Strange Days

2013年08月31日(土曜日)

休日は境川と決まっているのだ

20時42分 暮らし 天気:快晴

 というわけで、今日も艦これしながら、半日を無駄に過ごす。自転車整備くらいしたいねー。
 夕方、境川に向かった。乗車はMR-4だ。この間のきしみ改善施策の結果を試すためだが、無念にも解消されない。これは別の要因か。
 とりあえず境川遊水地情報センターに出て、アイスを貪り喰らう。暑い日にはこれだぜ。
 久しぶりにビオトープまで降り、Nikon 1 V2にDXの70-300mmを噛ませて、直射日光下の鳥達を狙った。
 コサギアオサギその他が樹下に逃げている。鳥も、この暑さはたまらないのだろうな。
 杭の上にクイナが止まっている。だから杭ナなのか!*1
 鉄塔ポイント。夕陽には早かったが、この幾何学的とも言いがたい、どこか生物的ないい加減さを持つ鉄塔の並びが気に入っている。
 今日を駆け抜けた漢のMR-4。半日ゲームにうつつを抜かしといて、漢かい。
 まだ日が高いうちに帰宅。しかし、日没はどんどん早まっている。

2013年08月30日(金曜日)

まだまだ夏の威力が

22時39分 暮らし 天気:快晴

 朝から結構な暑さだ。空が晴れると、とたんにこれだよ。日差しに焼かれるような感覚は、未だ夏の盛りを思い起こさせる。
 会社で、お家サーバの情報を見ていると、CPUは50℃近くに、HDDは久しぶりに57℃にまで達した。今日はエアコン無しだと辛かったことだろう。

2013年08月29日(木曜日)

Lolipopサーバの仕様変更に振り回される

22時53分 インターネット 天気:晴れかな

 10:00くらいだったろうか。ふとNexus 7でこのウェブページをば表示させようとすると、PHPのものと思しきエラーメッセージが表示されてしまい、ブログが表示できなくなっているではないか。glocalfunction.phpがどうのこうのと申すので、あれNucleusが壊れたかと思い、FTPでディレクトリを覗いてみたのだが、設定ファイルのたぐいは揃っているようだ。さて、どうしたものか。業務中だったのでそれ以上は如何ともし難い。
 ロリポップからは、Wordpressを狙い打ちにした攻撃を受けている旨、通知が来ていた。その関係かもしれないなとは思った。
 そうこうするうちに、ロリポップから『旧サーバ時の形式でのフルパスアクセスを一時的に無効化した』というメールを貰う。そこでやっと、原因判明。チカッパがロリポップに統合された際、移行処置としてチカッパ時の形式のままでのフルパスアクセスを保証していたのだが、これが無効化されたため、旧形式でのフルパスアクセスを使用していた我がNucleusでは、ファイルが見つからなくなったのだ。新形式*1に修正して、再びブログを表示できるようになった。
 その後、ロリポップから旧形式でのアクセスも再度有効化された旨、通知があったが、もう変更したのでこのままで行こう。
 それにしても驚いたな、旧形式のまま移行したなんで忘れていたから、なんでファイルが見つからなくなったかなんて、なかなかわからないものだから。
 Wordpress狙い撃ち騒動は、上位のDBアクセス権の話にまで拡大したようで、気になる展開になってきた。

2013年08月28日(水曜日)

World Birdyが欲しくなる

22時28分 自転車 天気:涼しいくもり

 ツイッターでBD-1*1っていろんな面で微妙なだったのだ、などとほざいていたのだが、やはりあのスタンダードフレームはすばらしいデザインだったと思わざるをえない。一目で見て、車種はおろか、車名までピンと来るデザインというものは、そうそう出来るものではない。そういう目で見ると、やはり秀逸なデザインだと思うのだ。
 現行のスローピングデザインも悪くはないのだが、ポストモダンじみた初代のアイコニックなデザインに比べると、どうも『ピン』とくるものが足りないように思うのだ。
 そういう目で見ても、下位モデルとして本国で売られている、World Birdyは欲しくなるデザインだ。初代のデザインを受け継いで、なおかつモノコック化などの製造上の改良も加えられているモデルらしい。
 不思議なのが、未だに国内での扱いがないことだ。ミズタニ的には美味しくないのかもしれないが、現行モデルユーザとはまた違う層に訴求できると思うのだ。扱ってくれんものかのお。

2013年08月27日(火曜日)

久しぶりに防水防塵ケータイ登場

21時48分 デジタルギミック 天気:未だに不順なり

 auから、久しぶりに携帯電話新機種が発売された。我がG'z Type-Xの後継機にふさわしく、防塵防水耐衝撃のタフネス仕様で、結構大容量の電池を積んだGRATINAってのだ。これで、G'zがイカれても、後継に困らない。まあカメラ画素数が800万画素と低落するし、なんといっても軽くなってしまう*1のが難か。とはいえ、G'zはまだまだ元気に稼働しているので、こいつが必要になる日はそうそう来まい。しかし、選択肢が残されるのは良いことだ。通話は携帯電話でやりたい*2派なので、心強いことだ。

2013年08月26日(月曜日)

午後半休で午後自転車を目論む

21時32分 暮らし 天気:くもり時々雨

 涼しい朝だ。
 会社に出勤し、午後は半日年次有給休暇を行使して、さくっと帰る。お役所で印鑑証明をもらわなければならない。前に作ったのは有効期限切れだ。というわけで、お役所で小一時間を覚悟していたのだが、印鑑登録証があれば一瞬で取得できるのであった。というわけで、ほぼ特急ルートで発給され、実質5分で話が済んでしまった。お役所も時代に追いつこうとしているのだな。
 さて、午後はさくっと帰宅して、自転車乗るぞと思っていた。のだが、微妙な天気。南方に雨雲があり、やがてそれが神奈川県上空に雨雲をもたらせ始めた。安い企みは、こうして潰えるのであった。

2013年08月25日(日曜日)

MR-4Rの軋み解消施策と艦これイベント海域(ちょっとだけ)制圧

22時02分 暮らし , 自転車 ( 自転車いじり ) , ゲーム 天気:雨時々上がる

 朝からイマイチな天気。ずっと雨が降りそうで、しかし大降りにはならずという感じ。
 こういう時は、懸案解決だ。MR-4Rを引っ張りだして、BBの増し締めをやってみた。どうしても軋みが消えないので、まずはここが怪しいと睨んで、増し締めしてみた。確かにやや緩かったのではあるが、これが原因かは乗ってみなければ。しかし、程なく雨が降りだしたので、試乗は又の機会に。
 そういえば、と、艦これのイベント海域に初めて突入する。せめてE1だけは狩って、潜水艦をもらっておこう。と始めたのだが、まず対潜装備を開発するところから泥縄式に始め、脆弱な軽巡駆逐艦を、ボス戦前の道中まで無事通過させ、最後にボス前の羅針盤の判定を待つ、という迂遠な流れに、結構溜まっていたバケツも枯渇するほどの難戦になった。ボス自身は到達できれば対潜兵器でガシガシ削れたが、それでも4会戦が必要になった。羅針盤的にはその倍以上。手に入ったのは伊号168。あんまり使い道がなさそうだが、潜水艦必須の遠征も実装されたようなので、手に入れて損はない。

2013年08月24日(土曜日)

さあ、無駄に過ごそう

21時57分 暮らし 天気:くもり

 盆休みの間、遊びほうけたせいか、疲れが取れてない。ので、今日は自転車にも乗らず、のんべんだらりと過ごした。あ、艦これは別。今日は那珂ちゃん地獄だった。かれこれ5杯も出たよ……。
 明日には、そのうちに行こうと思いつつ、10年も見送ってきた境川源流探訪に出かけたい。のだが、微妙な天気だ。

2013年08月23日(金曜日)

ゲリラ豪雨舞台に蹂躙される

22時48分 暮らし 天気:くもり時々雨

 不安定な天気とはこのこと、というべき一日。昼過ぎ頃、雷鳴一発とともに、空が一気に曇る。そして瞬間的に雨が降り注ぐも、すぐに『あ~飽きた』という呟きが聞こえそうなくらい、あっさりと雨が上がる。こんな状況が、しばし続いた。
 天気レーダーを見ると、小さいが真っ赤*1な雨雲が、静岡辺りで生まれては関東を北上してゆく様子が、見て取れた。少数精鋭のゲリラ部隊に蹂躙されるがごとしだ。
 帰る頃にはカラッと上がっていた。雨のせいか、いささか涼しくも感じる。やっと、夏の終わりを感じ始めた。

2013年08月22日(木曜日)

艦これ-空母レシピを回す

21時03分 ゲーム 天気:くもり気味

 Twitterで、有望な空母レシピなるものを発見したので、試してみた。
 350/30/400/350(燃料/弾薬/鋼板/ボーキサイト)がいいというのだ。そこで試してみると、なんと一発で翔鶴さん召喚。5回試してみると、翔鶴、鳳翔、最上、千代田、千代田、瑞鳳と、概ね空母っぽい艦を求めるには、優秀なレシピだと思われた。とりあえず欲しいのは、第4艦隊開放のための金剛、榛名なのだが、空母もエリア制圧には不可欠なので、ボチボチと貯めてゆくたいものだ。

2013年08月21日(水曜日)

トートバッグ導入を検討するも

21時55分 暮らし , モノ 天気:晴れ

 あー暑い。こうも暑いと、自転車の乗る気がしない*1。そんなわけで、夏場は地べたをぺたぺた歩いて移動する。
 こんな状況で便利そうなのが、トートバッグだ。メッセンジャーバッグだと、蓋の開け閉めをしなければ、中身を取り出せない。しかし、蓋がないということは、中身が丸見えだ。見えて困るようなものは無いにしても、簡単に盗まれてしまいそうで怖い。愛用している女性諸君は、心配しないのだろうか。
 フタ付きのトートバッグという代物もあるが、それくらいならばメッセンジャーバッグで十分だ。そんなわけで、むしろ扱いやすいサイズのメッセンジャーバッグに、目が行っている状況だ。

2013年08月20日(火曜日)

艦これ進捗-鋼板枯渇に喘ぐ

22時41分 ゲーム 天気:まあ好天

 艦これは、しばらく積極的に建艦を続けてきた。その結果、鋼材がほぼ枯渇状態に。まあ、そうだよねー。というわけで、第2,第3艦隊を遠征に投入して、ぼちぼち稼いでいる。鋼材が足りないと、艦船の修理すらもままならぬようになるので、かなり致命的だ。いや、このゲーム、艦船がクエストがという以前に、資源が足りないと如何ともし難い、世知辛い資源ゲーだ。
 そんなわけで、艦隊を戦闘に投入→損害を受けた艦を入渠→出渠待ちの間はKindlePWで読書、という流れがお決まりになりつつある。艦これと読書の相性の良さは異常。

2013年08月19日(月曜日)

Lumia1020

20時04分 デジタルギミック 天気:晴れ

 Androidの無軌道ぶりも収拾され始め、最近は尖った機械が出てこない状況だ。キーボード付きも、少なくとも当面はなさそう。
 というわけでもないのだが、NokiaのLumia 1020に注目している。410M画素の広角カメラを持つ、かなり尖ったWindows Phone 8機だ。WP7.8のRadarは、非力な割にかなり扱いやすく、特にSNSに関しては強い機械だ。日常的に使うのなら、こういう機会がいいんじゃあるまいか。
 Lumia1020の値段は、まだ明らかになっていない。すぐ下位の925が4万円台なので、6万円台で買えるんじゃなかろうかと思う。本当にその値段なら飛びつくよ。

2013年08月18日(日曜日)

盆休み最後はポケロケ整備に明け暮れる

22時48分 暮らし , 自転車 ( 自転車散歩 ) 天気:晴れ

 ポケロケは、昨夜帰宅直後という、ベストな時機に到達した。今日はこいつを整備しなければね。
 トラベルケースから出して、チェーンを中心に洗う。雨に合わなかったおかげで、さほどには汚れていない。
 夕方、ピナレロくんを駆って、境川に向かう。D7100を川中の真鴨に向ける。まるでデコイのように、身じろぎもしない。
 ピナレロくんを、穂が伸びてきた稲田を背景に。ポケロケに比べると、速度をキーワードにする部分で優位性がある。しかし、こいつを担いで旅はしたくない。
 鉄塔ポイントで、夕陽を撮る。日の入りが早くなってきたせいか、涼しくなるのも早くなってきた気がする。
 湘南台で、まるでビルが燃えているようだったので。
 帰宅して、明日からの出勤で休みボケを解消できるのだろうかと訝しみつつ、艦これ。

2013年08月17日(土曜日)

横浜に戻るズラ

21時56分 暮らし , 天気:晴れてますね

 以前に、広島空港~呉駅間で運行されていた、呉市交通局*1の路線バスは廃止されたのだが、最近になってリムジンバスが走るようになった。やった、俺得。というわけで、バス一本で広島空港に戻れるので、気楽だ。
 昼、家を出る前にと、中通りのモリスに向かう。おやじが歳なので、一時休業が続いていたのだが、また再開されたとの情報。入ると、以前とさほど変わってない店内*2で、若いのが働いている。以前と同じく、厨房と客席合わせて、4人もおねえさんがいる。狭い店なのに。
 中華そばは、見た目変化がないが、心なしか海鮮系の出汁が後退したように感じた。意図したものなのかどうか。ともあれ、存続してくれて嬉しい限りだ。
 一度帰り、駅裏のショッピングセンターに用があるという母とともに、駅に向かった。母も、ここ数年ですっかり老けた。家の片付けが出来なくなってきたので、まとまった時間を取って、片付けてやらねばならないと思っている。
 バスに乗り、空港に。ここでまた、お好み焼き屋てっぺいに寄り、ビールとお好み焼きを入れておいた。そして半分眠りつつ羽田に飛び、帰宅。
 隠岐は楽しかった。が、真夏のツーリングは、やはり色々と辛い。宿題が残ってしまった。

2013年08月16日(金曜日)

呉をぶらぶら

20時54分 暮らし , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , 天気:晴れ

 実家に戻ると落ち着く。昼、次兄一家と墓参りに出かける。姪たちは、また少し大人びてはいた。
 兄一家と別れ、大和ミュージアムに出かける。広場になぜかお化け屋敷が出ていた。せっかくだから、呉の地ビールも入れておくぜ。対面の元あきしお構造物も、強い日差しの下で、鈍い光を放っている。
 特別展は、直球ズバリの『巨大戦艦大和』展。大和の昼戦艦橋*1の一部も再現されていた。艦橋の狭いことには驚いたが、ビデオで流されていた、射撃シーケンスの再現映像には、背中が震えるほど興奮した。男の子だよなー。 
 1/10大和は、未だに飽きない被写体だ。とは思うのだが、光源が艦尾側の自然光のみという状況には、たまに変化もあっていいんじゃないかな。日没の早い冬季、艦首側に光源を用意してくれるとか。

2013年08月15日(木曜日)

隠岐ツーリング最終日~離島の日

23時44分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:多少曇る

 朝早くに置き、ポケロケと自転車一式を、トラベルケースにパッキング。朝食後にフロントに預けた。『自転車を部屋の中に持ち込んだ方は初めてです』と笑われた。そうだろうなあ。しかし、快適な宿だった。
 高速船で本土に戻る。この先はあまり考えてないが、バス便が念頭にあった。そこでまず、出雲市駅から広島に出ているバスの予約をすべく、電話を入れた。が、朝から昼にかけての便は、既に席が埋まっているとか。時期が時期だしなあ。
 では米子まで出てとか、松江でとか考えたが、ふと思い出したのが発車オーライネット。ここでバス予約できるのだが、出雲市~広島の便も扱っているのではないか。で、せこせこと検索すると、やはり扱っていた。夕方の便が空いていたので、さっそく入れておいた。
 これで心は決まった。夕方までは時間があるので、出雲大社に行ってこよう。
 まずは出雲市駅まで出て、駅の食堂で出雲蕎麦を食う。悪くないぞ。しかし、後ろでスマホをいじっているアホそうなお姉ちゃんたちが、いろいろアラーム音を試して大音量で鳴らすのがうざい。ご逝去遊ばされてくれたまへ。
 さて、さっき予約したバスのチケットを発見しなければならない。駅から少し離れたローソンで発見したが、よく調べるとエキナカにバスチケット取り扱い所があった。ここで買えたんじゃねえの? ローソンに向かう途中、駅前にこんなもの発見。前からあったかな。
 ともあれ、いつ見てものどかでほのぼのする、一畑電鉄に乗り込み、出雲大社に向かった。途中の川跡で乗り換え。乗客はかなり多い。
 その出雲大社。おお、と思ったのが、ごみごみしていた鳥居前が一気に整理されたこと。門前町へと下る道路も、綺麗に舗装し直されている。
 今年春に修復の終わった本殿。本殿を丸々見るには、背後の山にでも登るしか無いのか。高高と聳える入母屋造りの屋根は、初めて目にする。
 県立古代出雲博物館に立ち寄ってから、また出雲大社駅から一畑電鉄で、出雲市駅まで戻る。そして、またエキナカの店で早い夕食を腹に入れてから、バスに乗り込んだ。
 バスが広島駅に着いたのは20:00頃。実家に帰っても飯はなさそうなので、駅のお好み焼き屋に入ってから、電車で実家に戻った。
 しかし、楽しかったのだが、隠岐の島は遠いと思ったですよ。はい。

2013年08月14日(水曜日)

隠岐ツーリング4日目~島前編

23時26分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:快晴

 島後はだいたい走り終わったので、今日は島前を攻める。
 島前の主要な3つ、そして島後とを結ぶ航路は、隠岐観光が運航する小型フェリーが往来している。これをうまく結ぶと、海士、西ノ島は渡れそうだ。最初は知夫にも行けそうに思えたのだが、便数的に1日では無理とわかったので、今回は諦めた。
 朝一の海士行きの便に乗り込む。隠岐フェリーのような大型船ではなく、瀬戸内に多い内海用フェリーに毛が生えた程度のものだ。
 フェリーは、いったん島前島後間の外海に出てから、島前の島々が囲む内海へと入る。島前は、実は一つの大きなカルデラを囲む外輪山なのだ。やがて、フェリーは、海士の菱浦港へと入った。ここもよく整備された、小さいながらきれいな港だ。
 次の西ノ島への便の時刻を確認してから、海沿いに、時計回りに走りだした。
 港に小公園があり、そこにこんな像が。小泉八雲夫妻が来島した故事を記念したものとか。おや、吉田くん。
 港からして、水が澄んで美しい。諏訪湾をぐるり回り、その出口近辺の小湾に架かった*1北分大橋からの眺めは素晴らしい。ポケロケを置いて
 島の北辺に向かうと、水田を前に宇受賀命*2神社がある。この祭神も、謂れの分からない、この社だけの神だ。小さな丘陵を背後に従え、前面に水田を置き、その真中を参道が伸びている。神社は色々見て回ったものだが、これほどロケーションの素晴らしい神社は、他に北斗神社くらいではなかろうか。参道入口の鳥居から覗いた時の、左右の水田と真っ直ぐな参道のバランス。そして遠く本殿の高々と見えること。小社ながらも、その佇まいに歴史的な裏付けを感じさせられる。ただし本殿は近年の建立だとか。
 島中央の丘陵を通る車道を走り、南下してゆく。暑いなあ。家並みの間、雑貨屋の前に自販機を発見したので、冷たいのを一本入れる。あちこちに盆踊りの飾り付けがあった。
 役所に近いあたりまで来たところに、隠岐神社がある。承久の変で流されてきた後鳥羽法皇を祭った神社だが、建立は戦前のこと。後鳥羽院の配流地と、火葬した灰を埋めた火葬塚を祭ってある。江戸期には寺が護持していたが、例の隠岐騒動の際にどさくさ紛れの廃仏毀釈に巻き込まれ、ここにあった小社ごと廃されてしまったという。
 神社の向かいには、後鳥羽院資料館があり、法皇ゆかりの品々、絵画を閲覧できる。晩年は、各地から刀匠を招き、御前にて仕立てさせたり、時には自ら鎚を振るったという。想像するに、刀匠は各地の武士勢力と当然密接な関係を持っており、鎌倉幕府への不平不満などの情報も耳に入っていたのではなかろうか。すると、決して再起を諦めたのではなく、執念深くその時を待っていたのかもしれない。その前に、寿命が尽きたわけだが。
 港に戻り、西ノ島へのフェリーに乗る。内海をしずしずと進み、やがて西ノ島の玄関、別府港に入る。渡ったはいいが、あまりに暑いので遠くまで走る気になれない。港周辺をぶらつこうかなと思いつつ、昼食場所も探しつつ入ってみたのが、黒木御所資料館。黒木御所は、ご存知後醍醐天皇の配流地だ。その資料館に入ってみると、意外に狭い空間に、あるのは書画の類のみ。受付で暇していた初老の男性に、有料である旨告げられる。まあ時間潰すかと、入ってみた。
 するとその方は、よほど暇していたのか、『長くなりますが』と前置きして、それらの書画を前に、私見を交えつつの説明を与えてくれた。曰く、後醍醐帝が後鳥羽院と同じ憂き目に遭いつつも再起を果たし得たのは、地元の勢力と友好関係を築き得たからだ、と。
 後醍醐は、どうやら気さくに地元民と接し、時に車座になって酒を酌み交わしたという。その前半生が、辛酸を舐めるようなものであっただけに、こうした低い身分の人々との交流にも躊躇わなかった。それが地元民の崇敬を呼び、島抜けに際して協力を得ることが出来たという。
 また、後醍醐の支持者は本土にも多くあった。後醍醐が御所を抜け出し、一山越えた北西にて船を待つと、時を置かずに三木一草の名和長年が手配したと思われる海賊船が迎えに現れている。これも後醍醐が御所を脱してから使いを出したのでは間に合わず、本土側と入念な事前打ち合わせがあったはず。つまり後醍醐は既に本土と自由に意思疎通できていたはずだ、と。これらの点も、生活のために本土との往来がある、地元民の協力があってのものだろう、と。
 歴史上の事件の舞台になった地で、その背景の一説を聞くというのは面白かった。何でもこの方、マスコミ関係だったのだが、隠岐の島が気に入ってIターンしてきたという。
 この方の勧めもあって、景勝地の摩天崖に登る気になった。摩天崖は、景勝地国賀海岸にそびえる断崖絶壁で、その落差は200mに達する。ということは、それだけ登らなければならない。ポケロケで200mなら余裕だが、この強烈な日射のもとで耐えられるだろうか。
 西ノ島は、大きく東西の山塊に別れており、狭い海峡が貫入している*3。その海峡までの一山の途中で、スーパーを見かけたので軽食を買い込んだ。そして海峡に架かる橋を渡る。
 渡りきり、いったん海岸線に出て、しばし走ると、由良比女神社がある。ここも創建の謂れが不詳で、祭神の正体もいまいち謎な古社だ。いいなあ、こういう神社ばかりってのは。
 神社から西進し、学校と店舗に行き当たった辺りから、いよいよ登坂が始まる。谷あいなので風は通りにくい。汗だくになりつつ登りつめると、トンネルを超えてから一度下がる。このまま登らせてくれよ……。
 国賀海岸が見える辺りまで下り、再び登りにかかる。これが、この旅で最悪の上りだった。なにせ午後の西海岸は日射がまともに降り注ぐわけだし、溶岩台地の荒涼とした斜面には灌木すらまばらだ。つまり、逃げ場が殆ど無い。
 途中で、このへんに放牧されている馬の一家に遭遇。人馴れしているはずだが、念の為に距離を取りつつ徐行。
 この後から、いよいよ灌木も消え失せ、完全にカンカン照りに曝されつつの登坂になる。これが辛いこと。ペットボトル2本分の水を背負ってきたのだが、瞬く間に残り少なくなり、滝は汗のように流れ落ちる。それが目に流れ込んでくるので、不快さはマキシマムだ。
 登るうちに、目的地の展望台が見えてきた。残る高低差は100m以下だろう。だが、あの遮蔽物の全くない場所に登るなんて、自殺行為ではなかろうか。危機を察し、しばし考えこんでから、諦めて引き返した。車も殆ど通らないので、熱射病で行動不能になったら、万事休すだ。
 下りは悲しいくらい早く、しかしその先は超えてきた坂を越え返さなければならずで、悲しい限りだ。真夏のツーリングはやるもんじゃないなあ。
 港まで戻る。昼飯を食い損ねていたし、涼しい場所に入りたかったので、港の前の、ここで飯を食ったら負けっぽい感じの喫茶店で、肉うどんを求めた。適当なうどんの上に適当な肉が載ったこれが、\800。負け感がマキシマムだ。とはいえ、黒木御所資料館のおじさんも言っていたが、島の物価はそもそも高いのだ。取れる物といえば海産物の他はわずかな農作物のみで、海産物以外は一切合財を当該から輸入しなければならないこの島は、土地以外の物価がことごとく高いのだ。
 フェリーまでは時間があるので、港の辺りをしばしぶらつく。港の入口に、まるで塞ぐかのように小島が立ちふさがっている。後醍醐がこの島に流された時、鎌倉幕府の役人が監視哨を築いた島だという。
 帰路のフェリーに乗り込み、西郷港に近づいた辺りで、日が島影に没してゆく。今日も楽しかったが、真夏のツーリングは、高強度の運動を想定すべきではないなと思った。

2013年08月13日(火曜日)

隠岐ツーリング3日目~東半分編

22時23分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:憎たらしいほどの快晴

 昨日と同じくらいに起床し、ホテルの朝食。割とガッツリ食う。昨日は消耗したからな。
 しかし、意外なくらいに疲労感は少ない。ともかく、失った分だけの補給はできていたからだろう。今日も出掛けに、裏のショッピングセンターで、携行食と水を買い求めておいた。
 今日も、途中までは、昨日と同コースを取る。すなわち、島の縦貫コースを走り始めた。
 玉若酢命神社を通過し、実は昨日立ち寄っていた国分寺跡*1界隈も通過。隠岐酒造も過ぎた中条で、北東への道に乗り換える。かなりの傾斜だが、まだ走り始めて直ぐなので、のんびり登ってゆく。それでも、汗は滝のように流れる。
 登り切って、やや平坦になった辺りに、銚子ダムがある。そんなに巨大なダムではないが、それでもこの島の人口を十分に賄えるのだろう。
 銚子ダムからサイドの登りにかかると、峠を一つ越える。トンネルを抜けて、やや下りに差し掛かると、程なく道路の北東側に、ひときわ巨大な樹が立ち上がる。これがかぶら杉。根本から幹が分裂している。高さも一等抜けている。
 で、その足元を見ると……。なんと、ここにも水木しげるワールドが! このまま進んだ中村港辺りには、武良(むら)という地名があり、それが水木翁の本名と同じらしい。で、ルーツはここなんじゃね? ってなわけで、この辺の町興しに一役買っているのだそうな。
 さて、その中村に向かって下りきった辺りで、道が集落を抜ける旧道と、それを迂回した新道という、いかにもな場所に出た。旧道を進むと、その新道から身を隠すようにして立つ、自販機を発見。冷水を求めていたら、近所の農家のおじさんと立ち話が始まった。なんでも、この年は隠岐でも異例の少雨で、そろそろ稲もやばいね、ということらしい。暑すぎる夏だな。
 おじさんがちょいちょいと手招きするので、温室に入ると、そこに実っていたブドウ*2を一房、二房をごちそうしてくれた。ありがたい。高温少雨が逆に幸いしたのか、とても甘くて癒されるブドウだった。楽しい旅だ。
 おじさんに礼を言って、更に少し走ったところで、中村港に到着。案内板を見る限り、店を探すのに苦労はなさそうだ。そういえばと思い、すぐ近くにあった酒屋兼雑貨屋で、AAA電池を買い求めた。先にトンネルを抜けた際に、リアフラッシャーが暗くなっているのに気づいたので、電池交換したのだ。しかし、このフラッシャーはシャレにならないくらい電池の脱着が渋い。買い換えた方がいいかなあ。
 ちと早いが、そろそろ食事にしたい。さほど苦労すること無く、海岸近くで小さな店を見つけ、入ってみた。メニューに隠岐牛カレーというのがあったので、注文する。肉はかなり入っていたが、あまり煮こまれて無くて固い。が、カレーとしては妙に美味だった。店構えを見ると、ハングルっぽい店なんだけどな。朝鮮民族な人が経営に関わっているのか、彼の地からの客が多いのか。
 海岸線に出て、もう少し詳しそうな案内板を見る。見どころは多そうだ。特に真北、島の北方を一望できる白鳥展望台は気になったが、そこまで200mくらい登るので断念。真夏のツーリングでは、ヘタすると死にかねない。そこまで、冷水にありつけるか怪しいし。
 というわけで、港を冷やかした。海水浴場があり、意外なくらい賑わっていた。こんな孤島の極北ともいうべき場所に、どこから集まってきた。
 さて、この地に水木しげる翁のルーツがあるとされていると書いたが、当然でっかい足跡も記されている。町中、廃校を流用したと思しき施設の側に、こんな奇矯な像が建てられているのだ。この像が立つ広場は、実は学校とは無関係で、神事に関わる場所らしい。
 中村から南下を始めた。すぐに田の側に立つ案内板に気づいた。蟹に圧倒される神様って、一体何なのだ。
 トンネル抜けた布施辺りで、もう頭が煮えてきた。幸い、このコースは、自販機に困らない。布施にあるレストラン前の自販機で冷水を買い求め、すぐ先のトンネルの広い歩道に寝転がって、しばしクールダウン。顔を洗いたかったのだが、一見公衆トイレに見えた建物は、正体不明の謎の施設で入れず、近くの神社でというのも気が引けたので、かった冷水で顔を洗った。すっきり。
 十分クールダウンしたところで、また走り始める。トンネルが続くので、景色は見えないものの、体力的には助かる。そして、トンネルの間から見える景色に、心洗われるようだ。水が澄んで、かなり離れた海底の地形がはっきり見えるのだ。北から南まで、日本海沿いに結構走ったが、一番水が澄んだ場所だった。
 卯敷で、また自販機を見つけて、クールダウン。そうでもしないとやってられない。しかし、おかげで熱射病の予兆は、まだ現れない。
 ここから大久までの海岸線が、島後の旅のハイライトだった。とにかく奇観美観が多く、2~300m走っては思わず写真を撮りと、ちっとも先に進めない。
 小休止を取りながら、大久に着き、ここでも自販機の冷水を……と思ったら、水は水でも天然みかん水しか無い。余計なものを。これで指を洗うと、帰ってニチャニチャしちゃうんだよな*3
 大久から西郷へと抜ける道が、この日の最大の難関だった。とはいえ、昨日のような本格的山岳戦には程遠い。また、越えたらすぐに西郷港という気楽さもある。
 プチ峠を超え、ビャーっと下ると隠岐水産高校近くに出る。もう完全に市街地で、公園の自販機で最後の休憩を取った。
 西郷港へと渡る橋から海を眺めると、これがまた市街地の近くとは思えない眺めだ。
 ホテルに戻る前に、内陸のショッピングセンターが集まっている辺りに向かう。この辺にコインランドリーがあるよと、フロントで教えられたのだ。行ってみると、思ったよりも新しい、本格的なのがあった。
 ホテルにいったん戻り、洗濯物を抱えて、さっきのコインランドリーに戻る。そして3日分の洗濯物を洗った。これで着替えの心配は不要だ。
 明日はいよいよ島前に渡る。

2013年08月12日(月曜日)

隠岐ツーリング2日目~西半分編

22時59分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:いい天気だ(良すぎ)

 早起きして、ホテルのレストランで朝食。海産物も干物中心の、まあホテルの朝食でバイキングじゃないとすればこう、という感じのものだった。
 さて、今日は隠岐の島の西半分を走りたい。島の真ん中を北へと突っ切ると、著名な神社を2つ拾える。後は景勝地を巡りたい。問題は、昼食を取る場所があるかどうかだ。
 そんなわけで、ある程度の食料は、背負ってゆかねばならない。ホテルの真裏にあるショッピングセンターで、ゼリー食とスポーツドリンク、水、パンくらいを買った。今日はVarioを背負ってゆくので、収納に困ることはない。
 さて、ショッピングセンターから、昨日渡った西郷大橋方面に向かう。港にある水祖神社。これでみやおと読むのだそうな。謂れの分からない、古い古い創建の神社だ。隠岐には、こういうわくわくするような神社がゴロゴロしている。
 昨日渡った西郷大橋を横目に、しばし湾の奥へと向かい、適当なところで内陸に転じる。急坂を上り、平坦になると、すぐに見えるのが、玉若酢命神社だ。古代以来、隠岐の国造だったという億岐家が神職を司ってきた古社で、大本の祭神の正体すらも不明という、まことに素晴らしい神社だ。
 その億岐家の住宅を見学できる。隣接して、有料だが宝物館があり、律令時代に配備された駅鈴*1などを拝むことができる。
 玉若酢命神社の随神門と本殿への登り口の間に、巨大な杉がそびえている。八百杉という、樹齢1000年とか2000年とか言われる巨木だ。背後の森から離れて聳えているせいもあって、その威容には圧倒される。ゴツゴツした根の一部が露出しているのだが、長年の風雪によって磨き上げられ、まるで金属のような光沢を帯びているのもよい。
 で、この神社の前に、こんなものがある。妖怪水木しげる翁のルーツが、この隠岐にありそうとのことで*2、ここまで延長中なのだとか。
 内陸に向かう。しばし、郊外型のショッピングセンターが散見される。その中の電気屋に入り、USBマウスを購入した。VAIO Pro 11に無線LANマウスを組み合わせているのだが、これを使うとVAIOが絶不調になるのだ。このW-LANドライバに問題があり、Windows8の仮想ステーションモードドライバを入れると、端末としての動作にも影響が出てしまうのだ。
 この辺、内陸部の盆地で、瑞々しい田園風景が続く。
 そんな一角に現れるのが、隠岐の地酒、隠岐誉の酒蔵だ。要予約だが、見学が可能らしい。
 更に内陸に進む。暑いので、早くもめげてきた。製材所の近くに自販機を見つけたので、冷たい水を買い求めに立ち寄った。
 そのコイン投入口に硬貨を投入する時、なにか妙な感じがした。コインが通過する金属音がせず、ゆっくり入れたのに何枚か戻ってしまったのだ。あれ、と思ってみると、投入口からなにかが顔を出した。アマガエルだ!
 そろそろ人生も半世紀に近くなっているが、こんな体験は初めてだ。内部の冷気を慕ったのか。しかし、どこから入った? つつこうとすると、ぴょんと跳ねて逃げ出した。
 更に走ると、本格的な登りにかかり、峠を掘り抜いたトンネルに差し掛かる。峠とはいえ、島後は東西に山があって、その間に低地が広がっている塩梅なので、それほどの高さではない。トンネルは結構長いが、交通量が少ないので助かった。
 下ってゆくと、南の玉若酢命神社に比肩する古社、水若酢命神社がある。玉の方もだが、この水の方も、港からは奥行った微妙な場所にあって、峠道を行くにしても、昔は陸路よりもよほど便利だったろう海路を行くにしても、微妙に不便そうな場所にある。東西の山を均等に遠望できる位置と、高地から流れてくる水とが、この位置を決めたのだろうかと思う。
 そろそろ昼だが、もう少し先に進む。ここから西海岸を舐めて戻れるか、いささか気が急いていた。昼食場所も心配だが、一応の心づもりはあった。ここから西に向かう海への途中に、隠岐温泉GOKAという施設があるようなのだ。そこになら食堂の類があるんじゃなかろうか。そこで、海への概ね平坦な道を走っていった。ある程度走ると、どこからか潮の匂いが強まり、ゴツゴツした岩壁が目立つようになってくる。しかし、温泉は見つからない。どこだ。途中で撮った写真を後で見なおした結果、このお役所っぽい建物がそうだったと判明。この面構えで温泉とは思わんじゃん、フツウ。
 ともかく、飯を食い逃し続けていた。後で深く調査すると、先の水若酢命神社近くの郷土館、後出の福浦近くのホテル、そして実はこの温泉でも、一応は食事できることが判明した。リサーチが足りませんでした。
 海に出ると、車道は内陸のトンネルに吸い込まれるが、海沿いに古い隧道が続いているという。そちらに向かうことにした。この隧道、明治初めに手掘りで掘られた後、もう少し土木技術の発展した明治後年になって内陸に掘り直されたもの。かつては、五箇村から海沿いの漁港に向かうには、この道を通るしか無かったし、それ以前は危険な磯道を通る以外になかった。写真の道は、2代目の方。
 隧道を通る間は誰もいなかったが、通り抜けた先にホテルがあった。一見してレストランの類があるように見えなかったので、ここも通過してしまった。しかし、どうやらレストランはあった模様。
 お腹が空いてきたので、重栖漁港の車道沿いにあった自販機近くに停まり、ゼリーとパンをぱくついた。とりあえず空腹は和らいだが、それ以上に消耗している。気温は30℃を大きく超えているだろう。もう1リットル以上の水を消費しているのだが、汗が全く止まらない。
 少し休んでから、覚悟を決めて車道を走り始めた。というのも、あからさまな上りだったからだ。
 道は、プチ峠道の観を呈し、うねるように登ってゆく。山間部なので風が止まってしまい、ますます往生する。これが隠岐の島の必殺技、孤島飢え殺しか。
 長尾田、油井とプチ峠を抜け、油井漁港にせめて店舗でもないかと探しに降りた。しかし、そんな気の利いたものはなさそうな、こぢんまりした漁港だ。それでも、漁港で奇跡のように自販機を発見。冷たい水で、頭を冷やす。
 この油井には油井の池という円形の湿原があるのだが、草木が生い茂り過ぎてよく見えなかった。
 この油井から都万へと抜ける道が、プチじゃないガチ峠道で、正直死ぬかと思った。風の抜けない山上の急坂を、熱くなり過ぎないようにギリギリの遅さで登ってゆく。あまりにも水を消費するので、随分買い込んできた水の残りが、とうとう心細くすらなってきた。
 しかし、やがて報われる。登り切った辺りにトンネルが有り、そこを抜けると、都万への下りが待っていた。ありがたや。自分が巻き起こす涼しい風に、一気に生き返るようだった。
 下りきった辺りに、待望の自販機を発見。一気に蘇った。しかし、隠岐なんて孤島の、車も少ない集落にも、ポツポツと自販機はあるものだ。
 都万の海岸線に、ちょっと入る。闘牛を表したフィギュアがあったりして、この辺は観光に色気ありそうだ。海岸線に入ったのは、この目立つ橋に近寄りたかったからだ。すっかり失念していたのだが、ちょうど登った橋の海岸線に、都万の船小屋*3があったのだ。見忘れたよ……。
 ここと西郷の間にも、ちょっとした山道はあるのだが、たかが知れているので余裕だ。山間の小天地のような稲田の眺めを横目に、ひた走った。
 ホテルに戻る前に、近辺の市街地を少し巡る。やはり、盆休みの店は多い。夜もやっていそうな店もあるが、なぜか市街地の外れにあって、そこで飲んで帰るには遠いのだ。自転車ならば楽勝だが、この暑さでは飲むでしょう。
 というわけで、今日もショッピングセンターで夕食を仕入れる。しかし、この惣菜コーナーは地物を使っていて、隠岐牛のカレーなんぞもある。あれこれ仕入れ、ホテルに戻ってから、ビールを開ける。くぅ、うますぎる。今日は消耗したからなあ。
 明日は東半分を回るつもりだが、どうなることだろう。

2013年08月11日(日曜日)

隠岐ツーリング初日~とにかく島へ編

22時53分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:快晴

 朝、4:20くらいに起床。既に暑い。そして寝不足。まあ、今日は移動日なので、どこかで取り返せるだろう。
 荷物をVario一つにまとめ、身軽に羽田に向かう。カメラは、できるだけ軽くて防水防塵なTG-1というのも考えたが、やはりカメラとしての性能を取ってNikon 1 V2を選択する。
 羽田から米子空港に飛ぶ。機中、少しウトウト出来たが、睡眠不足解消には至らなかった。が、気分はすっきりする。旅の始まりが、一種の憂鬱さと高揚とを、同時にもたらしている。
 米子空港からは、どう境港に向かうか。米子空港到着は8:00過ぎ、境港からの高速船出港は11:00過ぎなので、かなり間がある。とにかく、朝飯を食い損ねていたので、空港の蕎麦屋に入り、出雲蕎麦を食した。
 バス便も調べたが、境港への便は、案に相違して少なかったので、空港に接続している境港線で向かうことにした。駅から振り返ると、乗ってきた便が折り返す所だった
 境港線は、というかこの弓ヶ浜半島以北は、まるごと水木しげるワールドの威光に屈しているが如き場所なので、電車なんてラッピング列車ばかりだ。しかしこの境港線、敷設者に優しい一直線の線形ばかりだな。
 境港に着くも、時間が早すぎて、まだ高速船の切符を買えない。窓口が閉まっているのだ。まあ、予約は入れているので、買えないことはないだろうが。
 それまで、駅周辺をうろつく。涼しい観光コーナーに飽きたので、外の妖怪像を見て回る。ぬらりひょんの旦那、頭を撫でられすぎですぜ。
 うろついているうちに、やっと切符の発売時間が来る。予約番号を忘れていたが、名前その他の照合で難なく買えた。硬券だ。
 しかし、出航時間までは、なおも間がある。待合室と、外とを、まだうろついて時間を潰した。一人、Birdyに乗っていた男性が、待合室前で輪行準備をして待機している。旧タイプの丸フレーム。おやと思った。乗船案内に、手荷物のサイズが明記されていて、小さな折りたたみとはいえ、さすがに持ち込みできないはずだからだ。
 やがて、高速船が入港する。ご覧の通りの双胴船で、瀬戸内では松山~呉~広島航路に就役しているタイプに近い。波の荒い外洋でも、双胴式ならば就役率が高くなるのだろう。
 しばらく行列して待つうちに、やっと乗船時間が来る。2階席を難なく占める。さっきの男性も、特に問題なく乗船できたようだ。これならば、Bromptonならば、全く問題ないのだろう。
 出港してしばらくは、島根半島を横目に走る。自衛隊の美保関基地が目立つなあ。そして洋上に出てからは、しばらくは海以外何も見えない航海が続く。外洋だなあ。
 やがて、前方に陸塊が見えてくる。まず見えるのは、島前の島々だ。島前は一つの大きなカルデラの中央火口と、取り囲む外輪山だ。かなりでかい。
 船は、やがて島前の島々よりも、もっとこんもりとしたまとまりのある島に近づく。これが島後。こちらも火山活動で出来た島だが、まだ日本海が陸地だった時代に出来たものだと聞いた。
 入港し、下船。は、さすがに観光地の正面玄関らしく、整備されている。
 さて、時間は14:00前。お腹が空いているので、まずは食事処を求める。泊まるホテルの近くで、釜飯屋を発見したので、お刺身の定食をいただく。こういう島では、海鮮にまずハズレがない。すこぶるコリコリとした歯ごたえが快感の、お刺身だった。ビールの誘惑には打ち勝つ。夕陽を何処かで見たかったから。
 隠岐での泊地は、隠岐ビューポートホテル。その名の通り、隠岐の港に面して立つホテルだ。しかし、チェックインは16:00からと、少し遅い。それまで、1Fの観光案内所で調べ物をし、更に時間が余ったので2Fのジオパーク情報センターに入る。この情報センターに併設されているミニ博物室、隠岐自然館にも入ってみた。入室受付に誰もおらず、呼び鈴で呼び出す必要がある。中は綺麗に整備されており、隠岐の成り立ちや、海陸に生息する生き物たちを綺麗にまとめているのだが、誰も居ない。30分ほどかけて見て回る間、誰も入館者がなかった。もったいない話だ。出る時に、ようやく別の入館者とすれ違う。
 さて、まだ15:00だが、待ちくたびれたので、荷物だけ受け取って、自転車を組むことにする。3Fのフロントに行ってみると、もうチェックイン可能だという。ということで、ここでチェックインする。
 部屋に入り、荷物を確認する。ポケロケを含め、無事に届いていた。一休みして、ポケロケを組んだ。部屋にはLANは来てなかったのだが、ドコモ回線は使えるので、B-Mobileのモバイルルータ+iijMioで難なく通信可能だ。
 さて、夕陽を見にゆくぞ。ポケロケを持ちだして、隠岐の島を走りだした。隠岐空港近辺に高台があり、良さげだったので、そちらに進路を取る。西郷港近郊から、空港のある半島まで、深い湾が隔てている。そこで、この赤い橋が渡されているのだ。絵になる橋だが、同時に景観を大胆に変えてもいる。
 空港線をひた走り、ふと見つけた"夕日の見える丘公園"の標識に引き寄せられ、高台に登る。隠岐牛の放牧地らしく、方々に牛が黄昏れている。
 公園内の道に沿って走ってゆくと、空港を見下ろせる一角に来た。と言うか、この場所は空港から登ってすぐのところだ。ここで夕陽を待つ。
 ポケロケと夕陽。起伏の多い島の道には、走行性能の高いポケロケが似合っている。
 夕陽は、空港の舗装に照り返しつつ、山の端に沈んでゆく。完全に見送ると、帰路が暗くなって危険なので、そこそこ見送ってから後にした。
 ホテルに戻り、夕食のために外出したが、驚愕の事実。島の夜は早い。目当てにしていた店は、いずれも早々と店を閉めていた。盆というのもあるのだろうか。幸い、ホテルの真裏にショッピングセンターがあり、その地下食品売り場で夕食を買い込んだ。とりあえずビールを開け、明日からのための英気を養うことにした。

2013年08月10日(土曜日)

盆初日はのんびり

23時27分 暮らし , 自転車 ( 自転車散歩 ) , 天気:晴れ

 いよいよ盆休みに突入した。のだが、本格的な旅は明日からなので、今日はその準備をするくらいだ。のんべんだらりと過ごしつつ、荷物をどうするか考える*1
 夕刻に、境川にピナレロくんを向ける。J3に10-30をつけてゆく。レンズ交換式カメラが、こんなに携行しやすい小ささまでになるとはな。
 境川では、ひまわりもそろそろ店じまいモードだが、今日は湘南台北方の辺りのを撮った。背景が青いのは、ネットが張られているからだ。
 夕日を背景にピナレロくん日が沈み切るには、もう少し間がある
 鉄塔ポイント。これで霞がなくて、はっきりした雲が出ていたら、いい感じの絵になるのだが。
 帰宅して、荷物をまとめる。Vario一つにまとめてしまう。実家に帰った時のことを考えて、自転車用じゃない衣類、後は電子機器。
 明朝は4時過ぎに起きねばならない。結局、睡眠不足か。

2013年08月09日(金曜日)

相変わらずの酷暑

22時33分 暮らし 天気:快晴

 朝、戸塚駅から職場まで、てくてく歩いてゆく。その間、お日様にジリジリと焼かれつつ歩くのだが、今朝はふと意識が遠のく瞬間すらあった。暑いというより、日射の圧力に負ける感じだ*1
 盆を越えたら、また涼しくなり始めるのではないか。そういう願いを打ち砕くがごとしの、中長期予報を眺めつつ、隠岐行きに思いを馳せる今日この頃。隠岐では、水をたんまり積んで走らなければ死ぬな。

2013年08月08日(木曜日)

緊急地震速報に振り回されて、"予防原則"なるものを考える

21時44分 暮らし , 思考 天気:くもり

 夕刻、自席でExcelを、眉根を寄せながら睨んでいた時だった。
 突然、聞き覚えのある、しかし咄嗟になんだったかを思い出せないアラームが、職場のあちこちから鳴り出したのだ。そもそも、我がauケータイ2台も、それぞれに鳴り出している。これは、あれか、緊急地震速報。
 G'zを取り出して、文面を眺めると、奈良で震度7の予報だ。ええっ、エライことだ。
 騒然とする職場。しかし、奈良と中途半端に遠い場所の警報なので、一様に戸惑いを隠せない。
 数秒が経った。地面はピクリとも揺れない。それでも、奈良は如何に。
 しかし、その後も全く揺れは来ない。その上、関西方面の情報がTwitter経由で確認でき、やはり揺れた気配はないと。誤発報だったようだ。
 その後、気象庁が正式に誤通知を認めた。どうも、微弱な揺れを関西地方で検知し、同時に離れた三重沖では、地震計が不調で、それが偶然に『同時に起きた揺れ』として誤検出されてしまい、離れた場所で同時に揺れを検知→大地震だ、という判定が下ってしまったそうな。
 地震計の不調、アルゴリズムの不備はあるのだろうが、速報の性格上、過剰な通知になってしまう場合がありうるのは仕方ない。一箇所の強力な震源地と、複数の弱い震源地とを持つ地震を、それぞれに区別するのは、多分簡単ではないはずだ。誤通知はすぐに判明するのだし、逆に大地震時に通知されない場合を考えるならば、多少は過剰になってもやむをえないように思う。
 予防原則なるものは、このように真偽の判定が難しく、甚大な被害の存在が明らかであり、かつ直後には成否が明確になるような事象にのみ適用出来るのだと思う。福島第1原発事故の場合だと、その影響を過剰に言い立てるのは、その影響があまりに長期に、かつ甚大になり、影響が無い(偽)となった場合の回復が不可能になる。まあ、言い立てている人々は、回復させる気なんて無いのだろうが。そして低レベルの放射性物質に依る影響が、例えばタバコやディーゼル排気の影響に比べても低いものでしか無いのは、既に明らかなのだから、福島第1原発事故の影響範囲なんて、その周辺の高レベル放射性物質汚染域に限られるのも明らかだろう。だから、この場合には予防原則を言い立てて、過剰な影響をまくし立てるのは、害悪にしかならないのではないだろうか。

2013年08月07日(水曜日)

Timbuk2のクラシックメッセンジャーバッグS投入

22時47分 暮らし , モノ 天気:晴れ

 やっと出社だ。会社のエアコンが喉に辛い。この時期なのに、マスク着用でお仕事。
 さて、今朝から表題のブツを投入した。Lは自転車乗車時に愛用してきたのだが、歩きの場合はドッペルギャンガーの折りたたみ*1メッセンジャーバッグを持ち歩いていた。このバッグ、ちょうどいいサイズだし、そこそこの数の前面ポケットに、背面アウトポケットという、他に例のない装備もあるため、それなりに重宝してきた。
 が、使い勝手は良くない。生地がペラペラで、物で充満しない限りヘナっとなって収まりが悪い。やはりペラペラで滑りが良すぎるストラップも、座りの悪さに拍車をかけている。作りも悪く、キャリングハンドルなんぞ、数回掴んだだけでポロリと取れてしまったほどだ。
 代替のものを探してみたのだが、結局は題記のものに落ち着いた。使い勝手はLで想像付くし、今のものは更にポケットが増えており、まさにそのようなバッグを探していたので、購入に至った。
 使い勝手は、やはりドッペルのものとは比較するのも失礼なレベルだ。生地がしっかりしており、中にものを詰めなくても形を保ち、背中への収まりが良い。ストラップは適度な滑りと抵抗があり、思った通りのところに収まってくれる。長さ調整も簡単だ。ポケットも前面のナポレオンポケット+ファスナーポケットが3段、主気室前面側に大きなファスナーポケット。その内部に小物入れ複数。更にファスナーの主気室側にも小物いれ。おまけに主気室には背面側に仕切りがあり、ノートPCがちょうど収まってくれるサイズだ。非常によく考えられているデザインで、はっきり言って、この半値のドッペルのバッグよりも、安く感じるほどのレベルだ。防水性も、完全防水ではないにせよ、普通の雨で問題になりそうなレベルではない。厚みがあり、しっかり雨を防いでくれそうだ。
 というわけで、とても機嫌よく使えそうだ。

2013年08月06日(火曜日)

ポケロケを隠岐に発送す

22時33分 暮らし 天気:晴れ

 相変わらずの体調。今日も会社を休む。だが、やっと『中途半端なエアコンがイカンのでは』と思い至り、エアコンを消して、猛暑*1の中、布団に潜り込み続けた。猛烈に汗を掻き、風邪薬の効果と、恐らくは高湿度がもたらす喉の緩和が功を奏し、ようやく熱が下がりだした。
 トラベルケースは、クロネコに取りに来てもらう。全備重量20kg弱に達するトラベルケースを、隠岐の島へと発送しても\1700で済む。手持ちで運ぶのが馬鹿らしいほどだ。
 夕刻には、熱の方はかなり収まった。が、気管支を痛めてしまい、咳と痰が後を引いている。これが、隠岐の島に響かないことを祈るだけだ。

2013年08月05日(月曜日)

夏風邪にノックアウトされる

23時55分 暮らし 天気:くもりだったかな

 昨日からの体調不良は、朝にかけて更に悪化してゆく。室温28度だが、毛布が要るほど寒い。会社を休む。
 ポケロケのパッキングを~、などと妄執に駆られつつ、寝床でうなされ続けた。
 昼に医者に出かけ、器官を拡げる薬の噴霧を受ける。咳は楽になった*1。風邪薬を飲んで寝床に潜りこむが、中途半端な冷房が悪いのか、発汗に至らずして解熱もなし。
 このままだと、もうパッキングの機会が無くなりそうな気がしたので、必死に起きだして、夜中までにかけてパッキングしておいた。ポケロケならば、自転車の他、衣類に自転車用具一式、さらにはヘルメットまで入る。ただし、451のホイールはかなり大きいので、空気は抜いておくと更に楽に入る。
 とりあえずパッキングを終え、また寝床に潜り込んだ。汗が出ないのが辛い。

2013年08月04日(日曜日)

今日も境川……だが、微妙に不調

20時03分 暮らし , 自転車 ( 自転車散歩 ) 天気:晴れてるね

 今日中に自転車をパックしないと、隠岐の島への発送が出来なくなる。もうポケロケに決めたので、自転車用品一式を詰めてしまおう。
 というわけで、その一式をかき集めていたのだが、グズグズしているうちに夕刻になったので、昨日に引き続き、MR-4を境川に向ける。いやあ、色々と便利な自転車なんで。
 今日も晴れて入るのだが、西空には結構な雲があって、日の形が見えない。大人しく折り返す。
 ひまわりはそろそろ盛りを過ぎ始めている。どこか、寂寥感がある。
 湘南台の辺りで、やっと夕陽が顔を出した
 帰宅して、ポケロケのパッキングをやっちゃおうと思ったのだが、出かける前からいまいちだった体調が、いよいよ悪化してゆく。咳が出て、体温も高いようだ。とりあえず、軽く物を口に入れ、布団に潜り込んだ。

2013年08月03日(土曜日)

盛夏の境川

22時03分 自転車 ( 自転車散歩 ) , ゲーム 天気:実に晴れ

 来週には隠岐にいるはずだが、なぜか実感が無い。自転車を発送してしまえば、ギアが入るんだろう。
 そんな感じで、午前中はのんべんだらりとゲームする。話題の艦隊コレクションに手を出した。緩い感じが良い。
 夕方、MR-4を境川に向けた。その前に、以前から気に掛かっていた軋み音の原因を調べるべく、クランクを抜こうとした。あれ、シマノのクランク抜き*1が見つからないや。つい最近、使った覚えがあるのだが、そのまま見失ってしまったか。とりあえず、左クランク側のボルトが緩んでいるようにも思えたので、増し締めしておいた。が、走りだすと解消されてない。工具を掘り出さなければ。
 夕刻の境川を走る。今日は風が涼しく、少しだけ走りやすい気がした。
 川沿いに、たくさんの小鳥が飛び交っている。特にツバメの姿が多い。どこかで子育てしているのだろう。
 境川に送電線がなかったら、かなり違った風景になるのだろう。
 鉄塔ポイントの夕景。ともあれ、絵になる風景ではある。
 なかなか日が見えないので、帰宅することにする。湘南台にかかった辺りで、やっと夕陽が顔をのぞかせた。今日はNikon 1 J3に単焦点18.5mmをつけて出たのだが、絞ると星形の曳光がはっきりと出る。
 ひまわりも盛りだ。しかし、一部の株は種取りモードになっている。夏の盛りと、その終わりを、同時に感じる。
 太陽は一瞬だけ顔を出し、また雲間に没した。不穏な空気を感じて、急いで帰宅する。ここ数年、ゲリラ豪雨のせいで、夕暮れ時の余韻を楽しむ余地が少なくなっている気がする。

2013年08月02日(金曜日)

Lumix GX7はよさそうだ

23時04分 デジタルカメラ 天気:意外に涼しい

 パナソニックのカメラ旗艦機、GX7に興味津々。
 このカメラ、GF系に比べるとグッと重いが、高精細度のチルト可能なEVFがついて、パナ4/3機初のボディ内ISもありと、なかなか盛り沢山な機械だ。
 手許の4/3機のうち、GF2の方はニコ1導入で立場が浮いてしまったので、GH2とGF2双方の後継として、GX7導入は考えるに値すると思う。
 ただ、ニコ1 V2という、最強の便利カメラの存在故に、普通にGX7導入しても、あまり出番ないんじゃないかという気がする。V2の、撮りたいものを撮りたい瞬間に撮れる、最強の使い勝手を考えるに、画像がもう少し高精細になる程度では、GX7を持ち出す頻度は高くないはず。確かにチルトEVFは欲しいけど、もっと強力な+αが必要だ。
 そういう意味で、防滴防塵なGH3にも目が行くのだけど、これはサイズが育ち過ぎたのと、どうしてもEVFの見え方が気に入らないのが弱りものだ。
 色々考えるんだけど、V2がある以上、GX7もGH3も見送って、さらなる次世代機に期待というところに落ちそうだ。
 本当に欲しいのは、オールインワンの防塵防滴高ズーム率機なんだが、さすがにそういう構成の機械は見当たらない。お買い得感が売りの高倍率ズーム機に、高価になる防塵防滴を組み込むのは難しいのか。

2013年08月01日(木曜日)

高湿度に打ちのめされる

23時20分 暮らし 天気:くもり時々雨

 朝から晩まで湿度が高い。中途半端に雨雲がやってきては、中途半端に日が顔を出すからだ。おかげで、汗を流しても乾かず、それがまた新しい汗を誘う、悪循環が生じてしまうのだ。たまったもんじゃない。
 今日は朝から雨がたまに降るという、この時期最悪の天気だ。おかげで、湿度が高止まりになり、気温が低めの割に蒸し暑さが半端ない。いやホント、今こそが梅雨なんじゃないのかな。
 帰りにも降られ、真夜中まで断続的に雨が落ちていた。