Strange Days

2004年03月07日(日曜日)

S&Bホンコンやきそばとの遭遇

23時22分 暮らし

 今日のツーリング中、こぐ氏からタイトルの物体を拝受した。かつて、日清やきそばと天下を二分するほどの人気だった商品だが、いつしか忘れ去られ、しかし一部の好事家の脳裏からは離れなかったものだという。なんでも、いまだに北海道と九州では売られているそうだ。そこでインターネットで入手する輩が後を絶たず、いつしか全国普及委員会なる任意団体まで作られているという。僕は興味を持ってなかったのだが、こぐ氏が持ってくる数を間違えたとかで、ただでいただけることになった。貰える物なら何でも貰い隊の隊員としては、いただかぬ手は無い。
 これが包装だ。"SB中華コック長"なる人物が、なんとも頼もしい。おるんかい、ほんまにそんな役職が。
 作り方は簡単だ。フライパンに200CCの湯を沸かし、麺を投入、水気が無くなるまで麺をほぐしてゆけばいいというものだ。そう、まるでチキンラーメンのように、調味料を麺に浸透させているのである。
 出来上がり。最初はどんな代物になるかと思われた。というのも、麺の色は意外に薄く、例えば日清ソースやきそばのような系統の味に化けるとは、到底思えなかったからである。しかし、ほぐれた麺は色がやや濃く、案外に美味そうに映る。しかし、湯が無くなっても、麺は完全にほぐれきったようには見えなかった。
 食べてみると、想像した以上にスパイスが効いていた。いや、口にしただけでは分からないのだが、食べ進むうちに次第に口内が侵食されてゆく感じなのだ。思うに、スパイスの類は全て麺に練りこんであるので、咀嚼することで初めてこの風味がかもし出されるのだろう。
 食前には、チキンラーメン風の味わいを思い描いていたのだが、むしろぺヤング系の味付けだった。
 このホンコンやきそば、レシピ通りに作ると凄く固く仕上がってしまう。後1、2割ほど水を増し足すと、ふつうの袋やきそばの食感になるだろう。このやきそばに関して記述した他のページを見ても、そういう考えが散見される。しかしこの硬さは、実は意図したものなのではないかと思った。かたやきそばがあんにふやけたときの食感に似ていると思ったのだ。そういう意味では、実は市場の主流を占める、いわゆるやきそばとは、ずいぶん異なった食感を狙っているのかもしれない。
 しかし、この麺に調味料を練りこむという製法が癌で、ふつうのソース分離型のように野菜を一緒に炒めるということが出来ない。この辺が、マイナーなまま留まった理由なのかなと思った。しかし独特の食感と味わいが、コアなファンをがっちり確保できた理由なのだろう。

大山しし鍋ツアー2004

21時17分 自転車

 今年で3回目の大山ツーリングの日がやってきた。去年、一昨年とヒルクライムする割にはカロリーが過剰なほど食いまくるツーリングとなった。
 朝は6:15には起きるつもりだった。確かにその時間に目覚し時計(携帯電話)を止めた気はするのだが、ふと気づくと7:00前。いやはや、二度寝しちゃったか。大慌てで飛び起き、身支度して、長後方面へと慌しく走り出した。朝食抜きなのである。
 長後に向かったのは、たか氏と伊勢原まで自走しようと、前日の夜の掲示板に書いておいたからだ。たか氏からはかくかくしかじかで待つ、という返答があり、そこに行けばいいだろうと安心しきっていたのだが。
 件の場所に到達したのは約束の時間の前だったのだが、時間が過ぎても一向にたか氏は現れない。夢の世界か? しかし、電話番号を携帯に記録してなかったので、連絡も取れない。他のメンバーに連絡をとってもらえないか、と掲示板経由でお願いする。その間、今日のMR-4Fの写真を撮ったりしながら、のんきに過ごした。
 その後、8:30になってたか氏と連絡が取れた。なんと、すでに現地に到着しているという。待ち合わせ場所で待っていたが(僕が)こなかったので、てっきり輪行するものだと思い込んだらしい。さらにいえば、待ち合わせ場所も間違っていた。"XXから信号三つ目"ということになっていたのだが、実はたか氏の知らない間に信号が新設され、僕が馬鹿正直にカウントしながら走ったため、一つずれてしまったのだ。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(常田富士夫風に読め)。
 ともあれ、現地に走る他は無いので、自走で向かうことにした。輪行ではかなりの時間を要するのだ。
 9:00集合予定ではあったが、足をいじめつつなんとか9:40頃には到着し、すべてのメンバーが揃った。ハンガーノックになりそうなので、駅にあった総菜屋でたこ焼きを買い食いする。
 ここからが大山登山の始まりだ。昨日の50kmほどのひとっ走りが意外に堪えたようで、既に足に疲労を感じていた。まだ斜度が緩い場所は大丈夫だったが、きつくなるに従い、心拍が急上昇し始めた。つらい。つらいが、何とか止まらないで上ってゆく。
 途中、奇妙な建造物がどかんと建っているのに遭遇。過去2回ここを上っているのだが、誰も気づいてなかった。ABM発射基地か? いや、銀行の文書保存施設だった。銀行の文書は永久保管だとか。そんなの不可能だろうが、超長期ローンなどを考えると、1世紀は保管しなければならないだろう。恐るべし、銀行。
 土産物屋で一枚撮った後、最後の上りにかかった。ここは無理せず、休み休み上っていった。整備して調子のいいMR-4Fにも助けられ、なんとかまり屋に到着した。もう上らないでいいんだな、と燃え尽きたボクサーのようにしみじみ考えた。
 毎年御世話になっているまり屋さんで、早速しし鍋をいただいた。効果時間を考慮し、黄金色の発泡する液体(人体に注入することで目覚しい効果をもたらすという)を一杯だけやり、しし鍋を時間をかけて平らげた。こぐ氏らが両国で食したという野性味溢れる獣類とは異なり、洗練された鍋というべきだろうか。最後にご飯にかけていただいたのだが、これもおいしかった。
 しし鍋の後は、一休みして近所の散策を。今年の大テーマとして、仙人鍋リベンジというものがあった。昨日今日と開催されている大山豆腐祭りでは、駐車場で様々な催しが行われている。その一つが仙人鍋。巨大な鍋で仙人鍋なる豆腐を使った料理らしきものが振舞われるらしい。ところが、過去2回、我々はこの仙人鍋を食い逃していた。会場では、ちょうど豆腐大食いコンテストというものが開催されていた。わんこ豆腐なる、このコンテスト以外では決して目にすることの無い代物を、いったい何杯平らげられるかが競われていた。我々が見ている前で、21杯という偉大な記録が打ち立てられた。僕の観測では、このコンテストを勝つためには、食うのではなくて飲む、が鉄則だと思われる。21杯の人も、豆腐(1/4丁程度と思われる)を二口で飲むようにしていた。胃薬とお友達になれるだろう。
 仙人鍋は14:30かららしいという情報があったので、それまでは ケーブルカーの駅まで続く土産物屋をうろついた。いつの間にかせんべいを二袋ばかり仕入れていた。去年は蕎麦を買い、それなりに美味かった記憶がある。今年は下社へは参らなかった。
 会場に戻ってみると、まだ13:30を回ったばかりなのに、もう行列が出来ている。また食い逃したのではたまらん、と並んで待った。
 14:00に仙人鍋がスタート。と、アナウンスがあった。なんでも『鍋奉行が~の行事を執り行う』とのこと。しかし、来場者の大半は列を作って待っているので、全く見ることが出来ない。謎の儀式であった。
 いよいよ配布が始まり、やがて遂に仙人鍋を手にすることが出来た。豆腐となにかの草が煮られたもので、ポン酢がかけられていた。豆腐はまろやかで、草は石油系の味わいがあった。目的は達成できた。いま少し会場を散策した後(ちなみにこれは仙人鍋の全景で、奥が鍋奉行氏らしい)、会場を後にした。
 下りは気持ちよく、しかしバスに絡まったりしながらも、あっという間に下山した。下る途中で進路を変更する。鶴巻温泉に向かうのだ。
 鶴巻温泉で汗を流し、しばしぐでーっと寝転がっていた。意外に堪えているようだ。急激に気温が低下した影響もありそうだ。
 最後は毎度の天安。今年はてんぷら盛り合わせと鳥雑炊。てんぷらはごま油の香りも高く、雑炊はお腹に優しい味わい深いものだった。この店、物凄く地味に営業しているので、たか氏がジモティに聞いてなかったら、決して気づかなかったろう。入店したとき、店の人に『インターネットでうちの店のことを書いてくれた?』と聞かれた。なんでも、娘さんが天安のことをインターネット検索で調べたら、誰ぞのページが引っかかったらしい。天安に関して詳しく書いたのは@nakさんちだから、恐らくそちらでヒットしたのだろうということになった。
 天安が込み合ってきたので、帰宅することにした。
 鶴巻温泉駅から輪行し、海老名でたか氏と共に降り、そこからは自走で戻っていった。たか氏は『峠を三つ越える』といったが、その通り、ピークを三つ越える羽目になった。疲労しているようで、あっという間に心拍数が急上昇だ。走り込んでないのがありありと分かった。
 なんとかピークを越え、本来の待ち合わせ場所まで戻ってもらい、そこで別れを告げた。そして一人でのんびりと走って帰った。
 今年は参加者が少なくてやや寂しかったが、来年もやりたいもんだ。

補遺

06時16分 自転車

 昨日、修理した部品を"テンションボルト"などと書いたが、正式名称は"アウターアジャストボルト"らしい。テンションボルトは、ストロークアジャストボルト(ハイ/ローの位置決めボルト)の近くについている、フレームとの支え棒のようになっているそれのことだ。ややこしいんだよ!