Strange Days

2006年08月31日(木曜日)

両リカンベントのギア構成を見直す

22時05分 自転車 天気:悪化中

 SatRDayのリアハブをXT化して、ロードスプロケでクロス化するのは、出来る限り早くやりたい。すると、今のカプレオなホイールが余るわけだが。
 それをBikeEに持って行きたいのだ。これで以前から検討だけはしてきたBikeE外装ギア化計画が、かなり単純になる。そもそも、SatRDayXT化はカプレオハブへの不満もあって立案したことなのだが、そのカプレオハブだって古いSRAMハブよりは、ずっとマシだ。
 BikeE外装ギア化のネックが、フロントディレイラーをどう付けるかということだ。フレームに穴を開けちゃった人も居るけど、貴重な*1BikeEのフレームに対しては、抵抗がある。そこでMTB用のEタイプならどうだろうと考えていたのだ。Eタイプの場合、BBでディレイラーの基部を挟み、さらに回転しないようにフレーム側にボルト一本で止める。このボルト止めの部分とアウター受けをどうにかすれば、割と簡単に取り付けできそうなのだ。ピラーを立てるよりは難易度が低くて済みそうだ。
 問題は、Eタイプが対応しているのはMTB用、それも44/32/22の通常タイプであるということだ。フロント44、リアにロードスプロケを持ってきてトップ12Tだとすると、ケイデンス90rpmでの最高速は30km/hに満たない。これはさすがに物足りなさ過ぎる。
 これにカプレオを組み合わせると、トップが9Tだから40km/h弱まで出る。たった3Tですごい差だな。なんだか行けそうだ。
 しかし、この場合はローが問題だ。カプレオハブは26T。MTBクランクのインナー22Tだとリア26Tでクランク一回転で1.27m進む。偶然、MTBに34Tを着けた場合に匹敵する。不整地の激坂を登るわけじゃないんだから、これはいくらなんでも軽すぎだ。感覚的に、リア2枚は無駄に軽すぎる。使わなきゃいいじゃんという考えもあるのだが。
 カプレオの場合、トップ3枚(9,10,11T)は、それぞれ隣のギアにアドオンされる特殊な構造になっている、らしい*2。しかし13T以下の6枚は、実は普通のギアと変わらない。これをばらして、保守部品の単体ギアと組み合わせることが出来るようだ。カプレオのギア構成は、9,10,11,13,15,17,20,23,26。このうち20,26の代わりに19,21を入れると、トップ3枚以外はギア間2枚差というクロスレシオを達成できる。19,21はロード用のものが使えるだろう。シマノのギアは歯数構成で微妙に設計を変えているという噂なので、あるいは変速性能が落ちるかもしれない。でもシフターには癖の少ない、融通の利くバーエンドシフターを使うつもりなので、それほど大きな問題とはならないだろう。
 BikeEはこれで行こう。SatRDayからカプレオハブのリアを持ってきて、ギア構成を換える。フロントはMTB用のクランクセットを使い、Eタイプのディレイラーを固定するパーツを作る。シフターはバーエンドシフターがあるのでこれを使う。長くて太目のバーエンドを上下逆に付け、その先にシフターを内蔵してやろうと思う。BikeEの短いストレート型ハンドルは疲れるので、本当はSatRDayみたいにカマキリ型を着けたいんだけど*3。ついでにブレーキも換えよう、前用にダイヤコンペのショートVを、リアにXTを買ってあるのだ。
 さて、ギア構成ついでにXTハブ化SatRDayのそれを見直すと、フロントミドル42Tの場合に12.6~28.6km/hという速度域は、ちょっとビミョー。フロントなんざほとんど変速しないで過ごすだろうから、もう少しトップが欲しい。そこで46T辺りに入れ替えると、13.8~31.1km/hと、今のBD-1のそれにほぼ近似する。本当ならアウターも56Tにしてミドルの速度域から離したいが、チェーンを延長しなければならないだろうから、チェーンを換えるタイミングでやることにしよう。
 とりあえず、スポークを買ってきて、XTハブのホイールを組むことだな。そうしないと、なにも始まらないんだから。

2006年08月30日(水曜日)

秋しまなみ:結局mixiにて

21時42分 天気:くもり

 内輪の非公開コミュニティを作りました。
http://mixi.jp/view...
 管理人の承諾要の非公開コミュニティですので、まずは入会希望してください。
 そもそもmixiなんぞはいっとらんわという方は、僕にメールください。mixiへの招待メールを送ります。
 絶対参加という向きだけでなく、行けたら行きたいなあという方もどうぞ。

秋しまなみ:最終日の行程

19時39分 天気:くもり時々雨

 オプショナルツアー(尾道散策)の集合日時が11/22の10:30、尾道。本ツアーのそれが11/23の10:30、同じく尾道。とりあえず"いつから"は決定。問題は"いつまで"の方でげすな。
 帰還ルートはいくつも考えられるが、松山空港から帰還ってのがいいんじゃねえの?
 空路で羽田に帰る場合、ANA596(松山16:25発)、ANA598(松山19:15)、JAL1470(松山18:00発)がある。翌日のことを考えるとANA596だな。
 最終日はサンライズ糸山を出て、まず今治市街地を通過し、松山になんとかして向かう。まあJR輪行でしょう。元気があれば山越えでも海沿いでも、自走も可能。昼には松山に出て、昼食。松山観光&道後温泉で旅の汗を流し、松山空港まで自走する。荷物は松山駅のコインロッカーに預けておくべきだな。
 というわけで、僕の場合は11/22羽田→広島始発便、11/26ANA596の購入となる。11/22は超割、11/26は旅割で買うことにしよう。
 帰路はそのままJRで帰ることもできるし、船で広島まで出来ることも出来る。それは各人の都合次第ですね。

秋しまなみ:どこで検討しようかな

10時07分 天気:くもり

 こぐ氏からmixi活用はどうか、なんて提言をいただいたのだが。これは逆に僕の方がアクセスが億劫なので迷うところ。基本的に夜しか見ないし。mixiに入ってない人には無意義だし。お誘いすればいいのだろうし、昼アクセスすることも難しくは無いのだけど。
 しかし、メールの場合は、途中参加の場合に過去の経緯を掴みにくいという弱点がある。これもまあ、僕が頑張ってアーカイブを送ればいいのだけど。
 一長一短あるな。いっそのこと、神奈川支部のBBSでなんてことも考えるが、無制限に誘うつもりは無いので一般公開ははばかられる。
 というわけで、夜まで考えます。mixiを使ってみたい気もあるんだが。

秋しまなみ:途中離脱の手段

09時40分 天気:くもり

 全日程は無理、26日には東京に居たいという声が聞こえたので、途中離脱手段を検討しましょう。
 手段としてはバスしかない。しまなみライナーという高速バスが運行されているので、それを使うのはどうでしょう。行き先は福山だけど、福山からは広島空港まで高速バスが設定されている。
 停留所としては、今治桟橋、今治駅の次は伯方島に飛んでいる。今治まで走りきってとなると時間的に遅めになるので、伯方島で待つのがいいかな。しかし、しまなみまで来て来島海峡大橋を渡らないのは切ないので、がんばって今治桟橋からというのも考えられる。恐らく、時間のかかる大三島の観光は前日に済ませているだろうから、来島海峡大橋へは15:00くらいか。今治桟橋までゆっくり走って16:30くらい。17:00前後の福山行きに乗れば、19:00には福山に着く。ここからなら、広島空港発のANA最終便も、のぞみの最終便も捕まえられる。
 無理しないで伯方島でバスに乗れば、時間的にはもっと楽になる。伯方島には昼前には着いているだろう。
 というわけで、来島海峡大橋を見たいかどうかで変わってくるけど、いかが?

追記:こっちの系統だともっと楽になるね。大島、馬島で乗ればいいので。15:36大島乗車なら楽勝だね。

2006年08月29日(火曜日)

秋しまなみ:参加者名簿(俺脳内編)

10時36分 天気:夏晴れ

敬称略
行く気満々:Asako、三井、@nak(あ)、吉田、こぐ、俺様
行かない?:@nak(た)、あゆこ、しまなみマスター長岡、石川@実家が近所
声を掛けたい:にち、hai、こば、おのひろき、訓子、まき、マモル、たか、栗原、まめ@旅志向、みはる、その他顔見知り

 ある程度の参加者が集まったら、MLをば開設します。lolipopの標準提供のもので、過去メール参照が出来ないなどショボイものですが。それでも、あると非常に便利なので。
 8月中にはある程度の人数を掴みたいので、参加希望の向きは早めにコメントください。
 声を掛けたい面々には、一発spamを打つかな。

秋しまなみ:いくつかのリミット

09時46分 天気:晴れ

 もう、すっかり秋めいてきて、夜なんざ蟋蟀*1が鳴き始めている。エアコン不要。過ごしやすくなってきた。なんて思っていたら、今朝の暑いこと。日差しがあると、まだまだきつい。
 さて、秋のしまなみ海道ツアーの検討を続けよう。去年の時の検討内容に興味ある方は、左ペーンの検索欄で"しまなみ"を検索してみてくださいな。
 検討するに当たり、いくつかのタイムリミットを念頭に置かねばならぬ。一番早いのが航空便に関するもの。行きは11/22でも23でもANAの超割の期間に掛かっているので、お安く行けそう。JALのバーゲンフェアはどうなんだろう。
 で、この超割の先行予約期間が、8/31に始まる。明日なのだ。超割なら、羽田~広島が\11600。しかし、2カ月前から予約の旅割でも、安い便なら\11900だ。乗るのは朝一か最終便だろうから、どちらも一番安いカテゴリーなので大差は無い。しかし旅割も取れないとなると悲惨なので、僕は超割の先行予約を入れることにする。11/22始発便だ。帰りの11/26松山発には超割の設定が無いので、9/末の旅割受付開始まで余裕がある。
 これ以外にきついタイムリミットは無いと思うが、宿の確保は早いほどいい。初日は岩城島の民宿、翌日は大三島の宿、三日目はサンライズ糸山。サンライズ糸山は1年前から予約可能。残りは聞いてみないと分からない。一応のタイムリミットを9月中旬としよう。
 細かい行程などは、それこそその日に決めてもいいことだ。
 というわけで、バーゲン航空便のリミットが8/31に迫っている。11/22なら平日なので、朝一の便は空いているだろうが、11/23からの参加ならば飛び石連休の初日なので、あるいは朝一の便が混雑するかもしれない。23から参加予定の三井氏は要注意ですね。

2006年08月28日(月曜日)

秋のしまなみ海道ツアー日程決定

12時12分 天気:くもり

 盆休みも過ぎたので、そろそろ本腰入れて詳細を詰めよう。
 とにかく日程を決めないと、宿も決められない。まずは日程ですぜ、ダンナ。
 といっても、前からの案の通り。11/23~26という日程のまま決定。ただし、要望の多い、11/22のプレツアーも織り込もう。
 11/22はオプショナル。希望者だけ参加。尾道散策に充てる。集合場所は尾道駅前がいいかな。とにかく、この日の昼前(10:30)に集合。一日、尾道を散策します。どこをどう放浪するかは、これから詰めましょう。
 11/23から本ツアー。この日も尾道駅前(10:30)集合。昼食は、時間的には向島か。向島、因島と走り、生口島からフェリーで岩城島に渡り、積善山の展望台で雄たけびを上げる*1。宿は岩城島のよし正なんかどうよ?
 11/24は、フェリーで生口島に戻り、耕三寺界隈なんぞをうろつき、大三島へ。昼食は耕三寺界隈で済ませるのが無難。大山祇神社の宝物館も見たいところだ。宿は悩みどころ。南西にあるふるさと憩いの家が本命なのだが、去年の秋に泊まった少年自然の家も、なかなか快適だった。大穴は、大山祇神社界隈にある老舗旅館のどれか。
 11/25は、大三島、伯方島、大島と走る。昼食は伯方島で、またお好み焼きなんかどうだろう。大島はそれなりに見所があるはず。今回は亀老山に登るぞ。宿はサンライズ糸山。夕食は浜勝でしっぽりと。
 さて、最終日11/26が悩みどころか。いつもなら本州側に戻るのだが、一度くらいは松山に行きたいでしょう、ということで、松山観光に充てたい。松山まで出る手段は、海沿い自走、山越え自走、JRで輪行と3通りある。いずれにせよ。まずは今治をさくっと駆け抜け、それから松山に移動。ちょっと観光して、道後温泉に浸かり、松山空港まで走って帰る、というルートを考えている。もちろん、解散後にどう帰ろうが、各自自由です。
 とりあえず、11/22または23スタートということだが、ちょうど超割期間に入っているので、往路は取れそうだ。後先考えず、行きの11/22朝一の便は確保する予定だ。帰りはどうするか。旅割しかないから、9月まで余裕がある。考えましょう。

2006年08月27日(日曜日)

ProTrekの電池を交換

22時46分 デジタルギミック 天気:くもり

 さて、帰りに立ち寄ったのは、スーパーだけじゃない。ヨークマートに入っている100円ショップにも立ち寄ったのだ。お目当ては精密ドライバー。手許にあるはずだけど、どこかに埋もれているので、まあ1回使えればと思い買っておいた。
 これでなにをするかというと、ProTrekの電池を交換してしまおうという目論見なのである。今月頭から、どうも方位計測に失敗すると思ったら、要するに電池切れだったらしい。先週くらいからは、表示が薄くなってきた。もう、真正面からは見にくいくらいだ。
 ProTrekの電池交換は、CASIOに送って交換してもらう形になっている。なんでも、交換後に防水性のテストまでやるからだとか。しかし、生活防水程度で十分だし、預けると何週間も掛かるので、自力でやることにした。グーグル先生にお尋ねすると、CR927Wを四つ使えとおっしゃる。仰せの通り、昨日のヨドバシ行で買っておいて、早速交換に取り掛かることにした。
 開くと、こういう状態。最外部を防護用のプラスチックが覆い、その下に金属筐体がある。その筐体を外すと、パッキンを挟んで本体が現れる。
 四つの電池の留め具は、小さな爪でとまっているので、ピンの先でちょいと持ち上げると外れる。四つ交換すると、注意書きされているようにAC端子と電池の+側をショートさせ、リセットする。これでOK。
 パッキンを慎重に収めつつ、元のように蓋をする。ネジが腐食しつつあるが、小さなネジなので錆落としすると折れる可能性がある。そのまま戻した。
 しかし、実際に防水テストをする時が怖いな。今は水を掛ける程度だ。しかし、そのうちに気にしないで、着けたまま温泉にでも入るかもしれない。その時に、どうなることやら。

EPIC号でお買い物(未遂)

18時24分 自転車 天気:くもり

 今日はヤビツに登っているはずだったが、昨日の天気予報で降水確率が急に悪化したため、3度目の中止と相成った。三度目の正直とはならず。残念。
 さて、盛大に時間が余ったので、とりあえず惰眠をむさぼって、昼過ぎに買い物に出かけた。今日は境川下流編。藤沢のハンズに寄るつもりだった。自転車は、出る直前まで迷ったが、久しぶりにEPICをチョイス。これはこれで、SatRDayとは違う意味でラグジュアリーな自転車だ。リアのマッドガードを外し、ペダルをSPD/フラット両用型からSPD専用に換えると、精悍なフォルムを取り戻す。
 境川に出る。高鎌橋のすぐ南で、またしても工事が始まっていた。ごらんのように迂回路を設ける本格的なものだ。下流域の二つの工事地点は、いずれも架橋のためのものだったが、高鎌橋すぐ近くのここは、新たな橋というのは考えにくいな。何のための工事なんだろう?
 境川沿いに走り、市民病院近辺でR467に乗り換え。今日は祭りが多かった。行きも帰りも、沿道でいくつもの神輿を見た。
 藤沢のハンズに入る。SatRDay輪行用*1の超速FIVEのスリングの止め具が割れてきたので、換えのものを探しに来たのだ。割れたのはプラスチック製のものだったので、金属製の頑丈なものが欲しかった。
 店をうろつき、見つからないので、店員に聞いてみる。なんでも、バーゲン期間なので、そういう小物は一時的に店頭から外しているという。おいおい、ハンズの存在意義を、自ら否定してどうするの? すごすごと引き上げた。
 帰りは裏道を走り、藤沢橋で一時的にR467に復帰する。ここで小径車の集団を発見。DAHONやらモールトンやらがわらわらと。この集団、帰りにも梨園で見かけた。
 スーパーに立ち寄り、帰宅。

2006年08月26日(土曜日)

BikeEたんでお買い物

21時38分 自転車 天気:くもりだか晴れだか

 この週の疲れを取り戻すべく、昼まで怠惰な眠りをむさぼる。
 昼前に起き出して、買い物に行かねばと思い立った。このところ、おうちLANがどうも不調なのだが、スイッチング・ハブを見るとコリジョンが常に発生している状態で、触ると異常に熱い。窓際の高温になる辺りに置いたのがまずかったか。新しいハブを買わなければだわ。
 お買い物の時はこれ、というわけで、BikeEたんでお出かけ。こいつ、どうもエアサスがへたっているんだ。去年、うっかり底突きさせてから、空気が漏れやすくなってしまった。
 BikeEを長後のCoCo壱番屋まで走らせる。夏メニューも終わりだろう。トマトアスパラカレーを食す所存であった。
 CoCo壱番屋を出て、境川沿いに遡ってゆく。さんざんSatRDay Mk.2に乗った後で、BikeEに乗ると、その性格の違いがよく分かる。まず目線が違う。BikeEの場合、シートを目一杯寝かせても*1、目線は水平線辺りに来る。これでも足元を眺めつつ走るようなアップライトよりは、空が広い。だが、SatRDayのそれには及ばない。かなり寝かせたせいもあって、目線は大体南中したさそり座の尻尾辺りまで高まり、逆に路面状態を見るのに下を向かなければならないくらいだ。当然、空の広さはぜんぜん違う。
 それと、BBの位置がかなり低いので、SatRDayとペダリング時の感触が違う。SatRDayの方がトルクを出しやすく、回しやすい感じだ。また呼吸も楽だ。その代わり、足つき性はBikeEの方がいい。どちらもリカンベントとしては初心者向きだと思うのだが、BikeEはより初心者向けといえるだろう。
 町田のヨドバシに入り、適当なハブを買った。1000BASEに対応した、金属筐体、電源内蔵のものを選んだ。放熱性が良くないとね。
 駐輪していたBikeEに戻る。身支度して出ようとすると、シートが思い切り沈み込む感触があった。もうエアサスのエアが限度以下に減っているんだな。注気して走り出したが、もう3時間ほどで気圧が半減する状況だ。ケーンクリークのこのエアサス、修理できるかなあ。BikeE専用モデルだったりすると厄介だ。
 帰宅して、ハブを入れ替えた。多少、速くなったかなというところ。100BASE-Tにしても遅いんだが、ケーブルかなあ。あっ、そういえばカテゴリ3のが混じってる!

2006年08月25日(金曜日)

久しぶりに雨

23時55分 暮らし 天気:くもりのち雨

 今日も仕事の山に取り掛かった。できれば早く帰りたいという願いは虚しくも破れ、定時後にながーい会議が始まる始末。しかし、おかげで仕事の行方が、おぼろげながら見えてきた。
 仕事の目処を付けて、さて帰るかと建屋を出たら。あ、雨が降ってますぜ。それもかなりの降雨だ。今日はくもりの予報だったんだが。
 しかし、雨具は常に持ち歩いているので、レインコートを被って、自転車を慎重に走らせて帰宅した。久しぶりの本格的雨中走行だった。
 日曜日には本当の峠越えが待っているので、明日は一日中ゴロゴロすることにしよう。というか、きっと結果的にそうなる。

2006年08月24日(木曜日)

再び超級へ

23時55分 暮らし 天気:晴れ

 まだまだ続くよ仕事の波は。日付が変わる頃に帰り着く。帰ったらすぐに飯、風呂、寝るだ。そろそろ秋しまなみを本格的に検討しなければならないんだけど。
 それにしても暑いな。この2週間ほどは、やっと夏らしくなってきた。エアコン稼動中。

2006年08月23日(水曜日)

中休み

20時06分 暮らし 天気:くもり

 超級越えも一段落し、今日は定時に退けた。まだ今週中は、峠を上り続けなければならない。週末にはラルプ・デュエズかなあ。ツールとの違いは、この後すぐにエル・アングリルが待っているかもしれないことだが。
 さっさと帰宅。

2006年08月22日(火曜日)

マリンパック届く

23時55分 デジタルギミック 天気:くもり

 発注したのが金沢区の店だったからだろうか、早速届いた。マリンパックは、アクアパックと異なり、完全防水ではない。透明な袋に入れてくるくると口を丸め、さらにマジックテープで止める形になっている。これでも水が掛かったくらいなら平気なんだそうな。
 CLIEを入れて、湯船に浸かりながら使ってみた。うん、あんまり問題は無い。側面のスイッチは操作しにくいが、画面へのタッチは不自由なく認識してくれる。文字は入れられないが、操作はできると言うところ。
 調子に乗ってSigmarion3を入れようとしたのだが、その前に起動しないのに気づいた。電池を外してAC駆動でも起動しないので、本体が逝かれたか。Sigmarion3は、僕にとっては名機なんだが……。これが壊れるのはつらいなあ。暑い窓際に置きっぱなしだったからだろうか。
 新しい日本語タイプライターを購入せねばならないが、今はこのクラスの機械が無いんだよなあ。

2006年08月21日(月曜日)

いきなり超級

23時55分 デジタルギミック 天気:晴れ

 覚悟していたが、休み明けのお仕事状況は、いきなりの山岳ステージでした。久々の深夜残業。もう疲れた。
 今週はこんな日が続きそうなのだ。ああ、もう、ストレスたまるわね!(きんどーさん風に読みましょう)。
 こういう時は無駄なことをするに限る。
 CLIEに無線LANを入れてみた。新しく買ったわけじゃなくて、PHS機能の方は放置状態のP-in Free 2PWLを無線LANモードにして使ってみた。もちろん正式なドライバなんて無いけれど、ミニーさんところを参考にドライバを作り、認識させたのだ。
 どうもDHCPにすると繋がったり繋がらなかったりするのだが*1、IPアドレスを固定で割り振ればOK。
 おー、これは使える。NetFrontの画像表示も一瞬だ。今までは回線の速度だけでなく、プロセッサの能力もあって遅いのかと思っていた。が、この速さを見る限り、ほとんどは回線速度に依存していたようだ。メールの送受信だって一瞬だ。これなら実用できそう。お風呂ビューアにできる*2。というわけで、いっとく氏も買ったマリンパックという汎用防水パックを発注した。アクアパックという、よりハードなものにも興味があるのだが、まずは汎用性の高そうなこれにしてみた。これで風呂で退屈せずに済むか。

2006年08月20日(日曜日)

NHKスペシャル『論文捏造 夢の治療はなぜ潰えたのか』

23時55分 科学 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、今年の頭、科学界を騒がせた、韓国のファン教授による論文捏造事件の経緯を追うものだった。
 この捏造されたという論文*1のターゲットになっているのが、人のES細胞をクローニングで作り出すという技術だった。ES細胞は、生物が成長する過程で、様々な機能を持つ細胞*2へと分化する前の段階、つまりどんな細胞へも分化させられる、いわば万能の細胞を意味している。他にも人体には普通にこうした未分化の細胞*3が存在しているが、分化できる細胞の種類が決まっていたり、分裂の回数にも限界があったりで、ES細胞の万能性には及ばない。このES細胞があれば、神経や骨髄の損傷など、現代の医療では完治が難しい傷害も修復できるといわれている。
 従来、分裂初期の胎児*4から取り出したものが知られていたが、これは他人の細胞なので、どうしても拒絶反応を抑制する必要がある。使いにくいわけだ。しかし、治療を受ける本人の細胞からES細胞を作り出せばどうだろう。少なくとも、拒絶反応という点では申し分ない。しかし、成長したヒトの体にある肝細胞は、前述のようにES細胞ほどには使い勝手がよくない。
 そこで、ES細胞の核を被治療者の細胞のそれと取り替え、拒絶反応を起こさないES細胞を作り出すクローニングの手法が追及された。このクローニングの分野で有名なプレイヤーの一人が、今回捏造論文で指弾された、ソウル大学のファン教授だった。
 ファン教授は獣医学部に所属している。難易度が高いといわれる犬のクローニングに成功*5するなど、韓国獣医学会のみならず、韓国科学界のエースと見なされていた。事実、その業績を事実と受け止めた場合、医学分野でのノーベル賞有力候補といえただろう。しかし、強引な手法と、どうやら思い込みの強い性格が災いして、動物実験段階から数多くの捏造を繰り返してきたことが判明している。
 番組では、事件の経緯を追う。
 まず、獣医学の分野ではクローニングの第一人者と言われていた*6ファン教授は、いよいよ人間への応用を目指し、人の卵子を豊富に準備できる大病院と手を組んだ。そして人の卵子に、獣医学で培ったクローニングの手法を適用しようとしたのだ。当初は、ほんの少しの卵子で成功するだろうと楽観していたという。ところが、数カ月を経ても、一向に成功しない。さらに大量の卵子を用い、さらには研究員自身の卵子すら研究に用いたらしい。後の調査では、一種のアカデミック・ハラスメントが行われていたようなのだ。
 それほどの犠牲を払ったのに、実験の状況は、相変わらず捗々しくない。ES細胞化の兆しを見せるものもあったが、いずれも分裂を止め、次々に死滅して行ったのだ。だが、一つだけ分裂を続ける個体があった。ファン教授は期待を込めて、その個体の分析を、とある中堅研究者に任せた。ところが、その研究者のミスで、ES細胞の判別に必須の部分を紛失してしまったのだ。
 通常ならば、再実験、再検査だ。しかし、報告を受けたファン教授は『成功は確実なのだから』と、その個体が確かにES細胞だった見なして論文を纏め上げた。後の再検査では、細胞核入れ替えの際のミスで、通常の卵細胞のまま残されていたものと判明した。
 この論文はアメリカの科学誌Sienceに掲載され、大きな反響を呼んだ。夢のES細胞、などともてはやされたものだ。ファン教授は、一躍韓国のトップグループから、世界のトップへと立った。形だけは。
 この『成功』を足がかりに、ファン教授のグループは更なるES細胞の『生産』に着手した。もっと多くのES細胞を生み出し、さらには臨床に応用しようという目論見だ。最初の『成功』では、生み出せたES細胞は1例だけであり、これでは実利を生み出す特許出願には値しないという、共同研究者たちの後押しもあったという。
 臨床に応用しようというのだ。実際に難病を抱える人々の協力を依頼したところ、ES細胞による治療を希望する難病患者が殺到したという。そして提供を受けた細胞を基に、ES細胞の作成作業が開始された。だが、華々しいスタートと相反し、実験の経緯は絶望的なものだった。前回と同じく、多数の卵子を使用して実験していたにも関わらず、それらの実験体は次々に死滅してゆく。数少ない生き残りの培養を任されたのが、前回ES細胞の分析に失敗した研究員だった。よくよく考えると、重要な実験の『失敗』に責任を負うべき人物を、また登用するというのは、いささか異常な組織運営ではないか。多分に、組織の論理を優先してしまった面があったのだろう。日本でも欧米でも、モラルハザードに陥った組織を待ち受ける陥穽だ。
 だが、この研究員の努力にも関わらず、数少ない細胞体にも死滅の兆候が現れる。その時、この研究員は異常な行動に出る。彼のホームベースである病院に戻り、通常の卵細胞とすり替えたのだ。この経緯を知らなかった周囲の研究者たちは、はたして怪しんだのかどうかは知らないが『この人(研究員)には超能力があるのでは』などと思ったという。
 ハイ、出ましたね、キーワード『超能力』。日本でもそのパラフレーズ『神の手』が有名になった捏造事件があった。あの藤村氏と同じく、この研究員も周囲の高い期待に負け、それに応える安易な手段に走ってしまったのだ。そして期待している側は、それを受け入れてしまった。
 ファン教授は、この第二の『成功』を論文にし、それもまたSience誌に投稿した。掲載されれた論文は、この年の最重要論文の一つに選ばれ、ファン教授の名声は絶頂期を迎えた。
 しかし2005年の年末、強引な卵子確保の方法に対し、韓国MBC放送が疑問を呈する報道を行った。この報道は、しかしファン教授を擁護する政財界、さらには一般国民のすさまじい非難の前に立ち消えになった。だが、この報道は、以前からファン教授の業績に対して示されていた疑問の存在を、改めて明らかにするものになった。その強引な手法、倫理観の無さ、そしてなにより、科学的に十分検証されてないこと。それらの疑問点に対し、数多くの人が着目し、改めて追及し始めたことが、ファン教授(と、そのグループ)にとっては命取りになったのだ。
 MBCバッシングが一段落した頃、今度は第2の論文そのものへの疑義が呈された。韓国のバイオ系研究者たちのコミュニティや、日本のBBS*7で、論文の検証の薄さが指摘され始めたのだ。そして決定的な証拠が突きつけられた。論文に掲載された細胞の画像のいくつかが、実は同じ画像を加工したものであることがわかったのだ。もともと、Science誌が論文をアクセプトする過程で、不透明な働きかけがあったことは知られていたようだ。こうした動きに、今まで擁護一辺倒だったソウル大学、当局もとうとう論文、事実関係の検証に乗り出さざるを得なかった。その結論が出るまでの、韓国社会の騒乱ぶりは物悲しい。そして、ソウル大学により、論文が捏造だったこと、ES細胞の作成には一つとして成功していなかったことが公表された。それ以降の動きは、おそらくご存知の通りだろう。ファン教授は、一転して犯罪者に堕したのだ。
 番組の最後では、いかにもNHK的だが、紋切り型に『科学の信頼性が問われている』と落としていた。でも、この問題が問うているのは『科学の信頼性』なのだろうか。確かにある期間、虚偽が事実として認められてしまったことは問題だ。だが、科学という営為の性質からして、ある程度の虚偽を一定期間でも事実として認定してしまうのは仕方ない。科学的事実というのは、今現在最も信頼性の高い仮説に過ぎないからだ。無数の仮説の中からより事実らしいものを振り分けてゆく、その手続きの集合体のことを、我々は科学と呼んでいるのだ。だから、手続き*8が向上してゆく過程で、ある程度の虚偽が含まれてしまうのは、そもそもはそれが科学の本質だからとしか言いようが無い。真宗門徒が極楽浄土の存在を、ローマンカソリックがキリストの復活を"絶対的真実"と信じるようには、科学的事実というものは絶対視できない。そこが科学と宗教の違いなのだから。
 実際、ファン教授の疑惑が浮上した背景には、その実験に再現性が無いことへの指摘が多かったという事情があるようだ。誰にでも、*9実験結果を再現できるというのが、科学的手法の特徴だ。再現できないなら、公表されてない要素が存在するのか、実験そのものが間違っていると判断するしかないのだ。そしてファン教授らの論文が科学的な手続きを満たしてないという重大な誤りが指摘され、結果としてファン教授の主張は、科学的事実でないと認定されたわけだ。すべて、"科学的"な手続きを踏んでいるかどうかで判断されたわけで、つまりは"科学的"な根拠により捏造が暴露されたわけだ。
 先の『神の手』藤村氏による旧石器捏造*10の場合、発覚したのはTBSによる隠し撮りだった。これが論文を対象にした検証だったら救われたのだが、そもそも藤村氏らは論文を提出する立場に無かったので、そうした検証自体が不可能だった。石器と埋没状況を概覧すれば、実は捏造の事実は明らかだった*11のだが、考古学学会にはそれができなかったのだ。当時は、そもそも日本の考古学界の一部、少なくとも旧石器時代を対象としたものは本当の意味での学会ではないし、その手法も科学的ではない、という極論さえ散見された。つまり、日本での旧石器捏造事件での問題点は、科学的手法を促進する立場にあるはずの考古学会が、それを十分に実行できなかったという点にある。
 それに比べれば、ファン教授の場合は、とにかくも論文に記載された科学的事実への再検証により、捏造が確定したという点で、まだ科学的手法の範疇にとどまっていた。なんにせよ、科学界で業績を上げるには、論文を書いてナンボということなのだろう。
 どちらの捏造にせよ、問題は"科学的手法"そのものではなくて、それが確実に適用されたかどうかという運営論に属するということは分かるだろうか。つまり問われているのは、ファン教授の場合は教授のチームとその論文をアクセプトした雑誌、そしてファン教授の捏造を見抜けなかった協力者たちの倫理観だ。また藤村氏の捏造を、やはり見抜けなかった、日本の考古学界の科学的手順への忠誠度なのだ。どちらの場合も、科学的手順を厳密に踏めば、高い確率で発覚した捏造のはずなのだ*12。そういう問題なのに、安易に『科学そのもの』が問われているとするNHK取材班に、いささか腑に落ちないものを感じる。本来ならば安易に混同してしまってはならない問題ではないだろうか。
 さらっと書くつもりが、なんだか長くなっちゃった。日韓のナショナリズムの問題とかと絡めるつもりは無いので、その辺は濾し取りよろしく。

久しぶりにSatRDayで走る

19時55分 自転車 天気:晴れ

 久しぶりっていっても、1週間だけどな。
 今日はゴロゴロしながら過ごしたが、夕方にSatRDayで境川を走ってきた。サガミのバーゲンに行こうかとも思ったが、これといって欲しい物も無かったのでヤメ。
 先週のBikeFriday祭では、邪神の呪いか泥だらけになってしまっていたが、翌朝には帰郷するのでそのままにしていた。昨日の夜、早速きれいにしておいた。陽光の下で見ると、サファイアブルーは映える。
 やはり、BikeEよりは走る自転車だ。BD-1並みか、それ以上くらいだろうか。あまり負荷を感じない走りでも、だいたい22~3km/hで巡航できる。
 帰宅して、また壁に掛けておく。そろそろ、分解清掃しないと。あ、BBも抜いて、何が入っているか確認しないとな。

2006年08月19日(土曜日)

横浜に帰還

20時07分 暮らし 天気:晴れ

 今日の便で横浜に戻る。しかし取った便は18:05発のもの。それまでに広島空港に行くには、呉駅前発のバスが最適だ。しかし、18:05に間に合う便は、その遥か前の13:55発のものしかない。その後、16:00台のものがあるのだが、これは18:15着と間に合わない。じゃあJRで三原辺りまで出てとなると、これも結構時間がかかり、結局は14:00台の出発になる。運賃も余計にかかる。業腹だが、13:55に乗るしかない。
 昼前に中通りに出て、最後のモリスに立ち寄った。今日はなぜか客が少ないようだ。世間でも、盆休みが終わりというところだろうか。
 一度家に帰り、荷物を担いで呉駅に。駅前でバスを待ち、広島空港行きに乗り込む。客は少なめ。
 さて、広島空港には15:30には着いてしまった。時間が余りすぎだ。周辺をぶらぶらして時間を潰した。三景園という有料の公園が面白そうだったが、暑い中を歩き回りたくも無かったので、今回はパスした。
 十分に時間を潰し、飛行機に乗り込んだ。夕暮れ時のフライトだったので、沈み行く太陽に背いての道行だった。
 羽田からは京急、地下鉄と乗り継ぎ、ようやく帰還。自転車が軽くて助かった。

2006年08月18日(金曜日)

最後の日に大和ミュージアムに

22時14分 暮らし 天気:雨

 さてさて、今日も雨の一日になりそうだ。自転車は諦めて、傘差して歩きましょう。
 今日は呉海事博物館に出かけることにした。それってどこよ? いわゆる大和ミュージアムのことだよ。庭で散々和ませてもらったので、久しぶりに入館することにした。
 まず中通りまで歩き、モリスを襲う。それから駅まで歩き、強い雨が降っていたので、駅からの通路を使うことにした。駅の裏手までは露天通路だが、それ以降は屋根つきなので助かる。
 館内に入り、さっそく1/10大和を、斜め前から、斜め前上方から、真正面上空から、じっくりねっとり舐るように姦察する。アイオワ級はヤンキーらしく実用一点張りで、ヴァンガードはジョンブルらしく手堅い設計だ*1。その点、大和級は限られた排水量の中での最大効率を追求しつつも、日本的な繊細さをも残しているという意味で、戦艦時代の最後を飾るに相応しい船だと思うのだ。アイオワ級は長寿だったが、その余生は海上砲台というに過ぎないものだったからなあ。
 その他の陳列物も眺め、ずらかった。雨の日だが、それでもかなりの人出だった。
 だらだら続いた帰省も今日まで。明日は遅くに広島を発つ。

2006年08月17日(木曜日)

雨なので休息日

19時31分 暮らし 天気:雨

 目覚めると、既に雨になっていた。家人はみな出払っている。暇だし、腹が減ったので出かけようかと思っていたが、雨脚が強いのでトレンクルでは出かけられない。結局、適当なものを冷蔵庫から発掘して済ませた。
 帰宅してからのインターネットアクセスは、もっぱらLibretto L3+MobilePだった。これはこれで快適なのだが、使っていると急に速度が低下する現象に悩まされもした。なんだろう、同じAPに多人数がぶら下がっているのか。
 美術館や図書館に出かけようという気持ちもあったのだが、ものぐさな気分で寝転がっていたら、いつの間にか日が暮れていたダメさ。今日まで、それなりに積極的に出かけていたが、こういう日があっても良いよな。
 明日は大和ミュージアムに出かけよう。

2006年08月16日(水曜日)

バス輪行で深山の滝に

22時56分 天気:くもり

 不本意な形ではあったが、音戸の瀬戸を渡って江田島に渡る旅は*1終えた。
 もう一つ行ってみたい場所があった。呉の山中、昭和地区から天応へと下る途中に、深山の滝があるという。"みやま"と読む。大きな一枚板を滑り落ちるように流れる滝で、水量は豊富ではないが見ものだとか。ぜひ、見てみたい。自転車でとなると、呉か天応から上るしかないので、標高200mほどの滝までは、結構な道のりだ。が、なにせトレンクル。自力で登るには苦しいが、バスにでも持ち込める軽さ、小ささが武器になる。バス輪行で昭和地区まで出て、そこから深山の滝に向かうことにした。
 上二河橋辺りからバスに乗り、焼山を経由して昭和支所で降りた。最初は焼山で降りようと思っていたのだが、微かな記憶でイヤンな道のりになると思い出し、昭和支所まで乗り越した。これは正解で、意外にのぼりがあり、また道が相当に狭かったので、自走するなら裏道を探るしかあるまい。
 昭和支所から天応方面へと下る道に出て、少しの上りの後で細い道を下り始めた。細いとはいえバスは通るのだから、道幅は十分あり、舗装もしっかりしている。程なく、バス停深山の滝に到着。ここからは、山道を200mほど歩く。山道とはいえ、上に木がかかることが少ない、明るい道だった。
 やがて、前方に滝が見えてきた。深山の滝は上下二段あり、下段の方が大きい。下段の滝は、大きな岩板を水が流れ落ちている。雨が多かったせいか、意外に水量は多い。家族連れが遊んでいたので、割り込んで滝に近づいた。滝壺が無いので、子供が溺れる心配も無さそうだ。上段の滝には滝壺があるという。
 滝の水に足をつけ、ついでに頭に水を被った。体の熱がスーッと逃げてゆき、気持ちいい限りだ。
 上段の滝まではかなり登りそうなので、今回はパスした。
 天応の方に下る。最初のうちは清流然としていた、深山の滝の流れだが、市街地に近づくとコンクリートで固められ、どぶ川のようになってしまう。その変化は、主観的な時間では15分もしないうちのものだ。なにか不思議で、不条理な感覚が残った。さっきまでの清流はどこに消えたのだ。
 ポートピアパークに立ち寄り、昼寝でもしようかねと思っていたら。なんとなく嫌な雲がかかり始めた。とりあえず、呉に戻っておこうと思い、トレンクルを呉市街に向けた。
 自転車を大和ミュージアムの庭*2に入れると、案の定、ぱらぱらと来始めた。大事にならないうちに帰宅した。
 今回の事で、バス輪行に目覚めた。小さな自転車を使い、空いてる便を選べば、別段迷惑を掛けることも無いだろう。バス路線は鉄路よりも自由度が高い。それで小さな自転車を持ち運び、美味しい所を走るのだ。これが輪行の原点だよ、とトレンクルが思い出させてくれた気がした。

2006年08月15日(火曜日)

音戸~倉橋島~江田島

21時03分 天気:快晴

 ちょっとは遠出しようではないか。以前から機会をうかがっていた、音戸~江田島辺りぶらり旅を決行することとした。できれば能美まで。
 昼、家で食事を済ませてから、トレンクルを広トンネルへと向けた。まずは音戸の瀬戸を渡るのだが、素直に呉から出る場合に通る警固屋辺りの道が、自転車での通行では恐怖の区間なので、避けたかった。そこで、阿賀の方から回り込むことにしたのだ。
 広トンネルで阿賀に抜け、阿賀から海沿いの道を音戸へと走る。概ね走りやすい道で、なによりも交通量が少ないのがうれしい限りだ。小さな峠を挟んで、音戸大橋を望む辺りまで出た。
 音戸大橋は、実は自動車専用なので、徒歩と自転車では通れない。その場合、渡船を使うのだ。幅が100mも無い瀬戸を、随時小さな渡船が行き来している。日本一短い定期航路ということだ。
 料金は、倉橋島側の桟橋にある料金所で払う形だ。桟橋に出ると、程なく向こう岸からの客を乗せた渡し舟が、軽快に寄せてきた。軽いトレンクルを担ぎ、乗り込む。この渡船、大型船が通過した後などは、その航跡に乗り上げるたびに木の葉のように揺れ、大層楽しい。今回は、至って平穏な瀬戸を渡っていった。
 対岸で料金*1を払い、さて、どっちに向かおう。あまりの暑さにめげ始めていたので、倉橋島を周回して能美島に出るという壮大な計画はさっさと揮発してしまい、より安易な計画へと堕落していった。早瀬大橋を通り、江田島は術科学校辺りに抜けて、小用からフェリーで呉に戻ろう。最初の計画からすれば1/3ほどという、見事なバブル崩壊ぶりだ。しかし、こんな暑いし、トレンクルだし。
 早瀬大橋はすっきりしたトラス橋だ。ここのアプローチが最悪で、車道は自転車で抜けるには狭い*2し、しかし歩道は大層な荒れ方だしで、結局は押して歩くしかなかった。こんな暑いのに。
 橋の上は、風も通るので快適だ。写真を撮りつつ抜け、対岸の江田島に降り立った。
 ツーリングマップルで確認しつつ、適宜休憩しつつ江田島を走った。海が近いのはいいもんだ。
 やがて術科学校の前を通過する。暑さに頭が煮えていたので、中は見学しなかった。そして小用へは、小さな峠を越える。トレンクルでも楽々な程度の峠なので、とにかく術科学校を見学したいという向きは、小用にフェリーで上陸し、単刀直入に峠を越えると良いだろう。
 小用の船着場に着き、時刻表を見る。フェリーの時間まではかなり間がある。今、出たばかりのようだ。その代わりに、高速船がもうすぐ出るようだった。高速船には車はおろか、自転車も載せられない。要するに海上バスなのだ。が、トレンクルなら折りたためば問題なし。高速船の切符を買った。
 程なく、高速船の人になり、あっという間に呉港に帰着。日が暮れるまで、大和ミュージアムの庭で寝転がっていた。
 さすがに真夏のツーリングはつらい。もう少しマシな時期に帰った時に、この辺りをもう一度走ってみよう。

2006年08月14日(月曜日)

二河峡潜水艦大和ミュージアム(の庭)

19時21分 自転車 天気:晴れ

 昼までグーたら寝て、やおらトレンクルで出かけた。まずは腹ごしらえと思い、モリスに向かったら、盆休みでありました。すごすごと帰宅し、おうちご飯を食べる。
 食後、再び出かける。まずは二河峡に向かった。二河川*1の少し上流には、二河峡という渓谷がある。大きな一枚岩や、小さな滝が複雑な地形を形作っている。市街地のすぐ傍にこんな場所があるのは珍しい。珍しいのだが、上流に昭和、焼山といった住宅街が拓けてきた昨今では、水が濁ってしまい、子供を安心して遊ばせる場所ではなくなってしまった。それでも、家族連れで遊んでいる人が、結構散見された。
 さて、潜水艦を見に行こう。この間の横須賀~三崎ツーリングの時、横須賀で潜水艦を目撃したが、潜水艦の係留地を拝めるのは、この呉だけだ。アレイからすこじまという小公園から、見ることができる。そこまでは結構アップダウンがあり、トレンクルではちょっとつらかった。
 行ってみると、潜水艦用の埠頭を改修中とかで、潜水艦はかなり奥まった場所に移っている
 その後、昨日のように大和ミュージアムの庭でごろ寝して、暮れてゆく空を眺めていた。何にもしなくて良いってのは、いいもんだ。

2006年08月13日(日曜日)

帰郷

20時51分 暮らし 天気:晴れ時々くもり

 予定通り、朝は3:00過ぎに起きて、急いで持ち帰る荷物をバックパックに詰める。大きなバックパックのほかに、行動用の小さいのも欲しいと思い、ドイターの2Wayバッグ(小さなリュックにもなるもの)を前に下げ、トレンクルで立場へと急いだ。
 地下鉄、京急と乗り継ぎ、羽田へ。さすがに人が多く、かなり混雑している。余裕を見たつもりだったのに、セキュリティチェックにかなり時間を取られた。
 乗機はB747だったが、満席だった。この時期は、さすがに混雑するな。
 窓際席だったので、外を眺めていた。雲が多い。晴れ間もあり、時々地上も見える。富士山辺りもちらりと見えた
 広島に近づくにつれ、雲はますます増えてきた。地上は見えず、大きな積乱雲がいくつも立ち上がっている。あの下は通り雨になっているのだろう。雲の絨毯から、大きな入道雲が立ち上がっている様は、間近で見ると迫力がある。手を伸ばせば届きそうな距離*1を通過する時、じっくり眺めてみる。大きな、しかし単純な塊に見える積乱雲にも、実は内部構造があって、複雑に雲が入り乱れているというのは面白い。どこでも、いつでも静止できる飛行機があればいいのにな。
 広島空港着後、呉行きのバスの出発はすぐだ。荷物を受け取り、バスに乗り込んだ。今までに無かったくらい、乗客は多かった。トレンクルは邪魔になりそうなので、荷物室に入れた。
 呉に着き、ひとまず家に帰る。荷物を置いて、中通りに出た。久しぶりにモリスに行く。客が多く、しばらく並ぶ破目になった。春に来た時よりも、旨味が利いた感じだ。復活したな、親父。
 その後、本屋を求めてうろつくも、Howdyというイズミ系の店*2の本屋が薬屋になっていたので、端の方まで歩く破目になった。見つけた店*3で呉周辺の地図を探し、結局はツーリングマップルを買った。
 その後、フライケーキを買いに、福住に向かった。が、ここも長蛇の列。福住で10人にもなる行列は初めて見たよ。この店、確かに人気は高いのだが、売り物がフライケーキ一種類だけ出し、店員のおばちゃんたちが高効率なので、そもそも行列ができることすら稀なのだが。恐るべし、盆休み。
 フライケーキを土産に帰宅。明日からは、どこに遊びに行こうかな。

2006年08月12日(土曜日)

BikeFriday祭絶賛開催中

23時41分 自転車 天気:くもり時々雨

 さて、今日はBikeFriday祭が開催される日。なんでもアフリカの奥地*1のオレゴン州にいるらしいBikeFridayなる邪神に生贄を捧げる血祭りが催されるという。邪悪な波動に脅えつつも、信徒としては参加しないわけには行かないので、これで正式お披露目さとばかりに喜んで馳せ参じた。
 集合場所は二子玉川だったので、地下鉄であざみ野まで乗って、そこからR246を走るつもりだった。しかし、立場駅での輪行準備に手間取り、時間が足りなくなった。あざみ野から東急田園都市線に乗り継ぎ、素直に二子新地で降りた。
 駅前で輪行解除して、二子橋の袂まで乗りつける。と、後ろから声を掛けられた。@nak組が、タンデムで乗り付けていたのだった。初めて見たな。お洒落なカラーリングだった。
 集合場所には、既にこの界隈のBikeFriday乗りが集結していた。今回の目玉は、タンデム登場と共に、SatRDay Mk.2揃い踏みだな。日本にあるSatRDay Mk.2のうち3/5*2が揃うはずだ。既に栗原氏のTourが来ていた。シートが違うからか、大きく見える。
 揃ったので、さっさと出発する。休憩を挟みつつ、登戸で東京側へと渡る。小回りが非常に苦手なSatRDay Mk.2には、切り返しの多い多摩サイは辛いことが多い。小回りできないわけではないが、思い切ってバンクさせなければならないので、まだ慣れてない現状では肝を冷やす場合が多いのだ。
 東京側を北上する途中、なぎの女史を含む隊列と合流。ついにSatRDay Mk.2 Sportと対面した。赤と黒でシックに決めた車体は、非常に締まって見える。実は、カタログで見る限りのTour/Sportの最大の識別点は、チェーンアイドラーの位置だったのだが、なぎの号のそれはTourと同じ位置だった。ハンドルも含め、細かく改良されているようだ。
 次の休憩場所、府中郷土の森公園で、早速試乗会が始まった。俺様のTourに試乗する(あ)氏と、なぎの号に試乗するRay女史Mk.2揃い踏み。SatRDay Mk.2の値段を聞いて慄く人は多いが、自転車は値段じゃないぜ。
 さて、今日の目的地は石川酒造なのだが……さっきからぱらついてますよ? ちょっと雨具を出したいんだが、などと思っていたのだが、隊列は止まらない。どんどん怪しくなる空模様と競うように、一路ひた走ってゆく。
 石川酒造の門を潜り、レストランの軒先に自転車を入れた途端、雨は一気に本降りになった。計ったようなタイミングだ。
 この石川酒造、前から立ち寄ってみたかったのだが、一人ではどうもなあ、という気分だったので、一度も来れず終いだった。今回は、いい機会だ。
 輪行可能な駅まではすぐなのだが、それでも帰りの時間を考えつつ、ビールは最初の内だけ。後はウーロン茶とお友達になっていた。料理もうまい。が、なんと18:00くらいまで居付いてしまい、会計すると1人頭6500円と、近年に無く高くついてしまった。まあ、あんだけお代わりを繰り返せば。最後に集合写真をとるところで、我輩のCaplio GX8は珍しくも電池切れ。
 帰りはR16で自走も考えたが、既に遅い時刻だったので、とりあえず拝島駅から町田まで乗ることにした。駅前で輪行準備大会が開催された後、三々五々、各自の路線へと乗り込んでゆく。僕は町田まで栗原氏とご一緒した後、後は自走することにした。新横浜で地下鉄に乗り継ぐことを考えたら、時間的にはこっちの方が早い。しかし、夜のサイクリングロードは結構恐怖だった。湿度が高くて、サングラスが曇りがちなのだ。おかげで前方視界が悪いこと悪いこと。それと、ライトの配置がやはり*3適切でなく、前方が明るくない。やはり、この配置は考え直そう。どっちかというと、ケーブルの経路を。
 濡れた路面を走ったせいでSatRDay Mk.2は泥だらけだったが、それを綺麗にする余裕も無く、布団に入らねばならなかった。明日は朝一の出発だし、まだ荷物の準備が終わってないのだ。ああ、もう、明日は3:00起きだよ!(ヤケクソ)

2006年08月11日(金曜日)

明日から休みでやんすが

20時12分 暮らし 天気:くもり

 さて、持って帰るのはトレンクルとしても、その他の荷物を送る手間が残っている。いると思ったのだ。が。
 今回は実家を離れて遠出するわけでもないので、それほど荷物はいらない。持ち帰りの旧式機Libretto L3*1を込みでも、バックパック一つに収まりそうだ。というわけで、事前に荷物送る必要なしと判定した。
 会社を退ける時、引継ぎ事項を同僚にメールして、スチャラカと退勤した。しかし、明日はBikeFriday大集合の日だ。無事に集合できるかいな。

2006年08月10日(木曜日)

どれを持って帰ろうか

19時07分 自転車 天気:晴れ

 どの自転車を実家に持って帰るかだが。
 このところ、疲労感が骨の髄まで染み込んでいるので、大掛かりな輪行はしたくない。となると、SatRDayは嫌だし、MR-4FもBD-1もゴメンなので、あれよあれよという間にトレンクルにまで堕落してしまう。うーん、しかしそれなりに走る自転車ではあるからなあ。散歩以上ママチャリ未満とは言うが、軽量を生かした機動性はママチャリなんぞに後れを取るものではない。シャカリキに漕いだ最高速度が負けるかなという程度で。じゃあ、トレンクルでいいか。今年は泊りがけの自転車旅行は予定してないし。
 それにしても、軽いということは善だな。トレンクルは非常に便利だ。

2006年08月09日(水曜日)

SatRDayの改造を(早くも)検討する

19時38分 自転車 天気:くもりだか雨だか

 さくっと出社。体は相変わらず重いが、世間も休みモードなので静かなのが助かる。そしてさくっと退社した。
 さて、SatRDayのギア構成は、フロントが52/42/30のロード用、リアが9~26TのCapreoを使っている。必要にして十分。三浦半島でもこれで困ったことなど無かったが、一つだけ不満なのがギア比が開きすぎていることだ。Capreoのギア間隔は17T差で、ロード用の12~27Tの15T差よりもまだ大きい。これを詰めたい。いわゆるクロスしたギア比が欲しいのだ。出来れば、ロード用の12-25T辺りを使いたい。そういう目で、OOoの表計算を駆使して、想定速度、ギア間を検討してみた。
 現SatRDayの最高速度*1は、アウター52T、トップ9T、タイヤ周長が1.5mなので、クランク回転数が90rpm時で46.8km/h。最低速度がインナー30T、ロー26Tなので90rpm時で9.35km/h。実際にインナーローが登場するような激坂では、60rpmが関の山だろうから、実質は6km/h程度となる。
 さて、クロスしたギア比というのは、たぶん各ギア間での速度変化が緩やかなものなのだろう。ギアがクロスしているかどうか気にするのは、巡航中のことなので、一番多用するミドルギアを相手にするべきだな。最高速度(リアがトップの場合)と最低速度(リアがローの場合)の差を、ギア間数(ギア枚数-1)で割ればいい。ミドルの場合、最高速度は37.8km/h、最低速度は13.1km/h。差し引いて8で割れば3.1程度となる。ギアを1枚変えると、3.1km/h程度変化する計算になる。
 これを、ツーリングバイクとして使い勝手がいいと思っているMR-4Fと比較してみる。現在のMR-4Fは、フロントが52/42/26という変則的な構成で、リアは12-25Tを使っている。タイヤ周長は1.75m。アウター/トップでの最高速度は40.1km/h、インナー/ローでの最低速度は9.8km/hだ。そしてミドルギアでのギア間速度変化は、2.15km/hとなる。やはり、今のSatRDayでの速度変化は大きすぎるのだ。
 これを、リアハブをXTに変え、ロード用の12-27Tに換えてみる。アウター/トップでの最高速度は35.1km/h、インナー/ローでは9.0km/hになる。そしてミドルギアでのギア間速度変化は、1.97km/hとなる。これくらいなら文句は無い。
 でも、最高速度が35.1km/hなんて、遅すぎるのではないだろうか。そういう目で他の自転車を調べてみる。BD-1はフロント52/38T、リアが12-27Tだから、最高速度はたったの31.6km/hだ。でもそれで困ったことなんて一度も無い。ツーリング用には、必要にして十分だ。だいたい、MR-4Fだってミドルギアしか使わないのだし、ミドルギアでの最高速度は33.1km/hだ。アウターを使ったことなんて、ツールド国東の時に下りで入れたかなあという程度だ。35km/hもあれば必要十分だわ。それでも足りないというのなら、トップを56T辺りに換えることも考えられる。
 うん、よりクロスしたギア比を得られるし、Capreoよりは高性能*2XTハブに出来るしで、リアホイール入れ替えはやっちゃって良いんじゃないか。既に手許にはリムとハブがあるんだし、後は調整くらいで十分だし。
 するとCapreoハブのリアホイールが余るな。そういえば、うちにはもう一台、20インチホイールを使うバイクがあるじゃないか。
 ということだが、その検討はまた次回。

2006年08月08日(火曜日)

とうとう会社を休む

22時23分 暮らし 天気:雨

 今朝も倦怠感は続いている。これでは、出社は出来ても、昨日のように仕事にならんだろう。代休があるので、会社に休むと電話を入れてから、昏々と眠り続けた。
 起きたのは、なんと夕方17:00前。これだけ眠れてしまうということは、けっこう重篤な症状だったのかもしれない。しかし、汗をかいて新陳代謝を上げたせいか、症状はほぼ解消された。一日を完全に無駄にしてしまったがな。
 台風の影響で雨が降り始めていたので、気温は低めだった。が、風が凪いでいる。エアコンを止めて、扇風機で風を入れていたが、蒸し暑さからは逃れられない。それでも、エアコンを入れるのは嫌だったので、ふうふう言いながら頑張っていた。
 今週は、台風が三つも来るというゴージャスな天候になりそうだ。

2006年08月07日(月曜日)

異常な疲労感に付きまとわれた一日

22時19分 暮らし 天気:晴れ

 どうしたことか、非常に体の重い一日だった。
 朝から歩くのさえも苦痛で、頭も重く思考が続かない。昨日の疲労もあるのだろうが、これは冷房病かな。昨夜は高温高湿だったので、エアコンをかけて寝たのだ。控えめにしたつもりだったが、それでもやられたみたい。年を取ると、こういう些細なことで体を壊してしまう。
 何とか定時まで過ごし、速攻で帰宅した。とりあえず、耳鼻咽喉がごろごろし始めているので、薬を飲んでおいた。
 うーむ、エアコンなしだと、今度は暑くて寝れないしな。困ったもんだ。

2006年08月06日(日曜日)

バイクサマーの三崎マグロツアーに参加してきた

21時57分 自転車 天気:晴れ

 今日はバイクサマーの企画の一つ、三崎マグロツアーに参加する予定だ。日記に書いておいたら、三井氏も興味を示された模様。一緒に参加しましょうということになった。
 自転車は、やはりSatRDayでしょう。戸塚までえっちら走り、駅前で輪行準備する。昨日のうちに、シートを外せばバイクキンチャク(折り畳み自転車用)に入ることは確認していたが、手間がかかるのと、外したシートの始末に困るのとで、結局は超速FIVEを使うことに。これでは結構余ってしまうのだが、手早く輪行準備できるのはありがたい。ただ、袋を収納状態にしても大きいので、荷物になるのがねえ。
 横須賀線は、東海道線と違って最前部に席の無い車両がある。そこに自転車を置いた。
 横須賀集合は8:00。かなり朝が早い企画だ。もう一つ、戸塚集合で埜庵に向かう、どこかで見覚えのある緩い企画は、集合時間もゆっくり目だ。しかしガツンと走りたかったのと、久しぶりにマグロを食いたかったので、こっちに参加したのだ。
 横須賀駅の改札を抜ける。京急横須賀中央に比べると、思い切って寂れた一帯だ。しかし、さすがに呉と並ぶ軍都だけあり、沖合いをこんなものが航走している。
 駅前で輪行解除しながら、スタッフの諸氏とお話しする。いつかの江ノ島ツアーで見かけた方も居たのだが、話してみるとIKDの吉田(man)氏の古いツーリング仲間だった。この自転車、吉田さんにお世話になったんですよ、などと話す。終いにはいいづか氏までもスタッフとしてやってくるし。世間は狭い。特に自転車界は。
 この企画、目玉になると思われたのだが、朝が早くてそれなりに走ることが予測されたためか、スタッフ6名に対して3名。しかし、企画としてはともかく、ツーリング部隊としてはこの程度が最適だ。
 まずは横須賀中心街から馬堀海岸、観音崎へと抜けてゆく。観音崎の海水浴場は芋の子洗い状態。しかし、海岸沿いのツーリングは、冷たい風があるので快適だ。
 浦賀湾は渡船で越える。この航路があることは知っていたが、乗るのは初めてだ。そもそも、自転車と一緒に乗れるとは知らなかった。潮風を浴びるのは良いもんだ。
 その先、灯明崎という小さな岬に立ち寄った。昔の灯台を模したものが立っているのだが、木造だったものをモルタル作りで再現したとかで、近くで見るとがっかりするそうだ。
 真夏の三浦海岸を走り、剣崎方面にかかる。いつもながら、この辺の上りは結構つらいのだ。特にリカンベントではどうだろうと思っていた。が、それほどつらいというわけでもない。確かにしゃかりきに登ればつらいが、軽いギアで上っていけば、それほど負担になるわけではない。むしろ上体の力が必要ないので、のんびりした気分で上って行ける。単に、アップライトな自転車とは、最適速度が違うだけだ。
 そんな風にして、剣崎近辺のきつい上りも制し、やがて風車の足元に至った。ちょうど風が凪ぎ、風車は静止している。日陰が欲しい時刻だ。
 三崎港に下りると、まずは某有名店を目指す。が、行列が出来ており、結局はちりとてちんに雪崩れ込んだ。なかなか興味深い話を聞きつつ、マグロに舌鼓を打つ。いいねえ、やはりマグロは港で食うに限る。どうせ冷凍ものなのだが。
 その後はうらりに立ち寄った。マグロのジェラードなどという凶悪なものを試す一行を横目に、前から気になっていたにんじんジュースを試す。にんじん100%という表示が興味を惹いたのだが、飲んでみると普通に甘みがあっておいしかった。甘味料も入っているのかな。小さめのにんじんを惜しげもなく、何本もミキサーにかけていた。
 その後は、三崎口まで走り、ここで輪行で戻る組と分かれた。僕は自走で帰るつもりだったので、三井氏も逗子まで走ることにしたので、自走組に入った。これと鎌倉近辺に在住らしい男性、自走で横浜まで行くつもりの若い衆とで列車を組み、真夏の三浦半島西岸を北上して行ったのだ。列車とはいうものの、最適速度が違うリカンベントは、坂では遅れ気味だったが。
 適宜休憩を取りながら、やがて逗子に至った。伊勢山トンネルに抜けるらしい二人と別れ、さらに逗子駅から輪行する三井氏と別れると、完全に一人旅だ。鎌倉に抜けると、コンビニで休憩を取り、七里ガ浜をひた走ると、境川経由で帰宅した。走行距離は100km足らず。
 しかし、帰り着く直前にアクシデントがあった。境川を離れ、環4沿いのダイクマ近くの信号を渡った後で停車するとき、着こうと思った左足が、クリートのせいで滑ったのだ。転倒しかかったため、慌ててバランスを取るべく跳ね上げた右足が、その瞬間に攣ったのだ。いやもう、びっくりしたね。ここが攣るとは。幸い、無事な左足は着地していたので、転倒は免れた。痛みをこらえつつ、攣った部位を揉み解す。攣ったのは、前腿部だった。しかし、ふくらはぎをやった時のような悲惨な状態ではなく、少し揉み解すとほぼ解消された。そのまま自走で帰宅できた。
 帰って、攣った部位を含めてアイシングしておいた。上半身はまったく疲労していない。強いて言えば首が凝ったか。下半身はそれなりだが、100kmほど走ったのだから、それなりの疲労はたまるだろう。想像以上にダメージは少ない。すばらしい。リカンベントは素晴らしい。今までも疲れにくい乗り物だとは思っていたが、これほどとは思わなかった。BikeEよりもなお、疲労は少なかった。してみると、BikeEのポジションは、見直す余地がありそうだ。
 なんというか、長距離のツーリングでは、もうSatRDay以外は考えられないくらいだ。5月連休の激しいツーリングも、SatRDayだったら違った展開になっていたかもしれない。

2006年08月05日(土曜日)

SatRDay Mk.2で横浜に出かけた

21時22分 自転車 天気:晴れ

 いや、うちも横浜ではあるんだが。ふつう横浜といえばこの辺の、山下公園界隈を走ってきた。
 ついでに、環2沿いにあるラーメン屋に寄ろうと思っていたので、混雑時を外した昼過ぎに出かけた。出かけるにあたり、SatRDayのシートをもう少し前に出した。フレーム側シートスライダーの固定点を前に出しただけなので、結局シートはさらに寝ることになる。以前は前端が前下がりになっていた*1のだが、ここが水平になったので、もうずり落ちることは無さそうだ。後、キャッチの硬かったPD-A520のキャッチ強度を最弱にした。
 長後街道を下り、R1から平戸立体に、環2に移って南下していった。前より疲れにくくなった気がするが、それは乗り方に慣れたからか、シートを前に出したからか、あるいは他の要因なのかわからない。その代わり、シートを傾けすぎて、足つき性が落ちてしまった。俺的には限界。滑りやすいSPDクリート付シューズだと、止まった途端にズルッと行きそうだ。
 さて、今日訪ねたのは、環2激戦区では一番の売れ筋という環2家だ。『家系元祖の吉村家直系』なんて言われてもふーんとしか思わんが。
 普通のラーメンに味玉を入れた。麺は太め、とんこつにきつめの醤油味の汁、海苔。汁がしょっぱい。相当のしょっぱさだ。あんまり旨味は感じられないが、嫌なエグ味も無い。チャーシューはしっかりした歯応えの、まるで焼き鳥のような食感のものだった。海苔は高級感は無く、さっさと汁にとろけてしまうもの。全般的に、ふーんという感じだ。家系のラーメンって、確かにガツンという引きはあるが、演出があざとすぎて好きになれない。そのくせ、よく食べるのはどうしたことだ。なんか癖になっているのかもしれない。
 環2を南下しきって、本牧方面に走る。本牧辺りは走って気持ちよくて、結構好きな場所だ。特にシネコン辺りのマスを感じさせる建造物群がいい。
 山下公園まで抜けて、ぶらぶら押して歩く。今日はあまりに暑すぎたからか、人出はそれほどでもない。
 マリンタワーを背景に一枚
 さて、Loroに寄って行こうと思い、探し回っていたら、横浜スタジアムの外苑でバイクサマーの関連らしいテントを発見。しかし、スタジアムでは別の催しもド派手に進行中で、ちょっと自転車で進入したい雰囲気ではなかった。まあ、Loroの後で寄ろうと思った。
 そのLoroが見つからない。あれ、この辺だったっけ、などと一方通行の嵐の区画を、ある時は歩道を走り、ある時は押し歩きで探したが、なかなか見つからない。まあ、たいした用事は無いからと、虫けら並みの注意持続時間しか持たない僕はさっさと飽き、そのままR1へと向かった。バイクサマーに立ち寄ってなかったのを思い出したのは、R1の保土ヶ谷を機嫌よく走っているときだった。まあ、明日のマグロツアーには参加するから。

2006年08月04日(金曜日)

あぢーな、おい

22時14分 暮らし 天気:晴れ

 昼、外気が直接入るトイレに入ると。ぅゎぁ、キタキタ、キました、嫌な熱気が。こんな日はトイレに行きたくないなー。まだしもましな他のトイレを使うことにする。
 それでも、夜になれば、不思議なくらいに涼しくなるのだ。今夜もエアコンは不要でした。その代わり、長後街道を走る珍走団の珍音が……。
 気がつくと、7月中にはほとんど耳にしなかった蝉の声が、頼んでもいないのにそこらじゅうから聞こえてくるようになった。意外にも、暑い夏が来た。

2006年08月03日(木曜日)

SatRDay Mk.2購入までの経緯

23時55分 自転車 天気:晴れ

 五月の連休前:おー、SatRdayのツーリングモデルって、こんな形なんだ*1
 五月の連休中:(佐田岬~国東半島を走りながら)MR-4F改もツーリング車としては完成されてきたのだが……、腰に来るな。アップライトで連日ハードなツーリングでは、腰がもたないか。MR-4F改のリンクもガタが大きくなってきたし。新しい自転車が欲しいんじゃない?
 連休明け:IKDに『新しいSatRDay Tourが欲しいんだけどー』とメールする。しばらく『改造することを考えてシマノパーツにしたいんだけどー』『一番安いモデルが、実はお得っすよー』などとやり取りしながら、仕様を決める。パパッと発注! 納期は6月末(と理解していた)。
 5月荒川サイクリング:(あ)氏と腹の探り合い。なんとなくバレた気はしていた。
 5/27:IKD訪問。細かい仕様を打ち合わせる。同行者にはバレる。緘口令1。
 ~6月中旬:IKDとGGC社とのやり取りで、発注した内容がすりかわっていたり、パーツが無いと回答されたりという。不安が募る。
 八丈島ツアー。食後の酒盛りで、アルコールの力もあってバラしてしまう。緘口令2。
 6月末:完成が1週間延びる。7月頭には手に入るので、荒川でお披露目と皮算用。
 7月初旬:製作に入ったらしいという情報はあったものの、出来たという話は来ない。
 7/11:GGC社より『発送した』との知らせがあった模様。来るか、アレが来るのかっ。
 3連休中:来ないよ。IKDによればなぜか集荷が17日だった模様。先の情報はなんだったんだ。
 7月下旬:教えてもらったFedExのトラッキングNo.で検索しつつ、『まだ来ないよー。なんで通関しないんだよー』。栗原氏ともども、通関状況に一喜一憂する。
 7/26:IKDに到着。荷物発送の知らせから2週間も経っていた。どうやら、オレゴンはアフリカの奥地にでもあったらしい。パーツの一部が仕様と変わっていたりしたらしい。とにかく発送してもらう。
 7/28夜:到着!

 当初の認識では6月中には手に入るつもりだったから*2、実に1月遅れたわけだ。時期的に夏期休暇をにらんだ注文で飽和していたのかもしれない。いざ届いても、リアキャリアはこれでいいのかとか、パーツが違うとか、問題は残っている。でも、実物に乗ってしまえば、そんなものは些細な問題だ。
 早速輪行を重ねて、問題を炙り出してしまおう。

秋しまなみ/超割が設定されている

19時31分 天気:晴れ

 11/23~26(もしかしたら22尾道から)で予定中の秋しまなみだが、ちょうどANAの超割が11/17~23で設定されている。これを使うと広島まで11600円。でも、旅割でも朝一の便を選べば11900円だから、あまり変わりはない。他の時刻の便なら2,3000円は安いのだが。いずれにせよ、9月中旬発売なので、考える時間はある。22日尾道をどうするかだな。
 しかし、今発売中の超割スペシャルだと、全国一律7800円で行けちゃうんだな。さすがにこの時期に休みは取れないので見送りだが、次回があるなら期待だわ。

2006年08月02日(水曜日)

南会津サイクルトレインはDコース

22時47分 天気:晴れ

 結局、Dコースに申し込んだ。Cコースは微妙にきつそうだし、コースも変わるかもと予告されていたので、回避した。DコースはCコースより安いしな(1000円だけど)。
 というわけで、まだ申し込んでない向きは、さっさと申し込みましょう。

BikeE改造の構想(疾風怒濤編)

22時30分 自転車 天気:くもり

 SatRDayのリアハブだが、カプレオである必然性は感じないな。トップ9Tなんて使いそうにない。フロントミドルだけで暮らして行けそうなのに、アウターだって着いているんだから。むしろ、もっとクロスしたギアが欲しいので、リアはカプレオの9~26Tよりも、ロード用の12T~25T辺りの方がいい。そもそも、カプレオはハブとしてはイマイチな出来じゃなかろうか。アルテグラ、XT辺りの、スーッと伸びて行く様な走行感はない。必要十分だとは思うけど、手許にXTのリアハブもロード用スプロケもあるので、時期を見て交換しよう。
 今のところ、SatRDayで他にどうにかしたい箇所はない。折り畳み方をもう少し何とかしたいとか*1、軽くしたいとかいった要望はあるが、簡単に片付くことでもないので。
 まあ、手に入れたばかりなのだから、しばらくは試行錯誤が続くだろう。パーツをどうこうするのはそれからだ。
 それより、ずっと手付かずだったBikeEの改造に関して、思い改めることがあった。ぶっちゃけ、気が変わった。完全な外装変速機式に変えようと思っていたのだが、内装のままでも良いかと考えるようになったのだ。
 そもそも、完全外装式にしたかったのは、内装変速機に付き物のフリクションが嫌だったからだ。BikeEで走ると、ペダルから力を抜いた途端に感じる失速感がたまらないのだ。原因は走行抵抗の高さ。特にハブに起因するものだ。内装変速機のフリクションが大きいのは事実だから*2、これを変えなければと思っていたのだ。
 でも、内装ギアでも直結モード(だいたいミドルに設定されているようだ)ならばフリクションは少なくなるはず。それでも走行抵抗が高いのは、そもそも現在BikeEに使用しているSRAM3*7が、ハブとしての性能が低いからなのだろう。同じSRAMでも、今の世代のものはかなり改善されているらしい。
 しかし、部品の入手に不安のある、SRAMの内装を使い続ける気にはなれない。ということで、シマノのINTEGOに目が行くのだ。こちらは3*8だから、よりクロスしたギア構成にもできる。岡山氏が既に実施しているので、実績もある。
 しかし、単にINTEGOにするだけでは面白くないな。シマノの8速の全ギア幅は、9速と同じ*3なので、同じハブのまま9速化ができるはずだ。実際、最初にBD-1を買ったときにはALIVIOベースで8速だったのだが、そのまま9速化出来ている*4。INTEGOも同じじゃないか? 同じ8速で、ぜんぜん別規格の設計をするとは思えない。
 手許には*5LXのリアディレイラがあるので、INTEGOで組んだリアホイールさえあれば、すぐに試せそうだ。シフターはバーエンドシフターを使おうと思う。これで内装3速を引けたかな。どうせフリクションモードなので、なんでも引けるとは思うが。
 秋口くらいにスパッとやっちゃおう。

バイクサマー2006横浜

00時50分 自転車 天気:くもり

 表題のイベントが、今週末にあるみたい。面白そうだなあ。行ってみよう。

2006年08月01日(火曜日)

ダメな日

22時54分 暮らし 天気:くもり

 なぜだか体調が激悪な日だった。背中に鉛の延べ板40kgを背負っている気分。なんでだろうな。土日とはしゃぎすぎたか。あるいはまだ養生できてない新リカ筋(SatRDay用)を酷使したからか。今日はマシン室での作業にかこつけて、できるだけ歩き回らないように努めた。
 別にエアコンを使っているわけではないんだけど、それでも朝夕の気温差が大きいとこうなっちゃうのか。わしもいい年だし、気をつけんとな。