Strange Days

2000年09月09日(土曜日)

やっと観望だ

23時55分 星見

 日が暮れて、ベランダを覗くと、月が昇っていた。雲が多くて星はほとんど見えないが、月は良く見える。テレスコマイクロで眺めると、月の表面が凸凹であることがよく分かる。ガリレイが月を見て「死の世界だ!」とぶったまげた気持ちが分かるような気がする。テレスコで見ると、月は青い輪郭がつくものの、それ以外の色滲みは見られない。天頂近くに見える数少ない星を見ても、くっきりとしたシャープな像を結ぶ。小口径故の点もあるが、かなり優秀なレンズを使っているようだ。
 テレビを見て、1:00頃からフローリング部屋で木星を見た。すばるは既に高く昇り、フローリング部屋の狭い窓からは追えない。土星と木星が見えるので、手持ちのアイピースを使い較べてみた。望遠鏡はC8EX、シーイングは7/10程度。シンチレーションは安定していたが、しょっちゅう薄雲がかかる状況だった。
 焦点距離の長い方からLV40。ビクセン製。木星も土星もくっきりと映る。倍率の関係で細部は見えないが、木星は縞がくっきりと見え、土星もカッシーニの間隙が見えた。しかし背景が明るくてコントラストが若干落ちる。LV40の特筆すべきことはアイリリーフの長さで、なんと30mm超もある。見口のゴムを折り返さなくても、メガネをかけたまま視野全部を見渡せる。見かけ視野は42度という事だ。こんな長焦点で良くこんなのを作れたものだ。ビクセン恐るべし。お勧めのアイピースです。なるべく安く買おう。
 K28。やはりビクセン。ツァイスサイズのアイピースだ。20年以上前のものだが、分解清掃の結果かなりよく見えるようになった。木星も土星もくっきり見える。見かけ視野も50度くらいはありそうだ。アイリリーフは10mmくらい取れそう。しかしなぜかLV40に比べてコントラストがさらに悪い。清掃しても取れなかった汚れのせいかもしれないし、ツァイスサイズだからなのかもしれない。
 SWK22。BORG製。こちらもくっきり見える。木星は縞に加えてその間の蛇行まで見える。土星はカッシーニの間隙がばっちり。このアイピースは見かけ視野こそ広いものの、眼レンズに目をくっつけないと見渡せないほどアイリリーフが短い。恐るべき見にくさだ。見口を折り返しても無駄だ。また周囲の歪像がかなりある。それ以外では軽くて扱いやすいアイピースだ。しかし無理に買うほどではない。
 K20。これも20年以上前のビクセン製ツァイスサイズ。これも割りとくっきり見えるが、やはりコントラストは良くない。見かけ視野も45度くらいか。
 SW18。MEADEのアイピース。手許にある中でもっとも高価だった。さすがに像のすっきり加減もアイリリーフも視野の広さも文句がない。しかし視野の端の方ではやはり多少の劣化があるようだ。お勧めのアイピース。
 WO13.5。これもBORGの軽量安価なアイピース。これも広角だが見にくいアイピースだ。しかしSWK22よりはかなりマシ。オルソスコピックという割りに周辺での劣化もかなりある。しかしある意味ではSWK以上に使いやすいアイピースだ。凄く軽いので架台に負荷を与えないだろう。これもお勧め。
 Or9とOr6。これも20年以上前のビクセン製ツァイスサイズ。コントラストの悪さは目立たないが、視野はやはりかなり狭い。当時の設計がそうだったと考えるべきだろうか。木星は縞縞とその間の蛇行がよく見え、大赤斑もこちらを向いていれば見えそうな見え方だった。しかし見口が省略されているのでレンズが汚れそうだ。
 Or7。これは同じビクセンでも最近のアメリカンサイズ。コントラストがツァイスサイズの物よりよく、視野の広さもきっぱりした像も高価なLVに勝るとも劣らない。ただし見口が無いので汚れやすく、またアイリリーフ自体が短い傾向にある。それ以外にLV系統に劣るところはなく、また安価(半値から1/3)なのでお勧めだ。これも軽い。
 LV5。さすがに像の硬さもアイリリーフの長さも良好で、大変扱いやすいアイピースだ。しかし少し重くて高価だ。比較的お勧め。
 使っているうちにオリオン座が昇ってきたので、そっちにも向けてみた。
 LV40。これでもトラペジウムを分離できる。散光星雲も蝶の形に見える。
 K28。やはりコントラストが悪い。散光星雲がちょっとぼけた感じだ。
 SWK22。くっきり見える。
 K20。やはり少しぼける。コントラストの悪さが、散光星雲の見え味に影響しているようだ。
 SW18。見渡せる視界の広さ、像の硬さ、散光の鮮やかさなど文句なし。
 WO13.5。これも結構像が硬い。BORG恐るべし。
 Or9、Or6。かなりよく見えるが、散光の再現性に乏しいようだ。
 Or7。大解像度だがかなりよく見える。
 LV5。やはり大解像度だがかなりよく見える。
 全てトラペジウムは問題なく分離できて、散光星雲も蝶のような形が識別できた。しかしツァイスサイズのものはどうもぼんやりする傾向がある。これは真正面に街灯があって迷光が生じやすいという苛酷な条件のせいかもしれない。
 こうしてみると、LV40、SW18、Or7、LV5くらいがあれば間に合うかもしれない。後は好みでWO13.5とかを足せばいいだろう。
 木星が視界外に去ったので、テレスコマイクロをオリオン座に向けてみた。明るくないテレスコだが、利点が一つ分かった。暗い星が見えないので、星座の形がはっきり分かるのだ。夜空を見るにはつらいが、星座を見るには良いようだ。
 最後に、外に出て10*42双眼鏡を天頂近いすばるに向けた。このクラスの双眼鏡の視界になら、すばるはすっぽり収まる。きらきらと美しい眺めだ。欲をいえば、もう少し集光力が欲しいところである。テレスコではいまいち暗いが、すばるははっきりと分かる。玩具には最適な代物だ。

寝過ぎですよあなた

22時03分 テレビ 天気:晴れ

 前日寝たのが4:00頃だったろうか。目が覚めたのはなんと17:00。それ以前に14:00頃に起きだした記憶は在るのだが、どうもまた寝床に逆戻りしたらしい。これでは日記に「今朝起きたら夜だったので寝た」くらいしか書けないではないか。それにしても、二度寝の快感は捨てがたい。
 スーパーに出かけた。盛んに「食欲の秋」を連呼していたので、思わずキノコだの野菜だのを買い集めて鍋をすることに決定した。季節的にまだ暑かったが、うむ、美味なり。
 思ったより大量になった寄せ鍋を片付けていると、ETVの「国宝探訪」が始まった。今夜は京都の東寺講堂にある立体曼陀羅の話題。
 東寺は京の守りの一角として建立された寺で、空海が責任者に任命された後は真言宗の中心となった。高野山が総本山なら東寺は朝廷との外交機関だったのだろうか。空海と言えば辞を低くして教えを請うた最澄を追い返した鼻持ちならない奴というイメージがあるが、同時に現実的な感覚に優れた活動的な人というイメージも在る。最澄のような(言い方は悪いが)学者バカと異なり、政治的な感覚をふんだんに備えた事業者という側面が非常に強い。日本中あちこちの残る(全部が空海自身の仕業とは思えないが)土木事業者としての彼の足跡を見てもわかるように、なにかの概念に現実的な形を与えるのが得意だったように思う。
 その空海を責任者にしたのだから、東寺に大掛かりな建造物が次々に建立されるのも必然だったろう。意味付けはいろいろ在るのだろうが、とにかく作りたかったというのが本音だったのではないだろうか。その空海が最後に情熱を傾けたのが、唐より持ち帰った曼陀羅を仏像で表現しようという立体曼陀羅だ。これは密教で世界の中心に位置し世界を理解する智慧を表す大日如来を置き、向かって右手に5体の菩薩、左手には同じく5体の明王を配したものだ。1体でも古刹の本尊足りうる程の仏像をこれだけ配したものだから、そのマスの迫力は相当なものだと思われる。当時の人々は、マンハッタンを目にした移民くらいのインパクトを感じたのではないだろうか。
 これらの仏像群には、内部に仏舎利が収められていることが分かっている。唐から持ち帰った貴重な仏舎利を封じたことからも、空海の思い入れの強さが分かる。先に書いたように空海は概念に形を与えることを追求してきた人だったのだから、密教の本質を大掛かりな立体曼陀羅に顕す事はその生涯の集大成のように思えたのだろう。事実、空海は完成を見ずして亡くなったので、結果的にも集大成となった。
 曼陀羅というものが人間の世界認識の根底に関わっているというユングや仏教の主張は怪しいものだと思うが、図形としての曼陀羅には確かにあらがい難い魅力が秘められているようにも思える。空海という人は、その曼陀羅から様々な啓示を受けて形にしていった人だ。そのような定義付けをしたくもなる。