Strange Days

2001年03月31日(土曜日)

NHKスペシャル「星明かりの秘境カラコルム」

23時23分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは面白そうだ。「星明かりの秘境カラコルム」と題し、山岳写真家藤田弘基氏のカラコルム遠征を同行取材したものだ。
 藤田氏は世界中の有名峰を写真にとり続けてきた山岳写真家だ。アルプス、ヒマラヤなどを写真に納めてきた藤田氏は、近年カラコルムに取り組んでいる。カラコルムはパキスタン北部、ヒマラヤの西方にある大山塊だ。ヒマラヤ同様、インド亜大陸がユーラシア大陸に食い込む圧力が生み出す造山運動により、今なお盛り上がり続けている。地理的に交通の不便な辺境地であり、世界第二位の高山K2などが集中しているにもかかわらず、今なお人の侵入を容易には許さない。富士山の倍以上の6000m級の山は数知れずあり、無名峰も多いという。
 去年の初夏、藤田氏は例年のようにカラコルム入りした。藤田氏が最初に向かったのは、カラコルム西部にある5000m級の峠だった。峠といっても稜線のすぐ側は1000mも一気に落ち込む急峻さで、多数のポーターを使って険しい道行きをしなければならない。藤田氏はこの峠にテントを張り、すぐ側の高峰群を写真に収めようとした。藤田氏が得意なのは星空と風景を一緒に写し込んだ星景写真と呼ばれるものだ。藤田氏は特殊なカメラを用意して晴れ空を待ったが、天候が崩れて実に一週間以上も待機する羽目になった。ほとんど命の危険を感じるようなシチュエーションだ。たかが風景写真とはいうものの、これは完全に命懸けだ。
 藤田氏が次に向かったのは、南部のパキスタンに近い高原地帯だった。短い夏の間、この近辺には高地に暮らす人たちが家畜を連れて上ってくる。藤田氏は短い夏に咲き乱れる花たちと星空とを一枚の写真に納めるため、雲の無い夜をまたしても待ち続ける。写真家は瞬間的なシャッターチャンスをものしなければならないことも多いのだろうが、常人の想像を絶するような忍耐も必要なようだ。更には風のない夜に、波一つない湖面に映る星を写し込んだりもした。
 最後に藤田氏が向かったのは、カラコルムの中心に近い、人が足を踏み入れることのほとんどない高原地帯、スノーレイクだった。ほとんど本格的な登山チーム並の陣容でこの高地を目指した。スノーレイクは、険しい峰に囲まれた広い雪原が、まるで雪をたたえた湖のように見えることから付いたという。危険にさらされながらも雪と岩以外なにもないスノーレイクに到達した藤田氏は、思いがけないシャッターチャンスを得た。はるか遠くに見えるK2が夕映えに燃えている様を写真に納めたのだ。K2を西方から望めるポイントがほとんどないので、このような写真が撮られることはまれだという。
 藤田氏は、スノーレイクを見下ろす稜線から、空を行く星、静かに立ち並ぶ山、そして星明かりに映える雪原を写真に収めることが出来た。この写真、どこかで出版されるのだろうか。欲しくなったな。
 それにしても、この藤田氏のハードな遠征に同行したNHK取材班も、これまた大変な苦労をしたことだろう。しかし、一生に一度くらいはこの目で見てみたい光景だ。

雪? マジっすか

19時21分 暮らし 天気:雪だよ、この時期に......

 前日、まあ10:00くらいには起きようかと思っていた。しかしだ、起きれないではないか。寒すぎる! まるで真冬のように、羽毛布団の中にまで寒さが染みとおってくる。これは尋常ではない。真冬ならエアコンの予約を抜かりなく入れておくところだが、不意打ちだったので部屋の中隅々まで寒さが行きわたっている。寒さに包囲されてしまった!
 なんとか気力を奮い起こし、昼過ぎにふとんを抜け出し、エアコンを入れて部屋を温め始めた。外を見ると、さっきからの雨が降り続いている。雨が、雨が......。雪になっとるやないかい! 道理で寒いはずだわ。
 さすがに雪が積もる気配はなかったが、冷たい風に中学校の前の桜が縮こまっているように見えた。蕾がだいぶん落ちただろう。僕もこの寒さでは花見に出て行く気になれないしな。
 結局、双眼鏡で50m程離れた桜並木を眺めるだけの花見だった。

2001年03月30日(金曜日)

どんどん寒くなるやないかい

21時20分 暮らし 天気:晴れてましたが

 夕方まで一応晴れていたのだが、夜になるととたんに雲がわいてくる。しかも寒い。この寒さはどうしたことだ。
 今日で期の終わりなので、職場で多少の人事異動があった。まあ、ある日いきなり席がなくなるということはあるまいが。

2001年03月29日(木曜日)

霊魂は実在するか?

21時15分 思考

 「霊魂は実在するか?」などというスレッドが、2chのオカルト板に立っている。まあタイトルはいかにも2ch的だが。少々関与してみたが、心霊現象の実在性に関して大きな温度差があることを改めて思い知らされた。
 ある人が「理屈がわからなければ鳥は飛んでいることにならないのか」、だから理屈はわからなくても霊魂は実在するのだ、といういかにも無理な主張をしていた。この無理さは、「飛ぶ鳥」と「霊魂」の認知度の違いに由来するといってよいだろう。つまり「飛ぶ鳥」の存在はよほどのこと(異様に偏屈な哲学者だとか視覚障害の人だとか)がない限り万人にとって自明だ。しかし霊魂はそうではない。少なくとも、僕はそれを観測した記憶がない。また少なくとも僕にとっては自明の存在でもない。さらにいえば、世の中の非常に広い範囲で自明でないことも明らかだろう。未だかつて、霊魂に対する補償などといったものが真剣に取り上げられたことはない。社会制度そのものが「死後も存続する実体」などといったものを想定してないことは明らかだ。まあ靖国神社問題とかを考えると、完璧にそうとも言い切れない面はあるが。
 もしも「飛ぶ鳥」の存在と同じく、「霊魂」を『ほら、あれだよ』といって指示し、それが誰の目にも見えるものであるのなら、霊魂の実在が疑われることなどほとんどなかったろう。少なくとも、そのように見えるものの存在は。しかし「ある」と主張する人たちは、「飛ぶ鳥を示す」のと同じようには霊魂を示せない。それを霊視能力だの波長だの波動だのといった、いかにも科学的に見せかけた言葉で説明しようとしている。しかしそもそも実在が自明でない以上、いかなる形でも検証は不可能だ。そういう意味で、「霊魂の実在」は科学的手法により処理できる対象ではない。実際、超心理学の人々も、もっぱら事例を収集して実在性を明白にすることに注力している段階だ。
 こうして考察してゆくと、そもそも科学的手法というものは、人間の経験世界に強く依存していることが分かる。つまり万人にとって自明である存在でない限り、それを科学の俎上に載せるのは難しいのだ。では量子力学はどうなのだとかいった問題はあるが、これは科学者集団そのものを社会が信用し、その内部的な結論をそのまま社会が受け容れた結果であると思う。科学者集団は、少なくとも霊媒師集団よりは信頼されているわけだ。しかし、ある集団を信頼して、その結論をそのまま鵜呑みにするという図式は実用的ではあるが、かつての宗教的権威と社会の関係を思い起こさせなくもない。少なくとも、「誰にでも検証可能」という科学的手法の原理は、巨大科学での予算問題、あるいはある実験を行い解釈するための膨大な予備知識の必要性などの点から、すでに大きく崩れている気がするのだが、どうだろう(ナニがどうなのだ)。

さくらは大丈夫か?

20時14分 暮らし 天気:くもりのち雨

 朝のうちはくもりで、なんだか寒いなあと思っていた。しかし昼頃に外を見ると、雨が降ってるじゃないか。けっこう久しぶりな気がする。雨のせいか、気温が一気に下がった。今朝は肌寒かったので、久しぶりにセーターを着込んで出勤したのだが、正解だったようだ。
 夜にはさらに気温が下がり、よっぽど暖房を入れようかと思ったぐらいだ。深夜に帰宅し、星も見えなかったので、寂しい夜になった。
 今度の土日で鎌倉辺りに出かけようかと思っていたのだが、この雨では桜がかなり散ってかもしれないなあ。実は目の前の中学校には桜並木があるので、それを双眼鏡で愛でるか(なんと寂しい花見だろう)。

2001年03月28日(水曜日)

冬の大三角形を愛でる

21時12分 星見

 夕方になっても空には雲が掛かり、かつ霞が全体を覆っている。あまり観望向きの空ではなかった。しかし風が強く、時々風に雲が吹き飛ばされて切れ目が出来ている。そこに冬の大三角形がのぞいていたので、20*80双眼鏡を向けてみた。
 大三ツ星周辺には星が群れていて、意外にクリアに見えた。小三ツ星もそれなりに見えるが、散光がいまいち冴えない。
 シリウスに向け、そこからM41を探す。雲に掛かっては抜けるという状況で、探すのに案外戸惑った。しかし、やがて微光星の群れが目に入ってきた。
 M46&M47を探して、シリウスの東に双眼鏡を向けた。M47はすぐに見つかった。やはり、この星団は明るい。M46はそらし目を使うと見えてる気もしたが、なんだか気のせいのような。
 もうすぐこれらの星座ともお別れだ。また見えるようになるのは、夏が終わる頃だろう。

CANON 18*50IS到来間近

17時12分 星見 天気:くもり

 ちょっと前にオルヴィスに発注していたキヤノンの18倍50mm防振双眼鏡が発送されたと、オルヴィスさんからメールをもらった。代引きで発注したので、今日中に大金を調達しないと。
 これで去年から買いあさってきた双眼鏡は、四つ目になる。元々持ってた安いのを含めると五つだ。双眼鏡にも、いろいろ個性があるものだ。
 もう桜の季節だなあ。春霞に沈んでゆくオリオン座でも眺めるか。

2001年03月27日(火曜日)

牛丼

21時11分 暮らし 天気:晴れてるのか

 実家の味、"牛丼"を作って喰らった。こいつは牛丼と称してはいるが、実際には他人丼である。
 まず肉(70g程度で良し)と玉ねぎ(1/3~1/2)を炒め、水をカップ1杯強加える。そこにだしの素を適量、みりん大さじ一杯、醤油大さじ2杯程度、そして生姜(練りショウガを薬指程度)を加え、さらに白葱を加えて良く煮立たせる。適当に煮たところで卵を適量、まあ2個くらい溶いて入れる。それが固まったら出来上がりだ。このように明らかに他人丼なのだが、実家ではなぜか牛丼と称していた。
 喰らいながら、こんなものを夜に喰っていたら、生活習慣病になってしまうのではないかと思った。ちょっと粗食習慣をつけないと。基本は一汁一菜である。

2001年03月26日(月曜日)

さそり座といて座を見た

23時55分 星見

 飯を食い、猛烈な睡魔に負けて布団にダイブした俺様は、2:00頃に目覚めてしばし活動した。それからまた布団に入ったが、目が冴えて寝れんやんか。しばらく布団の中で妄想に耽っていたが、不眠のままコケコッコータイムに突入だ!(いやそんな勢いをつけなくても)。気づくと4:00過ぎていた。ふと外を見ると、昨夜は曇っていた空が晴れているようだ。10*42双眼鏡をさそり座に向けた。
 火星は今夜も明るい。その下に、アンタレスも赤く輝いている。さそりの尻尾の方に移動してゆくと、おや、M7がこんなにはっきり見える。ほろほろと微光星が群れている様がはっきり分かる。M6もすぐに位置がわかった。40mm級の双眼鏡で、こんなにはっきり見えるとは思ってなかった。まさにガイドブック級の見え方だった。
 天頂方向に向けると、すぐにいて座の特徴的な配列が目に入った。少し西に引くと、ほらあった、M8干潟星雲。そこに群れる微光星が見え、また散光もわずかながら感じられた。一瞬、80mmを出そうかと思ったが、さすがにそれは止めておいた。
 夏の星座の季節まで、後わずかだ。

揚げパン

20時08分 暮らし 天気:晴れですが

 仕事中、どうにも調子が悪くなったので、早めに帰った。といっても、19:00は過ぎていたが。
 帰路、スーパーに寄ると、昔懐かしい「揚げパン」が売られている。わざわざポップに「懐かしい」などとあるように、横浜近辺でも給食時に揚げパンが出ることがあったのだろう。コッペパンを油で揚げ、グラニュー糖をまぶしただけの、なんとも薄ら馬鹿な食べものだ。薄ら馬鹿な俺様には真にお似合いな食べ物といえよう。
 その場には袋に包装した90円のもの、きな粉、砂糖の2種があった。当然、砂糖の方を籠に放り込む。が、数歩行きかけて、実はすぐ側の惣菜コーナーに、この店で揚げた50円のものもあることに気づいた。こっちは、まさに給食時に見たアレそのもので、油がギトギトとひかり、グラニュー糖を適当にまぶしてあるものだ。が、今日は袋のほうを買うことにした。
 帰って、ご飯が炊き上がるまでの間、限界まで下がった血糖値を上げるべく、袋を破って揚げパンをかじった。しかしこれは......給食時のあれではない。なるほど、確かにコッペパンを油で揚げ、砂糖をまぶすという製法は共通している。しかし、上品過ぎるのだ。油の使い方は控えめで、染み込み過ぎないように気を使っているのだろう。またまぶしてある砂糖は、グラニュー等より上質な、きめの細かいサラサラの上質糖を使っている。お菓子に使うあれだ。いや、これも確かにお菓子ではあるが。
 いかにも袋詰して売るにふさわしい、上品な揚げパンではある。しかしこれは「懐かしい」味などではないぞ。こんなの"あの"揚げパンじゃないや。メーカーの方も、より気を使って作った食べ物を貶されるとは思いもしなかったろうな。商品としてはこっちが正解かもしれない。しかし、懐かしの揚げパンはこんな上品なものではなく、薄ら馬鹿なコーヒー牛乳などと一緒にもぐもぐ喰らうに相応しい、薄ら馬鹿な食べ物の代表だったのだ。今夜、もしもスーパーに寄れたら、50円の奴を買うことにしよう。表面が油でギトギト光るあれこそ、"あの"揚げパンと呼ぶに相応しい。

2001年03月25日(日曜日)

自転車の部品を買う

21時07分 自転車 天気:雨ってます

 BD-1用のパーツを買いに、横浜は東急ハンズに出かけた。久しぶりだなあ。たぶん、一月ぶりくらいでは。
 まずヨドバシで目覚し時計とラピュータ用の電池を買い、ハンズの地下に降りた。少し模様替えしたようだ。自転車売り場で仏式バルブ用ゲージ付ポンプ、2mの防犯ワイヤ、ハロゲン灯のライト、そしてパンク修理用のパッチを買った。ポンプはいくつか見たが、持ち運び可能な軽量なモノを買ってみた。ワイヤはクイックリリース式部品満載のBD-1での使用を考え、出来るだけ長いものを。ライトは、最初はLED式の軽量、長寿命のものを買うつもりだったのだが、やはり明るさに不安があったのでコンベンショナルなハロゲン式のものを買った。単三電池2本使用のタイプで、電源には困らない。パンク修理キットは、緊急時のことを考えて糊不要にした。
 帰宅して、早速ポンプを使ってみた。このタイヤは80PSIまで入るようだ。しかしポンプのゲージはあてになるのだろうか。どうもプレッシャーを押し切った時と、そこから引いたときとで、ゲージ表示がそれぞれ違うのだ。これは困るなあ。どっちが正しいのか。
 結局、60PSIぐらいかと思うところまで入れたが、正しい空気圧かどうか自信が無い。も少し接合の仕方とかにコツが要るのかもしれない。
 ライトもいい感じで取り付けたが、外は雨で今日は乗りまわせない。それと、昨日乗り慣れてない自転車を乗り回したせいか、足の付け根がとても痛いのだ。ライディング用パンツが必須かもしれない。

2001年03月24日(土曜日)

NHKスペシャル「誕生の風景」

23時30分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、「誕生の風景」。21世紀の最初の年に、三つの命の誕生の風景を見る。
 世界最先端の医療技術が、命の意味を変えつつあるという。アメリカでは、人工授精技術の進歩が、全く新しい種類の"養子縁組"を成立させている。
 ある夫婦は、長年子供が出来ないという悩みを持っていた。そこで人工受胎(?)という手段を選択した。この方法の目新しい点は、受胎する受精卵の精子、卵子共にこの夫婦のものではないということだ。この受精卵を提供したのは、やはり不妊治療に人工授精という手段を選択した、別の夫婦だった。
 恐らくキリスト教圏に根強い考えだと思うのだが、命の始まりを受精の瞬間だとする考えがある。堕胎に非常に非寛容なキリスト教圏では、胎児を既に人間とみなすという思想が支持されている。ならば、その胎児の始まりである受精卵をも尊重するのは、そうした思想の持ち主にならば自然な考えだろう。
 人工授精では、実際に使われる以上の受精卵が用意される。それらのうち、ごく一部だけが用いられ、残りはたいていの場合破棄される。しかし受精卵を破棄することに、それを人間の始まりだとみなす人々は、耐えがたい罪の意識を持つようだ。そこで、こうして"生まれた"受精卵を生かし、自力では人工授精も出来ない夫婦との間に"養子縁組"を取り持つ組織が現れた。先の夫婦も、そうした組織が仲介して、別の夫婦の不要な受精卵を提供してもらったのだ。しかし、この"養子縁組"は、提供者の夫婦にある種の不安を抱かせた。
 受精卵を尊重して別の夫婦への提供に同意したことから分かるように、提供者夫婦も受精卵を既に人間だとみなしている。少なくとも、それを否定しきれない。その"我が子"を別の、見ず知らずの夫婦に提供することは、果たして正しかったのか。その夫婦にどう扱われるかという不安もあったようだ。むしろ我が子として生み育てるべきだったのではないか。それは別の楽しみを、いわば別の"未来"を見せてくれたのではないか。死児の齢を数えるという言葉があるが、この場合は未生の児の歳を数えて、不安や希望を見出しているわけだ。
 そのような不安に満ちた日々は、やがて新生児の遺伝子解析の結果が出たことにより、終止符を打った。今回のケースでは、対象の夫婦に対して二組の、別々の夫婦の受精卵が同時使用された。そして新生児は、先の夫婦と遺伝上の関係が無いことが明らかになったのだ。この夫は「人生の一部が終わった」と形容した。妻は「ホッとした」といった。それぞれ、遂に生まれ出事の無かった"我が子"の運命に区切りがついたことを感じている。
 裕福なアメリカのキリスト教徒の間では受精卵すら尊重されるのに、同じキリスト教圏のフィリピンでは今、生きている子供たちが深い貧困にさらされている。首都マニラでは、地方から職を求めて集まってくる人がスラムを形成している。スラムに住む子供たちは、その日の食にさえ事欠く有様だ。
 スラムに暮らすある一家は、両親と男の子一人、女の子二人という家族構成だ。父親には定職が無く、時々運転手をして現金を得ているに過ぎない。生活は、この父親の乏しい現金収入にかかっている。
 最近、母親はまた妊娠した。キリスト教圏のフィリピンでは妊娠中絶は厳禁であり、妊娠は即出産を意味する。しかし貧しい暮らしに、4人目の子供は重荷だ。
 国民の平均収入が低く、貧困国とされているフィリピンで人口増加に歯止めが掛からないのは、宗教的な理由により前記のように中絶が困難であるからだ。その一方、避妊に対する意識も低い。
 政府は中絶を厳禁しながらも、人口増加に歯止めをかけるべく避妊そのものは広く普及させようとしている。しかし、国民の側の意識の問題により、あまり真剣には受け取られていない。日本がそうであるように、避妊では男性側の処置が手軽で効果的だ。コンドームの使用は、日本ではほとんどデフォルトと考えてよいくらいに普及している。しかし、フィリピンでは避妊は女性の責任とされ、より確度の低いペッサリーや、危険を伴う避妊手術しか普及して無いようだ。政府の政策に沿って、出産直後になら無料で避妊手術を受けられる。しかし、この女性はそれに躊躇した。一家の主婦である自分が入院している間、家族の面倒は夫が見るしかない。しかしそれでは夫の現金収入が途絶え、暮らしが成り立たなくなる。結局、この女性は避妊手術を諦めた。これでこの先の家族計画が成り立つのか、疑問が残るといわざるを得ない。子供は天からの授かり物、という類の大らかな意識が、あるいは彼らの現実の生活を困窮せしめているかもしれない。
 科学技術が新しい生命を育む一方、その科学技術が命を危険にさらすことも増えている。ロシアのセミパラチンスク郊外の寒村では、悪名高い核実験場の風下にあり、住民が長年にわたって高濃度の放射性物質を浴びてきた。そのことが明らかになったのは、ソ連崩壊後のことだった。
 住民の間には癌に冒されるものが多く、また生まれつき異常を持つ者も有意に多い。
 ある主婦は、こうした環境下で子供を生み育てることに躊躇しながらも、新しい子供を産む決意をした。彼女の長男は、生まれつき脳に障害があり、5歳になっても言葉を話せない。しかし兄弟が出来れば、あるいはより感情が活発になり、言葉を話せるようになるのではないか。そのような望みから新しい子供をもうけたのだ。
 それにしても、最初の家族と、続く二つの家族、そしてそのそれぞれの間の落差はなんだろう。裕福な国に生じたがために、ある受精卵はその段階から尊重される。ある国では生きている子供でさえもさほど尊重されない。こういう格差は、しかし先進国の内部にさえあるものだ。とはいえ、これほどの不均衡が生まれている状況を、命の多様性と捉えてしまっていいのだろうか。三つの事例全てに科学技術が影を落としていることを思うと、冷静に受け取ることは難しい。

BD-1襲来

22時03分 自転車 天気:くもり

 割と早く目が覚め、ゲームしながらBD-1の到着を待った。最近、Diablo2のアマゾネスにパイクを持たせると無敵に強いことに気づき、育てていた槍アマがさくさく進む進む。まあ防御が甘いので死ぬ時は死ぬが。
 この槍アマがDiablo閣下を殺害してしまい、さらにナイトメアモードで始めた途端、ドアの心臓に悪い大音量チャイムが軽やかな音を立てた。佐川のお兄さんがでっかい荷物を持ってきてくれたのだ。
 受け取って、部屋の中に引っ張り込んだ。オオヤマさんで厳重に包装してくれたのだが、笑えるのが包装に使った段ボールがダホンのものだということだ。
 はさみで接合部を切り裂き、BD-1を救出する。折りたたんだ状態で包装してあった。まあ当たり前か。サイズはこっちの方が有利だもんな。
 取り出した第一印象は、「でかい」だった。想像していたよりまだ大きかった。ハンズで見たときにはここまでの大きさは感じなかったのだが。見る場所に拠るのだろうか。
 付属していたミズタニサイクルの日本語マニュアル(BD-1特有の記述は数ページだけだが)を見ながら組み立てる。BD-1には頼んでいたハンドル傍のポーチ、マッドガード、キャリア、スタンドが取り付けられていた。キャリアはプラスチック製の軽量なものになっている。それほど強度に不安は無さそうだ。しかし華奢な印象は拭えないな。サドルはVEROの穴開きサドル。この他に、輪行用カバー、メッセンジャーバッグが入っていた。メッセンジャーバッグは存外にでかくて、相当の荷物が入りそうだ。
 ここで寝たり、テレビを見たりの中休みタイムが入る。
 外に持ち出すのは真夜中になってしまった。長後街道を走り回る暴走族がうるさい。
 自転車に乗るのは思い出す限り10年以上ぶりなので、しばし練習タイム。前に乗っていたのはママチャリ的なお気楽ポジションのモノだったので、BD-1のように前傾姿勢のモノは初めてだ。ハンドル側にかなり体重を掛けないと、はっきりいって足の付け根が痛い。
 しばらく練習して、ちょっと中学校一周の旅に出たが、車の通行量が思ったより多くて引き返した。
 走り回っていて、ああ、これなんだと思った。自分で漕いだ分だけスピードが上がり、その分だけ風が強まり、それを切って走る。この感覚をしばらく忘れていたんだ。
 小径車だけあって加速は鋭く、また8段ギアをフルに使えば速度も出そうだ。もっとも、坂を登るには不安を感じるのだが。平地では割と頑張れる自転車だと思う。

2001年03月23日(金曜日)

NIKONの新型デジカメはまだか

21時02分 デジタルカメラ 天気:曇ってますぜ

 ちょっと前にE990とE950の生産終了がアナウンスされた。これらの機種は、ニコンのコンシューマー向けデジカメ陣営では最高級機種に当たる。これでニコンの現用機種はE880だけになってしまった。常識的には次世代機の開発が終わり、まもなく発表されるのだろうと考えられる。ところが、どうやら発表が間近いという情報が見あたらないのだ。むしろ、夏まで発表はないのではという声が多い。
 どうしようかなあ。今、E950にさほどの不満はない(というか使いこなせてない)。強いていえば動作速度を上げて欲しいこと、もっとコンパクトにして欲しいことくらいだ。天体写真を考えると長時間露出も出来るようにして欲しいが、コンシューマー機にそれを望むのは難しいかもしれない。CASIOがやったように、60秒間の露出保証が精々だろう。どのみち、冷却CCDを越えることは難しいだろう。目があるとすれば、D1やD30が位置するレンズ交換式1眼レフのセグメントでやるべきだろう。
 もしかしたら、ニコンはこのクラスをE8XX系のみに絞るんじゃないかと思ったりして。E880も3倍ズームの300万画素CCDデジカメというスペックからすると、E990とあんまり差がない。かなり売れてもいるようだ。E990後継に当たる機種は、D1ボディより更にコンパクトなクラスのレンズ交換式デジカメとして登場するか、あるいはE10みたいにでかい専用レンズを載せて来るかもしれない。今、E9XX系にこだわっているのは、ワイコンとテレスコを持っているからだが、これが流用できなくなるとすればニコンにこだわる意味はなくなる。
 動作の速い、軽いデジカメを買ってしばらくしのごうかと思ったりして。案外、旧型機種の投げ売りで、そういう機種が見当たることもある。それで手を打つか。

2001年03月22日(木曜日)

春だから

23時01分 インターネット

 春の陽気に誘われてか、ネット(ってなんだ)のあちこちでおかしな人を見かけるようになった。特に掲示板に謎のメッセージを貼り付けて荒らす輩が目に付く。
 きっと、この陽気に誘われて、引きこもっている人々が活動を開始したのだろう。世界と向き合う勇気をもたない彼らの精一杯の自己表現、それがこれらの行為なのだろう。彼らの長い、無惨な人生の中で、ほんの一瞬だけ高揚した気分を味わえる、魔法のような空間がインターネットなのだ。ためになるなあ、インターネット。

BD-1

20時00分 自転車

 発注していたBD-1だが、今週土曜日には受け取れそうだ。オオヤマさんからそういうメールをいただいた。
 ちょうど暖かくなってきているし、遊ぶにはもってこいのアイテムだ。ギミック性に惹かれてフォールディングバイクにしたが、ふつうに乗るにはMTBの方が良かったかもな。

ちあきなおみの「さとうきび畑」

11時59分 音楽 天気:春霞の晴れ

 一昨日、「ちわきなおみ」のさとうきび畑、などと書いたが、もちろん「ちあきなおみ」の間違い。紛らわしいんだよ! いや、それを狙ってるんだろうが。
 「ちわきなおみ」のさとうきび畑も聴いてみたい気がしなくもないな。

2001年03月21日(水曜日)

猛烈な花粉症か?

19時58分 暮らし 天気:晴れてます?

 昨日、大掃除などというらしくないことをやったせいだろうか。朝から体がダルダルで動かない。うーっとしばらく寝床で唸っていたが、やがて会社に電話を入れて久々に休んだ。
 このところ暖かくなってきたので、昼は窓を開けるようにしたのだが、おかげで花粉もたくさん導入してしまったらしい。部屋にいても目がしょぼついて、時々洗眼しなければやっていられないくらいだ。ハウスダストとどっちがいいのだろう。
 夕方、横浜銀行まで歩いていき、BD-1の代金を振り込もうとした。が、なんと俺様のカードは受け付けてくれないのでやんの。このカードが特殊な属性の持ち主故かも知れない。

2001年03月20日(火曜日)

なし崩し的に大掃除

22時56分 暮らし

 風呂掃除をしている時、ふと洗い場が汚れているのが気になった。どれくらい洗ってなかったろう、と思いつつバス洗剤をぶちまけ、ブラシで一生懸命洗い始めた。それからなぜか、なし崩し的に大掃除に発展してしまった。
 風呂が済んだら洗面所である。こちらもかなり汚れていたが、洗剤とブラシでぴかぴかに磨き上げた。続いてトイレ。ここは便座周辺だけ洗っていたのだが、隅にたまっていたほこりが気になっていたので、それも含めて念入りに掃除した。最後は台所。ガスレンジから板場、洗い場をクレンザーを使ってきれいに磨き上げた。これで明日死んでも問題なしだ(爆)。
 しかし背後のフローリング部屋には、相変わらず引っ越し当初からの荷物が、未整理のまま積み上げられているのである。いやあ、気が滅入る(爆)。

みんなの歌40周年コンサート

17時55分 音楽 天気:晴れ(雲が多い)

 NHKで、朝の8:35から「みんなの歌40周年記念コンサート』をやっていた。大御所北島三郎を中心に、ボニー・ジャックス、榊原郁恵などのベテランから、最近のBEGINまで、満遍ない出演者だった。
 休日のこんな時間に起きていられるわけがない。ということでビデオに録画して、後で再生した。これは掃除しながら見たので、あんまり詳しく見てなかったのだが。森山良子の生「さとうきび畑」やってくれたが、これはちわきなおみの方が好きだという人の気持ちがちょっとわかった。ちょっと明るすぎるのだな。
 後でもう1回見ようっと。

2001年03月19日(月曜日)

またM天体捜索

23時55分 星見 天気:晴れ???

 このところ、各種光学兵器でM天体捜索を繰り返し、それぞれの能力を比較してきた。今夜はC8EXによる再々試験だ。
 今夜は風が強い。視界にM42を入れるも、風に揺れる揺れる。不安定なシンチレーションと、強風のダブルパンチだ。高橋のTG-L経緯台は、天頂近くまで向けられる点で扱いやすいのだが、同時に重量配分が必然的に悪化するので、風に弱いという点が要注意事項だ。
 M42のトラペジウムは、四つくっきり見える。これが100EDだと一番暗い星が霞んでしまうのだが、C8EXではそういうことはない。C8EXとMeadeSW24.5はベストマッチだと思う。かなり視界を取れるし、コントラストも非常に高い。背景も過剰に白くならない。
 M93。おおいぬ座の足元から東に探してゆくと、やがてささやかな微光星の集団が目に入ってきた。8インチの口径でようやく捉えられるような、暗い微光星の群れだ。良く星団ガイドの類に『双眼鏡でも捉えられる』という記述があるが、既に現実にそぐわない記述になっているのではないか。人口の大半が都市部に住み、その明るい夜空に星を探さなければならない状況では、ガイドブックの記述もそれを意識したものに合わせなければならないのではないだろうか。まあ都市部では自動導入を使えということかもしれないが。
 M46&47。M47は一発で分かった。明るめの星の集団を取り巻く微光星の群れ。この微光星が見えなければ、これが散開星団だとは気づかなかったかもしれない。M46もじっくり眺めれば浮かび上がってくる。
 M50。これはどうかなと思いつつ眺めたが、やはり天の川に紛れてよく分からなかった。前回見えたと思ったのは気のせいだったのだろうか。
 M48。これも特徴的な星の並びを見つけ、その傍に発見できた。これも微光星が集まっている。
 なんでも、Celestronは8インチ超級の鏡筒を単独販売しなくなるらしくて(今後は自動導入装置とのセット販売のみになるとか)、11インチとかいった鏡筒はもう入手不可になるかもしれない。このクラスになると実視界が狭く(必然的にFが長くなるので)、自動導入との組み合わせは必須かもしれない。
 ということで結論。都市部でM天体をたくさん見るには、最低でも8インチ級が必要である。

2001年03月18日(日曜日)

みんなのうた40周年

23時55分 音楽

 録画しておいた「土曜スタジオパーク」を見た。1月終わりにやった「みんなのうた特集」の第2弾をやることになっている。
 出演したのはペギー葉山。なんでも、一番みんなの歌を歌っている歌手なんだそうな。もう一組、あの「タチツテト手を」のヘンリーバンド with Mも登場していた。演奏はプロだが、歌う方は初挑戦なので苦労したとか。
 番組では過去の放映曲を流していたが、びっくりするほど古い曲もちらほらと。それより懐かしかったのが、みんなの歌のタイトルジングルだ。'70年代のあれは、学校のテレビでよく見ていたよなあ。'80年代のものが記憶に無いところをみると、この頃から見なくなっていたようだ。それが今になって夢中になってしまうとは。人間の嗜好というものは計り知れない部分があるものだ。

ちょい星見

23時51分 星見

 昼頃の空はけっこう雲が多かったが、夜の空はそれなりに晴れているようだ。21:00頃、ベランダに20*80双眼鏡を出して、沈み行くオリオン座に向けた。どうも気温が高いせいか、霞が出ている。背景が真っ白だ。その中に、M42がくっきりと浮かび上がっている。辛うじて散光も感じられる。M41はほぼ埋没しているという感じだ。やっと位置がつかめる程度。星そのものはそれなりに見えていたが、微光星がほとんど埋没している感じだ。
 寝る前、今一度双眼鏡でおとめ座周辺を散歩した。この辺りにあるおとめ座銀河団は見えない。見えているかもしれないが、数値的には非常に難しい対象だ。
 また気まぐれで、高橋の50mmフィールドスコープに換えた。やはり三脚が安定していると良く見える。かなり暗い天体まで見えている。もちろん、20*80に較べれば暗いが。問題は見かけ視野が50度程度しかない点だ。ちょっと広視界のフィールドスコープに色気が......。

今日も出勤かい

21時50分 暮らし 天気:晴れ

 今日も今日とて休日出勤である。ちょっと体調不良なので、昼から夕方まで4時間ぐらいお仕事した。静かで捗るわ、まったく......。平日の3倍速ぐらいの速さで紙のお仕事が進んでしまうのである。こういう傾向を見ると、在宅勤務の方が効率的かもしれないな。

2001年03月17日(土曜日)

気力ミニマム

22時49分 暮らし 天気:雨やんけ

 昨夜から降りだした雨のせいで、どうにも寒い日だ。真冬の寒さではないが。
 今週分の疲労がどっと出たのか、昼過ぎまで眠りに眠ってしまい、どうも自家中毒気味だ。ゲームをする気にもなれず、ぼんやりしていた。
 外に出ようという気にもなれない。今日はちょっと会社に出て仕事するつもりだったのだが、明日にしよう。
 夜になって、米を研いでいたらなぜか汗をかいて体調が回復した。ううむ、人体の神秘である。

2001年03月16日(金曜日)

ドライフルーツ

23時48分 暮らし

 最近、ドライフルーツを食後にパクパク食っている。以前、PCSかどこかで「炭水化物+卵+ドライフルーツ程度でも栄養的には充分」とあったのを思い出したからだ。確かに、ドライフルーツで栄養的にはかなり改善されるかもな。しかし、このドライフルーツという奴が、けっこう習慣性があるのだ。特にバナナチップなんて止められない止まらない状態だ。気が付くと一袋を半分くらい空にしてることが。これでは逆効果ではないかと思ったりして。

休めんやんけ

22時47分 暮らし 天気:くもりですかな

 来週20日は休日なので、19日も休めば4連休になる。そんなわけで仕事をザクザク片付けていたわけだが。
 絶対無理やん。
 全然片付かないでやんの。お仕事が延びる延びる。このままでは19日どころか20日も危ういものだ(もはやなす術もなく笑)。来週末に代休固めて取るか......。

2001年03月15日(木曜日)

ああ、山場です

22時46分 暮らし 天気:くもり

 ようやく山積みの仕事が片付き始めた。でも3/19は休みに出来そうにないなあ。来週金曜日に休むか。ちょっと長めの休みが欲しいところだ。肝臓フォアグラ症の影響か、このところ体が疲れやすくてしょうがない。

2001年03月14日(水曜日)

ハイレゾPalm

23時45分 デジタルギミック

 Sonyの新型CLIEが発表された。これがなんと画面解像度が320*320、つまり1/4VGAサイズ以上のものなのだ。ロカティオよりまだ大きいのだ。PalmOS3.5が公表された頃、「現状のPalmOSの造りでは高解像度は実現できない」なんちゅう記事を読んだ記憶があるのだけれど、あれはなんだったんだろう?
 凄く欲しいけれど、問題はPPKと組み合わせられないことだ。アダプタでもあればいいのだが。もうPPK無しのPalmなんて考えられない。

気力ミニマムの日

21時44分 暮らし 天気:くもり

 とにかく気力の湧かない一日だった。今週頑張れば、来週は4連休に出来そうなのだけど、疲れがたまりすぎてどんよりした気分になる。戦力をお仕事に注ぎ込んだので他に何もやる気になれない(はぁ)。長い休みを取りたいぜ。

2001年03月13日(火曜日)

双眼鏡で星を見よう

23時55分 星見

 今日は比較的早く帰れたが、最近の残業続きで疲れきっていたので、あまり気張ってベランダに出る気になれない。ここは手早く済ませようと思い、20*80双眼鏡を出した。
 ちょっと霞があるかなと思ったのだが、思いのほか透明な星空だった。M42できっちりピントを出した。散光がやや薄いかな。さすがに南中していた頃のような迫力はない。
 M41は楽勝で見える。しかし既にかなり低高度なので、そんなにたくさんの微光星が見えるわけではない。M93は良く分からない。位置的に前の家の屋根に隠れていたかもしれない。M47は割と簡単に発見できた。M46もおぼろげに見えたような気がしたが、これは気のせいかも、M50は天の川にまぎれてしまって分からない。M48は見えたような見えないような。
 これで一応満足して双眼鏡を引っ込めた。
 寝る前にふと空を見ると、月が皓々と輝いていた。ちょっと見にカメラ三脚と、高橋の20*50フィールドスコープを出した。三脚が重くて安定しているからだろうか、ミニ三脚で見るより圧倒的に好印象の見え味だった。月はくっきりと良く見え、アリスタルコスの白点、縦横に走る山脈や、大型クレーターの中央山稜まで良く見えた。このスコープ、いまいち評価が安定しないのだが、要するに脚がダメだったのだろうか。他の星を見ても、比較的にくっきりと見える。さすが高橋、というほどではないにしても、値段の割に良好な見え味だ。高橋の60mはどれくらい見えるのだろう。

2001年03月12日(月曜日)

ADSLはいつだ

23時42分 インターネット

 最近、NTT関連のニュースには、目を光らせている。横浜でのADSL対応はいつ始まるのか、また泉区でも開通可能なのか、はたまたFTTHはいつ開始されるのか、興味は尽きない。
 フレッツISDNは接続すること自体を考えなくて良くなった点で非常に便利なものだ。しかし64KBPSというのはやはり遅い。ネットワークゲームで引っかかるような感じが残るのだ。去年ぐらいは、64KBPS以上にしてもNTTの地域IP網がネックになるだろうと思っていたのだが、どうもそういう風評はあまり聞かれない。NTT自身の増強は急ピッチなようだ。またサーバの能力も、よほどアクセスの多いところならともかく、中程度のアクセス量ならネックにならないようだ。そう考えると、ADSL化はやはり有利かなと思う。実はISDN+SDSLのメニューが開始されるのを期待していたのだが、これはNTTがこれ以上メタル線(と構内施設)に投資することを躊躇しているという記事を読み、もしかしたら実現しないかもと思い始めた。ADSLならば構内回線はほとんどパスするので、ADSLモデムくらいが必須なだけなので、NTTとしても「どうせメタル線をしばらく使うつもりなら」有利らしい。
 またADSL化はアナログ電話の権利(電話施設負担金だっけ)が必要だと思っていたのだが、NTTのウェブページを見る限りタイプ2(一般通話と共用しないタイプ)なら不要だということだ。ならADSLへの乗換えを躊躇する理由はほとんどない。
 ADSLといっても、フレッツ以外の企業が提供しているものは、実はあまり興味がない。というのも、これらのメニューは他のプロバイダを選択できないからだ。プロバイダを自由に選択できるというのは、やはりフレッツの便利な点だと思う。しかしよほど好評で価格的に有利なら、他社のADSLサービスも考えないではないな。
 横浜におけるフレッツADSLの受付開始は、3/20だそうな。今度も一月待ち程度で済むだろうか。

寒気戻る

19時41分 暮らし 天気:くもりのち雨(寒い)

 昨夜からの冷え込みが厳しい。朝方、会社に行く道すがら、空から白いものがちらほらと舞い落ちてきた。今ごろ雪が振るとはな。
 昼頃にも気温はなかなか上がらず、夕方からは冷たい雨が降り始めた。

2001年03月11日(日曜日)

なにもしませんでした

21時40分 暮らし 天気:くもってますにょ

 今日は何もしませんでした。終わり。
 こう書いてしまってよいほど、本当に何もしない日だった。10:00頃に起きたので、秋葉か横浜に出て4号機用メモリを買うつもりだったのだが、なんとなく気力が湧かず止め。かといって図書館にでも行こうかという気にもなれず、結局一歩も外に出なかった。引きこもりだよ、これじゃ。
 結局、テレビも見ず、Diablo2ばかりしていた。夜は雲って星も見えず。まさに何もしない一日。それにしても寒い。

キャンプ道具

19時43分 暮らし 天気:晴れ

 相変わらず気温が上がらないが、空はきれいに晴れている。空の透明度は冬に戻ってしまったようだ。
 最近、一人で持ち運べるキャンプ道具に興味津々である。ちょっと高いところで星見しようと思ったら、結局山に登らなけりゃならない。すると悪天候を凌げる準備くらいは要るだろうな。などと考え始めると携行コンロが要るだろうとかテントはどうだとか考えちゃうわけだ。
 最近は杭とロープで固定する必要の少ない自立型テントが大流行で、しかもかなり軽量なものもラインナップされているようだ。悪天候じゃなくても、ちょっとした休憩には必須かもしれない。
 ちょっとショップに見に行ってくるかと思う今日この頃である。

2001年03月10日(土曜日)

雲に邪魔されつつ星見

22時39分 星見

 さてさて、今日は定時で退けたので、19:00にはベランダにC8EXを出した。ちょうど、シリウスが南中している頃だ。
 ファインダーにオリオン座の小三ツ星を収め、M42周辺をゆっくり眺めた。風が強い。TG-L経緯台は、比較的風に弱くて、強い風が吹くと視界が揺れる。しかもベランダ自身の剛性が低いので、相乗効果でさらに揺れるのだ。大気の透明度はそこそこあるようで、トラペジウムは四つ、くっきりと見え、またM42自身の散光もそれなりに感じられた。
 M41。いつもながら良く見えた。南中していたのもあるだろう。実はもう少し西に傾いた頃の方が、横浜市街の街明かりに邪魔されないのだが。
 次に探したのはM93。これはかなり低い位置にある散開星団なので、家からは南中前後しか見えない。今夜は......よく分からなかった。
 M46&47も、M48もM50も敗退。どうも今夜は薄雲に邪魔されてしまう。
 そのままバタンキューで寝て、夜明け前に起き出してさそり座を見ようとした。この頃には雲が増えていて、明るい月が雲に出入りしている。この月が難物で、暗い天体が良く見えなくなってしまう。しばらく火星を眺め、M4に挑むも敗退。空が明るすぎる。
 結局、しばらく月を眺めて撤収した。月はティコ周辺の山影が良く見えた。

おかみさん、休出ですよ

19時38分 暮らし 天気:ややくもり

 今週もまた休日出勤モードである。職場にはほとんど人影がない(あったら怖いが)。どうも他の人々は、休出するより残業する方を好む傾向があるようだ。平気で22:00過ぎまで残業している。時によっては半分近く居残っている場合もあるくらいだ。このヒトたちは、一日が24時間しかないということを理解しているのだろうか? 午前様で帰ったら、寝る時間なんて5時間も無いはずだ。さらに一人暮らしならば。
 それと職場に人が多いと、基本的にノイズレベルも高いので、個人的には休出する方が気楽でいいな。

2001年03月09日(金曜日)

簡単星見

23時55分 星見

 夕食を短時間で済ませ、眠いので双眼鏡による星見を実施した。ベランダにMIZAR20*80を出して、西にかなり傾いたオリオン座近辺に向けた。
 M42はくっきりと見えた。散光もそれなりに感じられた。シーイングは悪くない。実視野3.5度といううたい文句どおり、パノラミックな光景が広がる。
 M41に向けると、10個ほどの微光星が固まっている感じに見えた。しかしそれらの微光星そのものはけっこうくっきりと見える。またしばらく凝視していると、暗順応が進んだのかさらに暗い星がポツ、ポツと見えてきた。
 M93辺りに向ける。こちらは一瞬見たような気がしたのだが、すぐ見失った。
 M46&47。最初はM50を見ようと思って探していたら、散開星団が見えたのでこれがそうだと思った。しかし双眼鏡の向きを確認すると、どうもM47を見ていたようだ。これは割とはっきり見える。M46はどうか。亡霊のように浮かび上がった気がしたが、もしかしたら気のせいかも。
 本題のM50。これは散開星団なのかなんなのか分からない星の群れがたくさん見えて、どれがどれだか分からなかった。
 M48。これもM50的に『なにがなんだかわからん』。
 というわけでM天体を見るという点では、大口径双眼鏡は、屈折式望遠鏡に勝るかもしれない。

超簡単夕食

19時36分 暮らし 天気:晴れですけど

 今日はかなり早く帰宅できた。とはいえ、明日は休日出勤だし、早いといっても21:00過ぎてるし、帰ってもほとんどやることがない。
 飯を作ってる時間も惜しいので、今日は店屋物で済ます。閉店間際のヨークマートに滑り込めたので、半値引きの惣菜を買ってかえった。
 これがもっと遅いと、もうコンビニしか開いてない。だが近所のコンビニは、21:00過ぎる頃にはろくな物が残ってなく、さらに補充は深夜になってからのようだ。近所の住民の生活時間がこうなのか? このコンビニで買いそびれると、もう自宅にある食材で何とかするしかない。
 時間があればなんでも作れるが、なにせこういう時は眠い。ので5分で作れる夕食を発明した。
 まず加ト吉の冷凍讃岐うどんを茹でる。そして茹であがった麺の湯を切って丼にぶち込むと、これに生卵、葱をかけ、既製品のそばつゆをぶっ掛け、混ぜ混ぜして喰う! こうなると食事というより餌だ。でも評判の高い加ト吉冷凍麺は、食感がかなり良好だ。その点は、まあ確実に楽しめる。本場の讃岐うどんでは、生醤油という醤油をぶっ掛けただけで喰らうこともあるそうだから、まあ伝統に沿っているといえなくはないな(本当かよ)。
 なんか、ご飯と冷凍麺とパスタでいろんなバリエーションが楽しめそう(しかも安い)。

2001年03月08日(木曜日)

BD-1間もなく到来?

21時33分 自転車 天気:くもり

 去年の年末、サイクルサービス オオヤマで予約を入れたBD-1が、やっと入荷したというメールを受け取った。半分くらい忘れていたぜ。今までハンズの売り場でBD-1をいじっては不満をなだめていたのだが、やっとモノが来る。
 まだパーツが揃ってないので、全パーツが揃ってから納入してもらうことにした。しかし、3月中には受け取れそうだ。
 実は発注後、オプションパーツに追加されたメッセンジャーバッグが欲しくなり、またフォールディングペダルも必要だと思うようになった。そこで入荷を知らせるメールに対して『上記2点を追加で見積もってもらいたい』旨返信したところ、『待たせたお詫びに無料で付ける』という嬉しい返事があった。いいのかな、メッセンジャーバッグなんて1万超えてるぜ。凄く嬉しいけれど。しかし確かに三か月も待つのはちょっと尋常ではない。
 このお店、通販ショップにありがちな悪評があまり立ってないので、よほどきめ細かに顧客管理しているようにも思える。まあ自転車の通販なんて、結局自分で整備する覚悟がないと難しいだろうが。
 これで5月連休には、実家にBD-1を持っていける目が出てきた。風を切って走るのだ(すぐ飽きたりしてな)。

2001年03月07日(水曜日)

1/1さくらちゃん

22時30分 思考 天気:くもり?

 以前、1/1綾波が話題になったが(どこでだ)、最近は1/1さくらとか(どのさくらだ)1/1さくらとか(どのさくらだって)1/1さくらとか(だからどのさくらだ)が商品化されてるそうな。さらには、ダッチワイフのメーカーがアニメっぽい顔の人形も売り出している。しかし機能は制限されている(ええっと、つまりアソコは塞がれてる)そうな。これが凶悪に可愛い。世のをたくたちは、コンバインに刈られる麦穂のようにばたばたと転んでいるそうな。
 前者、1/1さくらの造型は、どうもいまいちな気がする。そういう風評はあるようで、しかも高価(約30万円)なので、さらに不満を持つ人が居るようだ。
 後者のオリジナルキャラの場合、さすが実用(なんのだ)フィギュアを作りつづけてきたメーカーだけに、造型にほとんど不満は聞かれない。価格も安くて、しかも元の用途が用途だけに関節が可動であるなど、実用可能性も高い(なにがだ)。
 そこで後者のボディに、さくらのヘッドをフルスクラッチして載せてしまう人が出るのも、これはもう時間の問題と見た。夏のワンフェスが見ものだ(いや行きませんけど)。
 1/1なんていろいろ大変そうだなと思ったのだが、考えてみれば有利な点もある。たしかに大きいので飾っておくスペースは大変だろう。しかし、なにせ1/1だ。着物が既製品で間に合うのだ。これが小さなお人形サイズだと、着物をいちいち作成しなければならない。これら等身大フィギュアのサイズは子供服のサイズなので、可愛い既製品を選んで等身大着せ替え人形を楽しめるという寸法だ。体力要りそう。
 しかしだぜ、これらのお人形が狙う市場はニッチではあるが、確実に金を注ぎ込むカモを期待できる市場でもあるわけだ。広く普及するとは思えないが、一攫千金を狙うなら悪くないかも。
 話をダッチワイフ(女性向にはダッチハズバンドとでもいうのか?)という次元に広げると、これはもう巨大市場が待ち受けているのは確実だと思う。というのは、今後老人人口が増え、老人の性という問題がクローズアップされてくると、その対策の一つとして高性能ダッチワイフが求められるのは確実だからだ。ありていに言って、僕らが60、70になった時、同年代の婆さんに欲求を感じるだろうか? ちょっと考えられないのだ。きっとその年になっても、20、30の孫みたいな女の子の方に魅力を感じるだろう。また独身だったり離婚してたりして頼れる身寄りの少ない人が増えつづけていることを考えると、その物心両面のケアとして高性能アンドロイドの類が登場するのも、恐らくほんの数世代先の話に過ぎないだろう。そしてその中に性欲処理が含まれるのも必然だと思う。それに老人たちは、今や国家保障が頼りにならないので、箪笥に金を溜め込んで、そのまま墓場まで持っていてしまうことが多いのだ。じいちゃんばあちゃんが孫に甘いことを思えば、確実に金を取れるはずだ。さらに目を上げれば、それらの機械どもは、孤独な人々の心の拠り所にもなるだろう。
 今でも物言わぬお人形さんたちに、心を癒されている人々はいる。それらの人々のウェブページを見ると、確かにやや痛いのだが、同時に否定しても否定しきれない共感のようなものが残るのも事実だ。たぶん、彼らはほんのちょっと先を行き過ぎているだけなのだろう。ホンの半世紀前までは、映画や文学に夢中になる人々は、その世代の一般人からすれば「痛い人間」だったに違いないのだから。
 話をダッチワイフに戻すと(戻ってるのか?)、こんな凄まじいものもある。ここまで来ると、攻核機動隊に出てきた『フェラーリより高価なお姉ちゃん』の登場も夢では無さそうだ。そしてそれが登場するのは、技術力も金も市場もある日本である可能性が高いと思うのだ。今から貯金するかなあ(要するにカモかお前はっ)。

2001年03月06日(火曜日)

忙しない日

23時05分 暮らし 天気:晴れ

 期末のせいか、忙しない日が続く。
 今日も今日とて夜は23:00過ぎまでお仕事。他に何もやる気力が残らないではないか。
 早く山を越えないかな。

2001年03月05日(月曜日)

双眼鏡でM天体ハント

23時55分 星見

 仕事が切羽詰っているので、帰宅したのは日付が変わる頃だった。せっかくの快晴なのだが、望遠鏡を出すのはかったるい。カメラ三脚にMIZAR20*80双眼鏡を載せて、沈みつつあるオリオン座に向けた。
 いい加減低い位置にあるにも関わらず、M42はくっきり見え、散光もかなり感じられた。20倍程度では、シンチレーションはあんまり関係がないようだ。
 M41もかなり低い位置にあったが、難なく発見できた。
 では100EDでは良く分からなかったM93は? これが割と簡単に見えたのだ。それらしい星の集団が、じっくり眺めていると浮かび上がってきた。充分暗順応させる必要があった。
 M50も、前の家のアンテナに掛かってはいたが、それらしい集団が見えた。いや星の小集団がいくつも見えたので、そのうち一つをそうだろうと考えたのだが。
 M46&M47。さすがにM46は見えなかったものの、M47のうち、特に明るい星たちの並びが見えた気がした。
 M48はよく分からなかった。
 というわけで、もしかして100EDより良かったのでは? という結果が出た。見え方は100EDも似たような感じなのだが、なぜか双眼鏡で見るほうが、やや明るいように感じられた。両目で見るからか。
 こうなると二つ並べて見比べてみるしかないかも。週末に晴れたらやってみたいものだ。

やってきたぜ花粉症の季節(=_=)

20時27分 暮らし 天気:花粉症日和の晴れ

 朝から鼻水が止まらない。目が痒くて、何か微小なチリが入ったかのようにチクチクする。その刺激で涙腺から涙が分泌され、鼻水が止まらなくなるという寸法だ。こんなことをいちいち説明してどうする。
 今年は記録的な量の花粉が飛ぶという予測らしいが、毎年"今年は多い"という声ばかりなのであんまり当てに出来んな。恐らく、アレルゲンは一定量あれば人間にアレルギーを誘発できるはずだから、量が多いことはあまり問題ではないと思うのだ。逆にいえば、少々花粉の量が減っても苦しさは軽減されないだろう。むしろ、「今年は少ない」だの「多い」だのといった情報によって、心理的な苦しさは増減するのではないか。なら、「今年は少ない」と毎年言っておくほうが良いかもしれないな。でもそれって観測とは言わないぞ。

2001年03月04日(日曜日)

100EDでM天体に挑戦

23時55分 星見

 夜、ベランダから見上げる夜空はかなり澄んでいた。早速100EDをベランダに出した。今日は、C8EXで導入に成功した冬の大三角形近辺のM天体に挑んだ。
 シーイングはまあまあ。透明度は高いようだが、100EDで見るトラペジウムは、今ひとつ明るさがない。やっぱりC8EXとの口径差はでかいようだ。
 M41。これは問題ない。しかしC8EXに較べると、やや暗く見える。
 M93。導入できず。LVW42からSW18まで、比較的広視界のアイピースで見て回ったのだが、どうしても見つからない。広視界なのがかえって仇になっている感じだ。UW6.7くらいで丁寧に見て回る方が良いかもしれない。しかしそれは、せっかく広視界のアイピースが揃っているのに、意味がなくなってしまうような気がする。
 M46&M47。SW18でしばらく眺めていると、どうやらM47に思える星の集団が見つかった。しかし暗い星がきっぱり見えないので、単に星が固まって見えているだけなのか、実際に星団なのか区別がつかない。M46も見えるかな?という感じで辛うじて見えた気がした。
 M50。これまた暗い。見失ってしまったので、本当にM50だったのか不明だ。
 M48。それらしいものはあったが、これまた不明。
 というわけで惨敗であった。横浜の空の手ごわさか、大口径でないと暗い星まで見えず、暗い星の集団が多いM天体は厳しいようだ。
 100EDは広視界のアイピースで星空を散歩するのがふさわしいようだ。しかし暗い空で再挑戦してみたいな。

そういえばみんなの歌

21時25分 音楽

 そういえば前節のみんなの歌も今節のも、感想を書いてなかったな。
 2000年12月節分。
「ラーメンどんぶり流れ歌」。湯原昌幸か、懐かしい。城之内早苗も懐かしいの範疇ではあるが、湯原昌幸とでは懐かしさのスパンが違う。
「風がくれたメロディ」。リチャード・ボネというのはジャズマンらしいですな。フォリナーな人らしくたどたどしい、しかし妙に惹かれる歌である。
「おつかれさん」。なにわ言葉の楽しい歌。アニメも楽しいな。
 再放送分は定番の寒太郎と前節の「小さな手紙」の他に、初見の「しあわせのうた」。榊原郁恵の、だからなんだという歌だが、ほのぼのとはしている。しかしこれ、後でビデオに残し忘れてたんだな、トホホ。
 今節分。
「ここでまたあおう」。歌手の亀淵友香&Voice of Japanというのは初見だが、確かな技術を持つゴスペルグループらしい。吉良敬三のアニメも良い。今回、回るオブジェクトが見どころか(笑)。このグループ、俄然興味が湧きました。歌そのものは、卒業シーズンにあわせたものですな。
「高校三年生」。これも卒業ソング。
「タチツテト手を」。今節最大のヒット。キャラデザインがしりあがり寿、振り付け(?)がラッキィ池田という、いったいどうしてこんな組み合わせになったのか謎なアニメーションも良い。バンドの演奏も、このまま丘を越えていけそうな勢いだ。
 再放送分は、全て再見なので略。でも「まっくら森の歌」をやってるよ。
 というわけで、今節の満足度は高いぞっと。

湘南台に

19時24分 暮らし 天気:雨のち晴れ

 朝早めに目覚めた。前日はNHKスペシャルを見て間もなく寝たので、今日の目覚めは快適だ。昼ぐらいまで、横浜に出てVパラでメモリ買おうかと思っていた。今の4号機のメモリは128MBだが、Diablo2やってるとなにか引っかかるような動きをするのだ。2号機では快適なので、メモリ不足でスワップが多発しているのだろうと考えた。なんにせよ、Windowsではメモリはあるに越したこと無い。
 なんてことを昼まで考えていたが、ちょっと懐が寂しいし、Diablo2する時以外には困っても居ないので、今日はやめ。今日は湘南台に出かけた。
 だし屋でラーメン食おうと思っていたが、今日は休み。というかもう移転したのだろうか? そのまま図書館で本を読んだ。やがて閉館となったので駅前のケンタで鶏を食らい、ダイエーでお買い物。今日の買い物は炊飯器と風呂掃除道具。1.7mmのパスタが200g:88円なんて値で売られているのだな。これを主に暮らせばエンゲルス係数が下がるかも。しかしまあ、なんか体に悪そう。

2001年03月03日(土曜日)

NHKスペシャル

22時22分 テレビ

 今日のNHKスペシャルは、北海道のヒグマの生態を追う番組だった。
 北海道の知床半島には、数百等のヒグマが生息していると見られている。ヒグマは立ち上がると2mにもなる大型の哺乳類だ。一般に雑食性と知られ、よく動物を襲うものと考えられがちだが、実際には植物の方を好むようだ。
 番組では、去年生まれた子供と暮らす母子の行動を、1年にわたって追跡していた。子熊に"カムイ"と名付けていたが、確かにアイヌの人たちにとってヒグマは神の使いだったのだな。
 日本のヒグマは、北米の近縁種に較べて、生活圏が圧倒的に狭い。北米種のそれに較べ、たった1%程度にしか過ぎないのだそうだ。その為、別のヒグマと出会う可能性が高い。ヒグマたちのテリトリーははっきり決まっているので、その時は侵入者が退避してゆく。しかしそれぞれのテリトリー外にあるリソースの優先順位は、どうやって決まるのだろう。それは隣接する個体同士の順位で決まる。そのヒエラルキーの母集団が良く分からないが、多分ある個体から見て接触する可能性のある個体の全て、というところなのではないだろうか。猿の群れと異なり、実際には行動範囲の決まっている個体が散在する形になっているわけで、接触する可能性の無い個体同士の順位など、ほぼ無意味(というか決定できない)のではないだろうか。
 ヒグマの子育ては2年間に及ぶ。人間以外の動物の能力は、生得的なものがほとんどを占める。しかしヒグマは生まれつき泳ぐことが出来るわけではなく、母親の行動を真似、訓練することで得られるようだ。また川を遡上してくる鱒を捕る技術も、やはり母親の行動を真似ておぼえるようだ。
 ヒグマたちの順列を決めるのは、簡単にいって強さらしい。擬似的な闘争を経て、概ね平和裏に優劣が定まる。殺しあうようなことは少ないようだ。しかしオスによる子殺しなどもあるそうだ。なんかの本に、人間は動物がやらないことをやって、なおかつタブーを定めるということが書いてあった。近親相姦とか殺人とか、人間はそれらをきっちり実行した上で、かつタブーとして規定しているのが興味深い。それらが生得的に実行されない狼やヒグマと、それらをしばしば実行する人間とでは、どちらが高級な動物なのだろうか。
 秋が近くなると、2年目の小熊には親離れのための試練が待ち構えている。恐らく、母親が発情すると、子供を寄せ付けなくなるのだろう。母熊はカムイを突き放し、オスを追ってテリトリーから去ってしまう。ここからカムイが生き残るために闘争が始まった。この時期、川には鱒が多量に遡上し始めており、重要な蛋白源になっている。ところがカムイは技術的に未熟で、鮭をうまく捕らえることが出来ない。闇雲に追いかけるだけで、効率的な狩が出来ないのだ。しかも遡上し始めたばかりの鱒は元気一杯で、未熟なカムイにはとても手が出ない。カムイは海の漂着物で命を繋いでいた。しかし、やがて鱒が産卵期を迎えると、その動きが鈍くなってくる。そうなって初めて、カムイは母熊がやっていたように鱒の動きをじっくり見定めるという戦術を体得した。彼はようやく鱒を捕らえ、飢えを凌ぐことが出来るようになった。
 やがて懐かしい匂いが近づいてきた。雄熊との交尾を終え、発情期を過ぎた母熊が戻ってきたのだ。母子は久しぶりに身を寄せ合い、また共に暮らすようになった。これが不思議な点で、母子の別離はまだ先のようなのだ。しかし冬が来る頃には、この母子も別々に生きるようになる。

休日出勤

19時21分 暮らし 天気:どうにか晴れてはいたが......

 明け方のさそり座を見終わって、そのまま会社に向かった。作業の進捗上、どうしても出なけりゃならなかった。ほんとは休日出勤なんてしたくはないのだが。
 そういえばホイチョイの馬場氏が「日立に居た頃は残業なんて絶対しなかった」なんて書いてたけれど、周囲のプレッシャーとか業務の割り振りとかは公正だったのだろうか。
 実は休日に仕事すること自体は好きだったりして。平日に残業するよりよほど捗る。平日の夜は電話が多すぎるのだ。
 朝方からおやつの頃までは、職場の人影はまばらだった。ところが定時になる頃から急に増え始めた。なにか不気味な兆候を感じた僕は、19:00過ぎには帰宅した。

2001年03月02日(金曜日)

M天体ハンター

23時55分 星見 天気:雨のち晴れですぜ、奥さん

 朝、昨夜の雨がまだ残っていた。しかし天気予報によれば昼から晴れるという。この雨が黄砂を洗い流して、今夜の眺めはすばらしいものになるかもしれない。そう期待した。
 早めに帰宅して(それでも20:00過ぎていたが)、ベランダに出てみると、確かに空の透明度は高そうだ。ワイドビノをオリオン座に向けると、いつに増して暗い背景に、明るい星座が浮かび上がっている。背景と星たちのコントラストはくっきりと高い。これはよい星見ができそうだ。
 ベランダにC8EXを出し、M42に向ける。まだ鏡筒の温度が高く、なじんでないので、像はやや揺れる。しかしトラペジウムの星は四つ、きれいに分離して見えた。いつもより明るく映える。
 次にM41。これはもう半自動的に導入成功。見比べてみると、かなり明るい散開星団なんだな。次に、この間導入できなかったM93に挑戦した。こちらはとも座の北にある三つの星の並び、西側だった。その辺をうろつくこと数分。あった。M46程ではないが、かなり暗めの星が集まった星団だった。続いてM46&47。前回よりも明るくて、特にM47は見栄えのある星団だ。続いてM48。これはM46とM47の中間的な見え方だ。そしてM50。これはプロキオンが屋根に掛かって見えにくく、導入するのに苦労した。こちらもM46とM47の中間的な見え方だ。これで、冬の南天に掛かる散開星団の類は、だいたい見て回ったかな。M78とかM1とかは、ちょっと見えそうにないけどなあ。まあ明日晴れたら挑戦してみるか。
 ここでお食事タイム。焼きそばをビールで流し込んだら眠くなったので、その欲求に逆らわず寝た。ぐぅ。
 ぐーすか寝ること6時間。目が覚めると、もう4:00前だ。そろそろさそり座が高くなり始める頃だ。
 ベランダに出ると、前の家の横にさそり座が上り始めているのが見えた。あと1時間ほどで南中というところか。
 今夜は空気の透明度が高く、風もそれほどではないので、微光星もよく見える。さそり座のアンタレスに向け、M4を導入しようとした。あれ、さそり座δ星がいないぞ? ワイドビノとファインダーでよく見比べて、凄い勘違いをしていることに気づいた。アンタレスだと思って導入していたのは、さそり座の北に掛かっている別の明るい、赤い星だったのだ。改めてアンタレスを導入して、そこからδ星との二等辺三角形の一点を探すと、薄ぼんやりした天体が見えてきた。間違いなくM4だ。今夜はいつもと違い、細かい星に分離し掛かっている感じだ。もっと大口径、C11とかだったらすっきり分離できたのではないか。やはり今夜のシーイングは良い。しかし8インチ程度の口径では、球状星団はあまり見栄えする対象ではないようだ。
 M4を眺めているうちに、ふと疑問が浮かんだ。あの明るい星は何だ? アンタレスより明るい星が、あんなところにあったっけ。
 星図を見てもそんなものは載っていない。ということは......。アストロアーツのページで惑星の動向を見ると、へびつかい座(さそり座の北隣)に-0.2等の火星が掛かっているのが分かった。やはり、あれは火星なのだ。そういえば、最初に導入したとき、妙に大きく見えたのでピントを合わせ直したのだ。惑星なのだから当たり前だ。改めて導入して、UW6.7に換えて眺めた。さすがに模様は見えないが、確かに面積のある物体には見えた。これもC11だったらすっきり見えたかもしれない。
 火星の存在を確認した後で、次にM80を導入した。これはアンタレスとβ星の線上、ほぼ中間にある。これも球状星団で、ぼんやりしたかたまりがポッという感じで暗い宇宙に浮かんでいる。球状星団は、実際には散開星団よりはるかに巨大な数百万個の老いた星の大集団だ。しかし天の川銀河の中に位置する散開星団と異なり、銀河のディスク面の外に存在するので、こんなささやかな眺めになってしまうわけだ。だから散開星団が天の川に掛かっているのに対し、球状星団はその外に掛かって見えるのだ。
 次にM19。これはさそり座τ星とへびつかい座θ星を結んだ線上の、ややへびつかい座側にある。この近辺を丹念に探すと、あっさり見つかった。かなりギュッと締まった感じの球状星団だ。さらにその南東にあるM62も導入。こちらもM19風の見え方だった。
 この近くには、更にM9がある。この近辺は球状星団の巣窟だ。へびつかい座近傍を探すと、やや明るめの球状星団が見えた。
 これでさそり座周辺のM天体もだいたい見ただろうか。望遠鏡を路上に出して天頂近く、さらに北に向けると、また別のM天体が見えるはずだ。
 最後にM6とM7を見ようと思った。さそり座のしっぽを探す。M6はすぐ見えた。しかしM7は前の家に掛かってしまっている。それを待っている内に、やがて空が白み始めた。今日はこれでおしまい。
 今夜は火星は見えたし、M天体もいろいろ見たので、満足度の高い星見だった。良いシーイングに勝るものはないよなあ。

2001年03月01日(木曜日)

怖い話対策

23時17分 思考 天気:雨っ

 2chのオカルト板を見ていたら、"洒落にならないくらい怖い話"というスレッドが立っていた。これがまた、確かに洒落にならないくらい怖い。例えば、『一軒家を買ったところ、どう考えてももう一部屋ありそうに思えた。その辺りを探ると、板を打ち付けて閉鎖した扉が見つかった。開けてみると、あたかもたった今まで誰かが生活していたとでも言うような茶の間が現れた』なんて話。昼に読むとどうということは無いのだが、夜中にふと思い出すとぞくぞくしてくる。そこはかとない、微妙な不条理感が、底なしの妄想を誘うのである。また別のスレッドで、稲川淳二の『生き人形』のほぼフルバージョンも読めた。これが本当に洒落にならないくらい怖い話だ。泣きたくなりながら読んでしまう俺様! 悲しい性である。業やれ業やれ。
 しかしまあ、真夜中に生き人形を思い出した日にゃ、眠れなくなること請け合いだ。なんかの拍子で、まあ酔っ払いが階段を蹴飛ばしたとかでビックリさせられた日にゃ、即身成仏すること請け合いである。命に関わるのである。こんな情けない理由で死にたくは無いのである。
 そこで怖い話対策である。
 まず、深夜には怖い話を読まない! まだ隣家や近所に人の気配が充満しているうちに読むのがベターである。ふとした物音が心を勇気付けてくれるのである。しかし、真夜中に話し声が聞こえたら、こりゃまた逆効果であろう。
 怖くなったらどうするか。最近は『スッタニパータ』を読む。紀元前のインド、悪霊や呪いが充満していたインド亜大陸で、それらを見事に切って捨てた思想家仏陀の声は勇気付けられる。霊魂不在を確信すればお化けなんか怖くないのである......というわけにはいかないのである(T-T) やはり怖いものは怖い。
 もう一つはニュースを見ること。血なまぐさい現実世界の出来事を追ってゆくと、たとえ悪霊が実在するとしても、その害は現実世界の悪に較べれば微々たるものだと思う。これでやっとお化けの恐怖から解放されるのである。しかし、明日の日本はどうなるのか、世界は、地球は、などと考え始めると、これまた別種の恐怖に眠れなくなってくる。毒をもって毒を制するとしばしば新しい毒にやられるのである。これでいいのかっ!