Strange Days

2001年05月26日(土曜日)

深夜ポタリング

23時55分 自転車

 真夜中、ふと自転車で近所のしらゆり公園に出かけた。近所、とはいえ地下鉄では隣の駅だ。一応、地図を確認して出たのだが、途中の路地で迷う迷う。真夜中の路地で迷うというのはビューティフル・ドリーマー(うる星のね)でもあったモチーフだが、そこはかとない異世界感がたまらない。しかししらゆり公園がある高台はずっと見えていたので、最終的には到着できた。高台にあるしらゆり公園に到着した頃には、全身から汗が噴出す状態だった。しばし、夜風に当たって涼んだ。
 それから、ここから我が家方面に一直線(といってもトポロジー的)に延びている、長い下りを行ってみた。真っ暗な中で、スピードの出る細い下り坂を行くのはスリルがある。下りきると、また別の路地に接続しているので、これまたしばし放浪。最終的に、いつもの丘を上り、鎌倉みちの向こう側をちょっと冷やかして帰宅した。8kmくらい走ったかな。面白かったが、もしかして近所迷惑かもしれないな。

NHKスペシャル「たった一人の医師として」

22時34分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、「たった一人の医師として」。辺地医療を志し、医療砂漠といえる襟裳町で11年間を過ごした1女医の話題。この人は、元々は大阪で平凡な主婦として過ごしてきたのだが、ある時に辺地を巡回して回る老医師の姿に感動し、辺地医療を志すようになったという。30台半ばで医大に合格し、40代に入ってついに医師免許を取得、総合病院で経験を積んだ後、'90年についに襟裳町に赴任し、念願を果たした。そして実に10年間、襟裳町ただ一人の医師を勤めてきたという。
 ひさびさにズンと来た。冒頭、間もなく襟裳を去ろうというこの女医さんが、11年間欠かさず続けてきた巡回往診で、あるお年よりの家を訪ねたとき、このお年よりが女医さんの手を握りながら涙を流すのだ。もちろん、別れが惜しいから。NHKの事だから演出(というか素人への"指導")は入っているのだろう。しかしこの涙は本物だと思った。そして悟ったね、この人は、僕なんかとは比較にならないことを成し遂げた人だと。一体、この僕がこの場からいなくなったとして、果たして何人が涙を流して惜しんでくれるというのか。最大限に希望的観測を積み重ねても、まあ皆無だろう。例えこの場で頓死したところで、肉親以外に惜しんでくれる人がいるとは思えない。いや、現代社会のドライな関係性の中では、大体そういう場合が多いのではないか。このご老人にとっては、この女医さんは涙を流して惜しむべき人なのだ。
 10年間、全住人の命を預かるたった一人の医師として過ごすことは、想像以上に過酷な日々であったらしい。全住人の健康管理を始めとする日常業務はもとより、いつ急患が運び込まれるか分からないという緊張感。まったく休みの無い日々。この人以前、2年以上仕事を続けられた医師が皆無だという事実が、辺地医療の過酷さをうかがわせる。そしてこの女医さんも、大阪に帰ろうと思うようになったという。しかし、ご子息に腫瘍が見つかり、その癌の疑いが晴れる経緯から、一人一人の住人に今までに無い親しみを感じるようになったという。自分が息子に対して抱いているような愛情を、この地域の人々一人一人が、互いに抱いているのだろう、と。そしてとうとう10年間も過ごすことになった。
 長年、医師はこの女医さん一人だった襟裳町の医療スタッフに、最近もう一人の医師が加わった。大病院の評価システムに疑問を抱いた医師が、やはり辺地医療を志してやってきたのだ。新しい医師が一人で切り盛りできることを確信した女医さんは、遂に大阪に、家族の下に戻ることを決意した。別れの日には、多くの人々の歓送に送り出された。
 それにしてもタフな人だ。30代で医師になることはもとより、志を貫徹してなおかつ60歳になるまで毎週の巡回往診を欠かさず続けるとは。単なる義務感だけでなく、一人一人に対して愛情を持つことが出来たからではないだろうか。そしてこの女性の志を支えつづけた、家族の応援も大きかったのだろう。~
 この女医さん、今後は淡路島で小さな診療所を開き、辺地医療を続けてゆくという。