Strange Days

2001年01月27日(土曜日)

大雪ですな

20時50分 暮らし 天気:雪

 一個人の精神状態に関わりなく、冬は深まって行くのである。今日はやや、というかかなり回復した感じ。これはもう開き直って、「眠れないときは眠らないのだ、眠りたいときに眠るのだ」と思い切ったからであろう。休日はこれでいいのである。
 今朝も今朝とて、ほとんど夜明けまで起きていた。しかし昼前には起きだし、これからのスケジュールを思い描いたのである。語尾の「ある」ってのがうっとうしいのである。しかしなんだか文体がしまって見えるから霊験あらたかではある。
 それにしてもたまげたぜ。朝方に外を見ると、もう雪がどっさり降り積もっているではないか。しかも、昼になっても降り止む気配はない。むしろ、ますます激しくなっている。これは、うかつに外出すると遭難するぞ......。温暖な瀬戸内育ちで、暑さにも寒さにも脆弱は俺様は危機感をおぼえた。今日は出るのよそうか。少なくとも、これで秋葉に出るのは自殺行為だ。東海道線がいつ止まるか知れたもんじゃない。
 では横浜にしておこうかと、横浜近辺のPCショップを調べてみた。パーツ屋としてはT-Zoneがあったが、既に閉店している。しかしDOS/Vパラダイスがあるではないか。というわけで早速出かけた。
 外に出ると、今まさに大雪真っ盛りという感じで、強風と雪に吹きつけられる羽目になるのだ。買って1年も経ってない傘だが、この近辺の強風にやられて、もう骨はボキボキである。やけくそで傘を畳んで駅まで歩いた。駅に着いたときには帽子も、コートも雪で真っ白だった(爆)。こういうこともあろうかと、今日はいつものコートではなく、羽毛入りの撥水加工したモノを着てたのだ。
 横浜駅周辺も雪で凄いことになっていた。そのせいか、戸外の人通りは少なめだ。しかし屋内の人通りは相当のものだった。元気なもんだ。
 DOS/Vパラダイスはハンズの手前、花屋の奥にある。ここでサイレンサータイプの電源と、45GBのHDD、256MBPC100のメモリ二つを買って出た。便利な店だ。更にハンズで金属鋸、ワイヤソーなどを買って帰った。これで準備は万端......なはずだ。

2001年01月26日(金曜日)

鬱です

22時49分 暮らし 天気:くもりですか

 昨日の今日だが、まだ回復していない。体と心が非同期に、バラバラに動いている感じがする。夜、寝床に横になると、なぜだかなぜか動悸が高まり、あっという間に眠れなくなるのだ。アルコールの助けを借りても無駄なことだ。眠りが浅く、目覚めても眠った気がしない。駄目駄目状態充填120%なのである。ドリルミサイル以外には無敵状態なのである。このところの毎朝恒例の頭痛が考える気力を奪ってしまうのである。というわけで、今日もお休み。
 休んだところでやることなんかありゃしない。無気力に画面を見つめているだけなのである。ゲームをやってものめり込めない。なにかと興味が続かない。そりゃあ元々虫けら並の注意持続時間(ギブスン風)の持ち主ではあるけれど、今はほぼ量子時間程度の気力しか続かないのである。要するに駄目なのである。こういう時になにをしても駄目なので、ひたすら布団で妄想に、それも全く浮き世離れしたそれに励むのである。せめて星でもみれればいいのだが、この天候では望むべくもない。という未曾有の精神の危機にさらされながらも、なせか駄文だけは書き続ける俺様なのである。ああ、まったりと日が暮れて行く。

2001年01月25日(木曜日)

もしかして、これは......

22時47分 暮らし 天気:雨ですな

 最近、体調が優れない。一日中体に倦怠感がみなぎっており、特に朝方は頭痛がすることもある。なかなか寝つけず、寝入ってもすぐ目覚めてしまう。こんな状態なのに、朝方起床時間より早く目覚め、それっきり寝つけなくなる。時々、意味もなく動悸が高まる。また何ごとにつけ好奇心が減退している。それと、性欲も減退して、今年に入ってそっち方面はごぶさただ。と、これらを列記して気づいたのだ。これって鬱病の症状そのものではないかいな。特に睡眠障害なんて、鬱病の顕著な特徴である。
 ううむ、やばい。いろいろ思い当たる節はあるのだが、なにも今こうならなくてもと思うぞ。も少し暇な時に鬱になってくれれば。って、多忙がストレッサーの一つであることは間違いないだろうが。
 仕事中にも動悸が昂進し始めたので、これはあかんと思い医務室に相談しに行った。一応、話を聞いてくれて、原因が病的なものか、精神的なものか分からないので、動悸の症状を自分で観察してくれといわれた。不整脈があれば疾病による可能性があり、そうでなければ精神的なものである可能性がある。というわけで昼に早退して(仕事にならん)、しばらく動悸の観察に務めた。今のところ、不整脈らしきものはないので、どうも精神的なもののような気がする。
 まだ素人判断なので決定できないが、鬱病だとするとしばし薬物投与を受けることになるだろうな。最近はかなり高性能の抗鬱剤があるので、効果が大きいらしい。というか、鬱病はヒトの精神感度の問題でもあるので、それを緩和してやることが症状の緩和に繋がるということらしい。一方、ストレッサーの解消も図らなくてはならない。こちらはまあしばらく業務内容を変えるということになるのだろうな。
 まだ多くの不確定要素が残されてはいるが、いろんな意味で無理の出来ない局面に立っているような気がする。

2001年01月21日(日曜日)

ローテーブルで鍋

23時38分 暮らし

 帰宅して、早速3モードFDD取り付け、といいたいところだが、PCを開けるのが面倒なので来週末くらいに見送った。その代わり、昨日届いていたローテーブルを我が定位置の横に設置した。これで食事しながらゲームできる。とりあえずTP235を載せて、そこにマウスとHHKを接続、試しにDOOMを起動すると、ちゃんとプレイできた。DOSゲームはこいつに任せりゃいいか。
 寄せ鍋を作り、このテーブルで喰いながらゲームをする。うう、食が進まないのでこれは止めた方が良さそうだ。
 さらに、今日買った辞書パックをインストールしてみた。これは便利だ。辞書一冊でも2000円は超えるのに、2500円でこれだけ付くというのは良い。問題はライセンスだが、何も書いてないんだよね。
 というわけで、いろいろやったのかやってないのか分からない週末が、またしても過ぎてゆくのであった。

雪を踏みながら

20時36分 暮らし 天気:くもり

 昨夜の降雪がまだ近所には残っている。朝方、外を見ると、隣近所の屋根が真っ白になっていた。雪が振動を吸収するのだろうか、なんだか随分静かだ。道路を見ると、早くもぬかるみ始めている。
 昼過ぎに今年最初の秋葉に出かけた。太い道路は既に乾いていたが、日陰の細い道にはまだかなりの雪が残っている。この寒さで、日陰の雪はなかなか解けないようだ。
 今年最初の秋葉は、驚くほど人出が少なかった。年末の殺人的人出の反動だろうか。もうすぐ期末なので、また人出は回復するだろう。
 今日の目当ては3モードのFDDドライブだ。なんでそんなものが要るのかといえば、久しぶりに98ゲームをやりたかったからである。98というのはもちろんWindows98でもPC98スペックでもなく、NECのハードウェアPC-9801シリーズのことだ。僕がPC(というのはこの場合はIBM-PC/AT互換機のこと。全くややこしいな!)に移行したのは、確か'92年の事だった。って自分でメモしてるんだから確認しろよな。確かに本格移行は'92年ですな。だがそれまでの4年間、さらには移行後の'95年頃までは、ゲームの世界ではまだまだPC-98優勢だったのだ。だから手許には、いまだに大量のPC-98ゲームが残っていたりするのだ。その中のいくつかは、いまだに時折プレイしたくなる。ソーサリアンはWindows環境に移植されたが、マイナーすぎるくらいマイナーなリングマスターは絶対移植されないだろう。
 それら98ゲームをプレイするにはどうすればよいのか。一つは実家に送ったPC-9801を送り返してもらうことだ。だがアレは場所を取るし、さらにいえば今のPCからいちいち離れ、別の機械でプレイするのは面倒に過ぎる。
 しかしである。世の中にはやるべきことをやっている人がいる。今、PC-9801エミュレータを作成している個人/団体がいくつかあるのだ。マシンパワーが圧倒的に向上したし、さらにPC-9801のハードウェア解析も盛んだったので、その気になれば個人レベルでも作れる状況になっているのだ。それらのエミュレータの中には、PC-9801のBIOS吸出しが必要なものがある。必要でないものもある。しかし共通しているのは、まずはPC-98ソフトのディスクにアクセスできなければならないということだ。その為には、PCに3モードFDDを取り付ける必要がある。価格的に高いものでもないので、まずはそれを買おうという気になった。
 秋葉に出て、電気街口から出た。去年の年末から進めていた改札のレイアウト変更が完了したようで、人の流れが幾分整理されてきたような気がする。絶対的な能力が低いので、焼け石に水かもしれない。
 九十九本店から若松地下にかけて歩いてみた。お目当ては、以前から流通しているトムキャットのパッケージなのだが、それは見当たらない。若松の地下では、滅多やたらにTP760関係のオプションが目に付いた。
 モノは俺コン本店で入手した。しかし俺コンって、なんだってあんなに客の捌きが悪いのだろう。一人の客が会計を済ませるまでに、数分を要している。
 さらに、ちょっとした気まぐれで、T-ZoneパーツショップでHHK(Lite)を買う。個人的に、あまりに整理されすぎたキーレイアウトは幸せになれそうに無いが、この小ささは魅力なので買った。
 俺コンからZOA方面に向かう路上に、中古のパソコンやらソフトやらを並べて売っているところがある。ここで広辞苑V5、漢和辞典、英和、和英辞典、現代用語辞典がパックになったCD-ROMが2500円で売られていたので買ってみた。モノはFM-Vの付録品らしいが、いいのかなー、ライセンスは......。
 帰路、スターベースを冷やかす。店頭にあったアストロノーマー22*60をのぞいてみたが、非常に精密な見え方が印象的だった。ああ、なんだか双眼鏡地獄にはまりそう。
 それから昭和通側のドトールで一服し、帰宅した。

2001年01月20日(土曜日)

雪です

23時32分 暮らし 天気:雪だっ!

 体力がげっそり落ちてしまった。今朝も今朝とて5:00という変な時間に起き出してしまい、午前中一杯はぼんやりしていた。と思いきや、突然荷物が届いたりする。先週注文していたローテーブルだ。組み立てる体力は無さそうだ。しばし放置する。
 また真っ昼間に寝入り、夜起き出すと、なにやら異常に寒い。寒気が布団の間から入り込んでくるようだ。外を見てみると、なんといつの間にやら一面の銀世界に変わっているではないか。そういえば、なんだか外でシャリシャリ音がすると思っていたのだ。22:00頃、食事のために外に出ると、雪を踏みながらしばし歩いた。こんなに雪を見るのは何年ぶりだろうか。

2001年01月19日(金曜日)

風邪がキてます

22時28分 暮らし 天気:曇ってます

 風邪がいっこうに治らない。昨日の夕方から昏々と眠り続け、のどの渇きと空腹をいやす以外には寝てばかりいた。朝になってまた起き出してみたが、まだ熱があって、脱水症状を起こしており、異常な気怠さがある。咳は出ないが鼻水が出る出る。会社に今日も休む旨電話して、あまりにも気持ち悪いので風呂を沸かして入った。
 起きて、お茶を飲みながらPCで遊ぶ。というか、ほとんど椅子に沈み込んでぼんやりしているだけで、夕方にはまた寝入ってしまった。こういう断続的な寝方は後に響くので、本当はきっちり寝たいのだが。

2001年01月17日(水曜日)

やられましたか

20時24分 暮らし 天気:晴れみたいですよ

 ううむ、どうも調子が悪い。朝方から時々動悸が激しくなり、また全身に非常なだるさがある。なんだか不安だ。ここ数日のあまりの寒さに脳みそがシャーベット状になってしまったのか。それはそれでなんとなく爽快そうな雰囲気があるが。
 しかしいちだんと悪化したのは、帰宅してすぐ飯を喰らい、ふとんに横になってからだった。頭痛が激しくなり、体が動かない! 休んで悪化したとは、なんとも難儀なものだ。
 雰囲気的には風邪のようだ。咳は出ないのでインフルエンザではないようだが。ううむしかし、つらいのである。

2001年01月14日(日曜日)

いろいろ荷物が届く

11時15分 暮らし 天気:晴れだけど寒い!

 朝方、宅急便の人にたたき起こされた。持ってきたのは実家からの荷物だった。この間帰省した時、母がなぜかハーフコートを買ってくれて、それからいろいろパジャマだのなんだのと買って送ってくれたのだ。なにか、帰省した時の格好が、よほどみすぼらしく見えたらしい。いや、そんな金に困っているわけでもないのだけれど。まあありがたく頂いといた。っていうかほんとに自分では服を買わない人間なので、こういうおせっかいは結構ありがたかったりするのだ。なにせ末っ子だし、一番早く手許を離れたので、なにかと気になっているようだ。母ももう70。いつまで元気で居てくれるだろうか。

2001年01月13日(土曜日)

オフでした

23時03分 暮らし 天気:晴れ(寒い)

 この業界(どの業界だ)では"オフ"といえばオフライン・ミーティングというモノを指示する。考えてみればおかしな言葉だ。世の中みんなオンラインでつながっているのかといいたくなる。日本人にとってはメールといえば電子メールのことを指示するが、英語圏の人々にとっては当然物理メールのことを指す。それと同じように、恐らくは日本特有のジャーゴンなんだろうな。いやそんなことが分かっても何の得にもならないが。
 ともあれ(意味ねえ前ふりだ)、そのオフに今日も出撃した。今年の初オフで、久遠氏の呼びかけで新年会をやろうという目論見だった。輝かしい新世紀最初のオフだ。さぞかし参加者が多いだろう、と思いきや、何の事はない久遠氏、はるだぁ氏、そしてこの竹本というむやみに濃厚そうな面々のみが集まった。他の皆さんは、たまたま他の新年会に当たったとか、単に反応がなかったとかいったものが多い。これは久遠氏の人望の無さを表しているに違いない、と密かに思う俺様だった(っていうか自分の人望はどうよ?) 今、ふと思ったのだが、久遠氏は大阪だとか、札幌だとかいった遠隔地の人間にむやみに人望があるような気がする。一種の観光地人間なのかもしれない。富士山のように、遠くから拝むのが一番良いのかもしれないな。ってそれって人としてどうよ?(爆)
 まあともあれ、話して楽しい久遠氏と、一見寡黙だが一言一言が深いはるだぁ氏、かつて一世を風靡したうなずきトリオの流れを汲む俺様の約3名が、横浜の街に集結する事になった。
 集合時刻は17:00。その直前に集合場所のファーストキッチン(ビックカメラの正面)に着くと、すでにはるだぁ氏が待っていた。はるだぁ氏と暴走族がうるさくてねえ、などと話しているうちに、集合時刻を10分ほど遅刻して久遠氏が登場した。まさかファーストキッチンで新年会というわけにいかず、適当な店を求めて歩き出した。
 誰もが横浜に縁があるので、適当な店を誰かが知っているだろうと思っていた。ところが久遠氏はこの界隈に最近縁が無かったようで、またはるだぁ氏の記憶はかなり前のもの、そして最近通っているはずの僕は夜の街を知らないと、それぞれ肝心なところでいまいち頼りにならない。それでも、まあ大体繁華街の位置は分かるので、はるだぁ氏の記憶を頼りに店を探し、適当な焼肉屋が出しているしゃぶしゃぶ食い放題の看板を発見、そこに決めた。
 まだ18:00にもなってないので、店内には我々だけだった。よほど寂れている店かと思ったのだが、店は清潔で、また次第に客が増えていった。早すぎただけのようだ。
 ここでしゃぶしゃぶを食らいながらいろいろ話したが、例によってほとんどおぼえていない。メモしながら話せばよかったかもしれないが、まあそこまでして残すようなものでもないだろう。
 しゃぶしゃぶは90分だったので、19:00前には店を追い出されてしまった。結構お安く済んだ印象がある。
 さて、難民と化したおやじ三人は、おやじ狩りに遭う危険におびえながらも新天地を求めてさまよう。まだ時間が早かったので、とりあえず川沿いの映画館の1Fにある珈琲ショップに入った。ここで珈琲1杯で2時間近く粘るという暴挙に出た。迷惑な客だ。ここで久遠氏の新兵器、CASIO LV-10をしげしげと眺めた。1万円以下という超低価格デジカメで、VGAサイズの画像を内蔵メモリに貯蔵し、USBで転送するタイプだ。フラッシュを内蔵し、それなりにお得そうな印象がある。しかしアフタービューできないのは痛いな。またシャッターが下りたかどうかが電子音でしか知らされないというのも痛い。なるほど確かに便利そうだが、3万出して旧機種を買った方がいいように思った。
 この店でもまた喋くること2時間弱。さすがに閉店の時間となって追い出された。
 再度放浪する我々が見出した最後の地は、駅前の大通りに面した純喫茶店だった。まさか、横浜駅前にこんな店が生き延びているとは思っても居なかった。きっと、店主の趣味かなんかだぜ。なにせ、同種の店であるルノアールのように値段が異常に高いわけでもなく、ケーキセットで600円というところだ。
 ここでもいよいよ話が弾む。バンダイが出すというザクの話題や、70年代の狂気のような漫画、アニメを体験した我々にエヴァはなんというものでもない、などといった話題が飛び交った。いやあ、ザクは欲しすぎるぜ。
 さすがにここでお開きとなり、22:00の横浜で三々五々帰宅していった。今回もお安く楽しめた。

2001年01月12日(金曜日)

なんだか今週は長かった

20時02分 暮らし 天気:晴れてますよね?

 なんだか今週は長く感じられた。長い休暇明けともなると、体が休暇体質に変わっているわけで、それが出勤体質に変化するまで最大96時間(当人比)かかるのだ。今週は月曜日が謎の移動により成人の日になったので、実質四日間の出勤で済んだのだ。ところが、その間は出勤体質への移行期だったので、夜は目が冴え、昼は眠いという地獄のような生活になったのだ。いやもう、いきなり休みたいと思ったね。
 そんなこんなで今週を過ごし、ようやく出勤体質に変わったかなと思ったらもう休みだ。来週まで後を引かねば良いが。

2001年01月09日(火曜日)

仕事始め

22時57分 暮らし 天気:くもりかな、雨になりました

 今日から会社に出勤するのである。気分は朝から萎え萎えである。しかし行かざるを得ない。
 会社では世話しているマシン群の再起動を行ったが、HPのUNIXワークステーションが起動しない。調べてみると、モニタが逝ってて、その影響で起動シーケンスの途中で停止していたらしい。応急で別のモニタに繋ぐと、なんということもなく立ち上がった。この機械、起動中にモニタの情報を見て、それからコンソールを起動しているようだ。面白い機械だ。こういうときに困るのだが。
 夜はさっさと帰宅した。今夜半から明日未明にかけて、今世紀初の皆既月食が見られるはずだが、あいにくの雨天でそれは果たせそうにない。おとなしく寝た。

2001年01月08日(月曜日)

初雪

17時51分 暮らし 天気:雪

 昨夜から雪が降り始めた。なんかシャラシャラ音がするなあと思って、夜中に外に出てみると、周囲の家の屋根が白いでやんの。一昨日の夜は気温が氷点下に下がって寒かったが、雪が降り出すと凝結熱のおかげでかえって暖かくなる。でもしばらくはコートを手放せそうに無いし、夜の星見も厳しくなるかもしれない。

2001年01月07日(日曜日)

七草粥

23時56分 暮らし

 昼頃、ふとPHSに目をやると、なぜか実家の電話番号が表示されていた。実家から掛かってきたのかと思い、電話してみると、母はそんな憶えが無いという。恐らく、再ダイヤルボタンが入ってしまい、番号だけが表示されていたのだろう。
 その時に、母が「七草粥でも食べんさい」といった。確かに、昨日パックが売られていたっけ。そんなわけで、鍋は休んで七草粥を作った。パックの七草を買って、まずは緑が鮮やかになるように茹で、水に曝し、粥に放り込んだ。味付けは微量の塩のみ。
 ビールを飲みながら平らげたが、昨日の暴食の後だけに気分がいい。しかし、やはり一人で食うには少し多かったようだ。半分の量を、適当なおかずと食うと良いのかもしれない。
 ともあれ、気分的にも正月は終わった。

年初の横浜へ

17時46分 暮らし 天気:かなり寒い曇り

 ちょっと横浜に出かけた。ハンズで少々お買い物をしたのだ。午前中に出かけたのだが、そのせいか案外に人込みは少なく、楽に歩けた。ハンズに入り、1階ずつ見て回った。むやみに物欲が刺激される店だ。しかし今日は必要なものしか買わなかった。
 まず湯飲みとポット。ほんとは湯飲みと急須を買うつもりだったのだが、紅茶も結構淹れることも鑑み、紅茶用のポットを買った。まあ構造的に近いので兼用できるだろう。さらにコーヒー用のポットも購入した。別のフロアではロータイプの机を購入したが、物が無く後日届けてもらうことになった。
 そのまま帰宅し、眠いので爆睡した。どうも昼寝の習慣がついてしまったようだ。

2001年01月06日(土曜日)

ぼんやり一日を過ごす

22時44分 暮らし 天気:晴れっぽい

 帰省して疲れたので、終日ぼんやりと過ごした。別に実家で疲れることがある訳ではないものの、行き帰りの新幹線でやはり疲れてしまうのだ。どうしても往復35000円以上掛かるしで、大変な事業なのだ。
 それならそれで、部屋の片付けでもすればいいのだが、そういう気力が湧かず、Diablo2で遊ぶばかりだった。そういう気力はあるのかっ。
 夕方、鍋でもするかとヨークマートに買い物に出かけたら、春の七草がパックになって売られている。そうか、明日は七草粥をむさぼり食らう日なのだ。でも今日は鍋したかったので、とりあえず買わずに帰った。
 鍋を作り、NHKスペシャルを見た。画家の平山郁夫氏が奈良薬師寺に寄贈した7枚の絵を巡る物語。
 詳細は後半が放映される明日にまとめて書こうと思う。鍋はうまかった。やはり水の澄んだ(気がする)冬場に作る鍋は、夏場の鍋よりうまい(というか、ふつう夏場に作らないと思うね)。が、鍋を全部平らげたら腹がパンパンになって苦しい(x_x)(バカだ)。呻吟しながら布団に横になり、国宝探訪を見ていたが、意識が途切れがちであった。ううむ、スーパーの食材を買い集めると、最低限この量になるのだが。現状は2日に分けているのだが、これを3日に分けたほうが良いのだろうか。

2001年01月05日(金曜日)

横浜に帰る

23時43分 暮らし 天気:くもりですかねえ

 今日、横浜に戻ることにした。10:00頃に実家を出て、昼過ぎには新幹線に乗っていた。呉駅で指定席を取って置いたのだが、案外に自由席は込んでいたようだ。取って置いて良かった。
 新幹線の車内ではシグマリオンに向かってたまっていた日記をぼちぼちとつけた。どうも、休みの日となると日記を書く気がしなくなる。
 列車が大阪に差し掛かった辺りから空模様が怪しくなってきた。そして列車が京都を過ぎ、関ヶ原に掛かった頃から、辺り一面の雪景色に変わった。吹雪いている。あまりの豹変ぶりに唖然とした。吹雪により列車が徐行運転するほどだった。いやはや、日本って気候の変動が激しい国なのだな。
 やがて列車は名古屋を過ぎ、太平洋岸に出た。名古屋辺りまでは雪の白さが目立ったが、豊橋辺りまでくるとそんな気配は微塵もなくなる。やがて静岡を過ぎ、進行方向左手に夕闇に沈み切る寸前の富士山が見えてきた。本当に、背景に融けきる寸前という時刻だった。
 やがて新横浜に到着し、疲れ切った体をアパートまで運び込んだ。来週にはまた同じ日常が始まる。

2001年01月03日(水曜日)

宮島へ

21時28分 暮らし 天気:曇り時々晴れ

 珍しくも、9:00に起きた。今日、宮島は厳島神社に出かけるつもりだったのだ。もっと早く出ようかと思っていたが、なんだかんだで10:00に出発した。
 宮島口までは電車で直接行ける。というか、JRの連絡船があるので、宮島までの切符を直接買えるのだ。運良く呉線経由岩国行きに乗ったので、宮島口までは本当に直接行けた。そこからフェリーに乗って海を渡る。船に乗るのは久しぶりだ。いやはや、本当にどれくらい昔に乗ったのが最後か、いますぐには思い出せないくらいだ。あれも確か宮島行きで、かれこれ10年以上前のことだったろう。
 まだ正月三が日の内ということで、フェリーは客室もデッキも人であふれ返っていた。僕は海を見たかったのでデッキに立っていた。寒風に吹かれながらE950をうならせる。宮島近辺の景観も、なんだか妙に小ぎれいになってしまった。やがてフェリーは桟橋に着岸し、僕は宮島に上陸した。
 桟橋から厳島神社へと向かう道沿いに、たくさんの商店が軒を連ねている。僕はコンビニを探したのだが、なんだか無さそうだ。弥山に登るつもりだったので、途中でカロリーメイトでももぐもぐしようかと思ったのだ。商店会の取り決めかなにかで出店を拒否しているのかもしれない。そうだよなあ、今時の若いもんは割り切ってコンビニ弁当で済ませてしまいそうで、地元の飲食店が客を奪われるかもしれないから。
 ともかく、ないないと思いつつ歩いているうちに、やがて厳島神社に到着した。かなりの人混みで、特にツアー客が多いようだ。干潮時だったので、大鳥居は砂の上にポツンと全身を現している。本殿に差し掛かると、なにか祭事があったのか巫女さんの群が引き上げてくるところだった。御子さん属性の方々には堪えられない光景に違いない(なにがだ)。
 さて、厳島神社の参拝も済ませたので、弥山征服に乗り出した。まずは紅葉谷公園からロープウェイで中腹を目指すのだ。ロープウェイまでは結構歩く。その道すがら、なにやら不穏な兆候が散見された。茶屋を通るとき、やはり登頂されようというのだろう初老のご夫婦が、茶屋のおばさんと言葉を交わしている。そこで「風で運行中止ですか」という言葉を耳にしたのだ。むむ、まさかそんな......。果たして、ロープウェイの駅に着くと、出迎えたのは無情にも『強風により運行中止』という看板だった。すごすごと引き返さざるを得ない俺様だった。
 さて困った。午前中に上陸したのは、弥山登頂を見込んでのスケジュールからだったのだが、これでは大幅に時間が余ってしまうではないか。そこで予定変更。今日は寄るつもりが無かった水族館に立ち寄ることにした。
 水族館も家族連れですごい混雑だった。客観的には小さな建物なのだが、構造の妙か結構広く感じられる。規模的には名古屋市水族館の半分くらいだろうか。楽しみにしていたラッコは、なんと鳥羽水族館に嫁入りしてしまったという。許すまじ、鳥羽水族館(爆)。その代わり、カワウソが仲間入りしていた。一瞬たりとも静止しない、世にも忙しない生き物だった。
 ざっと見て回ったが、深海魚がいないのが残念だ。そのかわりというか、回遊魚の類は豊富で、特に円形水槽ではハマチやブリなどおいしそうなところが跳ねていた。別の大型水槽では、スナメリクジラが遊んでいる。なかなか愛嬌のある奴だ。
 屋外に出て、ペンギンの群やトドを見た。トドはでかいでかい。しかし番の雄の方は水に潜ったきり、呼吸するときだけ顔を上げる程度で、全く動かないでやんの。
 そのうちにアシカのショーが始まったので、童心に帰って見た(爆)。お姉さん、楽しそう。
 まだ15:00前だったが、そろそろ帰宅することにした。帰路、広島駅ビルで遅い昼食としてお好み焼きを喰らった。やはり豚玉うどんに限る。
 今日はそれなりに充実した気分で帰宅した。

2001年01月02日(火曜日)

兄一家来襲

20時24分 暮らし 天気:くもりっぽいかなあ

 兄が実家に子供を連れてきた。女の子二人は破壊力抜群で、相手をしていた長兄が散々な目に遭わされたようだ。
 その時に、兄に以前あげていたKODAK DC210が活用されてないことが判明した。というのは、僕が後で送ると約束していたPC接続キットを、まだ送ってなかったからだ。わはは、僕のせいでした(爆)。
 今度こそ送ると約束して、兄は疲れた身にむち打って帰っていった。所帯持ちは楽じゃなさそうだ。

2001年01月01日(月曜日)

新世紀の第1日目

23時23分 暮らし 天気:晴れだか曇りだか

 特に感想もなく目覚め、雑煮やおせちを食らいながらテレビを眺める。しかしまあ、これほど見所のない番組構成になる季節は他にないだろう。毎年、駅伝がやけに高い視聴率を取っているけれど、あれはきっと他に見るモノがないからだぜ。もしかして、この季節は報道関係の人もお休みを取っているのだろうか。
 しばし朝刊を読みふけり、母が初詣に行くというので着いていった。亀山神社という、呉市街地では一番大きな神社だ。ここは確か京都の某神社の分社だったような。しかし軍港化されて以降、戦地に赴く軍人たちを多く見送った神社である。今日はバスで近くまで行ったのだが、昔なじみの循環線が軒並み統廃合されてしまい、市街地を避けて走るような不条理な路線を突っ走っている。神社にはいつもと違い、裏口からのアプローチとなった。
 境内は相当の人混みで、参道の入り口近くまで人の列が伸びている。不思議なことに、誰一人として割り込もうとしない。異様なくらいお行儀の良い人々だった。頭のどこかに、やはり信仰のようなモノが生き残っているのだろう。
 神に何事か願を掛け、おみくじを引いて、さっさと家に引き返した。が、なんとバスが全くない。無いことはないが、我が家の近くを通る便は無いようだ。結局、歩いて帰る羽目になった。運動にはなったな。
 夜、21:00からのNHKスペシャルは、A.C.クラークが登場してべらべらしゃべりまくる番組だった(いったいどんな番組だ)。うん、昨日にも書いたのだが、21世紀初頭においてインターネットは重要な存在になるだろうが、「21世紀=インターネットの時代」という図式はどうだろう。いくらなんでも単純すぎるのではないだろうか。この番組に限らないが、NHKはどうもそういう基調で番組を作る傾向があるなあ。でもまあ、当面は重要な技術になることだろう。
 この番組は、4月から9回シリーズで放送される新シリーズの予告編のような位置づけだった。そのシリーズは宇宙をテーマにしたものになるという。去年、宇宙デジタル図鑑が終わってしまって寂しい思いをしていたので大いに期待できそうだ。