Strange Days

2001年10月14日(日曜日)

三浦半島を(途中まで)走る

20時59分 自転車 天気:晴れ

 9:00起床。今日はようやく三浦半島サイクリングを実行できそうだ。
 昼前に家を出て、北鎌倉到着は12:30。近いもんだ、JRで2駅なんだから。
 北鎌倉は、観光シーズン到来というわけで、相当の人出だった。付近の寺院を散策するのだろう。僕は鎌倉へと下っていった。北鎌倉から鎌倉(鶴岡八幡宮)へはひたすらな下り坂で、爽快なダウンヒルが楽しめるはずだった。が、このシーズン。車が充満していて、トロトロとその脇を抜けて行くだけ。爽快さに欠けるダウンヒルとなった(やむなく笑)。
 由比ヶ浜から海岸沿いに南下して行く。国道134号線沿いに走って行くと、道は突然高架状になってトンネルに吸い込まれて行く。歩道の方はその下に吸い込まれて行く。ここはそういう所なのだと思い、下に道を取った。後で地図をみると、小坪漁港への道だったようだ。ここから瀟洒なマンションが立ち並ぶ海沿いの道を進み、内陸へと進路を取った。
 しばしの坂。嫌な坂だ。今回のサイクリングでは、坂また坂という感じで、坂に苦しめられた。この坂は、やがて複雑にジャンクション状に絡み合っているトンネル群に行き当たった。小坪トンネルだ。このトンネル、果たして越えられるのだろうかとしばし悩んだ。見えない場所(一本向こうのトンネルらしい)からも車がバンバン飛び出してくるし、信号は短いし。ここでロカティオを取り出し、位置を確認しようとした。が、なかなか確定できない。戦争の影響か?
 覚悟を決めて、車が少なそうな時に、ライトを着けて突っ走った。さほど走ることも無く、トンネルを抜ける。
 ここで、初めての爽快なダウンヒルを楽しめた。車は居ないし、道はきれいだし。だいたい、葉山辺りまでは順調に進んだ。が、この先が問題だった。秋谷までは海沿いに行けるのだが、その先はやや内陸に入り、海が見えない。面白みの全くないサイクリングになってしまった。そのくせ坂は多い。しかも激坂だが早く終わるというわけでも、長いがほとんど傾斜がないというわけでもなく、坂としての存在感をアピールしつつも、ひたすらだらだら続いて行くようなのが多い。坂が嫌いな僕は、ほとほと参ってしまった。坂、畑、住宅地、そんな感じで風景が流れて行く。ちょっと気が滅入るなあ。
 しかし、サイクリストはやたら見かけた。ほとんどがロードバイクを駆る本気の人々。思うに、それなりに歯ごたえのある坂続きなので、ママチャリ衆は遠征が難しいのだろう。一台だけBD-1を見たが、フロント60T化した高速仕様だった。
 しかしまあ、坂坂坂。言い換えれば、丘丘丘だ。三浦半島の地形を見ると、極端な高地はなく、なだらかな丘と入り組んだ入り江、谷間という感じだ。三浦半島と言えば三浦一族。僕は、こんな狭い、しかし居心地よさげな半島に住む三浦一族が、源平合戦から戦国初期まで、なんであんなに元気良かったんだろうと不思議に思っていた。その理由が分かった気がする。この丘だ。
 この坂続きでは、恐らく谷あいに住んでいたに違いない三浦一族は、気を抜く暇も無かったに違いない。敵に谷あいを進んでこられると、よほど注意深く構えてなければ急襲されてしまう。かといって防備に役立つほど急な丘というわけでもない。やたら開けていて、そのくせ敵味方とも隠れ潜む地を得やすいが故に、非常に用心深く、積極的な態度を取らざるを得なかったのだろう。そしてこの坂だ。だらだらと続く坂は、一見もう終わりかと思いきや、道を曲がるとまだ続いているなんてことが多い。どこまでもだらだらと上り続けさせられるのだ。こんなとき、人は哲学者になってしまうのではないか。歩きながら出来ること言えば、思索を巡らすことだけだ。三浦一族も、そうやって中央の情勢を睨む習慣を着けていったのではないだろうか。などと今の、戦国期までとは激変したに違いない道をたどりながら考えても、詮無いことではあるが。
 道を進むうちに、左手にバスターミナルらしきものが見えた。そこが京急の終着駅、三崎口駅だった。これで輪行して帰れる。そう考えると、ようやく安堵がどっと広がった。
 さて、時間に多少の余裕があるから、南端の城ヶ島まで行ってみようか。そう考えつつさらに漕いでいったが、この上りが驚異的にだらだら続いて行くのだ。途中でギブアップ。今度、体力があるときに行ってみよう。今日は、ちょいと頭痛がする。
 帰路はさっきの三崎口から、上大岡経由で立場に帰還した。今度は三崎口から城ヶ島、そして東海岸を進んでみようと思う。