Strange Days

2004年02月29日(日曜日)

NHKスペシャル『データマップ63億人の地図』

22時33分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは『データマップ63億人の地図』第2回「感染症・謎の拡大ルート」
 現在、地球全体に広がりつつある鶏インフルエンザ。その流行は、去年オランダで始まった。そして今年、アジア、アメリカ、欧州のその他の国々に、感染が広がっている。
 去年のオランダでの流行時には、最終的に1億3000万羽もの鶏を処分する結果となり、養鶏業界に大打撃を与えた。しかし、その過程を追うと、政府を中心とした施政者側が、漫然と構えて被害を拡大したとは、必ずしもいえないようだ。
 鶏インフルエンザが発生したのは、オランダ最大の養鶏地帯のさらに北、同国北部でだった。当局は、発生当初から鶏の移動禁止区域を設け、感染拡大を防ごうとした。ウィルスを保持した鶏の移動を禁じれば、鶏インフルエンザの蔓延は防げるという発想だった。ところが、鶏インフルエンザは発生し続け、遂に移動禁止区域外にまで広がったのだ。この原因として、区域内外を行き来する車両に、ウィルスが潜在した鶏の糞が付着し、それが区域外に運ばれたのだと推測されている。微量の糞でも、広い地域に感染を広げるらしい。この辺、一般常識としては想像の外にあり、多くの意識せぬスプレッダーが誕生する結果になったようだ。
 この鶏インフルエンザ、当初は人への感染はありえないとされていた。ところが、感染が広がるに連れ、人への感染例が数多く発見された。それも感染を拡げる一因となったという。
 この疫病が、オランダ最大の養鶏地帯へと侵入することは避けなければならない。そこで、感染区域の南部に緩衝区域を設け、侵入を食い止める方針を打ち出した。緩衝区域の全ての鶏が処分された。しかし、それでも感染拡大は止まらず、ついに養鶏地帯への侵入が確認されたのだった。しかも、この時に最悪の事態が発生した。鶏インフルエンザに感染した医師が、死亡したのだ。この時、人から人へと感染するという、これも従来の認識に無い事態も起こっていた。
 このようにして、打った対策をことごとく逃れて感染は拡大し、最終的に莫大な数の鶏を処分する結果となったのだった。今年、同じように拡大してゆくのか、それとも去年の苦い経験を生かして食い止められるのか、まだ明らかではない。
 一方、アメリカでは、もう一つの思わぬ病気が広がりつつある。西ナイル熱。その名の通り、アフリカ原産のこの疫病が、遠く離れたアメリカ大陸に、着実に広がりつつあるのだ。
 西ナイル熱の発生が最初に確認されたのは、ニューヨークは西クイーンズ地区だった。当初、奇妙な流感だと思われたが、それが西ナイル熱だと判明すると、大きな驚きで迎えられた。遠く離れたアフリカとは、陸続きでもなんでもない。どうしてここにやってきたのか、そしてなにが媒介しているのか。
 一つのヒントとみなされているのが、この地区に二つある国際空港の存在だった。そこにやってくる何かが、ウィルスを保持していたのだろう。しかしなにがウィルスを運んできたのだろうか。推測の一つとして、(密)輸入された鳥が保菌しており、それがニューヨーク一帯にいる蚊に移され、感染が始まったのではないかというものがある。
 米保健当局は、感染区域の蚊を駆除すると共に、感染拡大防止のための手を打った。しかし、事態は予想を超えた展開を見せる。ニューヨークからは離れたボルティモアにも、患者が発生したのだ。その後、更にローリー、フロリダと、アメリカ東海岸を南下するという、不気味な動きを見せた。
 この奇妙な感染拡大について、その原因と目されているのが渡り鳥だ。渡り鳥の飛行ルートの一つとして、この東海岸を南下してゆくルートがあるのだ。その傍証となったのが、皮肉にもその後の拡大ルートの有様だった。アメリカ中西部へと広がっていったのだ。様々なルートで南下してきた渡り鳥たちは、南方の越冬地で共に冬を過ごす。その時、別のルートの渡り鳥にも、ウィルスが渡される。そうして、今度はアメリカ中部を北上する渡り鳥たちにより、西ナイル熱が拡大されていったのだ。
 さらに2002年には、今までに無い爆発的拡大を見せた。アメリカ中部は、長雨の影響で蚊が繁殖しやすい状況にあった。その結果、飛翔距離の長い蚊の一種が大繁殖し、それが感染を広げて行ったのだった。
 拡大の要因は、もちろん自然現象だけではない。遠く離れたカリフォルニアにも、感染がポツリと確認されている。これも、最初のニューヨークの事例と同じく、近くの空港を発着する飛行機(が運んだ何か)を経由したものだと思われる。
 このように、西ナイル熱の急激な拡大は、人為的な原因と自然現象とが併さった結果だと思われるのだ。しかも、その自然現象にも、結局は人間が関与している可能性がある。乾燥した中西部に蚊の繁殖しやすい環境を作ってしまったのは、人間の自然干渉の結果だし、長雨も全地球的な異常気象に一環なのかもしれない。
 かつて、船舶を媒介して、地球全域に猛威を振るったスペイン風邪。その悪夢の再来は避けなければならない。しかし、航空機による物流は、昔とは比べ物にならないほど時間を短縮し、量的にも拡大している。今や感染症は国際問題であり、カリフォルニアに到達した西ナイル熱が次に襲うのは、この日本なのかもしれないのだ。
 感染症には先手必勝だという。しかし、思いもかけぬ事態が連続する最近の感染症対策の現状を見ていると、これは人間の想像力が試されている戦いだとも思えてくる。

足を剃った

16時05分 自転車

 昨晩、風呂に入ったとき、久しぶりに足を剃った。かれこれ二月ぶりだろうか。意外にボリュームは無かった。もちろん、1週間ごとに剃っていた頃に較べると、段違いに手間は掛かったが。
 んで、今朝、出勤するとき、妙に足元がスースーするなあと感じた。それで、昨日剃ったことを思い出したのだ。あの程度の体毛でも、防寒の役には立っているらしい。多分、気流の通過を阻害することで、放熱を妨げる働きをしているのだろう。
 後二月も経つと、ショートのレーパンの季節がやってくる。

15時54分 思考

 3、2、1、そして0。自分がそんな風にして<無>になってしまうのだとしたら、どんなに恐ろしく、そしてやるせないだろう。
 バラードの代表作(と自分で言っている)『時の声』では、主人公のパワーズ博士が、まさにそうした運命をたどる破目になる。パワーズ博士は、奇病ナルコーマにより、日々眠りが長くなってゆく運命にある。今日は8時間起きていられても、明日は7時間55分、明後日には7時間50分しか目覚めていられる時間が無い。そんな風にして切り詰められてゆく毎日。それをただただ甘受するしかないというのは、なんと残酷な状況なのだろう。やがて最後の目覚めへと、そして二度と目覚めぬ眠りへと繋がってゆく夜。その時間を正気で過ごせるとは、とても考えられない。
 だが、僕だってやがては"0"になってしまう運命にある。人として、いや生命として生まれた以上、終末の到来は避けられぬ定めだ。問題は、その瞬間が正確に分かっているかどうかだ。
 パワーズ博士の病は極端としても、明日をも知れない、いや余命n年などと宣告された人々は、数多い。そうした人々は、何段階かの受容のステップを踏んで(これは、今はオカルト方面に行ってしまったキューブラー・ロス女史の研究が著名)最終的な平穏を得るという。ロス博士の著作は、あまりにも物語的かつ自己完結的に過ぎると感じる部分もあるが、死を見つめることで人の内面が質的に変化したり、より生産的になったりするという事例は、その枚挙に事欠かない。まあ、確かなことなのだろう。そのことは、ターミナルケアの現場レポートを引けばいいだろう。また、一昨年亡くなった日野啓三が、腎臓癌からの生還を果たした後、生死という問題にさらに深い視線を注ぐようになった故事を引いてもいい。死は人間を謙虚にさせる。より正確には、死へのカウントダウンを聞くことは、だろうか。
 だが、死の運命からは、この宇宙そのものさえも逃れられそうに無い。量子論の、現在主流の学説に拠れば、最も安定した素粒子である陽子も、極めて長い時間をかけて崩壊することが予言されている。それはまだ実証されてはいないが、一方で宇宙空間そのものが拡大し続けているというビッグバン理論も、何度も修正を加えられながら、今や実証の段階に達している。ハッブル宇宙天文台を初めとする高性能の大型望遠鏡は、宇宙の果て、時間の果てで起きた、宇宙開闢直後の現象を捉え始めている。宇宙論と観測手段が精緻化されてゆけば、やがて宇宙の現年齢が年単位で、さらには時分秒単位で明らかにされるかもしれない。そうなれば、我々は宇宙の"誕生日"を祝うことが出来るようになるかもしれない。
 だがビッグバン理論は、宇宙に何らかの形での終末が訪れることをも、必然的に予言する。宇宙が閉じている(宇宙空間の拡大を反転させられるほどの物質が宇宙にある)のならば、宇宙はビッグクランチという、空間自身の消滅という形での終末を迎えるだろう。開いている(際限なく空間が拡大してゆく)のならば、物質は延々と希釈され続け、やがて構造を持った安定な物体は何一つ存在できなくなるだろう。そして陽子論の予言通りに、陽子が崩壊することが事実なら、宇宙にはほんのりした熱エネルギー以外には、なにも残らなくなるだろう。
 劇的なビッグクランチ、逆に延々と続く熱的な死、どちらにせよ、僕たちの文明は、やがて宇宙の死ぬ瞬間を算出できるようになるはずだ。そしてその時、僕たちの持つ時間という概念は、大きく反転するかもしれない。
 現在、時というものは、雪のように刻々降り積もって行くものだと信じられている。時間は一方へと増加するばかりで、それが反転することは無い。その認識は、人間の文明に、宇宙の永遠性への素朴な信仰をもたらした。だが、"終わる瞬間"の正確な時刻を知ったとき、人間たちは、終わりの"時"に向けてカウントダウンをするという誘惑を、果たして振り切れるだろうか。宇宙の死を前提とした、漸減的な時間認識、それが僕たちの意識を変えてしまうだろう。
 3、2、1、そして0。そんな風に宇宙もまた終わりを迎えるのだと知ったとき、もしかしたら、人間の文明はより謙虚に、そしてより無害なものへと変わってゆくのかもしれない。『時の声』で、宇宙から届く異星人たちの"放送"に耳を傾け、それらがみな宇宙の死へのカウントダウンだと知ったとき、パワーズ博士が初めて宇宙そのものの運命と同一化できたように。
 それでも、終末に背を向けて、この馬鹿騒ぎを続けてゆくのだろうか。それを知ることが出来るとしたら、それも宇宙論の発展の先に待つ、楽しみの一つではないかと思ったりする。