Strange Days
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2000年9月28日(木曜日)
星見
23:55:00
天気:晴れ時々曇り
今夜はちょっと雲が多い。その代わりに風が少ないようで、昨夜ほどには星像が揺れない。しかし雲があるので、視界の中の土星はかなり暗くて、雲を出たときにやっとカッシーニの間隙を識別できるほど。雲の中にあると、本体の縞は見えず、カッシーニの間隙も見失いがちだ。
木星も似たようなもので、いつもは小さいが鋭い光輝を放っているガリレオ衛星も、今夜は背景に沈みがちだ。
毎夜毎夜だと体に堪えるので(というか堪えているので)、今夜はここまでで爆睡モードに入った。
2000年9月27日(水曜日)
星見
23:55:00
今夜はほぼ新月。しかもまたも雲の無い夜空と、観望には適した夜になった。暑くも無く涼しくも無い気候もよろしい。惜しむらくは風があることだろうか。
今夜は期待が持てそうだったので20:00頃に一度寝入り、0:00過ぎに起きだした。カーテンを開けると空高くに輝く木星と土星が目に入った。既にすばるは手を出せない位置にあったので、まずは土星を見た。やはり風があるようで、ひっきりなしに像が揺らぐ。安定した瞬間にはカッシーニの間隙と本体の縞が見えたが、そんな瞬間が非常に希少な状況だった。とてもじゃないが強拡大は出来そうに無い。おとなしくUW6.7で100倍以下の眺めを楽しんだ。木星もガリレオ衛星との系全体を眺めるのが吉だった。
風呂に入ったりして2:00になると、オリオン座がそれなりの高さに上ってくる。M42はやはり大倍率では安定しないが、低倍率でその周辺の恒星群を視界に収めると、これはこれで見事な眺めだ。その下に燃えているシリウスが気になったので、M41をSW18の視界に収めると、ド派手なオリオン座周辺の眺めとはまた違った興があってよい。この球状星団、まだ低高度なのでかわいらしい眺めだ。
しばしコーヒーの香りをも楽しみながら、オリオン座から大犬座に掛けての星空散歩を楽しんだ。
寝る前にすばるを眺めておこうかと、アパートの前にMIZAR20*80双眼鏡を出した。まずはオリオン座を......。小三ツ星近辺の眺めは素晴らしい。100EDで見るよりも明るく感じられた。オリオン大星雲の明るい散光を真中に、左右に群れる微光星群が果てしない彼方から語りかけてくる。目を大犬座に転じると、こちらもM41を一発で探し出せた。結構良く見えるものだ。そしてすばるは......見、見えん。天頂付近、ほぼ85度近い高度にあるため、直視型のこの双眼鏡ではとんでもなく見難いのだ。ビーチチェアにでも寝そべって見れば別だろうが。それでも三脚を大きく傾け、無理やりに見上げてみたが、あまりの苦しさに一瞬しか視界に収めることが出来ない。完敗だ。
こういう状況ではこちらが有利と思い、フリーハンドで扱えるMIZAR10*42双眼鏡ですばるを眺めた。今夜もすばるは明るく燃えている。
しかし天頂付近での扱いを考えると、宮内から出ているような90度対空式の双眼鏡が欲しくなる。100mmのフローライトが40万近くするのだが、ああ、欲しい。
2000年9月27日(水曜日)
デジタルギミック
13:04:00
天気:くもりのち快晴
ロカティオを昨日発注し、今日にはもうエプソンOAサプライからの返答があった。いわく「発注を頂いてから3営業日かかります」だそうな。これだと昨日から三日で届くように読めるのだが、金曜日には届くのだろうか。それともこの返信をもって注文の受領とみなし、それから3営業日ということになるのだろうか。案外、この会社の定休日が水曜日くらいだったりして。すると3営業日経過の日がまたずれることになるだろう。要するにそういった情報を持っているのはそっちなんだから、ちゃんと具体的な日時を示せといいたい。
こういう営業スタイルの文章は本当にユーザが必要な情報を網羅してないことが多いと思うのである。
2000年9月26日(火曜日)
星見
23:55:00
0:00頃、フローリング部屋から空を見上げると、雲がほとんどない澄み切った空が広がっている。こんなすっきりした夜空は久しぶりに見た。
まずはC8EXを土星と木星に向けた。しかし像が揺れる揺れる。筒内気流のせいかと思って100EDに載せ換えて見たが、ややましになったもののやはり安定しない。どうやら高空に強い風が吹いているようだ。シンチレーション最悪の状況である。しかし安定した瞬間にはカッシーニの間隙が全周にわたって見える。
あまりにシンチレーションが悪いので、もっぱら低倍率ですばるを見ることにした。SWK22とSW18ですばるを見ると、背後の微光星に至るまでが群れて見える。すばらしい。透明度は高いようだ。高倍率でのシーイングは劣悪だが、低倍率でなら良好といえる。
しかし100EDの接眼部が三脚に当たってこれ以上動かせなくなった。そこでタカハシの50mmフィールドスコープをミニ三脚に載せ、すばるに向けた。20倍という倍率はすばるを見るには絶妙だ。視界一杯に星々が敷き詰められ、1万円しない望遠鏡の眺めとはとても思えない。案外に高い実力を持っているようだ。
やがてすばるが狭い窓の視界から消えたので、今度はワイドビノとMIZAR10*42双眼鏡を持って外に出た。ワイドビノを木星と土星の辺りに向ける。今夜は地平線から天頂部まで、雲がほとんど無い。降るような星空、というのにかなり近かった。ワイドビノでヒアデス星団から木星、土星、すばる辺りを視界に収めた。息が止まりそうだ。なんて凄い星空なんだろう。ヒアデス星団を形作る星々が絨毯のように敷き詰められた上に、木星と土星が星たちの王と王妃のように鎮座している。そしてその上空に王冠のようにきらびやかなすばるがきらめいているのだ。星空の宮廷、星たちのメリーゴーランド、遥か昔に消え去ったはずの星たちの瞬間的な相関が、何百年もたった今、僕の眼前に展開されている。その背後の、ぞれぞれパッとしない小さな星たちも、幾百、幾千、幾万となく、それぞれに精一杯の声をあげている。これらの星がどこからきて、どこに去るのかは知らないが、それらの不可思議な相関が、今この瞬間、僕の目に絢爛たる情景を焼き付けている。
まったく、今夜は寝なければならないのがもったいないほどだった。できれば空が白み始め、これらの星たちが太陽の光にかき消されてゆく様を見ていたかった。きっと泡沫の夢から覚めるような、不思議な想念をかきたてられる事だろう。しかし浮世に生きる会社勤めの僕には、そのような贅沢はなかなか許されるものではない。
アパートの前の道路に立ち、天頂付近のアンドロメダ座を見渡した。数え切れないくらいの星が光っているので、星座を見分けるのが困難なくらいだった。しかしやがてアンドロメダ星雲のひそやかな光を見つけた。200万光年の彼方から、それは確かに僕の網膜に届いている。昔の人は、この奇妙な天体をなんだと考えていたのだろう。
やがて2:00も過ぎたので、渋々寝床に着いた。それにしても、日本一明るい横浜の空でこれだけ感動できたのだから、状態の良い山奥の夜空を見たら即死するね。
デジタルギミック
20:03:00
帰宅して、すぐにgooショップに登録し、ロカティオを発注していた。果たしていつ届くだろう。話によれば数日で届くものらしいが。
しかしロカティオ買ってどうするつもりなんだろうね。ちょっと放浪するのに便利かもしれないが。
音楽
13:02:00
天気:快晴!
オリンピックやらなんやらでなかなか全部を見れなかった今節のみんなの歌だが、やっと全部録画できたので感想を書いておこう。
「むかしトイレがこわかった!」 炎のロッカー梅図かずおが吼える! 木魚のビートが熱いぜ!(爆)
「遠い空」 この季節になると「遠い~」という曲がたいてい登場するようだ。なかなか聴かせます。
「小さな手紙」 御三家でG3Kか。旧Gateway2000が社名を変更してよかったじゃないか(そうか?)。中高年世代のための歌だろうか。まさにみんなの歌。
再放送分は既に見たものばかりなので略。
2000年9月25日(月曜日)
星見
23:55:00
0:00過ぎに空を見ると、薄雲がかかっているものの木星が輝いて見える。GP赤道儀の100EDをC8EXに載せ換え、木星に向けた。
さすがに薄雲がひっきりなしにかかる状況ではさほど明るくは見えず、細部も見えない。主要な縞数本が見える程度だ。しかし辛抱強く見ていると、こんな状況にも関わらずシンチレーションは結構安定している。雲があるのに? でもさすがに濃い雲が現れると見えなくなる。雲は濃くなる一方だったので、この辺で打ち切り。
デジタルギミック
19:00:00
ラピュータの情報を検索していて、面白い製品を見つけた。セイコーエプソンのロカティオという一種のPDAだ。こいつはPalmタイプのPDAにGPS、デジタルカメラを集約したヤケクソのような複合機で、CFスロットまで持っている。これに例えば661Sなんかを接続するとインターネットアクセスまでできるというのだから凄い、というか呆れる。そこまで無理に一体型にしなくてもいいのに。でもちょうどGPSと携行用デジカメが欲しかったので、これはかなりそそられる代物ではある。実際、gooのページで安売りされているのに気づいたときは、これはまずいと思った。衝動買いパワーが満ちてくるのを感じたからである。しかしワイドなアイピースだのG4Macだのニコンのテレコンだのといった物に対する物欲に満ちている今、さらにこんな余計なものに手を出すわけにはいかん! と己に気合を掛けても既に購入の算段をしている我輩である。とほほ。
思考
17:59:00
天気:くもり時々晴れ
オリンピックたけなわ。各地では自国チームの勝利を祈る人々の姿が見られる。などと見てきたように書いたが、まあ概ね間違ってはいないだろう。
祈る、ということに関して、面白い記述を見つけた。どこぞのデザイナーの人が、教育に関わる親の事に関して書いたものだ。その人は海外での暮らしの中で、先進国の人々が子供の教育に無関心なことに驚いたという。その象徴的な出来事として、多くの人が子守唄を知らないということを挙げておられた。
このデザイナー氏は、「子守唄とは結局子供が健やかに眠れるように祈ることだ」と感じたという。子供は大人の思い通りにはなかなかならない。眠らせようとしても思うように眠らずぐずついたり、お話を求めたりする。そこで大人は子守唄を歌う。適当にあやしながら子供のために祈る。子供が寝入ってもまだ歌っている。大人は祈りつづけることで、子供をあやすことからのストレスを免れることができる。このような子守唄は、先進国よりも物質的に貧しい発展途上国に残っている。このデザイナー氏は、日本でも多くの親が子供のお受験などでジンクスを担ぐ様を目の当たりにし、日本ではまだまだこの「祈り」が生き残っていると感じたという。
まあ子供云々はいいのだ。このデザイナー氏の話で面白いと思ったのは、祈りとはままならぬ現実を前に心の平安を保つ方法の一つだ、としたことだ。人はなにかの課題を前に解決を図る。自力で、合理的な解を求めようとする。しかし現実は、必ずしも合理的な解を用意していてはくれない。むしろしばしば不条理としかいえない状況に陥ることがある。宇宙は人間にほぼ無関心だ。そこで太古、人は祈るという行為を生み出したのだろう。解を見出せないまま、その解決を超自然的な存在に委ねる。こうすることで人は最後の最後で責を免れ、心に平安を取り戻すことができる、ということだろう。
しかし先進国で生まれ育った人々(僕もそのグループに入るのだろう)は広く普及した近代的な教育の中で、常に合理的な解を選択するように訓練されてきた。否、世界には常に合理的な解が存在するという強迫観念を植え付けられてきた。しかし厳然たる事実として、僕たちを取り囲む世界には、どうやら合理的な解など滅多に無いようだ。合理、などというものが成り立つのは、一部の人間の偏狭な認識の狭間でしかない。自然現象を前にしたとき、そうでなくとも他者と相対したとき、そこに合理的な解があるという保証は何もない。そのことを先進国に生まれ育った僕たちは忘れがちだ。なぜならば、僕たち先進国の人間は、人間自身が生み出した様々な合理、すなわち科学知識や宗教という体系、あるいは圧倒的な物質文明の真っ只中に生きているからだ。人が設計したビルの中で暮らし、人が施工した水道の水を飲んで生きている間は、僕たちは自分を取り巻く世界が不条理の塊であることを忘れていられる。しかしひとたび地震でビルが揺らぎ、想定しなかったような災害が巻き起こるときに初めて、僕たちは合理というものの限界を思い知ることになるわけだ。
しかし物質的に乏しい発展途上国の人々は、生きる上でこの人間が生み出してきた合理の枠を、日常的に踏み外さざるを得ない。ままならぬ現実と日常的に向き合わざるを得ない。だから彼らは祈るという行為を日常的に遂行しているわけだ。そしてそれは、人間の心の健康を保つための、「合理的」な解決策でもあるのだろう。
僕には超自然的な、しかも人格的な存在などあるはずもないと思えるが、それなのに僕もしばしば祈るのである。しかしいまや祈りの価値は省みられることもないほど下落しているようにも見える。もしも僕たちの周りに祈る人の姿が増えるとしたら、それは今以上に困難な時代の到来を意味すると考えて間違いないだろう。
2000年9月24日(日曜日)
星見
23:55:00
夜、20:00頃の空は曇っていて、星がほとんど見えなかった。こりゃダメだと思っていたが、寝る前の1:00過ぎに空を見ると、なんと雲ひとつない快晴が広がっている。ちょっと観望しましょ。
100EDにUW6.7を着けて土星を見た。シーイングは7/10程度だろうか。シンチレーションは乱れ気味だが、安定した瞬間にはカッシーニの間隙が全周にわたってくっきり見えた。本体の縞も特に濃い1本が明瞭に見えた。
Or7+2.2倍バローで見ると、さらによく見えたが、拡大して見えるという感じで、細部までは見えない。100EDの限界かな。
次に木星。こちらも本体の縞のほか、細かな蛇行の様子も見えた。しかし全体的に薄い感じで、C8EXとの光量の差を感じさせる。
試しに清掃したばかりのツァイスアイピース群で見ると、いままで感じられた汚れによるにじみが、遂に払拭された感じだった。
すばるは窓から見るにはつらすぎるので、ベランダに出て見上げた。しかしここからも屋根にかかってしまうのでかなりつらい。テレスコと10*42双眼鏡で見比べた。テレスコだと淡い光の塊という感じだが、10*42双眼鏡だとすばるらしい星の群れに見える。アパートの前に出てさらに見た。すばるだけでなく、木星と土星の脇に広がるヒアデス星団が、この双眼鏡の視界にちょうど収まって心地よい。小さく、ぎっしり密集したようなすばると、大きくV字に広がるヒアデス星団の対比は見事で、木星と土星込みで全天一の華やかな眺めになっている。
テレビ
22:30:00
今夜のNHKスペシャルは、ようやくオリンピック縛りから逃れての新展開だ。というか通常営業なんですけど。今夜はスーダン内戦とその過程で出た多くの難民の命を支える国連援助活動の話題。
スーダンは北部がイスラム圏、南部が中央アフリカのネイティブ・アフリカ圏と接している。北部にはイスラム化したアラブ系住民、南部にはキリスト教などを信仰する黒人系住民が分布している。これらの人々は、長い間に大きないさかいも無く暮らしてきた。しかし'80年代に北部のイスラム系住民が掌握する政府が、急進的なイスラム政策を推し進めようとしたことから、宗教弾圧を懸念する南部の住民との間に内戦が勃発したのだ。今は南部の広範な地域を拠点とするスーダン人民解放軍と、北部の政府軍とが、南部の都市部を中心に激戦を繰り広げている。以来10年条経過しているが、いまだに終息する気配はいない。
紛争が長期化している背景には、南部に豊富な石油資源が眠っているという事実がある。これが無ければ、あるいは北部のイスラム政権も、南部の住民にある程度の自治を認めることで終息したかもしれない。しかし石油資源が存在する以上、南部の住民の自治をびた一文足りとも認めるわけには行かなくなったのだろう。
南部でゲリラ戦を繰り広げるスーダン人民解放軍にも問題がある。彼らが非常に精強ならば南部を完全に掌握することで内戦をこう着状態に持ち込めた可能性がある。しかし装備に勝る政府軍に対して都市周辺でのゲリラ戦を挑むしかなく、また南部の全ての部族が解放軍に同心しているわけでもないため、十分な掌握が出来てないのだ。その結果、南部では熾烈な殲滅戦が延々と続くことになり、都市を追われた住民や、農地の耕作が不可能になった農民が難民化し、食糧事情が極端に悪化しているのだ。そして彼ら難民の命を支えているのが、国連による食糧援助活動だ。
国連は周辺諸国から、トラックを使って直接食料を難民キャンプに送り込んでいる。その輸送を請け負っているのは、なんと周辺諸国の民間業者だという。この仕事は非常に報酬が大きいので、危険に関わらず請け負っているという。実際、トラック群が行く道は地雷が敷設されている可能性があり、また正体不明の武装勢力による攻撃がしばしばあり、コンボイに死傷者が出ることも度々だという。人民解放軍はこれらのトラックの通行料などを徴収するが、身の安全を保障するわけではない。また政府軍機もしばしば空爆を繰り返すので、四方八方に危険が満ちているといっても過言ではないのだ。
こうした援助活動は、実は飢餓の長期化を帰って推し進めるという主張がある。番組中でも住民の依存心が強まる一方で、自立する気持ちが薄れていることが描き出されていた。またこうした無償の食糧援助は、これらの地域本来の商業活動を効果的に破壊してしまうという指摘もある。いつぞやの他の番組での話だが、ノーベル賞受賞者の経済学者、セン博士が、「飢餓は食料全量の確保が足らないためだけではなく、流通がうまく機能してないためにも起こる」と話していたのを見た記憶がある。そのような目で見れば、例えばベトナム戦争中でさえもベトナムの農民は危険と隣り合わせのまま食料を生産しつづけていたのであり、その結果ベトナムでは餓死者が出るような飢饉はあまり見られなかった。問題は農民が危険を冒してまで農事に従事できる動機をもてるかどうかだ。そしてさらに効率的な流通機構が整っていれば、これほどまでに深刻な飢餓が長期化することも無かったのではないか。国連の配給する無償の食糧は、農民に死ぬ気で農作業を実施する動機を奪い、さらに戦地での脆弱な流通機構を破壊してしまっているという可能性は否定できないように思う。
しかし僕だって砲弾が降り注ぐ中での農作業はゴメンだし、実際に飢えている人がいるのに「自分で何とかしろ」とはいえない。難民たちの気持ち、そしてその救援活動に従事する人々の止むに止まれぬ気持ちも良く分かるのだ。
なんとも割り切れない気持ちだが、この紛争は結局どちらかの勢力が強大化するか、あるいはこれらの土地の価値が下落するかしないと終息しないだろう。煮え切らない紛争を前に、「国連軍の強化」という甘い夢を主張する人々の気持ちも、あながち分からないでもないような気がする。
星見
17:53:00
天気:雨かな晴れかな
安全週間だからというわけでもあるまいが、アパートの各室の警報機をチェックするという。先週のうちにその旨が通知されて以来、なんとなく土日はピリピリした空気に包まれていた。部屋の中が散らばってるからなあ。人と会うときも必ず相手方に出向いていた小心者の俺様だった。まあ来るものは仕方ない。カオスに極みにある我が部屋を突貫工事で片付けた。
検知器の検査にやってきたのは、50代と思しき実直そうな男性で、我がマシン群を見て「私らもこういうの(コンピュータということらしい)をやらないといかんのですが、講習料が日に5万円もかかりましてねえ」と愚痴る。日に5万はぼり過ぎかと思ったが、講師を呼ぶ場合ということらしい。僕らの業界でも、JSPだのソフトウェア信頼性だのといった講義を外で受けるとなると、やっぱり数万円かかるよなあ。しかし無理してコンピュータを導入することもないだろうとも思った。あれば確かに便利ではあるけれど、よほど凝ったマクロを利用しない限りは、Excelで作るのとワープロの表計算機能を用いるのとで、データの管理という意味では大差ない。
おじさんが帰った後、部屋が随分広くなった感じがした。いやまあ、ある意味では広くなったのだが。おのれがいかにこまめな整理に向いてない性格かを思い知らされるようだ。誰だ、血液型と性格が相関するなんて妄説を流した奴は。
せっかく広くなったのだからと、最近万年床状態だった(これがいかんのか)布団を片付け、広々としたスペースでレンズの手入れ。古代のツァイスサイズの4個は、何度か手を入れるうちにだんだんきれいになってはいたが、いまいちくもりが取れない。そこで以前手に入れていたカメラ用レンズクリーナ液と、昨日買ったブロワーでさらなるお手入れを実施したわけだ。
最初は望遠鏡本体に手を入れる。先端にある2枚ガラス構成のレンズを外し、クリーナー液で丁寧に洗浄する。長い間にこびりついた脂がきれいに取れた。コーティングも何とか無事だ。鏡筒表面の汚れを洗い落とせば、やっと見た目も良くなるだろう。
残るレンズ群も分解し、これもクリーナーで洗浄し、ブロワーでほこりを飛ばしておいた。次なる課題は、63mm径のこの望遠鏡をGP赤道儀に載せるアダプタを入手することだ。またスターベースででも相談してみるか。
2000年9月23日(土曜日)
テレビ
23:55:00
今日も今日とてオリンピックばっか。23:00からの国宝探訪でようやく一息つく。
今夜は兵庫県にある浄土堂というお堂を取り上げた。このお堂と、そしてそこに収められている3体の仏像が国宝に指定されている。この寺は鎌倉期の東大寺再建に功があった僧、重源の建てたもので、再建資金に充てる浄財を募る際に建てられたものだ。重源はそこで戦乱に苦しむ民衆の声を聞き、当時信仰を集めていた阿弥陀菩薩の来迎をこの目で見たいという願いが大きいことを見抜いた。そしてまさにその阿弥陀来迎を再現してみせた巨大ジオラマが、この浄土堂なのだ。
重源は宋に渡ること三度という。その宋で見聞した新しい様式を取り入れて建造したのが浄土堂であり、弥勒菩薩像だったのだ。
浄土堂は外光を巧みに利用している。夕暮れ時、西日が差す頃に西側から外光を取り入れると、その暖色の光が黄金色の弥勒像をまるで後光のように照らし出し、荘厳な光景を作り出す。番組中登場した建築家は、建物と菩薩像がせめぎ合っているという。建物を設計したのは重源だが、弥勒像は各地の仁王像に名を残す運慶の作だ。信仰心に裏打ちされた技術が、気迫のこもった美を後世に伝えることになったのだ。僕もいつかは、夕暮れ時に沈んで行く弥勒像を眺めに行きたいものだ。
暮らし
17:51:00
天気:くもり
なにせなにもしない日と決めているので、本当になにもしない。一日中ボーっとして、後は昼寝するだけ。あ、本でも読めばよかった。しかし本当になにもしないと、何も書くことがないのである。
2000年9月22日(金曜日)
デジタルギミック
19:49:00
天気:雨っぽいけど曇り
昼頃に秋葉に向かった。買おうかどうしようか迷ったのだが、結局は買いに行くことにした。
昼頃、などと書きながら実は15:00を過ぎていたので(滅)、到着は16:30だった。
今日ばかりは天文関係のショップに寄る積もりはなかった。今日寄ると、またしても高価な広角アイピースを買ってしまいそうで。今月分の給与は残業がガタッと減ってるから、結構ピンチだったりする。といいつつラピュータなどという玩具を買ってしまう破滅型人生の俺様であることよ。
若松の地下に降りる。ラピュータは相変わらず山積みである。売れてないのか、補充しているのか。ここで「あった!」などと飛びつくと「まんまとかかりやがって」と店員が冷笑すること請け合いだ(ほんとかよ)。そこで秋葉慣れした俺様は、まずはその周辺を物色し、あたかも意外な掘り出し物があったかのような顔をして、ラピュータをレジに持ち込んだ。しかしこの方法を少量しかない商品に対して使うと、この隙に買われてしまうことがよくある(滅)。ここではさらに代替フロン使用のブロワーも買って出た。
時間的にもよいので先週のトンカツ屋に寄ろうかとも思ったのだが、気分的に鍋したいと思ったので今日はやめ。裏秋葉でドトールこいて帰った。
帰宅して早速ラピュータのセットアップだ。さすがに小さい。なにせ腕時計サイズなのだ。これでも16ビットのプロセッサに、128KBの主記憶、2MBのフラッシュメモリを持つコンピュータなのだ。構成的にはパーソナルコンピュータのそれとそっくりだ。初代PC-9801並だろう。
プリインストールされているのはスケジューラ、アドレス帳、メモのリーダ、ゲームなどなど。2MBはほとんど空いている。起動するとファイラが立ち上がり、ここからプログラムを実行したり、それと関連付けしたファイルを読み込ませることが出来る。動きは少し鈍い。しかし肌身離さず持ち歩けるPDAとしてはいい線行ってるかも。
この
ラピュータのWebページを見ると、基本ソフトがいろいろアップデートされている。それらを入れ換えるついでに、ユーザ作成のソフトウェアもダウンロードする。ランチャーは必須だし、フリーセルも同じくだ(爆)。かなり楽しめそうだ。
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