Strange Days

2003年03月31日(月曜日)

年休消化の一日

00時00分 自転車 天気:まあまあ

 今日は年度末の日。年休が微妙に余りそうなので、一日休みを取ることにした。
 昼まで寝て、それからむっくり起き出すと、おもむろに新宿に向かった。前から欲しかったアイテムを探しに、Y系のJOKERに出かけることにしたのだ。
 新宿の人出の多さに辟易しながら、JOKERを訪問した。かなり広いフロアだ。入ってすぐ、バックパックのコーナーが目に入ったので、近づくと、ありました。RIXEN&KAULのFreepack Sport。専用のアダプタでシートポストに装着できる、ツーリングには便利そうなアイテムだ。しかし、そのアダプタは? そこには見当たらない。
 さらに店内をうろついていると、またアイテム発見。ルイガノのライト内蔵アヘッドだ。これをBD-1に着けたかった。ハンドルバーを占領するライトをこいつに置き換えれば、きっとすっきりするはず。だが、そいつは思いの外大きかった。慎ましやかなBD-1の佇まいには合わないかも。
 さらにアイテムを探す。リクセンカウルのアダプタが欲しい。鵜の目鷹の目で探していると、店員が「お客さん、それ(Freepackのこと)専用のアダプタでピラーにつきますよ」と教えてくれた。それが欲しいのだ! 店員の指差す先に、果たしてそれがあった。礼を言い、これもゲット。
 結局、バックパックとアダプタを買って、家に帰った。
 帰宅して、早速MR-4F改に着けてみた。アダプタは、意外にかさばらない。Freepackを着けると、をを、なんというかベストだ。ツーリングにはこれしかないというフォルムになる。
 その走行感を確かめるべく、サガミに走ってみた。Freepackはバックパックとしてはちょっと重い。しかし、背負わなくて良いというのはきわめて楽だった。サガミを冷やかし、境川沿いに南下していった。こうして乗ってみると、MR-4F改って走行感軽いよな。今のTCR-2にも引けを取らない。足は疲れているのに、よく踏めて、よく回せる。うむ、これはどうやら、自転車がどうのというより、我が自転車筋に神が宿ったらしい。一番ありえそうに無い可能性に思えたが、最近の高負荷が超過回復をもたらしたか。ともあれ、以前なら速攻で音を上げそうな足の重さにもかかわらず、ずっと回して湘南台まで走りきった。
 湘南屋でラーメンを喰らい、本屋に立ち寄って本を買う。この間、さらに、帰路ヨークマートに立ち寄り、ここでも買い物をした。バックパックは一杯だ。さすがに自転車を振るときに負荷を感じるが、操縦性に悪影響は感じない。これはいい。本当に、これ以外のツーリング装備なんて思いつかなくなるくらいだ。
 しまなみ海道はこれで走ろうと思う。今年は快適に走れるかな。

2003年03月30日(日曜日)

ビューポイント4月馬鹿オフ&花見

00時00分 自転車 天気:いい感じに花曇

 にち氏から、おの氏らと花見をするという情報を得ていたので、11:00に武蔵小杉に向かった。今日の相棒はトレンクルである。買ったまま放置してあったユニコのブレーキランプ兼用フラッシュライトを取り付け、さらにドイターのボトルケージ内蔵(というか兼用というのが現実)サドルバッグを着けたこいつは、使い勝手が赤丸急上昇中だ。
 横浜駅での乗り換えの際、うっかり相鉄口に出てしまい、東急改札までとぼとぼ歩く羽目になった。その上、武蔵小杉駅に着いたら、改札が二つある。事前情報ではそんなことは書いてなかったが......。一方がJR乗換え口と書いてあったので、てっきりこっちは出られないだろうと思い、逆の方に出た。なんでも、キオスク(というのは駅売店のことだろうと了解していたが)の類がぜんぜん見つからない。これはしまった。逆方向だったか。早速トレンクルを組み立て、駅の反対側へと回りこんだ。さっきの乗り換え口を見る。いや、誰も待ってないようだが。神奈川支部の掲示板を見る。おや、おの氏のメッセージが増えている。それに拠れば、さっきの改札口を出て右だとか。でもいなかったよな。もしかしてJR側? 階段をえっちらおっちら登ってみたが、やはりそれらしい一団はいない。やっぱり東急だろうなあ、と、さっきの乗換え口にまた向かう。そしてさっきよりさらに改札に近づいたとき、気づいた。改札を出てすぐ右に売店があり、そこに見慣れた顔が待っているのを。さっきこの改札をのぞいた時、死角になっていて見えなかったのだ。
 合流して、まずはおの氏の自転車倉庫を拝みに......では無くて、ViewPointを取りに向かった。駅間近のレンタルスペースだ。これは便利そう。今日は花見ということで、おの氏、にち氏、その松女史、こぐ氏、そして僕が参集した。が、どうも裏目的として、このViewPointを使った企みが進行しているようだ。ははあ、あれかな......。
 にち氏はスティールガットのフォークギターを抱えてきていた。背負ってきた荷物をViewPointに載せ、にち氏はギターを抱えてストーカー席に座った。ちなみにこのViewPoint、ストーカー(火夫の方な)が前で、リカンベントポジション、しかも足を止めてもキャプテンのクランクには負荷が掛からないという設計。一方、キャプテンは操縦しなければならないし、ストーカーがクランクを回すと、キャプテンも同期して回さなければならないという素晴らしい設計らしい。ストーカー席は事実上お客様席なのだ。
 多摩川に向かう間に、惣菜屋で昼食を仕入れておいた。それから多摩川に乗り出す。
 多摩川を走るのは、去年のロングライド以来だ。荒川より道幅が狭く、人は少ない。が、延々と走れるのは良い。
 ここで、にち氏は念願の車上コンサートを開始。聴衆は通りすがりの人々だ。まさか、本当にやってしまうとは。拓郎系(僕の知らない世界だ)の歌をかき鳴らし、おの氏と歌いながら走る様は、なんとも笑いの止まらない代物だった。残念なのは、自転車道が野球などをしている人々から遠いので、あまり聴いてもらえなかったことだ。それでも、自転車で行き違う人々、道沿いに歩いていた人々が驚く様には、これまた笑えるものがあった。こりゃあ、もっと群集に近い荒川での本番が楽しみだ。
 リハーサルは、大きな技術的問題もなく、すぐにでも実行できそうな手ごたえを感じさせるものだった。いやあ、楽しみだねえ(って本当に荒川でやるの?)
 トレンクルで多摩川を走るのは楽しかった。昨日の三浦周回の疲労は残っていたが、それほど堪える行程ではない。やがて二子玉川近辺で市街地に向かい、丘の上の墓地で花見となった。桜は三分咲き程度。まだ本番ではない。しかし、花見客がその分少なかったので、結果的にはこれで良かった。
 花見の後は、こぐ氏はここで分かれ、残った一行で来た道を走って戻り、また武蔵小杉駅に。ここでおの氏が、今日のネタ(デジカメ画像)をCD-ROMに焼いてにち氏に渡すということになり、駅前のコーヒースタンドでまったり過ごす。やがておの氏がやってきて、CD-ROMの受け渡しを恙無く見届けたので、僕は帰宅することにした。トレンクルの輪行は楽だが、長距離を持って歩くことを考えないとなあ。

2003年03月29日(土曜日)

自分を鍛えるLSDシリーズ(合成風力の呪い編)

00時00分 自転車 天気:くもり

 7:00起床。眠い目を擦りながら出発準備をする。今日は自分を鍛えるLSDシリーズとして、いつもの如く三浦半島を回ってくるつもりだ。
 飯を食ったり、曇りがちの空模様と天気予報とを睨めっこしたりしていた関係で、出立は8:30だった。
 TCR-2は今日も絶好調で、南風に阻まれながらも気分良く走ってゆける。これからは南風が強くなってくるので、境川南下ルートはきついかも。
 江ノ島、鎌倉、葉山と走ってゆく。ずっと南風で向かい風だが、周回ルートなので後半戦は追い風になるはずだ。それを楽しみに走る。
 それにしても、この走行感の激変は、タイヤを替えたのが大きいのだろうか。グリップにも不満はない。前に履いてたユッチンソン廉価物はGOODだと思っていたが、あれはロードバイク用タイヤの文字通りのBASICだったのかもしれない。そんな高くは無いStradius Eliteでさえこれだけ違うとは。5000円/本クラスの高級タイヤではどうなることやら。
 全工程を通して一番きつい三崎口駅直前の登りをよじ登り、さらに三崎高校へと続くだらだら坂も越える。このダブルパンチは、案外にきつい。
 三崎高校から三浦海岸へと下りきる直前辺りの7-11(春の選抜野球の途中経過ではない)で最初の休止。ちょっと糖分を摂取する。これから先は追い風になるか。
 あまり時間を置かないで走り出す。今日はローディより、なぜかランドナーな人々を目撃する方が多い。別に集団で走っているわけではなく、ポツ、ポツとすれ違う。年齢はバラバラ。もしかして、世間はランドナーブームなのか。
 三浦海岸をひた走る。むぅ、まだ向かい風気味。これは合成風力の呪いなのかと思ったりしたが、店屋の幟を見ると、やはりしっかり向かい風だ。この辺は東西方向に走っているから、まだ向かい風の恩恵には与れないのだろう。
 浦賀に向けて走り、浦賀駅周辺では、今回はちゃんと観音崎方面に向かった。観音崎公園の駐車場でトイレ休憩。日差しは無いが、暖かでいい一日。行楽客と良くすれ違う。
 観音崎を回り込む。この辺、案外に桜の木が多い。というか、道中の意外な場所で、桜の木を発見する一日だ。基本的に地味な木だからなあ。それが年に一度だけ、この時期にだけ華やいでみせる。というのがいいんだろうな、どうやら。いや、僕も桜は好きですけど。
 観音崎では難敵であるブラインド坂に遭遇。見通しの聞かないカーブを回ると、かなりきつい登りが待っている萎え萎えポイント(人によっては燃え燃えポイント)だ。
 観音崎を抜けると、いよいよ馬堀海岸。ここでようやく追い風に遭遇。をを、なんて楽なんだ! クランクをぐんぐん回しながら、あっという間に横須賀市街に到達。しかし、この先は地形が入り組んでいるためか、追い風は得られなくなる。合成風力の呪いにまたしても陥る。ええい、気象の神めが。
 横須賀~磯子ぐらいまでのR16では微妙なアップダウンがあるが、そろそろ疲れ始めてる足には少し効きはじめる。風は向かい風になったり横風になったり......全然追い風にならんではないか。金沢八景~磯子と抜ける間、注意深く沿道の木々や旗の類を観察していたが、どう見ても向かい風だぜ、こりゃ。なんでやねん。ずっと南風と違うんかい。恐らく、袋状に閉ざされた東京湾の特質が、この奇怪な現象を生んでいるのだろう。
 疲労を感じつつ、不動坂前のトンカツ屋に到達。ここで昼食とする。この店、14:00にオーダーストップだげな。
 十分に疲労を回復させて、また走り出した。本牧、石川町と抜け、クレイジー・ダボに立ち寄った。一番欲しいのはRIXEN&KAULのFreepack Sportだが、Matchpackしかなかった。やっぱ、新宿JOKER辺りまで出かけないと無いかも。
 R16をひた走り、横浜駅周辺に立ち寄る。ハンズをうろついて、自転車売り場と1Fバック売り場を偵察。
 さらに鶴ヶ峰経由で厚木街道に抜け、最後にとサガミ・サイクルセンター店に向かった。三ツ境まで後わずか、サガミ1号店(ママチャリ屋)が見えるというところで、対向車線をMTBがスイーッと走ってゆく。と、そのライダーがこっちを見て、オオッと反応した。なんとhai氏だった。hai氏とサガミ近辺で遭遇するのは2度目だ。ちょっと立ち話をして、分かれた。
 サイクルセンター店で四月にやるサガミのバーゲンの日付を確認する。サイスポ掲載広告のそれは間違いで、4/12,13が正解。うん、行こう。
 この前後、細かい雨粒がパラパラと降るようになってきた。境川までは出ないで、環状4号経由で帰宅した。走行距離は135km前後。

2003年03月28日(金曜日)

花見間近

00時00分 暮らし 天気:いい感じにくもり(これが休日ならば)

 暖かい曇りの一日。日が差さないので、本当は自転車で遊びに行くにはいい日なのだろうが。
 会社の行き帰り、あちこちにある桜の木を観察してきたが、そろそろ咲き始めているものもある。後数日で見頃かな。今年こそは花見に行きたいものだ(去年は驚くほど早く咲いて、しかも寒波が来たからな)。

2003年03月27日(木曜日)

馬鹿グッズ再び

00時00分 モノ 天気:曇り時々雨

 春めいてきたからか、なんとなく馬鹿なグッズを買いたくなってきた(なぜだ)。
 一つはインラインスケートメーカーのK2 GENEKというスピーカー内蔵バックパック。前にボブルビーにスピーカーをつけたもの(というか筐体を振動版代わりにしたもの)があったが、こっちは平面スピーカーを内蔵したタイプだ。前にチェックは入れておいたのだが、スピーカーの性能がダメダメだという評価を見て、買う気になれなかったのだ。しかし、いつの間にか新しい型が出ている。こっちはデジタルアンプ化されて、しかも出力が倍の4Wになっている。なかなか使えそうではないか。しかし、こいつは40l級のトレッキング、スケーティング用と、その下は20lのカジュアルモデルという構成になっている。その間は無いものか。
 もう一つは、DOCOMOから出たWristomo。遂に出た腕時計型PHSだ。携帯電話にせよPHSにせよ、PDAをもう一つ持ち歩くようなもので、持って出るのを忘れたり、使うときにいちいち引っ張り出したりと、少しだけわずらわしい。そこで、忘れ物し難いように、腕に巻いて置けというわけなのだろう。DOCOMOならPHSからiModeもどきアクセスも出来るから、よさげではある。
 しかし、取り付ける位置が腕になったとしても、結局は腕時計を忘れるように忘れ物にしてしまうだろうし、使うときにいちいち外さなければならないのはうっとうしい。結局は、そんな大きな進化ではないようだ。これで心拍計やGPSを兼用してくれたらいいのだが。腕は左右に一本ずつしかないのだから、そういう汎用的なデバイスが登場することが望まれる。いや、僕が望んでいるだけだが。

2003年03月26日(水曜日)

久々に夜トレ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 今日は大きなイヴェントの重圧から開放され、また仕事も中休み中(別名:嵐の前の静けさ)なので、気分良く定時で帰宅できた。最近、お好みハウス定例をやってないのだが、今は懐が寂しいので、おとなしく帰宅する。
 久しぶりのナイトランに出かけたのは19:30頃。SPD-SLの装着音もカコ~ンと間抜けに軽やかに、いつものトレーニングコースに乗った。
 境川まで走る裏道ルートですら、前とは走行感がまるで異なっているのが分かった。なんと軽やかなのだろう。以前は常にインナーで走っていたわけだが、今日はなぜかアウターでも全然辛くない。相鉄いずみ野線の高架を潜る坂ですら、アウターのまま登って行ける。そう感じるというだけではなく、明らかにペダルが軽い。
 境川沿いに出てからも、12Wライトが電池切れで予備2.4Wライトに切り替えたため速度は抑えられたものの、30km/hでも軽いという状態で走りつづけられた。俣野の上りも17km/hをキープ。ここだけはインナーに落とさざるを得なかったが、体感的にはアウターでも問題無さそうだった。湘南台までは40km/h弱で突っ走る。行きも帰りもこの調子なら、風向きは関係ないだろう。
 湘南台公園で一休み。久しぶりに汗が噴出すくらい出てくる。今日は上がパールイズミのフルジップ型長袖ジャージ、下はリフレクティングタイツ、足回りの防寒は無しという姿だったが、まったく寒くは無かった。久しぶりに気持ちいい汗かいたな。
 それにしても、今夜はどうしてこんなに調子がいいんだろう。駆動系に溜まっていた汚れがそれほど大きな抵抗になっていたのか、タイヤの性能の違いか(確かに1BARは高圧に出来ている)、それとも僕の自転車筋に神が宿ったのか。いずれにせよ、他人がこんな気持ち良い走りばかり味わっていたというのなら、なんだか悔しいなあ。残りの自転車も整備しなくちゃだわ。
 しかし、そろそろ20kmでは物足りなくなってきたので、40kmくらいに延ばす時期なのかも。早朝ランなら、長後街道で戸塚、R1で原宿、そこから俣野に向かって以降はいつものコースと走れば、30km~40kmにはなりそう。あるいは、緑園都市方面に走り、いずみ野線沿いに境川まで、そこからいつものコースを走るというコースも考えられる。
 これから夏にかけて、少しずつ鍛えていこうな(自分に言い聞かせる俺様だった)。

2003年03月25日(火曜日)

暖かい雨

00時00分 暮らし 天気:雨

 一雨ごと、一吹きごとに春らしくなってゆく。昨晩は久しぶりに暖房不要な暖かさだったが、今日もかなり気温が高い一日だった。コートを着ないで、会社に向かった。
 それにしても、土曜日のエンデューロ終了後の処置がまずかったのか、未だに体のあちこちに疲労が残っている。そのくせ、今までのように一気に疲れが出てくるわけではない。なんというか、どっちつかずだ。ある意味、中途半端に鍛えられたのか。
 これから夏にかけて、どんどんLSDして、フィットネスレベルを上げてゆかねば。

2003年03月24日(月曜日)

また日常に

00時00分 暮らし 天気:雨っぽい

 非日常の空間、TOKYOエンデューロが終わり、また日常の時を刻み始めた。
 今日は一昨日の疲労感がまだ残っており、しかし辛いというほどでもない中途半端な状態だ。中途半端に回復力がついてきたようだ。
 しかし、耐久走の結果からすると、僕はフィットネスレベルでの運動能力も、耐乳酸性も低いと思い知った。当面、またLSDを重ねて、有酸素運動能力を高めて行くしかないのだろう。LSDは基本的に好きなので、いいんだけど。

2003年03月23日(日曜日)

TCR-2の整備と疲労回復ポタ

00時00分 自転車 天気:くもり

 昨日の疲労が全身に残る朝である。が、ばったり寝込んだおかげで、目覚めは遅くなかった。
 そろそろ本格的ツーリングシーズンなので、TCR-2の整備をしよう。3000km走ったので、いい加減汚れがたまっているだろう。
 TCR-2をアパートの通路に引き出し、メンテスタンドに載せた。チェーンが凄く汚れている。まずは、これをなんとかしないと。
 フィニッシュラインのパーツウォッシャーを取り出した。ポリタンクの一部がへこんで洗浄槽のようになっているもので、中にクリーナー溶剤を溜めて置ける。
 クリーナーを入れ、噴霧器を取り付け、チェーンカッターで外したチェーンを洗浄槽に入れた。そしてクリーナーを吹きつけながら、チェーンを磨き上げて行く。コマの継ぎ目にびっしりこびりついた汚れを落とし、内側にもブラシを当てると、買った当時の輝きが戻ってきた。ディグリーザーをじゃんじゃん使いながら洗浄する方が手っ取り早いが、こうして丁寧に洗浄するとピカピカになってくれる。これはこれで気持ちいい。
 さらに前後のホイールをワックスで磨き、タイヤも交換した。今まではユッチンソンのREFLEX BASICという安いグレードのものだったが、これは走行感も耐久性も非常に良かった。まさか3000kmも耐えるとは。さすがに側面に亀裂が入り始めたので、交換することにしたのだ。今度はパナレーサーのSTRADIUS ELITE。これも高いものではないが、耐久性が良いという売りなので選択した。本当は、サイドに赤いラインが入っているのが気に入っただけなのだが。次はミシェランかな。
 ここで、中のチューブを替えたいなと思った。手持ちのチューブは一本だけだ。じゃあ買いに出かけよう。
 トレンクルを引っ張り出して、サガミに向かった。No.3店でトレンクルに着けるためのサイクリングコンピュータ、もうすぐ無くなりそうなワックスなどを購入。サイクルセンター店でチューブを見繕った。が、どうもヴィットリアのモノしかないようだ。これ、あまりいい評判を聞かないのだが。それでも、選択の余地は無いので、購入しておいた。
 境川沿いに出て、ふと気が向いて飯田牧場に立ち寄る。久しぶりのソフトクリームを食す。今日は人手が多かったのか、交通整理の人が立っていた。
 帰宅して、TCR-2整備の続き。タイヤを交換する。まず前から。ユッチンソンを外し、パナをはめる。外すのはレバーが必要だったが、入れるのは手だけで出来た。うん、なんかコツが分かってきた。手首の返しと、タイヤのねじれが決め手だ。今ならSTELVIOへのリベンジも可能かもしれない。STELVIO......ふと、あの嫌な記憶が蘇った。
 さて、新しいタイヤはなんと150PSI(10BAR以上)入るらしい。とりあえず9BAR入れてみよう。シュコシュコ......さすがにこの気圧になると、安いフロアポンプでは辛いくらいだ。体重をかけながら入れないと無理だ。気圧計でチェックしながら9BARまで入れてみた。
 さて、次はリア側だ。こちらもタイヤを外そうと、入れ替え終わったフロント側を壁に立てかけようと思った瞬間だった。
『!!!』
 何かが起こった。なにかが。一瞬難聴になり、耳鳴りがキーンとする。何かが弾けたのだ、何かが......そうだ、なんと替えたばかりのチューブがバーストしたのだ。
 手に取っていたフロント側ホイールを見ると、きっちりはまっていたタイヤのビード部が外れてしまっている。チューブがバーストした勢いで、ビードが落ちたようだ。なんて威力だ。
 チューブを引き出してみると、チューブは蟻の門渡り......いやチューブ接合部から裂けていた。高気圧に耐えられなかったのか。なんて軟弱な代物だ。
 それにしても、第二次湾岸戦争勃発というこの時期にこれか。STELVIOの時は米大統領訪日の厳戒態勢下での事件だった。わざわざこんな時期にバーストしやがって......。まったく、過激派だと誤解されて憲兵隊に踏み込まれたらどうしてくれるのだ。
 まあ、ともあれ、ゲンが悪いので残ったヴィットリアのチューブは使わないことにした。前に使っていたKENDAのを再利用しよう。新しいチューブを買っておかないと。
 再度、KENDAのチューブを入れ、また空気を入れなおしておいた。こちらはしばらく経ってもバーストする様子は無い。後ろも替えておいた。
 さらにギア類もピカピカに磨き、クランクも外して磨いた。そしてBBも外し、こびりついた汚れを落とし、入れなおしておいた。全部組み付け直し、チェーンもルブを塗ってから巻きなおすと、輝きもまぶしいくらいピカピカになったぜ。早速、試走に出かける。実はクランクがぜんぜんはまってなくて困ったりもしたが、締めなおしてから運動公園を一周すると、心なしか前よりクランクが軽い。うーん、これはトレーニングコースを走って見なければ分からないかも。しかし、前より少しブレーキが効きにくくなった気がした。なんというか、同じパナのTECHNOVA2を入れたMR-4F改のような感じなのだ。少しスリップしやすいのだろうか? でも、これもリム側面をソフトストーンで磨いた名残かもしれない。

2003年03月22日(土曜日)

TOKYOエンデューロ出走 -> 死にました

00時00分 自転車 天気:くもり

 というわけで、TOKYOエンデューロ当日である。
 朝早くに起き、食事を取り、昨夜まとめておいた荷物と輪行袋(EPIC号入り)を担いで地下鉄に乗った。どうも体調が悪い。
 東海道線、南武線と乗り継ぎ、立川で降りた。EPIC号を復元し、昭和記念公園と向かう。西立川口到着は9:30。仮入門証で入園して、会場に入った。
 自転車に計測用チップを着け、不要な荷物を預けた。それから会場内をうろついていると、
かぜはるか
氏を発見。その近くには、やまみちアドベンチャーで知り合った方や、トレンクルで参加されるいいづか氏をはじめとするBD-ML関係の参加者も(なぜか、偶然)集まっていた。
 軽く食事しながら待っていると、まずはキッズレースがスタート。スプリントではあるが、結構速いぞ。
 やがて出走時間が近づいたので、スタート地点に自転車を並べた。参加者は何百人だったんだろうか、ずっと前方にも、背後にも無数の自転車が並んでいる。今日は暑くなるかと思って水を背負ってきたのだが、かえって寒いくらいだ。ドリンキング・システムを背負っている人は少ない。
 11:00。おなじみ御子柴氏による号砲一発、この大集団が一斉にスタートする。
 レース前、大体30km/h弱で走れば楽勝だろうと踏んでいたのだが、スタート直後の集団は速い。30km/h以上、少し下る直線では40km/hで走っている。それについてゆく。
 最初の1周、水分の吸収と体温の調整がうまく行かず、かなり苦しみながら走った。どうも足が回らない。それでも、全体の流れについてゆけるよう、がんばって走りつづけた。が、このがんばりが逆効果だったようだ。
 最初の30分が過ぎる頃から、このペースでは4時間走れないと思うようになった。足の動きがどんどん悪くなる。似たような速さの小集団を見つけて、なんとかついて走っていったが、それも1時間目くらいまでだ。この辺で最悪の状況になる。25km/hどころか、20km/hが精一杯という状況だ。これは、戦略を誤ったか。余計なものを背負わないで、適当な集団について走っていればよかった。
 後はダメすぎる体に鞭打ち、残り時間を走る続けるだけ。抜くより、抜かれることの方が圧倒的に多い。うゎ、なんだかものすごくダメな状態。
 目標を切り替え、4時間100km(20周)以上という目標を取り下げ、とりあえず完走、無着地走行を目指す。
 このコースは、上りに見えるのになぜか楽々走れるコーナー、二つのアップダウンで体力を消耗する陸橋越え、延々と長くつらいストレートなどがあり、それぞれ楽しめる、はずだ。しかし、体力的にはもう楽しめそうに無かった。乳酸が溜まりきって、膝が曲がってくれない状況だ。こんな感じになったのは初めてで、普段の自分がいかに追い込んで走ってないかが知れたというものだ。
 結局、このダメな状態のまま4時間を走りきった。後で思うに、1時間ごとに休憩を入れるくらいの方が、よほど良かっただろうな。
 気分的に惨敗。その後のフィナーレでのじゃんけん大会にも敗れ、6000円払ってこれかという負け負け気分に浸る。
 帰路は、立川駅までかぜ氏と走ったが、空腹で不安だったので、近くのケンタッキーで食事して、それから輪行して帰ることにした。南武線は立川始発なので、幸いにして座って帰られる。まるで体が溶け崩れるような疲労感にふらつきながら、なんとか家に帰り着いた。最後の止めに、立場駅に降りたら雨が降っていたがな。
 次回、2時間を走るとして、12周以上を目指したいところだ。

2003年03月21日(金曜日)

TOKYOエンデューロに備えて(というわけでもないが)買物に

00時00分 自転車 天気:晴れ気味

 いよいよTOKYOエンデューロが明日に迫っている。いろいろ準備しなければ。
 このレースには4時間耐久で参加する。この場合、水の補給が問題になりそう。ボトル2本で十分とも思うが、背負って走るかとも考えたりして。
 とりあえず、夏に向けてのロングツーリングでは、水を背負える用意も必要だろう。と、キャメルバックの類を見てくることにした。
 昼過ぎにEPIC号でサガミに向かった。ここではドイターのRaceX Airを発見。14lくらいの容量があり、QUACERと同じく背負い面に蒸れにくい加工をしてある。QUACERでは大げさなツーリング時に役立ちそうだ。値段も6000円弱。それほどではないのだが。
 しかし、キャメルバックを見てからでも遅くはあるまいと、今度はグランベリーモールのモンベルショップに向かった。ここでキャメルバックの売れ筋、MULEを見る。値段そこそこ、しかし2lの内蔵水筒が結構高価だ。それと、背負い面が蒸れやすそうなので、これはちょっと敬遠したくなった。新型MULEは、QUACER風の加工をしてあるようだが。
 こうなると、RaceX Air+キャメルバック水筒がベストなのだろうか。などと考えつつうろついていたら、プアティパスの水筒に目が行った。0.5l、1l用は持っている。とりあえずこれで済ませるか。安上がりだし。2.5l用を購入した。さらに、疲労物質軽減に役立つというクエン酸顆粒があったので、これも購入。
 帰宅して、EPIC号の輪行袋へのパッキング、グリコーゲン顆粒+クエン酸顆粒混合物質(思ったよりまともな飲み物とあいなった)製造を済ませ、さっさと布団に入った。が、なかなか寝付けず、睡眠時間は短めに。

2003年03月20日(木曜日)

休養します

00時00分 暮らし 天気:まあまあ

 帰宅は比較的早く、19:00前にはアパートに帰り着いていた。さあ、ここでナイトランだ。とは思わず、なぜか非常に疲れていたので、そのまま布団に潜り込んでしまった。
 なんだか体調下降中で、明後日のTOKYOエンデューロではどうなるのか不安だ。

2003年03月19日(水曜日)

今日も遅かったので

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 今日も23:00頃に帰宅。帰って雑用を済ませると、もう1:00過ぎである。なにもする暇がない。
 しかし、だんだん暖かくなってきたな。月末辺り、花見に出かけようかと思う。

2003年03月18日(火曜日)

NORTON AntiVirus購読期限延長

00時00分 コンピュータ 天気:くもりのち雨

 今日は意外に寒い一日で、夜には雨となった。傘を持ってなかった人が結構いたらしく、22:00過ぎの帰り道に濡れながら歩く人の姿を多く見かけた。
 帰宅して、飯を食いながら、4号機に入れてあるNAV2002の情報ファイル購読期限の延長手続きを取った。期限切れになったのは去年の末だが、最近まで不稼動状態が続いていたので放置してあった。他の機械にはNAV2003Proを購入して、インストールしてあったのだが、この機械ではメール処理はしないし、IE使ってないし、ウィルス類への感染確率はかなり低いと思っていた。しかし念のため、NAV2002のまま、購読期限の延長手続きだけ取ることにしたのだ。
 手続きそのものは10分もあれば完了して、取得したキーで即座に購読期限延長が完了した。これで一安心。
 問題は、メール処理しているOS/2機と、ファイルサーバになっているLinux機のウィルス対策だ。前者は、これほどマイナーな環境に対する攻撃はほぼありえないので、主要なドライブを共有してWindows機側からファイルチェックだけすればよいだろう。しかし、Linuxは普及が進んでおり、油断ならない。一応、物色してはいるのだが、まだこれぞ定番という物は無いようだ。こちらは早急に手を打たないとな。

2003年03月17日(月曜日)

TOKYOエンデューロ資料届く

00時00分 暮らし 天気:雨のちくもり

 今日は朝から雨の寒い一日だった。雨は夕方には止んだが、気温は下がったまま。
 遅くに帰宅すると、TOKYOエンデューロの資料が届いていた。ざっと目を通す。9:30くらいに到着するのがいいようだ。なら、7:30にアパートを出れば十分だ。
 しかし、いきなり4時間耐久は辛いかもと思い始めている今日この頃。

2003年03月16日(日曜日)

3月の荒川オフ

00時00分 自転車 天気:くもり気味で、終いにゃ雨

 昨日のサイクリングが不発に終わったので、今日は当初出るつもりではなかった荒川オフに参加することにした。得物はMR-4F改である。
 浮間舟渡のホームに降り立ち、MR-4Fをガチャガチャ言わせながら歩いていると、後ろからやっぱりガチャガチャという音が......。BD-MLの岡山氏だった。なんか、オフの現場に着いた途端、誰かとばったり、というパターンが多いなあ。
 今日は比較的気温が高そうで、空模様も夕方まではもちそうという事前情報から、参加者が順調に増えたようだ。参加宣言は40人弱だが、いきなり参加というパターンが多く、40人超はいた模様。
 パッと見、リカンベントが非常に多い。初参加のフロントドライブ車を始め、似たようなタイプの自作リカンベント、TSUNAMI(3台も)、BikeEも多数参加していた。TSUNAMIは、意外に安っぽさも無く、いい感じに仕上がっている。
 適当なところで走行開始。今日はゆっくり走る人が多いのか、それともMR-4Fが走らせるのか、かなり先頭集団に近い辺りを走りつづけた。風は南風が強く、向かい風だ。全体的にスピードが乗らない。
 公園を出る辺りで金田氏が合流し、虹の橋で離脱していった。その前後、やはりMR-4のたかしょう氏も含め、3台のMR-4が揃った。たかしょう氏の車体は、最近のモデルに着いているエアサスと交換されていた。
 向かい風が強いからか、全体的にペースが上がり難い。最後の休憩以降、なぜかたかしょう氏とランデブーして先頭を黙々と引き続けるという展開になった。
 やがて葛西橋を渡りきり、コンビニで昼飯を買い出す。ハンガーノック5分前だったので、焼きうどんとたこ焼きを買う。
 臨海公園へは一番乗りだった。空腹には勝てず、昼食をガツガツと平らげてしまう。食べ終わった後にも、まだ参加者が走ってくるほどの早食いだった。
 昼食後は大試乗大会となった。暖かいせいか、新顔の自転車が多かったせいか。
 僕も片岡氏とすすむ氏のCrusoeに乗ってみた。Vブレーキゆえか、ジャックナイフしそうなくらい制動力が強く、結構怖いぞ。しかし、フレームの安定感と軽さは印象的だった。トライバーにして乗ってみたい。
 14:00頃に解散。僕は東京駅方面組について走り、東京駅に向かった。Mobillyに較べると、やはり断然楽に追随できる。
 東京駅から輪行で戸塚に降り立つと、なんと雨が降っている。立場まで戻り、そこから雨中走行して、アパートに帰り着いた。疲労しきっていたので、布団に潜り込んで思わず爆睡してしまった。

2003年03月15日(土曜日)

天気に翻弄される日

00時00分 自転車 天気:日より見な天気(はっきりして欲しい)

 次の土曜日には、昭和記念公園でTOKYOエンデューロが開催される。それに備えて、今日はEPIC号で三浦半島周回をやってこようと考えていた。
 昨日の就眠は遅かったが、なんとか5:00起床に成功。身支度をしながら、空を眺めていた。どうも鉛色の濃い雲が気にかかる。降水確率は、午前中40%と、無視できるほど低くはない。
 さて、7:00頃、出かけようかとドアの外に出た。空を見る。うっ、さっきよりさらに鉛色が濃くなっている。今にも降り出しそうだ。暖かい季節ならともかく、まだ冬の色が濃い早春に、雨に降られるのはきつい。
 ちょっと様子見することにして、9:00出発にずらす。その頃には、空模様がどっちに傾くかが分かるだろう。部屋に戻り、PCの前でしばし過ごした。
 9:00。またドアの外に出てみる。......さっきより悪化してるやんけ。細かい雨がぱらつき始めている。こりゃ参ったナリよ。とうとう三浦半島周回は諦め、12:00まで様子を見ることにした。暖かい部屋の中に戻ると、眠気が襲ってきた。仮眠するつもりで、身支度したサイクリング装備を脱いで、布団に逆戻りした。
 ふと目がさめた。窓から漏れる光を見る限り、まだ曇っているようだ。しかし、時計に目をやってびっくり。なんと15:00過ぎではないか。そういえば、夢現に、目覚し時計代わりの携帯電話を取り上げた記憶がある。止めて、爆睡した模様。
 この時刻からは遠出できない。しかし、EPIC号に着けたエンドバーの調子を見たい。既に日が暮れきるのは18:00を過ぎてからだから、今から出ても十分活動時間は確保できるはずだ。身支度して、サガミに向かった。
 サガミまでは直通ルート(東回り)で走った。あ、昼飯食って無いや。そのせいか、ちょっと足が回りにくい。グリコのグリコーゲンドリンクでごまかした。
 サガミNo.3にEPIC号を停め、店内をざっと見回った。スペシャのBGグリップ(ショート)が欲しかったんだけど、どうやら品切れみたい。
 鍵をしてなかったことを思い出し(危)、慌ててEPIC号に戻って、ゴジラロックで磔の刑に処した。するとそれを興味深そうに見ていた男性から、「ブレインショックって、やっぱりいいですか」と話し掛けられた。俄かスペシャ販促員にクラスチェンジして、ブレインショックの良さをベラベラとしゃべりまくる。
 サイクルセンター店で去年モデルのアパレルを安売りしていたので、パールイズミの半袖フルジップジャージを買っておいた。
 腹が減っていたので、帰りに湘南台に立ちより、湘南家でラーメンにした。そして、既に真っ暗になった空を眺めながら、アパートに帰った。

2003年03月14日(金曜日)

今日も遅かった

00時00分 暮らし 天気:くもりだなあ

 今日は早めに帰宅する予定だったが、雑用に追われて帰宅はやっぱり23:00過ぎ。いい加減、体が慣れてきたのか、この時刻になっても眠くない。しかし慣れすぎたのだろうか、その後ですぐに布団に入っても、なかなか寝付けなかった。寝る前に食事するのがダメなのかもな。
 はぁ、とため息をつき、眠くなるまでぼんやりしていたこの夜であった。

2003年03月13日(木曜日)

今年のしまなみ

00時00分 自転車 天気:晴れですか

 今年はみんなでしまなみに行こう、と、神奈川支部で話し合ってきた。が、どうも日程を定めることが出来ず、後半に持っていきたくない僕は、だんだん意欲の低下を感じるようになった。みんな、いまいち反応が悪い。やはり、そんな何カ月も後の、しかも遥か遠くの場所での話を、今すぐにスケジュールに組み込むのは難しいのか。それと、今年のGWは中途半端な日程で、しかも長い休みの前後には仕事が集中しやすいので、日程を立てにくいという事情もあった。俺的にはこれ以上話を先延ばしにしても無駄だし、関係者のGW日程を立てにくくもするだろうと判断し、独断でしまなみ行の中止を宣言した。戦略を転換し、オフシーズンに日を決めるか、秋の3連休を利用するかにしようと思う。強行するにしても、1泊2日でとんぼ返りするメンバーが出そうで、どうにも楽しめそうに無いのだ。
 その代わり、例年どおり一人で走ることにした。いつものように一日で走りきるコースだ。とはいえ、日程が合うのなら参加歓迎と、掲示板には書いておいた。
 今回のしまなみ行は、いずれ実行するしまなみツアーの下見の意味をもたせるので、2日目は今治~奥道後の山越えコースを取るつもりだ。他にも観光コースを走ってもみたい。
 しまなみツアーをどうせやるなら、できるだけたくさん参加して欲しいから、じっくり話し合おうと思う。

TOKYOエンデューロ

00時00分 自転車 天気:晴れですか

 TOKYOエンデューロに出走する車体を、EPIC号と決定。計算上、これでもギアが軽すぎということは無さそうなので、今回はこれで様子を見よう。フルサスバイクは耐久走で有利に働くか否か、試してみたい。
 それに備えて、EPIC号にエンドバーを取り付けた。ロングライドの場合、マルチポジションであることは必須だと思う。取り付けたのは適当に買っておいた超ショートサイズのものだが、非常に戦闘的なルックスになって良い。MTBはこうでなくては。

2003年03月12日(水曜日)

P4稼動したやんけ

00時00分 コンピュータ 天気:晴れですか

 昨日、時間があったので、稼動が確認されたP4メインボードを組み付けた。確かにMB付属のセットアップ手順書には、P4特有のプロセッサ専用電源ソケットのことなんかどこにも触れられてない。しかし、ボードを良く眺めると、プロセッサとポート群の間に、怪しい見慣れぬソケットがある。一方、P4対応という触れ込みで買ったATX電源からは、それにぴったりなソケット付きのケーブルが出ている。かつてのPC祈祷師の霊感をビビッと働かせて、これに間違い無しと認定(電源がらみで誤接続は恐ろしいが、止むを得ない)。さっそく接続し、起動してみる。
 ......を、をを、BIOS起動画面(正確にはグラフィックアダプタの方の)が出た(感涙)。(あ)氏に感謝。
 これで起動してしまうと、チップセットの非互換性から、CD-ROMドライブや音源、SXVGA表示が不可能になる。予めMB付属のドライバ類をHDDにコピーしてあったので、ガシガシインストールすると、それらは復旧した。しかし、なぜか非動作状態の、謎のUSBデバイスが残ってしまう......。USBデバイスは7in1メモリスロットだけで、それはもう認識されているのだが。ともあれ、実害はないようなので、放置決定。
 Melty Bloodをプレイしてみると、Athlon1GHzの時に感じた僅かなモタリも無く、極めて高速に動作する。とりあえず、当面は最新ゲームにも追随できそう。
 外したAthlon1GHzは、Duron800MHzで稼動中の1号機(OS/2で使用中)に移植しようと思う。そしてそのDuronは、MMX Pentium200MHzデュアルで非稼動中の5号機に移植して、外部公開サーバでも立てようと思う。そのためには筐体の改造が必要だ。この筐体、既に10年以上は使っている。
 これでついに、懐かしのAT+SIMM構成のマシンは無くなる。ちょっぴりおセンチな今日この頃だ。

2003年03月11日(火曜日)

なし崩し的な食事&夜トレ

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 今日はアパートの電気設備点検があり、それに立ち会う必要があった。それならと、水場周りの補修など、済まさなければならない用を一気に片付けることにした。
 そうした私用のために、今日は会社を休むことにしていた。用は午前中、それも10:00前というずいぶん早い時間に済んでしまった。なら、自転車でお出かけかな?
 しかし、眠気があったので、ちょっとのつもりで布団で転寝したのが間違いだった。ふと目覚めると、まだ外は明るい。ああ、そろそろ出るかと思って時計を見ると、なんと16:00過ぎではないか。さすがにこの時間から遠出する気になれず、今日は寝てばかりの一日となってしまった。なんたること。
 その代わり、夜になって、外に飯を食いに出るついでに、夜トレも済ませる。夜は、なんだか香辛料系でキメたかったので、CoCo壱番屋に直行だ(カレーかよ)。食後、そのままいつものコースに戻り、帰宅。今夜も気温が低く、ちょっとつらかった。

2003年03月10日(月曜日)

東京出張

00時00分 暮らし 天気:よかった

 午後になって、いきなりの東京出張が入った。新丸ビルで4時間ぶっ通しの会議だ。それも、「とにかく集まれ」モードの、ややだらだらしたもの。精神的にたまらんものがある。
 家に帰り着いたのは22:00過ぎだった。明日は私用で会社を休むことにしていたので、あんまり堪えなかったが、やっぱりダラダラ会議はごめんしたいな。

2003年03月09日(日曜日)

疲労回復ポタリング

17時00分 自転車 天気:それなりにいい天気

 昼過ぎまで昏々と眠りつづけた。昨夜、疲れていたのになかなか眠りにつけず、結局昼過ぎの目覚めとなった。
 だるい。昨日の疲労だけでなく、なにか病的なものを感じる。さほどには強くは無いが。しかしまあ、お腹もすいたし、食事に出かけるついでに、その辺を走ってこようと思った。今日のお供はトレンクルだ。
 軽いトレンクルを、湘南台へと走らせる。強い北風が吹いているせいで、南下するのは楽だった。漕がないでも進んでしまうのでは、とすら思えるような風だ。こんな日にも、風に逆らって元気に走ってゆくローディもいる。
 湘南家でラーメンを食し、おやつに飯田牧場でアイスしようと思い立った。ずっと南下して行く。今日の飯田牧場は、やや閑散としていた。気温が下がったからだろう。しかし、日向になっていると、十分に暖かい。
 さて、今度は風に逆らって北上する番だ。トレンクルにはサイクルコンピュータを着けてないのだが、体感的には15km/hくらいだろう。しかし、風が強まると、それこそ止まりそうなくらいに落ちてしまう。こ、これは、押した方が早い? それでも、なんとか漕ぎつづけ、行きの倍くらいの時間をかけて、高鎌橋に戻ってきた。ここからは、そこまで風に悩まされることはない。
 ダイクマに立ち寄り、なんの気なしに携帯魔法瓶を眺めていたら、ビビッと霊感が直撃した。今まで、このタイプのボトルは、自転車用のケージに刺さらないだろうと思っていた。しかし、良くみるとペットボトルと自転車用ボトルの中間くらいのサイズのものもある。これなら、うちの自転車の多くに付いている、TOPEAKのモジュラーケージに刺さるのではないか。早速、買ってみた。

いろいろ整備

00時00分 自転車 天気:それなりにいい天気

 帰宅して、ほとんどストリップ状態だったトレンクルに、保安装備を取り付ける。後側にはユニコのブレーキランプ兼用ポジショニングライトを、前にはキャットアイの高輝度LEDポジショニングライトを取り付けた。ライトは他の自転車と兼用にしようと思い、余っているはずの台座を探したのだが、なぜか見つからない。あれだけあったのに、どこに行ったのだろう。
 ついでに、サドルをEPIC号についていたSPECIALIZEDの細型に替え、これにドイターのボトルケージ内蔵タイプのサドルバッグを取り付けた。なんとなく、いい感じ。
 さらに、開き角が妙に小さくて弱っていたMOBILLYのブレーキレバー問題も、よく観察して解決できた。シマノのものに替えてあるのだが、ワイヤの取り付け方を勘違いして、タイコがレバーに挟まっていた結果、角度が制限されていたのだった。ちゃんと取り付けると、難なく正常に戻った。これで、MOBILLYでのブレーキ操作も、不安が無くなった。
 本当は清掃もやりたかったのだが、それは後日。

2003年03月08日(土曜日)

一人で三浦半島周回

00時00分 自転車 天気:晴れだが時に怪しい雲が

 朝も早い5:00起床。風呂に入ったりしながらあちこちの掲示板を見ると、神奈川支部(だからといって本部があるわけではないが)の掲示板にたか氏が反応していた。実は昨夜、特段に反応が無く、今日の風向きもいまいち分からなかったので、定例走行会を中止する旨、書き残しておいたのだ。そうしたら、たか氏は出るつもりだったらしい。ありゃ、もう少し待てばよかったか。まあ、たか氏はいつものルートを行くようだし、僕も同じルートを走るので、どこかで会うかもしれないと思った。
 なんとなく気合が抜けたのと、昼食は三崎で取ろうと考えたこともあり、出発は9:00を過ぎてからだった。
 出かける前に、TCR-2の装備をちょっと変更した。いつもトップチューブに取り付けていたRoadMorphを外し、替わりにバルビエリのボンベ式インフレータをサドルバッグに収めた。インフレータを使うことなど滅多に無いし、ペダリング中にRoadMorphに足が接触することが多かったので、取り外すことにしたのだ。さらに、サドルバッグもこの間買ってきたドイターのボトルが刺さるタイプに換えてやろうかと思っていた。ボトルケージをもう一つ着けたかったのだ。3本もいるのかよ! さすがにボトルは2本で十分(コンビニはすぐ見つかるし)だが、輪行袋(オストリッチのL-100という超軽量タイプ)を挿す余地が欲しかったのだ。しかし、エラ・プロのような超細型サドルには、ドイターの固定具を差し込む余地が無いのだ。こいつに固定できるのは、通常のバンド式か、リクセンカウルの固定具だけみたい。削れば何とかなるかとも思ったが、相当削らなければ無理そうなのでヤメ。
 さらに、トップチューブが空いたので、BENTO BOXも取り付け、境川へと走り出した。
 追い風気味なのか、割と良く足が回る。天気は良く、長袖Tシャツの他は、パールイズミの冬用長袖ジャージのみ。足回りは冬装備で、リクレフティングタイツの上にサイクリングパンツ(長)、靴は靴下、ソックスカバー、ロード用シューズ、シューズカバーとガチガチに固めていた。この天気では暑く感じたくらいで、シューズカバーは途中で取ってしまったほどだ。
 あまり飛ばさないで、ほとんど休み無く走りつづける。走りながら、三浦半島西岸は、絶好の富士山観賞ポイントだと思った。相模湾のずっと向こうに、ふもとまで真っ白になった富士山がすっくと立っている。時々、雄大な雲がそれを多い、しかし引きちぎられ、また富士山が姿を現す。走りながら、今日カメラを持ってこなかったことを、深く悔やんだ。
 やや足が重い。なにか、体が熱っぽいのだ。この好天で、熱射病気味になってきたのか。しかし、歯を食いしばって、京急三崎口駅前後の、もっとも辛い坂を乗り越えた。
 今日は、三崎で昼食を取るつもりだったので、三崎高校前の坂は右に曲がる。油壷に向かい、そのまま海岸線をなぞるようにして三崎港へと向かった。途中に見えるヨットハーバーで、白い艇体が日差しにまどろいでいる。
 三崎港着は11:30くらい。2.5h程度で走って来たことになる。だいたい、50km強走ったようだ。
 今日は新しい店を試す気力も無かったので、いつものちりとてちんに入った。早速鮪しよう。
「すいません、鯵のたたきを定食で」
 しまった(爆)。三崎に来てこれはないだろう。既に給仕の女性は引っ込んでしまい、後の祭りである。でもまあ、海産物全般がうまいはず。鯵パワーが鮪パワーほど効くかは謎だが。
 それなりにうまかった鯵のたたきを腹に収め、うらり、であんとろまんを買い食いした。日差しが初夏のように強く、暖かだ。陽だまりで昼寝してしまおうかと思った。こんなことを考えていた辺り、実は案外に消耗していたらしい。
 さて、なんだか気だるいが、後半戦に出かけよう。というか、今日は輪行装備を持ってきてないので、走らなければ帰れない。
 いまいちな体調にもかかわらず、陽気に誘われて回り道をする。いつもなら三崎高校の三叉路で三浦海岸に直行するのだが、今日は三浦半島南岸を通る気になっていた。大風車を経由し、厳しいアップダウンを黙々と乗り越えて行く。この辺が、今日のハイライトだったかもしれない。
 途中、剣崎(つるぎざき)に立ち寄った。なんてことは無い、鄙びた灯台が立っている。東京湾の入り口に立つだけに、その眺めは良さそうだが、灯台周辺の海岸側を、高い金網が覆い尽くしているのには興醒めだ。皇太后が来たという意味の石碑が立っていた。どの皇太后だ?
 ここを超えて三浦海岸まで走る。この辺り、さほど交通量が多くないので、結構好きな場所だ。
 三浦海岸を突っ走り、久里浜に到着する。ペリー公園で一休み。体が冷たいものを欲していた。熱射病にやられかけたようだ。消耗が予想以上に大きい。こんな体調で帰り着けるのかね。
 ともかく、走りつづける。浦賀でなんの気なしに内陸側への道を取ったら、観音崎を丸まるショートカットしてしまう事になった。まあ、今日はここを通らないで済むのはありがたい。
 後は横須賀を経由して、R16を突っ走るだけだ。今日はたくさんのサイクリストと行き会う。みな、この好天で気分よさげだ。しかし、そんな天気も、午後が遅くなるにしたがって変わり始めた。あんなに雲一つ無い青空だったのに、いつの間にか雲が空を覆い始めているではないか。不気味なものを感じた。
 金沢八景を過ぎた辺りだったろうか。ポツリと雨粒が顔に当たった。危っ! 今日は雨天装備を全く持ってきてない。幸い、それ以上悪化することは無かったが。ちょうど行き合わせたローディ(女性)と挨拶を交わすと、『寒くなってきましたね』といわれた。
 全然足が回らない。体調もあるが、なんといっても風が向かい風になってきたのが大きい。基本的に、向かい風の他は横風という状況なのだが、合成風力の呪いで、全て向かい風と化してしまう。
 こんな状況で横浜経由は無理と判断し、磯子で環状2号に乗り、帰宅ルートを走った。しかしまあ、この環状2号のアップダウンのきついこと。体調不良+向かい風+上り坂で、10km/hが関の山の状況だ。しかし、だんだん体調の方は回復し始め、なんとかR1、長後街道を経由して帰還できた。
 今日の教訓は、日差しを舐めるな、という点に尽きるだろう。もう、疲れ果てました。走行距離115km程度。

2003年03月07日(金曜日)

早春

00時00分 暮らし 天気:雨りました

 予想通り雨の一日、なので朝も夜もトレーニングは出来なかった。が、会社の行き帰りに道端の木々を眺めていると、既に梅やらなにやらが咲き揃いつつあるようだ。人間様の体感気温はさほど高くも無いのに、草木どもは既に春のつもりでいやがるというわけだ。
 このところ寝不足気味で、なおかつ明日は風向きと路面状況を見て、どこか遠くに走りに行くつもりなので、早々に寝ることにした。

2003年03月06日(木曜日)

井上瑤逝く

00時00分 思考 天気:くもりのち雨

 なんと、声優の井上瑤女史の訃報は事実だったらしい。新聞の訃報欄に次々に掲載されている。1stガンダム世代では、マ・クベの塩沢兼人に次ぐ訃報。しかも、主役級の欠落なので、今後1stガンダムキャラのリメイクは難しいだろうなあ。
 さようなら、セイラさん。

今日も時間なし

00時00分 暮らし 天気:くもりのち雨

 今日も22:00前まで残業で、Vパラに預けたボードを取りに行く時間もない。明日は定時退勤して、取って来るか。
 土曜日には三浦半島周回走行会(多分、一人のロンリーな道行になるはず)を開催する予定だが、雨になるかもな。少なくとも、路面状況は悪そうだ。
 実は、3/22に昭和記念公園で行われるTOKYOエンデューロ4hソロにエントリーしたので、ロードバイクをフラットバー化して慣れておきたいところなのだが。この耐久走、フラットバーハンドル以外はダメなのだ。
 雨が続くので、明日も朝トレは無理そう。

2003年03月05日(水曜日)

朝トレ開始

00時00分 自転車 天気:いいようだ

 このところ、かなり暖かい日が続いていた。もうエアコンなんて要らないのではと思う日もあった。実際、復活した4号機も含め、4台のデスクトップPCが稼動している居間は、ヒーターを並べているようなものだ。
 今日は4:00起きで、すぐにTCR-2で走り出した。しかし、寒い。寒の戻りだろうか、非常に気温が低い。なんと-2℃だとエアコンの室外機が申す。うわ、夜トレで一番寒かったときと同じくらいだ。まあ、その意味ではなんとか凌げるのだろう。
 朝4:00の道は、一般車は極端に少ない。その代わり、あちこちの店舗に食材や資材を運ぶトラックが、いつも以上に走り回っている。
 境川に出て、ゆっくり南下して行く。追い風なのか、走るのが楽だ。北風が吹いているのだろう。空には夜明けの星座が掛かっている。よく見ると、それはさそり座ではないか。もう、さそり座の季節に入ってきたのか。天頂に鋏を振り上げる蠍に向かい、自転車を走らせた。地平線付近に街明かりが見えるだけの真っ暗な道を、星を見上げながら走る。とても清清しい気分にしてくれる。しかし、寒いな。
 こんな時刻なのに、ウォーキング族の方々は、既にチラホラと歩き始めている。真冬にも欠かさなかったのだろう。ある意味、頭が下がる。
 俣野の登りで湘南台方面に折り返すと、案の定、かなりの向かい風を浴び始めた。うわっ、辛い。涙を振り絞るようにして走りつづける。
 高鎌橋で進路を変え、住宅街に踏み込んだところで、ようやく強風から解放された。帰路でこれは、たまらない。
 この辺から夜が明け始め、住宅街のシルエットがくっきり浮かび、走りやすくなってきた。帰宅した頃には、地平線から天頂にかけて、白々と夜明けの光が通り始めていた。こんなに寒いのに、しかし春の予感がある夜明けだった。

それにしても寒い

00時00分 暮らし 天気:いいようだ

 ここ数週間では一番の冷え込みが、明日辺りに来そうな気配だ。雪になるとかならないとか。こんなに寒いと気力も萎える。TYPE-MOONで発表された4th人気投票の結果に衝撃を受けつつ(笑)、さっさと寝ることにする。それにしても、なぜ琥珀がウケる?

2003年03月04日(火曜日)

朝トレだなあ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 早めに帰宅できたので、夜トレしようと考えていた。が、睡眠不足気味の体調を考え、今夜はセーブ、明朝走ることにした。久しぶりの夜トレだ。そろそろ、夜明けの時間が早くなってきている。当時から3ヵ月弱経過しているから、昼の長さは9月並みのはずだ。あの頃にも朝トレは続けていたから、もう十分早く夜が明けると考えていいだろう。って、それくらい調べるよな。3月初旬の日出時刻は6:00前後だ。夜明けはもっと早く、5:30には明るくなり始めているだろう。5:00に家を出たら、帰りはライト無しで帰れそうだ。
 ということで明日は朝トレ開始に決定。さっさと寝ることにする。ぐぅ。

2003年03月03日(月曜日)

妙に眠い一日

00時00分 自転車 天気:晴れやら雨やら

 昨日の疲労が残っているというわけでもないだろうが、妙に眠気の募る一日だった。最初、花粉症で目の粘膜が刺激されているだけだと思い込もうとしたのだが、仕事しながら意識が朦朧としてきたので違うと断定。寝不足か。しかし6時間超は寝たしな。ともあれ、会社ではあまり口にしないコーヒーで、リフレッシュを図った。
 朝のうちは晴れていたと思うのだが、昼頃には雨が降り始めた。しかし帰宅までには上がった。今夜は夜トレに出かけようかと考えていたのだが、路面が濡れていたのでヤメ。マッドガード付のBD-1で出ようかとも思ったが、わざわざ汚しに行くことも無いだろうと思い直した。
 そういえば、そろそろ夜明けが早くなってきた。夜トレは止めて、朝トレを始める時期なのかもしれない。

2003年03月02日(日曜日)

今年も決行、大山食い倒れツアー

00時00分 自転車 天気:意外に快晴

 明け方、まだ雨は上がってない。でも天気は良くなるんだよな......。
 いざ朝が来ると、雨は上がっている。空にはまだ雲が掛かっているが、地平線付近から切れ始めていた。これなら晴れそうだ。たか氏からも決行のサインが出たので、いざ出動。
 地下鉄、小田急と乗り継いで、伊勢原に向かう。江ノ島線の車中から、富士山がくっきり見えるのに驚いた。
 伊勢原駅のホームに降り立ち、余のスーパーBD-1 with セキサイダーをゴロゴロ転がしていたら、後ろから同じようにゴロゴロ音が......。こぐ氏だった。なぜか、オフではこぐ氏とばったり出くわすことが多い。
 駅前には既にたか氏、にち氏、そして初見のみち女史が待っていた。こぐ氏共々、BD-1を展開して待っていると、さらに@nak夫妻、まき氏、hai氏もやってきた。今日はこの9人で大山を登り、しし鍋でウハウハという運びになる。
 去年はBD-1、Bromptonの他、トレンクル、SatRDayとバラエティに富んでいたのだが、今年は何故かBD-1とBromptonというBD-ML標準車種のみの構成と相成った。
 揃ったところで、大山に向かって出発する。先週は湯河原で先頭を引いたので、今日は殿を着いて行くことにした。
 去年のBD-1のギア構成は、Fが52+38T、Rが11-34Tというものだった。今年はFインナーが42、Rは12-27Tなので、ずっと重くなっている。にもかかわらず、インナー・ローに入れっぱなしだった去年と異なり、今年はほとんどフロントアウター、最後の急傾斜だけインナーに入れ、しかも後ろは数枚残していた。
 途中、去年も立ち寄ったゲストハウスで、豆腐アイスを味わった。既に空は晴れ上がり、日差しが暖かい。今日は長袖Tシャツに、いつものカステリジャージ+ジャケットという格好だったのだが、あまりに暖かいのでジャケットは不要かと思い始めていたくらいだった。去年は雪の中、カチカチのアイスを死ぬ思いをしながら食べたことを思うと、今年は極楽だ。
 今年は抹茶を試す。これもカチカチに凍り付いていたが、気温のおかげで徐々に柔らかくなってくれた。やはり豆乳のまろやかな味が良い。
 再出発し、土産物屋前の大きな駐車場で、また一休み。この先は最後の急傾斜が待っている。しかし、去年も登ったし、奥湯河原の坂を克服したことを思えば、気楽になれるというものだ。
 いよいよ最後の登りに入る。ここではさすがにフロントはインナー、リアもローまで1、2枚残すだけだが、去年ほど辛いということは無い。辛いことは辛いが、常に余裕を持って踏み込めた。ああ、俺は鍛えられた、そう思った。毎週毎週、飽きもせずに自転車を走らせつづけてきた結果が、とりあえず出ている。
 やがて、去年もお世話になった、たか氏懇意の旅館が見えてきた。その軒先に入ると、後続を待つ。急傾斜でケイデンスを落としすぎるとかえって辛いので、最後の坂ではガンガン前に出てしまったのだ。
 やがて全員が登坂に成功した。みち女史も危なげなく登ってきた。ちょっと辛そうではあったが。
 自転車は旅館に預け、先に大山祭と阿夫利神社の参拝に出かけた。去年は先に食事だったが、今年は1時間スケジュールを前倒しにし、豆腐祭を見ることにしていた。去年、腹具合と時刻の関係で、仙人鍋にありつくことが出来なかった。今年はそのリベンジだ。
 会場は去年と異なってにぎわっている。人ごみが途切れることなく、歩き回るのにも苦労するほどだ。しかし、肝心の仙人鍋は、振る舞いの時間を決められていて、それは30分後だという。ガーン。今年も食い損ねた......。
 30分も待てないので、さっさと阿夫利神社の参詣を済ませる。今年は遠くまで良く見渡せ、三浦半島、さらには房総半島まで見えていたようだ。すげえなあ。逆にいえば、房総半島から丹沢を見ることも出来るのだろう。
 下社で100円を賽銭箱に投入し、慌しく引き返す。旅館に戻ると、既にしし鍋のセッティングは終わっていた。早速、お食事タイムに突入だ。
 今年は去年の反省からか(皆身動きが出来なくなってしまった)、量は抑え目だった。今年もこぐ氏の横でしし鍋と相対する。特に席の指定があったわけではないのだが、何故か去年と同じ席を占めた人が多かったようだ。
 おしゃべりしつつ、かなりの量になるしし鍋を平らげて行く。こっちの鍋は4人、もう一つの鍋は5人で攻めたのだが、こぐ氏効果かこっちの方が片付くのが早かったようだ。猪の肉は、去年よりむしろ多かったような印象がある。
 食後、しばらくまったりと時間を過ごす。去年と異なり、今年はまだ時間に余裕がある。昼寝したいくらいだ。
 食後の時間を1時間ほど過ごし、ようやく出立となった。また来年、今度はちゃんと仙人鍋のリベンジを果たしたいところだ。
 登ってきた道を高速で下って行く。最高で50km/hまで出した。途中から車が詰まり始め、なかなか飛ばせなくはなったが。こんなスピードでも不安を感じない、Vブレーキ万歳。
 鶴巻温泉へと向かう途中、東名の下をくぐった辺りで、何故か道端に停車し、何人かのメンバーの乗車のトラブル解決に当たり始めた。ここは、去年も僕がナットを落としたのではないかと停車した地点だ。なにか、トラブルを誘引する原因があるのだろうか。
 時間は有り余るほどある。最後のお目当てである天ぷら屋、天安の開店は18:00なので、それまでは鶴巻温泉で時間を潰す。温泉にゆっくり漬かり、更衣室を出てすぐに、コーヒー牛乳を火照った喉に流し込んだ。もちろん、腰に手を当て、天を仰ぎながら飲む正式なスタイルだ(どこの正式だ)。さらに、制限時間一杯まで休息室で過ごした。
 17:30過ぎ、ようやく天安に向かう。店は既に空いていた。ここでビール中ジョッキ、天ぷら定食を食らう。食前には、まだ入らないかなと思っていたのだが、いざ出されるとあまりに美味しくて、瞬く間に片付けてしまった。天安、恐るべし。
 これで今日の予定は全て終了。既に日が落ち、休息に気温が下がってくる中、鶴巻温泉駅まで走り、小田急で帰宅した。
 今年も激しく走り、激しく楽しめるツアーとなった。また来年も出来るだろうか。

2003年03月01日(土曜日)

NHKスペシャル「核拡散テロリズム防止最前線」

23時00分 テレビ 天気:雨

 今日のNHKスペシャルは、旧ソ連を中心とした、核物質拡散の実態を追うものだった。
 内容的に、よく知られたこと、すなわち旧共産圏での杜撰な核物質管理の実態、それを使用した核テロの危険性を取り上げたものだった。
 去年の8月、旧ユーゴスラビア(ここも今は亡き国家の仲間入りか)のセルビアにある核エネルギー研究所から、大量の高濃縮ウランがアメリカに運び出されることがあった。ここは長年、ユーゴスラビアの核研究の中心だった研究所だ。しかし、ユーゴ連邦の崩壊に伴い、潤沢だった資金は途絶え、施設の管理が行き届かなくなってきた。アメリカは大使館を通じてこの施設の実態を調査した。すると驚くべきことに、核爆弾を製造するのに十分な高濃縮ウランが、十分な警備も無いままに在庫されていることが分かった。アメリカとセルビアは話し合いの時間を持ち、これをアメリカが買い取ることで決着させたのだ。アメリカはウランの代価のほか、経済援助も約束したという。それでも、このウランがテロリストの手に渡り、それを使ったテロが引き起こされるよりは、遥かに安上がりなはずだと作戦関係者は主張する。確かに、そうやって製造された核兵器が、紛争地域だけでなく、アメリカの中枢部で使用された場合、どれほどの被害をもたらすか、想像もつかない。その予防が可能なら、確かに高くは無いのだろう。それに、こうやって核関係情報の収集と、友好関係の構築が図れれば、一石三鳥だ。
 同じ問題は、旧ソ連圏にも存在する。旧ソ連では、セミパラチンスクを始めとする核実験場を、中央アジアに置く傾向があった。それらの国家はソ連崩壊と同時に独立を果たしたが、核管理に十分な予算を割けているとはいいがたい。故に、核物質の拡散が進む可能性が大きいのだ。事実、低レベル核物質の盗難は、日常茶飯事といってよいほど起きている。アメリカは、それらの核拡散リスクを低減するために、ロスアラモス研究所など、自国の核研究者の活用を進めている。核拡散のリスクが大きい諸外国の施設に、視察、指導、支援、核物質引き取りの要員として、これらの人員を派遣することを行っているのだ。海外諜報活動と相まって、アメリカは危険な施設の実態を、よく把握しているといわれている。
 さらに、衛星写真から核物質の所在地を割り出す技術を開発するなど、アメリカは核拡散防止に向けた取り組みを強化しつつある。
 この核物質盗難のリスクは旧共産圏だけではなく、もちろん先進諸国やアジア圏にも存在する。日本でも放射性物質の紛失事件が続いていることもあり、楽観は出来ない状況だ。少量の核物質と爆弾を組み合わせただけで、一定地域を使用不能にする"ミニ汚い核爆弾"が製造できるのだ。それがテロリストの手で使われる日が来るのかどうか、恐れながら待つしかないようだ。

BD-1をいろいろいじる

19時00分 自転車 天気:雨

 明日の大山ツアーはBD-1で出撃することに決定した。去年と同じ自転車で走り、どれくらい成長したのか見たい。それと、急坂ではMR-4F改のブレーキ性能が不安だ。
 BD-1は、ちょっと前にZEFALのインフレータを外してしまい、今はインフレータ無しの状態になっている。別にポンプを持ち歩けばいいのだが、車体に着けておいた方が手軽だよなあと思う(忘れ物を気にしなくていいし)。それと、BD-1にはサドルバッグをつけてない関係で、マルチツールの類を入れて置く場所が無い。まあ、身に着ければいいのだが、BD-1は気軽なツーリング自転車指向なので、出来るだけフレームに着けてしまいたい。幸い、それに適したパーツが揃っていた。ミノウラのボトルケージホルダー(ステムに着ける奴)と、TOPEAKのMk2エマージェンシーキット+ミニマスターブラスターセットだ。これをステムに着けてしまおう。
 ミノウラのホルダーをステムの中ほどに着け、そこにエマージェンシーキット、今日買ってきたグランジのボトルケージ(赤)を取り付ける。取り付け位置に多少試行錯誤はあったが、ハンドル左手に出し、インフレータを上下逆に固定すれば、ワイヤ類の干渉も無く、実にすっきり取り付いた。ボトルはやや取り出しにくいが、許容範囲だ。うん、これはいい感じ。長年の懸案が片付いた格好だ。
 ついで、というわけではないが、明日は雨が残るかもしれないので、マッドガードを取り付けることにした。買って数ヶ月で取り外した純正品を、前側にだけ取り付ける。後ろはセキサイダーとブレーキブースターが邪魔になるので、取り付けが難しい。変わりに、セキサイダーの下面に、ZEFALの簡易泥除け(ボトムチューブに取り付ける板状タイプ)を取り付けた。この泥除け、EPIC号用に買ったものだが、いろいろ使いまわし出来て便利だ。
 これで、BD-1はあまり気象を気にしないで済むお気楽ツーリング車に仕上がってきた。MR-4F改はもっと気合の入った高速ツーリング車として使うつもり。まあ、かなりキャラクタが被っているのは事実なので、気分で使い分けるつもりではあるが。
 明日のツーリングに備え、チェーンルブ(RaceDay)を塗布しておいた。ここで豆知識。この手のワックス系ルブは、低温ではすぐに固まってしまい、ノズルが目詰まりしてしまう。そういう時は、湯煎してしまえばよいのだ。ちょうど、風呂が沸いたところだったので、そのお湯に着けておくと、カチカチになっていたルブが元に戻ったではないか。これは使えそうな小技である。

ゲームパッド取り付け

17時00分 ゲーム 天気:雨

 とりあえずAthlon1GHzで再稼動した4号機に、今日買ってきたゲームパッドを取り付けた。最初、Melty Bloodで認識してくれなくて困ったが、USB1に繋いでいた7in1メモリスロットと取り替えると、ちゃんと認識してくれた。
 これでMelty Bloodをプレイすると、各キャラの必殺技を出せるようになった。少し持ち難い気もするが、安物なので贅沢はいえない。
 しかし、ゲームパッド対応のPCゲーって、そんなにあったかな。

Vパラに一式預け紀行

15時00分 コンピュータ 天気:雨

 案の定、夜のうちに雨が降り出したようで、目がさめると雨音が耳に入ってきた。時刻は昼前だ。
 少しうだうだして、それから先週買ったメインボード、Pentium4、メモリを持って、横浜に出かけた。DOS/Vパラダイスで動作チェックしてもらうつもりだ。最初は秋葉のサポートセンターに持ち込むつもりだったが、まあ買った店に持ち込むほうがよいかと思い、横浜店に向かうことにした。
 雨の日でも西口は相変わらずの混雑だった。最初にVパラ横浜店に立ち寄り、パーツ類のチェックを依頼した。すぐ(といっても数日)出来るようだ。
 その後、ハンズ、ヨドバシ、ビックをうろつき、いろいろ買い込む。
 雨の日は疲れるので、さっさと帰宅した。
 アパートでBD-1を相手にしていたら、Vパラから電話があり、『稼動しましたよ』とのこと。やはり、僕の設定が何か間違っているようだ。Vパラいわく、『P4では12Vの別電源が必須なのだが、それが供給されてないのではないか』とのこと。そういえば、BBSでも(あ)氏に同じ事を言われた。しかし、12Vの別電源? なんのことか、まったくピンと来ない。僕の知識はAthlon、P3止まりなので、P4特有の情報が全く無いのだ(ならP4なんか買うなよという話もあるが)。なんにせよ、買ったものは悪くないと分かったのは成果ではあった。