Strange Days

2001年12月31日(月曜日)

恒例FSF年越しチャット

23時55分 SF

 今年もFSFで年越しチャットだ。一応説明しておくと、FSFといっても髭面のおっさんが首領を務める某組織ではなく、@NIFTYはSFフォーラムのことだ。このフォーラムのチャットは以前から激しく、特に年越しチャットは例年50人以上参加してなにがなんだかわからない状況になっていたのだが......。
 22:00過ぎ、物凄く久しぶりにFSFに入ってみた。今年、特に気になっていたのは、例のso-netとの合併の噂だ。このことについてもなにか聞けるかなと思った。
 しかしだ、この時間になってもチャット参加者はゼロ。例年なら(といってもここ数年は知らんが)この時間には20人くらいいてもおかしくない。もしかしてFSF1ではなく2や3だろうかと思ったのだが、そちらにもいない。なんと。@NIFTYのフォーラムは、こんな風に衰退していたのだな。
 やがて、ようやく見なれた顔が登場。七色いんこ兄であった。再会を喜び、同時にFSFのあまりの変化に驚きあった(いんこ兄も久しぶりだったようだ)。しばらく話しながら、もしかして二人で年越しに突入かと思っていたら、23:00前からようやく人が増え始める。懐かしい面々が次々に登場する。ああ、なんだか同窓会みたいだ。FSFで過ごした時間が、まるで走馬灯のように駆け巡る(危ないから止めとけ(by よみ&とも))。しかし、それでも最高で22人程度しか集まらなかったのだ。ああ、往時のFSFは何処。
 後で思い返してみるに、主だった運営陣が参加していなかったようだ。so-netとの合併報道の直後、SysOpeが召集されて何がしかの話し合いの場が持たれたといわれているので、そこで@NIFTYからなんらかの申し渡しがあったのかもしれない。
 ともあれ、例年恒例の行事を済ませ、新年あけおめなのである。

大晦日の広島を走る

20時00分 自転車 天気:晴れてました

 いよいよ大晦日である。今日こそは真の走り納めの日なのである(今朝決めた)。広島の街を走ってくるつもり。
 昼前に家を出て、まずはモリスで腹ごしらえ。今日まで営業するのは、帰省客のためと、ここで年越しそばを済ませてしまう客のためだという。新年はいつから営業するのかな。
 呉駅でMobillyたんを畳み、広島駅まで出る。駅前のフタバ書店で広島の地図を買い、いざ広島ポタ。とはいえ、行きたいところは決まっている。
 まずは広島城。ここは駅前の道から川を渡り、まっすぐ西進すれば到達できる。迷う心配もなかった。西門は改修中とかだったが、周囲の土壁に穿たれた銃眼などの構造を見て回った。城内にはやたらと露店の準備が始まっていた。護国神社があるので、その初詣客目当てなのだろう。
 広島城から東に走ると縮景園、広島県立美術館がある。縮景園は、今日は休みだった。どんなところなのかと想像しているのだが。
 さて、広島城から南下して行くと、やがて原爆ドームが現れる。今は補修工事でもやっているのだろうか、足場が組まれていて、その全景は良く見えない。川沿いにはなにかの碑が立っている。
 川を渡ると平和記念公園。慰霊碑の前で一礼し、遥かに望むと、原爆ドームが目に入った。なるほど。良く神社には遥拝といって、遠い大社やら富士山やらの方に向いた場所を設けていることが多いが、ここなどその原理を応用したものといって良いだろう。
 原爆ドームの方に戻る途中、気になるものを発見した。一段低くなった場所に、謎めいた塔らしきものが建っていたのだ。地図にも載ってないので、あるいはオーソライズされたものではないのかもしれない。その由来を読むと、学徒動員従事者の慰霊塔らしい。背景のレリーフや、テープでも聞ける建立縁起などは、原爆ドームのそれとは別種のまがまがしい、そしてそれだけにパンチ力のある反戦動機を訴えてくるようだ。僕にはこっちの方が効いた。
 広島駅まで走り、お好み焼き屋で豚玉うどん入りを食い、スタバで一服して帰宅した。

2001年12月30日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙」"宇宙は生命に満ちているのか"

23時00分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」最終回第9夜"宇宙は生命に満ちているか"。
 宇宙の、この地球以外のどこかに、僕たち地球の生命とは別の生命は存在しているのだろうか。それは人類が宇宙の広大さを認識し始めた当初からの、大きな疑問だった。そしてその疑問の先には、僕たち地球の生命とは何者なのか、そしてこの先どこへ向かうのかという、また別の大きな問いが待ち受けている。
 生命が想像以上にしぶとい存在であることを、人類は徐々に悟り始めている。地球の地下深く、太陽の影響などその重力以外にはありえないような深所に、しかし豊かな生命圏が築かれていることが、最近になって明らかになった。スウェーデンの鉱山跡深くの岩中に、奇妙な生命が大量に発見されたのだ。それらの生命の糧はなんなのだろう。それは地球深くから浸透してくる水素、炭酸ガスなどだった。それらを化学合成してエネルギーを得る微生物を底に、その微生物を捕食する別の微生物が生きるという生態系が築かれていたのだ。同じように、大洋の深海底にも孤独な生態系が築かれていることが知られているが、この深地中の生態系は地表の植物群に数倍するバイオマスに達するともいわれている。科学者たちの言葉を借りれば「地球を食べている生き物」なのである。
 最新の深宇宙探査の成果を一覧すれば、宇宙にはこれら地球の過酷環境よりよほど安穏な環境があるとわかる。例えば、太陽系外縁部から飛来する彗星は、その表層は意外に温潤で生命の生育が不可能でないといわれる。また恒星間を漂う星間物質の濃厚な場所にも、生命の生き延びうる場所があるとする学者もいる。これらを信じるのならば、少なくとも微生物の類が繁茂している場所が、宇宙には意外にたくさん見つかるのかもしれない。しかし、それらが僕たち人類のような"知性"を持つに至るかどうか。
 地球の生命に知性が宿るに至ったのは、安定した環境が数十億年も継続するという"偶然"が働いた結果だと、惑星学者の松井教授は指摘する。偶然、いや奇蹟とも言える長き安定は、どのようにしてもたらされたのだろうか。
 松井は、地球環境の安定は、まず第一に海の存在があったからである、と指摘する。海は惑星表面の安定化に大きな役割を果たす。特に恒温化という意味では不可欠な存在だった。だがその海も、もしも地球環境が太古のままならば、すなわち濃密な二酸化炭素の大気を持ったままならば、やがて温室効果の昂進で干上がり、金星のような死の惑星になっただろう。それを防ぐためには、意外にも陸地の存在も不可欠だった。広い陸地があったから、そこに降り注ぐ雨を通して様々な物質(例えばカルシウムなど)が海に溶け込み、海は余剰な二酸化炭素を石灰質にして沈殿させることができたのだ。そして、その多様な物質群は、多様で複雑な反応を生み、やがて生命の誕生を見たのだろう。これらのことから、地球全体の組成として、適正な厚さの地殻と広い大洋を生み出す絶妙な比率である必要があったのだと推測できる。
 次に、太陽からの距離が適切であることも必要な条件だった。地球より太陽に近い金星は、今は灼熱の地表と濃厚な腐蝕性の大気を持つ、地球生命から見れば地獄としかいえないような星だ。しかし、惑星の進化史の最初の頃、地球と金星は良く似た道をたどっていたと考えられている。金星にもやはり海が生まれ、ある時代まではそれが地表を潤していたのだ。ところが、その海はある時に干上がってしまった。その原因は、単純に言えば太陽に近すぎたからだと考えられている。金星から見た太陽の視直径は地球のそれより大きく、単位面積辺りの入射量が大きく違う。そのため、大気の温室効果を和らげる前に海が干上がり、それがさらに温室効果を高めてしまったのだと考えられている。一方、火星に海があったことも既に確実視されている。それは逆に太陽から遠すぎて、地殻内に永久凍土として封じ込まれていると考えられている。地球環境は、今より太陽に近すぎても遠すぎても生まれなかっただろう。
 しかし、地球環境が安定するためには、これ以外にも条件があるのだ。
 その一つは、意外にも太陽系外周部に木星、土星などのガス巨星が存在することなのだ。太陽系の周縁部には、オールトの雲と呼ばれる微小天体の存在する領域がある。これらの天体は、いわば太陽系創建時の資材の使い残しだ。そしてこのオールトの雲から、時折微小天体が流れ出し、太陽に向かって落ちて行くことがある。これが彗星発生のメカニズムだ。彗星は微小天体といえど、直径数十キロに達するものがある。それがもしも地球に衝突すれば、地球生命にとって大惨事となる。実際、地球には比較的大型の天体が何度も降り注ぎ、そのたびに生態系が大ダメージを受けてきたという歴史がある。しかし、その間隔は6000万年程度と、哺乳類の先祖から現世人類が出現するのに必要な時間を満たしている。これが1/100だったらどうだろう。アウストラロピテクスから60万年後といえば、かろうじて原人の類が現れ始めた頃だ。文字通り身に寸鉄も帯びず、原始的な石器の他には何も持たないか弱い原人に、彗星衝突後の激変期を生き延びられるとは思えない。そもそも、僕たち現世人類を生み出した真猿類の枝は、途中で断ち切られていたかもしれない。そして彗星の衝突頻度が100倍になりうる条件はあった。地球より外周にガス巨星が無ければ、その大重力により彗星が吸収されたり、あるいは軌道を変えたりすることもなく、地球への衝突頻度が大きく上昇したという試算があるのだ。
 また宇宙空間には、恒星の死や特異な活動によって生じる銀河宇宙線という、きわめて強力な宇宙線が飛び交っている。この宇宙線は、生命の核である遺伝子や重要なたんぱく質を破壊し、その活動をしばしば狂わせる。時には死をももたらすこの銀河宇宙線は、地球の表面では大気の存在により和らげられている。しかしそれも、今より強度が上ならば、やはり無視できないものになっていただろう。もしかしたら、ある程度の大きさまでの生命しか存在できなかったかもしれない。そうならなかったのは、実は地球大気の外に、さらに銀河宇宙線を和らげる存在があったからなのだ。
 今、人類が送った探査機の一部は、太陽系を脱出して恒星間へと入り込みつつある。ボイジャー1号は、今のところ人類がもっとも遠所に送った探査機の一つだ。ボイジャー1号が太陽系の果てへと近づいたときだった。強力な電波源を間近に発見したのだ。それもボイジャー1号の進行方向に。その正体は、太陽風と星間物質の衝突する現場だった。太陽系は、銀河系の核を中心に、大きな円軌道を巡っている。その際、星間物質と衝突しながら進んでいる。その結果、星間物質は太陽系に対して大きな相対速度を持つことになる。その星間物質は、太陽系の中心からやってくる別種の物質流と衝突し、その結果電波を発することになったのだ。太陽系の奥底からやってくるもの、それは太陽からの風、太陽風だ。太陽風が意外に強く、なおかつ遠方まで影響を及ぼしていることは、これで明確になった。この太陽からの風は、太陽系を繭のようにすっぽり包んでいる。そして太陽系はこの繭に包まれて、まるで宇宙船のように銀河系を旅しているのだ。宇宙船地球号ならぬ、宇宙船太陽系号だ。この繭が無ければ、銀河宇宙線はその強度を確実に保ったまま、地球へと降り注いでいただろう。
 このように、地球に生命が生まれたのはある種の必然だったといえるが、そこに知性が宿ったのはある種の奇蹟といえるかもしれないのだ。
 近年、太陽系外に惑星が相次いで発見されている。その多くは恒星に近接した軌道を持ち、生命の生育に適さないと思われるものだ。しかし、中にはあるいはと思えるものもある。最近、ある恒星の周囲に、二つのガス巨星が発見された。これらの惑星は、その位置を太陽系と比較すると火星より遠方で、木星よりは内側に存在している。そのことから、さらに内側、地球軌道にまさしく地球型惑星があるはずだと夢想する学者もいる。もしもそうならば、彗星の脅威を緩和するという点では、我らが地球に近い恒星系があることになる。だがその他の条件はどうか。それらはこの恒星をさらに詳しく調べ、夢想の地球型惑星が実在するかを明らかにしなければ、判明しないだろう。
 人類の地球外生命への思いは、奇怪なことに時間がたつにつれ悲観的になってきたという歴史がある。なにせ、最初は月にすら生命があるに違いないと思い込んでいたのだ。それが'60年代に完全に否定され、続いて火星と金星も分が悪くなり、今は木星のエウロパの内部にいるかも、という状況だ。エウロパの生命圏も、観測手段の確立によりその非在が確認される日が来ないとも限らない。次はタイタンか。一方、太陽系外でも、生命の存在し得る領域は、徐々に狭まりつつある。生命の成立条件が明らかになる一方、星たちの環境もまた明らかになるのだから、不適合領域が増えて行くのはある種の必然だろう。だが今や、生命の中に知性が芽生える可能性は、限りなく低いものだったということも明らかになりつつある。例え生命圏が宇宙に広く存在していたとしても、僕たち人類の稚拙な通信文に応え、懇切丁寧に知恵ある言葉を返してくれるような存在は、もうほとんど望む余地が無くなっているのだ。もしもそんな存在が間近にあるのなら、僕たち人類は既に彼らと知り合えているはずだ。この先、彼らを見出すことができるとしても、お互いに何らの影響も及ぼすことのできない超遠所においてだろう。このことをもう少し詩的に述べれば、僕たち人類は2度にわたって神の不在を知りつつあるのだ。一度は地球(と哲学的領域)において、そして次は宇宙においてだ。そしていずれも、その告発者は科学だった。我々は絶対者としての神も、クラークが書くような上位の知性としての神も、もはや見出すことができないのかもしれない。

広島に帰る

20時00分 暮らし 天気:晴れから曇りにかけてのどこか

 8:30には起きるつもりだったのだが、実際に目覚めたのは9:00のことだった。ちょっと行動開始は遅れたが、今日は早めに出て、広島に帰るつもりだ。正確には呉にだが。
 部屋の片づけは全く手つかずだが、いいのだ、来年やるから!(また暮れになったりしてな)。自転車はきれいになったし......他にはなにもやってないが(爆)、ともかく帰るにょ、帰るにょ! 帰省する時期は決まってるぴよ!(ワタクシ、36になりました)。
 最後の洗い物と洗濯を片づけながら、家に送る荷物をまとめる。本、TP235、CANON 18*50ISなどの不急の荷物は宅急便で送り、自転車などのすぐ必要な(いや自転車は送るのが難しいだからだが)荷物をバックパックに詰める。いや、自転車は詰められないって。それは別途、手作りの輪行袋(材料:ゴミ用ポリ袋。貧乏感満点)に封ずる。いや、一部を覆うという方が正しいか。
 いつもはBD-1を提げているスリングでMobillyたんをつり下げ、思ったより軽くなったバックパックを背負って、地下鉄に乗り込んだ。
 新幹線はやはり混雑していた。特にMobillyたんを連れているからなあ。BD-1だったら完全に顰蹙もの、というより物理的に不可能だったろう。ましてやロードバイクなんて。確かに重量的には軽くていいのだが、フレームサイズがどうにもならない。来年、ゴールデンウィークには持って帰ってしまなみ海道に行って来たいのだけど。やはりMR-4Fの出番か!(やっぱり買う気なんだな)。
 幸い、名古屋で座れたので、Mobillyたんはデッキの手すりに縛り付けの刑に処し、広島へと帰還した。広島駅でお好み焼きを食らう。今日入った店は、ゴマを振り掛けるというやや奇妙な調味だった。違和感ありだ。スタバで一服して、呉線で呉に入った。
 夜の呉を走る。Mobillyたんでもさほど走りにくくはない。段差が問題だが、ゆっくり走れば良い。というか、結局スピードが出ないんだけど。
 19:00過ぎには実家に到着。

2001年12月29日(土曜日)

自転車を大掃除

20時00分 自転車 天気:晴れかも

 ゆっくり昼過ぎまで寝る。最近、晴れた休日は自転車に乗ってばかりで、体を休める暇が無かったと思うことよ。体が腐るかと思うほど寝る。
 起きて、そろそろと帰省の準備を始めた(大掃除は?)。帰省中の着替えと本、それとTP235。結局、PCの手持ちは止めた(重いもんな)。
 それと並行して、というか中断して、自転車4台(除キワチャリ)の整備清掃も実施した。まず持ち帰るつもりのMobillyたん。チェーン周りの清掃は、多段ギアの車種より清掃が楽そうだったので、こいつだけは油性ルブ(つまり単なるチェーンオイル)を使うことにした。チェーンをちょいと清め、フレームなどにワックスをかける。あまり汚れてなかった。
 次は大物BD-1。こいつは清掃と併せ、ホイールの入れ替えも行うつもりだった。ホイールをはずし、チェーンをチェーンクリーナーで洗う洗う。100円ショップで買ったブラシでチェーンやギアを叩く叩く。それをやはり100円ショップで買ったキッチン用ティッシュ(繊維が起きにくい)で拭く拭く。あっという間に手は真っ黒。しかしチェーンはかなり綺麗になった。さらにホイールからタイヤを外し、ギアも外す。外したギアを、やはりブラシで綺麗に洗って、新しいルブを塗ってXTハブのブラックスポークホイール(LORO謹製)に取りつけた。チェーンルブをチェーン周りに塗り、フレームなどにワックスをかけ、ホイールを取りつける。う~ん、ぴかぴかだ! ただし手は真っ黒だがな(爪までヤバイほど黒い)。
 同じようにTCR-2、Hardrock A1-FS綺麗にしてしまう。4台とも綺麗にしてスタンドにかけると、なんだか大掃除が終わったような気分になったぜ!(本当は少しも終わってないんだがな)。ともあれ、これで今年のサイクリングもお終い......かな(Mobillyたんは稼動するが)。

2001年12月28日(金曜日)

納会

20時00分 暮らし 天気:晴れてるけど曇りも

 今日の勤務は事実上16:00でおしまい。それ以降は職場のすす払いなのである。今年は新人君がいるので、俺様の負荷は事実上ゼロなのである(笑)。
 定時後は、職場のあちこちで納会。今日は寿司が出なかったのでいまいちだった。

2001年12月27日(木曜日)

ちょっと寒気ですか?

20時00分 暮らし 天気:雨ですか?

 日本の上空に寒気がくるとやらで、週末には雪になりそうとの事。ガーン、帰省しても自転車で走れないかも。やっぱ、Mobillyたんを持って帰ろう。
 来年のゴールデンウィークにも帰省して、しまなみ海道を走ろうと思っている。その時は、きっと新自転車を持ちかえることだろう(まだ迷ってますが)。

2001年12月26日(水曜日)

いよいよ年末絶好調!

22時00分 暮らし 天気:晴れてた

 いよいよ今年も5日を切った!(いやそんなエクスクラメーションを付けなくても) 今年は世紀の境目というわけでもなく、なんとなく暮れて行くだろうという予想はやや外れ、後半になってアメリカはテロられるはアフガンは爆撃されるはで大騒ぎだ。来年も尾を引きそうだな。
 さて、そろそろ大掃除を、と思いつつも気力が湧かない今日この頃である。来年でもいいか。

2001年12月25日(火曜日)

休んだ上に、秋葉なのである

21時00分 デジタルギミック 天気:晴れ

 朝、目覚めると、起床時刻をとうに過ぎていた。頭が痛いな。前から風邪気味なのだが、今日は3連休の疲れも重なって、特にひどい。ぜんぜん起きれません。会社を休んで、昼まで爆睡した。
 昼過ぎ、あまり回復してないのだけど、買い物が残っていたので秋葉に出ることにした。本当は、会社の帰りに横浜に寄ろうと思っていたのだが、年末の秋葉も見ておきたいと思った。
 ふらふらしながら電車に乗り、秋葉原に。火曜日の午後という時間帯ゆえか、人通りはそれほどでもない。が、この時間の割に客が結構いるとも言える。
 最初に行ったのは、今まで行ったことがなかったイケショップ・モバイル店。Mac系の店だとばかり思っていたのだが、ここはモバイル専門。品揃えも値段もいい感じ。128MBのメモリスティック(非MG)と、リーダー、T600C用の保護シートを購入した。ためしにCLIE用GPSモジュールのことを聞いていたら、予約だけではけている状況だという。まあ、おもちゃみたいなものらしいので、それほど買う気はないのだ。
 その後、Librettoを買うつもりで九十九などをのぞいたのだが、うろついているうちに買う気が無くなってきた。TP235でも困らない程度の事しかしないし、今はノートPCを持ち歩くことなんてほとんどないし。その金は別のことに使おうと思い、秋葉を去ることにした。
 買い物をしたし、金もあるので、久しぶりに丸五でとんかつ、と思いきや、しまってます。ちょっと歩いて、こちらも久しぶりの玄でチャーシュー麺を食らった。すっきりしたスープの飲み口が良い。
 帰路は東海道線に座り、半ば気絶しながら帰宅。

2001年12月24日(月曜日)

走り収めはマグロでウハウハ

20時00分 自転車 天気:晴れ

 今年一年は自転車な年だったなあ。去年の末、BD-1を発注したときには、まあ天体観望で暗い空を近所で求めるのに便利か、というくらいのことだったんだけど。まさか自転車に乗ること自体が目的になろうとは......。BD-1という趣味性の高いバイクに手を出したのが運の尽きか。今じゃ大小5台に増えてるしなあ。
 さてさて、あちこち走り回った一年の締めとして、今日はどこか適当なところに走りに行こうと考えた。どこがいいだろう。境川沿いは華がないし、横浜をポタるというのもヌルいし。ここは来年遂行予定のまぐろオフに備え、三浦半島南部を走ることにしよう。
 朝はやや早めに起きたが、なんやかやで手間取って、出発は結局10:00前。これでも、前回走ったときよりは1時間ほど早いのだが。
 BD-1を抱えて地下鉄、京急と乗り継ぎ、三崎口到着は11:00だった。空は良く晴れていて、風は少ない。今日は長袖シャツの上にジャージ、その上には昨日買ったジャケットを着込んだ。風を確実に止めてくれるので、非常に快適だ。
 まずはマグロだ。出かける前、三崎口近辺にもマグロ専門店があることをつかんでいたので、その店までまっしぐらに走った。猫缶状態である。
 その店、「ぢんげる」は、三崎警察署への下りにあった。入ったのは12:00前だった。昼前なので、既に客が何組か入っている。意外に空いている。店内は4人がけのテーブルが六つある。大人数は難しい。
 僕が頼んだのは鉄火丼。やまかけ丼(おろした山芋がかかっている)もうまそうだったのだが、今日はマグロの味を楽しめそうなこっちにしたのだ。頼んでから気づいたのだが、中おち丼という20食/日限定のものも、今日はまだ注文できそうだったのだ。次回、まぐろツアー遂行時に、可能だったら頼んでみたい。
 やがて出てきた鉄火丼。ご飯の上に鉄火が敷き詰めてある。鉄火が上質なのか、安い鮨で感じるような筋っぽさはまったくない。まさにとろけるような、歯を乗せただけで切れてゆくような感じだ。絶品。あまりのおいしさに、思わず記念撮影(笑)。
 別の客が、店員に「ぢんげるとはなんじゃい?」と聞いている。店員の答えは、「ドイツ語で歌手のことらしいです」とのこと。なるほど、singerか。ところが、帰宅して調べてみると、まぐろの一部位のことをそう称する、という情報もあった。どっちもが正しいのかもしれない。
 12:00過ぎに店を出た。城ヶ島への道を下ってゆく。今日は途中で油壷に向かうつもりだった。あるいは、このまま城ヶ島に入ることも考えた。ところが......あれ~、三崎港への下りに出てしまいました(爆)。なす術もなく下る俺様だった。結局、前回と同じく、短い激坂を押して城ヶ島大橋に向かった。
 時間があるので、城ヶ島灯台に向かった。完璧な観光地モードで、道の左右には土産物屋が建ち並び、呼び込みが姦しい。購買意欲が湧く光景ではない。
 3連休とはいえ年末、しかもクリスマス・イブ(非クリスチャンになんの意味がある)ということだからか、あるいはいつもそうなのか、客はごく少ないようだ。灯台は「ほぉ、灯台だねえ」というあっけらかんとした眺め。ところが、その足許には広い磯が広がっていて、散策する人々が結構目に付く。夏場にはよさげ。
 灯台から駐車場への帰り道、ふと饅頭が目に付いたので、二つほど買う。後でおやつするつもりだった。
 城ヶ島公園まで上り、公園内を散策する。前回は途中の休憩所で和んでしまったが、今日は島の東端まで歩いてみた。ちょっとした広場になっていて、展望台の他、足許の磯にまで下りてゆく階段もあった。展望台に上って遠くを見渡すと、北に三浦半島南端部(巨大風車など)が、南にはひたすらな海原が広がっている。空気は澄み切り、陽光冴え渡る初夏には、さぞかし気持ちいい眺めになるだろうと思った。
 展望台の軒下でお茶にした。風が弱いので、陽光が暖かい。
 さて、帰ろう。城ヶ島を出たら、一路剣崎へと走る。この辺、三浦海岸辺りまでは、俺基準では歯ごたえのあるアップダウンが続く。坂に激弱な僕は、もっともきつい上りで、とうとう押しに入ってしまった。それ以外は順調に駆け抜ける。交通量はさほどでもなく、快適に進んでゆける。
 三浦海岸に出ると、交通量がぐっと増える。北に向かう車線は、ほとんど渋滞している。路肩をスイスイ進んでゆくと、やがて工事で1車線に制限された区画に出た。これで渋滞していたのか。ここを抜けると、車の流れも滑らかになっていった。
 前回は、三浦海岸から久里浜駅に直接向かったのだが、今日は一度久里浜港に出た。こっちの方が、道が平坦になると睨んだのだ。しかし、火力発電所の近くでは、それなりの坂も待ち構えていた。しかし、直行ルートよりははるかに楽だ。
 久里浜港まで出て、開港橋で左折する。そして直進すると、ほら京急久里浜駅だ。駅前でBD-1を畳み、ホッと空を見上げると、冬の夕暮れが濃くなっていた。今日も楽しく走れたな。

2001年12月23日(日曜日)

Mobillyたんの真価が問われるとき

20時00分 自転車 天気:晴れ

 一晩寝て、いろいろ思い直すことがあった。やはり、昨日のうちに買って置けばよかった、そう思うものがあった。起きて、晴れ上がった寒空を見上げながら、再びサガミ&モンベルショップを襲う決意を固めていた。
 今日の自転車はMobillyたんだ。帰省時に持って帰るつもりだが、その前に性能を試してやろうと思ったわけだ。服はごくふつうにシャツ&セーター&ハーフコート、そして綿パンというもの。裾バンドで裾をまとめ、マフラーを巻き、頭にはヘルメットを被る。帽子だと、風で飛んでしまうのだ。さらに、トランス・アルパインを背負う。
 かまくらみちを経由して一路三ツ境に向かう。途中、新幹線と相鉄の高架を越えるのがチト難儀だが、それ以外はMobillyでも何ら問題は無い。いやいや、むしろBD-1より楽だったかも。速度は15km/hくらいだろうか。ここはやはりシングルギアなので致し方ないものだ。かくして、ロードバイクの5割増くらいの時間で三ツ境に到着した。交通量がそれなりなので、ロードバイクでもそうは飛ばせないのだ。逆に時速40km/hくらいで走るのなら、ロードバイクなら十分流れに乗れるかも(だが坂がなあ)。
 サガミ本店で、冬用グローブとMobillyたん用にサイクロコンピュータを購入した。後者は店員に聞いて、小径車に使えそうなのを購入。キャットアイのケイデンスセンサー付きの物だが、型落ち品なのかかなり安かった。フルサイズバイクの後輪に着けるタイプのものらしいので、ハンドルバーと車軸が離れている小径車でも、十分使えそうとのこと。
 三ツ境から、南町田へと向かう。境川まで歩道と車道をちょこまかと行き来しながら走り、そこから遡上する。昨日と同じコースと通ってみた。町田市境の未舗装路も難なくクリアできる。14*1.5程度と、ある程度幅があるからだろう。どっちかというと、陸上競技で言うピッチ走法に近い。回転数で距離を稼ぐ乗り方だ。ギアが軽いので、回すのに苦労はいらない。スピードが物足りなく感じるのだが、まあ漕ぎの軽さと進みのバランスからいって、この程度が無難だろう。物足りなくなったら、BD-1から外した56Tを着けてみようかな(重くなりすぎるか)。
 グランモールに到着。モンベルショップで自転車用上着を物色する。やはり、にち氏が昨日買ったウィンドブレーク機能付フリース(黒)が目に入る。手にとって買おうか考え込んだが、うろついているうちにZERO POINTの同じようなジャケットが目に入った。色的にはこちらの方が好みだ。結局、こいつを買うことにした。
 モンベルショップを出て、昨日と同じくスタバで茶をしばく。今日はジンジャーなんちゃらラッテというのを試す。コーヒーベースだが、ほとんど別種のソフトドリンクだ。
 スタバを出て、境川サイクリングロードに出ると、さらに町田へと走った。町田ではダイソー、ヨドバシによる。ヨドバシでCLIE用にメモリスティックとリーダーを買おうと思っていたのだが、今日は殺人的な混雑だったのでヤメ。替わりにプロアトラス2002、ウォルフシュタインR.T.C.を買う。Quake3エンジンを使って、あのウォルフシュタインが蘇る!(けどいつインストールできるのかね)。
 さて、日が暮れきる前に帰っちゃおう。境川サイクリングロードを、一路南下する。スピードは出ないが、漕ぎが軽いのでスイスイ進んでいる感じがする。精神的に非常に楽だ。ケイデンスは120rpmくらいだろうか、足をぐるぐる回して進んでゆく感じ。この走行をしばらく続けてみて、なにかをつかんだ気がした。場合によっては、ゆっくり踏みながら走る方が疲れないこともあるのだが、たいていの場合は回すペダリングの方が脚力を維持できるようだ。その代わり、踏む場合とは違う筋肉が疲労するのか、足が攣りそうになった。要するに、今まではあまり回すペダリングをしてなかったのだな。
 快調に突っ走った(といっても20km/h以下)結果、日暮れ前に高鎌橋にたどり着いた。疲れたような、そうじゃないような。しかし、長後街道のアップダウンを抜けるのはやはり骨で、交通量の多いいずみ野以東はちょいちょい押してしまった。あまり坂と戦う自転車ではないな。

2001年12月22日(土曜日)

三ツ境~南町田散財ミニオフ

21時00分 自転車 天気:晴れましたな

 さあて、いよいよ今年最後の3連休だ。正確には12/29から大晦日までも休みではあるが、気分的には最後の連休という感じがする。
 今日は、にち氏らと近所をうろつくことにしている。にち氏は瀬谷にあるサガミサイクルセンターを未訪ということで、じゃあいっしょに行きましょうという話になったのだ。サガミもNo.3という新店舗を作ったらしいので、近々行ってみたいと思っていたのだ。あわせて、南町田はグランモールに出来たモンベルショップ(元REIフラッグシップショップ)も襲おうということになっていた。
 出かける直前くらいまでは、Mobillyで出ようかと思っていた。しかし、今日のメンバーはみんな走りそうだ。輪行は無さそうだし、ここは俺様のひ弱な脚力をカバーできるロードバイク、TCR-2で出撃することにした。後々、この判断に感謝することになるのだ......。
 11:00に三ツ境駅北口という約束だったので、10:30くらいに家を出て、かまくらみちをひたすら北上した。約束の5分前には到着。しかしまあ、車が多くて狭くて嫌になる道だ。
 三ツ境駅北口というのは、かなり分かりにくい場所だった。他に候補がないから、という消去法でしか発見できないような場所だ。その近くにロードを止め、人待ち顔で立っていた。
 人々が現れては、消えてゆく。それを眺めながら、自転車に乗るようになって身に着いた習慣に従い、近辺の地勢をもじっくり観察した。元々、平地がほとんどない場所で、坂また坂という感じだ。坂も平気で20%くらいの坂があったりして、自転車に乗っていると鍛えられそう。ってぜんぜん鍛えられてない気もするけどな。
 やがて、白いウィンドブレーカを羽織った男性が、人を探している顔で通過していった。やがて戻ってきて「あの......」とたずねられる。参加者の一人、こぐ氏であった(なぜだか今日のオフの参加者は僕以外は皆ハンドルが2文字の人ばかりだ)。こぐ氏はBD-1Wにセキサイダーと俗称されるリアキャリアを装着している人の一人。にち氏も同じ構成なのだが、こんな構成の機械は日本にそう無い(セキサイダー自身が6基くらいしか製作されて無いようだ)。ある意味、むやみに濃いオフなのである。
 やがて、にち氏も現れ、それぞれのバイクを駐輪場に置き、サガミ本店に向かった。
 サガミに来るのは久しぶりだが、ほとんどロードバイク専用になっているのに驚かされる。ここで、それぞれアパレルやらパーツやらを物色する。ふと気づくと、12:00合流予定のはずのたか氏もいるではないか。なんでも寝坊して、午前中の予定が流れてしまったので、こちらには早めに参加できたとの事。
 結局、本店では僕がリアフラッシャー等、にち氏らはタイツやらエプロンやらを買っていった。
 昼飯前に、ということで、サガミNo.3を襲う。ここに来るのは、僕も初めてだ。サガミ本店から50mくらい南下すると、それはあった。広くてきれいな店舗で、主にMTBやら際物やらを扱っている。ここは冷やかすだけ。
 昼食は、緑園都市まで行こうという話もあったのだが、結局はサガミ本店1階に入っている店で済ませることに。思ったより本格的な料理が出てきて、値段はまあまあだったので満足気味。なんといっても、眼鏡っ娘のウェイトレスさんが良い(爆)。
 次は南町田はグランモールに出来た、元REIのモンベルショップを襲おうという事になった。道に詳しいたか氏を先頭に、僕が殿を守って(ロードバイクだとさすがに後ろがちぎれそうなので)走り出した。
 一行は順調に境川に達した。北上しはじめ、一般道が終わりかけたところで、たか氏が「どっち(の岸)行く?」と聞いてきた。ここで道順を勘違いした俺様は、この先右岸だと舗装が無くなると思い「右!」と元気良く返事した。たか氏はほくそ笑んだことであろうよ。町田市との境界に近いこのあたりは、ちょうど左岸側の舗装が途切れているのだ。ロードバイクで未舗装路に突撃する俺様であることよ。しかし、ロードバイクでも少々の悪路ならなんとかなる。
 やがて、たか氏は道の横に出ている階段に、自転車を担ぎ上げた。そこがグランモールへの近道であるとの事。その通り、200mくらいでグランモールに着いた。
 グランモールの駐輪場に、それぞれの自転車を停め、一路モンベルショップに入った。
 店はさすがに広く、品揃えも豊富だ。価格は引いてないようだ。しかし、購買意欲を駆り立てる場所ではある。しばし4人でうろつき、あれこれと品定めする。にち氏はサガミで買ったタイツと組む、適当な上着が欲しいようだ。ゴアテックを使ったウィンドブレークタイプのフリースか、ジャージを買うつもりで迷っている。周囲には悪魔が3人もいたので、買うことは決定したも同然だった。果たして、やがてフリースを購入。モンベルショップは俺様たちのおかげで売上を伸ばしたなあ(そうなのか)。
 だんだん日暮れてゆく空を見ながら、隣のスターバックスでしばしおやつタイムだ。ワタクシ、スタバ初体験でした。だって、良く行くところ(秋葉、町田、横浜)には、便利なところにないもん。
 ここで今日はお開き。こぐ氏は北上して町田経由で、にち氏は246経由だったかで、僕とたか氏はいずみ野まで南下して、それぞれ自走で帰ることに。北上するこぐ氏を見送り、にち氏を挟んで再び南下するわれらであった。
 にち氏と別れた頃、ついに本格的に日が落ちた。この辺をナイトランするのは初めてだ(いずみ野から南はあるが)。しかし、たか氏が飛ばす飛ばす。BD-1で30km/hは出してかっ飛ばすのだ。昼ならともかく、夜は怖い。ロードバイクに乗ってきたことに感謝しながら、いずみ野まで後を追った俺様であった。
 いずみ野で右と左に分かれ、僕は恐怖の長後街道を走りきり、なんとか帰宅。結構疲労した一日だった。

2001年12月21日(金曜日)

霙だ!

21時00分 暮らし 天気:霙

 昼下がりだったろうか。ふと外を見ると、なにやら天より降下しておるようではないか。雪だ! いや、雪には至らず、霙だった。それでも、シャリシャリと地に届くカキ氷のごとき物体は、外気温をさらに下げてくれた。下げなくていいんだよ! 夏に降ればいいものを、なかなか世の中うまく行かぬものだ。

2001年12月20日(木曜日)

ブレーキ利かないなあ

21時00分 自転車 天気:晴れ

 今日も今日とて、Mobillyたんに試乗する俺様だった。
 まずライトを替える。今着けているのは、Panasonicの単3*2タイプの暗めのライトで、元々はキワチャリに(いや、そもそもはBD-1に)着けていたものだった。このライト、ライト部とソケット部が一体型で、簡単には取り外しできない。そこで、なんとなく買ってあった(なんでや)キャットアイのHL-500IIを着け、不要なときは取り外しできるようにした。このライト、結構明るい。さらにモンベルの小型フロントバッグ(5lくらいのもの)を、ハンドルの手前側に着けた。前側は、ブレーキケーブルに阻まれて、うまく着かない。
 ブレーキが利かない原因の一つは、タイヤに充填した空気が高圧すぎることなのではないかと睨んでいた。このタイヤ、80PSI(だいたい5BAR)入るのだ。この空気圧を少し下げてみた。といっても、英式バルブなので、手でつかみながら「4BARくらいかなあ」などと空気を抜いてゆく、いい加減なやり方だったのだが。
 これで走り出す。乗り心地はほとんど変わらない。もともと、案外に衝撃が少なかったので、「まあちょっと良くなったかな」という感じだった。しかし、相変わらず止まらない。もっと下げなければダメだろうか。リム打ちが怖いので、これ以上は下げたくないのだが。
 よく走るのだが、良く止まらないのがちょっと怖い。ふつうに止まるのなら何ら問題はないが、急ブレーキ時が心配だ。
 14*1.5級で、もっと良いタイヤがないものだろうか、物色中である。
 ところで、LOROさんからは「ごめんなさい、銀行振り込み(もちろん手数料はLORO持ちで)で振り込んでください」という返答があった。なんだ、プレゼントじゃなかったのか(当たり前だっ)。明日、振り込むことにしましょ。

2001年12月19日(水曜日)

来た来た、新ミニチャリが

23時00分 自転車

 会社を速攻で退け、18:00には帰宅していた。LOROさんから注文の品が届くはずの日なのだ。ところが、帰宅すると、佐川急便からの不在通知が入っていた。無情、わずか30分前に来たようだ。佐川は時間指定が出来ないので、再配達依頼が面倒だ。指定日、一日中いなければならない。
 思い悩んで、営業所に電話して、今日中の再配達をお願いしてみた。すると、再配達してくれるということになった。佐川はシステム的にしょぼいのだが、対応は概して親切だ。
 20:00前、上記の100円電球騒動でやや消沈している俺様の耳に、軽やかなチャイムの音が響いた。果たして、佐川のおじさんが二つの荷物を持ってきてくれたのだ。送り主はLORO。間違いない。
 代金引換で依頼したので、佐川の人に金を渡そうとした。すると意外なことに、「これは通常便ですよ」と告げられ。サインだけ受け取って帰ってしまったのだ。代金は、いったいどうなるのよ。そうか、これはLOROさんからのビッグなクリスマスプレゼントなのだ!(そんな訳ないない)。戸惑う俺様であることよ。
 ともあれ、開梱してみた。箱の一つにはBD-1用ブラックスポークホイール(XTハブ)前後、MAXXIS Birdyタイヤ*2、新発売のBD-1用リアキャリアバッグが入っていた。もう一つの箱には、青い小型バイクが折り畳まれて入っている。これがMobilly Micro Bike(これが正式名称らしい)だ。
 早速、Mobillyちゃんを出して、展開してみた。うむ、小さい。折り畳むと、側面サイズは
キワチャリ以下になる(厚みはある)。しかし、キワチャリよりはるかに乗りやすそうだ。
 いそいそとグローブを着け、Mobillyちゃんを外に持ち出し、運動公園の周りを一周してみた。意外なことに、結構スピードが出る。20km/hくらいまでなら、楽に出せそうだ。巡航速度は15km/hがいいところだが、漕ぎが意外なくらい軽い。まだ新しいせいもあるのだろうが、基本的に回転させるペダリングにチューンしているようだ。いいなあ、これ。
 正月には、これをもって帰省しようと思う。
 ついでにBD-1も貼り。

弱いよ100円電球

19時00分 暮らし 天気:晴れてますがな

 数日前、家の玄関の上にある照明が、電球の寿命かなんかで切れてしまっていた。んで、替わりの電球を、ダイソーで入手していたのだ。ダイソーで売っていたことから分かる通り、100円電球だ。いったいどんなのだと思って開けて見たら、中身は韓国製の、小型平頭電球(球じゃないな)だった。なるほど、こうやってコストダウンしているわけね。
 早速着けてみた。うむ、意外にも明るさはさして変化しないな。外套部で十分に散光しているからかもしれない。そう思いつつ、何度か点滅させていると、あ、切れました(爆)。弱っ! 根性のない電球だ。それとも、ソケット側の問題なんだろうか。
 とにかく、必要度は低いのだが、また近いうちに替えなけりゃならなくなった。

2001年12月18日(火曜日)

今年もあと2週間足らず

22時00分 暮らし 天気:晴れ

 今年もあと2週間を切ってしまった。今年もいろんなことがあったな、などと思い返すひまも無いくらい忙しい。雑用ばかりが積みあがってゆく感じだ。
 週末には3連休が待っているので、中日にはちょっと遠乗りしてみようかと思っている。北鎌倉~三浦半島ルートに再挑戦してみるか。

2001年12月17日(月曜日)

ミルメーク

00時00分 暮らし 天気:晴れが続いている

 昨日、ダイソーで買ってきたミルメークを試す。8袋入りのパックを開くと、褐色の顆粒が詰まった袋が出てきた。これをカップに入れた200cc足らずの牛乳に投入する。冷たく冷やしていたにも関わらず、さっと溶けてしまった。これはこれで、結構凄いかも。
 溶かしきると、ほのかに色が着いたが、予想したほどではない。これで本当に「コーヒー牛乳」になったのだろうか。
 一口飲む。うむ、ほのかに甘い。ベタに甘いというわけではない。残念、コーヒー牛乳的な下品なまでの甘さを期待していたのだが。あるいは、牛乳を冷やしているせいかもしれない。でも、学校給食に供するというのだから、いかにも体に悪そうなベタ甘いのはダメなんだろうな。
 しかし、なんとなく病み付きになりそうな、不思議な飲み物である。

2001年12月16日(日曜日)

町田まで走った

20時00分 自転車 天気:晴れ

 今日も今日とて良い天気である。晴れた日にはサイクリングに限るのである。ということで、TCR-2にまたがって町田まで走ることにした。
 昨夜届いたサイクリング用新装備の中に、スペシャライズドのレッグウォーマ、アームウォーマがある。寒がりな俺様には必須のアイテムだ。アームウォーマは長袖Tシャツの上から、レッグウォーマは素肌に直接着てみた。ずいぶん暖かく感じる。特に膝はいつも冷え気味なので、これのおかげで楽になりそうな気がする。その他、上はジャージにチェックのシャツ、下はパッド入りインナーとバイカーズパンツライト。この間買ったジャック・ウォルフスキンのViper(20lくらいの中型リュック)を背負った。これに加え、腕にPOLARの心拍計(A5という製品)を着けた。これで心拍が上がりすぎないように気をつけるのだ。この心拍計、時計も兼ねているので、非常に便利だ。半日走った限りでは、心拍は170くらいまでは上がるようだ。
 1:00過ぎにTCR-2を長後街道に走らせ、高鎌橋から北上し始めた。膝の調子がいまいちなので、暖めるつもりでそろそろと漕ぎながら30km/h足らずで流す。MTBではこの領域はがんばっている方だが、ロードでは割と楽々だ。
 何度か見かけた同好の士(この寒空に好き好んで自転車を走らせる人々)に、軽く会釈する。すると、意外に反応が良かった。挨拶ぐらいはしよう。
 町田まで、だいたい1時間くらいで到着した。今日は横浜線を越えて、市街地に入った。例の巨大100円ショップ、ダイソーに入って、下の階から舐めるように見て回った。いやはや、全部の商品が100円だ!(当たり前だって) ちょっとしたバッグや容器、食器まで100円で売っている。食品関係は、さすがにスーパーの売り場とかけ離れた値はついてないが、あまり見かけなさそうなものがいくつかあった。ミルメークという牛乳に溶かしてコーヒーの味をつけたりする添加物、これは学校給食でよく出ているそうだが(広島には無かったなあ)。ゆで3分でアルデンテな(かどうかは知らないが食せる)パスタ、これはツーリングで昼食時に便利そう(でも冬はうどんにするだろうな)。他にも、むしろ駄菓子屋にふさわしいモノが並んでいる。面白そうなものをいくつか買って、値段は630円。ほとんど遠足のおやつ感覚である。バックパックはありがたかった。ダイソーを出たところで、なんだか寒くなってきたので、ウィンドブレーカーを羽織った。
 帰路、日が暮れかけている川縁のベンチ(というか陶器製の椅子)に腰掛け、エスビットでコーヒーを淹れていた。すると通りすがりのジョギング中の男性が、「何キロ走りました」と聞いてきた。「何キロ(で)走りました」と聞こえたので意味を取れず、聞き返すと、通り過ぎようとしていたその男性はとうとう足を止めた。それからしばらく、頓珍漢な会話が続いたが、最終的には(漠然とした出発以来)何キロ走ったか、という意味だと理解できた。「30kmくらいです」と答えると、「ジョギングだと1km走るのにも時間がかかる」というようなことを述べた。なら自転車に乗ってはどうでしょう? いやいや、ジョギングにはジョギングのよさがあるんだろうな。自転車じゃ気づかないような風景も、きっと目に入るんだろう。
 ゆっくりとコーヒーを喫し、再び走り出した。高鎌橋まで1時間強で到着し、ここでライトを装着、ダイクマに立ち寄った。ダイクマで小型のナイフと携行ストーブ用ボンベを購入。前者は工具としても使えそうなので、サイクリング時に携行するつもりで買った。
 少し、足に疲労を感じつつ、帰宅した。

2001年12月15日(土曜日)

深夜の観望

23時55分 星見

 NHKスペシャルは、ロシアがうまくいってないんだよ、という現状レポートだった。70年もの歴史を持つ共産主義時代の思考から、頭をすっきり切り替えるには、やはり時間がかかるようだ。
 テレビを見て、風呂に入って一息つくと、もう日付が変わる頃だ。昨夜と同じく、ミザールの20*80をベランダに出して、オリオン座界隈に向けてみた。
 今夜も、昨夜と同じく凄い透明度だ。どこに向けても、微光星が群れて見える。M42の散光は今夜も強く、トラペジウムもぎりぎり分離して見えた。M41もかなり多くの微光星が見える。昨日見えたM93らしきものは、今夜も良く見えた。位置的には他にNGCナンバーもMナンバーも居そうに無いのだが? 望遠鏡をシリウス、プロキオン線上を移動させると、M50らしき天体も見つかった。が、今夜は微光星がいくらでも見えるので、本当に散開星団なのかどうかは判断しにくい。

秋葉で買い物

23時00分 デジタルギミック

 上野から秋葉に出て、前から欲しかったモノをついに入手する。一つはTOMYのビットチャージ。超小型のラジコンで、充電器を兼ねたコントローラーとセットで手のひらに乗るくらいだ。しかも値段は3000円足らず。これは九十九電気ロボット館で入手した。
 もう一つはSONYのCLIE T600C。今使っているWorkPadC3(PalmVx相当)の電源スイッチがそろそろ怪しくなってきたので、買い替えの時期に来たと思った。市場にはPalmとその互換機が溢れているが、T600Cは高精細のカラー液晶を搭載し、16MBのユーザ領域を確保しながらも、PalmVxより薄くて小さい筐体を実現している。気に食わないのは拡張スロットがメモリスティックなことだけだ。しかし、現時点では一番魅力的な機種だ。ええい、SONYめ、罠に落ちてやるわ。俺様も、とうとうメモステ路線に屈服することにした。といっても、CLIE以外では使う気はさらさらないが。こちらも九十九電気本店で購入した。
 用を済ませると、BD-1で東京駅まで走り、帰宅した。
 早速、ビットチャージを組み立てる。説明書に沿って、モータとギアボックス、ギアを組み、車体に組み込んだ。充電器兼コントローラに単三電池*2を入れ、45秒間充電する。板張りのキッチンの床に置いて、コントローラーを前進にすると......。うははは、走る走る。ちゃんと走る。しかも、意外にコントロールしやすい。いいなあ、これ。ちゃんとしたコースでも組むと、またはまっちゃいそうだ。
 T600Cは液晶が大変見やすい。が、バックライトをオフにすると、やや暗い場所では見にくくなる。まあ、そのためのバックライトなんだから、あんまり問題にはならないと思うが。またユーザ用のメモリスペースに15MBも空きがあるので、小さなPalmwareならいくらでも入ってしまいそうだ。もっとも、辞書の類を入れると、さすがにかなり埋まってくるのだが。GPSエクステンションを買って、メモステに地図データを入れておくという運用だと、今のロカティオよりさらに使えるように思う。GPSの出来次第だ。

寺田商会でBD-1を60T化

17時00分 自転車 天気:晴れ

 今日も今日とて晴れ晴れした冬晴れのいい天気だ。しかし寒いのである。まだ氷点下には下がってないが、山の上では日が翳るとすぐに一桁だろう。ちょっと山サイは春先まで無理だ。
 今日は浅草近くの押上にある寺田商会で、BD-1のチェーンスプロケットを60Tのものに交換してこようと考えた。以前からメールで前2枚化を含めて相談していたのだ。
 出かける前、BD-1のリアキャリア、ステム周りのワイヤソケット、ボトルケージを外しておいた。何日か預けることになると予想していたのだ。
 昼過ぎにBD-1に乗って出発。立場駅、戸塚、上野と乗り継ぎ、上野から浅草通に走り出した。
 浅草通りを東進すること30分ほど、橋を越えた商店街の一角に、寺田商会はあった。案外に小さな店で、中には自転車がぎっしりと詰まっている。親子で切り盛りしているようだが、息子さんの方に対応していただいた。
 BD-1を店の前に止め、横浜の竹本ですと告げると、すぐに話は通った。ただし、「フロントのダブルは無理ですよ」とまたしても釘を刺される。60Tのチェーンリングはすぐに出てきて、その場で交換していただくことになった。この60T、たぶんスギノの60T(良く流通しているもの)が元なのだろうが、外周部に穿孔してあって、軽量化と個性化を図っている。これをつけるとチェーンガードが着かなくなるが、それは大きな問題にはならないと思った。チェーンオイルをルブに変えてから、チェーンを持ってもあまり汚れなくなったからだ。
 作業の間、外にあったタルタルーガに跨ってみた。思ったとおり足つきが良く、普通に走れそうだ。ただ、クランクの位置が遠く、身長167cmの僕にはきつそうだった(断じて足が短いからだとは認めんぞ(`~´))。もうちょい短いクランクに替えたらいいかも。どうせ踏み込むよりは、回すペダリングになるだろうし。
 他にもいろいろ面白い話を聞いた。なんでも、ここで特殊仕様のBD-Xを組むことがあるとか。近くにミズタニサイクルがあるのだが、輸入するBD-Xの中には部品の不良で、市場に出せないものがあるらしい。そういうものを引き取って、ここでパーツを替えて売ることがあるらしいのだ。例えば、その場にBD-3改というのがあったのだが、それはSachsのディレイラーに問題があったBD-3のリアホイール周りを、BD-1Wと同仕様(DEORE9速仕様)に替えたものだ。すると、オリジナルのBD-1よりは多くのパーツのグレードが上で、なおかつ価格的にもそんなに高くはならない(BD-3よりは安くなる)というものができる。お買い得感があって、良く売れるらしい。同様に、初期BD-1Wにはフロント台座に問題があり、市場に出せないものがあったらしい。そのチェーンホイール周りをBD-1と同仕様にしたものとかもあったらしい。BD-1WSとでもいうべきか。
 作業してもらいながら、フロントのBB、クランクの交換についても相談する。XTなりUltegraなりにすれば、オリジナルの状態より軽くはできるようだ。が、BBには種類が多く、結構ややこしそう。今は在庫が切れていて、今日の交換は無理だそうだ。やっぱり、BB、クランク周りの交換は、時期を見てショップに依頼しようと思う。
 寺田(若)氏が我がBD-1を見て「お金かけてますね」といった。まあ、結果的にですけど......。
 店内には、寺田オリジナルのミニベロが展示してある。それに興味を示すと、試乗車を出してくれた。太いタイヤを履いたタイプだが、走りはそれなりに軽く、またサスが無いのに振動をあまり拾わない。角が丸くなる感じだ。クロモリフレームにクロモリフォーク、この組み合わせが効いているのだという。店のお勧めはより細いタイヤを履かせたロードタイプのようだ。重さは10.5kg程度。ちょっと重いが、タイヤが小さいので輪行は楽かもしれない。これで前後バッグくらい載せられるスポルティーフを組んでみたくなった。それでも20万円程度で組めそうだ。うーん、暖かくなってきたら考えるか。
 それにしても寺田(若)氏は親切だ。
 店を出て、また上野方面にBD-1を走らせる。60Tの違いはすぐに分かり、いつもより1段、とはいかないが、ちょっと重いギアで踏んでいる感じがする。今まで、長いくだりだとすぐにギアを使い切ってしまっていたのだが、これだともう少しがんばれそうな感じだ。上りはさらに苦しくなりそうなので、奇策手動ディレイラー(変速時には降りて手でギアチェンジする)で60T+44Tくらいにしちゃおうかとも思う。適切なチェーンラインを設定できるだろうか。そのうち、試してみよう。

2001年12月14日(金曜日)

ベランダにて

23時55分 星見

 風呂から上がり、外に出てみると、頭上には透明な冬空が広がっている。ベランダに、久しぶりにミザール20*80を出した。このところ、Canon 18*50ISばっかりだったからな。
 さすが、集光力の近い故、18*50ISとは違った夜空が見える。M42の散光は迫力ある。M41も、目を凝らしていると、だんだん微光星が増えていくような塩梅だ。
 気になる星は、おおいぬ座のさらに東に見えるボヤッとした光の塊だ。球状星団にも、小さな散開星団にも見える。この辺りにあるのはM93だが、こんな感じだったっけ? さすがに望遠鏡を出す気力はなかったので、今夜はここまで。

今日もグルグル

23時00分 自転車 天気:晴れ

 今日の帰宅も遅かったが、今日も今日とて運動公園で10kmコースを走ったのだった。今日の出撃はTCR-2、コースは逆コース。いつもなら5周毎に休みを入れるのだが、冬は汗が冷えるので10周一気に走った。ロードバイクの場合、疲労度が少ない気がするので、10周2本くらいでいいかもしれない。

2001年12月13日(木曜日)

なんもできんがな

22時00分 暮らし 天気:雨

 今日も忙しい一日。帰宅してもなんもする気力が湧かないではないか。うんざりしちまうぜ。飯を作る気にもならないので、コンビニで調達して帰る。そういえば、昨日までは吉野屋250円セールだったんだ。

2001年12月12日(水曜日)

MTBで行きましょう

22時00分 自転車 天気:晴れかな?

 今日も帰ってから運動公園の周りを自転車で回ってきた。今日はBD-1の出撃だ。スプロケットとディレイラーをXT化してから、快走度がかなりアップした。走っていて気持ちがいいのだ。ビンディング導入も影響しているかも。
 今日は順コースを10周走ってから帰宅。スケボーの若い衆は今日も居た。もしかして、あれも練習しているのか? こちらは、ライトがLEDなので前がよく見えず、暗い道ではそんなに飛ばせなかったのだが。
 帰宅して、そういえば体重計がないことに気づいた。いや、前から何度も買おうと思っているのだが、重いので持って帰るのが面倒で。ついつい買いそびれていたのだ。そろそろ買っておかないと、せっかくの運動の効果が分からないじゃないか。

2001年12月11日(火曜日)

どうやって帰省しよう

21時00分 暮らし 天気:雨ですか

 年末の混雑状況を見ているのだが、少なくとも新幹線は12/29以降は軒並み売り切れだ。まあ直前にキャンセルがあるだろうし、ここ数年は自由席も十分空いているので楽観しているけれど、自転車を持って帰るつもりだからなあ。盆にはあまり苦労しなかったが、年末年始はどうなることやら。やめるか、あるいはマイクロ14の方を持って帰るか。悩むところだ。

2001年12月10日(月曜日)

今日はMTBで

23時00分 自転車

 今日も自転車で運動公園の周りをぐるぐる回ってきた。深夜だったが、駐車場にはスケボーにいそしむ若者の姿があった。
 今日は中量級MTB、HardRock号の出撃である。前フォーク+アヘッド内蔵のダブルサスのおかげで、かなりふわふわの乗り心地だ。手首に一番優しいバイクになってきた。
 今日は逆方向に走る。登り坂でダンシングを試みるが、フニャフニャのステム周り故に全然ダンスになってない。立ち漕ぎもいいところだ。基本的には、シッティングのみで走るバイクになっている。
 金があれば、10kg台後半くらいの、もっと軽くてしなやかなバイクが欲しいんだけど。

今度はミニチャリだ

19時00分 自転車 天気:晴れてたような

 いやまあ、仕事の忙しいこと。いつも3人(+新人1人)のチームで仕事しているのだけど、そのうち2人は大手顧客のトラブルで張りつけられ、ラインの仕事をしているのは俺様だけ。その俺様にさえ障害調査のお鉢が回ってくる始末だ。もう、どうすりゃええねん状態である。
 その鬱憤が溜まったのか、帰宅してLOROサイクルに新自転車を発注してしまった。MR-4Fか? いや、マイクロ14という29800円の自転車なのです。折り畳むとトレンクル並みのサイズになる。重さも8.5kgと健闘している。キワチャリのように特殊な評判(笑)は耳にしない。ふつうに乗ってそこそこ乗れるバイクらしい。トレンクルが欲しいと思ったことは何度もあるし、周囲にトレンクラーが増えているのも確かなのだが、とても手が出ない。6500買うくらいならMR-4Fと交換用パーツを、7500でも悩んでMR-4Fを買ってしまうだろう。僕の乗り方では、一番必要なのはBD-1よりもっと足の長いフォールディングバイクなのだ。しかしすぐには手が出ないので、このセグメントで安いバイクを買い求めたわけだ。
 併せて、BD-1用の新ホイールも発注してしまった。XTハブで組んで、スポークはすべて黒いので組んでもらう。タイヤはMAXXISのBirdyタイヤを履かせよう。こっちはツーリング向けの固くて軽い走りのために、今のは見た目重視のポタリング中心のために使い分けようと思う。BD-1のためにそこまでしますか、アナタ? でもしたいのです。後はBB周りとホイール周りだけ。そこで打ち止めにしようと思う。前2枚化は諦め(でも緊急用の手動変速(笑)のために60T+44+くらいの物を組むかも)、チェーンリング60T化で高速ツーリング向けにしようと思う。
 それにしても、もうBD-1をもう1台買える金はかけたよなあ。

2001年12月09日(日曜日)

NHKスペシャル「日本人遙かな旅」"そして日本人が生まれた"

23時00分 テレビ

(書いてます)

俺様、南進ス

19時00分 自転車 天気:晴れ(だが寒い)

 前日、結構早めに寝てしまったのは、早起きして遠出するためだったのだ。予定起床時刻をやや過ぎて、起きたのは9:30。身支度をして、11:00に出立する。出る前にVAAMを服用する。
 今日の服装は、速乾性の長袖Tシャツに、サイクリングジャージ、チェックのシャツ、フリースと重ね着し、下はパッド入りインナーにバイカーズパンツ。こういう構成の方が、温度調整はしやすいようだ。これでヒップバッグを背負っていった。
 今日は快晴で、境川サイクリングロードは、すっかり冬支度を終えていた。
 本当は北に、境川の源流側に行きたかったのだけど、ちょっと海を見たかったのと、鶴岡八幡宮の大銀杏を見たかったので、南に進路を取った。
 江ノ島周辺は、なんだか知らないが暴走族が群れていた。目の前を通っても、警察はしらんふり。無能を通り越して、哀れですらある。警察の役目は善良な市民から暴走族を守ることか、そう問いたいぞ。
 海岸の道をひた走り、やがて鶴岡八幡宮に着く。コンビニで昼食を買い、コンビニ前でぱくついた。
 鶴岡八幡宮には自転車を持ち込めないので(特にシーズンだから拙かろう)、ちょっとだけ無断駐車して、奥に入った。駐車場所は源平池という、なんだか怨念を感じる名前の池のほとりだったが、上から紅葉がハラハラと降ってきて、なんだか詩的な眺めだった。八百年の時は、源平双方の怨念をも清めてしまったのか。
 奥まで入り、大銀杏を見てきた。源氏政権の興亡と、新田軍による鎌倉の陥落とを共に眺めてきたこの大樹は、今年も変わりなく黄色い落ち葉を散らしていた。
 さて、この次は相模川まで走るか。江ノ島までの間に横たわる二つの坂を越え、遊歩道に入る。ロードバイクの細いタイヤが、砂地に足を取られないか心配だった。が、案外にすっと進んで行く。細さより、ホイールの行き足が問題だと思った。BD-1が弱かったのは、そのせいかもしれない。
 終端までバーっと走り、折り返してお茶する場所を探す。結局、前にも喫茶した場所の近くに陣取った。海岸にまで母子が降りて、遊んでいる。自転車を止めた展望台には、なにを語らっているのかお年寄りの二人連れが海を眺めていた。コンクリートの護岸壁に腰を下ろし、さてコーヒーを入れるかと思ったのだが。あれ、カップを忘れてきてしまった。ダメじゃん。しょうがないので、水を飲みながら、キットカットをポリポリむさぼった。
 時刻は15:00前。早くも海には夕暮れの気配が漂い始めた。それと、雲がやや多くなってきた。陽が陰り、肌寒くなる。ヒップバッグからウィンドブレーカを取り出し、さらに重ね着した。
 海はやや鉛色になってくる。そこに時々日がさっと差し、しかしすぐに雲に負けて徐々に衰えて行く。それを見ながら、終わって行くのだと思った。終わった、ではなくて、終わって行く。日々、終わって行くのだ。今日も一年が終わって行き、明日もまた終わって行く。そして年が明けても、同じように日々終わって行くのだ。終わることは既に前提であり、それを日々確認して行く。なんとなく、バラードの小説に感じるもの憂げで乾いたリズム、それは案外に自然界に共通するものなのかもしれない。僕たちだけでなく、自然も、あらゆる生命も、そして宇宙すら、少しずつ終わって行くのだ。
 一息ついて、帰路をたどり始めた。遊歩道を引地川まで舞い戻る。走りながら、あ、足が足りないと思った。足を使いきって、全然速さが伸びないのだ。なんでだろう。ロードバイクだと、疲れていてもそれなりに頑張れるのが災いしているのかもしれない。鎌倉への行き来で、坂越えの時にかなり頑張ったのが響いているのかも。それにしてもひよわな俺様だ。こんなことじゃ峠は無理っぽいな。
 引地川沿いから国道に出た引地橋で、北方に見事な紅葉発見。案外に、こういうものは足元に転がっているものなのかもしれない。
 境川まで走り、サイクリングロードを北上する。やっぱり、足が全然足りません。途中、飯田牧場で休憩を取る。ミルクのジェラードがおいしかった。が、これで回復するわけでもない。シャリバテでもないようだ。ロードバイクに乗っているのに、20km/hくらいしか出せない。なんとかノロノロと走り続け、ようやく帰宅した。それと同時に、疲れきっていたので爆睡してしまった。体、もう少し鍛えましょう......。

2001年12月08日(土曜日)

葛の湯

23時55分 暮らし

 深夜、久しぶりに久遠氏とチャットで話す。久遠氏が、いきなり『会社の隣に温泉がないか』と尋ねてきた。なんじゃそれは。聞いてみると、この辺(戸塚)に大きな銭湯があるだろうとのこと。ははあ、ピンと来た。それは葛の湯のことだろう。
 葛の湯は、踊場にある巨大銭湯だ。最近流行りの(流行りなのか!)スーパー銭湯という奴だ。いくつもの風呂があって、テナントに寿司屋まで入っている。中で暮らせそうな施設だ。
 久遠氏いわく、『そこで忘年会はどうか?』 そりゃ無茶だろう。なんというか、すげえ貧乏くさくないか? 浮き世の不景気さを実感するようなオフになりそうだ。しかし、長後街道沿いは、結構店が多いので(吉野屋もあるでよ)、オフるには案外にいいかも。終わった後は湘南台に出て、湘南台公園で明け方まで雑談な(死ぬ死ぬ)。

BD-1ML忘年会

22時00分 自転車 天気:晴れ

 今日はBD-1MLの忘年会がある日。昼前に目覚めたら、引地川源流に行ってこようかと思っていたのだが、昼過ぎに目覚めたのでその気はなくなり、しばらくボーッとして過ごした。
 家を出たのは15:00前。忘年会は18:00からだが、それまで秋葉を偵察しようと思ったのだ。
 年末の秋葉は、例年のごとく人出が多い。既に買う気になっているCLIEとLibrettoを見て回ったが、還元を考えるとヨドバシやトップカメラの方が安そうだ。ボーナスが出たら、水曜日辺りにヨドバシに行ってこようと思う。
 忘年会は飯田橋である。飯田橋の、目的の店に入ったのは15分ほど前だが、既にオークションの受付が始まっていた。僕もブツを三つほど、タイオガのブレーキブースター、シマノのSPD-Rペダル、そしてBD-1のオリジナルステムだ。最後の品は、果たして売れるのか半信半疑だったのだが。
 忘年会は18:00を少し過ぎて開始された。隣に座った長月氏とお話ししながら、時々料理を取りに行き、ビールを飲む。周囲ではすげえ濃い話が展開されている。ちょっとついてゆけんな。
 やがて、おの氏が前に出て、今年活躍した人々を表彰することになった。にち氏も顕彰される。
 そしてオークション開始。品が50点を超えているとかで、残り1時間で捌ききれるか懸念されたが、とにかく売れそうなもの、かさばるものから捌かれ始めた。BD-1用60Tチェーンリングが3000円とかいった値段で売れてゆく。いくら不用品とはいえ、これは安すぎ。僕も寺田の60T(軽量化のための穴開きで軽い)を知らなかったら、こいつは入手していただろう。
 僕の出した品もすべて売れる。ブースターは長月氏に、ペダルも売れる。が、ステムが売れてしまったのにはびっくりだ。後にMLで聞いてみたら、Cタイプステムからの乗り換えで、中継ぎに使うんだとか。
 オークションも(驚くべきことに)時間内に終わり、忘年会はおしまいとなった。その後、店周辺にたむろし、じゃあ2次会という事になったが、僕は眠かったのでこっそり戦列を離れた。なんか、充実感ともの足りなさ(2時間は短い)が交差する結果となった。

2001年12月07日(金曜日)

師走ですか

21時00分 暮らし 天気:くもりか?

 今日はまさに師走を実感できる一日となった。前から開発製品の検査を担当していたのだが、ここ数日はそれに加え、客先で発生している障害の調査にも駆り出されることになった。これがもう煩雑で煩雑で。要するに客と同じ環境を作らなければならないのだが、そのためにはいくつもの製品をインストールし、セッティングを行い、テスト用のアプリを組み込まなければならない。先生、もうやってられません! ってな気分だ。
 これが年末まで続くのかね。さすが師走、という感じである。

2001年12月06日(木曜日)

ダメやんWindowsクラスタ

21時00分 コンピュータ 天気:雨

 お仕事で、Windowsクラスタというものを扱ってござる。こいつは複数のWindowsOSの共通資源(ストレージやプロセス)を管理し、例えばある機械であるプロセスが死んだら、別のプロセスで代替プロセスが立ち上がる、なんてことを実現するものだ。実は、自分で使ってみたのは初めてだ。
 他のOSでも流行しているクラスタリングだが、WindowsクラスタはWindowsOSらしくとっつきやすい管理プログラムが用意されている。それはいいのだが、このプログラムが死ぬ死ぬ。ちょっと新しいリソースを定義しようとしただけで、あっさり逝って下さるのだ。いちおう、リソースの定義は出来ているようには見えるのだが、本当にそうなのか不安になる。顔ともいうべき管理コンソールがこれじゃあなあ。しかも標準では2ノードまでしか使えず、それ以上の構成の場合は高額の費用がかかる模様。実質、2ノードで使うものらしい。Linuxクラスタリングなら1024ノードとかでもタダだが。2000やXPでは変わっているのだろうか。ありそうにない話だ。おまけでしか無さそう。
 こんな心許ないWindowsクラスタでも、元々頼りないWindowsOSになら劇的な効果があるので、それなりに需要があるらしい。どう考えても、企業のシステム部門"だけ"が楽できるものにしか見えないが。こんな環境でうちの製品を使って、なんらかの障害が出たらどうするのだろう。開発部門が原因究明に苦労するのは目に見えているぞ。MSがほいほいと情報を開示してくれるわけではなく、しかも開示には必ず費用を伴う。高度な技術が多用される現状では、オープンソースな環境の優位は目に見えているんだけどな。

2001年12月05日(水曜日)

立場~湘南台周回ルート

21時00分 自転車 天気:くもり

 会社で年末までの仕事を打ち合わせたが、煩雑な仕事ばかりで嫌になる。まあこうやって稼いでいるわけではあるが。
 定時退勤日だったので速攻で帰宅し、TCR-2で新ルートを試してみた。まず長後街道を境川まで走り、境川サイクリングロードを湘南台まで南下、湘南台から湘南台立場線を通って帰宅するというルートだ。
 19:00過ぎ、長後街道は相変わらずの車の多さだ。車はともかく、早く拡幅して欲しいなあ。ようやく、戸塚から立場までは拡幅に着手されたようだが。
 境川まで突っ走り、境川サイクリングロードを南下する。気分的に夜の公園を覗いてみたかったので、湘南台公園まで走った。
 公園の東口にTCR-2を止め、時計を見ると、まだ15分弱しか経ってない。ぅゎぁ、早すぎ。こんなんじゃ運動にならない。もう少し南下して引き返してくるなりのルートを考えなきゃな。境川と並走している国道を含んだコースとかな。
 が、帰路は坂がてんこ盛りのハードなコースとなった。BD-1だと、何度も押したなあ。ロードバイクだと、なんとかよじ登れる。スルスル登ってゆく感じだ。が、とうとうチェーンリングをインナーに落とした。
 帰宅して時計を見ると、40分くらい。帰路にかなり時間を掛けた計算だ。距離は10km。止まっていた時間を除くと、だいたい20km/hくらいで走ったわけだ。もう少し長いルートを探してみようか。

2001年12月04日(火曜日)

寒い雨

21時00分 暮らし 天気:雨

 今日はずいぶん久しぶりに雨の日だった。いや、ちょっと前にも降ったかもしれないが。出勤時、ズボンの裾を濡らす雨粒が、さらに冷たく感じた。
 気候のせいか、なんだか気分の重い日が続く。

2001年12月03日(月曜日)

会社休んで

21時00分 自転車 天気:晴れ

 明け方、ふと目覚めると、体が布団から出て、冷え切っている。うーん、と唸りながら、枕元にあったウーロン茶を一口飲み、また眠りに落ちた。
 目覚し時計が鳴る。また、うーん、と唸りながら起き出したが、体が異様に重い。冷やしすぎたか。絶不調である。しばらく寝床をのた打ち回り、会社に電話を掛けて年休を取り、熱いコーヒーなどを喫しながら寝たり起きたりしていた。
 ようやく復調したのは昼頃、気温が上がってからだった。相変わらず8割頭だが、なんとか寝床を抜け出した。このムカムカした不快感を一掃せねば。
 昼飯を食らい、またしばしうとうとした後、気がついて(あるいは触れて)ちょっとサイクリングに出かけた。サイクリング、便利な言葉だ。遠乗りだろうと近乗りだろうと、ハードだろうとダラダラだろうと無差別に使える。
 TCR-2にまたがり、境川まで走る。ちょっと日暮れまで時間があったので、町田へとまっしぐらに走り出した。
 境川サイクリングロード、川沿いの一般道を駆け抜け、綾瀬市、大和市、やがて町田市へと入った。日が暮れ始めている。時々、ふらついているおばさんや若い衆をパスし、1時間強で町田市街へとたどり着いた。1時間20分くらい。ゆっくり回したのだが、案外に早く到着できた。そして少し休んだだけで、今度は折り返す。
 後ろのポジションライトが点灯し始めた頃(自動点灯なのだ)、前のポジションライトも点灯させた。まだまだ日はあるが、夕焼けが始まっている。たそがれ時がやってきた。下りはやや飛ばし、高倉橋まで1時間ほどで到着した。ここでフロントライトを着ける。ポジションライトの陰になるので、ポジションライトは外してしまった。ここから立場までの長後街道は、やや上り気味なためもあって、行きより苦しく、危険だった。横から無灯火の自転車は飛び込んでくるし、常用するといつか事故を起こしそうだ。
 上りも下りもダンシングで必死に走り、なんとか帰宅する。
 帰宅して、前のポジションライトの取り付け方法を変えると、ライトを遮らないことに気づいた。これでMTBとTCR-2とで、充電式と乾電池式のライトとをそれぞれ共用できるようになった。

2001年12月02日(日曜日)

久しぶりに横浜をポタる

21時00分 自転車 天気:晴れ

 昨日のおでんオフの影響を免れてない頭で起きる。時間は昼前だが、まだ少し寝足りないような気分だ。
 しばらく起きたり寝たりしていたが、空があまりに青いので、横浜でもポタるかという気分になった。
 今日はリアキャリアバッグではなく、ヒップバッグを背負って家を出た。BD-1で立場駅まで行き、BD-1を折りたたむ。ふと、今日は輪行袋に入れないで乗ってみようと思った。前に駅員に聞いたとき、駅員の口ぶりでは輪行袋は必須では無さそうだった。輪行袋からの出し入れにやたら時間がかかるので、それを省略できればかなり楽だ。これでやってみたが、案の定何もいわれなかった。地下鉄ではこれで行けそうだ。
 地下鉄で関内に出て、そこからBD-1で走った。コンビニで水とおやつを買い、シンボルタワーまで走る。空は真っ青だが、さすがに初冬の寒空ゆえ、人出はそこそこというところだ。E950が壊れる寸前に数枚撮ったきりだったので、DSC-MZ1で数枚撮った
 冬至が間近な時期の夕暮れは早い。早くも夕暮れの気配が迫ってきたシンボルタワーを後にし、山下公園へと向かった。相変わらずの人出で、日暮れだというのにまだまだ人出があるようだった。むしろ、夜にかけて増えるのだろうか。
 さらに臨海公園まで走り、暮れなずむ街並みと海を見ながら、しばらくたそかれる俺様であることよ。
 ほとんど暮れきった頃、ようやく臨海公園を発った。
 帰路、ワールドインポートに寄り、3Fにあるにち氏お勧めのアウトドアショップに立ち寄った。なるほど、結構面白げな自転車が置いてある。もっとも、近くの別の店にあったミニキワが更に気になっていたのだが。ここで冬用のグローブを買う。会計は近くにある店舗の中でということなので、そちらに入った。にち氏のいう通り、バッグの在庫が凄い。これだけ在庫してあるところは、他にはさかいやスポーツ本店くらいのものではないだろうか。ここ、ビクトリア系のショップらしい。
 ワールドインポートからは関内まで走り、ここでまた剥き身輪行モード。今日もお安く楽しめました。

2001年12月01日(土曜日)

@nakおでんオフでへべれけ

23時55分 暮らし

 時間は15:00。@nak家でのおでんオフに出立しなければならない時間だ。カツオ大慌て状態で準備を済ませ、いざ出立。おおっと、カメラ忘れた。今度こそ、いざ。おおっと、カバン忘れた(またかよ)。ようやく出立。
 地下鉄と東急田園都市線を乗り継いで、16:15くらいには某所に着いた。あれ、どっちが北でどっちが南だ(爆)。しばしペンギンのように放浪する俺様よ。ようやく地図を見つけ、それを参照しながら@nak家を探し当てた。
 宴は既に始まっていた。いかにも濃いそうな面々に圧倒されながらも、空いている席に適当に座った。どうやらそこが俺様用の席だった模様。というのは、箸袋に俺様の名前が書かれていたからだ。なんという細やかな心遣いでしょう。
 宴は、いきなりビールが入ってデッドヒートする。おでんオフというから、おでんがでーんと煮えているだけかと思ったら、おでんの他にも副食が出る出る。それもあんまり口に出来ないような料理ばかりだ。おかげでビールが進み、あっと言う間にへべれけになってしまう俺様であることよ。
 ふと気がつくと、すぐ横にはおのひろき氏が鎮座しておるではないか。どうやら、直前に参加が決まったらしい(ミキ氏の代理だとか)。そこから時計回りに主催者@nak御夫妻、@nak御夫妻とはプジョーつながりのzen御夫妻(自転車は未所持)、まき氏、たか氏、吉田氏、にち氏、CoCo氏というメンバー。
 まずは自己紹介ということで、所有する自転車の台数も申告せよという注文が付いた。おの氏は5台。さすがというか、意外というか、毎年増えているそうだから累積では凄いことになるかも(将来的に)。俺様は4台。やっぱ、ちょっと多いかな。でも1台はキワチャリだし、2台はMTB、ロードバイクという『ふつうのバイク』だし、折り畳みは1台だけなので、まだそんなに濃くはない(自分で書きつつ説得力の無さに泣ける)。
 自己紹介の合間にいろんな雑談やら突っ込みが入る。おかげでたか氏のところで自己紹介が進まなくなったりするのだ(笑)。みんな酒がかなり入って、結構訳の分からない状態になる。にち氏などは落ちてしまった。
 料理の後はご飯、デザート、お茶、コーヒーを満喫。いやはや、満腹だ。弾む話に、とうとう5時間も経過していたことに気づく面々よ。さすがに終電が心配なので、この辺でお開きにということに。会費は......後で考えると、どう考えても@nak御夫妻の自腹を相当切ったようなものだった。三崎まぐろツアーの時には、ぜひに奢らせていただこう。
 マンションの前では、自転車の試乗会が早速始まってしまう。吉田氏、俺様、zen御夫妻の他は、みんな自転車で来ていたようだ。元気なものよ。さらに、にち氏、たか氏らは、明日峠を攻めに行くのだとか。元気を通り越して、大丈夫かと聞きたい。
 トレンクル7500を駆る@nak(あ)氏と話しながら駅まで行き、先に到着していた面々の輪行準備完了を待って、電車に乗り込んだ。帰路、にち氏とはあそこに行きたいねえ、ここも行きたい、などと話した。
 かなり頭痛をおぼえつつ、なんとか眠らずに帰宅したのは、日付が変わった頃だった。ああ、本当に楽しかった。またなにかやりたいですね。

おでんオフ、の前に

17時00分 自転車 天気:晴れ

 前日、帰宅前に会社からメールしておいた(はずの)ファイルが無い。月曜から木曜までの分をまとめて書いたんだけど......(会社でか)。
 今日は@nak御夫妻宅でおでんオフうはうは篇がある。夕方16:00くらいからだから、昼からちょっと間があるなあと思った。その前に、TCR-2で飯田牧場までチャチャッと走ることにした。
 いつもながら、長後街道は車が多く、裏道開拓の必要を強く感じた。なんか、どうやっても長後街道を通らなければならない気もするのだが......(だからあんなに車が多いのか)。
 境川まで車道を突っ走る。BD-1やMTBだとどうしても車に着いて行けないのだが、TCR-2ならなんとか追尾可能だ。これは、ダンシングがやりやすいというのも影響しているかもしれない。やはり、舗装道路ではロードバイクが一番向いているようだ。その代わり、路面の状況に凄く敏感だ。細かな凸凹でも、手首にガツンと衝撃が来る。
 境川サイクリングロードをひた走り、湘南台に。この頃には手首がやや辛くなってきていて、MTBが相当恋しくなってきていた。湘南台の駅前で銀行に寄り、ちょっと金を下ろしておいた。
 久しぶりにマルシュに寄り、小型のライトと冬用グローブを物色するも、ライトは無く、グローブもこれというものがない。
 湘南台からさらに南下し、飯田牧場に到着した。ここでチョコチップ入りのジェラードを食す。体が暖まって汗ばんでいたところなので、非常においしく感じた。ジェラードは種類も豊富で、長く楽しめそう。
 来た道を戻る途中、ダイクマに寄って小型のライト、TL-500IIを買った。なんでこんなに小型ライトにこだわるかというと(TL-1500を二つも持っているのに)、TCR-2の夜間走行用にと買った充電式ライトがツーリングに持ちだすには重すぎ、その台座をそのまま使える小型ライトを探していたのだ。TL-1500だと、平べったすぎて、台座の前に着いているフラッシャーで遮られてしまうのだ。そこで縦に高いTL-500IIを買ったわけなのだが......。帰宅して試してみると、確かに同じ台座を使えるのだが、充電式ライトやTL-1500とは向きが前後逆だ。なんちゅう罠でしょう......。まあ、このライトも使い道があるでしょう(無い気もするが)。