Strange Days

2004年11月30日(火曜日)

NX80Vの使い心地

22時11分 デジタルギミック 天気:雲多い?

 さて、お出でいただいたNX80V様の使い勝手だが。
 まず処理速度が速いので、データの処理にもたつくことは少ないみたいだ。例えば音楽再生中に別のアプリに切り替えても、T650のようにもたつく感じは無い。全般的に、機敏に動作してくれる。
 CFスロットも今のところ認識させたいカードは全て認識してくれたし*1、CF内のテキストデータを直接処理したり、CFに画像データを記録したりもできたので、これも満足だ。また内蔵メモリの容量が増えたので、今まで容量不足で入れられなかったアプリも使うことが出来そうだ。
 ただ、サイズがT650よりもでかいのが難だな。折り畳んだ状態でも二周りくらい大きいし、使用時にはそれを開くことになるのでなおさらだ。しかし携行時にはベルトを通したソフトケースに入れておくので、サイズの差を気にしなくて済む。
 カメラ機能は、思ったよりも使えるという感じ。130万画素あると、これは確かに写真という程度の解像度を得られる。とはいえ、レンズ口径が小さくてF値が大きくなるのと、PDAとしての形が、カメラとして構えるには無理がありすぎるので、どうしても手ブレが出やすくなる。その為にフォーカスライトがビルトインされているんだろう。
 でも昼に屋外でメモ撮りというシチュエーションになら、十分に使える。また取得した画像をメールに添付して送るといった、他のアプリとの連携も簡単そう。
 あまり期待しないで、T650程度の仕事が出来ればいいと思って買ったのだけれど、予想以上に使い出がありそうなので、色気が出てきてしまった。T650でも使っていたDocument To Goの最新版を買おうかと思っている。後は、辞書ソフトを入れまくってもいいな。

2004年11月29日(月曜日)

ペダルがすっぽ抜けてびっくりだわ

22時17分 自転車 天気:くもりがち

 いつもの様に、夜道を自転車で走る。寒くなってきたなあ、早く帰ってぬくぬくしたいなあ、などと思いつつ、踊場に出る幹線を横断して、反対側の住宅街を登り始めたところだった。
 急にペダルの踏み応えが『ふにっ』とすっぽ抜けたのだ。靴の下から踏み面の感触が無くなる。なんだ、なにが起きた?
 幸い、車の全く通らない場所だったので、咄嗟に停止し、ペダルに目をやった。その途端、ペダルがからんと落ちたのだ。なにっ、なんで落ちる?
 道の傍らに寄せて、問題のペダルを調べてみる。TCR-2にはDIXNAのロードペダルというのを着けている。形は良くて、食いつきもいいのだが、ベアリングが入ってないので回転が悪いという代物。そのペダルが、ペダル軸と本体とに、きれいに分かれていた。なんで抜けた?
 この場ではどうしようもなかったので、抜けそうなペダルをだましつつ、つらい区間は押して、なんとか帰宅した。
 帰宅して、まずはペダルを別のものに替え、すっぽ抜けた原因を調べた。このロードペダル、ペダル軸の先端をナットで固定している。しかしこのナットが緩んでしまい、抜けてしまったようだ。そういえば、前にグリスアップした時、付け外ししたっけ。その時に締め付けが足りなかったのか。
 とりあえず直した。しかし、やはり手で回してみて回転が悪いのが気に入らない。またクランク側にかませてあるゴムの部品が変形し始めているのも気になった。ペダルの左右の遊びを押さえるのは、この頼りない部品だけなのだ。
 人の自転車に着いていた、グランジの軽くて小さなペダルが気に入っているので、買い換えてしまおう。それまでは、デカペダルで頑張るか。

2004年11月28日(日曜日)

TOKYOバイカーズ戦車道~鶴見川サイクリング

22時26分 自転車 天気:ものすごい快晴だった

 今日はTOKYOバイカーズのオフがある日だ。"ポタ"と銘打っていたので、物凄く久しぶりにBD-1*1を引っ張り出した。帰路、もしかしたら輪行になるかもという予感があったのだ。
 集合場所の南大沢まで、つかさ氏が自走するというので(というか戸塚からだと自走する方がよっぽど手軽))、高鎌橋で合流することにした。
 8:30合流を目指し、数分前に高鎌橋に到着したところ、既につかさ氏は待っていた。段々に同行者と落ち合いながら、上流に向かってゆく。
 走りながら、なんか辛いなと思った。向かい風の中だが、20~25km/h程度だし、人の後に着いているので楽々なはずだ。が、しんどい。疲労物質が溜まってゆくのが分かる。
 これは、ポジションかな。BD-1はBBが前に突き出ている関係で、身体の前屈度が高い。ハンドルをもう少し上げるか。でもそうすると、凶悪なサドル*2への加重が増え、余計に尻痛度*3が高まるだろう。一人なら適当にスローダウンしたり、逆にスピードアップしたりしてメリハリをつけるのだが、隊列を組んでいるとそうも行かない。
 やがて、尾根緑道に入り、途中で記念写真を撮ったりしながら、坂道をいくつも越え、南大沢に至った。かなり疲れました。
 不気味なほどの青空の下、ショッピングモールはかなり混雑していた。集合時間まではモンベルショップを冷やかし、700ccくらいのチタン鍋なら、トランギアのミニマムセットが収まるなあなどと眺めていた。
 集合時間に集合場所に集まり、まずは昼食をみんなで取った。イタリアンな飯屋でパスタ主体の昼食を取った。店先のオープンスペースで、青空を見上げながら気持ちいい時間を過ごせた。
 腹ごしらえの後は、再び尾根緑道を戻り始めた。さっき通過したばかりの場所を戻ってゆくのは、少し妙な気分だが。
 緑道を抜けると、時間調整のためにケルビムに立ち寄った。店内を冷やかし、珍しいミニベロでアンダーハンドルのリカンベントの試乗などと行われた。ちなみにこれ、12~3万円で売るそうな。
 ケルビムを後にし、鶴見川水系まで丘陵を越えてゆく。この丘陵越えが意外にきつく、『これ、ポタとちゃうやん』という声も聞かれた*4。やっぱりMTBかロードで来ればよかった。
 鶴見川沿いに走ったり、途中で寺家ふるさと村に立ち寄ったりしながら*5、ようやく平穏なポタリングペースで走る時間を過ごした。途中離脱者が出る前に、記念撮影
 解散場所は市ヶ尾。その後で美味しいタン焼の店に寄るという話だったが、あまり遅くなるのも嫌だったので、ここで離脱した。今日はポタのはずだったのだが、結構走った感が強い。
 さて、さらに走らなければ帰宅できない。R246沿いに走ってゆくと、青葉台に到達した。ここからは何度か走った横浜市道環状4号に沿って南下していった。ハンガーノックになりかけながらも、日が暮れきる前に帰宅した。念のためにアイシングをして、風呂に入ったところで、強い眠気に負けてうとうとしてしまった。
 どうもTOKYOバイカーズのオフは、予想よりもずっと走ることが多いようだ。次回からは油断せず、もっぱらロード系のバイクを働かせてやろう。

2004年11月27日(土曜日)

Piccori Bicycleに行ってみた

19時59分 自転車 天気:いい天気

 昼から、MasterXLで町田まで出かけてきた。NX80Vのための買い物があったのだ。
 町田のヨドバシカメラに入り、NX80V用のソフトケースと、ボールペン付スタイラスペンを買った。これ、あると凄く便利なんだ。
 再びダラダラと下ってゆきながら、腹が減ったなあと感じ始めた。昼食が早すぎたのか。そういえば、この辺に美味しいパン屋があると聞いたな*1、と思い出し、つきみ野の橋から住宅街の方に曲がっていった。
 たとえ目的のパン屋は無くても、コンビニの類はあるだろうと思いつつ、ダラダラと走っていた。と、住宅地の中に、自転車の看板を発見。軒先にはママチャリが並べてある。ふつうの自転車屋か。しかし、なぜか一台だけ置いてあったロードバイクは、なんだかただ者では無さそうに思えた。
 店先(というか民家の庭)に少し足を踏み入れて、ちょっと中をうかがおうとしたら、店の出入り口*2ががらっと開いて、きれいなお姉さんが顔を出した。中を覗いて行かれませんか、といわれ、まあなにかあるならと思いつつ招き入れられた。
 店内は、一転して気合の入ったパーツが並んでいる。ロードバイク主体らしい。狭い店舗なので品数は無い。店主らしき男性(さっきの女性は奥さんらしい)と二言三言話し、そういえばあれが欲しいんだと思いだして、相談を持ちかけた。要するに、シマノの新型ハブで、ロード用ホイールを組んでくれないかということなのだが。通勤で使いたいのだ。
 店主は4年ほど一般車の出張修理の仕事をやって、今年の5月にやっと店を持てたのだという。レースのチームなんかもあるよとか。
 間抜けなことに、そこまで話してやっと思い出したのだが、ここって前にインターネット検索で偶然発見した、Piccori Bicycleだったのだ。そういえば、鶴間といってたな。この辺って鶴間だったのか!(間抜けすぎ)。
 ウェブページを見ると、いかにもロードロードしていて、ちと気軽に相談できなさそうだった。しかし、さっきも書いたとおり、お買い物自転車の出張修理をやってきたこともあり、また今も店先でそういう自転車を売っていることもあり*3、当たりは柔らかそうだ。
 ハブダイナモのホイールに関して、リムはどうするとか、スポークはとか、いろいろ相談してみた。小さな店で、在庫は持ってないので、全て取り寄せになる。とりあえずパーツの在庫を問屋に聞いてもらい、見積もりを出してもらうことにした。
 店主は今でも出張修理を請け負っているため、開店は10:00だが、13:00まではいないという*4。なので、ややこしい技術的な話は、午後遅くなってからの方が良さそうだ。
 境川からは非常に近いので、便利に使えそうな予感がある。ふらりと行って冷やかすには向いてないが、なにか相談事がある場合は乗ってくれそうだ。

新しくカメラを買いました

14時34分 デジタルギミック 天気:晴れ

 Powershot S1はちょっとでかいのが難点だ。いつも携帯しておいて、気に入った情景を気軽に撮るなんて用途には、ちょっと大きすぎる。というか、そういう用途には、いかにもカメラなS1は向いてない。いつでも携行して、気軽に取り出せる。そういうカメラが欲しかった。
 まあちょっと気合を入れればS1を持ち出すのに躊躇いはなくなるし、さらに気合が入ったらD70だって携行できる*1のだから、緊急度は思い切り低い。手頃なブツがあれば買ってもいいかな、ぐらいに思っていた。すると、あったのだな、手頃なブツが。いつでも携行できて、カメラ然としてなくて、手軽なものが。
 画素数は130万画素と、今ではトイカメラですら追い越されるほどのものだが、メモ撮り主体だから、これくらいあれば十分だ。2番目に買ったKODAKのデジタルカメラは、確か130万画素だった。サイズはちょっと大きめだが、かなり薄いので、身に着けて携行するのには向いている。しかもこれ、カメラとしてだけでなく、音楽プレイヤーや、辞書、さらにはインターネットへのアクセスすらこなせる。
 というわけで、買ったのはこれだ。
http://www.sony.jp/...
 えっ、これはPDAじゃないよ。確かにCLIEですがPDAじゃないよ。だって、PDA買っちゃったら、HDDなZAURUSを買えなくなっちゃうから*2
 つうわけで、T650からだとえらい進化した*3コイツを遂に購入した。値がグッと下がっていることと、本当にメモ撮りカメラが欲しかったことから、とうとう買い替えに至ったのだ。
 去年の機種だが、CFスロットにPHSカードを差して*4インターネットアクセスできるし、CFにカメラの画像を記録したり、MP3ファイルを再生したりも出来る*5。また頻繁に欲しくなるキーボードもついにビルトインされたので、これで長文打ちも問題なしだ。
 さっそくパッチを当てて、2PWLによるインターネットアクセスを試みた。問題なくつながり、また載っているブラウザ(NetFront V3)が、意外に再現性高いのにも驚いた。これで十分じゃないか。もしかして、Sigmarion3はお役ごめんかもな。売ってもいいかも。

2004年11月26日(金曜日)

BikeE外装ギア化の検討 - 2

10時55分 自転車 天気:いいのかな

 まだ検討している。とりあえず結論が出ないと気持ち悪いので。
 MTB系コンポでと思っていたが、駆動輪が20インチ*1ということを考えると、どうしてもチェーンホイールはロード用にせざるを得ないと思える。一番軽いギア比の場合、前が22TのMTB用インナーを組み合わせると、リアが27Tとしても、クランク1回転辺りの駆動距離が1mちょっとにしかならない。これだと足が忙しすぎて、かえって疲れてしまう。30Tのロード用インナー(3枚の場合)で1.8mとなる。これなら十分だし、常用に耐えられるだろう(ちなみに手元のMR-4F改もBD-1も2.1m)。チェーンホイールはロード用トリプル構成の52/42/30で、リアは12-27で十分だ。
 フロントディレイラーは、トリプルの場合にはMTB系とロード系で互換性が無い*2ので、ロード用を使わざるを得ない。しかしロード用のSTIなんて使えないし、バーエンドシフターもこの場合は使いづらそうだ。なのでシフターはMTB用を使わざるを得ない。ってのが昨日MTB用のチェーンホイールを使わざるを得ないと思った理由だった*3。しかし、ロード系にもフラットバー用コンポがあることを思い出した。あれを使えば、ブレーキレバーはMTB用(Vブレーキなのでそうなる)、シフターはロード用と組み合わせることが出来る。ディレイラーの取り付けも、MTB用のEタイプなら簡単だろうと思っていたのだが、いずれにせよBB周りの他にもう一箇所止める点が必要なのは、通常のハイクランプの場合と一緒なので、どのタイプを使う場合にも工作の手間はあまり変わらないだろう。
 リアディレイラーは、長いチェーンのテンショナーとしての機能を期待して、MTB用のロングケージにするのがいいだろう。あるいは、フレームの中ほどにテンショナーを着けて、ロード用で固めるか。
 問題は通常のクイック対応ホイールを着けられるようなエンド形状になっているかだ。思い出せなかったので、実車を調べてみたが(っつうか早くそうしろ)、ごくふつうのエンド形状だった。ネジ式になっているのは内装3段の変速ワイヤが軸を通っているからなので、エンドの形状に特別に変わりは無いって訳だ。
 なんか、ほとんど障害は無さそうな雰囲気。まずはFDの取り付けパーツを作ってみないと。

2004年11月25日(木曜日)

BikeE外装ギア化の検討

10時00分 自転車 天気:晴天なり

 じゃあ、売らないならどうするの? そうだな、改造しよう(またかよ)。というわけで、BikeE外装ギア化を考えてみた。
 リアはほとんど問題無さそうだ。20インチ(ETRTO406)のホイールなら、どこでも組んでくれるはずだ。このサイズはBMXで普及しているので、リムの入手性に問題は無いだろう。自分で組んでもいいかも。BikeEのエンドがクイック対応になってないのは問題だ。まあなにか手はあるだろうし、面倒だがいちいちクイックシャフトを引き抜く形で対応出来るかもしれない。ディレイラーハンガーは通常のタイプなので、ディレイラーの交換に問題は無いと思う。
 問題はフロントディレイラーか。リアは出来るだけクロスした、ロード用スプロケにしたい。すると登坂時、巡航時を考えると、フロント側をワイドなものにしなければならない。トリプル化するか。52/42/30辺り。MTB用の42~22だと、トップが物足りなさ過ぎる。そうなると、MTB用のSTIやシフターを使えないことになる。これは参るなあ。ロード用のSTIなんて使えないし、バーエンドシフターってのもこの場合はどうか。
 MTBでも48Tまで着くのだが、これでもリアが12Tのロードスプロケを想定すると、48(チェーンホイール歯数)/12(スプロケット歯数)*1.62(タイヤ周長m)*90(クランク回転数rpm、まあアベレージで)*60(分)/1000(km計算のため)で、35km/h弱で一杯になる。いくら下りで漕がない性格とはいえ、これでは追い風であっという間に越えてしまう。前52Tなら38km/h弱で、まあこれならいいかなという感じだ。シフターのことを考えると、トップスピードは我慢して、MTB系でまとめるのが良さそうだが。
 そのディレイラーはどうマウントしよう。シートチューブと同じサイズのパイプを、適当な角度で立てればいいのだ。待てよ、MTB用のEタイプのものを使えないかな。あれはBBに共締めしてしまうから、その状態でぐるりんと回らないようにどこかで止めればいいはず。うん、なんとなくなんとかなりそうな予感。
 今のところ、MTB用のパーツでまとめるのが良さそうだ。まあ急いでないが。

2004年11月24日(水曜日)

MR-4Fのスローパンク原因究明

20時53分 自転車 天気:好天

 このところ持病のように苦しめられてきた、MR-4Fのスローパンク原因究明に乗り出した。乗り出したも何もチューブ替えればいいだけだが、出来れば修理したかった。このチューブ、替えてから、そう間もないからだ。
 思うに、前に修理を試みたときには、チューブに空気を少ししか入れてなかったから、パンク箇所が目立たなかったのだろう。今回はかなり入れて、洗面器に張った水に浸し、絞りながら調べていった。
 あった。ごく小さなピンホールが開いていた。これが原因か。マジックペンでマークして、念のために他にも探してみた。もう一つあった。複数あったか。これであっという間に抜けてしまったのだろう。
 おや、このチューブ、継ぎ目に泡が浮いているぞ。絞ると泡が大きくなるので、ごくごく僅かにほころんでいるみたいだ。そういう箇所が散見された。さすがに修理は諦め、破棄せざるを得なかった。結局のところ、このチューブは外れだったようだ。新品の時から既にこうだったのだろう。品質悪いぞ、パナレーサー。
 換えのチューブを出し、原因究明は完了。タイヤにもリムにもエッジは無いから、これで大丈夫だろう。それにしても、最初からこうだったとはねえ。

2004年11月23日(火曜日)

BikeEたんで久しぶりに秋を探しに行った(結果、売るのを止めた)

20時21分 暮らし 天気:快晴

 宮ケ瀬あたりに行こうかと思いつつ、起きたら昼かよ、もうイヤン。
 まあまったりと過ごすかい。そう思いつつ、昼飯を食って、のんびり過ごした。
 でもまあ、なんか走っておきたい。しばらく乗ってないBD-1とかHARDROCK号を乗ってやろうかと思ったが、あまりいい天気なのでBikeEに乗ってやることにした。
 カバーを外し、売り物を見る目で見直してみた。ううむ、気がつかなかったが、ステムの下部と、フロントフォークに少しさびが浮いている。この辺はハイテンスチールっぽいな。簡単に落ちるだろうが、なんか錆びやすそうだな。
 後ろのブレーキが片効きしていたので調整し、まあ帰りに買い物したいからと思ってバックパックをシートに背負い、走り出した。
 道ゆく人々(主に小学生)の熱い視線を受けながら、境川に出て、南下していった。途中、MTBの人にずいぶん長く追尾されてしまったが、そんなに珍しかったのか。
 湘南台近辺は結構散っていたが、まだまだな木も多かった。まあ来週以降が盛りかな。
 走りながら、BikeEってつくづく楽しい乗り物だなと思った。やはり空が広いと、気持ちも晴れ晴れする。こいつなら20km/hでちんたら走っても、そもそも変わった乗り物でありすぎるのでみっともなくは映らないだろう。いや、僕の内面として。
 こいつのギア外装化とブレーキの交換を検討してみようかな。フロント側の変速機さえマウントできれば、後は自力で何とかできそうだ。ブレーキも、ケーンクリークの奴かショートVなら前に着きそうだ。
 スーパーに立ち寄り、たっぷり買い物をして帰宅した。こいつはやはり、最強の買い物自転車だ。やっぱり売るの止めた。売っても10万以下にしかならないし、それくらいならもうしばらく乗ってやろうと思った。

2004年11月22日(月曜日)

年末だ

22時16分 暮らし 天気:最近いいのだが

 仕事の先行きがいまいち読めなくなって来た。当座の仕事が延び、さりとて年を越していいわけでもなさそうだし……。
 今年度はリフレッシュ休暇とかで5連休取れるのだが、この分ではとうとう年を越すまで取れなさそうだ。いっそ、厳寒期に四万十川辺りに行ってこようかな。
 今日も微妙な残業をして帰った。

2004年11月21日(日曜日)

秋を探しに行きました

23時26分 暮らし 天気:晴れ

 なんだか疲労していたのか、二度寝してしまって昼に起きた。さて、日が落ちるのが早いこの時期、あまり遠出は出来まい。ずいぶん行ってなかった泉の森公園に、森の紅葉具合を見に行った。
 こういう時にはこれでしょう、というわけでMasterXLで乗り出した。バックパックを背負いたくなかったので、パールイズミの起毛素材のジャージを着て、そのバックポケットにインフレータ、財布、チェーンロックを入れて、D70をたすき掛けにして背負った。ジップタイプじゃないポケットでは不安なので、今までここに財布を入れたことは無かったが、意外に落ちたりはしないものだ。
 通勤にTCR-2を使うようになって、MasterXLの良さをますます感じるようになった。実は重量はそんなに変わらないのだが、路面の振動を拾わず、かつ路面の状況を着実に伝え、なおかつ軽い走行感を持っているのはMasterXlの方だ。この差はフレーム素材の差だけではなさそうだ。極端なスローピングフレームのTCR-2と、トラディショナルなホリゾンタルフレームのMasterXLとでは、そもそも目的が違うのかもしれないな。TCR-2はあくまで道具であり、乗り手の要求にそれなりに応えてはくれるものの寡黙だ。まさに道具。一方、MasterXLは、なんというかいろいろ教えてくれる自転車だ。TCR-2ではポジションを変えてもなかなかピンと来なかったものだが、MasterXLは正解を教えてくれている。そんな気がする。なぜそんな差が出るのかは分からない。教育的な自転車だな。
 走りながら、紅葉前線の到着を肌で感じていた。日の光はこんなに強いのに、大気の暖かみは弱い。もうすぐ全てが失われる冬になるだろう。
 泉の森をしばし歩き回った。まだ紅葉本番には早いようだが、気の早いモミジは真っ赤になっているし、ススキは枯れきっている。秋空の下で、親子連れが軒下の干し柿を珍しそうに眺めていた。
 ひとしきり歩き回り、帰路に就いた。境川サイクリングロードの一部区画で、工事のために迂回路が設定されていた。50mほどの短いものだが、いきなり未舗装区画に誘導されるのにはまいった。
 帰宅して、MasterXLとTCR-2を簡単に整備しておいた。来週はいい天気が続きそうで、ずっとジテツー出来そうだ。

2004年11月20日(土曜日)

2004年サイクルショー行ってきたし

22時23分 自転車 天気:晴れたね

 なんだか会社出るときと同じ時間に起きた僕は、身支度して地下鉄に乗った。今日はサイクルショーを見に行くことになっていた。イーヒルズってところの懸賞に応募したところ、チケット2枚があっさり当たったので、じゃあ1枚をマモル氏に進呈しようということになったのだ。
 今日はこぐ氏も行く関係で、こぐ氏からチケットを分けてもらうつもりの軍団も押し寄せてくることになった。りんかい線国際展示場駅でこぐ夫妻と出くわし、一緒に会場に入った。屋外でやっているRecumbent-ML主催の試乗会など陣中見舞いしたりしながら、会場を歩き回った。マモル氏とは昼過ぎに首尾よく落ち合い、券を渡すことが出来た。こぐ氏の券をあてにしていたにち氏、hai氏とは最初に会い、それから後でサガミの即売会場でかぜはるか氏と出くわし、場内で栗原氏とも遭遇した。
 13:30から始まったペタッキのトークショーを見て帰った。
 ではざっと目に付いた物を。
 IKDの片岡氏がBikeFridayのブースを構えていた。
 GIANTのブースで、TCR系の最新モデル。今年はこれにウルリッヒが乗って、ごりごり走ったわけだ。後ろの壁の上の方には、シートピラーがチューブと一体化して、高さ調整にはカットするしかないという思い切りよすぎるモデルも展示されていた。
 ミズタニのブースでは、やはり折り畳みが幅を利かせていた。BD-1の9.7kgモデルもあったし、Bromptonの社長も来ていたようだ。これはFondriestのホワイトカーボンフレームのロード
 シマノのブースでは、MTB系に注力していたのが印象的だった。ロードコンポはフルチェンジされたUltegraだけだったようだ。これはアームストロングがツールで使ったというロードバイク。フレーム形状からマドン5.9だと分かる。
 Panasonic(ナショナル自転車)のブースで、チタンフレームのレ・マイヨを発見。どういう向きに売るつもりなのか、ちょっと判断に苦しむ物だ。折り畳めないし、極端に軽いわけでもないし。
 エミネンザがそれなりのブースで出展していた。サガミの社長が背広を着て入っていた。ここのカーボンフレームは魅力的なのだが、みんな10万円代後半の値段で、売り分けするのが難しそうな気もする。
 コルナゴもでっかいブースを構えている。そういえば、朝のうちに社長が会場内をうろついていたな。あんたところの鉄ロードに乗ってるんだよ。これは一番高そうなロード
 DAHONのブースでは、これもチタン製の6.9kgという触れ込みの超軽量20インチ折り畳み車が出展されていた。これは軽い。が、スプロケがアルミ製だとか、かなり無理した値で、その辺を改めて実売時には7.3kg程度になるということだった。しかし一番ヤバそうなホイールを替えても8kg弱に収まるだろうから、非常に魅力的だ。台風の目になりそうだ。
 実用車として注目しているMC-1の村山コーポレーションのブースの様子。帰宅して写真を整理中に気づいたのだが、右のトライクは前輪駆動で、リアステアリングじゃないか。物凄い変態ぶりだ。だが実用車然とした面構えが笑える。試乗してみたかった。
 なにやら全天候電動アシスト自転車。新聞で記事を読んだな。完成度は高そうだが、小ささ故に乗降が難しそうなのがなんとも。
 リカンベント試乗会場にて、おの氏のViewPointに試乗するあゆ子女史&hai氏
 最後は去年、今年とジロでステージ優勝回数を稼ぎまくったペタッキと、バイクを提供しているピナレロの社長によるトークショー。ペタッキは来年ツールに出るつもりは無いそうだ。乗ってるのはマグネシウムバイクのドグマだが、BBが通常より大きいオーバーサイズなのだそうな。とうとうBBにまでオーバーサイズ化が及んで来たようだ。来年のトレンドになるかも。

2004年11月19日(金曜日)

あっ、NIFTY-Serveは終わらないんだ

22時18分 コンピュータ 天気:また雨かよ

 訂正。終了するのはNIFTY-Serve自体じゃなくて、フォーラムらしい。僕にとってはほぼ等しいのだが、厳密には別物。メールとかは残るらしい。視覚障害者にとって、TTYベースの方が使いやすいという事情もあるそうな。
 ともあれ、どのフォーラムも、ウェブベースに移行するより無いのだな。アクセスツールで自動化していた人たちは、面倒なことになりそうだ。

NIF 幼年期の終わり

13時19分 コンピュータ 天気:相変わらず雨

 ついにNIFTY-Serve*1が終わるそうな。記録によれば僕が入会したのは'92年だったようだ。当時は日本でのPC(というかDOS/V)の黎明期で、巷には情報がほとんど出回ってなかった。唯一最大の情報源と言えたのが、パソコン通信だった。ASCII-Netのcomp.ibm(それ以前はcomp.msdos)と、このNIFTY-ServeのFIBMには、情報に飢えたPCユーザが集まり、いまだはっきりしなかった日本でのPCの未来に関して、熱く語り合っていたものだ。をたくというよりは、マニアの時代だったな、あの頃は。
 他にもSF関連の情報はまずFSF(むさい髯のおっさんが首領のあれではない)だったし、今でもFCYCLE辺りは自転車情報の交換が盛んだ。とはいえ、2chのような匿名掲示板の勃興が、その価値を暴落させてきた嫌いはあるが。
 だが依然として非匿名(発言責任をハンドルに収束しうるという意味で)の場は価値を持つだろう*2し、依然としてコアなユーザが存在しているのも事実だろう。
 この時期にTTYを放棄したのは、機材の問題が大きいのだろうと思う。@Nifty(インターネット側)は常に新しい機材で更新されてきたのだが、NIFTY-Serve側は古いミニコンをずっと運営してきたと聞いたことがある。既に'90年代も終わりの頃の話だ。新しい機材に入れ換えるにはかなりの投資が必要だが、それに見合った効果は望めない=新規のTTYユーザはごく少ない、という予測の下、インターネット側への資源の漸進的*3な移行を進めてゆく方針らしい、と聞いていた。
 実際、インターネットの普及期から数えて、10年近くは我慢してきたわけだ。ご苦労様といいたい。パソコン通信の会員数が頭打ちになるなり、さっさと止めてしまい、その後は右往左往の果てにプロバイダとしての基盤すら失ってしまった、どこぞの新興企業とは大違いだった。いくら体力があるとはいえ、やはり苦労はあっただろう。
 心配なのは、未だにTTY側に残っている大きなコンテンツがどうなるかということだ。FSFのライブラリなんて、どうなるんだろう。IDはとっくに休止中だが、また復活させて、NIFTY-Serveの最後に付き合ってみようかと思っている。最後となると、いろいろ面白い現象が起こるものだからな。

雨中のジテツー出勤編

11時23分 暮らし 天気:霧雨

 なんとなく順番が前後してるぜ感は拭えないが、今日は雨の中をジテツー出勤してみた。
 雨量は昨日ほどではなく、まあ霧雨という程度。しかし眼鏡的にはかなりのダメージだ。
 路面は十分濡れているので、慎重に走ってゆく。ドライの時には結構白線上を走ったりするのだが*1、今日はさすがに白線横をキープ。しかしトラックが通るときには寄ってやらなければならず*2、ちょっとスリリングな道行になった。しかしバックミラーがある。水曜日に死蔵していたブラックバーンのマルチユースタイプをドロップエンドにねじ込んでおいたのだ。最初のうち、ブラケットポジションだと見事に隠れてしまうので、役に立たんと思っていた。が、角度を調整すると、ちゃんと見える位置があったので、これで有用性が激増した。後ろを振り向かなくてもいいというのは、特に余裕のない雨天走行時には助かる。
 いつもと大差ない時間で駐輪場に着き、雨具はビニール袋に入れてバッグにしまった。やっぱり眼鏡が濡れるのはどうしようもないが、それ以外に困りそうな点は無い。うん、これなら続けられるぞ。
 会社に行って、そういえばグローブを駐輪場に置いてきてしまったと気づいた。カステリのゴアを使った物で、気に入ってるんだ。後で取りに行こう。
 これなら雨が降っても続けられそうだが、さすがに雪の時はどうか。そういう時はブロックタイヤを履いたMTBでというのが漢だろうが、駐輪場のラックはファミリー車しか想定してないので、幅1.5以上は難しそうだ。ううむ、雪の時は無理だな。

2004年11月18日(木曜日)

雨中のジテツー帰還編

22時44分 暮らし 天気:昼から雨

 さて、待望の雨だ(いや待ってない待ってない)。昼に降り始め、帰宅する頃には相当の雨量になっていた。まあ前が見えないってことは無いが。
 駐輪場で、まずは雨具を着込む。何年も愛用している山用の雨具で、ゴアではないが透湿素材だというふれこみだ。じっさい、安い合羽に較べると、かなり蒸れにくくはある。
 グローブはゴアのクローズドタイプなので、まあ耐えてくれるだろう。足もゴアの軽登山靴だし。これでフードを被り、その上からヘルメットを被れば、濡れるのは顔ばかりとなる。……庇のついたヘルメットを買おうかな。
 これで走り出した。心配した変速ショックでペダルを踏み外す現象は、このTCR-2では発生しなかった。105は変速ショックが少ない方だし、Dixnaのロードペダルも食いつきが良い方だ。
 問題は顔が濡れることだ。より正確には眼鏡が濡れること。おかげで視界を確保するのが大変だ。後ろを振り向くことも難しいので、背後の車への注意もおざなりになりがちだ。まあ夜なので、車が来ればライトで分かるのだが。
 ライトはEL300で十分だと思っていたが、初めてもっと強力なものが欲しいと思うようになった。夜道を走ると路面の状態を掴みにくいのだ。バッテリーライトを復活させるか。でもあれは重いしな。やっぱ、TOPEAKのリチウム電源のを買うか。
 帰宅して、雨具を始末して、自転車の水滴を払っておいた。服を脱ぐと、結局は顔を濡らすだけで済んでしまった。これなら出勤時でも問題は無さそう。でも視界確保の問題は、早急に手を打たねば。死ぬし。

最近酒飲んでない

10時22分 暮らし 天気:くもり

 気がつくと、ジテツー始めて以来、酒を飲んでない。いや、先週の金曜日に飲んだか。最近、アルコールの量を減らしていたのだが、気がつくとほぼ絶酒という有様。僕になにが起こったんだ?
 やはりジテツーのおかげでストレスが発散させやすくなっているのか、などと考えているうちに気づいた。ジテツーを始めて重い鍵や雨具を持ち歩くようになり、メッセンジャーバッグの容量は既に一杯一杯だ。だから更に重くなる缶ビールの類は、無意識に避けていたのだろう。逆にいえば、酒なんてその程度の重みでしかなかったんだな。
 しかしもっと大容量のバッグを使うようになったら、また復活したりしてな。
 それにしても、久しぶりにおこのみハウスに行きたい。

2004年11月17日(水曜日)

ジテツー再開

11時46分 暮らし 天気:いいです

 先週の木曜日を最後にジテツーが中断していたが、今日から再開できる。しかし肌寒さは更に進み、今日はとうとうフルカバーのグローブを着けて出た。車も気のせいか多いな。
 踊場の坂を越える時、ノーヘルで下りをカッ飛んでゆく人を見かけたが、コケたら死にそうで怖い。怖くないのだろうかね。
 明日明後日は雨になりそうだが、頑張ってジテツーしようと思う。

2004年11月16日(火曜日)

今日も品川

20時11分 暮らし 天気:晴れ

 今日も品川でお仕事。昼からだったので、飯は駅蕎麦でテキトーに済ませてしまった。帰路の東海道線の混み方にはうんざりだ。
 明日はジテツーできそう。

2004年11月15日(月曜日)

品川でお仕事

20時34分 暮らし 天気:雨のち晴れ

 久々にスーツを着て出勤。なのでジテツーは出来ず。なんかストレス溜まる。
 今日は品川にある関連オフィスで、別の社の方々とお仕事だった。イーストワンタワーにある小奇麗なショールームっぽい場所だった。
 昼食はどうしようかと思ったが、1Fに降りると豪華なそば屋があったので蕎麦を食った。高いな。
 勤務地には定時過ぎで戻り、またお仕事。ネクタイを締めていると、肩が凝って仕方ない。
 適当な時間に帰宅。明日もこれなので、またジテツーできないじゃん。

2004年11月14日(日曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第6夜「ヒト 果てしなき冒険者」

23時07分 テレビ 天気:悪化中

 あれ、と思い出すに、第5夜を見逃してしまったこの番組。くそっ、年末年始にアンコール放送するだろうから、ちゃんと見るぞ。
 さて、今夜は第6夜「ヒト 果てしなき冒険者」。年末放送の最終話は総集編らしいので、本編最後の回だ。
 どうやら前回で猿が無事に登場したらしいが、我々人類はその猿の眷属。つまりやっと我々人類に直接つながるご先祖様が登場したって訳だ。山崎努もご満悦なことだろう。
 我々と極めて近い親族関係にある猿の種が、アフリカに生息するチンパンジーだ。人類とチンパンジーは、400万年以上前に、共通の祖先から分かれたとされている。その祖先の種は、当時アフリカ全土を覆っていた熱帯雨林に生息していたらしい。そして彼らから分かれたヒト科最初の種が、アウストラロピテクスだった。
 アウストラロピテクスと猿とを分かったものは、直立歩行する能力だった。どうして直立歩行を始めたのかは分かってない。だが直立歩行は、やがて新しい能力の獲得につながる。歩行の補助から解放された両手は、道具を操作することを可能にしたのだ。アウストラロピテクス後期、彼らが道具の使用を始めた事が、化石の調査で明らかになっている。しかし、彼らの生活ぶりは、恐らくはチンパンジーのそれと大差無かったろうといわれている。実際、彼らの脳の容量は、現在のチンパンジーと大差ない。またチンパンジーにも道具を使用する場合があるということが、報告されてもいる。ただ、アウストラロピテクスは、チンパンジーに比して平地の生活に適応しつつあったと考えられている。直立歩行は、その結果なのだろうか*1
 彼らが平地の生活に適応しつつあった背景には、全地球的な気象変動があった。当時、アフリカ東北部は、二つの理由から乾燥化が進みつつあった。まず大地溝帯の形成。アフリカ大陸を南西から北東に向けて、地溝帯という一種のギャップが生じつつある。これは地球内部から上昇するプルームがアフリカ大陸の乗っているプレートに衝突し、その圧力で大陸が分割されつつあることを示している*2。この地溝帯は動植物相の断絶をもたらすため、主に植物の生息域を分割する結果になった。その結果、北部の比較的乾燥した地域では、乾燥した地域に適した植物が優勢になっていった。
 もう一つ、ヒマラヤ山脈の形成も影響している。インド亜大陸がユーラシア大陸に命中した結果生まれたヒマラヤ山脈は、地球史上最大の山脈だといわれている*3。このヒマラヤ山脈を季節風が越える時、大気は水分をヒマラヤ山脈に落としてゆく*4。そうして乾燥した風は、アフガニスタンからはるかサハラ砂漠に掛けての、広大な地域に吹き付ける。これらの地域の乾燥化が現在進行形なのは、このヒマラヤから吹き降ろす乾燥した季節風が継続しているからに他ならない。
 この乾燥化の結果、樹上生活に適した猿にとって快適な熱帯雨林は消え、開けたサバンナが広がってゆく。人類の祖先が樹上から平地へと進出していった背景には、そうした事情が横たわっているのだ。
 猿は樹上生活に適応した動物なので、熱帯雨林の生活は生存に関わってくる。直接的には、餌が手に入らなくなる。熱帯雨林では豊富な果実も、サバンナでは希少になる。猿から分かれた人類は、まずは果実以外の餌を求めなければならなかったろう。だがこの生存の危機が、その後のヒト科に進化の圧力として働き、急速な進化をもたらしたのだ。
 ヒト科の祖先が人類へとつながる道筋は、過去においてはだいたい一直線に、様々な種を経て漸進的に進化してきたと思われてきた。が、今までに積み上がってきた知識を総括すると、むしろ多種多様な種が同時代に共存し、それら多くの絶滅を経て、結果的に人類が生き残ってきたのだということが明らかになってきたのだ。
 だいたい200万年前。人類揺籃の地であるアフリカにおいて、少なくとも2種類のヒト科の種が共存していたことが分かっている。一つはホモ・エルガステルと呼ばれるすらりとした長身の種、もう一つはパラントロプス・ロブトスと呼ばれるずんぐりした種。見かけ上、あまりに違いすぎる二つの種は、長い間共存してきたと考えられている。
 二つの種を分けたのは、主たる食物だった。ホモ・エルガステルは、恐らくは他の肉食獣の食べ残した肉を漁っていたと考えられている。餌場を渡り歩いて餌を探す必要から、移動に適した体型を獲得したものと思われる。パラントロプス・ロブトスは、植物の根を漁っていたと考えられている。硬い植物の根を噛み砕くために、顎の筋肉が非常に発達していたのだ。これらの食性は、今でもアフリカに暮らす狩猟民族に見られるものだ。食性の違いが二つの種を作り出し、しかも長い間共存していたのだ。しかし、必要に応じてどちらの食物も漁れたらよかったじゃないかと思うのだが、なにか大人の事情があったのだろう*5
 この2種はそれぞれ繁栄したが、次の時代に生き残ったのはホモ・エルガステルの方だった。パラントロプス・ロブトスが滅んだ理由はよく分からない。しかし、ホモ・エルガステル以降の種は、肉食という食性を受け継いだため、脳を大型化させやすかったらしい。それがヒト科の種に新たなる進化の道を指し示したのだろう。
 ヒト科の種は、過去20種も誕生して、人類を残して全て絶滅してきたことが分かっている。それだけ苛酷な環境で生きてきたって事なのだろう。そしていつの時代にも、複数の種が共存してきたらしいのだ。
 人類も、つい最近まで隣人を持っていた。ネアンデルタール人だ。過去においては人類の直接の祖先ではないかと考えられたこともあったが、今は絶滅したホモ・サピエンスの亜種だったという説が優勢っぽい。
 ネアンデルタール人は、氷河期の欧州に勢力を広げ、現存人類=クロマニヨン人と共存していた種だ。寒冷地に適した丈夫な体躯を持っていた彼らは、欧州各地に遺跡を残している。
 ネアンデルタール人は、現存人類に比して、さほど大きな差異がある種ではない。脳の容量はほぼ同じだし、道具も立派に使いこなしていた。事実、ネアンデルタール人は、現存人類と同じホモ・サピエンスの一亜種とされている*6。番組中、山崎努がネアンデルタール人に扮して(いや顔だけな)市中を練り歩いたのだが、'80年代の北野武を思わせる点を除いて、さほど異様には映らなかった。
 にもかかわらず、生き延びたのは我々現存人類だった。我々とネアンデルタール人を分けたのはなんなのだろう。
 ネアンデルタール人の頭骨を詳しく調べると、一つの大きな違いが明らかになってくる。現存人類と、ネアンデルタール人とでは、気道の構造が違い、彼らの方が喉仏の位置が高いのだ。喉仏が高いということは発声器官の長さが短く、現存人類ほど柔軟に発声できなかったことが推測できる。そのことから、ネアンデルタール人は言語を用いることは出来たが、現存人類のような高度なコミュニケーションを持ち得なかったと考えられている。コミュニケーションの発達は、我々現存人類に生物学的装置に拠らない進化をもたらした。この強力なツールは環境の激変期には威力を発揮するはずで、氷河期の終わりとともに訪れた激変期に、現存人類のみを生き残らせる結果につながったのだろう。
 例えてみれば、インターネットに接続可能なハードのみが価値を持ち、そうでないハードは価値を失って駆逐されていった、って感じなのだろう。
 かなり面白かったこのシリーズも、今回で事実上最後。山崎努ともこれでお別れだ。最初はどうなることかと思っていたが、意外にいい仕事したね。

久しぶりにスーツ作りました

17時10分 暮らし 天気:曇り空は寒い

 来週の月、火は、品川で他の会社の人との仕事がある。いつも団塊世代には眉を思い切り顰められるような、だらけきった服装*1で出社する我輩も、今度ばかりはスーツじゃなければまずかろう。というわけで久しぶりにスーツを出してみると、あれ、後ろポケットが破けてる(T-T)。なにか引っ掛けたんだろう。急遽スーツを作ることになったが、オーダーメイドでは特急便も間に合わないので、吊るしのものからサイズが合うものを買い、裾上げだけしてもらった。これなら1時間コースだ。が、発注が金曜日の21:00過ぎだったので、受け取りは翌日以降になってしまった。昨日は三浦半島サイクリングだったので、受け取りは今日になった。
 今日は時折日が差したりもしたが、寒い曇り空が続いたので、それ以外の用事では外出しなかった。

2004年11月13日(土曜日)

東京バイカーズ三崎オフに参加

23時23分 自転車 天気:よく晴れた

 朝早く起き、身支度をする。今日は東京バイカーズの三浦半島三崎オフに参加することにしていた。東京バイカーズのオフは、過去2回参加しようとして、様々なアクシデント(ほとんど自滅)に見舞われて果たせなかったものだ。三度目の正直か、二度あることは三度あるか。
 最初はMasterXLで久里浜まで自走しようかと思っていたのだが、昨夜一杯軽い風邪による頭痛に悩まされ、折り畳みに日和った。BD-1と迷った挙句、これも結構お久しぶりのMR-4Fに決定。しかしこいつは、前輪がスローパンク気味なのだよな。実際、もうすっかり抜けている。チューブを入れ換えている時間が惜しいので、様子を見る意味でそのまま注気しておいた。FreepackSportに荷物を入れて、長後街道を戸塚駅まで走った。
 戸塚から横須賀線で久里浜に向かう。ちょうど通学と重なる時刻だったらしく、戸塚~北鎌倉は物凄い混雑だった。が、それ以降はガラガラに空いている。
 久里浜で降りると、既に参加者が集結中だった。挨拶しながらMR-4Fを展開していると、つかさ氏がやってきた。ケルビムのロードだったので、てっきり自走してきたのかと思ったのだが、ちょっと前に輪行で来たという。予想通り、顔見知りはつかさ氏だけ。いかにも走りそうな若い衆が多い。自転車もロード系、スリックで武装したMTBが多い。しかし、オヤジっぽい人や折り畳みの人もいたので、ちょっと救われた。僕もオヤジで折り畳みな人だしな。
 簡単なミーティングの後、早速出発する。すぐに海岸線に出て、以降はずっと海岸線を走ってゆく。比較的ハイピッチだったのは、風を背負っているからか。北風が強く、今日は南下ルートは楽だったろう。しかし陽射しが強まってきたので、GIANTのサイクルジャージ上下+パールイズミのウィンドブレーカーでは暑すぎるくらいで、体温調整に苦しんだ。
 三浦海岸は何てこと無かったが、金田漁港界隈に入って以降のアップダウンは疲れた。
 途中、剣崎に立ち寄った。前に一人で立ち寄ったときは、31万画素の携帯電話おまけカメラで撮ったので、今日はD70でパシャパシャ撮りまくった。強い風が霞を飛ばしてしまうのだろう、遠くまで見渡すことができた。
 さらに風車の手前の坂を越えると、後はもう、さほど辛い思いはしないで済む。風車の足元で最後の休憩を取り、いよいよ三崎に。しかし直接漁港には向かわず、まずは城ケ島に向かった。ここの灯台も、一度見れば十分だよな。磯に出て、海を背景に記念撮影もした。
 さて、いよいよ昼飯。ちりとてちんだ。が、なんと予約を入れていて、奥座敷が使えなかった。前に僕が電話したときは、土日には予約は入れられませんと断られたんだけどな。非常に気分が悪い。が、いきなり20人で押し寄せたんだから、まあ責任の半分はこっちにもあるさ。とりあえず、どうしても入りたいという人はちりとてちんの空きスペースに入れてもらい、残りはどこかに分散ということになった。僕はさっさと港楽亭に行ってしまった。今度こそマグロチャーシューのラーメンを食らうのだ。が、店に入ると三崎マグロラーメンは売り切れといわれた。いやその、まだ12:00前なんだけど。もちろん、行列が出来ているというわけではない。季節物なのかよ。じゃあということで、給仕の人にお勧めを聞いてみたら、うーん、と誤魔化し笑いを浮かべて沈黙。ああ、なるほど。ここ、観光客相手の店じゃないんだと、ようやく気づいた。客層も明らかに地元の人間と思しき労働者と学生のみ。いちおうはマグロチャーシューなんて始めてみたけれど、実際にはお付き合いで作ってみたというだけで、そんな熱意も無いってことだろう。要するに、この店はダメだ。
 とりあえずワンタンメン(味が薄くて麺が玉になってた)を食って出た。この店はもう行かないな。
 聞くと、ちりとてちんからあぶれた連中は、別の料理店に雪崩れ込んでいたとか。そっちに行けばよかったか。
 集合時間まで間があるので、うらりの2Fデッキで昼寝して過ごした。直射日光のせいで、じりじりと炙られてゆくようだ。
 再集合の場所はちりとてちんの前。全員が揃ったところで、帰路に着いた。
 三崎口へ登る途中、参加者の一人に立て続けにアクシデントが発生した。2度もチューブをバーストさせ、タイヤを痛めてしまったらしい。後で聞くと、その人は三崎口でリタイヤしたそうだ。僕も心配になって、前輪をチェックしてみた。むむ、やはりかなり気圧が低下している。本隊はパンク処理班を待たずに出発していたが、空気を入れるために僕は残った。とりあえず90PSIまで入れてから、また走り出した。
 三崎口駅が見えたところで、はてまだ本隊に追いつかないのか、と疑問に思った。後続を待ってもいいのではないだろうか。もしかして、わき道を行ったか? いや、それはないだろう。しばし葛藤しながらパンク処理班、あるいは抜かしたかもしれない本隊の到着を待ったが、5分経っても来ない。抜かしたという事は無いなと判断し、走り出した。すると武山辺りで追いつくことができた。良かった、待たなくて。
 やがて立石公園に到着。パンク処理班は追いついてないので、とりあえず揃っているメンバーだけで記念撮影をした。ではマーロウに行こうと公園に自転車を磔にしていたところ、カッ飛んできたらしい後続がついに追いついてきた。良かったね、間に合った。
 マーロウではプリンをテイクアウトする。計量カップサイズ(実際、目盛りが切ってあって、計量カップに使える)の耐熱ガラス製カップに入っている。クリームチーズを買ってみたら、舌触りが滑らかで大層うまい。ちなみに、カップを洗って返したら200円バックされるので、700-200円で、中身は500円分だ。
 この先、葉山~森戸と嫌な道が続く。車と絡まりあいながら逗子まで走り、厨子からは裏道を通り、伊勢山トンネルを回避した。なるほど、こういうルートがあったのか。
 鎌倉市街地で和菓子屋に立ち寄り、ゴールは鎌倉だった。お疲れ様。やはり、かなり快速系のツーリングだったな。
 その後、川崎の自宅まで、境川経由で自走帰還するというオーバースペック氏、湘南台までという黒タル氏、そして藤沢駅に出たいというミヤコ女史を案内して、鎌倉駅の裏から境川まで走り、徐々に分かれながらサイクリングロードを北上した。長後街道でさらに北上するオーバースペック氏と別れた後は、ゆっくりとクールダウンさせながら帰宅した。
 久しぶりに走り応えのあるオフだった。

2004年11月12日(金曜日)

今日はジテツーやめ

19時45分 暮らし 天気:回復中

 さあ、寒そうな雨の朝だ。早速、合羽を着て、といいたいところだが、行きに雨に濡れるのは嫌なので、今日は大人しく地下鉄で出勤した。帰りに降られても、帰ってすぐに風呂に入ればいいからな。だが行きに降られると、着替えや雨具の始末にちょっと悩むところ。まあビニール袋に入れておけばいいだけだけど。
 来週は出張が入ったので、また月火は地下鉄だ。

2004年11月11日(木曜日)

雨を免れる

21時31分 暮らし 天気:くもりのち雨

 ジテツー4日目。さあ、雨だぜ。昼からしょぼしょぼと降り始めた。帰路は濡れ鼠になっても問題ないか。帰ってすぐに風呂に入るだけだし。
 ところが、20:00過ぎに帰る頃には、一応雨は上がっていた。路面は濡れている。折り畳み式の泥除けを着け、家まで走っていった。路面が濡れていることを考慮して、幹線は避け、ひたすら裏道を行く。ちょっと大回りにはなるが、車のプレッシャーが無いので気楽だ。ただしかなりのアップダウンがある。距離は短いが、登坂力は着くかもしれないな。
 明日、朝から雨だと、ちょっと欝だ。

2004年11月10日(水曜日)

ジテツー3日目

21時27分 暮らし 天気:少し不気味

 自転車通勤も3日目ともなれば慣れたもの。行きは踊場から戸塚にかけての坂を爽快に下り、帰りは裏道をのんびりよじ登る。走りながら思ったのは、まだ秋だなということ。指きりグローブでも全然平気だし、Tシャツの上にウィンドブレーカーという格好でも、すぐに温まる。真冬になるとこうは行かないんだろう。
 帰りにヨークマートに立ち寄った時、今の自転車装備の欠点が暴露された。に、荷物が入らん。今は16Lくらい*1のメッセンジャーバッグを背負っているのだが、鍵やら自転車道具やら着替えやらを全部入れているので、もう目一杯なのだ。買った食材を収める余裕がない。やむなく、左のSTIレバーに浅く掛けて、持ち帰った。
 ふふふ、そういうこともあろうかと、オルトリーブのメッセンジャーバッグ*2を発注してあるのだよ。これなら軽いがかさばる服を詰め、さらに買い物も入れてしまえるはずだ。さらにSKSのロード用泥除けも発注した。こいつはDIXNAのものよりかなり高価だが、ゴムバンドで止める方式なので、TCR-2のブレード型フォークにも使えるはずだ。最悪、長いタイラップを使うという手もありうる。が、早速帰ってきた返答によれば、バッグは品切れで12月になるとか。とほほ、それまでは手持ちのバッグをやりくりして凌ぐか。

2004年11月09日(火曜日)

ジテツー夜戦装備

22時17分 暮らし 天気:快晴

 ジテツー2日目。好天が続いて助かる。
 やはりそれなりの運動量のようで、Tシャツの上に長袖シャツ、さらにウィンドブレーカーという服装では暑くなる。長袖シャツは要らないな。やはりサイクリングジャージを着て行って、駐輪場*1や会社の更衣室で着替えるべきかな。会社で着替えるのはあまりにもあからさまなので、駐輪場か。
 帰る頃には日が暮れきっているので、当然ながら照明が必須になる。しかし大半の区間は明るい車道なので、ヘッドライトまでは必要を感じない。LEDのポジショニングライトで十分というところだ。一部に暗い道もあるのでEL300を着けてはいるが、これで必要にして十分だ。ライト関係に手を加える必要は無いな。
 ただ、バックミラーはなんとかしたいところ。今はスパイミラーというトップチューブに着けるミラーを使っているのだが、小さいので後ろを十分に見渡すことができない。エンドに着けるミラーを持っているので、それに付け替えようかなと思う。
 問題は雨の日だな。今週末は天気が崩れそうなので、早速試練に直面しそうだ。なにかと面倒なことになりそうな予感がする。

2004年11月08日(月曜日)

ジテツー(帰還編)

21時57分 暮らし 天気:良い

 さて、今度は帰り道。
 20:00過ぎに会社を出て、駐輪場から自転車で漕ぎ出した。帰路は長後街道は出来るだけ使わず、北方ルートを回りこんで、踊場近辺に出る道を使った。横浜新道の下を潜り、住宅街に入ってから、かなり登るのだが、車のプレッシャーは皆無なので気楽だ。しかし登りなのでかなり汗をかくな。Tシャツの上に長袖シャツ、その上にパールイズミのウィンドブレーカーを着ていたのだが、長袖シャツは必要なかったかもしれない。今日は十分に暖かな日だった。
 行き帰りを総括してみると、自転車通勤はイイ! ということになる。経路の自由度が高いので、例えば帰路にどこかの店に立ち寄ったり、気まぐれに境川まで出て走ったり、って事が可能だ。また地下鉄のダイヤに拘束されないので、時間も要さないで済む。難をいえば、やはり汗の始末か。が、往路は下りが長いので汗が引きやすく、帰路は上りが多いので汗をかくが家に戻れば始末できる。
 夏場や雨の日はどうよという懸念はあるが、今のところは問題らしい問題は見当たらない。むしろ、走っていると楽しいのだ。出来るだけ続けようと思う。

ジテツー初日

10時53分 暮らし 天気:くもりかな

 さて、天気は良さそうなので、今日から自転車通勤を始めてみた。
 服はふつうのシャツにジーンズだが、その上にウィンドブレーカーを羽織った。またヘルメットもした。ポンプなどの工具類は、全てメッセンジャーバッグに入れて背負った。
 駐輪場までやはり15分程度。そこで手続きをして、駐輪場所を確保した。駐輪場は上下2段のもので、上側を指定された。TCR-2なら問題は無い。また上側の方が盗難は少ないようだ。まあ滅多に無いとはいっていたが。
 ヘルメットと自転車をゴジラロックで固定し、会社に向かった。汗を掻くかと思ったのだが、踊場からはダウンヒルになるので、意外に汗は無い。冬場なら、汗の始末を考えなくて済みそうだ。

2004年11月07日(日曜日)

境川ラッテ再襲撃ツーリング

20時37分 自転車 天気:大変良かった

 今日はうっきー氏招集による、境川ツーリングの日だ。本当は先週行われる予定だったのだが、僕の南大菩薩山歩きと同じく、悪天候で中止されたのだ。今週はそのリベンジというわけだ。
 自転車はなににしようかなと思った。なんだか折り畳みには全然乗ってない。だが結局はMasterXLを選んだのだった。
 集合場所の大和駅までは30分で行ける。集合時間前に到着すると、既に変わった自転車が集結しつつあった。あ、今日はBikeEで来ればよかった。
 参加予定者+飛び入りが集まったところで、一行は早速出発するのだった。僕は土地勘があるので殿を引き受けた。
 少し走ってグランベリーモールに。モンベルショップを冷やかす。別に買うもんは無いしい、などとぶらついていたが、自転車用のレインウェアは欲しいな。できればポンチョ型の奴。雨の日のジテツーを考えると、ふつうの服の上から着られるものが必要だ。
 その後は黙々と境川沿いを遡上し、淵野辺で町田側に進み、尾根緑道へと入った。今日はなにやらウォーキングの催しでもあったのか、旗を掲げた集団が同方向に進んでいた。幸い、道幅があるのと、お行儀の良い集団だったので、互いに迷惑を掛けることは少なくて済んだようだ。
 途中の公園で昼食を取った。空は青くて、秋晴れだ。暦の上では立冬なんだけどな。
 今回はやはりリカンベントが多いのだが、静岡から参加されたフゥ氏はトライクで参加されていた。尾根緑道への入り口で担ぎがあったくらいで、あまり問題は無かったようだ。
 昼食後、黙々と尾根緑道を走り続ける。R16に合流した後は、長閑な道を越えてゆく山岳戦の様相を呈してきた。ここは通ったことが無いんで、道がわからないな。でもGPSはあるし、最悪町田街道に出て、ラッテに向かうことは可能だ。しかしまあ、意外に消耗する道だった。
 多少のアクシデントに見舞われながらも、やがて日が傾き始めた頃、無事にラッテへと到着した。が、なにかイベントでもあるのか、かつて見たことが無い混雑振りだった。なにせ、交通整理のガードマンが置かれているくらいだ。とりあえず自転車を置き、しばらく並んで、ココナッツのジェラードをせしめた。甘みが疲労を和らげてくれる。
 ここから橋本に戻るようだが、僕はR16を走って帰るつもりだったので、一足先にお暇を乞うた。
 町田街道に抜け、R16に出て、南下していった。途中、相模原の陸橋を越え、マクドナルドのすぐ次の信号で、境川方面に折れた。昼食時に聞いたのだが、この辺に30%越えの超激坂があるとか。探すまでもなく、ほどなく32%の標識が現れた。長さは50m弱で、一番下の10m足らずが32%らしい。見ていると、MTBの人が、一番軽いギアで登ってきた。短い距離なので、なんとかなるみたいだ。だがロードでは辛そうだな。
 そこから境川へと抜け、境川に沿って走り、帰宅した。僕の方の境川下流域アイスお代わりツアーも、詳細を詰めないとな。

2004年11月06日(土曜日)

ジテツーの当たりをつける

09時23分 自転車 天気:晴れてるね

 朝、たか氏がMasterXLの金を巻き上げに来た(をい)*1。立ち話をしていて、『サドルを上げすぎとちゃうか?』という指摘が出た。体格的に似通った我々だが、たか氏が使っていたときに較べ、だいたい4cmほどもサドルを上げているのだ。そういう目で見ると、腿の前側に負担が掛かっているのは、ペダリング時につま先を使ってしまっているからではないかと思えてくる。乗ってる当人はそんなつもりじゃないんだが、状況証拠はそう語ってるんだな。一度、ローラー台とデジカメ(動画モード)の組み合わせで、ポジションをチェックしないと。
 たか氏が帰った後、中途半端に睡眠時間が不足していたので、ちょっと二度寝の誘惑に屈してしまう、お茶目な俺様だった。
 目が覚めると14:00。あー、ダメ人間まっしぐら。ほんと、今の会社が拾ってくれなかったら、ニート君まっしぐらだったな;-.-)
 起きて、TCR-2のペダルを付け替えた。MasterXLが来たからといって、TCR-2を同盟国に供与したり、モスボールしたりはしないのだ。こいつを通勤快速車に仕立てよう。仕立てようったって、ペダルを替えるだけだがな。さすがに通勤にSPD-SLを使う気は無いので、dixnaのロードペダルに替えた。これで、通勤用の軽登山靴でも踏める。
 この状態で、戸塚まで走ってみた。行きは長後街道ぶっ飛ばしルートで良かろう。走ってみると、会社近くの駐輪場まで、15分で行けた。地下鉄だと、駅からは歩きになることもあり、だいたい20分以上、タイミングによっては25分ほども掛かる。こんなに近かったのかよ。まあ余裕をみても、今までの通勤時間と変わらない程度だろう。地下鉄のダイヤに縛られない分、自由度は高まる。
 帰路は、会社の北に走り、横浜新道の下を抜ける隧道を潜った。GPSを見ながら住宅街を抜ける。結局は上り坂が多いのだが、長後街道のような傾斜ではなく、また交通量もそんなに多くは無い。帰りは、ここをまったり走ればいいか。
 ユニクロの近くに抜けたので、中田まで長後街道を走り、そこからは裏道で帰宅した。
 帰宅して、TCR-2のチェーンを交換した。どうも変速が決まらないのだが、チェーンの伸びのせいかなと思ったのだ。5000km強走ったし、替え時でもある。が、それでも変速調整がうまく行かない。トップ側を詰めるとローが決まらず、ローを決めるとトップが不調になる。どうしたことか。
 ふと気になって、後ろから変速機を観察した。……曲がってないか、これは。MasterXLに比較すると、スプロケットに対して斜めになっている。こけた時に曲げたかな。なら、決まらないのも当然だわ。
 サガミにでも持っていって調整してもらうか。とりあえずトップは捨てて、通勤程度なら問題は無いくらいに追い込んでおいた。はあ、また余計な出費が。

2004年11月05日(金曜日)

ジテツー準備

08時58分 暮らし 天気:いい天気

 自転車通勤を始めようと思うのであった。
 日ごろ、朝トレ夜トレをするには気合が要るし、かといってローラー台も毎日やっては空しいしで、欲求が捌け口を求めて瘴気を放っている状況だ*1。雨の日も風の日も乗りたいというわけではないが、まあ出来るだけ乗ってやりたいのである。幸い、会社のすぐ近くには有料の駐輪場がある。料金も安いので、負担は少なくて済む。問題は会社にばれたらという時だが、聞いて回ると別に自転車通勤厳禁というニュアンスでは無いようで、実際にはやってる人も多いようだ。ばれたら『健康のためにたまにやってるんです』といえば済みそうだ。
 うちから職場までは地下鉄で3駅分、距離的には4km程度だろうか。自転車だとあっという間だ。が、その間には、踊場の坂がある。長後街道の戸塚から踊場にかけて、けっこう辛い坂があるのだ。距離的には大したものではないのだが、交通量が多いのと、途中に狭くて状態の悪い区間があるため、正直なところあまり登りたくは無い坂だ。
 まあ、行き(踊場->戸塚)は一瞬で通り過ぎるからいいんだけど、帰りは避けたい。隘路を避けるにしても、大きく回りこまないと無理そうだ。問題は横浜新道をどう越えるかだ。横浜新道は、小高い丘を削ったような造りになっていて、西に向けて急傾斜になっている。ほとんど道は無さそうだ。しかし地図をじーっと見ていると、長後街道からずーっと北東の地点に、この新道の下を潜る隧道があるようだ。バス路線も通っているくらいだから、それなりの道なんだろう。そういえば、はるか以前に通過したことがあるな。ここからバス路線に沿って走ってゆくと、最終的には踊場のユニクロの近くに出られそうだ。
 明日、この辺りを走ってみて、状況を見てみよう。

2004年11月04日(木曜日)

やはりケアは大切だ

19時22分 暮らし 天気:快晴

 昨日、疲労の取れないまま、100kmばかり走ってきた*1。しかし、帰宅してすぐアイシング、それから寝る前に切り札のアミノバイタル素人を飲んでおいたところ、今朝には筋肉の張りもほとんど取れ、わずかな倦怠感を除いて疲労は持ち越してないようだ。ついでに右腿の前部にあった筋肉痛も、運動によってほぐれたのか解消してくれた。うむ、適度な運動とケアは、疲労時にこそ必要なんだな。
 それにしても、MasterXLに乗るようになって感じ始めた、腿前部の疲労感はなんなのだろう。サドルを高くしすぎたのだろうか。ちょっとだけ下げてもいいかも。いや、クランクを替えて(Ultegra167.5->Cospea165)、多少ペダル踏み面~サドル座面の距離は近づいたはずだ。ハンドルが低すぎるのだろうか。まだポジションに改善の余地は大きいと思われる。

2004年11月03日(水曜日)

多摩川自転車誘惑オフ

20時05分 自転車 天気:いいねえ

 今日は、まめ氏の呼びかけで、多摩川にて珍しくオフが開催される。新車を検討中のみはる女史に、BikeFridayシリーズ試乗の機会を作ろうという趣旨だ。
 集合場所は二子橋のたもとだ。実は立場から向かうのに、一番中途半端な場所なのがこの一帯だ。自転車だと、これというルートは無い。いやR246があるのだが、かなり危険な道だからなあ。輪行するにしても、細かい乗換えが待っていたり、結果的に大回りすることになったりして、時間を要してしまう。
 R246以外にも、自走ルートは無くは無い。中原街道を走るのだ。中原街道を通って、多摩川沿いに出る。これが一番安全で、かつ簡潔なルートと思えた。ちょっと足の状態がよくないが、それでもMasterXLなら走りきれるだろうと思い、今日はチャレンジすることにした。
 ちょっと荷物があるので、メッセンジャーバッグを背負い、8:30くらいに走り出した。
 横浜市道環状4号を北上し、中原街道との交点で乗り換える。走ってゆくと、最初のうちは立体交差のトンネルがあったりするが、道は広くて安全だ。ただし、なんだこのアップダウンは。なにか嫌がらせのようにアップダウンが続く。
 蓮如が一休宗純に宛てた手紙に、
 寝て食(っ)て 寝て食て……(延々続く)
 かくて人間とは死ぬものなり
などと結ぶものがあるらしい。その顰に倣えば、
 登って下って 登って下って……(延々続く)
 かくて我輩は疲れ果てるものなり
という感じ。
 調べてみると、中原街道は、江戸期が始まった頃、徳川家康が領内視察と駿府との往復の必要から作ったものらしい。なるほど、清清しいほどまっすぐに、丘を越えてゆくこの道は、領内視察にはうってつけだったろう。だが自転車のルートとしてはどうよ。家康め、自転車が環境に優しいローインパクトでヘルシーな乗り物であることを知らなかったのかっ。
 あるいは、足の疲労が取れていたら、喜んで登っていたかもしれない。が、今日はさすがにダメだ。
 苦しみながら丘を越えてゆく。川崎に入る頃からアップダウンは無くなったが、道幅は狭くなる。本当にこれでいいのかと迷いつつも、しかし結局は無事に多摩川にたどり着いた。
 多摩川沿い、というより横浜線沿いに北上し、やがて武蔵溝口駅に出たので、多摩川に出ようと思った。が、ここで迷う。住宅街を迷走し、やっと多摩川に出て、集合場所に向かっていった。到着は10:15頃で、今まさにミーティングを始めようとしているところだった。早速紛れ込んだ。
 参加者の中にはお久しぶりの顔がちらほらと。@nak夫妻も参加していた。あれ、(た)女史のSatRDayが走行しているところは、初めて見たのかな?
 自己紹介が終わるなり、まずは登戸方面に向けて走り出した。と、疲労の極にあった我輩は、うっかり転倒劇を演じてしまった。まだ走り出してなかったのでインパクトは無かったが、恥ずかしい。
 多摩川は、同じような道幅で、かつ柵は無い境川に較べて、なぜかずっと走りにくい気がする。不条理な切り返しで橋をパスさせられるのと、交通量が多いためだろうか。
 途中、二ヶ領用水せせらぎ館での休止時、わかば女史のビアンキと、cho氏*1のケルビムに試乗させていただいた。ビアンキはセッティングもあるのだろうが、しっとりした乗り味。タイヤの圧を低めにしているのかなと思った。ケルビムのロードはデモンタブル仕様で、ちょっと重量があるせいか、どっしりした乗り味だった。同じ鉄ロードといえど、いろいろ違いはあるわけだ。
 次の休憩場所、登戸茶屋で、猫の餌付けシーンに遭遇した。猫どもは集まった自転車にも興味があるようで、僕のMasterXLの匂いなども嗅いでいる。食うなよ。お前らをまとめて三味線にして売っても、とても賄えないくらいの値段なんだからな。
 登戸茶屋を出て、対岸に渡り、北上してゆく。最初の未舗装区画はともかく、道として走りやすい気がするのはなぜだろう。
 途中、いつの間にかまめ氏のAirLlamaに試乗しているhai氏とバトルしながら、やがて最終目的地の関戸橋南方に到着した。郷土の森近辺のクランクを曲がってすぐの辺りだ。昼食を加藤画伯の先導で買出しに行き、戻ってみると、いつの間にかミキ氏らが合流している。かぜ氏もいたので、買ったばかりのカーボンロード、KUOTA KHARMAに試乗させてもらった。なんだか、段差を乗り越えるショックが、どこかで打ち消される感じだ。鉄ロードが『消えてゆく』なら、カーボンロードは『打ち消される』という感じ。もっと乗ってみたかったが、こけるとあれなので返却した。それにしても、ダウンチューブからBB回りに掛けてのボリュームが凄い。また10Sデュラエースの作動感は凄い。快感だ。
 昼食を取りながら、いつの間にか折り畳み講習会兼試乗会が始まる。まめ氏のAirLlmaの輪行状態の小ささには驚きだ。Airシリーズは手間が掛かるものの、畳むと小さくなるという感じ。対して、Pocketシリーズは、手間も掛からず小さくできる。俺的にはコンベンショナルなPocketシリーズの構造に惹かれるものがある。
 今回のそもそもの主眼である、みはる女史の試乗ももちろん続いている。が、ドロップハンドルに不慣れなゆえ、おっかなびっくりという塩梅であった。
 ここが解散場所なので、三々五々去ってゆく。多くの参加者はLoro方面に行くために折り返すのだが、僕は時間的には多摩ニュータウン通り経由が有利なので、関戸橋へと北上していった。
 Y's Parkで一服して、多摩ニュータウン通りを走っていった。こっちから登るとピークが連続するので、ちょっとだけ辛い。が、コンパクトクランクの軽さに助けられて、神奈川県へと帰還した。
 まっすぐR16を帰るのも嫌なので、帰路は境川を下っていった。帰宅する頃には真っ暗で、CBあさひのライト台が早速役にたった。
 今日は久しぶりに知人にたくさん会えたし、いい一日だった。

2004年11月02日(火曜日)

未だに残る疲労はなんだ

22時14分 暮らし 天気:かなりいい天気だ

 実は、月、火と腿の痛みに苦しめられている。どう考えても筋肉痛なのだ。原因として考えられるのは、日曜日にMasterXLでロードの人と演じたバトル*1か。向かい風の中、35km/hくらいで走ってたからな。しかし、あんな程度の時間で、ここまで筋肉痛になるということは、まだMasterXLのポジションに慣れてないのかも。あるいは、アリオネに変えて、多少ポジションが変わったか。
 こういう時は、実はトレンクル辺りで流すように走ると良いのだけど、仕事が遅くまで続く状況では無理だな。
 明日は多摩川を走る予定だけど、中原街道を走りきる自身が無いので、やっぱりMR-4Fで行こうかな。

2004年11月01日(月曜日)

冬の足音

10時35分 暮らし 天気:よくなってきた

 しばらく寒い日が続いたと思ったら、また暖かな日になった。今日はフリースが不要で、その下のシャツだけで過ごせるような日だった。とはいえ、窓を全開にしていると寒いし、日陰では肌寒さも感じた。こうして冬が近づいて来るんだな。
 今年の冬は一杯走りたいので、いい冬用ジャケットを買おうと思う。通勤にも使いたいしな。
 夜は、あまり腹が減ってなかったので、湯豆腐に毛が生えたような鍋でごまかした。相変わらず野菜が高い。が、春菊がなぜか安いので、助かる。