Strange Days

2004年06月30日(水曜日)

雨の予感

10時45分 暮らし 天気:悪化中

 朝、外が暗いなと思いつつ起床。暗い雲が空に広がりつつあり、嫌な湿度も感じる。
 駅まで向かい間、西空の方に、稲光が走った。雨もパラパラと感じる。やばいかも。
 地下鉄で戸塚に向かい、外に出ると、少し雨が降り始めていた。雷鳴も聞いた。夏本番の予告なのか。
 会社に着いてしばらくして、雨が降り始めた。今日はエアコン無しではやりきれないだろうな。

2004年06月29日(火曜日)

キャンプツーリング(というより輪行重量選手権)考察

22時14分 自転車 天気:雲が増えてきたな

 HARDROCK号+(テント+シェラフ+マット)+サイドバッグ*2=25Kg?
 重量的にはもう少し行くかもしれない。まあ重さは、輪行するときにバランス良く持てるならば、これでもさほど苦にはならないはずだ。問題は、これ全部を抱え込むことだ。特にテント類はどうやって持ち運ぶか。
 ふと思いついたことがあったので、試してみた。2002年東京シティサイクリングの時に貰った3ウェイバッグに、テント類を入れてみた。すると、ほぼぴったり。このバッグは畳める上、リュックサックのように背負うことも、トートバッグのように提げる事も出来るので、持ち運びに便利なのだ。
 これにサイドバッグ二つ。中身は着替え類(長袖Tシャツ*2、レーパン、タオル*2)、火器と武器、食器(携行ストーブ、適当な武器セット、シエラカップくらい)、自転車ツール、ライト類(EL400セット、ヘッドライト)、折り畳み椅子、ガムテープ、ビニールテープ、虫除けグッズ。上手くすれば一つにまとまらないか?
 さらに荷物運搬の必要が出てきた場合に備え、ウェストバッグ兼折り畳みバックパックも持っていこう。フロントバッグは要らない。
 確か、国府津駅での乗り換え時は、御殿場線も東海道線も同じホームだった気がするので(国府津終着の便だけだったっけ)、最悪でも階段を一度上がり下がりするだけで済みそうだ。
 なんとかなりそうな気が、やっとしてきた。

GPS修理完了(早っ!)

12時15分 デジタルギミック 天気:晴れ

 多摩川ロングライドの際に故障したGPSだが、実は先週の終わりにようやく修理に出していた。いいよねっとのFAQ辺りを見ていると、『修理には(製造元に送り返しているので)一月ほどかかります』なんてあったので、自分で開いて修理しようかななどと思っていたのだ。でも保証が無くなるし、一月なら真夏の旅行に間に合うかと思えたので、修理に出すことにしたのだ。FAQにあるように本体だけを梱包し、現象(電源入らず)とオプション地図のコード類を書いた紙を同梱し、修理受付に送っておいた。まあ夏までには一報あるだろうと思っていた。
 今朝、そろそろ会社に行こうかと(フレックスだった)身支度していたら、ドアのチャイムが鳴った。出てみると、宅急便が届いていた。なんと、送ったばかりのGPSが戻ってきているじゃないか。取り出してみると、新品と交換されたようだ。なるほど、早いはずだ。たぶんそうなるだろうと思っていたのだが、その前にメールかなんかで一報あると思っていたので、モノがいきなり来たのにはびっくりしたのだ。
 時間が無いので、開梱して電源だけ入れてみると、当たり前だがちゃんと入った。同梱されていたリザルトには、修理の内容(といっても交換したという事だけ)と、オプション地図の新しいロック解除コードが記載されていた。このロック解除コードは、製品のシリアル番号に対して1対1で発行されるので、本体交換となると再発行されるのは当然だ。だから修理依頼のときに紙に記載しておいた日本地形図のコードが返却されたのも当たり前だ。だが、なぜか日本詳細図のコードもある。どういうこと?
 実は、このLegendは2代目で、前のものは去年の落し物大王化期間の間に紛失してしまっていたのだ。そこで買いなおしたのが今のLegendなのだ。このとき、前のLegendで使っていた日本詳細図のロック解除コードは、本体が変わったために当然使えなくなっていた。再発行はされないので、もう使えない地図になっていたのだ。それが今回、なぜか一緒に再発行されたらしい。
 思うに、この再発行作業は、ロック解除コードを取得する際に通知した、僕のメールアドレスをキーにしているのではないだろうか。だから、同じアドレスを使って取得した、二つの(別の本体に対する)ロック解除コードが、まとめて再発行される結果となったのだろう。なんだか裏技っぽいな。
 まあ、等高線入りの日本地形図があるから、詳細図があっても仕方ない。しかし詳細図の方が容量的には少なくて済むので、場合によっては使い道があるかも。もしも併用できるのなら、等高線が必要な場所は地形図を入れて、それ以外は詳細図という使い方も可能かもしれない。
 ともあれ、予想外に早く帰ってきたので、今週末のキャンプツーリングには持って行けそうだ。

2004年06月28日(月曜日)

夕トレ(ほぼ夜トレ)

20時16分 暮らし 天気:なかなか

 今日は給与支給日で、みんなさっさと帰りやがれな日なので、定時には帰宅した。
 今日も夜トレに出かけた。本当は夕トレにするつもりだったのだが、ちょっとぐずぐずしているうちに夜トレになってしまった。
 時刻的に真っ暗になる寸前だったので、ハブダイナモを使えるMR-4Fでの出動だ。タイヤを交換してからの初出走だった。そのせいなのかなんなのか、走行感は非常に良く、軽々と回して走ってゆけた。が、南風を浴びながら走る破目になる。その上、物凄く虫が増えていた。まだ湘南台まで到達していないとき、左目になにかが飛び込んできた。虫か、別のごみか。ゴーグルが欲しくなった。
 この虫が凄い量で、走っていると体の前面に"シャーッ"とばかりに当たるのだ。虫柱が方々に立っている。それだけではなくて、風によって草地からなにかが巻き上げられているようだった。後で思うに種子だったかもしれない。
 悪態をつきつつもサイクリングコース南端へと到達し、今度は折り返した。虫または種子にうんざりして、俣野の登りでR467へと乗り換え、そのまま車道を突っ走って帰宅した。
 うーん、やはり朝トレの方が、ずっと気分がいいな。

2004年06月27日(日曜日)

HARDROCK号で試走

10時20分 自転車 天気:雨、降らなかったね

 今日もいまいちやる気になれず、昼までボーっとしていた。今日は少し涼しそうなのだが。
 ボーっとしていても仕方ないので、昼食を取りに外出した。HARDROCK号を引っ張り出して、長後のCoCo壱番屋に走り、トマトとアスパラガスのカレーを食す。
 それから、どこに行こうかなと思いつつ、境川サイクリングロードを南下して行った。ドロップ化したHARDROCK号は、リアキャリアにサイドバッグを取り付けたこともあり、低速でも安定する安楽な乗り物になっていた。15Km/hくらいでトロトロと走るのが快適なのだ。
 今日は江ノ島は多いだろうと思われたので、サイクリングロード南端で折り返した。なんのことは無い、いつものトレーニングコースを走っただけだ。
 近いうちに境川サイクリングコースに関してのコンテンツを作ろうと思っていたので、南端、そして少し北上したところにある休憩所の写真をD70で撮った。橋も全部撮ろうかな。
 その休憩所で休んでいたら、真っ赤なルイガノのMTBに乗った男性が話しかけてきた。コギーの藤沢店に勤めているとか。そういえば、コギーには行ったこと無かったな。
 その男性と別れを告げ、またのたのたと北上して、帰宅した。
 部屋の鍵を開け、自転車を入れようとして、ふと思いついた。これにキャンプ道具は載り切るかな。
 サイドバッグを着けたままで、その上にテント、シェラフ、エアマットを載せて、荷造り用のベルトでぎゅんぎゅんに縛ってみた。ベルトが上手い具合に食い込んで、きれいに固定出来るようだ。この状態で走ってみると、それほどリアの重さを意識しないで、安定して走れた。が、ペダルを踏むと、そのトルクで少しだけハンドルが振れる。まあ、このHARDROCK号は、もともとそういう性質だったのだが。
 荷物を全部下ろし、HARDROCK号をラックに掛けるべく持ち上げてみると、意外に軽い。16Kgはあるんじゃないかと思っていたのだが、もう少し軽く仕上がっているようだ。コンポは軽くしているし、重量増の要因はドロップハンドルとキャリアだが、前に着いていたストレートハンドルバーは重かったし、キャリアもアルミ製で意外に軽量だしで、それほど大幅な重量増には繋がってなかったようだ。
 なんか、キャンパー向けとしては、意外に素性良く仕上がりつつあるのではないかとも思えなくもない気がしなくも無かった。

2004年06月26日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第3夜「大海からの離脱」~そして手が生まれた~

23時52分 テレビ 天気:雲多し

 毎月、山崎努の顔を拝める(いや別にそれを楽しみにしているわけでは)このシリーズも3回目。今夜は遂に、動物たちが上陸するのだ。
 今から4億年5千万年以上前、三つの大陸が集合して、一つの巨大大陸が生まれようとしていた。どうもローラシア大陸の誕生前夜のことらしいのだが、ローラシア大陸がパンゲア大陸から分かれたのは2億年前くらいじゃなかったっけ? あ、一度形成された後、パンゲアへと集合して、それから再度分裂したのかな。よく分からないな。
 まあとにかく、でっかい大陸が形成されつつあったと思いねえ。この大陸の形成域の中心には、生物の生育に適した広い浅海が広がっていた。当時、海域の住民は、定着性の生物の他、三葉虫、オウムガイの祖先、そして我々の祖先に当たる魚の一種も生息していた。これらの生物は、広大な内海の微温的な環境で繁栄していた。
 従来のプレートテクトニクスは、最近のプルームテクトニクスへと取って代わられつつある。というか、従来のプレート*1の動きにのみ着目したプレートテクトニクスに対し、プレートを駆動するエンジンであるプルーム*2の存在までも組み込んだのがプルームテクトニクス、というべきか。
 このプルームテクトニクスによれば、下降する冷たいプルームは、地殻を強力に引き寄せるので、そこに多数の大陸が集結して、超大陸が形成されるという事件が繰り返し起きてきた。ローラシアの形成もその一環だった。
 先の内海が存在していた時期は長かったが、永続はしなかった。というのは、ローラシアが形成されてしまうと、当然のことながら内海は消滅してしまうからだ。次第に狭くなる内海では、生物の生存競争が激化し、進化圧はより攻撃的な生物の出現を促した。板皮類*3が生物層の頂点に立ったのはこの頃だ。強力な顎を持ち、板皮によって防護力も持つこの類は、現代の魚類の大半の祖先である硬骨魚類に対し、捕食者としての位置に立った。また硬骨魚の多くが依存していた定着性の生物たちは、内海の消滅によりほとんど絶滅してしまう。巨大大陸では、浅海はその周囲のごく狭い範囲にしか存在しないので、面積的にはごく限られていた。
 ヒエラルキーの下層に追いやられた硬骨魚類は、新しい環境への適応拡散を図った。川への進出だった。
 巨大大陸の中央、かつての浅海の跡には、継続されるプレート運動により、巨大な山脈が形成されていった。この山脈に、湿度の高い風が当たると、雲が生まれ、雨が降り始める。このようにして、乾燥した大地から、一転して多雨多湿地帯となった高山沿いの地域には、大きな川がいくつも生まれていった。こうした川に、魚たちは進出して行ったのだ。
 魚たちには先達がいた。植物は、既に陸地への進出を始めていた。そして、昆虫たちも、それに着いて陸地に生息域を広げつつあった。この頃、陸地には、最初期の樹木が森を形成し始めていた。アーキオプテリスという木は、ライバルがいないこともあり、瞬く間に大繁栄を築き上げていった。それ以前の陸地は、日を遮り、水分をためる植物が存在しないことから、ほとんど砂漠化していたと考えられている。ところが、アーキオプテリスが森を作るようになると、強力な直射日光から生き物を守り、適度な湿度も提供してくれる、結構な環境が生まれることになったわけだ。水中生物にとっても事情は同じだったろう。またアーキオプテリスが落とす葉は微生物の活動を活発化し、川に進出した魚を頂点とするヒエラルキーに、しっかりとした基盤をも提供してくれる役割を果たしたのだった。
 ところが、このアーキオプテリスの落とす葉が、魚類に別種の災厄をももたらした。先に書いたように葉は微生物によって分解される。ところがこの時に、水に溶けている酸素をも大量に消費するのだ。水量が豊富で流れているときならば問題は無いが、乾季で水量が激減している時期には、深刻な酸素不足に見舞われることになったのだ。
 これに対し、魚たちが打ち出した対策の一つが、肺を発達させることだった。肺は食道の一部が膨らみ、空気から酸素を取り込めるように発達したものらしい。浅海の激減と比して河川域が長大化したこの時期、肺魚類は急激に発達して行ったようだ。やがて全長5mもの捕食者まで現れるようになった。すると、川という新環境の中にも、改めて生存競争が激化していく結果になったのだ。いやはや、世知辛いもんだ。
 肺魚の一部は、捕食者の脅威から身を隠すべく、アーキオプテリスが落とした枝の影や、川岸に近い物陰に暮らすようになった。こうした場所では、水中を自由に泳ぎまわるのとは別のスキルが必要とされる。
 アカンソステガというこの時代の肺魚には、奇妙な特徴がある。骨で支持された鰭、言い換えれば手足を持っているのだ。この手足には、指もある。しかし、あまりにひ弱で、可動範囲も狭いこの手足では、陸地を移動することは不可能だったはずだ。恐らく、先ほど挙げた川底の狭い環境を移動するのに適した形態だったのだろう。
 最初期の両生類、イクチオステガともなると、手足の造りはより強固になり、また空気中で肺を保持するために肋骨も発達している。イクチオステガは、最初に上陸した両生類の一派だろうと考えられている。そして、重力を浮力で相殺できない新環境の中で、両生類は爬虫類へと発達してゆくのだ。
 40億年も海の中でのほほんと暮らしてきた生物は、陸地という変化の激しい環境の中で、急激に進化の速度を上げてゆくのだ。次回は、どんな大絶滅が待っているだろう!(たぶん愉しみどころが違うと思うな)

EPIC号で横浜に

20時02分 暮らし 天気:案外にいい天気

 暑いなあ。なんとなく午前中はボーっとしていたのだが、海を見たくなったので、自走で山下公園辺りをうろつくことにした。
 昼食には、これは消化に良いに違いないと思い、粒入りコーンポタージュを目一杯食べたのだが……失敗。液体の吸収が間に合わず、かなり苦しんだ。うぇっぷ。
 自転車は気分でEPIC号を選んだ。サドル*1、ペダル*2のより本格的なインプレッションになった。
 このサドル、今日になって気づいたのだが、物凄くしなるのだ。前にちょっと乗ったときも『をを、しなるなあ』と気づいてはいたのだが、明るいところで乗ると、サドルが物凄くしなって沈み込むのがはっきりと分かる。こんなにしなるサドルは初めてだ。そのせいか、水平に取り付けてあると、やや前下がり気味の乗車感になるので、ほんの少しだけ前上がり気味に取り付けなおした。全体的に、使用感は良好だ。だが、中心に溝ありなタイプであるにもかかわらず、股間への負担を強く感じた。まあ、旧ボディジオメトリ・プロよりは、かなりましだったが。
 一方、ペダルの方はやや問題ありだ。右側のクリートの脱着感が、にゅるりという感じで良くないのだ。ペダルを外しきれず、追いすがってくる感じがある。これはちと危険だ。左にはそういう問題は無いので、調整の問題かもしれない。機構的な問題ならお手上げだが。僕の場合、右のクリートを外すのは下車するときだけなので、通常は大きな問題ではない。問題になるのは転倒時だけだ。
 なんだか知らないが、EPIC号の走行感は非常に良い。R1~横浜市道環状2号と走っている間も、軽々と足が回ってくれた。アップダウンに富んだコースなので、いつもなら坂で苦しむのだが。
 磯子辺りでR16と合流し、本牧方面に走ってゆく。本牧辺りは、きれいな町並みもあり、結構気に入っているコースだ。この辺で、ロードの男性と、信号の度に顔を合わせる状態になった。今日は暑いですねえ、そうですね、などと会話する。本牧から埠頭方面に抜ける道で、道を尋ねられたので、山下方面へと案内する形になった。
 その男性と別れ、山下公園をぶらついた。今日の人出はふつー。アイスキャンデーを食べたいなと思ったのだが、いつも店が出ている大道芸をやってる辺りでは見かけなかった。やむなく、横浜寄りにある休憩所でコークを飲んでいたら、すぐ近くに店を発見。遅かりし。ふと見ると、すぐ近くを駆け抜けていった自転車乗りが、こちらにひらひら手を振っていた。さっきのロード乗りの人だった。
 赤レンガ倉庫まではプロムナードを、もちろん自転車を押して歩いていった。家族連れが平気で乗車して、駆け抜けてゆく。ああ、ここも自転車完全禁止になる日が近いかな。ここからの眺めは素敵なのだが。
 途中、前から気になっていたマッスルミュージカルの劇場前を通ったが、閉鎖中だった。改装するのかな。しかし、ここを通る度にふくしま政美画伯のセント・マッスル*3を思い出してびみょーな気分になってしまうのだが。
 新港パークを通過し、臨港パークの奥で一休み。家族連れ多し。雲の多い空から降り注ぐ光を浴びながら、あちいなあとばかりに、やる気なさげに海を眺めていた。平和だ。
 それから、R1でR16との合流点まで走り、鶴ヶ峰経由でサガミへと向かった。新車大量入荷という感じで、足の踏み場もない。サイクルセンター店には、Roubaix Proに加えて、遂にTarmacが入荷していた。うーむ、見れば見るほど、シート周りで接着面が外れちまいそうな構造だわい。サイズは54とか55とか、大き目のものしか入ってないようだ。やっぱり、秋まで待とう。
 その後は、だんだん暗くなる境川沿いに走り、帰宅した。

2004年06月25日(金曜日)

夏至過ぎて

20時50分 思考 天気:暑いなあ

 ふと気づいたら、もう夏至を過ぎているじゃないか。ああ、なんてこった。これからは、なんとなく全てが終わってゆくような気分になるんだよな。たとえ真夏に、太陽に炙られている最中*1であっても。
 逆に冬至を過ぎると、ますます寒くなる時期であっても、なんとなくなにもかもが芽吹いてゆくような気分になれるから不思議だ。
 太陽ってのは偉大だねえ。ぱやぱや。

2004年06月24日(木曜日)

TCR-2のハンドル周り改装に着手(しただけ編)

23時30分 暮らし 天気:はっきりしない

 自転車置き場(というかキッチンなのだが)をごそごそとかき回して、TCR-2のハンドル周り改装のための資材を発掘した。
 今、Rixen&Kaulのハンドルバーアタッチメントが着いているのだが、同じくシートピラーアタッチメントを着けて以降、まったく使うことがなくなってしまった。そこで、今回はこれを取り、左右のアークスパン*1と補助ブレーキレバーを詰め、バーテープを取り替えるのだ。バーテープはスペシャライズドのゲル入りテープを使い、テープ自身は別のコルクのものを使う。アタッチメントを外し、フロントバッグの使用を止めるので、フロントバッグ対策でシフトケーブルのアウターに挿入していたバナナ(というか金属製のフレキシブルアウター)を取り、代わりに右にだけはシフトインジケータを挿入する。シフト系もブレーキ系も、ワイヤは総取替えするつもりだ。
 そういう目論見でバーテープを外し始めたのだが、狭い部屋で蒸されながら作業するのが嫌になって、ケーブルを外すところまで出止め。戸外でやらないと、やりきれないよ。あるいはエアコンを効かせるか。
 MR-4Fの方も、そろそろバーテープを替えないとな。

夏旅行を構想する(6/24版)

11時02分

 仙崎では、やはり金子みすずの足跡をたずねたい。とはいえ、それほど熱狂的ファンというわけでもないから、金子文英堂跡(今は金子みすず記念館とやらになっているらしい)がある仙崎の中心部をぶらつくという方向で。
 もう一つは鯨関係。青海島の先っぽの方まで行くと、鯨墓(鯨の胎児を葬ったもの)、鯨資料館は押さえたい。実は、鯨肉を出す民宿が一軒だけあるようなのだが、ここで昼食を取れないかな。青海島自身も、結構な景勝地のようだ。
 山の方に行くと大内義隆終焉の地があるが、さすがにそれを見に行くほど酔狂ではいられまい。
 萩では、やはり旧跡を訪ねるというのが主眼になるだろうな。特に幕末の志士*1の旧宅がたくさんある。それを措いても、萩という町は明治以来の時間の流れから外れたような町で、ただ徘徊するのも楽しそうだ。
 津和野は小さな町なので、自転車だとあっという間に回れそうだ。津和野殉教の史跡を訪ねるくらいだろうか。ここもただ、時間の流れに取り残されたような町を徘徊したい。
 まだ秋吉台で昼食をどうしようとか、津和野までどうやって移動しようとか、考えるべきところは残っている。でも、とりあえず、宿は取ってしまおう。
 8/11,12に萩市内に連泊の方向で。

2004年06月23日(水曜日)

夕トレ->夜トレ

20時26分 暮らし 天気:雲が増えている

 今日も明るいうちに帰宅できたので、夕トレに出かけた。考えてみれば、一年でこの時期にしか出来ないものだからな。
 今日はTCR-2で出撃した。前回よりちょっと遅めの出だったので、湘南台の南方に懸かる頃には、ポジショニングライト必須の状況だった。
 サイクリングロード南端で折り返し、北上する。もうライトが無いと視界を確保できない状態だったが、バッテリーライト12Wがあるから大丈夫。あれー、あっという間に電池切れ(滅)。仕方なく、EL120とEL400のダブル攻撃で凌ぎつつ*1、家まで帰りついた。
 やっぱり、視界を確保できる明るいうちのランが楽しいな。

2004年06月22日(火曜日)

いろいろ買った新装備

23時35分 自転車 天気:ものすげえ晴れ

 サイクルベースあさひでいくらか買い物をしたので、その一部のインプレッションを。
 EPIC号とMR-4F改は、シマノのPD-M959を共用していたのだが、付け替えるのが面倒なので、EPIC号に専用のペダルを購入した。それがこの Xpedo MOUNTAIN FORCE SL/CR。カタログスペックではM959より軽量で、なおかつ実売9000円弱と安い。実際手にしてみると、ボディがM959より狭くて、その分軽量化しているようだった。クリートの脱着は、意外に質感が高いものだ。M959のようにパチンパチンと小気味よく決まるものではないが、パチャッという感じで決まってくれる。もっとも、これは固定力を最弱にしているせいかもしれない。M959よりやや緩い気がしたので、少し固定力を上げた状態にしてみた。ペダル軸の回転は、手で回すとM959より重いのだが、実際の使用感は悪くない。難を言えば、幅が狭いせいか、クリートを固定するまでにペダルを探す傾向があるという点か。しかしこれも、慣れれば問題ないだろう。全体的に良くできていると思った。
 同じくEPIC号のサドルとして購入したのが、セラ・サクセスのブランド名で出ているV1サドルだ。カタログ値190gという軽量サドルで、カーボンベースにケブラー張りという流行りのスタイルだ。意外に質感は高く、とても実売5000円強のサドルとは思えない。使ってみると、これがまた具合がよい。カーボンベースがしなるので、非常にしなやかに重量を受け止めてくれる。そうするとヘタリも早そうだが、ケブラー張りという点で長持ちしてくれそうに思う。形状も、尻軽な僕にはぴったりで、非常にポジションを変えやすく、かつ体重を保持しやすかった。気に入った。もしかしたら、もう一つ買うかもしれない。
 夏に備えて購入したのが、ポーラーの保冷キャメルバッグだ。ゲルを内蔵してあり、冷凍庫で冷やしてから冷水を入れておくと、長時間冷たさを保ってくれるというもの。荒川サイクリングで使ってみたが、確かに昼になるまで、中の水は冷たさを保ってくれた。ただ、ホースの部分で温んでしまうし、魔法瓶のようには保冷してくれないので、一度効果が切れたらおしまいだ。使いどころが難しい。
 最後がヒラメのポンプヘッド2(横カム)。ピスタポンプに着けてみると、これが使いやすいのなんの。ちゃんと調整すると、ほとんど力いらず、空気漏れ知らずで使えるのだ。ピスタポンプ純正のヘッドの悲惨さと比べると、雲泥の差だ。
 しかし、このピスタポンプがどうにもならない奴なのだ。買ってすぐに空気漏れするようになり、怒りを抑えつつ(どうせイタリア製だし(をいをい))パッキンを替えてみたのだが、やっぱり高圧では空気漏れするではないか。もうどこから漏れているのか見当がつかない。構造的に、あまりに単純なので、なんか不安を感じていたのだが。インターネットのあちこちで見る限り、優れたポンプではあるようだが、僕との相性が悪いのか。これ以上格闘するのも嫌なので、新しいポンプ(もちろんピスタポンプ以外の)を買おうかと思っている。誰か、部品交換用にでも引き取ってくれんかのう。

夕トレ(テトペッテンソンの一節に非ず)

19時56分 暮らし 天気:なんて快晴

 三日休んで出勤した職場は、仕事の谷間で非常に静かだった。でも明日からは、また別の仕事が入る。
 早く帰られたので、明るいうちにと夕トレに出かけた。C.B.あさひで買った新アイテムを試したかったので、EPIC号での出動だ。
 昼間はものすごく暑かった日なのだが、夕方には涼しい風が吹き、まだ初夏の範疇にとどまっている。その涼しい風に逆らって南下し、境川サイクリングロード南端まで走った。まだ夜に入ってないので蜘蛛の糸は無いのだが、羽虫の多さには閉口した。
 南端で、途中の自販機で買った謎紅茶を飲み干した。距離的に片道12Km強程度なので、ボトルで頻繁に水を飲む必要は感じられない。ここで一服するのがいいみたいだ。
 まだ空がほんのり明るいうちに帰宅。

2004年06月21日(月曜日)

久しぶりにローラー台

23時20分 自転車 天気:死ぬほど強風

 夕方、長い昼寝から起きてみると、すっかり冷房症にかかっていた。物凄い湿気に負けて、エアコンを入れていたのが仇になった。こういう時は、汗をかいて新陳代謝を活性化させなければ。しかし、外は身の危険すら感じる強風であった。なら、久しぶりにローラー台に乗るか。
 TCR-2をセットして、ヘッドホンでハードロックをガンガンかけながら、50分ほど回した。前で扇風機を回しておかないと、やりきれない暑さだ。しかし、盛大に汗をかいたおかげで、体調はあっという間に復調した。
 ローラー台も、音楽を聴きながら回せば、そこそこ退屈ではないのだが、それでも1時間が限度だなという感じ。回しながらインターネットアクセスでも出来ればいいんだけどね。

ひきこもりな一日

19時16分 暮らし 天気:台風か!?

 仕事の谷間なので、会社はお休みにした。
 昼まで寝て、起きてみると、外は凄い風と豪雨だった。雨は長続きしなかったが、風が凄い。EPIC号用にSPD互換ペダルとサドルを入手したので、試運転したかったのだが。この風では無理っぽい。
 結局、なにをするというわけでもなく、ひたすらぐーたらに過ごした一日だった。

2004年06月20日(日曜日)

久しぶりの荒川サイクリング

22時42分 自転車 天気:強風に苦しめられる晴れ

 朝6:00に起床。さっさと身支度をして、BD-1と共に浮間舟渡に向かった。前回参加は2月。それ以降、別の企画とぶつかったり、悪天候で中止されたりで、出る機会が無かった。久しぶりの荒川は、すっかり暑くなってからの参加になった。
 浮間舟渡の集合地点に行くと、既に多数の参加者が集結中だった。良かった。参加宣言の状況だと、物凄く少なそうだったのだが。久しぶりに顔を合わせる参加者たちと立ち話していると、黄色いSatRDayに乗った男性が滑り込んできた。これは、しまなみ街道でお会いした、長岡氏ではないか。こちらのお誘いに乗っていただけたようで、恐縮であった。
 おの氏とその松女史のViewPoint組もやってきて、だいたい来そうな人は来たなという頃合を見て、自己紹介タイムを取り、それから出発した。
 最初の休憩地点への走行中でも、既に凄い向かい風に苦しめられる状態だった。これは、進行が遅くなるだろうなと思った。
 最初の休憩地点で、マモル氏と合流した。オオタ氏はまだ見かけない。ここで黄色いPetit Crusoeに跨った妙齢の(僕の母と同年代くらい)女性も合流した。名前は聞きそびれたのだが、かの有馬女史によってこの道に引きずりこまれたようだった。そういえば、過去MTBで参加しておられたような気も。
 次の虹の広場で、オオタ夫妻も合流した。天気がいいからか、30~40人は参加していたように思う。数えてないけど。
 右岸に渡り、中川水門へと向かう。ここは単独で走ったのだが、結構辛かった。昨日は結局100Km弱走ったのだが、それが意外に残っているようだ。ぅゎぁ、なんかダメダメ。
 ここまで、スケジュールは遅れ気味だった。が、別に遅れたところでなんということも無いので、あえて参加者を急かさないで、長めに休憩を取る方針を貫いていた。
 中川水門から葛西橋までは、荒川サイクリングでは一番距離がある区画ではないだろうか。その間、件のPetit Crusoeの女性をエスコートしながら、のんびり走った。華奢そうなフレームを持つPetit Crusoeなのだが、後ろにクイック止めのキャリアを着け、さらに重い折り畳み式カートを載せているので、重量はありそうだ。それと高齢の方に多く見受けられるのだが、サドルを非常に下げているので、走るのが苦しそうだ。まあ、出来るだけ風除けになって差し上げながら、あれこれ話をしながらのんびり走った。親孝行の代わりだ(笑)。
 葛西橋を渡り、コンビニに着くと、おの氏らが待っていてくれた。気分的に助かった。荒川サイクリングの場合、経路が確立されているので、放っておいても誰かがちゃんと誘導してくれるというのが助かる。幹事が後尾でもがいていてもいいのだ。
 河口に続く"江戸川健康の道"も、向かい風で地獄のようだった。かつて無いくらい消耗したのではないか。
 いつもの東屋は占拠されていたが、その辺の芝生に寝そべっていると、非常に気持ちが良い。昼食を取り、また自転車談義に花を咲かせる楽しい時間を過ごしていたら、14:00を大きく過ぎていた。通例ではこの辺で解散なので、簡単な解散ミーティングを開いた。これで幹事の任を無事に果たせたのか。
 帰路、マモル氏らからもんじゃ焼きに誘われたが、疲労していたのでパスした。その代わり、東京駅まで、長岡氏を案内することになった。
 うろ覚えの経路を走り、迷いながらも東京駅近傍と思われる辺りまで来た。しかし、それまで走っていた道を、これは違うな*1と逡巡してしまい、立ち往生してしまった。すると長岡氏は、最寄の地下鉄駅から帰るのが早いからということで、そこから輪行されることになった。いやはや、道案内も出来なくてごめんなさい。GPSが壊れているからな(おっと、修理依頼しないと)。
 また東京駅を探しながら走ると、実は最初の経路が正解だったというオチまでついてしまった。ありがちだな。
 東海道線の始発で座れたので、うとうとしながら帰宅した。

2004年06月19日(土曜日)

荒川サイクリングは遂行されるのか?

23時33分 暮らし 天気:明日は大丈夫かな

 帰宅して、すぐに荒川サイクリングの参加表明をしておいた。見たところ、誰も参加表明してないので、とりあえず幹事請負も表明しておいた。それにしても、ここまで動きの無かったのは初めてだ。
 BD-1のヒンジピンを無事取り付け、またメールチェックをしてみると、さっき打ったメールが戻ってきている。正確には、MLを管理しているpostfixによってrejectされてしまったのだ。なんで?
 時間を置いて何度か打ってみたが、いずれも受け付けられない。神奈川支部の掲示板を見ると、オオタ氏もやはりMLが止まっている様に見えるとかで、どうしたものかと困ったご様子であった。とりあえず僕は出るし、誰かは必ず居ますよと返答しておいた。
 やがて、ML経由でおの氏の『ええっ、なんで誰も参加表明しないの?』という感じのメールが届いたのに続き、加藤直行御夫妻の参加表明も、やはり『なんかエラーになっちゃうんですけど』といったコメントと共に届いた。復活したのか。再度参加/幹事請負表明を出すと、やっと受け付けられた。ああ、良かった。
 なんとなく無事開催されそうな気配を感じつつ、早めに就眠した。

Y's Parkにお買い物

09時44分 自転車 天気:好天なれど強風なり

 BD-1の折り畳みステムのヒンジからピンが脱落して一週間。あちこちから情報をいただいた結果、Y's系の店にはありそうだという事が分かった。我輩から見て一番近いY'sの店は、R1沿いのY's Garageか、関戸橋のY's Parkだ。どっちにしても、かなり遠い。とほほ。
 距離的にはR1を走ってゆけばいいGarageの方が近そうだが、走っても楽しくないので、久々に拝島橋経由でParkの方に向かうことにした。
 TCR-2にモンベルのドライバッグを取り付け、適当に昼飯を食ってから走り出した。
 このドライバッグは、シートピラーに着けたRixen&Kaulのピラーアタッチメントに取り付けてある。ハンドルバーにもRixeb&Kaulのアタッチメントが着いているのだが、こっちの方は全く使わなくなってしまった。基本的に、ハンドルバーにバッグを着けるのは嫌いなのだ。近々、TCR-2のハンドルバー周りのレイアウトを一新するつもりなので、その時にはフロント側は撤去してしまおう。
 R16を突っ走り、しかし車の多さと信号のタイミングの悪さに捕まりまくりながら、八王子への低い峠を越えていった。
 八王子の市街地を通過し、コンビニで昼食を買い、ついでにおやつを取った。ここまでは、ほとんど追い風だったのだが、拝島橋からは南下するつもりだったので、厳しい向かい風になるだろうと思った。
 拝島橋まで後少しの場所で、突然リアの回転が重くなり、ついに停止してしまった。振り返ってみると、ドライバッグが巻き込まれている。このバッグ、別体の金具を着けて、ボタンで止めてあるのだが、このボタンの造りが悪くて、すぐに外れてしまうのだ。その結果、金具がずれて、外れかけてしまったのだ。まったく、欠陥商品といってもいい。
 このトラブルで、金具が曲がってしまい、矯正に一苦労した。アルミなので、何度も曲げていると、すぐに降伏してしまうだろう。参った参った。金具が抜けないように、加工する必要がありそうだ。
 トラブルを乗り越えて、拝島橋で南下ルートを取った。金具が矯正し切れなくて、まだバッグが擦る傾向があったので、ピラーアタッチメントの取り付け方を変えて、さらにタイヤとのクリアランスを稼いだ。
 やがて関戸橋に到着。向かい風だったので、かなり疲れた。
 Y's Parkの店頭で、しばし休憩を取りながら、冷たいものを流し込んだ。甘露甘露。ついでにボーリング場で買ったアイスを頬張ったりして。
 問題のヒンジピンは、店内を良く探すと発見できた。BD-1をそれなりに捌いているせいか、その関連商品が意外に充実している。
 買い物を済ませ、十分休憩を取った後は、多摩ニュータウン通りを経由して、帰宅ルートに乗った。町田までは登り基調、しかも向かい風なので、難儀するかと思った。が、意外にするすると登って行ける。路面状況が走りの軽さに強く影響するのだなと感じた。
 町田へ越えてからは、境川沿いに下っていった。常盤橋辺りまでは、これは裏庭かという感じのシングルトラックが続いていたが、以降はちゃんとしたサイクリングロードが開通していた。ロードバイクじゃなくて、EPIC号だとぴったりな道だったろう。
 いささか疲労しつつ、銀杏団地近傍を南下していると、携帯電話が鳴動した。取るとにち氏だった。『お好み焼きの美味しいところに行かない?』という誘いだった。それはどんな店だろうと思ったが、いささか疲労を感じていたし、明日は荒川サイクリングに参加するつもりだったので、断ってしまった。後で日記を読むと、お好みハウスだった模様。うむ、だったら行ったかも知れないな。でも荒川には出られなかったかも。これでいいのだ。

2004年06月18日(金曜日)

夏旅行を構想する(6/17版)

17時14分 天気:意外にいい

 なんか、『~そのn』なんて付けると「いくつ目だったっけ?」と考えるのが面倒なので、日付で管理しよう。
 さて、こぐ氏を釣るためには8/11~13辺りが最適らしい。宿は荻市内に二日とも取ろうと思う。同じ宿に連泊する方が、メリットは大きそうだ(荷物を置いてゆける)。調べてみると、一人部屋を用意している宿が、意外に少ない。最悪の場合、こぐ夫妻とは別宿にする必要があるかも。とりあえず、萩の家という民宿で考えている。今のところ、悪い評判は聞いてない宿だ。しかし2食込みで9000円弱という価格となると、1万円台の他のホテルでもいいかもという気になる。しかし高いところが多いな。面倒なのでリストを見て意見してください(笑)。
 2食付で、と書いた。しかし、連泊するのなら、1日くらいは宿ではなくて、外で食べてもいいかなと思っている。適当な店に飛び込んでさ。いや僕は広島もんなので、飛び込んでのお、と書くべきか(どうでもいい)。
 この日程だと盆の繁忙期に掛かるので、料金がドンと上がるのも悩みどころだ。
 なんか宿のことばかり考えているのだが、自転車ツーリングでは宿さえ決まればなんとかなるものなのだ(自力で走る関係上、宿の位置によって行程すら決まってしまう)。
 とりあえず宿泊込みでの同行はこぐ夫妻のみの見込みなので、3名ならば七月に入っても宿を取れるだろうと楽観しているのだが。

2004年06月17日(木曜日)

まだNucleusをいじってるのよ

20時19分 インターネット 天気:次第に雲量増加中

 NP_LatestWritebackを入れて、左ペーンに最新のコメントとトラックバックを表示するようにした。またカテゴリ選択が上に出るのに、左ペーンにもどどんとスペースを取るのはあほらしいので、左ペーンからは削除した。他にも面白そうなプラグインはたくさんあるのだが(特にマルチカテゴリを実現するものなど)、レイアウトの見直しの方を先にやりたい。いかにもNucleusで作りましたという感じのLook&Feelを変えたい。
 一番やりたいのは携帯電話からのアクセスだが*1、新しいスキンを作らなければならなさそうだ。

2004年06月16日(水曜日)

今夜も今夜とてお好みハウスでうはうは

23時59分 暮らし 天気:曇ってきたな

 夕刻、横浜駅西口へと向かった。来月初頭のキャンプツーリングに関して話そうという趣旨で、お好みハウスへの招集が掛かったのだ。
 僕は18:30には到着し、一番奥のテーブルを占拠した。珍しく19:00くらいまで他に客が居ない日で、マスターと話ながら待っていた。やがてすずきなおし氏、にち氏、hai氏、そしてこぐ氏が集結。いつものようにキム玉やらニラレバ炒めやら、新作の豚モツ野菜炒めなどを賞味しつつ、生ビールなどを消費した。今日はちょっと俺的にはピッチが早く、開始30分ほどで生を2杯開けてしまったため、その後でやや急性アルコール中毒気味になってしまった。危ない危ない、手洗いに行く振りをして、外気に当たりながらアルコールを飛ばした。
 肝心のキャンプツーリングだが、サポートカーがあると便利だなあとみんな思ったようで、行こうかどうしようか悩み中のすずき氏に熱い視線が寄せられたのだった(爆)。僕もどうしようかなあ。
 一方、僕個人が計画中の、夏の長州ツアーに、こぐ氏が興味を示している。あゆこ夫人が行きたいと申されておるとか。こぐ氏を釣るには日程の再調整が必要で、8/11~13になる可能性が大だ。早めに日程を詰めて、宿の手配をしないとね。
 22:30くらいまで騒いで、駅で皆と別れて帰宅した。しかしアルコールがぐるぐる回って調子がいまいちだったので、そそくさと就眠した。

さらにアーカイブページも変更

11時42分 インターネット 天気:いいんだが

NP_ArchiveListEX*1を入れて、アーカイブページでタイトル一覧を表示するようにした。アーカイブを見ている人は居ないだろうが。

脚注を使えるようにしました

11時16分 インターネット 天気:恨めしいほどの快晴

まみお氏*1NP_FootNote 0.3を入れて、はてな風味の脚注が使用可能になった。"()"を多用する僕には便利そうだ。

2004年06月15日(火曜日)

Nucleusを3.0に移行

21時50分 インターネット 天気:どうにもならないくらい快晴

 今年の頭から使い始めたCMS、Nucleusは、安定バージョンの2.0を使ってきた。開発中バージョンの2.5も安定してはいたようだが、念のために2.0を選択したのだった。万が一、肝心のデータが壊れたら、影響が大きいもんな。
 5月終わりに、開発中だった2.5が、正式な安定バージョン3.0としてリリースされた。大きなトラブルも無いようなので、Nucleus CMS Japanのあちこちを参照しながら、データの移行とバージョンアップをやった。基本的にデータ移行スクリプトでSQLサーバのデータを3.0形式に再配置し、Nucluesのスクリプト類を新バージョンで上書きすればいい。
 プラグイン類に多少の不具合はあったが、これも3.0対応版に入れ換えたり、手で修正したりすれば良さそうだ。
 別に3.0になったからといって、大きな使い勝手の違いは無いのだが、バックアップが信用できるようになる(らしい)のは助かるな。
 いい加減、HNSのデータを移行する手段を考えなければ。

朝トレやりました

11時22分 暮らし 天気:素晴らしい快晴(休日ならね)

 朝6:30に起床。今日は朝トレしようと思っていた。この季節になると、夜のサイクリングロードには、くもの巣が張り巡らされているので、ひとっ走りすると怪奇ミイラ男になってしまうのだ。なんにせよ気持ち悪いので、朝トレに切り替えだ。
 TCR-2をいつものコースに向けた。重いバッテリーライトを着ける必要が無く、また視界が良好なので、かなりスピードを出せた。夜のサイクリングコースで25Km/h出すのはかなり恐怖だが、昼間ならなんの問題も無い。清掃効果で非常に軽く回せるので、サイクリングロードの南下中は39/15を使って100rpmで回して31Km/hの区間平均。戻りは少し向かい風だったので39/17,19くらいを90rpmで回して27Km/h程度だった。へたれな僕の場合はいいペースだ。雲ひとつ無い青空の下、まだ朝の涼しさを感じる風に吹かれながら、いい汗をかいた。
 帰宅してシャワーを浴びてから、出勤した。しかし、朝一で運動したのに、まるで反動のように眠気が襲ってくる。困ったものだ。

2004年06月14日(月曜日)

Linuxなサーバ増強はどうしましょう

20時21分 コンピュータ 天気:今週中はよさげ

 さて、ボーナスの一部を投入して、そろそろ手持ちのPCの増強をしないと。目玉はファイルサーバの増強。ファイルサーバというか、Linuxを載せたP2/400MHzのデュアル機で、これでインターネットアクセスとかもしている。内蔵ディスクは40GBで、これでも十分ではあるのだが、故障に備えてRAIDにしたい。RAID-5を組むほどディスクを載せたいわけじゃないので、RAID-0でミラーリングしちゃおうと思っている。160GBのHDDが1万円弱。これを二つ買うとして、1万円弱でデータの保護が出来るなら安いもんだ。
 一方で、専らアプリケーションを転がしているP3/800MHzデュアル機も、いい加減メモリとプロセッサの増強をしたい。これも、内蔵ディスクが古くて小容量のIDEばかりなので、同じく160GBくらいのIDEディスクに置き換えちゃおう。プロセッサはAMD64系はもう一世代見送った方がいいと僕の宇宙電波受令機が告げているので、P4だな。すると電源も換える必要がある(前回の苦い経験から学んだようだ)。
 P4もHyperThreadingな2.8GHz品が2万円弱、電源は静かなものが欲しいので1万円出す。メインボードは1.5万円出せばかなりのものを買えるだろう。メモリは512MB*2で1.7万円程度。肝心のHDDが1万円弱*3。あえて7200rpmの機種は避けて、5400rpmのものにしたい。熱対策が大変になるので。するとMaxtorくらいしかないのか。グラフィックアダプタは1.5万円くらいのでいいや。後はDVD多種対応書き込みドライブ、2.5万円くらい、DVD-ROMドライブはそれこそ0.5万円くらいであるので、これを2台。ケーブル類に1万円として。
 なんと、14万円強になる! ドライブ類をたくさん買うことになるので、致し方ないか。
 でも、例によってチップセットだのなんだのの新規格でわけわからん状況になっているので、もう少し下調べしてから決めましょう。
 アプリケーション機の中身はサーバ機に移すとして、今のサーバの中身はどうしよう。もう一つ筐体を買って、外部公開用のサーバを作るか。なんか、ダメスパイラルにはまりそう。

2004年06月13日(日曜日)

気の抜けた休日その2

20時40分 暮らし 天気:朝のうちに降ったようだが、ほぼ晴れ

 目が覚めるまでは、キャンプツーリングの下見がてら、山北から御殿場へと走ってみようと思っていたのだ。ところが、目が覚めると既に昼過ぎ……。良く寝るなあ。
 まあ寝ちまったものは仕方がない。どうしようかなとしばらく考えて、やりたいことをいくつか思い浮かべた。
 一つは買い物。52mm径のレンズプロテクター(おもしろレンズ工房に適用したい)、HDD(サーバ増強用)、同人ソフト(メルティ・ブラッドの追加編が出たので)など。後ろ二つはまだいいや。プロテクターを買いに行こう。町田のヨドバシでいいだろう。自転車は、整備以来乗車してないBD-1がいいな。BD-1にキャリアバッグを載せて出発。
 今日は雨の予報が徐々に晴れに変わったためもあり、たくさんの人々が境川沿いに歩き、あるいは走っていた。僕もそれに混じって走る。
 整備した効果はBD-1でも歴然で、いつもより2段重いギアでも、軽々と踏んで行けた。行き帰りとも、向かい風の中でさえそうだったので、いかに走行抵抗が減少したか分かるってものだ。
 ヨドバシで首尾よくプロテクターを購入し、折り返した。帰路は紫陽花を撮りながら走った。日本人は桜が好きな連中だと思われているが、実はそれ以上に紫陽花が好きなのではないだろうか。桜を自宅の庭に植えるという人は、スペースの関係もあってか少ない。しかし紫陽花の場合、ちょっとスペースがあれば植えるという人が多いようだ。本当に、少し広めの庭があれば、まるで義務であるかのように紫陽花を植えている家が多いのだ。狭い庭にも、川沿いのちょっとした空き地にも、紫陽花が花開いている。桜は冬から春という季節の狭間に咲く花だ。しかし紫陽花は、梅雨というある期間に強く結びついた花だ。その分、咲いている時期がずれるように、多様な品種を植えているのかもしれない。
 それにしても、俺様のカコイイBD-1の走りはどうだ。がさつさはあるものの、振動を吸収すべきところでは吸収し、しかも軽々と走ってくれるではないか。素晴らしい。後はこの剛性の低いハンドル周りだけだ。そう、こんなにガタつく……、いや待て、いくらなんでもガタつきすぎ。止めて調べてみると、なんとヒンジが片側取れている。なんてこった。どこで落としたんだろう。まあここは、前からがたついていたところだが。
 とりあえずビニールタイトで止め、恐る恐る走って帰った。しかしこれはどこで修理するか。とりあえず和田サイにはあるだろう。確認のメールを打って、来週行ってこないと。
 夜、D70で近くの中学校の紫陽花を撮った。解像度と色表現の違いか、どうもMZ3で撮ったときよりもおいしそうには見えない。もう少しいいフラッシュライトを買わないと。

2004年06月12日(土曜日)

NHKスペシャル「永平寺/104歳の禅師」

23時33分 テレビ 天気:雨らしいが、まだ

 夜、NHKスペシャル「永平寺/104歳の禅師」を見た。あんまり語るような内容はなかったが、一つだけ。この老禅師の語りに満ちる確信が良い。「~だ」と断言する口調には、確かに迷いは感じられない。ある事柄に関して思考することすらやめるという禅の教義に対する疑義はともかく、老僧がそれを確信し、常に実行あるのみという姿勢を貫いてきたであろう事は、その語り口から容易に想像できる。
 思えば、僕たちは悪しき相対主義に毒されるあまり、あらゆることに対して確信を失いつつあるのではないか。たいていの注意深い人は、一流の知識人と目される人々が語るときに、その言葉に添えられる「~と思います」とか「~ではないでしょうか」という確信の存在を疑わせるような一言に気づくだろう。僕はその度に、ああ、確かに相対主義は言論の世界を制圧してしまったのだなと考える。誰一人絶対的な確信をもち得ない言論の世界の現状は、自由度が高い反面、混迷にも溢れた現実世界にはふさわしいものだ。だが、老禅師の確信に満ちた姿勢を見るとき、迷いの無いことが懐かしい。迷いが自由の必然の代償だとすれば、なんとも不自由な世界に生きているとも思えるのだが。

気の抜けた休日

19時55分 暮らし 天気:結局晴れ

 今週一杯のつまらぬ仕事の疲れを癒そうとでもいうのか、奇妙なくらいの爆睡で昼まで寝てしまった。いやはや、困ったものだ。これでは遠出は出来ぬではないか。
 とはいうものの、天気が心配なこの季節に、どこかに遠出するのは結局リスキーだ。ままならぬものよ。
 しかし、そこそこ晴れ間も見える日だというのに、どこにも出かけないのは腹立たしい。夕方からは雨という予報だったので、とりあえず飯田牧場方面に走り出した。
 無理矢理にでも走りたかったわけは、再整備したEPIC号の調子を見たいというものだった。気のせいじゃないぞ、凄く軽い。掃除する度にそれを確認して、こまめに掃除しようと思うのだが、その割りにBB抜いて掃除なんて半年に一度くらいしかしないのはなぜだ。
 飯田牧場に立ち寄る。気温が高いため、ものすごく繁盛していた。
 そのままサイクリングロードの終点まで走った。ここで何枚か写真を撮ろうと思っていたのだが、持っていったMZ3が動作しなくなったではないか。焦ったが、帰宅して確認すると、単なる電池切れだった。今までMZ3で電池切れになったことなんて無かったのだが、使わないので放っておいた結果、自然放電してしまったようだ。Li-ion電池でも自然放電がこんなに大きいとは思わなかった。あるいは、電源を切っているつもりでも、なんらかの形で消費されていたのかもしれない。
 自慢したくなるようなEPIC号の軽い乗り味を楽しみつつ、湘南台に立ち寄って帰宅した。

2004年06月11日(金曜日)

ブラッドベリは怒る

14時44分 一般 天気:えっ、台風?

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040611k0000e030017000c.html
 っつうか、ブラッドベリが存命であったことに驚き。訃報を聞いてないので、良く考えれば思い出せるのだが。
 あたかも、マイケル・ムーアとブラッドベリが同じ政治的主張をしているかのごとく取れるようなタイトルは、いかに『華氏451度』が古典的名作といえど、不味いよな。作者存命中なわけだから。

2004年06月10日(木曜日)

ボーナス日に夜トレ

22時46分 自転車 天気:びみょー

 ボーナスが無事に出たので(心配していたわけじゃないが)、夜トレに出かけた。何の関係がっ。
 回転が渋かったフロントホイールだが、再調整すると見違えるように軽くなった。手で回す限り、それほど差は無いように思える、微妙な差なのだが。ともあれ、軽い走りを楽しみながら、境川沿いに走ってきた。特にBB軸周辺の清掃が効いたのか、汚れを落とす前に較べてかなり軽く感じた。今回、いつもベトベトになるくらい各所に塗りつけていたグリス類を、必要最低限と思える量まで減らしてみた。これで汚れを拾う事が少なくなればいいのだが。
 さて、今日買ったLinux MagazineでFedra Core2が手に入ったので、PC類の強化整備もしないと。

なぜ僕が心配するのをやめて自転車を愛するようになったのか

10時06分 思考 天気:今日明日はいいようだ

 子供の頃は自転車に上手く乗れなかったのだ。
 小学生の頃、自転車を買ってもらった。時期的には例のウィンカー自転車全盛期の直後だったせいもあり、ごくシンプルなママチャリっぽい小径車(22インチだったか)を選んだのだった。ところが、どうも人の様には上手く乗りこなせない。その頃、通っていた小学校では、自転車免許制なるものが施行されていた。要するに、月一くらいで実技試験を開き、それに合格したものだけ自転車を乗り回す資格を与えるという趣旨だった。考えてみれば、いくら義務教育期間中とはいえ、学校側にそんな権限が無いはずだ。まあ、生活指導の一環だったのだろう。僕には、この制度が非常に窮屈に思えた。そんなものを取るくらいならと、隠れてこそこそと乗るのが関の山だった。そのせいか、自転車に積極的に乗るという習慣は無かった。自転車なんて無くてもなんとかなる、狭い生活圏だったこともあるのだろう。その結果、自転車に乗りなれないうちに、飽きてしまったのだと思える。
 中高と進んで、いつの間にか自転車たちも処分されてしまい、出掛けるときには公共交通機関を使う暮らしに慣れてしまった。
 就職してしばらくして、転勤が続くようになった。名古屋に暮らしていた時期に、人からお買い物自転車を借りて、というか勝手に使っていいといわれて、乗っていた時期もある。子供の頃に乗っていた自転車に較べ、ずいぶん安定するもんだと思っていた。しかし、今思い返せば、危ない乗り方をしていたように思う。
 こんな風に、僕にとっては自転車なんてごく希薄な存在感しか持たない、あっても無くてもいいものだったのだ。また、自分は自転車に上手く乗れないんだという、コンプレックスみたいなものもあったと思う。
 4年前の秋、趣味の天体観望のための移動手段として、自転車はどうだろうと考え始めた。近所の、ちょっと暗い場所まで出かけるのに、歩いて行くには遠いし、車は大げさだし(免許無いし)、などと考えてゆくと、自転車がちょうど良いと思えたのだ。しかし、自転車なんて置いたら、部屋が狭くなってしまう。しかし、世の中には折り畳み自転車というジャンルもあるようだ。そういう目で探してみると、折り畳み自転車は既に大きなジャンルを成していると分かった。車種の選定には紆余曲折はあったが、BD-1に決まり。これにキャリアをつければ、中型双眼鏡と三脚くらいなら載るだろう。
 2001年の3月末に、BD-1が届いた。物凄く久しぶりに乗る自転車は、いちいち乗り方を思い出さなければならない始末だった。が、一度乗り方を思い出すと、今度は乗ること自体が面白くなってしまったのだった。思うに、子供の頃に自転車を乗り回して遠出するということが無かったので、今頃になってその楽しさを発見したというところだろう。そしてずっと心の中に隠されていたコンプレックスが解消され、その反動で自転車ラブな人間になってしまったのだろう。
 結局のところ、天文趣味がやや疎かになってしまい、自転車中心の生活にまでなってしまったのだった。老いらくの恋は激しいというしな。
 それにしても、3年で9台という購入台数は、激しすぎである。人として足を踏み外しかけていると思ったので、流石に去年はトレンクルを引き取っただけに抑えたが。
 そろそろ、自分が欲しい自転車がはっきりしてきたので、自転車の一部を処分し(しかしこれが難しい)、車種を絞ってゆこうと思っている。
 稼動回数が低下している望遠鏡たちも、もっと使ってやらないとね。

2004年06月09日(水曜日)

夏旅行考察-4

11時10分 天気:週末には崩れるらしい

 宿を調査してみた。
 まず、仙崎、長門周辺は、意外に少ないことが分かった。近所の長門湯本温泉の方がよほど多い。観光地だからな。しかし、高価な観光ホテルばかりで、寝泊り主体の安宿は無さそうだ。
 むしろ萩周辺が充実している。こちらはビジネスホテル、低価格の観光ホテルがいくつもあり、僕のように食に重きを置いてない者には嬉しい状況だ。では、初日は萩に向かおうかと思う。
 8/9に新山口駅からスタートして、秋吉台へ。山口市にも少し寄るべきか。そして秋吉台から山を越え、初日は萩に向かうのだ。
 8/10には萩から仙崎へと走り、仙崎~長門周辺で観光。萩に戻り、萩でも観光。半日ずつ過ごして、萩でもう一泊。
 8/11には津和野に向かう。輪行しようかな(弱気)。津和野からは輪行で新山口駅に戻り、帰宅する。山口で降りて、少し観光するのも良いだろう。
 よし、これで決まり。もうちょっと見所を研究してから、行程を煮詰め、宿を決めようと思う。

続キャンプツーリング考察

11時01分 自転車 天気:まあまあ

 シエラデザインの軽量テント、モンベルの寝袋、同エアクッション。この三つを束ねただけで、BD-1に装着したセキサイダーから大きくはみ出してしまう。載りきらないかもしれない。大きな袋に入れてしまえば載せることは出来るのだろうが、ペダリング中にかかとに当たって危険だ。するとBikeEかHARDROCK号だろうか。BikeE輪行は勘弁して欲しいので、HARDROCK号かな。いずれにせよ、かなり重いのだが。
 Hardrock号を連行するのなら、せめてもの軽量化と積載容量の増加を狙い、フロントフォークをリジッドに換えよう。今週末、サガミに行ってこようと思う。でも黒いリジッドフォーク、あるかな。
 荷物軽減の秘策もある。手持ちのシエラデザインのテントは、フットプリントという別売りの下敷きを使うと、フライとポールだけでも使用できるのだ。本体を省ける分、軽量化を図れる。でも、キャンプする機会なんて滅多に無いだろうから、やっぱり全部持ってゆこうかな。

2004年06月08日(火曜日)

キャンプツーリングを考察

11時52分 天気:晴れてますね

 さて、なんだかいつの間にキャンプツーリングの時期(7月初頭)が近づいてきた。
 自転車に荷物を載せて、どうやら御殿場方面らしいキャンプ場でキャンプ泊しようという企画だ。しかし、そこまでのアクセスを考えると、頭が痛い。
 持って行くつもりのテント、寝袋、エアクッションなどをまとめると、これだけでも結構な量になる。設営に必要なハンマーなんかも考えると、これだけで自転車のキャリアの、少なくとも上面は占有してしまうだろう。他の荷物も一泊することを考えると、相当の量になりそうだ。最低限の荷物に限るとしても、サイドバッグ二つ、あるいは大型のバックパックを占有してしまうだろう。
 これだけの荷物を積んで走れる自転車は、手持ちの中でも限られている。まずHARDROCK号、BikeE、BD-1くらいだろう。BD-1もキャリアがある分、意外に荷物は載るのだ。MR-4F、EPIC号は固定式のキャリアが無い。純粋なロードバイク(とは言い切れない状態ではあるが)であるTCR-2は言わずもがな。これだけなら、まあBikeEで行くかという結論になんとなくなりそうなのだが……。
 もしかしたら、最寄り駅まで輪行という話もあるのだ。距離的に、神奈川県を横切って、静岡県内にまで走る必要があるので、かなりのロングツーリングになりそうだ。また神奈川県と静岡県の県境は、どこをどう通っても、必ず山越えになる……。なら、輪行という方向になるわけだ。しかし、先に挙げた3台のうち、輪行に耐えられそうなのはBD-1くらいだろう。HARDROCK号にせよBikeEにせよ、それだけを輪行するのならともかく、他に大荷物を持った状態では耐えられそうに無い。しかしBD-1の場合は、サイドバッグは使えないから、キャリアに載せられるだけ載せて、後は背負うという形にせざるを得ないだろう。
 なんか、それくらいなら自走した方がマシに思えてきた。山北から御殿場に越えてゆくコースなら、まあなんとかなるだろう。キャンプツーリング前日に休みを取って、現地まで走ろうか、あるいは当日に、朝早くから走っていこうか。時間を見積もれないので、それまでに一度、山北から越えるコースを走ってみないと。

2004年06月07日(月曜日)

夏旅行を構想する(その3に間違いなし)

14時00分 天気:これぞ梅雨空だね

 地図を眺め、気になる地名をインターネット検索で調べつつ、夏の旅行を構想している。
 秋吉台辺りを調べてみると、面白いことが分かった。以前から秋吉台近辺の地図にある『自転車専用道』の記述が気になっていたのだが、どうやら山口市から秋吉台まで、立派なサイクリングロードが延びているらしい。途中で峠を越えるが、これは標高150mも無いものだ。山口県は、意外にサイクリングロードの整備を進めているようで、他にも小郡方面から南西に延びるものもあるようだ。ともあれ、ここを通らずにはいられようか。
 この『山口秋吉台サイクリングロード』は、その名の通り山口市から川沿いに走り、途中で秋吉台方面に転じている。ところで、この途中で転じる位置というのが、実はJR小郡駅、いや新山口駅(という身も蓋も無い駅名に変わったそうだが)のすぐ近くなのだ。ここまで、やはり新山口駅近辺から、川沿いの道を走れるようだ。なら決まりだな。新山口駅スタートだ。
 初日は秋吉台へと抜け、ここで観光。そして仙崎まで行って宿泊。ここまで山越えルートで自走したい気もあるが、まあ気楽な観光旅行なので、輪行するのが正解か。翌日は仙崎をうろつき、昼前に萩市まで走り、観光。ここでさらに一泊。最後は津和野まで山越えで走り(JRで行くと3時間掛かる……)、さらに津和野から山口へと抜ける、という感じか。津和野を捨てるなら、萩からまた秋吉台に抜け、そこから新山口駅に走るのも一興だ。津和野だけはかなり孤立した場所なので(他県だし)、寄るかどうかは微妙なところだ。津和野を捨てるなら、萩で宿泊しないで仙崎まで戻り、そこから鉄道で帰宅するという道も取れる。でもまあ、忙しなさ過ぎるな。
 問題は、秋吉台が意外なくらいの上りだということ。全体的に南西から北東にかけて、大きな山塊を形作っているのだ。特に秋芳洞の前を通過する辺りが凄い。カシミールで地形を計算すると、なんと20%近い上りになっている。これは未体験ゾーンだ。この1Kmほどは押しても仕方ないかもな。しかし、この道は秋芳洞はもとより、美味しそうな施設が集中している場所にあるので、外すわけにも行かない。逆に言えば、ここ以外は楽そう。
 持って行くのはBD-1にするつもりだ。MR-4Fほど走り志向ではないが、坂道はそれなりに強いし、キャリアが着いているので、荷物も背負わないで済みそうだ。また輪行にも強い。そういうわけで、覚悟して置いてください(誰に言ってるんだ?)
 ふと思ったのだが、今から盆休み中の宿を取れるかな。大急ぎで宿を調べようっと。

2004年06月06日(日曜日)

BD-1も整備

22時53分 自転車 天気:遂に来た、梅雨ナリヨ

 明け方から雨が降り始めた。暗い空、少し肌寒いくらいの気温は、僕の怠惰能力を伸長させる。昼過ぎまで爆睡する怠惰振りを見せ付けた。誰にだよ。
 あんまり寝ているのも、というわけで、昼過ぎに起き出した。起きたのはいいのだが、体調が降下気味だ。なんだか、両足が重い。前日に100Km走ったときより、なぜかダメージが残っている。あの程度の漫遊で、ここまでダメージをこうむるとは。つくづく、体力の無い人間である(涙)。
 気が重いので布団でゴロゴロして、ダメ人間分の消費に励んだ。しかし十分寝たためか、また寝入ってしまうということは無い。これは、体を動かして、新陳代謝を活発にせよ、という宇宙からの指令なのだろう。
 起きて、EPIC号のやり残した調整に手をつけた。集合住宅の我が部屋の前にスタンドをセットし、EPIC号を載せた。屋根があるので、強い風でも吹かない限り、濡れることはない。チェーンにクライテックを塗り、前後ディレイラーを調整する。あっさり終わり。
 さて、まだ日が沈むまで時間があったので、今度はBD-1の整備に手を出した。良く乗る順に整備している塩梅だ。
 BD-1もBBまで抜き、スプロケも外す。こいつはいつBBを抜いたか思い出せないくらい昔に整備したきりなので、これでもかというくらいに汚れていた。それがピカピカになるまで磨いてやると、精神衛生上にも大変よろしい。うん、自転車整備大好き。これはこれで、乗るのとは別の趣味かもしれないな。
 BD-1も前後ホイールの振れ取りをやっておいた。ローロで組んでもらったものだが、振れがほとんど出ない、なかなかいい感じのホイールだ。が、最近になってリアが振れているように思えたので、整備する気になったのだ。やはりリアが、一箇所だけ左(反フリー側)に振れている。比較的簡単に触れ取りは完了。フロントはほとんど振れてなかった。
 全ての整備を終え、スタンドに返す。4台の自転車が、ピカピカになって(MR-4Fは多摩川で少し汚してしまったが)居る様は、大変気持ちがいい。後はHARDROCK号とBikeEか。どっちも大物なので、また雨の休日に手をつけよう。

2004年06月05日(土曜日)

EPIC号を整備

23時53分 自転車 天気:まだ崩れず

 最近、整備づいている我輩。今日は砂まみれになったEPIC号の整備に掛かった。クランク周りはBBまで外し、スプロケも外してガシガシ洗いまくった。BB周辺は砂で凄いことになっていた。去年の秋に南会津に連行して以来、BBまでは外してなかったからな。
 スプロケ、チェーンもきれいに洗い、ホイールの振れ取りに掛かった。リア側でやや難航。一箇所、特異的に左振れが出ている箇所があって、どうしても取りきれないのだ。テンションゲージでテンションを計り、何度か振れ取りを試みて、ホイールの仕上げの問題だろうと結論付けた。MAVICの一番安いグレードだからだろうか。
 フロントはそれほど振れてなかったので、簡単に調整して置くだけで済んだ。ここまでの記述は短いが、なぜか作業には時間が掛かり、ほとんど7時間近くも掛かった。なんだか体がしんどくて、捗らなかったのだ。
 EPIC号をとりあえずスタンドに返してから、空を見ると、星空に雲が掛かり始めていた。明日は雨の予報だが、まだ降りそうな感じはしないのだが。

トレーニングになりましたか?

19時08分 暮らし 天気:晴れだ

 今日こそはトレーニングしよう。などと思いつつ、起きたのは10:00でした。あー(頭抱え中)。
 この時間から三浦半島周回は辛いな。出来るけど、昼食で三崎の鮪にちょうど掛かってしまう。長居してしまうではないか。そういうことなら、逆方向、湘南の海岸を久しぶりに走ろうかな。
 昼頃、EPIC号で出動。好天に恵まれ、境川自転車道には、たくさんのサイクリストの姿があった。歩いている人ももちろん多い。暑かったので、行きで飯田牧場に立ち寄った。TREK5500に乗ったローディを含むサイクリストたちもアイスをぱくついていた。
 江ノ島経由で湘南海岸に。人出は多く、水着姿の人も多かった。砂もかなり片付けられていたが、ところどころ砂を被っている場所があった。が、深いところは無い。
 終点で折り返し、来た道を通って帰宅した。60Km弱走ったことになる。意外に距離があったなというのが実感。多少、筋肉は使ったか。

2004年06月04日(金曜日)

昨日もうっかり爆睡

09時44分 暮らし

 明日こそはトレーニングだ!(既に体調維持にさえ役立たないレベルに退行しているが) というわけで、4:30起床をターゲットに、昨晩は早々に床に入った。
 んで4:30。んーむ、なんか頭が重い。体が布団から出て冷やしすぎたか。まあ、それでも少し体が温まったら起きようかな……。なんて考えていて、ふと気がついたら7:30でした。だ、だめじゃん……。
 とりあえず睡眠時間は目一杯だが、寝すぎて体調がよろしくない。生あくびばかり出てしまう状況だ。無理にでも4:30に起きればよかったか。あ、明日こそは早起きして、どこかをぐるりと回ってこようっと。と、言い訳又兵衛と化した俺様は思うのだった。

2004年06月03日(木曜日)

夏旅行を構想する(たぶんその2)

17時16分 天気:晴れ

 さて、大イベントが全て捌けたので、ようやく夏の旅行のことに集中できそうだ。
 地図を眺めつつ、気になった地名+サイクリングで検索した結果、案外に仙崎辺りがおいしそうに思えてきた。金子みすずの故郷だ。仙崎は、青海島に囲まれた内海を控える港町で、かつて捕鯨が盛んだった関係から鯨の博物館なんてのがあるらしい。この内海に沿って自転車で走れそうなのだ。
 この仙崎と、秋吉台を繋いで走りたい。すると、最寄り駅は新幹線の小郡駅になるだろう。小郡から秋吉台に向かって走る。秋吉台周辺にはサイクリングロードが発達しているようだ。ついで仙崎方面に走る。仙崎までの間には湯元温泉がある。時間的にこの湯本温泉か、次の仙崎で宿泊という形がいいだろうな。そこまで、峠を二つくらい越えなければならない。しかし150mくらいのと、300m超級のものだけなので、まあなんとかなるだろう。しかし長いトンネルがあるので、場合によっては鉄道(JR美弥線)でのエスケープも考えられる。
 二日目は仙崎を回り、それから萩に向かって走る。ここでも観光できるだろう。それから山口市に向かう辺りでもう一泊。最後は山口市から津和野まで走る。しかし、萩から山口市方面に走るのは辛そうなので、萩からは輪行で津和野に向かい、そこから山口市まで走るのがいいかもしれない。いずれにせよ、中国山地の端の方を走ることになるので、低い峠越えは覚悟しなければならないかも。
 2泊3日程度になるかな。途中通過地での観光にどれくらい時間を割くかで、スケジュールが決まってきそうだ。っていうか、この辺りの見ものを勉強しないとな。
 持って行くのは、気分的にBD-1にしたい。
 ところで、インターネット検索していて知ったのだが、山口市と萩市の間で250Kmのスーパーマラソンというのが開催されているとか。250Kmですか。たぶん、自転車でダブルセンチュリー(320Km)よりも凄いと思うぞ。

2004年06月02日(水曜日)

帰宅して爆睡ですか、コイツは

23時37分 暮らし 天気:まあ好天かと

 どうにも眠い一日だった。会議中なんかは頭が冴えているのだが、終わると異常なくらいに眠くなる。そんな状態が続いたせいで、帰宅してから、飯も食わないでバタンキューで寝てしまった。真夜中に起き出して、ごそごそと雑用を片付けたが、なんか消化不良感が残っちゃうんだなあ。
 寝る前に外に出てみると、厚い雲が掛かっていた。晴れが続くという予報だが、なんだかはっきりしない天気だね。

2004年06月01日(火曜日)

夜トレしませんでした

08時59分 暮らし 天気:雨のち晴れ

 ちょっと残業して帰宅。すると20:00になる。それから飯を炊いて、風呂を沸かして、などとやっていと、あっという間に22:00を過ぎてしまう。今から走って、それから風呂に入っていると、寝るのはまた真夜中になってしまう。サイクリングロードには水溜りも残っているだろうし。出ようか出まいか迷っているうちに面倒になり、今日は止め止めと思った。
 この時期、走れる間に走らなければダメだとは思うのだが、サラリィマンにはなかなか難しい面もあるのだ。明日こそは走ろうな。