Strange Days

2002年09月29日(日曜日)

第1回南会津サイクルトレイン二日目

00時00分 自転車 天気:朝からハラハラ、雨のちくもり

また雨か、と思いきや


 夢も見ないでぐっすり眠った(実際には見たのだろうが、忘れた)。真夜中、ふと目覚めた事があったが、近くの国道から時たま車が走る音がするだけで、静かなものだった。また、すぐに眠り込む。
 明け方、またふと目を覚ます。
 雨がふっとるやんけ。
 かなり激しく降っている。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(日本昔話風に読め) 昨日の雨を吹き飛ばした魔力も、とうとう失せてしまったのか。考えていても仕方ないので、起床予定時刻までまた眠り込んだ。
 6:00頃に起きた。まだ窓の外では雨がけぶっている。「かなり激しく降っていた」と高橋氏。窓から見える、別の建物の屋根が濡れて光っている。これは、本格的雨中走行になりそう。なんとなく諦めムード。
 7:00から朝食。美味しいパンにサラダ、スクランブルエッグ、果物のヨーグルトがけ、ベーコン。このベーコン、都会のスーパーで売っているような腑抜けた代物ではなく、ちゃんと肉の味がするもの。さすがに燻しモノには強い宿である。
 朝食が終わる頃には、雨脚が弱まってきた。他の建物の屋根を観察すると、光の反射が鈍くなってきている。もう、パラパラという程度だった。出発時刻が近づき、別の棟に保管してあった各自の自転車を出し、別の宿に泊まっていた参加者たちを待つ。雨は上がっていた。しかし、この先はかなりの下りなので、寒くなるだろうと警告を受けた。雨具を着込んでゆくことにした。
 宿近くの道はぬかるんでいる。別宿に泊まっていたにち氏らが合流。引率の和田氏が出発を告げ、木林森を後にした。いい感じの宿でした。
 短い未舗装路を下り、再び舗装路に出た。太い車道との合流点でさらに別の宿に泊まっていた参加者を待ち、全員で下り始めた。

養鱒公園へ


 昨日、登ってきた道を、出発地の田島駅まで下ってゆく。走りながら、いつの間に青空すら見え始めた空と、延々と続く田園風景を堪能する。
 走りながら、尿意に悩まされ始めていた。いちおう、出発前に宿で済ませてきたのだが、昨日のビール攻勢がちょっと効いたらしい。まあ、田島駅まで走ればいいかと考え、先行集団を追って走っていった。
 田島駅への道は、ちょっと複雑だ。途中、おやっ、という場所もあったが、なんとか迷うことなく田島駅に到着。ここで後続を待つのかな、と思ったら、そのまま通過してゆくではないか。ちょうど、僕がこの集団の最後尾で、後には誰も見えない。このポジションは、一番のんびり走れるので、性には合っているようだ。それでも、遅い人をパスしていたら、いつの間にか真ん中に入り込んでいた。
 田園風景の真ん中で一休み。尿意を抑えながら(爆)、目を蕎麦畑に向け、黒く実った実を物珍しそうに眺める。流れる時間がのどかだ。登りが続くのと、天候が回復したのとで、雨具を脱いでおいた。
 後続はほとんど来ない。スタッフが電話で連絡を取ると、どうやら大量に道を間違った参加者が出た模様。おの氏やにち氏、気のいいおばさん集団などが含まれている。それは別途追い着かせることにして、今日の目的地、観音沼に向かうことになった。
 ここからはアップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を稼いでゆく。先行する集団はだいたい決まってきて、僕はその後ぐらいを着いて走った。坂道ではペースをつかめ、一気に駆け上ってゆく。うむ、なかなか爽快なり。
 やがて、中間地点の養鱒公園に到着。その名の通り、鱒を養殖して、釣堀にしている場所だ。「ようそんこうえん」とでも読むのか。トイレに駆け込み、一息つく。
 ここでSHIG氏のトライクに試乗させていただく。地面すれすれをシューっと滑るように走るのは快感。ああ、やヴぁいなあ、欲しくなっちゃう。アパートの惨状を思い出して、ようやく気を取り直した俺様だった。
 迷子中の後続集団に関して、なにか結論が出されたようだ。ここにいる先行集団だけで、再び走り出した。和田氏が行程の説明をした後、再び先頭に立って(いや自転車は座って、か)走り出した。

観音沼へ


 中間地点の南小学校まで、田島近辺で見たような稲田の中を登ってゆく。日本はええ国じゃのう、と東風風に思う僕だった。
 やがて、奇妙な設備に囲まれた十字路に到達し、そこでいったん停止した。奇妙な設備というのは、道の片側に、金属製のフレーム状のものが、延々と立ちはだかっているのである。それを横目に、南小学校まで、さらに移動する。この設備、冬の雪避けに使うものらしい。高橋氏の話では、谷の下から吹き上げてくる風に乗ってくる雪で、道が埋まってしまわないようにという設備らしい。風向きを読んで、そこから道を守るようにして立てられている。
 南小学校前の道は、田畑が連なる谷の、かなり小高い位置にあった。ここからは、刈り入れ寸前の稲田が、ずっと下の方まで連なっているのが見える。その光景の美しい事ったら。まさに黄金の海だ。稲田は、見上げるものではなく、見下ろす方が楽しいと思った。
 南小学校を発ち、さらに登ってゆく。道はやや悪くなったが、ずっと全舗装路だ。200mほど上がるはずだが、勾配は緩いままで、楽々登ってゆける。たぶん、後で取り返されるんだろうな、などと疑心暗鬼になりつつ走っていると、見慣れた黄色いSat'R'Dayが......。いつの間にか、迷子組が先行していたのだ。なんでも、田島駅近くで道を誤ったことに気づいたので、その後の行程をかなりショートカットしたのだとか。
 その集団を少しずつ抜きながら登ってゆく。田原氏、にち氏をパスした辺りで、やっぱり来ました、急坂。おー、結構来るなあと思いつつ、高度をどんどん上げてゆく。高度計機能付の時計のおかげで、どれくらい登ったかがわかりやすかった。
 やがて、少し下り始めたところで、観音沼に到着。ここで昼食になると説明される。沼のほとりまで進み、昼食の配給場所にたどり着く。沼は結構広い。ボート遊びが出来そうだ。が、水中植物が多いので、オールに絡みそうだ。
 にち氏と適当にベンチに座り、おの氏らがやってくるのを待ちながら、適当にトイレを使ったりした。やがて全員が揃ったようで、昼食の仕出し弁当が配られた。熱々の缶のお茶の他、ペットボトルのお茶も配られた。登りでボトルの水も使い切っただろうという、自転車イベントならではの心配りだ。
 昼食後、沼のほとりに下りてみた。昼食場所からは分からなかった、観音沼の広さが良く分かった。ここで昼食にすれば良かった、などと考えても後の祭りだが。後一月も経てば、紅葉が見事だろう、などと話した。
 観音沼を発つ前に、沼を背景に写真撮影会だ。サイスポ誌に掲載されるようだ。

トロッコ電車でゴーゴー


 観音沼からは、再び蕎麦畑の真ん中(といっても畑に突入したわけではないが)を突っ走り、やがて川沿いの道に出た。川は遥か下に見えている。なんというか、趣深いなあ。いい感じでアップダウンをこなしてゆく。
 本来なら"塔のへつり"という景勝地を経由するはずだったが、時間的に押していたので、湯野上温泉駅に直行した。しかし途中、川の上に高々と架かる鉄橋から、塔のへつりの一部を垣間見た。侵食の進んだ川べりの奇岩地帯が、青々とした深い水の色ともども見ものだった。ここは、次回、是非に。
 この湯野上温泉駅で、歴史散策コースと合流。サリーナ女史らともここで再会した。
 ここからは、もう走ることはない。自転車を駅の側に並べた。『近くの温泉に入れます』とのこと。にち氏、おの氏、田原氏と、近くの温泉宿に向かった。
 そこは単なる旅館だが、500円払えば入浴できる。帳場近くにいたおばさんに尋ねると、奥の風呂場を案内された。ここは本当に単なる風呂場という感じで、洗い場は3人で一杯になってしまう。湯船は少し余裕があるので、浸かって待っていた。ほどなく、洗い場が空いたので、ざっと汗を流しておいた。
 入るとき、おばさんにお茶もどうぞと言われていたのを思い出し、大広間に入って少しくつろいだ。おばさんに金を払いたいが、見当たらない。いいのか? なんというか、のんきな雰囲気だ。そろそろ集合時間という頃に、やっと奥からおばさんを呼び出し、500円なりを払って外に出た。すると、
 雨だった。
「結構強く降ってる」とにち氏。確かに、かなり濡れそうな感じだ。仕方ない。駅まで小走りに飛び出した。実は、背負っているバックパックには折り畳み傘が入っていたのだが、すっかり失念していた。役立てるチャンスだったのに。
 幸い、雨はあっという間に小降りになったので、ほとんど濡れずに済んだ。
 駅舎で少しくつろいでから、ホームに自転車を移動させた。会津鉄道が走らせているトロッコ列車に、特別車両を連結させて、そこに積み込むのだ。
 ほどなく、トロッコ列車が到着。一般客が乗っていた。ホームの異様な状況に、子供たちがはしゃぎたてている。しかし、こっちは手早く積み込まねばならないので、おおわらわである。自転車を積み終わり、人も乗り込むと、現地スタッフとはいよいよお別れである。お互いに千切れんばかりに手を振って、別れを惜しんだ。また来年もよろしく~(もう出る気になっている)。
 人員の方は、一般客の乗っている車両に相乗りすることになる。ドアのすぐ近くに車内販売コーナーがあり、とっぽい感じのお姉ちゃんが切り盛りしていた。これが目が回りそうなくらいに忙しそうだ。ほんと、見ている方が目を回しそうだ。ひっきりなしに乗客がなにがしかを買い求めに来る。子供が好きそうな駄菓子も売っているので、そういう小さなお客さんも多い。たまに客席まで出向くのは、子供が親のお使いで酒を買い求めに来る関係だろうか。さらにこのお姉ちゃん、観光アナウンスの役目も負っている。この数日間見た中では、もっとも働き者だった。思わず、心の中で声援を送ってしまうぞ(笑)。僕とにち氏は、早速ビールを買う。乾杯! 労働の後の一杯は堪えられない。
 列車は、しばし川筋と並走する。そして川に架かった鉄橋では、少し速度を落とし、あるいは完全に停車した。停車したのは塔のへつりの間近だった。凄い景観の真っ只中に、なぜか露天風呂がぽつんとあるのには笑った。入浴中の男性客がいたのにも笑った。かなり離れていたので、詳細は不明だが(笑)。
 列車はいくつかのトンネルを潜り、やがて会津田島駅に滑り込んだ。

旅の終わり


 会津田島駅での乗り換え時間は18分間。自転車がどんどん引き出され、持ち主の手によって帰りの便が発つホームに運び込まれてゆく。んで、僕のMR-4Fは......? どうしたことか、見当たらない。あまつさえ、トロッコ列車は、また出発してしまった(はからずも笑)。どこに行ったのだ、と白鯨を追い求めるエイハブ船長のように(意味不明)ホームを放浪していたら、ホームにぽつんと立てかけられているMR-4Fを発見。誰かが親切にも運んできてくれたようだ。
 列車に、出発時と同じように自転車を積み込んでゆく。慌しく各自の席に着き、ホッとする間もなく電車は出発した。さらば、南会津よ。
 帰りの電車では、なんとなく一人になりたくて、隠れ場を求めてしばしうろつく。自転車乗りには酒飲みが多い。そこここで宴会が繰り広げられていた。酒を飲みたい気分ではなかったので、どこか黄昏られる場所を探してうろついた。最終的に、自転車を固定してあるドアの間近に、隠れるようにして座り込んだ。ほとんど寝てすごす。夢うつつに、短い旅でめぐり合った、心に残る風景を思い返していた。
「弁当買えますよ」の声に、我に返る。顔を上げると、ちょうど駅で待ち合わせ中だったらしく、窓越しに駅弁売りから弁当を買っている様が目に入った。腹が減ってきた。立ち上がって、ちょうどおの氏のボックスの窓近くにいた駅弁売りに、山菜おこわを要求した。900円。うっ、小銭が800円しかない。しかも、札も万札しかない。とっさに、おの氏に100円を借り、無事に購入できた。今度、おの氏に会ったら100円返しておかなくちゃだわ。僕自身が忘れそうなので、僕とおの氏が同席しているのを目撃した方は、『100円』と教えてください。そうすれば思い出せるでしょう(他力本願もいいところだ)。
 そうやって一人で黄昏たり、にち氏のボックスに座り込んで話したりとしているうちに、列車はとうとう業平橋駅に戻ってきた。自転車を引き出し、ホームで簡単な解散式。スタッフの皆さん、お疲れ様でした。本当に楽しかった。
 この後、どうやって帰ろうと、にち氏と話した。僕は押上から帰るつもりだったが、にち氏と話しているうちに、東京駅まで自走してもいいと、考えが変わった。二人とも道順が分からないので、おの氏を待つことにした。おの氏がゆっくりと、最後の方に出てきた。おの氏は先導を快諾してくれたので、おの氏を先頭に走り出した。
 休日夜の東京は、案外に走りやすいものだった。広い、余裕のある車道を、東京駅まで突っ走った。東京駅でおの氏と別れ、東京駅から東海道線に乗って帰宅した。途中、横浜まで一緒だったにち氏と、「次回も出たいね。伊豆大島にも行きたい」などと話し合った。
 帰宅したのは10時過ぎだった。「今、帰ってきたよ」とつぶやいてみせるが、独り者の悲しさで、膝の上にエラノールがちょこんと乗ってくることもない。