Strange Days

2000年02月20日(日曜日)

誰もいない部屋

23時54分 テレビ

 今週の誰もいない部屋。第一の部屋は一見して自己啓発セミナーの講師かと思わせるような部屋構え。トレーナーかなと思っていたら、その通りだった。久々の正解だった。
 2番目の部屋は有名人の部屋の紹介で、いつもは取り上げないのだが、今夜は面白かった。デジタルクリエイター(と昔は名乗っていたような気がするのだが)の高城剛の部屋で、部屋の中には生活の臭いが全く無い。台所のコンロは使われた形跡が無く、冷蔵庫も無い。ベッドがあるだけといっても過言ではない。ではどうやって生活しているのかというと、いつも持ち歩いているバッグに生活必需品を詰めて持ち歩いているというのだ。このバッグにはモバイルPCやポータブルDVDプレイヤーも入っていて、いつ、どこに行っても生活できるというのだ。これが真のモバイラーだぜ。
 最後の部屋は肌に悪そうな乾燥しきった部屋。最初の和室はお茶の道具に造花っぽい生け花(?)。次の部屋ではパスタマシンや筆、絵の具。なにか作っているのは確かという感じ。お茶の葉を使ったアクセサリーデザイナーという説を取ったが、答えは大外れで和菓子職人だった。あんな巨大な和菓子ってのもあるんだねえ。

世紀を超えて

20時53分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルはシリーズ「世紀を超えて」。今夜は20世紀の医療に革命を起こした抗生物質とその耐性菌との戦いの話題。
 今世紀初頭にイギリスで発見された抗生物質は、今世紀中葉には実用段階に達し、急速に世界中に普及していった。抗生物質は医療の現場で猛威を揮っていた感染症の撲滅に大きな力を発揮し、'60年代にはアメリカ保険局によって勝利宣言が出されるほどになっていた。勝利は目前だと多くの人々が考えていた。ところがフレミングが早期に指摘していた通り、抗生物質の多用は耐性菌の顕在化を促す方向に働く。個々の細菌は突然変異によって様々な形質を獲得し、中には抗生物質を無効化出来るものも現れる。そうした特殊な種類の細菌は、抗生物質によって他の種類の細菌が根絶された環境では資源的に有利になり、むしろ増殖を促される事になるのだ。'70年代、'80年代と抗生物質の使用量は増大し、家畜にまで用いられるようになった。耐性菌が増殖する環境は、いたるところに整いつつあった。したがって「抗生物質の多用はやがて大きな失望をもたらすだろう」というフレミングの予言が、'80年代に入って現実のものとなる。
 強力な抗生物質の耐性菌の登場は、医療の現場に大きな課題を与えるものとなった。旧来の医療"習慣"では、医師は患者の病因が細菌によるものなのかを見極める前に、とりあえず万能薬として抗生物質を与えてしまう傾向が強かった。ところが抗生物質の濫用は耐性菌の増殖を促し、場合によっては病状をさらに悪化させるリスクが伴う。そのリスク評価を巡り、一般の医師と、感染症に詳しい医師たちとの間での意見の対立が日常化しているようなのだ。
 医学者たちも耐性菌に手を拱いているわけではなく、新型の抗生物質の開発に余念が無い。しかしこうした抗生物質にも、いつかは耐性菌が生まれてしまうだろう。この戦いに終わりはない。
 全く新しい試みもある。耐性菌の近似種を遺伝子操作し、毒性の無い細菌に変えて役立てようというものだ。この細菌は人体に有害な毒素を全く出さないので、組織が破壊される事はない。しかしこの細菌も増殖のためには資源を消費する。すると耐性菌が独占できるはずの資源が制限され、結果的に耐性菌の増殖が抑えられる事になる。細菌を根絶するのではなく、その増殖をコントロールしながら共生しようという狙いだ。
 その一方、抗生物質の使用もコントロールしようという動きが活発だ。まずは家畜に無制限に使用されていた抗生物質を規制し、さらに医療の現場で用いられる抗生物質も出来るだけ抑制しようという方向で調整が続いている。しかし安い畜肉は抗生物質の使用に支えられてきたもので、一朝一夕には使用を止める事が出来ない。しかしいずれ、リスクと効果を秤にかけながら、妥協点が見出されていくだろう。
 こうして番組を振り返ってみると、20世紀末に登場した新たなキーワードが注意を促しているように思える。共生と制御だ。自然界の事象を敵対的に評価し、根絶と抑圧という暴力的手段を取ってきたのが、産業革命以来の科学的自然観だと思う。しかし20世紀も末になり、そうした科学的自然観が先鋭的になるに連れ、次第に自然界からの反撃も激しいものとなってきた。あるいは反撃、という概念そのものが旧来の科学的自然観に毒されているのかもしれない。
 しかし人為的多様性など比較にならないほど多様な自然界に対し、これ以上征服的な事業を展開できる見込みは既に薄い。無限を相手に勝利できる人間はいないのだ。するとどうしても自然界と共生する事を、その苦い半面と共存していく道を取らざるを得ないのだ。その為には自然界(として科学が観測するものども)の仕組みを抹殺し、人為的な仕組みに作り替えるという旧来の手法を捨てる必要がある。むしろ自然界の仕組みを利用し、その矛先が人間に向くのを逸らすために制御するという道を選ばなければならないだろう。

笑夢っちお別れオフ

17時51分 暮らし 天気:雨のち曇

 前日、チャットしてちょっと原稿用紙に向かってと遅くなったので、寝たのは5時過ぎだった。起きたのは10:30。意外にスッキリした目覚めだ。今日は長らく研修で東京にいた笑夢くんのお別れ会。明日戻ってしまうのだとか。そそくさと身支度をして出かけた。
 エアコンの気温センサーの申すところ、外気温は5℃。ベランダ観望用のつもりで買っていたダウンのコートが、この所働き詰めである。
 家から渋谷まで75分くらいかなと見込んでいたのだが、実際には1時間程度で着いてしまった。運賃も戸塚までは地下鉄の定期があり、戸塚渋谷間が690円で済んでしまう。横浜の果てのような土地なのだが、結構交通の便はいいのかもしれない。
 渋谷のハチ公口は一目見ただけでウンザリしてしまうような人込みだった。雨のぱらつく寒い日だってのに、この有象無象どもはなにを楽しみに来ているのだ(それをいうなら僕はなんなのだ)。ともあれ、ハチ公口の派出所を見渡せる地下道入り口の側に立っていたら、間もなく笑夢くんがやってきた。
 寒い日なので震えながら久遠さんを待つ。メンバーはこの3人らしい。やはりさすがにオフ続きで、みんな飽きたか。やがて雨がぱらつき始めたので、傘を差して待っていた。
 久遠さんは例によって来ない。いつもの事だなー、と話しながらふと笑夢くんの隣の男性を見ると、なにやらゼッケンのようなものをつけている。よくよく見ると、「UFOの恐怖」なる文字が見えた。また手提げ袋に本を詰め込んでもいた。思わずたま書房の関係者かと疑う。自著を宣伝するつもりなのか、あるいはそれを売り歩くシンパなのかは不明だが、ちとイってしまっている人のように思えた。やがてその関係者かと思える男性も合流し、かれらはそそくさと出発準備を始めた。しかし笑夢くんはその二人に気付いていない。
 笑えるのは、我々二人がそのUFO組二人と隣り合わせで、あまりにも自然に立っているので、どう見ても関係者としか見えないという事だ。しかし個人的には愉快なので黙っていた。
 やがてその二人の異様さに笑夢くんも気付き、密かに慄きながら離れようとした。が、その二人組みは我々を気にも留めず、渋谷の人込みに紛れていってしまった。その行動が妙に気に掛かる我々だった。
 久遠さんは来ない。寒いし雨は降ってるしで気分的に最悪なので、これで見つからなかったら見捨てていってしまおうと、周囲を巡検し始めた。するとハチ公口から久遠さんが登場したではないか。いま来たのかと思って聞いてみると、実はしばらく前から待っていたという事。広場の中央、目立つ場所に立っていた我々に気付かなかったらしい。
 とりあえず飯を食おうという事で、適当な焼き肉屋に入り、カルビ定食を平らげた。コーヒーで一服し、本日のメインイヴェント、Book 1st攻略に向かった。
 Book 1stは一つのビルが丸ごとという巨大な本屋で、久遠さんの証言では他の店ではとても手に入らないような品揃えだという。まずは、というつもりで文学書のフロアを攻めたが、確かに品揃え豊富で、他では見かけないような出版社のものとかがゴロゴロしている。早川、創元の品揃えも豊富だ。だがどこに行っても下巻しかない「キャッチ22」は、ここでも下巻しか発見できなかった。もしかしたら「キャッチ22」上巻だけを買い占める秘密組織でもあるのだろうか。
 我々は文学方面ワナビーである以前に本好きなので、必然的に何冊かの本を買ってしまう事になった。特に当面、もしかしたら一生再訪できないであろう笑夢くんは、10冊前後の本を抱えていた。僕も白水社から出ているヴォネガットの見た事の無い小説、タルフィーこと稲垣足穂(こんなこといってるのは僕だけだが)の小説、それからなにやらもう一冊を入手した。僕の場合は再訪可能なので、焦る必要はないと思った(のだがこうしていると欲しいものが売り切れてしまうのが世の常)。
 まずは、と思っていたのだが、この文学フロアだけで体力を使い果たした一行は、その後は適当な喫茶店で喋くり、明日は仕事なので18:00に解散した。笑夢くんとの別れを惜しむような涙雨の日だった(と心にも無い事をいってみる)。