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Strange Days
2011年03月31日(木曜日)
23時02分
暮らし
天気:まあ好天
一応、ネタだけはメモしてあるのだが、日記の方が全く追いついてないですな。期の変わり目で席替えがあるので、さらに業務がてんてこ舞いになっているというのもある。
ともかくも、やはり深夜に帰宅し、もう飯を作る気力はないのでコンビニで弁当、というよりオツマミみたいな物を買い、ビールで憂さ晴らしして寝る。おかげで、好天続きなのに桜の様子も見に行けない。ああ、そろそろ柏尾川沿いが気持ちいい時期だろうに。
2011年03月30日(水曜日)
23時55分
暮らし
天気:晴れ
仕事が片付いてゆくどころか、粛々と積み上がるという状況は恐怖です。東電の前線配置な兵卒諸氏も、さぞかし恐ろしい思いをしていることだろう。
今日も超深夜まで楽しくお仕事。GWまでに片付くのかね、これ。
2011年03月29日(火曜日)
23時48分
コンピュータ
天気:晴れ
FF4をこの間試したが、時期を同じくしてAndroid用Firefoxも完成した。数日前からDefyに入れて使っているのだが、これはいいね。
動作は結構軽快で、あまりストレス無く使える。また画面をスライドさせて、ブックマークと操作メニューを切り替えできるUIも、かなり使いやすい。この点、標準ブラウザより優れていると感じた。またFirefox Syncを標準で搭載しているので、デスクトップとブックマークその他を共用できるのも嬉しい。もっとも、Andoroid2.1なDefyでは、Flashを使えないので、完全に同じUIというわけにも行かない。しかし便利。
後は、プラグインを共用出来れば嬉しいのだが。それは追々試してみよう。筋はいいと感じた。
2011年03月28日(月曜日)
23時55分
暮らし
天気:くもり気味
もう、この先は毎日が山場になりそう。そんなの聞いてないよー、というような仕事が、次々に山積みされる。うぁーん。
最近は、カフェイン摂取量を抑えているのだが、さすがに耐えられずにリポDを入れた。位置的にはポーション、あるいはホイミというところ。これが昂進して、遂にエリクサー登場まで至らなければいいのだが。あれは効くのだが、後でかえってしんどくなるのだ。
超深夜残業タイムまで仕事して、ヘロヘロしつつ帰宅。
2011年03月27日(日曜日)
21時01分
自転車 ( 自転車散歩 )
天気:晴れ
ようやく三寒四温という感じになってきた。間違いなく春だと実感できる瞬間だ。
さて、昼の間は、例によってだらだらと過ごす。そして夕刻、ようやく自転車を境川に向けた。実験用ハムスター並に変化のない生活だな、こりゃ。
今日はロードバイクと思い、COLNAGO MasterXLを持ち出した。700Cのロードバイクは非常に軽快だが、反面、鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いんの観が否めない。とはいえ、形から入るのが大好きな拙者、喜んで戦闘用バイクでだらだら流すわさ。
Lumix GH2を背負ってきたので、夕景観測ポイントで夕陽を待った。が、今日の夕日はなんとなく面白くない。別にお日様の責任ではないのだがな。代わりに、
夕日に照らされる雲が面白かったので、撮った。
MasterXLも入れて撮る。素敵な自転車だこと。あんまり乗ってやれなくてゴメンな。というセリフを言うべき自転車は、数多いのだがな。はは。
2011年03月26日(土曜日)
先週はしまなみに出かけていたので、境川夕景観測は久しぶりだ。
夕刻、MR-4F改を境川に向ける。照明は充実してるし、乗り心地いいし、走りもまあまあ軽いし、折りたためるし、荷物も乗るので、便利な自転車だ。ちょっとガタは来ているが、まだまだ乗れそうだ。現用MR-4にせめてシルバー以外の色が出たら、買い換えたいくらい気に入ってる。
夕景を撮る。久しぶりにPowershot SX10を持ち出した。絶対的には、GH2よりも持ち運びやすくて、アドバンテージはあるな。しかし、既に近接したセグメントなので、使い分けが難しくなっているのも事実。要は、どちらか一方でカバーできる。
MR-4Fの最新の状態。STIを追放して、バーエンドシフター化したのは、主に軽量化のため。戦う自転車ではないこいつには、シフターで十分だ。シフターの方が変速機の調整も簡単だ。
帰路、
桜の眷属がほぼ満開なのを見かける。桜の方は、後しばらくという感じだな。
2011年03月25日(金曜日)
23時39分
コンピュータ
天気:くもり
ついに正式リリースされた、FF4を入れてみた。VAIO Xに。
UIがガラっと変わったのにはびっくりだ。しかし画面を目一杯使える点は好感。しかし、非力な機械故か、動作はいちいち引っかかる。ううむ、常用は無理っぽいな。後でデスクトップPCに入れよう。
などと、TwitterにFirefoxの悪口を書いていた呪いだろうか、G'z Type-Xが突然鳴動を始め、電源を断することもできず、電池を抜くしか無いくらい暴走してしまった。この機械、前にも『わたしは故障したんで、修理に出してね』などと表示し、しかしその後も平気で使えていたという、なかなかパフォーマンスフォンらしくない動きをする。中身はスマートフォンと近付いているのかもしれない。
2011年03月24日(木曜日)
23時32分
暮らし
天気:晴れ
今夜は、またしても我がグループ1停電の夜なり。被弾率高くないか。
早くに帰宅して、とりあえず不要電源を落として待ち構えていたら、いきなり電源がストンと落とされる。それから、VAIO Xを覗きながら、なにがしか雑用して、さて停電明けまで寝てようと布団に横になった途端、電源が回復した(図らずも笑)。まあこういうもんだ。
この時期はいいとして、夏に来られると、体がやばいよなあ。避暑を考えねば。
2011年03月23日(水曜日)
22時16分
暮らし
天気:くもり
こちらに戻り、いきなり忙しい。まあ覚悟はしていたが。
職場の停電は、前回以降ずっと免れているようだ。さすがに産業施設の集中する戸塚駅周辺を落とすわけには、なかなか行かないのだろう。分かりにわしンちが危ういがな。
今後の仕事がどうなるか、いまいち見えないのが気になる。誰にも見えてないだろう。人数減ったしねえ。
2011年03月22日(火曜日)
思い返すに、松山に来る度に道後温泉くらいには入るのだが、松山をじっくり観光したことがない。今日は、その機会に恵まれそうだ。
もう自転車で動く気はないので、ターゲットは松山城周辺に定める。全日空ホテルからは真正面だ。ホテルに荷物を預けてゆく。
城の周囲は繁華街に取り囲まれており、
路面電車がひっきりなしに行き交っている。まずは松山城に向かい、ロープウェイ乗り場を目指した。繁華街から伸びる、いかにも
観光スポット的な道を歩く。
ロープウェイ乗り場は観光センター的な機能を持っていて、かの「坂上田村麻呂」じゃなかった「坂の上の雲」に関する催事があるようだ。帰りに寄ろう。
頂上の松山城への往復は、歩いても行けるらしいが、ロープウェイかチェアリフトを選べる。いい天気だし、料金は同じなので、チェアリフトを選択した。思った通り、好天もあって気分良く乗って行けた。
河津桜らしい、濃いピンクの花が、空中の道行を彩っている。
松山城は、維新負け組の城にしては綺麗に残っている。石垣は、
ほぼ残存したようだ。
城内は、例によって物々しい工夫を凝らされ、戦国期という状況に最適化された
仕組みを、随所に施している。しかし、言うまでもなく維新期には役に立たなかったのだな。射程の長い火力の打ち合いが主体に成り、燃えやすい構造物はあまり役立たなかったろう。
郭の最上部は存外に広い。熊本城に比べても広く見えるのは、山を頼りに石垣を晴れる山城の利点なのだろうか。天守閣に上がり、
四方を眺めると、無闇に征服欲のようなものが沸き上がってくるのは何故だ。
またリフトで降り、観光センターを下ってゆくと、場外に
こんなモノが迎えてくれる。日露戦争時、二百三高地の攻略で名を馳せた二十八サンチ要塞砲だ。元々は海岸の要塞に据えられていたものだが、思い切って外地である二百三高地の攻略に転用したもの。もちろんレプリカ。
この辺で、他のこば氏を初めとする一行は、一足先に松山空港へと向かった。僕は1便遅くしたので、まだ時間がある。またホテルの向かいにある、
坂の上の雲ミュージアムに向かった。安藤忠雄の設計で、外からみるとシャープで印象的だが、中は区割りがまちまちで、しかも完全往復式の経路という、真に謎な設計になっている。誰の責任だ。
ちょうど日本海海戦にまつわる催事があり、ついつい長居してしまった。早く出て、適当な店で喫茶でもしているつもりだったのだが。
同じ敷地内に旧松山藩主の別邸、
萬翆荘がある。絢爛豪華な、明治期の上流階級の暮らしぶりを覗える建物だった。
松山空港に出て、まず荷物を預け、遅い昼食を取った。荷物は、なにが増えたのか、行きの17kgから22kgにもなっていた。あまり身に覚えないが、重さは後者の方が正確かもしれない。ツーリングパニアが非常に重いのだ。次回は減量しておこう。
無事に羽田に戻る。ああ、また東日本でのピリピリした生活に戻るのか。
2011年03月21日(月曜日)
しまなみ縦走を無事に終え、今日は松山に移動する予定。しかし、朝から相変わらずの雨模様だ。雨は弱いが、かと言って一日中走りまわるには辛い。そこで、基本的に自転車移動は抑え、他の交通機関を使って、楽しそうな場所を巡ろうという話になった。
大潮荘の朝食は、料亭の誇りがあるのだろう、相当に高レベル。鍋が付いてくるし(下手すると観光ホテルの夕食レベル)。
外は僅かに雨がぱらついていたが、今治まで自転車で強行突破した。ここで荷物を預け、今治タオル美術館に何らかの手段で出かけるつもりだった。手荷物について観光案内所に尋ねてみると、なんと改札で預かってもらえるとか。\500で一時預かりしてもらえる。改札横なので超便利だ。
さて、その観光案内所にタクシーの手配を依頼し、やってきたタクシーに5人乗りして、今治タオル美術館に向かった。そこまでの道中は、ある程度旅慣れてきた僕などには、まあ大丈夫だろうと思える程度の傾斜だった。
今治タオル美術館は、想像以上にでかくて立派なところだった。博物館じゃなくて、美術館なのが面白いところ。中は崖の傾斜を利用した多層構造で、最高層が屋外庭園+美術館その他の本命、その下層は概ね土産物スペースになっている。入ると、巨大な
どうぶつが迎えてくれる。
まず昼食。最上階にある中華レストランで。中華レストランというカテゴリーを低く見ていた拙者の性根をたたき直してくれそうな、気合の入ったレストランだった。
鳥唐がやばいくらいうまい。
美術館へと入る。中にはタオルの製造ラインが、恐らくは観光目的主体に設置されている。ちゃんと稼働中だ。広大なタオル地に絵図を織り込んでゆく行程に、思わず齧り付きで仔細に見入ってしまう。
その奥がタオル美術館の本体。折よく、ムーミンの作者で知られるトーベ・ヤンソン展が催されていた。今の、というか、中期以降のムーミンが、血族会社で作製されるプロダクトになっていたのを初めて知った。優れた創作が、創作者だけじゃなくて血族まで巻き込み、延々と広げられてゆく事態が、ここでも起きている。創作は創作者を超えるてゆくものなのだと、手放しで喜んでいいのだろうか。
などとたまに深刻そうなことを考えて見せながらも、概ねミーハーに原画などを眺めて回る拙者であった。
美術館を出て、下層の土産物屋群を回る。ファンシーなグッズ売り場でしばらくうろついていたら、そのあまりものファンシーさにファンシーファンシーに酔ってしまい、ファンシー酔いになって椅子にへたり込む羽目になった。
帰りも行きのタクシーに迎えをお願いしていたので、時間通りに外に出て、さっと今治駅まで戻った。
ここから松山まで、予讃線の特急で移動した。車中、今まさに開催中のはずの道後温泉まつりのことをDefyで調べていたら、流行りの"自粛"により中止となった事を知った。ガッカリ感満喫。
ともかく松山に出て、まず今夜の宿の全日空ホテルに
自転車で移動する。俺たちの如き自転車旅行者が利用していいのだろうかと思うくらい、屹然と立つ中級ホテルだった。
自転車を地下に置いてから、さて道後温泉にと向かうのだが、女性陣は疲労その他で出かける気を無くしたようだ。こば氏と二人で、今日は神の湯一階席((つまり一番チープなコース))に入ってきた。
夜は町に繰り出したが、なかなかこれという店に行き当たらず、若いもん向けらしいお好み焼き屋に入った。美味かったが、後で体に響きそう。
2011年03月20日(日曜日)
しまなみ縦走二日目は、やはり去年と同じようなルートを走る。今年は流石に去年の如き太疾走はなかろうと思いつつ、不安に駆られる俺であった。
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2011年03月19日(土曜日)
さて、しまなみ縦走2011の初日は、去年と同じく大久野島に宿をとる。去年、最終フェリーに間に合わせるため、後半はものすごい駆け足になってしまった。その反省を盛り込み、余裕のある行程を組んだつもりだったのだが……。
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2011年03月18日(金曜日)
朝は3:30に起床。戸塚で東海道線始発に乗る予定なので、まだ余裕はある。だが計画停電の影響で、交通機関にダイヤの乱れが多発しているので、大幅に余裕を見ての出立にした。
軽く朝食を取り、Bromptonを戸塚まで走らせ、東海道線始発で横浜に、横浜から京急で羽田に出る。懸念したほどの混雑も遅れもなく、難なく機上の人となった。
広島空港に着き、手荷物を待っていたところでこば氏と邂逅。一緒に三原に出て、JRで尾道に出て、まずは宿泊場所のα1に荷物を預けることにしたいと思った。が、こば氏と話すうちに、どうせ鞆の浦を走りたいのだから、福山に出てコインロッカーに荷物を置くという手はどうかとなった。それで行こう。
山陽本線で福山まで移動し、駅前でBromptonを展開した。コインロッカーに荷物を、と思ったが、分けるのが面倒なのでそのまま走ることにした。
鞆の浦までは、概ね海岸線を辿ってゆけばいいはずだ。そこまでは川沿いに走ったのだが、土手の道は交通量が多くて厳しい。一つ降りた並走路なら、まあまあ安楽な道行になった。所々に鄙びた街並みがあるのもいい。
やがて鞆の浦に。
思ったよりも見所が多そうだ。沖合には
見栄えのいい島も。弁天島というのだそうだ。
しばらく、港の辺りをうろついた。昼食を取りたいと思っていた。
港には、まるで川港のような石段が残されている。
この辺には、保命酒という養命酒めいた薬用酒があり、製造元が4軒ある。そのうち2軒で、一番小さいボトルを買った。旅の途中で消費してしまうつもりだった。
昼食は、岩壁にほど近い蕎麦屋に入った。魚食べたいよねー。というわけで
定食。たこ刺しが超シコシコして美味しかった。別に
蕎麦もついてきてお得。
店は狭かったが、食事は良かったな。
食後は、鞆の浦のちょっと高台にまで登ってみた。医王寺という寺に登ってみたが、
いい眺めだ。
平地に降りて走り回っていると、こんなところに
山中鹿之助の首塚があった。そうか、この辺で斬られたのか。
沖合の島が美しいので、渡船で渡る。さっきから
面妖な船が往復していたが、あれがそうだったのか。なんでも、幕末にこの沖合に沈没したいろは丸を真似たものだとか。坂本龍馬の海援隊が運航していた蒸気船だが、紀州藩の軍艦と衝突事故を起こして沈没している。その縮小モデルだとか。
渡船で仙酔島に渡り、遊歩道をしばらくうろつく。ちょうど
干潮時で、小島に渡れたりもした。
再び
いろは丸で本土に戻る。さっきの写真と見比べると、船首が昇降式なのが分かる。
海上からは、
弁天島がいろんな角度から拝めるのでお得だ。
船着場の傍に通称対潮楼という古寺がある。そこからの
弁天島の眺めは見事。額に掲げられた文字は、朝鮮通信使が残した褒め言葉だとか。実際、
見ていて飽きない。
福山駅に戻り、尾道に戻ってチェックインする。tomo&kazu&haruと落ち合い、海辺の店で
海鮮に舌鼓を打った。瀬戸内の魚はうまいんじゃ。ほんまにのぉ。
ホテルに帰って保命酒をと思ったが、さすがに今夜は断念。これを持って走らねばならぬのか。
2011年03月17日(木曜日)
23時55分
暮らし , 自転車 , 旅
天気:くもり
デスクトップ機の電源はSFXたら申す規格の電源で良さそうだ。アマゾンで普通に売ってる。でも発注はこっちに戻ってきてからだな。
さて、ますますダイ・ハードな状況の福島第一を横目に、明日の荷物を大急ぎでまとめる。最初、Bromptonのツーリングパニア+ジャック・ウォルフスキンの中型バックという構成で考えていたが、気が変わった。ツーリングパニア一つで間に合いそうなので、これにまとめてしまった。万が一に備えて、ポケットサイズの折り畳みリュックを持ってゆく。これで十分だろう。
なんてことを始めてすぐ、ついに我が家も夜の停電タイムに突入した。今日は2回目だ。ふてくされて、停電明けまで寝て、それから荷造りを続けた。
カメラは、もちろんLumix GH2。以前にはD70を担いでいったこともあるのだから、この程度の重量はなんてこと無い。ただ、電源はちょっと悩ましい。充電池とその充電器が必要で、もしかしたら毎日充電しなければならないかも知れない。予備の充電池があれば、5日くらいは余裕で凌げたD70、D90との差はそこだな。どれだけ負担になるだろうか。
なんてことをやってるうちに、日付が変わる頃に。明日は4時前には起きねばならぬのだが。
2011年03月16日(水曜日)
21時26分
コンピュータ
天気:晴れ
昨夜は19:30くらいまで停電。照明手段は豊富に持ってるし、暖かな日で暖房も要らなかったので、モバイルなノートPCとモバイルネットワークで凌いだ。
電源が回復し、さてPCの電源を入れるべし。そうやって、まずはLinuxサーバとWHSは難なく立ち上げ、クライアントを起動。しかし、うんともすんとも言わない。そこが昨日まで。
このクライアントでは日常的なテレビ録画をやらせていたのだが、バックアップにPSXがあり、そもそも今は番組がメチャメチャで録画しようがないので、当面は困らない。しかし、さすがにVAIO Xより広い画面が恋しくなることもある。そこで、ちょうど先月くらいに買って寝かしてあった、パーツの入れ替えを実行した。パーツはMB、HDD、PCI音源ボードなどで、もしもMBが故障しているなら、復活できるだろう。
入れ替えて起動してみたが、やはりうんともすんとも言わない。こうなると、プロセッサか電源だな……。
この筐体、電源がFlex-ATXたら申す特殊な小型電源で、ショップでもあまり扱ってないのだ。Amazonならあるので買おうと思ったが、物流が滞っているので、どのみちしまなみ縦走から帰ってのことになる。
しかし、こんな一発でお釈迦になるとは。電源を変えるにしても、今度こそUPSも導入しなければなるまいな。
2011年03月15日(火曜日)
23時31分
暮らし
天気:くもり
福島第一はとってもダイ・ハードな状況。頑張れ地元の作業者たち。しかし、精神的に折れそうだな、こりゃ。俺は原発推進派だったけど、いくら老朽原発を想定外の地震が襲ったからといって、これほどトラブルが多発する代物を産業動力の中心に据えるのは難しくないかと思う。かといって代替エネルギーはみんな帯にも襷にも短いくらい。火力はCO2削減目標に抵触するし、太陽光も風力も専有面積と獲得電力とが比例する性質上、やはり主力に据えるのは無理そう。水力は環境政策とただちに抵触するし、地熱は今のところ立杭のメンテナンスに問題がある。有望そうなのは波力だけど、効率が悪いので浮体を大量に建造しなけりゃならんと思う。となると、結局は原発とある程度おつき合いしなければならないのだよな。
とりあえず、定時に出社したら、実は10:00出社に変更されていて、職場はちらほらという程度。そういえば、昨日電話で通告があった時、職場で唯一外部に開放されている女子ソフトボール部のBlogを見ろと聞いてたな。ともかく、10:00本格始動だった。
定時に帰り、しばらく妄想に耽っていたら、突然今までにない地鳴りと、揺れが来た。慌ててアパートを出る。が、ズーン、と一発来て終わりだった。震源は、なんと富士山の直下。まあ地震があるなら噴火の可能性はかえって低いとはいうが、気になるね。
2011年03月14日(月曜日)
21時32分
暮らし
天気:まあ晴れかな
会社の状況は、実は土曜日に荷物を引取りに出かけていたので、まあ分かっていた。しかし、今日立ち入りできるのか、全く分からない。
出社してみると、案の定交通遅延で出社できずという向きが相次いだ。さらには、計画停電に備え、昼以降は業務打ち切り、帰宅せよとなった。
帰宅して、SatRDayを整備しようかと考えていたのだが、物流に支障が出ている模様だ。トラベルケースに詰めて遠投しても、現地にちゃんと着くか分からない。Bromptonを手持ち輪行することに変更。
震災の影響は長引くだろう。そうそう、関東直下型に備えて、ラック類の固定も見直さないとな。
2011年03月13日(日曜日)
23時12分
暮らし
天気:くもり
割と暖かな日。だが、この数日でかなり消耗したのか、外に出る気に慣れない。相変わらず地震情報を垂れ流しにするテレビを消し、珍機PSXでドラクエ4、PSPでFF1をやる。どさくさに紛れて3DSの市価が下落したら、買ってもいいのだが。
夕方、スーパーマーケットに出かける。昨日はパンが在庫払底という有様だったが、今日は結構復活している。代わりに豆腐類が全滅状態で、カップ麺も残り少ない。まあパニック買いの影響だろうから、もうじき落ち着くだろう。買いだめしたも、ある日にちが経てば消費しなきゃならんのだから。
明日は出勤という情報を受け取り、とりあえず普通に寝た。
2011年03月12日(土曜日)
東北の惨状が次々に伝えられる。地震そのものの被害は、案外に少ないようだ。そういう意味で、直接的な地震被害に対する備えは成功だったのではなかろうか。しかし、これほどの規模の大津波に大しては、どんな備えも無力な気がする。この危険を減らすには、居住地そのものを変えるしか無いだろう。海辺は不急のユーティリティスペースを置いて、出来るだけ高所に人家を置くくらいしか対策を思いつかない。まあ、この度の大津波が、人類が備えるべき最悪値なのだと考えて、巨大な防潮堤を築くというのも考えではあるが、莫大な費用がかかるだろう。
それにしても、木造家屋がいともあっさり、根こそぎ破壊される様を見ると、これが石造だったらどうだったのだろうと考えてしまう。壊れにくいだけでなく、津波被害を甚大化する瓦礫を減らすという意味でも、どうなんだろう。解体撤去が簡単なのが木造の美点ではあるが。
夕刻、普段の世界を思い返すべく、Bromptonを境川に走らせた。
湘南台南方の果樹園で、Lumix GH2で
樹花をパチパチ。地味な花だが、心洗われる。
遊水池のグラウンドで、今日も翡翠を待つ。遠くに見え隠れするが、風向きのせいかグラウンド側に近づかない。仕方ないので
Bromptonを撮る。
日が落ちようとしている。なんとなく、暖かな光景になってきた。
帰宅して、震災情報を追う。やはり画像のインパクトが強烈だ。昨日の夜見た気仙沼火災の様子は、まるで地獄のようだった。また津波の様子も、いくつもYoutubeやニコニコに登録されている。そして気がかりな福島原発の情報を追ううちに、また夜が暮れて行った。
2011年03月11日(金曜日)
23時55分
暮らし
天気:晴れ
いやあ、えらい目にあった。
ちょうどつまらない用事で、中井町の工場に出張していた。用を終え、帰社することに。行きは二宮まで出て、連絡バスで来たのだが、帰りの時間にちょうどの連絡バスは無い。秦野に出るのはある。秦野に出て、小田急で湘南台に、湘南台から地下鉄で戸塚に戻ることにした。
乗り換えのために、相模大野駅に着いた時だった。ホームでケータイメールを見ていたら、なんだか騒がしい。耳障りな音が続くのだ。キコキコキコキコ、と。
ん、と顔を上げたら、ホームの対面にある看板が揺れているのだ。いや、それどころか頭上の覆いや、駅隣のビルの看板も揺れている。こりゃヤバいぞ、と思ったが、広いプラットフォーム上に人がひしめいていたので、身動き取れなかった。かなり長い間、振動は続いた。地震、という概念と結びついたのは、周りの人々のそのつぶやきを耳にした時だった。1分は無かったろうが、それでも長い時間揺れ続け、徐々に収まっていった。
危険を感じて、というより、より本能に近い部分で、頭上に信頼できる覆いのある場所を探して移動する。感心すべきことなのか、逆に憂えることなのか分からないが、我が生涯初めてという規模の地震にあったにも関わらず、見たところ取り乱した人も、パニックを起こしている人も居ない。なんて民族だ、日本人よ。
それでも、目敏い人々は、より安全な場所を求めて、橋上改札に移動する素振りを見せていた。僕は、この規模の駅なら大地震も耐えるだろうし、耐えられないにしてもそもそも即逃げ出せ無いほど広いので、まずは頑丈な階段の下に引っ込んで、様子を見た。
そのうち、駅員が『安全を確認するのでプラットフォームから出てください』と呼ばわりはじめた。ホームに溢れかえっていた人間が、瞬く間に改札から外に出されてゆく。誰もパニックを起こしてない。
僕も、開放されている改札を潜った。とりあえず、改札口からちょっと離れ、様子を見た。
こういう時は即時性の高いマイクロブログの類が頼りだ。Twitterをチラ見していると。宮城県沖という文字が見えた。関東ではなかったのか。
駅ビルには損害がないように思っていた。しかし外に出ると、
ビル外壁の一部にヒビが入っていた。またどこから来るのか、駅モール出入口の辺りから水漏れもあった。そもそも、頭上にたくさんのディスプレイが吊られているので、怖くて外に出ざるをえない。しかし、外は外で寒い。間が悪いことに、子供のお使いレベルの出張だったので、薄着のまま来てしまった。
何度か余震が来る。その度に、駅ビルの中に屯していた人々が、徐々に外に出てくる。僕は、駅前コンビニ周辺をうろついていた。
2時間ほど待った。その間、何度か『町田まで出るか』という考えを持った。相模大野より町田の方がバス網の充実度が高いように思えた。しかし、そこまで徒歩で出ると、今度は鉄道が動き始めた時に、戸塚に戻るのがややこしくなる。
そうして、2時間ほども逡巡していた。が、やがて駅近のビックカメラなどの従業員が、『追い出された』と話しつつぞろぞろ出てくる。もう小田急再開はなさそうだ。駅ビルに立ち入れないからだ。仕方ない。
町田まで出たら、ともかく境川沿いに歩けば、ともかく帰宅できる。境川は勝手知ったる道だ。
てくてく歩き出す。自転車なら、片道1時間、下手すると50分くらいの道行だ。しかし、歩くのは初めてだ。どんな困難が待ち構えているか。
町田に出て、さらに境川を下り始めた。徒歩は、自転車とは違う筋肉を使う。脹脛が張り始めたので、止まってストレッチ、マッサージをしながら歩いた。
南町田辺りで
日が暮れた。断片的に入る情報は悲惨なものだが、そんな事なぞ知らんというような、いい夕日だった。
途中、次第に膀胱の耐久試験をしているような塩梅になってくる。しかし、見つけたコンビニは全て、トイレを備えてなかった。困りながら歩いていたが、やがて野球練習場の備え付けトイレを見つけ、難を逃れた。
とりあえず、水と食料は確保してあるので、自宅まで歩くだけ、という気構えで歩いた。もう歩く以外に道はなさそうだし。
道々、歩きながら実家と会社に連絡を取ろうとした。実家には連絡が着いたが、会社に対しては全く不通だ。多分、みんな建家から出されてしまったのだろう。避難手順がそうなっているからだ。ひとまず諦める。
R246交点まで歩き、この先も境川を歩くには、不都合があるのに思い至った。境川沿いには照明がない場所が多いので、真っ暗になるのだ。それならと、八王子街道を東進し、海軍道路まで出ることにした。南下して、横浜市道環状4号を南下するルートなら、街灯が絶えることはない。
コンビニ休憩を挟みつつ、海軍道路に入り、更に南下して行った。いい加減、足に疲労が溜まっている。どこかで一休みしたいな。ふと目についたのが、瀬谷南のかつ泉。腹ごしらえしようと思い、入って
とんかつセットを注文した。生き返った。いっそ、麦酒も飲みたいと思ったくらいだが、歩けなくなるので断念した。
さて、家まではまだ10km強ある。まだまだ歩くぞ、と思いつつ進み、ふと行き当たったバス停の経路図を見ると、なんと自宅近くの立場駅までの路線だった。渡りに船とばかりに、すぐに来たバスに乗って、無事に帰宅できた。助かったよ。
帰宅して、ひどい状況だろうと思いつつ自室を調査する。懸念していた自転車ラックの転倒はおろか、発生確実と見ていた書籍流すら無かった。しかし、寝床のCDラックが倒壊している。
ひとまず、インターネットで情報を追う。テレビも点ける。テレビを、こんなに真剣に見るのは久しぶりだ。東北沿岸部を襲った津波の画像が、次々に流される。その凄まじさに絶句する。10m超級の津波に襲われたようだ。しかし、どうやら地震そのものによる被害者は少ないようだ。津波によるそれは見当もつかない。
長い夜になりそうだ。
2011年03月10日(木曜日)
22時30分
暮らし , 自転車
天気:晴れ
ジテツー継続。もう少し暖かくなれば、雨の日にも継続できるだろう。
今のEPICは、簡易泥除けしか付けてないので、雨中走行には問題がある。やはりPacerをサクっと組み立てないとな。
とは言いつつも、今週末は来週に迫ったしまなみ縦走の準備をしなければならない。組み上げられるのは桜の時期になりそうだ。
2011年03月09日(水曜日)
20時09分
暮らし , 自転車
天気:晴れ
ちょっと寒いが、晴空のいい天気だ。
帰路は藤沢周りで帰った。もう、18:00くらいまでは、空が明るい。さすがに境川を遡る頃には真っ暗だが、気温がそんなに下がらないので、凍えながら走るということもない。いい気分だ。
いい加減に、新馬車馬を組まねばならんな。その前にTCR-2を裸にしちまおう。暖かくなってきたので、夜に作業できるだろう。
2011年03月08日(火曜日)
23時34分
暮らし , ゲーム
天気:晴れ
久しぶりのフルジテツー。往復で\400~460浮くと思えば、踊場の坂を越える足も軽やかってもんよ。実際には、あまりに久しぶりなので、ヒィヒィ言わされつつ上ったがな。
さて、帰宅してすぐに、黒猫経由で南米密林からPSP版FF1が届いた。早速ゲームするべし。
の前に、これも買ってしまったPS版ドラクエ4を、珍機PSXで初めてしまう。うぉぉ、なんか3D化されてるよ。もっとも、ドラクエ8をやった後なので、ドットが目に付くが。最後に4をやったのも20年は前だろうか。経験値稼ぎに飽きた辺りでFF1にスイッチ。
このPSP版FF1、実は発注後にPSP版もダウンロード発売されていると気づき、しかも安かったのでちょっとがっかり。しかし、懸念のロード時間もさほどではない。
PSP版はイージーモードなんて無くて、まんま温ゲーに生まれ変わっていた。サクサク進む。グラフィックは、PS版だとPSPでは画面四方に空間が出来てしまうが、きっちり再設計されている。そして、フィールドに擬似3D効果も。眼にやさしいな。
それにしても、Diablo3はどうなった。
2011年03月07日(月曜日)
23時25分
暮らし , ゲーム
天気:雨時々雪
朝、雨がぱらついた湿っぽい天気だったので、地下鉄で出社。会社に着くなり、外が見る見るうちに翳ってゆく。雪だぜ。寒いはずだ。
退社する頃にも雨が残っていて、結局一日中寒くて、湿気た一日だった。
だからというわけでもないが、ちょっと懐ゲーに手を出す。
この所、ドラゴンクエストシリーズをやり直すという愚挙に出ていた。1~3は、四半世紀前に買ったのにまだ稼働するスーパーファミコンでプレイした。4以降はPSとDSがあれば出来そうなので、PSで出来るものはPSで、それ以外は適当な時期に3DSを買ってやろうと思う。でも10はWiiで出るのか。
それとは別に、ここ20年ほどもプレイしてないファイナルファンタジーにも目が向いている。1~3まではやったが、その後はどうも食指が動かなかった。しかし改めて調べてみると、PSPとPSでほぼカバーできそうなので、少なくともFF一桁台はやってやろう。
FF1はPSP用のモノが出ているが、それとは別にPlayStation@Storeでダウンロード出来るものもある。これはPS1用のものをPSP上のエミュレータで動かすもののようだが、価格が\800と、PSP版の1/3以下。大して変わらんだろうと、これを買った。
久しぶりにFFの画面を見る。ファミコンとPSのグラフィック性能差故に、見た目は大きく違う。しかし、システムには覚えがあるぞ。Ultimaっぽい2D鳥瞰視点と、Wizardryっぽい魔法行使回数制の組み合わせ。序盤からかなり苦しい。金も足りなきゃ経験値も稼げない。敵への攻撃がなかなか当たらないのに、こっちは結構食らうので死ぬ死ぬ。しかし、これだよ、これがFFだったんだ。ドラクエみたいな温ゲーとは違うのだという気迫を感じる。冒険はこうでなければイカン。
しかし、延々と経験値稼ぎに奔走しなければならぬ状況に速攻で飽きた拙者、攻略サイトをチラ見した。ぬぬ、このPS版FFにはイージーモードってのがあるのか。そういえば、最初の画面でなんかあったな。改めてパーティを造り、やり直した。おお、なんだこれは。こんなサクサク進むなんて。こんなのFF1じゃない。でもサクサク進むのは気持ちいいので、結局これで行く俺。やはり今時は温ゲーで無ければイカン。
ところで、件の攻略サイトを読み進むと、FF1は結構リメイクされているようで、最新のPSP版では実のところ相当手が入ったようだ。見た目だけならまだしも、魔法がポイント制になるとか、シナリオに大幅な追加があるとか見ると、こっちをやりたくなる。仕方ない、これを買う。というわけで、ダウンロード版をそっちのけで、今度はPSP版を発注してしまった。無駄金を使ったな。
2011年03月06日(日曜日)
今日も好天だが、深夜には荒天になるという。明日の出社が憂鬱。
さて昼過ぎ、今日は
MR-4Fを境川に向けた。今日こそLumix GH2で翡翠を捉えるのだ。
遊水池の多目的グラウンドに降りる。ちょっと様相が違う。工事が入っていて、手すりが撤去され、仮説のものが巡らされているのだ。今日の工事はないようだが、普段は騒がしいのだろう。鳥があまり寄付いてない。
今日はだめかなと思いつつ、耳を澄ます。おや、いるぞ、奴が、翡翠が。囀っている。
目を凝らして探すと、
居た。水路の先端だ。しかし行動パターンを変えていて、グラウンド側の池には寄り付かない。遠くの方で採餌行動を繰り返すばかりだ。今日はダメだ。さすがに280mm相当では足りない。
今日は西空に雲が掛かっていたので、夕景も見ないで帰途に就いた。しかし、湘南台の北方に出ると
空が焼けている。この夕焼けは、夜からの悪天の予告なのだろう。
遠くに
富士山が見えていたので、写真に収めておいた。箱根、あるいは丹沢山系を超えて見えているのだから、大したものだ。
2011年03月05日(土曜日)
さて、いつの間にかしまなみ縦走の時期が近づいてきた。今年は10速化Bromptonでのんびりと思っていたのだが、同行者にタンデムとBikeFriday新車組が含まれているので、俄然SatRDayに傾いている。トラベルケースで遠投するなら、まあ難しくはないので。
ということで、調子を見るために、SatRDayを持ち出した。そうそう、Lumix GH2の試写もちゃんとやらないとね。
SatRDayに乗るのは、去年の11月から4カ月ぶりだ。あまり持ち出せないのは、小回りし難いのと、荷物を背負うのに手間がかかるから。正確には、ドイターのトランスアルパインをシートバックにセットする作業が面倒。手順があって、怠るとホイールに当たってしまうのだ。そこで、20リットルの小型バッグを載せてやった。今日は雨の心配ないし、間に合うだろう。
ブレーキワイヤーが伸びたからか、引きが深くなりすぎている。またRDも同じくで、シフトアップ時に決まりにくくなっている。いずれも要調整。FDはそもそもシマノバーエンドシフター故にフリクションモードなので、例え伸びていても気づきにくいという面がある。
境川に向かったのは、そのまま藤沢のビックカメラに寄りたかったからだ。GH2に合うソフトケースを見繕いたかった。
時間が無かったので、いつもなら藤沢橋から裏道に入るところを、そのまま幹線道路を突っ走った。湘南台から30分ちょっと。
店内をうろついて選んだのは、エツミのネオプレーン製ソフトケース、SSトールサイズ。GH2+14-140にぴったりだ。これで思い切りよく持ち出せそうだ。
帰路、
夕景を観測。画像処理エンジンが頑張るからか、こういう夕景ではD90より印象的な絵にしやすい気がする。GH2は出来のいいEVFが売りで、マニュアルフォーカス時には中央を拡大してくれる。しかし、雲のようなモヤッとした対象には、これでも力不足だった。150万画素を超えるEVFだが、それでも解像度が足りない。まだまだ光学ファインダーに勝てない部分だ。見たままに見える光学ファインダーと、撮りたいように見えるEVFの差を感じた。
帰路、果樹園で、収果用の
梅花を撮る。既に暗かったので、フラッシュを焚いて控えめに撮った。もう少し、梅の花を楽しめそうだ。
2011年03月04日(金曜日)
20時42分
暮らし
天気:くもり
まだ熱下がらず。意図せず連休になってしまったが、今日も年休を取る。
さて、熱はともかく、奥歯の不調は耐え難い。ので、とうとう近所の歯医者に掛かった。以前からちょくちょく掛かってきたところだ。
患部を見てもらう。見てくれたのは若手の医師だったのだが、古手の医師にしばらく相談している。気になるなあ、微妙に声が聞こえない遠さだし。
やがて、ボスの方が来て、とりあえず歯茎を切開して膿を出すという事になった。まず歯茎に注射されてしばし放置され、おもむろにメスと針でサクっとやられた。しばらく口中に血のエグ味が広がった。看護師さんがせっせとガーゼで吸い取ってくれる。なんか、溜まってたなあ。
その後、ガーゼを詰められ、適当に捨てていいと言われた。膿がたまった理由は不明だが、たぶん奥歯の基部が露出しているので、雑菌に感染しやすいからではないかと。奥歯の配置が悪いので、この先も再発するだろうと言われた。憂鬱だ。職場の方の医師に相談しよう。
ともあれ、ぐっと楽になった。しばらく飲み薬と口内洗浄薬を使わにゃならん。歯医者でもらうのはキツイのでイヤン。
2011年03月03日(木曜日)
22時17分
暮らし
天気:くもってた?
昨夜は寝床を温々にして寝たのだが、それでも風邪の神は拙者に試練を与えることに決したようだ。昨日の不調が、さらにパワーアップしている。年休余ってるから休もう。今、暇だし。
熱は高くない。しかし、なぜか右上の奥歯が痛む。虫歯の痛さじゃなくて、歯茎の奥に何かが詰まっている感じ。いや、むしろ痛みより違和感。気になって食事が美味しくないのだ。まあ、今の体調だとうどんしか入らないが。
かくして日が暮れた。
2011年03月02日(水曜日)
22時56分
暮らし
天気:くもりのち氷雨
往路は地下鉄で。昨日、自転車を置いて帰ったからな。夕方までちゃんとあればいいが。
昼の間、ずっと不調に悩まされていた。頭の中におがくずが詰まっているような感じ。花粉症の凄い版? それと、奥歯が痛い。歯が痛いんじゃなくて、その歯茎の、さらに奥の方に何かが詰まって、圧迫されている感じ。仕事が進まないくらい苛立つ。
定時で退けて、さて自転車を連れ帰るか。ちょっと雨がぱらついていたが、雨具を着れば大丈夫だろう。ちゃんとあったEPICに、雨具を着込んで乗り、踊場の坂に向かった。すると、雨がみるみるうちに冷たくなってゆく。雨じゃないよ、雪だ。むしろ氷雨だ。体の芯まで凍えながら走った。
帰宅して、コタツで体を温めつつ過ごす。日本の3月は春だが、まだ雪の残る時期でもあるようだ。
2011年03月01日(火曜日)
21時58分
暮らし
天気:くもりのち雨
出社時にはまあまあの天気で、今日で2回目のジテツーも快適だった。駐輪場においては、先週と同じく仕切りの金属パイプに準アースロックをカマしておいた。
しかし帰路、空模様は弱い雨。こんな寒い時期に濡れ鼠になるのはゴメンなので、自転車はそのままにして帰宅した。さて、明日までちゃんとあるかな。