Strange Days

2001年09月30日(日曜日)

NHKスペシャル

23時15分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「瀬戸内海 豊かさのメカニズムを探る」。世界有数の内海である瀬戸内は、その生命相の豊かさでも知られている。漁獲高は、やはり多島美で知られるエーゲ海の実に20倍。数千種の魚類が生息しているという。豊かな海だ。
 瀬戸内海は、三つの海峡で外洋とつながっており、また大小数え切れないくらいの島が存在している。
 瀬戸内の地形は、主に瀬戸と灘に分けられる。瀬戸は島と島の間の狭い海峡で、それを挟んで平坦で開けた灘が広がっている。瀬戸での潮流は強烈で、常に大きな渦が巻いている。一方、灘は水深の浅い砂地が広がっている。これは、瀬戸で急峻な水流により岩が削られ、その砂が水の淀む灘に堆積した結果だという。灘の砂地には、水深の浅いところを好む海藻の類が繁茂している。この海藻が小動物に隠れ家を提供し、それを目当てに多くの魚が集まってくる。
 瀬戸内海の水流は複雑だが、だいたい水平の流れと垂直な流れに分解されて理解が進んでいる。水平な流れは潮の満ち引きによるもので、瀬戸内の中心部辺りまで6時間かけて膨大な水が押し寄せる結果、瀬戸内の真ん中付近で干満の差が著しくなる。
 垂直な流れは渦によるもので、海底にたまった有機物や栄養素をすくい上げ、生き物の群れる表層へと運んで行く。瀬戸内は、こうした絶え間ない水の流れにより維持されているのだ。
 一時、盛んに海砂が採取された結果、一部の灘の地形が激変してしまった。水深20m程だった地点が水深50mまでえぐられてしまい、日の光が届かなくなった結果、海中生物が激減してしまったのだ。海砂の採取をしないで高度成長期の建築需要を満たせるとも思えないから、一概に悪だったとも言えない。だが、もうこういった生物相にインパクトを与える行為は継続できないだろう。実際、瀬戸内沿岸の各地では、海砂の採取を禁止する条例が、着々と布令されつつある。
 こうして痛めつけられた瀬戸内も、実際には年間6mmの割合で灘への海砂の沈殿が続いており、やがて十分な時間をかければ元に戻ると考えられている。しかし、海洋生物相がそれまで維持されるか、やや心配ではある。

また秋葉に

20時14分 暮らし 天気:曇りのち雨

 今日の天気は、予報によれば午後から雨だということだ。確かに空気が濡れてきたので、おとなしく秋葉に電車で遊びに行った。
 秋葉では、久しぶりに光学兵器を購入した。スターベースで、店員さんに散光星雲をきれいに見られるフィルタに関して相談すると、ミザールのものを薦められた。案外に安くて8000円。なんでも、フィルタには光害防止フィルタとネビュラフィルタというものがあるそうだ。前者は水銀灯が出す波長の光を除去するもの、後者は逆に散光星雲の出す波長の光を通すもの。前者の方が汎用性が高そうなので、こちらを買った。でも、今夜は雨っぽい。
 ミナミ無線でヘッドホンを買い、帰りに昭和通側でカレー屋に寄った。ココイチというなんだかココ一番を思わせる店で、実際にココ一番の系列みたいだ。どうやら、ココ一番のメニューを簡略化し、少数の店員で切り盛りできるようにした店舗らしい。盛りつけはココ一番のそれを平べったくしたような感じ。
 まだ日があるうちに帰宅した。

2001年09月29日(土曜日)

横浜港ポタ

21時13分 自転車 天気:快晴です

 腱鞘炎もひところのひどさを脱してきたので、そろそろリハビリをはじめた。いや、単に自転車に乗りたいだけなんだけど。
 今日は横浜港をBD-1でポタってみようと思った。前は行けなかった横浜港のシンボルタワー、そして臨海公園にも寄ってみようと思った。
 前回のように自走は面倒なので、地下鉄で輪行する。伊勢佐木長者町で降り、そこから海に走った。
 港の見える丘公園(こういう名前の公園)の界隈は、賑やかな商店街があったりする。観光客も多い。
 港の見える丘公園の近辺をさ迷い、ロカティオで地図を確認しているとき、初老の男性から声をかけられた。なんでも、BD-1のキャリアは何kgまで耐えられるかということなので、5kgと答えた。その男性はBD-1が欲しいそうで、いろいろ質問に答えながら15分ほど話していた。BD-1の注目度は高いぞ。
 そこからは、海岸沿いの道をぶっ飛ばし、人気の少ない埠頭近辺を標識を頼りに進んで行く。やがて海に向かってまっすぐな道に出て、ずっと彼方に高い塔が見えてきた。それが横浜港のシンボルタワーだった。
 シンボルタワーの周囲は眺めのよい公園になっている。そこの芝に入り込み、途中で買ってきたマックの月見バーガーをおやつに頬張る。人気が少なく、のんびりとした時間を過ごせた。後で気づいたのだけど、シンボルタワーの中腹までは自転車でも登れるのだ。そこでおやつにすればよかった。
 シンボルタワーを後にして、夕暮れ時に差しかかりつつある山下公園、ランドマークタワー近辺、そして臨海公園をうろついた。例のバッタは撤去されたようだ。
 日が暮れ、暗くなりつつある臨海公園で、しばし暗くなって行く海を眺めた。こういう時間に来るのも悪くないもんだ。
 帰り道、ハンズに寄って、電動キックボードの前輪を入手できないか聞いてみた。その場では不明だが、たぶん可能だろうということ。一応頼んでおいた。
 帰りは横浜駅から地下鉄で輪行。輪行にも慣れたもんだ。

2001年09月28日(金曜日)

渋谷のハンズ

20時11分 自転車 天気:晴れだって

 今日も昼は惣菜屋さんで豚しょうが焼き弁当。しょうが焼きがしつこくない味付けでおいしい。
 帰り道、渋谷に出てハンズに寄った。新宿ハンズに電動スクーターの車輪が置いてあるらしいという情報を耳にしたのだ。なんで渋谷かって? 実は新宿ハンズと場所を間違えたのだ。はははははは......は......。
 渋谷のハンズもかなり怪しい品揃えで、横浜ハンズでは見かけなかったチェーンが、結構豊富に在庫している。思わずチェーンカッターを買う。しかし、電動スクーターそのものさえ見かけなかった。
 帰宅して、キワチャリのオリジナル前輪のパンク修理に再挑戦した。まずは強引に外し......これはうまく言った、それからチューブのパンクを直し......無難、それから元に戻して膨らませてみた。あれ、駄目だ。バルブ近辺だけ膨らむ。どういうことだ? 調べてみると、チューブがねじれて入っていることが分かった。ところが、そのねじれをどうしても直せない。再度引き出して入れ直し、タイヤを入れ直そうとすると、もう入らない。ハンマーを使って無理やりたたき込むと、また別の場所がパンクしてしまった。うぁーんうぁーん(号泣)。こいつは諦めるしかないかな。

2001年09月27日(木曜日)

大森のお弁当屋さん

20時09分 暮らし 天気:晴れ

 教育二日目。EJBに関してはなんとなくこなしていたのだが、今回の教育で知識がかなり整理された気がする。有意義なり。
 さて、昼飯は近くのデニーズでと思っていたのだが、やはり昼時は凄く混雑している。コンビニ弁当というのもなあ。昨日もだったし。そういえば、真正面に惣菜屋があって、ほかほか弁当もやってたなあと思いだし、引き返して寄ってみた。普通のお弁当屋さん並みにメニューがあって、しかもいずれもおいしそう。割と若いご夫婦が忙しく立ち働いている。待ちたくなかったので出来合いの、日替わり弁当を買ってみた。んまい。ご飯が本当に熱々で、しかもおかずもおいしい。さすが惣菜屋さん。これならまた大森に来たいなあ(弁当目当てにか)。

2001年09月26日(水曜日)

大森で教育を受けるの巻

20時08分 暮らし 天気:晴れ

 今日から三日間、大森で教育を受けることになっている。サーバサイドJava(ServletからEJBまで)に関して。仕事の上だけでない興味があるので、結構楽しみだ。
 しかし、この受講場所がよく分からない。土地勘が無いので、あらかじめ地図を印刷して持っていった。その甲斐あって、開講時間には間に合った。というか、30分くらい余裕見てたんだけど、案の定迷って......(死滅)。
 帰りは横浜に寄り、ハンズでキワチャリに着けられるという電動キックボードの前輪を偵察した。むぅ、直径200mm、幅は40mmで、確かに具合よさげ。しかしまあ、とりあえずは今のタイヤの修理が出来てから考えよう。

2001年09月25日(火曜日)

キワチャリ更生委員会

21時06分 自転車 天気:晴れ

 キワチャリをなんとかものにしようという活動は続いている。今日はパンク修理に再挑戦。まず、外れてくれないのだ。
 普通のやり方で出来るが、すげぇ難儀する、というアドバイスをいただき、プラスチック製タイヤレバー*3を手に戦いを挑む。が、レバーが逝きそうなのでいったん撤退。うがぁ、なんちゅう固さじゃ。これをほいほい修理できるという人が居るなんて信じられないが、きっと居るんだろうなあ。

2001年09月24日(月曜日)

お散歩

21時02分 暮らし

 夕方、BD-1で買い物に出発。まずは湘南台に向かい、ダイエーに寄る。をを、出前一丁があるぞ。早速1パック5袋を買い込む。
 湘南台公園で一休み。秋晴れの空の元、たくさんの親子連れが遊んでいる。日ざしを受けながら、なんにもしないを遂行する。
 帰路、ダイクマに寄ると、入り口付近でコーヒーの挽き売りをやっていた。そこでトラジャ発見。早速300gばかり購入する。

キワチャリに手を入れ、すぐ逝く

18時00分 自転車 天気:晴れ

 昨日のみなとみらい散歩の時、いくつかのアイテムを買ってきた。まずはジャックモールに大規模スポーツ洋品店で、径24.5mmのサスペンション付きシートポスト、スペシャライズドの中割れサドル風サドルを買った。さらにハンズでシートポスト用のクイックを購入した。
 これらをキワチャリに装着する。シートポストが短くてペダリングが辛いので、かさ上げついでにサスも着けることにした。ついでに、ねじで止めてあるのをクイックに替える。この2点を交換した結果、乗り心地がよく、また折り畳みも素早くなった。
 早速、立場北運動公園(ってな名前だとか)を一周してきた。この乗り心地なら、km単位で乗る気になれる。と思いきや、帰宅して即パンクを発見。やむなく前輪を外し(なんとボルトとナットで止めている)、タイヤレバーで外そうと試みるも、あまりの固さに挫折。ううむ、掲示板でコツを聞いてみるか。

2001年09月23日(日曜日)

今夜のNHKスペシャル

22時52分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」"もう一つの地球を探せ"。
 人類による宇宙探査は、恒星を対象とする段階から、その恒星を巡る惑星を探査する段階へと進行しつつある。発見が期待されているのは、地球のような生命の存在しうる惑星だ。
 惑星を探すのは容易ではない。惑星は恒星と違って自ら発光することはないので、光学的な手段では捉えることが難しい。その代わり、恒星の重心のふらつきを観測することで、その周囲に別の重力源(すなわち惑星)が巡っているかどうかが分かる。
 最初の頃、学者たちは木星と同じ14年周期の変動を発見しようと努めた。もしも木星のような惑星が、木星と同じような位置にあるのなら、力学的には太陽系のような惑星と同じ構成となりうるので、地球型惑星の存在も期待できるのだ。が、長い観測にもかかわらず、それは遂に発見されなかった。しかし、別の研究グループが、驚くべき発見をした。14年周期の変動はなかった。しかし、わずか5日以下の非常に短い変動が発見されたのだ。
 発見された惑星は、恒星のごく近傍を、猛スピードで回る、木星より巨大なものだった。巨大灼熱惑星(Giant Heat Planet、とでもいうのだろうか)と名付けられたこの種の惑星は、恒星の近傍を巡るガス惑星で、恒星の重力が強いため常に一面を恒星に向けたまま、大気を高温で沸騰させている代物だ。想像を絶する天体だ。
 その後、多数の観測によって類似の惑星が多量に発見された。その代わり、地球型惑星の存在をうかがわせるものはない。巨大灼熱惑星が存在する恒星系では、地球のように安定した環境は構築できないと考えられている。どうやら、地球という星は、想像以上に宇宙の中では希有な存在であるらしい。
 どうして巨大灼熱惑星は誕生するのだろう。そのメカニズムの鍵を握るのは、惑星の数だ。太陽系では、木星クラスの巨大惑星は木星と土星のみだ。海王星、天王星はそれよりずっと小さく、また他の星は地球型の岩石優勢のものだ。もしも木星級の惑星が三つ形成されてしまったならば、その恒星系は力学的に非常に不安定になり、まず他の小さな惑星が吸収されたり跳ね飛ばされたりして一掃され、さらに三つの惑星のうち一つが恒星系からはじき出されてしまう。その過程で、恒星の近傍を巡る巨大灼熱惑星が誕生するのだ。また、恒星系を構築するためのガスが多すぎてもいけないらしい。巨大惑星が形成されやすく、前例のような事態に陥ってしまう。
 さらに、太陽系誕生から、太陽が輝き始める時期も影響していたという。太陽が輝き始めたとき、その光圧、太陽風圧で、周囲の塵が一掃された。それがもしももう少し遅かったなら、海王星や天王星はさらに成長し、結局三つの木星級惑星が生まれていたかもしれないのだ。逆に、木星が存在しなければ、地球は豊かな命の星になれなかったかもしれない。はるかオールト雲からやって来る彗星。その中でも巨大なものは、地球に衝突して、しばしば大きなインパクトを与えてきた。生命は、その危機を乗り越えることで、複雑性を増してきたのだ。しかし、もしも史実より頻繁に衝突が起こっていたならばどうだろう。生態系が立ち直る前に次の衝突が起こったならば、生命は二度と立ち直れなくなるほどのダメージを受けていただろう。木星がなければ、そうなったかもしれない。木星は、その巨大な重力で、オールト雲から飛来する彗星を吸収し続けてきた。もしも木星がなければ、地球に到達する彗星の数は、今の50倍(えっ、500倍だったっけ?)に達していただろうと推測されている。
 このように、地球の存在は、危ういバランスの上に立った奇跡的な出来事であり、あるいはこの宇宙に、地球のような生命の星は希有なのかもしれない。
 SETIに代表される生命探査への期待は、この先もずっと裏切られ続けられるかもしれないなあ。元々、宇宙には生命がありふれている"はずだ"という期待は、人間の営為の一つである科学の決まり事を鵜呑みにした結果に過ぎない(例えば宇宙の均一性とか)。科学というものは、あるかどうかはわからない人間の"外部"から、人間にとって有益なディテールを切り取ってくる活動の一つだ、と言い換えることが出来るだろう。そこには恐怖があり(人間が規定するところの生命現象は、この地球に限定されるかもしれない)、また希望(人間の想像の及ばない類のなにか、あるいは新しい人間的営為によって知りうるなにかがあるかもしれない)もあるはずだ。

横浜トリエンナーレだって

17時51分 レジャー

 昼前、waniを見てたら、みなとみらいのインターコンチネンタルホテルに巨大バッタが現れるという情報が。これ、ゲージュツ関係の催しであるトリエンナーレの一環で作られた巨大バルーンフィギュアだ。面白そうなので、見物に出かけた。
 地下鉄桜木町駅からランドマークタワー方面に歩き、正面に見えるホテルを目指す。遠くからでも、北西にとりついた緑色の物体がよく見える。北西側、パシフィコの側から見上げると、確かに巨大バッタがとりついている。これは目立つなあ。遠く、ベイブリッジからでもよく見えたことだろう。これより伊勢エビの方が楽しさでは上かもしれない(どういう楽しさだ)。
 海の方に歩くと臨海公園がある。横浜港全体を見渡せる、広くてきれいな公園だ。あちこちにカップルが寝っ転がっている。家族連れも多い。釣り客も居る。のんびり過ごすには良さそうな場所だ。振り返ると、インターコンチネンタルホテルの偉容が目に入る。
 その後、横浜駅まで歩き、ハンズを覗いて帰宅した。

深夜の観望

02時00分 星見 天気:晴れ

 書き忘れたが、前日の夜は秋晴れの良い天気だった。そこで19:00頃、ベランダに100EDを出して、観望シーズンがまもなく終わる夏の星座たちを見た。
 晴れ空とはいえ、さそり座に月がかかり始めているので、あまりコンディションは良くない。しかしM7の眺めは美しい。なんでも、普通の人には惑星や散開星団の受けがいいそうだ。わかりやすい美しさだ。一方、M8は散開星団としても面白いが、散光星雲としても楽しみたい。しかし、月のある明るい空では難しい。外し見をして、やっとかすかに感じられる程度だ。M4は月の間近なので全く見えないが、代わりにM22がはっきり見えた。
 就寝前、東の空に上りつつある昴に18*50ISを向けた。頭上高くにある昴はまことに美しい。秋晴れの夜は、夏までのどんより曇りがちだった夜空とは、一線を画している。季節が変わった、そう実感する。
 もう少し見たいので、今夜は100mmドブソニアンをアパートの通路に出した。通路に直接置くと、位置が低すぎてファインダーを覗けなくなる。そこでみかん箱を置いて、その上に置いた(なんちゅう貧乏くさい)。いや貧乏だからいいのか。これでかろうじてファインダーが実用になる。90度直角型の方が扱いやすいかもしれない。
 まず木星。手持ちのツァイスサイズのうちでは最広角のK26を着けて導入し、Or7でのぞき込んだ。架台の動きが渋いので、このまま追従するのはチト辛い。しかし、この安物のシステムでも木星の縞2,3本、ガリレオ衛星は充分見えるのだ。一方、土星はというと、こちらは輪こそくっきり写るものの、本体に縞は見られない。またカッシーニの間隙も、そういえばこれがそうかもしれ無いなあというのがおぼろに見える程度だ。

2001年09月22日(土曜日)

秋葉でMP3プレイヤーを買ったのよ

22時31分 デジタルギミック

 用があって秋葉に出かけた。用というのは、新しいMP3プレイヤーを買うつもりだった。今使っているCD-ROMベースのプレイヤーは、一通りの機能は持っているので使い続けてきたのだが、このところ不満が積もってきた。まずリモコンがないこと。胸ポケットには入らないCD-ROMベースの機械では使い勝手がかなり悪くなる。また、最近になって、振動に弱くなってきた気がする。振動があるとサーボと音飛び防止が働くのだが、最近はその時に電源まで落ちてしまうことが多いのだ。機械部品の磨耗のせいなのだろうか。いずれにせよ、これ以上は看過できないので、新しい機械を購入することにしたのだ。
 秋葉は涼しくなってきたためもあるのだろうか、いつもの週末より過ごしやすかった。いくつかの店舗を回り、最終的にはIOデータの機械を買うことにした。IOだったら小物は扱いなれてるだろう。TDKのものなど他社のものも豊富だったが、とりあえず要件を満たし、さらに比較的廉価ということもあり、この機械にした。
 帰宅して、箱から取り出してみる。そして今まで使っていたプレイヤーから、入れっぱなしだったCD-Rを取り出し、かけてみた。古い機械ではなんの問題も出なかったのだが、しかし新しい機械では認識してくれない。"READ ERROR"とかいった表示を出して、黙り込んでしまう。マニュアルをよく読むと、「最大200ファイル、20ディレクトリまで」となっているのが気になった。ファイル数はともかく、ディレクトリ数が制限を越えている。しかし、読めなくなるとは。
 仕方ないので、CD-ROMを作り直した。全ファイルをルートディレクトリに移すと、問題なく読むことができた。音質はベコベコしているし(ヘッドホンのせいかもしれない)、リモコンからはランダムプレイモードを選べないという欠点はあるが、従来のものよりはずっと使い勝手がよさそうだ。

キワチャリの走り心地は

17時29分 自転車 天気: 晴れたやん

 雨が止み、秋晴れの空になった。清々しい青空だ。雲一つ見えない。
 昨夜届いたばかりのキワチャリで、近所を散歩するつもりで出かけた。アパートの2階から下まで運ぶのは、MTBはもとより、BD-1よりもかなり楽だ。軽いせいもあるが、全長が短いのも効いている。
 さて、いざ出発。昨日少し試したとおり、漕ぎがものすごく重い。一漕ぎ一漕ぎ、気合いが必要なくらいだ。またハンドルが重いのにも参った。ラチェット付きかと思うくらいにカクカクしている。駄目だこりゃ。100mも走る気にならない。そそくさと帰還する。これは、一度ばらしてみないと駄目だろうな。特にBBは最悪の状況だし。

2001年09月21日(金曜日)

キワチャリ襲来

22時10分 自転車 天気:雨ですよ、雨

 昨夜はかなり残業したので、今日は定時にさっと退けた。帰宅すると、なんと佐川急便の不在通知が入っているではないか。思い当たる荷物というと、あれだ、キワチャリだ。果たして、メールをチェックすると、通販サイトからの発送メールが入っていた。いきなりかよ。まあ、結果的には思ったより早く入手できそう。
 しかし佐川の場合、時間指定不能なのだ。明日は受け取れるまで空けておくしかない。しかし佐川は気が利かない。日通やヤマトの場合、昼来て駄目なら夜にもう一度来ることが多いのに。と思っていたら、佐川から電話があり、今から届けに行ってよいかという事。もちろんだぜ。やがてやって来た佐川のおばさん(最近は運送業界にも女性が増えている)に7879円払い、キワチャリを受け取った。箱が小さい。BD-1の半分位の幅しかない。
 早速開梱する。中にはキワチャリがそのまま納められていた。
 これがキワチャリだ。ご覧の通り、凄く小さい、BD-1に較べて6割りくらいの長さしかない。重さは9kg弱くらいか。思わず笑みがこぼれる。
 早速試運転、といいたいところだが、今夜はどしゃ降りの雨でとても不可能だ。しかし既にいくつかの問題を発見した。まずハンドルがグラグラなのだ。この長さではある程度仕方ないか。しかし不安だ。また漕ぎが凄く重い。これはクランクを回すと周期的に重くなるので、BBに問題があるのかも。チャーンホイールが斜めになっている気もする。さすが中国4000年の歴史!(中国製) こいつをどこまで更生させられるだろうか......。

2001年09月20日(木曜日)

思いがけず残業

23時55分 暮らし 天気:くもりですね?

 会社では品質保証部門に所属している関係で、客先での様々な障害に付き合うことになる。今日も今日とて、客先で発生中の障害を再現するという仕事に巻き込まれた。その環境作りをしろというのだ。マシンを集めて、OS入れて、ソフトを入れて、まではいいのだが、その先に負荷分散機の設定という仕事が待っている。こいつはあるIPにアクセスすると、その背後にある複数のサーバに振り分けてくれる代物。しかしこのCISCO謹製の機械は、付属マニュアルが英語なのだ。苦労しながら読まにゃならない。幸い、IPアドレスの変更だけで済んだので、あっと言う間に終わった。それでもあれやこれやで23:00前。久しぶりに午前様になるところだった。

2001年09月19日(水曜日)

またウィルスにやられてやんの

21時19分 コンピュータ 晴れ

 出社すると、まずPCに向かう。メールチェックやウェブサーフィン(とはもうあまりいわないが)のためだ。今日も朝一で出て、まずはMUAをチェックした。が、なんだかサーバの接続に失敗している模様。Netscape6にして以来良く出るので気にしなかった。ではウェブをと思いイントラのページを開こうとすると、こちらもアクセスできない。むむ? さらに別のネットワークにあるサーバにもアクセスできない。pingを見るとゲートウェイさえロスが多発している。なんだこれは?
 そのうちにIISを飼っている人が「なんか仕込まれたようだ」と調べ始め、気になって自分が飼っているapacheのアクセスログを見た。うー、なんかアクセスがバンバン来てるぞ。"/script/root.exe"とかいうのを決め打ちアクセスしているので、これはなんかのウィルスっぽい。やがて社内放送で「IIS止めてね」とアナウンスがあった。またIISか! 今度はNimda Wormとか申す代物らしい。今度はメール経由で感染するらしい。まったく、ふざけやがって。
 これはもう、外部公開のものはもちろん、内部ネットワークでもIISの使用禁止にするべきだ。テスト環境は完全にクローズドにするべきだろう。前回、今回とやられて、さすがにイントラ部門も目がさめただろう。いつパッチが出るか定かでない、勝手に手を入れることが出来ないIISよりも、パッチが迅速に登場し、最後の手段としてソース修正も可能なApacheの優位は、もう明らかだろう。うちくらいの規模の企業になれば、ソースで管理することなんて雑作ないと思うのだが。

2001年09月18日(火曜日)

久しぶりに100EDで星を見た

23時55分 星見 晴れ

 昨夜は8時間きっちり寝たせいか、昼間も眠気に悩まされる。睡眠時間が短いと調子悪いが、長くてもあかんようだ。難儀なことだ。
 帰宅して、日付が変わる頃に外に出てみると、案外に空が暗い。雲が少ないようだ。18*50ISを東の空に向け、昴を視界に入れた。目が慣れるにつれ、昴のきらきらした輝きが増してゆく。ヒアデス星団をなぞり、その中に浮かぶ明るい星に向ける。土星だった。楕円形の輪と、その真中の本体が、かろうじて見分けられた。さらに東の空低くにあったさらに明るい星を視界に入れる。こちらは木星だった。前のシーズンに比べると、徐々に距離が開いているのが分かる。息を詰め、ISの効果でゆれが収まるのを待つと、やがて木星の周囲に衛星の小さな輝点が見えた。
 これくらいで引き上げようかと思ったが、こんなに状態の良いそれは、もしかしたら当面出会えないかもしれないと思い直し、とうとう望遠鏡を出すことにした。
 部屋の前に経緯台と100EDを出し、LVW42を着けて昴を入れた。さすがに経緯台の安定性は手持ちより上で、100mmの集光力とあいまって眺めは見事なもの。LVW42では視界が広すぎるので、Meade SW24.5に換えるとちょうど良い眺めになる。ピントを慎重に出しなおし、昴のシャープな恒星群の背後に、針の先くらいのささやかな微光星が現れる。シエラカップにグリーンティを作り、昴を愛でながら楽しんだ。
 昴の次は土星。SW24.5で視界に収め、UW6.7とOr7+2.2倍バローで拡大すると、カッシーニの輪と、本体の縞がかろうじて見分けられた。カッシーニの輪は全周には見えない。
 さらに木星。こちらはガリレオ衛星全てと、本体の縞2~3本が見えた。揺らぎは少ない。
 どうやら今夜の大気はシンチレーションも少なかったようだ。

2001年09月17日(月曜日)

キワチャリを買う

18時16分 自転車 天気:晴れてるようです

 金土日と元気に自転車を乗り回したせいか、またしても手首が痛い。実は金曜日にMTBのグリップを柔らかいスポンジのものに交換して、シフターを内寄りに詰めてみたのだが、手首をいたわる効果はあまりなかったようだ。多少違うかもしれないな、という程度だった。
 こうなるとライディングポジションを変えるよりなさそうだ。ということで、迷いはあったがミニチャリ購入に動いた。
 ミニチャリというのは正式にはMobike、一部ではキワチャリと呼ばれている超小型自転車で、後輪は12インチくらい、前輪はそれよりはるかに小さく8インチくらいしかないという奇妙な自転車だ。重さは9kg弱。ハンドルとシートポストを畳めばすぐに持ち運べる大きさになる。ライディングポジションは立ち気味のママチャリポジション。尻が痛くなりそうだが、シートを替えればよさげ。これをなるべく安く買いたい。
 インターネット検索して、Mobikeだのミニチャリだのを手繰ってゆくと、楽天市場に6000円弱で売り出している店舗があった。6000円弱。あれやこれや含めても1万円切るな。多少の危険性は感じたが、この店に発注してみた。首尾よく手に入ったら、これでしばらくポタリングして遊ぼう。手に入らなかったら、トチ狂ってケルビムのウルトラミニでも買っちゃうかもしれない。
 このキワチャリ、前輪が極小でブレーキ無し(後ろブレーキのみ)なので、改造が盛んだ。前輪をもっと大きなものに換え、カンチブレーキを取り付ける、なんていう改造で、安全性を高める努力がなされている。しかし、そのうちに改造費が本体価格を上回ったりして。やるならできるだけチープに極めないとな。

2001年09月16日(日曜日)

NHKスペシャル「狂牛病・感染は何故拡大したのか」

23時16分 テレビ

 今日のNHKスペシャルは狂牛病の話題。長い間人事だと思っていた。これは欧州での災禍であり、日本は無関係だ。それに牛の病気なので、人間は無関係だ。そう思っていた。ところが近年、狂牛病と同様の症状の患者が次々に現れ始め、人間にも感染する事が明らかになってきた。さらに、つい先日には、国内でも狂牛病同様の症状を現した牛が発見された。いつの間にか、僕らの足元に忍び寄っていたらしい。
 狂牛病がプリオンというたんぱく質に深い関連があるということは分かっている。通常、プリオンは細胞内でごく当たり前に製造されるたんぱく質の一種だ。ところが、形状の異なる異常プリオンが現れると、この異常プリオンが周囲の正常なプリオンも異常プリオンに変えてしまい、最終的にはその細胞は死んでしまう。それが脳の神経細胞に多量に発生した結果、痴呆状態になり、狂牛病の症状を現すことになる。
 異常プリオンは高熱でもなかなか分解しない。それが今回の拡散の一因となった。死んだ家畜や屑肉は高熱で処理され、肉骨粉という飼料に変えられる。これを摂取した牛は、そこに含まれている異常プリオンのために狂牛病に罹ってしまうのだ。また潜伏期間が8年程度と長いのも厄介な点だ。
 この肉骨粉が日本にも輸入されたのではないかという疑いが持たれている。イギリス側の資料には、日本に数百トンの肉骨粉が輸出されたとある。ところが、農水省は「輸入はしていない」と言い切っている。この齟齬はどこから来ているのか、不思議だ。
 しかし、先週に入って、日本で狂牛病様の牛が発見されたわけで、肉骨粉が入ってきていたのはほぼ確実に思える。農水省の能力がその程度のものということなのだろうか。一体、日本の官僚は、どこまで落ちぶれてしまったのか。
 しかし、狂牛病が日本に侵入してきたということは、普通に暮らす僕のような個人にもその脅威が及ぶ可能性があるということだ。しばらく、肉食は控えようか。

買い物には自転車で

19時14分 暮らし 天気:晴れですか?

 朝9:00過ぎ頃、火災報知機の点検に、おじさん二人組でやって来た。前は一人だったのだが、今日は前回みえた(尾張方言)おじさんと話しているうちに、もう一人のおじさんがさっと済ませてしまった。それから、またしばらく眠る。
 起きたのは、もう14:00過ぎ。こりゃあ遠出は出来ないなあ。じゃあ湘南台にでも散歩がてらの買い物に行くか。MTBを境川へと走らせた。
 ダイエーでは「鉄道落とし物市」というのを開催中だった。結構高価そうな宝石類などが数多く売られている。まあ宝石なんて、質に入れるにせよ転売するにせよ買値に較べれば二束三文だからなあ。それでも、それなりの値段になるには違いない宝石が、こんなにあっさり忘れ物になってしまう状況には、まだまだ金満大国日本の健在ぶりを見る思いだった。
 1F食料品売り場では、マルタイラーメンとVAAM缶を購入。上の階で買った雑貨もろともバックパックに入れ、MTBで再び境川を北上した。
 いずみ中央に戻り、ダイクマに向かう途中でブックオフを発見。ここで山田正紀の未読SF長編を3冊購入。いや、もしかしたら過去に読んだかもしれない。
 ダイクマでは2Fに上がったりして店内をしばしうろついた。自転車売り場でBridgestoneのTransit Compactが3万円強。結構安いな。実は手首に負荷がかからない、ママチャリポジションの自転車を物色しているのだ。ここではMTBに着けるために、安くて小さなベルを購入。今着いてるのはBD-1に元々着いていたものだが、径が大きくて隣のサイクロコンピュータと干渉してしまう。鳴らすことは滅多にないが、曲がり角などでは重宝することもあるので、鳴らせるようにはしておこうと思ったのだ。
 帰宅して、早速ベルを取り付け。安っぽいが、まあ安物MTBにはお似合いか。

2001年09月15日(土曜日)

やっとキッチン周辺を片付けました

23時49分 暮らし

 そういやあ、明日は火災報知機の点検が来るんだっけ。部屋の入り口にあるキッチン周辺はものが雑然と積まれ、しかも自転車まで持ち込まれているので、天井にある報知器に近づきにくかろう。そう思った僕は、一念発起して部屋の片づけをはじめた。いらないダンボールだのなんだのを捨て、買ったまま放ってあった(ダメやん)キッチンカートを組み立て、散乱していた調味料だのパスタだのを片付けた。フローリングの床も雑巾で磨き、ワックスまでかける始末。ああ、すっきり。さらに内戦でもあったかのような居室も片付け、衣類は収納庫に、バックパックは壁のフックにかけた。ああ、こっちもすっきり。これで「この部屋に空爆でもあったのですか」と聞かれることも無いだろう(それはもとよりないない)。

9月の海へ、そして引地川を遡行

19時48分 自転車 天気:くもり時々晴れ

 3連休も二日目。さて、今日はどこに行こうか。暗い世相だから、明るい海でも見に行くか。そうだ、夏過ぎた湘南の海を見に行くのも悪くない。
 もう13:30近くになっていたが、吉牛で腹ごしらえをして、まずは境川サイクリングロードを南下していった。今日は海風が強い。この道は、観光のためというより、自転車による快適なトランスポートのための道という観が強い。自転車の高速道路だ。
 藤沢で国道に出て、そこから江ノ島まで走る。その間、目の前をTrekのロードバイクに乗った男性が走っていたのだが、MTBでも抜けそうな、しかし抜いたら長い直線ですぐ抜き返されそうな、微妙な速さで走っているので、ちょっと苛つく。抜いたらしんどそうだしな。結局、江ノ島までほとんどランデブー状態で走る。
 江ノ島への入り口につき、ふと気づくと髪留めのバンドが無くなっている。落ち武者状態です。もうヘルメットは外せない。
 江ノ島口から西に少し走る。内陸側に渡る歩道橋に登ると、広大な太平洋の水平線に、にぎやかな江ノ島の島影が、アクセントのように浮かんでいる。
 引地川の河口を越え、内陸に向かってすぐ、サイクリングロードが現れる。前回はここを南下してきたわけだが、今日は北上する。引地川の水源地にある公園を訪れるつもりだった。このサイクリングロード、左右に緑があって、風と陽光をさえぎってくれる。蛇行しているので境川のそれより走りにくくはあるのだが、走っていて気持ちのいい道でもある。
 どんどん北上してゆくと、やがてサイクリングロードは途切れ、一般道に紛れてしまう。その一般道を北上すると、なにか要塞の銃眼を思わせる建造物が、道の脇に建っているのが見えた。バードウォッチングの観察窓らしい。大型の双眼鏡も据え付けてある。
 道に迷い、その度に引地川の方に進路を変更する。
 やがて、川沿いの道は細いオフロードになる。まさにこういう場所こそMTBにふさわしい、などと進んでいると、行く手を野放図に繁茂する草木にさえぎられた。ここは人の往来がなさそうだ。そしてこのタイミングで、雨が降り始めた。天気予報では曇りだったんだけどな。幸い、それほど強い雨でも無かった。ここで引き返すことにした。
 ここはどこだろう、などと思いながら幹線道路を東進してゆくと、やがて目の前に見慣れた光景が現れた。長後街道と境川の交差点だ。長後街道をいつもと逆方向から進んできたってことか。つまり、今日は大体長後辺りまで進んでいたのだな。
 このまままっすぐ帰るには、まだ物足りなかった。そこで前から行ってみようと思ってはいたダイクマいずみ中央店をのぞいてみた。結構でかい店舗で、食料品も扱っている。自転車コーナーもあり。ただしファミリー車のみ。あたりまえか。しかし、小物パーツも少々扱っているので、非常時には利用できそうだ。

2001年09月14日(金曜日)

舞岡公園への別ルートを探るも

19時47分 自転車 天気:くもり(晴れないな)

 昼過ぎまでぐっすり寝て、それから舞岡公園への新ルートを探してみた。地図で見ると、戸塚から南下して明治大学側から侵入するルートもあるようだ。前のルートは坂にめげそうだったので、このルートをたどってみた。が、いろいろ問題がある。
 まず、戸塚から南下する道が狭く、歩道もほとんど無い。また坂がやたら多い。これじゃ前のルートと全然変わらんやんけ。坂で気力を使い果たし、舞岡公園を拝むことなくすごすごと撤退した。負け。
 後は国道1号線を途中まで進み、舞岡の北から南下するルートか。こちらは川が流れているくらいなので、それほどのアップダウンはあるまい。と書きながら、一抹の不安を拭えないのが横浜の手ごわいところだ。

2001年09月13日(木曜日)

クイーンズタワーに出張よ

22時45分 暮らし 天気:くもりですか

 仕事の関係で、午後はクイーンズタワーに出張。どこやそれは? どうもみなとみらいのランドマークタワーの並びに立っているらしい。まあ、場所は分かったので、行ってみた。6Fまでエスカレータを上り、そこからエレベータで上る構造。なんか回りくどいな。
 帰りはちょいと横浜まで歩いた。桜木町からは地下鉄かJRで戸塚まで出れるが、JRの場合は乗り継ぎがあって面倒だ。そんなことなら横浜まで歩いて東海道線で帰った方がよい。だが東口に向かう道順を間違えて迷子になったのは内緒だ。

2001年09月12日(水曜日)

戦争に進む世界

23時44分 思考 天気:くもりか

 一夜明けて、アメリカでは急ピッチで救助作業が進んでいる。既に何十人かの被災者が救助されているようだ。しかし、なおも数千人の行方不明者が、瓦礫の下に埋もれている。彼らの大半が、再び日の光と目にすることがないのは明白だろう。一体、数千人もの行方不明者のどれほどが、この世界への生還を果たすことが出来るだろう。
 ブッシュ米大統領は、既に報復を繰り返し表明している。今の状況では、これに積極的に反対する勢力はほぼ皆無だろうと思われる。アメリカが戦争に向かうということは、日本を含む自由主義(資本主義)社会も、その動きに巻き込まれるということだ。憲法上、直接的な派兵はありえないが、後方支援の名目で自衛隊が派遣される可能性はある。するとまたしても国民の負担が増加するだろう。増税ということになるのか。それにしてもひどいタイミングでテロをやったもんだ。タリバーンはイスラム社会からすら否認寸前の状況に陥っているのだが、これではイスラムに無関心の国々からも非難を浴びることだろう。
 それにしても、政府はどれくらい"支援"するつもりなのだろう。タリバーンを初めとする過激派勢力は、アメリカの同盟国である日本も、当然のことながら敵視していると考えるべきだ。日本に対してもテロの可能性はある。治安当局の能力は高いものの、外国人による大規模テロに対してはどうだろう。危険性は高い。特に、近年はイスラム圏からの入国者が急増しているのだ。害意を持たないイスラム圏の入国者を守るためにも、早急なテロ対策が望まれる。って、俺はNHKのニュース解説委員か。
 支援が後方支援だけならいいが、直接戦闘員の投入となると、明らかに憲法違反だ。だいたい、日本国憲法は集団自衛権も放棄するという不思議な条文もあるので(WW2時、ファシズムを打倒した連合国の体制をどう考えているのか)、どのような関与も常に憲法違反の疑いを持たれる。
 いっそのこと、あらゆる戦力の投入拒否を宣言するのはどうだろう。その代わり、先進国唯一の非キリスト教圏という立場を生かし、イスラム諸国を説得し、ラディン一派、更にはタリバーンのイスラムからの破門を宣言させるのだ。それにより、ラディンが望んでいるだろうキリスト教圏 v.s. イスラム教圏の対立という危機を脱し、単なるテロ集団として処理することが可能になる。最終的に流される血も、アメリカや同盟国の負担も大きく低減できるだろう。またイスラムからの逸脱をタリバーンが認識すれば、軌道修正によりラディンを排除してしまう可能性も狙える。日本は、こういう芸当が可能な地位にあると思うのだが。国益に添わない戦争行為を回避し、更には諸外国の対立をも終息させるべく努めるのが、大国である日本の政府が担う義務ではないだろうか。もしもそうして戦争の痛みを和らげ、国民に一滴の血も流させないで済むのなら、僕だってこの国のことを心底誇りに思うことが出来るのだが。

2001年09月11日(火曜日)

暗黒の日

23時42分 思考 天気:台風直撃のち台風一過 BGM:Epitaph/King Crimson

 恐ろしいことになった。
 最初の惨事はあまりの強風に会社に行けず、半日年休を取る電話を入れた直後に起きた。ふと、部屋の中を風が巻いているような気がしたので、物置と化しているフローリング部屋をのぞいてみた。すると、なんと、上の窓から雨が吹き込んでいる。ほんの30cmばかり空けていたのだが、強風で遮光カーテンが煽られ、もろに雨が吹き込んでいたらしい。網戸がかかってなかったらどうなっただろう。望遠鏡と本が水浸し。とほほほ。
 その後始末のために、結局午後にも出社できなかった。風は14:00くらいには収まっていたのだが。
 次の惨事は想像を絶するものだった。
 夜、何の気なしにyahooのテレビ欄を見ようと思い、yahooに飛んだところ、ニュース欄に「高層ビルに航空機突入」の見出しが目に入った。まさか。いやしかし、asahi.comでも同様のニュースを扱っている。ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が相次いで突入したのだという。しかもペンタゴンやホワイトハウスにも未確認ながら火の手が上がっていると。ニュースをリロードしながら見てゆくうちに、さらに惨事は続く。11機の旅客機がハイジャックされ、いずれも行方不明だというのだ。さらに何機分かのテロが続く可能性があるという。
 いったい、誰がやったのか。これほどの規模のテロを実行できる勢力は、反米的なイスラム教過激派くらいしかいそうにないといわれている。特にアフガニスタンに潜伏中のサウジアラビア出身の大富豪、ラディンの一派が怪しい。ラディンはイスラム系の経験豊富な兵士を多数抱えている。資金も豊富だ。大規模な対米テロでは、常に容疑者筆頭に挙げられている。
 しかし、この規模のテロだと、死者は3桁では済むまい。4桁、いやビルの勤務者が5万名という情報からすると、万単位の可能性がある。と、ニュースが差し替えられて、ビルが崩落したと伝えられた。これで5桁かもしれない。なんてこった......。
 これほどのテロをやられては、アメリカ市民の比較的慎重な層も、全面報復に賛成するだろう。しかし、誰に報復するのか。この規模のテロでは証拠が残らないはずはないので、すぐに"敵"が明らかになるだろう。わからなくても、アメリカは適当な敵をでっち上げてしまうはずだ。でっち上げるとはいえ、その対象はほぼラディン一派だから、その範囲をどこまで絞るかという程度の違いではあるまいか。ラディンとその武装集団を直接攻撃するのか、彼らをかくまっているタリバーンを叩く可能性も高い。なんにせよ、まずはアフガニスタンから火の手が上がるんじゃないだろうか。
 問題は、それに対してイスラム教圏がどう動くかだ。公然と支持するのは不可能だが、裏では連帯するか、あるいは切り捨てにかかるか。連帯してしまえば、アメリカはあまり躊躇なく連帯者をまとめて叩くだろう。それがアメリカを中心とする西側先進諸国 v.s. イスラム圏という大戦争にならないという保証はない。そうなれば、死者はあっという間に万単位に膨れ上がる。アメリカは、なんだかんだいいながら、戦争に関しては独自のセンスを持つ強国だ。そのアメリカを本気で怒らせて、テロ集団に勝ち目はあるのか。無制限戦争に突入すれば、アメリカはゲリラ戦に勝利する唯一の手段を講じるだろう。つまり、テロ集団を支持する宗教/民族集団の殲滅だ。そこまで話がエスカレートしてしまえば、場合によっては核の使用により死者が億単位に達する可能性さえある。
 もちろん、そのずっと手前で事態が均衡する可能性のほうが高い。アメリカがテロの首謀者を捕獲できれば、それをアメリカの司法機構の中で処理することで、ガス抜きを行える可能性もある。またテロ実行グループを、イスラム社会が見捨てることで、事実上最低限の抗争にとどまる可能性もある。つまり事態の鍵を握るのはアメリカではなく、むしろイスラム社会の反応だと見てよさそうだ。それはパレスチナ住民の狂喜乱舞振りに対し、自治政府のアラファト氏が苦慮しているらしいことからもうかがえる。どこまで政治的に、穏便に処理できるだろう。せめて、もう流されてしまった血と同程度で済めばよいのだが。

2001年09月10日(月曜日)

キャンプ気分で喫茶

19時41分 暮らし 天気:雨ですね

 日曜日に買ったシエラカップとエスビットを早速使ってみた。台所で。バカじゃねえか?
 シエラカップには270ccくらいは入るようだ。ここに200ccの水を張り、ポケットコンロを展開して、エスビットを一つ乗せ、ポケットトーチで着火する。200ccくらいなら、タブレット一つで沸騰寸前まで行くようだ。ここに本来はアイス用のグリーンティを投入してみた。をを、なんかうまいぞ。これは冬のツーリングで一息つくには、好都合のアイテムだ。コーヒーとかお茶を点てると、ほっと一息つけそう。

2001年09月09日(日曜日)

NHKスペシャル 日本人はるかな旅

23時39分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「日本人はるかな旅」第2夜は"巨大噴火に消えた黒潮の民"。
 冒頭は見逃したが、トカラ列島辺りの海底火山が大噴火し、南九州にあった大集落を滅ぼしてしまったという話だと思われる。縄文時代、約6500年前のことだ。かつて、縄文文化は北方優勢で、東日本から北日本にかけて存在し、西日本ではそれほどの勢力でもなかったと思われてきた。ところが、近年になって大隈半島などから大規模な縄文集落が発見されている。実は、6500年前の大噴火により、その形跡が拭い去られていただけだったのだ。
 彼らはどこからきたのだろう。
 氷河期、地球の海面は大きく下がり、今では水没している広い陸地が現れていた。その一つに、インドネシアを中心とする亜大陸があった。この地は氷河期にも温暖で、簡単に食料を入手できたため、大人口を養うことができた。ジャワ島は原人の宝庫といわれる。
 やがて氷河期が終わった。すると水面が再び上昇し、亜大陸が水没し始めた。人類の生息地が減少し始めた。これに促されて、人類は初めて船による航海を試みるようになったと推測される。最初は河川を渡るための筏を竹で組むことから始まったと考えられる。それがやがて川下の大河に、そして遂に海へと至った。その過程で筏はより渡洋性の高い丸木舟へと発展したと思われる。この丸木舟の建造に必須なのが、木を加工するのに適した丸ノミ石斧だった。そしてこの丸ノミ石斧は、九州南部の遺跡からも出土している。つまり、亜大陸から逃れた一派は、九州南部にまで到達していたのだ。
 その航海は一度では済まなかったと推測されている。まず彼らはフィリピンに到達した。ここまではジャワ亜大陸からは目と鼻の先だ。だが日本まではさらに広い海が広がっている。この航海を可能にしたのが、赤道から北上し、日本近海を流れる黒潮だったと考えられている。沖縄には石器時代の港川人が住みついていた。ところが、沖縄から九州へは、今度は日本本土から離れて流れていた、当時の黒潮の流れが阻んでいたのである。
 しかし、氷河期の完全な終息とともに、黒潮は現在のように本土沿岸を流れるように向きを変えた。その時初めて、南方の人々は本土へと足を踏み入れることが出来たのだろう。彼らは照葉樹林が広がり始めていた九州南部で、丸ノミ石斧の技術を用いて作成した石斧を用いて森を切り開き、最初期の栽培農業すら始めていたようだ。彼らの痕跡は巨大火山の噴火により途絶えたが、彼らが死に絶えたわけではない。彼らが日本のより北へと逃れたことは、現代人にも彼らの特徴が受け継がれていることからも明らかだ。こうして南方から来た人々も、人種の坩堝と化した日本列島の一員となったのだ。

ロードバイク探してあっちこっちに

20時38分 自転車 天気:雨が降ったり止んだり

 昨夜からの雨がまだ降り続いている。風が強いやら弱いやら。雨が降るやら止むやら。なんだかさっぱりわからん天気だ。驟雨が降り注ぐとみたら、すぐに上がって日差しさえ見える。空が晴れから豪雨まで各種取り混ぜたカクテル状態になって、それらが次々に入れ替わっているような按配だ。台風はかなり本土に接近している。
 こんな日なので、自転車では出かけられないなあ。その代わり、いくつかの自転車屋を回って、手ごろなロードバイクを探す旅に出ることにした。
 まずはシマダ。ここは横浜東急ハンズの近くにあるということだ。地下鉄で横浜まで出て、ハンズの方に抜けた丁字路にそれはあった。そんなに大きくはないが、立地がいいせいかひっきりなしに客がやってくる。店主らしい初老の男性に聞いてみると、カタログを引っ張り出してあれやこれや探し始めた。なんとなく、スポーツバイクにはそう詳しくない感じだ。その奥さんらしい女性も、はきはきとして入るがやはりカタログ以上の知識はなさそう。おそらく、黙々と作業していたテッキーの男性が詳しいのだろう。最終的にGiantのTCR-3とGTのバイクがよさげということになったが、在庫はない。一応、販社に聞いてくれるということになった。明日電話すると伝えて店を出た。
 ハンズに寄り、B1Fのアウトドアコーナーをうろついた。ふと、携行コンロが目に入った。エスビットという固形燃料を使うもので、存在は知っていたが想像以上に小さい。また安い。これならサイクリング中の休憩で、温かい飲み物を摂るのによさげだ。これとシエラカップ、替えのグリップ(MTBの)を買って出た。
 次は町田の高田フレンドを冷やかそうと思った。町田まで出て、南のほうに歩いてみたが、あれ、見つからない。前はこの辺にあったはずなのに。良く場所を確認せずにきた僕の負け。失意のまま繁華街をうろついていると、別の自転車屋が目に入った。イトイサイクル。思ったより大きい店舗だ。
 店内に入り、2FでGiantのTCR-1を発見。これは欲しい車両だ。店員にサイズを聞くと、どうも僕の体格では無理そうだ。別の、Specializedの14万円弱の自転車を薦められた。悪くないと思ったが、シマダの返事を聞いてからでも惜しくないと思ったので、今日はここで引き上げた。
 案外に足で歩くと時間がかかるもので、相模も回ろうと思っていたのに、今日はそこまで行けなかった。
 湘南台経由で帰宅。

2001年09月08日(土曜日)

へなへなバルチックカレーオフ

22時36分 レジャー 天気:雨が降ったりやんだり

 さて、今日は以前から計画されていたバルチックカレーオフの日だ。昼、(一部で)噂のバルチックカレーを喰らい、それから秋葉を放浪しようという目論見だ。
 11:00に神田駅東口集合としたので、9:20くらいに出る。10:30には到着。時間があるので、バルチックカレー神田駅前店の偵察に出た。
 先々週、BD-1でこの辺を通過したとき、確かにバルチックカレーの看板を見たのだ。が、見つからない。30分ほどかけて、神田駅周辺を一周してみたが、なぜか見つからない。こりは困った......。
 一周して東口にもどると、すでに赤井都女史が到着していた。まあ久遠氏はどうせ遅刻しますから、などとしばらく話していると、11:00をちょっと過ぎた頃に久遠氏が到着。意外だ、はるだぁ氏が先に来ると踏んでいたのに。そのはるだぁ氏もまもなく到着。早速、カレー制覇に向かおうというところなのだが......。「店、見つかりませんでした」と正直にいうと、他の誰も知らないことが判明。まあそりゃそうだ。そこでシグマリオンを取り出し、街角アクセスだ。バルチックカレーのウェブページのアクセスし、地図を見ると、なんと逆の北口方面であることが判明。こりゃえらい勘違いしてたぜ。さっそくそっちに歩を進める。
 が、先頭を進む俺様の目にはバルチックカレーなんて映らなかった。と、背後の三人が注意を促す。はっとして良く目を凝らすと、なんとすぐ脇にあるじゃないか。しかし気づかなかったのも道理、席数5の極小店舗だったのだ! これじゃ5人でいったら専有状態だよ。まさかこれほど小さいとは思わなかった俺様は、思わず目まいによろめいた。
 多分、この店はテイクアウトが主体で、カウンターはおまけなのだろう。まったく、それを確認しなかった俺様の手落ちだ。
 どうしましょ、ここを占拠してしまうのもなあ、などとしばし話し合い、ひもじいので別の店を探すことに決定。ちょっと歩いたところにあった庄屋で魚介類主体の定食を食らった。周囲は肉ものの店ばかりなので、ここはちょっと新鮮な感じ。
 庄屋を出て、一行は秋葉方面へとぞろぞろ歩き出した。ああ、自転車なら一瞬なのに、歩くと結構あるんだよな。しかし、ほどなく秋葉に到着。まずは僕の所用を満たすため、協栄に寄る。ツァイスサイズで、それなりに見えそうなアイピースを探したのだが、もうツァイスサイズなんてほとんど絶滅寸前だ。探すほどない。今日は何も買わずに出る。
 次に寄ったのは書泉グランデ。ここでJava2の本と漫画2冊を買う。漫画を買うのは久しぶりだが、そろそろ攻殻2を読みたいと思ったので。それと好評のあずまんが大王1も買ってみた。
 書泉を出て、一行は久遠氏の「コーヒー飲みたい」要求(早っ)に応え、ドトールに入った。ここでしばしまったりと雑談。えと、なに話したっけ;・_・)
 ドトールから首都高の下を歩き、今度はスターベースを冷やかす。赤井女史は南半球の星座早見板が御所望であらせられたが、さすがのスターベースにもそこまでマニアックなものはない。あるとすれば、こういう物件の充実している(らしい)コプティックの方だろうか。
 さて、ここで本日の裏メインイヴェント。いつも行かないところに行こうと思っていたので、PC関連などではなく、キャラクタグッズ関連、とらのあな1号店に入った。これからも金になりそうなヲタク産業を偵察しようという趣向だ。僕もGamersだのここだのといった系統の店舗は初めてだ。
 初めてなのに、足はなぜかまっすぐに5階に進む。そこには......あった、等身大のお人形さんだ。ファンタスティックのブランドで出ているアニメ顔の等身大キャラが、そこには何体も並んでいた。思ったより小さい。そして思ったより硬い。あー、でもかわいい(身もだえ中)。一行は、この階で激しいカルチャーショックに見舞われた。久遠氏とはるだぁ氏はマニアックな品揃えのガンプラに魅入られている。赤井女史にとっては初めて垣間見る世界であるらしく、陳列されたガレージキットやコンパクトドールの衣装キットを眺めている。
 楽しい時間が過ぎ(みんなエエ大人やろうに......)、撤収というときに、赤井女史はトレーディングカードを1パック買っていった。創作の参考というが、果たしてどうだか......。赤井女史がこれから毎週秋葉通いになったりしても、これはこれで人生というもんだな。ははは。
 虎の穴を出て、またほんの少し歩いただけで再び喫茶店トラップ発動。歩くより喫茶店で喋っている方が多いオフである。ここで入った喫茶店は、この前に秋葉でオフった時にも利用した、鉛筆ビル近くの隠れ家的店だ。アーモンドオレがおいしい。おやぢ衆3人は、ここではさらにホットケーキセットまで喰らっている。18:00から焼き肉食い放題が待っているというのに!
 この喫茶店を出たところで、赤井女史とはお別れ。おやぢ衆は道路を渡り、俺コンだのT-Zone DIY店だのに足を運ぶ。ここでメモリのあまりの安さに衝撃を受けた久遠氏が、後先考えずに128MBのDIMMを2枚買う。これを業界用語(どの業界だ)で気絶と申す。
 さて、18:00からはスターベースの通り、ガード下に出来た焼き肉食い放題飲み放題の店で宴会だ。この店、サイドメニューが非常に充実していて、焼き肉が嫌いでも困ることはない(そもそもそういう人が何故焼き肉屋に入るかは謎だが)。90分で満腹状態になる。
 さらにコーヒー衝動の高まりを感じた我らは、ルノアールでさらに1時間ほどを費やしたのだった。ああ、無駄話のなんと続くことよ。
 ここでようやく解散した俺様たちは、秋葉で久遠氏と別れ、戸塚までははるだぁ氏と同道、そしてやや酩酊感を残しながらもアパートに帰還した。ああ、今日はオフの目的を端から果たせないというまぬけな展開ではあったが、色々得るものがあったのも事実だった。

2001年09月07日(金曜日)

雲行き怪しいのことよ

19時35分 暮らし 天気:くもり時々雨

 どうやら南海で涌いた台風*2が、日本列島に上陸しそうだとか。その影響で、横浜も雨が降りやすくなっている。明日はバルチック艦隊撃滅オフ(違う)があるのだけど、雨だとちょっとやだなあ。まあどうせ自転車乗れないからいいけど(うじうじ)。
 湿っぽいので、久しぶりにエアコンを除湿に入れた。台風が暖かく湿った空気を運んできたようだ。

2001年09月06日(木曜日)

9月に入って

19時34分 暮らし 天気:晴れかな曇りかな

 いつのまにか、人になんの断りも無く世の中は9月に入っている。出勤途中でたくさんの学生たちが俺様の進路を妨害するのだ。まったく、頼んでもいないのに!(そりゃそうだ)
 しかしまあ、9月に入って涼しい日が続く。8月も暑かったのか涼しかったのか良くわからない日が多かったが、9月もあまりすっきりとは晴れない。しかしスーパーの食品売り場は、もうすっかり秋シフト。

2001年09月05日(水曜日)

今日も区役所に

19時33分 暮らし 天気:くもり

 区役所からの書類が届いたので、再度出向いて印鑑登録と印鑑証明の発行をしてきた。勢いで2通も発行してもらったけど、これ有効期限があるんだろうな。
 相変わらず腱鞘炎なので、手首を酷使せず養生に努める。これでも月曜日の朝あたりからすれば、かなり軽減された感じだ。でも1週間も続くなんて。
 今週末は懐かしい丹沢周辺でも歩いてこようかと思う。

2001年09月04日(火曜日)

手首が、破滅の音がぁ

19時31分 暮らし 天気:雨

 自転車に乗りすぎたせいだろうか、腱鞘炎が悪化してきた。もともと、左手は腱鞘炎気味で、薬指なんかは機械仕掛けでがくっ、がくっという感じで曲がる(弾発というのだそうだ)。日常生活には影響が少ないし、まあ職業病みたいなものかと楽観視していたのだが。
 このところ、それが急激に悪化している。弾発が左手の中指から小指にまで広がり、さらに右手にもその兆候が現れている。これはさすがにやばいと思った。
 ウェブでの体験談の類を読むと、とにかく安静にしているより他にないらしい。手を酷使するような事態は避けなければならない。最近、急激に悪化した要因として思い浮かぶのは、自転車しかない。自転車のハンドルを握りつづけるのは、確かに酷使に違いない。またBD-1もハードロック号もスポーツバイクなので、どっちも前傾姿勢をとることになる。特にMTBはグリップが硬く、またポジションがいまいち合わないので、手首が余計に痛くなるのかもしれない。
 日常的に近所まで乗るのはともかく、ツーリングの類はしばらく控えなければ。そうしないと、やがて手首から破滅の音が(おまえは星飛雄馬か)。
 自転車に乗れないとすると、しばらくはトレッキングの類で山道を歩くのがいいかも。自転車で山道を走り回るにしても、しばらく偵察に徹するのも悪くないだろうな。

2001年09月03日(月曜日)

区役所に朝っぱらから用事があったのよ

19時30分 暮らし 天気:くもりのち雨

 千代田生命の清算に伴って会社の積み立て制度が解約される関係で、印鑑証明の必要が生じた。いままで印鑑証明なんて必要なかったので、区役所に出向いて、まずは印鑑登録する必要がある。しかも、免許証の類を持ってない僕は、一度区役所から書類を送ってもらって、それを持って再度出向く必要がある。面倒だのお。
 午前半日年休を取って、MTBで泉区役所まで出かけた。手続きは親切な窓口の人に助けられたのもあり、あっという間に終わる。
 帰宅して、昼間でちょっと寝て、出勤した。どうも、最近ますます疲れがたまりやすくなってきた気がする。
 外に出ると雨。湿っぽい天気が続く。

2001年09月02日(日曜日)

子供自然公園

21時28分 自転車 天気:曇り気味

 11:00前に目覚めた。前日の疲労が残っている。今日はまた東京に出て皇居周辺を走るつもりだったのだが、時間的にどうだろう。ちょっと考えて、予定を変更した。割と近所にある横浜市子供自然公園なるところに向かうことにした。ここは比較的広い公園で、園内の随所にダートがあるんだとか。ダートといえばMTBでしょう。ということで、MTBハードロック号で発進。
 しばらく地図を眺めて、概ね北進していくつかの目印を見つけながら進めば、それほど遠くでもなさそうに思えた。が、最初の目印としたコンビニの捜索に失敗。後で気づいたのだが、道順を完全に誤解していた。こういうときにはロカティオが大活躍だ。コンパスと見比べて(ロカティオは方位までは出せない)、位置を確認しながら進んだ。
 気の遠くなりそうな(20%?)坂道に差し掛かり、しかしふと南に向かっている気がして、またロカティオで確認。その通りだった。危ない危ない。細い道を通り、丘を越え、やがて太い幹線に出た。ここは緑園都市のメインストリートのはずだ。またしても丘を越えてゆく。その途中で、ふとひざに何かがまつわりつく感覚が走った。一瞬目をやると、しかし既にその何かは落ちてしまったようだ。気にせず丘の頂上にまで進み、小休止を取った。ボトルからポカリを飲むと、なぜか髪がまつわりついてくる。髪が、髪が......。なんと、うしろで縛っていたバンドが外れている。さっきの謎感覚の正体は、実は髪から取れたバンドだったのだ。慌てて来た道を戻り、道に目を凝らしながら歩く怪しい男を演じながら(というかその通り)、丘を下っていった。見つからなかったらどうしよう。テープで縛っておくか、とまで考えてのだが、やがて無事に発見。今度はきつめに縛りましょ。
 この道をひたすら走り、この辺かと思える辺りで右折した。行く先に、なんだか緑が多そうな気がした。ここからはほとんど迷路で、道が曲がりくねっている上、辻で道が五つに分かれているなんて事態も珍しくない。それでも、やがて緑の鬱蒼と茂る場所に来た。
 MTBを押して、緑の区画に入った。道は山道のようで、自転車で入るには躊躇する。どこか、他に正式な入り口があるのではないか。そう思って、この緑に沿ってMTBを走らせた。やがて、もう少しましな道と、そこで遊ぶ多くの人が目に入ってきた。自転車もいるようだ。ここなら問題なさそう。
 MTBを乗り入れ、やや荒れた道を下ってゆくと、よく整備された硬い土の道が現れた。これが公園のメインストリートらしい。家族連れで一杯だ。その間を、最徐行しながら回っていった(お子様はいつ飛び出すか分からないので)。
 公園内には池がいくつかあり、そこで釣りをしている人もいる。『投げ釣り禁止』という看板はそこら中に立っているのだが。投げ釣りじゃなきゃいいのか。
 やがて公園の正面口に着いた。自販機や売店もあり、結構な賑わいだ。自販機でコーヒー牛乳(この薄ら馬鹿な名称が消えるなんて、返す返すも惜しいことだ)を買い、池を眺めながら飲む。
 園内を自転車で散歩したり、高台にある休憩所でのんびりしたりしながらしばし過ごしたが、時間が16:00に近づいたので重い腰をあげる。
 公園を出て、さっきの幹線をさらに北上すると、二俣川についた。そこから線路を渡ると、国道40号線に出る。ここをたどって行けば、三ツ境まで出るはずだ。今日は三ツ境のサガミサイクルセンターと町田のたかだフレンドを訪ねて、手頃なロードバイクを探すつもりだったのだが。この分では町田は大変そうだ。サガミのみにする。
 三ツ境方面と泉の方面との分岐点で、"サガミ"という看板を発見。おや、こんなところにも自転車屋が。店員のお兄さんにロードバイクの事を聞くと、「もう一軒の店舗の方が在庫も豊富です」と言われる。ここはサガミサイクルセンターの別店舗らしい。
 もう少し進むと、サガミサイクルセンターに至る。店内でロードバイクのことを聞くと、ピナレロのバイクを薦められた。コンポーネントのグレードは低い(ティアグラ)。しかしフレームを取るかコンポーネントを取るかといわれれば、いくらでも換装できるコンポーネントよりはフレームだろうな。しかし、フレームの目利きが出来るようなものでもない。ううむ、もう少し悩むか。しかしピナレロ、ピナレロ、なんとなく心にこびりついてしまった。
 サガミサイクルセンターを出て、境川沿いに南下して帰宅した。

2001年09月01日(土曜日)

横浜ポタ

20時26分 自転車 天気:曇りっぽい晴れ

 みんなの歌で「よこはま詩集」なんちゅうのをやってるせいでもなかろうが、ここらで一発、横浜駅から山下公園近辺までを走ってみたくなった。横浜ポタリングというところでしょ。
 横浜中心部へのルートを検討した。一つは国道1号線を通るもの、もう一つは海に向かって環状2号を南下し、南側から関内方面に入るもの。後者はちょっとルートが複雑そうなので、今日は国道1号線を通ることに決定した。しかし交通量が多くて危険そう......。
 場合によっては輪行するつもりなので、BD-1で出かける。出かけるときに、ちょっと悩んだ。普通に走るのならば、フロントバッグは便利なのだが、輪行するときにバックパックを背負っていたりすると荷物を三つ(一つはBD-1)抱えることになって不便だ。ではバックパックのみにするか。ちょっと考えて、今日はフロントバッグのみにすることにした。各種ツール、雨具、カメラ、ロカティオ程度を積むのなら、これ一つで十分だ。何も背負わなくて良くなるので、体が楽なはずだ。
 昼前に出て、まずは戸塚まで長後街道を走る。戸塚の通称"開かずの踏み切り"を渡り、1号に入る(正確には長後街道との合流点から入っているのだが)。1号線は車道2車線、歩道もあるが細めの道で、自転車で走るのにはそう苦労はしないものの、飛ばすのが難しい道だ。女学生のようにゆっくりこいだ。
 大体、分岐でもまっすぐ進めばよいのだ。しかし大きく二つに分かれる地点に差し掛かった。ここでロカティオで位置を確認し、迷うことなくさらに進む。横浜は丘の街だなと改めて思い知らされた。坂を登り、下る。これを幾度となく繰り返す。
 やがて道路が太く、かつ複雑に絡み合うようになり、都心部に入ったことを感じた。そして、遠くにはみなとみらいの高層ビル群が目に入ってきた。
 BD-1をあちこちに向け(土地鑑が無いのよ)、とりあえず桜木町駅を目指して走った。JRの高架下を走る。どこまでいっても珍走団の落書きが目立つばかり。なんちゅう殺風景な通りだろう。
 やがて適当に海側への分岐を抜けると、すぐ目の前にランドマークタワーの威容が飛び込んできた。この辺は何度か歩いた場所だ。ランドマークタワーの根元のすり鉢状の広場で、なにやら大道芸が繰り広げられていた。
 さらに進み、新港埠頭のある出島に渡る。岸壁で釣りをしたりカップルでいちゃついたりする人々を横目に、海上防災基地のでかい箱を目指して走る。風が心地よい。ワールドポーターズを見つけ、その前に立っているでかい風穴を開けたホテルと、その向こうに見えるランドマークタワーをカメラに収めた。ここは、なんでもスケールがでかいなあ。ワールドポーターズにはいろんな店が入っている。が、安くはなさそう。
 一度旧市街側に戻り、県警前を緊張しながら走り(なんでや)山下公園へと向かった。山下公園は、幅が800mくらいある公園だ。芝生に寝ころがっている家族連れや、ベンチでいちゃついているカップル(畜生、呪われてしまえ!)が群れている。向こうの方に見えるのが「街道を行く」でも取り上げられた氷川丸。クラシカルでエレガントな貨客船だ。そこでミネラルウォーターを買い、フロントバッグの横に差しておいた。走りながら、時々止まってはちびちびと飲む。このフロントバッグ、本当に便利だ。ボトルケージがいらない。
 山下公園前のマックでダブルチーズバーガーセットを買い、山下公園の芝生に座り込んでおやつにした。鳩どもがもの欲しげに周囲をうろつく。意地汚い鳥だなあ。無視してポテトをほおばる。穏やかな風が頬をなでて行く。なんとも絶妙な居心地よさだ。
 さて、16:00も過ぎたことだし、帰ることにしよう。自転車を横浜駅に走らせる。途中、PCラボの巨大店舗を発見。PC関係もこの辺で充足できそう。線路の向こうへの渡り方が分からず、しばらくうろうろした後、横浜駅西口のハンズ近辺に出た。ハンズを冷やかし(今日は異様に人出が多かった)自転車を押して横浜駅西口に出て、地下鉄への降り口でBD-1を畳んで帰った。前半の坂が効いたのか、結構消耗した感じ。
 地下鉄に乗り込んで、しまったと思った。ハンズの近くにある自転車屋を見てくるべきだった。ちょうどロードレーサーが欲しいところなんだ。でも後の祭りだ。
 立場駅でBD-1を組み立て、自走で帰った。