Strange Days

2009年11月23日(月曜日)

秋の出雲路ツーリング単独行動日

22時26分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ , 天気:いい天気

 出雲路三日目*1は、いまだ到達できていない美保関を襲うつもりだ。本当は世界遺産たる石見銀山まで足を伸ばすつもりだった。が、こんな好天に自転車に乗らないインドアな行動も寂しい。石見にはまた訪れる機会もあるだろう。だが美保関にはそう行くと思えない。ということで、進路を変更した。
 朝、ホテルで朝食を取る。書いてなかったが、ここのホテルはありがちなバイキング形式ではあるのだが、出雲そばが用意されている点が心憎い。もっとも、作り置きだが。
 MR-4Fを北に向かわせる。一応、東松江から対岸に渡るルートがあるのだが、そこまで交通量の多い道を行くのが嫌だったので、松江駅の北方で渡るルートを取った。橋を渡ると、交通量は激減して、走りやすい道になる。途中、建設中のバイパスの真下を通過する。道中、矢田の渡しという看板を見かけた。
 しばし細い1車線の道を走り続ける。のどかでいい感じだ。やがて対向2車線の綺麗に舗装された道になった。
 大根島への堰を渡ってゆく。ダンプが多いのがちょっと嫌だが、見ての通り左手にスペースがあるので、自転車にとっては走りやすい道だ。
 中海の眺めは、同じ内海ということで瀬戸内のそれと似ている。が、やはりもっと近いのは琵琶湖だろうか。波のある湖という雰囲気が濃厚だ。
 昨日は登頂しただけだった江島大橋を渡る。実は、ここは歩道に関しては自転車通行禁止なのだが、車道の方は車の横を自転車が通行するには十分に広いとは言えず、かといって占有すれば渋滞するほどの交通量なので、やむなく歩道を取ったのだ。ちょうど退避エリアに入ったところで、車道をローディーが登っていったが、さすがに這うようなスピードであり、車の方は飛ばすので、見ていて冷や冷やした。もっと明確に2輪車ゾーンを区別するとかしないと、そのうちに事故が起きるんじゃないかな。一方で、歩道の方は歩行者そのものがいない。
 江島大橋から、今日走るつもりの中海北岸を見る。大きな箱型建造物は、中規模の造船所だ。
 境港に入り、港を走ってから北岸に渡ろうとする。しかし、見えている境港大橋への進入経路がわからん。あれ、夏はどう入ったんだっけ。結局、一旦数ブロック南下し、南西方向からのランプに入ることができた。車は少ないし、登坂力はSatRDayよりあるMR-4Fだったが、それでもこれは恐怖の道のりだった。特に斜面では路肩に盛り上がりがあって、そこをうっかり踏むと転倒しそうだった。その上、緊急避難先の歩道も狭く、かつ段差が大きい旧式のものだ。実質、自転車、歩行者ともに通行困難な橋だった。他にエスケープルートがあるならそっちを取りたいが、江島北方の堰しかなさそうだ。ここにこそ渡し舟があればいいのに。
 橋を渡ると、一旦は西に大きく走った辺りで、ようやく下ろされる。そこから東に、美保関方面に走る。美保関はこの半島の突端手前にある小さな入り江にある。そこまでは、比較的新しい道が続く。まだ旧道が併走している部分も多い。
 美保関に到着する。ここには全国の事代主系*2恵比寿様の総社、美保神社がある。ここも大修繕を準備中らしく、募金10億とか20億とか景気のいい話が掲示されていた。境内には秋の名残があった。手入れの行き届いた神社の佇まいは、清清しくて良い。秋晴れの空に良く映える。(出雲)大社だけでは片詣りという話もあり、念入りに参拝して、お守りも購入した。自転車に貼れそうなサイズの交通安全祈願のお守りだ。
 細い路地をうろついていると、なにやら謂れのありそうな寺が見えた。後醍醐天皇らが隠岐に島流しになる際、この寺に滞在したという。重文の仏像を5体持つそうだが、開陳されている気配は無かった。
 ここで昼食にしたかったが、イカ焼きの屋台は多いものの、ちゃんと食事できる場所は目に入らない。美保関灯台にあるというビュッフェを当てにすることにした。
 美保関灯台まではちょっとした上りをこなした先にある。結構立派な駐車場があり、半分くらいは埋まっていただろうか。予想より栄えていた。
 ここは島根半島の先端にあり、三方を海に接していることもあり、また高台にあることもあり、大層風光明媚な場所だ。晴れていて良かった。
 ビュッフェは先の写真で灯台足元にある赤い屋根の建物だ。食堂に入るとちょうど昼飯時だったこともあって混んでいる様子。だが席はというと海に面したカウンター席だけ埋まっている状況だ。給仕の人が一人だけなので、回しきれてない様子。人の食事を見ると刺身定食が美味しそうだったので、食券を買い求めてからテーブル席*3に陣取った。程なく、カウンター席が空いたので、移動しておいた。定食はこの手の食堂にしては存外にまともな物であった。刺身はさすがに港町で鮮度が良く、揚げ物も作り置きじゃなくて揚げたてだった。美味しく頂いた。
 食後は灯台の周りを散策する。この灯台、山陰最古の現役灯台だという。明治期に建てられ、今も現役で使用されている。
 この灯台近くに、ちょっと異様な説明版がある。美保関事件という、大正期の海軍で発生した多重衝突事件の顛末を記したものだ。後に調べてみると、最終的に自決した軽巡神通艦長のご子息が、戦後に奔走して詳細を明らかにしたものだという。事件は危険を看過し、過酷な訓練を課した連合艦隊司令部の責任*4は問われず、現場責任者のうちただ一人、神通艦長の責を問うことに終始したという。
 散策中見かけた鳥居。隠岐を遥拝しているのか?
 美保関を後にし、松江に取って返す。宍道湖の夕日を見送らなければだわ。帰路で見かけた夫婦岩。島根は、つくづく神の国だ。
 帰路は、あの境大橋を渡り返したりしたくなかったので、江島北方の堰から渡ることにした。その手前で見かけた温泉スタンド。水温が30℃未満と低いせいか、いくら待っても温水は出てこなかった。
 江島を通過し、大根島も真ん中を突っ切っていった。このルートは最近出来たものらしいが、プチヒルクライムの色を帯びている。既に太陽と競争する状態だった。
 道端で見かけた巨大パラボラアンテナ。どう見ても民家の庭先にあるのだが、自前の電波天文台か?
 松江に戻り、来た道を帰り、大至急で宍道湖大橋南の公園を目指した。なんとか間に合った。宍道湖の夕陽を見送ることが出来た。百万言を費やしても形容しきれない美しさ。今日が晴れでよかった。言葉も無く見送った。
 それをTwitterにポストすると、直前にあさこ女史のポストが。写真を解析すると、ここから北方でのそれと見た。とりあえず、日が没しきるまで待ち、電話を入れてみた。程なく連絡が取れ、やはり夫君のまき氏とともに宍道湖大橋の上で夕陽を見ていたという。小十郎氏もなぜか一緒。夕食の宛があったので誘うと、了承が下りた。松江駅南方の鯛やという店は、17:30開店のはずだ。現地で集合し、やや開店が遅れたこともあり、少し慌しかったが、鯛茶漬けを中心としたメニューを堪能できた。
 今夜のサンライズ出雲で帰京する3人を駅まで見送り、一人ホテルに進路を取ったところでやはり買い物がしたいと思って駅北に出たところで、タイミング悪くまき&あさこに出くわしてしまい、生暖かい時間を過ごすことになったが、程なく本当にお別れ。僕は明日、最後に松江を発つ。