Strange Days

2004年07月31日(土曜日)

サガミのバーゲンに行ったはずが、気がつけばお好みハウスでうはうは

22時07分 自転車 天気:台風のおかげで不安定

 今日は関内でサガミの展示販売会がある。特に欲しい物は無かったが、小物を買っておくつもりで顔を出した。
 出るのが遅れた事もあり、会場着は14:00前頃だった。途中、保土ヶ谷の坂で驟雨に降られたが、あっという間に上がり、その後はいい天気になる。微妙な天気だ。
 にち氏、すずきなおし氏らと会場前で会った。また会場内ではhai氏、たか氏、マモル氏らとも遭遇した。なんでも@nak夫妻やかぜはるか氏もいたとか。
 目に付いたブツとしては、エミネンザブランドで出ていた、PCD110(流行のコンパクトクランク)なカーボンクランク。オクタリンク対応だったので食指が動いたが、165mmで48/34という設定のものが無かったし、値段も28000円とかなりのものだった、買うには躊躇した。もっと安いスギノのもので十分だと思ったこともある。が、帰宅してからそのスギノのクランクを調べてみると、やっぱり2万円を越えていることが分かった。買っても良かったかなあ。
 会場をざっと見て回った後は、なんでもTVKのイベントを見に行くとか。しかし会場の物凄い待ち行列を見た途端、入る気がうせた。結局、入場時間内に入場することは無理と諦めてしまった。hai氏は歩きだったこともあり、ここでお別れ。マモル氏も用があるとかで途中で分かれた。にち氏、すずき氏ともども、アウトドアショップを見て回った。
 ワールドポーターズのL-Breathで、にち氏がKarrimor KIMM AR35を購入した。僕は買うならAR25と思っていたのだが、実物を見るとさほど大きくは無い。ちょうど30l超クラスの背嚢が欲しかったので、やはりAR35を買う気になった。しかし通販で調べればもっと安い店があるに違いないと、その場では買わなかった。しかし帰宅して調べると、同じ価格の店ばかり。クランクといいザックといい、こんなんばっかりだ。
 その後、適当に飲み物を持って新港パークでうだうだした後、お好みハウスでウハウハとあいなった。今日は早々に帰宅するつもりだったので、意外な運びになった。久しぶりのカウンター席で、マスターとの会話を楽しめた。楽しい店だな、ここは。夏場に必要なスタミナもつけておいた。もう少し薄味にして欲しい気持ちもあるのだが。
 明日はカキ氷オフがあるので、早め(といっても21:00)には切り上げた。かなりの激食いだったのだが、その割に一人3000円弱で収まってしまった。安く上がる店だ。マスターは『安いって言うお客さんは多いね』といってたが、意識的に安値にしているというつもりではないような口ぶりだった。
 久しぶりに夜のR1を走り、家に向かった。何度も登っては下りを繰り返してきたせいか、もはや保土ヶ谷越えも苦ではない……なんてことはないな。やっぱりこの坂は嫌。
 帰宅して、自転車をラックに掛けた途端、腹具合がおかしくなってきた。水を飲みすぎたかなと思いつつ、トイレに入ると……。
 (放送禁止気味な展開があったと思いねえ)。凄かったなあ。こんなに下ったのは久しぶりだ。最初の一発(笑)を放った途端、お好みハウスで食べたイカのモツの臭いが広がった。当たったような気がする。マスターも『今日のイカは台風の影響でいつもと仕入れ元が違うんじゃないかな』と心配していたのだが。幸い、腹の調子はたちまち回復してくれたのだが、夏の魚介類には要注意だと思った。

2004年07月30日(金曜日)

BikeE完全外装化を構想中

13時32分 自転車 天気:雨やら陽射しやら

 困ったなあ。
 いや、BikeEたんのことなんだが。どうにも走りが重くてかなわない。HARDROCK号があれだけ重くても、走りそのものはBikeEたんより軽いので、なおさらそう感じてしまう。リアのSACS3*7が元凶ではないかと睨んでいる。内装ギアのフリクションが大きいのだ。これはシマノの内装3段を付けたMobillyたんでも感じたことだったので、内装ギアの宿命なんだろう。そこで、改造だっ(またかよ)。
 SACSを買収したSRAMの3*9や、シマノが出したIntego(3*8)に換えることも考えたが、前者は高価で手が出ないし、後者はグレードが低いのでMobillyたんの内装3速と同等と思われた。フリクション解消という意味では、もう完全外装化しか無いか。
 完全外装化のためには、リアホイールを組み直す必要がある。どうせなら、自分で組んでみよう。やるなら9段化したい。確かRDはティアグラのものあったはずだし、12-25のスプロケもあったはずなので、ハブとスポークさえあれば、組みなおせそうだ。
 シフターとVブレーキレバーもある。ただしLXの。中途半端なパーツばかりやんけ。
 手持ちのパーツを集めても、すっきりした構成には出来そうに無い。まずFDはどうするか。シングルでもいい気もするが、走りが軽くなればBikeEの位置付けも変わるかもしれない。シフターは別途入手する必要がある。どうせならMTB用の前3枚クランクでもいいだろうか。悩む。
 ということで、実用としてはあんまり困ってない気もするが、外向きには困っていることになっているのだ(意味不明)。

2004年07月29日(木曜日)

週末はサガミのバーゲンです(台風襲来日兼用)

19時02分 暮らし 天気:びみょー

 今週土日はサガミのバーゲンがある。日曜日にはカキ氷オフが開催されるので、行くなら土曜日しかない。しかし、停滞台風様が南海におわすので、土曜日は雨になりそうだなあ。どうしよう。地下鉄関内経由で、歩いてゆくかな。弱い雨なら、HARDROCK号で出かけてこようか。特に欲しいものは無いが、ジャージとレーパンをいくらか買いたい気持ちもある。
 まあ、あまり金を使わないようにしよう。などといいつつ、フレームを衝動買いしたりしてな。

2004年07月28日(水曜日)

今日も頭を抱えて終わる

21時48分 暮らし 天気:台風かよ

 うー、気持ち悪い。吐きそうだ。吐きはしないが、食欲も無い。またしても布団でのた打ち回る一日だ。こういう時は汗をかいて新陳代謝を高めるに限るのだが、この暑さではそれもどうにかなってしまいそうだ。
 しかし昼から、急に北の風が吹き始め、我が部屋にも風が通るようになって来た。ありがたや、ありがたや。窓を開け放って風を通すと、湿度は高いものの、室温はそれなりに下がってくれた。おかげで、夕方には回復した。
 例のライト台座だが、しっかり付けたつもりでも、微妙にガタがあるのが気になる。ワッシャの位置を間違えたかなあ。でもHL-500IIとLEDフラッシャーをまとめて着けられそうだ。

2004年07月27日(火曜日)

絶不調

20時28分 暮らし 天気:いいのかな

 夜、あまりにも寝苦しく、布団の中でひたすらのた打ち回るだけだった。我が部屋は、2階の角部屋で、いかにも風が通りそうな場所にある。が、夏の夜には、正面の中学校の並木、隣家が風を遮り、いささか暑苦しい思いをさせられる。特に今年は、ねっとりした熱気を満喫できる状態だ。
 昨夜もそんな暑苦しい夜だった。もうあんたとはやっとれんわ、という気持ちで、エアコンを入れてしまった。我輩、暑いのには弱いが、乾燥にも弱いのである。エアコンをつけて寝ると、かなりの確率で喉が荒れる。今日もそうだった……。
 起きた時から絶不調で、頭を抱えて唸るばかりだ。今日はなんかあったっけ。先週、仕事は片付けているので、大きな仕事は無いはずだ。会社に電話を入れるとその通りだったので、休むことにした。
 頭を抱えたまま昼を迎え、しかし食欲は無い。とりあえず、困ったときは素麺だ。しかし半分くらい残してしまった。
 昼過ぎ、エアコンのついてないキッチンで自転車を眺めていると、やっと代謝が活発化してきたのか、多少頭痛が和らいで来た。買い物に出なければと思った。
 地下鉄で横浜に出た。ヨドバシのAV館でヘッドホンを買い求めた。オーディオテクニカから出ている高価なシリーズにもそそられたが、SONYの適当なのを買った。こういうとき、まずSONYの製品に目が行く辺り、実はSONY信者なのかっ。
 ついでハンズに立ち寄る。というか本命はここだった。地下の自転車売り場をうろつくと……、ありました。一般車用ライト台座。これは一般車(要するにママチャリ)のライト取り付け穴に、スポーツ車用のライトを取り付けるための台座だ。HARDROCK号に着けたミノウラのフロントサス用キャリアに、この一般車用ライト取り付け穴が空いているのだ。ここにこの台座を取り付ければ、ハンドルを占拠しているライトを移動させて、すっきり出来る。
 1Fで、ザックを見て回った。悲惨な目に遭った奥多摩山歩きのとき、やはり自転車用バックパックでは軽登山用ザックの代わりにはならないと痛感した。歩きの場合、ザックは常に上下左右の揺動の焦点にある。自転車乗車時にはダンシングの時を除いて、ほとんど固定されている。この点が違うわけだ。軽ければ軽いほどいいのだ。というよりも、まず軽さを問われてしまうというべきか。
 ざっと見て回ったが、やはりみはる女史が使っていたKarrimorのKIMM AR系列が目に付いてしまう。非常に軽く、収納スペースも豊富だ。しかし防水性はほとんど無さそうだ。この点、自転車で使うにはどうかなとも思ったのだが。
 値段は周りの一般ザックの倍はする。ううむと唸る。頭痛も一向に退かなかったので、今日は買わずに帰った。
 帰宅して、台座をHARDROCK号に取り付けた。これ自身が重くて、4cm程度の丸棒に過ぎないのに、100gは軽く越えていそうなのだ。無垢の鉄棒かと思ったくらいだ(さすがにそれは無さそう)。
 それにしても、体調は乱高下を繰り返すばかりで、一向に回復しない。

2004年07月26日(月曜日)

アルテグラ10速

15時57分 自転車 天気:晴れてきた

 シマノのウェブサイトで、10速アルテグラの正式アナウンスがあった。前3枚モデルも用意されるので、30速が実現されるのか。
 大いに興味あるのが、リアに16~27のスプロケが用意されるということだ。小径車なら、クランクセットが52+38のままでも、かなり軽く、かつクロスしたギア比を確保できるだろう。
 実質は来年からの出荷になるだろうから、次のロードフレームはこいつでいいかな。デュラエースは高すぎるから。

山歩きの決算は

14時34分 暮らし 天気:雨のち曇

 起床して、すぐに感じたのは、両足の筋肉痛だった。こんな本格的な筋肉痛は久しぶりだ。自転車で無茶な距離を走った後でも、こんな疲労は感じたことが無い。両腿の前側と、ふくらはぎに痛みを感じていた。また足の裏、後端の内側辺りにも、痛みを感じる。靴が合ってない証拠だろうな。
 歩く早さは、通常の3割減というくらいだろうか。信号に間に合わなくて往生した。

2004年07月25日(日曜日)

山歩きでヒィヒィ言わされました

21時09分 山歩き 天気:山の天気は良く分からない

 さて、今日はみはる女史に誘われていた、奥多摩方面山歩きの決行日である。前日、本件に関して飛び交っていたメールを見ながら、まあだいたいこんなものが要るんじゃないかいというものを、ドイターのバックパックに入れておいた。持っていくものを考えると、20l程度のバックパックや、それこそヒップバッグでも十分そうだったが、D70を持っていきたかったので、30l弱のこれをセレクトした。しかしこのバックパック、自転車用で、空気流路確保の仕掛けがあるためか、かなりごつくて重いのだ。まあ何とかなるよといい加減に考えつつ、それを背負って家を出た。
 今日の身支度は、上はユニクロのクールマックス長袖Tシャツ&フルジップTシャツ、下はCWX夏用に短パン。コンビニで食料、水を仕入れてから、地下鉄で戸塚に向かった。そして湘南ライナーで新宿に向かった。ここでホリデー急行奥多摩に乗り換える。車内で出発を待っていると、出発ぎりぎりに間に合ったマモル氏に声を掛けられた。
 列車は中央線を走り、青梅線に入り、奥多摩へと向かう。途中でみはる女史と合流し、こぐ氏とは現地の御嶽駅で合流した。あれ、にち氏は、というと、体調不良で欠席だった。
 駅舎で身支度を済ませ、本日のコースへと歩き出した。惣岳山、岩茸石山と回り、軍畑駅に戻るコースだ。いきなり、かなりの急傾斜を登ることになる。背負った荷物がずっしりと肩にのしかかってくる。この点、みはる女史には重過ぎると責められたのだが、余計な荷物を持ってきた記憶は無い。着替えは結果的には余計だったが、重量的には大したものではない。水とカメラ、そしてバックパックが効いている。カメラか、やはりカメラか。D70なんて持ってくるんじゃなかった。でも富士登山では絶対にこれを持って行くつもりなので、予行演習としてはこの重量の方が正しいのだ。富士登山では、かなりの重量を背負ってゆくことになるだろう。しかし、バックパックに関しては、もっと軽いのが欲しいと思った。今日の山歩きは、富士登山の予行演習か、単なる山歩きか、僕の中でいささか曖昧な位置づけだった。
 最初の惣岳山までが、かなりの登りだった。最初のうちは元気良く進むみはる女史らのペースに着いていたのだが、これではすぐに脚が売り切れると思ったので、途中から完全にマイペースで歩かせてもらうことに(自分で勝手に)した。歩きのピッチを詰めて、一歩当たりの垂直移動を最少に抑えた。あはは、いきなりこんな状況かよ。
 なんとか歩き続け、ついに惣岳山に到達した。万歳したい気分だ。脚はまだまだ大丈夫。だがまだ二山越えるんだとか。
 最初の山頂まで、人と行き会うことも、追い越されることも、ほとんど無かったのだが、山頂には何組かの先客がいた。ベンチに腰掛け、持ってきた食料をもそもそと詰め込んだ。水の消費量はかなり多い。700ml弱のボトル+900mlのボトルで1.5l以上持っていたのだが、ここまででボトルをかなり使い切っていた。自転車の場合、道路沿いに遠出する場合などは、思い立って10分も走ればだいたい自動販売機にありつく。30分ごとにコンビニにありつくという計算も、法外なものではない。しかし、この山中では、そういった補給ポイントをまったく見込めない。気になるのが、先ほどから聞こえ始めていた雷鳴だ。遠くの方で鳴っているようだが、いつ我々の頭上に来ないとも限らない。
 ある程度の休憩の後、惣岳山を下り始めた。この下りが、いきなり凄い急傾斜で、万が一落ちたら大怪我必至という観があった。こんな低山と舐めないで、軽いヘルメットくらいなら被るべきかもしれないと思った。
 二つ目の山までは、それほど苦労することなく到達できた。ここは団体客で充満している塩梅だった。ストレッチして筋肉を解きほぐす。ふくらはぎに強い張りを感じていた。自転車だと、ここを酷使することは無い。ペダリングスキルが全く無い頃、無駄にアンクリングして引きつらせた時くらいだろうか。
 いささかゆっくり過ぎるくらいのペースで、三つ目の山頂へと向かった。走破するのに不安は無いが、どれくらい疲労が残ることやら。普段の運動とは違う筋肉を酷使しているのだな。
 三つ目の山頂も難なく登頂。とはいえ、さあ後一回り行こうぜ、などと言われたら泣いちゃいそう。とりあえず、これでお終いかとホッとしつつ、山頂で体を休めた。この先は下りなので、あっという間に軍畑駅に到着するだろうと考えていた。が、そんな山を舐め切った俺様を、山の神様は見逃したりはしなかった。
 下ってゆく。かなりの急傾斜を下ると、すぐに寺があった。ここでトイレを使い、山門を抜けた。『ビール、ジュースあります』の張り紙にそそられたが、それは我慢だ。後少しで下界だ、と思っていた。事実、この寺の裏側までは、どうやらバスが通っているらしい。
 更に下ってゆく。寺に近いあたりは、比較的平坦な道だった。いかにも『すぐ人家があるよ~』と気安げに話しかけられているようだ。が、進むに連れて、道は再び荒れてゆく。ガレ場が増え、傾斜も増えてきた。雷鳴はほとんど頭上に来たようで、ほどなくパラパラと降り始めた。幸いにして、雨はすぐにやんでくれたのだが。
 登りでそれなりに消耗した体だったが、下りで余計に消耗し始めていた。段差が大きく、一つ下るごとに、脚全体に衝撃が走る。『膝を軽く曲げて、衝撃を吸収する』というみはる女史の教えを忠実に守っていたのだが、それでも次第にダメージは蓄積されていった。
 ああ、この山道はどこまで続くのだ、などとうんざりし始めた頃、やっと終端を意味するらしい砂防ダムが見え、やがて舗装路に出た。そう舗装路に。だが特殊加工をしたような、物凄い傾斜の舗装路だ。ますますダメージは増大する。というか、もしかしたらトドメ?
 この舗装路の下りが、想像以上に長かった。荷物が重いと、こういう状況でも不利なんだな。その上、自販機の類がまったく見当たらないのだ。水の残りが少ないので、少々心もとない。
 結局、水にありついたのは、軍畑駅の近くまで降りて、自販機を見つけてからのことだった。
 帰路は軍畑駅から青梅で中央線快速に乗り換えて東京へ、そこから東海道線で戸塚というルートを通った。かなり眠れたので、結果的には良かったのだろう。
 帰宅して、風呂に入り、ビールを開ける。うむ、うまい。が、帰るまでに水を多量に摂取した後だったので、感動するほどではなかった。むしろ、体に残る辛さが目立った。
 今回の山歩きでの反省点は数多い。荷物はやはり軽くするべきだとは思った。が、富士登山の予行演習としてみると、やはりこれでよかったのだとも思った。富士では今回ほどの急傾斜は少ないが、それなりの荷物を背負ってゆく必要がありそうだ。補給ポイントはいくつかあるので、水に関しては減らしていいかもしれない。しかし、荷物を背負って、疲労なく歩くスキルは必要かもな。それと、やはりシューズは買おうと思った。今のシューズは、街中で使うのには問題無いのだが、山歩きには微妙にサイズが合ってないと思った。軽登山用のを買っておいてもいいかなと思った。というのは、今後もこういう山歩きを続けてもいいかなと思ったからだ。そういう意味では、やはり山歩き専用の軽いザックも欲しくなった。
 とりあえず、8月は富士登山に集中して、それから秋には何度か山歩きしようと思った。月一くらいでな。

2004年07月24日(土曜日)

ロードバイクは楽だ、が

20時12分 暮らし 天気:晴天

 昨夜、帰宅してすぐに寝てしまい、夜中に起き出して怪しい活動を繰り広げたものの、またすぐに寝てしまった。起きたのは昼過ぎ。いったい、何時間寝たんだ。だいたい14時間くらいは寝たようだ。
 これだけ寝ると、頭が働くのに時間が掛かる。なんとなく横浜方面に用があった気もしたのだが、それがなんだったか思い出せない。まあいいや、明日の山歩きに備えて、靴を見に行こう。昼食を取って、自転車で南町田へと出かけた。
 今日は何で出ようかと思う。楽なのはロードバイクなのだが、EPIC号辺りに乗りたい気もする。なんとなく着たジャージが、スペシャのものだったし。だが、先週の三浦周回で感じた、手首への異常な負荷の原因を見極めたいと考え、結局はTCR-2で出かけることにした。
 南町田へと北上する道行きは、風を背負っていることもあり、ゆるゆると走って行ける。やはり、これに較べると、HARDROCK号は重過ぎるし、BikeEは走行抵抗が高すぎる。BikeEのそれはSACS3*7の内装3段だろう。シマノの3*8に換えるか、いっそのことフロント側にディレイラーを着けて外装化したい気もする。
 しかし、ロードバイクの場合は25Km/h以下で走るのはどうしても禁じ手のように感じてしまい、強風の中でも必死に走る破目になってしまう。
 ロードバイクに魅力を感じる人というのは、たぶん自分がロードバイクに乗っている様を思い浮かべることが出来る人ではないかと、常々思っている。それで『俺、カコイイ!』と思えるような、ナルシーな人は、ロードバイクにはまって行くのではないか。と、自分の思想を改めて書き起こしてみると、物凄くバカっぽく感じるのはなぜだ。
 南町田のモンベルショップで、登山コーナーで靴を観察する。まだ種別とか靴選びのポイントとかまったく不明なので、とりあえず観察。どうやら山歩き、山走り、軽登山、本格的登山、くらいにクラスが分かれているようだ。山歩き、山走りの違いは、ソールの硬さとヒールカットの高さくらいで、ほぼ準同型のように思えた。軽登山となるとヒールカットはかなり高く、くるぶしを半ば包んでいる。また造りもごつくなっているようだ。本格的登山となると、履くのにも苦労しそうだ。
 富士登山ではヒールカットが高めの軽登山靴を薦める人が多いようだ。でもこの軽登山靴、日常生活では使い道が無い。一方、山歩き用なら、日常生活でも支障なく使えそうだ。実際、僕が通勤に使っているのは、少しごつめの山歩き用シューズだし。
 買うならこの辺かと思ったが、じゃあその通勤用シューズでも行けそうではないかと思い、購入は保留した。これで試してみようと思う。
 帰路は南風に逆らいながら走ることになるが、ロードバイクだと25Km/hくらいなら楽に維持できる。HARDROCK号だと15Km/hの世界に入ってしまうだろう。走行感の軽さが段違いだ。
 このまま帰宅するのはつまらないので、一度サイクリングロード南端まで走り、そこから北上して飯田牧場に寄った。今日はチョコチップを食す。
 南風を背負い、北上してゆく。途中でTIMEのカーボンフレームに乗った男性とすれ違った。ここでよく会う、というかだいたい夕刻に走っていると必ず遭遇するのだが、なにしてる人なんだろう。プロ?
 まだ日の高いうちに帰宅した。

2004年07月23日(金曜日)

はてな落ちてる?

08時46分 インターネット 天気:相も変わらず良すぎ

 今現在、はてな系の日記サイトに全然アクセスできない。落ちた?
 cycling.jpも落ちたままだし、実は我輩のNucleusも昨日はアクセス不可やSQLエラーが多発していたのだ。あまりの暑気に、機械様方が発狂なされることが増えているのか。

2004年07月22日(木曜日)

日曜日に青梅に

11時51分 暮らし 天気:わずかに気温下降か?

 先週金曜日にTCR-2で疲労した手首だが、まだ回復しない。いやはや、困ったもんだ。これほど痛めつけられるとは。まだ右の人差し指の根元辺りに痛みがあって、握力が下がっているのだ。要因としては、一つはゲルのシートを巻き込んだこと*1、もう一つは乗り方*2もあるだろう。なんか、全然効果がないような気がしている。もう何度か、短い距離で試してみて、効果無しという判定が出たら、除去してしまおう。ロードで腕に余計な負荷がかかる状況は辛い。
 こんな状況では今週末も三浦半島を、なんて気にはなれないので、みはる女史から誘われていた山歩きに行ってこようと思っている。前からやってみたいとは思っていたので、いい機会ではないか。もっとも、体力の有り余っていそうな女史に、中年真っ盛りの俺様がどこまで着いてゆけることやら……。
 んで、他にも行きたい方はいませんかと誘う俺様。青梅駅に朝の9:00にどないだと、女史には提案しているのだが。
 今週末には、フェーン現象も和らいでいるだろうか。

2004年07月21日(水曜日)

Linearが欲しい

19時52分 自転車 天気:夕立あり

 本来ならTarmacを買う予定だったのだが、あまりの出荷の遅さにキャンセルしてしまい、ロードフレームの更新は未了のままだ。秋に来年のモデルが出回ったら考えよう。
 さすがに9台(さらに忘れてしまいたいシークレットチャリが1台)も自転車があると、新しく増やすという気にはなれない。だがロードフレームは乗り心地のいいものに替えたい。
 もう一台、折り畳めるリカンベントも欲しいのだ。折り畳めて、なおかつアンダーハンドルという構成で。アッパーハンドルのリカンベントはBikeEがあるし。そんな街乗りには辛そうなリカンベントを、遠く(沖縄とか北海道とか)に持ち出して、長駆ツーリングなんてのにあこがれる。すると最右翼にあるのがSatRDayなのだが……。
 多すぎる。いくら狭くて特殊なコミュニティとはいえ、ざっと思い浮かぶ顔の1/3ほども持っている車両となると、あまりに多すぎると思ってしまうのが俺様。それを手にしても、感動は薄いだろうと予測できてしまうのだ。きっと実用性は高いのだろう。ノウハウも蓄積され、情報も得やすいに違いない。だが心を湧き立たせるものがないのだ。
 それで、というわけでもないのだが、前から狙っているのが、Linearだ。長大なホイールベースだが、前端、後端で折り畳める。そんなに小さくはならなさそうだが、なんとか輪行に耐えられそうな大きさにはなるようだ。
 このLinear、メーカーが倒産してしまったのだが、販社が冶具を引き取って製造を続けている。その時点でブレーキをVブレーキ化したり、リアを26インチにサイズダウンしたりして、構成にも手を入れている。意外にやる気ありそう。
 基本構成での価格は、それほど高価でもない。$1900程度。これにD2Dでの運送費用、関税、オプション(実は旧型の700Cキャリパー仕様が欲しい)込みだと、結局はSatRDay並みになってしまうだろう。でも、それが届いたときの感動は、きっと大きいに違いない。たぶん、きっと、おそらく。
 問題は、本当に日本まで発送してくれるかという点だ。いちおう、『米本土外への発送は問い合わせてくれ』なんて一文もあったように思うし、米国外への発送なんて運送会社任せで同じだろうから、やってくれるとは思うのだが。

2004年07月20日(火曜日)

猛暑でんがなまんがな

20時27分 暮らし 天気:好天だったらしい

 朝方にはもう30℃を越えていたとか。ひえー。
 お昼前後には東京の都心部で38℃超を記録したとか。後一歩で40℃だ。そんな日に自転車で走ったりしたら、排熱が不可能になって死んでしまうかもしれない。水、特に体にぶっ掛けるそれが必須だよな。この連休で物凄く体力を消耗したのも、この猛暑のせいだったのかもしれない。
 僕の職場はでっかいドンガラ(要するに工場)の中なのだが、今日ばかりはそのドンガラの外側に近いところにいると、冗談ではなく熱気を感じるような塩梅だった。
 寝るときも、僕の住処は夏の夜に風が入りにくい場所にあるということもあり、だいたい冷房を入れて寝ている。その時、除湿対策のため、枕元にお茶をおいて寝るのだが、その消費量が今年はかなり多いようなのだ。今年ばかりは一杯では足りず、夜中に起き出して継ぎ足すということをやっている。冷房を入れてさえも熱気を感じて、体が乾いているようだ。
 7月にこれでは、8月にはどうなることやら。

2004年07月19日(月曜日)

なんちゃってキャンピング、HARDROCK号でお買い物

20時32分 暮らし 天気:晴れだね

 昨日、帰宅してすぐに寝てしまい、目覚めたのは真夜中の3:00過ぎだった。はぁ、気力ゲージは0のままだ。やはり大山登山はお休みさせてもらおうと、こぐ氏にメールを打っておいた。代わりにみはる女史から、来週の武蔵丘陵の山歩きに誘われているのだが、どうしよう。昨日の荒川でその話を聞いたとき、正直面倒くさいと感じたのだが、今は悪くないかなと思うようになった。自転車込みの場合と異なり、電車での移動は楽に出来る。うん、考えてみよう。
 昼も過ぎ、少し気力と体調が回復してきたので、土曜日に手を入れていたHARDROCK号の試走に出かけることにした。試走たって、フロントにキャリアを取り付けただけなのだが。このフロントキャリア、ミノウラのサス対応のものなのだが、ごついことごついこと。リアキャリアに較べて迫力は十分だ。前のキャンプツーリングで積んだサイドバッグ(オルトリーブのフロントライダー)*2、テント+シェラフ+シートくらいなら、楽々載りそうだ。つまり、積載量は倍増したといっていいだろう。なんちゃってランドナーというよりは、そのごつさからはキャンピングというべきか。しかしこのフロントキャリア、耐久性には疑問の声が上がっている。まあ、そんなロングツーリングはしないから、とりあえずこれでも十分だと思うけど。
 リア右にユニコの防水サイドバッグを付け、グランジの大型サドルバッグを付け、まずは長後のCoCo壱番屋に走った。今日はトマトアスパラカレー。うまー。
 藤沢のハンズに用があったので、サイクリングロードを南下して行った。チェーンを清掃したからか、いつもより少しだけ軽く走れる気がした。それにしても、基本的には直進安定性が高い自転車になったな。問題はヘッド回りの弱さだが、これはその内に換えようと思っている。
 藤沢駅近くまで裏道経由で走り、ハンズで物色。欲しいものは一般車にスポーツ車用ライトを取り付けるためのアタッチメント、そしてダブルレッグ式のスタンドだ。前者は、フロントキャリアにそれようの穴があるので、ライトをこちらに移設して、ハンドル周りを空けたいから。後者は、キャリア付きの状態では、普通のスタンドではトップヘビーになりすぎ、不安定になるから。そういう理由で欲しかったのだが、生憎どちらも売ってなかった。横浜のハンズにはあったのにな。
 帰路、飯田牧場に立ち寄ってアイスを貪る。人出は相変わらず多い。
 そのまま、スーパーに立ち寄って、帰宅した。今日もサイドバッグは大活躍で、味噌煮込みうどんセットを楽々収納できた。少なくとも、買い物には最適な自転車だな。
 帰宅してしばらく、そういえばいくつかの食材を買ってなかったことを思い出した。今度はTCR-2で出動。出口にあって、一番取り出しやすいからだ。HARDROCK号と較べると、その走行感の軽さは歴然としている。TCR-2がスポーツカーなら、HARDROCK号はダンプカーだと思った。

2004年07月18日(日曜日)

今月の荒川サイクリングはバーベキュー気分(いや僕が)

18時49分 自転車 天気:晴れまくり

 前夜、岡山氏と『戸塚で待ち合わせて、車で臨海公園まで』という計画を立てていた。待ち合わせの時刻は5:00。ゆえに、起床は3:30頃だった。
 床には早めに入ったのだが、なぜかまんじりともせずに起床時刻を迎えた。ところが、外に出てみると、外は見事に雨。このタイミングでかよ。岡山氏と連絡を取り合い、今回'も'延期となった。なんというか、運命の神が我々の邪魔をしているようにさえ感じる。
 ともかく、気が抜けたので、一眠りして、6:00に飛び起きた。既に雨は上がり、路面も乾き始めていた。BD-1を抱えると、浮間舟渡駅へと急いだ。
 夏、好天が続きそうな時期ということもあり、今回の参加者は多かった。岡山氏も結局はトレンクルで参加。みはる、くいくいの両女史もやってきた。hai氏、@nak(あ)氏も久しぶりに顔を出していた。
 適当に時間を費やしたところで、出発。今回はD70で、参加者の出発シーンに拘って撮ってみた。
 最初の青い水門まで走る間にも、背嚢のハイドレートシステムの水を景気良く消費していた。暑い。この暑さに対抗するには、給水をきちんとするのが一番だ。
 2番目の休憩場所、虹の広場で、なんとアイスキャンデー売りが待っていた。あっという間に人だかり(笑)。一本200円。原価10円、いやそれ以下だろう。ぼろ儲けだな。でもこういう商売は、こういう好適な売り場を見抜く売り子の人件費が大きいだろうから、これでも適正なのかもしれない。
 次の中川水門では、日差しを避けて、高架の真下で休憩を取った。と、そこにマモル氏から電話が。なんでも道に迷い、復帰するのに手間取ったため、くいくい女史ともども遅れている。が、追いつくので先に出発して欲しいとの事。幹事にそのまま伝えた。
 やがて炎天下を走り続け、葛西橋を渡り、コンビニを経て臨海公園へとたどり着いた。あまりに暑かったからか、食欲が湧かない。
 そういやあ、マモル氏が来ないね、などと思っていたら、ようやく幹事団と共に到着した。なんと前輪が溝にはまり、ジャックナイフ風に前転してしまったのだそうだ。その時、なぜかリアディレイラーを破損し、やむなくシングルギア状態に直結して走ってきたとか。エンドが曲がってしまったのだが、乗車のポケロケは鉄フレームなので、容易に修正できそうだ。
 適当に過ごした後、解散が宣言された。幹事のきのした氏は関西に帰るので、しばらくは荒川サイクリングに参加できないという。
 参加者の多くは、この後で別の行事に流れてゆくことになっていた。僕は睡眠不足が深刻だったので、ここで少し寝て帰ることにした。なんというか、気力が萎え萎えで、走る気になれないのだ。
 15分ほど、瞬間的な睡眠をとると、ようやく走り出す気になれた。東京駅まで走り、輪行で帰宅した。金曜日に続き、意外に消耗してしまった日になった。明日は大山登山の予定だったが、ごめんなさいのメールを打って休むことにしようと思った。

2004年07月17日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第4夜「大量絶滅」~巨大噴火が哺乳類を生んだ~

23時36分 テレビ 天気:なんだか禍々しい

 毎度毎度、生物に襲い掛かる悲惨な事件が楽しい(爆)この番組。今夜は『大量絶滅』ときたもんだ。期待も膨らむってもんだ(どんな期待だ)。
 毎度、山崎努の語りで始まる。『せっかく苦労してここまで来たってのに、また絶滅かよ』。その通り、人類の生命進化観は、過去の漸進的で継続的なものから、急進的で断続的なものに代わってきた。種の多くが根絶される大量絶滅劇は、過去5回もあったとされる。その中でも、2億5千万年前に起こったペルム期末のそれは、種の95%が途絶えたという凄まじいものだった*1
 ペルム期末、世界中で繁栄を極めていたのは、哺乳類の先祖に当たる、哺乳類型爬虫類だった。この奇妙な名称は、体の構造としては爬虫類の一種に当たるのだが、生活様式には現在の哺乳類の特徴も見られることから名づけられたらしい。一部には温血性の恒温性をもつ種もあった*2
 この絶滅劇、原因は様々に考えられているのだが、注目を集めているのが、プルームテクトニクスと絡められた環境激変説だ。
 この時期、陸地はパンゲアという単一の超大陸に集結していた。この時代だったらグレートジャーニーなんて簡単だったんだなあ。どうでもいいですかそうですか。ともあれ、でっかい大陸が一つ。馬鹿でかい海に取り囲まれていると思いねえ。海洋プレートと大陸プレートとの境目には、プレートが落ち込んでゆく海溝が発達する。日本の南海上にある奴ね。この時期、この超大陸は、周囲をぐるりと海溝に取り囲まれる形になっていた。そして、その海溝からは、潜り込んだ海洋プレートが落ち込み、マントルの中を地球の核へと向けて落ち込んでゆく。核は、超高温*3の内核、溶解した金属によって出来たやや低温の外核によって形成されている。この外核へとプレートが大量に落ち込んだとき、その反動*4で、巨大なプルームがマントルの中を上昇していった。この巨大プルームが、今のシベリア北西部へと衝突したのだ。地球内部から放出された膨大な熱が、巨大な火山活動を引き起こしたのだ。プルームの上昇は、今もシベリアの近くに、大きな裂け目として爪痕を残している。
 この大噴火は、しかしそれほど大きな被害はもたらさなかったろう。巨大な超大陸では、これほどの大噴火でもごく限られた領域に過ぎず、生物たちが逃げ出す余地は十分あったからだ。生物たちに大打撃を与えたメカニズムは、別にあった。
 この噴火は、大量の二酸化炭素を放出し、その温室効果により、地球の平均気温を数度、極地では10度以上も上昇させたものと思われる。その結果、海洋の底深くで異変が生じた。大量に蓄積されたメタンハイドレートを溶解させ始めたのだ。地表に放出されたメタンは、二酸化炭素より遥かに高い温室効果により、さらに地表の温度を上昇させた。それが更なるメタンの放出をもたらすという悪循環が始まり、結果、地表に莫大な量のメタンが放出されることになった。
 このメタンは、大気中の酸素と結びついてしまう。ペルム期、繁栄を極めた植物たちにより、大気中の酸素濃度は30%に達していたという。それが一気に10%前後にも落ち込んでしまったのだ。酸素濃度が1/3にも減少すると、多くの生物は運動能力が激減し、餌を得ることが難しくなっただろう。呼吸が出来ず滅びる種さえあったかもしれない。酸素という活性の高い物質を利用することで、高い運動能力を得てきたのが地球の生物だった。それゆえに、酸素の急減は、大量絶滅の一因として働いたのだった。
 この酸素不足は長い間継続した。その間、地球の生物相は、プルム期末からは一変していた。哺乳類型爬虫類は支配種族の座を滑り落ち、双弓類から進化した恐竜たちが闊歩する時代になったのだ。従来、この劇的な交代劇は、その原因がはっきりせず、諸説取り沙汰されて来た。後々、なぜか*5恐竜が、その哺乳類型爬虫類から進化した哺乳類に取って代わられたことを考えると、その奇妙さは増す。
 原因の一つとして考えられているのが、恐竜たちの呼吸器が優れていたからだ、というものだ。鳥は恐竜から進化したとされている。その鳥と、恐竜との間には、構造上の一致点が多い。首の骨の構造などはそっくりだ。そのことを敷衍してゆくと、鳥が持っているある器官を、当時の恐竜も持っていたことが分かる。気嚢の存在だ。気嚢は吸気を一時蓄積し、肺に流すことで、常に肺に対して新鮮な空気を流入させ続ける器官だ。この存在により、鳥は、そして恐竜は、低酸素の状況下にあって、なお高度な運動性を獲得できたと思われる。最大のライバルである哺乳類型爬虫類との生存競争の上で、恐らくは圧倒的な優位に立っただろう。
 このように、数多くの種が、巨大プルームの上昇によって生じた様々の現象に、直接、間接的に滅ぼされていったのだ。そして恐竜の時代が来た。
 人間の祖先に当たる哺乳類型爬虫類にとって、圧倒的な恐竜の脅威の下、苦難の生活を送る日々がやってきた。だが、彼らも新しい環境への適応を進めていた。一つは横隔膜の発達だ。低酸素濃度に対応するために、肺のサイズを拡大すると共に、迅速に排気するための横隔膜をも所持するようになったのだ。これにより、従来よりは遥かにすばやく動けるようになったと思われる。
 もう一つの画期的な事件は、真の哺乳類への進化だった。胎内で子供をある程度育て、生まれた子を確実に育ててゆく。それは恐竜の脅威の下で暮らす彼らの生存率を、確実に上げる手段だった。そのことが、未来での逆転劇、今度は哺乳類がメインストリームとなる事件の伏線になったという説がある。恐竜が滅びたとき、何らかの環境の激変*6を伴っていただろうという予測は多い。その時、基本的に*7卵を産みっぱなしだった恐竜に対し、子を育て、効率的に資源を受け渡してゆける哺乳類の方が、激変後の適応拡散の時期に大きく有利になれたと思われる。その結果、今度は恐竜が生存競争に敗れたのだ、という説だ。
 なんにせよ、恐竜の脅威下で、人間の先祖たる哺乳類が生まれ、その絶滅と共にいよいよメインストリームに躍り出たわけだ。
次回はお猿さんの登場らしいぞ。

疲れたので、BikeEたんでお出かけ

18時29分 暮らし 天気:夏場の晴れ日は……

 昨日の疲労を感じつつ起床。脚が、腕がというよりは、全身が疲労している。夏の直射日光は、予想外に体力を奪うものだ。
 実は明日、前から岡山氏と語り合って決行の機会をうかがっていた、BikeEで荒川を計画を、ついに発動することになったのだ。そこで、先週駆動系の洗浄をやった、BikeEの塩梅を確かめてやろうと思った。
 泥除けを外し、少し軽量化したBikeEに、届いたばかりのサイドバッグ*1を右だけ付け、走り出した。
 どこに行こうか。などと考えるまでも無く、なんとなく南下コースを取っていた。結局あそこですか、飯田ですか。
 風はあったが、BikeEで走るのは気楽だ。楽というより気楽。20Km/h以下で走っても、悠然と構えていられる。逆に20Km/h以上で走るのが辛い気もする。それでも、BikeEで見上げる空の広さはいい。僕はローレーサータイプにほとんど魅力を感じない。ロードバイク系のリカンベント(ようするにハイスピード型)よりも、ロングホイールベースのものに興味がある。それでも、完全にシートが寝そべっているローレーサータイプで、青い空の下を走るっていうシチュエーションには、強く惹かれる。
 飯田牧場ではグレープフルーツのシャーベットにした。別に牧場でなくてええやんけといった観はあるが、美味であった。
 帰路は追い風だったが、それでもロードバイクのように30Km/hで鼻歌交じりに、といったわけには行かない。細かくポジションを変えてみたのだが、最適なものと思えるようなポジションでも、あまり高速では走れない。瞬間的にはスピードを出せるのだが、それを維持する気にはなれない。思うに、リアのSACS3*7の内装ハブが問題ではないだろうか。凄くフリクションを感じる。シマノの3段の方がマシではないかと思えるくらいだ。
 帰り道、立ち寄ったダイクマで、缶ビールの6本パックを買って、サイドバッグに納めた。余裕っち。1ダースのケースでも入りそうだ。
 まだ疲労を感じつつ、帰宅。

2004年07月16日(金曜日)

久しぶりに三浦半島周回(ただし新ルート)+夏=疲れた

22時22分 自転車 天気:実に暑い

 うちの会社(正確には親会社)の創立記念日で、今日は休日なのだ。月曜日もハッピーマンデーとやらで翌海の日の休みが移動しているので、要するに4連休なのだ。ちょっと嬉しい。
 とりあえず、ずっとやってなかった三浦半島周回の旅に出かけることにした。そういうわけで、朝早く起きるつもりだったのだが……。
 昨夜、例によって夜更かししてしまったためか、起きたのは9:00。外は既に熱波の真っ只中だ。なんだか出かける気力が失せる。しかしTCR-2の調子を見たいこともあり、11:00過ぎと、遅めの出発となった。
 TCR-2の調子を見たい部分というのが、ハンドル周りだ。スペシャのゲル入りシートをバーテープの下に巻き込んで、衝撃吸収性の向上を目論んだのだった。それが当たっているかどうか。併せて、やはり全交換したケーブルの具合も見るつもりだった。
 時刻的に遅めなので、少しショートカットする気になった。今までは反時計回りに、すなわち境川~鎌倉~三崎~横須賀~横浜と走ってきた。今日はそれを逆に、環状2号線からR16に抜けて、そこから横須賀方面に走ろうと思っていた。しかし、この時刻から走り出して、到着はかなり遅れてしまいそうだ。そこで境川を俣野まで下り、原宿交差点方面、北鎌倉と走り、環状4号線経由で六浦に抜けるルートを走ることにした。こっちの方がショートカットになるだろうと思ったのだが……。
 走ってみると、こっちの方が遠回りになっていたようだ。意外にアップダウンがあるのと、道が細くて交通量があるのとで、時間が掛かる。無駄足だったな。
 六浦でR16に出てからは、まあそれなりに快調に走ってゆけた。しかし、向かい風がやや堪える。背負っておいたキャメルバックタイプのハイドレーションパック*1から適宜給水しながら、三崎を目指して走った。
 向かい風、陽射しと共にこの身を痛めつけるのが、意外にも改装して快適性が増したはずのハンドル周りだった。手首に凄く負荷がかかるのだ。衝撃を吸収してくれてない。おかしい、ゲルは意味が無いのか。適正なポジションを保つ肝心要の手首が疲労してきたので、道行きがますます辛くなる。
 ひいひいいながら三崎にたどり着いた。今日は鮪チャーシュー入りのラーメンを食べに来たのだが、なんか新しい店を開拓する気分ではない。ではいつものちりとてちんを……休みでした(号泣)。仕方ない、うらりに自転車を停めて、この辺にラーメン屋があったよなという辺りを探すと、港楽亭があった。熱いものを食す気分ではなかったので、冷やし中華を頼んだ。これが意外にいけておりました。麺はしこしこ。スープはすっきり。具は可も無く不可も無く。あまりに暑くて食欲が減退気味な状況では、喉越しもよく量もそこそこのこれが相応しかった。肝心の鮪チャーシューだが、言われなければ柔らかめのチャーシューとしか思わないくらい、違和感の無い出来だった。逆に言えば、わざわざ求めるほどのものでもないと思った。
 すぐに走り出す気にはなれず、うらりの2Fデッキで風を浴びながら、体力を回復させた。このデッキ、海風が吹き抜けるので、日陰に寝転がっているのは快適だ。室内に入るとエアコンも効いている。中学生くらいの男の子、女の子が何組か過ごしていた。お金の無い世代には美味しい環境なのだろう。ってことは僕にもそうなのだが。
 そこそこ体力が回復したので、水を補給してから帰路を走り出した。こちらは三浦半島東岸を北上することになり、南風を背負っていたので、非常に楽に走れる。ただ、風を浴びることが少なくなるので、ちと熱にやられかけたが。
 帰りに飯田牧場に寄ろうかとも考えたが、どこかに立ち寄るのも辛かったので、まっすぐ帰宅した。走行距離は121Km程度だったが、それにしても凄い疲労感だ。この走行距離自体、従来の経路*2とほぼ同じではないか。つまり、全然ショートカットになってない、いや当初の横浜ショートカットコースと較べると、かえって大回りになっていたわけだ。この点を確認できただけでもよしとするか……(しおしお)。
 それにしても、手首周りの疲労感、痛みはひどい。右手などしばらく物を掴むことすら辛い有様だった。ゲルは全然役に立たなかった。それどころか、かえって負荷を増したような観さえある。直接的な衝撃は吸収されているはずなのだが、なぜこういう奇妙な結果に終わったのだろう。要検討だ。

2004年07月15日(木曜日)

富士登山構想

10時59分 暮らし 天気:雲が多い?

 富士登山に関する情報交換が盛んになっている(どこでだ)。
 僕がぐーぐる先生にお尋ねした限りでは、体力よりは高度順応性。そしてスピードよりは適切なスケジュールを必要とするように思えた。
 登頂そのものは、体力のないご老人、子供でも可能(というか高確率で成功しているの)だから、まあ並の体力があれば問題ないだろう。最大の障害は高山病ではないだろうか。高山病は高度2500m以上で顕著になるらしくて、低山で訓練を、といってもこの点に関しては意味が無さそうだ。対策としては、ゆっくり登る。とりわけ登り始めは、という点に尽きそうだ。そうすると、時間的に日帰り登頂は難しいと思う。山小屋への一泊を考慮すべきだ。
 登山道としては須走口が面白そうだ。8合目で他の登山道と合流するまでは混雑は少なく、また比較的緑に富んだ環境のようだ。やや中級者向きという評価があるようだが、それは山小屋の少なさに起因しているようだ。背負ってゆくものは考えなければ。
 ほとんどの装備を自転車用のものから流用するつもりなのだが、足回りだけは誂えなければならなそうだ。カットが高めのトレッキングシューズに、砂除けのスパッツは必須だろう。後はCWXのパンツだとか、ウィンドブレーカだとか、自転車用でも十分通用しそうだ。
 いちおう、8月遂行という線が濃厚なのだが、登頂を諦めようとか、今年は低山のトレッキングで鍛えようとかいった声も出ている(だからどこでだ)。もしそうなら、僕単独でも行って来ようかと思っている。だめなら引き返せばいいだけだし。山小屋への宿泊を織り込めば、高山病対策も十分だろう。
 とりあえず、トレッキングシューズは欲しいな。土曜日に買出しに行こうと思う。

2004年07月14日(水曜日)

夏旅行を構想する(7/14版)

10時38分 天気:比較的雲が多い

 日程は8/11~13と決定。初日は新山口駅に集合。9:00~10:00といったところか。
 それから秋吉台に向かって走る。サイクリングロードがあるので、まあ2時間程度だろう。
 秋吉台で昼食。秋芳洞を見て、他にも寄れるところがあれば。
 15:00くらいに萩に向けて出発。まあ2時間程度だろう。みはる女史とはここでお別れだろうと思われる。
 宿は萩の家。この日は萩の家で夕食を取る。部屋は2部屋取った。
 翌朝、萩の家で朝食をとり、長門~仙崎に向けて自走で向かう。結構厳しいアップダウンがあるということだが、まあ大丈夫でしょう。荷物は萩の家に置いて行くし。
 仙崎は青海島周辺を走りたい。鯨墓とか見て。金子みすず関係は、まあざっと舐めるくらいで。
 昼食は仙崎界隈で取り、萩に戻る。時間が合えば輪行でもいい。夕方まで萩市内を観光しようと思う。そしてこの日の夕食は、萩市内で美味しそうな店で取る予定。
 この日の宿も萩の家で。
 最終日は津和野に向かうのだが、便数が物凄く少なくて、津和野着はどうしても昼前になる。こぐ氏に取っていただいた山口行きのSL(季節運行なのかな)だと、14:00過ぎに津和野を立つことになるので、津和野には下りて、食事するくらいが関の山かも。食事は津和野までの列車内で、駅弁で済ませるのが吉だろうと思っている。
 夕刻、新山口で解散。
 ちょっと後半が慌しかったので、本当は津和野でもう一泊するくらいが良かったのかもしれない。でもまあ、それほど大きな観光地でもないので、津和野はこれくらいでいいのかもしれない。
 さてと、僕の切符も手配しなければ。

2004年07月13日(火曜日)

牛鉄鍋膳

20時31分 暮らし 天気:暑いね

 帰宅はやや遅く、今から飯を作るのは面倒だなと思った。そういえば、近所の吉野家で、新メニューが始まったはず。というわけで、早速食ってみました。
 380円の新メニュー、牛鉄鍋膳は、並盛の飯と、その名の通り鉄鍋に入ったおかずのセットだった。おかずには卵が掛けられているのだが、綴じる(半熟状態)か生か選べる。おかずは、要するにミニすき焼きといった感じで、牛肉、青物(春菊かな)、豆腐、麩、うどん、長ネギなどが煮込まれている。
 380円としては、意外に満足感があるな。ただ凄い腹減り状態では、物足りなさを感じるかも。おかずもご飯も大盛のメニューもあればいいんだが。
 吉野家も、最近はだんだん客足が戻ってきたようで、一時に較べれば繁盛していた。メニューを増やしてきたおかげだろう。牛肉輸入が再開されても、メニューは減らさないで欲しいな。

2004年07月12日(月曜日)

そうめん

22時41分 暮らし 天気:はっきりしない

 ここ数週間のうちでは涼しい朝だった。睡眠時間は短めだったが、それなりにすっきりした目覚めではあった。
 帰りは少し遅くなったが、21:00前には帰宅できた。日中、雨が降る局面もあったが、帰路は雨を免れた。しかし、その後もはっきりしない天気が続く。
 今日の夕食は、食欲がなかったので素麺。適当な付けあわせを作って、つるつると啜った。素麺は冬場が美味いよな。水が冷たいから。でもシチュエーションとしては、やはり夏場がふさわしいか。
 前に6把500円超の高級素麺(俺基準)と、専ら食している6把300円のものと食べ較べてみたのだが、別に違いは分からなかった。もっと高価なものなら違いが分かるのだろうか。あるいは僕が違いのわからない男なだけなのだろうか。

2004年07月11日(日曜日)

激しいスコール、雹、そして風邪

14時08分 暮らし 天気:風、雨、雹、雷鳴、晴れ

 目覚めたのは9:00頃だった。この時間からなら、宮が瀬辺りに行って来れるだろう。あの辺りのアイス状況を調査して、あわよくばヤビツも越えてこようか。などという気分にはなれなった。頭が重い。うーん、まだ寝不足なのか。また寝てしまう。
 昼過ぎに起き、かなり腹減り状態で、飯を作る気にもなれず、じゃあTCR-2で飯を食いに出るかと考えていた。すると俄かに風が巻き起こり、大粒の雨がジャー、っと降り注いできた。なんだこれは。にわか雨というより、スコールだ。にわか雨としては、かつて見たことがないくらいの強風を伴っていた。しかも雹も降る。なんかガコンガコンいってるなと思ったら、アパート前の通路に1cm大の氷の粒がぶちまけられていく。こんな本格的な雹を見たのは久しぶりだった。台風並みの強風、豪雨、そして雹。もしも自転車で外出していたら、遭難は必定だったろう。
 この荒天も1時間ほどで収まり、後は嘘のように晴れ空が広がっていった。なんか、熱帯性とも言い切れない、不可思議な気象ナリヨ。
 まあ飯を食いに行くか。空腹のせいか、かなり体調が下がってるし。雨が残っていることを考慮して、HARDROCK号で出動。帰ったら分解整備するつもりだった。実は前夜、BikeEたんを遅くまで分解整備していたのだ。最後の大物はこいつだ。濡れた路面で汚しても、すぐに清掃するから問題ないだろう。
 湘南台で昼食をとる。なんか調子が上がらない。というか頭が痛い。ずっと痛い。空腹で体調が低下しているんだろうなと解釈して、飯田牧場を目指して下っていった。
 走る。20Km/hで。いくら不調とはいえ、風を背負いながらこれは遅すぎである。
 ダメダメな状態で南端で折り返し、近くの休憩所でしばし休息を取る。頭を抱えたまま横になっていた。回復しない。これはハンガーノックの強力版とかいったレベルではない。風邪か? 文字通りの風邪か。感冒ではないだろう。ウィルス性ではないように思えた。
 体調は回復しないが、本当に休息できるのは我が家の布団の上だけだ。ダメダメなまま、家へと走った。ちょっとした坂でさえ立ち漕ぎで上らなければならなかった。
 なんとか帰宅して、しかし重いHARDROCK号をラックに掛ける気力はなく、布団に倒れこむようにして横になった。
 うとうとしながら、体は熱っぽいが、汗はかかないなと思った。枕元においてあったポカリスウェットを飲み干してから横になると、急に汗がダラダラと流れ始めた。ははあ、渇水していたようだ。やばかったな。そんな風に6時間ほども布団の中で唸り、汗をかいていたところ、ようやく真夜中に回復した。はあ、軽く済んでよかったな。
 外に出てHARDROCK号をラックに戻しながら、外気が冷たくて気持ちいいなと思った。エアコンを切って、窓を開け放つと、心地よい風が入ってくる。今夜はエアコン要らずだな。

2004年07月10日(土曜日)

BikeEたんでお買い物

19時28分 暮らし 天気:にわか雨

 起床は9:00。いきなりであれだが、どうも脚の調子がよくない。むくんでいるというか、固くなっているというか。TCR-2で遠出したい気分ではない。なら、変わった自転車で出かけるか。というわけで、ふつうの自転車、BikeEたんで出動。南町田のモンベルショップに用があった。この間のキャンプツーリングで、今使っているサイドバッグ(オルトリーブのフロントライダー)より大容量のものが欲しいと感じた。以前、さる方から譲っていただいたものはあるのだが、どうせなら完全防水のものがいい。雨に降られたとき、いちいちカバーを取り出して、引っ掛けて、なんて考えるのは煩わしすぎる。それでも、安くて、完全じゃなくてもそれなりに防水してくれそうなものがあれば、それでもいいかと思った。
 BikeEたんで出たのは、サイドバッグを着けられるのがこれと、HARDROCK号しかないからだ。でもまあ、久しぶりにリカンベントの乗り味を楽しみたいというのもあった。
 腹が減っていたので、長後のCoCo壱番屋に向かって走り出した。
 僕にとってBikeEは、20Km/h前後でトロトロ走るのが気持ちいい自転車だ。以前は自転車としての走行性能の限界からそうなのだろうと思っていたのだが、BB周りからスプロケまで換えて、さらにタイヤも細くて高圧なものに換えた今でもそうなのだから、もともと自転車の性格としてそうなのだと思っている。もちろん30Km/hで飛ばすのがいいという方もいるでしょうけどね。僕にとってはこの速度域が一番快適なのだ。
 飯を食って、モンベルショップまで走ってゆく。空模様が気になる。平日はうんざりするくらいの晴れだったのに、ここに来て暗雲垂れ込める様相を呈してきた。気になるなあ。早く帰ろう。そう思いつつ、グランベリーモールの駐輪場に停めた。
 モンベルショップに入り、キャンプ用品コーナーを冷やかして、自転車用品コーナーでサイドバッグを見て回った。片側20lのオルトリーブ・バックローラーが18000円。うーん、あさひで扱っている中国製完全防水モデルなら、12000円だったよなあ。前から安売りされていたREIのバッグも最後の1セットだった。7000円強。定評あるモンベルの旧モデルも安売りされていたが、色が赤紫と最凶だったので買う気になれない。ならあさひでユニコのを買うか。
 店内を更にうろついていると、『明日、山と渓谷社の~さんが富士登山に関して講演します』云々というアナウンスがあった。明日、行けたら行こうかな。
 帰りしな、モンベルのフロントバッグサポーター*1を清算していたら、店員に『雨が降ってるんで気をつけてくださいね』といわれた。えっ、と絶句しながら外に目をやると、確かに雨が降り注いでいる。なんてこった。
 ショップの店先で合羽を羽織り、BikeEたんまで戻る。シートはびしょびしょだなあ。労わらねば。それにしても、雨脚が強い。覚悟を決めて走り出した。
 BikeEたんにはSPD-SLなペダルを着けていることもあり、雨中であっても足回りに不安を感じることはない。リカンベントの弱点とされる裾下からの吹き込みも、合羽のバンジーコードを絞れば低減できた。問題は顔面への雨粒の直撃。これはどうにもならない。アップライトな自転車のように、顔をうつむけて凌ぐことが出来ない。
 雨脚は家が近づくほど弱まり、帰宅する頃には完全に上がっていた。なんか、雨に降られに出かけたような一日だった。

2004年07月09日(金曜日)

バーテープ(with gel)交換

23時12分 自転車 天気:相変わらずな好天

 今日もLinux教育な一日。しかし定時後に職場に戻ってからも仕事は続く。商売繁盛である。
 帰宅してから、TCR-2の最終調整した。ブレーキ系統の調節のため、レバーをにぎにぎと開閉してみた。するとキツキツだと思っていた補助ブレーキレバー~STI間のアウター配線が、実は少し足りないくらいだと判明した。少し腐りながら、アウターケーブルを切りなおした。
 ブレーキを調整する。フロントはSTIを引いた場合でも、補助ブレーキレバーを引いた場合でも、かっちりした操作感だ。しかしリアは、STIは問題ないが、補助ブレーキを引いた後、元に戻らなくなる。単純に、ブレーキ系統全体のフリクションに、ブレーキアーチのターンスプリングが負けている状態では無さそうだ。もしそうならSTIの場合でも同じことが起きるはずだ。補助ブレーキレバー~トップチューブ前方のアウター受けの間に張ったアウターケーブルが、補助ブレーキを引かれて変形した(補助ブレーキレバーはアウターだけをリア側に押す動作をする)後での、アウターケーブルの反発力が足りないせいではないだろうか。その原因として、やや窮屈な取り回しを強いられているが故の、馴染みの足りなさがあるのかもしれない。なら馴染むまで待つか。HARDROCK号のリア側も、やはりアウターケーブルが馴染むまで、しばらくブレーキレバーの戻り不足が発生していた。まあSTI側を使う限りは問題ないし、ブレーキアーチのクリアランスは十分なだけ戻るので、実用には問題ないのだけど。
 さらにバーテープを巻く。スペシャライズドから出ているゲル入りパック付きの物からそのゲルパックだけ使い、バーテープは別のメーカーのコルク製のものを巻いた。このパックが破れたという記事をどこかで見たので、ビニールテープで数個に分断する形で巻き、一箇所にゲルが集中するのを防いでみた。握るとコルクバーテープの下で「ふに」とへこむのが分かる。効果あるかな。

2004年07月08日(木曜日)

TCR-2のケーブル仮配線

23時56分 暮らし 天気:助けてくれと言いたくなるような晴天

 今日は新川崎で教育の一日。Linuxの教育だった。そろそろ、ファイルサーバを更新しないと。
 帰宅して、TCR-2のケーブル類を、一気に配線した。補助ブレーキレバーとSTIとの間の配線にいつも悩むが、キツキツになるくらいにするのがコツだと睨み、今回はアウターをぎりぎり一杯の長さに押し込んだ。補助ブレーキは、ハンドルのショルダーを握ったままでも使えるように、水平近くまで起こした。とはいえ、横から見ると45度くらいの角度だが。
 TCR-2が済んだら、MR-4Fもやらないと。こっちはSTIレバーを、もう少し前側に倒してやろうと思う。
 それにしても暑いな。まだ梅雨明け宣言が出てないとは信じられない気分だ。

2004年07月07日(水曜日)

お好みハウスで怪しい企画会議が猛烈に進行したのだった

23時48分 暮らし 天気:気も狂わんばかりの快晴

 こぐ氏と『お好みハウスで会議はどないだ』などと話していた。すると夕刻になって参加者が増え、結局にち氏、hai氏、そしてマモル氏の参加もあり、5名へと増大した。物凄く暑い日だったが、最後は冷たいビールで締められて幸せだ(^O^)
 今日の企画会議での決定事項。
・長州ツアーは一日ずらすことに決定。
・富士登山講開催(何人出ることになるんだ)。
・アイスツアーをやらねば。
・キャンプツーリング2をやろう(でも他の行事との兼ね合いで秋か)。
 これだけ決まったのにはびっくりだ。富士登山は前からやりたいと思っていたので、いい機会だ。問題は、歩くのが不得意になりつつある僕が、どこまで耐えられるかだが。

2004年07月06日(火曜日)

今日はEPIC号だ

19時42分 暮らし 天気:もう、梅雨明け?

 全然疲れが取れない。まあ今日も休むつもりなので、いいのだが。
 昼頃、ようやく起き上がる気になってきたので、EPIC号で、またしても境川へと出かけた。
 一度、サイクリングロード南端まで走る。そこから、主要施設と橋、交差点を写真に撮りながら、北上していった。境川に関するコンテンツを作ろうと思っているのだ。
 今日も飯田牧場に立ち寄り、アイスを食した。夏場にコーンは素人だぜ。玄人な俺様は、もちろんカップさ。どっちにしても溶ける早さには閉口するが。
 早くTCR-2の整備しないとな、などと思いつつ、帰宅した。

2004年07月05日(月曜日)

久しぶりにMobillyたんで逝きます

22時10分 暮らし 天気:いいのだよ

 昨日の重量級自転車自走帰還ツーリングに疲れ果てたので、今日はお休み。また週中から忙しくなるが。
 昼過ぎまで爆睡して、少し疲労回復の散歩に出ることにした。ふと気が向いて、久しぶりにMobillyたんを引っ張り出した。思えば、コイツも不幸な自転車よ。
 境川では、物凄い向かい風に苦しめられつつ、南下していった。いくら14インチのMobillyたんといえ、13Km/hの世界はあんまりだ。しかし、3段しかないMobillyでは、踏みの重さがえらい飛び飛びになるんでの。
 飯田牧場に立ち寄って、ソフトクリーム(ミックス)を久しぶりに食す。食す傍から溶けてゆくのには参った。夏はアイス向きの季節ではない。
 帰宅して、Mobillyたんを部屋に入れると、体の疲労が余計ひどくなった気がした。こんな強風の日は、それなりの自転車で出かければよかった。とほ。
 夜、TCR-2のリア側シフト系を交換した。フレキシブルなバナナを抜いて、代わりにシマノの9S用SISインジケータを入れた。ケーブルはアウターもインナーも替えた。危うくブレーキアウターをつけるところだった。一目じゃ分からないもんな(太さが違うのだが)。

2004年07月04日(日曜日)

キャンプツーリング2日目

22時51分 自転車 天気:かなり晴れた

 朝早く、あゆ嬢の人恋しげな鳴き声で目覚める。もう明るくなってはいるようだが、まだ眠いので、しばしそのまま寝転がっていた。やがて他のテントから話し声が聞こえ始め、そろそろ頃合いだなと思ったので、やおらテントを出た。6:00過ぎだったろうか。既にこぐ氏は起きていて、あゆ嬢に朝一の(ただし一日一食だげな)餌を与えていた。朝の挨拶を交わしながら、各々起きあがってくる。空には雲が多いのだが、その雲を通して熱線が降り注いでくる感じだった。今日も暑い一日になりそうだ。
 タープの下に避難していた自転車類を除け、空いたスペースで朝食を作り始めた。昨日の残り物と、フレンチトーストだった。フレンチトーストは焼き加減も絶妙だった。自走帰還するつもりだったので、出来るだけ腹に詰め込んでおいた。
 テント類を片づけ、撤収準備を進める。
 天気は良くなりそうだ。雨の中を走るのは鬱なので、助かる。僕以外の自転車隊は、沼津方面に下って輪行するつもりらしい。今日は単独行だ。
 全ての荷物を片づけ、11:00頃に出立した。今回は自転車隊だけではなくて車隊がいたから大いに助かった。またやりたいね。
 さて、キャンプ場の入り口で、にち氏らと別れを告げ、来た道を戻っていった。R246を走って、山北に抜けるつもりだった。
 R246に出て、山北方面に走っていった。市街地を抜けると、トンネルを潜る本格的山岳戦の様相を呈してきた。下る一方なので楽なものだが、逆に上るのはつらいだろうな。交通量はそれほどでもなかったが、それでもトンネルを抜けるのは怖かった。歩道はないし、路面は荒れているしで、サス付きのHARDROCK号でなければもっと苦労しただろう。
 ここまで順調に来れたのは、GPSを参照しながら走れたおかげだった。あれ、マウントにつかないんじゃなかったっけ。そうなのだが、ガムテープでフロントバッグ台座に着けておいたのだ。無理矢理っぽいが、帰宅するまで問題はなかった。
 山北からはほとんど走った事のある道だったので、迷う恐れはほとんどなかった。しかし持病のシート下がり病が悪化してきた。シートピンをきつく締めようにも、供回りしてしまう始末。なんとか出来るだけ締めて、走った。
 R1に合流し、大磯からはR134を走った。この辺、車がかなり飛ばすので、歩道をたらたら走っていった。元MTBなHARDROCK号には、こういう道行きの方が向いているかも知れない。しかし、この自転車、リアの変速がいまいち決まらない。なんと、スプロケのロックリングが緩んでいやがる。いやがるって、単に僕の整備不良なのだが。帰ったら全整備しようと思いつつ、境川を遡っていった。
 18:00頃、まだ日のあるうちに帰宅。

2004年07月03日(土曜日)

富士裾野キャンプツーリング初日

08時46分 自転車 天気:山の天気は変わりやすい

 割とゆっくり目に起床。昨晩のうちに出しておいたHARDROCK号(なんちゃってキャンピー化中)に荷物を積み込んだ。リアキャリアに左右のサイドバッグを着け、その上に跨るようにしてテントこと天幕、シェラフ(世間一般ではシュラフと表記するらしいぞ)こと寝袋、自己吸気式敷物をまとめて入れた3Wayバッグいや三様式袋(いやなにも擬似漢語化に拘らなくても)を固定する。輪行が不安だが、この状態でも走るのに苦労は無い。しかしバランスが悪いな。フロントにもキャリアをつけて、そちらにサイドバッグをつけたい。
 戸塚まで走り、駅前で輪行準備する。ここで早くも問題点発覚。持っていったL-100輪行袋には、自転車はサドルとリアエンドで立った状態で入れるのだが、キャリアがついた状態では立てられないのだ。むしろ、完全にキャリアで立てなければならない。縦長の状態で収めることが出来たが、30分近くも掛かってしまい、予定していた便を逃がしてしまった。到着が遅れそう。
 この状態で自転車+サイドバッグ*2+3Wayバッグ(重)を持ち運ぶのだ。苦しかった。自転車が縦長になっているので、階段で下に当たってしまうのだ。帰りは、なにが何でも自走で帰ろうと決意した。
 次に来た東海道線に乗っていると、なぜか大船でマモル氏が乗り込んできた。ここまで走ってきたのか。
 やがて国府津に着いたが、御殿場線は便数がごく少なく、次はほぼ1時間後だ。それまでのべーっと待つのもなんなので、駅弁を腹に収めておいた。
 やってきた便に乗り込む。国府津始発なので座れたが、発車時間間近には結構な乗車率になっていた。
 御殿場に着き、駅前で自転車を組み立て、荷物を載せる。ここで問題点その2発覚。GPSの裏蓋をハンドルバーマウントのものに変えてなかったので、せっかく着けてあるハンドルバーマウントに載せられない。帰路は自走するつもりだったので、これはちょっと困って。
 集合場所のダイエーは、そこからすぐだった。誰かが自転車を見てなければならないだろうと思い、外でボーっと待っていた。やがてにち氏らが出てくる。きさ家組は逆側に駐車場がある関係で、もう出発したとか。こぐ家組は現地に直接向かっているようだ。
 にち氏、hai氏、マモル氏、僕の自転車隊は、緩いアップダウンのある道を走り、ながおねキャンプ場へと向かった。
 市街地を出ると、そこは広大な草原を望める、富士山麓の風景が広がっていた。自衛隊の演習地をかすめる時、高機動車を目撃した。演習シーズンたけなわの時には、もっといろんな車両を拝めるのだろう。
 やがて、演習地を突っ切ったところで東に曲がり、さらに大きなアップダウンのある道を走っていった。ほとんど下りで、とても爽快な道行だ。あんまり気持ちいいので、調子に乗って突っ走っていたところ、hai氏に後ろから呼び止められてしまった。そういえば、後ろが着いてきてない気がしてたんだ。それと、目的のキャンプ場の近くに出来たという温泉施設の標識も目撃していたのだ。そこからすぐだろうと思いつつ降っていたのだが、物凄く行き過ぎてしまったようだ。そこからキャンプ場の本当の入り口に戻るまでは、ずいぶんしんどい思いをしなければならなかった。
 ながおねキャンプ場は、芝生が綺麗に張られた、良く整備されたキャンプ場だった。客は3組だけで、我々は奥の方に陣取った。既にきさ家、こぐ家が車を並べ、タープも張られていた。きさ女史曰く、『目の前の道*1を凄い勢いで走っていったのが見えた』とのこと。後で登り返したことを考えると、要するに借金生活をしただけだったのだが。
 さっそく、我輩のテントを披露しようぞ。モノはシエラ・デザインのクリップフラッシュライトCD。あゆこ女史らの評に拠れば『あざらし型』だげな。そう思えば愛嬌が無くも無い形ではある。ペグ打ち必須のタイプなので苦戦を予想したが、意外にあっという間に設置完了した。中は想像したぐらいの広さだった。持っていった荷物を全て(除自転車)置いても、まだゆっくり眠れるスペースがあった。フライは要らないかなと思っていたのだが、夜露が出るよとの事なので、張っておいた。上に寝袋を広げ、乾かしておいた。
 各自の寝所を確保した後は、食の確保である。車隊に運搬していただいた食材を元に、きさ総監督の指示の下、各自製作作業に乗り出した。僕も洗い物、切り物を分担した。水場は良く整備されていて、地下水をくみ上げて供しているとかで、大層美味い水であった。
 食事の準備が進む間、手が空いたところで本日のゲストをもてなす。っつうか構う。ゲストというのは、こぐ家の愛犬あゆ嬢*2のこと。いつもと異質な環境、異様な風体の輩どもに取り囲まれたせいか、かなりナーバスになっていたようだ。しかし、まったく吠えない、大人しい令嬢であった。癒し系だな。何度も接しているうちに落ち着いたのか、機嫌が良いときは手を舐めてくれるようになった。僕は猫より犬が好きな人間だが、犬には好かれないが猫には好かれる謎な人間でもある。
 やがて夕食メニューが出来上がる。カレー2種(キーマ、洋風カリー)、ご飯とナン、バーベキュー各種、サラダ、御殿場高原ビール(明るいのに、もうですか)、デザートに手作り杏仁豆腐、スイカ、そしてこぐ氏専用特殊食材の数々、など。とてもキャンプとは思えないほど豪華な夕食だった。きさ家がいれば食に関して心配無用だ(笑)。いやほんと、今回車隊のおかげでかなり楽が出来ました。ありがとうございました。
 食後は、近くの温泉施設に入浴。ますますキャンプとは思えない状態だ。単に宿がキャンプになるというだけの話か。
 各々入浴してきた後は、ランタンの明かりの下、酒を飲みながら語り明かす。キャンプらしいいい雰囲気だ。他に客が少なくて、なおかつ離れていたのも幸いした。
 いい頃合になったので、寝ることにした。その頃には空気が冷えてきたので、それぞれに上着を羽織っていた。僕もウィンドブレーカーを着ていた。それと湿気が増えてきた。水滴がパラパラと降って来た。雲も多いし、もしかして雨になるのかな? 自転車類などをタープの下に移動しておいた。その真ん中に取り残されたあゆ嬢は、不安そうな目つきだった。頑張れ、明けない夜はない(意味不明)。
 テントにもぐりこみ、寝袋に入る。やっぱ、暑い気がしたので、ジッパーは閉じないで置いた。このシェラフ、さかいやの安売りのときに買ったさかいや3シーズン用のものなのだが、かなり重くてかさばる。3シーズン用なので仕方ないが。
 などと考える間も無く、寝つきの悪い僕にしてはあっという間に眠りに落ちていった。

2004年07月02日(金曜日)

今年も後半分

09時09分 暮らし 天気:さすがに暑くなってきた

 ふと気づいたら、今年も既に折り返しか。前半は2月とか短めの月があるので、だいたい今ぐらいが折り返しだろう。
 今年はなぜか、いろいろやったな感が強い。達成感というわけではなくて、いろいろ試みたなという感覚だ。試行錯誤の年だったのか。しかし、試行錯誤にも動機と体力が必要なので、精神的に充実していたのかもしれないな。って、まだ統括には早いぜ。
 後半、永年勤続褒賞の休暇をいつ行使するかと考えている。秋に沖縄か、あるいは秋口に自走で日本海まで走るか。

キャンプツーリング考察2

09時04分 自転車 天気:快晴過ぎ(でも涼しい)

 まああれだ、近所(というにはちと遠いが)にスーパーの類もあることだし、最悪は金で解決と(爆)。いやほんと、今回はなにがなんでも荷物を減らさねば、という気になってるのだ。サイドバッグは出来れば一つに減らしたい。着替えがかさばりそうだが無いと困るので、クッカーの類は持っていかないとか、武器は使い捨ての割り箸やスプーンで代行とか、考えている。そうしないと、輪行が不可能になる。出来なくは無いが、輪行自体が目的という、極端に本末転倒な事態に陥りそうだ。
 本格的な、一式持って行くような機会は、また別に作ろう。近所の野島公園だとか、泉の森でだってキャンプできるんだし。
 夏場、道志辺りのキャンプ場に、一人で行ってこようかなとか考えている。

2004年07月01日(木曜日)

朝トレと夏と

10時51分 暮らし 天気:快晴

 夜トレが楽しくない季節(真冬もそうだな)なので、今朝は朝トレすることにした。TCR-2はバーテープを剥いでケーブル類を外したところで放ってあるので、MR-4Fで出撃した。
 走り出したのは7:30になろうかという頃だったが、まだまだ人通りは少ない。サイクリングロードに出ても、ウォーキング族の方々(の主力部隊*1)は去り、通勤族はまだという時間帯だ。するする走ってゆけた。ものすげえ足が回るなあ、と思ったら追い風だった。北風が吹いていたのか。35Km/hくらいで走っていった。途中で40Km/h以上は出しているMTBな人に抜かされたが、サイクリングロードでそれは出しすぎじゃないだろうか。ここは荒川じゃないんだ、かといって多摩川でもない。
 ボトルを持って行ってなかったので、サイクリングロード南端の折り返しで、ご褒美にコーヒー牛乳*2を飲む飲む飲む。
 この時間帯、同じように自転車で運動に励む方が多い。本気っぽいロードレーサーに乗った方は見なかったが、なぜかオンセのサイクリングジャージを着たコリブリの女性が突っ走っていった。ロードレーサーとMTBの混成部隊も見た。虫はいないし、クモの巣も一掃されている。しかしまだ死ぬほどには暑くないこの時間は、自転車で走るには気持ちい時間だ。難を言えば、既に猛暑の兆しが見えていることか。やっぱり4:00台からの出走が一番いいんだろうが。
 帰宅して風呂に入り、朝食を作りながら出勤の準備をしていると、前の中学校が姦しい。ふと思い出して、学校のプールの方を見ると、やはり水泳の授業が始まっていた。女子中学生がスクール水着で走り回っている*3
 考えてみると、このプールという奴は、真夏の7~9月までしか使われないし、この学校の場合は9月の初旬までしか使われてないみたいだ。かなり無駄っぽい設備だ。
 僕が小学校低学年の頃は、通っていた学校にプールは無く、近くの市民プールまで通っていたように記憶している。出来て以降は便利にはなったのだが、かといってカリキュラムが画期的に変わったというほどでもない。便利になった、という程度だった。でも、プールって建設費も、維持費も凄くかかるんだよな。それを方々、全ての学校に設けるのは、考え物ではないだろうか。教育に金を掛けるのは賛成だが(少なくとも軍事費よりは)、かといって無駄なことが多すぎるようにも思う。池田小学校での校舎建て替えも、当事者には言い分があるのだろうが、なにもそこまでというのが正直な気持ちだ。って、なんでプール開きからこんな話になった。
 しかし、今年は一度くらいは泳ぎに行きたいな。海じゃなくて、川の方へ。