Strange Days

2004年05月29日(土曜日)

多摩川周回走行(栄光の紅虎宴会編)

23時26分 自転車 天気:晴れ晴れ

 さて、今日はにち氏の呼びかけによる、多摩川ロングライド・リベンジ編(この時点の想定では返り討ち編となる予定だった)に参加する。
 集合場所の二子玉川までは、僕の住処からは30Kmほど。自走も検討したが、なんとなく気合が入らず、地下鉄~東急と乗り継ぐ輪行で向かった。現地まで2時間ほども掛かってしまった。MR-4F改で出動したので、輪行準備と解除に時間が掛かり、また地下鉄があざみ野まで1時間以上も掛かるので、仕方が無いのだが。
 集合場所の二子玉川の橋の下に着くと、すでに@nak(あ)氏らが到着していた。加藤氏、わかば女史とお会いするのは久しぶりな気がする。
 しばらく、(あ)氏のAirFridayを品評したりしながら待っていると、だいたい全員が集まったような雰囲気が漂ってきた。今日の作戦を説明される。まず下流の羽田空港方面に走る。それから昼までに現位置に戻り、昼食後に上流の羽村に向かい、折り返してくるという作戦だ。過去、羽村まで走った後、二子玉川で紅虎の誘惑に負けてきたので、この作戦はいいかも。なんとなく、返り討ちに遭わないで済みそうな気もしてきた。
 下流に向かって走り出した。途中でマモル氏と合流し、ガス橋辺りで右岸に渡った。多摩川の下流域は、特に橋梁を通過するときの切り返しが不条理なほどで、走っていても苦痛に感じるほど嫌いだ。道も狭い。なぜ他の河川コースのように挨拶をする人がいない(それも皆無)のか、よく分かった。すれ違いざまに挨拶なんかしていたら、道を外れるか、対向車と衝突するか、どちらかの危険性が大きすぎるからだろう。
 しかし、東京側は、道幅こそ同じようなものなのだが、場所が開けた河川敷や、交通量の少ない土手の上などなので、かなり快適に走れる。自治体としての体力の差なのか。
 やがて、道が非常に細くなり、その向こうに鳥居が見えてきた。これが『呪いの鳥居』か。実しやかに流通している話では、この鳥居を撤去しようとしたWW2直後のGHQ関係者、その後の羽田拡張工事の関係者が、次々に変死したということだ。しかし、具体的にどこの誰がどう変死したのか、なんて話はついぞ聞けた例がなく、まあ与太話なんだろう。たぶん、GHQがなんらかの理由(景観への考慮、必然的な土地返却に備えてランドマーク的に残した、など)で残しただけなのが、日本人に色濃い先例主義で維持されてきた、なんてのが真相なのであろう。
 ここで記念写真を撮る。今日もD70に18-70mmを着けて行ったのだが、広角の威力は素晴らしく、近距離から縦位置で写しても、総勢13名と鳥居を収めることが出来た。
 ここから来た道を引き返し、出発地点に戻ったのは昼前だった。近所のコンビニで昼食を買った。しかし、戻って橋の下で食べると、ごみが出てしまう。背負って走るのは嫌だったので、コンビニの前で片付けた。
 12:30頃、川上に向けて走り出した。みんな、意外に元気な雰囲気。しかし、僕はここで大きなトラブルに見舞われた。GPSが起動しない! 電池を入れ換えてもダメ。くそっ、内部断線かな。しかし、失くしてしまうよりは、修理依頼で直せるだけましか。
 対岸に渡ると、ウォーキングの人々が、列を成して歩いている。その横をすり抜けつつ、不整地区画を走っていたところ、前輪がパンク。最近、パンクが多いな。止めて、チューブを入れ換えた。しかし、パンクの理由が分からない。過去2回のように、ガラス片が刺さったわけではない。リム打ちだろうか。家にあるピスタポンプが不調で(パッキンが壊れているようだ)、パナのものも空気圧がかなり低く出る傾向が続いていたので、それらを使って入れたMR-4Fのタイヤが、気圧不足でリム打ちしてしまったのかもしれない。タイヤも減っている箇所が斑のように増えているので、いい加減換え時かも。5000Kmももたなかったな。
 ともあれ、原因究明に時間をかけたため、修理完了まで15分を要した。MR-4Fに着けているe-ShockMaster Blusterでは、7BAR強まで入れるのが辛いというのもある。やっぱり、RoadMorphが入れやすいな。
 ともあれ、この遅れを取り戻すため、ウォーキング隊が充満するサイクリングロードを捨て、川沿いの一般道を突っ走ることにした。少し急ぎ気味(でも30Km/h弱)で走り続け、府中の森公園辺りでサイクリングロードに復帰、さらに北上していたところ、にち氏から電話が入った。近くの府中の森で休憩しているという。しかし脱水症状を起こし、唾液が出ない事態に陥っていたので、ともかくY's Parkまで走ると伝えた。
 Y's Parkに着くや否や、まずはコカ・コーラ500mlを一気飲み。さらにボトルのグリコーゲン・ドリンクを空け、やっと一息ついた。さらにチューブの修理を試みるも、パンク箇所の究明に手間取っているうちに、にち氏から電話が入った。既に関戸橋を過ぎたらしい。追いかける必要があるので、修理は見送り。走り出した。
 やや上流、一度住宅街へと外れる辺りで、本隊に追いついた。長い単独行の終わりだ。そこからは、概ね末尾にくっ付いて走った。
 要所要所で休憩を取りつつ、黙々と走り続ける。やがて、前方に羽村の取水堰が見えた。やった、折り返しだ。
 ここまで来ると、もう折り返すだけ(というか折り返さなければ帰りつけない)なので、みんな気が大きくなっている。そこで帰路は自販機で適当に補給しながら走るという方針が示された。記念撮影をして、折り返した。
 帰路、トレンクルで参加のみはる女史の調子がいまいちだ。流石に疲労したようだ。またにち氏もスピードが上がらない。逆に(あ)氏は快調で、スピードアップしたりもしていた。関戸橋の南で休憩し、さらに走り出した辺りで、(あ)氏がするするとスピードアップして行くのが見えた。このチャンスを逃すものかと、それに追随してスピードアップして行った。30Km/h平均で突っ走る。適当なところで(あ)氏に並び、「引きマース」と宣言してしばらく引いた。それまでの低速運転で溜まっていたストレスが、このすっ飛ばしで解消できたようだ。
 その後、スピードダウンしながら、登戸大橋で後続を待った。ここで全員が集合した後、対岸に渡り、さらに二子玉川へと下っていった。今度は加藤氏と(あ)氏がスピードアップして行ったので、それに着いて行った。こちら側は道が非常に細いので、スピードを出すのは正直チト怖かった。
 そうやって二人を追いかけているうちに、見慣れた橋梁が見えてきた。ゴール。大体、115Kmくらい走ったようだ。ともあれ、因縁の多摩川周回は、ルートを勝手に縮小しながらも、ついに完遂された。
 夕闇迫る橋の下で記念撮影した後、少し待って席を取れた紅虎で、激食慰労会が開催された。が、睡眠不足に疲労、さらにあまりに美味いビールが響き、僕自身は始終撃沈状態であった。
 二子玉川駅で三々五々別れ、僕は往路を逆にたどって帰宅。改めて、多摩川の上流域は走りやすいなと思った。走りにくいと思っていた下流域も、東京側はなかなか快適だったので、今度は一人で多摩川上流~羽田までのツーリングをやってみたいもんだ。