Strange Days

2004年04月30日(金曜日)

2004年しまなみ海道ツーリング2日目

22時34分 自転車 天気:相変わらずいい

早速、昨日のコースを逆に走り、大山祇神社へと到る。国宝館を見学し、大三島橋へと。そして伯方島でおいしい塩ラーメンの昼食を取り、大島大橋を渡ってのんびりと最後の島、大島へと到った。しかし、大島南岸ルートを取ったことが、平穏な道行きに嵐を呼んだのだった。
[続きを読む]
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。

2004年04月29日(木曜日)

2004年しまなみ海道ツーリング1日目

23時28分 自転車 天気:晴れてるね

しまなみ海道ツーリング初日は、尾道を出て向島へ、ここでアイスキャンデー屋を襲撃。向島から因島にわたり、ここは黙々とパス。続いて生口島に渡って昼食を取り、耕三寺界隈を散策。その後間違えて他の島へと渡ってしまったが、ルートに復帰して今日の宿泊地のある大三島へ。しかしここからが冒険の始まりだった。
[続きを読む]

2004年04月28日(水曜日)

呉に移動

21時53分 暮らし 天気:いいんだな

 さて、いよいよしまなみ海道サイクリングだ。今日はその移動日、実家への移動だ。
 昼前に部屋を出て、立場駅で輪行準備をする。自転車はMR-4Fで、いつものFreepack Sportの他、2002年度の東京シティサイクリングでもらった3Wayバッグに荷物を詰めた。実家に荷物をある程度置いて行くつもりなので、その分の荷物はこれに入れておいた。自転車に乗る場合、Freepack Sportをシートピラーアタッチメントに取り付け、3Wayバッグを背負う形になる。
 輪行袋には、このところタイオガのバイクキンチャクを使っていたが、今回はオストリッチのL-100を持ち出した。バイクキンチャクは扱いやすくて便利なのだが、畳んでもスペースを取るのが難だ。L-100なら適当なところに吊るしておけるくらい、小さくて軽い。今回はシートピラーの後ろに吊るしておいた。
 輪行袋を肩にかけ、Freepackを背負い、3Wayバッグを提げて、地下鉄に乗り込んだ。新横浜で新幹線に乗り継ぎ、広島、呉とJRで移動した。呉着は18:30前後だったか。時間があれば故郷の街を少し、などと考えていたのだが、もう夕暮れが間近なのでやめた。
 実家に帰り、兄と話しながら夕食を取り、風呂に入ると、眠気が襲ってきた。明日は早いし、早々に寝よう。母が帰宅する前に寝てしまったのだった。明日は5:30起きだ。

2004年04月27日(火曜日)

しまなみ持ってゆく物リスト

10時20分 暮らし 天気:雨か

 たぶん、詳細なリストは誰かが作るだろうから(それでいいのか)、覚書程度のものを。

衣類,雑貨:長袖Tシャツ*3,長袖ジャージ*2,ショートレーパン*2,レッグウォーマー,ショートパンツ(やはりポケットは欲しい),ウィンドブレーカー,(合羽,ヘルメットカバー)この辺は天気予報を見ながら、靴下*3,タオル*2,指きりグローブ*2

雑貨:シェーバー,日焼け止め,歯ブラシセット(これは不要かも),汗拭き,ティッシュ,アミノバイタル素人*4,BCAAタブレット(いくらか),グリコーゲンドリンク*4,フォールディングバッグ(荷物が増えたときの予備),応急手当セット,ビニール袋*3くらい,お菓子(非常食)

自転車関係:換えチューブ*2,(インシュロック,チェーンコネクタピン,ねじ,キャップなど)をまとめたケース,マルチツール、予備ライト(EL400)、パッチ(適応範囲を考えてイージーパッチ)、タイヤブート(タイヤ用パッチ),チェーンロック(軽いもの),タイヤレバー(Crank Bros.),ボトル*1,輪行袋,ライト類(自転車に既設)

電子機器:携帯電話,その充電器,Sigmarion3(実家に置いてくるかも),その電源,D70,その予備電池

 こんなところか。

2004年04月26日(月曜日)

風邪ひきかけ

21時30分 暮らし 天気:やや曇り

 ちょっと寒い日が続いたためか、風邪気味。一日中鼻をぐしゅぐしゅいわせながら、微熱と戦う破目になった。
 帰宅して、HARDROCK号のホイールの振れ取りをしようと思い、台を引っ張り出したが、頭が働かなくて断念した。なにせ、ニップルを回す方向を間違えて、振れをひどくしてしまうくらいだったのだ。今日は止めておこう。

2004年04月25日(日曜日)

しまなみに向けてMR-4Fを整備

20時00分 自転車 天気:いいね

 しまなみには、やはりMR-4Fで行くことにした。BD-1では荷物の運搬方法を考えねばならない。MR-4Fなら実績がある。しかしバックパック1個にまとめなければならない。でも、二日目に泊まるサンライズ糸山にはコインランドリーがあるので、二日分の着替えさえ持ってゆければいいのだ。
 しかし、問題がある。MR-4Fのフロントホイールは、扱いが荒かったためか、やや振れているのだ。振れ取りはしておかなければ。
 昼過ぎまで寝てから、少し頭をはっきりさせ、それから振れ取りに掛かった。今まで、安いMTB用ホイールではやったことがあるが、こいつでは初めてだ。MTB用の時には縦振れに苦労したので、こいつでは縦振れを出さないようにしなければ。
 縦振れを出さないコツが少し分かった。横振れを取るとき、振れを取る箇所とハブを挟んだ反対側を見る。そして縦振れがあるかどうかにより、件の横振れを緩め方向で取るか、締め方向で取るか決めるのだ。最初にスポークテンションゲージでテンションを一律にしておくと、作業がやりやすい。
 ところで、どうしても縦振れが取れず、苦労した部分があった。ポコンという感じで、急激に縦振れが立ち上がっているのだ。しばらく観察して分かったのだが、ホイールの精度が低く、その部分のショルダーが突き出しているだけだったのだ。実際にチューブを支えるリム底部を見なければ、縦振れは分からないようだ。まったく、ALEXXのリムと来た日にゃ。
 締め終わり、それなりになじみを出したところで、湘南台まで走り出した。走り出した途端、スポークの歪みが取れる音が続いて驚かされるが、それが取れた後は、シューの当たりも滑らかで、見事に振れは取れていた。まあ当たり前なんだが。でも、なんとなくホイール組みの肝は分かってきた気がする。
 調子よくMR-4Fを走らせてはいたが、途中でチェーンロックを忘れたことに気づき、すごすごと帰宅した。ついでに自転車もEPIC号に変えてしまった。バックミラーが欲しかったからだ。今、EPIC号にはスパイミラーという小さなミラーを、トップチューブにつけてある。足を上げて後ろを見る感じだが、意外に便利だ。やっと本来の使い方が分かった。
 湘南台で飯を食い、そのまま飯田牧場まで走り、アイスを食った。今日は南風が強いので、帰路は極楽だろうと思っていたが、その通りだった。
 帰宅して、MR-4Fのチェーンを洗い、車体もワックスをかけ、最後にチェーンルブを塗っておいた。これでしまなみを走る日は、もう間近だ。

2004年04月24日(土曜日)

どうしようもないわたしが暮らしている

23時40分 暮らし 天気:寒い

 今日のオフの間、BD-1から聞こえ続ける異音が気になっていた。何かが何かに当たっている感じだ。が、ホイール周りに異常は無い。はて、どうしたことか。
 最寄り駅に着き、輪行体勢を解除したとき、初めて原因が判明した。セキサイダーの前部を留めているボルトのうち、1本が外れ、もう1本が緩んでいたのだ。それでがたがたいっていたらしい。
 しょうがないな。前に買った余りがあるから直そう。
(家捜しの要領でボルトを探していると思いねえ)
 だ、だめだ。見つからない。あれだけ、都合20本くらいあったボルトが見つからないとは。まとめてどこかにしまったか。しかしやはり大量の鍋小ねじ(何のために買ったんだっけ)はあったから、まとめてしまったとも思えない。埋もれたか、ここに。
 南極の地下には数百万年前の水を封じた地底湖があるという。いや、今の状況とは何の関係も無いが。我が家の状況は、単なる我輩のずぼらだ。
 とりあえず、生き残っている1本の方のボルトを締めておいた。この部屋、というが我が住処は、夏までに計画的に整理しなければなるまいな。もう限界だ。

チーズケーキ(およびその他)激食いオフ

23時15分 自転車 天気:晴れのち曇り(寒い)

 今日は@nak主催のチーズケーキポタの日だ。こういう小洒落た方面への嗅覚が乏しい我輩も、今日は小洒落た気分で激食いすることだろう(ちっとも小洒落てない)。
 比較的短距離、都内の移動ということで、乗車はBD-1に決定。荷物はバックパックをセキサイダー様に安置する方向で考えた。これが具合よければ、しまなみはBD-1で行くことも考えた。BD-1での参加者が多いだろうから、なにかと便利になると考えたわけだ。
 集合場所の東京駅丸の内北口には、10:00くらいに全員が揃った。さて、早速出発だ。走り始めた我輩の背後で、何かがズサーッと音を立てた。ありゃ、荷物があっさり落ちやがった(;_;)。ゴムひもが短くてよわよわなのがいかんな。それとローラーが邪魔になって、荷物を適切な位置に固定できないのも痛い。やっぱりリアキャリアバッグ専用にすべきだ。
 チーズケーキ処はかれこれ9箇所、52種類、70個を13人で平らげたらしい。一人頭5個強だ。僕自身は、そんなにチーズケーキを食った記憶は無いので、きっと7個くらい食う破目になった人もいたのだろう。いや、喜んでいたかもしれないが。
 昼食はおいしいカレー。ケーキ責めの最中にカレーというのはナイスな組み合わせだった。試食する場所も、スタバや他の店のテラスということもあったが、適当な公園、道端(本当に単に道端)、神社の鳥居の前ということすらあった。小洒落たどころか、なかなかワイルドなオフだった。
 最後は二子玉川で解散。だが、ほとんどのメンバーはそのまま中華料理屋になだれ込み、またしても激食。甘モノと辛モノとは別の胃に入るらしい。
 その後、疲れていたのと、気温が低下していたのとで、自走は諦め、輪行で帰宅した。

2004年04月23日(金曜日)

食欲減退中

10時45分 暮らし 天気:快晴

 暖かな季節に入ってきたせいか、食欲が減退し始めている。僕の場合、外気温と食欲には緩い相関があるようだ。
 こういう時には辛味で食欲刺激を、と思って中村屋の麻婆豆腐を作ってみたら、あまりに辛くてお腹が緩くなってしまった。そう、僕はあまりに辛いものを食すると、お腹に響く体質なのである。難儀なやっちゃな。
 土曜日にはまた激食な企画があるのだが、大丈夫かなあ(;_;)。

2004年04月22日(木曜日)

夜トレ新コース

11時04分 自転車 天気:晴れてる

 昨晩はさっさと帰宅できたので、雑用を片付けて21:30くらいから夜トレに出かけた。新しいコースを走ってみよう。
 新しいコースといっても、俣野橋から下流側、サイクリング道路が尽きるまでの往復6Km程度を付け足しただけだ。しかし、この辺りは周囲に全く遮蔽物が無い区画なので、風のある時期には走り応えがあるだろう。……って、早速強い南風に翻弄される我輩であった。
 下流側はまったく街灯が無いため、バッテリーライトではやや不安がある。ハブダイナモ装備のMR-4Fを持ち出した。風は強く、南下ルートを取ると、向かい風を浴びながら走ることになる。しかし、意外にも辛いという感じではない。土曜日の160Km走行で、体にスイッチが入ったか。
 俣野橋の下流側でも状況は同じだ。しかしこの近辺、周囲が開けているのと、大きな光源が無いので、天体観望には絶好ではないだろうか。横浜周辺では随一の環境だ。とはいえ、西と南には大都市が横たわっているので、どうしたって光害は避けられないのだが。
 サイクリングロードの終端で一休みし、俣野橋に引き返してから以降は、またいつものコースに戻った。
 帰宅してメーターを読むと、25Kmくらい走ったことになる。これからはこのコースを走ってみよう。しかし、ライトが問題だ。早く700Cロード用ハブダイナモホイールを組んでくれないものか。

2004年04月21日(水曜日)

SFセミナーが5/1開催になってる

09時42分 SF 天気:いいってば

 しまなみ行きでは、大半のメンバーと5/1に別れ、単独で松山に立ち寄った後で、そのままフェリーで呉に帰ることにしていた。例年、5/3に東京で開かれてきた、SFセミナーという催しに参加するつもりだったからだ。
 去年はいまいち興味を惹くトピックが無かったので、参加しなかった。しかし今年は、山田正紀インタビュー、SF周辺の話など、面白そうな企画が組まれている。これは参加せねばと思っていた。
 ところが、昨夜前記ウェブページを読んでみると、今年の開催は5/1に前倒ししている。前倒しですか。その日は、まさに松山に向かうことになっていた日だ。これじゃあ参加は無理だ。とほほ。
 どっちかといえば5/4とか5とかの開催の方が嬉しいのだが、会場の都合もあるのだろう。もしも来年も同じ日程が組まれるのなら、多分また参加を見合わせるしかないな。
 うーむ、誰かにビデオ撮りしてもらうかな(そんな物好きな知り合いはいないが)。

今年初のM7を見た

09時33分 星見 天気:好天

 昨晩寝る前、ふと思い立って星座早見盤で現在時刻の星座を確認したら、さそり座が既に全貌を現している時刻だと分かった。早速、CANON 18*50ISをアパートの前に持ち出し、南東の空に向けた。
 さそりの上半身の特徴的な星の配列を見つけ、アンタレスを眺める。まだ南中してないのと、隣の中学校のネットに掛かっているために、あまり明るくは見えない。
 さそりの尻尾へと移動し、記憶を頼りに探ってみると……、あった、M7発見。すぐ近くに照明があり、暗順応も十分ではない上、前述の通りバックネットに掛かっているという悪条件だったが、その明るい星の群れは一目で見分けることが出来た。これを見ると、やっと夏が近づいていることを実感できる。
 今年もたくさん拝めますように。

2004年04月20日(火曜日)

よく寝た結果快調な火曜日

22時22分 暮らし 天気:いいんだね

 昨夜はトレーニング無しにした結果、気が緩んだのか、えらい早い時間に寝てしまった。おかげで、今日は9時間くらいの睡眠時間を稼いでしまった。これだけ寝ると朝のうちは帰って頭が働かないのだが、それは日が高くなれば解消し、かつ午後遅くになっても眠くはならないという効果を発揮してくれる。うん、いつもこうならいいのだが>なら早く寝ろ
 帰宅が遅くなったので、今夜もトレーニングは無し。腹筋と腕立て伏せだけやって就眠。

2004年04月19日(月曜日)

意外に快調な月曜日

19時50分 暮らし 天気:夜になり雨が

 土曜日にロングライド、日曜日は気疲れする市街地の走行と、疲労はたまっていたはずだ。しかし足にダメージが残っている形跡は無く、階段でも辛い思いをすることは無い。土曜日の疲労は、日曜日に軽度の運動を継続して行った結果消え、精神的疲労も楽しいことが多かったので消えたのだろう。するってえと、土曜日に高強度の、あるいは長時間のトレーニングを行い、翌日は気ままにポタリングするのが、実は疲労を月曜日に持ち越さない秘訣なのかもしれないな。
 今日も帰宅してからトレーニングに出ようと思っていたのだが、雨の予報だったので止め。

2004年04月18日(日曜日)

しまなみ準備お買い物ツアー

22時33分 自転車 天気:良かったね

 一睡して、朝9:00頃に起床。全身に倦怠感が漂ってはいるが、痛くて動けないとか、腫れ上がっているとか、そんな風に動作に支障が出るほどの状況ではない。昨日、帰宅してすぐにアイシングしたのと、寝る前にアミノバイタル素人(爆)を飲んでおいたのが効いたのだろう。アミノバイタルは、翌朝までダメージを持ち越さないで済むので、ハードな運動の後にはお勧めだ。
 今日は、しまなみ海道ツーリングの参加者が集まって、買い物と打ち合わせをしようという日だった。集合場所は和田サイクル、時間は13:00だったので、まあ10:00過ぎに地下鉄に乗ればいいかと思った。
 11:00、戸塚のホームで西口のミスドの方をボーっと見ていたら、青いBD-3に乗った男性がスーッと南下して行った。この辺でBD-3というと、つかさ氏だろう。
 正確には何時に着くんだろうと思い、携帯電話で経路検索してみた。すると、12:00過ぎには着いてしまう勢いだ。あまり早すぎるのもなんなので、乗り継ぎしないで済むように湘南ライナーに乗ることにし、新宿からは各駅停車で西荻窪に行くことにした。今日は参加者の一人、一番経験の無いみはる女史がトレンクルで来ると思われたので、それに合わせてトレンクルを持って出ていた。
 和田サイに着いたのは12:40くらいだった。既に店は開いていて、店頭には客の姿もあった。昼食は途中の駅蕎麦で済ませてしまっていたので、適当な菓子パンを買って、コーヒーで流し込みながら、他の参加者の到着を待った。
 しばらくして、まずhai氏が登場。続いてマモル氏、こぐ夫妻、にち氏と集まってくる。肝心のみはる女史も、少し遅れてやきもきさせたが、無事到着した。
 まず、和田サイで買い物。買ったのは16インチの細いチューブ、RIXEN&KAULのバッグ側固定パーツ。どっちもしまなみと関係無さそうなものを買ってしまった。しまなみでは、基本的に今あるものでなんとかする予定なので、それほど買いたいものは無かったのだ。
 それぞれ買い物をした後、次に阿佐ヶ谷のフレンド商会に立ち寄った。1Fで特売をやっていて、マモル氏が目に付いたBrompton用輪行袋の値段を聞いたところ、1500円。マモル氏は買う気が無かったようだが、思わず僕が買ってしまう。これ、トレンクルの輪行には良いのだとか。Mobillyたんにも使えそうだね。
 さらに新宿方面に走り、キャンプ/トレッキング用品店でしばし買い物。最後はY系のジョーカーに立ち寄った。それぞれ、それなりに買い物をしたようだ。
 しかし、みはる女史の場合、しまなみでの荷物運搬が危ぶまれていた。トレンクルで行くことになっているのだが、トレンクルは基本的に荷物を積むのが難しい。トレンクルを300%くらい活用している加藤夫妻でさえ、荷物の運搬は諦めているのが現状だ。人に持ってもらったら(積載量が有り余っている者が出そうなので)とか、宅急便で送っちゃえばとかいった意見が出たが、あくまでも運ぶとなると、これという妙案は無い。
 まあ、その前に飯だ、ということで、アースデイライドに参加したまめ氏、おの氏、そして上京中のその松女史と共に、新宿のアジア食堂で落ち合うことになった。なかなか美味な中華、タイ料理に舌鼓を打つが、間も無く、その松女史は帰りの夜行バスの時間となった。おの氏も見送りのため、急いで渋谷へと向かっていった。
 残ったメンバーで、しまなみのことを打ち合わせる。まめ氏もしまなみ経験者なので、貴重な意見をうかがえた。なんとなく、骨格は出来上がっているような気がしてきた。まあ、自転車ツーリングなので、泊まる場所だけ決めておけば、行き当たりばったりでこなせると思うのだが。
 店を出て、さて帰ろうという段になったところで、いきなりみはる女史のトレンクルに、リクセンのハンドルバーアタッチメントを取り付ける作業が始まってしまった。荷物をリアに載せるか、ハンドルバーに着けるかという選択では、リアは避けるべきだという意見が多かった。が、ハンドルバーに、嵩のある荷物を載せて大丈夫だろうか。なら、ここでこぐ氏からバッグを借りて、着けてみればという話になったのだった。
 取り付けた状態で走ってみると、荷物にハンドルが振られる状況で、あまりお勧めできそうに無い。が、積極的に否定するほど悪化するわけでもないかなと思った。まあ、着るものくらいなら大丈夫かな。
 とりあえず、これで行けるかもという感触を得たところで、各自帰路に着いた。
 しまなみ海道ツーリングまで後10日。そろそろ詳細を詰める時期に来ている。

2004年04月17日(土曜日)

やまみちアドベンチャーのフィットネスライド75Kmに参加して結果的にセンチュリーライドとなりました

20時25分 自転車 天気:いいじゃないか

 昨夜は早々に寝入り、4:30起床の予定であった。が、2:00にいきなり目が覚めてしまい、それから一向に眠れなくなってしまった。まあいいや。ともかく5時間弱の睡眠時間ではあったが、6:00前には家を出た。今日はやまみちアドベンチャーのフィットネスライド75Kmに参加する予定だ。乗車はMR-4Fと迷った挙句、TCR-2に決定。
 集合場所は関戸橋の南にある公園なので、所要時間を2時間程度と見積もった。車も少ないだろうし、飛ばせるだろうと考えていたのだ。が、海軍道路、八王子街道(R16旧道)を経由して入ったR16は、朝の配送に向かう産業車両で溢れかえっていた。ぶっ飛ばす大型トラックに恐怖を感じ、絶妙のタイミングで変わり自転車を1区間以上は走らせてくれない信号に悩まされつつ、相模原警察署前を通過。町田街道へと抜ける。そして多摩ニュータウン通りへと抜ける坂道に差し掛かったのは、出発して1時間半近くを過ぎた頃だった。こんなに掛かるとは。
 しかし、多摩ニュータウン通りに抜けてからは、走りやすく舗装の良い道路と、長い下りに助けられ、30Km/h平均、大体の区間で40Km/hをマークしながら突っ走り、関戸橋には30分ほどで到着した。さらに南へと走り、集合場所に着いたのは、集合時間にはまだまだ間がある7:40くらいだった。
 丹羽氏とQ女史がいたので挨拶する。もう一方、やや年配のロード乗りの男性から「自転車は立てかけて置いてください」と指示された。この方がサイクルスポーツ誌の宮内編集長だった。なんで、と思ったら、本来のスタッフである御子柴氏(車の陰で作業していたのを発見)が負傷し、途中離脱する可能性が高いので、急遽参加していただいたのだとか。
 このフィットネスライド、本来は参加者全てにレンタルバイクが割り当てられている。僕にもスペシャのセクォイアスポーツが割り当てられていたのだが、ペダルだのなんだのの交換が面倒だったので、TCR-2でそのまま参加することにした。車でやってきて身一つ、あるいは最寄の駅まで輪行して適当な折り畳みで集合場所まで、という形で参加し、レンタルバイクで走るというのがお勧めだ。
 参加者の多くはスポーツバイクでの経験が無い、あるいは少ない人たちのようだ。変速機付き自転車に乗ったこと自体が初めて、という人も少なくない。
 集合時間となり、各自の乗車の調整、ブリーフィングが行われた後、いよいよ出発となった。
 まずは多摩川沿いに北上する。関戸橋に到達した時点で、おや、河原にたくさんの人だかりが。そうか、今日は関戸橋のフリーマーケットの日だったのだ。少し立ち寄ることになった。ピークは10:00前後、午前中には勝負(なんのだ)がついてしまうそうで、まだこの時刻には出展準備中の人も多い。しかし、オールドパーツを中心に、結構な品揃えに思えた。MTB用リジッドフォークがあったので、買いたかったが、ツアー参加中の今は無理だ。次回、9月だか10月だかにやるときには、ちゃんと買い物に来たいものだ。誰か知り合いがいないかと思いつつ散策したが、これといって見当たらない。と、Y's parkの方からトレンクルでスーっと下ってくるいいづか氏を発見。しかし出発直前だったので、声はかけなかった。
 フリマの空気をちょっとだけ吸って、再び出発する。関戸橋を渡り、しばし多摩川沿いに北上する。浅川との分岐で浅川沿いに移り、さらに川口川に沿って走り、最終的には秋川街道に出て小峰峠を越える。この辺、以前実施した多摩川ロングライドで走ったコースに近い。あれの元になったサイスポの記事を書いたのは、そもそもツアーの主催者丹羽氏その人だったのだから、当然といえば当然だ。
 途中、おいしい水の湧き出るという神社を訪問し、水を補給した。確かに柔らかでおいしい水だ。このポイントも含め、丹羽氏も著作陣である東京周辺自転車散歩には、今日のルートがほぼ掲載されているようだ。この本、買おう。実は、今日のツアーには、たまたまこの本の通りに走っていて、本ツアーと遭遇したという方も追随していた。BD-1乗りだった。この方も含め、今日はBD-1を山ほど見かけた。
 小峰峠に向かう秋川街道はあえて走らず、ちょっと外れた裏道を走る。これが大正解。ちょうどつつじの時期であり、道に沿って満開のつつじが立ち並んでいるので、まるでピンクの花道だった。D70をバッグに収めてしまい、シャッターチャンスを逃してしまったのが心残りだ。
 小峰峠は、例の多摩川ロングライドの時には工事中で、新しくできたトンネルを通らざるを得なかった場所だ。小さな峠で、あっという間に超えてしまう。超えきって、坂道をずっと下ってゆくと、やがて武蔵五日市駅へと到着した。真正面の山猫亭で昼食。おいしい野菜カレーにデザートだ。ここで宮内編集長にしまなみ海道話をいろいろうかがう。浜勝には寄れ(自転車乗りなら釜飯食え)/展望台スゴイー(糸山は背中合わせに二つの展望台有り)/波方の謎喫茶は(きっと)面白い、などなど。糸山展望台は低い方しか知らなかったので、本当の最高所にも行ってみたいと思った。
 武蔵五日市からは秋川沿いの走り、多摩川との合流点で一度遡上する。羽村の取水堰まで行って戻るのだ。取水堰を前に丹羽氏の説明を聞いて初めて知ったのは、玉川上水の玉川は人名由来で、多摩川とは関係無いそうな。その玉川という姓が多摩川に由来するのかも知れないと思ったが、そこまではわからなかった。後で調べたところ、『本上水建設の功により幕府より"玉川"の姓を賜った』との一文を発見した。どっちが本当だろうか。
 久しぶりの羽村からの眺めを堪能し、引き返す。これからは何度も通った多摩川沿いのサイクリングロードを走って、やがて関戸へと帰還した。メーターの読みでは77Kmほど走ったことになる。
 参加者は三々五々帰ってゆくが、僕の方はこれからが本番だ。上り基調の多摩ニュータウン通りを走って帰らねばならない。が、いざ走り出すと、意外なくらい足が良く回る。クリートの位置が微妙に合ってないようで、右足の土踏まず辺り、左足のふくらはぎの辺りが痛いのだが、その痛みをなだめつつ走っても、30km/hくらいで走りつづけることができる。どうやら風が味方してくれていたようだ。それと、体内でアドレナリンが燃え盛っているようで、やる気だけは沸いてくる。どうせなら完全なセンチュリーランにしてしまえと思い、行きの環状4号線経由ルートに戻らず、境川沿いに南下してかえるルートを取った。
 帰宅した頃には真っ暗になっていたが、メーターの読みでは163Kmを走破したとなっている。初センチュリーランだった。これなら後100Kmは行けそうな感じだ。が、このダメージが、明日どれくらい残るのだろうか。それが問題だ。
 今日通ったルートは、今後のロングライド練習ルートとして採用しようかと思っている。

2004年04月16日(金曜日)

最近に無く早寝な日

19時54分 暮らし 天気:良くなっている

 明日のフィットネスライドに備え、帰宅して早々に寝る予定。21:00という最近に無い時間だ。8:00に多摩川関戸橋近くというスケジュールなので、だいたい6:00前には出立しなければならない。本当は、普段から早寝早起きで、朝トレした方がいいのだろう。だが、帰宅が微妙に遅い日が増えているので、睡眠時間の確保が難しくなるのだ。
 でもまあ、早く帰られた日くらいはやるか。


2004年04月15日(木曜日)

夜トレでEL500を使ってみた

23時54分 自転車 天気:晴れやらくもりやら

 仕事の山、というか丘状態で、微妙に忙しく、帰宅は22:00過ぎだった。でも夜トレ行くもんね。EL500の使い勝手を確認したいので、EPIC号で出走した。
 EL500をハンドルバーに取り付け、夜道を走っていった。やはりというか、EL300よりは明るい感じがする。中心の明るい部分がなぜか円ではなく、まるでコウモリのような形になる。これは発光体そのものが円形ではないのと、レンズで拡大しているためだろう。レンズのパターンは、電球タイプのように左右に伸ばすものではなく、ほぼ円対称に拡張するもののようだ。ハンドルバーに取り付けるものが多い僕の場合、ライトは必ずしも通常の取り付け方向になるとは限らず、左右に傾けて、あるいは立てて取り付ける場合もありうる。そういう時、従来のバルブ型の左右拡幅型パターンだとちと困ることがあるのだ。そういう意味で、円パターンの方が助かる。
 明るさは、夜道でも、20km/hくらいで走るのなら問題は無い。ただし、より高速となると、暗い場所の通行人が見えなくてヒヤリとしたこともある。スポーツ目的にはまだ力不足だ。もっとも、そういう用途には、HL-1500でもまだ力不足で、10W級のバッテリーライトにお出まし願わねばならないのだが。あるいは、EL400と組み合わせ、EL400を前方障害物照射専用に使えば、もっと高速でも使えるかもしれない。
 1時間弱、妙に雲が多い空模様を気にしつつ走り続け、帰宅。

2004年04月14日(水曜日)

忙しいな

23時47分 暮らし 天気:曇りのち雨

 妙に忙しい日だった。仕事の(低い)山場だというのもあるが、それにしても忙しい感が一日中付きまとう日だった。少し花粉症気味だったからだろうか。それとも寝不足で辛かったからだろうか。
 帰宅が遅くなり、飯を炊いているのが面倒になったので、吉野家で豚丼をかっ食らう。やはり、牛丼が恋しい。

75Kmとはいうものの

10時15分 自転車 天気:危うし

 土曜日に参加するやまアドのフィットネスライド75Kmだが、意外に長い距離を走ることになりそうな予感。
 ツアーとしての走行距離は75Kmでも、集合、解散場所と自宅との往復距離が加算される。だいたい70~80Kmくらいか。すると、下手すれば、初のセンチュリーライドになってしまいそうだ。ううむ、それなりに備えないと。そこまでは鉄道の便が乗り継ぎの嵐で劣悪なため、自走の方がまし(時間も変わらない)という感じなのだ。
 なんにせよ、睡眠時間だけは取っておこう。

2004年04月13日(火曜日)

夏旅行を構想する

11時10分 自転車 天気:次第に崩れちゅう

 今年は永年勤続の褒賞として、5日間の休暇を取れることになっている。もちろん連続で取ることが推奨されているので、9連休以上にすることが可能だ。この機会を利用して、どこぞに旅に行こうかと考えている。
 いつ取れとは指定されてない(当然)。しかし繁忙期にほいほい取れるとも思えない。そうすると、かなり忙しくなりそうな年末にかけては取得困難というところか。まあどうせなら風光明媚な季節に旅したい。
 そういう目で自分の行きたいところリストをひっくり返すと、いの一番(いや、あの一番という方が現代的か)に北海道が転がり出てくる。僕の活動北限は南会津なので(ここもサイクルトレイン以外で回ってみたいところだ)、より北という点で北海道にあこがれる。一方、南は九州、沖縄にも渡ってみたいとは思うのだが、こっちは寒い時期に旅してもいいだろう。厳冬期の北海道だと死にそうだもんな。
 では暖かい時期に北海道、という点で思い出したのが、やまアドの北海道ロングツアーだ。今年は7/23~28くらいの日程らしい。褒賞休暇に年休を二日ほどくっ付けると、無理ない日程を組めそうだ。問題は、連日150km超、4日間というハードなツーリングに耐えられるだろうか。まあ今年通る縦断ルートは、去年実施した横断ルートに較べれば楽らしい。あくまでも比較の上の話だが。
 これからしばらく、ロングツーリングに耐えられる体作り、そして根性養成(これが困難)を企図した長めのツーリングを繰り返すつもり。

2004年04月12日(月曜日)

松田新平氏逝く

19時49分 思考 天気:なかなか

 逝ってしまったか。
 昔、ASCII-Netで、彼がjojo氏という人望のある人物とやりあってた時のことを思い出した。というか、ネット上で殺し合ってたというべきか。そのjojo氏が亡くなったとき、新平は『これで俺を許せないと思うような人が出てくるだろう』なんてことをいったのだ。それはjojo氏の人望の篤さを逆に浮き上がらせていた。もちろん新平もそれを承知していた。だからそんな発言になったのだと思う。新平も、死の直前数年くらいは、主に2chを中心に活動し、同時に敵を作りまくっていた。では彼を攻撃していた人々を『許せない』と考えるような者は出てくるだろうか。とてもありそうにない。死に方の違い、風土の違いはあれど、彼ははっきり人望というものを欠いていた。新平は一種の珍獣として生き、珍獣として死んだのだ。そんな風に自分をカテゴライズしてしまう傾向は、大昔のASCII-Net時代からあった。そんな生き方しか選択できなかった彼を悼む。

2004年04月11日(日曜日)

EL500を試す

23時17分 自転車 天気:晴れなり

 買ってきたEL500は、1Wの高光度白色LED(国産か海外製かは不明)を使用し、連続使用時間(明かりが切れるまでの時間)が実に60時間という、現時点での自転車用LEDヘッドライトの決定版といえそうなスペックを持っている。(左からEL120、EL300、EL400、そしてEL500)
 一見して、EL300に対してスリムであることが分かる。EL300は大きな頭部が邪魔でかさばっていたのだが、EL500はその点でかなりのコンパクト化が図られている。EL400は遥かにコンパクトで、しかも取り付け方法も柔軟だ。EL300/500系がヘッドライトとしての使用のみを考えていることは、これらに点滅モードが無いことでも分かる。逆に点滅モードを持つEL120/400は、あくまでもヘッドライトとして使用しうるポジショニングライトという性格が強い。
 明るさを比較してみる。左EL400、右EL500。さすがにEL400に較べると、遥かに明るい。
 左EL300、右EL500。EL300はやや電池を使用した後だったので割り引いてもらう必要はあるが、それでもEL300を超える明るさを実現しているのは確かだ。
 左EL120、右EL500。EL120はEL100系(EL100、EL200)とほぼ同じ明るさなので、それらを使っている向きには参考になろう。
 左HL-1500、右EL500。1500は非常時のヘッドライトとして十二分な性能を持っているが、EL500はそれに並ぶ明るさを実現しているように見える。
 実際に夜道を走って見なければ分からないことは多いのだが、これらの写真から傾向は見えてくるだろう。明日その気になったら、夜道に持ち出してみようと思う。

町田まで買い物旅行

19時53分 自転車 天気:絶好

 昨夜の疲労を残したまま、昼前に起床した。外出したくは無い気分だったが、買わなければならないものがあるので、そそくさと外出の準備をした。今日はEPICで出よう。
 足回りが痛々だったので、20km/hくらいのゆっくりした速さで北上していった。
 町田までトロトロと走り、ヨドバシに入った。ここでD70用の電池と、レンズプロテクターを買い求めた。これで、保護カバーをいちいち外して、という手順を省略できる。
 帰路、八王子街道との交点で、海軍道路方面に走った。米軍管理地だが市民が勝手に利用している原っぱに座り込み、しばし足を休める。
 サガミに立ち寄った。No.3でリジッドフォークが復活していたが、フロントフォークを着けられるかな。それより、キャットアイの新型ライト、HL-EL500に目が行った。買っておこう。
 これらの荷物をバックパックに背負い、帰宅した。現金なもので、乳酸を消費できたためか、筋肉痛は減少していた。でも、明朝にはまた復活しているのだろう。

2004年04月10日(土曜日)

久しぶりに三崎で鮪を

12時26分 自転車 天気:良く晴れたなり

 来週にはやまアドのフィットネスライド75km、月末には懸案だったしまなみ海道ツーリング、来月には第4回東京・南会津サイクルトレインが実施される。立て続けに、それなりに走る行事に参加するのだから、少し走りこんで体をたたき起こしておかないと。というわけで、久しぶりに三浦半島に出かけることにした。
 10:15頃に家を出て、境川から南下していった。今日は午前中は北の風、午後からは南の風になるはずだった。しかし、境川を下っている段階では、西風が強めに感じていた。鎌倉近辺を突っ切っているときに助けてくれるだろうか。その鎌倉に差し掛かる。なぜか向かい風気味。合成風力の呪いか。
 ごちゃごちゃした感じの森戸~葉山を通過し、武山へと走る。風が弱まり、走りやすくなってきた。が、久しぶりに直面するこの近辺のアップダウンが、それまでの逆風下で消耗した足に堪えてきた。それでも、京急三崎口駅直前の坂も上りきった。
 油壺方面から回り込み、三崎港へと向かう。途中のヨットハーバーでD70を持ち出し、長閑な風景を写した。MZ3に較べると、カメラの『仕事してまっせー』感が頼もしく、バシバシ撮ってしまう。しばらくFINE-Lで撮っていたのだが、内藤氏の『FINEもNORMALも実際には違いが分かるまい』という意見を聞き、それは確かにそうだと思い直して、FINE-Nに切り替えた。これだけで撮影可能枚数が倍になる。つまり、4GBのMicroDriveだと、2.2k枚撮れてしまうのだ。もう、メディアの残量を気にする必要は無いのだ。
 三崎港に着き、ちりとてちんでちりとてちん丼を頼む。初めて知ったのだけど、これでも大盛りに出来るそうだ。まあふつうサイズでお願い、と告げた。食事が来るまでは、黄金色の発泡する液体(人体への注入により玄妙なる効果を及ぼすという)をキューっとやった。ここまでかなり汗をかいていたので、この一杯は良く回った。やってきた丼も、瞬く間に平らげてしまう。鮪パワーが全身に染み渡る。
 しばらく、港で風を浴びながら、D70を辺りの風景に向ける。コンパクトデジカメとは撮る気が違うぜ。さらにうらりに移動し、2Fのデッキでごろ寝する。暖かな、いや少し暑いくらいの日差しが降り注ぎ、いい塩梅だ。
 そうして、D70で気に入った風景を撮ったりしながら、15:00くらいまで過ごした。かの黄金色の液体が効力を発揮している間は、僕の場合足が全然回らなくなるので、帰路の急坂を登ることが物理的に不可能になってしまうのだ。
 やがて充分な休憩を取り、復調したので、家路に就いた。
 帰路、横浜方面から回ろうかとも思っていたのだが、そうするとR16、R1、あるいは厚木街道という混雑した道を抜けなければならない。それを嫌い、このままリターンすることにした。
 帰路は快調だ。すげえな、全然漕いでないのに40km/hまで出ている。下りでは……80km/hっていってますね、このスペシャのスピードメーター。狂っとるやんけ(爆)。どうやら、例のGPSとの混信が起こっているようだ。しかし謎の現象だ。大磯とかこの近辺とか、海辺を走っている時に限って起きる現象なのだ。なにがきっかけなのだろう。ともあれ、GPSで速度は分かるので、スペードメーターには気の済むまで高速を表示させた(滅)。この現象、武山を越えた辺りから軽減され始め、葉山で完全に収まった。
 帰りで一番きつい伊勢トンネルの手前で、干潮で露出した海底が、面白い形になっているのに目が行った。それを調査している学生らしき人々も。石碑も立っていたから、なにか名のある場所なのだろう。
 若宮大路入り口の下馬でコンビニに立ち寄り、江ノ島から裏道に入り、境川沿いに帰宅した。

2004年04月09日(金曜日)

平穏な一日

20時02分 暮らし 天気:よいのだ

 仕事も暇な、平穏な一日であった。外を見れば自転車にはいい天気。くぅ、湘南の海を見に行きたいぜ。ついでにD70でばしばし撮りたいぜ(なにをだ)。
 眠かったが、帰宅して牛丼を作ってみた。正確には他人丼に近い代物だが(卵でとじる)、実家ではなぜかこれを牛丼と称してきた。ご飯もおいしく炊けて、満足。
 明日は三浦半島に行ってこようと思う。

2004年04月08日(木曜日)

猛烈な眠気に襲われ続ける一日

17時38分 暮らし 天気:雨のち曇り

 暖かくなってきたからか、会社で睡魔に襲われることが多くなってきた。朝はまだしも、気温の上がる午後ともなると、眉間の辺りに取り付いた睡魔めに悩まされる。会議なんかがあった日には、心筋梗塞を起こすのではないかと思うくらい、気合を入れなければ目を開けていられない。
 こういう時には早寝早起きに限るので、そろそろ朝トレを再開するかいな。

2004年04月07日(水曜日)

決死の夜トレ

23時43分 自転車 天気:晴れのちくもり

 今日は暖かい一日だった。長袖シャツにフリースという格好で歩いているだけで、汗ばんでくるほどだった。風が強烈で、夕方帰宅する頃には、まるで嵐にようになっていた。あまりの風に、帰宅してすぐ出るつもりだった夜トレを、しばし様子見モードで延期する。
 21:00まで待っても風は一向に収まらなかったので、仕方なく風の中を走り出した。まあ、トレーニングにはなるだろうと思っていた。
 コースは周囲に建物の無い川沿いのサイクリングロードなので、強烈な風がまともに吹き付けてくる。南西の風が強かったようで、乗って行ったMR-4Fは左右に振られ続け、まるで安定しない。クラウチングモードで25km/h出すのさえツライほどだ。
 いつもなら、俣野ののぼりでR467に乗り換えるところだが、こんな横風の強い夜に、あんな交通量の多い道を走った日には、高確率で地獄に直行できるボーナスステージに早変わりだ。死ぬのは嫌なので、俣野でそのまま折り返し、サイクリングロードを北上して行った。強い風に後押しされるので、ぐんぐん進む進む。漕がなくても進むほどだった。
 出る前は、雨が降り出さないか不安になる天気だったが、なんとかもってくれた。が、明日の明け方には雨になるそうだ。早朝ランをやめて、ナイトランにしてよかったかも。

2004年04月06日(火曜日)

さらに残った桜を撮りに行く

22時25分 デジタルカメラ 天気:いいねいいね

 昨日の夜から腹具合がおかしくなり、入れた分だけ出てしまう惨状に。この症状が治まったのが、ようやく昼前のこと。体力的にへろへろだったが、せっかくの機会なので、最後の桜を撮りに出かけた。
 TCR-2のリア側にモンベルのドライバッグを着け、そこにD70だのなんだのを収めた。Allrounder Miniよりかなり入るので、D70と雨具が一緒に入るのがいい。D70を持ち出さないのならば、Allrounder Miniの方が小さくていいのだが。
 まずは湘南台方面に下ってゆく。鎌倉まで行くつもりだったのだが……。風が凄い。クラウチングポジションを取って、やっと20km/hという体たらく。下痢の影響が強いとはいえ、これは辛すぎる。風の神に感謝するどころか、あらん限りの罵倒を投げつけてやりたくなる。いや~んな体調ということもあり、鎌倉行きの目論見が、江ノ島まで、サイクリングロード南端までと、順調に堕落して行く。
 結局、サイクリングロード南端まで走ったところで断念。なんというか、たかが12km程度走っただけで、こんなに疲れていいのかという気分だった。少し戻った所にある休憩所で一息入れた。
 さらに北上し、飯田牧場でチョコチップのジェラードを摂取した。最初の一口を入れたところで、そういえば腹具合が……と思い出し、また腹が爆発しそうな気がして、顔が青ざめてしまった。が、腹具合が悪化することも無く、おいしく摂取完了。
 帰路、湘南台でまた写真を撮った。時期をずらして咲いているような木もあり、まだ楽しめそうに思えた。が、既に葉桜と化している樹が大半だ。さすがにおしまいだなと思った。
 帰宅して、自転車を納めた途端、またお腹からの警報が脳を突き抜けていった。やっぱり、こういう体調のときにアイスはダメだなと学習した。が、次に同じ状況になったときには、もう忘れているんだろうな。

2004年04月05日(月曜日)

桜を撮りに行く

19時03分 自転車 天気:よし

 昨日は雨で外出も出来なかったので、今日は残った桜を撮りに出かけた。いや、仕事の谷間なので、休みを取って。
 泉の森公園に行くつもりだったので、少しばかりの悪路を考慮して、乗車はEPIC号とした。荷物はドイターのウェストバッグに収め、D70はベルトを袈裟懸けにして、腰に回した。案外に、これでも充分に安定している。ただし、背中から放射される湿気が浸透するようで、液晶モニタが曇るのには閉口した。停車したときなど、カメラを体から離して冷却を図ることにした。
 途中、宮久保の公園辺りで撮影。まだまだ満開な樹が多かった。
 ずっと北上し、東名高速の高架に当たる辺り、例の猫小屋で、仔猫たちの様子をうかがう。しかし、猫小屋に仔猫たちの姿は無い。誰かが連れて行ったのだろうか。心ある人ならばいいのだが。猫小屋の近くには、まだ半年くらいの若い猫、というかやっと仔猫の段階を脱した位の奴が、なぜか空き缶と一心不乱に戯れていた。僕が接近しても、カメラのシャッターを切っても、まったく耳に入らないようだ。
 ここでR246に向けて裏道を走り、やがてR246、泉の森公園と入った。しかし、今日は休園日で、古民家園もしらかしの家も営業してなかった。ちょっとショック。
 遊水池に降りて、水と戯れている人々を写真に収めた。暖かな日になったためか、ためらい無く水に入ってゆく子供たちの姿が目立った。小さな池に巨大な望遠レンズを向けるバードウォッチャーの姿もあった。
 気の向くままにシャッターを切り、ふと日が翳ってきたのに気づいて、帰路に着いた。
 湘南台まで南下し、ここでまた余の桜を撮る。帰宅してから確認すると、枚数は140枚強、データ量は500MBを越えていた。いらない写真を整理し、半分に減らすのも骨だった。これだけ撮れるのも考え物だなあ。とはいえ、ツーリング時にメディア溢れを警戒しなくて済むのは、やはり大きな利点だ。

2004年04月04日(日曜日)

4GBのマイクロドライブを手に入れる

22時51分 デジタルカメラ 天気:寒い雨の日

 今日は日中は雨の予報だったが、やや後ろにずれて午後からの雨となった。実は雨でもいいから走ってこようかと思っていたのだが、いざ雨になるとずいぶん気温が下がり、これでは走らなくて良かったと思い直したものだ。
 さて、昨日一日、D70を持ち歩いて思ったのは、256MB程度だとすぐ使ってしまうという事だった。JPEG画像として記録する場合でも、最大サイズ(3008*2000)でファインモードの場合、一枚平均3MBにもなってしまう。71枚しか撮れない計算だ。71枚というのは、ツーリングでメモ撮りする場合でも、一日で到達する程度の値だ。ましてや泊まりがけの場合なんて。
 D70のスロットはCF2タイプで、概ねフラッシュメモリとマイクロドライブという超小型ハードディスクドライブの2系統のストレージを差すことが出来る。フラッシュでも2GB、4GBなんてのが出ているのだが、気の遠くなりそうな価格だ。一方、マイクロドライブも、売値は高い。しかし、低価格で入手する方法があるのだ。それは、マイクロドライブを内蔵ストレージとして採用している、クリエイティブ(SoundBlusterでおなじみ)のNOMAD Muvo2 4GBモデルを分解するという方法だ。Muvo2は3万円弱で買えるから、素直に4GBマイクロドライブを買う場合の半値以下で手に入るのだ。どういう価格のからくりなのか。それほど一括購入したということなのだろうか。
 ともあれ、新しいオーディオプレイヤーも欲しかったことだしで、Muvo2をさっさと発注したのが昨日。届いたのは今日の夕方だった。早いな。寒くて外出する気にもなれないのを幸いに、早速マイクロドライブを取り出してみた。確かに元IBM、現日立のマイクロドライブが入っていた。
 これをD70に装着してみた。画像は最大サイズ/ノーマル設定にして、フォーマットをかけたところだ。表示桁が溢れたので、'k'表記に変わっている。2200枚くらい撮れるということだ。ファインモードにすると画像サイズが倍増するのだが、それでも1100枚くらい撮れる。ここまで行くと、数日のツアーなら、もはやメディア溢れに注意する必要も無いくらいだ。
 目的は達した。しかし取り出した残りの殻の方は? こちらも有効利用しようと、今までD70に入っていたLEXERの256MB/40倍速のメディアを入れ、組み直してみた。リカバリモードで立ち上げ、フォーマット。OK。さらにファームウェアの書き換えもOK。そして曲もちゃんと転送できたかに見えた。使えそうだな。そう思って"ハードウェアの取り外し"(Muvo2は母機からはUSBストレージに見えているので)をしたところ、Muvo2側で『PCでスキャンディスクしてちょ』などといわれる。しかしPCからスキャンディスクしても問題はない。ところが、ファイルがすべて壊れているのだ。どうも、管理領域が保存されてないような壊れ方だ。
 PCでFAT32フォーマットしたり、Muvo2でのフォーマットをスキップしたりしたがダメ。またMuvo2の姉妹機でシリコンディスクを採用しているもののファームウェアを適用しようとしても不可だった。2chで情報を漁ってみると、どうもそう言う事例が発生することもあるようだった。なにが原因なのか。ファームウェアか、あるいはPC側のチップセットに起因するのか。
 ともあれ、こいつをプレイヤーとして使用するのはあきらめた。新しいファームウェアが出たら考えてみよう。
 本来の目的である、4GBマイクロドライブを低価格で入手するという点では成功だった。が、それでもなにか釈然としないものが残ったのは、僕が欲張りすぎなだけか。

2004年04月03日(土曜日)

猫との遭遇

23時22分 暮らし 天気:くもりだなあ

 モンベルショップからの帰路、東名高架辺りの、例の猫小屋に近づくと、妙にかん高い鳴き声が……。なんと、生まれて間もないような仔猫が、小屋から這い出して鳴いていたのだ。近くに親猫の姿は見当たらない。
 親猫はどうしたのだろう。この辺りにはカラスも居るし、川沿いだから鼬だっているかもしれない。しかし仔猫は、なにせ目も開いてないので、自力では小屋に戻れず、鳴きながら這い回るだけだ。しばらく見守っていたが、見かねて小屋に戻してやった。両手にすっぽり収まるくらいの、しかし暖かな命を感じる重みがあった。怖いので、小屋の中に急いで持っていってやった。怖いというのは、このまま力を込めたら確実に殺せそうに思えてならず、そうでなくても力の入れ具合で壊れてしまいそうにも思えたからだ。別につい殺っちゃいそうとかいうわけではないが。
 小屋の中を覗き込む。さっきから応える鳴き声が聞こえていたので、きっともう一匹いるのだろうと思っていた。が、驚いたことに、あと4匹ほども中にいたのだ。さっきの仔猫を返してやると、その仔猫たちが一斉に鳴き始めた。猫は苦手な僕だが、しかし思わずお持ち帰りしたくなる。が、これほど小さな仔猫を育てるのは至難の業で、うっかり変なものを与えてしまうと、あっさり死んでしまうらしい。そりゃそうだよな、こんな小さいんだもの。抵抗力も無い子供だし。
 別に僕が心配するようなことではない。いつものように突き放した見方で、死んだところで野良猫の寿命の短さからすれば、一つの必然的な結末に過ぎないのだ、などと思っていればいいはずだ。だが、いざ目の前にこんな頼りない生き物を置いて、しかしその重みと暖かみを感じてしまった後では、そんな冷酷な見方をするのは、なかなかためらわれるものだ。とはいえ、飼うわけにも行かないのだ。
 我ながらうろたえているなと自覚しつつ、猫小屋の周りをうろついていた。親猫が帰ってこないかと期待していたのだ。と、自転車の背後に、一匹の猫が座り込んで、こっちをじっと見ている風なのに気づいた。白黒斑の猫だ。そういえば、仔猫は白と黒で構成された奴ばかりだった。これが親猫か。
 無理矢理そう思うことにして、その場をやっと後に出来た。
 野良猫の寿命は、わずか3年から5年程度だという。飼われている猫たちは、医療技術と飼料の発達で、10年以上、もしかしたら15年は生きるものだという。寿命に3倍もの差があるのだ。いかに過酷な環境に生きているか分かる。あんな仔猫が生まれたということは、虚勢もされないで捨てられた猫が、2匹いたということだ。それが短くて過酷な生を再生産して行く。結局は、人間の身勝手が生み出した命なのだ。
 それにしても、一昨年の猫轢き殺し疑惑、去年大阪キックツアー時の仔猫付きまとわれ事件といい、彼奴らはなぜ猫好きでもない僕に付きまとい、悩ませるのか。榊たんの手のように猫好き臭でも放っているのであろうか。謎だ。

D70で桜狩りとモンベルショップまでバッグ購入の旅なりよべっかんこ!(謎)

20時40分 自転車 天気:晴れからくもりまでの間

 降雨率40%という予報だったが、案外にいい天気になった。日ざしも強めだ。早速、D70の試し撮りと、それを収めるバッグの購入のために、自転車で出かけることにした。乗車は、出動が稀なHARDROCK号だ。右にオルトリーブのサイドバッグ、キャリアの上にドイターのリアキャリアバッグを着け、そこに荷物を入れて出かけた。ドイターのバッグの方は、D70専用になってしまったが。
 湘南台駅近くで飯を食い、また川沿いに戻り、を撮った。D70での撮影は、コンパクトデジカメでのそれよりも、はるかに快楽指数が高い。思わず撮りまくりたくなるものだ。
 一通り撮りまくり、しかし時間が気になっているので、南町田へと走り出した。
 HARDROCK号をゴロゴロ走らせ、北に向かう。風を背負っているわけでも向かっているわけでもないという微妙な風向きで、まあ頑張らない程度に走っていった。
 グランベリーモールではモンベルショップに立ち寄り、ドライフロントバッグというオルトリーブ式防水加工を施し、Rixen&Kaulのアタッチメントに着けられるバッグを購入した。これをHARDROCK号のハンドルに着けてあったRixen&Kaulのアタッチメントに着けてみると、見事に取り付けられた。これにD70を入れても余裕があり、雨具なども一緒に入りそうだ。TCR-2で走るとき、D70を持っていっても、他の持ち物の運搬に困ることは無くなった。防水性が高いので、そう言う点でも安心だ。
 帰り道、ふとD70のレンズ側フォーカススイッチが、マニュアルモードに入りっぱなしだったのに気づいた。そういえば、昨晩、星を試し撮りしてみたんだっけ。その時のままだったか。とほほ。後で調べてみると、それまでに撮った写真の多くは、やはりピンボケだった。しかし、ズームを使って撮った写真は、まあ見れるものが多かったようだ。
 帰路も写真を撮りながら走り、また湘南台でD70をうならせるぜ。夕暮れ時にフラッシュ禁止モードで撮ってみたが、意外に明るく撮れていた。
 帰宅して、なんだか下がりやすいHARDROCK号のシートポストを上げ直し、ラックに収めておいた。
 明日は雨の予報だって。

2004年04月02日(金曜日)

今夜も夜トレだい

22時36分 自転車 天気:なかなか

 なんだか今週日曜日は出なくてよさそう。休出するとちっとも休んだ気になれないので、やはり出なくて済むに越したことは無い。
 帰宅して、夜トレに出動。今夜もTCR-2の出番だ。非常につらいとも楽々だともいえない、ようするにごく普通の状態で走りきった。今夜はカメラを持ち出さなかったので、湘南台の桜は通過した。が、もう花びらが落ち始めているのには驚いた。この分では、明日、明後日が限度だろう。

D70の広角ぶり

11時37分 デジタルカメラ 天気:良かったり雨が降ったり

 試しにNIKON D70(18-70mmの広角側)SANYO DSC-MZ3(広角側)INFORBARの内蔵カメラの試し撮りをしてみた。
 見ての通り、D70はMZ3よりかなり視野が広い。これくらい広かったら、スナップ写真を撮るのも楽だろう。意外に、INFORBARの内蔵カメラの視野も広い。というか、コンパクトデジカメの視野が狭すぎる。NIKONがD5000系を出したりして、広角寄りの設定をしたカメラが出回るのも良く分かる。コンパクトデジカメで、ズーム端を使うことは、ほとんど無いもんな。
 とはいえ、この18-70mmは自転車で持ち歩くには長すぎるので、ズーム無しの広角レンズも欲しいところ。しかしNIKONから出ているのは18万円だとか……。

2004年04月01日(木曜日)

事故

23時08分 暮らし 天気:ぼちぼち雨

 会社からの帰り。戸塚の踏切を横切ったところで、道の反対側を逆方向に向けて歩いていた女性が、あっあっあっ、と早口のオットセイのような声をあげた。次いで、なにかが壊れるような音が。ヘッドホンを着けて歩いていた僕は、その女性がなにか落としたのかな、というぐらいにしか思わなかった。が、様子がおかしい。その女性の視線をたどって振り向いてみると、踏切の前に止まっているタクシーと、そのフロントサイドに衝突して転倒したらしいスクーターが目に入ってきた。一瞬、周辺の空気が凍った。ヘルメットをしているスクーターの運転手も転がっていたからだ。警察に電話しようと携帯電話を探りながら、やっちまったかと思った。みんなもそう思ったのだろう。が、次の瞬間、スクーターの運転者は跳ね起きると、元気な様子でタクシーの運転手に食って掛かり始めた。それを見て、僕は電話もしないで駅の方に歩いていった。よく考えたら、駅の側に派出所があるのだから、そっちの方が早い。しかし、周囲で何人かが既に警察に通報しているようだったので、結局そのまま帰宅してしまった。
 この場所、開かずの踏切として知られる難所で、いつ事故が起こってもおかしくない状況だ。まずタクシー乗り場が間近にあり、客待ちのタクシーがずらりと並んでいるのだ。それだけで1車線つぶれる。かき入れ時の21:00台なんぞ、客待ちのタクシーが道の対面にまで折り返し(というのは、さらに踏切から離れると、バスターミナルがあるから)、車道は実質1車線になってしまう。といって歩道も広くはないので、自転車、さらには歩行者まで、車道に大きくはみ出してしまうのだ。しかも、フルサイズのバスも通るし、日通の営業所も近いのでトラックも通る。この近辺で、これほど交通状況の劣悪な場所は無い。
 問題の一つはタクシー乗り場の配置にあるのだが、今、まさに再開発が進んでいる状況で、他にタクシー乗り場を移すことも出来ないだろう。
 再開発が完了したとき、タクシー、バス、歩行者、そして自転車の関係がどう整理されるのだろうか。早くやってくれないと、今度は僕がと言うことも無いとはいいきれない。

自転車の時代

10時50分 暮らし 天気:良好

 かつて我が世の春を謳歌した米自動車産業も、大きな転換期にあるようだ。クライスラーはダイムラー・ベンツと合併の道を歩み、2位のフォードまでもがトヨタに食われ、トップのGMも自動車だけでは食えないようだ。こんなモノを出した。(米GM、V8エンジン搭載アシスト自転車発表)
 さぞかし快適なことだろう。ファイヤートリックボブも負けてはいられないぞ。

D70拾遺

10時37分 デジタルカメラ 天気:良い

 昨夜の試し撮りで気づいたこと。
・画角がMZ3とは違う。PCの外部機器として育ってきたコンパクトデジカメは800*600とかいったVGAサイズを意識した画角になるのだが、D70の場合は800*566とかいった値になる。銀塩とPCというルーツの違いか。
・起動速度が激速。もう起動を待つ事などありえない。もっとも、説明書では大量のファイルが記録されている媒体を装着した直後の起動は、ファイル情報の読み出しのために時間が掛かる旨記載されている。
・重いけど安定する。ISO1600かつマニュアルフォーカスという条件で、遠い夜景を試写してみたところ、意外に手ぶれは少なかった。
・18-70mmの広角側は、MZ3よりかなり広角みたい。
 なんにせよ、今まで使ってきたコンパクトデジカメとは、そもそも目的からして違うモノだと思った。