Strange Days

2004年08月24日(火曜日)

富士登山(未遂)の総括

19時41分 山歩き 天気:案外に崩れず

 40点*1。登頂できなかったので、気分的には0点だが、いろんな装備を試せたし、現地の状況も分かったので、この点数。
 次はさっさと寝るんじゃなくて、外で星でも見ながら過ごして、適当な時間に寝たいね。次に行くなら単独行だろう。

 装備品編。
 Karrimor KIMM 35lモデル。山岳用超軽量ザック。80点。軽さには100点満点をあげたいところだが、背当てがすぐに汗で濡れるのと、本当のザックなので自立的に形状を保つことが出来ないので、減点20点だ。もっとも、ドライ素材を使っているので乾くのは早いし、バンジーコードを締め上げればある程度形状をまとめることも出来るので、この程度の減点で済んだ。

 Leki Air Ergo Anti PA(Ultralightモデル)。山岳用ストック。65点。これはこのストックとしての評価というより、ストックというものに対する評価を含んでいる。上りではストックは余計なものに感じることが多かった。荷物がさほど無かったし、両手がふさがっていることで不便を感じることが多かったし。しかし下りとなると、ほぼ必須という評価だ。砂走りではともかく、ごつごつした山道や、落差の大きい森の中の道を行くときには、大きな助けになった。もっとも、体調が良ければ、もう少し評価が変わったかも。ということでこの点数。

 PrincetonTech Matrix2。1WのLEDを使用した軽量ヘッドライト。80点。夜道では頼りになる明るさ。PetzlのZipkaを使っている人が多いし、実用的には十分なんだろうが、真っ暗な夜道では、Matrix2の明るさが頼もしく感じるはず。ただ光線が収束しすぎる(一応、集光調整は可能なのだが、あまり調整幅が無い)のと、どうも6時間程度しかもたない点で、20点減点。夜通し歩くのなら、ユーコンHLモデルの方が向いている。僕は自転車でも使うつもりなので、軽いコイツにした。

 富士登山でそれほど汗をかかなかったので気づいたのだが、真夏に低山を徘徊するもんじゃないね。真夏の奥多摩での悲惨な体験が忘れられないのだが、発汗を抑えられる秋の山歩きならばいいのではないかと思える。秋も自転車な企画が山盛りだが、その間を縫って南アルプスくらいまで遠征して、初心者コースを歩いてみたいもんだ。

2004年08月22日(日曜日)

遠すぎた山、富士山(2日目)

15時52分 山歩き 天気:下界ではよし

 眠れないのだ。空気はねっとりと重く、客の出入りが多くて始終ざわついている。我々に割り当てられた寝床は、一番奥から5人分だった。僕は一番外側を選んだ。しかし布団が二人に一枚ということは、赤の他人と布団を分け合う形になる。その隣人は、ほどなくやってきたのだが、寝床が気に入らないのか、しょっちゅう姿勢を変えて、その度に僕とコンフリクトしてしまう。それが気になる。それ以上に、布団を被ると異常に暑く、また被らないと寒いという状況に、どうにも気持ち悪くなってきた。布団に入ったままうとうとしていたら、物凄く気持ち悪くなって目が一気に覚めた。全身から汗が噴出していて、それこそ体中が濡れた様になっている。我慢して横になっていると、不快感が募ってきて、ほとんど発狂寸前の有様だ。これはダメだ。アウシュビッツという言葉が頭の中を飛び交っている。外の空気を吸いに、トイレを使いに行く。既に0:00頃だったが、登山者が群れているのには驚いた。その時は、意外に寒くは無いなと思った。
 布団に戻っても、また寝苦しさに苦しめられ続ける。それでも寝てしまえばいいのだろうが(代謝レベルが下がるので)、頭の芯にずっと頭痛が残っていて、それが安眠を妨げてしまう。深呼吸を繰り返し、様子を見ていたのだが、発熱があり、夏風邪だろうと思えた。注意深く思い返してみると、昨夜からこの状態は続いており、夏風邪にかかっているように思えた。こんな状態で、高山病に耐えられるはずもない。高山病にも、既にやられていたのかもしれない。
 ともあれ、もう限界だ。朝まで寝床に横になっているつもりで過ごそう。そして富士登山はきっぱり諦めて、下山しよう。こんな状況で登っても、行きでも帰りでもパーティの足を引っ張るばかりだし、最悪降りるに降りれなくなるかもしれない。それが怖い。
 結局、そんな状況で朝を迎えた。4:00を過ぎる頃、隣に寝ていたマモル氏が起き出してきて、いやあ眠れなかったね、などと話す。
 そろそろご来光を、という運びになり、各々が身支度をして、大陽館の前に出た。寒い。長袖Tシャツ、モンベルの長袖ウィンドブレーカー、さらに雨具の上を重ね着したのだが、それでも寒さが染みて来る。寒さにガタガタ震えながら、だんだん明けてゆく空を見上げ、日の出を待った。やがて美しい日の出を迎えたのだが、正直なところ、さっさと昇りやがれという気分だった。
 日の出を待つ間、あまりの寒さゆえか頭痛を感じなかった。また意外に朝食が入ったので、あるいは登山可能かとも思えたが、まだ熱があるし、こんな状態で登山してもアップアップで、とても楽しむ余裕は無いと思えた。ごめん、下山しますと告げる。残念だが、また機会を作ればいい。
 あゆこ女史が宿に尋ねてくれたところ、次の客が来るまでは寝ていていいということだったので、それまであり難く眠らせていただくことにする。宿を出てゆく4人に手を振ると、また布団に横になった。今度こそは眠れそうだ。
 そうして1.5hくらい寝て、8:00過ぎに目覚めた。ええっと、さらに熱が出てますよ?(爆) やっぱり無理しなくて良かった。これ以上無理すると、歩くことさえおぼつかなくなる。さっさと下山してしまおう。
 大陽館に別れを告げ、下山道へと出た。ここからしばらく、5合目の砂払いまでは、砂走りという直滑降ルートになる。この下りがはかどる。いちおう、両手にストックを持って、バランスを取りながら降りたのだが、使わないでバランスを取りながら降りた方が、ずっと速い様だ。しかし僕の体力が、とっさのバランスを取れるほどには残ってなかったので、ストックを使いつつ、着実に降りていった。しかし、一歩当たりに消費される位置エネルギーは大きく、当然膝への負荷は高い。膝が壊れそうなので、ストックは当てになった。下る途中、下の方からガスが登ってくるようになり、頂上の方の状況が気になった。
 意外に早く、砂払いに到着した。茶屋があるのだが、少し休んだだけでさらに歩き出した。ここからは、緑の中を掘割のような道を進んでゆく。大きな段差を降りることもあり、ストックは大活躍だ。
 やがて、5合目の古御岳神社に出た。後は舗装路を歩き、5合目駐車場に出るだけだった。
 食事をする気分ではなかったので、少し待ってバスに乗り込んだ。神奈川支部の掲示板に書いている間に、あゆこ女史から着信があった。頭がボーっとしていたので、なんの気なしにこぐ氏に掛けたところ、無事登頂できたとの事だった。やったね。しかし我輩の負け感は倍増した観がある。
 バスは発車したが、道は昨日以上の渋滞振りで、路駐の続く駐車場近辺を抜けるのに、かなりの時間を要した。
 御殿場駅に着き、食欲は無いが、かといってなにも食べないと倒れそうなので、クロワッサンとコーヒー牛乳*1を補給しておいた。頭痛は軽減されていたが、相変わらず熱がある。
 御殿場線の電車が来るまで40分くらい待ち、やがて来た列車の中で少し寝ると、多少体調が回復してきた。さらに乗り継いだ東海道線でも眠れたのだが、おかげでかなり体は軽くなった。しかし夏風邪らしい発熱と軽い頭痛は続く。その上、喉がいがらっぽくなってきた。
 こうして、なんとかかんとか帰宅出来た。なんか負け犬っぽくて悔しいな。しかしあんまり山歩きが楽しくなかったのが気になった。こういうことはある程度楽に出来ないと、楽しめない性質なのだ。自転車でも、本当に楽しめるようになったのは、遠出するのが苦にならなくなってからだった。
 このままでは負け負け感に当面苦しめられそうなので、9月くらいにまた、今度は7合目のご来光をじっくり写す為に、登ることを考えている。頂上へのアタックは、また来年のシーズンに。

2004年08月21日(土曜日)

遠すぎた山、富士(1日目)

19時47分 山歩き 天気:晴れているのは間違いない

 朝、7:30に起床。いよいよ富士登山の日だ。朝食を取りながら、荷物の確認をする。懸案のストックは、ミキ氏に助言をいただき、分解することで収まりよくなった。水はハイドレーションパックに収めた。
 さて、御殿場に10:30ということなので、JRを乗り継いで向かうことにする。乗り換え案内たんはなぜか小田急乗り継ぎ&(新)松田乗換えコースを勧めるのだが、到着時間が激早(9:40頃)という点を除いて、遅いし高いのだが。謎だな。
 途中、平塚で快速アクティ*1に乗り換え、国府津に、国府津でにち氏、マモル氏と遭遇し、御殿場線で御殿場入りした。
 現地でこぐ氏、あゆこ女史の夫妻と合流。教えたいただき、御殿場から須走口までのバス往復切符を購入(\2500円)。
 しばらく待って、やってきたバスでいよいよ須走口へと向かった。しばらくは目の前に富士の姿が見える、おいしいロケーションだ。やがて市街地を抜け、富士あざみラインのすげえ傾斜の道に入る。トルクだけはバリバリにある観光バスなので、危なげなく這い登ってゆくのだが、速度は終始20Km/h前後だった。驚いたことに、こんな道にも挑んでゆくローディーたちが散見されたことだ。そういえば、近々富士ヒルクライムが開催されるから、その練習だろうかと思った。帰宅してから調べてみたら、この富士あざみラインでもヒルクライムレースが開かれるんだとか。このルートは、スバルラインのように比較的緩やかな上りではなくて、細かく傾斜が変わりつつ、平均で12%、最大で20%超もの道が続く、坂馬鹿大喜びの超級の登りだ。日本のエル・アングリルの名は、ここにこそ相応しい。いや、自力で登りたくは無いけれど。
 バスは、路上駐車している車の横を通り過ぎて(上り線のみ、路駐規制されているそうな)、ゆっくりと須走口5合目駐車場に到着した。ここには食事も出来る土産物屋があり、腹ごしらえに山菜うどん700円なりを食った。肝心の山菜がわずかしか入ってないやんけ。
 ここで、5合目の看板を前に記念撮影した*2。僕は頭がボーっとし始めていて、あれ、もう高山病か、といぶかしく感じていた。後から思うに、これは夏風邪の予兆だったんだろう。
 さて、身支度して、さっさと上り始めた。すぐに古御岳神社に到着し、手を合わせる。しかし賽銭箱が見当たらなかったので、賽銭は出さなかった。そんな舐めた俺様を、祭神の大山祗神は見逃さなかった*3
 ここからしばらくは、緑の中を九十九折れの道が続いている。緑の中を歩いてゆく。富士山の森林限界は2400m程度らしいが、そんなにすっきり森が消えてしまうわけでなく、樹木が潅木になり、また樹木になり、潅木が草になり、また潅木になりを繰り返し、やがて気が付くと木々は消えうせていた、という感じだった。一方、背後を振り返ると、いつの間にか御殿場の市街地が小さく見え始めている。小さな芋虫が群れているような地形は、ゴルフ場だろう。広大な草地は自衛隊の演習地だろうか。高度を上げるに連れ、御殿場の向こうに見える山の上に、小さな池のようなものも見え始めた。あれが芦ノ湖か? 去年の夏、死ぬ思いをしてあそこまで登ったことを思い出した。一方、左手に見える湖は、山中湖だろう。大きさは芦ノ湖と大差無いのだが、位置的に大きく上から見下ろす形になり、大きさが強調されているようだ。
 そんな感じで、周囲の光景に目をやりながら上って行く。しかし、自分の体調に警報が発せられつつあった。やはり体がどうにも重いのだ。他のメンバーに全然追いついていけない。例によってこぐ氏が暗黙のうちに殿を引き受けてくれているのが心強い。だが気勢は上がらない。
 やがて6合目に到着した。たくさんの登山客が休憩を取っている。体の芯に重さを感じつつも、これなら上りきれそうだと見込みも立ち始めていた。ただ、自分でも意外なくらい水を消費してないのが気になった。こういうときは、よっぽど快調で汗をかいてないか、逆に体力を失いすぎて水を飲むことにすら気が回らないか、どちらかの場合が多い。後者の可能性が圧倒的に高いので、その後は気をつけて水を消費しつつ登って行く事にした。
 やがて森林限界を完全に越えると、道は高山らしい曲がりくねったものへと変わってくる。周囲の見通しもよくなって、目を上げると、ずっと上を進んでゆく人々の姿も見える。今回、須走口というマイナーな登山道を選んだこともあり、そんなにしょっちゅう他の人とすれ違うということも無かった。
 時間を気にしつつ、しかし僕の体力も気にしなければならずで、苛々しはじめた頃、また休憩ポイントらしき場所に出た。今日の宿泊地、大陽館はまだ上だろうと思い、旅姿を解かずに休憩していたら、実はここがそうだったことが判明した。拍子抜けした思いだったが、同時にホッとしつつ、今夜の宿に入った。
 荷物を今日の寝床に置く。その寝床というのが、布団は一人用を二人で半分づつ、ベッドの幅は辛うじて大人一人分、という有様で、確かに評判通りの物だと感じた。ただ、荷物を置く棚が、頭の方に別途設けられていたのは助かった。今日は客の入りもピークで、廊下にすら布団が敷かれていた。他の、もっと人気のある登山道では、布団一つに大人三人が詰め込まれる場合すらあるようだ。
 ともあれ、まずは食事だ。時間的に18:00を過ぎたばかりだったが、ここまでの上りをこなしてきた来た反動で、食欲は旺盛だった。
 メニューはハンバーグ、キャベツ(微量)、多少の付け合せ、そしてご飯と豚汁だった。ご飯も豚汁もお代わり自由で、僕は豚汁を3杯もお代わりしてしまった。レトルトに毛が生えたようなカレーライス一杯きり、という富士の山小屋の常識からすれば、遥かに内容的に充実している。
 疲労していたのと、明日は払暁とともに出発する見込みもあったので、早々と床に入った。しかし、これは悪夢への入り口だったのだ。