Strange Days

2003年06月30日(月曜日)

成長の苦しみ

00時00分 自転車 天気:くもり

 昨日のBikeE多摩川遠征から一夜明けた。昨日、帰宅してからそれなりにアイシングしたり、寝る前にサプリメントを摂取したりして、疲れを残さないように気を遣ったのだ。しかし、さすがに2kgも減量してしまうような消耗は後を引き、今日一日は倦怠感に苦しめられる日になった。この疲れ方は、TOKYOエンデューロ以来のものだ。
 あの時も、しばらく疲労が後を引いたのだが、それが身体のスイッチを入れたのか、以前より疲労に強くなったものだ。今回もそうだったらいいな。さもないと、なにか丸まる損した気分になってしまう。なにも損しちゃいないはずなんだが。
 これでリカ筋が目覚めてくれるだろうか。

2003年06月29日(日曜日)

BikeEで多摩川を走り、疲れきった一日だった

00時00分 自転車 天気:くもりだけど紫外線強

 9:00起床。あちゃー、寝過ごしちゃいました。今日はにち氏らと多摩川を走ろうということにしていたので、8:00起床の9:00出発のつもりだったのだが。まあ、とりあえず出発準備をしましょう。
 今日はBikeEで行くつもりなので、シートバックに背負わせるTransAlpineに荷物を詰める。といっても、副気室に雨具やらワイヤー錠やらを収めても、ぜんぜん余裕なのだ。Quacerが公称27L、これは30Lだが、それ以上の差があるように思う。
 ハンドルバーに昨日買ったGPSマウンターを取り付ける。スピードメーターを移動したりして、案外に時間が掛かる。飯を食っているうちに時間がどんどん過ぎ、結局のところ出発は10:15過ぎだった。
 市道環状4号に出て、R16に合流。そこから北上(方向的には北西だが)して、京王線の近くで北東に方向転換した。前に一度行った道だ。基本的に下り基調で、少しきつめの登りは2箇所くらいか。しかし、歩道を行けばその限りではない。立体交差などでは、歩道は上側の道につながっていたりするのだ。そこまでの登りのきついこと。基本的に車道を行く。
 いつも思うのだが、BikeEはあまりスピードを出せない。いや、出せるのだが、出したくなくなるというべきか。チェーンリングを小さくしたためか、むしろ低速域でのペダリングの軽さが快感だ。だから、なんとなく速度を落としてしまうのかもしれない。急坂などでは、ペダルを前に蹴り出すようなペダリングが有効だ。アップライトでいうダンシングに似たような感じで、モアパワーの発揮に効力を有する。しかし、膝への負荷が高い。
 R16に入った頃までは、気分的にも体調的にも低空飛行で、多摩川までたどり着けないんじゃないかと思っていた。しかし、多摩ニュータウン通りに入った頃にはなぜか復調していて、休み無く走ってゆけた。結局、約束の関戸橋着は、予定を1時間過ぎた13:00のことだった。しかし、にち氏らもまだ未着だ。サイクリングロードの交通量が多く、苦戦しているようだ。
 ボーっと待っていても仕方ない。Y's Park店頭の自販機の近くで一服すると、店内で買物を済ませておくことにした。昨日、在庫切れとなったロード用ブレーキケーブル、ロードホイール用クイック(リア)などを買おうと考えていたら、にち氏、hai氏がやってきた。店内を一巡りするも、にち氏の買いたかったものは無かったようだ。ちなみに、Rixen&KaulのSmileがあった。もう14:00だし、飯を食おうということで、近くのファミレスにしけこんだ。
 次はR1沿いのY's Garageに向かう。延々と多摩川サイクリングロードを走ってゆく。確かに人通りが多く、走りにくい。また疲労が溜まってきたので、先行するにち、hai両氏から千切れてしまった。下流で待っていてくれたので、また落ち合えたのだが。
 水道橋で神奈川に渡り、さらに下って行く。登戸で一服し、マイナートラブルの出たにち氏のSatRDayを調整した。登戸茶屋を通過するサイクリストは多い。
 登戸から下流、神奈川側のサイクリングロードは、正直に言ってあまり走りたくない道だ。東京側より細く、不条理な切り返しが多いので、凄く疲れてしまうのだ。少なくとも、BikeEでは走りたくない。
 なんとかR1に出て、Y's Garageに立ち寄った。今日も客は多い。が、にち氏が求めるものは、ここでも手に入らなかったようだ。
 僕とにち氏はR15で帰るつもりだったので、多摩川まで取って返し、ここでhai氏と別れた。そして東京側をR15まで走っていった。この辺、東京側の方も道は狭いのだが、低地にあったりして、走りやすさが違う。河川敷の広さが違うので、致し方ないのかもしれないが。
 R15からは僕が前を引き、ダラダラと走って横浜まで帰った。横浜駅近くでにち氏と別れ、さらにR1を経由して帰宅した。今までに無い疲れ方で、じっくりアイシングしたにも関わらず、全身にこわばりが残ってしまった。明日が怖いなあ。

2003年06月28日(土曜日)

轍屋に行ってみたのだ

00時00分 自転車 天気:くもりっていうかー

 意外にも、土日といい天気が続きそうな気配だ。気温が低ければいうことが無いのだが、それでも雨の心配の少ない曇天というのは、日差しが無いだけ助かる。
 今日はスプリングを交換したBD-1の乗り味を試す意味もあって、青葉区にある轍屋を訪問することにした。GPSのハンドルバーマウンターが欲しかったのだが、掲示板で情報を募ったところ、モノのありそうな店としては、ここが一番近場だったのだ。
 導入して間もないGPSだが、既に手放せなくなっている。どっちかというと方向感覚の鈍い僕だが、電子コンパスつき腕時計とGPSのおかげで、初めての目的地にも迷うことなく走ってゆける自信がついてきた。しかし、一つのマウンターを使いまわすのは、いちいち取り外さなければならないので面倒だ。だからもう一つ買って、GPSを使いそうなMR-4とBD-1に着けておこうと思ったのだ。
 とりあえず、MR-4に着けていたマウンターを、BD-1に取り付けた。ハンドルバー中心に近い、アヘッドにギリギリ当たりそうな位置に取り付けた。
 ひとまず、長後のCoCo壱番屋(本当にシエル先輩化してるな、俺)で昼食を摂り、境川沿いにずっと北上していった。BD-1の乗り心地は、やはり大幅に改善されている。ギャップを越える時なんかの衝撃が、以前よりずっと穏やかだ。『ガシャガシャ』とがさつな感じだった平地の走行感も、ずっと滑らかになっている。
 さて、中原街道との交点で北東に折れ、さらに市道環状4号に折れて瀬谷、海軍道路を北上して八王子街道(R16旧道)に当たる。ここで少し東に走ると、青葉台まで道なりに橋って行ける道に出会う。郊外の新しい道路らしく、道幅が広く、路面の状態も良い。また歩道も広い部分が多い。しかしアップダウンが多いのには少し参った。
 GPSを眺めながら走りつづける。やがて片側1車線の街中の幹線という感じの道に変り、青葉台駅へと到着した。さて、ここに来て気づいたのだが、轍屋の正確な位置を知らないのだ(ダメ)。漠然とした記憶では、確か駅の東側にあったはず。交番を探して少し走るも、見当たらない。まあ探してみるかと思い直し、適当なところで東側の坂を登り始めた。これがもう、嫌な激坂で。こんなところに自転車屋は無いだろう。なにかの勘違いだ。
 適当なところに自転車を止め、携帯電話でたか氏に轍屋の位置を聞こうかと思案した。たか氏は轍屋の常連で、ハンドルバーマウンターを売ってるかも、と教えてくれたのだ。
 携帯を手にして思案していると、ふと坂の少し上の方が気になった。さっきから、何人か自転車を持った人が出入りしている。なにかの店舗があるのだろうか。こんな坂の上に?
 不思議に思いつつ少し坂を登ると、そこがやはり店舗であることが分かった。しかも、『轍屋』の看板がかかっている。なんてこった。後3m登れば、店が見えたのに。まあ、時間を無駄にしただけだからと、店頭に自転車を止め、店内に入った。
 店は比較的狭くって、テッキーの人が忙しげに働いている。階段でつながった別棟は、1Fに完成車、2Fにパーツ類という風に分かれている。そこには確かにGarmin GPSの展示(ただし展示用レプリカ)もあった。
 店主らしき男性に声をかけ、マウンターの在庫を尋ねると、奥から取り出してくれた。雰囲気的に、最後の在庫だったようだ。
 用事を済ませて、帰路につく。帰り道にサガミに寄り、グローブを一つ買っておいた。夏場はいくつグローブがあっても足りない。

なんちゃってランドナー建造開始

00時00分 自転車 天気:くもりっていうかー

 いよいよなんちゃってランドナー計画の実施に掛かった。
 HARDROCK号のハンドルバーを外し、ワイヤを全て取り除いた。それからレバー類を仮付けしてあったNITTOのドロップバー(ショートリーチ)をつける。クランプサイズもハンドルの太さも1インチ(25.4mm)で、ぴったり一致した。それからワイヤ類を張る。まずブレーキレバーから前後ブレーキに。前につけていたワイヤがそのまま使えるだろうと思っていたのだが、ダイヤコンペのVブレーキ用ドロップバーブレーキレバーは、ワイヤだけはロード用を使用する。在庫をあさってなんとか調達できた。そのインナーに合わせ、アウターをハンドルの前面に這わせ、長さを決める。その上で、アウターはビニールテープで仮付けした。
 次にシフター。これはチトややこしそう。これ自身がエンドのキャップなので、バーテープを巻いてから取り付ける必要がある。その上でシフト調整をしなければならない。とりあえずケーブルを這わせ、アウターを取り付けて長さを出し、やはりビニールテープで仮付けした。
 さて、細かい調整を、というところで大きな間違いに気づいた。左右のブレーキの接続先が逆でした(爆)。まるでユーロピアンロードのように、右で後ろ、左で前のブレーキをかける形式になっていたのだ。一瞬、これでもいいかなと思ったが、これではパニックブレーキの時にえらい目に遭いそうなので、他の自転車に合わせることにした。
 ブレーキ調整。前は問題なし。レバーに着いてきたバナナに調整機構が着いていたので、微調整も問題無い。しかし、リアブレーキのワイヤが、とんでもなくスムーズさに欠けるものになっている。ちゃんとリターンしてくれないほどだ。ブレーキのリターン強度を最強にしてこれだ。どこでスムーズさが失われているのだろう。それを追求する気力は無かったので、今日はここまで。

2003年06月27日(金曜日)

睡眠不足の一日

00時00分 暮らし 天気:くもりみたいな感じー

 前日、寝たのが3:00過ぎ。起床は7:00過ぎである。4時間しか寝てないのでは、今日一日苦しむのは決まりきったことだ。
 以前はこの程度の睡眠時間があれば平気だったのだが、だんだん身体がついてゆけなくなっている。なんだか老化の悲しみ日記みたいになってきたが、いろんな面で年食ったなあと思う瞬間は、生活の中の節目でもある。
 せめて体力だけは、若い頃より向上させないとな。と、今夜も寝る前の腕立て、腹筋を怠らない俺様だった。

2003年06月26日(木曜日)

仕事のヤマ

00時00分 暮らし 天気:くもりかな

 仕事も山場。短期的な周期の意味でのヤマである。帰宅時間が遅いと、風呂に入るのもしんどい。年食ったなあと思う。
 今週末は雨になりそうだが、自転車整備の日々を送ろうか。

2003年06月25日(水曜日)

Birdy用互換スプリングの威力は

00時00分 自転車 天気:意外に良くなったりして

 今朝方は雨が降っていたのだが、昼までには上がり、いい天気になっていた。
 夕方からは職場の新人歓迎会があり、定時退勤日だが帰宅は21:00前だった。
 アルコールはすっかり抜けていた。そこでスプリングを交換したBD-1の試走に出かけた。
 前スプリングはハードタイプ(赤)。これは純正品のハードタイプよりさらに固いのだそうだ。リアは純正品が単なるエラストマの円柱だったのを、スプリング+エラストマという構成に変えている。色はもちろん赤。荒川オフ(4月リベンジ)の際に交換したBD-1に試乗させていただいたのだが、乗り味が驚くほど向上していて驚いた記憶がある。
 今日も、中田中央公園を一周するだけではあったが、以前に比べての乗り味の向上ははっきりと分かった。フロントはともかく(ダンシングしたがる人以外にはあまり影響無さそうだ)、リアの違いは明瞭だった。以前はまさにプラスチックの円柱を挟んでいる感じで、微振動は拾っている感じがあるものの、大きな入力に対する動作感は皆無だった。ガツンと突き上げられると、そのまま伝えてくる感じだった。しかし互換スプリングでは、微振動は前と変わらず吸収し(いや前より良くなっているかも)、大きな入力に対してははっきりと動作して、振動を吸収しているのが分かる。もしかしたらペダリングロスが生じるかもしれないが、気にならないレベルだと思った。これはいい。フロントはともかく、リアは4500円払う価値があると思った。
 こうなると、またBD-1を連れ出して、どこかを走ってみたくなってきた。真鶴辺りを走ってみようかなと思う。

2003年06月24日(火曜日)

なんちゃってランドナー計画着手(唾つけたくらい)

00時00分 自転車 天気:雨っぽい

 今日も雨が降り続く一日だ。道端の紫陽花の紫色がすがすがしい。
 比較的早く帰宅できたので、未着手のなんちゃってランドナー計画に手を着けた。デッドストックだったNITTOのドロップバー(ショートリーチ)に、ダイヤコンペのVブレーキ用ブレーキレバー、シマノのバーエンドシフターを仮付けしてみた。バーエンドシフターは、フロント側はフリクションモード専用、リア側はフリクション/インデックス兼用になっている。MTBとロードとでは、3枚用FDの互換性が無いようなのだが、フリクションモードで使えば問題は無いだろう。リアは互換性があるはずだ。しかし、意外にレバーが固いのに驚いた。これくらい重くないと、なにか触れた拍子に誤動作してしまうからだろうか。
 これ以上は気力が続かなかったので、今日はここまで。

2003年06月23日(月曜日)

今日も雨

00時00分 暮らし 天気:雨

 今日も雨の一日だった。断続的に降ったり止んだりして、見るものを飽きさせない。どうせ夜遅くまで仕事の一日だったので、出退社時だけ止んでくれればいいのだ。
 危うく午前様という時刻に帰宅し、雑用を片付けていたら3:00。なにもする余裕が無いなと思いつつ、ネットへのアクセスは欠かさない俺様だった(まあ水浴びするくらいは)。

2003年06月22日(日曜日)

BikeEでお出かけ

00時00分 自転車 天気:意外にいい感じ

 昨日の疲労が響いたのか、今日は昼頃まで寝てしまった。強風が効いたか。
 起きて、昨日届いた荷物を解いた。あちこちに発注してあったパーツが、何の因果か昨日になって一斉に届いたのだ。これにはびっくり。
 その中から、BikeE用に買っておいたクランク、BBを取り出した。そしてBikeEに取り付けてみた。
 取り付け自体は問題ない。しかし困ったことが分かった。115幅のアルテグラBBを取り付けたのだが、以前のものよりこれでも軸長が狭いようだ。前ブレーキのバナナに接触してしまう。前のは118くらいあったようだ。少しの差だが、結構決定的だった模様。
 少し思案して、ブレーキの方を狭めることにした。つまり、左ブレーキのシュー固定部から、角度調整用の臼を抜いたのだ。左右でバランスが変ったが、接触は解消できた。また鳴きも無いようだ。BikeEの場合、いずれにせよリアブレーキがメインになるので、フロントが効き難くても大きな影響は無いのだ。
 この状態で出かけてみた。パニアはつけず、TransAlpineをシートに背負わせる。
 湘南台まで出て、湘南家でラーメンと餃子を食らう。それから、今度は飯田牧場でアイスしたくなり、再び南下し始めた。境川にリカンベントはベストマッチかも。あんまり飛ばしたい気分ではなかったので、20km/h程度で走っていった。
 飯田は凄く込んでいた。これはテレビ効果か。車がずらっと並んで待っていたのだ。しかし、店内は意外に込んでなく、すぐにありつけた。
 飯田から取って返し、ダイクマ、ヨークマートと買い物をして帰った。30Lあり、また2気室式のTransAlpineは、BikeEだと非常に使いやすい。これからはBikeE専用バッグにするか。
 久しぶりにリカ筋を酷使しながら、帰宅。

パーツ取り付け

00時00分 自転車 天気:意外にいい感じ

 昨日届いたパーツの一つが、サイクルハウスしぶやのスプリングだ。やっと入荷したそれを、早速BD-1に取り付けた。フロント側は、前のスプリングより心持長めで、かつ硬い。リアの効果は実証済みなので、乗り心地が大きく変るだろう。
 さて、それを試そうと室外に出たら、あれ、雨が降ってる。今日の確認はお預けだ。
 さらに別のパーツ、というか自転車用品。これはミキ氏に譲っていただいた、ミノウラのローラー台だ。セッティングして、アパートの通路で使ってみる限り、それほど大きな音は出ないようだ。室内ではともかく、廊下なら夜でも問題にならないだろう。これで、雨でも好きなだけ漕ぎまくれる、ハムスター生活を送れるわけだ(嫌な生活だ)。いいものを譲っていただいた。ありがとうございました。

2003年06月21日(土曜日)

多摩川をグルッと回って、Y系の店をはしごしてきた

00時00分 自転車 天気:よいではないか

 朝、9:00過ぎに家を出た。八王子越えコースで、また多摩川を走ってくるつもりだ。今日の乗車はMR-4F。
 いつものように市道環状4号を北上し、海軍道路、R16と走っていった。暑い。ここまで走る間にも、汗はダラダラ、サーモスの水筒に入れた冷たいドリンクに、ついつい手が伸びる。
 そういえば、朝食はうどん一杯だったっけ。これじゃ、ハンガーノックになるかも。橋本~八王子間の坂は越えられないかもしれない。そう思った僕は、途中でラッテに寄ることにした。
 途中、いや、ラッテはむしろR16からは西に向かう位置にある。走りにくい町田街道を走り、やがてラッテへとたどり着いた。まずはアイスで体を内側から冷やす。さらにミルクハウスで牛乳も買い、水分とカロリーの補給はばっちりだ。
 再び町田街道を取って返し、R16へと折れ、いよいよ八王子への峠越えだ。峠とはいえ、せいぜい50mくらいの低いものが二つ続いているだけだ。しかしこの暑さに汗がダラダラ吹き出てくる。水筒のドリンクも残り少ない。
 八王子市街地に入り、コンビニで補給した。昼食にいなり寿司、おにぎりを買い、お昼用のお茶パックも買う。さらにドリンク用のミネラルウォーター、無闇にコーヒーを飲みたくなったのでカフェオレのボトルも買った。店の前でコーヒーを飲み干し、ドリンクを作っておいた。これだけ水分を摂りまくっているのに、ちっともトイレに行きたいと思わない。それだけ水分が汗となって排出されているわけだ。目の前をローディーが何度も行き交う。多摩川が近いからだろうか、自転車乗りが多いようだ。
 さらに走りつづけ、拝島橋に到達する。ここからはサイクリングロードを南下して行けばいい。
 さすがに自転車乗りばかりだ。ウォーキングに勤しむ人も多い。日差しが出てきて、強い南風もあるので、かなり消耗する。いい加減、ハンガーノックの兆候が現れてきたので、適当な木陰で昼食にした。お茶パックを友に、おにぎりといなり寿司を平らげた。あまり食欲は無いが、これくらい食べないと自走で帰れなくなる。
 軽い昼食の後は、関戸橋まで走り続ける。強い向かい風のため、あまり速度は出ない。疲労を溜め込まないように、経済速度を保って走った。
 関戸橋に到着。Y's Parkに立ち寄った。ここでRixen&Kaulのハンドルアダプタを買う。BD-1にも着けよう。
 さらに南下しつづける。照りつける日差しと、行く手を阻む向かい風が、体力を削いで行く。今日は今までに無く辛いなあ。Y's Parkでもコーク1本(ただしスモール)一気飲みしたので、今日の水分摂取量は2L近くになっているはずだ。それでもトイレに行きたいとは全く思わない。全て汗に変っているのだ。
 登戸で小休止。ここでも自販機で買ったお茶を飲みながら、靴を脱いでしばし涼んだ。酷使に熱くなっている足を外気にさらす。とても快適だ。ベルクロ式シューズは脱ぎやすくて助かる。
 先を急ぐ。登戸からさらに下って行く。左岸側のサイクリングロードは細く、右岸と較べると少々走りにくい。いや、正確には走っても楽しくないという感じだ。あまりに広々としすぎて、風をもろに食らうためでもある。
 やがて、R1との交点に到着し、そこからR1を東に走っていった。ほどなく、対抗車線側にY's Garageの看板を発見した。
 Y's Garageには、さすがに専用の駐輪場が設けてある(Y's Parkもそうだが)。この点、サガミよりずっと便利だ。店舗は3F建てで、出入り口はその駐輪場の奥という妙なレイアウトになっている。
 店内は、1Fはプレイバイク、MTB系、2Fはロード、3Fはイベント会場や各社専用コーナーになっている。フロアサイズはY's Parkの倍くらいあるので、かなり広い。
 品揃えはいいといえばいいのだが、開店直後故にか面白い小物は少ない。まあ、これからに期待かな。
 気になったのが、店内に巡らされた床照明用の溝に、車道でよく見る金属格子の蓋がかぶせてあったことだ。落し物をするとここに落ち込んでしまうし、クリートがはまりそうで嫌なのだ。実際にははまることは無いだろうが、なんかの拍子に引っかかってしまうのが嫌いだ。
 ここで小物をいくつか買い、店を出た。駐輪場でバックミラー(サングラスにつけてあったもの)について聞かれた。見る人が見れば、便利だってことが分かるんだろう。それから帰路に着いた。
 帰路は一度多摩川に出て、R15との交点である新六郷橋まで下り、そこからR15で横浜に出た。ふと気が変り、Myxsに立ち寄った。Y'sをはしごしてもバナナ(食べるアレではなくてワイヤの向きを曲げる小物)が手に入らなかったので、ここで探してみる気になったのだ。バナナはあったが、それより気に入った金属製のフレキシブルアウター(短い、バナナと同じ用途の小物)を買っておいた。
 Myxsの駐輪場は、エレベータで地下まで降りて止めるという、真にもって妙なインタフェースになっている。そこで店を出ようと思い、MR-4FにFreepack Sportをカチリと取り付けたら、それを見ていた男性に『それはなんですか?』と声をかけられた。詳しく説明してしまう俺様。今日はなんだか、よく声をかけられる日だ。
 Myxsを出て、R1を突っ走って帰宅。妙に疲れる一日だった。

2003年06月20日(金曜日)

天候回復?

00時00分 暮らし 天気:いいようだ

 今週末も雨にやられる週末になるかと思っていたのだが、意外にいい天気になりそう。今日、多摩川近くのR1沿いに、Y系の新店舗が開店したはずだ。明日はそこまで行ってみようと思う。
 それにしても暑い。扇風機だけでは足りなくなりつつある。

2003年06月19日(木曜日)

いまいち気分が乗らない夜

00時00分 暮らし 天気:くもりか

 天気がいまいちなら、気分もいまいち、そんな一日だった。
 こういうときは寝不足が原因な場合が多いのだが、今日も実際のところ4時間強しか寝てなかった。帰宅が0:00過ぎ、それから雑用を片付けると、就眠は3:00過ぎになってしまうのだ。おのれ時間ドロボウめ。
 飯を作る気にもなれず、吉牛で済ませた夜だった。

2003年06月18日(水曜日)

湿度高し

23時17分 暮らし 天気:雨のち曇り

 さすがに梅雨というべきだろうか、湿度の高い日が続く。今日も朝のうちまで雨が残り、日中の気温は高かったため、湿度がかなり上がっていた。これで困るのが布団。すぐに湿気を吸ってしまい、寝心地が最悪になる。おじさん困っちゃうぜ。
 というわけで、このところ毎日のように、布団乾燥機を掛けている。こうでもしないと、寝苦しさにますます睡眠不足になってしまう。しかし今日は失敗だった。寝る直前にかけたので、熱がこもってしまったのだ。扇風機で冷ましながら寝る羽目になった。
 そろそろ除湿開始するかな。

2003年06月17日(火曜日)

夏旅行

00時00分 自転車 天気:雨っぽいく

 夏にかけて、ツアーを一つ申し込んだ。やまアドの伊豆大島オンロードツーリングだ。伊豆大島の一周や、ヒルクライムなど、これはなかなか楽しそう。
 もう一つ、夏のしまなみ海道一人旅で、やはり松山~佐田岬~別府と行ってみようと思う。せっかくGPSを買ったのだから、それを活用しなければ。最終日は、別府をうろうろとうろついてみようと思う。別府に行くのは、かれこれ20年以上前に親族一同で行ったきりだ。
 しかし、そんなに金が続くかなあ。

2003年06月16日(月曜日)

雨また雨

00時00分 暮らし 天気:雨っぽいが

 雨が続く。少々雨が上がっても、路面が濡れたままなので、なかなか走りに行けない。ストレスが溜まるなあ。
 そういえば、サガミに頼んだ700Cハブダイナモホイールはどうなったんだ?
 C.B.あさひにパーツを発注すれば欠品ばかりと、なにかままならぬことが続くのであった。

2003年06月15日(日曜日)

NHKスペシャル 文明の道「ガンダーラ・仏教飛翔の地」

23時00分 テレビ 天気:くもり(やや雨っぽい)

 今夜のNHKスペシャルは文明の道第3集、「ガンダーラ・仏教飛翔の地」。
 仏教は今から約2500年前にインドに誕生した。当時のインドにはバラモン教以外にも多数の宗教や宗教が次々に生まれ、それらがしのぎを削っていた。新宗教が次々に興り、そして消えてゆく、宗教の坩堝だった。仏教はそのただ中に、ゴータマ・シッダールタ(これは後世に付け加えられた偽名かもしれない)によって作り出された、新宗教の一つだった。初期の仏教徒たちは、他宗教との、特にバラモン教との論争を通じて、ゴータマの唱えた教義を洗練させていった。古い仏教の説話(スッタニパータなんぞに書いてあるような)を読むと、ここから後世の諸宗派(日本に限っても天台、真言、曹洞、浄土真宗など)のバリエーションが生まれたとは、なかなか信じがたいくらいシンプルなものだ。
 この時代の仏教徒たちは、修行を通して個々人の解脱を目指すという僧侶、その僧侶たちに布施を施すことで現世の罪を祓う在家信者の2クラスに分かれていた。あくまでも自分個人の救済を目指す信者集団という位置付けだったわけだ。
 アレクサンドロスの大遠征は、インド北部にまで至る広大な領域に、いくつものギリシャ人勢力の飛び地を生み出すことになった。紀元前2世紀頃、インド西北部に勢力を張ったミリンダ王(ギリシャ風にはメナンドロス王)は、そうしたギリシャの知的遺産を背負った、賢人王の一人だった。彼は当時のインドに群立する宗教的/哲学的勢力と、活発な論議を繰り返したらしい。その中でも仏教勢力の長老だったナーガセーナとの問答集が残されている。なんだか禅問答というか、東西屁理屈合戦の観も無きにしも非ずだが、その中に既に大乗仏教的な思想を説いた問答も散見されるそうだ。とはいえ、衆生一切の救済を本意とする大乗仏教は形を成しておらず、あくまでも個々人の枠にとどまった原始仏教の形が保たれていた。
 仏教に変革が訪れたのが、紀元後のインド北部、ガンダーラでの事だった。仏教徒は偶像崇拝を禁じてきた。したがって、彼らは崇拝すべき仏像をまだ持たず、もっぱら仏の象徴である法輪を崇めていたようだ。こうした礼拝の形式は民衆に対する訴求力を欠いていたようだ。要するに、原始仏教は伸び悩んでいたのか? それを一気に解決したアイテムが仏像だった。コレを拝めば救われるというのだから、信者集めには便利なアイテムだ。
 初期の仏像にはヘレニズム文明の影響が指摘されてきた。ところが、最初期の仏教遺跡を調査したところ、仏像(それもギリシャ的な彫りの深い造形だ)がギリシャ神話の神々を従えたものが発見されたのだ。さらには、アレクサンドロス大王その人の像が、仏像に従っていると思われる例も発見されている。このことは、インド北西部に残留していたギリシャ人勢力が、初期の仏像の造形に関わってきたことを示唆するものだ。
 仏像を得た仏教は、その教義を次第に変質させて行く。最大の変化は例のガンダーラで起こった。巨大な仏塔が建立され、仏教文化の興隆期を迎えていたこの地で、最初期の大乗仏教思想が起こった形跡が発見されたのだ。極めて古い仏典(椰子の葉や木の皮に書かれたものだった)の中に、大乗仏教思想を語るものが散見されるのだ。
 原始仏教から大乗仏教への変化には、この地の支配者となったクシャン族の影が見え隠れする。中央アジアからこの地までまたがる大帝国を築いたクシャン人に、仏教勢力は取り入ろうとした。そのために、クシャン人を始めとする富裕層に、受け入れられやすい形にアレンジされたのが、大乗仏教の正体だったともいえる。そしてこの時期に、仏教はインドのローカル宗教から、あらゆる民族に浸透して行く世界宗教への脱皮を果たしたのだ。
 しかし、仏像をアレクサンドロスが崇めている構図はインパクトがあったが、考えてみるとほとんど同時代、同時期の出来事なんだな。

DSC-MZ3購入

00時00分 デジタルカメラ 天気:くもり(やや雨っぽい)

 昼前、目覚めると雨が降っていた。今日は覚悟していたが、自転車だと嬉しくない日が続きそうだ。とりあえず、休自転車日に決定。
 昼過ぎ、秋葉原に向けて出撃した。今日の目的は、懸案の新デジカメを購入すること。機種は既にDSC-MZ3に決めている。現用のMZ1がそれなりに便利だったのだが、動作速度をもっと早くして欲しかった。この点、MZ3では大幅に高速化されているようだ。またサイズも少しコンパクトになっている。保守的な選択ではあるが、必要十分だと判断した。
 秋葉(どうしても"あきは"と読んでしまう最近の俺様だ)に着き、主に裏通りの店をざっと回った。ZOA21で3万円を切る価格だった。ネット通販ではもっと安いところもあるが、まあこの価格ならいいかと考え、購入決定。店員の人がこの商品に詳しかったのも決め手になった。一緒に買うつもりだったCFメモリ(256MB)に関して、ハギワラシスコムの20倍速モデルが、実は他社の30倍速モデルより高速だと、数値を挙げて説明してくれたのだ。なにか思い入れがあるようで、『このカメラは分かってる人が買っていきますね』とか、『-J1はなにか方向性が違いますね』とかよく話す。-J1はもっと高速で動画にも強いモデルだが、確かに僕の好みとは方向性が違っていた。
 帰宅して、早速試し撮りしてみた。雨が止んでいたので、TCR-2にAllrounder Miniを着けて、ダイクマまで走った。その道中に少し試し撮り。モニタ撮りモードだと十分に明るいモニタのおかげで問題なく取れるが、光学ファインダはカバレージが80%くらいかと思えるほど小さく、狙った構図を撮るのに苦労する。E950の優秀な光学ファインダが懐かしい。

2003年06月14日(土曜日)

意外に過酷。カレーうどんお代わりツアー

00時00分 自転車 天気:曇り時々雨

 この土曜日、先週から天気予報をずっと睨んできたのだが、一昨日くらいまでは降水確率が60%と高く、雨に降られそうな気配が濃厚だった。しかし金曜日になって急に降水確率が急降下し始め、ついに10%に到達したではないか。これで今日のオフが決行できる。
 この日、@nakで企画された、カレーうどんお代わりオフが決行されることになっていたのだ。降水確率40%で中止という方針が示されていただけに、無事開催されたことに安堵を禁じえない。って、なんで妙に堅苦しく書いてるんだろう。要するに『わーい、走れる和める食える』と喜んでいるわけだ、この俺様は。
 当日朝までBD-1で行こうと思っていた。梅雨に入り、いつ雨が降ってもおかしくない天気が続いている。今日も、直前までは降水確率が高かったくらいなので、降られる可能性が大だと思った。なら、輪行が簡単なBD-1の方が有利だ。そう思った。
 しかし、輪行袋としてバイクキンチャクを使うと、MR-4Fでもスムーズな輪行が可能だ。慣れた今は、折り畳んで袋に収めるのに、3分くらいしか掛からない。丈夫な袋に包んで、その袋にかけたスリングで持ち運ぶ形態は、可動部の多いMR-4Fのような自転車には非常に相性がいいようだ。階段などでは、結局はスリングを着けないと持ち上げるのに苦労するBD-1よりも楽だ。平地でも、肩にかけて収まりが良いので、さほど苦ではない。こうなると、BD-1(セキサイダー付)に対して、それほど不利な点は無いのではないか。逆にいえば、BD-1ならではというシチュエーションは、あんまり無いのではないだろうか、なんて思い始めているくらいだ。
 今日の場合、GPSを取り付けできるのはMR-4Fだけで(マウンターが一つしかないので)、そのGPSを試したい気持ちが強いが故に、MR-4Fに決定した。そうすると距離を走りたくなるので、集合場所の二子玉川まで輪行という方針を改め、地下鉄であざみ野まで出て、そこからR246で二子玉川、という方針を立てた。
 あざみ野~二子玉川間は直線距離で10km程度だから、30分あれば十分と見積もり、9:19あざみ野着の地下鉄で向かうことにした。
 大急ぎで出立準備をしながら、外に出したMR-4Fにボトル(例のサーモス)だのFreePack Sportだのを取り付け、さらに店への出入りが多いだろうからSPD-SL(R600)からSPD(M959)にペダルも交換する。それだけのことなのに、既に汗だくだ。湿度が高く、気温も20度台後半と高めなので、体温が逃げる余地が無いようなのだ。ちょっとイヤだなあと思いつつ、立場駅に向かった。あっと、空気圧チェックしてなかった。でも先週入れたばかりだし、手での感触では7BARはありそうなので、いいか。集合場所で時間があったら、人のインフレータを借りて入れよう(自分のは使わんのかい)。
 立場駅から地下鉄であざみ野に向かう。あざみ野駅で地上に出て、MR-4F改を展開する。BD-1も輪行が楽だが、歩いて持ち歩くというシチュエーションを考えると、MR-4Fにも有利な場合が多いかもしれない。さすがに、展開、格納の時間はBD-1の方がかなり短くて済むが。
 GPSをハンドルバーに取り付け、起動する。昨日、初めて起動したときには、3分近く掛かったが、その後はいつでも起動後20秒足らずで位置が出る。今日はくもり空で、左右にビルが並んでいるようなシチュエーションだが、それでもロストする気配はない。安定している。これはいい。
 GPSがあるから、と気が大きくなった僕は、地図も見ないでR246への最短コースを取った。すなわち南下し始めた。ところが、このコースが物凄い激坂(路面加工してあるような)続出の恐ろしいコースで、R246が見える頃には汗だくになっていた。なんか、GPSに操られたような気がする。
 ようやくR246に出たのだが......。なんだこれは。ひたすらまっすぐな5%くらいの登りが待っていた。うかつだった。R246って、意外にアップダウンがあるんだった。まだ暖まりきってない体で、アップダウンをヒィヒィいいながらこなして行く。特に陸橋越えはどうすればいいのかとまどう。最初は一度下に降り、また上がるルートを探していたが、次には覚悟を決め、強行突破の挙に出た。というか、陸橋では路肩が十分に空いているので、こっちの方が正解なのか。
 なんとか二子多摩川に着き、新橋から旧橋まで下ったところで、BikeEを駆るまき氏と遭遇。長い信号待ちを経て橋の下に下りると、今日の参加者が既に揃っていた。自己紹介の後、さっさと出発する。
 下流の丸子橋でhai氏を拾い、中原街道を突っ走っていった。意外に道幅があり、快適な道行ではあったが、ここも意外にアップダウンがあった。東京まで平坦な道というと、やっぱりR15しかないのか。実は、R16ルートも、橋本~八王子間で低い峠を越えるだけだから、総合的には楽なのかもしれないと思う。
 やがて最初の店に立ち寄る。店名忘失。しかし有名/人気店らしく、開店前に並んでいたら、後ろに少しずつ人が並んでいく有り様だった。9人で詰め掛けたので、並んだ人たちの中にも入れなかった人が出たようだ。すまん。
 頼んだのはカレーうどん。いや、当たり前ですが。ここのカレーうどんはお蕎麦屋風のカレーうどんで、ジャガイモが入ってない、出汁入りのものだった。というか、普通のカレーが掛かっているカレーうどんって、店屋物では見ないな。カレーソース(というかこの場合はカレー汁か)はスパイシーで、ごろりと入った長ねぎ、鶏肉の舌触りも良い。
 次は都内山手線沿線に向かう。やはり中原街道を走りつづけて、2時間弱で2店目に到達。この店はメニューが複雑で、"カレー南蛮"だの"カレーうどん"だの"辛口南蛮"だのが混在している。いろいろ理由は聞いたが、それぞれのprefix、suffixの意味は良く分からなかった。目の前の(た)女史と同じものを頼んだのだが、その後でまた注文変更が交錯した結果、自分が頼んだものが分からなくなったではないか(迂闊すぎ)。結果、まき氏が頼んだ(どノーマル)カレーうどんを、間違えてぱくついた俺様がいた。すまんす。
 ここのカレーうどんは、みんな辛さの違いに驚いていた。同じ辛口でも、(た)女史のモノと(あ)氏のモノとでは全然辛さが違う。(た)女史のは激辛指定モノだった。肉がブタか鶏かの違いだけのはずなのだが。
 この店を出た頃、雲行きが妙に怪しくなってきた。時折、晴れ間も見えるのだが、全体的に雲が増えている。やばいかも。
 この後は、予めピックアップしてあった店を回りながら、早稲田まで走っていった。早大前にある店が、最後の目的地だった。しかし、女性陣+αはギブアップして、ここでの最終アタック隊は4人だけだった。主食系のチェーンイーティングは難しい、と意見が出た。この店、カレー+麺類の元祖だけあって、出されたカレーそばは、なにか懐かしい匂いのするものだった。
 この店で、まき氏に「Linear(解散したアメリカのリカンベントメーカー)LWBのフォルムに惚れてねえ」などと話を振ったら、なにやらディーラーがLinearの残余資産を引き取り、もういくらか生産するかもというしれないと聞かされた。なんてこった、あれは欲しいけど買えない物だったのに、もしかしたら買える物になってしまうなんて。冬ボーの行方を心配しなくてはならなくなってきたなあ。
 最後は近くの喫茶店に腰を落ち着けて、しばしおしゃべりを楽しんだ。いかにも学生街の喫茶店という雰囲気の店は、腰を重くしてしまう。しかし、そろそろ出ようと外に出た。
 雨が降ってます。それも結構降っている。最初、和田サイまで自走して、それから輪行で帰ろうかと思っていたのだが、地下鉄早稲田駅で輪行することになった。
 飯田橋でJRに乗り換え、東京駅で東海道線に、そして戸塚で地下鉄に乗り換えて、帰着。駅から少しだけ雨に降られたが、なんとかあまり濡れないで帰りつけた。
 帰って、GPSの軌跡ログをPCに転送し、表示してみた。台湾始点になってしまったのはご愛嬌だが(この分は削除)、今日走ったコースが表示される。これからは、こういう情報もウェブに掲載しようかと思う。

2003年06月13日(金曜日)

GPS到来

00時00分 モノ 天気:くもり

 夜、佐川のおじさんがシマザキからの荷物を持ってきてくれた。このおじさん、昔は自転車が趣味だったとかで、ずらりと並んだ自転車をネタに、しばし話し込んだ。『年を取るとロードは辛くて』って事らしいけど、僕の見る限りでは年を取ってからロードに乗る人も結構いるようだ。アップライトなポジションを取って、幅広のサドルを着ければ、腰にかかる負担は減らせるのでは無いだろうか。ビーチクルーザーに乗っているといってたけど、リカンベントを勧めれば良かったかな。
 おじさんが帰って、早速荷物を開梱する。シマザキから買ったのはGarminのGPS、Legend日本語版だった。Garminの代理店から価格表示を差し止められているとかで、ウェブ上には価格が掲載されてなかったが、メールで問い合わせると底値かと思える価格が提示された。本体、ハンドルバーマウント、日本詳細マップ(日本語版)を買った。
 説明書を片手に、本体の機能を少し試した後、マウントをMR-4F改に取り付けた。この間、GPS取り付けに備えて場所を空けたばかりなのだが、結局はそれでも干渉し合うことがわかり、またパズルの組みなおしだ。左側にフラッシャーとスピードメーター、右に二つ同時に取り付けるマウンターで、ライトとGPSを取り付けた。スピードメーターが少しだけ見難い角度にはなったが、それなりに納まってはくれた。
 早速試走する。GPSを着けたまま、MR-4Fでいつものトレーニングコースを走った。詳細地図を入れてなかったので細かな道は表示されなかったが、概ねの位置は分かる。夜道で、周囲への視界が利かないのに、ちゃんと現在位置が分かる。これは偉大だ。ナイトランで自分の居場所も見通せないような位置を本当に走るのかという問題はあるが、いつでもそう出来るというのは心強い限りだ。
 帰宅してから、さらに説明書をよく読み、関東一円の詳細地図をインストールしておいた。意外に容量を食わないものだ。東京、神奈川周辺を網羅させても、6MBに足らない程度なのだ。
 GPSを活用して、もっと遠くまで走ってみたくなってきた。

2003年06月12日(木曜日)

梅雨入り

00時00分 暮らし 天気:雨やらくもりやら

 関東甲信越地方でも、いよいよ梅雨入りが宣言された!(いやなにもエクスクラメーションまで付けなくても) これでしばらくは、雨に脅えながらのツーリングの日々になりそうだ。それでもいいか。豪雨でなければ、雨中の走行もまた楽し(やっぱり避けたいが)。
 手持ちの中で雨に強そうな自転車は、マッドガード完全装備のBikeE、ちょっと頼りないが一応マッドガード装備のBD-1、そしてさらに頼りないが、実用的には問題無いマッドガード装備のHARDROCK号、辺りか。後の車種も一応はマッドガードを取り付け可能だが(ただしダウンチューブ+シートピラー取り付けタイプ)、これらよりはちょっと落ちる。だいたい残りはロードタイプばかりなので、雨中走行は遠慮したいのが本音だ。
 完全雨天装備のなんちゃってランドナーで、雨中のロングライドというのも一興かもしれないな。

2003年06月11日(水曜日)

雨の晩には

00時00分 自転車 天気:くもりのち雨(いよいよ梅雨だわ)

 今日も定時退勤日(こちらは毎週水曜日の恒例)で早々に帰宅する。
 荷物が届くことになっていたので、雑用を片付けながら待っていると、佐川のおじさんが持ってきてくれた。代引きなので、金を払って受け取る。
 モノはアスキーサイクルに発注してあったペダル、クランク、バーエンドシフター等。
 早速、ペダルを取り付けた。MR-4FにPD-R600を、EPICにPD-M959を取り付ける。R600はSPD-SLのULTEGRAグレードのもの。M959はオフロードレーシング用SPDのXTRグレードだ。見たところ、7750(SPD-SLのDuraAceグレード)との違いは、見たところペダルの軸だけのようなのだが。後、踏み面の加工と。しかし材質的な違いは無いように見える。最近、TCR-2で頻繁にツーリングするようになって、SPD-SLクリート付のシューズでもそんなに困らないということが分かったので、ロード系は統一することにしたのだ。歩きが増える集団ツーリングの時には、もう一つのM959と取り替えるのだ。
 そのM959の方は、EPICにつけておいた。こちらはオンロードツーリングは元より、ダート込みのツーリングまではM959、山行きの時はフラットペダルにするつもり。これで、因縁のM515はHARDROCK号だけになった。これもなんちゃってランドナー化のついでに、フラットタイプに替えるつもりだ。M515は3式も持っていたのだが、一番調子が良かった黒(MR-4Fに着けていた)以外は処分するつもりだ。
 ペダルを差し替えても、雨では試走できない(というよりしたくない)。こういう時にローラー台があればいいんだよな、と思う梅雨の夜だった。

2003年06月10日(火曜日)

ロードバイクへのフロントバッグ取り付けに苦労する

22時06分 自転車 天気:はっきりしないなあ

 無事にボーナスが出た(と不安がるほどのことはないのだが)。今日は定時退勤日なので、さっさと帰宅してTCR-2にフロントバッグを取り付けた。
 AllRounder Miniは400mm幅のドロップハンドルにも余裕で収まるサイズだ。しかしSTIの場合、ブラケットの先端からヘッドチューブに向かって、シフトワイヤがうにょ~んと延びている。これがバッグに干渉してしまう。また、TCR-2の場合(MR-4Fもだが)、テスタッチの補助ブレーキレバーを着けているので、うまく場所を空けないと、AllRounder Miniのアダプタと干渉してしまうのだ。ブレーキレバーそのものへの干渉は延長アダプタ(本来のアダプタとハンドルの間に取り付けて距離を稼ぐ)で防げるのだが。どうしても補助ブレーキレバーをより外にずらす必要があったので、泣く泣く巻いたばかりのバーテープを剥がした。補助ブレーキレバーを出来るだけ外寄りに取り付け直し、バーテープを巻き戻し、さあブレーキ調整をと握ってみたら、なんと補助ブレーキレバーがハンドルバーのショルダーにぶつかるではないか。地団駄踏みながら(爆)再度作業をやり直し、今度は干渉しない位置に固定した。リラックスポジションで握れる範囲が狭まったが、もともとショルダー部を持つことの方が圧倒的に多いので、そんなに問題にならないだろう。問題になったら、また少し詰め直してみよう。
 問題は、どうしてもバッグとシフトワイヤが干渉してしまう結果、シフトワイヤのテンションが変わってしまうことだ。これはTCR-2のドロップレバーに着いているアジャストボルトで調整できるからいいが、ちょっと面倒かな。
 しかしまあ、だんだん重くなってきたな。

2003年06月09日(月曜日)

ボーナス直前

00時00分 モノ 天気:くもり

 いよいよ明日はボーナス日。差し引き分は増えるが、手取りはそんなに変わらないはずだ。というわけで、いくつか見積もりと発注をかけた。
 まずGPS。GARMINのVISTA日本語版eTrex Legendの見積もりを出した。電子コンパスも気圧計も不要だし、動作時間が長いのが助かる。自転車用のマウントや日本詳細マップ込み出8万近く行きそうだが、そろそろ欲しくて仕方なくなってきた。
 それから、サイクルハウスしぶやのBirdy用前後代替スプリングも発注。リア(赤)が品切れで、入手は月末になりそうだ。
 そしてアスキーサイクルに、自転車パーツをいくつか。小物がメインだが、BikeE用にクランク、BB、その他半袖のジャージなどを発注。ローラー台は、ミノウラのモノがモデルチェンジ直前とかで、今回は見送った。後は、そろそろやヴぁいMR-4F改用のTechnova2などをC.B.あさひに発注しなければ。
 カメラはDSC-MZ1が逝きそうなので(レンズ保護シャッターが閉まらなくなった)、後継にMZ3を買ってやろうと思う。E4500は、E5400が出たところを見るとE4700とか出そうなので、それを見てから買おうと思う。じっくり撮るカメラにするつもりだ。

2003年06月08日(日曜日)

Y's Park訪問

00時00分 自転車 天気:それなり

 昨日の疲労は少し残っているものの、悪くない体調だ。今日は多摩川沿いにあるY's Parkまで自走で行って、さらに和田サイを襲おうと思う。帰路は輪行で、と考えていたので、得物はMR-4F改だ。
 環4まで出て、ひたすら北上し、R16旧道経由でR16に合流した。カーボンフォークはやはりいい、ミズノのカーボンフォークはGIANTのそれよりも柔らかく、路面の衝撃を大きく和らげてくれる。MR-4の場合、リア側の衝撃もサスが吸収してくれるので、突き上げが非常に小さくなる。身体の負担が小さく、ロングライドではTCR-2よりも楽なのだ。
 R16の相模原駅交差点を過ぎ、次に大正堂が見えたところで右折。しばし直進し、住宅街の中の細い道を通って境川を渡り、町田街道に合流。北上して京王線の高架を潜って、次の交差点を右折すると、後はもう関戸橋まで道なりに走ってゆくだけだった。
 八王子に抜けるまで、少し登りが待っていたが、その後はかなり爽快なダウンヒルになった。道は広く、車も案外に少ない。
 八王子市内を抜けて、多摩川まで抜ける。道幅は広く、とても走りやすい。昨日の疲労が残ってはいたが、努めてゆっくり走るうちに、足の調子が良くなってきた。薄曇だが、おぼろな日差しでも十分に暑く、日焼け対策して良かったと思わせるものがあった。
 この間、マモル氏と話しているうちに欲しくなった、THERMOSのスポーツボトルを持ってきていた。中に氷で冷やしたCCDドリンクを仕込んできたのだが、3時間くらい経っても変わらず冷たい。そのひんやりした喉越しが、暑さを忘れさせてくれた。熱中症対策にも有効ではないか。
 途中、コンビニで昼飯を仕入れ、さらに走りつづけるうちに、ついに関戸橋に到着。2.5hくらいで到着した。関戸橋の側にY's Parkの看板を確認し、サイクリングロードを外れた斜面で昼食を取った。質素ないなり寿司とおにぎり。質素すぎるかも。しかし、全然消耗したという感じではない。
 Y's Parkに入った。店先の自販機で冷たいコーヒーを買い、身体を冷却しておいた。駐輪場にMR-4F改を停めて、また店に引き返すと、さっきの自販機の近くにMR-4が止まったところだった。ご同輩、嬉しいね。
 店内は想像していたよりは狭かった。なにげなく店内を見回すと、見覚えある顔が。きのした氏だった。丁度買物しているところだったようだ。僕の方の用事として、RIXEN&KAULの延長アダプタを買っておいた。二つ欲しかったのだが、一つしかない。
 さて、次の目的地、和田サイへの道は厄介だ。一体、どう走れば効率的なのか、さっぱり分からない。北上して五日市街道を走るという手も考えたが、結局東8道路を走り、適当なところで西荻窪方面に折れるというルートを選んだ。しかし、西荻窪界隈の道って、どう考えても迷いそうな細さなのだが。
 東8道路は道幅があり、十分に走りやすかった。久我山近辺まではスムーズに通行できた。ところが、道路が急に2車線に狭まり、いよいよ北上し始めた辺りで迷走し始めた。地図を確認しながら裏道(というかこの辺全て裏道みたいなもの)を走るのだが、土地鑑が無いので確信がない。やがて、ようやく現在地を確認し、なんとか西荻窪近辺の五日市街道に抜けることが出来た。後は、西荻窪駅に出て、いつもの道を走るだけ。
 和田サイに到着したのは16:00過ぎ。ホッとしながら、また缶コーヒーで一服する。店先には何人かの客の姿が見え、奥には忙しそうに働く和田氏の姿が見えた。声をかけ、RIXEN&KAULの延長アダプタを、もう一式仕入れておいた。それから、以前から気にかけていたルモテックのライトについて訊ねる。自転車への取り付け方と、シマノハブダイナモとの相性についてだった。カンチ、キャリパーそれぞれのブレーキに固定する台座がついていて、うまくするとMTB、ロードで共用できそうだった。MR-4Fにも取り付けできそうだ。LED内蔵タイプを購入しておいた。さらに24インチのハブダイナモホイールを組めるか聞いて見たが、普通のシルバースポークなら問題無さそうだが、ブラックスポークが入手できるか分からないといわれた。スポークをカットしてネジを切り直せば可能だろうが、ずいぶん手間がかかりそうで和田サイに頼むのは気が引ける。大山さんに相談しようと考えた。
 店の前で時間を網を張ってうだうだ時間を潰していると、kikuyan氏がBikeE CTで登場。しばしBikeEについて話す。また、Transit Compactのリアを14インチ化し、かつ内装3段化したもの(MOBILLY MICRO14と同じ手法)が、なぜか2台も並んでいた。この辺の客層は、さすが和田サイというべきか。
 kikuyan氏も去り、そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、マモル氏が登場。見覚えの無いグリーンのポケットロケットで登場だ。なんでも、もう一台のポケロケに着けてあるカーボンホイールを入手した時、そのホイールに着いて来たとか。中古だったのか?
 しばし話し込んでいるうちに、今度はネリウメ氏が登場。700Cロードバイクでだった。この辺でお暇することにし、西荻窪まで走り、輪行で帰宅した。
 そうそう、初めてバイク巾着での輪行となったが、非常に具合が良く、純正、ちび輪よりずっと好印象だった。これでまた一つ、MR-4F改の弱点が潰れた。どんどん良くなって行くなあ。

2003年06月07日(土曜日)

三浦半島周回

00時00分 自転車 天気:くもりだが晴れ間も

 今日も三浦半島周回LSD走行会を実施することにした。僕とはるだぁ氏だけの、ロンリーなトレーニングだ。
 8:00に高鎌橋に集合し、江ノ島、鎌倉、厨子と走ってゆく。はるだぁ氏がJEDIでの参加だったこともあり、20~30km/h程度の速度で、少しローペースで南下していった。風は向かい風気味だった。
 一人で走るときよりも休憩は少なくなり、いいペースで走ってゆく。三崎高校への激坂、ダラダラ坂のコンボも超える。三浦海岸に降りきったところのコンビニで、毎度の休憩を取った。
 次に観音崎公園の駐車場で休憩を挟み、後はひたすら走りつづける。多少のアップダウンが足に堪えはじめる。しかし平地では30km/hで巡航したりして。
 いつもなら根岸の不動坂にあるトンカツ屋に入るところだが、時間が意外に押してきたので、13:00頃に能見台のファミレスで昼食を取った。時間が時間なので、ずいぶん待たされた。
 後はR16を突っ走って、横浜市街に入り、鶴ヶ峰経由でサガミに立ちより、最短コースで帰還した。走行距離は120km超。

2003年06月06日(金曜日)

そろそろ梅雨なのか

00時00分 暮らし 天気:なかなか

 5月くらいからずっと梅雨梅雨と言いつづけてきたが、そろそろ梅雨前線がはっきりしてきた。海洋性高気圧に押し上げられて、本州に停滞する日も間近だろう。
 この間、天王森泉公園を訪れた時、紫陽花が咲き始めているのが目に付いた。まだ色づいてない、若い緑色の花弁がほころび始めていた。あれが色づく頃、自転車にとって面白くない季節が始まるのだろう。

2003年06月05日(木曜日)

Allrounder Mini他入手

00時00分 自転車 天気:いいみたい

 Rixen&KaulのAllrounder Miniを買わねばと思っていたのだが、懐が寂しいので掲示板でwantしてみた。すると意外に多くのオファーを受け、最終的に須藤氏から譲渡していただけることになった。
 今日、それが宅急便で届いたので、早速開封してみた。今まで持ってはいたが使用頻度が低かったオーストリッチ、TOPEAKのフロントバッグに較べ、Allrounder Miniは幅が狭く、ロード系のドロップハンドルにぴったり決まりそうだ。
 付属のアダプタは短くて、補助ブレーキレバーを跨ぐことが出来ないが、延長アダプタを着けると問題なく取り付けられそうだ。
 問題はライトの取り付け。今現在、スピードメーターとまとめて取り付けられるアダプタを介して、かなりかさ上げしてあるのだが、Allrounder Miniがハンドルバーよりかなり上に顔を出すため、ライトをさえぎってしまいそうだ。ううむ、フォークに着けたほうがいいかな。
 これをBD-1、MR-4F、TCR-2で共用するつもりだが、さてうまくいくだろうか。

2003年06月04日(水曜日)

いきなりの雨

00時00分 暮らし 天気:曇りだか雨だか

 朝方は涼しいくらいだった。入梅間近のこの時期、湿度も気温も高くなりがちなので、涼しいのは歓迎だ。しかし、昼を過ぎた頃、湿度も気温もそれなりに感じるようになった。これは、と思っていたら、遂に雨に。天気予報では曇りの予報だったので、この雨にはやられた人が多かったようだ。
 帰宅して、夜半には雨が上がったようだ。静かな雨の夜自体は好きなんだが、湿気には参る。

2003年06月03日(火曜日)

天王森泉公園探訪

00時00分 自転車 天気:いいようだ

 相変わらず体調は良くないが、昨日汗をかいたおかげか、不快感は減っている。年を食ったと思うのは、一度落ちた体調が、なかなか回復しないのに苛立っている時だ。
 昼過ぎに、EPIC号でふらっと出かけた。前から行ってみたかった、天王森泉公園を訪問するつもりだった。この公園は、泉区の南、ドリームランド跡地の北にある小公園で、この時期にはホタルを拝めるらしい。その下見のつもりだった。
 市道環状4号まで出て、そこから南下してゆくと、南和田小学校を過ぎたところで、道は途切れる。東に向かい、和泉川に出会ったところで南下してゆく。適当なところで東に向かう車道を走り始めると、小奇麗な木造の館が見えてきた。昔、製糸が盛んだった頃に建てられたものを移築したとか。休日にもかかわらず、なぜか結構な人が建物内いる。
 館の脇を抜け、湧き水があるという方に入っていった。山葵が植えられた田があり、その奥に井戸がある。ここは丘を見上げる窪地で、こういう場所には湧き水が多いのだそうな。ただ、丘の上を見ると住宅が立ち並んでいるのには、ちょっと興醒め。
 一度車道に戻り、少し南下すると、公園への別の入り口がある。ここからは丘の斜面に広がる雑木林に入れる。クワガタが多いのだそうだ。しかし羽虫の多さに閉口して、早々に立ち去った。
 その後は、一度南下して境川に出てから、飯田牧場でアイスして帰路に就いた。

2003年06月02日(月曜日)

体調降下中

00時00分 自転車 天気:いいのかな

 真夜中に目覚めた。外はまだ暗い。昨日、帰宅してすぐに寝込んだせいか、起きてもなお体調が優れない。風邪を引きかけというところ。こんな時は体調が急降下する前触れなのだが、食事をする気にもならない。後で考えると、この時には既に体調を大きく崩していたのかもしれない。
 寝たり、起きたりしながら、明け方を迎える。日の出と共に両肩が異様に凝り始めた。変な姿勢で寝たせいか。また熱も出始めている。しかし身体は冷えたような感覚がある。一度、こういう状況に陥ると、発熱して汗が出始めるまで、不快感に苦しめられることになるのだ。幸い、大きな仕事は先週中に片付いてしまったので、今週は休んでもいい。会社に電話して、三日ぐらい休むと言おうかという誘惑に囚われたが、とりあえず今日、明日休むことにした。
 昼過ぎまでぐてーっと布団に包まっていたが、飽きたので、布団から出た。不快感と寝ぼけで世界がグルグル回るような感覚に捕らわれながら、メールの処理をした。最近激増したSPAMに苛立ち、iij4uで提供しているメールフィルターをかけてみた。SPAMの件名は芸が無いので、いくつかの単語でフィルタすれば、半減させられそうだ。しかしまあ、こんな効果の無い営業を続けていたら、いくら単価が安いとはいえ、そのうちに配送コストが重荷になりそうなものだが。
 MR-4F改のハンドル周りのレイアウトを整理した。紆余曲折の末、アヘッド化に伴いスペースバーが再登場して、またもやごちゃごちゃした状況に陥っている。昨日、マイクスでスピードメーターとライトを同時に着けるブラケットを購入したので、それを使ってフロントライト、フラッシャー、スピードメーターをまとめた。GPS購入に備え、場所を空けておく意味もあった。ついでにバーテープも替える。半年前に巻いたバーテープは、上巻きで巻いたせいもあり、既にテープの端が捲れかかっている。前のOGKのテープと似たチネリのテープを、今度は下巻きで巻いておいた。すっきり。しかし、チネリのバーテープに付属しているビニールテープは幅が狭いので、バーテープの終端を完全に覆えない。黒いビニールテープで補強しておいた。
 腹が空いたな。天気もいいので、汗をかくために外に出かけることにした。他の自転車を出すのが面倒だったので、玄関に一番近いTCR-2を持ち出した。
 自転車を走らせ、汗をかくと、不快感がスーっと退いて行く。しかし、ケイデンスを上げたり、重いギアを踏んだりすると、いい様のない疲労感が募る。どうも、体調は良くないな。
 湘南台のヨークマートにある、はなまるうどんで昼食を取った。ここでお勧めというかまたまうどんを食す。大盛にしたが、量が多すぎたようだ。危うく、食いきれなくなるところだった。
 そこから秋葉台公園の筋まで走り、藤沢市街まで南下した。南風が強く、体調がコレなので、いまいちスピードに乗れない。そんな強風の最中を、ママチャリに乗ったお姉さんが、20km/h以上の速さでスーっと走っている。萌えな剛脚お姉さんだ。こっちは25km/hが精一杯なので、信号待ちで抜かれたりして、しばし抜きつ抜かれつを演じる。
 藤沢市街地に入り、引地川まで走り、一本南の橋まで下がってから、明治中学校方面に向かった。久しぶりにリコッタ本店を襲うつもりだった。すると、なんと月曜定休日ではないか。よく調べてくるんだった。がっかり。替わりに、帰路に飯田牧場に立ち寄った。
 帰路は境川をダラダラ走って戻り、ダイクマでTHERMOSのスポーツ用ボトルを買って帰った。

2003年06月01日(日曜日)

なし崩し的ににち氏新車お披露目オフ

23時55分 自転車 天気:くもり(蒸し暑い)

 今日も雨の予報だったのだが、昼前に起き出して外を見ると、ちらほらと晴れ間も見える天気だった。早速、MR-4F改の性能を試すべく、自転車を持ち出した。
 長後のCoCo壱番屋でカレーを食いながら、町田から多摩川は関戸橋に抜ける道を検討しようと思った。が、なんと地図を忘れているではないか。あの複雑そうな経路を突破する気力は無さげだったので、おとなしく海を見に行くルートに変更した。久しぶりに鎌倉に行ってみよう。
 途中、飯田牧場でアイスしているときだった。ふと携帯電話を見ると、にち氏からの着信の形跡があった。なんだろう。掛けてみると、にち氏の新車を持ち出してみなとみらいを走っているから、僕にも来ないかという誘いだった。その場で承諾して、とにかくみなとみらいに近づいたところで、もう一度集合場所の相談をしようということにした。
 ここからみなとみらい方面に抜けるには、大船に出て、鎌倉街道経由で行くのが一番早いはずだ。飯田牧場からだと、境川に降りる道を直進し、大船で鎌倉街道に出ればいい。
 みなとみらいまでは、1.5hくらいは掛かっただろうか。案外にアップダウンはあったものの、一部を除いて道幅もあり、快適な道行きだった。MR-4F改の乗り味は以前に比べて大きく向上し、長時間のライドでも疲労がたまらない。これはいい、実にいい。
 関内駅で再度連絡し、結局はワールドポーターズで落ち合うことにした。そこに向かう途中、日本郵船ビルの前でカメラ撮影をしている、芸能人らしき女性を中心とした一団を目撃した。あそこは趣のある建物だからなあ。
 ワールドポーターズ前に集まっていたのはにち氏、マモル氏、すずきなおし氏だった。にち氏の新車、SatRDayは、珍しい白。白黒ツートンはなかなか映える。
 ワールドポーターズで食事をすることになったが、僕はカレーしたばかりだ。抹茶オーレでごまかした。
 ここから、石川町のクレイジーダボに行くことになった。クレイジーダボは、多摩川沿いに出来る新店舗に統合されるため、間もなく閉店されることになっていた。
 石川町まで、にち氏のSatRDayを先頭に走った。道行く人が、SatRDayを見て思わず目で追う様が楽しい。目立つ自転車だ。しかし、にち氏はまだリカンベント(しかも下ハンドル)に不慣れなため、緊張に満ちた走行だったようだ。
 クレイジーダボに到着。さすがに店内の在庫はかなり減っていた。めぼしいものは売れてしまっているようで、お目当てのRIXEN&KAULの延長アダプター類はもう無かった。BBが多量にあったので、買ってもいいかなと思ったが。
 ここですずきなおし氏が会社に立ち寄ることになり、残りのメンバーはマイクスに向かうことにした。しかし、ここで雨が降り始める。こういう不意討ちな天気は、ほとほと困る。やむなく、クレイジーダボの横の駐輪スペースで、しばし駄弁っていた。すずき氏はMR-4に興味津々で、BD-1の替わりに買いたいと考えているようだ。
 しばし話し込んで、空を見ると、雨は止んでいた。通り雨か。すずき氏と別れ、残り3名はみなとみらいへと取って返した。
 みなとみらいを突き抜け、マイクスにやってきた。ここに来るのは始めてだった。なんと自転車を店内に持ち込み、地下にある駐輪場までエレベータで持ち込むという意表を突いたスタイルだった。
 ここでライトとスピードメーターを同時に取り付けられるアダプタを購入。これでロードバイク2台の手元のレイアウトを整理できそうだ。
 この後は、お好みハウスで飲み食いすることになっていた。しかしにち氏は、夜の街をSatRDayで帰る自信がないということで、いったん自宅に戻ることにした。僕らもそれに着いて、にち氏宅に向かった。
 にち氏宅でSatRDayの折り畳み手順を撮影したのだが、カメラが思い切り不調で、ろくな写真が撮れなかった。非常にコンパクトに折り畳めるので、もしかしたらBD-1よりも場所を食わないかもしれない。
 トレンクルに乗り換えたにち氏を先頭に、いったんハンズに立ち寄り、お好みハウスの開店直後を襲った。途中ですずき氏も合流し、今日も幸せな3時間を過ごした。ここに来ると飲みすぎ、食いすぎになってしまうのが難だが、幸せな時間を過ごせるからいいのだ。
 9:30には店を出たのだが、その後は自転車を出汁に1時間ほども話し込んだりする。すずき氏、マモル氏がMR-4F改を試乗してみたが、フォークの効果は分かったようだ。すずき氏はMR-4F決定だと叫んでいたが。
 話し込みながら、自走と輪行の狭間で揺れていた。しかし話が切り上がったところで自走に決定。裏道を知っているマモル氏に着いて、戸塚まで引いてもらった。横浜駅周辺からは川沿いに保土ヶ谷まで抜け、保土ヶ谷から権太坂辺り?まではR1を、そこからは東戸塚に抜け、柏尾川沿いに戸塚まで走るというルートだった。なかなか快適なルートで、今後はこっちを走りたいと思った。
 帰宅したのは0:00過ぎで、それからまた急にめまいがして、布団にぶっ倒れた。