分 星見

 空は真っ白の曇なので、今夜は観望なし。はぁ、すっきり晴れた夜空が恋しい。

ダメダメな日

19時56分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 朝から晩まで半分死んだような一日。僕が熊なら素直に冬眠したね(春眠?)。ネスレのPOLOだけが眠気覚ましの頼りだ。
 ネスレといえば僕が子供の頃はテレビでも新聞広告でも「ネッスル」と言っていたような憶えがあるのだが、いつから「ネスレ」に変わったのだろう。スイスに所在する会社らしいので、元々スイスのネイティブな発音を使っていたのだが、英語圏での発音か何かに変えたのだろうか。スイスは多言語国なので、元々ドイツ圏かなにかに所在していたのだが、いつの間にかイタリア語人口が増えてイタリア語圏に変わってしまったとか(そんな馬鹿な)。謎は深まるばかりである。

2000年05月08日(月曜日)

ひさびさに天体観望

23時55分 星見

 夜、今夜も観望はダメかなと思ったが、ベランダで目を凝らしてみると星は出ているようだ。しかしなかなか明瞭には見えない。2等星以上の明るい星しか見えない感じだ。ワイドビノでそれだから、僕の目が悪くなったのではなく、空に霞がかかっているのだろう。
 それでもMIZAR20*80をベランダに出して、その明るい星たちを眺めてみた。なんとも冴えない夜空だ。
 ベランダからの眺めは冴えないが、天頂付近はそれなりに透明感があるような気がした。そこでワイドビノとMIZAR11*42を持って外に出た。
 北天も似たような状況だったが、天頂付近ではやはり細かな微光星まで見え、なかなか悪くない眺めだった。やはり大気の影響は大きいのだな。しかし首が痛くなるのには参った。寝転んで見たいところだ。
 平日なので、早々に寝た。

休み明け

19時54分 暮らし 天気:晴れかもしれない

 10連休は終わった。なんだかこれから長い刑期を迎える受刑者のような気分で会社に向かった。実際には夏休みまで3ヵ月程度のことなのに。
 会社ではサーバの重さに死にそうになる。いや担いでいたわけじゃないですけど。休み中の多量のメールを処理しているのか、凄まじいばかりの重さで反応がなかなか返ってこない。例のILOVEYOUウィルスを警戒してサーバでのチェックを厳しくしているのかもしれない。これほど有名になったウィルスだが、厳重な警戒態勢が幸いしたのか、職場では一通も発見されなかったらしい。
 休み明けのだるい体に鞭打って仕事を片付ける。

2000年05月07日(日曜日)

観望なし

23時57分 星見

 夜空は今夜も真っ白。またもや星が見えない。早く夏にならないかな(x_x)

NHKスペシャル

23時51分 テレビ

 連休の終わりゆえか、NHKスペシャルは昨夜に続いて面白そうなものだった。今夜は村上龍が"インターネット・エッセー"と題して、バブル崩壊後の日本のあり方に思考を巡らす。
 最近、村上は経済に興味を持ち、メールマガジンを主催して読者の意見を募ることを始めている。彼は'90年バブル経済崩壊後の『失われた10年』とはなんだった(あるいはなんなの)だろうかという問いを読者に投げてみた。
 村上は、まず「バブルの原因はなんだったのか」という問いをMLに投げてみた。それに対する読者の回答は様々だった。
 単に官僚や不動産、銀行関係者に原因を求める意見も多かったと推測するが、いくつか新しい知見をもたらしてくれる意見もあった。
 イギリスの経済アナリストは「欲が無かったからだ」と逆説的な意見を述べた。バブル当時にありあまる資金の投下先を見つけることが出来ず、結局土地神話にしがみついて『確実な回収』を怠ったというのがそのアナリストの意見だ。あるいは土地神話から目覚めていれば、このアナリストの言うとおりに確実な回収を心がけることも重視されたに違いない。今なら確実にそういう思考が働くはずだ(今もそうでないのなら銀行関係者の無能さに絶望するしかない)。しかし当時は地価が下がるなどという事態は想像の外にあり(このこと自体は官僚、銀行関係者の想像力の貧困さを反映したものではある)、土地を担保に取ることが『確実な回収』と等号で結べるとされていたのだ。このアナリストの意見は正鵠を射たものではあると思うが、同時に局外に立ちすぎて"なぜ"(つまり"犯行動機")を見失っているのではないかと思った。
 「バブルのときに何に金を使えばよかったか」という問いとも密接に関係するだろう。その中には「ベンチャー企業に投資すればいい」という意見が散見された。しかしベンチャー企業に投じることが出来る資金は多くなく、また回収率にも問題がある。日長銀の元行員の「かつてベンチャーに大量の資金を投じたことがあったが、回収率は惨憺たるものだった」という指摘を知れば、ベンチャーに投資されなかったことを一概に非難は出来ない。残念ながら、日本ではベンチャーが育つ土壌が醸成されていないように思われる。
 村上は、これらの結果を踏まえ、バブル当時には土地以外に大量の余剰資本を吸収できる物件は無かったとする。銀行員たちは儲けに走ってバブルを引き起こしたのではなく、資金を消化するためにやむなく土地に走ったのだ、と。バブルの悲喜劇が銀行マンたちのまじめさによるものだとすれば、まことに日本的な状況だといわざるを得ない。
 銀行内部でも土地神話の危うさは盛んに指摘されていた。「土地が下がったらおしまいだ」という指摘は、既にバブル当時から散見されていた記憶がある。しかし銀行のノルマ主義という現実を前に、そういった市場の現実は無視されてしまった。一線の銀行マンたちの懸念の声は、ノルマ消化のための軍事機構とでも言うべき銀行組織の内部で消滅する運命にあったのだ。
 そう、バブルは'80年代という特殊な状況で用意されたものではなく、実は日本的な組織運営が抱えてきた時限爆弾が、あの日あの時に炸裂したものに過ぎないのだ。
 日本的組織の限界、あるいはその崩壊というものを白日の下に曝したのが、海外での日本金融機関の不祥事、そして海外企業による日本企業の買収だった。前者は海外の、つまり世界デファクトのモラルと日本的モラルの深刻なズレを、後者は日本型組織の自己浄化機能の低さを暴き立てる結果になった。日産、マツダのトップ人事は、日本型組織の限界を確かに示している。
 バブルの原因はどこに求められるだろう。村上は、'60年代も終わりに入り、日本の高度成長期が終わりを告げた時期に求められるのではないかという。日本はその時期に"大人"になったのだ。しかしその新しい経済的現実に見合った体制を作ることを怠ってしまった。これは社会のすべての階層、すべての人々に当てはまることだ。当時の人々は未来に関してのビジョンを持つことなく、ただ過去の継承という形でしか未来を生きることが出来なかったのだ。そしてビジョン無き社会が一気に破綻したのがバブル(バブルそのものが破綻だったといっていいだろう)であり、その後の荒涼とした焼け野原のような日本だったのだ。
 村上は「高度成長期の日本を心の拠り所にしてもいいのではないだろうか」という。あの時代、確かに奇跡のような経済成長を達成できたことを、日本人はもっと誇りにしてもいいのかもしれない。しかしあの時代の再現はもはや出来ない。日本は質的に違ってしまったのだ。
 村上が20代の読者を対象にした簡単な実験が面白い。'60年代に多い白黒画像の中の"日本"を見せ、感想を求めたのだ。彼らの感想は「同じ日本とは思えない」というものだった。そして同時代、あるいは直後に多いカラー映像に関しては、なんとなく今との均質性を感じているようだ。'60年代に巨大な断層があるという村上の感想は当たっているのだろうか。
 最後に村上は「生まれ変われるとしたらいつの時代がいいか」と問うた。答えは圧倒的多数の「現在」だった。このことは人間の本能的な保守性にのみ求めうるものではなく、恐らく現在ただいまがやはり住み良いという認識を反映したものだと考えて良さそうだ。そんな時代を築いたこと、そんな時代に生きていることを、もっと誇りにして良いのではないだろうか。村上はそういう。
 確かに、過去に戻ることだけは出来ない。昨日、「後退する勇気をもつべきだ」と書いたけれど、実際に実現可能なのは、過去を参考にした未来に過ぎないのではないか。
 我々は誰でも過去の苦さを感じている。アメリカはベトナム戦争に、イギリスは植民地経済に翻弄され、そこからようやく這い上がったのだ。そしてそれぞれの経験は貴重な知識につながったと思う。
 僕たちがやるべきことは、バブルという過去を忘れることではなく、その苦味を思い返しつつ新しい知識を創出することだと思う。そのとき、バブルは決して無益で有害な経験ではなく、いずれ通らねばならなかった道だと思い返せることだろう。

休みの終日も緊張感ゼロ

20時49分 暮らし 天気:やっぱり晴れだかくもりだか BGM:See Through/Y.M.O.

 今日も今日とて朝寝に耽り、いつの間にやら日は高くなっている。のろのろと起き出して雑用を片付けていると、もう日が暮れていく。一日が短いなあ。というかお寝坊さんなだけですけど。
 この連休もなにもしなかったなあ、いやアレはしたなあと思いつつ夕暮れ時を過ごす。休暇の終わりには一抹の寂寥感が漂うものだ。詫び寂び。

2000年05月06日(土曜日)

今夜の観望はなし

23時49分 星見

 空は真っ白なくもりです。観望なし。

NHKスペシャル

22時47分 テレビ

 帰宅して、夕食を作ったらNHKスペシャルが始まった。今夜はツキノワグマの生態を追うという内容。
 舞台は広島県の山中、中国山地。なんでも中国山地には数多くのツキノワグマが生息しているとか。しかしその数も年々減少しつつある。
 取材班は冬眠中の親子を発見、その近くの窪地を見下ろす場所に観測小屋を設置した。その親子が冬眠から目覚めると、まっすぐここにやってくるだろうという目論見だった。しかし春がきてもその親子は姿を見せず、また他の熊たちもほとんど姿を見せなかった。動物を自然の状況で観察しようとすると、時々こういうことが起きるようだ。
 取材班はリモートカメラをあちこちに設置して、ツキノワグマの動静を探った。その結果、ツキノワグマが非常に広い範囲を移動していることがわかった。
 このことはツキノワグマの減少傾向と関係がある。ツキノワグマ同士が交尾できる期間は限られているのだが、この間に異性に出会える可能性は元々高くは無い。しかも森の奥深くに入り込んだ林道などにより、森は次第に分断されつつある。林道は動物の移動を妨げるので、その内外にいる個体同士が交流できる可能性も低くなってしまうのだ。
 中国山地といえば、それが瀬戸内に流れ落ちる辺りが僕の故郷なので、多少なりとも親しみのある地勢ではある。故郷の呉市の山間には「熊野」とか「焼山」とかいう地名が散見される。熊野はいうまでも無いだろう。焼山も熊が出没するたびに山焼きをして追い払ったという故事に基づいているらしい。かつては僕が住んでいたような、海が見える傾斜地にまで熊が日常的に出没したものだという。しかし人間社会の拡大は、共存していた多くの生き物たちを追い払ってしまった。人間にとって快適な環境と、他の生き物たちにとって危険な環境とは、それぞれ等号で結んでしまってもいいだろう。
 人間は少し、というか、かなりやりすぎてしまった。人とその愛玩動物だけがぽつんと存在する世界というものは味気ないものだ。
 僕たちはもう少し後退する勇気を持っていいのではないだろうか。例えば山間地を縦横に走る林道や道路網を統合し、森を分断する部分を少なくするとか、今あるインフラを放棄してでも森を守る処置を講じなければならないのではないだろうか。山で暮らす人たちには悪いけど、しかし山を見たことも無い役人たちが計画した林道が、地域経済に本当に貢献できているとも思えないのだ。

秋葉へ

20時46分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 まったくもってはっきりしない天気が続く。いや日差しはあるのだが、春の朧に包まれていまいち現実味を欠いた太陽ではある。Sun Dog......幻日か。
 今日はどうしようかなと考えて、秋葉に出かけることにした。考えてみたらこの休み中に電気街へは一度も行っていない。去年の僕なら3回は行っていたね。人間、変わるものだ(電気街が望遠鏡屋と書泉に変わっただけ)。
 いつものようにやや遅め、14:30に出て、16:00時前には到着。今日乗った東海道線の便はやたら早く、途中で品川とか飛ばしていたような気がする。
 秋葉では昭和通口を出て、東海銀行に寄り、まずは書泉を攻める。いまだに仮想戦記モノが元気なのにはびっくり。まるで妖怪だ。最近の流れは戦国モノらしい。
 ここで「日本SF論争史」を探したが、1Fには無い。上のほうの濃い階にあるのかも。
 そのまま万世方面に抜けてKYOEIに寄った。ここでBORGの15*50(だったかな?)ファインダーを探したが、棚には無かった。こういう中物はスターベースのほうが強いかもしれない。
 我がBORG100EDは、現状ではファインダーは無く、4頭タレットの直結側にH50mmアイピースを着けてファインダー代わりにしている。これはこれで便利な構成なのだが(ファインダー軸の調整が不要なので)、タレット側に切り替える度にピントの調整が必要になるのは不便だ。それと100EDがかなり重いので、片持ち赤道儀がややへたり気味なのが気がかりだ。それをいくらかでも改善するために、思い切ってタレットを外してしまおうと考えるようになったのだ。このタレット、アイピースの保持がプラスチック管の噛み合いだけなので、重いアイピースだとすっぽ抜けてしまうのだ(事実、LV4mmは一度ベランダに落下している)。まあ軽いアイピースが揃ったらやはり便利なのでまた使うかもしれないけれど、欲しいのは重い広視界型なので、ここは外して重量軽減にも役立てようというわけだ。その代わりにファインダーと重い広視界型アイピースを着けると、結局元の木阿弥かもしれないが。
 結局、KYOEIでは天頂ミラーだけ買った。
 その足で電気街を回る。若松の地下でPalm用折り畳みキーボードというそそるアイテムを発見したが、僕自身が次にPalm3cを買うのかPalm5系を買うのかはっきりしなかったので、ここは見送りすることに。しかしこのキーボード、折りたたむとPalmと同じサイズで展開するとフルサイズになる。入力するという点に関しては決定打かもね。問題は展開した時点で、膝の上で入力できるほどの強度があるかどうかだ。
 小物をいくつか買って帰った。

2000年05月05日(金曜日)

今夜の観望はなし

23時45分 星見

 そんなわけで、今夜の観望はなし。昼には少し晴れても夜には必ず曇ってしまうのが春の辛いところだ。

ひたすら怠ける

20時44分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 誰だってそうだろうが、長い休みが始まる前には雄大な構想を抱くものだ。例えば数日かけて人の少なそうな地方を回ろうかとか、長編を一本書き上げてやろうかとか。そして多くの場合はその半分も達成できないのだ。僕の場合など達成率はWW2時の航空特攻の生還率よりも低かろう。
 今日も今日とてCDや本の整理をしようかなと思いつつ、実に夕方まで布団の中でゴロゴロしていた。雨戸を締め切って寝るので暗いのがいけないのだろうな。
 夕方にはさすがに体が鈍りきると思い、そろそろと起き出してゲームした。ダメじゃん。
 夜は夜とて空が曇って星が見えないので、グダグダと本を読みながらネット沈没する。不完全燃焼率99%といえよう。

2000年05月04日(木曜日)

久しぶりに快晴の夜空

23時55分 星見

 帰宅したのは21:00前。全身に眠気が漲っていたが、あえて無視してベランダに出た。思ったとおり、春先には珍しい澄み切った夜空が広がっていた。ワイドビノでざっと掃天してみた。そろそろおとめ座が上ってくる時刻だ。おとめ座、からす座近辺の小さな星々も良く見える。
 そこで眠気がピークに達したので、ちょっと布団にもぐりこんだ。
 夜半に起き出し、既に南中しつつあるさそり座にMIZAR20*80を向けた。M4はやっぱり見えないか。でもなんとなく暗い星がぽつぽつと見えるような気がする。あまりに見たいと思っていると、そのうちに幻覚を見てしまうのかもしれない。
 M6、M7の眺めは今夜も最高だった。M7はその大きさから双眼鏡で見るのが一番ではないだろうか。夏至の頃にどんな眺めになるか楽しみだ。
 M8もかすかな光を感じ取れるくらいに明るく映えた。いや、M8の圧巻は、やはり渦巻くように見える微光星たちだろう。これを空が暗い山上の盆地で眺めてみたいものだ。
 いて座のM22も相変わらず朧な星雲に見えた。これを分離するにはやはり8インチ級の鏡筒が必要になるのだろう。
 M24を探してみた。M24はメシエ天体として登録されて入るが、実体は銀河系のもっとも濃く濃密に見える部分に過ぎない。いや、メシエ天体の当初の目的としてはこれでふさわしいのだが。メシエ天体は、もともとメシエが彗星探査にあたって紛らわしい「彗星状」の天体を集めることから始まったのだから。
 この近辺にはメシエ天体が密集している。視界中にいくつも散開星団らしきものが浮かび上がる。横浜の空は恐らく世界で一番明るい空なのだろうが、それでもこれだけ楽しむことも出来るのだ。
 闇に慣れた目には夜明けは敏感にわかる。4時過ぎにはもう空が青くなってくる。そして星たちも一夜の夢のように消えていく。それを見届けて、ついに就眠した。

連日のオフ

20時41分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 前日の高揚感がいまいち冷めないまま、今日は今日であざみ野のオフに出かける(暗黒系)。
 あざみ野までは地下鉄一本だが、我が立場とは逆方向の終端側なので、ざっと一時間ほどかかる。
 あざみ野到着は12:50くらい。集合時間は13:00となっていたが、どうせ時間どおりには来ないだろうと高を括り、ゆっくり集合場所に向かった。集合場所の東急改札口に立ち、13:00になる頃にも誰一人来ない。5分経ったら速攻で帰ろうと思っていたら、我がPHSが振動した。取ると、笑夢君だった。実はちょっと前に掛けてみたのだが、ぜんぜん取られなかったのでどうしたものだろうと思っていたのだ。笑夢君によればこっちに向かっているという。30秒もしないうちに久遠さん、笑夢君、KAZUKAさん、瓜生さんが現れた。どこに出かけるというわけでもなくひたすらゴロゴロするために上京したという、なんとも謎めいた一団だ。
 このむさいともなんとも言い難い一団は、その足でパーミヤンに入り、適当な昼食を摂った。ここで思い出したのは、僕が今朝出がけにラーメンを食ってきたという事実だった。中華連発。しかも昨日も思い起こせば出掛けにスパゲティを喰らい、昼にもスパゲティを喰らったという。イタリアンも連発。さっき食ったものも忘れる若年性アルツハイマーなのだろうか。
 ここではソフトドリンク飲み放題なのをいいことに、実に2時間も粘る。それでいて料金は一人1000円少々だった。いつもながら、実に安上がりなオフだ。
 それからまあどうしようかねえ、などと無目的にあざみ野周辺をうろつき、この近辺にたくさんあるDAIOなるディスカウントストアに入ってちょっと買い物&物色。このDAIO、ロゴからしてLaOXにクリソツで、しかもLaOX専用商品なる扱いの品まで置いてある。資本関係にあるのだろうか。
 ここでへたりかけてるMP-MANのガム電池を買い替え、PC関係やオーディオ関係の売り場を放浪する。最近のオーディオの安さには驚く。いや、ハイエンドは以前と変わらず高価なのだろうが、5万円程度でCD&MDのミニコンポが手に入るのだ。この値段なら一台くらいあってもいいかなと思う。
 この店内にあるコーヒーショップで一休みして、今度は本日のメインイヴェントである焼肉食い放題に突入した。店はあざみ野から二駅のセンター北にある。このセンター北駅、実に堂々たるショッピングモールを抱えていて、いかにもこれから拓け行くという気にさせてくれる。場末の侘しさを漂わせた立場駅周辺とはえらい違いだ。
 この食い放題系焼肉屋は基本的にセルフサービスで、勝手に肉やらなにやらを取ってきて喰らうというスタイルだ。最近、部屋にこもりきりでカロリー消費が少なかった僕の食い気はほぼゼロゼロで、関西組や笑夢君の旺盛なる食欲を眺めているしかなかった。この店は「食う」と決めて入るに限るだろう。何の気なしに入って雑談に耽るような店ではない。事実、ここではほとんどなにも話さなかったと思う。
 タイムリミットが来て、一人3000円なりを払って店を出た。僕はなんとなく気分が乗らず、また今夜は星空が呼んでいるような予感がしたので、ここで一行と別れた。

2000年05月03日(水曜日)

SFセミナー

21時30分 SF 天気:くもり時々雨

 前日あまり眠れなかったが、9:30には家を出た。今日は御茶ノ水でSFセミナーがある。それに参加しようということになっていた。
 出掛けにふとPHSを見ると、参加者の一人、みつまめ嬢から掛けてきた痕跡があった。掛け直すが、この時は通じない。JR戸塚駅で待っているときにようやく捕まった。なんでも、飼っているウサギが病気で集合時間に間に合わないとか。焦っていた(なにせ電車が進入中)ので、了解とのみ返答し、電車で御茶ノ水に向かった。
 御茶ノ水駅前の丸善近辺で、他の参加者と落ち合った。一人はわざわざ北海道からやってきた(SFセミナーが目的というわけではないだろうが)笑夢君、もう一人はいつでもいつもやってくるミツルんだ。三人揃ったところで適当に飯を食いに店を探し始めた。
 入ったのはパスタ屋。ここで適当なパスタを頼んだところで、ある重大な事実を思い出した。今朝、出掛けにパスタを食ってきたんだ。飽き飽きしながらも全部平らげる(笑)。
 12:00になったので受付が始まっているはずだ。セミナー会場に向かった。セミナー会場にはまだ人影まばらで、受付が始まったばかりという感じだった。ここでみつまめ嬢から再びTEL。セミナー開始時間(13:00)までに間に合いそうにないので、行けたら行くけど途中入場するので先にどうぞとのこと。ウサギ君、お大事に。
 会場は500席くらいのホールで、上の方に席を確保して即売会場の方を回った。古書としてサンリオ文庫を久しぶりに見かけた。ステンレス・スチール・ラットは全部揃っていた。ふと横を見ると、白髪頭の丸っこい爺さんが......ああ、野田大元帥閣下だ。なんとも人なつっこい感じの人だ。その場でサイン本が売り出されるが、大元帥の本は既に持っていたのでその場を辞す。
 13:00になって、ついにセミナーの始まりだ。女性二人組の進行で開始が宣言され、まずは角川春樹 v.s. 大森望のデスマッチだ(違う)。
 角川春樹氏は全身から幻魔的オーラを発しつつ、SFの時代の再来を宣言していた。対する大森望氏は過去の角川商売への批判を滲ませつつ応酬する。なかなか見ごたえのある一戦だった(プロレスじゃない)。
 角川氏いわく、「小松左京賞は俺が無理やり認めさせた」とか。小松左京もやはり生きているうちに自分の名前を架した賞など作りたくは無かったのだろう。
 10分の休憩のうちにトイレと飲み物をどうにかして、次は「ブックハンターの冒険」と題して牧眞司がSF古書を巡る冒険を語る語る。古書狙いの人々にはたまらない話題だったろう。
 続いては本日もっとも楽しみにしていた巽孝之/牧眞司の「日本SF論争史」。名前しか知らない「山野/荒巻/柴野論争」、「ニューウェーブ論争」、そして「SFクズ論争」を視界に収め、それらの主要なテキストをまとめた巽&牧の同名本を題材に、日本SF界の暗黒面(笑)を語った1時間だった。聞き手の森太郎氏のボソッという突っ込みが良かった。「論争は所詮数種類のパターンしかない」という指摘は、概ね多くの人の意識にあっただろうが、非常に胸に落ちるものがある。
 ここで30分の休憩を挟み、次は新人作家3人(藤崎真吾/三雲岳斗/森青花)による「新世紀のSFに向けて」。実は誰も意識的にSFを書いているわけではなく、結果的にそうなってしまっただけというのが実に興味深い。
 最後はあんまり期待してなかった「妖しのセンス・オブ・ワンダーへようこそ」。アニメ監督の井上博明氏が同じくアニメや特撮作品の脚本を手がけている小中千昭氏に聞くという形で進行していった。
 実はこのセッションが一番面白かった。小中氏はコアなSFへの興味より、演出家として視聴者に何を伝えるかを重視している人だ。SFという手段も恐怖やセンス・オブ・ワンダーというモノを効率的に伝えるための道具に過ぎないと考えているようだ。彼はそのためにはSF的な約束事(概ね科学知識に等しい)をもあえて無視するという。演出を手がけた作品のSF考証が足りないと非難されたこともある。小中氏はその事に触れて「なんらかの理屈をつけなければならなかった」という反省の弁を述べてはいる。しかしそれはSF的な約束事を守れなかったためではなく、理屈がつかないという状況を嫌う一部の視聴者が入り込めなかったかもしれないという点に立脚しての反省だと受け取った。本来、物語というモノはそうあるべきではないだろうか。つまり伝えるべきモノがあって、それに見合った手段が選択されるべきなのだ。その意味では市場に氾濫する"SF"とは手段に過ぎず、目的として選び取られた"SF"がどれくらい存在するのだろうか。いささか心もとない限りではある。
 この後、久遠さん周辺の人々が渋谷で集合するということになっていたのだが、あまりに精神的疲労が濃かったのでまっすぐ帰宅した。角川春樹氏の毒電波に当てられたらしい。

2000年05月02日(火曜日)

今夜の観望もダメじゃん

23時29分 星見

 昼は空が晴れていたのだが、夜になると雲が出てくる。今夜も星が見えない。

湘南台に

18時28分 暮らし 天気:晴れ

 体が腐りそうだったので、午後に湘南台へ出た。
 天気が良いせいか、湘南台公園には多くの家族連れが遊んでいた。公園は緑が萌えさつきが花開いて美しい。時間をかけて図書館の方に歩いた。
 図書館は休みだった。ありゃ、そうか。仕方ないので本屋に寄り、ケンタで鶏を喰らって帰宅した。

2000年05月01日(月曜日)

今夜ははっきりしない空だ

23時25分 星見 天気:晴れ

 一日中ゴロゴロしていた。夕方にはさすがに買い物に出かけたが、それ以外の時間はひたすら本を読む。
 夜、ベランダに出た。空はかなり雲があって、いまいち冴えない。MIZAR20*80でさそり座を見ても、薄雲がかかっていてどうもよろしくない。
 諦めて今夜は寝た。