Strange Days

2002年05月31日(金曜日)

本を発注

22時00分 天気:晴れましたが......

 最近、あんまり本屋に行ってない。というのも、めぼしい本は通販で購入してしまうようになったからだ。今日も紀伊国屋ブックウェブでガシガシ購入。いい客だなあ。科学系、自転車系、文芸系の他、最初の頃読んだだけだったナウシカの全巻も一括購入だ。大人買いだなあ。
 問題は、買っても買っても積読になるばかりという現状だが......;-_-)

2002年05月30日(木曜日)

ヤビツに登ろう

22時00分 自転車 天気:くもりですか~

 今夜もTCR-2で21周をこなす。土曜日にヤビツ峠を表から(つまり秦野側から)攻めることにしたのだ。宮ガ瀬に抜けるルートだ。こっちは結構きついらしいが、下りが長い方が楽しめそうなので、あえてこっちに。
 TCR-2ではギアが重過ぎて登れそうに無いので、MR-4Fで登るつもりだ。まあ、ギアは十分に足りるだろうし。
 LSDを心がけているわけでもないのだが、市街地の走路ではそうは飛ばせないので、毎日の走行はやや軽負荷な気がする。もう少し、長いコースを探してみるか。

2002年05月29日(水曜日)

今夜も15km

22時00分 自転車 天気:くもりかな

 昨夜でTCR-2のバッテリーライトの電池が尽きたので(早いなあ)、今夜はMR-4Fでの出走だ。走ってて感じるのは、舗装路ならばドロップハンドルの方が断然楽だということだ。ストレートバーの場合、長時間走っていると、だんだん手首の感覚が無くなってきてしまう。血流が阻害されやすいのだろう。この場合、バーエンドグリップが有効だが、MR-4Fには着けてない。
 いっそのこと、ドロップ化しちゃおうかとも思うくらいだ。MR-4Fを買った意味がなくなってしまうけれど。

2002年05月28日(火曜日)

今夜は15kmほど

22時00分 暮らし 天気:晴れ

 先週、仕事のヤマその一が過ぎたので、今週は比較的早く帰れる。
 今日はTCR-2を持ち出して、中田中央公園を15周した。もうそろそろ、Tシャツとレーシング・ショートパンツだけでも、走っているうちに汗ばむようになってきている。

2002年05月27日(月曜日)

嵐ですか

22時00分 暮らし 天気:晴れ時々雷

 昨日に引き続き、明け方まで雷雨が残った。突然の雷鳴と驟雨は、もうすぐ夏だねえと思わせてくれる。もう少し暖かかったら、濡れても平気なんだけどな。

2002年05月26日(日曜日)

晩春の雨にコテンパンにやられる

22時00分 自転車 天気:くもり時々集中豪雨(x_x)

 昨日、BD-1のサドルに痛めつけられたせいで、尻が痛い。尻の皮が薄いのと、サドルが硬い(だからレース用のを着けたほうが悪いって)のとで、しばらく再起不能かと思うほど痛むのだ。ううむ、もう少しパッドの厚いレーパンを探さないと。
 こんな時にアップライトの自転車に乗るのはつらいものだ。しか~し、僕にはBikeEという強い味方がある。
 午後、ちょいと買物と散歩に出かけた。ちょっと、の、つもりだったので、雨具などなにも用意しないで出かけた。これが大いなる災厄を呼び寄せるとも思わずに(泣)。
 まずはサガミサイクルに寄るつもりだった。今日は新しいルートを開拓するつもりで、まずは北東に向かって走る。かまくらみちは交通量が多く、またアップダウンも結構きついので、もっと楽な道を探すつもりだったのだ。
 国際親善病院からかなりの坂道を下り、T字路を北に進む。交通量は、どうかな、あんまり変わらないような気がした。しかし、気のせいかかまくらみちに比べれば楽な感じを受けた。
 事前に地図で道を確認していたこともあり、迷うことも無く三ツ境へとたどり着く。
 サガミ3、サイクルセンターと襲い、何がしかの買物をした後、サガミ3に停めていたBikeEの元に戻った。空が不穏だ。なんとなく降りそう。それでも楽観していた僕は、行きなれたかまくらみちや境川沿いに戻るのではなく、新しい道を探すつもりでふらふらと走り出した。
 いちおう、環状4号線に抜ける腹づもりはあったのだが、かといって道順を憶えているわけでもない。行き当たりばったりだ。
 住宅街の複雑な生活道を迷いながら進むうち、細い川沿いに出た。こんなところに川なんてあったっけ? 空が曇っていて、北も南も分からないので、適当にこっちだろうと当たりをつけて走り出した。川沿いには遊歩道が設けられていたが、自転車では走れそうにない。たぶん、この辺りを初めて走るリカンベントだぞと思いながら、意外に心地よい川沿いの道を走りつづけた。
 なんとなく逆方向、つまり北に向かっているなと思い始めたときだった。ふと、耳に不気味な雷鳴が。空を仰ぐと、黒い雲の塊が、空を覆いつつあるところだった。やばい、と思うほども無く、パラパラと降り始めた。こんなところじゃ雨宿りも出来ない。
 なんとなく、位置的にぐるりと回って三ツ境に近い位置にいた気がしたので、サガミ3の駐車場で難を逃れようと突っ走った。しかし、雨はとうとう本降りに。民家の塀から立派な木立が突き出していて、その下で雨宿りできそうに思えた。ともかく、そこに逃げ込んだ。
 最初のうちは雨も弱く、ここに立っていれば濡れずに切り抜けられそうだと思えた。のんびり鼻歌を歌う余裕さえあった。実際、ふつうの雨なら十分濡れずに済んだろう。ふつうの雨なら。
 やがて、空にやや白んだ部分が見えてきて、通り雨も過ぎたかと思われた。しかし、そんな僕の甘い認識を、お天道様は見逃さなかった。すかさず、雨脚が最強に強まったではないか! バケツをひっくり返したような、いや頭上でプールがひっくり返ったような凄まじい雨が、一気に降り注いできたのだ。唖然とする間もなく、頭上の木立もついに雨滴の処理能力を超え、冷たい水滴が滝のように降り注いできた。もうどうしようもない。難を逃れるような軒先も見当たらない場所だ。やれやれと思いつつ、雨が弱まるのを待った。
 豪雨は30分ほども続いただろうか。やがて、ようやく弱まり始め、やがて晴れ間がのぞき始めた。ホッとしながら、チェックのシャツを脱いで、BikeEを再び走らせる。しかし、これも実は罠だったのだ......。
 思った通り、程なく三ツ境に出て、そこから境川経由で南下していった。やれやれ、ひどい目にあった。しかし、走るうちに徐々に自転車も、体も乾き始めた。だが、BikeEのシートバッグからは水滴が絶えない。ふと思いついて、バッグのバンジーコードに絡めてあったシャツを取り上げ、絞ると、呆れるほどの水滴が垂れる。さっきの豪雨の凄さに苦笑しながら、濡れた路面を快調に飛ばしていった。
 ちょいと小腹がすいていたので、前から気になっていた店に寄ってみた。いちょう団地の北の外れ、サイクリングロードが橋と交わる近くに、小さな総菜屋さんがある。そこでコロッケとメンチカツを買い食いしてみた。うーん、腹に染みる。おやつにちょうど良い。
 なんとなく気分が回復してきたので、後は楽しく走りつづけ、さらにダイクマに寄ることにした。しかし、これがいけなかったのだ。
 ダイクマでうろうろして、なにがしかの買物をした後、さて帰ろうと外に出た。......雨が降ってる! またかよ、いい加減にしろ。もちろん、空は僕の怒りなど何ら関知しないのだ。さっきのこともあり、まだ雨脚が弱いうちに強行突破を試みた。これは正解だった。少々濡れながら帰宅すると、雨脚がさらに強まっていった。ホッとする俺様。しかし、一日に二度も濡れ鼠になっちまった。
 雨はそのうちに止んだが、気温はやや低いままだ。BikeEが汚れたので、整備しないと。やっぱり、マッドガードは必要だと思った。

2002年05月25日(土曜日)

讃岐うどん勉強会オフ

22時00分 自転車 天気:晴れ

 あんまり眠れず、3時間程度の睡眠で起床。身支度をして、BD-1で出かける。今日は、@nak主催の讃岐うどん勉強会オフがある。MR-4Fでの出動も考えたが、エリアが都心部で、さほどハードに走るわけでも無いし、輪行があるかもしれないし、ということで、BD-1に決定。出かける前、neko氏から借用中のFDブラケットなどを取り外しておいた。
 立場駅まで走りながら、股間がスースーするのを喜んでいた(変態だ)。従来、ふつうのパンツの上にレーパンを履いていたのだが、暑くなって来たのでレーパンを直に履くようにしたのだ。やはり少し熱を奪われるのか、ひゃっこい。
 集合場所は都営新宿線の曙橋。新宿から自走しようかとも思ったが、人通りを考えて曙橋まで輪行することにした。が、その後、やっぱり新宿周辺を走る破目に......。
 曙橋のA2口を出ると、地上のタリバーン、違ったタリーホー、違った、とにかくコーヒーショップに集合する。今日の参加者は、@nak(あ)(た)夫妻、hai、こぐ、にち、ふじか(2軒目まで)、そして僕。BD-1系が4、トレンクル、UKブロンプトン、BikeEが各1台。
 全員揃ったところで、さっそく1軒目に突入だ。それは駅のすぐ側にあった。「うどんのさぬきや」というひねりの無い名前の店は、カウンター10席程度の小さな店だった。ここで冷やしきつねを頼んだ。麺はしこしこ感が強い。またのど越しがニュルンという感じで良い。値段も安いので、コストパフォーマンスは良さそうだ。
 ここから自転車で移動開始。久しぶりに乗る(FD取り付けを試していたので)BD-1は、ハンドリングがクイック過ぎるくらいに感じる。ヘッドパーツを調整してみるか。やっぱりこれは回りすぎだ。
 一行は、神田にある「野らぼー」に入った。地下一階にある小奇麗な店だ。ここでもきつねを頼む。ただし熱い方だ。そのせいか、「うどんのさぬきや」で感じたしこしこ感は薄い。今日は冷たいので通すか。
 ここでふじか氏は離脱。氏のBikeEは前後タイヤを細いものに(おそらくリムも)交換し、さらにディスクブレーキまで着けてあった。さらに、チェーンホイールはマウンテンドライブだ。BikeEもいろいろカスタマイズの道はあるようだ。
 2軒をまわったところで、もう少しカロリー消費しないと、ということで、皇居一周することに。ぐるりと時計回りに回り、それなりに汗もかいたが、今後さらに2杯平らげることを考えると、ほとんど焼け石に水だ。
 3軒目、「さか田」は、名前は聞いたことがある店だ。14:00閉店直前に入ると、ここでも冷やしきつねを注文した。大根おろしと生姜が載っているので、混ぜて喰らう。気のせいか、1、2軒目よりもさらに腰を感じた。銀座という立地のせいか、はたまた有名店の宿命か、結構高めだ。
 いいかげん、腹がきつくなってきたという意見が多かったため、次の店まではさらにインターバルを置くことにした。晴海ふ頭まで走ってみると、ちょうど東京みなと祭という催しが開かれていた。おかげで、その先の公園まで自転車で入れない。適当な空き地に座り込み、グデーっと休憩を取る。とどめに(た)女史が取り出したのが、八重洲の地下だったかで購入した各種「あゆ」だった。あゆ、というのは鮎の形をしたお菓子で、お茶請けに良さそうだ。が、この状況では、カロリーにカロリーを積み上げるようなものだった。ちなみに、値段順においしかったと思う。
 さて、少しは腹ごなしが出来た気もしなくもなかったので、最後の店に向かった。八丁堀にある「明治亭」は、ちょっと見た目、お茶屋さんっぽい店構えだった。ここでは(た)女史とこぐ氏は離脱し、対面にあるラーメン屋に向かった。うどんに飽きたのか、腹がいっぱいなのか。後者は無いな、ラーメンの方がきつそうだし。
 ここでもひやしきつねを頼む。ここも腰が強い。いままでで一番という声もあった。そうかもしれない。量も控えめで、おやつには良さそうだった。
 食後、店内でおしゃべりしていたら、ラーメン組が早々と戻ってきた。さすがにこれ以上うどんにチャレンジする気力、いや腹力はないようだ。
 スケジュール上、ここで解散という建前だが、「和田サイクルに行く」という@nak組に全員同行するつもりだった。
 「明治亭」を後にして、新宿経由で和田サイクルに向かう。新宿近辺では人通り、交通量とも多くて往生したが、ここを抜けるとかなりスムーズに走れるようになった。しかし、路駐しているやつらはなんとかならんもんかね。
 小1時間ほど走ったろうか。やがて道路の対面に、写真で見たことのある店が見えてきた。ここが和田サイクル。小径車の聖地と呼ばれるここを、初めて訪問したのだった。
 和田サイクルでは、以前にAirLlamaに載せてもらったまめ氏が待っていた。和田店長も忙しそうに立ち働いている。リカンベント乗りとして有名な渡辺氏、そして加藤みゆき女史もいた。女史は片足の腱を切ってしまい、痛々しい格好だ。お大事に。
 今日の主目的は、@nak(た)女史のアイボリー・ブロンプトン(通称ちくわぶー)のギアを交換することだった。リアにインター7を使っているのだが、動力伝達用のシングルギアが12Tで重過ぎるので、15Tにするとのこと。早速、和田氏が取り掛かった。基本的に、客自身が借りた工具で買ったパーツの装着、交換をするというのがここのやり方で、和田氏は難しい作業になると出てくる。この時も、隣で少年がFCR-1のハンドルをブルホーンに付け替えていた。
 渡辺氏のスクート(スーツケース型自転車)に試乗させてもらう。珍妙な形だが、それほど乗り難くもない。が、幅があるので、膝がボディに接触するのには閉口した。
 入れ替わり立ち代り、常連がやってきては立ち話をし、去ってゆく。ただの自転車屋の店頭が、なにか社交場のようになっている。これは不思議な光景だ。
 店頭、そして近辺の歩道には、小径車を中心に自転車が山積みになっている。店内はさらに壮絶なことになっている。なにが在庫されているか、たぶん和田氏にしか分からないのだろうな。
 今日、ちょっとした買い物をする心積もりがあった。ちくわぶー号のギア交換が終わり、一段落した和田氏を捕まえ、ロングアーチのデュアルピポッドブレーキと、BBスペーサーについて聞いてみると、即座に「あるよ」と返答が。さすが、ここにはあったか。アルホンガのデュアルピポッドブレーキ(前後)と、BBスペーサーをいくつか入手した。これで、BD-1のFD追加と、Mobillyのブレーキ強化が果たせる。
 和田氏が「ここに来たのは初めて?」といったので、首肯すると、あんじょうおおきに、みたいなことをいわれた。なんというか、いきなり距離を感じさせず気軽に相談できるような、不思議な人だった。また来たいと思うね。しかし、結構商売人らいしいぞ(笑)。
 その後、近くのファミレスで会食。こぐ氏は密かに韓国うどんなどを食していた。僕もいいかげんうどん*4攻撃で腹が満たされていたから。「僕はカツとじ定食」。まだ食うのかYO! うどんは消化に良いのである。
 ファミレスを出たのはもう22:00過ぎ。僕は近くの西荻窪まで走り、そこから輪行で、他のメンバーは自走で帰るという。
 西荻窪まで走りながら、尻の痛さに泣く。スペシャのレース用サドルをつけているのだが、こいつが固くて50km以上は耐えられなくなる。かっこいいんだけどな。まあ、50km以上走りそうなときは、MR-4Fの出番でいいのかも。
 JRを乗り継いで帰宅したときには、もう0:00を過ぎていた。

2002年05月24日(金曜日)

15kmほど

22時00分 自転車 天気:まあ晴れかな

 今日も15kmほど走った。TCR-2で出走して、中田公園(という名前らしい)の周囲をグルグル回る。バッテリーも満タンだぜ。しかし、明日は(きっとそれなりに過酷になりそうな)讃岐うどん学習会オフなので、ここらで控えておいた。
 ふと気づいたら、満ちる寸前の月が空に浮かんでいた。

2002年05月23日(木曜日)

今日は10km弱

22時00分 自転車 天気:晴れてた? 夜にはくもりだった

 今日も今日とて帰宅は23:00過ぎである。ふう、山場だなあ;-_-)
 それでも、今夜もTCR-2を持ち出した。雨の季節になると走るに走れなくなるから(まあ雨具着て走るという手もあるが)、今のうちに距離を稼いでおこうという判断だ。
 ここ最近の方法、高負荷2周+低負荷1周のコンビネーションを繰り返す。このセットを、まあ今夜は時間も時間だし(もう日付が変わった)、5セットで勘弁してやるか。いや、僕の体を、だが。
 ところが、2セットこなした時点でライトが暗くなり始めた。だいたい、50周ほどすると電池切れになるくらいだ。早いなあ。もう一本、バッテリーだけ欲しいくらいだ。明るくていいライトなんだけど。
 結局、今日は9周、10km弱で打ち切り。雲間に見えるお月様を拝みながら、公園でストレッチして、帰宅した。

2002年05月22日(水曜日)

何をする暇も無い日

22時00分 暮らし 天気:くもりだが晴れ間もあれば雨も降った

 帰宅したのが0:00前。なにをする余裕もない日だ。それでも自転車で運動しようかと思っていたのだが、帰宅して座り込むと、もうそんな気力は湧かなくなっていた。
 しばらくあちこちのウェブを見て回っただけで、すぐ就眠。

2002年05月21日(火曜日)

今日も15kmほど

22時00分 自転車 天気:くもりだが晴れ間もあれば雨も降った

 今日は早めに帰れたので(といっても22:00過ぎだが)、TCR-2を持ち出して、また運動公園の周囲を走ってきた。大体、心拍数が130~160辺りを上下している感じだ。もう少しペースを落とすか、あるいは逆に上げるかしないと、あんまり効率のいい運動にはならない気もする。
 23:00過ぎという時間帯だが、やはり同じように運動をしている同好の士を何人か見かけた。といってもジョギングしている人々だが。そこはかとない親近感を感じる。
 15kmほど走り、街灯の下に自転車を停めると、かなり汗ばんでいた。上は半そでTシャツ、下は半レーパンというカッコなので、この季節にはまだ涼しすぎるくらいだ。
 少しストレッチして、帰宅した。

2002年05月20日(月曜日)

ADSL8M変化

22時00分 インターネット 天気:くもりだがお湿り程度には降ったぞ?

 あちこちのウェブページをうろついていたら、「地球の未来にご奉仕するにゃん」なる謎セリフが散見されるようになった。な、なんだこの訳のわからないフレーズは。
 調べてみると、「東京ミュウミュウ」なる謎漫画からのフレーズらしい。一種の美少女戦隊ものらしいのだが、キメセリフに前出のもの、さらに(敵に向かって)「お礼にたっぷりご奉仕するにゃん」なんてのも。
 なにをご奉仕するというのだ。
 気になって眠れなくなる俺様だった。日曜日の朝にテレ東でアニメやってるらしいぞ。テレ東かよ。しかも連載しているのが「なかよし」だとか。さくらに次いで、またしてもヲの脳髄をゼリー化させてしまう漫画を生み出してくれたものだ。
 そんな俺様の無様な日常を哀れんだのか、それとも改心したのか、先週の半ば、NTTから「ADSL8M化しちゃいますね~」というお話が飛び込んで来た。過去のいきさつをあっさり水に流し、足元に擦り寄らんばかりにして申し込む俺様だった。そして今日、いともあっさりと変更が完了した。モデムは元から8Mbps対応だったので、こっちはなんの変更もない。気がついたらそうなってました、という感じ。
 インターネット土左衛門になってみると、ゴールデンタイムにはその差は全然感じられない。しかし、真夜中に試してみると、恐ろしく速い。ファイルがローカルにあるんじゃないかと思うくらいだ。これはもう、プロキシとルータが完全にネックになっているだろうな。高速化を決意する俺様だった。少なくともルータまでは。
 これで、次に光ファイバーがアパートクラスに降りてくるまでは、もう十分という感じだ。

2002年05月19日(日曜日)

やっぱりサイコー!

22時00分 自転車 天気:くもり

 一眠りして、昼頃起き出した。本当は、荒川に出動しようかとも思っていたのだが、昨日変な時間に寝入った関係で朝までゴロゴロしていたため、それはあきらめた。
 起きて、まずBikeEのタイヤを整備した。昨日、気圧が異様に低いことに気づいていたので、前輪は90PSIまで入れたのだが、後輪のバルブが斜めに歪んでおり、このままでは気圧を上げられないと判断し、夜明けを待ったのだ。おそらく、チューブがずれているのだろうと判断し、一度タイヤのビード部を外し、チューブを入れなおしてから注気した。これでいい。前後とも90PSI入れたので、まあ問題なかろう。
 さらに、ペダルも付け替える。オリジナルのは、ふつうのペダルなのだが、やはりビンディングにしたい。そこで、シマノの真っ赤なSPDに付け替えた。前にBD-1に着けてた、でかい重い奴だ。これなら、クリートがキャッチされなくても、なんとか漕げる。
 これで、近所を試走する。を、をを、ををを。なんと軽くなったことか。しかも、昨日悩まされた直進性の無さも大幅に解消されている。たぶん、前後の気圧が低すぎて、グリップも低くなった結果、ああいう挙動になっていたのだろう。なんにせよ、昨日の印象とは大違いだ。
 早速、試走を兼ねた買い物に旅に出かけよう。いつもの裏道を通って、境川サイクリングロードに出る。そして飯田牧場を目指して南下していった。昨日、20km/h出すことすら難しかったというのに、今日は30km/hで悠々走れる。やっぱり、空気圧は大切だな。
 飯田まで順調に走り、アイスを、と思ったら、すごい行列だ。それでも、今日は暇人な僕は、並んで待つことにした。
 並んで、えらく消化の悪い行列で、じりじり前進していたら、後ろについた家族連れが俺様のグレートなBikeEに気づいた。そして、俺様がその所有者だとも気づかず、なにやら話し始めた。
「なにあの自転車」
「かわい~」(かなり謎な反応だ)
「どうやって漕ぐの?」
「ピエロが乗ってるのみたい」
 なんじゃそりゃ。ピエロが乗ってる? 察するに、木下大サーカスの類で、ピエロ諸氏がこいつを乗り回してでもいたのだろう。この家族連れは、なぜかそれを見て知っていたのだろう。たしかに、奇異には思えるかもしれない。
 飯田では芋アイスを喰らおうと思っていたのだが、既に売切れだった。
 飯田を出て、湘南台に立ち寄る。途中から、気合の入ったローディーが30km/hオーバーで抜いていった。抜かれたのに、気分的にはなぜか余裕があって愉快だ。しかし、この道、時々エアロバー着けたロードバイクで突っ走る人がいるが、危なくないのかな。また、MTBに乗ってる人で、人ごみを無理やり縫うようにして抜いてゆく人もいる。こっちも危ない。
 ダイエーに寄り、88円均一コーナーでペットボトル入りのジュースを3本、その他雑貨を買ってゆく。BikeE専用バッグには、はっきりいって10本以上は入りそうだ。
 こうして、悠々と買い物を済ませ、また悠々とアパートへと帰っていった。もう、BikeE以外で買い物に出かけるつもりなんて無いよ。こんな安楽な自転車、もう手放せないな。

2002年05月18日(土曜日)

死ぬかと思った。BikeE受け取りの旅

22時00分 自転車 天気:案外にくもりのままもったりしてな

 午前中、SuCa氏とどうしようかとやり取りしていたが、ついに決行を決意。12:00過ぎに家を出て、電車を乗り継いで二子玉川に到着した。
 15分ほど早く着いたので、改札口辺りをうろうろしていたら、バス停がある側でBikeEを発見。所有者らしい男性に声をかけると、思ったとおりSuCa氏であった。SuCa氏の印象は、なんというか年齢不詳であった。
 まずは試乗ということで、近く(といっても歩いて5分ほど)のテーマパークに移動し、生まれてはじめてのリカンベントに挑戦だ。シートを適当に調節し、右足をペダルにかけ、グイと踏み出した。その途端、BikeEは右へと大きく傾斜した。危ない危ない。もう一度挑戦して、今度はなんとか走り出せた。
 第一印象。こんなにもまっすぐ走らないものか。絶えずステアリングしてやらないと、すぐに左右に曲がってしまう。このクイックさにはびっくりだ。しかし、自然な姿勢で、大きく空が見えるのには感動もした。慣れればなんとかなるだろう。購入決定!
 自転車を近くに置いて、ひとまず駅改札口近くのベーグル屋でお茶。福沢さん分隊をSuCa氏に渡し、BikeE ATはついに僕のものになった。しばし雑談。やっぱ、SuCa氏もコンピュータ関係な仕事らしい。
 帰宅時間が気になっていたので、SuCa氏と別れ、R246を西に向かう。
 BikeEには既にスタンド、専用バッグが着き、さらにSuCa氏はライトとワイヤ錠、サイクロコンピュータまでおまけしてくれていた。もう、とりあえず何も買わないでいいくらいだ。専用バッグの上に、僕が背負ってきたドイターのバックパックを背負わせると、身に何も着けないで済む。
 R246は交通量が多く、最初のうちは比較的広い歩道に逃げたりも出来たが、だんだん歩道さえも狭くなり、ある地点でとうとう歩道さえも無くなった。それも、かなりの坂道の手前でである。しばらく辺りを迷走したが、迂回路がすぐには見つからなかったので、反対車線の脇にあるごく細い歩道を進まざるを得なかった。R246って、まさに車のための道なんだな。迂回路くらい作れ。
 元気があれば車道を走るところだが、もうそんな余裕が無い。ぶつぶつ言いながら、狭い歩道を押してゆくだけだ。
 ようやく、一番狭い場所を通り抜け、再び自転車の人となる。走るだけで神経を使う。リカンベントってこんなもの? こんなにつらいの?
 R246を走りつづけること3時間。ようやく見覚えのある場所に差し掛かった。境川との交差点だ。安堵しつつ、サイクリングロードに入った。
 しかし、ここからも長い。えんえんと重いペダルを踏みつづける。この漕ぎは、ブロックタイヤを履いていた頃のMTBよりも重い。それも道理だ。タイヤをチェックして気づいたのだが、空気圧がかなり低かったのだ。おかげで、リム打ちパンクを警戒して、さらに疲労する結果となった。こういうときに限って、インフレータを持ってきてないのだ。
 いずみ野に達する辺りで、とうとう日が暮れきった。ライトをつけ、疲れた体に鞭打ち、家路を急いだ。
 結局、帰り着いたのは4時間後のことだった。僕は、史上最も疲れた男となって、布団に倒れこんだ。

2002年05月17日(金曜日)

明日はBikeE受け取りの日だが

22時00分 暮らし 天気:くもりかな雨かな

 明日、BikeEを見せてもらうためにSuCa氏と会うことになっているのだが、雨が降っているし、また明日は雨が止みそうに無い。延期しようかと思う。でも、明日を逃すと、しばらく合うタイミングが無い。悩ましいところだ。雨具を着込んででも出かけちゃうべきだろうか。

2002年05月16日(木曜日)

MR-4F新タイヤ

23時00分 自転車

 同時に頼んだのが、サイクルショップナンバーワンに注文していた、パナレーサーの24*1タイヤだった。これ、MR-4F標準のものより高圧が入るので、注目していたのだ。たぶん、Giant経由で流通していると思しき標準タイヤよりも安いので、思い切って買ってみた。
 いそいそと交換し、早速試走する。をを、軽いぞ。110PSI入れて、標準のものより20PSI高いだけなのだが、さらに走りが軽くなった感じがする。タイヤの材質も、18インチのカラータイヤに似ていて、ややつるつるのものだ。カラータイヤの耐久性を考えると、標準タイヤよりは長持ちしそうだ。
 残念なのは、サイドスキンな形式なので、真っ黒なMR-4Fにはちょっと合わないということだ。でも、よりロードっぽくなった感じもする。これはお勧めタイヤかも。

T965到来

22時00分 コンピュータ 天気:雨だかくもりだか

 昨日の今日だが、T965が届いた。エイゾーサポートの作業スケジュールで一日ずれたのだが、この方がこちらも好都合だ。
 今日、持ってきてくれたのは、代引き便担当のお姉さんだった。後述するMR-4F新タイヤが同時に届いたせいだ。
 タイヤを受け取り、超重い荷物はお姉さん一人では無理そうなので、手伝って二人がかりで運びあげた。くそ重い荷物だ。
 早速箱から出し、E66Tはとりあえずどけて、替わりに設置する。なんちゅうくそ重いモニタだろう。腰が逝くかと思った(x_x) 次は液晶モニタにするぞ!
 このT965、言われているほどには発色が気にならないな。もっとも、劣化したE66Tでも気にならなかった俺様のいうことではあるが。
 さすがにE66Tより鮮明だ。だが完全にフラットな画面は、E66Tに慣れた目には凹面に見えてしまう。
 これが12万円か。モニタも安くなったものである。

2002年05月15日(水曜日)

E66Tが戻ってきて大変な日

22時00分 コンピュータ 天気:くもり

 今日はE66Tが修理から戻る日。いや、実際には修理してないんだけど。となると、借用機も返却しないと。こりゃ困った。またでっかい箱がキッチンを占有しちゃうよ。
 まあ、運送屋さんに相談するかと思い、その到着を待ちながら借用機の箱詰めだけは行っておいた。
 20:00前、いつもの黒猫のおじさんが到着。E66Tはやはり宅急便で送ってきていた。明らかに規定外なんだが......。そこでおじさんに相談すると、いいよ、引き受けるよと言ってくれた。ありがたいことだ。
 まず借用機をトラックまで運び、そこからE66Tを運び上げる。二人がかりじゃないとこりゃ無理だ。前はおじさんが一人で持って上がってきたんだよなあ。
 届いたE66Tを早速再設置する。おや、瞬断は起きないな。調整でなんとかなったのか。しかし、画面のぼやけと暗さは歴然としている。長い間使っていたので、気づかなかったんだよなあ。
 その後は、天気を気にしながらTCR-2で運動公園を15周。先週辺りから、新しいトレーニングを試している。2周分高負荷で走り、1周を中ぐらいの負荷で走るというセットを、好きなだけやるというもの。こうやって負荷をかけないと、ダイエットにも訓練にもならなさそうで。
 今日は時間的な問題から5セット、15周をこなした。今夜は風が冷たい。

2002年05月14日(火曜日)

食欲が無い

22時00分 暮らし 天気:くもり

 食欲がねえ。朝も昼も食欲がわかない。無理やりに食ってる感じだ。原因は明らかで、夜寝る前にガツガツ夜食しているからだ。自業自得もいいところだ!
 生活を見直さねばならないなと思う今日この頃。

2002年05月13日(月曜日)

爆睡の日

22時00分 暮らし 天気:雨

 休日明けはいつもそうだが、体調がいまいち良くない。今日も今日とて、昨日飲み過ぎたのか、朝になっても嫌なげっぷが出て、偏頭痛がある。ああ、たかが500ml缶一つで二日酔いになるわが身が恨めしい。
 今週はまだ平穏なはずだと思い、会社を休む。
 ずっと、暗い外を眺めながら、寝たり起きたりしていた。GW中の日記も、ようやく書き進める。日記になってないやんけ。まあ、ウェブ日記なんてそういうもんだ。

2002年05月12日(日曜日)

NHKスペシャル「変革の世紀」

23時00分 テレビ

 NHKスペシャル「変革の世紀」第2回目は、"情報革命が組織を変える"。
 20世紀の大半を通して、様々なサイズの組織は、大体のところピラミッド状の階梯を成していた。つまり、意思決定を行う少数の幹部が居て、その下にその命令に従う労働者がいるという形式だ。その命令を効率的に実行するべく、多数の中間管理職が存在するのが普通だ。
 このような階層構造の組織を考案したのは、普墺、普仏戦争の立役者、ドイツ参謀本部のモルトケ(大の方)らしい。モルトケは、長い訓練期間を必要とする熟練した正規兵中心の軍隊を、未熟練の動員兵主体の近代的な軍隊へと作り変えた。平時に専門職(そしてただ飯喰らい)たる軍人を多数用意するのではなく、必要なときにその辺の一般市民に武装させて使うことをはじめたわけだ。そのような軍隊に、なおかつ高度な行動力を必要とする近代戦を遂行させるために、モルトケは一般兵に最低限の命令を与え、それさえこなせば機能する組織を編み出したのだ。この、教育を受けていないふつうの人に、高度な各種労働を遂行させるための仕組みは、その後様々な近代企業が取り入れるところとなった。
 中でも自動車メーカーのフォードは、ライン生産による職能の分解と組み合わせ、爆発的な成長を可能にした。フォードはピラミッド型企業の代名詞となった。
 ところが、こうした巨大組織に異変が生じている。
 まず、米軍は、一人の兵士は一人の命令系統からしか命令を受けないという大原則(命令一系統の原則とでも名づけるか)を崩し、ある兵士が直属の上司を飛び越えて、さらに上部の司令部から命令を受け取ったり、逆に情報を伝えたりすることを可能にしようとしている。このバックボーンになるのが"戦術インターネット"だ。一つの戦域中にある軍の構成員全員が、各種AFVに設置された端末を通じて情報を共有するのだ。これにより、情報の遅滞、欠如を生じることなく、自由に命令と情報の交換が可能になる。それだけではなく、横のつながりさえ生まれる。ある歩兵部隊が、上位司令部の命令を待つことなく、すぐ背後にいる砲兵部隊に支援依頼することが可能になるのだ。もちろん、戦闘教則もそのように書き換えられることだろう。
 フォードの場合、従来のラインが最下部、すなわちひたすら命令を待つだけなのはおかしいと、ピラミッドをひっくり返そうとしている。すなわち、顧客や生産現場に接している一般社員に大規模な権限委譲を行い、中間管理職、経営陣は、その支援に回るという図式だ。もちろん、企業の舵取りは"誰か"がやるのだろうが。
 さらに進んで、組織そのものが消滅するという予測もある。ある研究組織は、掲示板システムをうまく活用し、利益を上げている。ある懸案を掲示すると、それにまつわる情報を全社から求める。そしてその懸案に興味を持つ社員が集まると、自然に一つのプロジェクトが生まれるという寸法だ。これを進めてゆくと、やがて企業からは"部"、"課"、"係"などが消えるだろう。そして、それぞれ特殊な知識や技能を身につけた社員一人一人が、ある案件に対して集まり、解決や発展を図る場がアドホックに生まれてゆく、そういう組織になると予測する研究もある。
 この辺、日本ではどうかなと思わなくもない。すなわち、なにかトラブルがあったとき、それに対して謝罪し、あるいは"誠意"を見せるのは、ある程度の地位を持つ幹部でなければならない。いくら権限を持っているとはいえ、その辺のヒラが頭を下げても、日本の企業風土ではまったく意味を持たないのだ。こうした風土が根強く残る限り、縦の組織が急に解消されることは無いだろう。と、ここまで書いて思ったのだけど、それなら頭を下げる専門の部署を設け、見かけ上高い地位につけておけばいいのだ。実に日本的解決法。
 しかし、果たしてこのような組織が有効に機能するのだろうか。末端の一人一人が高度な権限を持つ。そのような組織では、不正をどう防げばいいのだろうか。例えば、莫大な資源を持つ大企業にオウム真理教(現アレフ)のような狂信者集団が潜り込み、危険な物資の調達、あるいは生産を図ったとしたら。また軍事組織で、首都にミサイルを照準することで、クーデターを図る組織が暗躍したとすれば。それゆえに、未来の組織では、監察という要素がより重視されるようになるだろう。軍隊の憲兵隊を、より強化したような組織が設けられるかもしれない。この組織がかなり高い権限を持たなければならないのは自明だろう。なぜならば、取り締まる対象がそれぞれに高度な権限を持つ構成員、あるいはその集団だからだ。その活動を阻止するには、やはり高度な権限を持ち、それらの活動を止めさせなければならないだろう。また命令系統の混乱防止、あるいは監査作業の独立性のために、監察組織もまた独立した存在でなければならない。ますます憲兵隊に似てくることになりそうだ。
 未来の組織は、あるいは個人個人がその力を伸ばせるような、働きやすいものになるかもしれない。しかし同時に、組織全体に張り巡らされた監視の目という、新たなストレス源が生まれることになるのかもしれない。

BD-1で久々の町田

20時00分 自転車 天気:くもり

 このところ、町田まで遊びに行ってなかったなと思った。今日はBD-1を引っ張り出し、町田まで走ることにした。
 最初、サガミにも寄ろうかと思っていたのだが、寄ると何か買っちゃいそうだし、時刻もやや遅かったので、まっすぐ町田まで走ることにした。
 久しぶり(でもないか)に乗るBD-1は、ロードやMTBに比べると、やはり漕ぎ出しが軽い。しかし、スピードを維持するのがやや難しい。やっぱ、タイヤをStelvioに替えちゃおうかな。
 境川沿いに休みも無く突っ走り、やがて町田に到着。ダイソー前の駐輪場にBD-1を停め、ダイソーをちょっと冷やかす、つもりだったが、出るときには何がしかの買物をしていた。Librettoを入れるのによさげなバッグ、ちょっとした食料品、などなど。
 それから、歩いてイトイサイクルに向かい、e-ショックマスターブラスターが置いてないか探したが、無し。半地下のパーツコーナーで足の長いキャリパーブレーキがあったので店員に確認すると、残念ながらシングルピボットだった。デュアルで足の長いのはもう作ってないんじゃないかという。
 帰りも境川沿いに走り、ちょっと向かい風気味だが快適に飛ばした。今日は日差しも無く、いいサイクリング日和だった。

2002年05月11日(土曜日)

ご近所を散歩

22時00分 自転車 天気:くもり時々はれ

 いまいちはっきりしない天気だ。5月だなと思う。五月晴れという言葉もあるけれど、あれは晴れを希求する気持ちがたまの晴れ空を青く見せているのか。
 GW中の疲れもあって、ほとんど自転車には乗ってなかったが、MTBで買物に出かけた。
 アイス3最後の悲惨な降雨により泥だらけになったHardRock号を、チャチャッと整備して、湘南台まで出かけた。
 サイクリングロードに出ると、散歩している人が結構多い。雨が多かったからだろうな。
 自転車をダイエーの駐輪場に停め、歩いてWaveEyeに。実は2号機がやたらハングアップするので、とうとう開腹してあれこれ試したところ、CD-Rドライブが原因だと判明した。こいつからケーブルを外すと、SCSIアダプタに起因するハングアップは無くなった。このところの高温にやられたか。実は、1号機のCD-ROMドライブもおかしいのだが。
 その代替機を探したが、中古のCD-Rドライブ、しかもSCSI接続というものはない。秋葉で探すか。
 ダイエーをうろついて、88円コーナーで入用のものを買い、帰宅した。
 夜、NHKスペシャルはイタリアでかつて起きた無差別テロの裁判と、その真相を追う内容だった。極左、極右が相次いで法廷に立たされ、さらには軍関係者の関与まで疑われている。政治の闇に絡む事件は、どの国でも解明が難しいということだ。

2002年05月10日(金曜日)

梅雨か

22時00分 暮らし 天気:雨

 なんか、沖縄、奄美地方はもう入梅するとか。あの辺は、やはり気候が少し違うなあ。
 神奈川も既に入梅したかのような天気だ。
 雨の日にボーっと外を眺めていると、気分が落ち着いていいもんだ。

2002年05月09日(木曜日)

遊び疲れ

22時00分 暮らし 天気:くもり

 寝る寝る。今日も帰ってバタンキューだ。夜中に起き出し、怪しい行動を取る俺様であることよ。
 疲れがなかなか取れない。ぐったりした一日だった。

2002年05月08日(水曜日)

BikeE買えそう

22時00分 自転車 天気:くもり

 サガミ3に置いてあるBikeEを買おうかと画策していた。どうせ買うなら、フレームの長いATだよなと思い、そのオプションも調べておく。専用バッグだのカゴだのパニアバッグだのを満載して走ると楽しそう。
 ところが、思わぬところから安く入手できそうな話が転がり込んできた。わにでこの間のしまなみ海道行のことを話していたら、あんまり乗ってないBikeE ATを買わないかという話が出てきたのだ。新同だということだから(確か、買って間もないはず)、美味しい話に思える。
 とりあえず、二子玉川辺りで直接モノを見せてもらうことになった。大きな破損とかがなければ、これで決まりかな。

2002年05月07日(火曜日)

モニタ修理風雲編

22時00分 コンピュータ 天気:雨

 GW前、E66Tの修理依頼を出して、とりあえず見積もりを送ってもらうことにしてあった。それらしき封書はGW直前に届いていたのだが、どうせ営業所も休みだろうと思い、しばし塩漬けにしてあった。
 今日、思い出して開いてみる。うん、電話で話した通りの見積もりだ......げっ、三日以内に応答せよとなっているぞ。慌ててエイゾーサポートに電話する俺様だった。
 担当のおじさんによれば、三日は目安なので気にしなくて良いとのこと。ホッ、印鑑まで押してあったのでびびったぜ。
 担当と、E66Tの処遇に関して話す。もう劣化が進んでいるし、CRT交換はちょっと金が掛かるので、E985を購入する方針に変更はない。しかし、E66Tも問題なく使えてはいたので、問題だった瞬断を解消すべく、その部分だけ交換(2万円弱)しようと考えた。しかし、担当いわく、『その部分だけ修理しても、他のところから故障する可能性が大きい。その場合、保証が切れているので、また修理費が高くなる。修理するだけ無駄』とのことだった。ううむ、確かに、5年ほども連続使用してきたので(なにせ、盆正月くらいしか電源を落とさなかった)、あちこち激しく劣化しているかも。とりあえず、考えさせてくれといい、電話を切った。
 後でじっくり考えて、たとえE66Tを完全に修理しても、置き場所が無いと思った。エイゾーのいう通り、これはそのまま返却してもらうか。いちおう、担当は出来る限り調整しておくといってくれてはいたので。

2002年05月06日(月曜日)

連休疲れ

22時00分 暮らし 天気:晴れ

 長かった連休も終わった。今年は結構遊べた気がする。
 今日こそボーっとした一日を過ごしたかったが、あいにくなことに休日出勤が待っていた。ほとんど人気の無い職場で、黙々と机に向かう俺様であることよ。
 明日からの平日がかったるいなあ。

2002年05月05日(日曜日)

真鶴半島ツアー

22時00分 自転車 天気:晴れ

 雨にたたられたアイス3の翌朝、空はなかなかの好天となった。昨夜はどうなることかと思ったが。
 今日は、僕が企画した真鶴ツアーの実施日だ。参加者はかぜはるか氏、こぐ氏、@nak(あ)氏、紅一点@nak(た)女史に僕と、昨日よりちょっと少なめだ。
 睡眠時間は十分。バックパックを背負い、MR-4Fを戸塚駅まで走らせた。戸塚で輪行状態にし、東海道線に乗り込んだ。
 小田原駅には10:00前に到着。MR-4Fを抱えて改札口を出ると、かぜはるか氏とこぐ氏が待っていた。ほどなく、@nak夫妻も到着。今日はかぜ氏はDAHONのHELIOSで登場。
 自転車を展開後、真鶴目指して走り出した。
 途中、コンビニに寄り、早川を経由して真鶴道路へと入った。結構、いいペースで進む。いい天気だし、のんびり走るか、と思っていたら、後ろから突然「失礼」と呼びかけざまに、7、8台のロードバイクに抜かれた。上り坂だったが、結構なペースで走ってゆく。最後尾に小柄な人(僕は子供だと思ったが、女性だろうという意見も)が着いていたが、こちらも遅れることなく突っ走ってゆく。ロードバイクで突っ走りきるというのも気持ちよさそう。
 途中、適当に休止を挟みながら、いよいよ真鶴トンネルに到達した。ここからの眺めは最高だ。トンネルを越え、さらに走って、真鶴駅に到着した。
 さあ、ここからは未体験ゾーンだ。昼食をとる予定の店、テラス・ティキは、前回の真鶴行では発見できなかった店だ。いちおう、今までも通っていた周回路沿いにあることは分かっていたが。
 真鶴半島への道を走り始めてすぐ、いつもなら降りてくる道を逆走して駆け上がる。つらいなあ、と思う間もなく、ふとある看板が目に入った。そこがテラス・ティキだった。簡単に見つかってよかった。ホッとするへなちょこ隊長の俺様だった。
 開店時間前だったので、店の前でうだうだ時間をつぶしていたら、少し早めに開店してくれた。早速、真鶴漁港を見下ろす特等席を占有する。いい眺めだ。
 おのおのメニューを眺め、注文を出す。真鶴といえばお魚、ということで、やはり魚介類の料理を注文する人が多い。よし、僕も。「ハンバーグと骨付きチキンを」。どこが魚介類じゃ! 実は、なぜか煮炊きした魚にはあまり魅力を感じないのだ。
 リーズナブルな料理に舌鼓を打ち、食後の珈琲を堪能すると、いよいよ真鶴半島の先端部へご案内だ。
 やはりアップダウンがきつい道を走りつづけ、新緑の鮮やかな道路を駆け抜けると、後で寄る積もりのサボテンランドがあった。ここは通過。さらに走り、三叉路の近くに設けられた駐車場に差し掛かった。ここは、確かケープパレスの近くだ。しかし、いつもと違う方向から来たがために、ここで道順を間違える。が、すぐに海に見える三つ石の方向から間違いに気づき、リカバリに成功。余分な道を走らせてしまってスマンっす。
 三つ石の展望台に立ち、一行は遥か彼方に見える初島(?)の島影に目を細め、水平線に視線を投げる。僕はそそくさとソフトクリーム購入に向かったが、客さばきが悪く、結構待たされる。
 ケープパレスに上がり、みやげ物をざっと眺める。何か買っていった人はいたかな。
 ケープパレスを出て、サボテンランドに立ち寄った。園内には温室で栽培されている多種多様サボテンがあり(当たり前だが)、見るものを楽しませてくれる。妙な和名がついているものが多かったが、あれは日本の愛好家がものかもしれない(ほら、鯉や蘭のような)。
 鳥もいる。九官鳥らしき鳥のケージの前で、(た)女史が「『なんだよう』っていわれた」という。ほんとかよ、とみんなでいろいろ話し掛けるが、九官鳥は答えない。仕方なく次の温室へと歩き出したとき、言った、「なんだよう」と。本当だ。しかし、誰が教え込んだんだ。
 温室を抜けると、庭園が広がっている。そのベンチを占有し、しばしお昼寝タイムだ。陽光が心地よい
 そろそろいい頃合だと思ったので、出口へと歩き出した。途中、孔雀のいる檻を通ってゆける。でかい孔雀が羽を広げ、すぐ目の前にいるのには感動した。が、道をふさぐのには閉口もした。
 売店で、お約束のアロエソフトを食す。うーむ、アロエくささがない。単に緑がかったソフトというだけのような。
 サボテンランドを出ると、来た道を戻って真鶴駅まで、さらに湯河原まで一気に突っ走った。しかし湯河原駅手前でストップ。湯河原ラドンセンターに立ち寄り、汗を流した。露天風呂もあって、なかなかいい感じ。
 風呂の後は、すぐ側の湯河原駅まで走り、ここで輪行状態に。そして最後は電車でビール! かと思いきや、電車は満員状態でそれはならず、最後の締めに欠く結果となった。これは、リベンジか?
 小田原でこぐ氏、かぜはるか氏と、藤沢で@nak一行と別れ、僕はのんびり自宅に帰った。今日は天気が良くて助かった。

2002年05月04日(土曜日)

最後に祟られたアイスお代わりツアー3

22時00分 自転車 天気:晴れのち雨(なぜだ!)

 昨日のSFセミナーでのことで頭をごちゃごちゃにさせつつも、今日はまた自転車の日なのだ。我が神奈川支部(だからいったいなんの支部なのであろうことよ?)恒例のアイスお代わりツアーが実施されるのだ。前回は、真冬もいいところの2月に実施され、その過酷さに俺様を震え上がらせた伝統のツアーだ。真っ白な息を吐きながら、空っ風に吹かれる屋外で食すアイスのうまいことよ。
 今回は、春爛漫の5月ということもあり、前回のような過酷な事態にはなるまいと読んだ。そこで、安楽なMTBでの出動となった。
 集合時間はサガミサイクルセンターの開店時刻に合わせ、10:50分と決められていた。10:00かなり過ぎに家を出ても、十分間に合う。それくらいに家を出て、かまくら道をしばし北上。適当なところでサガミのある筋に出て、定刻10分前にサガミNo.3に到着、したが、ちょうど店員が1F駐車場前を掃除しているところで、開店前の利用は気が引けて、少し北上したコンビニのわき道でおやつをとる。そしてサガミ前の道を見るとは無しに見ていたら、こぐ氏が颯爽と走ってゆくではないか。頃合良しと見て、サガミNo.3に向かった。
 サガミNo.3の駐車場では、こぐ氏と、かぜはるか氏が待っていた。かぜ氏(ここで区切っていいんだろうか)はロードで参上。僕もロードで来ればよかったか、とそのとき思ったが、後々自分の判断に感謝することになるのだ。
 待つほどもなく、たか氏、@nak(あ)(た)夫妻が登場。にち氏とかぷりしぇ女史は? ほどなく電話があり、少し遅れるとのこと。揃っている6人で、まずはサガミ3を襲う。
 先週くらいに来たばかりなので、僕は文字通り冷やかすだけ。買う気満々で来ている(た)女史は、早速なにやら買い込んでいた。このツアー、実はサガミも目的の一つなのだ。アイスお代わり&買い物ツアーなのだ。
 サガミサイクルセンターまで歩き、2Fに入った。でかいサドルバッグを買おうとか、シューズ欲しいなあとか考えながらうろついていたら、店と通りを挟んで対面ににち氏、(か)女史の姿が見えた。彼らも加え、一同は思い思いに店をうろついた。
 昼飯は、サガミの1Fで。今日は肉モノを頼んだが、周囲はほとんどパスタ類だった。にち氏はまるでなにかの義務であるかのようにデザートを頼む。これはすばやく出てきて、今日の昼食時間は、さほど後をひかなかったようだ。
 さて、今日はこの先の道行きが、従来から少し外れる。たか氏の案内で、カナサシファームという大和市内(?)にある牧場に寄る事になったのだ。
 カナサシファームまで、裏道っぽい場所をしばらく走る。たか氏はこの辺りに住んでいるそうなので、心強い案内役だ。途中、新しい幹線道路の造成地点を過ぎる。これはどこにつながる道なんだろうね。
 やがて、道がいくつかに別れる地点で、たか氏は停止した。そして一行に不気味な笑顔を向けながら、指し示した二つの道の一方を選ぶように促した。一方はまあまあの坂、一方は激坂が待ち受けているというのだ! なんという罠。しかし、たか氏の顔色を見て、一行は正しい道(つまりまあまあの坂)を選択できた。
 一行は、裏道というか生活道というかふつうの道を走りつづけ、やがてテニスコートに隣接したカナサシファームに到着した。GW真っ盛りということもあり、かなりの人出。お目当てのアイスも、結構な時間待たされた。
 ここのミルク味(当たり前だが)はたか氏のいうように濃厚で、口当たりも良い。いけてます。
 この次には高座豚の店に立ち寄ろうということになった。これが、かなりの激坂を登ることに。しかし、前3枚だとやはり楽。悠々突破する(実は息絶え絶えだったことは秘密だ)。
 高座豚の売店を冷やかすが、ちょっと買って帰るわけには行かない。ましてや、その場で買い食いなど。と思ったら、気配りの人、こぐ氏が、ハツの燻製を買ってくれたので、みんなで味見という運びに。ハツ特有の歯ごたえある噛み味そのままに、旨みをギュッと凝縮したという感じ。酒飲みにはたまらん肴だと思う。が、不思議なことに、こういうものをこよなく愛するこぐ氏は、酒を飲まない人なのだ。
 一行は、再びいくつかの坂を越え(神奈川県は平地が少ない土地だ)、やがて湘南台へと出た。ここで湘南台公園近くにある和菓子屋さんで、おやつを買う。こんな近くにいい店があったんだねえ。
 公園での小休止の後、一行はサイクリングロードを南下、飯田牧場へと到達した。今日も飯田でアイスだ。こちらも結構な人出だった。
 飯田の次はリコッタだが、これは牧場まで行く時間が無いので、藤沢駅近辺の支店で済ませようという事になった。が、たか氏も僕も正確な場所を憶えてない。ここだろうという見当をつけて行った場所には、飯田牧場の支店があっただけだった。結局、この日はリコッタは果たせず。
 夕暮れが迫っていた。一行は境川沿いにひた走り、腰越を目指す。今日もシラス料理で締めようという魂胆だ。が、前に行った店は、既に待ち行列が出来ているという。別の店に入る。ここでシラス尽くし料理を楽しんだが......やはり前回の店の方が良かったかなあ。それなりに楽しめたけど。
 ここでしばらく雑談していると、あれ、雲行きが怪しいぞ。なんと、雨がぽつぽつ降り始めている。これはちょっと予想外の事態だ。
 藤沢のスタバに、いうことになり、一行はスタバまで移動。そこで屋外に席を取って話しているうちに、雨がいよいよ本格的になってきた。おーい、よりによってMTBで来た日に......。輪行準備をしてこなかったのだ。
 雨が止むことを祈りながら待ちつづけるが、一向に降り止まない。時間は過ぎてゆくばかり。やむなく、輪行で帰ろうということになった。可能な人は。僕はこの雨の中、突っ走って帰るしかない。輪行準備をする人々に別れを告げ、雨の中を突っ切るようにして走り出した。
 このMTB、我が家の自転車の中では唯一(いや、実はBD-1にも着くのだっけ)マッドガード取り付け可能なのだが、今日は雨になるまいと読んで、着けて来なかったのだ。着ているものは綿のシャツに綿のパンツ。自転車用ヘルメットはスカスカで、雨除けにはならない。泣きたい気分だが、救いは暖かな春先であることか。
 藤沢市内を駆け抜け、境川サイクリングロード沿いに北上する。ハブダイナモを着けているので、電池切れを心配しないで済むのがありがたい。しかしこのハブダイナモ、防水は完璧なのだろうか......。
 それなりのスピードで走ったせいもあるのだろう、懸念したほど水滴まみれという状況にはならない。ござ、いやむしろ、意外に濡れないものだと感心した。なにに感心したというのだ。
 1.5時間程度で、家に帰着した。調べてみると、自転車のサドルバッグ、サドル、そして僕の背中に、茶色い筋が走っていた。それだけ泥水をはねながら走っていたわけだ。幸いにして、背中に回していたヒップバッグの中身は、ほとんど濡れてなかった。
 こんな天気で明日の真鶴行きは大丈夫なんだろうか、と心配しつつ、風呂に入り、明日の準備をしているうちに、雨脚はようやく収まってきた。

2002年05月03日(金曜日)

今年も出席、SFセミナー

22時00分 SF 天気:くもり?

 今年もSFセミナーに出ることにした。今年は13:00からなので、少し遅め、11:00過ぎに家を出た。
 御茶ノ水まで出て、全電通労働会館に向かう。開講15分前くらいだったが、既に50%くらいの入り。
 受付を済ませ、少し上の方に席を取る。ほどなく、開講(だよな、セミナーなんだから)。
 今年は男性二人組みが進行役だ。1コマ目は、「かめ、くらげ、たぬき、北野勇作」と題し、最近なんとなく名が知られてきた、また日本SF大賞受賞者でもある作家、北野勇作へのインタビュー。内容的に、このタイトルはまったく違和感無かった。つまり、北野勇作とは、かめ、くらげ、たぬきと併記してもなんら違和感の無い人だった。
 北野氏が生まれた町には本屋が無く、隣町の小さな本屋が数少ない書源(っつうのか)だったという。この点、歩いて繁華街に出ればいくつも本屋があった僕の方が、恵まれていたようだ。
 働きたくなくて大学へ、楽そうな仕事へ、そして作家へと志向していったそうだ。やはり、ゲージュツカにとっては怠惰こそが原動力たりうるのだな。
 北野氏の作品、前になんか買ったまま積読になっていたような気がする。
 2コマ目は「SF入門というジャンル」。日本SF作家クラブが編纂した「SF入門」出版の動機を、その中心となった川又千秋、巽孝之、牧眞司、小谷真理らが語るというもの。
 前半、というか大半は巽氏の語り、続いて牧氏による日本で出版されたSF入門書の紹介、小谷真理女史による編集裏話に費やされた。川又氏はあまり発言しなかったな。というか、そんな時間的余裕が無い駆け足の企画だった。
 このSF入門、作家による作家視点でのSF紹介というものだという。いわゆるSF入門(SFガイドでもいいが)が、読者の視点から書かれているのに対し、この本はSF作家が自分たち(あるいは同僚たち)の仕事を概説するというスタイルになっているらしい。小松左京の「SFセミナー」でSF理解を深めた僕とすれば、なかなか興味深い本になっている模様。
 3コマ目は「立ち上がれSF新レーベル」と題し、SFを視程に置いた各社レーベルの担当者に話を聞くというもの。
 角川春樹事務所、徳間、早川といった、おなじみの顔ぶれに混じって、祥伝社が混じっているのが目新しい。祥伝社はSFプロパーでこそ無いが、半村良、平井和正といったSF畑の作家の新刊を数多く出版している。特にSFにこだわってないが(積極的に取り込んでいるわけでも排除しているわけでもない)、中篇を書ける人材を集めたらSF畑からの人材が多かったとのこと。
 最後のコマは「小説の可能性を求めて。奥泉光インタビュー」と題し、SF的アイデアをいわゆる主流文学に積極的に取り込んでいる作家に、SF界からのインタビューを試みるという企画。例年、最後の企画は面白いが、今年も興味深く見た。
 奥泉氏は「近代文学における自然主義」への違和感を表明していた。文学における自然主義というのが不勉強でなんだか分からなかったが、ようするに出来るだけかなに開いた、すらすら読みやすい文体を持つ小説群のことを指しているのだろう。例えば「五月に入り、空気はますます温み、空の青さも深まってきた。恵子は~」などという文章の"不自然さ"に耐えられないのだという。情景の説明があって、その後に登場人物の説明が入るというのはごくありふれた手法だ。察するに、自然主義(文学)というものは、そのような導入部を設けることで、登場人物が"居ること"への不自然さを和らげる、という特徴があるのではないだろうか。しかし、どんな導入部を設けても、どんなに工夫しても、その"恵子"が作中に置かれるという"作為"は消せない。奥泉氏が表明した不自然感とは、そのようなものを差すのではないかと思った。それくらいなら、いきなり「恵子は~」と始めたほうが、まだ我慢できると奥泉氏はいう。そのジャズへの耽溺振りも含めて、興味深い作家だった。
 閉会後、秋葉に寄ろうかとも思ったが、特に用事も無いので直帰した。

2002年05月02日(木曜日)

横浜帰還

22時00分 暮らし 天気:くもり

 楽しかった旅も終わり、横浜に帰る日がきた。昼前に家を出て、まずモリスに寄って行くつもりだった。が、忘れて駅に直行。食えばよかった......。
 駅でMR-4Fをたたみ、呉駅で戸塚までの切符を買い求める。新幹線はがら空き。楽勝で座って帰られる。
 新幹線ではボーっとして過ごし、ボーっと新横浜で降り、ボーっと地下鉄に乗り換え、ボーっと家に帰った。新幹線が高速とはいえ、広島からの移動はやはり半日仕事になる。すごく疲れたし、明日はSFセミナーなので、寝る。

2002年05月01日(水曜日)

呉の町を走る

22時00分 自転車 天気:雨のちくもり

 前日、実家への帰着直後から、雨が降り始めた。ぎりぎりで助かった気分だが、同時にせっかく用意した雨具を使えなかった点が残念にも思う。
 その雨は、今朝まで残っていたが、やがてそれも上がり、路面が乾き始めた。今日は一日休養かと思っていたが、雨が上がったのなら別だ。MR-4Fで散歩に出かけた。
 まずモリスに寄る。大盛りを食らう。んまい。相変わらずのうまさ。
 モリスの帰路、フライケーキを買って、いったんうちに戻った。
 フライケーキを食いながら一服し、再び散歩に出かける。市の広報誌かなんかの断片を見て、本通り6丁目に広に抜けるトンネルが開通したことを知ったのだ。もう、東畑を越えてゆく必要は無いのだ。自転車でも気楽に広まで出かけられる。残念なことに、広に出かける用事はなさそうだが。しかし、話の種に通ってみたい。
 本通りまで走り、辺りを見回しつつ走って行くと......ありました。新しいトンネル、休山トンネルが。歩道は南側にしかないが、幅がかなり広い。生活道路だからな。自転車3台が悠々すれ違えそうだ。
 歩道を走って行くと、途中に車の待避所が2ヶ所あり、やがてあっけなく広に抜ける。これは便利。前は電車か、峠越えで時間も金も掛かったからなあ。
 広に来たとて用事も無く、そそくさと引き返す。
 本通りを流し、呉鎮跡(要するに海自呉地方隊その他)を目指す。赤レンガで有名な集会所で曲がり、坂道を登ってゆくと、鎮守府司令長官公邸が見える。道を挟んで、呉市美術館もあり。しまった、ワイヤロックを持ってこなかったので、今日は入れないなあ。まあ、夏のお楽しみとしとこう。
 様々な塑像がならぶ道を下り、今度は音戸の瀬戸目指して走り出した。最初のうちは平地で道幅も広く、快適だった。やがて坂出現。しかし、難なく登ってゆく。坂は嫌だが、段々登るのが苦痛でなくなってくる自分が怖い。右に自衛隊の護衛艦、潜水艦、支援艦が並んでいる。帰りに眺めようと思い、とりあえず素通り。
 自衛隊桟橋の前を通り過ぎると、ふたたびかなりの坂が待っている。ここもえっちらおっちら登ってゆく。なんと、片側通行同士の立体交差になっている。そこまでして場所を稼がねばならないほど、この辺りでは平地が貴重なのか。すぐ側に製鉄所が占有しているからだろうか。
 この坂も抜け、しばし走ると、道はますます狭くなる。かといって歩道を走るのもつらい。段差が大きく、かつ狭いのだ。タイミングを見て、一気に突っ走った。
 その先で、音戸の渡船場、音戸大橋、音戸の瀬戸への分岐がある。音戸の瀬戸への道を少し走ると、何度も見たことがある海上灯篭が現れた。対岸には清盛塚が見える。いや、こっちが清盛塚で、対岸は参拝所だっけ。なんにせよ、子供の頃に何度も来た場所を再訪するのは、ちょっとした感慨がある。頭上、はるか高くに、音戸大橋がそびえている。
 一服して、来た道を戻り、海自桟橋に戻った。潜水艦が多いなあ。数えてみると、10隻いる。あれ、潜水艦の定数は16隻じゃないのか。帰宅して、兄と話していて気づいたのだが、この中には退役して特務艦になったものも係留されていたのだ。しかし、それでも自衛隊の潜水艦戦力の相当数が、この日は港にあったわけだ。潜水艦乗りにもGWがあったのかもしれない。