Strange Days

2000年10月14日(土曜日)

深夜遅くに星を見た

23時55分 星見

 1:00くらいに東の空を見ると、オリオン座もシリウスも高くなりすぎて、ほとんど見えない位置にあった。では南向きのベランダから見ると、これが良好な位置に見える。また今夜は月が明るく照っている。久しぶりにBORG片持ち赤道儀を組み立て、100EDを夜空に向けた。
 柔な片持ち赤道儀では重い100EDを支えるのは一苦労だ。ようやくその役目を果たしている、という感じだ。しかし元々トップヘビー気味だったので、重い2インチアイピースとの相性は、ある意味では良い。
 LVW42で見る月は、視界の真中にこじんまりと、明るく見えているので、まぶしくてたまらない。やはりこういうシチュエーションでは高解像度の短焦点アイピースが良いようだ。そこでLV4に2.2倍バローレンズをかませ、350倍強という強拡大を試みた。前に同じ試みをしたときは、相当にボケボケで使い物にならないと感じたが、今日は大当たりで実に良く見えた。シーイングが良く、高度も高かったせいだろうか。しばしアリスタルコス近辺を眺めた。
 一方、オリオン座に対してはやはりLVW42による広視界が有効だった。これで大小の三ツ星近辺を眺めてゆくと、たくさんの星が群れる様が見て取れ、実に見事。しかし背景が明るいな。
 Or6+2.2倍バローで230倍強で見てもさほどボケない。トラペジウムは四つに分離できた。
 まだオリオン座の見頃は深夜遅くだが、冬の大三角形がかかる季節が近づいてきた。

深夜のETV

23時45分 テレビ

 23:00からは国宝探訪。今日は奈良唐招提寺の鑑真和上像の話題。この像は歴史の教科書には必ず載っていた有名なものだ。最晩年の鑑真の死を予感した弟子たちが作らせたものだという。
 鑑真は唐で高位の受戒僧として名高い人物だったが、日本にも受戒制度を伝えて欲しいという日本から渡来した僧侶の願いに動かされ、渡海を決意する。しかし5回に渡る企てはことごとく頓挫し、苦楽を共にしてきた弟子を失い、自らは失明するという苦難に遭う。しかし6度目にしてようやく来日を果たし、日本に初めて正式に受戒制度をもたらした。日本の仏教界にはじめて権威が伴ったといっていいだろう。
 鑑真来日のタイミングは良かった。当時、奈良東大寺の大仏開眼から2年、国中が仏教受容の熱気に溢れていた。そこにちょうど開いていた権威付けという間隙を埋める人物が来日したのだから、鑑真が熱烈に歓迎されたのも当然の話だ。
 しかし鑑真を取り囲む空気は大きく変転する。鑑真が担った役割は、いわばその瞬間だけ存在すればよいような性質のものだった。日本最初の受戒僧は、受戒僧足りうる僧を量産すれば、もう必要とされなくなったのだ。鑑真は国の中枢を追われ、弟子と共に小さな学問寺を築き、そこで残りの人生を過ごした。しかし僕は想像するのだが、こうした日本の公の仕打ちに対し、鑑真はさして気にもとめなかったのではないだろうか。彼は確かに学識高い受戒僧として来日し、その役目を担わされたが、一人の僧としては朝廷の奥深くに鎮座するような役目を喜んでいただろうか。それより彼を慕って集まってくる民衆や、熱心な若い僧侶たちに彼の知識を伝える仕事のほうが、はるかに実り多いと感じていたのではないだろうか。朝廷など、彼からすれば日本の野に仏教を伝えるために通らねばならない、厄介な関門程度の認識に過ぎなかったのかもしれない、と。

犯罪被害者は訴える

22時02分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、犯罪被害からの救済に自ら立ち上がり始めた被害者の話題。
 特に'90年代に入ってから、犯罪被害者の救済という観点から法律のあり方が論じられるようになってきた。死刑廃止に関する論争でも感じられることだが、犯罪者をどう処分するかという観点からは熱心に論じられるのだが、その被害に遭った人々に対する処置は往々にしてなおざりにされてきた。被害によって肉親を失い、あるいは心身ともにダメージを受け、精神的にも経済的にも困窮しがちな被害者に対しては、人権保護に熱心なはずのNGOも結果的にはほぼ無関心に見過ごしてきた。
 こうした境遇に貶められてきた犯罪被害者たちが、ついに立ち上がり始めた。今年、被害者たちが全国的に大同団結した組織が設立され、各政党への働きかけを開始したのだ。会長を務めるのは、自らも妻を殺害された犯罪被害者である老弁護士だ。
 老弁護士は、これまで三十数年にわたって法廷での弁護に参加し、もっぱら犯罪者の権利保護に尽力してきた経験をもつ。老弁護士は、その過程で犯罪被害者の気持ちを踏みにじってきたかもしれないと回顧する。「泣く泣く示談に応じた被害者もあったでしょう」と。彼はそんな被害者の立場の弱さを、自らが犯罪被害者になってやっと分かったという。
 刑事裁判は、被害者による犯罪者への報復という機能を極力排除することを狙っている。刑事裁判の目的は、実は犯罪者による国権侵害、あるいは治安撹乱を罰することに他ならない。また刑罰の内容も報復を目的としたものではなく、あくまでも犯罪者の更生を目的とした教育主義的な機能を担っている。この辺は死刑制度の特異さとの関連でよく語られる部分ではある(死者をどう教育するというのか)。
 では被害者が立つ位置はどこなのだろう。実は被害者の立場はどこにも無いのだ。刑事裁判においては犯罪者と国家という立場のみが存在し、被害者の立つ場はどこにも無い。刑事裁判において、国家、あるいは犯罪者(こっちは滅多に無いだろうが)が求めない限り、被害者が法廷に立つことはありえない。目の前で被害者が辱められても、一言の反論も許されないのだ。またそもそも損害賠償を請求することも出来ない。
 こうした日本での刑事裁判のあり方に対し、諸外国はどうだろう。実は欧州では被害者(あるいはその代理人もありうるだろう)が検事と同席するという形態が広く見られるという。被害者は事実認定の過程で意見を陳述する権利を認められ、さらに損害賠償をも併せて求める権利が認められている。この制度は日本にも導入されるべきだとの意見があり、自民党などの後押しにより、法務省での検討が進められている。また犯罪被害者への裁判記録の開示などを盛り込んだ初めての指針も示されている。
 被害者が裁判に参加する権利を積極的に認めることは、その心理的な窮状を救済するのに役立つだろう。しかしそこには犯罪者対被害者という構図が再度生じ、近代的な法制度が否定してきた私刑的な意味合いが復活しないだろうか。特に陪審員制が導入されるとなると、ますます私刑的な意味合いが濃くなるのは否定できないように思う。それを検事のコントロールによって払拭しようというのだろうが。
 そもそも、被害者たちがもっとも困窮しているのは、経済的な意味合いにおいてである。被害者たちは公共的な救済制度が欲しいと願っているのである。
 犯罪被害者への視線が、せいぜいその憤りという観点(だいたいは殺人者が存在するのに死刑を廃止してよいのか、といった類の論議で見られる)にとどまっていたのは、犯罪の多様さに対し、その被害者の困窮のあり方も実に様々だという事実に拠っていると思う。それ以上に、被害者への眼差しに、その根源にあるべき共感と想像力が欠如していたのだと思う。僕自身、被害者は悲しみに暮れながらも日常をまた送っていくという、あまり根拠の無い漠然とした予想を持っていた。しかし事実は元のような日常を二度と送れなくなり、また時にはいわれなき中傷にも傷つけられるというふうに、精神的にも経済的にも困窮してゆくのだ。これを救済する公共の制度が望まれるのは当然ではないだろうか。自己責任において破綻した私企業を救済するのに何千億円も使うよりも、僕たち自身がいつか同じ立場に立つかも知れない被害者を救済し、その本来の能力を社会に生かせる方向に使う方が、よほど実りある金の使い道というものではないだろうか。それは、僕たちが漠然と抱え始めている、不条理な犯罪に対する恐怖感を、いくらかでも軽減してくれることだろう。

今日は爆睡の日

14時01分 デジタルギミック 天気:くもりのち晴れ

 1週間分の睡眠不足を解消すべく、鋭意爆睡に励んだ日だった。とはいえ、朝のうちに宅急便が届く予定だったので、午前中早めに起きてトロトロとしていた。名古屋の店に発注していたロカティオ用PC接続ケーブルが届く予定だったのだ。
 モノは10:30くらいに届いたので、早速ロカティオをPCに接続してみた。をを、内蔵のメモがPCから新規作成できるぞ......それだけか? 編集できないってのはなんだ(爆)。これじゃPCと接続してもあんまり意味が無い。まあバックアップを取れるのはありがたいが。PDAの特性の一つはPC(Macでもいいが)との密接な関係だと思うから、ロカティオは近年のPDAの書式に則ってはいない、独立性の高い機械だと良く分かる。GPSをのぞけばPalmやCEの方が便利そうだ。こういう力仕事はCEが向いているから、CEベースで同様の機械を作ればもっと売れたかもしれない。
 ロカティオのPC接続に失望した後は、午後遅くまで爆睡した。