Strange Days

2002年06月30日(日曜日)

W化BD-1は快調

22時00分 自転車 天気:くもり(のまま夜までもつ)

 昨日の時点では、今日は雨の予報だった。だから三浦半島行きも中止したのだ。ところが、朝目覚めて、外を見てみると、晴れとるやないか......。すっきりとした晴れではないが、すぐに降りそうな天気でもない。予報によれば午後から雨になる可能性大なので、いまさら遠出することも出来ない。
 ともあれ、久しぶりにBD-1を外に出し、試走する。フロントシフトの感じは凄く重いのだが、力を入れやすいグリップシフトのおかげで問題はない。短い距離を走った限りでは、アウターでリア4、5段辺りに入れると、フロントから音鳴りがする。これは、シュパーブプロのチェーンガイドが、前側でかなりすぼまっており、チェーンラインの関係でこの辺りでだけ干渉してしまうからだった。FDの調節をやり直し、これもほぼ解消した(どうしても多少の干渉は残ってしまう)。
 試走した範囲では、もう大きな問題が無さそうだったので、散歩と試走を兼ねて、サガミへと出かけた。買いたい物もある。
 サガミへは東回りで向かった。意識的にシフトを繰り返したりしたが、問題はない。以前はシフトダウン時にチェーン外れが起こることがあったのだが、それも解消されているようだ。いい感じ。
 サガミで、まずアウター用のキャップを買っておいた。FD用アウターを着けるとき、手許に見当たらなかったのだ。雲が濃くなってきたので、あまり長居をせずに帰宅コースに戻った。
 境川まで出て、川沿いに南下していった。やはりMR-4Fより速度を保ちにくいが、25km/hで巡航するのは簡単だ。改めて、いい自転車だなと思う。しかし、どうにもMR-4FやTCR-2に比べて、漕ぐ動作自体がやりにくくも感じる。BBが前に出て、しかもシートポストが寝ている関係で、ペダリングが他の自転車とは違う様相になっているからだろう。ポジションを見直してみないと。
 今日も飯田に寄ろうかと思ったが、雨が降りそうだったので、ダイクマに寄っただけで帰宅した。
 帰宅して、アウターのキャップ付けに取り掛かった。ついでに、切り口を傷めてしまったシフトケーブルも取り替えようとしたが、これはかなり難航。ケーブルの外し方が分からなかったのだ。これは、シフターに着いているゴムの蓋を取り、そこから見えるケーブルの固定部を、ドライバでこじりながら外すのが良かったようだ。
 アウターも着け、念のために固定用のインシュロックをもう一つ着けて、完成。試走するも、問題なし。これでBD-1は完成状態だ。
 これでヤビツに挑戦しようと思う(秋くらいにな)。

2002年06月29日(土曜日)

BD-1のW化完成

23時00分 自転車 天気:くもり~雨パラパラ

 どうやら地下鉄に乗っている間に一雨降ったらしい。立場駅から出ると、地面が濡れていた。が、ちょうど止みかけたところだった。その隙に、MR-4Fを担いだまま急いで帰宅した。帰宅し、またMR-4Fを組み立てていると、再び雨が降り始めた。ホッ、今日はタイミングよかった。
 さて、MR-4Fトリプル化の片がついたので、BD-1のW化を完結させよう。
 BD-1は、チェーンリングを52/42のダブルにして、手でかけかえながら使っていた。これはこれで便利だが、やはり手許で随意に変速できないのは不便だ。そこで、neko氏からikd製のFD台座等を借用して、ダブル化を試みていたのだが、二つ問題があった。
 まず、FDの調整の方法がわからない。調整ボルトを動かしても、思った通りに調整できなかったり、ぜんぜん動かなかったりして、一月くらい悩んでいたのだ。もう一つは、FDへのシフトケーブルのアウター台座をどうするかということ。これが無ければ、アウターとインナーの引きの差で変速を実現するFDは動かせない。
 前者は、MR-4Fのトリプル化の過程でやっと分かった。場合によるようなのだが、調整ボルトを動かしたときは、一度ギアをチェンジしなおさなければ、有効にならない場合があるようなので。これに気づいてからは、調整作業そのものはスムーズに出来るようになった(調整が微妙というのは変わらないが)。
 後者も、昨日の夜によくよく台座を眺めていると、おや、この「アウター受けを着けるための台座」と思い込んでいたボルトに、穴が空いている、と気づいた。これがアウター受けそのものだったのだ。よく見れば、MR-4FのFDバンド(こいつは直付けFDをバンドで取り付けているのだ)と同じだ。フレームにアウター受けがついてるものしか見たことが無かったので、自作しなけりゃならないのだと思い込んでいたのだ。
 ともあれ、2点とも解決したので、さっくりFD取り付けを完成させた。
 まず、FD台座の位置を決める。これはシュパーブプロの説明書を見れば簡単だった。フロントトリプルに比べれば、夢のように簡単だ。が、問題はあった。インナー・ローの位置では、FDの内側がフレームに当たってしまうのだ。これは、FD内側の外面をやすりで削るという荒業で乗り切った。これでもチェーンが当たってしまうが、前に和田サイクルで入手してあったBBスペーサー2.5mmを右にだけかませるとほとんど解消された。インナー・ローでだけ、フレームに微妙に当たる。が、許容範囲だ。
 次にフロントシフターを取り付ける。グリップを左右とも新しいものに換え、レバー類をちょっと中に寄せ、グリップ部を広くとった。シフターは、XT化のときに買ったSRAMのグリップシフトの左が余っていたので、これをそのまま流用。前に比べて、ずっとバランスが良く、見た目が美しい。
 アウターはトップチューブ、ダウンチューブの下面を這わせ、BB下部を回して、後ろフレームとの間を通してつなげた。左クランク側から出すと、クランクに巻き込まれる可能性があった。この取り回しで、実用的には問題が無く、また折りたたみに支障がないはずだ。ケーブルはインシュロックで固定した。遊びは少ないので、走行中にずれてシフト性能に影響する可能性は少ないだろう。
 とりあえず、室内でカチカチ変速する限り、問題はない。雨なので走れないが、後は調整だけで済みそうだ。
 これで長かったBD-1の改造歴も、とりあえずの終止符を打てそうだ。でもサドルを替えてスプロケットをロード用に変えたい気もする(まだやるんかい)。

フロントトリプル化MR-4F試運転

20時00分 自転車 天気:くもり~雨パラパラ

 ずっと雨続きの天気だったが、今日はようやくのくもり。それも午後からは雨になるのだという。明日も雨っぽいので、結局三浦半島行きは中止し、横浜まで自走することにした。
 昼過ぎに、MR-4Fで出動。今日はサドルバッグは着けず、直接輪行バッグを吊った。荷物はブラックホールのヒップバッグに入れて背負った。雨具、工具、カメラなど。
 戸塚方面に走り、東海道線を越えて、延々と環状2号との合流点を目指して走った。平坦な道だったが、変速系、ハンドル周りともに不具合はない。
 やがて環状2号線との交差点に掛かった。環状2号は、舗装が行き届いて走りやすい道だった。しかし、なんというか、アップダウンの激しい道でもあった。
 何度か、10%超の坂に差し掛かったが、フロントをインナーに落とし、リアもロー側に落とすと......。わはははは。なんというか、こんなに楽でいいの? 脚をくるくる回すだけで、坂道をするする登ってゆける。エンドバーも有効で、姿勢がかなり楽だ。
 もう一つ、クランク長を165mmまで詰めたというのも効いている。BD-1を167.5mmに詰めたときには、170mmとの差は、「む、楽かな?」という程度しか分からなかった。しかし、165mmともなるとその差は歴然で、脚がらくらく回ってくれるのだ。しかし、踏み込みがややきつくなった気もする。これは、クランク長の変化に伴い、前支点が手前に寄り、膝が直角を保てなくなったせいかもしれない。サドル位置の再調整が必要になりそうだ。しかし、トータルとしては、明らかに楽。TCR-2なんぞも165mmにしたくなった。
 やがて、磯子で海岸を走る道と合流。横浜を目指してゆく。海沿いではなく、本牧側に進路を取った。交通量が増えてくる。
 やがて、山の手のトンネルを抜け、クレイジーダボの近くに出た。クレイジーダボに寄ると、なぜか女子高校生の団体が襲撃しているところだった。なんだったんだろう。
 クレイジーダボを冷やかし、元町をMR-4Fを押しながら歩いた。石畳の道は、MR-4Fにはうれしくない道だ。こういうところでは、BD-1が向いてるんだよな......。そうだ、BD-1のFD取り付けを完了させないと。
 途中、浪漫館横濱というとんかつ屋さんの店頭でカツサンドを買い、シンボルタワーまで走った。シンボルタワーの人では物凄く少ない。これ、ワールドカップ効果?(違います)
 シンボルタワーの根元のベンチで、ささやかな昼食。サンドは280円で、すこぶる美味しかった。しかし、二つくらいは買うべきだったな。
 まったりしながら、携帯でカナ支部サイトにアクセスする。おや、にち氏とすずきなおし氏がレンガパークで待っているらしいぞ。さっそく、MR-4Fを飛ばし、山下公園経由で赤レンガパークに向かった。
 到着したのは14:30頃だった。既に停泊中の海王丸の一斉展帆は終わっていた。自転車を入り口に係留し、中に入ってみたが、人出がはなはだしく、にち氏らは見つからない。と、そのうちに雨粒がぽつぽつと顔に当たり出した。やむなく、関内まで走り、MR-4Fを改札口まで担いで下ろし(なんだと思われたことだろう)、畳んで輪行で帰った。MR-4Fで良かった。ロードバイクだと、こう簡単には行かないからな。邪魔だし。

2002年06月28日(金曜日)

グリップを換える

23時00分 自転車 天気:くもりだったり雨だったり

 夜になったが、MR-4Fのグリップをスペシャライズドの物に替えた。標準のものは握りやすくて不満は少ないのだが、見た目が安っぽすぎるのと、エンドバーを着けたかったので、交換に踏み切った。
 実はパーツは遥か以前に揃えてあったのだが、グリップ交換の面倒を考えると、なかなか踏み切れないでいた。しかし、BD-MLですずきなおし氏から「竹串を使うと良い」という投稿があり、その手で行こうと考えた。グリップとハンドルバーの間に竹串を差し込み、隙間にチェーンクリーナーをたっぷり吹き込む。そしてぐりぐり回しながらクリーナーを行き渡らせると、一気に動くようになるのだ。これで、左右の握力ゼロという状態になることも無く、グリップをきれいに交換できた。着けたグリップは黒が主で、末端が黄色く縁取りされているタイプ。黒基調に黄色いアクセントが入ったMR-4Fには、これが似つかわしい。さらに黄色いエンドバーも着け、坂道に備えた。
 改装なったMR-4Fをバイクスタンドに吊ると、うん、カコイイぞ。なんとなく坂にも強そうになったから、印象というものは不思議なものである(笑)。

西日本では水飢饉だげな

22時00分 思考 天気:くもりだったり雨だったり

 関東ではくもりの日が多く、また肌寒い日が多かったので、今年は梅雨らしい梅雨だなあなどと思っていたら。
 新聞によれば(正確には新聞社のウェブサイト)、西日本では水不足が深刻化しそうなんだとか。関東も楽観は出来ないなあ。今年は給水制限まで行くだろうか。
 それにしても、水不足の真の原因は、雨量の低下だけなんだろうか。自然保護団体は「違う」と行っている。河川沿いの開発が進んだため、貯水機能を持つ森林が減り、水を効率的に利用できなくなったからだというのだ。それが本当なら、河川域に対する植林事業を進めるなどの行政が必要になるだろ。しかし、短期的にはダムを作るべきという行政側の主張も、直感的には分かりやすい。しかし、既にダム建設は市民の拒否反応を生みやすく、思い通りには進まないという現実もあるわけだ。長野県の田中康夫知事なんぞ、そういう市民層に乗っているようにも思える。
 しかし、一番疑問なのは、果たして現在の水利用は効率的か、ということだ。現在、水の利用は、どころか水の確保(つまりダム建設の段階)から、目的別に進められている。農業、工業、飲用、などなど。下流に引かれた水も、その目的別の施設によって一定量ずつ処理される。ここで無駄が生じてないだろうかと、僕は怪しんだりするわけだ。例えば農家の軒数は毎年減少しているのだが、それに見合った使用量になっているのだろうか。鉱工業に供される水資源も毎年の増減に合わせているのだろうか。さらにいえば、僕にとって第一の問題になる、飲用水も効率的に供されているのだろうか。
 前にテレビで見たのだが、水利権の関係で、行政区画ごとに水供給の元ががらりと変わることがあるのだそうだ。同じ川から引いているにも関わらず、ある行政区画は断水に追い込まれているにも関わらず、隣り合った(本当にその隣の家から)区画では平常と同じく使える、という状況があるものらしい。まあ水利権なんてヤクザの飯の種みたいなもんだから、簡単には手を出せないのだろう。しかし、こういう現実を見ると、僕らは行政側から力を奪いすぎたのかなと思わなくもない。こと単一資源の分割効率という問題を取り上げれば、強力な行政によるトップダウンの方が効率的なはずだ。もっとも、官僚自体がヤクザ化しつつあるのがこの国の現実だから、どのヤクザにお出まし願うかという程度の問題なのかもしれないが。
 ふと思ったんだけど、「風呂場税」なんてどうだろうね。アレはあるだけで水を使いまくる代物だから。そんな法案を提出したら、それだけで落選運動の対象にされそうだ(笑)。今の有権者が、生活を不便にしてまで自然保護、行政の効率化を支持するとは思えないからな。

2002年06月27日(木曜日)

自転車用コンポーネント、ドミノ構想

22時00分 自転車 天気:霧雨

 それにしてもまあ、よく降る雨だ。まるで梅雨みたいじゃないか(いや梅雨なんだよ)。特に関東地方に良く降っているので、夏以降の水不足は解消されたかもしれない。この時期、降雨もそうだが、地面からの蒸発が抑制されることで、結果的に貯水量が増えるはずだ。それでも、夏以降の天気についてはなんともいえないが。
 さてさて、MR-4Fのコンポ入れ替えが済んだので、次に長らくオリジナルのまま放ってあったHardRock A1-FSのコンポ入れ替えに着手しようと思う。今はAceraとAlivioの組み合わせで3*8段なのだが、これをLX+一部XT+105スプロケットの組み合わせで3*9段化したい。もう少しクロスしたギアが欲しいのだ。この自転車、ほとんど舗装路しか走らないしな。
 実は、BD-1の一部コンポを入れ替えるつもりでもあり、その余りパーツの使いまわしという意味ももたせている。BD-1はneko氏から借用中のパーツで1W化を進めているところだ。FDのアウター受けを自作しなければならないと判明したため、後回しにしてきたのだが、そろそろ完成させないとneko氏に申し訳ない。フレームとチェーンの干渉も、Qファクターが問題になりそうだが、BBスペーサーを複数噛ませればなんとかなりそうだ。で、この際、スプロケットをクロスレシオのロード用のものにしたい。前2枚を切り替えできるのなら、クロスレシオの方が快適に感じるはずだ。さらに、BD-1に使用中のXTリアディレイラーも交換したい。これ、ロングケージのものを使っているのだが、小径のBD-1では、プーリーがもっとも地面に近接した状態で右ターンすると、プーリーを擦ってしまうことがあるのだ。ミドルケージにしようと思う。そうすると、このXTロングケージが浮くので、これはHardRockに移植しようと思う。合わせてLXグレードのブレーキ、フロントディレーラ、STIも使用するつもりだ。チェーンホイールもLXで十分だとは思うのだが、クランク長を165mmにしたい関係で、XT以上のグレードにするしかない。LX以下には170mm以上しか用意されてないのだ。
 コンポ入れ替えもBD-1、MR-4Fと経験してきたので、時間はそんなに掛からないだろう。問題は金だ!
 それにしても、これでAcera*2、Tiagraのコンポが余ることになる。もったいない話だ。コンポはいいものを使っている自転車を買うべきだと思った。

2002年06月26日(水曜日)

MR-4Fコンポ入れ替え完了

22時00分 自転車 天気:雨(寒っ)

 今日も雨の一日。気温が上がらず、意気もあがらない。こういう日は、ぼんやり外を眺めながら、部屋の中で静かにしていたい。
 さてさて、定時退勤日なので、さっさと帰宅し、MR-4Fのコンポ入れ替えの続きに取り掛かった。
 昨夜、スプロケットを入れ替えたので、あとはリアディレイラーだけだ。前のディレイラーを外し、シフトケーブルも換え、アルテグラのRDを取り付ける。む、なぜか6段しかシフトしない。なんでだろう。いろいろ調べると、クイックの固定が甘くて、車軸が斜めに入っていたことに気づいた。入れなおし、ケーブルのテンションを少し緩めると、ちゃんと9段変速できるようになった。ハイ側を合わせ、ローを合わせ、テンションを調整してハイ側2枚目のギア位置と合わせると、だいたいいい感じになった。リアの換装は、フロントに比べれば楽だ。
 フロント、リアをそれぞれ微調整し、まあベストではないにせよベターな設定になった。しかし、一番使うはずのフロントミドルの位置で、リアをハイ3枚に入れるとチェーン鳴りが発生する。FD台座バンドをもう少し動かして、FD自体を少し外に出した方がいいかもしれない。少しずつ詰めていこうと思う。
 さてさて、もしも土曜日に晴れたら、横浜港に集結中の帆船を見に行こうと思う。MR-4Fじゃなくて、TCR-2、もしくはBikeEで。あるいは、輪行をにらんで、BD-1改、もしくはMobillyたんで行くか。そして日曜日には、久しぶりに三浦半島に行ってこようと思う。これも、もしも晴れたらだけど。

2002年06月25日(火曜日)

3枚化継続

22時00分 自転車 天気:雨

 雨。きっぱりと雨の一日。梅雨らしい空に、道端の生垣にアジサイが咲きそろい始めた。
 さて、MR-4Fのスプロケット、リアディレイラーも、アルテグラと交換してしまおう。
 スプロケット外し用の工具を引っ張り出してきて、1000kmほど走ったティアグラのスプロケットを外す。結構汚れているな。できるだけきれいにしてきたんだけど。しかし、スプロケまで換えたなら、いっそのことハブも変えたくなる。
 アルテグラのスプロケは、ローから6枚目までは2枚ずつ、それ以上はバラになっている。良く、坂対策としてロー側数枚を大きいものに換えることがあるが、アルテグラの場合は2枚丸ごと換えなきゃならないわけだ。
 入れたスプロケは11~23T。前は12~25Tだったから、少し重くなりそうだが、3枚化のおかげで問題はない。前が39/25=1.56だったのに対し、30/23=1.30と、かなり軽くなるのだ。かつ、よりクロスレシオになるので、ケイデンス選択が楽になりそうだ。
 明日はリアディレイラーの入れ替えをしようと思う。

2002年06月24日(月曜日)

麦草に登ろう

22時00分 自転車 天気:くもり

 ちょっと前から、BD-MLで「麦草アタック」が告知されている。麦草峠までの千数百メートルを自転車で上ろうという、気の遠くなりそうな企画だ。ふつうなら見ぬ振りするところだが、8/3、4という日程が問題だ。実は、その翌週(実質的には8/3から)に盆休みを取り、信濃川沿いに走る計画を立てていたのだ。なんで信濃川かというと、この辺りに出土する火焔土器を見に行こうと思うのだ。あの、圧倒的な造形を、この目で見たい。信濃川沿いの市町村、たとえば十日町市には、火焔式土器のコレクションがある。ぜひ、見てみたい。そういうわけで、わざわざ信濃川に行くのだが、麦草という場所は、県境を隔てて長野側にあり、それほど遠くも無いのだ。麦草の後、続けて信濃川流域まで輪行するのは簡単なことだ。
 ということで、ヤビツの悪夢もあって不安で一杯なのだが、麦草アタックに参加する表明をした。なんとか峠越えへの恐怖を克服しなければ、この先ツーリングを楽しむ幅が狭まってしまう。それに「峠に行きました」という楽しげな報告を聞くたびに、いわく形容しがたいコンプレックスを感じてしまうのだ。これに打ち勝たねば、一生負け犬だ(いやそこまでは)。ということで、せいぜい楽しもうと思う。
 そのために、MR-4Fの前3枚化を完成させないと。いろいろ迷ったのだが、結局、全アルテグラ化することに決めた。TCR-2には不満が無いし、3枚化のシビアさを考えると、こっちまで3枚化することには抵抗がある。むしろスプロケットのワイドレシオ化の方に興味が出てきた。コンポを変更するのなら、いっそデュラエースにしてしまおうかと思う。そうして105コンポが余ったら、サガミで安いクロモリフレームを買って、もう少し柔らかいロードを作ろうと思う。ああ、これがロード沼の第一歩なのだろうか。

2002年06月23日(日曜日)

NHKスペシャル アジア古都物語「千年の水脈たたえる都~京都」

23時00分 テレビ 天気:くもり

 面白かったこのシリーズも最終回だ。今回は、千数百年の歴史をもち、長らく日本の首府だった古都、京都の話題。
 京都には老舗が多い。それぞれに長い歴史を持つ老舗は、客が店を選ぶだけでなく、店も客を選ぶという、京都の商風土に磨き上げられてきた。それらの老舗を足元から支えてきたのが、京都に豊富に湧き出る湧き水だ。市中に数多くある和菓子屋の透明な味わいを支えているのは、あちこちにある湧き水だ。豊富で美味しい湧き水で素材を磨き、繊細な和菓子の味を作り出しているのだ。
 ある豆腐屋の主人も、地下からくみ出す湧き水で豆腐を作っている。主人はこの湧き水が高品質なことを誇りにしている。
 京都に豊富な湧き水をもたらす秘密、それは京都特有の地勢にある。京都は全体が盆地にすっぽり収まっている。その地下を探ると、地下もまた岩盤による盆地状の地形になっていることが分かっている。岩盤は水を通さないため、この盆地に降った雨は京都の地下に溜まる。その水は、盆地の南端からしか流出しないため、京都の地下は地下水が豊富に存在することになるのだ。
 この京都の主として所在してきた天皇は、古くから水にまつわる神事を司ってきた。飛鳥京の遺構を調査した結果にも現れているが、天皇は水を"支配"することで権力を維持して来たという背景がある。京都でも、もっとも湧き水が豊富な一帯に、天皇家にまつわる施設を置くことで、その支配を狙ってきた。
 京都御所の近くには、天皇家に仕え、水にまつわる神事を司ってきた、鴨家の末裔が暮らしている。鴨脚(こう書いて「いちょう」と読む)家の当主は、今でも下鴨神社などで、水にまつわる神事に参加している。鴨脚家の庭には、京都御所の池と同じ水位を示す池が掘られている。今は、ほとんど枯れているが、かつて神事にあたっては、この池で禊するのが慣わしだった。
 この池に見られるように、都市化の進んだ京都では、地下水位の低下が深刻な問題を引き起こしている。アスファルトなどで被覆された市街地では、地下水が地下に浸透しない。近年、地下水を得られなくなった老舗の中には、水道水に切り替えたり、店を畳んでしまうところも出ているという。前出の豆腐屋さんも、地下水位の低下に悩まされた。しかし、さらに地下深くまで掘り下げたところ、十分な水量を確保出来たという。
 京都の地下水が枯渇する日が来るのかどうか、予断は許さないが、毎年引き継がれる神事などに水の色が色濃く残る、水の街でありつづけることだけは間違い無さそうだ。

MR-4Fフロントトリプル化はいちおう完成

22時00分 自転車 天気:くもり

 昨日買ってきたシフトケーブルに換え、MR-4Fトリプル化最後の調整に入った。振り幅調整ボルトでインナー、アウターの位置を調整し、ワイヤーのテンションを調整することで(シフターにテンションアジャスターがある)ミドルでのガイド位置を調整する。このとき、アウター側にも影響を与えるので、少しずつ調整してゆくしかない。このテンションを上げ過ぎると、アウターへのシフトが重くなりすぎるのだ。だから、ある程度テンションを下げておく必要があるのだが、下げすぎるとインナー側の変速性能が悪化する。難しいところだ。
 ある程度詰めて、昼飯を兼ねて試運転に出かけた。長後のCoCo壱番屋まで走る。うむむ、アウターへのシフトが重すぎて、走行中にはとても変速出来そうにない。ミドルとインナーは非常に快調だ。しかし、なぜだか漕ぎが重い。それでハッと思い出したのは、チェーンを換えて、まだチェーンルブを塗布してなかったということだ。デュラエースグレードのチェーンに換えたのだが、それでも素の状態ではこれだけ摩擦が大きいのだな。
 習慣として飯田に寄り、帰宅して、レースデイを塗布してやると、回転が夢のように軽くなってくれた。こんなに効果があるなんて。
 さて、いまいちディレイラー調整が見舞ってないので、一生懸命追い詰めて、とりあえず走行中にもシフトできるくらいには軽くした。その代わり、インナーとミドルの変速性能がやや悪化してしまった。運用でカバーできる範囲ではあるが......。
 試運転を重ねながら、もっと詰めることが出来るかどうか、調整を続けようと思う。

2002年06月22日(土曜日)

結局、買物ポタ

22時00分 自転車 天気:くもり

 5:00起床のつもりだった。ところが目覚めると8:00過ぎ。ぅゎぁ、お寝坊さんです......。そのことを告知すべく、まず@nak掲示板を見ると、「今日は中止」となっていた。ホッとする俺様であることよ。安心したためか、昼くらいまでまた寝る。
 昼過ぎに散歩を兼ねてサガミに出かけた。乗車は、最近出番が多いTCR-2。三ツ境への東ルートを走った。
 サガミ3の駐車場にTCR-2を停め、店内を冷やかす。まあ、タイヤも全部着いてるし(Highway Star by 王様)、とりあえず買わなきゃならないものはない。
 歩いてサイクルセンターに向かいながら、なんだか足が回らないなあと考えていたら、昼飯がまだだったことを思い出した。では、まずは飯だと思い、1Fのレストランでパスタを食らった。量的にも質的にも程よいくらいだった。
 食後はコーヒーで一服し、2Fのアパレルコーナーに入った。今日はスペシャライズドのショートパンツを履いてきていたのだが、この履き心地が気に入って、同じようなものを買おうと思っていた。素材としては綿がほとんどだが、カステリのものは化繊で、肌触りも涼しげだ。試着してみたが、サイズがSでやや小さい。アパレルコーナー担当のおばさんに聞いてみたら、奥からMの在庫を引っ張り出してきてくれた。しかし、色が気に入らず、結局買わずじまい。別の店で探そう。
 3Fに上がり、MR-4FとTCR-2のコンポをどうしようかと考えた。MR-4Fに取り付けて、フロントトリプルの調整が難しいことに驚いたので、TCR-2は2枚のままでいいかなと思い始めた。105のままで行くか、金があればデュラエースにするか。換えない場合でも、クランクは短くしたい。そこで店員にアルテグラのクランク、165mmの値段を聞くと、クランクセット(チェーンホイール込み)とさほど変わらない値段を出してきた。クランクって高いんだなあ。結局、ここでも買わずじまい。冷やかしもいいところだ。おっと、買うべきものがあった。シフトケーブルを仕入れておいた。
 買った物をブラックホールのヒップバッグに収め、TCR-2を境川へと走らせ、川に沿って南下していった。ずっと突っ走り、飯田牧場でアイスした。今日はクリームチーズを。甘味が疲れを癒してくれる。
 湘南台に寄ると、あのWaveEyeが店をたたんでいた。張り紙も何も無かったので、倒産したのか単なる店舗閉鎖なのか分からないが、残念だ。このところ、品揃えになんの魅力も感じなくなっていたのは事実だが。
 本屋で立ち読みして、アパートに戻った。

2002年06月21日(金曜日)

新コースを模索する

23時00分 自転車 天気:くもり

 いいかげん、運動公園をぐるぐるというのには飽きてきたので、もう少し変化のあるコースを求めて、TCR-2で境川に向かった。21:00過ぎ。こんな時間でも、ジョギングする人や、自転車を走らせる人(過半数が無灯火)がいて、昼以上に緊張する。
 走り始めてすぐ、ライトの電池切れに気づいた。いつものバッテリーライトは残量が少ないと思えたので、今日は持ってこず、ふつうのヘッドライトを使っていたのだ。それがいきなりの電池切れ。しかし、念のためにもう一組の電池を持ってきていたのだ。交換して、走り出す。しかし、すぐに暗くなる。もう電池切れかよ! いずれもNiCd電池で、自己消費電流が多いことからくる悲劇であった。やむなく、補助照明/スーパーポジションライト兼用の、EL-100の明かりを頼りに、湘南台まで走った。役に立ったな。
 湘南台近くのコンビニで、電池を仕入れた。HL-1200復活。再びサイクリングロードを南下してゆく。
 どこで折り返すか考えたが、飯田牧場の筋で一度西に向かうことにした。まっすぐ進むと、R467に交差するはずだ。しかしこの道、かなり急で、長めの坂が続くのだ。これは鍛えられそう。ロードバイクの軽さに助けられて、なんとか上りきる。
 しばらく進んでゆくと、広い道に出た。R467だ。ここからは北に進路を変え、35~40km/hで突っ走る。通りは十分に明るく、快適な疾走だ。やがて湘南台公園に到達。しばらく休んで、アパートへと折り返した。だいたい20kmほど。1時間弱の道行きだ。

明日は雨?

18時00分 暮らし 天気:くもり

 明日は秩父近辺にカキ氷を食らいに行こうじゃないか(かなり端折った書き方)オフが実施される日だが、天候が思わしくない。まあ梅雨だからしょうがないけど。
 本音をいえば、あまり参加したくない。なんとなくエナジーが低下しているのと、峠があるらしいので行くならTCR-2を担いでゆかなければならない、という点が気に掛かる。さらにいえば気が重い。行けばいったで楽しめるに違いないが......。
 PCでゲームしながら、時々天気予報を見ると、次第に悪い方に変わって行く。雨なら雨でMR-4Fのトリプル化を進められるので、それはそれで構わない気になってきた。
 明日は秩父にいるのか、おうちで自転車いじりをしているか、どっちかだろう。

2002年06月20日(木曜日)

難しいトリプル用FDの調整

22時00分 自転車 天気:雨

 MR-4Fに着けたトリプル用フロントディレイラーの調整を続けた。外は雨。気温はさほど低くないが、暗い感じの日だ。
 難航しているフロントトリプルの調整だが、少しずつやり方が分かってきた。まず、トップ、ロー側調整ボルトだが、こいつはただドライバーで回そうとしても、テンションが掛かっているので外向きには回らない。手でガイドを動かしながら回す必要がある。上下位置もシビアで、上過ぎても下過ぎてもチェーンを噛んでしまう。ここは微妙に調整しながら、現物あわせするのがいいようだ。ミドルギアに対する位置合わせは、ロー、トップの調整が済んでから、ワイヤのテンションを調整する。このテンションが弱いと、なぜか引きが物凄く重くなるようだ。ある程度テンションを掛けるようにすると、ふつうのフロントダブル程度には軽くなった。
 さて、以上の動作原理を頭において、粛々と調整を続けたのだが、なかなか最適解が見つからない。ローを調整するとミドルギアが変速しなくなり、ミドルを合わせると今度はトップ、ローともチェーン外れが起こるようになり、こんなところでいいかなと思ったらリアの変速時にチェーンが噛んでしまったり。かなりシビアだ。
 しかしまあ、だいたい調整の目安はつかめたので、ワイヤの交換(かなり破損してしまったので)ともども、再度調整しようと思った。
 とりあえず、秩父にはTCR-2を担いでゆくか。

2002年06月19日(水曜日)

さらなるトリプル化

23時55分 自転車 天気:くもりのち雨

 MR-4F3枚化の続きに取り掛かる。まずBBを抜き、ULTEGRAの68-113に替える。これは問題なし。次にクランクの取り付け。新しいクランクセットはシマノの8セレーションタイプなので、作業は8mmのヘキサゴンレンチだけで済む。と、思いきや、一番上のカバーボルトの締め方が分からず、プライヤーでそっと締めこんだ。後で気づいたのだが、シマノのチェーンリングボルト空転止めツールの反対側が、このカバーボルト締め用になっているのだ。さすが専用工具。
 新しいチェーンを仮に通す。前のチェーンは低いグレードのものだったのだが、なんと錆びていた。ホワイトライトニングのレースディって、さび止めには向いてない気がする。ホワイトライトニングオリジナル+レースディという構成が良いのか。
 さらにトリプル対応のフロントディレイラーを組み付け、ワイヤを通して調整にあたった。が、これが凄く難しい。なぜだかなぜか、ワイヤの引きが尋常でない重さなのだ。リペアスタンドに載せている関係で、アウターごとBBの下敷きになっているせいだろうか。しかし、持ち上げた状態でも変わらない。うむむむ。またFDにクランプする部分で、ワイヤが破損し始めてしまった。縒り線の数本が切れたという感じだが、見た目にも、耐久性にも良くない。替えてしまおうかと思う。
 ここからの調整がむずかしい。ワイヤの引きが足りないのか、FDとチェーンがうまく同期してくれない。このとりまわし、凄く重くて、これ以上ワイヤをきつく引けないのだが。
 結局、真夜中になってしまったので、今夜はここまでとした。まあ、部品は全部ついたので、残りは調整だけだろう。それが凄く難しそうだが......。

2002年06月18日(火曜日)

ひさしぶりに観望

23時55分 星見 天気:雨のち晴れ

 朝から雨が降ったり止んだりという梅雨らしい天気で、一日中じめじめしていた。あー、今夜は自転車も星見も無しかと思っていたのだが......。
 夕方、まだ明るいうちに退勤して、アパートの近くまで帰り、ふと空を見上げると、大きな虹が掛かっていた。まだ頭上は雲が覆っていたのだが、西の方には沈んでゆく真っ赤な夕日が顔を出し、その最後の光が虹を作り出していたのだ。それに気づいたのか、中学校のグラウンドをはしゃぎまわる中学生の姿も見えた。
 早い時間に帰宅し、雨が上がったとはいえ、路面はすぐには乾かない。MR-4Fの3枚化を途中まで進める。左クランクが固くて抜けなかったので、凄く苦労した。結局、プラスチックハンマーで、モンキーレンチをひっぱたいて、ようやく外すことが出来た。こりゃあ固すぎるよ。これで力尽き、後はゲーム三昧だった。
 風呂に入り、日付が変わる頃にふと外に出てみると、なんだか空が暗い。雲があれば明るくなるはずなので、今日は晴れてる! CANON 18*50ISを持ってベランダに出た。
 真正面の家の明かりがまぶしかったが、次第に目が慣れるにつれ、さそり座からいて座にかけての星たちが浮かび上がってきた。
 しばらくかかってようやくさそり座の姿を見分け、尻尾をたどってゆくと、ほらいた、M7だ。大きな微光星の集団が、視界一杯に広がる。しばらくじっと眺めていると、さらに細かい星たちがだんだん現れてきた。この見え方なら、シーイングは悪くない。さらにM6もくっきり見える。
 ずっと下、西の方に双眼鏡を向け、見覚えある星の並びをたどってゆくと、いた、NGC6087。あらかじめその存在を知らなければ気づかないような、小さな散開星団だ。かなり低高度になっていたが、案外にはっきり見えた。
 逆に高空へと双眼鏡を向け、しばらくうろつくと、散開星団+散光星雲という豪華な組み合わせが目に入った。M8だ。横長に見える散開星団に、おぼろな散光のベールが掛かっている。
 望遠鏡を出そうかと思ったが、眠かったのでその気力が湧かなかった。でも、梅雨の間は、なかなかこういう空に恵まれないものだ。

2002年06月17日(月曜日)

MR-4F前3枚化への迷い

22時00分 自転車 天気:くもりのちのち雨

 手許にはTCR-2をトリプル化するためのULTEGRAコンポがある。これでTCR-2をどこにでも行ける(坂に勝てる)自転車にしようと考えていたのだが、さらに3枚化の必要が高いMR-4Fの3枚化まで視野に入れると、やや迷いが出てくる。
 最初は、TCR-2から外す105コンポを流用しようと考えていた。ところが、よく考えると、前3枚化のためには前後ディレイラー、チェーンリング、BBを変更する必要がある。ようするに、TCR-2からはクランクとスプロケットくらいしか流用できない。あんまり旨味が無いのだ。
 昨日、たかしょう氏に指摘されて気づいたのだが、MR-4のリアディレイラーは、元々前3枚対応のものなのだ。だからBB周辺をなんとかするだけで、3枚化可能だ。この場合、低いグレードのものなら、出費は2万円に抑えられる。しかし、クランクを165mmにしたいのなら、どのみちチェーンリングまで総取替えになる。なら105、あるいはアルテグラにしちゃってもいいわけだ。上を見るときりが無いが。
 今週末に城峰山に行くのだが、その時にTCR-2を持ってゆくか、MR-4Fにするかで迷っている。輪行はもちろんMR-4Fが楽なのだが、坂が苦しい。しかし前3枚にすれば、いいケイデンスを維持できるのではないかとも期待できる。迷う。
 とりあえず、MR-4Fを前3枚化して、試走して決めようかと思う。いっそ、ドロップ化の様子を見るために、TCR-2のドロップを拝借するか。逆にTCR-2はメッセンジャーバイク状態になるぞ。あ、これは面白いかも。

2002年06月16日(日曜日)

荒川オフ~きさ家迎撃オフ

23時55分 自転車 天気:くもり

 前日、2:00くらいに寝たのだが、起きたのは5:00。もう少し寝る予定だったのだが、早めに目がさめてしまった。朝食をとって、出立の準備をした。
 今日はMR-4Fを持ち込むつもりだ。3月にも初披露のつもりで持ち出したのだが、オフの日にちを間違え、前日に浮間舟渡に出現する間抜けぶり。やはり間違えて来たもう一人と共に二人で荒川ミニミニオフ開催となった。涙なしには思い出せない過去の出来事だった。
 今日は念入りに確認したので問題無いはず。これに加え、最初は新たに買ったブラックホールというブランドの大容量ヒップバッグを背負ってゆくつもりだった。ところが、これにレインコートを押し込むと、中が一杯になってしまう。下のコンプレッションベルトで吊り下げようかとも思ったが、案外にベルト長が短く、それも不可能だった。少し大げさだが、一緒に買ったドイターのクエーサーという新型バックパックを背負ってゆくことにした。容量は27lあり、1気室式。背中を鉄板で浮かせてネットで支えているので、同じドイターのトランスアルパインなどに比べて蒸れにくいのが売りだ。まあ買物もするかもしれないと思ったので、こいつを背負っていった。
 7:00前に家を出て、戸塚まで走ってゆく。むう、リアが沈みすぎるようだ。時々、サドルに吊った輪行バッグがタイヤに擦ってしまう。気になっていたのだが、そのまま走りつづけた。と、中田駅への下りで、突然後輪に衝撃を感じ、漕げなくなった。輪行バッグがとうとう後輪に巻き込まれたのだ。そのあおりでシートバンドが外れてしまった。あせったが、少し傷ついただけで問題は無いようだ。輪行バッグはタイヤとの摩擦でとうとう穴が空いてしまった。やむなく、バックパックに放り込んだ。でかいバックパックで良かった。
 戸塚まで走り、輪行体勢に。JRを乗り継ぎ、浮間舟渡に到着したのは8:50過ぎのことだった。そのまま集合場所まで歩いていった。
 集合場所には、既にたくさんの人が集まっていた。良かった。今日は確実にある。ホッと安堵の息を漏らす俺様であることよ。
 MR-4Fを組み立て、人様の自転車を見て回る。たかしょう氏の前3枚化MR-4を観察。BB近辺の印象がごつくなるということも無いようだ。リカンベントも多い。だんだんBD-1が目立たなくなってくるのが凄いところ。今日はBD-1のドロップハンドル仕様が2台も居た。実は、僕もドロップ化を検討しているので、なかなか参考になる。いや、もう1台、中古で安いのが入手できればですけど。
 集合予定時刻を過ぎて、ますます人が集まってくる。@nak、上京中のきさ家、おの氏、たか氏、などなどが続々と集まってくる。でも幹事の小十郎氏は? どうやら遅刻らしい。
 比較的スケジュールが緩やかな荒川オフだが、そろそろ出発しなければならない。そこでミキ氏が臨時幹事代行になり、まず各自の自己紹介をする。今日はたまげたことに40人以上くらい集まっている。はっきりいってワケワカラン。
 自己紹介が終わり、出発準備をしているところに、小十郎氏がようやく到着。だいたいメンバーが揃ったので、そろそろ出発の運びに。
 これだけの大人数なので、ゆるゆる走っても全長が100m以上にまたがってしまう。しかし、見晴らしのいい荒川では迷子の可能性は低い。
 MR-4Fは平地では絶好調だ。軽々とペダルを漕いで、快適な疾走だ。しかし、やはりリアサスのエアが少ないのか、上下動が多い。
 何度かの休憩を挟みながら、葛西臨海公園へと急いだ。そういえば、今日は加藤家は直之氏の単独参加だ。みゆき女史はまだ全快して無いようだ。
 途中で金田氏らが合流し、人数はとうとう49人に達する。なんなの、このオフ。空前の人数に膨れ上がった。「人数ではNIFの多摩川オフを上回ったかも」という声も聞かれる。
 初参加の人も何人かいたが、BD-1での参加が多かったようだ。まずBD-1で誘い込み、他の小径車、リカンベントの沼に誘い込むというのが、BDML/リカンベントMLの戦略だ(本当かよ)。
 今回の際物はスクート。スーツケース型折りたたみ自転車で、メーカーは既に解散している。ヤバ度95くらいの際物バイクだが、それが2台も集まった。こんなものが複数集まってしまうのは、日本でもここだけだろう。
 途中の休憩時に金田氏のMR-4に乗せてもらう。ドロップ化MR-4Fのイメージがちょっとつかめたかな。面白いことに、金田氏は逆にMR-4のストレートバー化を考えているんだとか。
 なにせ50人弱の大集団だ。目立つこと目立つこと。途中、同じようにリカンベントを含む集団と行き会った。お互いに歓声を上げながらすれ違う。
 何回かの休憩を挟み、大集団は荒川を渡り、コンビニで昼食を仕入れる。なぜだかやたらハングリーだった僕は、焼きうどんとお好み焼きを仕入れた。
 コンビニを蝗の大群のようにむさぼり尽くした一団は、川沿いの遊歩道を葛西臨海公園まで突っ走る。一番楽しい部分だ。やがて公園内の東屋に到着。いつものように堂々と占有する。
 これだけの人数だ。当然東屋には入りきれない。その他にもいくつか塊が出来、それぞれに和気藹々とおしゃべりしながら、思い思いの昼食を取る。さすがに季節が季節だけに、火器は目立たず、二つ登場した程度だった。
 焼きうどん、お好み焼きをぺろりと平らげ(後で思うに、この大食いは正解だった)、草地に寝そべっていると、多段化トレンクルに乗ったカップルがやってきた。加藤家のトレンクルに刺激を受け、自力で多段化したんだとか。このカップルの参加で、人数はついに50人を突破した模様。既に誰が参加してるんだか分からん状況だ。
 適当に時間を過ごした後、荒川オフも解散ということになった。そこで、人数もこれだけ集まったしということで、記念撮影。全員が集合しての写真は、今回が初めてのはずだ。
 この後はどうするのだろう。18:00から阿佐ヶ谷できさ家歓迎食事会ということだったので、折り返して和田サイクルに立ち寄り、それから宴会場に入るのだということだ。
 和田サイ行きを希望する人数は、母体が母体だけに20人を軽く越してしまった。まずは浮間舟渡公園へと突っ走る。
 帰りのペースはかなり上がり、行きが20km/h~25km/h程度だったのに対し、25km/h~30km/hにまでペースアップした。MR-4Fじゃなかったら、僕は音を上げていたかも。しかし、これにスクートで追随してくる、練馬の渡辺、山永両氏はタダモノではない。ノーマルのトランジット・コンパクトを駆るmiya氏は、さらにタダモノではない。
 16:00過ぎくらいに浮間舟渡公園に帰着。ここから先は、練馬の渡辺氏の先導で和田サイクルを目指す。幹線道路を避け、センターラインの無いような細い道を進んだ。幹線のように飛ばせないが、車のプレッシャーを感じない分快適だ。
 住宅地を進むせいか、この謎集団は結構注目を受ける。中学校の前などでは、ちょうどクラブ帰りらしい中学生集団の(冷やかし半分の)大歓声を受けた。
 やがて、和田サイクルに到着。店頭にはミキ氏、こぐ氏等が待っていた。こぐ氏は奥方のためのUK Brompton受領のために来たんだとか。実は、@nak(あ)氏もUK Brompton受領のために、あえてViewPointのストーカーに志願していたのだ。ここから、おの氏はViewPointを一人で操る必要がある。こいつは戦車だからなあ。
 和田サイの店頭に、20台以上の謎自転車が集結する様は見ものだった。さすがにこの数になると、通行の邪魔にならないようにずーっと広がらなければならない。
 たかしょう氏のMR-4にTOPEAKのモジュラ・ケージが着いているのを目ざとく見つけ、いやあ売ってるところが見つからなくて、などと話していたら、予備の一つを譲っていただけることになった。後でたかしょう氏の掲示板を見ると、わざわざ譲ってくださるつもりで持ってきてくださったことが分かった。親切が身に染みる。
 あまり長居は出来ないので、15分くらいでいよいよ宴会場に移動することに。今日は、和田氏の姿を拝むことが出来なかった。店の奥で、突然大量に出現した相談者の相手をしていたからだ。
 まめ氏の先導で、まずはまめ氏のガレージに寄り、各自の自転車を置いて、それから店に向かった。店は40席弱ほどの、居心地よさげな居酒屋だった。
 宴会が始まり、まずレモンビールなるものを飲んだ。度数3.5%、350mlくらいだ。たいしたもんじゃない、と思ったら、これが回る回る。なぜ? 一日中足を回していたからなのか。この辺で頭が半分トぶ(滅)。
 途中でBromptonの調整に精を出していた(あ)、こぐ両氏、それに付き合っていた(?)山永、ミキ、まき、たか、おのひろき各氏が登場、宴はますます盛り上がるのだった。最初、若葉女史が隣に座ったたか氏を尋問するかと思われたのだが、実際にはやはり隣のおのひろき氏と壮絶な口峠攻防戦を繰り広げる。爆笑、また爆笑の連続である。こっちの方では山永氏、(あ)氏、こぐ氏らと、年齢当てが話題になっている。(あ)氏が僕と同い年で、まき氏が年上だというのは意外だ(いや、他意はないです)。こぐ氏は......年齢不詳。山永氏も口を割らなかった(笑)。この辺で完全にトんだ(爆)。
 宴は21:00過ぎまで盛り上がり、ついにお開き。いやあ、こんなに盛り上がった宴会、久しぶりだ。
 この後、阿佐ヶ谷駅を経由して、ケーキを食おうという話が出た。当初はそれに乗るつもりだったが、経由地の阿佐ヶ谷駅でわかば女史、加藤氏が輪行することになって、心が揺らぐ。明日が休みなら自走して帰ってもいいのだが、月曜日だからなあ。結局、僕も輪行することにした。
 加藤氏とはここで、わかば女史とは新宿で別れる。そして疲れた体を引きずって、0:00前に帰宅した。疲れきった僕は、風呂にも入らずに布団に潜り込んだ。本日の走行距離は80km弱。

2002年06月15日(土曜日)

BikeEで買物に

22時00分 自転車 天気:くもり

 昼過ぎまでぐっすり寝た。本当は早い時間に起きて、遠くまで出かけようかと思っていたのだが、明日は荒川なので控えることにした。
 14:00くらい、BikeEでサガミまで出かけた。今日は、念のためにレインコートを携帯する。
 サガミ3の駐車場にBikeEを停め、店内を見て回ると、MAVICのソフトストーンという商品が目に付いた。これ、リムの汚れを取るためのもの。買っておく。
 さらにサイクルセンターまで歩いて、アパレルコーナーで3Actionを3本買っておいた。使い方が難しくて、常に効果があるとは限らないが、とりあえず確保。
 三ツ境から境川に出て、ずっと南下してゆく。そのまま帰ろうかと思っていたのだが、高鎌橋に差し掛かったところで5:30直前。気が変わり、飯田牧場に向かった。蒸し暑い天気だが、散歩をしている人が多い。羽虫も多い。なんとかならんか。
 やがて飯田牧場に到着。今日はメロンシャーベットを試す。メロンの香りがほのかに漂い、ってあんまり入ってなさげ。
 帰りはゆっくりと流し、スーパーに立ち寄った。かなりの買物をしたのだが、バッグに何とか収まった。しかし、買物にはでっかいカゴをつけた方がいいかな。

2002年06月14日(金曜日)

だるいっす

23時55分 暮らし 天気:晴れ

 朝からだるい。きっと睡眠不足だね。どういうわけか、最近0:00過ぎて、どころか3:00に眠ることが多い。こりゃあ、かつてDiablo漬けだった頃に近い。しかも、最近の土日は疲労回復どころか疲労蓄積の日々だからな。
 今日は早めに寝ようと思い、2:00に寝た(それでも2:00かよ)。

2002年06月13日(木曜日)

雨中の15km

22時00分 自転車 天気:くもり......雨だっけ?

 いよいよ梅雨本番だ!(いやそんなエクスクラメーション付けなくても) 雨自体は嫌いでもないが、天体観望にも自転車にも大敵だ。しかし、自転車の場合、天体観望と違って物理的に不可能というわけではない。要するに雨への備えがあれば、走れないわけではないのだ。今週は自転車に乗れず、ストレスが溜まっていたので、今夜は雨中強行走行に挑んだ。
 といっても、激しい雨が降っているわけではなく、ショボショボと霧雨が降り、時々雨粒がぱらつく程度だ。レインコートを着込めば問題無いはず。しかしこのレインコート、山用の安いものなので通気性が良く無さそうだ。自転車は唯一マッドガード付状態のHardRock号。BD-1にもBikeEにも着くのだが、BD-1は雨中の走行を捨てているので着けてない。BikeEは着けるつもりだが、面倒なので未着手なのだ。
 MTBを走らせる。1.9という太いセミスリックを履いているせいか、グリップに全然不安を感じない。時々1.5に履き替えようかとも思うのだが、このままでもいいかな。
 レインコートのフードをして、上にヘルメットを被る。耳が塞がるので音が聞こえにくくなるのだが、どのみち走行中はかなり雑音が高くなるので、耳はあてにならなくなる。体が濡れないと快適だが、反面蒸れやすい。SPDシューズの底は開口しているが、懸念したような浸水は無かった。大雨ならどうかな。
 15周もすると、レインコートでサウナ状態になり、かなり汗をかいた。トレーニングとしては、実はふつうに走るよりいいのかもしれない。

CLIE T650の使い心地は

00時00分 デジタルギミック 天気:くもり......雨だっけ?

 実は月曜日に定時退勤して、横浜西口ヨドバシカメラでCLIE T650Cを買っていたのだ。T600に比べて物理的なサイズはほとんど変わらず、ATRAC、MP3再生可能、MPU倍速と、そそるスペックになっている。NR70に比べるとやはり断然薄い。実売価格も3万円弱だったので、T600から買い換えることにしたのだ。同時に、T600系で使える超小型キーボードも購入した。
 T650の音声再生機能は、MP3の場合には通常のメモリスティックにデータを置ける(ATRACの場合はマジックゲート対応の必要がある)。こいつをAudioPlayerというプログラムで再生するのだ。AudioPlayerにはプレイリストの編集など最低限の機能がある。必要十分という感じ。ただ、操作のためにいちいちPalmの画面をタッチしなければならないのは、少しめんどうだ。再生時にも、AudioPlayerをバックグラウンドに回すことが出来る。その状態では、フォアグラウンドのプログラムは、やや動作が重くなる。しかし、それほど深刻ではない。十分実用的だ。T600にAudio再生キットをつけた場合、バックグラウンドには出来なかったと思うので、これだけでもT650にした価値があるってもんだ。
 超小型キーボードは、グラフィティエリアを覆うようにして、本体を左右で加えるようにして固定するものだ。さすがに文字入力はグラフィティより快適だ。しかし、Word2Goで入力する場合、未確定の変換候補を文字削除すると、残った未確定文字列が確定されてしまうという現象が発生する。もう少し詰めが甘いな。
 しかし、これ一つでなんでも出来る機械に、後一歩というところだ。通信アダプタを買って、PHSを機種変更して使ってみようと思う。

2002年06月12日(水曜日)

TCR-2のブレーキ換装

22時00分 自転車 天気:雨

 土曜日に届いたパーツを取り出し、いよいよTCR-2前3枚化計画を発動した。今日は、とりあえずブレーキ篇。
 キャリパーブレーキを交換する作業は、この間のMobillyで経験済みだから、さほど迷うことは無かった。あっという間にUltegraへの交換が完了した。ところが、これからの調整がちょっと手間取った。後ろブレーキのフィーリングがすごく悪いのだ。引きはともかく、戻りが悪くて、少し閉じた状態になってしまう。これはワイヤのラインが厳しくて、ワイヤが引っかかってしまうせいだと思われた。そこでインナーにグリスを塗布してやると、多少マシにはなった。それでも引きが重くて、戻りが悪いが、前もこんなんだったっけ?
 大物、駆動系は、週末にでも着手しようと思う。

2002年06月11日(火曜日)

ボーナス出ました

22時00分 暮らし 天気:くもりだか雨だか

 いや、昨日のことなんだけど、ボーナスが無事に出た。少なくとも減ってはいなかった。ホッと一安心。
 今日もはっきりしない天気が続いている。なんだか、台風が発生したとか。そろそろそういう心配もしなければならないんだな。
 ちょっと、キャンプツーリングに出かけたい、今日この頃。

2002年06月10日(月曜日)

入梅だなあ

22時00分 暮らし 天気:雨っぽい

 仕事が一区切り、というより一拍置いたので、ちょっと中休みだ。しかし、空は気持ちよく晴れてくれない。雨が降るか、降らなくても雲が覆うかというところだ。星を見れません。
 もうじき入梅らしい。

2002年06月09日(日曜日)

NHKスペシャル「イグネ 屋敷林が育む田園の四季」

23時00分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、仙台平野に点在する小さな人工林、イグネの四季。
 イグネは居久根と書く。仙台平野に入植した植民者たちが、田畑や家屋を守るために作った、人工の林だ。イグネは、仙台平野を吹き抜ける北風を防いでくれる。番組は、イグネが残る長喜城地区の一年を追った。
 この林は人工の林であるだけに、常に人手を必要とする。里山に比べれば楽そうだが。植層が自然にはありえないだけに、木を切ればその分だけ新しい植林が必要なのだ。
 ある農家は、30年程前に家を建て替えた際、このイグネから切り出した材木だけで賄ったという。完成までに15年掛かったということだ。木を乾燥させたり、成長を待ったりするために、これだけの時間が掛かったのだろう。
 長喜城では、農業の共同化を進めており、他の地区よりも労働力不足に悩まされることは少ない。だが、農民の高齢化、若年層の流出により、やはり苦しくなりつつあるようだ。それでも盆には地区外に出ていた家族も戻り、賑やかな宴会が繰り広げられる。
 労働力不足に悩まされた末、とうとうイグネの伐採に踏み切った農家もある。市街地が間近に迫ってきており、将来どこまで林を守り通せるか、不安が残る。
 人の手で作られた林だけに、人手が無くなればあっけなく消えてしまう。だが人の手で作られたがゆえに、どこか心安らぐ小さな森。残して行ければいいなと思った。

泉の森公園でまったり

20時00分 自転車 天気:晴れ

 今日もいい天気だ。梅雨間近のこの時期には、こういう天気は貴重だ。部屋でぐずぐずしているのもなんなので、TCR-2で泉の森公園に出かけた。
 昨日の夕方にあさひに頼んだ荷物が届いていた。その中にLASという新興メーカーのヘルメットがあった。カラパッチョを愛用していたのだが、あのコンパクトさは高速時にはやや不安を抱かせるものだった。そこで、やや遠出するときのために、より本格的なヘルメットが欲しくなったのだ。いちおう、OGKのヘルメットは持っているのだが、デザインが気に入らない。そこで、一目見てピンと来たこいつを買うことにしたのだ。フリーサイズということなので、通販でも問題あるまいと思った。実際に被ってみると、すごい、ほとんど問題無い。頭部をストラップではなく、ネットで受ける形式なので、自由度がより高いのだろう。左右に少しだけ余裕を感じるが、よく安定している。こいつはいい。
 さらに、一緒に買ったクランクブラザースのマルチツールもサドルバッグに入れておいた。
 裏道を通って、境川サイクリングロードに出る。東名に突き当たるまで北上し、そこから少し裏道を走って、R246に出る。R246を西に走って行くと、やがて泉の森公園に到着した。
 R246はかなり飛ばせるので、ロードバイクだとあっという間に着く。こういう天気だとBikeEの方が楽しそうではあるが。
 キャンプ場前の駐車スペース(ダート)をゴロゴロいわせながら通過し、古民家の前に駐車して一休み。古民家にはなぜか家族連れがたくさんいた。日差しを避けるためかもしれない。
 自転車を押して森の中をゆっくり歩き、売店に立ち寄った。紅茶を買い、さらにしらたきの家、じゃなかった、しらかしの家に立ち寄った。2Fの展示スペースでは、近隣の市民グループによるものだろう、植物を題材にした水彩画の展覧をしていた。生まれつき画才が省略されているとしかいいようの無い僕には、どれもこれもえらく上手に見えてしょうがない。
 一つ、面白い絵があった。花弁が大き目の、花と葉が目立つ草、俯瞰視点で描いたものなのだが、その絵では茎をほとんど省略して描いていた。もともとその草は、茎がごく目立たないのだろう。そこで作者は、あえて茎を最小限に描くに留めたのだろう。しかし、見ているものには、それらの花、葉を支えている茎の存在が、はっきりわかるのだ。なぜならば、それらの花、葉がその位置にあるためには、隠れた茎が支えていなければならないということが、一目瞭然に分かるのだから。小説でも、重要な人間関係をあえて描写せず、その他の人間関係や人物の行動から浮かび上がらせるという手法が一般化している。この絵は、それを思い出させてくれた。具象画にこういう手法を用いるというのは、案外に珍しいんじゃないかと思った。
 しらかしの家を出て、園内の案内図を見てみると、滝や、水源地が北側にあり、さらに遊歩道が続いていることが分かった。売店まで戻り、歩いて滝のある方に行く。確かに水音がする。ほとんど藪と化した細い道に一歩踏み入ると、確かに小さな滝があった。涼しげだ。
 さらにR246の真下をくぐってゆくと、遊歩道が続いている。小高い丘の上に展望所があったのだが、ここから見えるのはR246くらいだ。冬枯れの時期には、森全体を見渡せるのだろうか。
 さらに歩いて行くと、フェンスに囲まれた水源地に行き当たった。小汚い湧き水が、道の脇に吹き上がっている。ちょっと幻滅。水源地そのものには立ち入り出来ないようだ。
 R246の真下はかなり広く、雨天時の避難場所に最適だ。
 確か虹の橋とかいう大きな木製の橋の一帯には、花菖蒲が咲き始めていた。あれ、菖蒲だっけ。花の名前に疎い俺様であることよ。
 夏至の時期とはいえ夕暮れ時が近づいてきたので、立場に戻り始めた。公園の南に出て、一度R246に戻る道を探した。すると、いきなりかなりの坂が待っていた。うぉー、とひるみつつも、ギアを軽めにして踏んでゆくと、なんら問題なくするすると登ってゆける。坂に強くなってきたなあ。
 R246に出て、細めの側道を自動車とほとんど張り合いながら突っ走った。この側道、路肩に固定式のポールが邪魔で邪魔で仕方ない。路駐を防ぐためなんだろうが、自転車にとってはいい迷惑だ。
 東名と境川の交差点でサイクリングロードに復帰。さらにダイクマに立ち寄って帰宅した。

2002年06月08日(土曜日)

NHKスペシャル「ニッポンの技が未来を開く」

23時00分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは「ニッポンの技が未来を開く」。日本の伝統工芸は、日本人が様々なヒントを得ながら、自らの生活の中で磨き上げてきた経験の技だ。それら伝統工芸は、近代に入って西洋科学文明による淘汰にさらされ、あるものは廃れ、あるものは文化的側面を強調することで生き残ってきた。しかし、現代の科学技術に対し、それらの伝統工芸が、様々なヒントを与えるようになっているという。
 現代文明の利器として、象徴的な存在である自動車。日本は、その自動車の生産国として実力を高めてきた。その自動車の心臓部、エンジンから、路面に力を伝えるタイヤへの伝達装置に、日本の思わぬ伝統工芸が関係している。和紙だ。
 伝達装置は、エンジンからプロペラシャフトへと、動力を滑らかに、しかも確実に伝達できなければならない。構造としては、2枚の金属プレートを密着させ、動力を伝達する仕組みになっている。しかし、ただの金属面を接触させただけではスリップが発生し、また破損の恐れもある。そこで、この部分に柔軟な素材を貼り付け、それらが擦りあうことで金属面の直接の接触を防ぎ、またその素材にオイルを浸透させておくことで、高温高圧にも耐久しやすいように工夫されている。従来、この素材としては、石綿が使われてきた。石綿は燃えず、また柔軟性も併せ持っているので、素材としては理想的だ。ところが、石綿は強い発ガン性を持つことが知られるようになり、各国で使用を禁止されている。そうなると、何らかの代替素材が必要になる。
 日本のあるメーカーは、その素材として合成素材を紙状に整形したものを試作した。ところが、ただ単に素材を繊維状にばらし、薄く整形しただけでは、素材同士がくっつきやすいため、斑が出来てしまう。これでは実用にならないのだ。そこで、メーカーはある和紙職人に助けを求めた。和紙職人によれば、和紙の場合、単純に繊維を溶かして漉くのではなく、ある添加物を加えるのだという。植物から取れる粘液状のもので、繊維を絡めとる糊のような役割をするのだ。繊維はこの糊にくるまれ、他の繊維から離れてしまう。そこで漉くと、きれいに斑の無い和紙を漉けるのだ。和紙職人は、持参の道具で、合成素材を漉いてみた。すると、きれいな和紙状の素材が出来上がった。この製法を機械化した結果、実用化された新素材は、世界市場で大きなシェアを占めることが出来たのだ。
 ニューヨーク、レストランや、そこで使う調理道具を扱う店などで徐々に売上を伸ばしているのが、日本製の包丁だという。日本刀の伝統を引き継いだ包丁は、こまやかな調理を必要とされるようになった、欧米の調理人たちに広く受け入れられつつある。切れ味に勝る点が受け、伝統的に大きなシェアを占めるドイツ製刃物に迫る勢いだという。
 ところが、シェアを伸ばしつつあった頃、欧米のユーザからのクレームが相次いだという。包丁がすぐに壊れるというのだ。欧米の調理では、大きな肉の塊を刀で叩ききるようにして切るなど、かなりハードな使われ方をする。日本製の包丁は切れ味の鋭い鋼鉄を使用しているのだが、硬い反面もろい性質があり、粗い使われ方に耐え切れなかったのだ。そこでメーカーは、日本刀の刀鍛冶に協力を求めた。日本刀でも素材は鋼鉄だ。しかし日本刀は過酷な肉弾戦に耐えられるようになっている。そこに何か秘密があるのではないか。
 秘密は、日本刀の製造工程そのものにあった。日本刀の刃は鉄に炭素を浸透させた鋼鉄であることは前述の通りだ。しかし、単純に浸透させると、炭素含有量の多い部分で斑が出来、もろいその部分から破損しやすくなる。そこで刀鍛冶は、日本刀を繰り返し鎚で打ち、"鍛える"のだ。鍛えることで、斑が少なくなり、より粘り強くなる。メーカーは斑を無くす行程を取り込み、荒っぽい使用にも耐えうるよう、製品を改良できた。このメーカーは、ますますシェアを伸ばしているという。
 日本版スペースシャトルとして開発中なのが、HOPE。完全無人の小型往還機で、H2A改によって打ち上げられる予定だ。大気圏に再突入する必要がある往還機では、機体の少なくとも一部を熱から保護する必要がある。そのため、アメリカのスペースシャトルの機体下面には、シリカ素材を使ったタイルを使用している。しかしシリカ素材のタイルは高価で、高コスト/パフォーマンスであることが必要なHOPEには、そのままでは適用できない。そこでNASDAは、陶石を使った"陶器"を使用することを考え、ある陶芸家に協力を求めた。
 陶器そのままではシリカ素材の場合より重くなってしまう。そこで陶芸家は、発泡素材を使って小さな空洞をたくさん作ることを考えた。こうすることで、強度を確保しながら軽量化も図れるのだ。
 試作されたタイルの質量比はシリカ素材より軽量に仕上がっている。HOPEが飛ぶのはまだ先だが、陶芸家の夢は膨らむばかりだ。

飯田牧場まで突っ走れ

21時00分 自転車 天気:晴れ

 帰宅したのは17:00過ぎ。うーむ、今日はコントを見ただけで、なにもしなかった日だなあ。自転車も乗ってないし。
 ふと、飯田牧場のアイスを無償に食いたくなった。ちょうどモスで小腹を満たし、冷たいものが欲しいところだったのだ。時計を見ると、17:20。間に合うかなあ。まあ行ってみよう。身支度をして、TCR-2を駆り、飯田まで突っ走った。
 裏道を通り、境川まで出て、サイクリングロードを飛ばす。時速30km/hは、狭い境川サイクリングロードではちょっと出しすぎか。しかし、時間が無いので、人が居ないところを見計らって、できるだけ飛ばした。
 改めて、ロードバイクは快適だと感じた。MTBやBD-1とは次元が違う走りの軽さだ。Stelvioを履いたBD-1でも、この軽さには到底及ばない。MR-4Fももう少しなんとかすれば、さらにロードバイクに近づけるはずだ。違うのは、やはりライディングポジションか?
 汗をかきながら、閉店10分前に到着。25分弱で走りきった計算だ。今日はキャラメルをぱくつく。
 戻りは、もう少しゆっくりと走った。ゆっくり走る場合でも、それなりに楽に走れるのがドロップハンドルのいいところだ。
 帰宅すると、クロネコ代引き便担当のお姉さんがあさひからの荷物を持ってきてくれた。明日は前3枚化に取り掛かるぞ。

コントを見に行った

18時00分 レジャー 天気:晴れ

 ぽんちえ氏がコントをやるというので、成城学園前にのこのこ出かけていった。
 コントはぽんちえ氏を含む男性3名、女性1名の出演だった。まずは刑事が登場し、電話で次の目的地「元ラーメン屋の喫茶店」などと指令を受け、そして室内でなにかを発見するというコントが演じられる。すると次にその元ラーメン屋の喫茶店で、ぽんちえ氏ら刑事を除くメンバーでコントが演じられる、という構成だ。刑事と他のメンバーは最後の最後まで顔を合わせないが、その最後のコントで全員集合、という運びだった。なかなか、カラッと笑えて、この季節には好感できるコントだったと思う。
 終演後、ぽんちえ氏とちょっと歓談し、すぐに辞した。秋葉に向かうつもりだったのだ。というのも、我が5号機が突如起動不可という状況に陥り、メインボードを調達しなければならないと思われていたからだ。
 が、駅で考えた。5号機は本当にゲーム専用なので、すぐになけりゃ困るという事も無い。それに、この機会にマシン増強も考えてみたい。もう少し、今のPC事情を調べることも勘案し、今日買うのはやめた。
 すきっ腹だったので、立場駅前のモスでちょっとおやつを食べて、帰宅。

2002年06月07日(金曜日)

20周グルグル

22時00分 自転車 天気:晴れ

 今日は久しぶりにTCR-2で突っ走った。20kmという距離はさほどでもないが、あまり飛ばせないのがちょっとつらいところ。一般車道で、家屋に面しているので、突然の飛び出しが多いのだ。新コースを開拓したいところ。

2002年06月06日(木曜日)

やっと熱が下がった

21時00分 自転車 天気:雨のち晴れ

 朝、不気味な雷鳴に目がさめた。ほとんど間近に落雷しているらしく、すごい振動を伴っている。こりゃ大迫力だ。しかし、電気系統がおかしくなる様子は無い。えらいぞ、東京電力。
 また寝入って、ふと目覚めたら昼下がり。起き出してみると、気分は悪くない。耳が聞こえなくなるのは相変わらずだが、熱は下がったようだ。
 BikeEで買い物に出かけた。湘南台まで走り、銀行で金を下ろしてダイエーに寄った。88円均一コーナーでせこい買い物をして、すぐに帰宅。家の近くで、散歩していたおばさん集団に「あんな自転車のってる!」と指差して笑われる。こっちも思わず楽しくなっちまうぜ。

2002年06月05日(水曜日)

外はどうなってるんだ?

22時00分 暮らし 天気:晴れ

 夢も見ないでとろとろ眠りつづける。起きだしてはゲームをし、自転車を眺め、またふとんにぶっ倒れる。これじゃ治らんわい。
 冷蔵庫の在庫が乏しくなってきたので、スーパーに買い物に出かけた。ついでにユニクロで夏物のクールマックス配合Tシャツも買う。久しぶりに空を見た気がする。買い物にはMobillyたんで出撃だ。積載を考えるとBikeEがベストなのだが、こいつは重い上にホイールベースが長いので、下に降ろすのに苦労するのだ。130cmもあるもんな。他のロード、MTB、折り畳みは100cm前後で、Mobillyなどは80cm台だ。これくらい短いと、歩道上の雑踏でも軽快に抜けられる。
 BikeEの本領は、長距離を、荷物を載せて走る場合だな。キャンプツーリングに行きたい。

2002年06月04日(火曜日)

さらに熱が出ました

22時00分 暮らし 天気:くもり

 やっぱりヤビツから何かを持ってきてしまったのか、熱がブワーッと出始めた。もう、脳みそとろとろよん、という感じだ。
 そんな状態だったからなのか、ボーナス直前だったせいか、またしてもサイクルベースあさひに注文を出した。メインはTCR-2のUltegra化&3枚化だ。その他、夏に向けて必要そうなバッグ類も三つ買う。三つもかよ! 部屋ん中、既にバッグがゴロゴロしているのだが。

2002年06月03日(月曜日)

ダメです

22時00分 暮らし 天気:くもり

 ヤビツで消耗しすぎたのか、もう体がぜんぜん動かんもんねという感じだ。微熱が出て、喉の奥が腫れてしまっている。これで困ったのが、ちょっと横になっていると耳道がふさがるのか、音が聞こえなくなってしまうのだ。こりゃ参った。

2002年06月02日(日曜日)

表ヤビツに挑戦

22時00分 自転車 天気:晴れ(雲量大)

 昨夜は寝坊の前にあえなく未遂に終わったヤビツ攻め。今日こそはと意気込んで8:00に起き出した。
 身支度をして家を出たのが9:00過ぎ。立場駅からは輪行せず、直接湘南台に向かった。今日の相棒、MR-4Fを湘南台で畳み、バッグと共に小田急に乗り込んだ。
 表ヤビツの出発点、秦野には10:30くらいには到着する心づもりだったのだが、案外に時間がかかり、11:00過ぎの到着となった。
 駅舎のコンビニでおやつを買い、駅前でMR-4Fを展開する。バックパックを背負い、キャメルバック(は他のブランド名だが、要するに補水用の透明柔軟水筒)の飲み口をセットし、いざ出発だ。
 実は、昨日の未遂の後、掲示板で@nak組を中心とする僕以外の神奈川支部(これ、本当になんの支部なんだろう)メンバーが、裏から、つまり宮ガ瀬湖側からヤビツを制覇していたという話を目にしていた。なんか、僕だけ除け者にされたのかと一瞬僻んでしまったのだが、よく考えると以前にやはり未遂に終わった@nak組のヤビツ攻めのリベンジなんだな。じゃあ呼ばれなくて当然か。しかし、もしも昨日ヤビツに行っていたら、どこかで知らずにすれ違えるという楽しい事態になっていたかも。
 秦野駅前を出発し、ヤビツに向けてそろそろと登りはじめる。道順は案外に簡単で、所々にある看板を参照すれば、迷うことは無かった。
 R246を横切ると、まずは非常にきついという情報のあった、蓑毛への登りが待っていた。一瞬、唖然とするような急傾斜が、ずっと先まで続いている。これがもう、きついのなんの。一番軽いギアでも回せないかというくらいだった。本当は、軽めの回転重視のギア比で登る方が楽なのだが、この傾斜ではそれも無理。ふつうのロードバイクで登ってゆく人がいるが、よく登れると思う。
 休み、休み、やっとのことで蓑毛のバス溜りを通過。確かに、多少傾斜は緩くなってきた。が、早速足を使い切ってしまっていた。滑り止めの溝が切られた道を登っていった。
 道はほとんどが2車線で、たいていの場合は路肩近くを進めば、車が避けてくれる。所々に1車線しかない個所があるが、そうは長くない。
 気温がそれなりに高いせいか、汗がだらだらと流れる。キャメルバックの水より、ボトルに詰めてあったお茶の方がおいしく感じるのはなぜだろう。
 ちょうど昼時のせいか、自転車乗りは下ってくる人が大半だ。途中、外人さんに抜かれる。MTBの軽いギアを生かし、シャカシャカ回しながら登ってゆく。あっちの方が絶対楽だよ。TCR-2とMR-4Fの前3枚化を決意した。
 半死半生で、なんとか菜の花台に到着。見晴らしのいい場所、のはずだが、晩春の大気は霞みに霞み、足元の市街地をやっとうかがえる程度だ。
 ここでお茶と、秦野駅で買ったお菓子とでおやつタイムだ。そういえば、昼飯はどうしよう? 予定では、とっくに宮ガ瀬湖への下りに掛かっていたはずだが、まだこんなところだ。この足の回らなさは、ハンガーノックもあるのかも。水は十分すぎるほど持ってきたのだけど(実際のところ、かなり余った)。食事は降りてからにしよう。とりあえず足を休ませた。
 この菜の花台、木造の展望塔が建っているのだが、登るのにも消耗しそうなので、登らなかった。次回にな。
 しばらく休んで、ヤビツ峠へのさらなる登りに挑んだ。もうすぐかと思っていたのだが、案外に先は長かった。またしても休み休みの自転車行である。まだそれほど行かないうちに、さっきの外人さんが下ってきて、「ガンバッテ!」と励まされた。しかし、どうしても気合が入らない。今日は意気が上がらないし、もう引き返そうかなとすら考え始めたとき、前方に小屋が見えてきた。そこがヤビツ峠だった。小屋は、そこに立つ売店だったのだ。やった、なんとか到達。
 小屋の自販機でお茶を買い、道端でのどを潤す。ここには立派なトイレと、なんとバス停があるらしい。裏から登ってくるのかな。登山客がたくさん並んで待っていた。
 小屋には不思議な機械がある。よくある缶裁断機なのだが、裏に特別なシールを貼ってある缶を投入すると、10円戻ってくるのだ。350ml缶が140円と高めだが、戻りを勘案すると130円。まあ高所にあることを考えると、許せるか。
 さて、一休みしたら下りだ。下りは速い。ほとんど漕ぐ事もなく、R246まで下りきった。平均30km/h台後半だっただろうか。最高50km/hくらいは、ちょっとブレーキングを遅らせるだけで楽に出せた。しかし、下りで体が思いっきり冷え、くしゃみが出始めるくらいだ。ひえ~(x_x)
 秦野駅前に戻り、ロータリーのところで一息ついて、さあ輪行準備、などと考えていたら、山の方から雷鳴が響いてきた。また雨か。慌てて屋根のあるところに移動する。MR-4Fをバッグに詰め、抱えて電車に乗り込んだ。
 今回はいろいろ反省すべき点が多い。特に己の足の無さを改めて痛感させられた。とりあえず、ロードバイクだけでなく、MR-4Fも前3枚化しよう。MR-4Fでの登りのつらさは、ポジションの問題でもあるように思える。そこで、ためしにドロップ化を進めようと思う。次こそ楽々征服して見せるぞ。待ってろ、ヤビツめ!

2002年06月01日(土曜日)

なし崩し的に横浜ポタ

22時00分 自転車 天気:晴れだ

 朝、ふにゃ、と目覚めると、もう昼だった。ぅゎぁ、だめじゃ、今日はヤビツ峠に行くつもりだったのに。
 今日は家でゴロゴロしていようかとも思ったが、外のいい天気に我慢できず、横浜ポタリングに出かけることにした。
 今日の相棒はMobilly。ブレーキを強化して、以前よりますます走りやすくなってきたこいつで、久しぶりに横浜の港を走ることにしよう。
 立場まで自走し、Mobillyたんを折り畳む。今日はサドルバッグとして、オストリッチの縦長タイプを着けてみた。これ、なんと加藤直之画伯が「こんなん作れ~」とオストリッチにFAXを送ったら、なんとほぼそのまま出してくれたものだという。小径車特有の長いシートピラーにぴったりの、斬新なデザインのバッグだ。容量も結構大きい。なんといっても、かなり長尺のものが収まるのがうれしい。残念なのは、取り付け、取り外しがやや煩雑だということだ。折り畳み自転車用としては、後一歩の煮詰めが必要そうだ。
 伊勢佐木長者町で降り、山手方面に向かった。ブレーキをアルホンガのデュアルキャリパーに替えて一番感じるのは、コントロールのしやすさだ。制動距離も短縮できたが、それ以上に微妙なブレーキ操作を出来るのがいい。前は、極端に言えば思いっきり握るか、離すかのどちらかだったから。
 最初に立ち寄ったのは、Y系の店、クレイジー・ダボ。ここでTOPEAKのe-ショックマスターブラスターと同じくペットボトル/ボトル兼用ケージを探したが、無いようだ。東京に出て、回るしかないかな。
 店を出て、シンボルタワーの方に走る。途中、マックでおやつを買い、シンボルタワーまで突っ走った。シンボルタワー周辺は、案外に人出が少なかった。春先はあんなに混雑していたのにね。海の見えるベンチに座り、おやつをぱくついた。
 そろそろ出入り口が閉じられる頃なので、一服した後、山下公園へと向かった。
 山下公園ではワールドカップ開催に合わせたのか、なにがしかのイベントが行われていた。ジャズ系のサウンドが鳴り響き、大道芸が繰り広げられている。公園の北西、仏塔様の東屋の側には、ガラス張りのきれいな休憩所が出来ていた。
 山下公園を抜け、ちょっと北にある自転車屋を冷やかす。意外に狭い店内には、いろんなアイテムが並べてある。が、目当てのものはここでも見つからなかった。
 さらに臨海公園まで走る。鐘のある区画に入ろうとすると、臨時ゲートが出来ていて、18:00に閉めるという。もう、間もなくだ。一服する間もなく、追い出されてしまった。たぶん、これもワールドカップ対策なんだろう。
 最後にワールドインポートに寄り、アウトドアショップでトランギアの小さな飯盒、ハロマーク(残念なことに「今は亡き」なのだが)のシエラカップ用蓋などを買った。これらが全部サドルバッグに収まる。
 自転車を桜木町まで走らせ、暮れなずむ街明かりの下でMobillyを折り畳んだ。今日もお安く楽しめた。