Strange Days

2003年01月31日(金曜日)

今日もなにもできず

00時00分 暮らし 天気:晴れっすか

 今日も遅くに帰宅。さすがに午前様ではないが、週末を目前にして、やるべきことが山積みなので、帰っても余裕がない。いや待て、『やるべきこと』を忘れてしまえば、これはもう持て余すほど暇な時間を持てるぞ。発想の転換というやつだな(そんなわけないない)。
 今日も夜トレ出来ずだった。
 もう、明日からは2月なのか。

2003年01月30日(木曜日)

今日はなにもしない日

00時00分 暮らし 天気:快晴

 今日も帰宅が遅かったので、ほとんどなにも出来ないでPCの前にはまっていた。
 外は寒い。エアコンをつけても、なかなか室温が上がらない。閉めているはずのふすま越しに、熱が逃げてしまっている感じだ。ああ、こんなところに日本建築の弱点を引いているのかと思った。
 今週末、またどこかに走りに行こう。

2003年01月29日(水曜日)

ちょっと観望

23時55分 星見 天気:快晴

 あんまり夜空が澄んでいたので、ベランダからオリオン座周辺を狙った。CANON 18*50ISを抱えてベランダに立つと、冷気が肌を刺す。気温が昨日よりもさらに下がってる感じ。放射冷却という奴か。
 M42は散光バリバリですぜという感じで、明るいオリオン座周辺でも異彩を放っていた。高倍率で狙うと、トラペジウムも五つくらいまで分離できそうな見え方だった。
 M41も、これはひっそりと、だが微光星たちが暗いながらも自己主張をしているような、そんな見え方だった。この地味なM天体、なぜか気に入っている。
 と、視界の星たちが小刻みに揺れ出した。おや、もう電池切れ? いえいえ、自分が寒さに震えているのでした(爆)。体脂肪が減ったせいか、以前より寒さがこたえる。そうそうに引きこもった。

やっと夜トレ

00時00分 自転車 天気:快晴

 久しぶりに早く帰宅できたので、夜トレに出動した。
 俣野橋まではインナーのまま、静々と踏みつづける。最近、踏み方によって持久力が変わるのではないかと気づいた。今まではクランクの最前方位置から下死点に向けて踏み下ろすように漕いでいた。しかし、シート位置の試行錯誤の中で、むしろ上死点から前方に向けて蹴り出すようにすると、より楽に、長時間回しつづけることが出来ると気づいた。ネット上で読んだ真偽不明の情報に寄れば、踏み下ろし法は体重を掛けやすい反面、脚の前側の筋肉(薄い)が中心になるので、持久力が低いのだとか。逆に蹴り出し法は、脚の後側の筋肉(厚い)が中心になるので、持久力を発揮できるのだという。確かにそうかなと思える。しかし、例えば街中でゆっくり走ったり、すり抜けたりする局面では、踏み下ろし法の方が凌ぎやすい。重力を味方に付けられるのと、とっさにダンシングに移行しやすいからだろう。
 そんなわけで、このところ漕ぎ出しは前乗り気味で踏み下ろし主体に、巡航時は後ろ乗り気味で蹴り出し主体で走るようになっている。気のせいか、50km以上走ったときの疲労感が、以前よりずっと低減したようだ。
 境川を下っている途中、右斜め上空にオリオン座がくっきりかかっていた。今日は空気の濁りが感じられず、まるでプラネタリウムのように澄んだ星空が取り囲んでいた。これは、ナイトランならではの贅沢。
 俣野橋からの登りも後乗り気味に乗り切り、フロントをアウターに切り替えて、湘南台まで突っ走った。久しぶりの汗が心地よいが、すぐに冷えてしまうので要注意だ。

2003年01月28日(火曜日)

今日も動けません

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 熱は下がってきたが、今度は下痢が始まりました。もー、こういう状況ばっかり。僕の場合、体を冷やしすぎると、てき面にこうなってしまう。基本的に、体が虚弱なんだなと再認識した。
 外は良く晴れていたが、ずっとトイレと布団の往復を繰り返すのみ。あー、眠れないし動けないしでうっとうしい。
 夕方になって、ようやく元気が出てきたが、ふと気づくと冷蔵庫がかなり寂しい状況だった。さっそくMOBILLY改を駆って、スーパーで夕食の材料だのなんだのを仕入れてきた。久しぶりにビールもつけるか。
 明日は、夜トレを再開したいねえ。

2003年01月27日(月曜日)

雨にやられ中

00時00分 暮らし 天気:雨

 昨晩、宴会の帰り、立場駅にたどり着いた時、既に雨が降り出していた。あーあ、突っ切るしかないか、と覚悟を決めて雨中をアパートまで突っ走ったが、案外に濡れてなかった。しかし、この"案外"が食わせ物で......。
 家に帰り着き、すっかり冷えてしまっている部屋に冷房を入れ、まずはトレンクルについた汚れを取り、それから風呂を沸かし始め、それからようやくサイクリングジャージを脱いだ。意外に濡れていて驚いた。背中で雨を受けながら、ライトが無いのでのんびり走ったからなあ。先に脱げばよかったのだ......。
 風呂に入り、髪を乾かしているときに悪寒が走った。これはヤバイ。体調を崩す予兆だ。案の定、今朝になって起きると、高熱を発していた。うが、だめですか。
 会社を休んで、外の雨音を聞きながら、寝たり起きたりを繰り返した。気分が思いっきり欝々してくるなあ。
 寝ているのに飽きたら、起きてトレンクルのヘッドパーツの増し締めをやってみた。(あ)氏から受領したとき、トレンクルのヘッド部は既にぐらぐらで、明らかに締め込みが足りないようだった。そこで、アンカーボルトを増し締めすると、ほとんどぐらつかなくなった。これで懸案が一つ減った。
 もう一つは、シートピラーが傷だらけになってしまう点だが、これはたぶん、固定バンド部にバリがあるからではないかと思えた。それもなんとかしたかったが、体力を使いそうなのでヤメ。結局、膝を抱えて、うつろな視線で雨音を聞く一日になってしまった(どんな一日だ)。

2003年01月26日(日曜日)

トレンクル7500(-300くらい)を仲介した

00時00分 自転車 天気:晴れ

 バンブー氏という知人がいる。面識はない。だが竹馬の友といってよい。知り合ったばかりで、長い付き合いだ。しょっちゅう連絡を取り合っており、ずっと音信不通だ。もちろん仮名で、噂では日系マレーシア人3世の知り合いだという。謎めいた人物だ。
 ある夜、僕がボケーっとインターネットでネット土左衛門と化していたら、脳髄にバンブー氏の指令がキター! いわく、『トレンクル......』とのこと。すわ、何事ぞとブラウザのタブをシパタタとめくって行くと、@nakさんちの掲示板に目が止まった。いわく、『トレンクル7500売りたし』。をを、遂に売りに出すのか。@nak家の保有するトレンクル7500は、その稼働率の低さから、そのうちに売りに出されるのではないかと噂されていたのだが、遂にそれが現実のものになったのだ。
 バンブー氏の指令=これを入手せよ、と直ちに了解した僕は、早速@nak(あ)氏にメールを打ったのだった。そして、意外にいい条件で入手できることになった。バンブー氏もさぞかし満足だろう。僕もなぜかトレンクルが欲しくなっていたので、この話は渡りに船だった。
 実は、MOBILLYを3速化したことにより、かえってその限界を感じるようになっていた。確かに以前のMOBILLYよりは全然いいのだが、それでも集団走行という場合には最適ケイデンス帯の狭さに苦労させられる。前回荒川で、加藤(み)女史のスーパートレンクル6500と並走したときに、それを一番強く感じた。一人でのんびり走るには、色んな意味で(特に価格という点で)気を遣わなくて良いので、とても気に入っているのだが。あんまりヘビーデューティーじゃない、輪行主体のツーリング、そして帰省時の新幹線輪行に使える軽量快速車が欲しい。そういう狙いには、MOBILLY改は少し外れてしまったのだ。まあ、これでも、使えなくは無いが、集団走行に使える走行性能、新幹線輪行に耐えられる軽量コンパクトさには、後一歩及ばないのだ。これ以上の軽量化も、走行性能の向上も可能だろうが(例えばハンドルバーを替える、外装ギア化する)、そこまでの出費の意味があるかどうか......あ、ハンドルバーはカーボンに替えてもいいけど。
 そうなると、既に多段化のノウハウが確立されたトレンクルが光って見えるのだ。問題は価格で、特に6500には絶対手が出ない。それに多段化の費用を上乗せすることを考えると、軽量快速車はMOBILLY改で我慢して、トレンクル6500+多段化の費用の半分くらいで、新しいロードフレームを買った方がマシだ。そう思っていたところに、この話。バンブー氏ともども、渡りに船という奴である。
 今日は、そのトレンクル7500改の引渡しオフをやろうということになっていた。事前に入札者名が公表されてなかったので、様々な憶測を生んだようだ。ふふふ。
 集合場所は鷺沼、時刻は11:00。地下鉄の終点から東急で二駅というロケーションは便利だ。
 鷺沼駅の改札を抜けると、既ににち氏、こぐ氏、あゆこ女史、hai氏、たか氏らが集まっていた。僕の登場は、一部にとっては意外だったようだ。わはは、善哉、善哉。
 @nak家というと、少し経ってまずは(た)女史、続いてトレンクル7500を引き連れた(あ)氏が登場。トレンクルの引渡しを受けた。このトレンクル7500は、実はフロントフォークを6500と同じチタンフォークに変更されている。おかげで、かなりの減量に成功しているはずだ。また、ペダルに三ヶ島の脱着式の物が着いている。
 早速、走り出してみた。以前試乗したときにも感じた、フロントの軽さとクイックさを満喫できる。MOBILLYに比較すると、どうしてもハンドリングが不安定という印象があるのだ。しかし、しばらくすると慣れてしまい、片手運転も問題なくなった。
 今日は、まず食事して、それから港北ニュータウンを縦横に走る緑道を走ろうということになっていた。港北方面に抜けるのに、鷺沼方面からは結構な登りが待っている。早速の試練だ。しかし、トレンクルのギア比設定が軽めなおかげで、あまり苦労せず(膝は少し痛んだが)乗り越えていけた。ふむ、MOBILLYもそうだが、意外にこのままでも走行範囲は広そうだ。
 丘を一つ越えて、東に少し走ったところで、今日の昼食だ。小洒落た感じの中華料理店だった。トレンクル出費のおかげで(おかしいなあ、バンブー氏の物のはずなのに)懐の乏しい僕は、少しお安いサンマー麺を注文した。それだけで済ませるつもりだったのだが、"ノンアルコールビール"の字に目が吸い寄せられた。これは、試して見なければ。
 早速、おつまみのザーサイと共に現れたのは、なんというか甘くも辛くも無いジンジャーエールという感じの代物だった。泡は三ツ矢サイダーのそれで、ビールのクリーミーな泡立ちではない。期待はずれの代物だった。がっかり。
 腹も満たしたので、緑道へと向かった。それは公園内の遊歩道をつないだような道で、意外に起伏がある。しかし、ブレーキが効きにくいのが怖い。オリジナルのブレーキはアルホンガのシングルピボッドで、かなりの握力を必要とする。MOBILLYと同じく、デュアルピボッドに替えればいいのだろうが。しかし、MOBILLYのオリジナル状態よりは、よほど効くという印象だった。
 ほとんどが未舗装路だったが、よく踏み固められているので危なげは無かった。なかなか気持ちいい道で、春先や秋に走れば、さぞかし映えるだろう。
 しばらく走ったところで、お茶休憩となった。途中で仕入れた、洋菓子店のプリンが回され、それをつまみにお茶会となる。こぐ氏とhai氏が火器を持ってきていたので、コーヒーが淹れられ、さっぱりした苦味が中華料理とプリンの後味を整理してくれる。
 こぐ氏は直火式のエスプレッソメーカーを持ってきていた。家でしばらく使っていた、不肖この私の指導により、見事にエスプレッソが抽出される。次回の荒川辺り、直火式のエスプレッソメーカーがずらりと並ぶんじゃないだろうか。
 こぐ氏は、さらに荒川でも大受けだった野点に挑戦。春先、誰も来そうに無い野原まで遠乗りして、そこでやったらさぞかし風流だろうなあ。今度、こぐ氏と走るときは、茶菓子を買っていこうかな。
 その後は、緑道の残りを走り、だいたい来た道を戻っていった。途中、にち氏が自分のトレンクルに着けたグリップを替えたいと希望したため、東急だかどこかだかに入っているスポーツ用品店に立ち寄った。そこで2000年式UK-BROMPTON5段と、BikeE CTを発見。前者は、内装5段ギアを作っていたスターミー社が潰れてしまった(今は再建中)ため、内装5段がラインナップから外れ、二度と手に出来ないだろうレアアイテムだ。BD-MLにこの情報を流せば、来週中には売れてしまうだろうというのが、我々の一致した意見だった。
 BikeE CTは、まだ店頭在庫があるんだねというのが、ATオーナーの吾輩の感想だが、ちょっとまたがってみた@nak組は、なぜか強力に惹かれてしまったようだ。おやおや、リカ菌に感染しましたか? 次回、機会があったら、我がATに試乗させ、さらに深みにはめようと画策する吾輩だった。その前に買っちゃったりして(笑)。
 その後はどうしよう。@nak家で鍋だ! その場のノリだけで決まってしまう。途中、センター北駅で鍋の材料を買い込み、@nak家に移動して鍋な宴会の始まりである。が、僕は節酒中。他のメンバーも酒には反応が鈍く、ほとんど欠かさないにち氏、(た)女史のみアルコールで乾杯。今日、何度目の乾杯だろうか。
 鍋は日本酒をどばっと注ぎ込んで、具の旨味だけでいただくというシンプルなもの。ポン酢でいただきました。これがうまいのなんの。定期的に投入される具が、瞬く間に消えて行く。これは我々らしい光景だ(笑)。
 宴もたけなわという21:00過ぎ、たか氏がそろそろ、と切り出したのをきっかけに、お終いとなった。ご馳走様。
 帰路は、ライト未装備のトレンクルのこと、押して行こうかと思った。しかし、同行したメンバーのライトを頼りに、鷺沼までたどり着けた。今日の輪行袋は、(た)女史からいただいた、業務用90lゴミ袋。これでも見事に覆い隠せるのだ。折り畳んだサイズは、なんだかMOBILLYたんよりコンパクトに見える。ラインが丸いので、そう見えるのかもしれない。
 いささか転寝しつつ、なんとかアパートに帰着した。

2003年01月25日(土曜日)

ラッテ再訪

00時00分 自転車 天気:快晴です

 この時期になるとアイスがうまくなる。指が切れそうなくらいの寒気の中で食すアイスは、これまた格別なものだ(バカかよ)。しかし、暖かくなってくると、アイスを食すそばから溶けてしまうので、じっくり味わうには冬の方が良いのも事実だ。味覚の対象としてのアイスは冬の食べ物であるべきだ。
 やはり、なにか間違ってる気がする。
 ともあれ、なにかが間違ってる感に苛まれながらも、去年のアイスお代わりツアー2の際に襲撃した相原のアイスショップ『ラッテ』を、再度襲撃するつもりになった。
 幸い、今日はかなり暖かい。相原まで、突っ走れば2.5時間で着くと睨んだ。往復で5時間か。最近は徐々に日が長くなっているし(もう冬至を一月過ぎたのだ)、少々帰りが遅くなってもライトがあるから大丈夫だ。いつものカステリコンビ+タイツに、アーム&レッグウォーマを着けて、TCR-2を走らせた。
 SPD-SLの脱着にも慣れたもんだ、といいつつも時々なかなかはまらなくておじさん大弱り状態に陥りつつ、まずは腹ごしらえにCoCo壱番屋に寄った。それから境川沿いに走り出した。時刻はもう13:00過ぎ。
 銀杏団地を北上しているとき、後ろに微かなラチェット音が聞こえた。サングラスに着けたバックミラーで見ると、ロードに乗ったお兄さんが背後に着いていた。こっちもロードで走っているのを見て、しばらく引けという魂胆だったのだろう。しかし、こっちは食後すぐで、ウォーミングアップが済んでない。あまり考えずに道を譲る仕草をすると、ついと前に出ていった。ごめんな、引いてあげられなくて。単に抜かしたかっただけかもしれないけれど。
 厚木街道との交差点で一度コースを替え、瀬谷駅近くでまた北上し始めた。海軍道路を通り、突き当たりで西に向かい、やがてR16に針路をとった。R16は、路駐を除けば走りやすい。相模原くらいまでは片側3車線あるからだ。
 町田近辺を通過。ここまでは来たことがある。この先は未知だ。
 相模原近辺を走った。見れば道端に雪が積もっている。一昨日辺りに降った雪だろうか。路肩にあると滑りそうで怖い。
 やがて、橋本に向かう五叉路にさしかかった。ここは、橋本に向かおうと思い、直進+右折車線を走ったら、橋本へはやや右折車線を取らなければならないと判明。ガビーン。やむなく、一度住宅街の中を疾走する羽目に。
 適当なところで折れれば町田街道まで行けるだろうと思い、適当な地点で東に進路を取り、しばらく走ると、バスも走っている2車線の道に出た。町田街道もこうだったはず。ならここで間違いない。そう思った。
 ここをしばらく走れば、東京家政大学辺りに抜ける十字路に差し掛かるはず。しばらく、注意深く走った。......違う。なにかが違う。前はこんな道じゃなかった。違和感に駆られつつもしばらく走り続け、ふと街区表示を見ると"原宿"となっている。おかしい、行き過ぎた。なのに以前通った道に出ない。止まって、地図を拡げた。げっ、間違ってました。町田街道ではなく、一本南のR413を通っていたのだ。地図を見て、なんとかリカバリに成功。さらに家政大学の手前で迷いかけたが、結局その道で良かったことに気づき事なきを得た。
 ラッテは、家族連れや子供たちでにぎわっていた。こんないい天気だからだろう。やはりアイスは冬に味わうべきだ。しかし、木陰で吹き付ける冷風は、我輩になにかが間違っている感を植え付けた。
 今日はココナツアイスを食す。うん、サッパリした甘みがよい。せっかく舌が満足しているというのに、無作法な肉体の方はガタガタ震え出した。15:00過ぎともなると、気温が徐々に下がり始めているのだ。なにかが間違ってる感に苛まれつつもアイスを食べ終わり、さっさと引き返すことにした。
 今度は厚木街道を橋本まで戻る。はっきりいって、ここは車道を走れない。道幅一杯を占めるトラックがガンガン走っているのだ。やむなく、歩道に退避したほどだ。これは、アイスお代わりツアーでここを再訪するなら、R413の方がマシかも。
 相原で西進し、R16と再合流。次第に暮れ行く街をアパートまで突っ走って帰った。だいたい、2時間強で走れることが分かった。とはいえ、ちょっと気軽に来る気にはならないな。

2003年01月24日(金曜日)

ブースター使用結果

23時00分 テレビ 天気:寒いです

 これだけではなんなので、ブースターをば使用しますたというお話をば一つ。
 どうもNHK(だけではないが特に)の写りが悪くなったのだが、どうも長後街道沿いに建ったビルたちのおかげで、受信状態が悪化してしまったように思える。といってビルを爆破するわけにも行かないから、こちらでまずなんとかしなければならないだろう。集合住宅のアンテナを弄るのは怖いので、この間ハンズに行って、ブースターを買って来ていたのだ。それをようやく取り付けた。
 取付前はNHK総合もETVも画面全体に砂の嵐が吹き荒れて、特にETVは視聴に耐えない状態になっていた。ブースターをかますと、総合の方はほぼ満足できる状態に、ETVも少しノイズが掛かるが前より全然マシになった。やはり、うちのアンテナと、NHKの送信アンテナとの間に、どこぞのビルが立ちはだかってしまったようだ。
 とりあえず、これで満足。テレビなんて、見るのはほとんどNHKだけだしな。機会があったら、家主にアンテナのことを言っておこうかと思う。しかし、他の住民はNHKを見ないのかね(受信料を払っているのは僕くらいなのだろうか)。

今日も残業ダス

00時00分 暮らし 天気:寒いです

 今日も残業で、日付が変わる頃に帰りました。こんなのはこの業界では当たり前なんだろうが、ここ数年は僕周辺では珍しいことだったのだ。残業してもいいことはなんにもないしな。金は儲かるけれど。
 そんなわけで、今日も夜トレには出走出来ずだった。なんというか、欲求不満がたまる。明日はちょっと遠出しようかと思う。

2003年01月23日(木曜日)

なんとなくBEE GEESが

00時00分 音楽 天気:雨の一日であつた

 今日も残業で遅く、しかも雨なので夜トレ出来ずであった。欲求不満が募る今日この頃。ああ、ランスペダルが泣いてるぜ。土日とおとなしくしてようかと思っていたのだが、土曜日は津久井湖辺りまで遠乗りに出かけようかと思ったりして。
 そんな欲求不満と疲労が溜まっているせいか、このところ軽い音楽ばかり聴いている。普段、日本の古めのロック/ポップスを除いて、海外のスラッシュだのハードだのを聞いているのだが、疲れた体にはチト厳しい。そこでビージーズだ(なぜだ)。
 とまあ、そんなに深く考えているわけではないけれど、ビージーズの曲がヘビーローテーションされているのは事実。なぜかと考えると、ビージーズって大音量で聴かなくても気持ちいいんだよね。ヘビーなビージーズ野郎どもは、アパートが振動疲労で解体しそうなくらいの大音量でなきゃ、と主張するかもしれない。でも、'70年代終わりのディスコシーンを、金の無い子供時代に体験した僕には、ビージーズというのはラジカセの安っぽいスピーカーからタラタラと流れてくるモノだったのだ。
 それに、よほど優れたエンジニアの仕事だったのだろうか、ビージーズの曲って大音量で聴いても小音量でも気持ちがいい。『どんな大音量でもバランスが崩れない』というのは、特にハードロックでは誉め言葉だけど、その逆もまた然りではないだろうか。そのバランスのよさを支えているのは、一つには妙に変態的(爆)なボーカル。器楽の音域から飛び離れているので、割と通りやすいのだ。それと、多用されるストリングスでは無いだろうか。Saturday Night Feverがディスコミュージックの割に(これは偏見か)下品じゃないのは、控えめなストリングス・ワークの賜物だと思うのだが、どうだろう。考えてみれば、アルバムの通算出荷枚数が1億枚を遥かに越えるぐらいなのだから、単に時流に乗っただけではなく、もともと優れた音楽センスを持っていたのだろう。などと今さら僕が偉そうに分析してみせる要も無いよな。
 そのビージーズも、モーリス・ギブの死で揺れ動いている。活動を継続するとはいうが、名前を変えるともいう。ソロだった末弟も'80年代に亡くなっているのだが、なにかに祟られているのだろうか、この一族。
 BEE GEESと共にローテーションされている曲には、癒し系のものが多い。"癒し系"という言葉には、"癒して、癒して"というさもしい求め、"癒してやろう"という卑しい傲慢さを感じてしまって嫌なのだが、聞いている時の心情を自己分析すると、まさに癒しをさもしく求めているとしかいいようがない。癒しは卑しい。でも疲れた体は、まさにそんな卑しい癒しを欲しているのだな。こんな心情が霊感商法に安易に走らせたりするのだろう。卑しい癒しを求める相手は、音楽ぐらいに留めよう。
 今、一番癒されている曲は、DEEP PURPLEの俺的ベストであるAviatorだ。この曲は、初めて耳にして以来、ローテーションから落ちたことが一度もない。音楽産業から身を引いていた間は、航空会社のパイロットとして働いていたスティーブ・モーズらしい、しみじみとした叙情を感じさせる名曲だと思う。リッチーのいないパープルなんて......といわず、一度聴いて欲しい。モーズは、今でも自家用機と共に、小さな自家用(!)滑走路の側に暮らしているのだとか。そういう経歴が、優れたギターワークにつながっているのだろう。
 そのPURPLEも、去年の頭、ジョン・ロードの脱退という最大の危機を迎え、揺れ動いている。いちおう、これも優れたキーボード奏者であるドン・エイリー(ex.Rainbow)の加入という形でけりはついたが、ブラックモアはともかくロードまで抜けてしまったPURPLEに、その音楽性を維持できるのだろうか。Aviatorの叙情性を支えたのがロードの優れた音のセンスだと思っている僕には、どっちかというとプロっぽい無機質な音造りを得意とするエイリーの加入は、かなり心配だ。BURRNのインタビューで『リッチーとまた仕事するかも』なんて軽くいってたロードの動向も含めて、PURPLEの動きから目を離せない(などといいつつ数カ月くらい平気で忘れてたりするが)。
 とまあ、見事に取りとめの無い日記になってしまった。日記性皆無なので、むしろ随筆というべきもんか。

インターネットは人類の鏡かな

00時00分 思考 天気:雨の一日であつた

 不眠症とまでは行かない。しかし、ストンと素直に眠りにつけるタイプではない。眠りに就くまでいろんな事を考えてしまうのも、さっさと眠れない一因だろう。今後の人生のこととか、PC群を立て直さなけりゃとか、カーボンフレームのロードバイクが欲しいなとか、ナイチチの独裁妹に萌え死にそうとか、どうでもいいようなことばかり考えてしまう。
 最近、ふと考え始めたのが、インターネットが人類の知の創造にどれくらい関わっているのだろうか、という疑問だった。いわゆるインターネットに対して、『人類の知の新たな最前線』とかいった扇情的な言葉を贈られることもあるようだ。と思って検索してみたのだが、『人類の知を創造する』とする人は非常に少ないということに、今になって気づいたりしてな(だめじゃん)。替わりに、『人類の知を集積できる』と考えている人は非常に多いようだ。というわけで、世間の人々はインターネットと"知"の関わりとして、『その集積、新たなる図書館』という役割に重きを置いていることが分かった。なんか、僕の最初の目論見とは違う方向に話が進んでしまいそうだ......。
 実際、僕自身のインターネットへの関わりを見ても、便利な電話、回覧板代わりの電子メール、掲示板、そしてなにか新しい知識を得るための検索エンジンとして使うのがメインだ(掲示板という娯楽はあるにせよ)。その"新しい知識"も、既に『誰かが知っている事』に他ならない。つまり、インターネットを経由して手に入れられるのは、誰かにとって既知の事項に限られるのである。当たり前すぎる結論でした。
 インターネットを介して人類の知を集積して行けるのならば、そこに人類のありのままの姿を見出すことも出来そうに思える。だが、インターネットに見出せる"ありのままの姿"は、どうにも現実世界で思い描くそれとは隔たっているのではないだろうか。SPAMに代表される犯罪意識の欠如、2chなどBBSに見られる過剰さ、そして犬の時間(Dog year)などと表現される全体的に異様な進行(必ずしも進歩とはいえない)の速さなど、現実世界に基づくにせよ、かなりデフォルメされているように思える。つまり、インターネット上に描かれる人類の姿とは、何者かの意図やなんらかの技術的要因によってデフォルメされた、ポートレートに過ぎないのではないだろうか。......いや、それだけのことといえば、それだけなんですケド......。
 最初に戻って、『人類の知を創造する』というのは嘘なんですかねえ。考えてみれば、『知の創造』に関わるモノといえば、ハッブル宇宙天文台だの、ジーン・アナライザのクラスタだの、もっぱらモノを観測する手段、そしてそれを知覚して思考を巡らす人間の脳ミソくらいに限られてくる。数学の世界では、電算機で"エレファントな解"を求めるという方向もあって、それはそれで分散コンピューティング絡みでインターネットと密接に関係しているといえなくはない。でも、インターネットの機能(情報の流路であり、一時的な集積点であり)からすると、どうしても創造そのものというより、創造を支援するツールという度合いが高くなるのは止むを得ないだろう。しかし、それを言うなら、人類の"知"が創造される瞬間というのは、いつだって誰かの頭にそれが認識された瞬間であるはずで、だからこそ"自然科学"という、自然探求を掲げた分野が幅を利かせているのではないだろうか。ハッブル天文台にせよ、結局はツールに他ならない。
 もしもインターネットが知の創造に直接的に関わることがあるとすれば、それは情報を流し、一時的に蓄積するというその機能に直接与っている場合ぐらいだろう。そんな"創造の瞬間"が時たまある。複合知、つまり、1+1>2となる場合だ。いくつもの知識を重ねて行くことで、新しい知識が生まれて行く。そんな体験が、誰にでもあるはずだと思う。そういう創造の場所には、インターネットはいかにもふさわしい。しかし、だからといって人類の知の最前線を主体的に押し上げたとは思えないのだ。むしろ、インターネットは、人類の知のレベルを底上げしつつあるのではないだろうか。要するに、インターネットの知識創造機能を体験できるのは、僕のように知の底辺で蠢いている人間に限られるのではないだろうか。

2003年01月22日(水曜日)

欲求不満気味

00時00分 暮らし 天気:雲が多いようだ

 今日もとっても残業でした。といっても帰宅したのが21:00前で全然楽ではあるのだが。気力減退中なので飯を食うことぐらいしかやる気になれない。この寒さ、なんとかならんかね(暑ければ暑いで文句をいうのだが)。
 本当は夜トレに出ようかと思っていたのだが、明日は朝に会議があるのでフレックスを使えない。今日は見送りだ。
 もう少し元気を出せればなあ。

2003年01月21日(火曜日)

色んな意味で多忙な日

00時00分 暮らし 天気:いい

 今日は、最近では珍しく、夜更けまで残業の一日とあいなった。本当は帰宅してから夜トレに出たかったのだが、そんな気力が残ってなかったのと、あまりにも寒かったので、今日はヤメ。明日は早く帰れそうだから、明日やろうかな。
 早く、春にならないかと思う。

2003年01月20日(月曜日)

人間ドック

00時00分 暮らし 天気:いい感じ

 昨夜からの絶食で、ややフラフラしながら、大森駅に向かった。今日は午前中一杯で人間ドック入りすることになっていた。
 過去、2度体験しているので、今回は精神的に楽だった。ああ、次は超音波探信だななどと考えつつ、病院内をあちこち引き回された。血圧は135-74。視力、聴力とも問題なさげ。最近の睡眠不足に酷使されつづけの、眼底部はどうだろう。
 なんとなくいつもより遅めかなという11:30頃にツアーが終わり、食堂で仕出し弁当の昼食を取る。なんか、今年の弁当は妙に豪華じゃないか?
 会社に寄ろうか(その義務は無い)、家に戻るか考えつつ、駅前のドトールで軽く食後のデザートにして、電車に乗った。正直、体調が良くない。なんというか、立っているのもやっとという按配だった。体脂肪率が(恐らくは)下がったせいか、最近はなんだか寒さにめっきり弱くなってしまった。
 ふと思い立って、どうしてもという用事のために、横浜駅西口付近を回った。テレビの映りが悪いのは、どうも最近の新築ラッシュで電波の入力強度が下がったためではないかと思え、ブースターを買って試してみようと思い立ったのだ。意外にヨドバシでは発見できず、ハンズでようやく発見した。
 なんとか帰宅して、4時間ほど睡眠時間を確保すると。ようやく気力が回復してきた。単純に睡眠不足なのかもねえ。

2003年01月19日(日曜日)

真冬の荒川オフ

00時00分 自転車 天気:くもりやら雨やら

 前日、ばたばたして寝るのは遅かったが、なんとか6:00に起きた。今日は今年初の荒川オフに出かけることにしていた。あんまり行くつもりは無かったのだが、こぐ夫妻、にち氏、まき氏が出るらしいので、まあ多段化Mobillyたんの顔見世も兼ねて、と気合を入れて出動することにした。
 Mobillyたんに乗って立場駅まで走り、後はJRを乗り継いで浮間舟渡駅へと向かった。途中、品川辺りで、建設中の超高層ビル群を確認する。前夜、NHKスペシャルで、なぜか東京で超高層ビルの建設ラッシュが続いているという話題をやっていた。このままでは中小のビルががら空きになってしまうとか、地方分散政策と矛盾してしまうとか、様々な問題点が挙げられていた。NHKらしい堅実な構成だった。確かに多くの問題はあるのだろうが、入居先を探している企業からすれば、安価に、最新の設備を使えるという利点もあるはずだ。本来、極めて高価な人件費、居住費を削減できれば、コスト削減は非常に楽に進むはずだ。日本の企業のあり方に対して、一概に悪いとはいえない。この首都再集中が進めばどうなるのか、既にサイは振られている。結果を見守るしかないようだ。
 しかしまあ、このクラスのビルがボンボン建ってしまう日本って、本当に金が無いのかね?
 浮間舟渡着は、集合時間間近の9:00前だった。しかし、まだ20名弱しか集まってない。この寒さでは、出席取りやめが相次ぐのもやむをえないだろう。
 なにせ寒いので、今日は冬用の暖かな普段着でやってきていた。昼から雨の確率が高かったので、合羽も携帯する。待っている間、思わず火器を出してやろうかと思った(笑)。
 そのうちに、徐々に人が集まり始めた。加藤夫妻、そしてこぐ夫妻が相次いで登場。こぐ氏は、前日に和田サイに出向いたところ、後輪のスポーク折れが発見されたそうな。などと話しているとき、こぐ氏のそのBD-1Wの後輪に、またしてもスポーク折れ発見! その場で修理が始まる。スポークはおの氏の手持ちから似たようなサイズを探し、応急的に処置する。なんか、予備スポークを持ち歩く必要を感じる。
 全体的に、寒さで参加者の動きが鈍かったこともあり、浮間舟渡出発は10:00前だった。
 今日はてっきり多段化UGO Micro14(とその眷属)の日になると思っていたのだが、実は僕だけがこの安い14インチ多段化モデルでの出走だった。
 時間が押していることもあり、今日は20km/h弱のポタポタしたスピードから、25km/h以上のハイスピードまで、様々な走行条件を体験できた。やはり、シングル時代よりずっと楽に走ってゆける。しかし限界も意外に低かった。途中、加藤(み)夫人と並走したのだが、多段化トレンクル(8*2S)が常に適切なケイデンスを維持できるのに対し、こちらは忙しすぎるか、重いギアを踏んでいるか、二つに一つという状況で、これぞ適切というケイデンスで走る機会は、なかなか与えられなかった。編隊走行では、ギアがクロスしている方がやはり有利だ。内装3段では、その点がやはり苦しいのだ。それと、(み)女史のトレンクルがシャーっと軽やかに滑走して行くのに対し、こちらはすぐにスピードが落ちるので、一所懸命に漕ぎ続けなければならない。これもかなり疲労する要因となる。加藤家のトレンクルは、前が赤松工房のシステマハブ、後ろがデュラハブなので、どこのものとも知れない前ハブ(スズエ?)+フリクションてんこ盛りのシマノINTER3という我がMobillyに対し、空走距離で圧倒的なアドバンテージがあるのだ。なんというか、かかっている金が正直に反映されている塩梅だ。この差を埋めるには、こちらもトレンクル方式でハブ変更+外装ギア化を実行すればいいのだろう。だが29800円のMOBILLYたんに、ハブだけで5万円近い改造を施すのもなあ。
 にち氏も、とうとうトレンクルの多段化に踏み切ったので、こちらも軽快に走ってゆく。多段化されたトレンクルは、なにか別の自転車にでもなったかのような印象だ。いやあ、多段化MOBILLYも一人で走るときにはいい自転車なんだが。
 数回の休みを挟み、高速道路に並走しているときのことだった。雨が降ってきた! 慌てて、トンネルに差し掛かったところで雨具を被る俺様だったが、隊列はすぐに高速道路の下に潜り込み、雨をやり過ごした。
 やがて、葛西橋を渡り、いつものローソンで昼食を買出し、後は葛西臨海公園までひた走る。この辺でも雨がポツポツ降ってはいたが、それほどひどくはない。ただし、マッドガードの無いMOBILLYで走ると、跳ね上げた泥を背中に被ってしまうので、合羽は正解であった。
 葛西臨海公園では、いつもの小さな東屋周辺ではなく、観覧車の足元にある大きな東屋に陣を張った。こちらなら全員(30名以上)を収容できる。
 さて、早速食事の準備だ。吾輩は火器を持ってきていたので、前回に続いてアルミ箔鍋入りのきつねうどんを作ることにしたのだ。が、この鍋になんと穴が空いていた。走行中にどこかにぶつけたか、あるいは元々空いていたのか。幸い、まめ氏から鍋をお借りできたので、少し薄味にはなったがリカバリに成功。昼食に困ることは無かった。今度から、僕も大きめの鍋を持ち歩こう。トランギアの飯盒ならなんとかなるかな。
 今回のハイライトは、自転車ではなく、こぐ氏が持ち込んだ野点の道具。これ、前回hai氏と共にOD-BOXを訪問した際に目にしたものだ。まさか本当に買う人がいるとは(笑)。
 こんな冬じゃなくって、暖かくなってきた春に、野原でこれを使ったら、さぞかし風流だろうと思った。
 14:00も目前になったので、やや遅めだがここで解散となる。僕はおの氏らに着いて、東京駅まで走った。が、この走りが辛いのなんの。STOP&GOが頻発し、また25km/h以上に加速するので、MOBILLYでは一杯一杯だ。道は分かっていたので、よっぽど単独行動を取ろうかと思ったくらいだ。かなり消耗しつつ、なんとか東京駅にたどり着いた。
 今回の荒川では、MOBILLY改の性能と、その限界を思い知らされた気がする。やっぱり、一人でまったり走るのに向いた自転車だと思う。

2003年01月18日(土曜日)

久しぶりにBD-1で、酒匂川を

00時00分 自転車 天気:まあまあいい天気

 最近、妙に旅心が募ってしまい困る。先週見た、冬枯れの奥湯河原は良かった。白々とした冬の相模湾も良い。生き生きと明るい季節もいいが、冬の荒漠たる世界を動き回るのも良いものだ。夢は枯野を駆け巡る(いやまだ死なんぞ)。
 今日も今日とて、ちょいと足を伸ばすことにした。足柄辺りから小田原に掛けて、酒匂川という川が流れている。この川に沿って、結構立派なサイクリングロードが続いていると聞いていた。そこで、久しぶりにBD-1を持ち出すべく、この酒匂川サイクリングロードを走ってくることにした。ついでに、その上流にある洒水の滝も訪問することにした。
 出発は、あれこれあって10:00過ぎだった。地下鉄で戸塚まで、戸塚からJR東海道線で国府津に、国府津でJR御殿場線に乗り換え、山北で降りた。ちょうど昼時だったが、あまり腹がすいてなかったので、そのまま駅前の道を走り出した。洒水の滝周辺で昼食にする目論見もあった。
 山北駅は鄙びた佇まいで、山間の住宅地の玄関口という有り様だ。駅周辺にはいくつも商店があるので、ツーリングの出発地には向いている。
 駅前の道を西に走ってゆくと、やがてR246と直交する。その間近には酒匂川も流れている。いかにも山間の幹線道路沿いという環境だ。
 R246を越え、南下して行く。走りつづけてゆくと、やがて右手に『洒水の滝入り口』という看板が見えた。そっちに曲がると、すぐ近くにラーメン屋があった。......事前情報ではトンカツ屋のはずだったのだが。まあ、腹もすいてないので、そのまま通り過ぎた。
 細い道を走ってゆくと、観光客相手の店が幾つか並んでいる。しかし、ほとんど空いてないようだ。季節が悪かったのだろうか。観光客は、ほんの数名しか見かけなかったのだが。
 短い激坂を登りきると、小さな公園があった。そこにBD-1を縛り付ける。その側に出店があったが、人気が全くない。
 静かだ。ここも、春から秋にかけては賑わうのだろう。この静けさが、冬のツーリングではかけがえの無い友となる。
 砂利道を登って行くと、いくつかの店屋(いずれも閉店中)を抜けて、やがて遠くから水音が聞こえ始める。側を流れる小川のそれとは違う、明らかに岩場に叩きつけるような音だ。ふと左手を見ると、水汲み場が整備されていた。そのときになって、水を汲むボトルを忘れてきたことに気づいた。昨夜、ポリタンクを持っていこうかとか考えてたんだが。少し考えて、自転車に朝食の供に持ってきたお茶のボトルがあるのを思い出した。早速、BD-1まで取りに戻った。
 水汲みは後回しにして、先を急ぐ。既に洒水の滝の姿は、前方の観瀑台の向こうに見えている。ややもすると滑るSPDシューズに注意しながら、観瀑台を登ると、端正な洒水の滝の全身が姿を現した。水量がそれなりにあるので迫力もあるが、白い布を翻したような姿は、整った佇まいを見せてくれる。夏には涼しげでいいだろう。冬真っ盛りの今は寒々としているが、それもまた佳しである。
 滝に向かって左手には、上から水がちょろちょろと落ちてくる、湿っぽい場所がある。滝の上流にはさらに別の滝があるそうで、そういう豊富な水量が、名水を生んでいるのだろう。
 飽きるまで滝を眺めた後、水を汲みに下りていった。水汲み場でボトルを満たしていると、別の観光客らしい二人連れがやってきた。今日、ここで目にした観光客は、来たときに下山してきた二人と、この二人だけだ。オフシーズンの観光地も、また良し。
 BD-1に戻り、いよいよ酒匂川沿いに下ることにする。地図で見ると、滝からすぐ東にある橋を渡ることが出来るのだが、ここがなんと工事中で通行止め。やむなく、一度山北近くまで戻り、R246を交差して、ずっと南下した橋を渡った。橋を渡りきったところにファミリーマートがあったので(コンビニエンスストアを見るとホッとする)、ここでおやつと昼食を買う。昼食は、なんとカップヌードル。火器で済ませようという魂胆だ。本当は洒水の滝周辺で済ませるつもりだったんだがね(とほほ)。
 ファミマを出て、すぐ南の交差点で川方向に曲がり、少し進むと、土手の上に立つ小公園に行き当たった。この辺からサイクリングロードが始まっているはずだ。
 公園にはトイレも水場もあるので、ツーリング中に立ち寄るには便利だ。早速、休憩所のテーブルで湯を沸かし、カップヌードルを作った。こんなカップラーメンでも、寒い冬にはとても美味しく感じてしまう。さらに洒水の滝で汲んだ水で、コーヒーを淹れた。なぜかまろやかな、角の取れたような美味しさを感じる。
 一休みして、いよいよサイクリングロードを下り始めた。公園の東端から始まった道は、アスファルト舗装で、ダブルトラック程度。境川と比べると、道幅は少し狭いが、左右に柵が無いので開放感がある。すぐ左には酒匂川の河川敷が広がっており、気持ちいい眺めだ。
 上流ではだいたい土手の上を走っているのだが、ある程度下流からは河川敷に降りたりする。すれ違う人は少なく、自転車はなお少ない。気合の入った自転車乗りは、ロードバイクで遡ってきた男性だけだ。
 河川敷から、また土手に上がったところで、道は並木に挟まれた気持ちのいい道になる。境川より快楽指数は高そうだ。
 ここまで、だいたい20km/h程度でゆっくり走って来た。BD-1は、これくらいの速さから、30km/h弱くらいまでが、一番気持ちいいように思う。ロードバイクだと+5km/hくらいで快適になる。速度域が厳然と異なっているのだ。BD-1は、やっぱり折り畳みという機能を中心に考えるべき自転車だと思う。その点、輪行のしやすさとか、非常に良く出来ていると思う。
 気持ちのいい並木道も、橋をいくつか潜ったところでお終いだ。全長8km程度の短いサイクリングロードだった。初夏に走ると気持ちいいだろうな。
 地図を眺め、近くを走る小田急の線路に沿って走るのが正解と判断し、小田原駅へと走り出した。しかしこの道、交通量が多くて気持ちよくない。快楽指数最大を目指すなら、最寄の小田急駅からさっさと輪行すべきだろう。
 小田原駅着は15:00前後。山北駅から4時間程度の、小さな旅だった。

2003年01月17日(金曜日)

今夜も走りました

00時00分 自転車 天気:晴れ

 一昨日、体調を崩してしまったというのに、マメなことだのお。と、我ながらつくづく感じつつも、今日も夜トレ。シートピラーは度重なる脱脂に遂に根負けしたのか、ようやく下がらなくなってきた。ちょっとヒビが入っているが、MTB用なのでもともと丈夫なはずだ(をいをい)。
 湘南台公園まで走って、一休みしようとしたら、スケボーに勤しむ人々が既にいた。この時間はそうなのだ。別に疲れてもいなかったので、湘南台公園は素通りして、家まで一気に帰着した。
 このTCR-2、今まではバイクラックに下げていたのだが、よく考えてみれば一番使っている自転車なのだから、一番取り出しやすい玄関に置くのが筋だろう。というわけで、今まで玄関口を占領していたEPICと入れ替えてみた。しかし、玄関口に自転車を転がしておくのは邪魔だなあ。縦置き型ラックで立てておこうかな。さすがに8台ともなると、いくら一人暮らしとはいえ、生活に支障ありなのです。キワチャリは後で使えるようにパイプを切断しておいて(をいをい)、HARDROCK号は売っちゃおうと画策中である。

2003年01月16日(木曜日)

体調を崩しました

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 昨夜、ちょっと横になるつもりで布団に入ったのは覚えていた。ふと目がさめると4:00過ぎ。うむ、これはいかん。風呂に入らねば。そう思って起き上がろうとするのだが、頭が重くて布団から出る気になれない。昨日、あまりに寒かったので、体調を崩してしまったか。あれでも、ロード用シューズの外に使えなかったカステリのシューズカバー(これはぴったりだった)を着け、おまけに靴下に靴下用のミニホッカイロまで貼っていたのだが。吉村屋の待ち時間が堪えたのだろうか。
 とりあえず風呂に入り、PCの前でぐずぐずしていたが、頭の重さはどうにもならない。また朝まで寝て、様子を見ることにした。
 朝8:30、再び携帯電話のアラーム音で(御他聞に漏れず僕も目覚し時計として使用している)目覚める。ううむ、やはり頭が痛い。かなり熱があるようだ。部屋が寒い。会社を休むことに決定。電話を掛け、軽く朝食をとり、また寝入った。
 そのまま昏々と眠りつづけ、気が付くともう19:00過ぎ。かなり体調が快復していた。やっと起きる気になって、スーパーに買物に出かけた。ふとヨークマート店内に併設された100円ショップコーナーで、シグマリオンにぴったりなサイズのポーチを発見。クッションもポケットもあって、これで100円は文句無い逸品。意外に侮れない店だな。しかし、レジが一般のものと併用できないのは困り者。100円商品だけ、わざわざ専用のレジに持ち込まねばならないのだ。この点、ダイエーの88円均一コーナーの方が上手だと思う。あっちは88円商品でも、一般のレジで清算出来るからだ。
 帰宅して、雑用を片付けて、布団に入った。

2003年01月15日(水曜日)

緊急しまなみ対策会議(兼定例お好みハウス研究会)

00時00分 自転車 天気:快晴(しかしヒジョーに寒い)

 昨日、神奈川支部の掲示板に4/末遂行予定のしまなみツアーに関して、ざっくりした日程を発表したところ、さっそくこぐ氏から『無理ぽ』という反応があった。そこで、こぐ氏を始めとする主だった参加想定者にとって無理の無い日程を立てるべく、緊急会議が催されることになった。というのを口実にお好みハウス研究会が招集される運びとなった。正直、単に集まろうという話ならパスしようと思っていたのだが、会議となれば別である。
 会社を定時で退け、18:00過ぎにTCR-2で家を出た。自走するつもりだった。
 横浜駅近くまで、R1の車の多さに悩まされながら走る。それより恐ろしいのが、無灯火で車道を逆走してくるバカどもだ! 車道を順走するママチャリのおばさんを避けようとしたのか、車道の真中を走って来たバカ野郎には、思わずラリアートを食らわせたくなった(そんなことしたらこっちもコケるが)。まったく、なんとかならないものか。TOPEAKの35Wライトを買って、目潰しを食らわせるのが良策か(って傷害致死になりそうだよ)。
 なんとか1Hほどでお好みハウスに到着。店内に入ると、ほどなくこぐ氏が、間を置かずににち氏が登場した。早速会議開始で乾杯!(1杯目だけビール)
 今回のゴールデンウィークでは、四月末の休日と五月頭のGW本番が分離してしまう点が問題になった。五月頭に実施するのが日程的には立てやすいのだが、これは僕が例年5/3に開催されるSFセミナーに参加したいので都合が悪い。それに、GW本番にはしまなみ沿線が非常に混み、宿の確保などで問題になりそうなのも気になっていた。
 結局、こぐ氏の希望なども聞き、場合によっては途中離脱可能な4/26~4/28の三日間、尾道~松山を走ろうということにした。こぐ氏は4/28に参加できない可能性もあるが、この場合は4/27に今治駅から輪行で帰宅できるはずだ。また途中離脱、途中合流も難しくは無いと思えた。しまなみ海道沿いに路線バスが走っており、尾道、福山までは戻れるからだ。結局、この日程を掲示板に発表し、反応を見ることになった。
 21:30くらいまでお好みハウスで飲み食いした後、店が満員でお好み焼きはなかなか取り掛かれないだろうと判断し、近くの吉村屋でラーメンを食うことになった。
 吉村屋は店の前にズラーッと行列ができており、たかがラーメンのために待つのもなあと憂鬱になった。が、意外に早く捌けてゆく。店のキャパが大きく、店員が空席を的確に埋めて行くからだ。とりあえず、食券(というかタグ)を買って待った。
 が、この待ち時間が寒いこと寒いこと。気温が急激に下がったのもあるのだろう。また暖かいお好みハウスの店内から出たせいもあるのだろう。とにかく、全身がガタガタ震えるくらい寒い。幸い、待ち時間はほんの10分ほどだった。
 店内に入る。麺の固さ、油の量などを注文できるので、固めを注文した。目の前で非常に手際よく盛り付けられて行く。これなら大量の客にも対応できるだろう。ほどなく、ラーメンにありついた。家系ラーメンという奴は、非常に油ギッシュである。吉村屋は家系の元祖を名乗るだけに、いっそう脂っこい盛り付けになっていた。器が油でギトギトなのは困る。味は、まあ家系はこんなもんかというところ。あざとく演出されたうまさである。チャーシューは好みの硬さだった。スープは残す。これは酒宴の締めというより、このまま夕食にするのに向いてるなあ。家系のラーメンという奴は、どこのものを食べても同じもののように感じる。
 とりあえず満腹になったので、ここで会議兼研究会は締めとなった。再び、寒い中を立場まで突っ走って戻った。走っている間はそれほど寒さを感じないので、走るのは非常に楽しい。だが信号待ちで止まると、寒さが襟元から忍び込んでくる感じだ。しかし盛大に汗をかき始めた。しかもヤバイ感じの汗だ。信号待ちで止まると、今度は体が熱っぽく発熱するようになってきた。なんか、風邪っぽい。
 アパートに帰り着き、掲示板に今日の決定事項を書き付けると、ちょっと横になるつもりで布団に潜り込んだ。そして、そのまま意識を失ったのだった。

2003年01月14日(火曜日)

疲れてます

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 三日間、そこそこ自転車に乗りつづけたためか、結構な疲労が溜まってしまった。階段を登るのがかなり辛い。こういう時に限って、疲労回復に役立つアミノバイタルが切れてたりするのだ。あまりヤクに頼るのもなんだが、こういうときこそ活用したいものでもある。
 帰宅がやや遅かったので、掲示板に書くしまなみ関連の腹案をまとめながら、寝るまでのんびり過ごした。

2003年01月13日(月曜日)

三浦半島一周2

00時00分 自転車 天気:快晴

 先日、神奈川支部のBBSでこの3連休に奥湯河原ツアー、三浦半島一周をすると公表したところ、前者にまき氏が乗ってきた顛末は前にも書いた。同時に三浦半島一周にも、"ちゅうねん"氏というハンドルを使う方から同行したいと反応があった。こっちは一人で行くつもりだったのだが、今まで一度も会ってなかったちゅうねん氏の顔を見たいと思い、二人で三浦半島一周に出かけることにしたのだ。
 7:00、集合場所の高鎌橋に着くと、そんな老けて見えない男性が待っていた。この人がちゅうねん氏だった。このハンドル、考え直した方が良いのでは。こんな若く見えるのにこう名乗られては、実際中年揃いの神奈川支部では受けが悪そうだ(笑)。
 ちゅうねん氏は、無印の(本当にステッカーやペイントの類が一切無い)フラットバーロードに乗っていた。軽そうで、侮れない走りを見せそうだ。早速、三浦半島周回へと走り出した。
 今日はTCR-2に着けたPD-7750の具合を見たかったので、バイクは当然TCR-2だった。念のために輪行道具を持ってきてはいたが、天気はすこぶる良さそうなので雨天装備はない。輪行バッグをボトルケージに収め、カメラだの財布だのはホーカスポーカスに入れて腰に回した。下はパールイズミのレーシングタイツ、上はいつものカステリコンビだ。天気が良く、ぽかぽかするので、ジャケットの前ジッパーは開けたり締めたりを繰り返した。シューズは買ったばかりのロード用だが、コレが意外に風を通し、寒い寒い。それを見越して着けていたスペシャのソックスカバーが、しかしほとんど役に立ってない感じだ。やっぱ、カステリのシューズカバーをした方が良かったか。
 今日はLSD狙いなので、25km/h前後を保って走る。ちゅうねん氏は危なげなくついてくる。僕の方は、一昨日の疲れがいまだに残っている感じだった。あー、ほんと、体は確実に中年になっているのね。
 コンビニ休憩を挟みながら、鎌倉、森戸海岸、葉山と過ぎて行く。ちゅうねん氏はご友人の関係で不幸があったらしく、時々電話していた。その件もにらみながら、三浦半島の南部を南下していった。
 SPD-SLは、SPDに比べてダンシングのときの挙動が安定しており、また踏んだときにいかにも面を踏んでいるという安心感があって、非常に良好だ。ただ、慣れてないせいか、左のステップを拾いづらい。一発で拾えるときもあれば、なかなか拾えないときもあった。練習しなければ。
 天気は良く、空は雲ひとつ見えない。目を右に転じれば相模湾が広がり、風は穏やかだ。左には冬の三浦半島の丘陵が、穏やかな表情を見せている。坂はやや辛いが、この速度ならそれほど消耗せずに越して行ける。自然に顔がほころんで、大声で歌いたくなってくる。ライダーズハイという奴か。走ることがひたすら楽しい。このままずっと走りつづけていたいと思う。しかし、時々の信号待ちで、クリートを外した瞬間、なぜか現実に引き戻される。接続が切れるという感じだ。
 三浦海岸へ下る途中で一服。ちゅうねん氏は今後のスケジュールをはっきりさせるべく、携帯電話で話し込んでいる。コンビニ前の駐車場に座り込んだ僕の前を、ローディーが何人か走りすぎていった。好天ゆえか、自転車を楽しむ人は多いようだ。
 ちゅうねん氏の話がつき、最後まで同行できることになった。さて、横浜まで帰着できるか。
 この頃から、ちゅうねん氏の動きが弱りがちになる。坂では辛そうだ。やはりかなり消耗しているのだろうか。聞くと、膝が痛むという。重いギアの踏みすぎではないかと思った。というのも、ちゅうねん氏はアウターのままずっとここまで来ていたからだ。
 少しスローダウンしながら、三浦海岸から横須賀まで、海岸線を延々と走って行く。辛い坂道もなんとか乗り越え、久里浜、観音崎と走り、馬堀海岸をひた走った。ここまで来ると辛い登りはほとんどこなしているので、かなり気が楽だ。ただし、疲労し始めた体には、少々の坂でもこたえ始める。
 横須賀を超えた辺りから、ちゅうねん氏がいよいよ遅れ始めた。膝痛が増してきたようだ。上り坂では10km/hまでスローダウンして、努めてゆっくり走ったのだが、それでも辛そうだ。車との速度差がありすぎて危険なので、『歩道を走ってください。この先で合流しましょう。この先はあまり坂は無いと思います』と声を掛け、スピードアップした。しかし、この先も坂が結構続いたのだ。嘘ついちゃったよ。
 日差しが欲しかったので、適当なところまで走り、日向の歩道にて待った。今日は寒さが辛くないので助かる。これで雨でも降っていたら、ちゅうねん氏もさぞかし萎えたことだろう(というか、そもそも中止しちゃうけど)。
 やがてちゅうねん氏が追いついてきたので、『昼食場所は磯子です』と打ち合わせて、駅前で合流することにした。前回の昼食場所を磯子だと思い込んでいたのだ。途中、湾岸道路への分岐でまごまごしているうちに、またちゅうねん氏と合流し、しばし走った。しかし平地でも辛そうなので、また先行して待つことにした。ロードバイクだと、20km/h以下の低速はかえって辛いのだ。
 ずっと走りながら、前回の食事場所であるトンカツ屋を探した。しかし、走れど走れど見つからない。そのうち、磯子駅をとっくに過ぎていることに気づいた。おかしいなー、見落としたとは思えないが。しかし、さらに走りつづけているうちに、ようやく件のトンカツ屋を発見。地図を確認すると、磯子どころか根津駅の前だった。例の不動坂の前にあったのだ。しまった、凄い勘違いしている。早速、携帯電話でちゅうねん氏と連絡をとり、位置を説明した。なんか、今日はこれでもかというほど騙しまくってしまったなあ。
 やがてちゅうねん氏も意外に早く到着し、ようやく昼食になった。といっても、実は前回の三浦周回の時とあまり変わらない、13:00ちょっと過ぎの食事だったのだが。前回と比べ、休憩時間をなるべく短くするという方針を立てていたのだが、それがうまく行ったようだ。前回よりずっと巡航速度が低いのに、チェックポイントは同じくらいの時刻で通過できているのだ。その代わり、長距離を走るのは初めてというちゅうねん氏に、かなりの負担を掛けてしまったようなのだが。
 定食を注文し、ちゅうねん氏とあれこれ話しながら、ゆっくり休憩を取った。ちゅうねん氏はボードなんかを担いで海に入ったりしていたようだ。だからかなり走れたのかな。
 トイレに行こうとした時だった。ワックスで磨き上げられた床に滑って、危うく倒れそうになったのだ。SPD-SLクリートには、角に滑り止めが着いていて、アスファルトなんかだとなんとか歩けるのだが、こういう滑りやすい場所はダメだ。これは、ツーリングには使えないなあ。走ることを考えたらSPDよりは断然いい具合なのだが。
 ちゅうねん氏と今後の行程を話し合った。僕はちゅうねん氏の足の状態からして、横浜着はもう無理だと判断し、輪行か、ここから引き返すことを勧めた。ちゅうねん氏はここで引き返し、本牧経由で帰宅することになった。僕は横浜に用事があったので、ここでお別れだ。
 ちゅうねん氏と別れ、産業道路を経由して、山下公園、桜木町と走った。本当は平沼橋を超えてヨドバシに寄るつもりだったのだが、よくよく考えると金の持ち合わせが乏しいことを思い出し、また火急の用事でもないので、このまま日があるうちにR1経由で帰宅することにした。
 この時刻、連休の最終日ということもあり、R1はとても込んでいた。環状4号との交差を超えた辺りで、前方をなんとなく見覚えのある自転車が走っているのに気づいた。なんと、ちゅうねん氏だった。いつの間にか追いついてしまったようだ。本牧を押して超えたという。ちゅうねん氏は当然驚く。横浜はパスしました、と事情を話しておいた。
 またちゅうねん氏とつるんでR1を走りつづけ、戸塚への分岐点を通過した。ちゅうねん氏の膝のことを考えると、サポーターが必要だと思っていた。ちょうど近くのダイエーが目に入ったので、ちゅうねん氏にそのことを告げると、ちゅうねん氏はここで探してみることになった。ここで本当にお別れになり、長後街道経由で帰宅した。
 今回は初対面の人とのLSDという滅多に無い体験だったが、トラブルに備えてサポーターの類も必要そうだと痛感させられた。
 この三浦半島周回は月例行事にしてしまう気になっている。また一緒に走りましょう。

2003年01月12日(日曜日)

ランスペダル到来

23時00分 自転車 天気:大変いい天気です

 今日届く荷物は、シマンテックに発注したNorton Anti Virus2003だけのはずだった。ところが、佐川の人から電話があり『アスキーサイクルからの代引きも持ってゆきます』といわれた。えっ、こんなに早く着いたの? 確かに三日ほど前に発注したが、2週間ほど掛かるという返事だったはずだ。メールをチェックしてみると、その後で『発送しました』というメールが届いていた。早っ!
 17:30くらいに佐川のおじさんが到来。NAV2003とPD-7750、ロード用シューズSH-R125Gを受け取り、代金を支払った。
 早速、PD-7750をTCR-2に取り付けた。SPDなPD-A515よりも幅広で、いかにもステップインしやすそうだ。これに対応するクリートを、ロード用シューズに取り付ける。かかとが無くて、硬い板状のソールに滑り止めがぽつんとついた構造の靴だ。これに大きなクリートを取り付ける。するともうまともに歩けない感じだ。クリート自体は広い三角形で、このそれぞれの角に滑り止めが着いている。このクリート自身をべったり接地させると安定するのだが、爪先立ちになってしまう。接地面積が狭いので、濡れたタイルではステンといってしまいそうな感じがする。
 試し乗りに出かける。クリートをはめ込んだ状態でも、左右にかなりの遊びがあり、かつ踏み面が広いので、SPDよりは安定している。ステップインはまだ慣れないのでやりにくいが、はまるときにはパチンと音がするのですぐわかる。
 これで明日は三浦半島に出かけ、調子を見てみたい。

中日はお散歩に

00時00分 自転車 天気:大変いい天気です

 昨日、まき氏が『多摩川を走る』といってたので、気が向いたらそれに参加するつもりだった。しかし、出発地点の二子玉川は、泉区からは中途半端に遠いのだ。頑張れば集合時間に間に合うだろうが、明日の三浦半島一周を考えると気が重い。
 結局、昼過ぎまで寝て、それからMR-4Fで散歩に出かけることにした。
 長後まで走り、CoCo壱番屋で昼食。それから境川沿いに北上していった。妙に足が重いのは、昨日の激坂登りがまだ残っているのか。
 厚木街道との交差で三ツ境方面に転じ、サガミサイクルセンターに向かった。今日はNo.3に駐輪するのも面倒なので、サイクルセンターの1F脇に駐輪してしまう。店内でキャットアイのEL100のエンハンス版であるEL200、スペシャライズドのソックスカバーを買った。3Fを見て回っていると、ランスペダルことPD-7750が月末まで限定で13800円で売られているのが目に付いた。これは安い。C.B.あさひよりも安い。しかし、僕はさらに安いネット通販に注文していたのだった。
 No.3に入ると、レイアウトが以前とは変わっていた。こっちの方が回りやすい。
 店を出て、また境川方面に取って返した。最初は環状4号線経由で帰るつもりだった。夕方に荷物が届くこともあり、時間を節約したかったのだ。ところが、中原街道を進んでいるうちに、うっかり環状4号線との交差を過ぎ、そのまま境川へと至ってしまった。ありゃ、まあこのまま行くか。
 境川との交差で、自転車に乗った一団と行き会う。和菓子屋にドカドカと入っていったので、なんとなくオフっぽい。
 まだ日があるうちに帰宅した。

2003年01月11日(土曜日)

真鶴、そして奥湯河原へ

00時00分 自転車 天気:快晴

 朝7:00過ぎに起床。昨日、寝る前に作っておいた牛丼をかっ食らい、身支度をした。今日は、まき氏とともに湯河原を走る事にしている。
 荷物はだいたいまとめてあったので、余裕を持って出かけたつもりだった。ところが、JRの小田原までの便が意外に少なく(この時間帯はそうなのか)、小田原着は10:15くらいになってしまった。まき氏を待たせてしまう。すまんす。
 改札口の外にまき氏が待っていたので、MR-4F改を展開し、早速真鶴へと走り出した。行くのは真鶴道路の旧道だ。
 空は良く晴れ、日差しも暖かい。今日は長袖Tシャツの上にパールイズミの冬用長袖ジャージ、その上にモンベルショップで買った防風ジャケットを着ていたのだが、この防風ジャケットは脱いでしまっても問題なかった。これでも汗ばむくらいの快適な天気だ。
 まき氏のSatRDayを引いて真鶴道路へと入った。この入り口に自転車でどうアプローチするかが長年の課題なのだが、結局は今まで通りに早川のランプの直前で内陸側の歩道に上がるしか無いようだ。車を全て料金所に通す関係で、回避路がないのだ。しかしこの歩道、物凄く狭いので、自転車同士のすれ違いは絶対不可能だ。幸い、人通りはほとんど無いのだが。まき氏のSatRDayは下ハンドルでやや幅が広く、ヤバイのではと思っていた。が、なんとかなったようだ。
 真鶴道路を快調に走ってゆく。風は穏やかで、ややフォロー気味。日差しも暖かい。海の青さも爽やかだ。アップダウンをしながら、真鶴の料金所に差し掛かった。20円ずつ払い、トンネル(IME2000って"すいどう"って文字を出してくれないな)を超えると、眼下に岩漁港の全景が入る。このトンネルの前後が、真鶴道路で一番楽しい眺めだ。
 真鶴駅着は11:15くらいだった。45分くらいで走りきった計算になる。ここでちょっと迷う。昼食は真鶴漁協の市場で取り、その後は真鶴半島をぐるりと回り、それから湯河原を下から攻めてゆくつもりだった。だが、時間的には余裕がある。そこで、まず奥湯河原まで登り、夕食場所のつもりだった紅葉亭で昼食を取り、それから下りながら滝や公園を見て回ろうということになった。
 真鶴から湯河原までは下り基調で、気持ちよく下っていった。MR-4F改のブレーキは、どうしても今一つの効きが足りないものの、実用上は問題が無いくらいになっている。
 湯河原まで下りきり、真鶴道路の新道との合流点に差し掛かった。路肩近くを走っていた我々の前に、ガラス片らしきものが散乱するゾーンが急に現れた。ヤバイ! そう思う間もなく、我々はその地帯を通過してしまった。合流点を過ぎたところで、道路脇の駐車場に止め、タイヤチェックする。MR-4F改は大丈夫。一応、ガラス粉を払っておいた。まき氏の方はステープラの針など、多少の収穫があった模様。
 湯河原高校前の交差点から、いよいよ湯河原の登りにかかる。湯河原駅までは何度か登ったが、前に比べると楽勝ペースで上って行ける。しかし、この先は未知の世界だ。
 湯河原から奥湯河原へと登るには、従来からある温泉街を抜けて行く道か、比較的新しいオレンジロード(なぜオレンジなのだ)という道を行くか、二通りある。後者は新しい自動車道らしく、勾配が相当きついようだ。そこで前者を行くことにしていた。信号が多いのだが、自転車にはかえって助かるし(一休みできる)、温泉街を見ながら走る方が楽しいだろうと思えた。
 湯河原駅前から東には、駅前の商店街が続いている。なぜか下り坂だ。下りきると、また上りに転じる。地図上、すぐ近くに川が流れているようだが、商店街が立ちふさがっているので良く見えない。
 この辺では勾配が緩やかで、ペダルをくるくる回すだけで上って行ける。温泉街の鄙びた佇まいもそれなりに楽しめる。
 登りながら、万葉公園を探していたが、あいにく分からないまま通り過ぎてしまったようだ。やがて道は川沿いに進み始め、人家も次第にまばらになる。途中、不動の滝と書かれた幟を発見。これも目的地の一つだが、今は通り過ぎる。
 交通量は少ない。ペダルを回すのが楽しい道だった。が、不動の滝辺りから、これはキたねという感じの急傾斜が現れた。これは厳しい。ここまでフロント側ミドルで来たのだが、すかさずインナーに落とした。しかもあっという間にリアもローに落とした。これでようやくそこそこのケイデンスを維持できる。
 奥湯河原温泉まで、すぐ側を川が流れるいいロケーションを登って行く。気持ちのいい道だ、川に注意を向けられる余裕があれば(爆)。心拍計を着けてなかったので正確にはわからないが、だいたい170~180bpmになっていたようだ。
 奥湯河原のバス溜りで、さらに先の道行きをGPS携帯でもって検討した。要するに道なりに登りつづければいいようだ。こんなところでも使い物になるau携帯万歳!
 最後の登りは、ほとんど吐き気を催すような傾斜が延々と続く。一息つける平地は、道が川を渡る橋の上だけだ。汗が滝のように流れる。ぜえぜえやっていると、まき氏がゆっくり追いついてきて、先行していった。それを追い始めた途端、右側にようやく紅葉亭が見えた。
 紅葉亭の駐車場に自転車を停め、いやあ今のはきつかった、などと話す。しかし、これからはもう下るだけなので、気が楽だ(笑)。時刻は12:20くらい。真鶴から1時間程度で登ってきた計算になる。時間的には楽勝だったけど、この傾斜は自転車乗り始めの人には辛かろう。奥湯河原ツアーは、足に自信が無い人をどうするかを含めて練り直さなければ。
 店に入った。店は座敷席が50人分くらい、テーブル席が20弱くらいある。座敷席に座り、天ざる蕎麦と黄金色の発泡する液体(人体に注入すると目ざましい効果があると聞く)を注文した。比較的ゆっくりと寛げる店だが、広間に食卓が並んでいる造りなので、周囲の客の会話がやや耳障りだ。
 最初にやってきた謎めいた黄金色の発泡する液体をまき氏と酌み交わし、前菜をつまみながらまき氏と話をした。そういえば、まき氏とじっくり話すのは初めてだ。
 前菜を片付けた頃に、まず天ぷらがやってきた。続いて、ざる蕎麦が登場する。蕎麦はさっさと延びる、というまき氏の言葉に従い、最後に出てきたざる蕎麦を速攻で片付けた。歯ざわりが良く、更科らしくほのかに蕎麦の香る上品な味わいだ。って、通ぶっても、更科と藪は違う、くらいしか分からんが。
 やや関西文化圏的な広島育ちの俺様は、関東文化圏育ちのまき氏にいろいろ教わる。蕎麦湯は、やはり残った付け汁に入れて飲むのだと分かった。そんなことも知らないのかといわれても、広島では蕎麦湯なんてモノは庶民が接するものではなかったのだから。関東文化に被れた、一部の好き者だけの世界だったのだ。想像するに、蕎麦湯は甘い更科蕎麦より、醤油が強い藪蕎麦の方が向いていそうに思える。
 天ぷらもさくっとして美味だ。ここまでわざわざ登ってきただけに、その味わいは一際趣がある。
 食後、なんかデザート無いかなあなどと厨房の近くにかかっているお品書き(紙のメニューとは別に、その日の食材で作った一品料理などが白板に書き出されているのだ)を眺めながら寛いでいたら、給仕の女性が"蕎麦掻のぜんざい"などと書き加えた。リアルタイム更新されるとは。早速注文する。出てきた蕎麦掻はおわんに一杯になるくらいで、ほのかな蕎麦の香りも、食感も良く、甘い小豆ともども美味しくいただけた。これで打ち止め。ご馳走様。
 まき氏と料金を折半し(3150円)、会計すると、なにやら粗品をくれた。七味だった。まき氏の話だと、蕎麦屋では新春に七味を配る風習があるようだ。『この七味を使いに、また来店してね』ということか。
 店を出ると、14:00くらいだったか。この先は下って行くだけなので、気楽なものだ。しかしこの急坂、スピードの出しすぎが怖い。ブレーキを使いながら、不動滝まで下っていった。
 不動滝は、高さ5mくらいの清楚な滝で、周囲に不動明王だのなんだのが祀られている。写真を撮り、ふと滝の上を見ると、なんと車道らしき高架が走っているではないか。オレンジロードのようだ。なんだか萎えるなあ(笑)。
 ここには茶屋もあって、甘酒などもいただけるようだ。さっき満腹した我々には無用だが、神奈川支部を引き連れてきた場合は、きっとここで一服することになるだろう。
 不動滝から、さらに万葉公園を探しながら下って行く。最終的に、登りの時にも見かけた観光会館の付近から入れることが分かった。会館前の川を渡る橋の近くに自転車を貼り付けた。というのも、会館の駐車場は車有料で、自転車に関しては記載が無かったので、自転車は駐輪できないのだと解釈したのだ。ところが、管理しているらしい男性に尋ねると、自転車は空いたエリアに停めればよく、しかも無料だとか。これは優遇されているのだろうか。それとも、こんなところまで自転車で登ってくる物好きを想定してないのだろうか。
 万葉公園は、細い遊歩道が続いた、ずいぶん立体的な構造の公園だった。渓流もあり、水をうまく配した造りになっている。小さな町が作ったにしては、いろいろ金を掛けてあって感心する。やはり観光収入で潤っているのだろうか。
 公園内をぶらつき、やがてこの公園での目的である独歩の湯に至った。この温泉、足だけ入るという妙なものだ。服を脱ぐ必要が無いので、男女の別もない。ツーリングのとき、温泉で一区切りとなると、男女が別れてしまうので少し寂しい場合がある(特に女性)。ここならそんな心配は無用だ。
 管理棟で300円払い、ロッカーの鍵を受け取った。ロッカーに荷物や靴、靴下を入れ、替わりにサンダルを履いて温泉場まで戻ると、いよいよ温泉めぐりの開始だ。
 浴場(というのか)(1 2 3 4 5)は全部で九つあって、奇妙な穴ぼこや山も作られている。風水を応用したという能書きがあちこちに見られる。ふーんと思うだけにしよう。
 浴場は床面の加工がそれぞれ異なり、面的に土踏まずを刺激するようになっていたり、局所的に刺激したり、といった風になっている。それぞれに異なる効能書きの立て札を見ながら、薬事法違反にならないのかとか話した。
 しかし、ネタ的に面白い温泉だ。脱衣する必要が無いので、入るのも気軽だし、グループでわいわい楽しむにはうってつけだ。素足で、しかもスカートをたくし上げているお姉さんなんかもいて、結構ドキドキよ(爆)。
 1時間ほど楽しんで、独歩の湯を出た。なにか、たしかに体に影響を残している気がする。ツボを刺激したからか。
 独歩の湯から湯河原駅に降り、ここで自転車を畳んだ。東海道線で戸塚まで戻り、ここで湘南ライナーに乗り換えるまき氏と別れた。お疲れさま。
 僕はなんとなく激坂登りと、足湯の影響を感じながら、アパートに戻った。

2003年01月10日(金曜日)

夕食は軽く運動実施中

00時00分 暮らし 天気:よさげ

 以前から全国展開している(どこの全国だ)夕食は軽く運動だが、実施状況は芳しくない。季節的に鍋物への誘惑が強く、特にスーパーで野菜類が安いときには如何ともしがたく、寄せ鍋だの味噌煮込みうどんだのが食卓に載ってしまう。すき焼きをあまりやらなくなったのは成果だが、それ以外にも脂肪分が豊富な食事が続いている。
 今日は一昨日買ってあった牛肉を使って、牛丼でも作るかと思っていたのだが、既に夜もかなり更けていたので、今から高カロリー食は厳しい。そこでこれは明日の朝食として作っておき、今夜は麺類で済ませた。麺類もトッピングが問題だが......。
 これで夜遅くに過食することからも、せっかくの食材を捨ててしまう罪悪感からも、うまく逃れることが出来たのである。これでいいのだ。しかし、一人暮らしだと、食材の使いきりが難しいんだなあ。

2003年01月09日(木曜日)

MR-4F改のブレーキをさらに改善する

00時00分 自転車 天気:くもりみたい

 土曜日に真鶴、奥湯河原間をMR-4F改で走ってくるつもりだ。そのためには、ブレーキの効きを良くしなければ。ちょっと放ってあったケーブル周りの見直しに手を着けた。
 放ってあった訳は、いうまでもなくバーテープをはがし、巻き直すのが面倒だからだ。補助ブレーキレバーとSTIレバーとの間の結線が問題だと睨んではいたのだが、いざバーテープをはがすとなると躊躇してしまう。気合を入れて手を着けた。
 バーテープを外し、補助レバーとの間に張ったアウターを入れなおした。この部分、以前は微妙に長さが足りなかったので、バーテープで押さえつけられた状態では、STIとの間に隙間が生じていた。その結果、強く握ると、バーテープに逆らってその隙間を埋めようとし、結果的にブレーキフィーリング、そして把握力の悪化をもたらしていたのだ。新たにちょうどいいサイズのアウターを切りなおし、これで隙間は無くなった。しかし、ジャストサイズを探すのはなかなか厳しい作業だ。最後は補助ブレーキの方を微妙にスライドさせて、位置を調整した。
 これで握る限り、前のような遊びはほとんど無くなった。しかし夜も遅かったので試走は無し。明日試してみる。これで改善できなかったら、久々にBD-1の出番だな。

2003年01月08日(水曜日)

今夜も走った

00時00分 自転車 天気:晴れ

 今夜も20kmばかり走って来た。あえて28km/h弱程度の速さでスルスルと走った。これくらいが、負担になりすぎないでいい感じ。俣野の上り以外に苦しいところはない。
 TCR-2のチェーンホイールの汚れが気になった。そろそろ分解清掃しなけりゃならないかな。

2003年01月07日(火曜日)

シグマリオン復活せず

00時00分 デジタルギミック 天気:晴れてますか

 しばらく使わないで放っていたシグマリオンだが、また持ち歩いて使おうと思い立ち、一昨日からACケーブルをつないで充電しておいた。今日、帰宅すると電源表示が緑(充電完了)になっていたので、早速以前の環境を修復しようと電源を入れた。が、様子がおかしい。電池が既にLOWなのだ。コントロールパネルからバッテリー状態をチェックすると、充電100%なのに主、副電源ともに"残り少ない"となっている。副の方はボタン電池で、これは主電源が空になるとすぐに無くなるので分かるんだが、主電源が充電直後にLOWになるとは。長期間の休眠で、NiMHな電池が逝ってしまったのだろうか。
 せっかくモバイルな用途に使ってやろうと思っていたのに。何度か電池を使い切って、また充電を繰り返せば復活するかな。
 こうなると、NX70だのLinuxなザウルスだのが気になり始める。ううむ。

2003年01月06日(月曜日)

今年初の夜トレ

00時00分 自転車 天気:ちょっと曇り?

 タイトルは"初夜トレ"にしようと思ったのだけど、初夜・トレと読めそうなので止めておいた。もちろん初・夜トレのつもりなのだが。日本語は難しい(特に擬似漢語が連続すると)。
 今年も元気良くトレーニングするぜ、と思いつつ、21:00過ぎにTCR-2で出かけた。トレーニングといいつつも効いてるのかどうか不明だし、むしろ健康維持の面が大きい(スキルが上がったという実感は無い)のだが、既に半ば習慣化しているので、走らないとなんだか居たたまれなくなる。
 吐く息の全てが真っ白になる冷気の中を、黙々と走りつづけた。湘南台まで戻り、汗を拭きつつ体の節々を伸ばす。はっきりいって戸外にいるのも嫌になりそうな寒さなのだが、走ると無闇に爽快なのはなぜだ。こんな夜に自転車で出かける己のマメさは笑えるものがある。
 帰宅して、暖かい部屋に戻ると、汗がどっと噴き出してきた。慌ててタオルでふき取る。どうせすぐに冷めて、今度は(こんな暖かい部屋なのに)寒さを感じるようになるのだけれど。

2003年01月05日(日曜日)

死んだような一日

00時00分 暮らし 天気:いい

 昨夜、1:00頃に風呂を沸かし、2時間くらい仮眠しようと思って布団に潜り込んだのは憶えている。
 起きると、もう午後15:00過ぎだった。いや、昼過ぎにふと目覚めたのは憶えているが、何時だったか思い出せない。水を飲んだり、ちょっとメールチェックしたことはしたようだが、あまりに不調なので布団に復帰したようだ。凄い不快感が全身にみなぎっている。これは、あまりに眠りすぎたためにかえって疲労物質が溜まったのか。あるいは低温で乾燥した大気により喉を痛めつけたのか。なんにせよなにもする気が無くなって、せっかくのいい天気なのに、一日中部屋に閉じこもる破目に陥ったのだ。
 もしかして、昨日、一昨日の寒さにやられたのだろうか。寒いと、人体はその分エネルギーを消費しながら体温を維持しようとする。夏のように汗をかいたりといった顕著な変化が無いために見落としがちではあるが、それでもかなりの消費になりそうに思える。一昨日はともかく、昨日はかなり寒さが身に染みたので、自分で考えていたよりも消耗したのかもしれない。
 結局、こんな塩梅で夜までうだうだして、気分転換に音楽を聞いたりしているうちに快復した。明日からは仕事だってのに、貴重な一日を無駄に過ごしてしまった。

2003年01月04日(土曜日)

味噌煮込みうどん

22時00分 天気:快晴

 昨日のことになるが、七福神ポタの時に、きさ女史から赤だしをいただいた。......なんでそうなるのかというと、話は長いのだが、以前の日記に『ヨークマートで八丁味噌を扱わなくなったので味噌煮込み食えないよ~(T^T)』と書いたところ、きさ女史がわざわざ名古屋から赤だしを背負って来てくれることになったのだ(いや赤だし引渡しがメインではないが)。ありがたく受け取り、持ち帰ってきたのだった。
 昨日は帰ってから寝入ってしまったので、夜遅くになって味噌煮込みうどんを作ってみた。うむ、八丁味噌の渋味が少ないかわり、軽い味覚に仕上がる。八丁味噌をもう少しブレンドするとベストかな。しかし、これで当面は味噌煮込みを楽しめそう。冬が終わるまではもつな。ありがとうございました。

横浜ポタ本番

00時00分 自転車 天気:快晴

 また一眠りして、朝7:30に起床。今日も寒い寒い。昨日の夜からかなり激しく降っていた雨は、夜半には上がり、明け方にはきれいな青空が広がっていた。
 軽く朝食をとって、EPIC号で桜木町駅に向かった。まだ路面が濡れているので、念のためにダウンチューブとシートピラーに取り付ける形式の簡易マッドガードを着けておいた。これは大正解で、かなりのしぶきを受けながら走ったようだ。
 桜木町駅の広場に到着すると、既に半分くらいの参加者が集まっていた。このポタは、遠来のきさ家、ぽた家をもてなそうという企画なので、当然両夫妻もやってきている。
 EPICを適当な壁に立てかけると、なぜかルイガノのMTBも並んでいる。これはもしかして、hai氏の新車? hai氏は以前から怪しい挙動を見せ、MTBを買ったことは匂わせていたのだが、なにを買ったかは決してゲロしなかったのだ。安物のスタンドライトと刑事さんのカツ丼が使えなかったのは残念だ(どうやって入手するのよ?)。ルイガノのリジッドMTBは非常に軽量なので(10kg弱)、僕も一時は注目していた物だ。
 もう一つ、@nak家がいずれもビンディング化したのにも驚かされた。(あ)氏は新品を、(た)女史はおの氏から譲渡されたものを取り付けていた。さすがに手が早い。今日は何度こけるか、あるいはこけないか、妙な期待が集まる。
 メンバーがだいたい揃ったところで、臨海公園へと走り出した。下見の時にはTCR-2で参加したのだが、それに比べると歩道を走るのが楽々。サスはいい。サス激ラブ。
 臨海公園は、下見の時と同じく人気がなく、非常にすがすがしい雰囲気だった。空気も澄み渡り、ずっと遠くまで見渡せる。遥かレインボーブリッジまで見渡せるのだ。
 しかし寒い。今日はやや走り系の装備で、上はウィンドストッパージャケットとジャージ、下は新しく買ったパールイズミのリフレクティングタイツというのを履いていた。このタイツが予想を裏切るもので、冬用ということで厚みを期待していたのだが薄く、自転車用なのでパッド付だろうと思っていたらパッド無しだったという。しかも、今朝になって初めて包装を破ったので、いざ走り出してからようやく気づくという体たらく。うっかり屋さんもいいところだ(ほとんど業界最大手といえよう)。おかげで、下半身がかなり寒い。いや、意外に暖かいという感じはするが、厚みが無いのでこの極寒では冷気が染みてくるのだ。たまらないので、体を温めるために臨海公園内を一周する俺様だった。その途中で、BD-1に乗った男性を目撃。実は、今朝R1を走っているときにも、別のBD-1を目撃している。BD-1は本当に増えた。
 見晴らしのよい臨港パークで和んだ後、新港パークに移動する。しかし今日は風が強い。川沿いの、風の通り道を走ることになるので、猛烈な風に煽られて走るに走れないこともあった。
 新港パークでのトイレ休憩を挟み、赤レンガ倉庫を横目に走り、やがて大桟橋に着いた。思えば、大島からの帰着は、この桟橋だったのだ。ここの建屋の上は板張りの複雑な造形になっており、登ってみるととても気持ちのいい眺めとなった。ここで、自転車番に残ったにち氏を除いた記念写真を撮った。
 さらに山下公園まで走り、ここに駐輪。俺様はゴジラロックにEPIC号の命運を委ねた。距離的に時間が余るのではないかと思っていたのだが、案外にいい時間になっている。この間、予約した店に入った。
 今日は3000円コースということで、料理の質、量ともに、下見の時の1000円コースを遥かに上回っていた。特に量的に3割増しくらいだったので、ほとんど喉元まで中華料理が占めるくらいだ(笑)。
 食後はまったりしようかと思っていたのだが、行列が出来ているので早々に追い出されてしまった。客あしらいに関しては無愛想な店だなあ。しかし料理はいいのだ。
 食後は少し中華街をぶらついた。その間に、すずきなおし氏が合流した。
 山下公園まで戻り、午後の横浜を東に走る。ここで、僕はまたしても銀行に行く羽目になった。下見のときもこのタイミングで寄ってきたんだよなあ。たか氏も懐が寂しいということで、ともに石川町へと向かった。所要を満たし、本牧の通りを走ってシンボルタワーへと向かった。
 シンボルタワーへと到着したが、横浜ポタ一行は見当たらない。追い越してしまったか? にち氏に電話すると、シンボルタワーの裏手にいるという。すぐに合流できた。
 ポタ団にはさらにミキ氏が合流していた。お菓子も配布され、まったりムード。が、なぜか火器は登場しない。あんまり寒くって、その気になれないのか?
 ここでのイヴェントは、凧揚げと試乗会だ。凧はにち氏が後生大事に運んできたもので、その場で足をつけ、離陸を試みる。が、風が強すぎるのか、バランスが微妙に悪いのか、なかなかうまく揚がらない。そこで、その場で改良したりして、さらに離陸を試みるのだ。そんな過程も含めて、十分楽しめた。
 試乗会では、我がEPIC号、hai氏のルイガノが贄として差し出された。ミキ氏、たか氏などが相次いで試乗したが、いまいちピンと来ないという評だった。長距離乗ってみないと分からないのだろうか。ルイガノは確かに軽くって、坂道で勇気が出るバイクだった。って、よく軽いバイクに関して雑誌でインプレッションが載っているが、いったい勇気が出るバイクってどんなんよ?
 ミキ氏がなぜか縄跳びを拾ったことから、突発的に縄跳びブームが巻き起こる。連続2回飛びチャンピオンは(た)女史だった。縄跳びか、案外トレーニングにいいかも。
 次第に日が翳ってきた。日没と競うようにして南に向かい、本牧の裏通りをすずき氏の先導でひた走る。やがて以前の下見のときにも登った坂に差し掛かった。どういうわけかみんないっせいにスパートするではないか。後ろからおの氏が迫ってきたので、慌てて足を回してスピードアップしたところ、信号で足止め。青になり、ここからまた飛び出すかと思い、すずき氏らとともに必死に駆け上がったのだが、なぜか先頭3人だけが必死に飛び出し、残りのメンバーはゆっくり登ってきた。なんか、微妙に損した気分。
 坂を登りきった庭園で、集合写真を撮った。さらに、しばらく走ると、榎木亭というケーキが売りの喫茶店に着いた。ここでお茶の予定だったのだが、満席で断られてしまった。というか、十数人で押しかけての占拠は難しいだろう。
 替わりに、近所にある別の喫茶店で一服する。コーヒー一杯500円。高い。しばし雑談していると、たか氏が携帯でなにやら受け、大慌てで身支度を始めた。なんでも、知り合い(はあと)の方が空き巣に入られたとかで、すぐレスキューに向かわなければならなくなった模様。慌しく出て行ったたか氏を見送り、我々もこの店を辞した。
 一行は、再び桜木町駅に戻り、ここでお好みハウス組と、帰る組に別れた。ぽた家ともここでお別れ。この日のうちに帰阪するんだとか。また会う日まで。
 お好みハウス組に参加した僕は、下見の時と同じくまたしても電池を求めて寄り道し、お好みハウスに雪崩れ込んだ。アルコールは最初の一杯だけ。だが、昼食時にも我慢を重ねてきた僕には、この一杯が染みる。くぅ、うますぎます(T-T)
 お好みハウスでは22:00過ぎまで粘り、締めのお好み焼きまでがっちり平らげた。ここで遂に解散となった。今日も一日、思い切り遊んだなあ。きさ家とも別れの挨拶を交わし、僕は平沼橋を超え、R1をひたすらアパートまで走った。寒いので、できるだけ体を動かそうという思いからか、意外に早く帰りつけた。帰り着いた頃には、かなり汗だくになっていた。
 意外に消耗した感じがあったので、少し横になるつもりで布団に潜り込み、そのままストンと意識を無くした。

2003年01月03日(金曜日)

東京七福神ポタ

00時00分 自転車 天気:くもりのち雪

 例年なら休み一杯は実家にいるところを、1/2に戻ってきたのには理由がある。今日、1/3に、ポタリングの達人でもあるミキ氏により、東京ポタが実行されるのだ。例年、車の少ない正月に行われる恒例行事で、東京の新しい一面を発見できるのが好評だとか。好評すぎて、去年は70人くらい参加したとか。むやみに楽しそうなので、今年は参加することにした。
 集合時間10分前に上野駅に到着。公園口を出ると、さっそく幹事団(お助け団と命名)の方から『横断歩道を渡って自転車を組み立ててください』とお達しがある。対岸にはお助け団員数名と、参加者数名の姿があった。こんな寒いのに、次々に集まってくる。おの氏もいる。合流してMobilly改を展開すると、こぐ氏がついーっと走って来た。完全自走かと思えば、近くの駅まで輪行したとか。
 自転車を組み立て、ある程度参加者が溜まると、最終集合場所までお助け団員の案内で移動した。こんな寒空なのに、集合場所には既に何十台もの自転車と、その主が集まっていた。にち氏、すずきなおし氏、hai氏らもいる。たか氏は風邪をこじらせており、今日は残念ながら不参加。そういえば、すずきなおし氏と自転車行事に参加するのは初めてだ。
 最近、相次いでMobilly系(UGO14も含む)の多段化が敢行されたため、試乗の要望が結構来た。小十郎氏のUGO14改ともども、乗り回される。UGO14乗りのいっとく氏も好印象を持ったようで、早速和田サイクルの和田店長に取り置きを依頼したとか。その和田店長のBD-1には前かごが付き、そこに和田店長の愛犬がちょこんと乗っていた。ふさふさの毛長な犬で、この寒空の下ではある種の羨望の目が集まっていたようだ。ほとんど鳴かない、おとなしい犬だった。
 なにせ、午後から雪の予報だったので、今日はサイクリングジャージではなく、暖かな普段着に加えてスペシャのベストを着込んできたのだった。おかげで、それほどつらい思いはしなかった。
 ほとんどの参加者が揃った頃を見計らって、ミキ氏を中心としたお助け団の挨拶と、参加者の点呼が行われた。そして、ほどなく出発の運びとなった。
 ポタ参加者は、お助け団の誘導により、墨田界隈の七福神を回り始めた。途中、要所要所で集合して休憩となる。多人数を移動させるための便宜でもあったようだ。やがて最初の神仏の類に立ち寄った。弁才天だったかなあ。社の近くにテントが張られ、地元の方々の手によるのか、お茶が振舞われていた。朝からずっと摂氏0度ぎりぎりの低温が続いている中、一杯のお茶が本当に身に染みる。
 ふと空を見ると、なにか白いものがチラホラと降ってくるではないか。雪か、と騒いでいると、灰だろうという声が多かった。しかし、間もなく本当に雪に変わってきた。さらさらした雪、というより小さな氷の粒で、十分低い気温のおかげで衣服について解けることは無く、濡れないのは助かった。が、次なる休憩点で、遂に合羽を出した。体に雪が積もると弱る。
 さらに街中の細い生活道を通って、次なる福へと走って行く。車が全く通らない道を多人数で走るのは、これはなかなか愉快な体験だ。騒音を立てるモーターサイクルなどで走るには気を遣うのだろうが、ほとんど無音の自転車で走るのは気も楽で、また実際に地域の迷惑となりにくいと思う。
 やがて到着したのは寿老人を祀る石浜神社。えっ、寿老人が祭神なの? 社の前には大きな注連縄のループが立てられており、左右3回ずつ回るとなにやらご利益があるとか。無神論者である我輩も、もちろんその左右ループに加わった。
 もう一走りして、開けた公園の中の林に駐輪した。ここで食事の運びとなる。僕は近所のコンビニで暖かい焼きうどんなどを買ってきて、昼食はそれで済ませた。あまりの寒さに、火器を取り出す気にもなれなかったのだ。
 思い思いに敷物を敷いたり、中腰になったりして昼食を摂る一団は、なんというか冬の森で雪を逃れるボスニア難民のごとき有様だった。
 雪はどんどん強まって行く。雪質がいいため、それで濡れたりすることは無い。着込んでいるおかげで、寒さも堪える事は無い。が、だんだん道に積もり始めたのには閉口した。ここらで離脱かなあと考え始めた。昼食時に入って、既にいっとく夫妻ら数人が離脱している。この状況ならなんとかついて行けそうだが、この後は雨になるという予報なのが気になっていた。にち氏に聞くと、『離脱するかなー』という答え。うむ、やはり離脱だな。俺様は深く納得した。明日の横浜ポタに差し支えても困るし。離脱決定。すずき氏、hai氏、かぜはるか氏も同様に離脱するとのこと。@nak(あ)氏はいけるところまで行くとのお答え。
 昼食後に写真を撮ろうということになり、歩道橋への坂を利用して数枚の写真が撮られた。この時点で撮ったのは、我々
根性無し外気温に過敏な人々を考慮したのだろう。
 にち氏はここで離脱かと思いきや、あれ、一緒に行ってしまう。仕方なく、我々も途中まで着いて行くが、やがて信号で千切れてしまった。ここで本当に離脱する。かぜ氏を先頭に、hai氏、朕、すずき氏と並んで走る。途中、すずき氏が『よく考えたら、実家は逆方向』らしかったようで、引き返していった。浅草駅の近くでかぜ氏、ついでhai氏と別れ、駅への階段で輪行準備した。雪が解けた泥を跳ねながら走ったせいか、Mobillyたんも、合羽も泥だらけだった。ああ、合羽着ておいてよかった。
 あまりの寒さに震えつつ、なんとか帰宅した。その後、午後遅くから雨になり、夜にかけてさらに強まっていった。こんなんで横浜ポタは実行できるのだろうか。

2003年01月02日(木曜日)

帰横

00時00分 暮らし 天気:まだ快晴

 横浜に帰るのだから、帰横というんだろうな。しかしこれでは横田や横川もふくまれてしまいそう。
 今日、横浜に帰るので、少し早めに起きて雑煮を食った。広島の雑煮には牡蠣が入っている。以前はなんだかえぐくて食えなかったのだが、最近は平気でパクパク行けます。
 11:00頃に兄夫婦が姪っ子たちを連れて遊びに来たので、しばし家で遊び、一緒に呉そごうに買物に行った。少し遅れてくるはずの長兄がちっとも来ないので、少し店内で待ち、ここで僕はいったん帰宅することにした。次兄は仕事でYRP野比によく来ているのだとか。遊びたいが、そんな暇は無さそうな雰囲気。
 16:00前に家を出て、呉線経由で17:30の新幹線に乗り継いだ。その前に、在来線ホームに下りて、売店のうどんを食った。駅そばの類は在来線ホームの方がうまいというのが僕の持論なので(名古屋駅のきしめんがいい例だ)、ここでもそれを実践したわけである。肉卵天ぷらというたわけた組み合わせがあったので食す。しかし、これだけでは腹にたまらないので、新幹線改札口側の出店でおにぎりを買っておいた。
 のぞみに乗り込み、広島を離れた。次に来る時は、しまなみ海道を走る時だ。時間を見ておにぎりを食らい、呉で買ったサイスポを読んでいるうちに横浜に着。そこから日本一乗り継ぎの悪い在来線経由(なにせ横浜線、京浜東北線、東海道線といちいち乗り換えなくてはいけないのだ)で戸塚、そこから地下鉄で帰宅した。
 帰宅して、明日乗る予定のMobilly改のシフター位置を少し変えた。しかし、このシフター、どの位置にあってもしっくり来ないな。

2003年01月01日(水曜日)

初詣

19時00分 暮らし 天気:晴れてますがな

 昼過ぎに、母と初詣に出かけた。毎年行っている亀山神社まで、今年は面倒なのでタクシーで出かけた。さすがに元日の昼過ぎは、参拝客が多い。
 呉地方に特有のいが餅という菓子(名前と違ってイガイガなお菓子ではなくて、大福餅に色米をあしらったもの)を買おうかと思ったのだが、まあ餅なら家にあるしと思って買わなかった。なにか守りの姿勢に入っているようでイカン(といって攻め攻めなのも考えものだが)。
 というわけで、あけましておめでとうございました。

そこから先は私は知らぬ

00時00分 思考 天気:晴れてますがな

 去年一年を振り返ると、打ち続く不況、高止まりの円相場、乱高下する証券取引市場、そして次々息絶えて行く企業群、といったものが目に付く。などとプレジデント誌愛読おやぢのようなことを俺様が書いても仕方ないので、自分史2002を回顧しよう。
 しかしまあ、去年は一昨年以上に自転車に入れ込んでしまった年になった。年初にMR-4Fを買って、もうこれで打ち止めだと考えていたら、思いがけずBikeEが転がり込んできた。さすがにこれで終わりか、もうこの先は今ある自転車の買い替えぐらいだなと思っていたら、年末にEPICという大物が控えていた。さすがにこれは、自分的にもやりすぎ感が強い。自転車が家に8台あるなどと人前で述べると、もう既にギャグになる領域だ。
 パーツもたくさん買った。家にある自転車で、コンポーネントが買ったままなのはBikeEくらいなものだ。これもやりすぎ感がある。そろそろ、C.B.あさひ辺りから付け届けが来ないかと思うくらい、売上に貢献したような気が。
 ツーリングにもよく出かけたなあ。でも行きたい場所がありすぎる。
 こうして振り返ると、自転車萌えな一年でした、と締めくくってもいいくらいだ。しかしこれではいかん。もう少し他の趣味にも時間を割かなければ。幸い、最近は狙ったように週末の天候が悪化することが多いので(本当になぜだ)、そういう時はすっきり別の趣味に走ろうではないか。そう、ネットゲーだ(ダメすぎ)。もう少し実のある趣味を持ちましょう......。
 あ、小説も書かないとね。
 しかしまあ、今年の景気はどうなるんだろう。