Strange Days

2002年08月29日(木曜日)

フレックスです

23時00分 暮らし

 今朝はフレックス10:15で出勤。朝方8:00に起き、風呂に入っても、余裕で間に合う。
 帰宅は21:00前になった。明日は早朝ランの日(当面月水金励行)なので、22:00過ぎには寝た。つまらない日だ。でも、日常なんて、こんなもんだ。

2002年08月25日(日曜日)

生麦でビールウハウハオフ

23時00分 暮らし

 大急ぎで家に帰り、徒歩で地下鉄に向かった。今日は生麦にあるキリンビールの工場で、工場見学がてら色んなビールを味見しようという、いささか意地汚いオフの日だ。
 予定の電車より一本遅れ、横浜着は予定の5分後。急いで京急のホームに上がり、来た電車に何気なく飛び乗った。『次は京急川崎』。遥か向こうやないかい!(滅) 目的地の生麦は、横浜と京急川崎のちょうど中間という素晴らしさだ。
 結局、生麦には10分遅れで到着。やれやれ、遅刻しちまったと思いながら改札に急ぐ。そこにははるだぁ氏が待っていた。が、案の定、久遠の旦那はいないぜ!
 はるだぁ氏と共に、久遠氏を待つも、なかなかやってこない。こりゃあ、あざみ野周辺で局所的に活動している裏組織にやられたか、などと話していると、40分遅れでようやく現れた。
 工場見学は17:00までだという。それが受け付け終了時刻なのか、見学の終了時刻なのか気になったが、ともかく工場に急いだ。
 工場はきれいに整備された公園のような空間だった。そりゃ、これだけ外部に開放されているわけだし。受付は入った門とは全然別の方にあった。そこまで歩き、ガイド無しでの見学を申し込んだ。
 おやぢ3人での工場見学は、休日ということもあってややつまらないものだった。実際、平日に稼動しているラインを眺めながら歩くなら、もっと興味深いものになったろう。
 見学コースの終わりに、試飲コーナーがある。本当は途中に熟成途中のビールを試飲するスペースがあるのだが、ここはガイド付きコースでなければ利用できないらしい。
 試飲コーナーでは、受付でもらったチケットを差し出すと、ビール3種、またはジュースをグラスで飲めるのだ。しかも、おつまみ付きで、気の利いたことにお代わり券までついてると来たもんだ。僕の中でのキリンの株は急上昇だ。
 ビールをやりながら、いつもの通りバカ話をぐだぐだと続ける。その一つが、本を食べられるようにしてはどうかという愚案。こうすれば本が新古書店に売られることもなくなるだろうということ。しかし、いったいこの世の誰が、手垢で汚れた本なんか食いたがるだろうか。その上で食用本を確立するためには、やはり本の味の向上が望まれる。誰もが食として魅力的な本。それが実現できるかどうかが、これからの文学界の浮沈を定めるであろう(そんなばかな)。
 試飲の後は、工場内にあるビアガーデンでさらに飲みつづける。僕は黒ビールを頼んだ。ちょうど蒸し暑かったので、冷えたビールの喉越しがたまらん。しかし、さっきの試飲2杯(700mlくらいか)+黒ビール350mlで、酒に弱い僕はとうに限界に達していた。ややへべれけ気味に、眠気と戦いながらなおもバカ話に花を咲かせる。やはり工場が稼動している平日に来たいねえなどという話が出たら、平日の昼間から試飲コーナーでただ酒に酔っ払っていたらダメ人間じゃないかという意見も出た。それも楽しそうだ。
 20:30くらいまで飲みつづけて、お開きに。いっそ、定例にするかという話も出るくらい、好評なオフだった。
 フラフラしながら帰宅し、速攻で布団に入った。

湘南家に行ってみたのさ

20時00分 暮らし

 今日は久遠氏らと生麦でビールウハウハオフの日だから、自転車で遠くに出かけるわけには行かない。そこで昼飯を食いに、湘南台までひとっ走りすることにした。
 今日もまたTCR-2での出動である。時間が無いときには、どうしてもこれになってしまう。昼飯に立ち寄ったのは、湘南台にあるラーメン屋、湘南家だった。
 この店、比較的新しい、小奇麗な店舗で、かなり繁盛している模様だ。裏には駐車場もあり、もちろん自転車も停められる。
 料金は食券制で、ラーメン600円、チャーシュー麺800円というところ。カウンターに空きがあるので勝手に座ったら、客あしらいの女性に「ちょっと待っていただけますか」と断られた。基本的に、客が来たら店員が清掃、冷水、手拭を整えて、初めて座れるシステムらしい。うーん、効率悪そう。
 ともあれ、席につき、10分ほど待ってチャーシュー麺にありついた。スープは家系のものだが、臭みが少なくて好みの味だった。しかし、ねぎ家よりちょっと薄いかなと感じたが。麺はふつうに固め。大きな海苔とチャーシューが載っている。いずれもだし家っぽい。

2002年08月22日(木曜日)

エアコンの無い生活

22時00分 暮らし

 エアコンの無い生活が続いているせいか、外気の変化を敏感に感じるようになった。風が止まれば淀みを感じ、風が吹けば清涼さを感じる。なんだか快適だ。ちょうど太平洋高気圧が弱まってよかった。しばらく、我がエアコンの修理がなるまでは、この気圧配置で一つ頼みたいものだ(誰にだ)。

2002年08月21日(水曜日)

エアコン修理に来る

22時00分 暮らし

 明け方、どうにも目が冴えて眠れなくなる。また体が冷えて、体温が下がった感じだ。出勤前に、体温を上げておこうと思い、いつものトレーニングコースに走った。
 こんな体調なのに足は不思議に回り、暗い中を散歩している人々を器用に掻き分け、快調に突っ走る。そろそろライトが必要かも。今日は、とりあえずEL-100を点灯して走った。
 俣野橋辺りで完全に夜が明けた。長い坂道を這い登り、湘南台に向けて突っ走る。この道、飛ばせるのでいい感じ。
 湘南台公園に着いて、自転車を降りた途端、悪寒が足元から這い登ってきた。こんな汗をかいているのに、なんで(X_X)? もう、どうにもダメダメな感じ。足がいきなり回らなくなり、自宅までひぃひぃいいながら帰った。
 帰ってぐったりしていると、携帯に日立家電から電話があった。今日の16:00に来るという。まあ、こんな状況だし、今日も休むか(いいかげん首になりそう)。
 扇風機に当たりながら、なにやら悪夢にうなされていると、玄関の心臓に悪いチャイムが鳴った。飛び起きると、もう16:00過ぎ。扉を開けて、修理屋さんを招き入れた。
 修理屋さんに症状を話すと、やはり室外機が怪しいと見たのか、おもむろに室外機の外装パネルを外し始めた。のっぺらぼうで何のスイッチも見当たらない室外機だが、実は各種スイッチが隠されていて、LEDの点滅で故障個所を知らせるようだ。結果、ファンユニットと制御部を取り替えなければならないと判明。そんな大物は持ってきてないので、今から手配して、後日再修理ということになった。またしばらく、エアコン無しの生活が続くのか。
 修理屋さんが引き上げて、なんだか疲れ果てたので再爆睡する。夜中に起き出すと、やっと夏風邪の症状が治まり、自律神経も再起動されたような感じがした。やっとエアコン無しの生活に体が切り替わったのだろう。

2002年08月19日(月曜日)

寒い朝

22時00分 暮らし

 夜中まで頭痛で眠れず、いらいらしていたわりには、なぜかさわやかな目覚めだった。外がようやく白み始めた頃、どうしてもTCR-2のハンドル換装結果を試してみたくなり、いつものルートを走った。
 結果からいえば、確かに脇がより締まり、ひきつけやすくなったように感じた。STIレバーの位置を前よりさらに上げたせいもあり、ダンシングへの移行がよりスムーズになった。が、さらに2,3cmほど手前にしたいとも思う。自然に手を伸ばしたとき、まだ少し遠いように感じるのだ。しかし、前より良くなったように思う。スプリントポジションも、そんなに窮屈な感じではない。
 補助レバーの存在は絶大で、リラックスポジションでもなんらプレッシャーを感じることなく、散歩中の人々の脇を抜けてゆける。前はいちいちSTIレバーに手を戻していたものだが。
 しかし、今朝は涼しい。というより、かなり寒い。短いレーパンなので、膝が剥き出しだ。その膝が冷えすぎて、少し痛むくらいだった。こんなに冷えたのは久しぶりのことだ。なんというか、秋が夜のうちから忍び寄り、明け方まで影を残していったような按配だ。
 ここで体を冷やしたのがまずかったのか、帰宅してすぐに咳と熱が出始めた。これはもう、自律神経失調症の典型的な症状だ。僕の場合、しばしば喉にも来る。体を動かすことが出来なくなり、部屋の中でぐたーっとしているだけになった。
 昼になり、体温が上がると、また調子よくなってきた。どうにかならんか。苛々することおびただしい。
 寝ていても仕方ないので、起きだして自転車整備の続きにかかった。
 MR-4Fは麦草以来整備してなかったので、ざっと清掃し、新たにスタンドを取り付けた。やはり、立ち止まることの多いツーリングでは、あった方が便利だ。あまり丈夫なスタンドではないが、実用には十分だろう。また折り畳みにも支障ない。
 次はBD-1。これもざっと清掃する。
 最後にMTBをと思っていたが、またしんどくなってきたので、布団に逆戻りである。なにか、夏風邪の症状も出てきた。

2002年08月13日(火曜日)

人の少ない職場

22時00分 暮らし

 職場に人が少ないせいか、とても快適だ。電話も少ない。世間では盆真っ盛りなのだな。ああ、これくらいならあんまり鬱にならずに暮らしてゆけるなと思っていたら、いきなり仕事で問題発生。こればかりは人数の多寡に関係ないようだ。鬱。

2002年08月10日(土曜日)

横浜帰還

22時00分 暮らし

 故郷での5日間も過ぎ、とうとう横浜に帰る日が来た。
 出る前、昼飯はどうしようかと思っていたのだが、母が「そうめん食べてないね」といったので、家でそうめんを食ってゆく。うむ、そうめんだ(そりゃそうだ)。時間があればモリスでもう一杯くらいはと思っていたが、微妙に満腹感が募ってきたので、駅に直行することにした。
 新幹線は切符を買ってあったので余裕で乗れる。が、窓際に座ったら、通路側2列にヤンちゃっぽい二人連れが座り、かなり鬱になる。話してみたら、実はいい奴だったりしてな。ほとんど、CLIEで音楽を聴いて過ごした。
 新横浜から地下鉄で立場まで戻り、アパートに帰着した。片づけする気にならず、そのままベッドに入った。

2002年08月07日(水曜日)

呉ポートピアパークでビールウハウハ寝

22時00分 暮らし , 自転車 ( 自転車散歩 )

 昼前、中通にBD-1を走らせた。やっぱこれでしょう、モリス。相変わらずうまいっす。しかし、盛り付けはいい加減だし、麺の湯切りも本当に適当なので、目の肥えた関東地方のラーメン好きからは高い評価を与えられないかもしれない。だがいいのだ、このスープある限り、モリスはモリスなのだ。さらにフライケーキも買っておいた。
 一度、実家に帰ってごろごろしてから、15:00くらいにまた出かけた。呉ポートピアパークで夕涼みするつもりだった。
 その途中、実家近くの谷という総菜屋さんで、たこ焼き(激ウマ)を買っていった。時々、母が買ってきてくれるのだが、キャベツと小麦粉が充実していて、しかもトロッとした食感がたまらない。今日は目の前で焼きあがった焼き立てを包んでくれた。15個入りで250円。関東でたこ焼きを買うのがあほらしくなる。
 呉ポートピアパークまでは、海岸沿いの道路を10kmくらい突っ走ることになる。途中、長いトンネルを避けて、その上の坂道を越えてゆく。なんだかんだいいながら、だんだん鍛えられてはいるようだ。らくらく越えて行ける。
 呉ポートピアパークは子供用の浅いプールがある関係で、子供連れが多かった。しかし、プールを離れた芝生などには、人気がほとんどない。
 自転車を海側のテラスに停め、売店で生ビールを買う。500円とチト高いが、500mlは入る紙コップに一杯一杯に入れてくれるので、なかなか気分はいい。こぼれないように一口飲んでからテラスに歩む。その瞬間、これだ、これが欲しかったんだという充実感がみなぎる(笑)。ああ、僕はこっちの方が峠よりずっと好きなのだ。僕は楽に走るために自転車に乗っているのだ。こういうグータラな、小さな旅がたまらなく好きなのだ。
 さっきのたこ焼きを取り出し、ビールをやりながらつつく。もー、たまらん。ビールが熱風にすぐ温んでしまうのも許せるくらいだ(早めに飲めばよかった)。
 ビールの後は、アルコールがさめるまで芝生でごろ寝。風が強い。気温は高く、日差しがじりじりと焼きつくようなのに、体感温度は低くて快適なのだ。芝生に寝転がったり、ベンチに横になったりしながら、心ゆくまで酔っ払いモードに浸る。
 17:00頃になり、さすがに帰ろうという気になった。またBD-1走らせ、二河川河口の公園で少し和み、それから帰った。

2002年08月06日(火曜日)

帰省する

22時00分 暮らし

 昼過ぎ、BD-1で立場駅まで移動し、輪行状態にする。セキサイダー2輪化の効果は大きく、勝手に散歩に行かないし、漕いでいる時にも足が当たることはない。また、サドル部を持って2輪だけで移動させるのは、4輪状態よりも制御しやすいようにも思う。
 まだ盆には早い、しかも平日ということで、新幹線の乗車状況は空席が目立つ。指定席を買っておいたのだが、これなら自由席で十分だったかも。ついでに、帰りの切符も取っておいた。
 車中、隣に座った方(仕事で出張中の模様)から「自転車に乗ってらっしゃるんですか」と話し掛けられ、少し話す。スペシャのグローブをしていたから、気づいたらしい。その方は、子供も自転車を持っていて、親子で走るのが楽しみらしい。7台持ってますというと驚かれた(そりゃそうだろう)。ああ、こういう人が、ふつうに自転車を楽しんでる人なんだ、僕はなにか間違っているのだ。麦草のことでちょっとへこんでいたので、少し気が晴れた。
 呉に着いて、再度BD-1を展開し、セキサイダーにバックパックをくくり付けて走る。なんというか、路面も継ぎはぎだらけ、歩道との段差も大きく、地方自治体の財政事情をうかがわせるものがある。と、リアハブに何かを巻き込んだ感じだ。停めて調べてみると、なんとバックパックを固定するゴムひもが巻き込まれていた。平たいゴムひもで、なかなか具合良かったのだが。短い命だった。
 実家に帰り着き、ふかふかの布団を有難がりながら、早めに寝た。
 ああ、そういえば、広島の原爆記念日だったんだ。

2002年08月05日(月曜日)

帰省準備

22時00分 暮らし

 だるい。土日の麦草ツーリングで限界を超えたのか、今日は12時間を超える爆睡の日となった。本当は今日のうちに実家に帰省するつもりだったのだが、とてもそんな気になれなかったので、火曜日にずらすことにしたのだ。
 昼過ぎまで寝てしまい、しかし妙に走りたい欲が横溢していたので、夕方にTCR-2で飯田まで走り、湘南台に立ち寄って帰った。
 明日はBD-1を持って帰るつもりなので、簡単にチェックして、荷物を少しまとめ、それから寝た。

2002年08月02日(金曜日)

麦草準備

23時55分 暮らし 天気:晴れでしょうか

 いよいよ明日に迫った麦草峠越えに向けて、会社を午後半休で帰って荷物の準備をする。といっても、結局大きめのバックパックを背負うことにしたので、いつもの輪行態勢とそう変わりはないのだが。おまけに少し昼寝したりして。麦草を嘗めすぎである。
 置いて行くつもりだったレインスーツ(上下)をうっかりバックパックの底に詰めてしまったりして、しばしバスター・キートンばりのドタバタを演じていたところ、黒猫のお姉ちゃんが荷物を持ってきてくれた。CBあさひに頼んでいた物だ。メインはTOPEAKのe-ショックマスターブラスターという、米仏式タイヤバルブも、米式エアサスバルブも面倒見られる便利なものだ。早速試しに入れてみた。......むぅ、どうもうまく入らないなあ。仏式のバルブにもスクリューで止めるのだが、これが面倒だし、思うように空気が入らないし。使いやすさではロードモーフの方が遥かに上だ。エアサスはどうか。これまた、使いにくいのなんの。米式バルブのエアサスの悩みは、バルブの造りが思い切りチャチなためか、インフレータを外す瞬間に空気漏れしてしまうことだ。こいつの場合、スクリューが固いこともあり、思い切り空気漏れする。使えん! それにしても空気が入らないなあと思っていたら、なんと口金(ゲージ込なので高級なものだ)とホースのつなぎ目がスコスコ動き、空気が漏れているではないか。だめだこりゃ。早速CBあさひに交換依頼のメールを打った。
 こいつを持っていくのが楽しみだったのに、この始末では......。いずれにしても思いのほか使いにくいものだったので、本当にこれを持ち歩くかどうかは思案のしどころだ。
 明日に備えて、早めに寝るつもりだった。が、「そういやああれを持っていかないと」などと荷物のことが気になったり、結局就眠は0:00過ぎだった。4:00起床の予定なのに......。

2002年08月01日(木曜日)

雷鳴来る

22時00分 暮らし 天気:晴れ(雨への期待つき)

 それにしてもむしむし暑い日が続く。気温が高いのはいいとして、湿度が高止まりなのが堪える。会社と家はエアコン大活躍中であるだけに、その間を移動している時がつらい。携帯ストーブは普及している(のか?)のだから、携帯クーラーも開発されんことかね。
 帰りはやや遅くなり、22:00過ぎに立場駅からとぼとの歩いていると、やたら空に閃光が走る。空気も濡れてきた。雨が近いぞ。雨が降れば気温が下がるだろうと思い、期待して待っていたのだが、なかなか降らない。0:00過ぎに寝る頃になっても、まだ雷鳴が聞こえるだけで、雨は降らなかった。この界隈だけ雨に見放されたような格好だ。
 夏の夕暮れ時に夕立がサーっと来て、凌ぎやすい涼しさになる、というのが理想なんだが。