Strange Days

2001年08月16日(木曜日)

しまなみ海道に(輪行)

23時30分 自転車 天気:激晴

 前日、一睡しか出来ず(1時間程度かな)、まるで遠足に出かける寝不足小学生のような気分で起きだした。朝5:00過ぎ。眠気を抑えつつ、出立準備をした。母が起きてしまったので、タオルをひとつもらっておいた。
 5:45頃出立。駅に着き、さっと輪行準備をして、改札口をくぐるも、電車は行ったばかり。30分ほど待つ破目に。その間、途中のコンビニで買ったおにぎり弁当をぱくついた。
 やがて電車に乗り込み、尾道まで1時間半かけて走る。窓の外には鄙びた風景が流れて行く。この辺も、海岸沿いに走ると、それなりに気持ちよさそうだ。
 やがて尾道に到着。時刻は8:00をちょっと過ぎた辺り。さて、どこかでルートマップを入手せねば、と思いつつ駅前でBD-1を展開した。周りを見ると、やはり輪行組らしい人々が、同じように自転車を組んでいる。ロードバイク、あるいはスポルティーフが多いようだ。どうやら同好の士で集合している模様。僕は一人旅で、BD-1があっと言う間に組み上がったので(そりゃそうだ)、さっさと走り出す。
 まずは観光案内所に行ってルートマップをもらおう。そう思って走り出したはいいが、観光案内所の類が見つからない。駅の西側にあったのだが、まだ開いてないようだ。しばらくぐるぐる走り回り、困り果てて交番で尋ねてみた。すると、やはりまだどこも開いてないみたいだ。交番の裏にもあるそうなのだが。しかし、親切な警官は、そこにあったしまなみ海道のパンフレットを一部くれた。これでようやく詳細なルートを確認できたのだ(というか、事前調査が杜撰すぎ)。

・向島(海路、平坦な道、因島大橋)
 尾道駅の真正面から向島へのフェリーが出ている。海峡の幅は1kmも無いくらいで、運賃は大人100円+自転車10円。折り畳むのもあほらしいほどの安さだ。フェリーは操舵手と甲板員の二人で運行されている。僕が乗ったフェリーは、小さな入り江(運河にも見える)の奥まで入って行く便だったが、おかげで走行距離が多少短縮された。
 上陸すると、鉄工所やら倉庫やらが立ち並ぶ、地方の工業区画という趣の場所だった。さてさて、たぶん、どこかにサイクリングロードを示す標識があるのだろう。桟橋からまっすぐ内陸に走って行くと、交通量の多そうな幹線と行き会った。その両脇の歩道は、自転車でもそれなりに走れそうな広さだ。とりあえず車道の脇を進んで行くと、すぐに歩道に緑でペイントされた標識に気づいた。いわく、「↑今治 しまなみサイクリングロード」。これに従えばいいのだな。楽勝じゃないか。この時はそう思った。
 ところが、この標識があまり多くないのだ。結構長い間、これを目に出来ない状態が続くので、「この道で合ってるのか?」と、凄く不安な状態になることもある。人間の心理を突いた的確な攻撃だ(なにがだ)。結論からいえば、「出来るだけ歩道を走り標識を確実に拾うようにして走れば問題ない」という事になった。標識を見逃したことは無かったので、確実なルートではあるのだろう。かえって気を回しすぎて、わき道を行ってしまったりしたことがあるくらいだ。標識の指示に従えば問題はないみたい。
 道は平坦で走り易いが、日影が全くないのには参った。体がジリジリとあぶられている感じだ。
 走りながら、島のスケール感が全く掴めてないので、果たしてどこまで走ればいいのか不安だった。が、やがて海岸線遠くに、大きな橋が見えてきた。あれが因島大橋だ。
 ここまで、僕以外のチャリダーはほとんど見かけない。が、海岸線で休んでいると、何人かの人々が(主にママチャリを駆って)追い抜いて行く。どこからともなく集結しているという感じ。他のルートもあるのか。
 さて、橋へのアプローチは、自転車の場合は車とは違うルートを取る。傾斜を出来るだけ緩やかにするためだ。
 巨大な因島大橋を頭上にやり過ごし、少し走ると、山に向けてアプローチへの入り口が続いていた。そこにBD-1を乗り入れた。傾斜は10%だそうだが、それでも長いときつく感じる。途中の展望台で一休みしちゃうぞ、もう。
 展望台から見上げる因島大橋は迫力十分だ。E950では広角側でも画面に収まりきらない。ワイコンを持ってくればよかった。
 展望台で休んでいる間に、男女二人のカップルが、MTB&ママチャリで、軽快に登って行く。ほとんどなにも持たない軽装だ。あれなら楽だろう。
 さて、再び上り始めた。10kgを越える装備が足に響く。それでもなんとか、橋の側に上り詰めた。因島大橋は原付き以下の車両と歩行者は、車道の真下にある専用道路を走る。こういう構成の橋は、しまなみ海道では唯一のものだ。こういう感じ
 この歩道、自転車と歩行者が一緒に通る右側の通路は幅が狭く、やや危険な感じがする。

・因島(ややアップダウンのある平坦な道、生口橋)
 考えていたより時間を要しながら駆け抜た。各橋の愛媛県側には、賽銭箱のような塩梅で料金箱と案内板が置かれている。係員はいない。あらかじめ小銭をたっぷり用意しておいたので、特に困ることはなかったが、小銭が無い人は困るかも。対岸では爽快な下りになる。しかし、せっかく高度を稼いだんだから、このまま次の橋まで下らず走れるルートは作れないもんかね。
 因島もひたすらこぎ続ける。時間的にどれくらいかかるか不安だったし、また向島に渡るまでのロスが気になっていた。
 やがて生口橋に到達。アプローチは、素直に押して上がりましたぜ。ここは車道と並んで歩道があるタイプ。やはり頭上に空が広がっている状況の方が爽快だ。

・生口島(平坦な道、多々羅大橋)
 生口島ではルートから外れ、島の南側を走った。多少なりとも短縮になるかと思ったのだ。その代わり、平山郁夫美術館などにはお目にかかれない。また大した短縮にもならないようだ。
 この辺りで既に、熱中症の予兆が現れていた。警戒怠るべからず。体がへばる可能性を承知の上で、冷水をがぶ飲みする。少しでも体温を下げたいのだが。
 こっちはルート標識がないので、ひたすら海沿いに走るばかりだ。観光とはかけ離れた、鄙びた風景が続く。お日さまもますます燃え盛っている。暑い。脳みそが沸騰し始めている。
 ここで道沿いにコンビニを発見、冷たい物を求めて入ってみた。このコンビニには、無料の休憩所も併設されている。単に別区画に椅子を並べただけの物だが、とりあえず日ざしを遮れて、エアコンもまあまあ効いている。この時点で、この休憩は凄く効いた。最後まで走れたのは、ここでかなり休めたからだと思う。ありがたかったよ。おにぎり2個とゼリー食、麦茶を喫しつつ一休み。おにぎりがまずい。死ぬほどまずい。僕は過負荷に曝されると、食欲が一気に減退してしまうのだ。きっと塩味が効いておいしいに違いないシャケお握りも、こんな状況ではもさもさした粘土の塊に等しくなる。それでも食うのだ。この先もこぎ続けるエネルギーが要るのだ。無理やりに一つだけ食い。後はゼリー食で賄う。
 再び走り出す。元気一杯、とはいかないが、今にも死にそう状態からは回復している。しかし、すぐに太陽に脳みそを煮られ始める。水ぶっかけで対抗だ。しかし休憩で得たエネルギーは間違った方向に爆発した。やたら怒りが湧いてきて、わけの分からないことをずっとつぶやいている状態になったのだ。いわく、「漕がないと進まないんだよ」。いわく、「人生と同じなんだよ」。いわく、「漕がなきゃ始まらないんだよ!」。こんなところで人生幸朗師になってどうする。それは分かったからさっさと進め、といいたくなるような事をつぶやきつつも、距離は着実に伸びて行く。怒りの一部は、とりあえずペダルに伝わったようだ。
 この生口島南ルートを行く間、同じチャリダーには一人として行き会わなかった。観光ルートからは外れているせいだろう。それと、あまり距離も短縮できない。が、その割りにルートとしては走り易かった。急ぎの旅なら、こっちの方がいいかもしれないぞ。
 やがて、彼方に多々羅大橋が見えてきた。生口橋と似たような構造の橋だが、こっちは世界最大の斜張橋だということだ。太い鋼索が橋梁の頂点に向かって集束して行く様は、なんともいえない迫力がある。とても人間の建造物だとは信じられないような迫力だ。

・大三島(平坦な道、大三島橋)
 この辺りで中間に達しているくらいだろうか。あと三つの島があるが、大三島、伯方島は通過するルートが短いので、大島だけが問題といえる状況だ。やっと、少しばかりゆとりを感じ始めた。というか、体が重くなり始めてスローダウンしただけなのだが。おかげで妄言垂れ流しは収まったが。しかしまあ、後はゆっくり走っても良かろう。
 大三島は本当に短い。他の島に較べれば。しかし、次なる橋まではそれなりに走る。無言で走る(というか独り言いいながらだと気持ち悪くないか?)
 大三島橋への上りで、向こうから下ってきた女性に「こんにちはー!」と声をかけられた。とてもさわやかな気分で手を振り返した。そのエネルギーをちょいと分けてもらった感じ。ああ、僕もああやって自然に声を出せれば。
 大三島橋はアーチ橋で、幾何学的な造形が美しい。この橋では右半分がまるまるバイク、歩行者専用で、とても走り易かった。

・伯方島(アップダウンあり、伯方・大島大橋)
 伯方島も行く距離は短い。少し丘を越える塩梅ではあったが、ここも割と順調に通りすぎた。しかしながら、後で伯方の塩ソフトクリームを試してみればよかったと思った。次の機会は途中で一泊するつもりで、ゆっくり見て回りたいもんだ。
 ここで印象的な出来事があった。
 ちょうど伯方・大島大橋の真下辺りに差しかかった頃だった。大三島橋からの下りを抜けた辺りで、自販機が数台並んでいる一角。そこからちょっと離れて、20代くらいの男性が、自転車をそこに転がしたまま休んでいる風だった。僕は気にせずその前を駆け抜け、道路の対面に渡り、ちょっと一休みしようとBD-1を停め、その自販機で水を買い、一息入れた。ここを登りきれば大島だけなので、もう間違いなく完走できる。そう思っていた。
 しばらく体温が下がるのを待っていたら、その男性がやってきて、「なにか先のとがった物を貸していただけませんか」と声をかけてきた。とがった物? なんでも、足にマメが出来てしまったので、潰したいのだとか。あるとすれば、Palmのスタイラスペンに内蔵しているリセットピンだけだ。それを貸してあげると、その男性は両足に出来た巨大なマメを潰した。これじゃ走るのは無理そうだ。「大丈夫ですか?」と声をかけると、「せっかくここまで走ってきたんですが......」と、残念そうだがリタイヤすることにした、と答えた。なんでも、青春18切符で尾道まで来て、僕と同様に自走で今治を目指していたんだとか。僕のBD-1を見て、「その自転車だとどこでも持っていけていいですね。家にはMTBがあるんですが......」と、とても残念そうだ。そうだろうなあ、ここまで来て。ここからバスなどで帰るつもりだという。
 その男性と別れ、僕は伯方・大島大橋へのアプローチを上り始めた。この時点で上りは辛いが、さっきの男性のことを思えば走れるだけましだ。そういえば、僕の場合、足の裏にだけは負担がかかってない。いかに踏んでないかが分かるってもんだ。
 伯方・大島大橋は、ふつうのつり橋だった。しかし島を一つ踏みつけているような塩梅だ。

・大島(かなりの丘越え、久留島海峡大橋)
 最後の大物、大島に到達した。ここは島の真ん中を道が突っ切っている。距離的には楽そうだった。が、この突っ切りがくせ者だった。そう、本四架橋公団の攻撃は、ますます激しくなってきたのだ。やつらもここを越えられると後がないと知っているのだろう(いや別に越えられてもかまわんだろう)。その攻撃は、今までになく熾烈な物になった。
 まず、日ざしが最強に強まった(それは公団のせいじゃないな)。ジリジリとあぶられ、腕などは徐々にやけどするのを感じるほどだ。また、この大島のルートは、なんとかなり長い丘越えをしなければならない。ここに来て体力が、いやむしろ生命力が落ち始めているので、この丘越え攻撃は辛い。それでも押したり、走ったりしながら、なんとか丘を越えていった。前方から、ロードバイクやMTB、果てやママチャリに乗ったおばあさんまでが、軽快に駆け降りてくる。恨めしい限りだ。っていうか、下りを押して歩いてたらそれは怖いぞ。
 もう僅かな上りでさえ辛いのだ。おのれ公団、許すべからず(それは逆恨みだよ)。日なたで日干しになっているミミズたちの骸を横目に、その仲間入りしかねない状況で坂を越えた。今度来たときは、遠回りになっても海岸沿いに行こう。
 坂を越えればこっちの物だ。全速で重いギアを踏みまくる、という体力は、しかしもう底を突いていた。それでも、来島海峡大橋へのアプローチに、遂に取り付いた。
 来島海峡大橋は、しまなみ海道中最長の橋なので、そこへのアプローチも雄大なものだった。これで終わりかと思ったところで、さらにループが続いている。その手前、最後の展望台に停め、そこにある自販機で喉を潤した。ここを越えればサンライズ糸山だ。長かったなあ。
 僕は最後のループを回り、遂に橋の上に到達した。そうだ、遂に公団に勝ったのだ、と、その瞬間は愚かにも感動したものだ。だが公団の最後の抵抗は、僕の予想を超えて熾烈だった。
 なんと、橋そのものが上りになっている!(愕然) 3連の吊り橋という性格故か、橋の真ん中に向けて明らかに盛り上がっているのだ。体力の落ちまくった現状ではこれはきつい。3速でもきついくらいで、のろのろとあがくようにして進んで行くのみだ。だがここに及んで挫折することは決して許されることではない。日本の男の子は潔く腹を切って汚名をそそぐより他にない。腹を切るのは痛そうなので、ここは断固として公団に泣いてもらうぞ。踏め、踏むのだ。死ぬまで踏むのだ。
 アーチ状に傾斜している関係で、進むに従って徐々に傾斜は緩くなり始める。漕ぐのをやめると、橋の差しかかりではものの2m程で停止したものだが、それが3mになり、4mになるに従って、幾何級数的にペダリングが楽になって行く。わはは、わははははははは、勝利の時は目前だ。もはや公団に打つ手はない。あの鋼索が一番下がる地点、すなわちこの橋の中央を越えたときこそ、我が勝利の時なのだ。チャイコフスキーの"1812"のクライマックスのように、勝利の砲声がとどろき渡るのだ。それが公団崩壊の時だ(いや、そんな目の敵にする理由あるのか?) 様々な人々の人々の顔が浮かぶ。軽快に下りながら元気を分けてくれたお姉さん(お兄さんも続いていたが目に入らなかった模様)、志半ばで挫折した18切符の彼、そして軽やかに行き違った多くのチャリダーたち。そしてルドルフ・シェンカー、永山則夫、小野小町ら、強敵(おとこ)たちの顔も脳裏をよぎった(ってなんでじゃ。知り合いでもなんでもないじゃん。だいたい小野小町は女子じゃ)。もう半分位妄想に満たされた頭で、遂に橋の中心を越えた。後は放っておいても下って行くだけだ。そうだ、僕はヴィクトリーロードを進んでいるのだ。この橋の後半は、我が勝利をたたえるためにある(今そう決めた)。この苦難に満ちた旅を終えた僕の前に、もはや恐れるものなど何一つないのだ。

・糸山展望台~サンライズ糸山
 アプローチを抜けると、糸山展望台への道があった。上りです。もう勘弁してください(身も世も無く泣き崩れ中)。ゲロを吐きそうになりながら、それでも上り気味のトンネルを越えた。ああ、坂さえなければ、100kmなんて楽勝なのに。坂が、坂が怖い。幸い、上りはあっと言う間に終わった。
 展望台に向かい、エアコンの効いた案内所でしばらくクールダウン。はあ、本当に体がどうにかなりそう。時刻は16:00前というところ。今からサンライズ糸山に入っても、16:00過ぎというところか。
 展望台にある案内板でサンライズ糸山の位置を確認し、またしてもさっきのトンネルを越え(もううんざり)、そこからは下り一本でサンライズ糸山に到着した。走行時間は7時間。実質は5時間半くらいか。良く走ったもんだ......。さすがのVAAMにも全身の倦怠感はぬぐえない。
 チェックインし、自転車をロッカールーム(自転車用のロッカールーム)に入れ、部屋に入る。ここ、4人部屋なんだね。それを一人で占有するのか。ちょっと罪悪感が。しかし素泊まりで4000円という設定は安すぎる。今度は誰かと来よう。
 ここでうっかり爆睡してしまい、気がつくと20:30を過ぎていた。ああ、レストランのラストオーダーが終わってる。このままでは飯を食えない羽目になるぞ。そこでちょっと外に散歩がてら、出かけてみた。しかしまあ、周囲になにもないこと。どうも市街地から外れているようで、自販機以外にはなにも見つからなかった。焼き鳥食いたかった。
 まあ、食欲もあまりないことだし。ここはビールでカロリー補給だ。ミネラルウォーターをつまみに、ビールで喉を潤す。くぅ、うますぎ。風呂は大浴場があるのでそちらに。大きな風呂ではなかったが、足を伸ばせるのでユニットバスより遙かに快適。
 やがて夜も更けてみたので、しばらく警告灯に彩られた来島海峡大橋を愛で、長かった一日を終えた。寝るぞ~。