Strange Days

2003年05月31日(土曜日)

サガミでMR-4Fフォーク差し替えに

21時45分 自転車 天気:雨が降ったりやんだり

 予報通り、雨の一日となった。今日辺りにMR-4Fのフォークを交換してしまおうかと思っていたのだが、この雨では自転車で出かけるのも骨が折れる。でも、一刻も早くフォークを換えて、その効果を確認したい。
 そんな風にうじうじ考えながら、PCに向かっていた。すると15:00頃、雨音がしなくなっているのに気づいた。外に出ると、雨は降り止んでいた。路面は濡れているが、雨具を着て走れば、濡れずにサガミまで行けるだろう。即断即決。早速、MR-4F改を持ちだし、雨具を着込んで走り出した。
 走り出した途端、また雨が降り始めた。ああ、世の中ってのはなんでこうなんだ!(八つ当たり) しかしすぐに雨足が弱まり、無事にサイクルセンター店にたどり着いた。
 階段の横で雨具を脱ぎ、自転車の水気を出来るだけ拭いておいた。とりあえずチェーンで固定して、3Fに登った。こんな日に自転車屋に来る人は少ないだろうと睨んでいたのだが、意外なくらい混雑していた。逆に、自転車に乗れない日だからこそ、ここが混んでいるのかもしれないな。
 店員を捕まえて、相談を持ちかけた。詳しい内容を話すと、問題なくできますよという回答だった。お願いすることにして、1FからエレベータでMR-4Fを持ち込んだ。
 出かける前は、きっと預けることになるだろうから、今日は相鉄で帰ろうと思っていた。ところが、30分で出来るという話だった。なら乗って帰れるな......この雨の中は鬱だが(爆)。
 とりあえずNo.3店、アパレルコーナを冷やかして帰ってみると、差し替えはすでに終わっていた。改造の内容は、フォークのカーボンフォーク(持ち込み)への差し替えは当然として、それに伴うヘッドパーツ(無印スレッドからCaneCreakのアヘッドに)、ステム(プロファイルのスレッドステム80mmからDixnaのアヘッドステム80mm)の交換、そしてコラムスペーサーの追加(10mm*8)だった。大量のコラムスペーサーをまとった新しいステム周辺の姿は、なんとなく異様だ。
 傍らに前のクロモリフォークがあったので、持ち帰ろうと拾ってみた。その重さにびっくり。カーボンフォークに比べ、200g以上は違う感じだ。かなりの重量減につながったと思う。
 費用は工賃3000円込で15000円弱だった。ヘッドパーツとステムの価格によって、かかる金は上下するだろう。店員に、『クランプ長が長いので、玉辺りはかなり固めにしなければならない』と注意された。確かに、前に比べてかなり固めに締め付けてある。こうしないとガタが出やすいのだそうだ。
 店を出ると、また雨が降り出している。覚悟を固めて、最短ルートを走って戻った。
 家に帰るまでの間にさえ、カーボンフォークの効果ははっきり分かった。路面の段差を越えるときの衝撃が、以前のクロモリに比べて激減している。本当に、短い時間でもはっきり分かるくらいだった。タイヤの気圧をかなり下げたような感じで、しかも走りに変わりはない。いや、路面からの衝撃に備える必要が減ったので、その分ライディングに集中でき、前以上に良く走れるようになった。気のせいかもしれないが、路面の段差越え時のバウンドが減り、路面追随性も良くなった気がする。これは間違いなく大成功。TCR-2のシートピラーをカーボン化したときはあまり効果を感じられなかったが(前がサス付きだったからかもしれないが)、これは短い時間の試乗でもはっきり違いが分かるだろう。しかもペナルティは無さそうだ。
 ただ、この24インチ級フォークは、概ねジュニア向けに設定されている物なので、大重量に耐えられるかどうかは未知だ。しかしトライアスロンなどの市場も意識しているだろうし、安全係数は十分にあるはずだから、さほど心配しなくていいはずだ。チッポリーニじゃなきゃ、フォークを折ることはあるまい。
 なにか、弱点がどんどん減って行くMR-4F改。もうアドバンスドMR-4Fと呼んでも問題あるまい(いや問題もなにも)。

2003年05月30日(金曜日)

嵐の前に夜トレ

22時44分 暮らし 天気:嵐の前

 明日は台風にやられそうだ。おいおい、まだ5月ですよ? たとえ上陸しなくても、南からの暖気がなだれ込み、日本列島はプチ熱帯状況になりそうだ。やれやれ、週末だってのに雨か。~
 その雨の前にと、夜トレに出かけた。TCR-2でトレーニングコースを走る。やっぱり、腕に来る振動は、サス付きのEPIC号よりキツいとつくづく思った。車道なら問題にならないが、サイクリングロードの類は、意外に荒れている物なのだ。
 俣野の上りは20km/hでよじ登る。EPIC号と同じペースで登ったら、やっぱり同じくらい疲れた。まあ、坂に対する登りやすさは、結局ロードも軽量MTBも変わらないようだ。
 R467を突っ走って、長後で長後街道に乗り換えて、裏道経由で帰宅。

2003年05月29日(木曜日)

イリヤ・プリゴジン逝く

23時55分 思考 天気:晴れ

 イリヤ・プリゴジン博士(いうまでもなく散逸構造の提唱者)が逝去した。SF者にも多くのアイデアをもたらしてくれた人だった(もちろん博士当人が意図してではなかったが)。氏の著作はひたすら難解(というより僕の方で受容できる下地が無い)だが、SF界に一つの流行を作ったのは確かだ。自己組織化の概念が提示されなかったら、スターリングの「スキズマトリックス」は書かれなかったんじゃないだろうか。
 これで『その手はイリヤのプリゴジン』とか『実にプリゴジン的だ』とかいった決り文句は言えなく、なったわけじゃないが。科学界の巨星が、また一つ落ちた。そういえば、チョムスキーもいつまで元気でいてくれるだろうか。

週末の天気

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 今週末は、狙い済ましたように休日だけ雨天、しかも台風までやって来そうだという笑える状況だ。ぽんちえさんのコントを見に行こうではないかと、久遠氏と話していたのだが、雨が降ると嫌だな。やめようかな。それより、MR-4F改のフォーク差し替えをサガミに頼みに行こうかと思っていたのだが、雨ではそれも嫌だな。
 おとなしく本でも読んで過ごそうか。

2003年05月28日(水曜日)

M6、M7、M8、M22

23時55分 星見 天気:晴れ

 2:00頃、空の暗さに誘われて、さそり座からいて座にかけて、双眼鏡を向けた。
 CANON 18*50ISを空に向けながら、しばし目を慣らした。さそり座のいそうな辺りに向けてさまよっていると、特徴のある星の並びが目に入った。M8だった。そこから視線を下方に落とすと、ようやくさそりの尻尾を捕らえた。そして少し東にずらすと、そこにM6がいるはずだ。......じっと息を詰めて目を暗順応させて行くと、ようやくぽつぽつとした星が見え始め、やがて視界一杯に広がって行く。M6だった。相変わらず見事な眺めだが、大気中の湿度が高いので、本当にこまごました星までは見えなかった。
 少し北西にずらすと、そこにはM7が待っている。こちらも、ようやく散開星団と分かる程度の眺めだ。真正面に隣家の明かりがあり、観測条件は良く無い。
 M8をたどると、さっきよりも星の数が増え、さらに散光も微弱ながら感じられるようになった。
 さて、M8をたどっているとき、一瞬だけ気になるものが見えた。いて座のメインストリートに目を移し、じっと眺めていると、ほらやっぱり見えた。M22だ。目の錯覚かと思うような朧な光が、じっと暗闇にうずくまっている。この球状星団が見えるということは、今夜のシーイングは案外に良かったのかもしれない。

夜トレはEPIC号で

23時00分 自転車 天気:晴れ

 今日は定時退勤日だったが、残業をやってから退けた。
 日曜日以来、自転車に乗ってなかったので、夜トレに出かけた。朝トレのほうが気分が良いのだが、6:00を過ぎると交通量が激増し、かなり早く起きなければならないのがガンだ。残業が多いと、どうしても夜に走らざるを得なくなる。
 今日は気分を変えて、EPICで出動。サドルを上げた効果を見る意味もある。車道に較べて平滑度が低いサイクリングロードでは、サスつきの有り難味がある。しかし、EL300の明かりは、12Wの照明に慣れた目には心もとない。恐々、真っ暗闇の中を走っていった。
 途中、湘南台でサドルをもう1cm以下上げた。実験したかったのだ。すると、さっきよりさらに踏み込みやすくなった。そろそろ限界かと思っていたのだが、まだ上げられるか。
 俣野の上りもぐいぐい上がって行く。20km/hペース。なんだこれは、ロードの時より速く登れるなんて。TCR-2も後1cm上げるか。
 風が全く無い日だったので、俣野から折り返して、車道を30~40km/hペースで駆け戻る。MTBでこれはいいペースだ。昭和記念公園のときより、足は断然軽く回っている。
 帰宅して、念のためにサドル高を再計測してみた。EPICは68cm超になっている。前回いは少し高く計測してしまったようだ。慎重に、サドルの中央部の平均高から計測した結果だ。一方、TCR-2は68cm超......大体同じくらいか。MR-4Fは68cm弱とわずかに低い。BD-1は67.5cmだが、クランクが167.5mmと他の3台より僅かに長いので、その分サドル位置も下がってよいはずだ。まあ、だいたいいいところだったのか。

2003年05月27日(火曜日)

天気悪いにゅ

00時00分 暮らし 天気:くもり

 今週もはっきりしない天気が続くようだ。平日は大体くもり、週末に至っては雨の予報だ。土曜日は成城学園前駅近辺で観劇なので問題無いが、日曜日に走れないのは辛い。もしかしたら、雨具を着込んで、HARDROCK号の耐久テストに出るかも(なんの耐久ですか)。
 そろそろ、固定ローラーが必要になってきた。

2003年05月26日(月曜日)

24インチカーボンフォーク到来

00時00分 自転車 天気:くもりだか雨だか

 21:00過ぎ、佐川のおばさんが代引き便を届けてくれた。物はウエムラパーツに発注していた24インチのカーボンフォークだ。早かったなあ。在庫検索に時間がかかるとかウェブページに書いてあったので、てっきり今週後半くらいに来るのかと思っていた。実際は、昨夜のうちに佐川から到着通知が来ていたので(ちょうど金が無かったので今日にしてもらった)、三日くらいで来たことになる。しかし、発送したのなら、メールくらいよこして欲しい。
 さて、内容を確認する。モノはやはりMIZUNOブランドのカーボンフォークだった。台湾製とある。MR-4純正のクロモリフォークは円断面だが、これはやや薄型の少し空力を意識したようなデザインだ。オフセットは純正品と同一。心配だったコラム長も、これなら今と同じポジションを出せそうなくらいにはなる。少しアップしたステムが要るかもしれない。
 もう少し詳しく、ノギスで径を測ってみた。下玉押し部のコラム径は26.4mm(ちゃんとそう書いてもあるのだが)。ようするに、ENGLISHサイズのノーマルサイズということになるのか。しかし、よく見るとその部分には薄い鉄板が巻いてあり、さらに厚い鉄板を巻けばJISサイズになる仕掛けのようだ。ヘッドチューブの内径は、計ったことが無いので不明。漠然とJISサイズではないかと思っているのだが。
 なんだかこの辺のサイズの話はややこしいので、ちゃんとしたショップに預けるべきなんだろう。マーシュか、サガミか、どっちかにお願いしようと思う。ロード系であることを考えると、サガミがいいんだろうな。

2003年05月25日(日曜日)

シート高はいくらかな

23時55分 自転車 天気:やっぱりくもり

 寝る前に、ふと思いついて、各車のシートポスト高を測ってみた。クランク軸の中心から、シートの座面中央までの高さを測ってみた。すると、TCR-2、MR-4F、BD-1は67.5cm、EPICは66cmという結果になった。前3者は、自転車神降臨度(足の回しやすさ度ともいう)の高いものだが、まるで測ったように同じ高さになっていたではないか。人間って凄いなあ。
 一方、EPIC号は足の回しにくさを感じていたものだ。これも67.5cmに合わせておいた。なんとなく、ポジションのうち、シート高については固まってきた気もする。

疲労回復のポタリング、のつもりが

19時00分 自転車 天気:やっぱりくもり

 昨日の疲労もあり、昼過ぎまでぐっすり眠った。昼食を取り、ボーっとしていたら、ちょっと買物に出かけたくなった。トレンクルで出ようかと思ったが、なんとなく気分でTCR-2を選択。上はクールマックスTシャツ(長)+フルジップTシャツ、下はレーパンの上にジーンズという、一見カジュアルな装備。その前に、バーテープを替えておく。左のショルダー部のテープがずれてきており、その他にも捲れかかっていたり、延びていたりする部分が目立ち始めている。替え時だ。手持ちのもののうち、何の気なしにプロファイルの黄色地に黒まだらのパターンを選んだ。裏に両面テープを貼ってないタイプで、固定力に疑問があったので、バー側に一定間隔で両面テープを貼っておいた。それから下巻で巻いていった。左右ともいい感じに巻き上がった。おっと、左のレバー直下に一巻足りなくて、隙間が出来ちまったい(x_x)。水が入るとなんなので、ビニールテープで埋めておいた(って、巻き直さんのかい)。巻いて気づいたんだけど、なぜ黄色? TCR-2のどこにも黄色い部分なんて無かったから、黄色いバーテープにすると目立つ目立つ。悪目立ちである。MR-4Fならまだしっくり来たんだろうが。まあ、しばらく置けば見慣れるだろう。
 家を出た。疲労を感じているのに、足はよく回る。サガミに近づいたところで、チェーンロックを忘れているのに気づいた。まあ、なんとかなるさ。
 サガミNo.3で、キャットアイのワイヤロック、シートポスト用のシムを買った。とりあえず、サイクルセンター店に移動し、店先にさっきのワイヤーでTCR-2を固定しておいた。
 2Fアパレルフロアで、タイオガのバイク巾着(ミニベロ用)を購入。昨日のヤビツで、マモル氏が勧めてくれた物だ。今、MR-4Fの輪行にはちび輪バッグを使っているのだが、これはバッグそのものはともかく、そのバッグを畳んで袋に収納するのがえらい難しいという難がある(あ、これって馬から落馬の類か?)。その点、バイク巾着なら、クルクル畳むだけで収納袋に収まるのだ。とりあえず、MR-4F用にするつもりだ。14インチ軍団にも適用できればいいのだが。
 サガミを出て、海軍道路経由でグランベリーモールに向かう。モンベルコーナーをぶらつく。これだけモンベル製品が集まっている場所だと、見て回っているだけで楽しいもんだ。
 日が傾く前に、家路に着いた。風が無いので、30km/h、時には40km/h巡航で突っ走る。このヘタレな俺様でも、30km/hの世界に突入できたか。
 ダイクマに立ちより、帰宅。

2003年05月24日(土曜日)

そうだヤビツに行こうツアー2003春

00時00分 自転車 天気:くもり

 朝は7:00過ぎに起床。食事をとり、身支度をする。今日は神奈川支部のヤビツツアーが開催される。先週、突然たか氏によって開催が告知され、最初のうちは反応が悪かったのだが、最終的には8人が参加することになった。久々のヤビツ、しかも裏からのルートは初めてだ。大いに期待していた。
 MR-4F改にFREEPACK SPORTを取り付け、長後駅まで走った。たか氏の先導で愛甲石田まで走ることになっており、その一次集合場所としてここを選んだのだ。が、時間になっても誰もこない。そのままたか氏が待ついなげやへと向かった。後で聞くと、はるだぁ氏が逆側で待っていたとか。
 県道22号沿いのいなげやに着く。やがてたか氏がBD-1でやってきたので、それに着いて愛甲石田へと向かった。裏道っぽい場所を走り、やがて幹線に復帰する。そこから良く覚えてない道順で愛甲石田駅に近づくと、すげえ激坂を越えて駅前の階段に至った。ここで参加者を待つ。
 集合時間の10:00には、参加者全員が集まっていた。今回の隊長、たか氏を始め、@nak(あ)、@nak(た)、まき、hai、マモル、はるだぁ、そして僕の8名。
 駅近くのコンビニで買物を済ませ、相模川支流の玉川沿いにさかのぼって行く。車の少ない、のんびり走られる道だった。のんびりおしゃべりしながら、後ろの方についていった。
 やがて北に折れて、玉川に別れを告げると、いよいよ登りだ。最近、我が自転車筋に宿った神は健在で、ミドルギアのままするすると登って行く。と、そこでアイス休憩だ。さすが、どんな走り企画でも、カロリー摂取量が消費量を上回るカナ支部企画。コーヒーフロートで糖分補給とカフェイン摂取を図った。
 小休止の後は、また登り、全員が一列になって、おしゃべりしながら登って行く。次第に峠の雰囲気に変わってきた。
 hai氏は体調が良くなく、やや辛そうだったが、それ以外には大過なく登って行く。ここで一つ目の峠越え。ごく低いものだ。各自のペースで、ということだったので、少し速いペースで上っていった。サングラスに赤っぽい姿が映り、ずっと迫ってくる。それが(あ)氏だと思い込んだ僕は、追いつかれないようにペースを上げながら登っていった。しかし赤い姿はどんどん迫ってくるではないか。やっぱ、赤いから3倍速? しかし、よく見ると、それは別人28号のサイクリスト(気合入り)ではないか。へなへなと萎れた僕は、そのままそのサイクリストにパスされ、しかしいつの間にか平坦な道に出ていた。バス停を見ると、なんちゃら峠(ど忘れ)とある。ああ、ここが峠の頂点かな。ここで後続を待つ。前方には宮ガ瀬湖が見えていた。
 後続が揃い、呼吸を整えて、ビジターセンターに向かった。道が良く、車も多くはない。また湖畔を回り込むような道は、橋を三つ越えてゆくので、大変見晴らしが良い。気持ちがいい道だ。一発で気に入ってしまった。
 やがてビジターセンターに到着し、ここで食事となる。適当な店に入り、適当にそば定食を頼む。蕎麦はうまいが感動するほどではない。しかしタンクは満たせたので満足だ。
 僕が参加してなかった前回は、ここで時間をつぶし過ぎて、スケジュールが苦しくなったそうだ。そこで今回は、そこそこの時間にビジターセンターを後にした。とはいえ、既に14:00だが。
 ここから本格的な登りになる。裏ヤビツは、表ヤビツと異なり、道が細い個所が多い。2車線区間と単線区間が半々というところだ。それに加え、この日は車が異常に多かったそうだ。頻繁にすれ違い、追い抜かれが発生し、その度に自転車側は路肩に縮こまらねばならない。体調不良気味のhai氏を気遣って後に着きながら(本当はズルしてゆっくり走っていただけだが)、マモル氏、まき氏らと『ヤビツ祭りか?』などと無駄話をする。なんだよ、ヤビツ祀りって。最後はヤビツ神が降臨して、辺り一面火の海になりそうなくらい禍々しい響きがあるな。とにかく、それくらい車が多かった。
 ヤビツを登り始めた辺りから、大学のサークルらしい重装備の一団(こちらもいい加減重装備だが)と絡み始めた。道が細めで、車が多いので、たか氏が最後尾の部員(たいていベテラン部員)と話し、幅の広いコーナーで抜かせてもらった。あちらは新入部員を配慮してでもいるのか、ペースはゆっくりだ。しかし無休憩で登っているようだ。一方、こちらはペースは速いが、頻繁に休みを入れている。その結果、次の小休止で、今度は抜き返されてしまう。再スタートして、すぐに追い抜いたが、次に気まぐれ喫茶で止まる事になっていたので、「そこでまた抜かれたりして」などと話した。
 すぐ側に渓谷が見え隠れする道を、徐々に高度を上げながら進んで行く。木立が鬱蒼としており、その中をつづら折れの道が通っている。気持ちいい道だ。登りなので、盛大に汗をかいている。風が心地よい。
 やがて、気まぐれ喫茶に到着。ここで最後の糖分補給を行う。なんだか食ってばっかりだ。アイスコーヒーとケーキを頼んだが、ケーキがなんと四つしかないという。なら折半すればいいということで、二人で一つのケーキを分け合う形になった。
 ケーキを堪能し、アイスコーヒーを飲みながら落ち着いていると、窓の外に見慣れた一団が......。例の大学サークルだった。あちらもこの奇妙な一団を憶えていて、互いに手を振り合ったりした。
 さて、十分に身体が冷えたところで、最後の登りだ。経験者の談に拠れば、ここからの登りが一番辛いという。身体が冷えたところで、一番きつい傾斜をこなさなければならないからだ。なら気まぐれ喫茶に寄らなきゃいいじゃん、というのは無しだ。
 最後の登りは、やはり各自のペースで登って行く。確かにかなりの上りはあったが、あっけなく終わってしまった。後半はそこそこの登りという程度だ。マモル氏、(あ)氏と登って行くも、気が付くと(あ)氏が離れはじめている。逃げられてはたまらんと思い、後を追って距離を詰めた。すると今度は、『乳酸が溜まるという感覚を味わったことが無い』と豪語するマモル氏が逃げ始めた。今度は(あ)氏と一緒に後を追っていった。
 坂、というより山頂部の高原道路という感じの道が続き、やがて見覚えのある場所にたどり着いた。ヤビツ峠の売店だった。駐車場の碑の前でパチリ。やがてたか氏、(た)女史ら、後続が次々に到着し、全員が無事にヤビツ登頂に成功した。ヤビツの碑(新)の前でパチリ。
 例のサークルは既に到着していた。やっぱり兎と亀結果に終わったようだ。
 下りは冷えるので、ウィンドブレーカーを着込んで、痛快なダウンヒルだ。こけると激痛なので、最後尾を恐々下っていった。MR-4Fのブレーキは、前ブレーキシューを再調整すると良く効くようにはなった。が、サス無しで小径のMR-4Fでは、ギャップを越えた時に衝撃が直接手にやって来る。それはともかく、その瞬間にグリップが無くなるのが怖い。だからあまりスピードを上げられないのだ。
 途中、菜の花台で一服する。生憎、春霞が濃く、遠望は利かなかった。
 さらに下り、蓑毛を過ぎた辺りで住宅街になり、最終的にR246に突き当たった。こんな勾配、逆に登れば、そりゃあ鍛えられるだろうな。
 ここからはR246沿いに走る。トラックの追い抜きに苦労しているうちに前と千切れたりして、少々苦労したが、やがて鶴巻温泉に到着した。まだ日が高い。さすが夏至間近の時期だ。温泉に入り、休憩室でまったりする。ここでちょいと上せてしまったようで、気分が下降気味になる。
 鶴巻温泉を後にして、近くにある天安(てんやす)に向かった。まずは発泡する黄金色の液体(人体注入後の効果を知る者には魅惑の魔法を発揮する)で乾杯。しかし中ジョッキは多すぎて、眠気に襲われてしまった。帰りの電車で寝ちまうかな。
 今日もウマウマの天ぷら定食を平らげ、満足度は高い。店を出て、鶴巻温泉駅前で各自輪行準備をして、小田急で三々五々帰宅した。
 僕はマモル氏、はるだぁ氏ともども長後で降り、境川で別れて裏道経由で帰宅した。なんとも満足度の高いツーリングだった。

2003年05月23日(金曜日)

冷蔵庫閉まらず現象を解消

00時00分 暮らし 天気:くもりだな

 最近、なんだか冷蔵庫の運転音が高かった。ずーっと全力運転しているみたいだった。おまけに、冷凍庫の物に激しく着氷するようになってきた。季節的なものだと思っていたのだが、ふと冷凍室のドアが完全に閉まらなくなっているのに気づいた。家の冷蔵庫は2ドア式で、下側の冷凍庫のドアは引き出し式なのだ。この引出しをぐるりと取り囲んでいるパッキンの一部が閉まらなくなっている。そこから外気が侵入していたのだ。
 見たところ、パッキンに異常は無く、ドアの立て付けが悪くなっているようだ。まっすぐ入っていない? ドアを引き出し、奥を覗き込むと、スライド部の奥に着氷しているのに気づいた。これか。氷を取り除くと、ドアが完全に閉まるようになった。これで一安心。
 冷蔵庫の不調はここ一月ぐらい続いていたから、その間にかなり電気を無駄にしたんだろうな。

2003年05月22日(木曜日)

MR-4Fのカーボンフォーク化

22時00分 自転車 天気:いい塩梅だ

 前から、MR-4F改のフォークかハンドルをカーボンにしたかった。いろいろ手が入って、快適度が増してきたのだが、手に来る振動にはかなりめげそうだ。
 カーボンハンドルバーは高価だし、24インチのフォークなんて無いし、と思っていたが、実はちゃんと売っているところはあったのだ。
 フォンドリエストやパナレーサーのジュニア向け24インチロードに、ミズノのカーボンフォークの設定があることは、前から知ってはいた。しかし、単独で入手する手段が無さそうなので、半ば諦めていたのだ。ところが、ウエムラサイクルのウェブページを何気なく見ていたら、ちゃんと24インチフォークが載っている。しかもそんなに高くは無いではないか。
 逸る心を抑えて(笑)、フォークの詳細を見た。詳細も何も、ノーマルサイズのアヘッド用という事以外は分からない。コラム長もオフセットも不明。写真を見る限り、オフセットは今のGIANT純正のものと変わらないように見えるが。
 スレッドからアヘッドへと変更する手順がいまいち分からなかったので、ウェブを徘徊して調べてみた。基本的に、ヘッド周りのパーツは、ハンドル以外は全部交換ということになりそうだ。フォークの他、1インチJISサイズのヘッドパーツ(アヘッド用)、アヘッドステムが必要になりそうだ。フォークが9800円、ヘッドパーツが5000円前後(もっといいグレードのものを使ってもいいのだが)、ステム(3000円台からコース)くらいで、2万円くらいでなんとかなりそうだ。これくらいなら、人柱してもいいかな。
 問題はコラム長だが、これは他のMIZUNOのフォークが30cm以上あることから、なんとか間に合うサイズであることは期待できそうだ。
 あ、今思いついたのだが、24インチロードのジオメトリを調べることで、さらなる詳細が分かるかも。でももう発注しちゃったけど(爆)。
 もしもフォークがカーボン化したら、次はハブダイナモの適用と行きたいところだ。

早朝ラン

08時00分 自転車 天気:いい塩梅だ

 4:30に起床。そそくさと身支度をして、TCR-2でいつものコースに向かった。
 早朝の境川は既に日の出を迎えており、オレンジ色の眩しくはない太陽が、東の低い丘陵の上に懸かっている。空気は意外に冷えており、指無し手袋をしてきたことを、少し後悔した。
 この時刻になると、ウォーキングの人々が活動しているせいか、夜中にサイクリングロードに増える蜘蛛の糸が全くない。これだけでも早朝ランの甲斐がある。
 視界が良好だったので、30km/hで足をクルクル回しながら走った。俣野橋で西に向かい、湘南台経由でひた走り、帰宅した。まだ気温が低めなので、汗まみれで死にそうになる事態は避けられた。今が一番気持ちいい頃だろう。

2003年05月21日(水曜日)

帰ってすぐ寝る日

00時00分 暮らし 天気:いいのか悪いのか

 今日は定時退勤日なので、定時になったらすぐに帰宅した。帰宅して、雑用を片付けて、すぐ布団に入る。明日は朝トレをするつもり。この時期には、どう考えても朝の方が気持ちいいだろう。
 しかし、夜中の1:00に突然目覚めて、それから眠れなくなってしまった。まったく、なにが悪くて不眠症気味になるんだろうなあ。いろんな妄想癖が悪影響を与えているのか。

2003年05月20日(火曜日)

なんちゃってランドナー計画その2

00時00分 自転車 天気:雨

 どうせランドナー風にするのなら、ドロップハンドルにしてしまえ。今のTCR-2、またはMR-4Fはカーボンハンドルにしたいので、余ったハンドルを移植できそうだ。STIはTCR-2の105をグレードアップして、お下がりとしてつけるか。その場合、トラベルエージェントの類が必要になるだろうな。あるいは、Vブレーキであることを考慮して、Vブレーキ用ドロップブレーキレバーを着けるか。変速はエンドバーシフターになるだろう。
 ドロップ化すると、あまりに近すぎるHARDROCK号のハンドル位置の問題も片付く。けっこう、いいかも。
 でも、まずはフラットバーのままで、最低限の費用で出来る範囲を処理して、使い物になるかどうかを探るべきだろうな。フレームが、やはり小さすぎるかもしれない。サイドバッグが足に当たる可能性がありそうなのだ。ならばフレームだけ買い替えか......。結局、買い替えに等しい? 残せるのはフロントフォークとハンドルだけだ。やっぱり、XSサイズなのが全ての元凶なのだ。

2003年05月19日(月曜日)

なんちゃってランドナー計画

22時00分 自転車 天気:雨

 その用途が模索されているHARDROCK号。要するにいらない自転車になってしまっているわけで、トライアル用にしようとか、通勤用にしようとか、いろいろ案を出しては消している。そうやって楽しんでいるわけだが、またしても新しい案を思いついた。なんちゃってランドナーにしてしまえ。
 なんちゃってランドナーといえば、我らがGIANTのGREAT JORNEYが有名だ。HARDROCK号はハードテイルなので、リアキャリアの装着には苦労は無いだろう。問題はフロント側だ。ROCKSHOXのフロントサスが着いているので、普通のフロントキャリアは使えない。
 一つ思いつくのは、リジッドフォークに替えてしまうことだ。ランドナー的用途を考えると、サスは不要だろう。しかし、気の利いたフォークだと、軽く1万円を超えてしまう。
 もう一つ、ちゃんとサスに対応したフロントキャリアを使うという道。調べてみると、ミノウラからそういうものが出ている。カンチ台座(カンチとはいうが実際にはVブレーキ台座のこと)、フロントホイールのクイックで固定するものだ。この二つの相対的な位置関係は、ホイールに対して不動なのでキャリアを固定できる。しかし、構造的に死ぬほど重いものは固定できそうにない。まあ、フロントサイドバッグには軽くてかさばるものを入れるのが通例らしいので、それでも困らないのだろう。これでも気の効いたリジッドフォーク(リッチーのとか)よりは安い。問題はフォークの重量差から、1kgは重くなることだが。
 これで前後サイドバッグ+フロントバッグ+リアキャリア上に荷物を載せられるので、BikeEより荷物を載せられそうだ。BikeEも頑張れば同じくらい荷物が載るが、あまりに後荷重になって操縦性に影響が出る。それとリカ筋の養生が足りない僕には、リカンベントでの登坂は辛いのだ。
 まあ、それほど金をかけないで済みそうなので、ボーナスが出たらランドナー化に踏み切り、機会があれば「なんちゃってランドナーだ」と称して売りさばくことにしようかと思う。って、買う奴居るのかよ(サイズがXSなのが癌)。

風の無い雨の日

17時00分 暮らし 天気:雨

 今日は一日雨だったが、風の無い穏やかな一日でもあった。こういう雨は結構好きだ。雨の降り込まないアパートの廊下から、ボーっと雨に降られる中学校のグラウンドを眺めたりして。
 もうすぐ紫陽花の季節がやってくる。その前にローラー台を買っておかないと。

2003年05月18日(日曜日)

やる気のないミックスフルーツ

23時00分 暮らし 天気:良くはないのです

 最近、酒のつまみにフルーツ缶(1缶100円で絶賛投げ売り中)を食うのがマイブーム。体にもいいぞ。
 今日はミックスフルーツだ。みかん、桜桃、パイナップルの3種混合品だ。缶切りで開けて、いただきまーす。
 シュコッ(ビールを開ける音)、んぐんぐんぐんぐ、ぷはーっ。む、この缶、みかんがやたら多いなあ。というか、みかん以外は入ってないのか? まったく、これだから得体の知れない輸入物は......。
 みかんをある程度食べると、下から桜桃がかたまって出てきました。なんだ、入ってるじゃん。いや、僕は広島もんだから、入っとるけんというべきか(どうでもいい)。桜桃もいけるもんだ。
 桜桃を食べていたら、缶の一番下からパイナップルがかたまって出てきました。
 ..................。
混ぜろよ。
 これ、ミックスフルーツなんだろう? ミックスしてるんだろう? ミックスといやあ、構成物質がゴチャゴチャと混ざった状況を指すんだろう? だから、
混ぜろよ。
 これじゃミックスじゃなくて、ラミネーティッドだよ。貴様らは下から三つ葉、セロリ、にんじん、りんご、かぼちゃ、その他もろもろのおろし汁が、混ざりもしないで共存している代物を指して「黄緑野菜ミックス」と名乗るのを許すのか。得体の知れない液体がきれいに積層したボトルを飲んで、「いやあ、やっぱり充実野菜はセロリ汁から飲まないと」などとほざくのか。
 まったく、ふざけているではありませんのことよ。この缶を連中のいい加減さが笑えるものだったぜ。でもビールはうまい。

荒川オフ

00時00分 自転車 天気:良くはないのです

 今日は月例荒川オフの日だった。別に出る用事も無かったが、やはり変わった自転車を拝める(さらにいえば試乗できる)誘惑には逆らい難く、BD-1で出動。
 今日も浮間舟渡で岡山氏と遭遇した。
 今日の参加者は30人弱程度。GW疲れもあるのか、いつもよりは少なめだ。
 いつものルートを南下して行くが、今日は荒川河川敷利用者のマナーが、いつもに増して悪かった。ボールは飛んでくる、道に車(!)は置く、集団で道をふさぎながらぞろぞろ歩くと、自転車で走るには危険な道に成り果てていた。今日はなにかの行事があったのか、いつもより利用者が多かった点も関係しているのだろう。このままでは、グラウンドの多い区画は土手の上に退避する等の自衛策が必要になるかもしれない。
 虹の広場ではフィリップ氏がオーディナリの合流。50インチ径だそうで、前に聞いたときは48インチだったから、いつの間にか成長しているのか!?
 最後の休憩場所である水門についた。後続がなかなか来ない。心配していたら、なんとフィリップ氏が転倒してしまったとか。ボールが飛んできたんだそうだ。心配していた事故が起きた。
 その他はトラブルも無く、無事に葛西臨海公園に到着した。いつもの東屋は、バーベキューをやっていた集団(いいのかよ)が荷物置き場に占拠していた。まったりと14:00まで過ごし、解散。
 帰路はどうしようかと思ったが、とりあえず東京駅方面隊にくっついていった。パレスサイクリングで走ってから、輪行しようという腹積もりだったが、そのパレスサイクリングをやってない。別の場所でマラソンがあったとかで、車の流れの関係で通行止めに出来なかったようだ。
 さて、どうしようかと思案したが、とりあえず走れるところまで走っていこうと思い、自走帰還を選択した。CHEE氏も同行するという。CHEE氏にあちこちで助けられながら、R15を下っていった。後続がいるせいか、いつもより気合が入って、27km/hくらいで走っていく。追い風だったのも良かったのだろう。案外に速いペースで走ってゆけた。
 鶴見でCHEE氏と別れてからは、気合が抜けたのかへなへなペースで走る。それでも、日があるうちに家にたどり着けた。それでも3.5hはかかるのか。
 帰って爆睡したら、NHKスペシャルを見逃してしまったではないか。再放送熱望。

2003年05月17日(土曜日)

ダラーっとした一日

00時00分 自転車 天気:良くはないな

 GW疲れも解消されないまま南会津へと遠征したためか、体の節々がいまいち痛いままだ。今日は完全休養日に充てることにした。
 昼過ぎに、BD-1で長後のCoCo壱番屋(またですか?)に出かけ、昼食をとる。走りながら、チェーンから潤滑不足のキュルキュル音が出るのが気になった。
 帰って、BD-1、TCR-2、MR-4F、EPICと整備していった。ワックスがけと、駆動系の清掃だ。BD-1にはWAKOSのメンテルブ、TCR-2とMR-4Fはクライテック、EPICにはホワイトライトニングを適用した。なんとなく、メンテルブは塗りやすくて汚れ難いが、はやく消耗してしまうという感じだ。
 明日は荒川だが、水溜りが残っているかもしれないので、BD-1で出かけようと思う。

2003年05月16日(金曜日)

HL-1500をLED化してみた

00時00分 自転車 天気:良くないね

 手許にHL-1500が一つ余っていたので、これも何の気なしに買ってあったLED化キットを適用してみた。ハンズの自転車売り場で購入したものだ。
 純正のバルブに較べてLEDバルブは大きいので、取り付け位置をやすりでゴリゴリ削ってみた。なんとか入った。電池を入れて、点灯してみると、ちゃんと点った。
 さて、いきなり結論からいうと、これは使えない。暗いと評判のEL100と較べてさえ、なお照射面は暗く見える。原因の一つは、当たり前だがLEDの点灯位置と、HL-1500のミラーの焦点とが不一致で、中心部に十分集光できないことにあるのだろう。
 HL-1500が余っていて、長寿命のポジショニングライトが欲しいという向きにだけ、薦められるか。

2003年05月15日(木曜日)

やっぱりローラー台が欲しい

00時00分 自転車 天気:雨だ

 いろいろ思い悩んでいたのだが、静かに雨に降られる外を見ているうちに、やっぱりローラー台を買おうと決意した。十分な防音対策をして、まだ早い時間なら、1階の住民の迷惑にもならないだろう。最悪、廊下で漕ぐと言う手もある。
 買うものは、静粛性ありきなので、ミノウラの一番静かな固定式ということになるだろう。3本ローラーを勧める人は多いが、静粛性と収納性を考えると、どうしても固定式を取らざるを得ないのだ。
 既に沖縄が入梅したという。自転車乗りにとって嫌な時期がやってきた。

2003年05月14日(水曜日)

ひさしぶりにお好みハウス

00時00分 暮らし 天気:雨っぽい

 昼ぐらいから、神奈川支部の掲示板で『お好みハウス行きたい』なんて話が盛り上がっていた。なんとなく流れるかなと思っていたら、定時間際になって、やっぱりやろう、という方向に変わってきた。一応、参加表明をしておく。
 20:00頃にお好みハウスに着くと、既ににち氏、こぐ氏、hai氏がいた。合流して、早速生ビールで乾杯。
 その後は、いつものごとくうまうまな料理をむさぼり、もう一杯レモンサワーをやってから、帰路を危惧してのウーロン茶モードに移行した。
 今日はレバー、砂肝、トマトチーズ、焼きそばなどなど。僕が炭水化物を所望し、こぐ氏は獣の薫りを求めるという、ありがちな展開となった。おかげでバランスよく食事できる。油が過多ではあるが。
 適当に切り上げて、駅前のスタバでお茶する。雨がだんだんひどくなってきた。こぐ氏が一足先に抜け、残りも23:00前には退けた。今日もお安く楽しめたなあ。でも八朔ゼリーを入手できなかったのは残念。
 アルコールを入れたせいか、地下鉄で湘南台まで乗り過ごしてしまい、なんとか折り返しの終電で帰れたものの、午前様となってしまった。でも、風呂に入ってから、布団に入った。

2003年05月13日(火曜日)

たいしたこと無かった

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 朝になっても昨日の打撲部が痛んでいる。そんなひどくも無かったが、ひびが入っていると嫌なので、医者に行くことにした。
 戸塚の病院までトレンクルで走り、朝早い整形外科だったのでさっくり診断。こういうのは内科でもいいよ、と言われながら触診を受けたところ、『単なる打撲』でした。湿布じゃなくてシューっと患部冷え冷えなスプレーをしてもらって、解放。うん、確かに局部を押さえれば痛むが、身体をひねったくらいなら大丈夫だ。
 さて、会社には「年休ね」と電話してあったし、どうしよう。今から会社に出るのもアホだ。というわけで、前から気になっていたR1南下ルートを走ってみた。
 戸塚~原宿間は未知のルートだったので、歩道をトレンクルでとろとろ走っていった。意外にアップダウンがあり、しかも歩道がごく狭いので、歩行者には辛い道だ。
 原宿まで走りきり、さらに少し南下すると、ユニクロがあった。瀬谷、踊場にある店舗より大きく、品揃えも良い。ここで、話題のフルジップジャージを購入した。リカンベントや、前傾の厳しくないアップライト(このトレンクルとか)なら、サイクリングジャージの替わりに使えそうだ。
 ふと思い立って、帰路はウィトリッヒの森に立ち寄った。相変わらず、忘れ去られたような静けさがナイスだ。
 境川沿いに復帰し、飯田牧場で小休止。今日はストロベリーヨーグルト味を試す。ほのかな酸味が爽やかです。
 湘南台に立ちより、ここのJEANS MATEで久しぶりにJEANSを買った。サイズを測ってみたら、10年前に買ったものよりこころもち細いサイズで適合した。ちょっと嬉しいぞ。
 帰宅して、MR-4Fの整備をしようかなと思っているうちに、日が暮れてしまった。

2003年05月12日(月曜日)

災難

00時00分 暮らし 天気:どうかな

 今日は年休を取っていたので、ゆっくりした目覚めになった。
 午前中はボーっとしながら、溜まっているメールなんかを見ていた。
 さて、昼を食おうとアパートを出た時のことだった。アパートの階段をフラフラと下りているとき、なんかの拍子に出した足をグキッとくじいたのだ。それはともかくとして、倒れかけた身体を支えようと手すりにしがみついた途端、その終端部で左胸をガンと打ってしまった。うう、痛そう。っつうか痛いよ! その場にしゃがみこんでしばしうめく。
 いくらうめいていても腹は満たせないので、近くの吉牛で手早く済ませた。
 帰宅して、ふと思いついてアイシングしてみた。当たった場所は見事に腫れ上がり、イヤンな感じ。外に出かける気になれず、部屋でぐーすか寝太郎と化してしまった。
 執拗なアイシングの成果があったのか、夜になって案外簡単に腫れが引いてきた。しかし痛い。心なしか、肋骨が痛いような感じもある。ひび入ったかな。ちょっとブルーな俺様だった。
 こんな状況でもナイトランに出かける俺様だった。別に触れなければ痛みは無いので、走るには支障ない。しかしまあ、蜘蛛の巣が増えてきたこと。俣野橋まで走ると、身体にも自転車にもたっぷり絡み付いている。やはり早朝ランの時期だと思うのだが。

2003年05月11日(日曜日)

第2回東京・南会津サイクルトレイン2日目

00時00分 自転車 天気:いいじゃないか

中山峠へ


 昨夜のどんちゃん騒ぎにも関わらず、6:30にわりときっぱりとした目覚めを迎えた。外気はやや冷たく、心地よい。
 昨夜、朝食の時間が7:00なのか7:30なのかというのが話題になったが、結果的には7:30だったようだ。朝からうまいご飯にお代わりしてしまう。きっと、この地方に住んでいたら、今よりさらに太ってしまうだろう。
 少々行動開始は遅れたが、宿を後にする。宿から幹線道路に復帰するのに、いきなり激坂登りの洗礼付きだ。
 さて、ここからは中山峠を越え、大内宿に立ち寄る予定になっている。中山峠はそんなに高くは無い峠だが、その直後にもう一つ山を越える必要がある。
 朝食が多量に腹にたまり、いまいち足が回らない。にち氏にくっついて登って行く。最初は結構な激坂ではないかとの情報もあったが、折り返しが多く、意外に緩やかな印象があった。ペダルをへこへこ回しながら、その緩い坂を登っていった。身体があったまってきて、ようやく調子が出てきた。なかなか気持ちいい道を登って行く。登りはいくら足を鍛えても辛いままだ。ベターっと踏んでも登って行ける、そういう緩々の坂が好きだ。
 やがて、先行していたスタッフ車と、既に到着している参加者が見えてきた。到着寸前ににち氏をズバッと抜いて(ここだけ元気良くもがいて(笑))、峠の頂上に立った。
 これぐらいの峠なら、一日複数でも脚にこないだろうなあ、などと暢気に周囲を見渡す。左右を木立が走っているので、あまり見晴らし良くない峠だった。
 全員集合の後、今度はしばし下り、スタッフの誘導で小公園で小休止することになった。駐車場と、コテージ風のトイレ、手洗い場が並んだだけの、妙に殺風景な公園だと思った。後続の到着を待ちながら、漠然と周囲を見回したところで、ようやくこの公園の本当の見ものに気づいた。少し離れた場所に、見事な花畑が広がっていたのだ。観光客も、ぽつり、ぽつりとやってきているようだ。
 ここでチョコと飲み物の配給があった。昨日の観音沼でもらったお茶のペットボトルをようやく飲み干したので、ここでポカリスエットをもらっておいた。今年は去年以上に甘やかしてくれるなあ。でも休止中にチョコで糖分摂取というのは、ハンガーノックで走れなくなる参加者を出さない予防になっているのだろう。
 ここでこぐ、みち、にち氏らスマイル隊(全員、ハンドルバーにRIXEN&KAUL SMILEを着けたBD-1に乗っている)の写真を撮ってあげる。そういえば、MR-4FにもALLROUNDER MINIを着けたいところだ。

大内宿


 公園を出発して、少し登った民家の庭先に、樹齢1000年という大ケヤキがあった。幹周りは12mもあるという。森の真ん中にこんな木が立っていたら、なにか神めいたものが依り憑いているように感じたかもしれない。樹盛もまだまだ盛んで、生命力を感じさせた。
 さらにもう一つの峠も越えてゆく。こちらは平野女史らと抜きつ抜かれつしながら登っていった。すぐに下りになる。これがもう、なんとも爽快なダウンヒルだ。早めのブレーキングさえ心がければ、MR-4Fでも不安は感じない。歓声を上げたくなるくらい、気持ちいい下りだった。
 やがて下りきり、上り始めた。上りは短く見えたので、一気に踏んで、平野女史を差した。爽快なり。が、のぼりはまだまだ続いて行くのだった。スローダウンして、へなへなと上ってゆくと、先発隊に追いついた。
 そこは大内宿への分岐点だった。藁葺き屋根の家屋が立ち並んでいるのが見える。よくもこんなにきれいに残ったものだ。
 後続の到着を迎えながら、今回の参加者を観察した。僕より先に必ず上りきるのは、ガイドの人を除けばロードが大勢だ。一人、KOGA-MIYATAのスカンジウムバイク(全デュラエース構成の7701カーボンホイール履き)に乗っている男性と、スリックを履いたMTBでガシガシ上ってゆく男性は、確かフィットネスクラブのインストラクターだったか。さすがにフィットネスレベルが高いようで、あまり消耗した気配はない。その部下だというCANONDALE R800(女性用)に乗った女性も、重いギアをダンシングで回しながら、僕にほとんど遅れずに上りきる人だった。日常的に運動している連中には敵わない。平野女史もなにげに速い。みんなどこで鍛えているんだか。
 全員揃ったところで、大内宿での食事に移動した。去年の2日目は観音沼の辺でのお弁当だったっけ。あれもうまかったなあ。
 食事の店へは、大内宿の裏側(つまり外側)から導かれた。自転車を周囲に停め、店内に導かれた。
 店では、岩魚の塩焼き、蕎麦、きな粉餅、付け合わせが饗された。岩魚なんて、瀬戸内育ちの僕には幻の魚だったのだが、今回のツアーでは本当に良くお目にかかる。資源として枯渇しないか心配だ。養殖してるのかな? 蕎麦は味の濃い汁でいただくやぶ蕎麦。それだけに、蕎麦湯は更科蕎麦のそれよりも美味しかったように感じた。またこのきな粉餅がうまいことうまいこと。きな粉の甘味も更なる事ながら、きめの細かい餅のとろける口当たりにも陶然とする。あまりのうまさに、出されているものだけでもかなりの量だったのに、余っている蕎麦と餅一個をいただいてしまった。
 食後は大内宿の散策だ。大内宿は(カタログ的な説明を試みれば)日光と会津若松を結ぶ日光西街道上の宿場町で、当時の家並みをよく保存した場所だ。それは、目抜き通りを中心にきれいに並んだ藁葺き屋根の列を見れば、すぐ理解できるよな。ところが、道沿いに立っていた能書きに拠れば、ここは戊辰戦争で散々な目にあったらしい。会津若松に程近かったので、佐幕派の奥羽列藩同盟軍、倒幕派の薩長土肥軍との合戦場になったらしい。おかげで、当時の資料は残ってないとか。すると、この家並みは、実はごく最近になって復元されたものなのかもしれない。
 かなりの道幅の目抜き通りの左右に、日常生活に用いる用水路が走っている。そして少し間を空けてから、家屋が立ち並んでいるのだ。見たところ、ほとんど全て商家のようだ。用水路にはラムネの類が冷やされている。一瞬、買い食いしたくなったが、ぽこんと突き出したお腹が、それを思いとどまらせた。生ビールを売っている白人のおやぢもいる。蕎麦ビールだとか。むやみに買いたくなったが、「蕎麦ビール」という禍々しい響きが、それを思いとどまらせた(こんなんばっかり)。ビール売りのおやぢは、地ビール作りにドイツ辺りから呼び寄せられて、そのまま居着いてしまった人なのかもしれない。

湯野上温泉で露天風呂


 散策時間が終わると、いよいよ最後の走行、湯野上温泉へのダウンヒルだ。しかし、ここは結構交通量の多い道を通るので、10人ずつ3班に分かれて下っていった。確かに交通量が多いので、ここを30人縦列で下っていったら大変なことになるだろう。
 小休止を挟んで下りきり、湯野上温泉駅の駐車場に自転車を停めた。湯野上温泉の駅舎を見ると、去年と同じように『これで終わりか』という寂寥感が押し寄せてきた。
 去年と同じく、露天風呂の時間が設けられた。去年は内湯のみの大島屋(?)に行ったので、今年は露天風呂のえびす屋に入ることにした。この露天風呂、上に屋根こそあるものの、周囲は「これが露天風呂だろ?」といわんばかりの開放ぶり。対岸の民家、車道から丸見えだ(それでも50mは離れていたが)。これはこれで心地よい。しかし、これで500円は正直高いか。
 露天風呂を出て、駐車場に戻ると、なぜか折り畳み自転車宣伝大会と化していた。BD-1、ブロンプトンの折り畳みが披露される。「BD-1は欲しいんだけど......」という声もちらほら。さらにポケットラマ(ドロップハンドル仕様)の折り畳みまで飛び出して、なぜか盛り上がったりして。

会津田島へ


 湯野上温泉からの出発時間が近づいてきた。トロッコ(風の車両)を接続した列車が入ってきたので、早速自転車を積み込んでおいた。今年はそれなりに余裕があるようだ。最後尾車両は近代的なパノラマカー風車両になっていたので、そこをせしめる。にち氏がビールを買ってくるというのでついでに頼んだ。早速車中で乾杯。このままでは、会津田島に着く前に酔っ払いになってしまいそうだ。
 他の参加者らと「終わっちゃったねえ」などという話を話しているうちに、会津田島にさくっと到着した。自転車、自転車と探していると、その松女史が運んでくれているのを発見。
 帰りの列車が出る時刻はまだ先で、この会津田島で十分な余裕がある。去年の帰路は慌しかったので、早速その教訓を取り入れてくれたのだろう。こちらも去年の教訓を咀嚼して、買物に走ることにした。そう、去年の帰路は、大変ひもじい思いをしたではないか。
 駅の近くにはコンビの類は無く、みやげ物売り場と、駅売店が数少ない食い物購入ポイントだ。弁当、弁当と探して歩くも、売ってないようだ。気落ちして駅売店でパンでも買おうかと見繕っていたら、その側に少しだけ弁当を並べてあるのを発見。ここでいなり寿司を買っておいた。さらにパン、ビール、コーヒー類も。
 ホームに戻ってMR-4Fを輪行形態にトランスフォームしていたら、帰りの列車がホームに滑り込んできた。時間的にゆとりがあるので、きちんと自転車を固定しておく。荷物の忘れ物もない。完璧だ、よな。
 やがて発車の時刻になった。ここで別れる現地スタッフと手を振り交わした。「また来ます!」と今回も声を出していた。本当にお疲れ様でした。

帰路は宴会列車と化して


 途中、会津高原駅でBコースの人々を回収し、列車は一路首都圏を目指す。
 去年と同じくアンニュイな気分に浸りながら、同じボックスのこぐ氏らと談笑する。ちょっと眠いので、どこかで寝るか。
 なんて話しているうちに、このCコース車内での宴会が盛り上がり始めた。最初はDコースが山アド的盛り上がりで燃え上がっていたのだが、こちらも負けじとアルコールが注入され始めた。どこにこんなアルコールがあったのよ? そういいたいくらいの酒が、どこからともなく現れては飲み干されて行く。どうもみんなお土産用に買った酒を、勢いで空けまくっているようだ。大丈夫か、君たち?
 などといいつつ、俺様も酒宴に加わっていった。昨夜の宴会に饗されたこの地方の銘酒が出され、その口当たりの良さに酔いしれるのだ。おつまみもどんどん湧いてくる。ははっ、みんな去年の教訓をたっぷり学んだらしい。
 特に隣のボックスのフィットネスクラブ組の盛り上がりが凄い。それに加わって下ネタの連発に大笑いしているうちに、だんだん訳がわからなくなってくる。いつの間にか日本酒をかなりやってしまったようで、これで帰れるのかよという状況に陥っていた。危ない危ない。コーヒー、紅茶で酔いを覚ましながら、馬鹿話に加わった。
 やがて酔っ払い集団を乗せたまま、電車は北千住(ここでこぐ夫妻下車)、浅草と帰着したのだった。
 参加者、スタッフそれぞれ、名残惜しげに会話しながら、三々五々散っていった。宴の終わりだった。
 さて、どうしましょ。自走する気力は無かったので、輪行だ。にち氏らと東武浅草線経由で帰ろうという話になったが、ふらふらと着いていった先は都営浅草線。まあ、いいか。新橋乗換えで帰れば。
 横浜でにち氏と別れ、戸塚から地下鉄で立場へ。そこからは、MR-4Fに今日最後の仕事をさせて、帰宅した。
 次回は9月最終の土日にやるそうだ。早くも、次回はどのコースに参加しようか、なんて考えている僕がいる。

2003年05月10日(土曜日)

第2回東京・南会津サイクルトレイン1日目

00時00分 自転車 天気:これは晴れだな

混沌の中の出発


 朝5:00過ぎに起床。どうもよく眠れず、いまいち寝足りない気分だ。しかし、もう起きなければならない。
 廊下の給湯器で湯をもらい、カップ麺の朝食を作った。店じまいをしながら、窓を開けて空を見る。いい天気になりそうだ。もっとも、遠い南会津でどうなるかは不明だが。
 洗面所を使ったりしているうちに、そろそろ6:00が近づいてきた。安宿の宿泊客も、そろそろと起き出している。
 6:00過ぎに宿を出た。MR-4F改を墨田公園へと走らせる。休日の早朝だ。東京近辺といえど、道路に車は少ない。
 墨田公園に入り、少し走ってゆくと、なにやら怪しい集団が目に入った。これが受付だろう。その周囲には、早く着いた人々が、受付の開始を待ってたたずんでいた。
 はて、もう輪行準備をしていいものだろうかと考えているうちに、後ろから声をかけられた。まき氏登場。まき氏は山アドコースに参加するはずだ。でもリカンベントでいいの? なんでも、山アドコースも、実際には100%オンロードを走ることになったそうで。なら、僕もこっちに参加しても良かったな。
 受付が始まっているようだったので、名を告げて資料をもらう。出発時間の関係からか、今回はタグ類を車中で配布することになっているそうだ。
 受付時間に入って、参加者が続々と集合してくる。にち氏、たか氏、相方のみち女史らが到来する。乗車はほとんどBD-1だ。ふと、今回はBD-1大挙参加の回になるな、と思った。しかし、今回は輪行前提という色が濃くなったし、いずれにせよ遠隔地からは折り畳みでの参加の方が有利だし、こうなるのは目に見えていたのだが。
 そんな中、その松女史を伴って現れたおのひろき氏の乗車こそ、本来のサイクルトレインの目的にかなったものだった。GREENSPEED GTXというトライクでの参加だったのだ。去年もSHIG氏が兄弟車で参加したが、おの氏のものは内装3段は無く、2*9段構成だった。地を這うようなフォルムがそそる。
 その他、Dコースにねず吉氏、Bコースにサリーナ女史とサイダー氏が参加されていた。BD-ML周辺で情報が流れたせいか、BD-ML関係の参加者が非常に多い。また山アド関係の人も多い。まあクロスオーバーしているので、きれいに切り分けられないが。
 一応、この場で輪行準備をしてから、乗車のために浅草駅へと移動した。乗車順に列を作って進むのだが、列車準備の都合で、改札を抜けたところで、しばし足止めを食らった。自転車を抱えた状態での足止めは、正直きついのだが。時間的な余裕が無くなった今回、ちょっとハラハラさせられる。でも、その分はこちらが積極的に動けばいいのだ。
 ようやくホームに上がり、列車の到着を待った。団体専用列車"あいづ"が、この酔狂な一団を江戸処払いにしてくれるのだ。去年は"たびじ"だったかなあ。
 やがて、定刻に浅草駅を出発した列車は、10分後に上井草に到着。ここで慌しく、上井草からの合流組が乗り込んできた。一人でぽつんとしていた我がボックスにも、こぐ夫妻、hai氏が合流し、賑やかになってきた。
 列車は徐々に都会の風景を離れ、次第に山が近づいてきた。山が近いこの光景は、なにかこころが和む。湿度が高いこの季節、どの山も霞をまとって、遠くにあるほどかすんで見える。そんな山が、いくつも重なって、連なって見える。
 かすんで かさなって 山がふるさと
という山頭火の句を思い出した。山頭火は海が嫌いで(その割に海の句も残してはいるが)、それは小波の動揺に耐えられないからだ、と語ったとか。その意を汲めば、揺ぎ無い山の眺めは、確かに心安らぐものだと思う。
 やがて、山の真っ只中を抜け、ちょっとした盆地に出たと思ったら、そこが会津田島だった。

観音沼へ


 列車を下り、しずしずと駅前の広場に進んで行く。これから観音沼への登りに挑むわけだ。MR-4Fを展開し、FREEPACK SPORTに詰まっている荷物を、すぐ必要なもの、それ以外のものとに分けた。すぐに必要なもの(といっても工具類と雨具だけだが)は残し、他のものは折り畳める3WAYバッグに詰めて、サポートカーに預けた。この3WAYバッグは、去年のTOKYOシティサイクリングでもらったもの。意外に便利で、活躍中だ。
 出発前に集合写真を撮った。今年の参加者数は、去年よりも心持少ないようだ。
 全員の出発準備が整ったところで、出発。30台の自転車が列を作り、田島駅前の道を飛び出していった。
 観音沼への道は、去年も通ったものだ。途中、養鱒公園に立ち寄るのまで同じだ。と、思いきや、実は細かい道順は異なっていたようだ。養鱒公園駅にも寄る経路だった。
 前回は、最後の方までは楽に登れた記憶があった。ところが、今回は、結構最初の辺りから辛い。ああ、こんなに辛いなんて。我に降臨せし自転車神は去ったか。いやこれは、多分寝不足だな。
 途中、会津鉄道養鱒公園駅でトイレ休憩。可愛らしい駅舎を持つ無人駅だ。
 養鱒公園を出ると、いよいよ本格的な登りになってくる。とはいえ、まだ足をクルクル回せば登って行ける程度だ。しかしながら、MR-4Fのディレイラーの調子がいまいちで、変速が決まらないのには参った。
 途中、小学校の分校に立ち寄った。木造の趣ある校舎が、むやみに郷愁を誘う。そういえば、僕が小学校2年生の時、こんな木造校舎が教室だったんだっけ。間もなく取り壊されてしまったけど、あれはせめて一度だけでも木造校舎で過ごさせてやりたいという、先生方の親心だったのかもしれない。立て付けが悪くて、うっかりすると廊下を踏み抜きそうなくらい痛んだ校舎だった。しかし、コンクリート打ちのそれには無い、木の温かみが生きた校舎だった。
 ここでアイスの配給があった。市販のアイスだったが、みんな大喜びだ。気温が高めで、しかも登りが続く道行に、誰もが汗びっしょりだったからだ。アイス最中を食す。いい感じにGOODナリヨ。
 分校を出ると、またもや登りが続く。なんとなく、見覚えがある道だなと思ったら、去年と同じコースに入っていた。途中で見た雪避けの柵に再会すると、去年立ち寄った学校(ここも趣があって良い)に出た。しかし、今年は通過する。
 どうやら、去年より長い距離を、一気に上ってゆくようだ。前ににち氏、こぐ氏等が見えていたので、ゆっくり、ゆっくり追い抜いた。なんか、アイスのおかげか、自転車神が再降臨したようだ。しかし心臓バクバクで、心拍数上がりすぎの気配だ。
 道沿いに、白い花をつけた果樹が立ち並んでいる。どうやら林檎の花らしい。可憐で飾り気の無い花だ。菜の花は見られなかったが、林檎の花は見られたわけか。
 ふう、ふう、息をつきながら登って行く。最初のうちはダラダラとしたのぼりだったが、最後に近づくにつれ、急激に斜度が増してゆく。道はほとんど直線なので、結構きつい。
 やがて、前方にスタッフの車と、先着していた参加者の姿が見えた。どうやら、3~4番目くらいに登りきれたらしい。成長したなあ、俺。
 観音沼の入り口に自転車を停め、汗を拭っていると、去年のツアーで知り合った平野女史が登ってきた。今回はえらくオシャレーなロードバイクでの参加だ。ロードバイクにジーンズでさくっと乗る、ってのもいいもんだな。
 次にこぐ氏、にち氏、あゆこ女史らが登ってきた。あゆこ女史はブロンプトンで観音沼を制覇だ。しかも、かなり速かった。川崎山岳地帯は、一人のクライマーを生んだようだ。
 殿はおの氏とhai氏、それと年配の女性だった。おの氏のトライクを激写する。
 全員揃い、30分ほど観音沼の散策をする。人気は無く、このツアーが占領しているようなものだ。春の、全てが萌え出す季節の観音沼は、秋のそれとは違った艶があって良かった。山桜も、葉桜になりきる寸前だったが、その艶やかな花を拝むことが出来た。

塔のへつり


 さて、次の目的地は塔のへつりだ。去年は時間の都合で省略されてしまったが、今年はきっちり立ち寄る余裕があった。途中、橋の上から阿賀野川(大川)の渓谷美を愛で、それから塔のへつりに向かった。
 塔のへつりに降りる道沿いには、駐車場と店屋が建ち並んでいる。その一つで団子を発見した吾輩は、それをたか氏が買うのを見た途端に耐えられなくなり、思わず買ってしまった。食う。まあ、団子だな。
 それを食しながら、もう一段低い場所にある土産物屋に立ち寄った。そこには人だかりが。聞いてみると、100円でやたらうまそうな蕎麦をいただけるのだとか。早速、その100円蕎麦を店の人に注文する。既に茹でてあったのか、半把程度の蕎麦を味噌汁の椀に入れ、それに出汁の効いた味噌汁をかける。これになにか青物を揚げた天ぷらを好きなだけ入れ、七味をいれて食すのだ。うまい! これだけで5杯はいけそう。晩飯いらんぞ。
 塔のへつりへと降りてみた。それはみやげ物屋群の対岸にあり、橋で渡ることが出来る。本当に塔のような侵食地形が、どっかんと立ち並んでいる。その下、水面から3mほどの場所に道が穿たれ、テラス状の場所をつないでいる。しかし、クリートが滑りそうで、そこまで行くのは正直怖い。橋の近くをうろうろする、真性へなちょこな俺様だった。

今夜の宿"会津野"


 今夜の宿に向かう。宿は湯野上温泉の旅館だった。会津野、というその旅館、古い民家の古材を再利用したらしく、歴史を感じさせる太い梁が、頭上の広い空間を支えている。
 部屋に荷物を放り込んで、風呂に入った。露天風呂は1時間交代で男女交代するようになっており、生憎この時刻には女湯になっていた。
 風呂から上がり、うだうだしていると、大広間で食事の用意が進められているのが見えた。囲炉裏では岩魚がじっくりと塩焼きにされている。うまそう。
 やがて食事の用意が整い、大広間での食事が始まった。うますぎな野菜類(これだけでどんぶり3杯イケそう)に舌鼓を打つ。岩魚も頭からバリバリ遣ってしまう。汁物は具沢山で、今日一日の労働量を補って、さらにおつりが福沢さんで到来しそうな勢いだ。
 ここで自己紹介。「自転車9台持ってます」。受けた、けど去年もこのネタだったな。
 飯の後は宴会だ。それが、なんと吾輩の部屋で実行されることにあいなった。寝れんやんけ。しかし大量の酒、おつまみに、ついご機嫌で参加してしまう吾輩であった。意地汚いこの身が嘆かわしい。
 ちょっと外に出て、星を見た。ワイドビノを空に向け、その星座を確認する。おや、大熊座でした。北に向かって開けているようだ。この位置からは、南の星座たちは見え無さそうだ。月なんかを眺めていたら、浴衣姿のおじさんたちに声をかけられた。他の旅館に宿泊している模様。「その旅館、テレビで放映されたよなあ」と教えてくれた。
 部屋に戻り、また宴会に参加していたが、さすがに22:00にはお開きとなった。布団を敷いて、目を閉じると、ほどなく眠気が襲ってきた。

2003年05月09日(金曜日)

南会津に向けて前泊

00時00分 自転車 天気:うすぐもり

 ついに南会津サイクルトレインが明日に迫った。去年は南会津の秋を堪能したが、今年は南会津の春を堪能できるだろうか。
 今年は集合時刻が1時間も早まり、横浜辺境区在住の吾輩は大弱りナリヨ。仕方ないので、前日は浅草周辺に泊まることにした。調べてみると、この辺には2500~3000円程度の安宿がたくさんあるのだ。その一つをピックアップして、予約を入れておいた。
 定時ですぐに退けて、アパートに帰って出立準備をする。荷物の大半は昨日のうちにまとめておいたので、それをバックパックに詰める作業はすぐに終わった。一応、風呂に入ってから、MR-4F改で立場駅に走った。
 地下鉄、JR、都営浅草線と乗り継いで、浅草駅に。一応、明日の集合場所を押さえてから、今日の宿に向かった。
 宿は、幹線を一本外れた道に面していた。受付で宿泊手続きを取り、はたと困った。自転車はどうするよ? 宿の人に駐輪場を聞いたら、そういうものはないとの返答だった。そりゃあ、2900円の宿にそれを望むのは酷か。では、と、『自転車を畳んで部屋に持ち込む』というと、そんなことをした奴がいなかったとかで、最初は難色を示した。しかし袋で包んで部屋を汚さないからと告げると、それ以上の反応は無かった。ただ、『部屋は狭いですよ』といわれたが。
 鍵を受け取ってから、部屋に入った。建物は古いが、エレベータは比較的新しく、また建物の手入れは行き届いている。部屋は3畳だが、窓が出窓風になっていて荷物を置けるし、テレビ、空調、冷蔵庫は床の間風に別スペースに置かれている。十分だ。
 バス、トイレは共同。しかし廊下には給湯器が置かれ、いつでも使用できるのはありがたい。
 一度、外に出て、近所のコンビニで食い物を仕入れる。それを腹に収める頃には、眠気がいい具合に募ってきた。顔を洗い、目覚まし携帯を5:15にセットしてから、就眠。

2003年05月08日(木曜日)

南会津目前

00時00分 自転車 天気:雨やら雲やら

 いよいよ南会津が目前に迫った(いや南会津が横浜市泉区に攻め込んできたとかではなくて)。墨田公園(浅草)6:30集合と考えると、当日朝に自宅発という経路は辛そうだ。不可能ではないが、戸塚まで自走する破目になる上、一本乗り遅れると受付時間ぎりぎりになってしまう。これはシビアすぎるので、前泊することにした。調べてみると、浅草に近いあの辺りには、素泊まりで2700円(!)という安宿がたくさんあるのだ。インターネット検索で調べてみても、そんなにひどい部屋でもないようだ。3畳くらいだが、寝るには不都合ないし、テレビや冷蔵庫までちゃんとあるという。まあ夫婦でとかいった場合には困るかもしれないが、寝る場所が欲しいだけの僕には問題無いだろう。ということで、JTBのe-hotel経由で予約を入れた。
 さて、乗ってゆく自転車は、MR-4F改に間違いない。距離的にもシチュエーション的にもBD-1で十分だが、FREEPACK SPORTの威力を試したいのと、坂で楽をしたいのとでこいつに決定。唯一の不安はペダルがM515のままな事だ。こいつでは何度もこけているからなあ。一時的にSPD-SLにしちまおうか。あるいはBD-1に付けてる、リッチーのSPD互換ペダルとか。
 持って行く荷物を、暫定的にバックパックに入れて、後は明日出発前に取りまとめるだけだ。あ、双眼鏡(ワイドビノ)も入れておかなければ。

2003年05月07日(水曜日)

月箱&夜トレ

00時00分 ゲーム 天気:曇り気味で湿度高し

 会社を定時で退け、横浜に出た。月姫のコンプリートセット、月箱があるだろうと目星をつけ、メロンブックスに向かった。案の定、山積み。ゲットして、ハンズに立ち寄ってから帰宅した。
 帰宅して、まずはPlus+Discをやる。をを、幻視同盟ってこういう話だったのか。晶たんは、確かにむやみに苛めたくなる系だわい。その他は壁紙など。さっくり終わってしまった。
 歌月十夜。これはある一日を(繰り返し)過ごすうちに、だんだん選択肢が増えて行くというもの。お祭りディスクですか。レンたんは、正直どうでもいいなあ。秋葉様の扱いが悪くて愕然としたが、これから良くなって行くのでしょう、と信じたい。
 へなへなな世界に遊んだ後は、ハードボイルドな夜トレだ。なにせ、自転車がまっすぐ走れないほどの風だ。境川南下ルートは、そんな風に向かって、まっしぐらに走ってゆく破目になった。しかし、自転車筋に降臨した神はまだ居座っているのか、こんな目も開けられないような強風下でも、23km/hで走っていった。気分的には30km/hオーバーで走ってるようなもんだった。
 俣野の登りを征し、国道を湘南台方面に突っ走って行く。追い風だから、44km/hくらいで突っ走っていった。行きと帰りで、倍も速さが違うとは。いつもこんなに快調なら、車の流れに乗るのもたやすいのだが。
 帰宅して、またへなへなな世界に浸ってから、睡眠。

2003年05月06日(火曜日)

気だるい一日

00時00分 暮らし 天気:いいのか?

 GW明けの今日は、どうにも生あくび連発の、気だるい一日となった。毎日、元気に走るだけの体力はあったものの、それでも疲労は蓄積されていたらしい。
 今日は早めに会社を出て、定期券の更新を行うと、帰宅してからひたすらボーっとして過ごした。これってGW惚け?

2003年05月05日(月曜日)

吉例アイスお代わりツアー4

00時00分 自転車 天気:まあ晴れだな

 さて、今日はアイスお代わりツアーの決行日だ。天気には何ら不安もなく(暖かすぎるという嫌いはあるが)、気分良く走れそうだ。
 一応、集合時間は9:00としておいた。しかし実際に横浜アイス工房が営業されるのは10:00からなので、9:30くらい集合でもいいよと伝えておいた。
 今日の得物は、少し迷ってTCR-2に。誰かがリカンベントで来るのなら、BikeEで出撃というのも考えた。しかしみんなアップライト、しかもそれなりに走行性能の高いものばかりのようなので、結局はTCR-2での出動となった。
 戸塚駅まで自走して、9:00丁度に到着。誰もいない。しばらくしてぼちぼち集まり始めた。横浜方面自走隊の到着は9:30。どういうわけか、横浜方面自走隊はみんなBirdy系、それ以外方面はみんなBirdy以外だった。
 少しして、出発。最初の予定では、素直に日立の工場方面に上がって、そこから向かうつもりだった。しかし、地元の道に詳しい(ただし20年前)はるだぁ氏らが、柏尾川沿いに走ってから、JR線を潜った方が早いと教えてくれたので、そちらを採用。多少、住宅街をぐるぐる走ったが、やがてアイス工房に到着した。10:00前だったが、もう営業していた。各自アイスを買って、味わう。飯田やリコッタに比較して、わりとさっぱり系の味か。
 アイス工房からは、はるだぁ氏の先導でいったん南に抜け、市道環状3号経由で柏尾川沿いに復帰し、江ノ島ツーリング時のルートで走った。途中、小さな公園で休憩を取り、そこで自己紹介をしようと提案したが、この後でちゅうねん氏が合流する予定になっていたので、敢え無く却下。
 藤沢駅へと抜け、ここでちゅうねん氏に電話を入れ、合流した。ちゅうねん氏の自転車は、いつの間にやらドロップバーになっていた。
 各自適当に駐輪し、リコッタの支店で2回目のアイスとあいなった。リコッタは女の子が一人で切り盛りしていて、忙しそうだった。ここではアイスを腹に入れる気になれず、コーヒー牛乳を選んだ。濃厚な牛乳が味わい深いそれは、コーヒー牛乳という薄ら馬鹿っぽい名称が霞んでしまうようなものだった。美味しかったけど、コーヒー牛乳には水っぽい安牛乳がお似合いだ。
 ここからは、しばしたか氏の先導で、境川左岸の道を走る。市民病院付近まで、交通量の少ない裏道を走ることが出来るのだ。自転車の特権だ。
 境川サイクリングロードに入った。ゆっくり北上し、やがて俣野橋に到達。最初の腹案ではここで全員を待機させ、僕だけがへっころ谷で席を確保できるか確認するつもりだった。でもまあ、全員連れて行ったほうが話が早いと思い直した。
 へっころ谷では、運良く席を確保でき、10人が二手に分かれて座った。ここではほうとうを頼んだ。野菜がごろっと入っているほうとうは、満足度が高い。しかし、作り置きしてないようで、注文してから物が出てくるまで時間がかかるのには弱った。予想外に時間を食ってしまう。
 まあ、食事に予想外の時間を取るのは、神奈川支部の伝統だ。などと自分を慰めつつ店を出た。
 ここでちゅうねん氏の愛車の後輪がパンクしていることが発覚。急遽、パンク修理大会が開催された。このパンク、原因がいまいちはっきりしなかったが、リムテープがニップル部で異様にへこんでいたことから、タイヤの高圧に耐えられず、リムテープがニップル側に伸び、膨張したチューブが耐えられずにパンクしたものと考えられた。こんなこともあるんだな。
 とりあえず、ニップル部にガムテープを貼って補強し、その上でチューブを替えて対処した。
 ここで既に15:00前。この先、サガミ、モンベルショップと走りきる時間はあるだろうか。そんなことを考えながら、全員を引いて北上した。すると、ちゅうねん氏の自転車に、今度は前輪のパンクが発覚。幸い、スローパンクだったので、とりあえず空気を入れ、サガミまでの最短経路を通ることにした。たか氏に先導を依頼し、一気に走った。
 サガミNo.3の駐車場に駐輪し、No.3、サイクルセンターと見て回る。No.3でPD-M959を買おうと思っていたのだが、1万円以上の値札を見て、気が変わった。ネット通販に比較して3000円弱も違う。
 駐車場に戻り、ちゅうねん氏のリムテープ替え、パンク修理を実施した。シマノの完組ホイールに付けてあったリムテープが、あまり高圧に耐えられなかったようだ。
 時間的に今後の行程は消化不能と判断し、ここで解散を宣言。その前に自己紹介を行った(爆)。まあ、ほとんど顔見知りだったから良かったではないか。
 この後どうしようという話になった。にち氏とこぐ氏が飯食おうという話をしているのを聞いて、僕も飯にしたくなった。結局、他に用ができたたか氏を除き、全員がガネーシュで食事することになった。緊急ガネーシュオフだ。
 緑園都市まで走り、駐輪場に駐輪してから、ガネーシュに雪崩れ込む。テラスが用意されていた。にち氏いわく、「無駄にムーディ」。なにせ、全員男なんだからなあ。女性が混じっていたら良かったのだが、これはこれで気分がいい。
 にち氏、マモル氏と同じテーブルになったので、カレー3種、ナン、レモンライス、鶏のから揚げなど、ギネスを注文。最初にギネスで乾杯。いい塩梅に酔っ払い気分だ。
 暮れて行く街を見ながら、南インド料理に舌鼓を打つ。GWの締めとしてふさわしい食事会になった。
 ガネーシュを出て、みんなと別れ、夜道を走って帰宅した。ほどよい疲労感に誘われて、そのまま布団で爆睡モードに入った。

2003年05月04日(日曜日)

引地川遡上

00時00分 自転車 天気:まあまあ晴れ

 GWも後2日。夏休み最後の週のように、そこはかとなく寂しさが漂う。まあ、自転車三昧だったからいいか。
 今日も自転車三昧だ。今日は、前からやってみたかった引地川遡上をやってみようと思う。「神奈川サイクリングコースガイド50」に載っているもので、一昨年の9/15に途中まで遡上したものの、雨に降られて慌てて中止した経緯がある。今度こそ泉の森公園を目指すのだ。
 今日の相棒は、万能自転車EPIC号だ。最初はロードで走ろうかとも思っていたのだが、オフロード区間もあるとの情報もあり、オフロードもかなり行けるこいつに決定。
 まずは長後のCoCo壱番屋で飯を食って(なにも考えないと、最近はここになってしまうな)、それから境川を下っていった。そして昨日とは逆に、白旗方面から引地川方面に走り、引地橋に至った。ここから遡上開始だ。
 しばし、右岸の車道を走ってゆくと、やがて未舗装の砂利道に出た。さらに遡上してゆくと、あれ、行き止まり。用水路との合流点で入り組んでおり、この辺は左岸を進むのが正解のようだ。その左岸も、荒れ果ててでこぼこの砂利道だ。
 どうやら公園整備が進んでいるらしい。上流の橋で右岸に復帰すると、そこからは公園内の快適な道になっていた。遊んでいる人は多いが、生活道から離れているせいか、往来は少ない。
 公園を抜けると、また車道を走ってゆく。交通量は少なく、のんびりした道だ。
 車道、砂利道と繋ぎながら、ずっと北上して湘南台近辺に近づくと、また遊歩道が現れる。ちょうど湘南台の真西辺りで、アイスの看板を発見。「カナルの台所」というその店、パスタ屋としてはこの辺で有名なようだ。今度、食事どころとして寄ってみたいところだ。
 さて、この北、下土棚辺りは、川沿いのシングルトラックになる。雑草生い茂る土手に、激しい往来を匂わせる土の道が開けているのだ。しかしママチャリ程度でも問題はない。事実、ママチャリ(子供載せ)、子供用自転車、ママチャリという構成の家族連れが、この道ですれ違ったのだ。
 さらに上流に向かうと、前回通過できなかったロストワールド区画に到達。川沿いに木が生い茂って、とても通過できなさそうに見える。しかし今回は、EPIC号を押して、湿っぽいこの地点を強引に通過した。二度とやらんぞ。
 さらに少し北上し、支流との分岐点に差しかかろうという時だった。なんでもない車道に面し、一度停止しようとブレーキをかけ、左のビンディングを解除しようとしたら......、したら......。外れない。そのままステンと転んでしまった。痛っえー! 幸い、止まる寸前だったので、怪我は無い。足首もひどくは捻ってない。しかし、このM515で転ぶのは、もう何度目か数え切れないくらいだ。両手に余ろう。なぜか、解除するのに倍の力が必要になる瞬間があるのだ。それは、今日のように湿っぽい場所を通った後なんかだ。手許にあるM515は三つだが、その全てで同じ症状が出た。うちにあるビンディングの最大勢力という背景もあるのだろうが、いくらなんでも多すぎだ。なにか、構造的な欠陥があるように思える。もう、M515は使用中止にしたい。
 気を取り直して、支流との合流点に向かった。本流の方が細いので、地図を見ないと間違えそうだ。
 本流を遡ってゆく。最初は左岸の非舗装路を、橋を渡って車道と砂利道を交互に走っていった。だんだん市街地の色が濃くなり、河もまるで水路のようになってくる。その河を、桜並木が挟んでいる辺りに出た。たぶん、千本桜ってところだろう。一月早かったら、きっと見事な眺めに会えただろう。
 その先、環境センターが立ちはだかる。さて、どう抜けるか。環境センターの存在ゆえに、左岸は抜けられない。右岸は、地図上では、少し河から離れるようだ。それにこの先は、右岸にはもうろくな道路が無さそうなのだ。ここからは左岸を走ることにして、環境センタの前を横切った。ぅゎぁ、いきなり凄い坂が。必死に登りきると、そこは引地台公園だった。そして、ここから先は、なんとなく高原状態が続きそうだ。川筋に降りる道を探しながら、しばし厚木基地対岸の住宅街を走った。この辺は、なんだか川筋には行けなさそうだ。
 やがて、なんとか川沿いに復帰し、だんだん緑が濃くなる周囲を不思議に思いながら、なお上流に走っていった。
 多くの人々がそぞろ歩いている、川沿いの緑地らしきところに出た。ここは見覚えがある。泉の森公園の南に延びる駐車スペースだ。抜けて、川筋を走ってゆくと、最終的に泉の森公園に出た。2時間くらいかかったろうか。
 カフェインが欲しかったので、しらかしの家で一休み。GWということもあり、子供連れが非常に多かった。長い間気にかかっていたことを終わらせたせいか、充実した気分だ。
 帰路は公園を北に抜け、R246を東に走り、適当なところで東名高速沿いの道に出てから、境川に出た。南風を感じるが、多摩川ほど厳しく感じないで済む。
 境川から、上飯田方面に出る橋を渡ろうとしたところで、またビンディングが解除できずに転倒してしまった。同じ場所を二度も打ったせいで、打撲個所が痛み始めた。帰宅してから、その場所に念入りにアイシングを施すと、それ以上の痛みは免れたが。明日のアイス4には響かないだろうな。ちょっと心配なのだが。

2003年05月03日(土曜日)

藤沢市を縦に走ってみた

00時00分 自転車 天気:今日もいいね

 自転車三昧のGWシリーズ。今日は本当ならSFセミナーに出かけるつもりだったが、直前に公表されたプログラムを見ても、興味あるタイトルが見当たらない。強いていえば飛浩隆とSFラジオドラマだろうが、もっとSFの外部とクロスオーバーした話を聞きたい僕には、それほど訴求力を持ち得なかった。
 時間が空いたので、トレンクルでポタリングに出かけることにした。サドルバッグにボトルを差しただけで、お気楽に出発進行。
 まずは昼飯だろうと、湘南台方面に走り、イトーヨーカドーに向かった。1Fでさぬきうどんを、と思ってのぞいてみると、いやはや嫌になりそうな人出。延々とカウンターに列が出来ている。敬遠。
 このまま進んで行き、秋葉台公園で左折すると、やがてねぎ屋に出る。久しぶりに行ってみるか。
 ねぎ屋(ここは"家"じゃなくてこっちが正しかったはずだ)の前にトレンクルを拘束プレイして、チャーシュー麺の食券を買った。この店、なぜかやたらピリピリした雰囲気が厨房に漂っていることもあり、実は苦手なのだ。この日もオヤジが店員の女性を怒鳴りつけていた。店員同士の関係が丸々見えてしまうのが、厨房がオープン形式になっている家系ラーメン屋の嫌な点の一つだ。どうせオープン形式をとるのなら、もっとショーアップした調理様式を見せて欲しいものだ。
 出てきたラーメンはうまい。しかし、だし家時代ほどスープに深みが無いような気もする。オヤジもいろいろ試行錯誤しているのだろうか。
 店を出て、トレンクルを解放していると、通りすがりの初老の男性に話し掛けられた。曰く、『その自転車の重さは如何程也や?』。余、答えて曰く、『8kg弱ナリヨ』(いやそんな面白い言葉は使わなかったが)。なんでも、その男性は病気で体力を落とし、重い物は持てないと医師に宣告されたんだそうだ。しかし健康のために運動したい。そこで、軽い自転車に興味があった、ということだった。持たせてあげると、『軽いねえ』としみじみいった。そりゃあ、おじさんが乗ってるママチャリよりは、ずっと軽量です。こいつがトレンクルということや、値段なんかの事をいろいろ話してあげると、その男性は礼を言って去っていった。どうも、小さな折り畳みは、女性よりも年を召した男性を惹きつけるようだ。
 さて、これからどうしようか。秋葉台公園から南下するこの道は、最終的には藤沢駅北側に出るようだ。ここを走ってみよう。
 なかなかいい道が続く。交通量も多くはない。ポツ、ポツと郊外型の店舗が立ち並び、その間に住宅がまばらに並んでいる。目を東に遣ると、引地川らしき川と、それに沿った道が見える。
 途中、トレンクルを止め、後輪のスポークをチェックした。実は、トレンクルの後輪から回転するごとに音が出て、気になっていたのだ。手で確認すると、ニップルに力を加えるとわずかに動くスポークが何本もある。簡単に動くものは締めておいたのだが、それでも音は止まない。最終的にはプロショップに持ち込んで処置してもらうことにして、応急処置としてテンションの低そうなスポークを締めておくことにした。締めて、走って、また締めて、と繰り返し、やがてほとんど解消できた。なんでこんなに緩んだんだろう。もしかして、春になって暖まったから? MOBILLYでこういうことは無かったんだけど。
 藤沢市街地に入り、境川へと抜けて、それからまたゆっくり北上し始めた。ダイクマに立ち寄って、また東進する。相鉄の下を抜け、区役所近くの和泉川に出た時、そういえばここにも遊歩道があったなと思い出した。そっちも走ってみよう。
 和泉川の右岸を走ってゆく。区庁舎の南にかけて、整備された公園が続く。長後街道沿いのそれは、ちょっと人手が入りすぎているように思えた。そこを抜けると、徐々に普通の小川になってゆくのだ。路面はタイル張り、コンクリート打ち、小石を埋め込んで路面加工してあるものなど様々だ。基本的に自転車の通行なんか、ちっとも考えて無さそうだ。それは車道を走れということなんだろう。それでも、あえて遊歩道を走ってみた。
 少し進むと、また整備された公園が川を挟む区画に出た。しかし、ここは色んな遊具や設備で川を切り取ったような、上流の眺めとは違う。川は川として流れ、それを挟む道にざっくりしたスペースをとり、道や、芝生を巡らせたような仕掛けだ。なんとも、あっけらかんとした眺めだ。しかし、この光景は和む。人が少ないのも良い。犬を連れた女性が、ゆっくり散歩しているだけだ。暮れなずむ町に、少し放って置かれたような小公園が、何一つ意識されること無く溶け込んでいる。
 きっと、この小公園は、この辺りに住む人たちの憩いの場になっているのだろう。そのくせ、いざこの町の良いところを問われた時、きっとこの小公園のことは語られないに違いない。そう思わせるくらい、この小公園は地味に溶け込んでいた。上流の、子供のために川を玩具にしたような公園に比べ、ここは川をさほどいじってない(もちろん、偏執狂的な治水工事を受けた後は、だけど)。調和という言葉さえも思い浮かばない程度の、ささやかな空間だった。きっと、僕たちを取り囲んでいる世界には、この程度のものを滑り込ませる余地が、たくさんあると思うのだ。そして、たぶん、巨大なテーマパークを作るとか、海を埋め立てて広大な土地を手に入れるとかするよりも、こうした小さな事業の方が暮らしをより良くしてくれるのではないだろうか。それぞれのものの『より良くしてくれる』性質が違うことを了解しながらも、それでもやはり自分たちの足元にこそ『より良くして行く』可能性が転がっているのだと思う。そしてきっと、後者の方が見落とされることが多いのだろうね。
 この小さな公園が、意外に大事にされていることは、道に落ちているゴミの少なさで分かる。市街地の公園、パブリックスペースでのゴミの多さには、本当に嫌になる。しかしここは、恐らく地元民しか立ち寄らないのだろう。自分の庭先にゴミを捨てるようなもので、気持ち悪いに違いない。また定期的に清掃している人がいるのかもしれない。そこでしみじみ考えた。もしも旧イラク政府が国民を真に大事にし、イデオロギーよりもその生活を大事にしていたのなら、きっとこういう場所がたくさんあっただろう。またマイクを向けられた人々も、上から押し付けられたスローガンを叫ぶよりも、きっとこうした場所にこそ、外国の取材班を連れてきていただろう。そしてもしもそうなっていたのなら、アメリカ世論もあそこまで過激化しなかったのではないだろうか。しかし実際には人々はテレビの前でスローガンを連呼することばかりを押し付けられ、逆にフセイン政権の現実を赤裸々に晒す結果になってしまった。メディアの情報操作を加味しても、イラクの人々の足元が、諸外国に伝わることは少なかった。北朝鮮と同じように、イラク政府も自分たちの権力を守る物以外には、結局興味を持たなかったのだろう。
 レズニックの「パラダイス」でも、住民も観光客も見過ごすような場所に、その星のかつての面影を留めた"楽園"があった、なんてシチュエーションが出てくるけれど。目に付きやすいところはいろんな修飾をされてしまうので、こんなエアポケットのような場所にしか、時間は足を留めてくれないのかもしれない。
 道を南下して行くと、やがて2車線の道路と交わる地点で途切れてしまった。今度は左岸を北上し、やがていつもの帰宅ルートに乗った。このご近所ポタリング、なかなかの発見があって、楽しかったな。

2003年05月02日(金曜日)

羽村に行って来た

00時00分 自転車 天気:かなりの晴れ

 今日も今日とて自転車三昧な日々だ。今日は少し遠出して、羽村まで足を伸ばそうと思った。
 羽村は多摩川の上流にある。多摩川サイクリングロードの果てる場所だ。神奈川支部において何度も試みられた多摩川周回の折り返し地点が、この羽村なのだ。今日はR16経由でそこまで走ろうと考えた。
 帰路で輪行する可能性も考え、MR-4F改で出ようとも思ったが、なんとなく気分的にTCR-2になった。
 9:30頃に出発。市道環状4号、R16と入り、横浜線を横目に北上して行く。風を背負って、とても快調だ。やがて橋本の5差路に差し掛かった。ここをどうパスするかが常に問題だった。八王子方面に抜けようとすれば、右折レーンに入るしかない。しかし交通量の多いここで、自転車で右折レーンに割り込むのは危険な行為だ。まあ順当に左折して、信号を探して町田街道まで行こう、などと考えつつ5差路の脇をふと見ると、地下道の入り口がある。そこを除くと、ちゃんと自転車が通れるようなスロープになった、立派な地下道が、各方面へと延びているではないか。ああ、これで安心。R16号本線方面に抜けて、再び自転車を走らせた。
 やがてR16は途切れる。えっ? 町田街道に突き当たっていたのだ。実は、バイパスの下(というか脇)を通ってきたのだが、途中でR16本線は分岐していたのだ。しかし、地図に拠れば、町田街道を南下すれば、また合流できる。
 町田街道を南下し(道幅が狭くて嫌な道だが)、やがてR16に復帰。ここから小さな峠を二つ越えることになる。一つ目の登りを、延々と登って行く。距離的にも斜度もたいしたものではない。また交通量も意外に少なかった。たぶん、バイパスに流れるのだろう。
 一つ目の登りを終えると、ご褒美の下りだ。快調に下って行く。山間の、というより郊外の道をしばし走り、またいつの間にか上りに差し掛かった。どちらもいい感じに登って行けた。なんだか、足が予想以上に回りつづけている。しかし気分的には何故か重苦しいものを抱えていたし(帰路のことを考えていたからだろう)、足には疲労感があって、ベストではないし、ベターですらない。にもかかわらず、足を回すことに苦痛は無い。不思議な感覚だ。
 峠を越えると、八王子市街に入った。ここではまっすぐ進み、先がいかにもアーケードっぽい通りになったところで左に曲がり、標識でR16号を確かめてから右折した。この辺は交通量が多く、道も良くない。が、それほど走ることも無く、また道幅が広い郊外の道になった。
 やがて、拝島橋に到着した。ここからが多摩川サイクリングロードの本番だ。
 左岸の川上側に延びるサイクリングロードに入り、ゆっくり走った。道幅は広くは無いが、2台がすれ違うのに不都合は無い。しかし、時々不条理としか思えない切り返しが出てくるのには参った。土手があちこちで寸断されているからだろう。
 時々、小公園に行き会い、適当に休憩を取りながら、水の景色を楽しみながら走った。
 やがて、道はまた小公園に吸い込まれた。そこでまた休止を取ろうと自転車を止めたとき、大きな案内板に気づいた。ここが羽村取水堰だったのだ。なるほど、こういう場所だったのね。少し川上に歩くと、取水のための大きな堰と、余分な水を戻すための排水溝が並んでいた。
 思ったより早く折り返し点に到着した安心感からか、空腹を感じた。近くにたこ焼きの出店があったので、たこ焼きを買った。8個で350円か。関東圏で見た中では、結構安いほうだった。味も悪くない。全部平らげて、バックパックに忍ばせておいたカレーパンも口に入れておいた。
 1時間ほど、昼寝なんぞもしながら、ゆっくり過ごした。風が心地よい。風か。そう、かなりの南風が吹いているようだ。まあ、この季節は当然のことだけど。
 折り返して、南下し始めた。やはり風がきつい。このところの自転車三昧で、疲労のたまった足腰にはきつい。乳酸がずっしりと沈殿して行くのが分かる。今までならバテバテになって、とろとろ走るのが精一杯だったろう。
 ところが、今日はなぜか足が回りつづける。辛いのに、足は止まらず、強風にもかかわらず25km/hペースを維持できる。踏んでも踏んでも、辛いのに、いつか足が止まりそうな感じはしない。今日、いや、最近は乳酸耐性が高まったのか。それにしても足だけは快調だ。全身疲れているのに、自転車筋だけは好調だ。これは、我が自転車筋に神が宿ったのだろうか。そういう、超自然的な回り方だった。
 向かい風に煽られて、ふらつくほどの風だった。しかしリラックスポジションを取ると23km/h程度、ブレーキブラケットを持つと27km/hペースで走ってゆける。なかなかハードで、トレーニングになりそうな道行きだ。
 登戸で橋を渡り、さらに右岸を下っていった。この辺は何度か走ったっけ。
 最初はR15まで走ろうと思っていたのだが、R1に突き当たったところで、意外に道幅があることもあり、ここで多摩川を離れることにした。
 R1は道幅があり、また流れも良いので、テンポよく走ってゆけた。やがて横浜駅の近くからはいつも走っているルートに乗り、帰還した。
 走行距離は128km程度。三浦半島一周ほどにはアップダウンが無いので、自分を鍛える100kmシリーズには有望だ。これからもちょくちょく走ろうかな。

2003年05月01日(木曜日)

BikeEでお買い物

00時00分 自転車 天気:いい感じ

 GW3日目。今日はBikeEで買い物に出かけた。
 パニアバッグを着けて、BikeEを走らせた。どこに行こうかと悩んで、結局は市道環状4号、中原街道と渡り、厚木街道沿いのサガミに向かうことにした。
 天気はいい感じにGoodだ。ペダルをくるくる回しながら、北に向かう。ロードに較べると、やはり絶対的な走行性能は低い。ペダルを踏むと嫌な重さがあるし、体力と相談しながらの速度(つまり根性なしモード巡航速度)は20km/hくらい。でもいいのだ。ロードでは決して拝めない、空の高さ、広さがあるんだから。タイヤを買い置きの細いのに、早めに替えてしまおうかな。しかし長いチェーン長は、他の自転車には無い駆動系のロスをもたらしているのかもしれない。せめてクランクは(やはり)165mmくらいのに換えよう。
 サガミではいい加減薄汚れてきた(ウレタンなので細かい傷が目立つのだ)カラパッチョの後継として、同じカレラのドラゴン・フライを購入した。8800円と安い。LASのヘルメットに比して、後ろのとんがりが無いので攻撃的じゃない。自転車でこけても後ろのおばあちゃんに刺さったりしないのだ。
 BikeEまで戻って、そういえば今被ってるカラパッチョはどうするのだ、などと困ったりして。早く気づけよな。しかし大柄なBikeEのシートバックにくくりつけておけば、なんら問題ではなかった。
 BikeEを再び北に向ける。海軍道路をまっしぐらに走り、突き当りで西進し、境川まで走る。BikeEで車の流れに乗る自信は無かったので、狭い上にトラックの多いこの道ではもっぱら歩道を走った。
 東名との交差で適当に進路を換え、グランベリーモールに向かった。途中、行き会った小学生集団に歓声を送られながら(やはり子供には受けがいい)、グランベリーモール到着。ここではモンベルのレイパックという、セミハード素材のバックパックを見た。このパック、ファスナーを目一杯開いて、中袋を取り出すと、座椅子になるという機能が、妙に無駄で惹かれる。BikeEに背負わせるのに、硬い素材のバッグが欲しかったのだ。とりあえず、買うかどうか考えよう。
 帰り道、ヨークマートに立ち寄って、また一杯の食材を買い込んだ。それでも、左右のパニアバッグ、バックパック状態のホーカスポーカスを駆使すれば、難なく収納できるのだ。この搭載性、居住性は、BikeEの大きな魅力だな。