Strange Days

2008年01月31日(木曜日)

ウェブサーバのfork完了

09時35分 インターネット 天気:快晴

 データを一発で移せそうに無いので、ちまちまと移すことにする。DBにデータの構造だけ切って、データの内容はひたすらINSERT文を列記したテキストを、MySQL Adminから読ませまくった。ほぼ0:00過ぎにほとんどのデータを移し終えた。正確にはアクセス解析のデータは移さなかったが、これは僕しか関係ないからな。
 新旧サーバとも、ウェブの見た目はほぼ同じだが、一部変わっている。旧サーバではホームにさらにディレクトリを掘って、そこにNucleusを入れていた。新サーバでは素直にホーム直下に展開している。またあまり需要の無かったオンラインアルバム、契約解除の方向の旧々サーバへのリンクも削除した。だからトップページが少しすっきりした。
 もしも旧サーバで"~/nucleus/"でフィードを拾っていたのなら、新サーバでは"~/blog.php"で拾ってください。あるいは、(やっぱトップだけにしました)素直にトップページで拾うか。
 とりあえずDNSの処理はやっておいたが、レコードが新サーバの情報に書き換わるまで少し時間を食いそうだ。実際、自分の家からでも、朝になっても旧サイトを指したままだ。9:30にやっと切り替わった。
 旧サーバも"http://dp16003082.lolipop.jp/"でしばらくは見えているが、2/12に消えるはずだ。このアイテムをもって旧サーバの更新は終わりです。
 新サーバは、確かに旧サーバより速い。正確には特異時刻に異常に重くなる現象が、今のところは無い。この軽さが続いてくれたらいいのだが。

2008年01月30日(水曜日)

乳酸菌大作戦

22時00分 暮らし 天気:晴れ

 昨日一日、腹の不調に悩まされた。腸内で何者かが何かを醸しているらしく、物凄い勢いでガスが生産されるのだ。そりゃもう、平均的家庭の一冬分の暖房を賄えそうな勢いだ。メタンは二酸化炭素なんざ目じゃねえというくらいの温室効果ガスなので、僕のせいで地球はますます温暖化が進んでしまったことだろう。
 今日はデスクワークが多く、時間も余裕があったので、お腹の悪玉菌退治と行こうじゃないかと決心する我輩だった。乳酸菌大作戦、作戦名『乳酸菌の嵐』発動。
 LB51を買ってきては、ごくごく飲みまくる。500mlパックを3つ消費した。さらに帰宅後も、イトーヨーカドーで買ってきた固形ヨーグルト500gを貪り食った。
 そのおかげで、腸内の異常発酵の方は、なんとか収まってきた。さすがの悪玉菌も、この数の暴力の前には無力だ。これで謎の悪臭発散物体として指弾されないで済みそうだ。
 しかし、ある種の必然として、別の要因によるお腹のゆるさにのた打ち回る我輩なのであった。拙者、緩いのは頭でありました。

2008年01月29日(火曜日)

ウェブサーバを引越し

22時40分 インターネット 天気:雨だー

 今使っているロリポップとの契約が2初に切れる。使う側からするとあまり不満は無いのだが、この無惨なる駄ブログを見ている方々から、『重いよー』という苦情が結構来ている。確かに、9:00とか23:00とか3:00とか、特定時刻の重さには気が狂いそうなものがある。また画像を張りすぎて、500MB契約のうち380MBまで来ている。近年のペースだとこの先1年で溢れるかもしれない。
 というわけで、乗り換え先として、同じ会社が運営しているチカッパを試してみることにした。こちらは1GBスタートで2GBまで。これなら動画を貼るようになってもしばらくは余裕だ。
 さくっと試用申し込みして、Nucleusの設定をした上で、DBの内容を移そうとした。あれ、うまくいかないよ? ロリポップからのDB書き出しは問題ないのだが、チカッパでの読み込みがうまくいかない。
 いろいろ試してゆくと、小さなデータならうまくいくことが分かった。全データだと30MB超なのだが、うまく行った場合は3MB程度のBlog開始初期のものだ。5MBくらいだともうダメ。読み込みだと処理が重過ぎるのだろうか。
 ならMySQL Adminでと思いきや、こっちはインポートデータ量が5MBに制限されている。こうなると、データを分割するしかないな。
 意外に手間取っているが、ロリポとの契約切れまでにはなんとかするつもりだ。

2008年01月28日(月曜日)

お腹ハングアップ♪

23時55分 暮らし 天気:どうだったっけ?

 いや、音符つけるような愉快な事態じゃないのだが。
 午前中、なんだか体が重いなと思っていた。昨日遊びすぎたのかと、いささか低空飛行中のわが体調を鑑み、しばし反省する我輩であった。
 しかし、昼過ぎる頃から、事態はますます悪化して行った。発熱があり、また体の節々が痛くなってきたのだ。加えて、お腹の調子がよろしくない。胃袋が消化不良気味で、昼食がいっかな消化されず、ずっと残っている感じなのだ。腸より先は、やたら蠕動を繰り返し、活発にガスを産出している。何度かトイレに通って出すものを出すと、もはや便意すらなく、ハングアップした胃と、吸収機能を発揮せずガス生産に走る腸とを抱えて路頭に迷うばかりだ。症状としては、ずばりノロウィルス様の仕業と思われる。どこで拾ったかな。先週末は思い当たる節がありすぎて困る。
 定時まで何とかこなし、かつて無いしんどさに苦しみながら、踊り場の坂を自転車で越えた。そして帰宅するなり、コンビニで買った軽食を取り、薬を飲んで即座に寝たのだった。
 その甲斐あって、熱は夜半には退いた。しかしお腹ハングアップ現象は残っている。胃の方は大分復調したようだが、解熱の切り札として投入したエキセドリンの副作用で荒れた感じがある。これは時間が経てば治るだろう。
 腸を復活させるには、これはもう乳酸菌大作戦しかないのではないか。ノロウィルス様御降臨の余波で狂った腸内細菌の均衡状態を平常に戻すべく、ヨーグルトを貪り食おうというわけだ。しかし真夜中。もう出かける気力は無い。乳酸菌大作戦の開始は明朝としよう。
 しかし、去年末から体調がひたすら低空飛行だこと。

PC遅くて拙者涙目(解決編)

14時31分 コンピュータ 天気:くもり

 さて、出社するや否や、PCの起動の遅さに涙目になる我輩。遅いにもほどがある遅さだわ。根本的原因を明らかにせねば。
 まずドライバを探す。intel 82801EBってチップセットのものだ。これに関する情報を集めていると、MSのナレッジデータベースでこれはというのに行き当たった。要約すると、Windows2000以降のOSとIntelの一部チップセットの組み合わせでは、ディスクが無応答などのエラーを繰り返すと、ATAドライバが勝手にIOモードを低速なものに切り替えてゆくというものだ。XPではSP1でドライバが修正され、より切り替えが発生しにくいポリシーにされている。だがこれは標準では有効になっておらず、レジストリを書き換えて有効にしなければならない。調べてみると、システムディスクのアクセスモードはPIOでこそないもののクラシックDMAモードになっている。せっかくUltra ATAなのに、これでは遅いわけだ。
 これで現象を説明できる。順次遅くなってきたのは、ディスクのエラーにより、U-ATAのモードが低速なものに切り替えられてきたためだ。ディスクスキャンで修復したときに余計遅くなったのも、同じ理由だろう。
 レジストリを書き換え、再起動する。するとアクセスモードも初期化されるようで、見事Ultra DMA5モードで起動した。速い速い。といっても、ずっと以前に戻っただけだが。
 PCなんていってもレガシーな部分、アナログな部分がたくさん残っているので、一見訳の分からない仕様が隠されているものでございます。

2008年01月27日(日曜日)

大津港鮟鱇貪食ツアー2日目

20時37分 天気:快晴

 2日目は、県境を越えて福島県の小名浜まで走り、昼食にしてから解散というプランだった。当初はすぐに大津港駅から輪行する気だった僕だが、まあ昼食は付き合おうという気になった。
 丸腰隊はtomo&kazu夫妻の自家用車を借りて移動し、昼食場所で落ち合うことにした。まずは港の朝市を冷やかす。メヒカリの串干が10匹くらいで500円と安い。いつもながら、自転車ツーリングでのみやげ物は悩みどころだ。メヒカリはエソの一種といわれる小型の中深海魚だが、その分類については未詳だとか。
 丸腰隊と別れ、すぐ近所の神社を訪れた。高台にあり、港を一望できる
 次に訪れたのが、この辺りの名所である*1勿来の関。坂道を*2ひぃひぃいいながら上ると、真新しい歴史館、関跡を挟んできれいに整備された歌碑、句碑群が待っていた。小野小町、和泉式部など著名歌人の中に混じり、なぜか永野修身の句なども並んでいる。永野は海軍軍令部総長として、負け戦だったWW2への参戦を促した人物だ。こんな場所にどうよと思う。まあ歌に貴賎無しという万葉以来の伝統なのかもしれんが。
 勿来の関を越えて、瀬戸内のような内海とはまるで迫力が違う、太平洋の波濤を感じながら、小名浜に向かっていった。
 小名浜海水浴場を過ぎたところで、またしても小半島の先端にある神社を訪れた。掛け値なしの先端で、断崖絶壁の上だ。オーバーハングしているという声もあったくらいだ。おかげで、そこからの眺めも絶景だった。
 やがて小名浜の港に到着。いかにも港湾事務所2階を転用しましたという感じの食堂で、昼食を頼む。僕は焼き鯖定食を注文した。これがまた、大振りな鯖の切り身が二つ、脂がたっぷり乗ったそれがついて、1350円。ちょっとお高いのだが、他にたこの刺身の皿、小鉢に汁が付いている。焼き鯖が美味すぎて困った。
 食べ終わるかという頃に、丸腰隊も到着した。入れ違いで店を出て、近所の物産館*3を冷やかし、自転車隊、丸腰隊ともども泉駅で解散となった。僕は輪行&丸腰隊とともにスーパーひたちで来た道を戻って帰宅した。
 久しぶりに激しく贅食したので、明日はお腹が心配だ。主催のkaz&tomoご夫妻、そして参加者の皆様、楽しい時間をありがとうございました。

2008年01月26日(土曜日)

大津港鮟鱇貪食ツアー初日

23時55分 天気:いい天気だ

 7:15に家を出る。Brompton+パニアバッグの軽装。冬場は小物を携行できるポケットに不自由しないので、PDAの類は冬用フリースのポケットに入れる。
 7:45の東海道線で東京、山手線で上野に。常磐線特急ホームに向かうと、予約を入れてあったスーパーひたち11号が入線していた。乗車準備完了を待っていると、今日の日中を一緒に行動する戸田さん通称たにぐち&kimrinと遭遇。
 スーパーひたちの発車は9:00。1時間前の同便で、大津港の山側に登坂する部隊が出発しているはずだ。
 日立で降り、大津港までは各停で向かった。大津港の駅で降りると、寒気が身に染みる。今日はこの3人で、大津港周辺をぶらつく予定だった。ハードな道行はごめんだと思っていたのだ。それが、あんなことになろうとは。
 まずは昼飯でしょうと、港に出来た物産館に向かった。真新しい立派な施設だ。正面入り口にはでっかい碇が飾られている。
 その後は、kimrinが何枚も印刷してきてくれた地図を見ながら、この界隈の神社仏閣を見て回った。小さなものばかりだったが、それぞれが地域の社だったのだろう、漁船からの奉納品があったりして、面白かった。
 やはり、大きな寺社の方が写真は取りやすい。山の上にある寺に登ると、思いがけず大きな寺で、しかもきちんと整備された展望地点*1からいい眺めが得られる。しかし小高い場所にあるものばかりだったので、上りきるにはBromptonにはつらい道を行かねばならない。舐めないでBD-1でも持って来ればよかった。
 一番きつく、しかも一番高い坂を上りきると、この辺りの総社らしいひときわ大きな神社があった。
 神社の次は、この近辺最大の景勝地、五浦を尋ねる。岡倉天心由縁の六角堂などが著名だが、それらを対岸から見下ろすポイントに行ってみた。これは絶景
 その後、六角堂を訪ねて先人の足跡に思いを馳せた後、今日の宿に向かった。細い道を少し走ると、すぐだった。
 既に丸腰組が到着していたので、その輪に加わって雑談する。それほど間を置かず、坂アタック組もやってきた。今日主催のkaz&tomoご夫妻以下、総勢17名で鮟鱇を貪食いたすのだ。
 18:30より鮟鱇宴会が開始された。主催の鮟鱇鍋は、味噌とアン肝をたっぷりすりつぶした汁に、ぶつぶつとぶつ切りにした鮟鱇や野菜類がたっぷり入り、迫力の一品だ。鮟鱇のだしは肝の滑らかな食感もあり、濃厚極まりなし。テーブルには他にも海産物主体の皿が並んだが、一際注目を集めたのがヒラメの刺身だった。プリプリシコシコの食感がたまらん。鮟鱇鍋のだし汁で作った雑炊で締め。普段摂取できないいろいろなものを取れたような気になる宴会だった。
 その後は布団部屋に移動して、眠くなるまで話し*2、日付が変わる前に布団に入った。少し走っては小さな寺社や先人の業績を偲び、宿では鮟鱇鍋に大満足の宴会でした。

2008年01月25日(金曜日)

PC遅くて拙者涙目

20時31分 コンピュータ 天気:寒そうね

 今年に入ったくらいから、なんだか仕事用PCがもっさりしてきた。4年近く前の機械だが、P4の2.8GHzデュアルで1GBメモリなら、WindowsXPくらいなら軽く使えるはず。だがOS起動はもとより、アプリケーションの動作やデスクトップの使用時まで遅くなっている。
 動作を観察していると、メモリとCPUを空けても動作は重いままで、その間ずっとディスクアクセスしているようだ。ディスクがそろそろやばいのか。
 レジストリのダイエットやドライバの更新を考えながら、とりあえずスキャンディスクをかけてみた。なんだかbad sectorが多発しているようだ。ディスクの寿命なのかね。
 とりあえず、ディスクのエラーをすべて修復し、起動してみると……。ぅぉぉん! 余計に遅くなっちゃったよ! これがもう、爆遅というべきもので、OS起動に10分掛かる始末。前は1分でログインまで行ったものなのに。
 ディスク容量の逼迫まで行ってないし、スワップファイルの場所をあちこち変えても変化無いので、これはもうドライバ自身の問題としか思えん。しかし、今まで問題なかったのに、なんで急に? トリガーが分からない問題ほど究明に窮するものはない。
 今日は定時で帰りたいので、我慢して使ったが、来週はいきなり原因究明に時間を掛けなければならない。ただ起動するだけで10分掛かるなんて。余はまさに涙目である。

2008年01月24日(木曜日)

CLIE&Willcomカードの後継は

23時17分 デジタルギミック 天気:暖かい朝だった

 なんか携帯端末やPDAの話ばかりだが。
 とりあえず、どこでも、どれでも*1使えるW05Kが実用に入り、AirEDGEなカードAX420Nの身の振り方を考える時期が来た。いうまでもなく、Willcom新端末の発表を受けてだ。このまま行くというのも手だが、どうしてもAirEDGEで使いたいNX80Vが、そろそろ限界に来ていることを考慮せざるを得ない。まだ動作は確実なのだが、そろそろ首がグラグラしてきているのだ。なんにせよ、3年半酷使してきたのだから、後継は確保しておかねば。
 かれこれ2年以上懸想してきたW-Zero3に手を出す時が来たのか。しかしPalmでパスワード管理に使っているKeyringが便利すぎて、例えスケジューラーなどで妥協は出来ても、これは妥協できないと思っている。似たようなアプリとしては、文書暗号化機能を持つtomboがあるが、こいつにはKeyringのようなパスワード生成機能が無い。英数、大小文字、記号を任意に混ぜて、任意の長さのパスワードを生成できるという奴だ。この機能が無いと踏み切れない。
 が、パスワード管理専用のKeepPassってのがある。こいつにはパスワード生成機能があるようだ。これなら妥協できそうだ。
 これでやっとPalm離れできるかもしれないが*2、するとAdEsへ機種変するのか? しかし、スマートフォン系ならば通話定額+データ定額にしたいところ。ところが通話定額だと長期割引が効かない。しかも機種変だと新規購入より端末価格が高くなる。解約して新規契約し直した方が安くなるくらいなのだ。
 しかも、Willcomは新機種発表の際に『スマートフォンの新機種についてももうじき発表できると思う』なんて言ってるらしい。噂では、WM6.1にアップグレードされたAdEsとか。UIがガラッと変わるのは考え物だが、安定性が上がるなら歓迎だ。AdEsから1年も経ってないので、ハードは恐らく変わらないだろう。
 うーむ、AX420Nの年間契約が4月まで残っているし、その時期にAdEs後継が出るかもしれないので、結局は当面見送りというところか。その頃にはまたPalmに戻ってしまってたりしてな……。

2008年01月23日(水曜日)

P905iにオーディオファイルを入れてみる

23時00分 デジタルギミック 天気:まだ湿っぽい

 せっかくなので、P905iにもオーディオファイルを入れてみることにした。MP3ファイルを直接再生する手段は無いので、WMPを経由してWMAファイルに変換しながら転送しなければならない。そういうデバイスのお世話を出来るのはWMP10以降なので、Windows2000なメインマシンでは難しいなと思っていた。しかしよく考えるとサブのマシンはWindowsXPだ。よく考えないと思いだせんというのはやばいぞ、俺。
 とにかく、1GB弱のファイルを転送してみた。音はパナだな。シャカシャカ軽すぎて物足りない。でも暇つぶしには十分だ。
 これで出張時や地下鉄通勤時にオーディオプレイヤーを持ち歩く必要は無くなった。後は適当な小型BTヘッドホンが欲しいところだ。

汚れつちまつた悲しみに

09時18分 暮らし 天気:今日も小雪の降りかかる

 なんとなくそんな予感がしていたのだが、起きたら雪が降っていた。雪が音を消すのか、人の動きが乏しくなるからなのか、雪の朝は異様に静かだ。客観的には、雪の降りかかる音が、ずっと続いているんだろうがね。
 というわけで、今日は地下鉄で出勤。寒がりの僕は、フリースの上にジャンパーを羽織って、駅に向かった。達磨さんだね。
 出社してみると、雪につかまったのか、職場の人口密度が異様に低くて笑った。
 このまま雨になって、上がってしまうという予報。一日もたなかったか。

2008年01月22日(火曜日)

俺の浜名湖は終わった……

19時16分 自転車 天気:寒いよ

 日曜日、荒川オフの昼食後に、ぐるっと浜名湖の話題が出た。
『いやー、印刷が面倒でまだ出してないんですよ』と間抜けなことをのたまう我輩に、『もう締め切ってるよ?』と驚愕の事実が突きつけられたのであった。早っ! そういえば去年も早かったんだよなあ。なんでのんびりしてしまったのか。おのれの間抜けさにのた打ち回る我輩であった。あんな、ガタガタ道のパンク地獄を走らされて、昼食の弁当はちっさくて、強風の中を涙チョチョ切らせながら走らされるイベントが、なんでこんなに人気あるんだろう*1
 というわけで、佐藤氏、すまんす。

2008年01月21日(月曜日)

W05Kを設定する

22時50分 インターネット 天気:曇りのち霧雨

 今日は昨日よりも寒い日になった。帰りには雨も降っていたが、雨にしては冷たすぎたので、雪が溶けた雨だったのかもしれない。
 さて、せっかく買ったW05Kだ。使えるようにしておこう。
 まずシグマリオン3。これで使うのが主眼だから、きっちり設定しておかないと。その前に、アクセスプロバイダを選ばなければならない。
 アクセスプロバイダはiij4uを使うつもりだった。AirEDGEもこれを使っていたからだ。が、料金表を見ると、Pakect One系の場合は時間課金制の青天井だった。げげ、これはいかんな。
 auをプロバイダとして使う場合は、\950/月の課金が発生する。これより安いところはいくらかある。たとえば、同じIIJ系のIIJ Mioだ。調べてみると、AirEDGEもPaketOne系も無線LANも込みで\750/月というコースがあるのが分かった。iij4uのAirEDGEアクセス料と、MioのPaketOne系アクセス料を合わせると、実はこのモバイルアクセスプロと同額になる。無線LANがついているだけ有利だ。もっとも、無線LANは時間課金なので、最後の手段というところか。ともかく、値段が変わらないわけなので、iij4uのAirEDGEオプションは解除して、Mioのコースを選択した。
 次にシグマリオン3の設定だ。3phsを実行して、W05Kを挿してみた。WillcomのAX420Nに比較すると、厚みがCFType1に対してType2と厚くなり、頭の出っ張りも相当のものだ。これは、たとえ使えるにしても、NX80Vに挿したくないカードだな。消費電力も相当のものらしい。
 ともかく、シグマリオン3に挿した。あっさり認識したので、IIJMioのアクセス設定をしてやると、あっさりと接続した。体感的には、通信速度が多少上がったのか、ウェブの表示はWillcomの4x回線よりも確かに快適だ。だがイーモバイルで体験した『二度と戻れそうにない』というくらいの差は感じなかった。せいぜい倍くらいじゃないかな。困るのが、リンクまでの時間がWillcomよりもかなり掛かることだ。Willcomがさくっと接続されるのに対し、こいつはのんびりとダイヤルアップしている様子が手に取るように分かりそうな速さだ。むー、この回線速度差なら、モバイルとしてはWillcomの方が使いやすそうだなあ。まあWillcomでは心許ない地方で使いたいのだから、これでも問題はないと思うが。ともあれ、シグマリオン3で、Willcom、auと複数回線を使えるようになったのは、旅行時にとても心強いことだ。
 Libretto L3にも設定してやる。こっちにはマルチポートドライバを設定する。普通に装着すると、通常のモデムにしか見えないので*1115kbps制限が生まれてしまうのだが、このドライバを使うと複数のポートでアクセスできるようになり、大幅に速度向上できるというものらしいぞ。ウェブアクセスすると、確かにかなり高速だ。まあ激速というわけではないが、Willcomに比べれば速度的な優位を感じる。でも絶対的な差とも感じない。
 やはりauシングルデータ定額の売りは、速さなんかじゃなくて、エリア的にも対応機種的にも広いという汎用性なんじゃなかろうか。そういう意味では悪くないな。でも、これで『毎日みっくみくにしてやんよ~』とかいう向きには、この速度は物足りなさ過ぎるだろうな。
 来週末に茨城県北部に遠征する予定なので、その時にシグマリオン3ともども持っていって、試してみようと思う。

2008年01月20日(日曜日)

1月の荒川サイクリング

20時17分 自転車 天気:結局は晴れ

 今日の遅くから雪になるという予報。朝は確かに寒かった。しかし、用事があるので、今日の荒川には参加せねば。
 9:00に浮間舟渡はつらいので、赤羽から合流するつもりだった。自転車は久しぶりにBD-1を連行する。
 戸塚まで走り、BD-1を畳んだ。後変速機をM772に変えた時点では、折り畳み幅に影響なかったなあとがっくりしていたものだ。しかし畳んだ状態をよく観察すると、ステムをより畳めるようになったらしく、今までアヘッドがフレーム上部に来ていたのが、フレームのより下の方に収まるようになっていた。ということは、前輪がよりフレームに近づけて、収まりが良くなったということだろう。実際、以前だと右に荷重が大きすぎて、輪行状態だとすぐ右に倒れそうになっていたのが、ずっと安定してくれるようになった。なにがいいといって、セキサイダーのコロで転がしている時に安定することだ。
 さて、湘南新宿ラインで赤羽に急ぐ。しかし、ふと思った。赤羽から荒川サイクリング最初の休憩地点まではちょっと走らなければならない。一方で赤羽からは2駅で浮間舟渡だ。浮間舟渡から追いかけた方がいいのではないだろうか。もしかしたら、まだ出発前かもしれないし。
 赤羽で車内アナウンスに騙されて宇都宮線に乗りかかったりしたものの、9:30には浮間舟渡に着いた。いつもなら、まだダラダラと駄弁っている連中が居る時間だ。が、今日はすっきり、誰も居ない。
 BD-1を川下に走らせる。パセラ18インチ版は乗り心地がいいのだが、走りはやはり重い。トップスピードが伸びないのだ。しかし、今日は急がねばならないからそう感じているだけで、いつものように20km/hでダラーッと走るならば、そんなに差を感じないで住むだろう。
 最初の休憩地で、やっと追いついた。そこで石川氏を捕捉。今日の用件をやっと果たせる。去年の南会津紅葉サイクリングの際に他の参加者の方の厚意でいただいた画像CD-ROMを渡したかったのだ。無事に用事を済ませ、さあ帰ろうかなとすら思った。しかしここから帰るのも空しいし、同じく南会津で知り合った連中が数人来ていたので、一緒に走ることにする。松木氏はTREKのMadon5.2に乗っていた。後に試乗させてもらったが、やはり高価なカーボンフレームはイイ。スチールがばいんばいん撓って衝撃を打ち消すのに対し、これはどこかに消えてしまう感じだ。
 湘南方面企画でよく会っていた松原氏がMR-4Rに乗ってきていたので、しばらく話しながら走る。こんな寒いのに、参加者は案外に多かった。そこら中で目立ちまくるMangoを含む集団が、追い風に乗って快調に走ってゆく。
 やがて葛西臨海公園に到着。今日はJETBOILを持ってきてなかったので、適当な弁当ものを食した。
 今日の松戸のmomo氏は甘酒仕様のGrassHopperで参加。すれ違う人々の受けが良かった。食後、momo氏は担いできた甘酒&汁粉の缶を鍋で暖め、振舞ってくれた。暖めすぎて、最初はアチアチだったが、やがて程よいぬくもりがじんわりと身に染みて美味だった。
 解散後、東京方面隊にくっついて東京駅まで走り、輪行で帰宅した。今年はどれくらい企画を実行できるだろうか。

2008年01月19日(土曜日)

連続無惨私小説:人として……(通信キャリア編)

23時18分 デジタルギミック 天気:なんだか寒くなってきた

あらすじ:既に5大キャリア中4社まで制覇した竹本。残るSBモバイルと契約してしまうのは人道に悖るものだと思い悩むのだが……*1

 朝、目覚めが良かったので、auのシングルデータ通信定額に手を出す気になっていた。より正確に書くと、この日は太陽が黄色くなかったという意味なのだが。
 まあ、今のau契約を誰でも割に変えると、かなり下がるので、その分なら+1900円でシングルデータ定額を契約してもいいかと思ったのだ。これでシグマリオン3をどこにでも持って行けるようになるのなら、地方への旅行時の通信手段を確保できると思ったのだ。物凄くたまにしか旅行しないじゃんという指摘は甘んじて受けよう。手段のために適当に選んだ目的に過ぎないのだからな。
 さて、W05Kはキャンペーンで1円で買える店もあるようだ。それを探してみよう。今日は夕方から用事があるので、午前中に家を出た。なんとなくTCR-2に跨る。
 まず訪ねたのが、近所のauショップだった。立場店に入ったのは初めて。W05Kの新規契約価格を聞くと、受付のねーちゃんは知らなかったようで、あたふたと資料を漁っていた。1万円。『キャンペーンで1円で買えるらしいんだけど』と聞くと、そういう店もあるみたいですねえ、とのこと。ここではやってない。
 町田のヨドバシまで走り、1Fのauカウンターを覗いた。をを、堂々と『1円』の価格が表示されている。その場でアクセスプロバイダ、1回線目の契約などの確認を受け、1時間後に受け渡しという運びになった。
 時間が出来たので、カメラコーナーでD300を手にする。さすがにD70よりはあらゆる面で上だわ。シャッター音すら高級に聞こえるほど。しかし、ニコンレンズにこだわらなければ、オリンパスなどの軽量機もありだなと思った。
 auカウンターでW05Kを受け取り、急いで帰宅した。
 自転車を置いて、そのまま徒歩で立場駅に急いだ。武蔵小金井駅まで向かい、ここで待ち合わせの相手を呼び出す。用事というのが、こば氏がコタツを下さるというので、喜んで取りに来たのだった。こば氏についてお宅にお邪魔し、まずはコタツを持ってきた折り畳みキャリアにくくりつけた。これがいい感じにまとまって、正直憂鬱だった帰路のことも、懸念がだいぶ和らいだ。
 ついでといってはなんだが、近所のイタリアンな軽食屋で軽く晩飯を取る。ジャラジャラと身に纏っていたPDAだの携帯電話機だのインターネットコンパニオンだのを並べ、それを肴に飯にする。
 EM-One(イーモバイル)、P905i(DoCoMo)、G'z One(au)、そしてNX80V with AX420N(Willcom)。
 バカだ、バカがいる! なんでこんなに持ち歩かなけりゃならんのだ。いや、もちろん誰の強制でもない。このワタクシがアホなだけです。はい。
 混雑する湘南新宿ラインを避け、中央線で東京まで出て、東海道線経由で帰宅した。キャリアのお陰で、案外に苦労は無かった。勝利の鍵は、執念深くエレベーターを探したことだな。
 帰宅して、W05KをNX80Vに刺してみた。CFユーティリティでは、もちろん詳細情報を調べられない。カード情報で製造元と名称は見えている。だがこのカードで通信することには成功していない。なんか情報ファイルを書かねばならないのかなあ。

2008年01月18日(金曜日)

今日も新川崎で教育受講

19時54分 暮らし 天気:晴れ

 今日も新川崎の高層ビルで教育受講。中層だったがイーモバイル、DoCoMo、au、Willcomいずれも電波ビンビンだった。Willcomはビル内にアンテナが設置されている雰囲気だ。
 せっかく川崎くんだりに来たんだから、川崎方面隊と合流して行動してもいいかと思ったが、特に動きも無いようなので素直に帰宅。
 今日の成果:都市部ならどのキャリアを選んでも使える。*1

2008年01月17日(木曜日)

新川崎で教育受講

22時39分 暮らし 天気:晴れ

 昼から、新川崎で教育を受けてきた。冬は夏ほどのビル風ではない。
 帰りにどこぞで遊んでいこうかと思ったのだが、あんまりに寒いので速攻でた帰宅。夜も眠いのでさっさと寝てしまった。
 しかし、なんとなくアレが来ている気がするのだよな。

2008年01月16日(水曜日)

通信キャリアをまとめなければだわ

22時11分 デジタルギミック 天気:少し雲が出てきた

 ふと気を抜いていたら、ソフトバンク以外の主要キャリアを制してしまっているではないか。なんで端末をこんなに持ち歩かねばならないのだ。ふと我に返った拙者、出来る限りまとめてしまおうと思った。思うだけはな。
 まずイーモバイルだが、これは主な行動範囲をカバーできている上、主要な通信定額の中ではもっとも縛りのゆるいものなので、自宅の副回線としても手放せない。
 次にDoCoMoだが、P905iは使い出があるものの、結局はauの最新世代端末から適当なものを選べば、同じことは出来る。山奥での通信実績から言うと、auの方が上だし、DoCoMo回線はあまり持っていても仕方ないものだ。でも実家の母の契約をファミ割にしてやると料金がぐんと下がるので、そのためだけに最低額の契約は保持しておこうと思う。
 そしてメインのauだが。これはG'zが頼りになりすぎて手放せないので、この先もメインにせざるを得ない。さらにシングルデータ定額を付けると、1800円/月程度でどこでもデータ定額を実現できるのだ。もっとも、通信速度自体の縛りがきついようだが。その点はモバイルで使う場合は、あまり問題にならないだろう。7万パケットで6000円弱の天井に達してしまうが、使った月だけその値段と考えればいい。でも、最近の端末ならばメール処理もサイト管理も困らないので、まあ気が向いたらつけるというくらいでいいか。春モデルではG'zの後継が出るという予感もあるし。
 こうなると、切るべきはやはりWillcomか。速度はそんなに気にならないし、世間で考えられているよりもずっと辺鄙な場所でも使えることが多いのだが、データ通信系の契約が安くない。今は一番安く出来る20万パケットまで初期費用内のパケコミネットなのだが、これだと3700円からになってしまう。WillcomカードはPDA用に使っているのだが、それもauのW05Kでかなり賄えそう。可能性としては、データカードを適当な端末に機種変更して、定額プラン+データ定額オプションを残すくらいか。
 こうして検討してみると、Willcomくらいしか切れないのか。なんてことだ。これが生活に困ってとかだったら、イーモバイル+au、Willcom+auくらいにまとめてしまうところだが、なんとなく無駄だなと思っているくらいなので踏ん切りがつかないのだ。趣味の世界だしな。

 いいじゃないか、だめにんげんなんだもの(偽みつを)

2008年01月15日(火曜日)

寒い夜

23時11分 暮らし 天気:晴れ

 今日は暖かいなと思っていたのだが、夜が更けるとやはり冷え込む。今月の電気代はそれなりに掛かるだろうと思いながら、暖房機器総動員で凌いだ。
 来週にはコタツが手に入りそうなので、もう少し効率的になるかな。
 そろそろ体調も戻ってきたので、ささやかなトレーニングを再開せねば。

2008年01月14日(月曜日)

NHKスペシャル 「南米の神秘:純白の大砂丘」

23時50分 テレビ 天気:良さそう

 今夜のNHKスペシャルは、ブラジル北部にある大砂丘の話題。
 ブラジル北部にあるレンソイス国立公園、大西洋に沿った海岸にあるそこは、世界一白い砂丘といわれる。真っ白な砂丘が延々と続く様は、この世のものとも思えない。直近の都市からは300kmもの道程を要することもあり、この地は人口もほとんど無い、人間の存在感が希薄な地だ。砂丘地帯の自然環境が過酷なこともあり、従来ここに調査の手が入ることは稀だったという。しかし、雨季乾季という自然のサイクルに合わせ、この地には不思議な命の営みが見られるという。
 年頭、乾季の真っ只中のここに、生命の兆候は見られない。乾ききった砂丘を、海から吹く強い風が動かし、風紋を作り、砂丘の形を変えてゆく。人間が足を踏み入れるのさえ難しい世界だ。生命の痕跡さえまばらだ。ところが、雨季に入ると、この環境が一変する。
 砂丘の上に黒い雲が掛かり、激しい雨を叩きつけてくる。日に何度もスコールが降り注ぐ。だが砂丘に水など溜まりそうに無い。
 ところが、雨季も酣という頃になると、砂丘と砂丘の間の谷地に、無数の池が現れるのだ。何百という青い池が白い砂丘の間に散らばり、砂丘の装いは一変する。
 現れるのは池だけではない。そこにはどこからか生き物もやってくるのだ。池には水草が生え、それどころか魚たちや蛙、亀までもが姿を現すのだ。
 蛙は、乾季の間は砂地の中深くに身を潜めているらしい。乾ききったかに見える砂丘も、実はその砂地を掘り進んでゆくと、やがて湿り気を帯びてくる。その中に潜り込み、乾季の間を生き延びるらしい。
 魚の由来は分からないが、砂丘群奥深くにあるオアシス地帯の、恒常的に存在している池から、池の氾濫時に次第に伝播し、雨季の間はやはり湿った砂地で卵だけが生き延びるようなサイクルを送っていると考えられている。
 しかし、こんな砂丘に、なぜ湿った砂地が。それは、実は雨季に現れる池の成り立ちとも関連している。レンソイスの砂丘群の下には、どうやら水を通さない粘土の層があり、実は豊富な地下水が存在しているらしいのだ。だから砂丘群の地下には湿度の高い砂地が豊富にあり、地下水位が高まる雨季には遂に池として姿を現すというわけだ。
 そもそも、レンソイスの砂丘群は、どのように成立したのだろう。レンソイスの南西に長大な川が流れている。南米らしく高低差の少ない、緩やかな大河で、1000kmほども山岳地帯を流れ、ついにレンソイスの南西に流れ出ている。この山岳地帯を流れる間、多量の土壌を削りだしてくる。ダムの無い川で、削りだされた土壌は、常に土壌同士で研磨され続ける。弱い質のものは砕け散り、比較的硬い石英の砂粒だけが残されるのだ。そうして出来た石英の砂が、今度は海で波の作用を受けるようになる。レンソイスの海岸線は遠浅になっており、岸まで運ばれるのに、10万年掛かるといわれている。その間、砂はさらに強い研磨を受ける。そうして粒の揃った石英の砂が、岸へと打ち上げられ、そこからは強い風が内陸へと運んでゆく。レンソイスの白い砂丘は、そうして出来た、粒の揃った石英の砂が作り出すものだったのだ。
 レンソイスに人跡はまばらだが、中央部のオアシス地帯には小さな村がいくつかある。外部との連絡がほとんど無い場所で、人々は自給自足を絵に描いたような生活を送っている。雨季には風が止むので、海岸まで出て漁をするという。砂丘のどこに水が出やすいか、そんなことも知っている。『都会は忙しないので、ここの方がいい』と長老は言う。若者に聞けば、また別の感想を聞けたかもしれない。
 雨季も終わりに近づくと、レンソイスの生き物たちは子孫繁栄のために必死になる。蛙は早く成長しなければ、消え行く池と運命を共にすることになる。亀も乾季の間生き延びるための栄養を取らねばならない。レンソイス奥深くまで調査している生物学者によると、この蛙*1も亀も、レンソイス特有種なのだそうだ。『レンソイスの生き物たちのことは、まだ全くといっていいほど分かってない』と彼はいう。生物学者にとってはやりがいがある仕事だろう。
 乾季直前、消え行く池を渡り鳥が訪れる。小さくなってゆく池では魚の密集度が高くなり、かつ水深も浅くなるので、魚を取りやすくなるのだ。鳥たちがやってくると、池の消滅までは僅かだ。
 やがて、乾季の始まりとともに、強い風が吹き始め、池は一つ、また一つと消えてゆく。そうして、次の雨季までは、ただ風と砂だけが空を見ているのだろう。
 行ってみたいが、地球の反対側なんだよなあ……。

瀬谷八福神巡り(5/8まで編)

20時09分 レジャー 天気:寒いくもり

 この3連休、ほとんど外出しなかった。さすがにこのまま終わるのは悲しいので、前からやりたかったことをやってしまおう。
 わが横浜市泉区の北にある瀬谷区。ここで八福神巡りとやらが出来るらしい。瀬谷近隣の寺院が揃って、さらに相鉄も協力して、年始にはそれなりに賑わうとか。もう年始の時期は外してしまったが、いずれ暖かい時期に改めて企画したい。今日はその偵察だ。
 歩きもありそうな気がしたので、便利なTCR-2での出動だ。事前に地図でルートを考察し、瀬谷駅近くの長天寺から、時計回りに裏道を走るルートを考えた。出来るだけ幹線は避けたい。
 瀬谷駅までは、自宅から30分もあれば行ける。その割には、この界隈に来るのは初めてだ。瀬谷駅北口は広場になっていて、集合場所には不足ない。
 ここでPSPを取り出し、GPS+みんなの地図でルートを確認する。今日は細い裏道ばかり走るので、これは欠かせない。駅から北西の学校に向けて走ると、その東隣が長天寺らしい。ここの目当ては達磨さん。ふつうの七福神構成には入ってない、八福神ならではのものだ。本堂から外れたお堂に安置されていて、『太鼓ぶったたいてみろ』なんて張り紙がある。愉快だ。お堂の前にスタンプが置いてある。そういえば色紙を入手してない。駅で買えるのか。たぶん、寺務所でも買えるのだろうが、今日は偵察なのでお参りだけにする。
 次に一番南にある全通院勢至堂に向かう。まさに住宅街の中という細い道を走り、時に迷ってPSPでルートを確認しながら、南台団地の外れにある全通院に到着した。ここは横浜市道環状4号沿いにあって、いつも走り抜けている辺りだ。ここの福神は寿老人。この日は開帳期間を過ぎている割に、歩きで回っているらしい人々とよく会った。ここでも数人、それらしき人々が拝観していた。
 全通院から環4に下り、歩道橋で対面に渡る。自転車なら車道を突破だ、と思っても、ここの合流点は信号が無いので、かなり死ねそうに思う。
 裏道をのんびり走り、中原街道まで出て、対面に渡る。そこに宗川寺があった。ここの福神は福禄寿だ。ここもお堂に独立している。
 さらに裏道を北上する。次に訪れたのは西福寺。隣に左馬神社があって、かつては合祀されていたのだろう。西福寺の福神は布袋尊だ。
 最後に厚木街道を渡り、法厳寺を訪れた。厚木街道沿いにある、なんとなく見晴らしのいい寺だ。寺社につきものの大木が無いからか。
 ここは妙に艶かしい弁財天を拝観できる。
 残りは相鉄線を越えた北側にあるのだが、意外に時間を食って、既に16:00を過ぎている。真っ暗になりそう。今日の偵察はここまで。
 残りはかまくらみち沿いに行けばいいのだが、狭い上に交通量が多いので、考えどころだ。一本外した通りを行くか。鎌倉古道というらしいぞ。
 今日のルートとあわせて再考しよう。この界隈、かつては水と係わり合いが深い製糸業が盛んで、そのためか菓子屋が結構多いみたいだ。それと絡めてルートをまとめたい。

2008年01月13日(日曜日)

BD-1折り畳み状態確認&夕景撮り損ね

21時34分 自転車 天気:晴れたよ

 いささか寝るのにも飽きてきた。また咳もかなり収まってきた。ここで油断して、冷気にまた喉をやられるパターンが多かったので、今日も自重しよう。
 雨は上がったので、気になっていたBD-1の折り畳み状態を確認した。リアディレイラーをM772に交換し、折り畳み幅の縮小を狙ったのだが、その時はディレイラー基部がフロントのハブシャフトとぶつかっているように見え、とてもじゃないが縮幅には貢献しそうに見えなかった。
 今日、明るいところで改めて確認してみると、実はハブシャフトはディレイラーとはちっとも接触してなくて、シフトケーブルのアウターとぶつかっているのが分かった。M772などのシャドーディレイラー型は、ケーブルが従来の後方まっすぐ方向から、斜め外側に向かうように変更されている。アウター自体には多少の余裕があったので、少しよけるとハブシャフトとぶつからなくなった。しかし、次にぶつかったのは、セキサイダーとフロントハブのハブシャフト支持部だった。うーむ、この二つはどうにも出来ないな。ハブシャフト支持部がぶつかったということは、フランジ間だけ狭まった新型ハブに変えても無意義ということだ。残る可能性は、セキサイダーの取り外し、あるいはぶつからない別形式への交換か。セキサイダー無しはつらいが、取り外すと軽量化というもう一つの効果もある。考えてしまう。しかし、長期ツーリングでは、この荷台は頼りになるからな。もっと簡単に着脱できればいいのだが。
 夕方、TCR-2で境川に向かった。BD-1をしまいこんで、空を見上げると、雲がいい感じに湧いていて、きれいな夕焼けになりそうな気がした。カメラを担いで境川に出てはみたのだが、その頃には雲があまりに湧きすぎて、日がすっかり見えなくなっている。だめだこりゃ。寒くなってきたので、さっさと帰宅した。

2008年01月12日(土曜日)

しょんぼり過ごす休日

23時00分 暮らし 天気:雨

 体調はいまいち、そう書くのにも飽きてきた。が、今日はどのみち雨の一日になりそうなので、しょんぼりとおとなしく過ごすことにする。本当はBikeEやBromptonを改造する当てを付けなければならないのだが、部屋の前の通路まで雨で水浸しだし、寒くて気力も起きないのでその気にもなれない。部屋の中でぬくぬくして過ごし、飽きたら電気毛布を敷いた布団で惰眠をむさぼった。胸を相変わらず病んでいるので、その回復を図る意図もあった。なんか空気が悪くて余計悪化しそうな気もしたので、時々は寒気のために部屋を出た。
 結局、起きていたんだか寝ていたんだかはっきりしない一日を終えただけだった。純粋休日というべきか。

2008年01月11日(金曜日)

最終兵器、電気毛布投入

22時01分 暮らし 天気:雨に向かってます

 相変わらず不調すぎる。会社には出ても、仕事に向かう気力が湧かない。っつうか、明らかに熱があるな。咳も相変わらず。春先に向けての仕事で、早々に片付けたほうが楽なのがあるんだけど。
 定時で退けた。食事も胃が荒れてきたのか食欲が落ちているので、中華風お粥を作って凌ぐ。
 これは、部屋がいまいち寒いせいかもしれない。エアコンの効率が落ちている。正確には、部屋に積みあがっている無駄なもののせいで風通しが悪いのだ。玄関口で作業用に買ってあった小さなファンヒーターを部屋の対角において、室温の平準化を試みた。これはうまくいった。体感気温がずっと快適になった。
 問題は寝る時だ。羽毛布団が温まるまで、寒い思いをしなければならない。そこで、ついに最終兵器を出した。奴だ、電気毛布だ!
 これのおかげで布団の中はパラダイスだぜ。しかし、これを出したくなかった理由がある。これがあると、朝の寒気に負けて、快適な布団で二度寝する危険性が激増するのだ! しかし、背に腹は、健康に勤務実績は変えられない。っつか、今週だけで1.5日も休んでしまったのだから、まさに背に腹は変えられない状況なのだ。
 これから2月一杯に掛けてが、一番辛い時期だ。

2008年01月10日(木曜日)

ぐるっと浜名湖

19時21分 自転車 天気:晴れ

 ぐるっと浜名湖の募集が始まったのだが。
 ええっ、自分で印字して出さねばならんとですか。自宅にはプリンター無いし*1、会社で出すような真似はしたくない。
 というわけで、誰かワシの分も出しておいて(めきょ
 というわけにはいかんよな、やはり(この世のどこからか飛んできた怒りの鉄拳を受けつつ棒読み)。
 面倒だがプリンタを出してやるかの。
 今年はどれくらい参加するのかのう。

NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」

02時00分 テレビ 天気:寒いさー

 昼間あまりにも寝すぎたので、夜になっても眠気がこない。なにか無いかと思い、久しぶりにテレビ番組を調べたら、NHKスペシャルで面白そうなのをやるみたい。
 最近、NHKスペシャルの自然ものを見かけなくなって、もともと見ないテレビを全く見なくなってしまった。全くNHKめが、受信料払わんぞ*1と思っていたものだ。どうやら、平日でもNHKスペシャルを放映するようになって、単発の自然ものはそっちでやるようになったということらしい。
 今夜の再放送は、北極圏に聳える未踏の大岩壁に挑む夫婦クライマーの話題。
 2002年の秋、ヒマラヤの高峰ギャチュンカンで、一組の登山者たちが危機に見舞われた。屈強のクライマー夫婦、山野井夫妻だった。体調不良の妻を置いて、なんとか単独での登頂に成功した夫妻だったが、下山中の雪崩で妙子婦人が宙吊りになってしまう。無酸素登山だったため、予定外の長期行動の結果、二人とも視覚障害を起こしていた。目が見えなければロープを固定するハーケンを打てない。救助と下山のルート確保のため、夫の泰史は過酷な決断を下す。氷点下のヒマラヤで、あえて素手で岩を探り、確実なポイントを探してゆくのだ。『1時間に指1本』を犠牲にしながらも、かろうじて妙子を救助し、二人は半死半生でベースキャンプに生還した。しかし代償は大きかった。泰史は手足合わせて10本の、妙子は18本もの指を凍傷で失ってしまったのだ。クライマーにとってこれは致命的だ。二人のクライマー生命は終わったかに見えた。
 2007年夏。しかし二人はグリーンランドの大岩壁に挑んだ。失った指は取り戻せないが、登坂能力は訓練によってかなり回復できた。往時の6割程度。それでも、山に挑むことは可能になった。指無しでは使いにくい道具をカスタマイズし、再び山を仰ぐ場所に立つことになったのだ。
 あれほどの危険に遭って、なぜ? そう聞かれて、泰史は『楽しいから』と答える。名声を求めるのではなくて、ただ山に登ることが生きがいだし、そもそもそれが楽しいからだという。かつての僕ならばほんのわずかの共感も無かっただろうが、自転車で坂を越えてゆくという苦行に目覚めた*2今なら、なんとはなしに頷けるものがある。
 二人が挑む大岩壁は、氷河から1300mも立ち上がる大絶壁だ。特に途中に聳える絶壁が難所に思われた。ここを3週間の予定で上りきる予定だった。北極圏のここは、夏の時期は白夜だ。行動時間も長く取れ、天候も穏やかで好都合だ。
 同じように指を凍傷で失った先輩登山家の協力を得て、二人は絶壁に取り付いた。この絶壁は比較的傾斜の緩やかなパート、大絶壁のパート、頂上を含む尖塔パートと三つに分けられる。登山はルートを切り開くトップ、それを補助するセカンド、そして後続して荷運びをするサードに役割が分けられている。主に泰史と妙子がトップとセカンドを代わりつつ、ルートを切り開いていった。
 泰史には一つの希望があった。妙子を頂上に立たせたいということだ。ギャチュンカンでもK2でも、妙子は登頂まで成功しなかった。登頂してこその登山だ、と泰史はいいたかった。妙子に登頂の喜びを味わってほしかったのだ。
 絶壁パートでは、やはり困難を味わった。いかに改良してあるとはいえ、基本的に健常者に合わせている登山道具は、指を失った二人には使いにくいのだ。それでも、時に焦らず、時に多少の賭けを犯して、遂には全員が登頂に成功したのだった。
 それにしても、『1時間に指一本』失ってでも、確実なルートを探し、生還の可能性を拓く。そんな決断を僕が出来るだろうか。時々、日本人が戦争に強いように見えることがあるのは、実はこういう決断を下せる血を裡に秘めているからではないかと思うのだが。

2008年01月09日(水曜日)

悲惨デイの激終

20時33分 暮らし 天気:晴れ

 悲惨だ。とにかく悲惨だ。昨日からずっと熱を出し、しかもぜんぜん回復しない状況が続いている。汗をかかないので体温も下がらない。これはつらい。
 真夜中、なんとか起きだして、とにかく薬を飲もうと思い、しかし風邪薬は毎度使い切ってしまうことを思い出し、途方にくれる。いや、アレがあった。エキセドリン。こういう場合にはうってつけではないか。
 お腹の負担が軽いものをと思い、うどんを茹でて、食後にエキセドリンを飲んだ。
 それからも不快な夢を見つつ時間を過ごしたが、今度は汗を盛大に掻き始めていた。いい傾向だ。朝になっても辛いので会社に休む旨電話を入れたが、その頃には起きて下着を替えるくらいに回復していた。昼前には頭痛だけが残り、とりあえずの昼食後にもう一眠りすると、ようやく頭痛も収まった。
 いやー、エキセドリンは効くわ。胃に来るので連用したくは無いが、ここ一番というときに頼りになる。
 それにしても、去年の年末からずっと体調低空飛行中です。とほ。

2008年01月08日(火曜日)

悲惨デイの始まり

23時55分 暮らし 天気:割と良かった気がする

 朝から変調は感じていた。朝、部屋の中で目が覚めたとき、寒気に悪寒を感じたのだ。まあそれは、冬だからと、素朴に納得していたのだが。
 昼にかけて、段々と体調が悪化してゆく。体の節々が痛い。これはイカンと思い、来週まで大イベントが無いことをいいことに、午後半休を取る。無駄な使い方をしてしまった。
 いつもならのんびりの帰宅の道も、今日はゼイハアのつらいものになった。
 帰宅途中でマックにより、適当な昼食を買って帰り、それを食らってすぐ寝た。
 睡眠は不快の一言。熱があるので体の節々が痛いのだが、汗をかかないのでぜんぜん下がらない。
 そんなつらい状況のまま、真夜中まで悶々としていた。明日はどうなる?

2008年01月07日(月曜日)

まだまだ体調低空飛行

23時23分 暮らし 天気:ちょっと雨

 朝食は、昨日作った七草粥の残りを。いきなり病人食みたいだが、今日の体調には結果的に合っていた。
 仕事始めは、例によって雑用ばかりの忙しい、でもなにも残らない時間を過ごす。しかし、時間が経つに連れて、次第に体調が降下し始めた。奴だ、例の咳がまたぞろ顔を出してきたのだ。昨日の夕方、SatRDayで境川を戻っているとき、急に気温が下がってきて悪寒を感じた。アレが来たのかっ。
 定時頃には咳が止まらなくなってきたので、自転車を飛ばして体を温め、急いで帰宅した。
 こういう時はアレだ。咳止めの指圧。しばらく耳の付け根のリンパ腺を圧迫し、喉元を気管支を広げる感じでマッサージしてやる。しばらくすると覿面に楽になってきた。恐らく、胸の奥の病巣にはあまり影響が無いのだろうが、過敏になっている気管支を触れ合わないように拡げることで、対症療法的には効果を挙げているのではないか。
 ともあれ、これで咳が止まらなくて眠れないということも無くなった。明日はまた診察を受けてこよう。

2008年01月06日(日曜日)

自転車整備三昧&P905iゲット

22時46分 デジタルギミック 天気:ド快晴

 寝まくりのお陰か、朝は8:00頃にすっきりお目覚め。朝食に、近所のマクドナルドに走り、ホットケーキとエッグマックマフィンを買ってきた。ホットケーキの舌が痺れるほど甘いシロップが癖になりそう。ほとんど捨ててるけどな。
 さて、汚れてしまった自転車を整備しないと。幸い、このまま走りに行きたくなるほどの好天だ。
 MR-4Fの駆動系をきれいにすると、トラベルケースに収めたままだったSatRDay Mk.2を組みなおした。組みながら、やはり各部の整備を行う。SatRDayで一番大変なのが、長いチェーンの洗浄だ。
 とりあえずSatRDayの整備まで終え、気になっていたことに手をつけた。明日停波するDoCoMo PHSの乗換えだ。湘南台店、戸塚店で在庫を聞こうと思い、DoCoMoのショップリストを調べていたら、実は立場店もあることに気づいた。早速電話してみると、『今でしたらP905iの在庫が1台だけあります』とのこと。さっそく、すぐ出せるSatRDayに跨って、ヨークマート並びの立場店に向かった。
 P905iは確保したものの、契約はどうするか。中途解約の違約金1万円弱は痛いが、実家の母が使っている関係で、DoCoMoの契約は置いておきたい。2年契約のベーシックプラン、1800円/月のコースを選択し、オプションは様子を見て別途、ということにした。
 入手したピンクゴールドのP905iは、やはりヒンジ部のギミックがすごい。ちょっとがちゃつく感じはあるけどな。手元の携帯が数世代前のauのG'z One TypeRなので、特にインターネットアクセスに関する部分の機能向上ぶりにびっくりだ。これは、特にPDA無しでも生きてゆけるのではないか。でもPDAを持つ意味は、要するに機能的な自由度を選択するということだから、これが100%の代替になるわけでもない。とはいえ、これを主軸に使ってもいいくらいではないか。こうなるとauの方はW05Kに機種変して、データ定額で使うか。でもあれは長期割引が効かないので、別に新規契約するほうが良い。それにアウトドアで使うには、G'zのタフさは捨てられない。G'zの後継機が出るまで、これは持っておかないと。やはり主用はau、普段のデータ通信はイーモバイル、地方でのインターネットアクセスだけDoCoMoかな。もしかしてauデータ定額+UMPC、P905iという運用形態が、最終ポイントかもしれない。
 夕方、やはり走っておきたいので、SatRDayで境川に向かった。やはり楽しい自転車だな。空が広い。しまなみでは空が余り印象に残らなかったが、それはMR-4Fの乗車ポジションの影響もあっただろう。
 湘南台で夕景を撮る。今日は雲がまったく無い。ふと、視界に富士山が入っているのに気づいた。いやはや、ここから富士山が見えるとはね。って、前にも書いた気がするが。
 サイクリングロード終点まで来た頃には、既に星が光り始めていた。帰路は右手に上り始めたオリオン座を眺めながらの道行きになった。こういうシチュエーションでは、空が広いSatRDayがはまるものだな。

2008年01月05日(土曜日)

横浜に

23時55分 暮らし 天気:晴れだった気がする

 結局、帰りはANAの特割1を利用することにした。新幹線指定席は取りにくいし、満員の自由席利用というのも、MR-4Fを抱えてはつらそうだ。
 ANAはSKIPサービスを全面展開しているので、搭乗手続きが今までとはちょっと違う。特に手荷物の取り扱いが心配だった。が、最悪超過料金を払えばいいんだろうと、とにかく利用してみることに。
 広島空港7:35発羽田行きに乗るためには、呉駅5:25発のバスに乗らねばならない。朝は4:30起きだった。なんだか眠れず、うとうとしただけで家を出る羽目になった。
 空港に着き、早速SKIPサービスを利用してみる。すべてマイレージカードだけで済むのは便利だな。手荷物も、MR-4F程度のサイズなら問題なさそうだ。
 セキュリティの手前でまたマイレージカードを読み取らせ、ここで搭乗ゲート番号を印刷したシートをもらう。そして搭乗ゲートで同じようにマイレージカードを読ませ、ここで座席番号を印刷したシートをもらうのだ。事前チェックインしてあったので、みんな分かってたけどな。
 羽田に着き、京急、地下鉄と乗り継いで、帰宅した。軽く昼食を取ると、すげえ眠気が襲ってまいりました。逆らわず、久しぶりに自室の布団で眠る。夜まで昏々と眠り、少し活動してから、また寝た。寝てばかりやん。早起きが続いたので、睡眠サイクルが微妙にずれていた。この寝まくりでリセットできればいいのだが。

2008年01月04日(金曜日)

冬のしまなみ海道-2

21時10分 自転車 天気:晴れ

 今朝のしまなみ海道は晴れ。来島海峡大橋も、朝日の中に姿を見せてくれた。しかし、今日は松山に輪行で向かい、道後温泉に立ち寄ってさっと帰るつもりだ。
 8:30にはサンライズ糸山を出て、今治駅まで走った。さっと輪行準備して、改札に向かうと、ちょうど松山方面行き各停が間近だった。飛び乗って、松山に向かう。客が少なく、のんびりと座ってゆけた。
 松山駅から道後温泉に向かう。本館は多いだろうから椿の湯で済ませるつもりだったが、時間が昼前だったからか案外に少なく、本館に入ることにする。駐輪場が撤去されていて戸惑ったが、実は裏手の道路を挟んだ向かいにあることがわかった。
 例によって神の湯2階席に入り、さっと汗を流してから茶を喫しつつ疲れを癒す。抹茶もいただいてから、本館を出た。
 繁華街を歩いて、適当な店で鍋焼きうどんを食らう。それから松山観光港まで走った。今までは海沿いの狭い道を走っていたのだが、海に抜ける陸橋の手前から北上する広い道を走ってゆくと、港裏手のトンネルから抜けられることがわかった。こっちの方が快適だ。
 フェリーに乗り込み、室内のシートをせしめ、呉までのんびり過ごした。音戸大橋の手前でデッキに出ると、音戸大橋や湾内の艦船群を撮りまくった。これはおおすみ。輸送艦に類別されるが、実態は小型強襲揚陸艦というべき艦種。
 岸壁にも多数の船が係留されていた。海自も正月休みか。あまり拝めない角度から激写。海自の中型艦以上で、今やヘリポート装備の無いものは皆無だ。
 海自のワークホース、むらさめ級2隻揃って。
 家に帰り、明日は早いのでさっさと寝ることにする。しまなみは、やはり走って楽しい場所だな。冬も冬なりに面白かった。

2008年01月03日(木曜日)

冬のしまなみ海道-1

23時28分 自転車 天気:くもり時々晴れやら雨やら

 さて、ネタとして走っておかねばと思っていた、冬のしまなみ海道に出動だ。
 呉6:20発岡山行きに乗るべく、朝は5:30に起床。駅まで走り、MR-4Fを畳む。
 コンビニで買った朝食をとりつつ、8:20前には尾道に着いた。乗換えが無いと楽だな。
 こんな日に走る物好きも居まいと思いきや、駅前で輪行解除している集団と早速遭遇した。その後も結構な数のサイクリストと遭遇した。走り初めという向きも多かったのだろう。
 寒くてやりきれないかと思いきや、案外に気温が高くて助かる。駅前渡船で向島に渡り、いつものように島を南下して、南側から橋に向かった。空には雲が少し多く、海に群れる漁船に光と影を投げかけていた。やがて因島大橋が見えてきた。
 因島は淡々と走り抜ける。いまいち面白みにかけるのは、島風情を感じられないからだろうか。なんとなく、ふつうの地方都市を巡っている感じで。それでも、こんな妙なものも見かける
 生口橋に着いたのは、まだ11:00前だった。むしろ10:30くらい。このペースなら、昼時に大山祇神社に着きそうだ。昼食はいつもの耕三寺界隈ではなくて、大山祇神社付近で取ることにしよう。じっくり参拝する時間を取れそうだ。
 生口島はあっさりと走り抜けるが、途中でドルチェの本店に立ち寄った。さすがにハンガーノックになりそうだ。朝食をあまりしっかりと取ってなかったのでな。塩ジェラードをアイスぜんざいでいただく。冬場はこれだな。
 多々羅大橋の袂で記念撮影。ヒンジ部を交換して剛性の上がった*1MR-4Fは、乗り味がどっしりしてどこまでも走ってゆけそうだ。
 多々羅大橋を渡りきり、大山祇神社に向かう。今回はサイクリングロードを走ってみた。車のプレッシャーを感じない分、気が楽ではある。しかしくねくねと曲がりくねりながら峠を越えてゆくので、いまいち爽快感の欠ける。
 大山祇神社には、ちょうど12:00頃に到着した。まずは腹ごしらえ。神社の隣にある瀬戸内茶屋で、うどんと鯛めしのセットを頼んだ。初詣客が多いのだろう、超満員だった。しばらく入店を待つ。うどんは普通だが、鯛めしがダメダメ。飯と鯛を別に炊いて、載せてあるだけだ。
 とりあえず腹を満たし、大山祇神社境内に足を踏み入れた。結構な人出だ。ここにも出店が出るんだね。
 宝物館にも足を運ぶ。いつもは時間が無くてさっと通り過ぎるだけだったので、今日は舐めるように見る。国宝の大太刀二振りの美しさに打たれる。破綻が無い。刀身が反りすぎているのと、肉抜きが過ぎて強度不足の観もあるが、そういう実用面を無視したような、思い切った造型が素晴らしい。職業工芸家が変な考え込まないで素直に作ったように感じた。こんなものを800年前に作っていた日本人は、なかなかどうして大した連中ではないだろうか。
 奥の国宝館にも入ったが、こっちは名前に反して国宝の陳列が無い。
 海事博物館も訪なう。生物、鉱物、工業製品と、なんとも節操の無い陳列物のカオスっぷりが、いっそのこと清々しくさえ感じる。大三島の隠れた名所である。
 大三島橋へと向かう途中、多々羅大橋を、あまり見ないアングルから激写。ふと近くに掛かっていた札を読むと、平山画伯がスケッチしたポイントが、まさにここらしい。ふふふ、さすがは俺が見込んだポイントだけのことはある。
 大三島橋を渡る。橋そのものの美しさは多々羅大橋に及ぶものではないが、立地の素晴らしさはここに勝るものは無い。
 大三島、伯方島と、いつも立ち寄る道の駅をスルーし、先を急ぐ。なんとなく、嫌な予感があった。大三島橋へのアプローチで、さっと一雨あった形跡があったのだ。おおむね晴れるという予報だが、にわか雨があるかもしれない。実際、空にはまた雲が増えてきた。
 大島を縦断するルートは、ひたすら風との戦いだった。ほぼ向かい風の中を、淡々と走ってゆく。まあ足が止まることは無いだろうが、きついといえばきつい。
 先を急いだのは、糸山展望台からの夕景を撮りたかったからだ。しかし、来島海峡大橋手前の展望台から眺めるに、雲が非常に増えている。日没を撮るのは難しそうだ。それ以前に、大気に湿り気を感じてきた。とにかく急ごう。
 来島海峡大橋の上も、当然のように風との戦いだ。夏は日差しとの、冬は風との戦いになる。やはり、しまなみ海道は春と秋に来るべきだ。
 来島海峡大橋の料金箱に、サイクリングチケット50円券最後の4枚を投入したときだった。パラパラと雨が降り始めた。ぅゎぁ、やばい。スピードを上げ、来島海峡大橋のアプローチを駆け下り、糸山展望台には目もくれずにサンライズ糸山に飛び込んだ。肩の辺りは多少濡れたが、ひどくなる前にチェックインできた。
 部屋でぼんやりしながら、雨が上がるのを待ったが、日が暮れきるまで弱い雨が降り続けた。ようやく雨が上がったのは、薄闇に包まれる時間だった。夕景を撮れなかったが、仕方ない。またGWに来るからな。
 夕食はサンライズ糸山の食堂でAセットを、以前、Bセットを頼んで食いきれなかったので、今日は抑え目に。これくらいが適正だと思った。客が多いせいか、厨房が不慣れなのか、欠品注文漏れが相次いでいるようで、給仕の人がてんてこ舞いだった。かくいう僕も、天つゆがついてなかった。後でちゃんと出てきたけど。
 夜は夕方の雨が嫌がらせだったかのごとき、なんとも美しい澄んだ夜空が広がった。しかし、冬のしまなみ海道なんて、寒くてつらくて寂しいものだと思いきや、初詣客と重なったこともあって、案外に賑やかな場所だった。

2008年01月02日(水曜日)

姪襲来

23時37分 暮らし 天気:快晴(だが寒い)

 今日は兄夫婦&姪たち襲来の日だった。中学生になったそうで、どんどん背が伸びている。俺を追い越すかもしれない。まじですか?
 昼過ぎに来て、宝町のゆめタウンで福袋を買うとか言うので、着いていった。っていうか、自転車で出かけて、現地集合しただけだがな。夢タウンからは陸に上がった鉄くじらが良く見える。
 兄夫婦と、GWにしまなみを走ろうぜという話がまとまった。僕が案を出さないとな。今年は四国カルストに行くつもりなので、それに繋がる旅程を組まないと。
 まずは、明日のしまなみ行を終えてからだ。

2008年01月01日(火曜日)

やはりなんてことのない元日です

23時09分 暮らし 天気:くもり時々晴れ(おまけに雪もだ)

 朝は雑煮を食う物と相場が決まっている。実家の雑煮には牡蠣が入っていて、これが子供の頃は*1苦手だった。ところが近年は嗜好が変わってきて、牡蠣の味が好みになってきた。逆に昔は増量してもらっていたほどの練り物が、どうもうっとうしく感じるようになって来た。究極の雑煮は、餅、牡蠣、水菜だけか!? それも味気ないものだ。
 昼過ぎに亀山神社に初詣。相も変わらずの人出だ。しかし鶴が丘八幡宮の殺人的人出に慣れた拙者、むしろ『空いとるのお』などと暢気に眺めてしまう。
 さて、一度家に帰ってから、他のお宮へのお参りに出かけた。相変わらず不可知論的な立場からの無神論者である我が輩だが、近年はお参りするのが楽しみになってきた。古びたお社の佇まいは良いものではないか。それに健康を、幸福を願う人の気持ちに嘘は無いだろう。そんな祈りを捧げる現場を見るのは、そこはかとない共感を呼び起こしてくれて好ましい。
 呉全体の総社とされるのは亀山神社だが、近所にはもう二つ、小さな社がある。一つが鯛之宮、もう一つが大蔵神社だ。鯛之宮は間近にあり、実家のある辺りが氏子とされていたので、祭りにも良く参加した。また亀山神社招請以前からある古社で、それゆえか海軍とも由縁が深いらしい。かの第六潜水艇事件の鎮魂碑もここにある。むしろ鎮魂塔と言うべきか、石積みの立派な尖塔だ。
 もう一つが大蔵神社。こっちは各地にある大蔵神社の末社だろう。しかしこの日になって、母から初めてその存在を聞いたのだ。いわく、この三社を全てお参りすればいいことがある、と。うむ、やろうじゃありませんか。
 亀山神社の石段までは、実家から歩いて5分だ。実家は神社の裏手のある塩梅だ。この石段は110段程度あるようだ。映画で有名になった*2両城の200段の階段なんてのもあるが、この急峻な山裾にしがみついた町では、ちょっと知り合いの家に出かけようと思ったら、必ず何十もの石段を登り降りせねばならない。
 鯛之宮はひっそりとしている。お社にも人気はなく、しかし普段は置いてないおみくじ箱が、賽銭箱の隣に出現している。亀山神社で大吉を引いたので、ここでは遠慮しておく。この鯛之宮、芸備地震で大損害を受けたのだが、地元の土建業者が復旧に奔走して、今は前よりもしっかりと補強されているようだ。
 さて、亀山神社を降りて、両城方面へと歩く。今はかなり寂れてしまった三条通を終点近くまで歩くと、山に向けての参道と鳥居が現れる。
 参道をてくてく登って行くと、鯛之宮と同じくらいの社が現れた。こちらには宮司なのか氏子の当番なのか、ちゃんと人が置かれていた。
 この社がある真下を呉線が通っている。
 社の少し下った公園に、ここで正岡子規が詠んだという句を顕彰する句碑が立っている。
 実家への帰り道、たぶんこれが両城200階段だろうというのを撮ってみた。実家の裏手にも、墓地に通じる似たような急峻な階段があって、子供の頃は『ここを思い切り駆け降りたら、滑って転げ落ちて死ぬんじゃないだろうか』などとドキドキしたものだ。そういう嫌な思い出を呼び起こしそうな眺めである。
 帰宅して、YouTubeとニコニコを巡る。しまったな、本を持って帰ればよかったよ。
 そんなわけで、今年も駄文を書き連ねるだけの拙ウェブをよろしくお願いします。