Strange Days

2003年02月28日(金曜日)

雨の前に夜トレ

00時00分 自転車 天気:雲増量中

 今週、今日までは良い天気だったのだが、土日は雨になりそうな情勢だ。雨の前に少し走っておこうと思い、夜トレに出かけた。
 明け方には雨になるということで、既に不気味な雲が空にかかっている。少しだけ切れ目があるので、まだしばらくはもつだろう。
 今日は風が無いせいか、行きも帰りも快調に走ってゆける。しかし、少し暖かかったせいか、多少人通りが増えてもいる。春になると、また無灯火逆走野郎ズが増大するんだろうな。
 帰宅して、自転車を部屋に入れながら、汗の量が厳冬期より増えているのを実感した。春の足音は、ペタペタと近づいてきている。

2003年02月27日(木曜日)

来てます、花粉症

00時00分 暮らし 天気:ヨシ

 来てます来てます、花粉症が。朝、なんか異様に眠いなあと思っていたのだが、眠いのではなくて目が痛いだけだった。そうだ、昨夜の夜トレで、たっぷり花粉を摂取してしまったらしい。
 しかしまあ、こいつとの付き合いも10年位にはなるだろうか。そろそろ慣れてきたのか、さほど辛くは感じない。鼻水が止まらないのは閉口するが、まあいろいろ凌ぐ方法は分かってきた。
 不思議なのは、自転車で走っている間は、そんなに辛く感じないことだ。運動していると、症状が抑えられるのだろうか。
 ともあれ、花粉症でも元気にツーリングに励む所存であります。

2003年02月26日(水曜日)

久々の夜トレ

00時00分 自転車 天気:くもり

 今、仕掛かっている仕事が、4月末までびよ~んと延びてしまった。おかげでしまなみ海道行きの日程を見直さざるを得なくなったり、この先かなりの悪影響が見込まれる。はぁ、頭が痛い。
 しかし、当面の仕事が延び延びになったので、現状はかえって余裕が出来てしまった。今日も久しぶりに定時で帰宅し、21:00過ぎに夜トレに出かけた。
 今日は非常に暖かい一日で、駅から歩きながら『こりゃコートは要らないかも』などと考えていた。夜トレに出かけるときも、外気が暖かかったので、いつものウィンドブレークジャケットは着ないで、ウィンドブレークジャージだけで出かけることにした。もちろんタイツも履いてる。下も履かないでフリチンで走り出したらタダの変態だ!(いや別に怒らんでも)。
 今日は足が回るわけでもなく、重いわけでもなく、しかしなんとなく走るのが楽しくて、汗をかきながら俣野の登りを登っていった。風が暖かいと、走るのも楽しい。やっぱり、冬の間の夜トレは、苦行の意味合いが強かったみたい。
 帰宅して、ベランダから外を眺めると、曇っていた空に、いつの間にか星空が見え始めていた。今度の日曜日も晴れればいいんだが。

2003年02月25日(火曜日)

MELTY BLOODをやってみた

00時00分 ゲーム 天気:いいの?

 (とりあえず)復活した4号機で、MELTY BLOODをやってみた。このゲーム、俺様が嫌いな格闘ゲーなのだが、ストーリーモードがもう一つの月姫という感じで楽しい。格闘ゲーのなにが嫌かといって、ひたすら戦うだけという味気なさだ。FPS(DOOM系のゲーム)のようなパズル的要素があるわけではない。あ、しかし、逆にFPSが嫌いな人は、パズルな部分が余計なものに映るんだろうな。
 ヴィデオボードが太古のGeForce2という構成だが、別にコマ落ちとかは発生しないようだ。ならP4買うことも無かったか......。
 このゲーム、印象が明るいので何故かなと思ったら、本編のように人がポンポン死ぬ展開では無いからなのだな。まあ、案外に明るい格闘ゲーというところか。

2003年02月24日(月曜日)

結局、電源ですか?

00時00分 コンピュータ 天気:かなり寒い

 P4への移行を目指し、今日も自作機と格闘する我輩である。
 昨日はメインボード(いわゆるマザーボード)を筐体に収めたまま試していたのだが、この場合、筐体とメインボードの間に異物が挟まるなどして、ショートしてしまう可能性も無くは無い。そこで、一度メインボードを引き出してみた。見たところ、ネジの類が挟まっている形跡は無い。そのまま、絶縁物(新聞紙)の上に載せ、ケーブル類をつないで起動してみた。が、やはり電源はONにならない。
 ところで、前のメインボードが死んだとき、最初に疑ったのは電源だった。しかしATX電源という奴は、これ単独では操作できない。メインボードからの信号が無ければ、ONにもOFFにもならない。つまり、メインボードが疑わしい今、確認しようが無いのだ。しかし、メインボードが2枚とも(1枚は新品)逝っている可能性は、それほど高く無さそうに思える。今度は電源を換えてみるか。幸い、300Wのものでも高くは無い。
 またVパラに行き、4000円なりで電源を購入、帰宅して速攻で入れなおしてみた。しかし、やっぱりダメだ。
 ふと思い返して、前に使っていたAthlonセットをいれてみたところ、なんと動いてしまった。やっぱり、電源が逝ってたのか。しかし、こうなるとP4、新MB、DDR-SDRAMのいずれかが、やはり逝っているとしか思えなくなってきた。はぁ、もうVパラにチェック依頼を出した方が賢明だ。
 ともかく、久しぶりに動いた4号機は、余計なものを入れてないだけに、起動時間も動作も機敏だ。これでP4化が出来てれば良かったのだが、妙に捨てづらくなってしまったではないか。またPCを増やす?(マジっすか)。

2003年02月23日(日曜日)

Pentium4起動せず

23時00分 コンピュータ 天気:まあまあ

 早速、4号機の中身を入れ替えた。30分くらいで入れ替え終わる。最近やってなかったけど、手馴れたもんだ。拡張ボードもストレージも少ないせいもあるのだが。
 電源をつなぎ。スイッチを入れる。......シーン。黙秘権を行使してやがる。またばらして、ジャンパーやケーブルの接続を確認しながら、もう一度組みなおしてみた。が、やはり黙秘。なんだか、ストレージへの起動信号も出てないようだ。こうなると、なにが悪いんだかさっぱり分からない。POSTへも行ってないようで、ビープ音さえ出てないのだ。
 気力が続かないので、今日はここまで。はあ、意外に難航しそうな予感。

横浜まで、買出しに

00時00分 自転車 天気:まあまあ

 昨日の疲れも残ってないようなので、また三ツ境経由で横浜に行って来ようと思った。故障中の4号機を復活させるにあたり、故障原因と見られるメインボードを新調しなければならない。それなら、一足飛びにPentium4化しちゃおうと思ったのだ。メモリ価格は下がっているので、5万円でメモリ込みで買えそうだ。
 大き目のバックパックを背負い、TCR-2で出かけた。三ツ境に直接向かい、サガミサイクルセンターを冷やかす。さらに鶴ヶ峰経由で、横浜駅方面に向かった。ホイールサイズの違いゆえか、700Cロードには小径車には無い安心感がある。どんな状況でもガンガン踏めるという感じ。しかし、昨日の疲労が意外に残っていたのか、心拍数が上がりやすい状況だった。
 横浜駅西口に到着。DOS/Vパラダイスを襲撃した。ここでPC2700(DDR333)の512MBメモリ、Pentium4プロセッサ(2.4GHz)、適当なメインボードを買った。店員に確かめると、「この組み合わせに問題なし」との事。無難な組み合わせだろう。さらに、CF2だのメモリスティックだの7種類のメモリを読めるというUSB接続メモリスロットを購入した。
 再び、なんとなく重い体に鞭打ち、R1経由で帰宅した。

2003年02月22日(土曜日)

奥湯河原ツアー決行

00時00分 自転車 天気:くもり稀に雨ぱらつく

 いよいよ奥湯河原ツアー決行の日が来た。生憎、神奈川支部フルメンバーではなかったが、にち氏、こぐ氏に加え、hai氏、あゆこ女史、そしてはるだぁ氏の参加もあり、6名とまずまずの人数となった。これくらいが、色んな意味でハンドリングしやすい。
 10:00小田原駅東口集合というゆっくりしたスケジュールもあり、朝は7:30起床で余裕の出発であった。
 地下鉄で戸塚に出て、東海道線で小田原に向かう。平塚で扉脇の席が空いたので、座って仮眠しながら小田原着を待った。
 小田原駅東口を出たのは9:45くらいだったろうか。既にこぐ夫妻、にち氏、hai氏が到着していた。はるだぁ氏は未だだった。自転車は久しぶりというはるだぁ氏、大丈夫だろうか。しかし、ほどなくはるだぁ氏も姿を現した。
 はるだぁ氏と会うのは、去年のビールただ酒オフ以来か。氏が持ち込んできたのが、ルイガノのJEDI-R。20インチのカコイイ自転車だ。しかし、リア側を折り畳めないので、持ち運びサイズは少し大きめだ。
 全員が準備を終えたところで、湯河原に向けて出発だ。
 今日は前回と同じく、真鶴道路を湯河原まで走り、さらに奥湯河原の深部にある紅葉亭まで一気に駆け上がる。休みは短くするつもりだ。あまり長く休憩すると、かえって辛くなることが、経験則で分かっているからだ。
 小田原市街を抜け、いつも自転車での通り抜けに苦労する早川の海岸を通って、真鶴道路に入る。そこからは、湯河原まで一気に走った。坂道では後続を待ち、下りでは引き離す(気持ちいいので)。後で考えるに、殿を引き受けてくれたにち氏は、あまり休む余裕が無かったのではないだろうか。でも、これくらいの距離は余裕だよな。一番気がかりだったあゆこ女史、はるだぁ氏も、危なげなくついてくる。
 やがて、また進入が難しい新旧真鶴道路の合流点を経由して、湯河原に到着した。いよいよ登りが始まる。
 最初のうち、湯河原温泉街までは、あまり辛い傾斜に出くわさない。この辺、MR-4Fならフロントミドルでも余裕の道行きだ。後続も危なげない。ゆっくりと距離を稼いで行く。この辺は、まだ辛くない。
 街並みが途絶え、川沿いに出た。不動滝を過ぎた辺りから、いよいよ傾斜が増し始める。それでも、この辺りまでなら、まだミドルでも登れた。
 奥湯河原の温泉街に突入した辺りから、遂に最大の登りに差し掛かる。この辺り、15%オーバーくらいの、しかも直線の登りが、何度も目の前に現れてくる。さすがにフロントをインナーに落とし、リアもローまで後一枚残すだけだ。ここの場合、最後にこの登りがあるので、余計に辛く感じるのだろう。しかし、何度かの小休止を挟みながら、遂に紅葉亭に到達した。全員が到着する。はるだぁ氏は最後には押しに入ったが、久しぶりのツーリングにしては立派なものではないか。あゆこ女史が、一度も押しに入ることが無かったのは凄い。さすが、川崎山岳地帯で鍛えただけのことはある。
 噴出す汗を拭きながら、紅葉亭で6人席を確保し、少し遅めの昼食となった。今日も天ざる、食後に蕎麦掻ぜんざいを注文した。発泡する黄金色の液体は無し。下りでは危険すぎる。スケジュール的に、冷め切るまで待てないとも思った。アルコールは2時間経っても抜けきらないものなので(自覚症状は無くても運動能力には悪影響が残っている)、よほどのことが無い限りもう飲むことは無いだろう。よほどのこと=食後に昼寝できるくらい余裕あり、だ。
 登りの間、時々晴れ間も見えるくらいだった天気だが、食後にふと外を見ると、雨がぱらついている。下り、それもこれほど急なそれで、濡れた路面は危険すぎる。早々に坂を下りることに決定した。
 急傾斜を下って行く。下りではMR-4Fの効きにくいブレーキが恐怖を煽る。この点が最大の課題として残っている。まだワイヤの取りまわしに無理があるのだろうか。せめて、TCR-2位には効いて欲しいのだが。それでも、実用上はそれほどの困難を感じない。70km/hまで出して、そこから急減速、などという無理をしなければ良い。
 不動滝まで一気に下り、立ち寄った。前回は、滝の正面にかかる橋を渡り、対岸の祠まで登れたのだが、今日は『崩落の危険あり』とかで、橋を渡ったところで通行止めになっていた。それでも、端正な滝の全景は、きっちり拝める。でも、洒水の滝を見た後では、いささか迫力に欠けるきらいもあるなあ。
 さらに万葉公園まで下り、前回楽しめた足湯、『独歩の湯』に立ち寄った。低料金、気軽(着替える必要なし)、混浴(爆)と、自転車ツーリングにはなかなか適したこの湯、やはり好評だった。怪しい風水系能書きも笑いを誘った。公園の入り口までは、前回同様に川沿いの散策コースを行ったが、これは予想外に好評だった模様。
 時刻は既に16:00。意外に時間をつぶせたようだ。後は湯河原駅まで下り、各自輪行態勢を整えて、車上の人となった。
 今日のツアーは辛いところもあったが、それなりに好評だった模様。また、紅葉の季節にでも催行しようと思った。

2003年02月21日(金曜日)

登坂力考察

00時00分 自転車 天気:良いのか?

 さてさて、明日の奥湯河原ツアーはどの自転車で出動しようか。
 単純に実績で考えるならMR-4F改なのだが(なにせ、一度登っているので)、気分的にはそろそろBD-1を持ち出したいところ。こいつも意外に坂道に強い印象がある。
 自転車で坂道を登る際、どういう要素が登りやすさに関係してくるのだろうか。まずギア比が浮かぶが、ホイール径がまちまちな場合は、あまり直感的にピンとこない。むしろ、ギア比にホイール径を掛けた、クランク一回転辺りの走行距離の方が、より指標にふさわしいと思われる。
 算出式は(最小)チェーンホイール歯数/(最大)スプロケット歯数*タイヤ周長だから、MR-4F改の場合は、
30/25*1.35=2.1(m)
BD-1改の場合、前が52/42のダブル、後は12-27のロード用スプロケなので、
42/27*1.35=2.1(m)
 なんだ、同じではないか。BD-1には元々11-34Tが着いていたので、これに戻せばさらに軽く出来るが、実はMR-4Fにも11-34Tを適用することは可能なので(ディレイラ交換も必要にはなるが)、そうなるとMR-4Fの方がさらに軽く出来る。もっとも、BD-1のフロントインナーを38Tに戻せば、MR-4Fよりもさらに軽くは出来るのだが。
 現状、手元の自転車の中で、もっともクランク走行距離比を小さく出来るのが、EPIC号などのMTBだ。これの場合、
22/34*1.95=1.26(m)
と、飛びぬけて小さくなる。なるほど、激坂に強いはずだ。しかし、この値では、全然進まなくてイライラすることだろう。
 ともあれ、MR-4FもBD-1も数値的には変わらないようだ。
 それでも、印象的にはMR-4Fの方が登りに強い感じがある。この点、数値化が難しいポジションなどの影響が大である印象がある。MR-4Fはドロップハンドルで、しかもステムの都合でかなり低いポジションなのだが、これとBB位置の関係から踏みやすく、回しやすい印象がある。BD-1の場合、どうしても前に蹴倒すようなポジションしか取れないのだが、MR-4Fでは蹴倒すことも、踏み下ろすことも自由だ。そういうポジションの自由度、姿勢の低さが、坂道で勇気の出るバイクになっている理由だろうと思うのだ。なるほど、こういうことを『坂道で勇気が出る』と表現しているのだな。
 明日は、やっぱりMR-4Fかな。

2003年02月20日(木曜日)

春一番?

00時00分 暮らし 天気:雨やら晴れやら

 朝のうちはいまいちな天気だったが、帰宅する頃(23:00頃)にはすっきりした夜空が広がっていた。
 今夜は風が強い。アパートの前に出しているBikeEのカバーが風に飛ばされるので、風を巻き込んで孕まないように洗濯バサミで止めた。ありゃ、チェーンが錆びてる。やはり、露天係止は自転車には厳しいようだ。もっと大きくて、足回りまですっぽり覆えるカバーにしないと。
 土曜日にはいよいよ奥湯河原ツアー決行だ。今のところ、天気は悪くは無さそうだ。晴れてくれるといいのだが。

2003年02月19日(水曜日)

夜トレできず

00時00分 暮らし 天気:いいの?

 今日も帰宅が出来ず、トレーニングできずだった。ストレス溜り中。
 来月半ばまでこういう状態が続く。体がもつかね。

2003年02月18日(火曜日)

どうしても遅くなる夕(夜)食

00時00分 暮らし 天気:よくない

 今日も午前様寸前に帰宅した。ストレスが溜まるのか、こういう時には軽く済ませたほうが良いと分かっているのに、ビール付の脂っこいメニューに走ってしまう。どうもイカンと思う。その腹ごなしと、自分で炊事洗濯入浴準備をする必要から、寝るのは深夜になってしまう。しかも、明日は朝早くから会議のおまけ付だ。
 今週末の湯河原ツーリングを心の糧に、この修羅場を乗り切ろう(朝も昼もなくなった人たちに比べれば、気楽な修羅場ではありますが)。

2003年02月17日(月曜日)

やはりPentium4移行か?

00時00分 コンピュータ 天気:晴れ

 4号機の更新にまだ悩んでいる。Pentium4プロセッサがRIMMベースだと記憶していたので、Athlon系で組むかと考えていた。DDR-SDRAMはまだ値下がりしていて、間もなく512MBで8000円を割り込みそうだ。こうなると、これ以上下がってもそれほど嬉しく感じることは無いだろう。つまり買い時。一方、RIMMはむしろ値上がりしている。なら話は決まりか。そう思った。
 ところが、実はP4でも既にDDRサポートになっていて、i845だのSiS655だのといったチップセットなら、DDRをドライブできるとか。そうなると、発熱量を考えてP4+DDR-SDRAM+安価なメインボードという組み合わせが最良なのだろうか。
 2年もPC市場を見てなかったので、最近の流行が分からなくて弱るなあ。

2003年02月16日(日曜日)

NHKスペシャル

23時00分 テレビ 天気:雨

 今日のNHKスペシャルは、久しぶりの自然シリーズ。北海道の中央にある富良野の森の話題だった。
 富良野は北海道の中央という海から離れた場所ゆえに、日本でもっとも低温になる場所だ。氷点下41度というとんでもない記録も残されている。
 富良野には東京大学の演習林がある。人手が全く入ってない、原始の森の姿が残されている。
 この森には、他の地域では見られないような、珍しい生き物たちが棲息している。
 クマゲラは、日本に生息するキツツキ類の中ではもっとも大きくなる鳥だ。力強い両足で体を支え、強力なくちばしで倒木に穴を穿ち、そこに潜む虫などを捕食する。
 エゾリスはオニグルミなどの果実を取っては、そこら中に埋めて蓄えてしまう。なんだかラブリーな生き物だ。
 また植物相も独特だ。
 この地にはエゾマツという松の一種が良く見られる。その形状は不可思議で、根元の部分が大きく地上から競りあがって、下に空洞が出来ているのだ。
 5月、遅い春がきて、短い夏が去り、あっという間に収穫の秋も過ぎ去ってしまう。そしてやってくる過酷な冬に、生き物たちは生き残るための戦いを繰り広げるのだ。
 冬眠しないエゾリスにとって、秋に蓄えた木の実は生き残るための糧だ。だが、厚い雪の下からどうやって探し当てることが出来るのだろう。エゾリスは嗅覚が非常に鋭く、こんな状況でも匂いでかぎ当てられるのだとか。
 エゾシカは、冬に入ると葉や木の実といった物を口に出来なくなる。彼らが飢えを凌ぐために、森の若木が犠牲になる。すなわち、まだ柔らかいそれらの皮を削ぎ喰らい、飢えを凌ぐのだ。しかしそれも冬が深まると喰らい尽くしてしまい、彼らは餌を求めて争うようになる。幼い子供たちが、この飢えに耐えかねて力尽きてしまうこともある。
 クマゲラは、まだ雪が少ないうちは、そのくちばしで器用に除雪し、暖かい頃と同じように虫を取ることが出来る。しかし、冬が深まり、分厚く雪が積もるようになると、もうそれも不可能になってしまう。倒木には雪が積もりやすいというのもあるのだろう。すると、クマゲラはこの時期にしか見られない不思議な行動を取り始める。通常、クマゲラが虫を探すのは、既に寿命を終えた倒木などの腐った木だ。健康な木には、虫などは寄り付かないからだ。ところが、真冬になると、そうした健康な木に穴を穿ち始めるのだ。健康な木は腐った木よりも組織がしっかりしており、通常よりなお労力が必要だ。しかし、延々と掘り進んだ果てに現れたのは、表面には見られないような黒ずんだ、死んだ組織だった。健康そうな木でも、中心に近づくと組織が壊疽を起こし、そこにアリなどが住むつくことがある。冬のクマゲラは、そうした虫たちを取って、飢えを凌いでいるのだ。どうやって、そんな深部の状況を把握しているのか、これは不思議なことだ。トライ・アンド・エラーで手当たり次第にやっているのだろうか。
 さて、件のエゾマツの根の秘密は? それには、エゾマツ特有の繁殖戦略が関わっている。
 エゾマツは、秋には無数の松ぼっくりを実らせる。そのそれぞれに100以上の種子を格納している。一本のエゾマツが果実させる種は、数万個に及ぶ。しかし、エゾマツの種は雑菌に弱く、地面に落ちると雑菌にやられ、実ることが出来ない。秋、エゾマツは種子の半分を散布させるが、それは実ることなく消えてしまうという。
 冬になっても、エゾマツはじっと種子を抱えている。ある得意な気候の日を待っているのだ。やがてその日が来る。
 極度の低温のために大気中の水分が凍りつき、ダイアモンドダスト現象が発生するような日がやってきた。大気中の湿度は極限まで下がり、また地上も乾ききった風と雪に覆われ、全てがさらさらと流れてしまうような日だ。エゾマツはこの日を待っていた。恐らく、低温と低湿度がキーになっていたのだろう、種子が一斉に放出されたのだ。種子は乾ききった雪原を、風に吹かれて散って行く。雑菌が極端に少ないこの時期なら、雪面に落ちても腐ることは無い。そうして風に飛ばされながら、種子はある特殊な地点を目指すのだ。
 やがて春を迎え、生き残ったエゾマツの種子は、新天地で芽吹く。そこは……力尽きて倒れた倒木の上なのだ。倒木は雑菌が少なく、また栄養も豊富なので、エゾマツの種子には絶好の苗床となるのだ。そうしてすくすく育っていったエゾマツが、大きく幹を伸ばす頃、苗床となった倒木は朽ちて消えてしまう。そして、エゾマツの不思議な形態が形作られるのだ。
 冬は生き物にとって苛烈な季節だが、反面、その生き残りをかけて能力の極限を発揮する躍動の季節でもあるようだ。いや、こっちは傍観者だから気楽なもんだけど。

秋葉に行って来た

19時00分 暮らし 天気:雨

 秋葉は秋葉でも秋葉原の方だが。
 久しぶりに秋葉原に出かけてきた。本当なら荒川サイクリングの日だが、この雨では実行しようが無い。そこで、中古メインボードを探しに、秋葉に出かけることにした。
 13:00過ぎに家を出て、秋葉原到着は15:00頃。そこから、めぼしい中古ショップを渡り歩いては、SoketA、FSB100MBPSなSD-RAMという条件で探してみたが、存外に弾数が少なく、また値も張る。これで思い悩んでしまった。今、メモリが暴落しているので、一足飛びに最新規格のメモリ+最新プロセッサという構成にした方が良いのではないだろうか。ああ、またこのパターンか。こうして、『ちょっとアップグレード』のつもりが、『ごっそりアップグレード』になってしまうのだ。でもまあ、もしもDVDドライブ込みで5万円以下なら、こっちの方が最新ゲーム対応でもいい目にあえそうだ。
 雨がかなり降っていたが、人が少ないので案外に歩きやすい。しかし、なんだか歩き疲れたので、1時間ほどで昭和通のドトールで一休みし、帰宅した。

2003年02月15日(土曜日)

町田まで出かけた

00時00分 自転車 天気:いい感じ

 今日はいい天気だが、明日は崩れるようだ。荒川オフに参加する予定なのだが、これではどうなることやら。まあ、走れるうちに走っておこうかと、町田まで買い物に出かけた。
 自転車は、久々のEPIC号。この自転車、なんだか大島ダウンヒル専用バイクという感じ。だが、サスペンションによる安楽ライドは、ロードバイクとは違った楽しさがある。少々のオフロードも問題無しだし。って、コレ、MTBなんですけど。
 まずは長後のCoCo壱番屋で腹ごしらえ。別に何でもいいといえばいいのだが、カレーを食った後は足が良く回って調子いいのだ。インドの神秘か。
 まずはサガミに立ち寄る。先週も寄ったばかりなので、特に買い物は無い。
 そこからは瀬谷駅から海軍道路に入って、北進した。このひたすらまっすぐな道は、今日みたいな青空の下が映える。もうすぐ桜の季節になるから、そうしたらさぞかし見事な眺めになるだろう。
 今日はR16に乗らないで、境川経由で町田まで北上していった。R246を迂回できるので、このルートは気が楽だ。
 暖かい日だからだろう、今日はここ数カ月のうちではサイクリストが多い日だった。一人、黙々と北へ、あるいは南に下って行く姿が目に付いた。
 やがて町田東急ハンズの看板が眼に入ってきた。町田には立ち寄らず、相模大野に向かう。用事があるのはイトイサイクルだったのだが、どうせなら本店に立ち寄る方がよい。
 町田と相模大野の間には、結構吐血モノの坂が待ってたりする。相模大野の方がやや高度があるのと、途中で相模線をまたぐから、盛り土した丘を道路が通っているのだ。
 特にこれという買い物はしなかった。ルイガノブランドで発表されたライト内蔵アヘッドがあったら欲しかったんだけど。
 境川を下り、南町田のモンベルショップに立ち寄った。漠然と店内をうろついていたら、ドイターのボトルが刺さるサドルバッグを発見。これだ、これが欲しかったんだ。BD-1、トレンクルなどの、ボトルケージ取り付けが難しい車体に着けたかったのだ。早速、購入した。
 その後も、境川沿いにトロトロ走って帰宅した。

2003年02月14日(金曜日)

心に染みる言葉

00時00分 ゲーム 天気:いいのかな

 いつか成人して、この檻みたいな屋敷の中で一人きりになったとき。この思い出さえあれば、泣かないで、寂しいときも穏やかでいられますようにと。
 月姫から、どうやら秋葉のものらしい言葉。子供の頃の、ほんのひと時の思い出だけでも、家に縛られた自分を和らげてくれるという意味。過去を振り返ると、本当に楽しかったことは一瞬だったけれど、それでも、それがあるからなんとかやって来れた。このゲームで、どうも秋葉に入れ込んでしまうのは、妹萌え以前に、こういう心に染みるセリフが出てくるからなのかもしれない。
 日本語としていろいろ直したいところはあるけれど、こういう言葉を紡ぎだせるというのは、才能があるからだろうと思わざるを得ない。このシナリオライターは、いい仕事をしたと思う。

2003年02月13日(木曜日)

ビデオデッキ更新したいが

00時00分 テレビ 天気:いいのかな

 ビデオデッキを更新したいと思っている。更新したいとずっと思っている。なにせ、ウチにある最新のものですら、'95年製造の8mm/VHSのデュアルデッキなのだ。8mmがフェードアウトした今、真剣に後継を考えねばならない。
 巷では回り物(DVD-xなど)が主流になっており、PCとの共用を考えるとDVD系とHDDのデュアル機がいいのかなと思う。しかし、どうせDVDに落とすのだったら、デッキと適当な手段で交信できればいいのだから、IEEE1394インタフェース付の適当なデッキでいいような気もする。そういう意味で、シャープが発表したパーソナルサーバも気になるなあ。実売10万以下だったら、こいつにしちゃうかも。
 なんにせよ、今のデュアルデッキが生きているうちに後継機を決めなければ、手持ちのテープが再生不能になってしまう。こういう時に限って、急に逝っちゃったりしてな。嫌な予感にうなされるような今日この頃だ。

2003年02月12日(水曜日)

深夜トレ

00時00分 自転車 天気:くもり

 今日も帰宅は23:00前だった。午前様にならないだけましか。
 こんな時間だが、それでも少しは体を動かしておきたいので、いつものコースを走りに出かけた。
 行きは妙に足が軽く、30km/h以上で走りつづける。しかも、全然疲労を感じない。いつもなら俣野橋で足を止めるのだが、そのままのぼりに突入してしまったくらいだ。が、帰路はかなり辛く感じて、20km/hくらいまでペースが落ちる。かなり強い北風に吹かれていたようだ。
 今夜は中田湘南台線との交差点でなぜかパトカーが張り込んでおり、いつもなら車の列が切れるか、よほど親切なドライバーが止まってくれるかまで待たなければならないのだが、笑えるくらいお行儀良く止まって渡らせてくれた。要するに、通常は横断したそうな者がいても無視していたようだ。いつもこうならいいのだが。
 帰着したのは日付が変わった頃だった。

2003年02月11日(火曜日)

なぜかヒジョーに憂鬱な一日

00時00分 暮らし 天気:雨

 今日は朝のうちまで雨が残り、自転車で出かけるのは取りやめ。今年は梅の開花が遅めだそうだから、案外に今週末くらいの方が良いかもしれない。
 なぜか一日中眠く、かつ気が重い。久しぶりにゲームに没頭したせいか。こうしてみると、朝からサイクリングに出かけた日の、精神状態の良いこと。運動することが精神に強い影響を与えているのだな。精神というものの意外な単純さだ。
 昼過ぎから秋葉(遠野家の秋葉たんではない)に出かけようかと思っていたが、今週末の荒川オフの際に寄ればいいやと方針を変更。昼寝することにした。久しぶりの昼寝は、しかしますます気分を鬱々とさせた。
 夜になって、道路が乾いていたら夜トレに出かけようと考えていた。が、また夕方から雨が降り始めたようだ。結局、今日はアパートにプチ引きこもりの一日だった。

2003年02月10日(月曜日)

月姫、残り全部

00時00分 ゲーム 天気:くもり

 明日は雨の予報。真夜中になっても雨は上がらず、曽我の梅を見に行くという計画は実行できそうにない。そこで、ゲームの残りを片付けた。
 残るは、遠野家のメイド隊二人。まずは翡翠たんから。こちらは順当に進んで行くと、まずトゥルーエンドに直結する。秋葉、琥珀がそれぞれ死ぬ展開に少しドッキリだぜ。少し戻ってプレイ再開すると、途中の選択肢が増え、今度はグッドエンドに進む。いずれにせよ、意外に印象は薄かった。
 ここまでやると、ゲーム最初の方の分岐に、また選択肢が増えている。新しい選択肢を取ると、今度は琥珀たんのお話となる。琥珀のたどった運命、そしてその企みは、全て翡翠コースで明らかになっている。そこでは秋葉は琥珀の企みに乗せられたものとして描かれている。しかし、琥珀シナリオでは、秋葉は琥珀の企みを知りながら、父の犯した犯罪の償いとして、それにわざと乗るという筋道になっている。そうして、秋葉が背負う遠野家の宿業と、琥珀による復讐という二つのメインテーマは、琥珀の過去からの開放という結末につながって行くわけだ。
 しかし、琥珀コースの本当のヒロインは、主人公との道ならぬ恋に身をやつす秋葉でもあるようだ。嫉妬のあまりぶっとんだ秋葉は、このコース最大の見世物かもしれない。
 琥珀コースでは、遠野家の誰もが幸せになれそうな予感を残し、一応の大団円を向かえている。が、物語の完成度として、秋葉コースに比べると深みに掛けるきらいはある。ということで、俺的好みはやはり秋葉たんなのか。こういう嫉妬深いキャラクタ造形は好きではなかったのだが、秋葉の場合は気位の高さゆえの馴れ合いの無さが、それを補っている気がする。
 全体的に、かなり面白かった。他にビジュアルノベルをプレイした経験は無いので、月姫が突出して面白かったかどうかは分からない。しかし、全ての分岐が固定された、紙媒体上のテキストアドベンチャーとは、なるほど異なる見せ方が可能なのだなと思った。
 こうなると、PlusDiscも歌月十夜もやりたいところだけど、どこを探しても品切れのようだ。早く再販してくれ~。

2003年02月09日(日曜日)

トレンクルで散歩

19時00分 自転車 天気:晴れ

 ゲームの合間に、トレンクルでちょっと散歩に出かけた。トレンクルは、そのうちに大改造しちゃうので、まだ全く手を加えてない、素のままだ。しかし、この状態の方が、トレンクルのよさを味わえるんじゃないだろうか。
 先日、ステムの緩みを直したので、ハンドルがぐらつくことは無い。が、走っているとどこかからかピキピキという音がする。ホイールではなく、なんとなくリアスプロケット辺りから出ているような気がする。受け取ったときには、こういう音はしなかったんだが。
 境川まで走り、そこから飯田牧場を目指す。この好天ゆえか、多くのサイクリストと行き会う。その中を、概ね17km/h前後かなという速度で走った。サイクルコンピュータは未装着なので、正確にはわからない。が、かえってリラックスして走れる気もする。
 こんな、汗ばむくらいの天気ゆえ、飯田牧場は大繁盛していた。牛乳小瓶、シュークリーム、ジェラードシングルを楽しんだ。いい天気だ。
 帰路ものんびりと足を回しながら、早いうちに戻った。そういえば、ライトも着けてないから、夜は走れないんだな。これは早いうちに手配しよう。

月姫3人目、秋葉たんの場合

00時00分 ゲーム 天気:晴れ

 月姫の裏ルート一人目は、主人公の妹、純潔お嬢様種の秋葉だ。
 中断を挟みながら、せこせことゲームを進めてゆく。秋葉は、なんというか、ツボ。こういう複雑な愛情表現を示す、しかし根は単純なキャラクターというのはヨイ。ハァハァじゃなくって、もっと根深い、突き刺さるような感情を呼び起こす。いろんな意味で切ないキャラクター作りだ。
 秋葉だけは全キャラクターの中で別格の扱いで、通常はグッドとトゥルー2種類あるエンディングも、秋葉だけはノーマルとトゥルーとなっている。グッドが無いのは、主人公と秋葉が決して切り離せない存在だからだろう。一つの資源を分け合っていることが秋葉の反転の根本的な理由なのだから、どうしたって一方が犠牲になるか、共倒れになるかしかない。最後に主人公が自決するか、それとも秋葉とともに衰弱しつつ生きて行くか、二つに一つしかないのだ。そのせいか、さらに秋葉の願いをかなえてやる(ようするに秋葉を始末する)デッドエンドも存在する。主人公との絡みが根源的で、また他のシナリオでもキーパーソンになるという点で、やはり秋葉は別格の扱いにせざるを得なかったのだろう。
 トゥルーエンドは切ないね。秋葉のその後を想像しちゃいます。まあ、ちゃんと後日談が用意されているようなのだが。

2003年02月08日(土曜日)

NHKスペシャル「ギリシア正教秘められた聖地・アトス」

23時00分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、ギリシア正教の聖地、アトスの話題だった。
 正直、ギリシア正教は、カソリック、プロテスタントはおろか、ロシア正教よりなおなじみが無く、そういえばそういう宗派もあったな、という印象だ。
 アトスは、ギリシア北部にある半島の南端に位置するアトス山を中心としている。古く8世紀頃からビザンティン帝国の聖地として名高い土地だ。10世紀前後には最盛期を迎え、100もの僧房が並び立っていたという。
 現在、アトスには20の僧房があり、そこで2000人ほどの修行僧が祈りの日々を送っている。
 アトスの修行僧たちは、用が無ければ僧房の外に出ることは無い。その生涯を、祈りの中に終える。なんか、非生産的すぎないか。
 この地では、外交権を除く自治が確立されており、自前の政府を持っている。15世紀からこちら、厳格な女人禁制を貫いているアトスでは、猫を除いて家畜の雌さえも存在しない。猫だけは、増やして鼠を取らせるためと言う名目で、特別に許可されているという。鼠は家財にダメージを与えるだけでなく、伝染病を広げもするので、格別恐れられたのだろう。
 アトスではビザンチン帝国以来の古制が、いまだに頑なに守られている。ユリウス暦を使用するのもその一つだ。暦も、生活時間も、アトスの外とは大きく異なっている。
 一日は日没とともに終わる。その前後、修行僧たちは、一日のうち最も大切とされる、長い祈りの儀式を執り行う。キリスト教の儀式には疎いのだが、儀式には聖グレゴリオ讃歌とはまた違う、古い歌謡の形式を持った讃歌が用いられているようだ。
 儀式を終えた修行僧たちは、自室に戻り、そこで個々の祈りと、神との対話の時間を持つ。それは深夜、あるいは明け方まで続けられることがある、深い内観の時間なのだろう。
 明け方、まだ日の無いうちに、再び祈りの儀式が執り行われる。それから、ようやく朝餉となる。食事は日に2回だけ。それも、完全な自給自足体制ゆえに、ごく慎ましやかなものだ。
 昼の間、修行僧たちはそれぞれに労働に精を出す。畑を耕すもの、家屋の修繕を行うもの、など。イコンの模写もその一つだ。イコンは正教系の教会に唯一登場する偶像で、定められた道具と手法で模写が行われる。新たにイコンが起こされるということは無さそうだ。いや、身内の僧が聖列された時など、もしかしたら新しいイコンが加えられるのかもしれない。
 アトスには、ギリシア全土だけでなく、ロシア正教や、さらに遠いキリスト教世界からも、数日の滞在のために人々が訪れている。彼等を受け入れ、善導するのも仕事の一つだ。
 僧房を離れて修行する人々もいる。彼らは厳格な僧房の生活を離れるかわり、全てを自給自足しなければならない。ある青年僧は、師匠である老僧とともに暮らしている。彼は幼い頃にスラムに捨てられ、それ以来どん底の生活を送ってきた。俗世間に未練が無いように見える彼にも、実は両親への郷愁が残っており、いまだに断ちがたいという。「自分も50までは(そういった誘惑に)苦しんだ」と老僧も語る。50を越えると、さすがに枯れて来るということか。
 修行僧たちがアトスに入る動機は、様々なものだ。かつては10代でアトス入りするのが普通だったが、今では20台、30台の、一度社会に出た人がやってくることが多いという。ある修行僧は、人間関係や仕事のことで苦しんだ挙句、とうとうアトスでの修行生活を選んだ。この辺、万国共通の現象なのかなと思う。
 アトスは、ビザンティン帝国の庇護の元、10世紀までは大いに栄えた。だが、ビザンティン帝国がオスマントルコに屈服すると、その圧政下、重税に苦しむことになる。しかも、海賊の侵攻にも悩まされることになる。そのような状況のもと、自衛のための武装も備えられていった。今でも、武装した修行僧によるパトロールが続けられている。
 アトスに匹敵するのは比叡山、あるいは高野山辺りだろうか。信仰を持つ人々への評論は措くとして、信仰というものの継続性が、国家の寿命を凌駕するという現実に、目を瞠る思いがする。などと司馬遼太郎風に締めたりしてな。

横浜周回

00時00分 自転車 天気:晴れ

 自分で定めた三浦半島周回走行の日だが、前日ゲームをやりすぎて早起きできず、昼前の起床とあいなった。さて、これから100km走行は、正直ちょっとつらい。
 そういうわけで、今日はルートを変え、三ツ境経由でR16に向かい、そこから横浜都心部を経由することにした。このルートなら、朝9:00前に出れば、昼頃に三崎につく。
 環状4号線まで出て、そこから北上し、中原街道、厚木街道を経由して、サガミに立ち寄る。ここまでだいたい30分程度か。
 サガミでは三ヶ島のトークリップ(アルミ製)と、ゼファールのストラップを買った。これはトレンクルに着けるつもり。手持ちのサイクリングシューズでも歩くのに不自由は無いので、本当は小型両面ビンディングで十分なのだが、一度も使ったことが無いトークリップの特徴を確認したいと思ったのだ。よく考えると、いくら三ヶ島の取り外し式ペダルだからとはいえ、トークリップを着けるとかさばりそうだ。
 サガミを出て、鶴ヶ峰まで走り、R16に合流した。出かける前に、なんだかサドルが下がっている気がしたので、また少し上げ直した。どうしても下がり癖が抜けないようだ。何度も脱脂したんだが。これはもう、お気楽に扱える金属製の物に替えちゃおうか。あるいは、こういうもんだと諦めて、200kmくらい毎に上げ直すか。
 サドル高が適正になると、脚の回転がずっとスムースになる。これだ、この軽快さが病みつきになるのだ。ただ走ることが快感で、少々の坂道も苦にならない。横浜辺りまでザーっと走っていった。
 横浜で小休止がてら、ハンズなどを覗いて行く。足元がSPD-SLなロード用シューズなので、さすがに歩きにくい。
 今日は早めに帰りたかったので、そのままR1に入って、立場のヨークマートに立ち寄って帰宅した。

2003年02月07日(金曜日)

まだ同人ゲー中

00時00分 ゲーム 天気:晴れ

 月姫も二人目、シエルの攻略とあいなった。表ルートのヒロイン二人はいずれもアクション志向で、物語を構成するフレームも大きなものだ。それだけに、割と気楽に楽しめるようになっている。それにしても、このゲームはHシーンがねちっこいな。
 シエルたんにせよアルクェイドたんにせよ、それぞれに業を背負って生きている。こういう設定が流行りなのだろうか。因業の奥深くからにじみ出る絶望と、生きていることから派生する必然の救い。その大きな間隙を読者に提示することで、物語世界を広く、深く見せる手法は、昨今のモダンホラーにも散見されるものだ。というか、このゲームは、動きと絵のあるモダンホラーを書きたかったんだろうな。

2003年02月06日(木曜日)

今日も遅かった

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 今日も帰宅がかなり遅くなり、あんまり余裕が無い一日を過ごした。風呂に入り、飯を食って寝るだけだ。おっと、ちょっとだけゲームを進めておいた。
 寝る前に外に出ると、オリオン座がもう西の空に低くなっていた。木星は天頂に輝いている。木星はそろそろ見頃かな。

2003年02月05日(水曜日)

天気はやばかったが、夜トレ行きました

23時00分 自転車 天気:曇り

 今日は帰宅が早く、夜トレに行く余裕があった。しかし、なんだか雲が濃い。今にも降りだしそうな雰囲気だ。どうしたものか。
 天気予報を見ると、降雨確率は高くない。もう一度、外に出て、空をよく観察すると、都市光を受けてぼんやり光る雲の海に、ところどころ黒い部分がある。切れ目があるようだ。なら、すぐ降りだすと言う訳でもないだろう。まあ、雨が降り出したら戻ればいいんだし、と、今夜もTCR-2で夜トレに出かけた。
 今夜はなぜか風が辛く、行きも帰りも足が重かった。25km/hくらいでトロトロと走る。風はないようなので、純粋に脚が回らないということなのだろう。なんでだろう。そんな疲れることをした憶えはないが。
 境川沿いにナイトランする時、最大のご馳走は、頭上に広がる星空だ。境川を挟んで、比較的人口が少ない地点が続くので、光害の影響が軽減されるのだ。しかし、今夜、この空ではそれも拝めない。静々と走り、そのまま帰った。

同人ゲーに走ってみる

00時00分 ゲーム 天気:曇り

 日曜にゲマずとかメロンブックスとかに寄ったのは、あるゲームをゲットするためだった。それは、TYPE-MOONの『月姫』という18禁ゲーム。ああ、ここで逃げないで。いや、別に逃げられてもいいか。しかし、このゲームでは、18禁部分はあんまり重要ではない。付け足しみたいなものだ。
 前から評判は聞いていたが、ふとした事で横浜で売っていることが判明し、どうしても欲しくなって買ってきたのだった。なんだか社会見学してきた気分。
 このゲーム、攻略できるギャル様は5人いらっしゃるのだが(一応はギャルゲーなので)、ある順番で解く必要がある。密かに妹属性付(いや姉属性もメイド属性もついてはいるが)の吾輩は、一部の妹属性付を、ボーリングのピンのようにばたばたとなぎ倒してしまったという、主人公の義妹である秋葉から攻略したい。が、どうも最初に表ヒロインのアルクェイドからやらなきゃならないみたいだ。
 あんまり期待しないで始めた吾輩だが、さすが表ヒロインのシナリオと思わせる、ダークで激しい展開に引き込まれた。テキストは洗練されてないし、また誤字脱字が多いのだが、それでもアツいものは感じるぜ。ビジュアルノベルという位置付けなので、文章が長い。紙媒体なら、長ければ長いでさらっと読み飛ばせるのだが、この場合はセンテンスごとにマウスをクリックして読み進めなければならないので、どうしても冗長に感じる。特に、この作品の枢要部である吸血鬼に関する説明と、その描写は、どうしても長くなりがちなのだが、かといって委細隅々まで頭に入れなければならないというものでもない。それを飛ばし読みできないのは、どうにももどかしい。ここはプロンプトまでの表示文字列長を大きく取り、ユーザにじっくり読む機会と、飛ばす機会とを与えるべきだろう。などと、密かにビジュアルノベルの仕様も検討したりしてな。ともあれ、読むスピードも製作者が縛ってしまえるビジュアルノベルでは、こんな細かい気遣いが重要になってくるのではないだろうか。
 とりあえず、最初の敵を片付け、次の敵にまつわる謎に迫って行くところで中断した。なかなか楽しめそうだ。

2003年02月04日(火曜日)

久々にawkでやっつけ仕事

00時00分 コンピュータ 天気:晴れ気味(のち曇り気味)

 今年に入って、日記にリンクした画像データは、全てairnetサイトに置くようにしたのだが、気づいたろうか。bigサイトの容量100MBがほぼ一杯になったので、大きな部分を占める画像データだけでも引っ越す必要が生じたのだ。airnetは、転送量こそ毎月5GBの縛りはあるが(これ以上の状態が続くと高額の転送料を取られる)、ウェブページ容量は必要なだけ、25MB単位で拡張してくれるので、こういうあまり参照されることの無い、しかしサイズの大きいデータを置くには適している。airnetにも日記を置いているので、airnetサイトから参照できるファイルしか置けないという縛りも、この場合は問題無いだろう。ということで、とりあえず今年に入ってからの新規分はairnetに移した。しかし、2002年以前のデータは未着手だ。
 2002年分の画像ファイルを調べると、15MB強ある。これを移せば、bigの方はまだしばらくはなんとか出来そうだ。そこで、2002年分の日記ファイルのリンク部分を、airnetへと書き換えなければならない。
 こういう仕事はsedで一発だ、と思ったのだが、Win32環境でロングネームを考慮したsedは見当たらない。じゃあLinuxならという事になるが、こちらはシェルスクリプトの経験が無いので、DOSの世界でのfor in do相当の処理が分からない(foreachを使うのだろうか)。中途半端な知識しかないと、こういうときに困る。
 幸い、Win32環境でロングネームも扱えるawkはあったので、こいつでなんとかしようと思った。
 ファイルを一つ一つ渡すのはfor in doで大丈夫だから、そのファイルの該当部分を書き換えればいいのだ。楽勝だ、とその時は思った。ところが、それをどうやって実現するか、直感できない自分に愕然とした。awkをすっかり忘れてしまっている。ここ何年も使わなかったからな。どういう関数で文字列を置き換えるかさえも忘れている。いくらなんでも忘れすぎである。
 幸い、昔自分で組んだスクリプトがたくさん残っていたので、それを読み解きながら思い出していった。やりたいことは、渡されたファイルを別ファイルに出力しながら、特定文字列を置き換えることだけだ。しかし、最初は別ファイルへの出力のやり方を思い出せなかったので、なんだか予想以上に長いスクリプトになりそうな予感がした。というか、いまいち分からない。いっそ、javaで組んじまおうか。
 こういう時は実験君です。というわけで、かつて組んだスクリプトを参照しながら、いろいろ試してみる。あ、そういえば、ファイルへの出力って、単にリダイレクトするだけでよかったんだ。渡されたファイル名から新しいファイル名を生成する処理、特定文字列を置き換える処理、それを含めて新ファイルへとリダイレクトする処理だけでいいわけだ。結局、ほんの10行くらいで済んだではないか。いやあ、やっぱりこういうやっつけ仕事には、awkって便利。
 しかしまあ、使わないと、プログラミングの知識ってあっという間に錆び付いてしまうものだなあ。

2003年02月03日(月曜日)

4号機をなんとかしなければ

00時00分 コンピュータ 天気:曇り気味

 4号機が不稼動状態になって半年。そろそろなんとかしなければ。こいつは電源が入らなくなったのだが、恐らくはメインボードが死んでしまったのだろう。いまどきFSB100なSDRAM対応のものなど中古でしかないから、中古ショップでMBだけ探すか、物凄い勢いで下落している最新規格のRAMとMBに取り替えるか、どちらかだ。後者の場合、プロセッサも新しいものにするべきだろう。
 今の懐具合からすると中古MBコースだが、さすがにAthlon1GHzでは、最新ゲームには荷が勝ちすぎる。2年弱手を入れてなかったこともあり、ここらで補強と行きたいところだが。
 とりあえず、今の市況を調べてから決めよう(そうしたら最新鋭プロセッサを買う気になって大出血するというのが従来からのパターンではあるが)。

2003年02月02日(日曜日)

横浜を周回してきた

00時00分 自転車 天気:くもり

 横浜駅近辺に用事があったので、ついでに環2をグルっと回って行こうと考えた。今日はMR-4Fにキャリアを着けて走る。TOPEAKのこのキャリア、専用のバッグを載せることが出来て非常に具合がいい。一応、MR-4Fに着くことは確認していたのだが、実際に走って確かめたことはない。夏場はこれで行くつもりなので、振動試験のつもりで着けてゆくことにした。一応、合羽と予備のバックパックを入れておいた。
 戸塚へと続く長後街道(なんだかんだいいながら、ここが今日一番辛い)を越えて、戸塚からR1へ、平戸陸橋で環状2号線に入った。環状2号線は走りやすい。片側3車線の広い道だが、1車線が路駐で潰れているので、車から見ると実質2車線だ。しかし自転車で抜けられるだけのスペースはあるので、こっちとしてはかえって好都合だ。
 結構アップダウンのある2号線を磯子まで走りきり、今度はR16に乗って本牧を抜けて行く。途中でクレイジーダボに立ち寄った。小径のチェーンリング(特に36Tくらいのインナー)が無いものかと期待していたのだが、それっぽいものはない。PCD130を諦めれば、MTB用にいくらでも見つかるのだが。店を出た途端、空から白いものが落ちてきているのに気づいた。わあ、雪まで降り出したか。しかし、耐えがたいほど寒いというわけでもない。
 一度、山下公園に立ち寄ろうかと、県警本部近辺まで出たのだが、気が変わってそのまま横浜駅西口方面に直行した。
 MR-4Fをハンズの近くで標識に貼り付け、ハンズの1FとB1Fを見て回った。ボトルが刺さる小型のウェストバッグを探しているのだが、気に入ったものは無かった。
 次に同人ショップに寄ってみた。前に秋葉のGAMERSととらのあなに行ったことはあるが、それを凝縮したような世界だ。あの時は同人誌フロアはわざと避けたからなあ。げまズは秋葉の店舗の印象に近いが、その上にあるメロンブックスは、もう行くとこまで行ってます。ほとんどピンク、ピンク、ピンク、それ系の同人誌、同人ソフトが山積みだ。比喩でなく、あまりのピンクぶりにめまいがして、ついフラフラしてしまったほどだ。2ch関係のものや先行者系のゲームがあったりするのが笑える。ここにバリバリのレーシングジャージ+スポーツサングラスで突入した僕は、もう残りの人生で怖いものなんかなんにも無いという気分だ。
 用を済ませ、再びMR-4Fに戻った。ちょっとお腹がすいている。が、グリコのグリコーゲン飲料のお陰か、ハンガーノックの兆候までは出てない。これは効いてます。
 MR-4Fにバッグを載せていると、トレンクルを引いて歩く男性が側を通り過ぎていった。
 ここからR16に出ようと思って、トップカメラ~ハンズの通りを直進し、少し細い道を走っていった。やがて行き当たった幹線を北上すると、浅間下に出た。あれ、違う気がする。裏道に戻ってしばしぐるぐる回ってみたが、どうもR16に近づいている気がしない。悩みつつ走り回るうちに、なんとなく見覚えのある道に、ようやくたどり着いた。ここだ! さらに北上する。ここ......かな? ちょっと揺らぐ確信。が、標識に『国道16号線』、『鶴ヶ峰』という文字を見つけ、ようやく焦眉を開いた。
 途中、適当に飯にしちゃおうと思い始めた。サイクルショー2002の時、この辺の吉野家で待ち合わせたんだったか。そこにしようと思い、しばし走って道路の対岸に発見。横断歩道で自転車を停めた。............な、長い。信号待ち時間が本当に長い。3分経っても、5分経っても、変わる気配はない。雪の降り方が、また少し強まったような気がした。これは、さっさと帰った方が身のためか。と、結論を出し、鶴ヶ峰方面から厚木街道へと入った。
 途中、サガミに立ち寄った。ここでまた、さっきのトレンクルの男性と遭遇。相鉄で輪行してきたようだ。軽々輪行+シャカリキ自走という構図か(意味不明)。
 サガミではカステリ製品のディスカウントが目を引いた。そろそろ冬物の時期も終わるしなあ。さらに3Fでは前から気になっているエミネンザというブランドのカーボンフレームを眺める。少し重そうではあるが、フレーム単体で80000円強だって。なんでこんな安いの? しかし、デザイン、実績から、買うならLOOKだなと思った。
 帰路、ユニクロにちょっと寄ってから帰宅した。これでも60km弱程度のサイクリングだった。あー、腹減った。

2003年02月01日(土曜日)

今年最初のBikeEで、海へ

19時00分 自転車 天気:快晴

 さて、改装待ちのBikeEも、たまには乗ってやらないと。そう思って、今日はBikeE ATで出かけることにした。この自転車、凄くイイのだけど、重くてでかいので2Fから降ろすのが大変なのだ。適当な駐輪場を探そうかな。
 昼過ぎ、BikeEを湘南台へと走らせた。昼食に、@nakさんちで話題に上っていた讃岐うどん屋、はなまるうどんに立ち寄ることにした。店はイトーヨーカドー湘南台店の1F。
 駐輪場に自転車を停め、1Fに入ると、まず目に入ったのが、カウンターにずらっと20人ばかり並ぶ行列......。幸い、比較的良くさばけたので、10分ほどでうどんにありつけた。物珍しさもあって、けっこう並んでいるようだ。
 注文したのは冬季限定メニューらしきゆずねぎうどんの中。かけ+ゆず(+ねぎ)という構成。これにかき揚げを乗せ、サブメニューに梅干しのおにぎり、最後に自由にトッピング出来る天かすと鰹節を載せる。これで700円弱。これはコストパフォーマンス的にどうかなあ。牛鮭だって500円弱で食えるんだが。
 とりあえず適当な席を見つけ、うどんをすすり込む。意外に腰があって、食感は良好。出汁は軽すぎる。薄味というより出汁が効いてない感じだ。しかしこの値段で文句は言うまい。なかなか好印象だった。少し時間を置いて、もう少し空くようになったら、通ってもいいかも。
 BikeEをトロトロと境川まで走らせた。ここからどこに向かおう。出かける前は、なんとなく北に向かうつもりだったが、気が変わった。冬の湘南海岸を見に行こう。BikeEを川下に走らせた。
 風を背負っていることもあって、快調に走る。家を出た直後に、サイクルコンピュータの速度表示が、実態より明らかに速いことに気づいていたが、修正のやり方がすぐには分からないのでそのまま走っていた。おそらく、周長設定が間違っているのだろう。サイクルコンピュータはあてに出来ない。しかし、おかげで速さに追われるようなこともなく、ゆっくり走っていけた。
 境川サイクリングロードの終点に到着し、そこからは藤沢市街を横切り、引地川まで抜け、その右岸を走って下った。こっちは一般道っぽい道だが、幅があるので走りやすい。
 やがて、海沿いの、太平洋岸サイクリングロードに出た。100mほど走ったところで、名物の砂の堆積にぶつかり、それ以上の走行をあきらめた。
 黙って海を見ていた。雲が増え、日がなかなか差さない。鉛色の海面に、これだけは白い波が躍っていた。それもごく低く、穏やかだ。波を待つサーファーたちが、ひどく手持ちぶさたそうだった。雲の切れ目から日の光が、ずっと遠い烏帽子岩に降り注いでいた。ふと、烏帽子岩が地震とか台風とかで倒壊してしまったらどうなるのだろう、そう思った。烏帽子岩はこの湘南海岸のシンボルのようなものだ。事実、サイクリングロードの車止めも、烏帽子岩をモチーフにしている。観光資源としても重要なはずだ。秘かに鉄筋かなんかで補強工事してたりして。いや、実は倒壊する度に、秘かに復活させているのかもしれない。
 鉛色の空の隙間から、鉛色の海面に光が降り注ぎ、しかしすぐに弱って消えてしまう。それはなぜか遠い烏帽子岩近辺ばかりに起こる現象だった。少しは温もりをくれといいたい。
 体が十分に冷えきったので、来た道を戻って帰宅した。帰り道は北風をまともに受けるので意外に難儀して、家に帰る頃にはライトを着けていたくらいだった。

コロンビア墜ちる

07時00分 思考 天気:快晴

 夜2:00頃、何の気なしにテレビを点けた。録画していた番組を見るつもりだった。ところが、目に入った光景に釘付けになった。そこには、青空を背景に、白い航跡を描いた物体が、次々に分裂しながら飛ぶ映像が映し出されていた。一瞬、ミール落下の様子を思い浮かべたが、テロップを見て驚いた。『スペースシャトル分解、墜落か』とあった。まさか、まずそう思った。それから、いや、やはりこの日が来たか、と思い直した。いつかはこういう日がまたやって来るだろうと思っていた。チャレンジャーの爆発以来、宇宙開発で再び死者が出る日が。しかし、まさかそれが再びスペースシャトルで起きるとは思っていなかったが。
 '60年代以降、人間が宇宙に行く機会はますます増えて来ている。サリュート以降、ミール、ISSと稼働し、宇宙に人が常駐する時代が始まっている。それは有人機が危険な領域、すなわち大気圏を通過する機会が増えているということも意味する。地上、0km/hの世界から、衛星軌道、8km/sの世界へと登り、また降りてくるという行程からは、常に危険を抹消できない。人類が到達した最速の領域へと行き来する間には、ほんの数秒のうちに完了しなければ大きな危険を誘発する作業が、おそらくは何十、何百となく必要になるはずだ。打ち上げの度に、そんなシビアな手順をこなして行かなければならない。つまり、余裕がないのだ。チャレンジャーの事故の時は、そんなシーケンスからのわずかな逸脱が、ついに爆発へと到る危険を呼び寄せてしまったのだ。今回のコロンビアでは、なにが原因かまだ分からない。だが、ほんの一瞬の出来事が、あっと言う間に空中分解を誘発した可能性が大きいだろうから、その構図は良く似ていると思う。
 もともと、シャトルの危険率はかなり高いものだった。現行のスペースシャトルは、'70年代の技術で建造され、'80年代の技術で改修され、'90年代の技術で管制されて来たものだ。機体の構造には、最新の科学的知見からすると無駄が多く、かつまた余裕もないものだ。管制コンピュータなどは3重化されているものの、機体構造の一部分が破損すれば、全体的な破壊に到ってしまう可能性が高い。損害を他の部分で支えてやる設計にはなってないのだ。それは今の技術でも達成が難しい課題だ。
 有人飛行の度に必ず人命を危険にさらすリスクは存在し続ける。宇宙開発は、日常的な空路の運営と同じく、そのリスクと利益を秤にかけながら進められている。それはロシアでも、そして間もなく有人飛行を行うと見られる中国でも同様だ。次の事故はロシアか、そのロシアの技術を流用している中国で起きるだろうと見ていたから、アメリカで再び発生したことに少なからず驚いている。
 真の原因は未解明だが(発射時の小さな事故が引き金になったという情報が入っている)、今日の7人の犠牲は、過去の、そして未来の犠牲者の一部にしかならないということだけはいえる。アメリカはこの犠牲者たちを、善かれ悪しかれ乗り越えていけるだろう。しかし、これから数年にわたるであろうシャトルの飛行停止が、これからの宇宙開発にどんな影響を与えるのか(必ずしも悪い影響ばかりではないはずだ)、注視する必要があると思う。