Nucleusへ完全移行仕切れてない原因の一つが、ヘッダ部へのユーザ変数の記述で実現できていたお天気情報の欠落だ。HNSの方で"TENKI: どーのこーの"となっていたアレだ。本文に書くというのも美しくないしな。もう一つ、同時に複数のカテゴリーに所属できないというのもあるが、これは Nucleus3で実現を考えているとかいないとか。
プラグイン(参照先にあるダウンロードURIは機能して無いようなので、表示されているソースをCopy&PasteしてPHPソースファイルを作ろう)を通常の手順でインストールし、プラグインの編集画面で必要な数だけのカスタムフィールドを有効にし、それぞれの変数名を決める。するとアイテム追加画面にカスタムフィールドの入力エリアが現れる。それをテンプレート(スキンでも有効だろうが)の適当なところに、例えば"<--%CustomField(custom1)%-->"(ある意味当たり前だが変数を記述すると予約語と判定されて非表示になるので、"--"を抜いて読んでくれい)という風に記述しておく。そして編集時にカスタムフィールド入力エリアになにか書けば、アイテム表示画面ではテンプレートに記述した位置に、入力した内容が現れるという仕組みだ。
2004年03月17日(水曜日)
20時39分
暮らし
やはり、仕事の進行状況がピンチだ。今週中には終わりそうに無いので、また来週末かなあという話になりつつある。やっぱ、月曜日に代休というのは無理だったか。休んでおいてよかったぜ。大宇宙電波神よ、ありがとう(爆)。
とりあえず、金曜日(もうちの職場は休み)からの3連休は休めそうだ。が、どうも週末の天気がよく無さそうだ。晴れてくれよ。
新サイトの方に
GoogleItを入れてキーワードに対するGoogle検索URIを自動で生成できるようにした。例えば
South of Heavenといった風に。
俺モノなんかで製品情報をリンクするのが面倒なときに便利(っつうかAuthorだけ便利なのか)。
日記更新の主体は
新しいサイトの方に移っているので、
旧サイトを見ている方は参照先を変えた方が吉ナリよ。
2004年03月16日(火曜日)
21時14分
自転車
今夜も夜トレに出かけよう。電池を換えたサイクルコンピュータの調子も見たいし。というわけで、今度はTCR-2で出走した。
高めのサドル位置が決まってきたのか、足は回る回る。逆風の中、ガシガシ踏んで、俣野の登りまで走りきった。
俣野の登りは、時間的に早い時間だったこともあり、交通量が激多であった。注意しながら登りきると、R467を追い風に乗って一気に北上する。いい感じだ。アップダウンのアップでもがき、ダウンでダレるというダメパターンにはまりつつ、長後街道へと合流した。
帰宅して、バイクスタンドを見ると、そう言えばまだ今年出したことがないHARDROCK号が、寂しげに揺れていた。いや、EPIC号を掛けたから揺れたんだけど。金曜日は、これでちょっと出かけてもいいな。休めるのなら。
18時44分
自転車
フレックス出勤のつもりでやや遅めに目覚めた途端、脳に大宇宙の絶対真理を告げる電波が到着した。少し工夫すると目覚まし時計代わりに使えそうだな。
ともあれ、届いた電波の内容は『今日代休を取れ』というものだ。来週月曜日に取るつもりだったのだが……。よく考えると、今週金曜日は休みで、その直前に差し迫った仕事がある。この仕事が今週中に片づくとは思えないのだ。それどころか、金土日のいずれかに出ろという話になるかもしれない。なら、やはり今休むべきか。電波に犯された俺様は、その命ずるままに会社に電話を入れたのだった。
昼まで爆睡し、昼過ぎにのろのろと起き出した。さすがに体が腐りそうな気がする。ちょっと出かけることにした。
近所のかまくらみちを南下して行くと、米軍深谷通信隊の陣地の中を突っ切って行くことになる。あの辺を走る気になった。かまくらみちは路面がよくないので、EPIC号で出かけることにした。
立場でかまくらみちに合流し、イトーヨーカドーの近くを通りすぎると、道はもう片道1車線になる。交通量も少なくはなく、通りたくは無い道だ。
やがて見晴らしが妙に良くなると、深谷通信隊の敷地内に侵入していた。正確には、敷地内を突っ切るかまくらみちに。敷地内には農地が広がっている。米軍が黙認しているというところだろう。厚木基地にせよここにせよ、一国の首都の近傍に、外国の軍隊が駐留しているという事実は、決して忘れるわけにはいかない。日米安保条約は今の日本にとって必要なものだとは思うが、沖縄にせよ厚木にせよ、米軍の日本本土への関与を可能な限り低減させる努力を、時の為政者は続けて欲しいと思う。
もっとも、この深谷通信隊は、その実態が既に存在しない部隊で、日本への返還交渉が進んでいるという。瀬谷の通信隊基地共々、なにかの公園が整備されることになるのだろう。
やがて環状4号との合流点、通称三叉路に到達した。ここで誤って環状4号を北上してしまうが、すぐに道が途切れたため、間違いに気づいた。
やがて俣野に出て、橋を渡ると、もう飯田牧場だった。ここでアイスをむさぼり食らい、帰宅した。EPIC号もサドルをやや上げ気味にしたためか、踏み込みが軽く、いい按配に走れた。という割りに疲労したが。
2004年03月15日(月曜日)
23時29分
自転車
早い時間に帰宅できたので、今夜も夜トレに出かけた。どうも疲労が残っているようで、あまり強度を上げては走る気になれなかった。トレーニングにならんなあ。
今夜もハブダイナモの気楽さに惹かれ、MR-4Fを持ち出した。ポジション的にハンドルがTCR-2より近いかなと思っていたのだが、フレームの(仮想)トップチューブ長は、TCR-2ともども535mmで変わらないのだ。ステム長も同じ。リーチも変わらないはず。では、なぜハンドルを近く感じるのだろう。実はMR-4F改は、TCR-2よりさらにSTIレバーを起こし気味に取り付けてある。その差を感じたのではないだろうか。ならば、そのうち来るだろうTarmacには、リーチが短めのハンドルに、STIレバーを寝かせ気味に取り付ければどうだろう。今のTCR-2よりやや近く、かつ低くなるだろう。あまり低くするのは腰に負荷が掛かるので避けたいが、坂道での踏み込みが強くなるので、可能な範囲で低くしてみたいと思っている。
1時間弱走り、帰宅した。
2004年03月14日(日曜日)
20時07分
自転車
昨日、リクセンカウルのピラーアタッチメントを着けたTCR-2の調子を見るべく、昼過ぎに南町田のモンベルショップへと走り出した。
走り出す前は、重心が上がった分、走りにくくなっているのではないかと考えていた。確かに重心は上がっているのだが、かといって走りにくいというほどではない。駆動系を整備した効果もあり、非常に楽々と走って行ける。さすがに自転車を振ると、重量物が左右に動く感覚があるのだが、思ったよりはぶれる感じがない。期待した以上に、使えそうだ。
TCR-2の現状。
南町田のモンベルショップに立ち寄った。少し模様替えしたようで、自転車コーナーもツーリングギアの位置が変わっていた。REIのパニアが半額処分中。うーん、ちょっと考えてみようかな。
帰路、少しサドル位置が低くなっている気がしたので、少し上げた。今日は南風があるため、帰路の方がつらい。その向かい風の中を進むには、サドルを上げ気味にした方がいいだろう。サドルとハンドルの高低差はあまり付けない方なのだが、だんだんサドルが上がってきたため、今はハンドルがかなり低く感じる。腰に負荷が掛かっているのが分かる。うーん、BikeEが恋しい。
またサドルが低くなっているように感じながら、湘南台のダイエーに立ち寄った。ここで電池切れのサイクルコンピュータのために、CR2032と12V32Aの小型電池(トランスミッターの方に使う)を買ってきた。店を出て、走り始めると、おや、サドルの位置は適正な気がする。どうも、走っているうちに、高いサドル位置に慣れてしまい、錯覚を起こしていた可能性が出てきた。
帰宅して、念のためにサドル位置を測ると、BB舳~サドル中央で69cm。また高くなってるやんけ。どうも、疲労していたため、高いサドル位置を快適に感じていたためのように思われる。つくづく、ポジションというのは難しい問題だと思った。
2004年03月13日(土曜日)
22時10分
自転車
さて、買ってきたものでいろいろなんとかするナリよ。
まずプラバインダ。これはなんちゃってランドナーHARDROCK号のリアキャリアに、キャットアイのリアフラッシュライト、LD-R550を取り付けるために買ったのだ。キャリアにはL字金具を介して取り付けられるのだが、そのL字金具への取り付けに、径の太い、しかし短い木ネジの類が必要なのだ。
早速4*20のプラバインダを合わせてみるが、径が細い。これ以上のサイズはなかった。負け_| ̄|○
慌てることはない。5*20の木ネジも買っておいたのだ。が、これは長すぎる。あまつさえ、合わせる過程で、前に買ってあったらしいプラバインダ(全く同じサイズ)さえも発見される。負けに負け続ける負け犬天国であった_| ̄|○
気を取り直そう。径はいいみたいなので、短くすればいいのだ。切ろう。しかし、ネジの先っぽを切るのは、けっこう面倒くさいのだ。ともかく万力でネジを固定し、金属鋸でガシガシ切っていった。手が疲れるぜ、こんちくしょうめ。やっとこ切り落とし、やすりで整えて、試してみると、おおっ、ぴったりだ。これでようやく、キャリア後端という絶好の位置に、フラッシュライトを止めることが出来た。しかし、同じ工作をもう一度せよといわれたらめげるなあ。
その間、EPIC号の駆動系も清掃する。チェーンはチェーンクリーンキットを使って清掃する。エコテッククリーナーをほぼ原液のまま使うと、これがもうてきめんに良く落ちる。さらにハンズで何の気なしに買ったブラシ(ドイツブラシという謎の商品名)を使ってスプロケ、チェーンホイールも清掃する。これが意外によくできた商品で、手の届きにくい場所にも入り込んで、きれいにしてくれる。
とりあえずチェーンを乾かすべく、EPIC号を避けておいて、さらにTCR-2の清掃に取りかかった。こちらも駆動系は同じ要領で清掃し、チェーンを乾かす間、別の工作をした。ここで、今日買ってきたシムが出てくるのだ。このシムをシートピラーにかませ、そこにリクセンカウルのピラーアタッチメントを取り付けるのだ。なんで直接取り付けないかというと、カーボンピラーではこのアタッチメントの取り付け法では負荷が掛かりすぎ、折れる可能性があるからだ。このアタッチメント、細めの金属バンドで取り付けるので、狭い面積に荷重が集中する。それをシムで分散させようというわけだ。もちろん、ピラーの径もシートバインダーの径も27.2mmなので、バインダーに噛ませるわけではない。
Freepack Sport、Allrounder Mini、どちらも取り付け可能にすると、意外に高い位置にしなければならなくなった。さすがに700Cともなると、タイヤとの干渉もシビアになるのだ。
これでTCR-2は、前後にリクセンカウルのバッグを二つ取り付けられるようになった。その代わり、サドルバッグは取り付け不可能になったのだが、これはバッグが着けば十分だ。その替わりに、換えチューブだけを収めたエランサック(どえらい小さい袋式ベルクロ止めサドルバッグ)を、シートバインダー辺りに取り付けた。
EPIC号とTCR-2のチェーンにクライテックを塗布し、ボディをワックスで磨いて、スタンドに返しておいた。明日はTCR-2の搭載性を試すべく、どこかに出かけようと思う。
18時10分
自転車
今週一杯の残業疲れか、11:00まで目が覚めなかった。起きて昼食を取り、一休みしたところで出かけた。今日もGCSに用があったので、横浜まで自走だ。EPIC号を引っ張り出した。
踊場の坂を越えながら、どうも膝にストレスがかかると思った。そこでもう5mm上げると、これがもう全然違う。どうも少し下がっていたらしい。BB舳~サドル中央長は、最初の頃は67cmでバッチグーだと思っていたのだが、少しずつ上がってきて、今や68cmになってきた。ポジションが少しずつ変わっているからだろうか。ポジションは変数が多いものなので、固まる日というものが来ないかもしれないと思ったりして。
山下公園通りの真ん中辺りで、1本西の通りに出た。確かこの辺にあったはずと思いつつ走るも、見つからない。おかしい。もう1本西、つまり2本西の通りにありました。記憶違いがあった模様。
GCSでプリコメ16インチ用のチューブ、ついでにシートポスト用シムを求めたが、置いてないとのこと。正確には米、英式のものはあったし、シムも27.2->30.4のものはあったのだが。シュワルベの16インチチューブの細いものは品切れだとか。シムも用途が用途なので(後述)サイズはどうでもいいのだが、JEDI用の高いものだったので、ここで買うのは止めた。
こっちならあるだろうと思い、ハンズに寄る。しかしチューブは見当たらない。ううむ、やっぱり和田サイに行くしかないのだろうか。一方、27.2->30.8のシムはあったので買っておく。さらに上階で、4*20のプラバインダ(平たくいえばプラスチック用木ネジ)なども買っておいた。
再びR1をすたこら戻る。R1はどうにも危険なのであまり行きたくは無いが、かといってここを外すと最短距離で帰れないので、行かざるを得ない。日暮れが近づいていたので、少し焦っていたのだ。
なんとか日が暮れきる前に帰宅した。
2004年03月12日(金曜日)
22時52分
暮らし
今日はちと寒かった。寒の戻りがあったようだ。が、それでも既に冬の寒さではない。春は間近だ。過ぎ行く冬を惜しみ、今夜はすき焼き。
鍋物をするとき、一人では食いきれなくて往生するのだが、その原因は白菜にある。奴は意外に嵩があるのだ。おかげで1/4個分も入れようものなら、一人では到底片づかない代物になってしまう。
しかし、スーパーの野菜売り場をのぞいたところ、1/8パックが売られていた。これならキノコ類を増やせば、二日で片づくだろう。適当な肉を買ってすき焼きった。やはりこれくらいの量がいいようだ。
しかし、今や白菜なんぞ、一年中売ってるんだな。なにも今日することは無かったか。しかしビールの飲めたので、いい気分である。ぐびっ。
10時50分
自転車
昨日は暑い一日だった。いやほんと、会社に行く途中、何度コートを脱ごうと思ったことか。
帰ってもエアコン要らずの暖かさで、結局エアコンは全く点けないで済んだ。いよいよ春めいてきた。
暖かいとナイトランも楽だ。帰宅が遅かったので23:30に家を出る破目になったが、風も冷たくは無いので、気楽なものだった。気分的にMR-4F改に乗りたかったので、久しぶりにMR-4Fで夜トレに出かけた。
ハブダイナモなMR-4Fでのナイトランは気楽だ。バッテリーライトの場合は電池切れに注意しながら走るので、どうしてもストレスを感じる。MR-4Fの方がナイトランでは楽だ。大山しし鍋ツーリングの時にも、ハブダイナモのおかげで、夜の自走帰還も楽に出来た。さっさとハブダイナモな完組を組んで(馬に乗馬の類か)くれ > サガミ。このままでは首が延びて延びて、キリンさんのようになってしまうではないか。
それと、やはりTCR-2よりはMR-4Fの方がポジションが合っていると感じた。TCR-2の方が少しハンドルが遠く、ハンドルを引き付ける場合にはいいのだが、同時にストレスを感じてしまう。TarmacはTCR-2より1cmほどハンドルを近くにできる見込みで、ポジションの問題も改善できるはずだ。TCR-2は、やはりフレームが大きすぎるように思う。Tarmacが来たら、今の80mmのステムは譲って、60mmくらいのを付けてみようかと思っている。
帰宅したのは翌0:30頃。風が強い夜だ。
2004年03月11日(木曜日)
22時50分
暮らし
いよいよ花粉大襲来の時期になったが、まだ花粉症の深刻な症状は出ていない。睡眠不足などで体力が低下した時期に少し出るが、それ以外の時期には健康体そのものだ。変態仮面の誹りを受けつつも(いや別に誰もいってないよ)頑なに着用を続けている超立体が、呼吸器系へのアレルゲンの沈着を防いでくれているのだろう。花粉そのものが少ないというのもあるだろう。
これからの時期、このまま済んでくれればいいのだが。
2004年03月10日(水曜日)
23時22分
暮らし
帰宅すると、すぐにエアコンを点けるのが、ここしばらくの習慣だった。今夜も帰宅してすぐにリモコンを手に取ったのだが、『あ、こりゃ要らんわ』と思い直した。こんな暖かい日ならナイトランも楽だろうと思ったが、今夜は帰宅が遅かったので諦めた。明日も明後日も、帰宅は遅くになりそう。
そろそろ早朝ランを開始するかな。
2004年03月09日(火曜日)
23時13分
自転車
最近、空気が温んで来たし、今夜は夜トレしようと思った。
21:30頃に家を出て、いつものコースを回ってきた。む、スピードメーターが凄いことになっている。積算距離計が0に戻ってるし、速度もマイル表示だ。どうやら電池が切れかけているようだ。換えないと。このスペシャのサイクルコンピュータは、かれこれ3年使ってきたわけだ。意外に保った感じがする。
土日の疲労はいまだに回復せず、トロトロ走るのが精一杯だった。ダメだな、これではセンチュリーランなど出来そうにない。鍛えねば。センチュリーランよりは、ブルベに興味があるのだが。基礎体力が無いし、スキルもないので、これで挑戦するのは無謀なだけだ。
とぼとぼと走りきり、帰宅。今夜は夜空が晴れ渡っている。明日もいい天気になりそうだ。
2004年03月08日(月曜日)
21時30分
暮らし
会社からの帰り、スーパーで食材を探していたら、塩鯖が安売りされていた。そういえば、お好みハウスで鯖をたらふく食うという願いは達せられなかったなと思いつつ、脂の乗っていそうな部分を買ってきた。食いたきゃ買えばいいのだが、このスーパーには塩鯖があまり置かれてないのだ。
それを焼き網でじっくり炙り、脂が滴るほどになったところで、食卓に。高校生の頃は、これだけでご飯3杯は行けたよなあ。そういえば、あの頃は肉があまり好きじゃなかったのだ。それが社会人になって、手早くエネルギーを取れる肉料理にシフトしてしまったのかもしれない。いや、吉野家の影響もあるかも。そういう意味では、最近魚づいているのは、吉野家の牛丼休止の影響が大きいのかもしれない。ありがとう、BSE!(違う)
2004年03月07日(日曜日)
23時22分
暮らし
今日のツーリング中、こぐ氏からタイトルの物体を拝受した。かつて、日清やきそばと天下を二分するほどの人気だった商品だが、いつしか忘れ去られ、しかし一部の好事家の脳裏からは離れなかったものだという。なんでも、いまだに北海道と九州では売られているそうだ。そこでインターネットで入手する輩が後を絶たず、いつしか全国普及委員会なる任意団体まで作られているという。僕は興味を持ってなかったのだが、こぐ氏が持ってくる数を間違えたとかで、ただでいただけることになった。貰える物なら何でも貰い隊の隊員としては、いただかぬ手は無い。
これが包装だ。"SB中華コック長"なる人物が、なんとも頼もしい。おるんかい、ほんまにそんな役職が。
作り方は簡単だ。フライパンに200CCの湯を沸かし、麺を投入、水気が無くなるまで麺をほぐしてゆけばいいというものだ。そう、まるでチキンラーメンのように、調味料を麺に浸透させているのである。
出来上がり。最初はどんな代物になるかと思われた。というのも、麺の色は意外に薄く、例えば日清ソースやきそばのような系統の味に化けるとは、到底思えなかったからである。しかし、ほぐれた麺は色がやや濃く、案外に美味そうに映る。しかし、湯が無くなっても、麺は完全にほぐれきったようには見えなかった。
食べてみると、想像した以上にスパイスが効いていた。いや、口にしただけでは分からないのだが、食べ進むうちに次第に口内が侵食されてゆく感じなのだ。思うに、スパイスの類は全て麺に練りこんであるので、咀嚼することで初めてこの風味がかもし出されるのだろう。
食前には、チキンラーメン風の味わいを思い描いていたのだが、むしろぺヤング系の味付けだった。
このホンコンやきそば、レシピ通りに作ると凄く固く仕上がってしまう。後1、2割ほど水を増し足すと、ふつうの袋やきそばの食感になるだろう。このやきそばに関して記述した他のページを見ても、そういう考えが散見される。しかしこの硬さは、実は意図したものなのではないかと思った。かたやきそばがあんにふやけたときの食感に似ていると思ったのだ。そういう意味では、実は市場の主流を占める、いわゆるやきそばとは、ずいぶん異なった食感を狙っているのかもしれない。
しかし、この麺に調味料を練りこむという製法が癌で、ふつうのソース分離型のように野菜を一緒に炒めるということが出来ない。この辺が、マイナーなまま留まった理由なのかなと思った。しかし独特の食感と味わいが、コアなファンをがっちり確保できた理由なのだろう。
21時17分
自転車
今年で3回目の大山ツーリングの日がやってきた。去年、一昨年とヒルクライムする割にはカロリーが過剰なほど食いまくるツーリングとなった。
朝は6:15には起きるつもりだった。確かにその時間に目覚し時計(携帯電話)を止めた気はするのだが、ふと気づくと7:00前。いやはや、二度寝しちゃったか。大慌てで飛び起き、身支度して、長後方面へと慌しく走り出した。朝食抜きなのである。
長後に向かったのは、たか氏と伊勢原まで自走しようと、前日の夜の掲示板に書いておいたからだ。たか氏からはかくかくしかじかで待つ、という返答があり、そこに行けばいいだろうと安心しきっていたのだが。
件の場所に到達したのは約束の時間の前だったのだが、時間が過ぎても一向にたか氏は現れない。夢の世界か? しかし、電話番号を携帯に記録してなかったので、連絡も取れない。他のメンバーに連絡をとってもらえないか、と掲示板経由でお願いする。その間、
今日のMR-4Fの写真を撮ったりしながら、のんきに過ごした。
その後、8:30になってたか氏と連絡が取れた。なんと、すでに現地に到着しているという。待ち合わせ場所で待っていたが(僕が)こなかったので、てっきり輪行するものだと思い込んだらしい。さらにいえば、待ち合わせ場所も間違っていた。"XXから信号三つ目"ということになっていたのだが、実はたか氏の知らない間に信号が新設され、僕が馬鹿正直にカウントしながら走ったため、一つずれてしまったのだ。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(常田富士夫風に読め)。
ともあれ、現地に走る他は無いので、自走で向かうことにした。輪行ではかなりの時間を要するのだ。
9:00集合予定ではあったが、足をいじめつつなんとか9:40頃には到着し、すべてのメンバーが揃った。ハンガーノックになりそうなので、駅にあった総菜屋でたこ焼きを買い食いする。
ここからが大山登山の始まりだ。昨日の50kmほどのひとっ走りが意外に堪えたようで、既に足に疲労を感じていた。まだ斜度が緩い場所は大丈夫だったが、きつくなるに従い、心拍が急上昇し始めた。つらい。つらいが、何とか止まらないで上ってゆく。
途中、
奇妙な建造物がどかんと建っているのに遭遇。過去2回ここを上っているのだが、誰も気づいてなかった。ABM発射基地か? いや、銀行の文書保存施設だった。銀行の文書は永久保管だとか。そんなの不可能だろうが、超長期ローンなどを考えると、1世紀は保管しなければならないだろう。恐るべし、銀行。
土産物屋で一枚撮った後、最後の上りにかかった。ここは無理せず、休み休み上っていった。整備して調子のいいMR-4Fにも助けられ、なんとかまり屋に到着した。もう上らないでいいんだな、と燃え尽きたボクサーのようにしみじみ考えた。
毎年御世話になっているまり屋さんで、早速しし鍋をいただいた。効果時間を考慮し、黄金色の発泡する液体(人体に注入することで目覚しい効果をもたらすという)を一杯だけやり、しし鍋を時間をかけて平らげた。こぐ氏らが両国で食したという野性味溢れる獣類とは異なり、洗練された鍋というべきだろうか。最後にご飯にかけていただいたのだが、これもおいしかった。
しし鍋の後は、一休みして近所の散策を。今年の大テーマとして、仙人鍋リベンジというものがあった。昨日今日と開催されている大山豆腐祭りでは、駐車場で様々な催しが行われている。その一つが仙人鍋。巨大な鍋で仙人鍋なる豆腐を使った料理らしきものが振舞われるらしい。ところが、過去2回、我々はこの仙人鍋を食い逃していた。会場では、ちょうど豆腐大食いコンテストというものが開催されていた。わんこ豆腐なる、このコンテスト以外では決して目にすることの無い代物を、いったい何杯平らげられるかが競われていた。我々が見ている前で、21杯という偉大な記録が打ち立てられた。僕の観測では、このコンテストを勝つためには、食うのではなくて飲む、が鉄則だと思われる。21杯の人も、豆腐(1/4丁程度と思われる)を二口で飲むようにしていた。胃薬とお友達になれるだろう。
仙人鍋は14:30かららしいという情報があったので、それまでは ケーブルカーの駅まで続く土産物屋をうろついた。いつの間にかせんべいを二袋ばかり仕入れていた。去年は蕎麦を買い、それなりに美味かった記憶がある。今年は下社へは参らなかった。
会場に戻ってみると、まだ13:30を回ったばかりなのに、もう行列が出来ている。また食い逃したのではたまらん、と並んで待った。
14:00に仙人鍋がスタート。と、アナウンスがあった。なんでも『鍋奉行が~の行事を執り行う』とのこと。しかし、来場者の大半は列を作って待っているので、全く見ることが出来ない。謎の儀式であった。
いよいよ配布が始まり、やがて遂に
仙人鍋を手にすることが出来た。豆腐となにかの草が煮られたもので、ポン酢がかけられていた。豆腐はまろやかで、草は石油系の味わいがあった。目的は達成できた。いま少し会場を散策した後(ちなみにこれは
仙人鍋の全景で、奥が鍋奉行氏らしい)、会場を後にした。
下りは気持ちよく、しかしバスに絡まったりしながらも、あっという間に下山した。下る途中で進路を変更する。鶴巻温泉に向かうのだ。
鶴巻温泉で汗を流し、しばしぐでーっと寝転がっていた。意外に堪えているようだ。急激に気温が低下した影響もありそうだ。
最後は毎度の天安。今年はてんぷら盛り合わせと鳥雑炊。てんぷらはごま油の香りも高く、雑炊はお腹に優しい味わい深いものだった。この店、物凄く地味に営業しているので、たか氏がジモティに聞いてなかったら、決して気づかなかったろう。入店したとき、店の人に『インターネットでうちの店のことを書いてくれた?』と聞かれた。なんでも、娘さんが天安のことをインターネット検索で調べたら、誰ぞのページが引っかかったらしい。天安に関して詳しく書いたのは
@nakさんちだから、恐らくそちらでヒットしたのだろうということになった。
天安が込み合ってきたので、帰宅することにした。
鶴巻温泉駅から輪行し、海老名でたか氏と共に降り、そこからは自走で戻っていった。たか氏は『峠を三つ越える』といったが、その通り、ピークを三つ越える羽目になった。疲労しているようで、あっという間に心拍数が急上昇だ。走り込んでないのがありありと分かった。
なんとかピークを越え、本来の待ち合わせ場所まで戻ってもらい、そこで別れを告げた。そして一人でのんびりと走って帰った。
今年は参加者が少なくてやや寂しかったが、来年もやりたいもんだ。
06時16分
自転車
昨日、修理した部品を"テンションボルト"などと書いたが、正式名称は"アウターアジャストボルト"らしい。テンションボルトは、ストロークアジャストボルト(ハイ/ローの位置決めボルト)の近くについている、フレームとの支え棒のようになっているそれのことだ。ややこしいんだよ!
2004年03月06日(土曜日)
22時45分
自転車
MR-4FのRD不調の原因というのが、実はテンションボルト(ワイヤを固定部に通すところのアウターを固定している部分がボルトになっているのだ)のネジが切れてしまったというものだった。なんかの拍子に斜めにねじ込んでしまい、それから奥まではまらなくなってしまったのだ。おかげでテンション調整幅が極端に狭くなり、テンションを上げるに上げられなくなった。その結果、ギアに負荷が掛かると、RDが左右に動くようになり、チェーン飛びが起きるようになったらしい。原因の推測は可能だが、修理は可能だろうか。
修理するとすれば、まずパーツ交換が考えられる。ところが件のテンションボルト自体はともかく、それがはまる部分はRD本体であり、スモールパーツとしては扱ってないようなのだ。つまり、本体買い換え? シマノの実質大幅値上げの後なので、あまり買い換えはしたくない。
とりあえず、ネジの切り直しでなんとかなるか、やってみることにした。
自転車からRDを取り外し、タップとダイスでボルト、受け部それぞれにネジを切り直してやった。M6らしい。ブロワーで切り屑を飛ばし、グリスをたっぷり付けてはめると、なんとか使えそうだ。ただ、ユルユルで、なんかの拍子に動きそうだ。この部分はスプリングとワイヤ自身でテンションが掛かっているので、そうは簡単には動かないだろうが、ワイヤが激しく行き来するので、油断は出来ないな。
とりあえず、RDを付け直し、モノはついでにチェーンとスプロケットを清掃しておいた。時間が無いのでディグリーザーをジャンジャン使う、地球に厳しい清掃だ。さらに超音波洗浄機にも掛けておいた。チェーンは凄くきれいになるな。
これらを取り付け直し、近所を試走する。うん、ギア飛びは皆無になった。問題は、ロングツーリングでなにかが起きないかだ。まあ、前と違ってテンションボルトはちゃんと動くので、その時はその時で調整し直せばいいか。
明日の大山には、こいつを連れていこうと思う。
20時13分
自転車
今週の半ばくらいまで、土曜日は雨という予報だったのだが、朝早く降っただけで、きれいに止んでくれた。いい天気になった。
さてさて、明日は恒例の大山しし鍋ツーリングの日だ。過去2回はBD-1で登ったから、今年は別の自転車で行きたい。となると、モノはMR-4F改しかない。他の自転車は輪行に向かないか、坂がつらすぎるかなのだ。しかし、MR-4Fも気にかかっていることがある。リア・ディレイラーの調子が悪く、変速が決まらないのだ。原因は分かっているので手の打ちようはあるのだが、かなりかなりそうに思って着手できないでいた。しかし、どれくらいダメなのか見るために、こいつで横浜に出かけることにした。前から名前は知っていた
Green Cycle Stationに行ってみたかった。この店、ずっと鶴見にあったのだが、最近山下公園の近くに越してきたらしい。
MR-4Fを久しぶりに出して、踊場方面に向かった。なにせRDの不調が気にかかり、あまり積極的に乗りたくなかったのだ。が、久しぶりに乗ると、やはり手持ちの自転車では一番ポジションが出ているように感じる。しかしRDの不調は目を覆うばかりで、少し負荷をかけると、即座にチェーン飛びが起きる。負荷をかけないようにきれいに回すと良いのだが。きれいに回すトレーニングにはなるかもな、などと突っ込みどころ満載のことを考えながら、R1を走っていった。
途中で横浜市道環状2号線に合流し、磯子まで走り、磯子から本牧に、本牧から山下公園方面へと走った。空は半分以上が晴れているが、北の方に禍々しい雲があり、どうにも気にかかる。
山下公園の近く、1本南西の通りを走って行くと、突然GCSの看板が目に飛び込んで来た。ここにあったのか。県民ホールの裏側だった。
店内はそれほど広くはないのだが、小径車を中心にかなり在庫しているようだった。ルイガノがめったやたらと目立った。在庫の7割はそうだったのではないだろうか。他の店ではあまり見ない、リクセンカウルのバッグ類も在庫しているようだった。ここで前から欲しかったシートピラーアタッチメントを入手した。僕がいた30分ほどの間に、男女のペアと親子連れがやって来ていた。地の利はありそうで、名が知られるに連れて客が増えるのではないだろうか。小綺麗な店舗だった。
GCSを出て、さて走り足りないなと感じたので、サガミ方面に走ることにした。R16を鶴ケ峰まで走り、厚木街道経由でサガミに立ち寄った。2Fアパレルフロアがやや模様替えをしていた。前に較べるとヘルメットの在庫を漁るのが楽になったようだ。
3Fもやや模様替えしたようだった。しかし、去年の梅雨の時に頼んだ完組、いつになったら組んでくれるんだろうね。マビックのリムが一向に入らないようだ。GIANTが全部買い占めたとかいう噂も聞いたが。
境川に出て、帰宅した。
2004年03月05日(金曜日)
Nucleusにページ切り替えプラグインの
NP_ShowBlogs0.22を導入した。これでやっとアーカイブページを経由しないでアイテムを一定数ずつ表示させてゆくことが出来る。
さらに、左ペーンに表示していたリンク類を、
NP_LinkListにまとめた。
さらにさらに、
NP_AllBlogsを使い、全Blog縦断的にRSS2出力を出来るようにもした。
RSS2(ALL)からゲットできます。いちおう、日記ページにもリンクを設定しておいた。
しかし、誰がつかっとるのかね、RSSって。
2004年03月04日(木曜日)
Nuculeusのチューニングを細々と。
Nucleusが吐くコードがXHTMLを意識してはいるのだが、DOCTYPE宣言はHTML4.01のままで、しかもそのどちらからも逸脱したヘッダー構造になっているのが気に掛かっていた。そういう部分は、基本的にはスキンに記述されているので、直接編集すればいい。しかし、BODY内に点在する細かなエラー(タグが大文字で宣言されているの類)は、ソースを直接編集しなければならない。面倒だな。MozillaでもIEでも閲覧は出来るので、ここまでにしておくか。
ソースを読んで、割と簡単に手を加えられそうなら、修正するにやぶさかではないが。
2004年03月03日(水曜日)
21時48分
自転車
今夜も時間的に余裕がある。よし、夜トレだ! などと考えたのだが、どうにも空模様が不安だったので、室内でローラー台を回すことにした。
CLIE T650でヘヴィロックを聴きながら、だんだん回転数を上げてゆく。ローラー台は、気象に左右されないのがいい。だが常に一定の負荷が掛かるので、ずっと足を回してなければならない。実際に走行する時は、坂道の登りですら、足を休められる瞬間があるのだが、それが無い。それゆえ、濃いトレーニングにはなりそうだ。
40分近く回し続け、脂肪燃え燃え状態なのを実感しつつ、まだまだ回すぜと思っていたところ、突然ヘッドホンからの音楽が途切れた。見ると、電池切れ。うっかりディスプレイONのまま使っていたのだ。電池が少しヘタリ始めているせいもあるのだが、基本的には電池寿命が短いな。こういう用途には、最近のPocket PC(驚くほど看板に偽りありな名称だ)の方が向いているのかもしれない。
明日も天気が不安定なので、その気になってもローラー台が関の山かな。それと、そろそろ自転車の掃除をしなくては。
2004年03月02日(火曜日)
23時47分
自転車
朝トレはやらなかったので、夜トレを。いつものコースを走ってきた。自転車はいつものロードではなくて、EPIC号で出動。ハンドル交換の効果を確かめたかったのだ。
確かに、以前に較べればダンシングしやすく、またグリップを握ったまま踏ん張っても安定する感じだ。ハンドルバーもBD-1の530mm(カーボン製でエンド部にバーエンドバー固定用のアルミが挿入されているため、ここまでしか切れない)に対し、少し短く500mmに詰めたのだが、それも効果あったように思う。もう少し切り詰めてもいいとは思ったが、かえって踏ん張れなくなるように思う。
ただし、Qファクタの広さはいかんともしがたく、それゆえに踏み込むときに力が逃げる感じがある。ダンシングの時も、ロードに較べると少し大きめに振らないと、安定してくれないように感じた。仕方ないかもしれないな。
それと、今度はハンドルの高さが気になってきた。シートと同じ高さにしたのだが、ロードみたいに数cmは下げたい気もする。これもまあ、山に持って行くときには、今のポジションの方が有利なのだろう。
それにしても、どうもロードの乗り味に慣れすぎたのか、マウンテンバイクでは全然スピードを出せなくなってしまった。そういう性格の自転車なのだから、これも仕方ないのかもしれない。
10時21分
自転車
今朝は4:00には起きていた。昨夜は20:00に寝てしまった(なんだか疲れていたのだ)というのもあるのだが、ここ数日は暖かだったので、そろそろ朝トレを始めようかと考えていたのだ。が、目覚めて、外気に当たると、ここ数日無かったくらい寒い! 根性無しの僕は、また布団に舞い戻ってしまったそうじゃ(常田富士夫風に読め)。
実は、月曜日の朝も4:00頃に起きていたのだが、雑用を片付けているうちに日が昇ってしまい、なんとなくやる気が殺がれてしまった経緯がある。こんなことではいかん、と僕の腹部脂肪(最近、また成長期)が主張しているのだが、根性の無さはどうにもならんな。
NucleusでBlogを立ち上げたとき、カウンターとロギングは欲しいなと思った。カウンターとしては
NP_Counter(オリジナル版)を使っていたのだが、全てのヒットをカウントしてしまうため、リロードするだけでカウントアップしてしまうなど、いまいちだった。そこで、これを日本のユーザたちが改良した
NP_Counter(改良版)に入れ換えた。オプションでカウントアップのトリガーを制御できたり、カウントの詳細を表示できたりと、便利だ。
一方、ロギングの方は
NP_Logを使っている。これもいまいち気に入ってないのだが、こいつに関しては使い方が分かってないだけかもしれない。
HNSみたいに検索元一覧とかを作ってくれると嬉しいのだが。
後、ページング制御プラグインとして
NP_OneLineNaviも入れてみた。これの設定は後でやっておこう。
2004年03月01日(月曜日)
10時48分
思考
まるで恒例行事のようなハイチの混迷を、かなり他人事のように眺めている。アリスティドは事実上退陣し、さりとてそれに代わる者は無さそうだ。もしかしたら、かつてアリスティドを追った軍事政権の誰かが、再び政権を掌握するかもしれない。今回、蜂起した"武装勢力"(マスコミもアリスティドを追った勢力の正体を掴みかねているようなラベリングだ)の支柱を、アリスティドが解体したハイチ国軍の元軍人たちが占めているらしいという情報を見るにつけ、さもありなんという気になる。識字率が極端なくらい低いハイチでは、軍人は社会的なエリートだ。アリスティドは、その母集団である軍を解体することで、民衆へのアピールと、アメリカによる介入(ハイチ国軍にアメリカの影響が強かったことは確かなようだ)の予防を図ったのだろうが、まるで狼を野に放つような形になったわけだ。
アメリカは、遂に国際世論の声(にこたえる形)で軍事介入するようだ。アメリカからすればシナリオ通りということかもしれない。アメリカがハイチ国軍を復活させ、"民主的な選挙"により旧国軍関係者を政権に据えれば、デュバリエ政権に見切りをつけて以来、アメリカが抱き続けてきたシナリオが、遂に完結する。まあ、国際世論は水物なので、ハイチ民衆の向かう先ともども、どう転ぶか分からないけれど。と、この辺が他人事のようだが。
陽光と青い海に恵まれたはずなのに、世界最初の近代的黒人独立国家のはずなのに、火達磨になってのた打ち回っているような国、ハイチ。識字率の低さ、人々の横のつながりの低さが癌だと言われているこの国を、いったいこの世の誰が立て直すことが出来るのだろう。ハイチの人々に、いや人間に対して投げかけられた、大きな難問のように感じているのは、果たして僕だけだろうか。