Strange Days

2000年12月31日(日曜日)

千年期末の大晦日に

23時55分 暮らし

 いくら前記のような妄想にふけっていても、腹は膨れないし暇もつぶせない。当然、街に出ることになるのである。
 最初、いつものモリスに寄ろうと思ったのだが、ほんの数分差で暖簾だった。目の前で、最後の客が注文を待っている。ああ、あと30分早く出れば良かった;T_T)
 図書館も休みなので、ほとんど寄るところはない。さっさと帰った。
 紅白を見るとも無しに見ながら、晦蕎麦をすすっていると、ようやく年の瀬の気分が湧いてきた。こういうシーケンスというモノは、決して無視できないのだな。
 実家でさっそく@NIFTYのAPを使ってみたのだが、驚くほど使えない。テレホーダイ時間に入ると、気が狂いそうな位に重くなってしまうのだ。やや高いが、モペラの方が遙かに快適だ。モペラでつないで、@NIFTYはFSFのチャットに3年ぶりに参加する。年越しチャットのメンバーもずいぶん減ったもんだ。@NIFTY全体を見回しても、ほとんどのフォーラムの活気が失われているのが分かる。クローズドな場所へのニーズは相変わらずあるようではあるが、着実に減ってもいるようだ。歴史あるフォーラム制も生き残れるのだろうか。
 23:58頃、日本テレビにうっかりだまされたりもしたが(怒)、やがてついに20世紀の時間は終わり、新しい世紀が始まった。チャットのメンバーと「なんの感激もない」といいあう(笑)。かくして新しい世紀は、なんとなくなし崩しに始まったのであった。さて、寝よう。

20世紀最後の一日

21時55分 思考 天気:晴れかな

 とうとう20世紀最後の日がやってきた。それにしても妙なものである。月面基地はできてないし木星の有人探査はおろか月面への再到達もかなっていない。それなのに、10年前からすればそこそこ想像を絶する世界ではないか。少なくとも、10年前にパソコン通信を始めた頃には、世界中にサーバが分散して、そこにさらに無数のクライアントが自由にアクセスできるような状況が実現するとは考えてもいなかった。むしろHSSTだとか海底都市だとかいったような、居住空間の拡大が実現するのだとばかり思っていた。当時地価は異常に高騰していたし、しんかい2000/6500が実現し、NASAのXシリーズもぼちぼち再始動の気配を見せていたからだ。ところが20世紀最後の10年間に拡大した空間は、完全に人工の空間であるインターネット空間だったのだ。これを『仮想空間』だの『サイバースペース』だのと名付けても、拡大しつつあるモノの本質を、何一つ捉えてい無いような気がする。完全に仮想の世界ではないし、かといって現実世界の影にすぎないという捉え方も単純にすぎる気がする。インターネット空間と形容するより他にないのではないだろうか。実のところ、ITが隆盛を極めることで、なにが豊かになったのかいまいちピンとこないのだ。確かに情報の切り口は増え、以前より遙かに利用しやすくはなった。だが総体として新しい見地があったとは言い切れないのでは無いだろうか。インターネット空間で増大しているのはその領域ではなく、実はディテールである。そんな気がする。
 もちろん、インターネットを背景に新しい潮流、例えばLINUXに代表されるオープンソースの流れのようなものは立ち上がってきた。しかしオープンソースの思想的原形としてのフリーソフトウェアは遙か以前から存在していたし、それがインターネットと不可分だったわけではない。古手のパソコン通信のユーザや、初期のインターネット(日本ではJUNETと呼ばれていた頃)の参加者は、ソフトウェアの回覧という催しに参加した人も多いのではないだろうか。これはパソコン通信にせよインターネットにせよ、そもそも基盤となる回線が遅く、貧しく、大量のデータをやりとりするコストがあまりに高価だった時代によく行われていたもので、大量のソフトウェアやデータを媒体に納め郵政省メールでやりとりするというものだった。あらかじめ参加者を募り、一筆書きになるように、全参加者が次の参加者への郵送料だけ負担する形で実施されることが多かったように思う。僕もこれで最初期の日本語ポート版FreeBSDを入手したし、同時期にやはり最初期のLINUXの回覧も行われていたと思う。むろん、この手段では日数がかかるし、メディアの破損などのリスクもあり得るしでリスクがある。従って速い回線を得られないときの次善の策ではある。LINUXなどのオープンソースの急激な発展は、素早くデータをやり取りできる高速回線の普及に強く依存してはいる。しかしながら代替え手段がなかったわけでは無いという意味で不可分ではないと思うのだ。そんな風に回顧して行くと、インターネットでITが興隆を極めるようになったとはいえても、それが全人類的な利益を生み出しているとか、インターネットが21世紀の世界の中核技術になるとは単純にいえない気がするのだ。
 よく21世紀をインターネット時代だなどと軽々しく口にする人がいるが、20世紀を電話の時代だったなどと総括できないように、強力ではあっても単なる基本的技術の一つを占めるに過ぎないものに終わるかもしれない。むしろ21世紀には、さらに想像を絶するモノが立ち現れてくるのだ。そう覚悟した方が良さそうではないか。

2000年12月30日(土曜日)

帰省しましょ

23時13分 暮らし 天気:うすぐもりですかな

 10:00頃に起き出し、帰省の準備を始めた。って大掃除しないのかっ。しないのである。そのかわり、細々とした始末でごまかすのだ。
 お持ち帰りインターネットの主力は、なんといってもTP235になる。本当はLOOXにでも買い換えたいのだが、今はさすがに金がないのである。TP235にはこの間買ったX-Jackなモデムをさして、帰省先の呉で@NIFTYのアクセスポイントから入るつもりだ。
 ところで、実家では1Fの電話機から2Fの部屋まで電話線をブランチさせる必要があり、それに備えて10mの電話線を用意してある。ここ数回の帰省ではPHSで事足りていたので使ってなかったのだが、今回は久しぶりにNIFの年越しチャットに参加するつもりだったので、段ボールをひっくり返して探し出した。その時、ふとX-Jack56kの箱を探し当ててしまった。そう、以前買って忘れていたのだ。ははははははは......は......。
 思わず涙目になりながらもその他に小物や着替え、電池類をリュックに詰め込み、さらに片手にBORG100EDセットを詰め込んだバッグを提げて、いざ故郷へ。
 今世紀最後の新幹線は、しかし最悪の地獄と化した。なぜならば、広島までほとんど立ちっぱなしだったからだ。せっかく始発の東京にまで出てきたのに、ホームは立錐の余地もない混雑ぶりで、とても1時間待ち程度で済む状態ではなかった。やむなく、適当な列車に飛び乗ったのだが、これがまた通路まで完全に埋まっている状態で、しかも新横浜でさらに乗客があったので、気分はほとんどネオパラコーナーである。この状態は、新大阪以西で徐々に改善されたが、とうとう福山まで座ることは叶わなかった。
 そんなわけで、故郷の呉に着いた頃にはくたくたになっていて、とても帰るなりインターネットなどという気分ではなかった。駄目駄目な気分で爆睡する俺様だった。

2000年12月29日(金曜日)

明日帰省しようかと思いつつ

23時55分 暮らし 天気:晴れ

 今日も今日とてだらだらと過ごす。本当は今日帰省すればいいんだろうが、ちとからだがつらい。昔なら、最終の出勤日にそのまま帰省するなんてこともあったのだが。
 ともあれ、冷蔵庫を概ね空にし、夕食はもう買い物しないでガストでとった。年末故か、おばさまが非常に多かった気がする。
 夜、これが今世紀最後の星見になるかもしれないと思いつつ、アパートの前にC8EXを出した。木星や土星はまだ天頂に近かったので、見るのはかなり辛かった。その点、オリオン座は南中直前で、姿勢が辛いこの望遠鏡でも楽に見えた。
 明日に備えて早くに就眠した。

2000年12月28日(木曜日)

今日も星を見ましょう

23時55分 星見

 日付が変わる頃、C8EXをアパートの前に出した。ありゃ、アパートの前の街灯は最近切れてて、星を見るには都合が良かったのだが、とうとう新しいのと取り替えられてしまっている。そのぎらぎらした光が目に入って、星見はちょいとつらい情勢だ。
 それでもMeadeのアイピース3種+LVW42で土星と木星を眺めてみた。土星はかろうじてカッシーニの間隙が見えるかなというところ。木星は縞は割とくっきり見えるが、細部はいまいち。
 目をオリオン大星雲に転じると、SW24.5でトラペジウムがくっきりと四つ分離できた。もう少し空が暗かったら、さらに暗い星まで見えそうな感じだ。
 さらにシリウスを視界に収め、そのまま南に引いて行くと、やがてM41が見えた。100EDでは本当に小ぢんまりと見えるのだが、C8EXでは思いがけず大きく見える。それぞれ自己主張が強くない星たちが、どういうわけか集合しているさまは、見ていて飽きないものだ。

20世紀最後のお仕事

20時10分 暮らし 天気:晴れでしたっけ

 16:00までは平常のお仕事だったが、その後は職場の清掃にかかった。蛍光灯もマシンも磨き上げて、ぴかぴかになりました。これで新世紀を迎える準備が......ありゃ、机の整理がぜんぜんできて無いやん(T_T)(爆滅)。その辺は日本人の特性を遺憾無く発揮し、まあそこはそれなんですなそれなりにああしたわけです。かくして20世紀最後のお仕事もなんとなくそれなりに終わった気配が漂う情勢が濃厚になってきたわけだ。
 17:30からは納会。適当にビールを開けて飲んでいると、なんだか酔っ払っちまったい(XoX)/~ 早々に会社を去り、ドトールでコーヒーを一服して酔いを醒まし、さっさと帰宅した。

2000年12月27日(水曜日)

SW24.5の印象

23時55分 星見

 夜、晴れるかなと思っていたら、だんだん雲が増えてくるではないか。まだ雲の切れ間からオリオンが見えているうちに、ベランダに100EDを出してSW24.5を載せた。
 結構太いアイピースで、見口もSW18よりかなり大きい。故に見る、というより覗き込むという感じになる。この辺は他の長焦点アイピースと同じだ。見え味は、SW18をそのまま拡張したような感じで、さほど倍率を感じさせない。しかしSW18より5割くらい広い空域を一覧できるのは良い。例えば小三ツ星が視界にすっぽり収まってしまう。大三ツ星は70%程度のカバレージというところだろうか。結構いい感じ。でもSW18があれば要らなかったかな。むしろC8EXで使った方が気持ちよかったかも。このクラスでもトラペジウムは四つに分離できた。なかなか良く見えます。

半日年休

19時08分 暮らし 天気:晴れ時々曇り

 帰省準備のためにあれこれ買う必要が出てきた。会社は28日までなので29日に買いに出ても良いのだが、できれば29日に帰省したかったので今日秋葉にまで出ることにした。昼まで働いて、半日年休ということにした。
 予定通り昼に退勤して、そのまま戸塚から秋葉に向かった。13:30には早くも電気街口を出ていた。今日のお目当てはFAX/MODEMカードとTVチューナー、そしてあればリモコン対応のMP3プレイヤーだ。
 まずは若松の地下で懐かしのX-Jack式56KBPSモデムを入手。これが5000円以下という捨て値での販売で、昔14400KBPSのタイプを3万近くで入手した憶えがある僕には、いささか涙が出るような現実だ。ついでに700MBタイプのCD-Rメディアも買う(ウチの環境で焼けるかな)。
 その後、腹ごしらえのために例のトンカツ屋さんに寄り(おいしかった(^-^))、俺コンでUSB接続タイプのTVチューナ/キャプチャを買った。12000円ほどなので、まあ失敗してもそれほど痛くは無いだろう(といえるほど裕福ではないはずだが)。
 リモコン対応のMP3プレイヤーは、気に入ったものが見つからない。結局、上記2点だけ買って帰った。
 おっと、帰る前にスターベースに寄って、久しぶりに小物を買ったのだった。買ったのはMeadeのSW24.5mm。今持っているSW18より少し焦点距離が長いアイピースだ。アメリカンサイズで10mm前後、あるいは20mm超級のアイピースが欲しいと思っていたのだ。ちょうどBORGのアイピースが埋めていたセグメントなのだが、Meadeの2インチ天頂ミラーを使うようになってBORGのものでは焦点が出せなくなってしまった。その穴を埋めるアイピースが欲しかったというわけだ。実際のところ、UW6.7、SW18、LVW42の三つでほぼ事足りてはいるのだが、もう少し高倍率で、あるいは低倍率で見たいということは良くある。またC8EX用にLV40より広視界で倍率の高くできるアイピースが欲しくなった。できれば30mmクラスと思ったのだが、30mm級でアメリカンサイズというのは難しそうだ。そんなわけで、ちょっと協栄を冷やかした後、スターベースでざっと眺め、結局半値で買えるSW24.5に決めたというわけだ。アメリカンサイズという割には太いアイピースだ。もう一つ、KASAIが入れている同クラスのも気になったが、焦点が出せるか分からなかったので、多分SW18とさほど変わらないであろうこっちにしたのだった。
 そうそう、協栄にはLVW42の在庫があったので、欲しい人は早いうちに買った方がいいかもしれない。
 その後、ドトールで一服して、帰宅した。

2000年12月26日(火曜日)

子供には現実を教えよ

23時56分 思考

 gooのニュースチャンネルを見ていると、「マスオサンタに抗議殺到」という見出しが目に入った。なんでも、クリスマス前後のサザエさんで、マスオさんがサンタクロースのふりをしてタラちゃんの枕元にプレゼントを忍び込ませる、という筋の話があったそうだ。これ自体、なんということも無いごく普通のお話だと思う。ところが、この放送の後に視聴者からの抗議が殺到したという。記事によれば、大半は「子供の夢を壊さないで」という親たちからのそれだったという。
 しかしながら、ばかげた話ではないだろうか。いまだに(煙突から不法侵入して有価物件を年少者の枕元に不法投棄してゆくという)古典的なサンタクロース像を信じている子供などどれくらい居るだろう。今では小学生低学年の子供だって、ゲームボーイでRPGをプレイしているのだ。彼らは世界が様々な「お約束」で成り立っていることを、ちゃんと見抜いているのだ。もしもそのような環境に置かれて、なおかつ古典的サンタクロース像を信じているのだとすれば、それはよほど迂闊で現実世界への注意力が欠如しているか、あるいはなんらかの理由で異常に強い宗教的信念を持ってしまったかのどちらかではないだろうか。
 現代において、古典的サンタクロース像を守りつづける意義が、どれくらい残されているのだろうか。むしろ、そのような"純真な"子供は、いざ現実にサンタクロースが実在しないと知ったときに、世界の現実と自分自身の認識の巨大なギャップに悩んでしまうのではないだろうか。こころある大人は、むしろこのような番組の視聴をきっかけに、サンタクロースがどのようなお約束の下に"存在"しているのかを、子供に話してやるべきではないだろうか。
>いつまでも子供たちにサンタを信じていてほしいと願う親の気持ちの表れだったようだ。(日刊スポーツ12/26紙面より)
などと願う気持ちは分からないではないが、そんな子供はバモイドオキ神でも創造するか、ものみの塔にでも入るかしか精神の平安を保てなくなるのではないかと思うのだが。

今夜もお気軽観望

23時55分 星見

 風呂に入った後、PCの前に置いたスーパー親爺椅子に沈み込んでいたら、数分単位で意識が途切れてしまう。これは爆睡注意報発令だ。なにせ今夜はあまりにも寒い(外気温は氷点下に下がっている)ので、うたた寝すると風邪を引く可能性が大だ。一昨年のように風邪で伏せって年越しというのは情けなさ過ぎるので、さっさと寝ることにした。その前に髪をドライヤーで乾かし、歯を磨くと、少し頭が冴えた。寝る前にちょっと空を見ておこう。
 今夜も双眼鏡、しかもMIZAR10*42でのお気軽観望だ。最初、目が闇に慣れてないので、星はほとんど見えなかったが、慣れるにつれだんだん星が浮かび上がってきた。オリオン座周辺からおおいぬ座、こいぬ座にかけては星の絨毯を敷き詰めたような眺めだった。明るい星座たちの背景に無数の微光星がさざめいている。たかが40mm超の双眼鏡でこれだけ見えるのか。今夜は特に空の透明度が高いようだ。M42は染みのようにしか見えず、またM41もあまりにもささやかな微光星の集団にしか見えないが、星座の形を愛でるにはこの手の広視界双眼鏡が向いているようだ。
 あまりにも寒いので早々に布団に入った。

年内最後のお仕事は

21時04分 暮らし 天気:晴れてますね

 とりあえず、年内最後のお仕事を片付けたのだが、最後の最後で別の製品の都合でペンディングに。なんだか入れたはいいが出せないでいるような感じで、ヒジョーに気持ち悪い(なにがだ)。これが年を越しちゃうと俺様の担当分にまで手直しが発生するのだ。とほほほ。年内に頼みますぜ。

2000年12月25日(月曜日)

ちょっと星見

23時55分 星見

 その雨のせいか、夜になって空を見ると透明度は高いように思えた。しかしもう眠かったので、MIZAR20*80双眼鏡でざっとオリオン座辺りを眺めた。
 100EDやC8EXで見事な星景を眺めてきたので、双眼鏡程度ではと期待してなかったのだが。いやいやどうして、なかなか見せてくれましたぜ。
 直視型なので45度辺りにあるオリオン座は厳しいが、それでもオリオンの足元から手の先までじっくり眺めてゆくと、うじゃうじゃ星が湧いてくる感じで見事な眺めだ。大きな収差のために像が収束しないのは悲しいが、それを補ってあまりある眺めだった。さすがにM42は細かくは見えなかったが、いくらでも星が湧いてきそうな感じは、まさに天の川という感じだった。またシリウスでピントを正確に出し、ずっと南に辿ってゆくと、M41が簡単に見つかった。これも小ぢんまりとしているが、なかなかたくさんの星が見えてよい。
 20*80を引っ込めた後、では10*42の方ではどうだろうと思った。開口面積で1/4になるが、それでもオリオン座の眺めは見事だった。しかし実視界6.5度というのは、100EDにLVW42を着けて得た5度超の視界とそう変わらない。気軽さは、もちろん双眼鏡の方がずっと上だが。
 この口径でも、M41は楽勝で発見できた。やはり今夜は空気の透明度が高いようである。

一雨あったが

17時57分 暮らし 天気:くもりのち雨のち晴れ

 昼過ぎぐらいに一雨あった。まさに一雨、という感じで、ふと気づいたらしょぼ降っており、また気になって外を見たらもうあがっていた。幻のような雨だった。

2000年12月24日(日曜日)

またしても星を見た

23時55分 星見

 今夜も経緯台を路上に出した。今夜載せたのはC8EXの方だ。今夜は惑星をじっくり見たいと思った。
 早速LV40で土星を視界に収め、UW6.7で見た。ううむ、どうもはっきり見えない。100EDに較べて明るいことは明るいのだが、やはり本体がはっきり見えないのだ。C8EXだけなら筒内気流とか光軸のずれとかいったことが考えられる。しかし100EDともどもとなると、やっぱり高空の気流かなあと思える。
 木星も似たような状況で、どんなに慎重にピントを出しても、縞3本が関の山だ。
 オリオン大星雲を見た。こちらもピントを合わせにくいが、散光はかなりはっきり感じられ、またトラペジウムも四つの星を分離できた。もっと暗い星まで見てみたいもんだ。
 今夜はむしろワイドビノでの眺めの方が良かった。プレアデス星団はワイドビノでは小さな集団にしか見えないが、ヒアデス星団の方はその全景がくっきり見えて、素晴らしい眺めになる。またオリオン座の整った配列もワイドビノで見るのが一番良く分かる。
 部屋に撤収して、それから久しぶりに高橋の50mmフィールドスコープを出してみた。どうも向き不向きのある望遠鏡だが、オリオン座のように雄大な天体を見るのには比較的適しているようだ。問題はコンパクト三脚の安定性だろう。もう少し立派な三脚をつけてやりたくなった。

今日も横浜でお買い物

21時55分 暮らし 天気:晴れでしょっ

 クリスマスイヴ。妙に賑やかな日だ。
 昨夜、帰省時の通信用にモデムカードとかTVチューナカードが要るかもと思い始め、早速横浜に出かけた。この際、モデムカードとしてはV.34とEtherのコンボがあるじゃないかとか、帰省して小型テレビを買ったほうがよほど安くつくとかいったことはどうでもいいのだ。物欲こそ生きる原動力である(変わらんやっちゃな)。
 横浜の人通りは通常のさらに50%増という感じで、どこもかしこも人だらけだった。今ならナパーム弾一発で千単位の死者が出るな(危ないって)。
 まずは腹が減ったので、川向こうの珈琲ショップでスパゲティを食らい、その後で珈琲("かひ"と読め)を喫しながらPPKで駄文を打つべし打つべし。もう快適。Palmの日本語入力の至らなさと、シグマリオンのキーボードの貧しさに打ちのめされていた僕だが、PPKはまさに救世主だ。
 店を出て、ハンズに入った。今日は物欲抑制モードだったが、それでもいくつかの買い物が増えていた。まず浴槽の保温マット、それからガラス製のデミタスカップ、そしてエスプレッソ用丸型フィルタだ。最後のは無い無いと思っていたのだが、よく見るとエスプレッソメーカーの棚に並んで置いてあった。って、そりゃよく見てなかったというレベルですらないぞ。まあとにかく、必要なものは手に入った。
 次にヨドバシカメラ。ここではモデムカードとTVチューナカード、そして昨日買えなかったMP3プレイヤーを探した。最後のものとしては、AIWAが最近出したポータブルの奴に目をつけていた。
 まずモデムカードを発見。しかし予想外に高い。8000円超だ。これなら若松の地下で売ってたX-Jackタイプで7000円弱という奴の方が良さそうだ。
 またTVチューナカードは、けっこう種類があって迷う。USB接続の奴でもいいかと思うようになったり、キャプチャとして使えるものに目が行ったりして。結局、このどっちも買わなかった。帰省までにもう少し調べてみようと思う。
 最後のAIWAのプレイヤーは在庫切れで入手できなかった。ううむ、まあこれは来年にでも買おう。

2000年12月23日(土曜日)

PPK+ATOKはいける

23時56分 デジタルギミック

 寝る前に、買ったばかりのPPKとATOKをセットアップした。PPKはファンクションキーとのコンビネーションが拡張されていて、日本語入力のOFF/ONが可能になる。ATOKは1.5MBもメモリを喰うので、泣く泣く辞スパ漢字引きを削除して、領域を確保した。それだけのことはあった。実に快適なのだ。例えば、標準の日本語入力ではスペースを入力すると必ず1バイトスペースになってしまったのだが、ATOKではちゃんと2バイトコードのそれになる。また連文節変換はやはり賢い。入力効率が相当に向上するのだ。
 これがPPKとの組み合わせで最強に強まるのだ。PPKのファンクションキーとのコンビネーションで日本語入力のOFF/ONは自由だし、カーソルキーによる文節のきりなおしも自由だ。さすがに、PPK英語版での入力より圧倒的に快適になる。いやはや、もしかしてキーボードからの入力という点では、シグマリオンの存在価値がほぼゼロになったのではないかとさえ思う。実に快適だ。
 左のポッケにPalm、左のポッケにPPKと来れば、手ぶらで歩き回って、どこでもモノ書き出来る。ほんと、キーボードが構造的に柔という点を除けば、最強のモバイル執筆環境となったといえそうだ。

今夜も星を見た

23時55分 星見

 夜、日付が変わる頃に、アパートの前に望遠鏡を出した。経緯台に100EDを載せて、今夜も西に傾きかけた木星たちを見た。この時刻、天頂から南の付近には、ヒアデス、プレアデスの両星団に、木星と土星が合流し、さらにそれをオリオン座とおおいぬ座が追うという豪華な眺めになっている。100EDでプレアデスを眺め、姉妹たちが舞う様を充分に堪能した(オマエは自然科学雑誌のライターか)。木星も土星もいまいちよく見えない。木星は薄い縞が2本くらい、土星は輪と本体が分離できないくらいだった。当然、カッシーニの間隙は見えない。初秋に眺めていた頃はこれくらい分離できたのに。高空の気流が激しいせいだろうか。そういう意味で、シーイングは5/10程度だと思った。良く、夏の透明度は低くても気流の安定した日の方がシーイングは良いといわれるが、そのことを実感できる夜だ。
 次に100EDをオリオン座に向けていた時だった。アパートの前は少し広くはあるが、すぐ近くで道が狭まることもあり、往来はそう多くは無い。しかしこういうところにでも暴走族は出現するのだ。駅の方がうるさいなあと思っていたら、道の狭い方から7台くらいの原チャリが飛び込んできた。音だけは大きいが、ちんたら走る連中だ。うるせーなーと思いながら見送った。この連中、いつも決まった時刻に、だいたい同じ道を走っているのだが、なぜか警察はそれを阻止できないのだ。なんらかの理由で警察が手出ししないのではないか。あるいは、下手に手を出してこけられると、後でなにかとうるさいのかもしれない。しかしそんな理由で一般市民の安全が侵害されるのはたまったものではない。暴走族が自爆して人権派弁護士たちが騒いでも(彼らの活動は必要だと思うが、その全てを容認する必要も無いだろう)、僕は必ず味方するぞ。ってどう味方するのだ。
 神奈川県警の場合は、それ以前にほとんどやる気が感じられないというのが問題だ。相次ぐ不祥事に士気が下がっているのかもしれない。そういう面での建て直しと、暴走族を封じ込めるための戦術の開発が必要だろう。などと星見とはほぼ無関係な話になってしまったりして。

年末の秋葉へ

20時51分 暮らし 天気:晴れてるようです

 今使っているCD-RなMP3プレイヤーは、リモコンが無いのが最大の欠点だ。音量はヘッドホン側で何とかできるとしても、選曲できないのはやはり痛い。ということで、21世紀に向けて新しいプレイヤーを入手することにした(説得力が感じられないのは何故だ)。
 いつものように昼過ぎに秋葉に出て、まずは腹ごしらえしようと玄麺をのぞいたが、客が一杯で外に並んでいる人さえいる。ではいつものトンカツ屋はというと、こちらも一杯だった。仕方ないのですきっ腹抱えて秋葉を歩き回った。後で思うに、こういうときに例のおでん缶を利用すればいいのだろうな。
 目的のプレイヤーはというと、これがまた見つからない。売れてるのかどうか知らないが、今もっているのと同機種だったり、やっぱりリモコンが無い機種だったりするのだ。ちょっと買う気にならないな。
 ということで、プレイヤーを買えないなら買えないで、これまた別種の物欲が沸き起こってくる。秋葉落銭の法則とでもいうべきか、ここではこれだけ金を使うと決めた以上の金を、大体使ってしまうようだ。ということで今日の買い物は若松の地下でのPPK日本語版。最初は買う積もり無かったのだが、ATOKがついてこの値段なら高くは無いと思うようになり、本日とうとう購入。ああ、英語版PPKだってあるってのに。
 さらに30mm、あるいは10mm超クラスのアイピースを買おうかと思ったのだが、さすがに予算が厳しいので今日はあきらめた。
 帰宅途中、裏秋葉のドトールで軽食をとり、横浜までもたせた。

2000年12月22日(金曜日)

年内最後の仕事と千年期末

23時49分 思考 天気:果たして晴れであろうか

 午前中に二つ仕事を済ませた。どちらもほぼ紙の仕事なのだが、これがあちこちの部署のエゴまるだしのフォーマットばかりで楽しい。いや楽しくない。どうにも不条理な感じを拭いきれないからだ。
 とにかく物件を関連部署に送り、年内の仕事は残すところ後一つ。これが20世紀最後のお仕事になるだろう。はぁ、やっと一息つける。もう少し感慨のようなものを抱くべきなのだろうが、西欧文明人でも何でもない俺様には、この世紀なる概念などどうでもよいものだ。
 っておい、それは本当のことか? 現代の日本人など、西洋文明圏以外のどこに属しているというのだ。西洋文化さえも半ば受容しいるではないか。むかし、アパルトヘイト下の南アフリカで、名誉白人扱いだった日本人は"イエローバナナ"などと双方から侮蔑されたそうだ。外見は黄色人種だが、中身は白人化しているというわけだ。これくらい今の日本人を的確に表現している言葉はないかもしれない。しかし、それは日本人だけだろうか。朝鮮人だって、中国人だって、やっぱり程度の差はあれイエローバナナ化しているのだ。それと同じように、黒人だってアラブ人だって、実は西欧化が進んでいるかもしれない。
 西欧文明の黄色化、黒化も進んでいるかもしれない。それが端的に現れているのが、グローバルスタンダードなる言葉で無思慮に表現されている、価値観のモノシリック化だと思うのだ。
 この傾向は21世紀になっても、いや21世紀にこそ急進して行くのだろうな。嫌な時代になったもんだ(でもケーキは食うぞ)。

2000年12月21日(木曜日)

忘年会だが......

23時48分 暮らし 天気:くもり

 今夜は会社の忘年会だったのだが、仕事が押し詰まっていて結局出れないでやんの。それも設計の人が「明日から褒賞休暇なので」って事で仕事が前倒しになった影響なのだ。まあ気持ちはわかるのだが、だったら最初から正確な日程を組めといいたい。
 でもまあ、身も心もヘビーな状況だったので、実はそんなに忘年したくなかったのだ。よって、その忘年会がお開きになる頃、ようやく仕事から解放された我輩は、会社からまっすぐ帰宅したのだった。しかしまあ、疲れる仕事だ。

2000年12月20日(水曜日)

朝がつらいっす

22時47分 暮らし 天気:くもり

 今年もあとわずか。などということを、毎年毎年この時期になると繰り返し書きつづけてきたわけだが、今年もやっぱり書くわけだ。我に一切の進歩無し!(滅)
 なにせ今年の年明けは、思い出すのも嫌なY2K問題に潰されてしまったわけだが、その反動か今年はなんと11連休を取れることになった。11日だぜ、1週間よりさらに1週間の半分以上長いんだ。問題は、寒い冬、しかも遊べる場所が少ない季節であることだが......。

2000年12月19日(火曜日)

くもりで星はよく見えません

23時55分 星見

 夜、NIFでちょいとチャットに参加した後、ベランダに出てみた。うーん、帰宅する時もそうだったのだけれど、雲がまだ多くて空は白い。切れ目から明るい星が見えることはあるのだが。
 MIZARの10*42双眼鏡を西の空に向けると、明るい木星は見えるものの、すばるは雲に見え隠れしている。しかしヒアデス星団の辺りは、偶然にもかなり大きな切れ目に掛かっていたので、しばらくその雄大な配列を楽しめた。こういう手軽さは望遠鏡では追求し難い。
 手持ちの双眼鏡は、ワイドビノ2.5*40?と、MIZAR10*42、MIZAR20*80。50mmクラスのが欲しいところだ。このクラスには名機がひしめいているが、一番そそるのがキヤノンの50mm防振双眼鏡だ。これは液体を封じたアコーディオンのような構造の可変プリズムを使用して、手ブレの視野変動を打ち消そうというものだ。価格はこの手の機械としては安価で17万円弱。でも絶対的には高い。しかしながら、モバイル観望(笑)にはうってつけの機械だ。来年のボーナスで買おうかな。

コンビニパックはどうしましょ

19時43分 コンピュータ 天気:くもり

 いよいよ、OS/2の最新アップデート、いわゆるConvenience Packの出荷が開始されたようだ。これは要するにOS/2の最新フィックス集みたいな物だと理解していたので、ちょいと食指が動かなかった。なにせ、これを入手するには34000円も払ってSoftware Choice会員にならなければならないのだ。単なるフィックス集にはなあ、と思っていた。
 ところが、こにConvenience Packは単なるフィックス集以上の内容を持っているものらしい。例えばLVM、JFSといった新しいファイルシステムが搭載されているという。これは高信頼性を要求されるようなUNIXサーバに搭載されているもので、LINUXもようやく取り込もうとしている機能だ。これがあるとファイルの割り振り、障害復旧がぐんと楽になる。またJava2も提供されるのだとか(こちらはSoftware Choiceに登録されているかも)。そういう意味ではTCP/IP4.xも提供されるわけだ。こう考えると、かなり魅力的。フロントエンドで使っているこの機械だけはWindows系やPC-UNIXなどのメジャーな(笑)OSにしたくないので、こうなるとSCを買うのが理にかなっているかな。
 もう少し敵の出方を見定めようと思った。そもそも、いまからSC買ってCPを入手できるのか。

2000年12月18日(月曜日)

ダメじゃん

22時41分 暮らし 天気:雨ですが、上がりました

 ああっ、朝があまりにつらいし、だるいので会社を休んじゃいました。だって、エスプレッソ飲み過ぎて、前夜全然眠れなかったんだもん(ダメじゃん)。バカもいいところである(高らかに哄笑)。しかしそれ以前に、先週から全然治らない風邪がヘビーすぎる。
 よって、終日ぶらぶらとしておりました。

2000年12月17日(日曜日)

エスプレッソに挑戦

23時40分 暮らし

 立場のヨークマートで、マキシムだかどこかだかのエスプレッソ用粉を買い込み、お家に帰宅したのさ。早速、エスプレッソに挑戦だ。
 エスプレッソの原理は高圧の蒸気/熱湯を粉の間を潜らせて抽出するというもののはずだ。原理は分かっていたが、実際に買った装置の原理がいまいち分からん。
 モノはイタリヤ製のアルミ削りだしの製品で、日本の商社が輸入したもののようだ。サイズは拳二つ分程度か。上下に分かれ、ネジでねじ込む形になっている。下半分はさらに二つに分かれる。一つは水を入れておくタンクで、安全弁が横に突き出している。この弁に水が被らないように注水しろということらしい(当然だよな)。そしてそこに、ポツポツと網状の板がはまっている、漏斗様の部品をはめ込む。ここに粉を詰めろということらしい。上の部品は、まずネジのすぐ上に下の漏斗のそれより目の細かい網状板が、パッキンではめ込まれている。そして上の抽出した液体がたまる部屋に向かって、塔様の部品が突き出している。ここから抽出した液体が出てゆくらしい。ここが一番分からないところで、どういう機構で珈琲が液化するかが分からなかった。最初、下の貯水槽から蒸気が吹き上げ、粉の間を吹き上げる間に抽出し、上の穴から蒸気のまま噴出して上蓋で液化するのかと思っていた。しかし出方を観察していると、どうも液体のまま一気に粉の間を通り抜け、そのまま噴出するようだ。最後に蒸気が吹き上げる"ポコポコ"という音がするが、その時点で既に抽出は終わっている。これはサイフォン式のものと同じで、沸騰すると一気に上の抽出槽へとあふれ出るようだ。
 とりあえず抽出できたので、マグカップに入れてみる。うっかりデミタスを買ってこなかったので、200ml入るマグカップしかなかったのだが、その半分以下しか溜まらない様は情けないものがある。やっぱりデミタスで飲まないとありがたみが無いな。
 飲むと、濃厚でおいしい。ふつうの珈琲とは次元が違う飲み物だ。ドトールで頼むと、なぜかミルクだけついてくるのだけれど、本来は砂糖もミルクもドサドサ入れて飲むものらしい。お茶代わりのアメリカンカフィーに対し、こちらはデザート感覚なんだとか。
 ちょっと検索してみると、エスプレッソのエンスーな人々が良くヒットする。それによれば、エスプレッソの最適な抽出圧というのが9気圧程度らしいのだが、直火式では1.5気圧程度しか行かないものらしい。しかし、それでも通常の珈琲とは違う味わいがある。店屋で飲むエスプレッソに見られる"泡"は、最高15気圧にも達する機械式高圧抽出の副産物だという。この辺りになると、もう完全に別次元の飲み物だ。しかし、店屋で飲むモノの中には、わざわざあわ立てて誤魔化しているものもあるのだとか。努々、騙されまい。
 いやはや、珈琲一つとっても奥深いものであります。

横浜に

19時37分 暮らし 天気:くもりですか? 雨ですね

 昨夜は明け方近くまで起きていたので、昼頃目覚めてもまだ寝不足気味だ。ちょっとフラフラするが、用事があったので横浜駅西口近辺に出かけた。
 人ごみはいつものごとくで、密造酒時代のトンプソンSMGに100連弾倉を着けて撃ちまくると、きっと弾の数だけ殺傷できるであろう込み具合だ。
 まずはヨドバシに寄って、ステレオミニピン<->ステレオミニピンのケーブルを買った。さらにソフトウェアフロアでEasy CD CreatorV4とPocket WZ Editorを買った。前者はVer3を持ってはいるのだが、Windows2000では動作しない。価格も1万円程度と高価でないので買う。さらにシグマリオンをもう少し使い物にしたいので、後者を買った。シグマリオンにインストールされているPocket WordとMPエディタなるエディタは文字コードを自由に変えて保存できないので、HNSを使う上で難がある。そもそも、なにがなんでも拡張子txtを付けてしまうのが困りものだ(".hnf"をつけたつもりが"xxx.hnf.txt"とかになってしまう)。
 この時点で用事は済んでいたのだが、その後ハンズに寄ったのが間違いだった。ついうっかりの買い物を重ねてしまう。地階で自転車を見るつもりが、うっかり帽子と折り畳みマットを買う。夜、風があるときに星を見るのに便利だ。また上の階ではなにを思ったかエスプレッソマシーンを買ってしまった。といっても2500円の安物、直火式の奴だ。前から欲しいとは思っていたのだが、豆はどうしようと迷っていたのだ。ところが立場のヨ-クマートで、まさにエスプレッソ用のパッケージを売っているではないか。そういうわけで、血迷ってエスプレッソマシーンの数々を見て回っているうちに、思わず買っちまったって寸法さ(何様だオマエ)。しかし高価な電動式の機種をいきなり買わなかった分だけ、多少なりとも理性が保たれていたようだ。なんていっても、実は単に安物買いの銭失いだったりしてな。

2000年12月16日(土曜日)

星を見ましょう

23時55分 星見

 さて、そのチャットに出る前に、アパートの前に経緯台を出して星を見た。アパートの前は街灯が目に入りやすくて、実はそんなに好きじゃないのだが、北から天頂にかけても視界が開けるのがいいところでもある。
 まずは100EDですばるを視界に収めた。LVW42で見るとすばるの全景が視界に入り、本当に見事な眺めだ。強いて欠点をいえば、あまりにすっぽり収まっているので、かえって広がりを感じにくい点だろうか。しかし慎重にピントを出すと、後から後から星が湧いてくる感じで、横浜の空でもここまで見えるかという感動がある。ヒアデス星団はさすがに視界に収まりきらないが、一番星が濃い領域を視界に納めると、こちらもきらきら美しい。その上下に輝く土星、木星に向けた。SW6.7で見てもあまりはっきり見えない。土星はカッシーニの輪も見えず、木星は縞が濃く3本くらい見えるが、大赤斑は見えそうにない見え方だ。
 さらにオリオン座に向けた。オリオンの目が向いてる方向に望遠鏡を向けて行くと、ごく細かな微光星が視界をすーっとかすめて行く。なかなか楽しい眺めだ。またオリオン星雲も今夜は見事で、トラペジウムがくっきり四つ見えた。OR6+2.2倍バローで強拡大しても、けっこうくっきり見える。
 M41を探し、UW6.7で見ると、これはささやかな星団という感じでなんとなくほっとする眺めである。~
 もう少し惑星を見たかったので、C8EXに載せ換えて土星、木星を見た。やっぱりいまいちはっきりしない眺めである。光量は豊かなので像は明るいのだが。さらにオリオン星雲も、こちらは散光がくっきり浮かび上がり、まさに星雲という眺めである。もう少し暗い空が欲しいところだ。

NIFTYに復帰しますか

22時34分 インターネット 天気:きっと快晴でしょう

 まあNIFTYも@NIFTYに変わったことだし、復帰するか(なぜだ)。
 実は以前からPalm Portable Keybordをなんとか使いものにしようと悪戦苦闘していたのだが、厚い壁に阻まれてうまくいかないのだ。正規の日本語版ドライバの公開が停止され(まあ言い分は分かるのだが、Palmってけちだな)、このままではPPKでどこでもパコパコ計画が挫折する恐れが生じてきたのである。日本語入力の要であるキーバインドを決めるキーボードドライバが英語版のままでは、例えATOK Pocketを入れても使い勝手が悪すぎる。さすがに日英切り替えの度に画面タップでは辛いし、候補選択もタップでは入力速度が落ちまくりだ。しかし世の中はよくしたものである。VISOR用の日本語ドライバが公開されているのだ。実は前に試してみたのだが、なにを入力してもシリアル通信が起動されるという訳の分からない挙動をするので、その時点では諦めてしまったのだ。しかし世の中には凄い人もいるもので、この日本語ドライバでASCII配列(つまり英語版)PPKを使いたいからと、わざわざパッチを当ててしまったらしいのだ。単にソフトウェアにパッチを当てるというだけならよく行われているし、僕も大昔にTP220用Windwos3.0ディスプレイドライバにパッチを当てて公開したことがあった。しかしこのPPK用ドライバの場合はオープンソフトではないし、Windows用ドライバのようにリソースエディタの類で何とかできるものでもない。きっと、バイナリエディタで怪しい配列を探し出し、try and errorを繰り返して作ったのだろう。それを試してみたのだ。~
 ところが、これでも挙動は変わらない。WorkPadでもうまく使えたという報告があったのにな。しかしそれはJ-OSでの事だったかもしれない。こうなると、情報を集めないと駄目だ。それで最近快進撃中のgoogleを駆使して探してみたのだが、これという情報はない。あちこちに大きな情報リソースはあるのだが、どうも話題が分散しすぎて追跡が難しい。ならば国内最大級のリソースである@NIFTYで探そうということにしたのだ。
 もちろん、他にもいろんな情報を探したいというのもある。また帰省中のインターネットアクセス手段としても使えるかと思ったのだ。はっきりいってNIFTYには愛憎相半ばするものがあるのだが(笑)、まあ21世紀も迎えることだし(関連不明)、復帰してやるかという寛容な気持ちになったのだ(相手にされてないと思うね)。
 入会手続きをとり、懐かしのFSFをのぞくと、懐かしの面々がチャットをしているではないか。しばらくお話しして、明け方近くにようやく落ちた。すごく懐かしいな。やはりウェブチャットより遙かに使いやすい。JavaAppletベースのものも結構使えるし、TELNETベースのものだとやはり使い勝手がいい。でもあんまりいけないかも。他にもいろんな楽しみができてしまったから。

2000年12月15日(金曜日)

20世紀も大詰め

22時10分 思考 天気:晴れどえす

 いよいよ20世紀もお終いだ! いや別にうれしいことは無いはずなのだけど、どこか晴れやかな気持ちもある。思えば、20世紀は長かった。なんと100年もあったのだ!(間違えでは無いな) いいかげん、みんな20世紀には飽き飽きしていた頃だろう。ちょうど折り良く世紀が変わることに、みんな基本的には賛成なはずだ(というか賛成もくそもあるのか)。
 来年は良い年でありますように(そろそろ鬼も笑うまい)。

2000年12月14日(木曜日)

寒いやん

22時09分 暮らし 天気:晴れ(ややうす雲あり)

 朝から晩まで寒い寒い。寝室(というか布団を敷いた部屋に過ぎない)で朝目覚めると、起きるのが大変につらいのだ。ほんと、会社に出勤するのが億劫で、このまま布団に包まっていたいと。こういう願望は誰にだってあるはずだ(爆)。
 それにしても、今年は仕事が少なめだと思っていたら、いつのまにか忙しくなっている。これが師走の威力か。

2000年12月13日(水曜日)

分煙してよ~

22時07分 思考 天気:晴れでしょっ

 今日は定時退勤日だったので、さっさと会社を退けて図書館に。「ミステリーストーン」という石にまつわるエピソードをつづったエッセイを読んだ。ある種の鉱物が薬剤に使われている(例えば石炭が腹下しに使われるとか)というのは知ってはいたが、他にも想像以上に広範に用いられているらしいと知った。例えば、クッキーには石英の一種が練りこまれているとか。そういえば、中国辺りの固い豆腐(司馬遼太郎は土佐にもあると書いていたが)にも石膏が使われていたような。
 図書館からの帰り道、ドトールで一服していると、煙い煙い。周囲は無遠慮に煙を吐き出すスモーカーで一杯だ。隣に座っていた編物している女性も窓を開けたがっていたな。喫茶店のような場所で、どうして分煙が徹底できないのか不思議だ。まあ、この店は凄く狭いので物理的に無理なのかもしれないが。そもそも、喫煙者たちは自分が吐く煙が周囲にどんな影響を与えているか理解できているのだろうか。僕の父が凄いヘビースモーカーだったので、実は僕自身は結構平気なのだが、しかし体調が悪い時は本当にきつい。税収のことを考えると喫煙文化の撲滅はまあ先延ばしにしていいのだが、分煙の徹底と吸殻の投げ捨てを撲滅することは社会の急務である、と個人的な怨恨から思うのである。

2000年12月12日(火曜日)

星を見る

23時06分 星見

 今夜もベランダにTG-LAを出し、100EDを載せて星を眺めた。本当はアパートの前の道路に出そうかと思ったのだが、あまりに寒いのでヤメ。一昨日は風が無くて穏やかな夜だったのだが。
 さて、いつものようにオリオン座と挨拶する。いつもより慎重にピントを出すと、いつもよりシャープな星像が得られた。いかにいつもいい加減にピントを出しているか分かるというものだ。今夜の寒さとあいまって、オリオン座の姿は冷たく冴え冴えと浮かんで見えた。うむ、グレート。

8時間寝ても

19時05分 暮らし 天気:まだまだ快晴

 前日、早々と眠くなって、寝たのが0:00前だったろうか。起きたのは8:00頃だったので、だいたい8時間は寝たことになる。しかし眠い。まだ眠いのである。どうも僕は、7時間くらいのところに「1日中すっきり」境界があるらしく、これより長くても短くてもダメなのだ。難儀なものだ。こういうときはさらに2時間ほど寝直せばすっきりするのだが、仕事があるのでそれはダメ。従って会社で(爆砕)
 朝、起きるのがつらい季節だ。

2000年12月11日(月曜日)

日記を書くこと

23時04分 思考

 それにしても、連日連夜、良く書くことがあるもんだ。12/5の日記は記録ものだが、他の日にも何某か書きなぐってきた。この他にも結構創作も書いているわけだから、良くも書くことがあるものだと我ながら呆れる。これが金になればなあ。しかし金になるならこんないい加減な妄想ばかり書き連ねるわけにも行かないだろうと思ったりして。
 考えてみれば、日記は僕にとって第一義的に日々の備忘録であり、また未来に繋げるための思考の過程を残すことであり、また演じることだ。演じるものはなんだろう。誠実で前向きな1市民かな :) 同じようにWeb日記を着けている人たちも、毎日起こったことの全てを正直に書き連ねているわけではあるまい。いずれにせよ演じるという要素はWeb日記に不可欠であり、そもそも日記というものは誰かに必ず読まれるものなのだから(自分だけにせよ)、日記者は結局自分を含めた観客を相手に何事かを演じる者に他ならないのだろう。

水筒壊れる

21時03分 暮らし 天気:晴れっ

 つい先日買ったばかりの水筒が、もう壊れた。珈琲を入れて会社に持ち込んでいたのだが、継ぎ目の部分から漏れ出すようになってしまったのだ。最初、洗う時に継ぎ目に染み込んだ水が漏れているのかと思っていたのだが、明らかに内容のほうが漏れている。それほど激しくはないが、ビニールで包んでおかないと珈琲まみれになっちまう。次はもっと丈夫な、バックパックへの収まりが良いものにしよう。

2000年12月10日(日曜日)

NHKスペシャル

23時02分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「ハイテクが支える私の人生」。アメリカにおける障害者向け補助器具開発の現状をレポートする。
 アメリカでは'90年代初頭、ブッシュ政権時代に障害者の雇用と設備の整備を義務付ける画期的な法律が施行された。画期的なというのは、この法律が経費負担にしり込みする官庁、企業の認識を覆す狙いを持っていたからだ。つまり、障害者が社会に参加する結果生まれる富は、その参加に必要となる費用をやがて上回るだろうという主張が込められていたからだ。
 この法律が重く見られた背景には、アメリカ社会における障害者の多さがある。アメリカは世界の警察官として数多くの紛争に介入してきた歴史がある。その結果、WW2を始めとする多数の負傷兵が生じ、多くの障害者を抱えることになったわけだ。
 アメリカにおける障害者人口は4000万人にも達する。これが比率的に特異に多いのかどうかは分からないが、人口の1/6強という数は相当のものだ。この人たちに社会への参加機会を与えれば、それだけ社会の富が生み出され、やがてその負担に見合ったものになるというわけだ。さらにいえば、障害者向け機材は、高齢者のためにもそのまま流用できる。このまま行けば、日本など他の先進国向けの市場が望めるから、障害者市場への投資がアメリカの貿易を支える日が来るかも知れないと思った。日本人はASIMOの発達に賭けるしかないかなあ。

ちょいと戸塚へ

17時00分 思考 天気:晴れ時々雨

 昼前には目覚めた。昼過ぎまでうだうだとDiablo2をプレイしていたが、前に較べてかなり安定しているような気がしてきた。CD-ROMドライブを交換する前は、時によっては1時間以内にハングアップの憂き目に遭っていたのだが、昨日交換してからはそういう目に遭っていない。まだプレイ中にガクガクした動きを見せることはあるが、まあ許容範囲だろう。色んな手を打った効果が出てきたのだろうか。
 そんなことをしてたら15:00を回ってしまった。慌てて身支度をして部屋を出た。
 戸塚に出て、図書館で本をむさぼり読む。最近、通常は神聖不可侵なものとして扱われている「人権」が、では何者によって保障され、かつまた必要に応じて国家による制限が可能になるのかという疑問を持っているので、その筋の本を読んでいる。
 ざっと概観した限り、憲法などの法律で明文化され、取り扱われている「基本的人権」と、その背景に言及される「人権思想」は別物らしい。前者は個人が社会共同体の一員として義務を負い、その代わりに権利を得るという社会契約論に基づいている。Civil Rights、日本語では公民権とか市民権とかいった言葉で表されているモノだ。しかし後者はやや毛色が異なる。というのは、この「人権思想」、つまり人間の基本的な権利には人間によって奪ったり拡張したり出来ないものがある、つまり「神聖不可侵」なモノを含んでいるという思想を実現するには、どうしても人間以上の何者かの存在と、それによる保証を必要とするからだ。僕たち日本人の場合は、それを「社会」だと素朴に考えてしまうのだが、しかし個人の権利の集合体に過ぎない「社会」なら、そこに生じる全ての権利を自由に制限したり抹消したり出来るはずではないだろうか。個人、さらにはその集合体である社会の枠外からの保証があるからこそ、抹消することが出来ない権利が生じるとは考えられないだろうか。
 考えてみれば、その創生期において「人権」が神聖不可侵なものとされなければならなかった背景には、当時(例えば権利章典が書かれた当時)の権力、つまり王権に対抗する必要があったからだと思う。そして王権をも上回る権力の持ち主として想定されたのは、神ではなかっただろうか。つまり当時の王権神授説を逆用し、王権をも自由に授与できる神が人間に与えたものなのだから、「人権」は王権によって左右することは出来ないとされたのだろう。このようにして、当時正統とされた王権を保証する力を利用することで、人権思想は自らを正統化できたのではないだろうか。
 こう考えると、アメリカが人権思想を建国の基本思想にしながらも、20世紀まで黒人のCivil Rightsが制限されてきた謎が解ける。つまり人権はそもそも人間によって左右できないのだから、全ての"人間"(有色人種は19世紀まで人として扱われなかったわけではあるが)が生まれつき持っているような「人権」としては不可侵であり、そもそもいかなる制限も不可能なので政府の責任も生じない。しかし「基本的人権」は個人が社会と契約した結果生じるものなのだから、責任能力がない(とされていた有色人種などの)人間に対しては制限できるとしたのではないだろうか。その結果、教会では共に友愛を謳いながら、その外では1級、2級市民として公民権を軸に争っていた謎が解けるように思う。
 翻って日本国憲法を読むと、そこには色濃い「人権思想」が見える。憲法で様々な保証の対象とされているのは「基本的人権」だが、財産権などが滅多やたらと個人の権利に軸を置き、公共側の比重が軽いのは「人権思想」の影響だと思う。元々、土地などの財産は個人の寿命を超えて永続するものであり、それは対社会レベルの効果をも視界に置かなければならないだろう。ところが日本では個人の権利が声高に主張されるあまり、本来公益として捉えて推進されなければならない公共施設の建築が困難になる。例えば各地で頻発しているゴミ処理場問題もそうであり、また成田空港建設時のドタバタもそうだろう。さらにいえば、国家によってさえ左右できない権利が個人にあるという思想からは、国家の重量を軽視する思想をも生じさせるのではないだろうか。先鋭的な市民運動家に見られる主張、「国家などいらない」というあまりに無理のある主張(では村は、家族は?)は、こうした背景からしか生まれないのではないだろうか。というのは、共産主義思想は人民の総意である国家が全てを決定するという思想であり、そもそも「神聖不可侵」なものなど生じない。旧ソ連での独裁の歴史、そして中国での死刑の凄まじい多さは、人間の価値など国家のそれに較べれば紙切れ一枚ほどでしかないという、共産主義思想の本音をあらわしていると思う。つまり、日本の市民運動の背骨には、共産主義思想は通ってないと思うのだ。
 んで、読んだ本の中で面白かったのは、「アメリカ憲法には人権思想が見られない」というものだ。当のアメリカ人には、「人権思想」と「基本的人権」の差異が自明のものだったらしく、用心深く「人権思想」を取り除いている。下手に「人権思想」を明記すると、国家が個人の総意を越える権限をもつか、国家を超える権限の担い手を想定するかの二つに一つしかなくなる。近代国家を成立させる上では危険なことだ。それなのに日本国憲法では人権思想が色濃く見られ、それだけではなく憲法の条文中で言及さえされている。この謎は、日本国憲法の起草者やマッカーサーが、半ば宗教的な意味での「人権思想」の信奉者だったことで説明できる。さらにいえば、日本国憲法において「戦力の放棄」という画期的な条文が明記されたことも、人権思想によって説明できそうだ。つまり、人間に人権というものを保証する超人格的な実体が存在するからこそ、戦力を放棄しても平和を維持することが出来るというわけだ。
 しかしながら、現代の日本人に超人格的な実体など想定できるだろうか。超国家的な権力の担い手など。例えば日本の裁判所で「神でも仏でもいいからあなたが絶対的に信頼する超越的な存在に宣誓せよ」と言われれば、ほとんどの人は宣誓を拒否するのではないだろうか(いやシリウス星人とかチャネリング友達に喜んで宣誓する人もいそうだが)。日本人は宗教意識が薄いといわれつつ、様々な宗教行事を催す人間集団だ。しかしその「薄さ」の実態は、「世界の全てを決定する超越的存在」の存在を信頼できないという点に掛かっているように思える。そのことは、多分キリスト教徒の少なさが傍証していると思う。そういう日本人に、ナマの「人権思想」は向いてないのではないだろうか。
 むしろ個人と国家との関係性を明らかにし、その諸権利、諸義務の積極/消極的保証内容を列挙した方が良いと思うのだが。これは憲法改正程度では難しそうだな。
 図書館を出て、ドトールに寄ってシグマリオンで日記を書き、さらに本屋に寄って帰宅した。

2000年12月09日(土曜日)

経緯台を使ってみた

23時55分 星見

 TG-L経緯台を組み立ててみた。三脚は頑丈そうで、その上に乗る経緯台自身も高橋鉄工所謹製という感じで頼もしい。ベランダに出して、C8EXを載せてみた。重いC8EXもがっしり支えてくれる。また三脚は開ききらないでもかなり安定しているので、狭いベランダでのハンドリングも楽だ。GPを設置することを考えれば、遙かに使いやすい。
 この状態での追随性には疑問があったが、しかしC8EXのかなり高倍率でも案外に天体を楽に追尾できた。操作感がスムーズで、思った方向に楽に向けられるのが大きかった。
 ちょっと時間をおいて、南中したオリオン座にC8EXを向けてみた。LV40で眺めると、高度があることもあって背景がさほど白くならず、星がかなり鋭い輝点になってくれる。さらにSW18に換えると、M42近辺の細かい構造までよく見える。光量の差のせいか、100EDで見るよりやはりよく見える。しかし、明るい星は点になりにくい。
 またちょっと時間をおいて、今度は100EDと見比べてみた。SW18で見るM42は、トラペジウムの星が4つ、きれいに分離できる。またM41は100EDにくらべてたくさんの星が見えているようだ。いいなあ、この経緯台。ベランダ観望には、手軽な経緯台が向いているように思った。

どうして安定しない4号機!

20時57分 コンピュータ

 帰って、4号機にDVD-ROMドライブを取り付けた。これはスロットイン式なので、なんとなく楽しい :)
 しかし、やっぱり動作中にエクスプローラが気絶する現象は解消されない。グラフィックアダプタ、LANアダプタのドライバを更新したが、駄目。さらにはBIOSの更新までやったが、だめ。まるで効果がなかった。こうなるとWindowsMe自身の問題だと思わざるをえないなあ。

経緯台を買う

17時55分 星見 天気:快晴が続きます

 一晩なにも考えずに寝たが、起きると既にTG-L経緯台を買うことに決めていた。C8EXクラスを支えるには、やはりあのクラスが必要だ。かなりの大きさではあるが、持って帰れないことはないだろう。そんなわけで、14:00過ぎには秋葉に向かって出発した。
 まず、昭和通り口からスターベースに向かった。スターベ-スは、どうしたことかかなりの賑わいで、ひっきりなしに客が訪れている。ボーナスシーズンだからだろうか。これが世間で天文趣味が復活している予兆ならばいいのだが。
 スターベースでは店員さんにTG-LにC8取り付け可能であることを確認し、大きさを確認して持ち帰ることにした。そして梱包してもらった経緯台をバックパックに、三脚を手に提げて店を出た。
 次にDVD-ROMドライブを求めて秋葉の電気街に向かった。今、4号機に着けているCD-ROMドライブは、時々応答しなくなるという不安があり、また4号機で多発している様々な現象は、もしかしてこのドライブのせいかも知れないと思うようにもなったのだ。DVD-ROMの価格もそれほど差があるわけではなくなったので、適当な複合ドライブを買うつもりだった。
 一通りTwoTopなどを見て歩いたが、気に入ったものが見つからなかった。WinDVD付きの機械が欲しかったのだが、あいにくほとんど売り切れだった。ちょっと疲れたので、例の富貴で腹ごしらえすることにした。
 豚カツ屋さんは店じまい寸前だったようで、僕が入るとすぐに暖簾をしまっていた。豚カツ定食980円でこれは、貧乏人には本当に助かるなあ。汁物が丸五のような赤出汁ではなく、合わせ味噌の豚汁であるのも嬉しいところだ。
 満腹して、いい気分でカクタソフマップの裏口をのぞくと、パイオニアのWinDVD付きドライブが目に入った。これで手を打ち、そのまま帰宅した。

2000年12月08日(金曜日)

星を見ました

23時55分 星見

 ボーナスも出たこと出し、星でも見るか。
 日付が変わる頃、まずタモリ倶楽部を見て大笑いして、それからベランダに出た。オリオン座、おおいぬ座が相次いで南中しようという時刻である。100EDにUW6.7を着けて、まずは明るい月を眺めた。今夜は、いったいどうしたことか、ピントがくっきりと合わない。何となく細部がぼやけたような感じになる。仕方ないので、大まかな形を愛でることにした。
 じっくり月を堪能した後は、オリオン座に望遠鏡を向けた。接眼鏡は、最近はオリオン専門になりつつあるLVW42。オリオンのように雄大な星座は、この超広視界のアイピースの独壇場だ。
 しばらくオリオン座の全景を眺めた後、就寝。

経緯台を買おう

22時00分 星見

 ボーナスが出たらその使い道を考えるのが筋だろう。しかしながら、我が輩の場合、日頃の無駄遣いがたたって自由になる金がほとんどない。そのわずかな金をなにに使うかが問題である。
 このところ、コンピュータ関連にさんざん金を使ってきたので、次は天文関係ということになるだろう。しかしこれも、それほど高いものは買えない。
 買うとしたらアイピースは除外だろう。もう各クラス揃っているから、これというものがない。まあ20後半クラスのが一つあればいいかもしれないと思うけれど。すると、次は架台の方に目が向く。買うとすれば経緯台、それも頑丈なそれがほしい。大型経緯台の選択肢は結構限られていて、高橋のTG-Lかミザール、ケンコーの目に付いた奴ということになりそうだ。テレビューのF2も良さそうだが、両持ちタイプのものは搭載できる望遠鏡の径が制限されそうだ。するとTG-Lなのだが、これは7万円するしなあ。悩ましい限りである。

ボーナス出ました

13時11分 暮らし 天気:真っ青な空、快晴

 ボーナスが無事に出ました。以上。

2000年12月07日(木曜日)

まだまだ続くぜ新マシーンとの戦い

21時10分 コンピュータ 天気:晴れ風

 W2Kな機械からはOS/2機へのアクセスが自由に出来るようになった。これは便利なのだが、このときに他の機械(例えばWindows98機)からはWarpな機械へアクセスできないことに気づいた。ううむ、認証の問題かもしれない。また調査しなければならない。
 こうなると、今はOS/2機が担っているファイルサーバ役を他の機械(例えばLinuxを使っている3号機)に移設した方が良いのかもしれない。3号機のディスク周りはレガシーデバイスで占められているので、これを取っ払って1号機からUltraWideSCSI系統を全て移設する。実は1号機のSCSI系統は歴史的事情(謎)からUWSCSIとNallowSCSIの二系統になっていて、ファイルサーバ系はUWSCSI系のHDDだけに担わせていた。これを移設するのは簡単だ。しかし、今のところOS/2機からLinux機のSambaエリアへのアクセスは出来ていない。たぶん、コンパイルオプションをいじってSambaをインストールしなおせばいいのだろうと思っているのだが。~
 週末にでも気合を入れて調べるか......(はぁ......)。

2000年12月06日(水曜日)

図書館に寄る

23時55分 暮らし

 定時で退けたので、戸塚の図書館に寄った。ここは平日19:00までのはずだ。水曜日だけ17:00までなんて事だったら大笑いだ、と思いつつ向かうと、ちゃんと開館していた。
 ここでは少年法と死刑廃止に関係する本をいくつか読んだ。ロボット工学書は相変わらずどこにあるのか分からない。探し回るしかないのだろうか。
 帰り道、ふとした偶然から商店街にドトールがあることに気づいた。というか、前に気づいていたはずだよな。すっかり忘れていた。ちょうど、会社からの帰り道、一服するところが欲しかったのだ。米国珈琲を喫しながらシグマリオンに駄文を叩き込んだ。
 帰宅すると20:00過ぎ。風呂に入ってビデオを見ているうちに眠くなったので就眠。

今朝も快晴なり

10時08分 暮らし 天気:なおも晴れ

 今朝もいい天気だ。晴れ晴れした気持ちになる、かもしれない。こういう日は会社をサボってお散歩に出かけたいもんだ。事実はお日様を拝むことなどなく分厚い壁に囲まれて、居並ぶPC群の間で仕事を続けているわけだ。微小電磁波が本当に人体を損なうものならば、毎日死へと更に近づいていることになるんだろうな。
 それにしても昨日の日記、長いよ......(16KBもある)。

2000年12月05日(火曜日)

星を見ました

23時56分 星見

澄んだ夜空だった。小三ツ星辺りでささやかな輝きを放つ星たちを見た。空にこんなものがあるということを、犯罪を犯す少年たちは実感できないのではないだろうか。LVW42での星空散歩は本当に楽しい。これでナグラー5があれば......(価格が3倍するからなあ)。
 ベランダがあまりにも寒いので、そそくさと撤退した。

少年犯罪にどう対応するのか

23時55分 思考

 以前から「犯罪者、特に少年犯罪者はその後どうなるのだろう」ということに関心があった。刑事法学的には、犯罪者はその罪の重さによって刑が定められ、その刑を終えて世に出てきたときには更生して真人間に戻っているとする。まあその間に収監者の態度を計るような仕組みもあるわけだが、平たく言えばこういうことになるだろう。だが本当に更生しているのだろうか。そういう疑問は誰だって持っているはずだ。
 一応、性犯罪者の再犯率は高いとか、そういう統計的なデータはある。しかし僕は個々の犯罪者が、その後どのようにして更生できたのか、あるいはできなかったのか、そのナマの実態を知りたいと思った。
 まるでそんな声が届いたかのように、テレビ朝日のニュースステーションで、かつてあった殺人事件の加害者と、被害者の遺族のその後を追うという企画があった、らしい。らしいというのは、検索にヒットしたのはその番組を見た視聴者からの声を集めたページで、当の番組は先週のうちに放映されてしまっていたからだ。そんなわけで、直接の感想ではなく、その番組を見た視聴者の反応を見ての感想ということになってしまう。
 その番組では、事件の経緯、加害者の一人が語る事件当時の心の動き、そして少年院を出所してからのことが、本人の口を通して語られたらしい。また別の加害者の一人が家に閉じこもって、家族にも社会にも向き合えていない現状が語られたようだ。
 そのページでは、様々な点に非難が集中していた。事件について語った加害者("彼"とする)があまりに淡々と事件を客観的に語りすぎた点、そんな彼が今は結婚して子供まで設けている点、遺族が当初「放映しないで」と申し出たのに番組の放映が強行された点、そして番組側の総括があまりにもありきたりな点に、多くの人が怒りを表明していた。僕はそのページの意見を一つ一つ読み、時々熊のようにうろうろと歩き回りながら、しばらく考え込んだ。

 この事件は有名なので、ある年齢以上の人は知っているだろう。数人の少年たちが、何の関係も無い一人の少女を拉致し、一月あまりも性的な暴力を加えつづけ、挙句の果てに殺害して死体をドラム缶に詰めて捨ててしまったという事件だ。およそ良心というものを持つ人間には想像することすら耐えがたい、無惨な事件だった。この少年たちは野獣のような存在で、完全に狂っていた。
 多くの視聴者の意見のうち、かなりの部分を占めるのは「どうして犯罪者をのうのうと生かせておくのか」というものだった。「社会に出すべきではない」、「同じような目にあわせてやりたい」という声が多かったように思う。このような声が出る背景には、現在の少年法や刑法への不信があると思われる。視聴者からの反応に多量に含有されていた「厳罰主義」の主張も、そうした不信を背景にしている。
 少年への厳罰を望む声が大きいのは、こうした犯罪少年たちに二度と社会に出てきて欲しくないという希望を表しているのではないだろうか。というのは、厳罰主義には限界が無いからだ。たとえば今回の少年法の変更で、逆送致処分の下限年齢を14歳に改めたが、それでも14歳以下での凶悪犯罪を起こす特異例は発生するはずだ。するとそうした特異な少数例がマスコミによって扇情的に取り上げられ、さらに引き下げるような圧力が生じるはずだ。しかしこの方向には限界がある(年齢には下限があるので)ので、次は拘置期間の延長という方向に必然的に向かうだろう。実際、前記の視聴者たちの声には、拘置期間を延長せよという主張の方が圧倒的に強い。すると拘置期間を延長する方向に働き始めるだろう。しかし厳罰、というのは、ある基準に比べて厳しいということだ。この場合、今まさに実施されている処置に比べて、さらに厳しいものを望むことに他ならない。すると以前より厳罰化された新基準よりさらに厳しいものを望む主張が現れ、さらに厳罰化が進められてゆきかねない。その結果、少年たちが僕たち(特に厳罰主義者)の前に現れることはずっと先か、あるいはその機会がなくなるだろう。厳罰化を主張する人々の根源には、そのような希望があるのだと思う。「殺人犯はたとえ少年でも死刑にせよ」という主張が散見されるのは、こうしたニーズの極限にあると思って良さそうだ。
 厳罰化のもう一つの意味は、その犯罪責任の按分を本人に多く負わせることにあると思う。犯罪の主体は個人なのだから、その個人が責任を免れうるとは考えられない。しかし、その周囲の環境、特に人間関係というものを無視して本人責任を設定するのも馬鹿げた話だと思う。
 実は本人の責任を強調することは、そう強調する人を含む社会による関与、責任を低減させることを意味するのではないか。つまり、当人の責任を極めて大きく捉えようとする声は、実は自分自身がこの事件のプロモーターに回っているという事実を否定しようとする心理の現われではないだろうか。僕らにだって同じ社会に生きる他人、特に少年たちに様々な注意を促す義務があるはずだ。「罪は罪」と叫ぶ(そう、ほとんどすべてが怒りに満ちた"叫び"なのだ)人々は、自分自身はそういった義務をまったく果たせていないという負い目を否定するために、そうしているのではないだろうか。
 もちろん、環境の責任を重く見すぎることは逆の効果もあるだろう。事実は二つの立場のどこかにあり、犯罪に環境が関わっていること自身は否定しようが無い。

 特に厳罰化を望む人たちの意見を読んで驚くのは、事実関係をまったく調査していないらしいということだ。たとえば、少年法改正反対を主張する人々に対し、「人権屋」というラベリングを行い、そして「被害者の気持ちをまったくわかっていない」と一刀両断にする。しかしその人権屋(とされるのは例えば日弁連だろう)ほど被害者救済の必要性を痛感している人々はいないのではないかと思う。というのは、少年法や死刑廃止の論議に絡めて、被害者救済の具体的方策を示すのは、必ずといっていいほどその"人権屋"の方だからだ。特に今回の少年法改正問題に絡めて、被害者保護の重要性が反対派から示されなかったことは無いといってよいように思う。確かに、"人権屋"の名にふさわしい人権ゴロとでもいうべき連中も多いだろう。だが具体的で論理的な被害者救済策を示しつづけているのは、日弁連のような"人権屋"の方なのだ。

 では「厳罰化」を主張する人々はなにか言っているだろうか。ほとんどすべての場合、被害者救済=厳罰化ということらしい。他に主張らしい主張は無いからだ。厳罰化を進めれば被害者救済は成ると、とてつもない単純さで信じているようだ。今回の少年法改正案がいい例だ。被害者側への言及は、わずかに検察による事実関係の開示という、すでに実施されていることの明文化だけに過ぎないのだ。だがこんな馬鹿な話はあるだろうか。被害者の権利が侵害されているのに、加害者の権利を蹂躙すればそれで被害者が救済されるなど、教育を受けてきた大人たちが本当に考えることなのだろうか。被害者の救済には、その失われてしまった権利を回復するしかない。そのことは少しでも考えてみれば容易に思い至るはずだ。
 では当の被害者団体が掲げる要求はどうだろう。その主張を読むと、実は「厳罰化」という項目は重要度が低いものなのだ。被害者が望むのは、被害者自身の名誉の回復と、社会からの様々な援助、そしてなにより真実を知ることなのだ。「厳罰化」はほとんどオプショナルな項目とみなしてかまわない。むしろ、適正な処罰が行われているという確証を求める心理が、被害者たち自身を厳罰化に言及させているのではないかと思う。
 「厳罰化」を叫び、こうした被害者団体の要望を支持していると表明する、怒りに満ちた「1市民」(彼らは多くの場合こう名乗る)たちは、実は当の被害者団体の要望にまったく不勉強、無頓着で、実際には己の闇雲な欲求に従って主張し、その出汁に被害者たちを使っているだけなのではないか。この図式はあるものとそっくりだ。己の欲望に忠実に、他者の希望や真実を踏みにじり、その欲求を満たす。そう、あの少女をレイプして、挙句の果てに殺害した少年たちと、この怒る「市民」たちは、その本質においてまったく同一の存在ではないのか。

 しかし「厳罰化」に本当に抑止効果があるのなら、採用に吝かではないという声もあるし、決して無視できないと思う。この場合、好例としてはアメリカの場合を挙げるべきだろう。アメリカでは、'80年代に少年に対する刑罰の強化が行われている。それは効果があったのだろうか。効果ありとする意見もある。例えば、'90年代に入って少年犯罪は確かに減少しているからだ。しかしそれは、犯罪件数だけを取り上げた乱暴な論議なのではないだろうか。そういう指摘は日本だけではなく、アメリカでもなされている。例えば'80年代に施行された法律が、'90年代に入って突然効果をあげ始めたのはなぜなのか。むしろ別の要因に起因するのではないかという意見が多い。そして'80年代からの状況を、人口動態、犯罪の質的変化を視野に入れて統計を取ると、むしろ増えているのではないかという指摘も多いのだ。'90年代の現象に関しては、アメリカの景気動向によるという説が有力だ。このようにして、アメリカの状況を見る限り、厳罰化は逆効果、せいぜい中立的だという意見が有力だと見ている。'90年代の現象は、少年犯罪の発生率には環境の問題が大きく関わっているという主張を裏付けるものでもある。
 そもそも、日本で本当に少年犯罪が増加しているのだろうか。確かにここ数年の傾向を見ると、増加しているようだ。しかしそれは直前に'90年代初頭のピークがあり、その直後の底を打った状態から観測した結果だ。少年犯罪が猛威を振るった'80年代初頭の状況からすると、まだまだ低水準なのだ。しかも近年の少年犯罪はグループ型であり、検挙者数は増加しやすいという背景もある。被害者数は、むしろ減少しているという指摘もあるくらいだ。こうしてみると、特異な少年犯罪は発生しているものの、総件数として増えているとは単純にはいえない。

 以上のように概観してみると、「厳罰化」による抑止効果には、大いに疑問符がつく。そもそも、「厳罰化」という代物が、本来ならば別個の問題である被害者救済と絡めて(さらには同一視されて)語られるのは、被害者救済という問題の真実から目を逸らすガス抜きに過ぎないからなのではないだろうか。
 では日本の少年法には効果がなく、悪法であるという主張はどうだろう。まず、効果は「ある」のである。日本の少年の犯罪率、さらにはその先にある20代の青年の犯罪率は、実は先進国中際だって低い。特に少年の犯罪率は、少年法が施行された昭和20年代以降、低下の一途をたどってきた。いくつかのピークはあるものの、低減傾向は疑うべくもない。青少年の犯罪防止には、少年法は非常な威力を発揮しつづけているのである。むしろ、今回の変更以前の少年法の枠内で、様々な運用状況を改善すれば、さらに効果を挙げることができたという指摘もある。また少年院を経た少年たちは、社会に出て再度犯罪に手を染める確率が25%程度と低い(刑務所を経た成人の場合は45%近く)ということも挙げられる。凶悪犯罪に限れば、ほとんどゼロに近い。
 このように少年法は非常に有効な法律であるといえる。悪法とは思えない。むしろ、現行の刑法に少年法の教育主義的な理念を盛り込めないかとすら思える。
 少年法にせよ、刑法にせよ、その目的は、被害者と加害者のどちらも社会から排除することではないはずだ。一人でも多く、健全な生活を送れる個人を増やすこと。それが法の目的とすべきものではないだろうか。

 ニュースステーションに出演して、自らの口で語った"彼"が、あまりにも客観的に、紋切り型に語りすぎたという印象を持った人は多かったようだ。確かに、今の"彼"が改心しているかどうかは分からない。しかしそれは、例えば刑務所に収監するようにしても同じ事ではないだろうか。例えば殺人を犯した犯罪者の全てが7年の刑期で改心するなどとは、誰にも言い切れないはずだ。さらにいえば、例えば殺人を犯した少年を、20年ほど刑務所に放り込むことにしたとしよう。出所した彼は、しかしまったく反省の色がなかったとすると、やはり被害者は救われないのではないだろうか。必要なことは、犯罪者が確かに改心したかどうかを継続してチェックする仕組みであり、さらにその情報を被害者に確実に伝えてゆく仕組みではないだろうか。それは厳罰主義では決して達成できないことだ。"彼"に関して、さらにはいまだに自らの罪に向き合えていないというDに関して思うのは、今の法体系は犯罪者の心の問題に対して課題を抱えているということだ。Dのような個人が社会に出てしまうのは問題だと思う。特に被害者が救われてないと思い、加害者の処遇に疑問を投げかける背景には、確かに改心したかという情報が、というよりもそもそも加害者の情報が何一つ入ってこないことにあるのだと思う。被害者は、加害者を社会からスポイルすることよりも、その加害者が自らに与えた損害を悔い、立ち直ることの方を望むことが多いのではないだろうか。もちろん、怒りに任せてその抹殺を心から望みつづける被害者もいるかもしれない。しかし現状、そのような被害者も多いことの背景には、被害者に対するケアがほとんど機能していないという事実があるのではないだろうか。社会からの物心両面の支援さえあれば、被害者たちにもより理性的な思考が可能になるはずだ。
 "彼"が他人事のように語ったということは、実は僕はそれでいいと思う。まだ"彼"は、自分の罪を罪として受け止めきれてないのかもしれない。しかし事件の事実を語るということは、必ず彼の思考に影響を及ぼすはずだ。何の思考もなしに論理的に話せるはずがない。大切なことは、それをただ一度の免罪符とせず、幾度となく語らせつづけることではないだろうか。そしてその語りの中から加害者の現状を抽出し、適切な指導を与える社会での受け皿が必要になるだろう。そのような「社会に出てからのフォロー」が、加害者には必要であり、またそこから得られた情報の全て(例えば加害者は被害者を逆恨みして更に加害する可能性があるなど)をプライバシー保護の名のもとに封印するのではなく、適切に被害者に、さらには社会に伝達する仕組みが望まれているのだと思う。

 "彼"が家庭を持っているということ、それは確かに苦い現実ではあるけれど、"彼"が一人の人間である限り避けがたい事態ではないだろうか。むしろ、そのようにしてごく普通の幸福を持ちうる個人へと回復することこそが、真の改心の前提になるとはいえないだろうか。なんの幸福も知らない野獣のような生き物に、そもそも"反省"など出来るだろうか。自分が踏みにじったものの重みを知らない限り、真の改心はありえない。確かに彼らは、一人のなんの罪もない少女の尊厳の全てを踏みにじり、その命まで奪った。だが彼女の尊厳と命の回復が、加害者たちの権利、財産、生命を奪うことで達成できるのか。簡潔にいえば、彼らを殺して少女が生き返るのか。もしもそうならば、加害者たちの処刑を実行しても構わないと思う。なぜならば、なによりも必要とされるのは被害者の損害の回復なのだから。そこには厳然とした優先順位がある。だが加害者たちを蹂躙することが被害者の権利回復になんら影響を与えない以上、無益な行為も制限も行うべきではない。

 番組が遺族の要望に逆らうようにして放映されたということ。これは問題だと思う。いかに報道目的とはいえ、加害者をセカンドレイプするような報道は許されるものではない。遺族の痛みを和らげるような番組に出来たはずだ。逆に遺族の痛みを増幅させたのだとすれば、番組制作者たちは無神経の謗りを受けてもやむを得ないだろう。被害者のプライバシーを守る仕組みが必要だ。

 番組の総括がありきたりだったという指摘。これはまあニュースステーションなので(笑)しょうがないのではないだろうか。しかし前記のような遺族への酷い仕打ちを除けば、番組を放映した価値があったことは、視聴者の反応の大きさが物語っているように思える。

 ざっとまとめてみる。まず「厳罰主義」は被害者救済を意味しないし、犯罪防止に役立つかどうかも疑問だ。また加害者の、特に少年のそれの真の反省のためにも役に立たない。これらの目的の達成には、むしろ加害者を立ち直らせ、その過程で奪ったものの重さを認識させる長期的な指導が必要になるだろう。例えば再犯可能性があるような場合(番組中のDのようなケース)、再度収監して教育することも考えなければならない。Dのことを考えると、そのケアを家族にだけ押し付けるのには限界があり、よけいに再犯可能性を高めることになりかねない。殺人の場合には、一生に渡って教育が行われるべきだと思う。そのような社会での受け皿(現状の保護観察制度のようなもの)を拡充することが望まれる。
 被害者の救済のために、加害者の権利を奪うことは意味がない。被害者が望んでいるのはその尊厳と権利の回復、そのための社会からの物心両面の支援、そして加害者が確かに罪の重さを認識し、悔いているという確証だと思う。そのためには、まず現状野放し状態のマスコミによる被害者のプライバシー侵害を禁止しなければならない。また被害者、そして遺族に対する金銭的な支援、心のケアが必須だ。なかんずく子供を失った親たちの場合、その生きる意志を回復させることが急がれる。さらには前記のような加害者に対する指導の経過を、被害者に対して適切に伝えなければならない。場合によっては、被害者と加害者が直接対話することも考えられるだろう。

 犯罪を犯した少年たちは、まだ生まれ変われる余地を大きく残している。彼らを刑務所に長期にわたって閉じ込めておくことは、彼らを犯罪者のまま固定してしまうことになりかねないのではないだろうか。そしてそれは社会にとって良いことなのだろうか。それが本当に社会正義の実現につながるのだろうか。
 一つの事件が起きた時、望まれることは別の事件を作り出すことではなく、繰り返さないことだと思う。繰り返さないためにはその事件の記録を被害者の涙、加害者の権利もろとも封印することではなく、その事件から多くの教訓を抽出し、社会全体で共有することが望まれるのではないだろう。そしてそれは被害者のプライバシーを蹂躙することなく達成できると思う。またそうでなければならないのではないだろうか。

晴れやかな朝

10時59分 暮らし 天気:快晴に次ぐ快晴

 前日、風呂を沸かしてからちょっと横になっていたら朝になっていた。ゲゲッ、なんてこったい(X_X) しかしおかげで8時間の睡眠時間を確保できたことよ。朝方、風呂を沸かしなおして入り、フレックス出勤するつもりだったのでゆっくり家を出た。空は真っ青で、曇り一つ無い青空が広がっている。いやあ、本当にどこまでも青空だ。霞はやや多いようだが、青さはなかなかのもの。今夜は期待できそう。

2000年12月04日(月曜日)

2号機との戦いの果てに

23時55分 コンピュータ

 相変わらず2号機からはWarpのドライブが見えない。「予期しないネットワークエラー」とはなんなのだ! 目の前の機械に八つ当たりしたくもなるってもんだ。
 しかし、我輩はあることに気づいた。Warp側からW2Kへとネットワークドライブを繋ぐ時、自分の作業を観察していると、"相手側の"IDとパスワードを使っていることに。そういえば、NTにも同じような設定個所があったよなあと気づき、同様にW2Kでネットワークドライブを設定するダイアログをよく見てみると、なんとIDを設定する場所がでかでかと出ているではないか。そこに"Warpの"IDを設定すると、なんの問題もなくつながった。ガーン。こんなバカなことに引っかかっていたなんて(;_;)
 ともあれ、これで以前のようにWarpをファイルサーバとして使えるようになった。快適だ。残る問題はWarpからSambaのディレクトリが見えない点だが、これはmakeでいろいろ試してみるしかないかも。

また会社生活に

20時57分 暮らし 天気:晴れかもしれんが BGM:Dirty Dog/Ian Gillan

 ああ、今日からまたサラリィマン生活かよ。シオシオに萎れきった思いで会社に急ぐ俺様だった。泡沫の夢から覚める思いである。

2000年12月03日(日曜日)

休暇の終わりに

23時55分 暮らし 天気:晴れか

 9日間に及んだ休暇も今日でおしまい。いったい、なにをしたのだろうか。あるいはなにをしなかっただろうかと、指折り数えては考え込むばかりである。
 まあとりあえず目の前の課題を解決しようではないか。課題とは、Windows2000からOS/2のドライブが見えない問題である。これはもうアダプタがおかしいのだと考えるよりほかに無い。そこで新しいアダプタを買いに、横浜のヨドバシに出かけた。
 ヨドバシではLANアダプタの他、ホームページビルダーの最新版、Diablo2の日本語版を買った。IBMのホームページビルダーは、Version3のあとで2000、さらに2001と来て、このバージョンでいきなりVersion6に戻っている。こうもバージョンアップが急だと、MS式に年式表示だとやっていけないのだろう。
 帰って、LANボードを2号機のものと取り替えたが、状況は何も変わらない。Windows2000での仕様変更があったのだろうか。謎は深まるばかりである。

2000年12月02日(土曜日)

NHKスペシャル

23時55分 テレビ

 年末ゆえか、今週のNHKスペシャルは渋い。「天地の恵みを生きる。日本画家 小倉遊亀」。今年105歳で亡くなった日本画家の最晩年を追ったもの。
 この人は遅咲きの花と呼ばれ、50代になってその才能を飛躍的に開花させたのだという。保守的な日本画界に斬新なテーマを持ち込み、評価されてきたという。
 この人は、100歳のときに病を得、床に伏せることになった。しかしそれから2年程で再び絵筆を取れるようになり、100歳を越えてなお現役でありつづけた。この番組ではその病床からの復活と、老いをあるがままに迎え入れた一人の女性の等身大の姿を追ったものになっている。
 この人は、山岡鉄舟門下の禅客、小倉鉄樹と結婚し、その教えを受けている。そういう禅味ある余韻を感じさせる最晩年だったようだ。やあ、面白かった。

秋葉へ

17時59分 コンピュータ 天気:ちょっと濃い曇り

 昼頃までとろとろ眠り、昼過ぎ、14:00頃に秋葉に出かけた。昨日、WindowsMeを買った方が楽だと判断したので、早速入手するつもりだったのだ。
 秋葉では、まずは昭和通口から出て、ちょっとスターベースを冷やかした。SKY90とかFC60とかいったコンパクトな望遠鏡が、大変に魅力的だ。本当は安価に放出されたMeadeのドブソニアンにも色気があったのだが、ちょっと考えて我慢。今月は金を使いすぎだ。
 その足で、TwoTopやら九十九やらを回ってMeを探したが、新規ユーザ用パッケージは案外に置いてない。じゃあヨドバシで買うかとも考えはじめ、とりあえず裏秋葉のドトールで一服した。ちょっと迷ったが、今から横浜に寄るのは面倒だし、近場で済ませるかとT-Zoneで買って帰った。
 これを4号機に入れた。起動からインストールまでさくさく進んだが、ひとつ困ったことになった。まっさらなディスクにインストールすると、自動で2GBのFAT16パーティションを切り、そこに入れてしまうのだ。30GBもあるディスクをそれではみみっちいので、FDISKで8GBの領域を確保しておき、そこに入れた。
 いやもう速いこと速いこと。新マシーンはメモリチェックから起動しきるまで(パスワード認証してデスクトップが表示されるまで)が30秒足らずなのだ。このところ、SCSIやら各種レガシーデバイスやらてんこ盛りの機械ばかり使っていたので、最新プロセッサだとこれだけ起動が早いということを知らなかったのだ。いいなあ。

2000年12月01日(金曜日)

また湘南台へ

23時55分 コンピュータ

 いよいよAthlon1GHz搭載の新4号機建造にかかった。これこそ新Milleniumを待ち受けるにふさわしい機械だ(なんのこっちゃ)。構成は大変シンプルに、メインボード、プロセッサ、グラフィックボード、LANボード、ストレージ系としてはIDEのみのUATA100系統にHDD、CD-ROM。これだけの構成だ。2号機のメインボードも偶然そうだったのだが、このメインボードはVIAの最新チップセットを使っている。これはチップセットにSB128互換(ということはEnsoniq系)の音源を統合してあるもので、音源ボードは不要だ。
 とりあえず組もうとしたが、組み始めて問題に気づいた。PCIのアダプタ部を塞いでいる金具がピン溶接してあるので、手持ちの工具では外せない。まあドライバかなんかで無理やりこじ開けることも可能だが、他の部分にダメージが生じそうだ。プラスチックハンマーとポンチで叩いて取った方が良さそうだ。
 そういうわけで、これらの工具を買うためにまた湘南台に向かった。まずは図書館によって、またしても調べ物を。ロボット関係の書物を積んで読んだが、面白かったのはAIと絡めて書かれたロボット工学者による本だった。科学哲学的な意義を著すという狙いから書かれたこの本は、著者の立場が立場だけにロボット工学の人工知能研究に対する優位をあからさまに唱えるなど、特有の臭みはあったが、テーマとしては大変面白かった。メモを取ながら読んだ。こういうとき、ロカティオは非常に便利だ。キーボード式だとどうしても打鍵音がして周囲に迷惑をかけるが、手書き認識式だとほぼ無音なのでそういうことはない。
 この日、図書館は19:00まで開いていたのだが、用事があったので、17:00過ぎに出た。その足で(っていちいち足を取り替えてるんじゃねーよ)ダイエーに向かい、工具を探したが、プラスチックハンマーしかないなあ。ハンズに行けばよかった。しかしこれだけあれば用は足せるだろうと思い、それだけ求めて帰宅した。
 帰って、ハンマーとドライバーで溶接部を叩いて離し、組み立てをあっという間に終えた。
 で、この新4号機にWindows98を入れようとしたのだが......。
 僕の手許にあるWindows98は、俺様の長いPC歴を反映して、MS-DOS6.2に始まってWindows95、98ともアップグレード版なのだ。これで困るのが、最初にどうやってCD-ROMドライブを認識させるかという問題があることだ。順当に行けば最初にMS-DOSを入れ、次にWindows95を入れる(インストール中にWindows3.1のディスクを要求されるが、インストールしてある必要はないため)わけだが、この時に何とかしてCD-ROMドライブをMS-DOSベースで認識させておかないと、そもそもWindows95のセットアッププログラムを起動できないという問題があるのだ。新規ユーザ用パッケージならば、Windows95のインストール用CD-ROMに、マシンを起動してCD-ROMドライブを使用可能にしてくれるFDがついている。が、アップグレード版にはそれがない。いやほんと、毎回苦労している点なのだ。
 今回は、会社で何度か使った力技、「NTを入れてCD-ROMを認識させ、Windows98のイメージをHDDにそっくりコピーしておく」という技を使おうと考えた。手許にある、新規ユーザ用NTパッケージを使おうと思ったわけだ。
 まずCドライブ分の領域(これは最終的にどれくらい必要か予め見積もって決定しておく)、僕の場合はまあ8GB程度を確保しておく。この時には適当にフォーマットしておく。次に1GB程度の領域を、これは必ずFAT16でフォーマットしておく。そしてどこでもいいからNTをインストールする。これでNTを起動すると、CD-ROMをアクセスできるようになるから、そのイメージをそっくり1GBのFAT16の領域にコピーしておく。そしてMS-DOSか別のWindows9Xのマシンで起動用FDを作り、それでこの機械を起動すれば、インストールイメージが見えるはずだ。これでFDISKを起動して適当に区画を設定し、フォーマットしておく。また再起動すればまっさらなCドライブとインストールイメージの両方が見えるはずだから、あとはインストールイメージからセットアップを起動すればいいだけだ。
 NTのライセンス数を使いきっている状態だとライセンス違反になるが、CD-ROMドライバ代わりに使うだけの軽微な違反なので、まあMSに泣いてもらうことにしよう。
 そう思ってNTのCD-ROMをセットして、そこから起動した(アップグレード版のWindows9Xは起動可能なCD-ROMにはなってないようだ)。が、カーネルのロード中に青画面になって落ちてしまう。ありゃ、なんで? プロセッサが速すぎるのか、Athlonの非互換性によるのか。
 いずれにせよ、あまりに面倒なので、素直にMEの新規パッケージを買うことにした。うがー。