Strange Days

2000年03月04日(土曜日)

NHK特集再放送

23時55分 テレビ

 今夜の時の記憶(大層なタイトルだ)はなんと1978年に放送された番組の再放送だった。画家の青木繁の生涯を綴った番組。ドラマ部分と進行部分の接続がなんとも時代を感じさせる。
 青木繁といえば「わだつみいろこのみや」を思い出してしまう。子供の頃、百科事典で見かけた青木の絵は、ムンクの「さけび」とともに悪夢絵画のナンバーワンを分け合っている観があった。妙に写実的な画風と、強いテーマ性を打ち出している点が、子供心にそう感じさせていたのかもしれない。
 青木繁は若い頃に傑作をものし、その後はそれを越えるに越えられぬプレッシャーのうちに討ち死にしたような人だ。番組ではそう描かれている。後世に語り伝えられるほどの才能を持ち、またいくつもの作品を残した彼も、同時代の人間にはまるで評価されなかった。生活費に事欠き、絵の具代にも事欠くほどだった。友人にたかり歩いているうちに、その友人さえも徐々に失い、最後は肺病で野垂れ死ぬようにして逝ってしまったのだ。なにやら真の無頼派人生を垣間見るようだ。
 青木は絵画には思想が必要だと説いた。単に写実に留まるのではなく、そこになにを描くかという視点が。この事をドラマ性という言葉に翻訳してしまって良いものかどうか迷うが、ニュアンスとしては同質なものがあるように感じる。単に技巧の延長に過ぎない写実ではなく、それを用いて見る者に訴求する思想を持てという青木の主張は、より強いドラマ性を扱う文藝の世界でも、十分に考慮されてしかるべきではないだろうか。単なる技巧に堕した"小説"のなんと多いことか。
 青木の人生最後の作品は、自分の火葬代を稼ぐために描かれたという凄絶な背景を持つ。しかし描かれた「朝日」は、僕にはどうしたことか穏やかに沈みゆく夕日のように見えてしまう。あるいは、青木の心象が強く作用したのかもしれない。

街道をゆく

22時50分 テレビ

 夜、NHKをぼんやり眺めていたら街道をゆくが始まった。久しぶりに日本国内に戻って、今回は越の道と北国街道。
 越は駿河から新潟にかけての日本海側という、かなり広大な地域を表している。上古から律令時代にかけて、この地域は中央から半ば独立した勢力が存在していたようだ。そのピークが継体天皇の登場といっていいようだ。
 そういう半独立の地域故か、越は中央から恐れられ、軍事的な関門を設けていつでも遮断できるように気をつけていたということだ。なんとも涙ぐましく、臆病な処置だが。
 戦国時代、この地は上杉、織田の二大勢力が割拠することとなった。織田勢力の担当者が柴田勝家だった。勝家は賤ヶ岳で秀吉に撃破されてしまうのだが、山上に布陣し、平地に陣取った秀吉と一月余りも対峙したことから、司馬は勝家が傲岸だが臆病だと決めつけている。確かに、瓶割りの逸話なども、実は勝家がその恐怖心を部下と分かち合うのが上手だったことを示しているに過ぎないのかもしれない。

3/4の暮らし

15時49分 暮らし 天気:久しぶりに雨になりました

 午前中に目が覚めたが、どこにも出かける気にならずぐずぐず一日を過ごした。午後にしばらく原稿用紙を眺め、数枚追加。あと数日で書き上がりそう。
 気怠い空気に任せて一眠りしようかとまた布団に入ったが、かえって眠れずいろんな事を考えてしまう。怖い考えにならないうちにようやく少し寝入ったが、目覚めても目が痛い。これはもしかして花粉症?