Strange Days

2004年04月28日(水曜日)

呉に移動

21時53分 暮らし 天気:いいんだな

 さて、いよいよしまなみ海道サイクリングだ。今日はその移動日、実家への移動だ。
 昼前に部屋を出て、立場駅で輪行準備をする。自転車はMR-4Fで、いつものFreepack Sportの他、2002年度の東京シティサイクリングでもらった3Wayバッグに荷物を詰めた。実家に荷物をある程度置いて行くつもりなので、その分の荷物はこれに入れておいた。自転車に乗る場合、Freepack Sportをシートピラーアタッチメントに取り付け、3Wayバッグを背負う形になる。
 輪行袋には、このところタイオガのバイクキンチャクを使っていたが、今回はオストリッチのL-100を持ち出した。バイクキンチャクは扱いやすくて便利なのだが、畳んでもスペースを取るのが難だ。L-100なら適当なところに吊るしておけるくらい、小さくて軽い。今回はシートピラーの後ろに吊るしておいた。
 輪行袋を肩にかけ、Freepackを背負い、3Wayバッグを提げて、地下鉄に乗り込んだ。新横浜で新幹線に乗り継ぎ、広島、呉とJRで移動した。呉着は18:30前後だったか。時間があれば故郷の街を少し、などと考えていたのだが、もう夕暮れが間近なのでやめた。
 実家に帰り、兄と話しながら夕食を取り、風呂に入ると、眠気が襲ってきた。明日は早いし、早々に寝よう。母が帰宅する前に寝てしまったのだった。明日は5:30起きだ。

2004年04月27日(火曜日)

しまなみ持ってゆく物リスト

10時20分 暮らし 天気:雨か

 たぶん、詳細なリストは誰かが作るだろうから(それでいいのか)、覚書程度のものを。

衣類,雑貨:長袖Tシャツ*3,長袖ジャージ*2,ショートレーパン*2,レッグウォーマー,ショートパンツ(やはりポケットは欲しい),ウィンドブレーカー,(合羽,ヘルメットカバー)この辺は天気予報を見ながら、靴下*3,タオル*2,指きりグローブ*2

雑貨:シェーバー,日焼け止め,歯ブラシセット(これは不要かも),汗拭き,ティッシュ,アミノバイタル素人*4,BCAAタブレット(いくらか),グリコーゲンドリンク*4,フォールディングバッグ(荷物が増えたときの予備),応急手当セット,ビニール袋*3くらい,お菓子(非常食)

自転車関係:換えチューブ*2,(インシュロック,チェーンコネクタピン,ねじ,キャップなど)をまとめたケース,マルチツール、予備ライト(EL400)、パッチ(適応範囲を考えてイージーパッチ)、タイヤブート(タイヤ用パッチ),チェーンロック(軽いもの),タイヤレバー(Crank Bros.),ボトル*1,輪行袋,ライト類(自転車に既設)

電子機器:携帯電話,その充電器,Sigmarion3(実家に置いてくるかも),その電源,D70,その予備電池

 こんなところか。

2004年04月26日(月曜日)

風邪ひきかけ

21時30分 暮らし 天気:やや曇り

 ちょっと寒い日が続いたためか、風邪気味。一日中鼻をぐしゅぐしゅいわせながら、微熱と戦う破目になった。
 帰宅して、HARDROCK号のホイールの振れ取りをしようと思い、台を引っ張り出したが、頭が働かなくて断念した。なにせ、ニップルを回す方向を間違えて、振れをひどくしてしまうくらいだったのだ。今日は止めておこう。

2004年04月24日(土曜日)

どうしようもないわたしが暮らしている

23時40分 暮らし 天気:寒い

 今日のオフの間、BD-1から聞こえ続ける異音が気になっていた。何かが何かに当たっている感じだ。が、ホイール周りに異常は無い。はて、どうしたことか。
 最寄り駅に着き、輪行体勢を解除したとき、初めて原因が判明した。セキサイダーの前部を留めているボルトのうち、1本が外れ、もう1本が緩んでいたのだ。それでがたがたいっていたらしい。
 しょうがないな。前に買った余りがあるから直そう。
(家捜しの要領でボルトを探していると思いねえ)
 だ、だめだ。見つからない。あれだけ、都合20本くらいあったボルトが見つからないとは。まとめてどこかにしまったか。しかしやはり大量の鍋小ねじ(何のために買ったんだっけ)はあったから、まとめてしまったとも思えない。埋もれたか、ここに。
 南極の地下には数百万年前の水を封じた地底湖があるという。いや、今の状況とは何の関係も無いが。我が家の状況は、単なる我輩のずぼらだ。
 とりあえず、生き残っている1本の方のボルトを締めておいた。この部屋、というが我が住処は、夏までに計画的に整理しなければなるまいな。もう限界だ。

2004年04月23日(金曜日)

食欲減退中

10時45分 暮らし 天気:快晴

 暖かな季節に入ってきたせいか、食欲が減退し始めている。僕の場合、外気温と食欲には緩い相関があるようだ。
 こういう時には辛味で食欲刺激を、と思って中村屋の麻婆豆腐を作ってみたら、あまりに辛くてお腹が緩くなってしまった。そう、僕はあまりに辛いものを食すると、お腹に響く体質なのである。難儀なやっちゃな。
 土曜日にはまた激食な企画があるのだが、大丈夫かなあ(;_;)。

2004年04月20日(火曜日)

よく寝た結果快調な火曜日

22時22分 暮らし 天気:いいんだね

 昨夜はトレーニング無しにした結果、気が緩んだのか、えらい早い時間に寝てしまった。おかげで、今日は9時間くらいの睡眠時間を稼いでしまった。これだけ寝ると朝のうちは帰って頭が働かないのだが、それは日が高くなれば解消し、かつ午後遅くになっても眠くはならないという効果を発揮してくれる。うん、いつもこうならいいのだが>なら早く寝ろ
 帰宅が遅くなったので、今夜もトレーニングは無し。腹筋と腕立て伏せだけやって就眠。

2004年04月19日(月曜日)

意外に快調な月曜日

19時50分 暮らし 天気:夜になり雨が

 土曜日にロングライド、日曜日は気疲れする市街地の走行と、疲労はたまっていたはずだ。しかし足にダメージが残っている形跡は無く、階段でも辛い思いをすることは無い。土曜日の疲労は、日曜日に軽度の運動を継続して行った結果消え、精神的疲労も楽しいことが多かったので消えたのだろう。するってえと、土曜日に高強度の、あるいは長時間のトレーニングを行い、翌日は気ままにポタリングするのが、実は疲労を月曜日に持ち越さない秘訣なのかもしれないな。
 今日も帰宅してからトレーニングに出ようと思っていたのだが、雨の予報だったので止め。

2004年04月16日(金曜日)

最近に無く早寝な日

19時54分 暮らし 天気:良くなっている

 明日のフィットネスライドに備え、帰宅して早々に寝る予定。21:00という最近に無い時間だ。8:00に多摩川関戸橋近くというスケジュールなので、だいたい6:00前には出立しなければならない。本当は、普段から早寝早起きで、朝トレした方がいいのだろう。だが、帰宅が微妙に遅い日が増えているので、睡眠時間の確保が難しくなるのだ。
 でもまあ、早く帰られた日くらいはやるか。


2004年04月14日(水曜日)

忙しいな

23時47分 暮らし 天気:曇りのち雨

 妙に忙しい日だった。仕事の(低い)山場だというのもあるが、それにしても忙しい感が一日中付きまとう日だった。少し花粉症気味だったからだろうか。それとも寝不足で辛かったからだろうか。
 帰宅が遅くなり、飯を炊いているのが面倒になったので、吉野家で豚丼をかっ食らう。やはり、牛丼が恋しい。

2004年04月09日(金曜日)

平穏な一日

20時02分 暮らし 天気:よいのだ

 仕事も暇な、平穏な一日であった。外を見れば自転車にはいい天気。くぅ、湘南の海を見に行きたいぜ。ついでにD70でばしばし撮りたいぜ(なにをだ)。
 眠かったが、帰宅して牛丼を作ってみた。正確には他人丼に近い代物だが(卵でとじる)、実家ではなぜかこれを牛丼と称してきた。ご飯もおいしく炊けて、満足。
 明日は三浦半島に行ってこようと思う。

2004年04月08日(木曜日)

猛烈な眠気に襲われ続ける一日

17時38分 暮らし 天気:雨のち曇り

 暖かくなってきたからか、会社で睡魔に襲われることが多くなってきた。朝はまだしも、気温の上がる午後ともなると、眉間の辺りに取り付いた睡魔めに悩まされる。会議なんかがあった日には、心筋梗塞を起こすのではないかと思うくらい、気合を入れなければ目を開けていられない。
 こういう時には早寝早起きに限るので、そろそろ朝トレを再開するかいな。

2004年04月03日(土曜日)

猫との遭遇

23時22分 暮らし 天気:くもりだなあ

 モンベルショップからの帰路、東名高架辺りの、例の猫小屋に近づくと、妙にかん高い鳴き声が……。なんと、生まれて間もないような仔猫が、小屋から這い出して鳴いていたのだ。近くに親猫の姿は見当たらない。
 親猫はどうしたのだろう。この辺りにはカラスも居るし、川沿いだから鼬だっているかもしれない。しかし仔猫は、なにせ目も開いてないので、自力では小屋に戻れず、鳴きながら這い回るだけだ。しばらく見守っていたが、見かねて小屋に戻してやった。両手にすっぽり収まるくらいの、しかし暖かな命を感じる重みがあった。怖いので、小屋の中に急いで持っていってやった。怖いというのは、このまま力を込めたら確実に殺せそうに思えてならず、そうでなくても力の入れ具合で壊れてしまいそうにも思えたからだ。別につい殺っちゃいそうとかいうわけではないが。
 小屋の中を覗き込む。さっきから応える鳴き声が聞こえていたので、きっともう一匹いるのだろうと思っていた。が、驚いたことに、あと4匹ほども中にいたのだ。さっきの仔猫を返してやると、その仔猫たちが一斉に鳴き始めた。猫は苦手な僕だが、しかし思わずお持ち帰りしたくなる。が、これほど小さな仔猫を育てるのは至難の業で、うっかり変なものを与えてしまうと、あっさり死んでしまうらしい。そりゃそうだよな、こんな小さいんだもの。抵抗力も無い子供だし。
 別に僕が心配するようなことではない。いつものように突き放した見方で、死んだところで野良猫の寿命の短さからすれば、一つの必然的な結末に過ぎないのだ、などと思っていればいいはずだ。だが、いざ目の前にこんな頼りない生き物を置いて、しかしその重みと暖かみを感じてしまった後では、そんな冷酷な見方をするのは、なかなかためらわれるものだ。とはいえ、飼うわけにも行かないのだ。
 我ながらうろたえているなと自覚しつつ、猫小屋の周りをうろついていた。親猫が帰ってこないかと期待していたのだ。と、自転車の背後に、一匹の猫が座り込んで、こっちをじっと見ている風なのに気づいた。白黒斑の猫だ。そういえば、仔猫は白と黒で構成された奴ばかりだった。これが親猫か。
 無理矢理そう思うことにして、その場をやっと後に出来た。
 野良猫の寿命は、わずか3年から5年程度だという。飼われている猫たちは、医療技術と飼料の発達で、10年以上、もしかしたら15年は生きるものだという。寿命に3倍もの差があるのだ。いかに過酷な環境に生きているか分かる。あんな仔猫が生まれたということは、虚勢もされないで捨てられた猫が、2匹いたということだ。それが短くて過酷な生を再生産して行く。結局は、人間の身勝手が生み出した命なのだ。
 それにしても、一昨年の猫轢き殺し疑惑、去年大阪キックツアー時の仔猫付きまとわれ事件といい、彼奴らはなぜ猫好きでもない僕に付きまとい、悩ませるのか。榊たんの手のように猫好き臭でも放っているのであろうか。謎だ。

2004年04月01日(木曜日)

事故

23時08分 暮らし 天気:ぼちぼち雨

 会社からの帰り。戸塚の踏切を横切ったところで、道の反対側を逆方向に向けて歩いていた女性が、あっあっあっ、と早口のオットセイのような声をあげた。次いで、なにかが壊れるような音が。ヘッドホンを着けて歩いていた僕は、その女性がなにか落としたのかな、というぐらいにしか思わなかった。が、様子がおかしい。その女性の視線をたどって振り向いてみると、踏切の前に止まっているタクシーと、そのフロントサイドに衝突して転倒したらしいスクーターが目に入ってきた。一瞬、周辺の空気が凍った。ヘルメットをしているスクーターの運転手も転がっていたからだ。警察に電話しようと携帯電話を探りながら、やっちまったかと思った。みんなもそう思ったのだろう。が、次の瞬間、スクーターの運転者は跳ね起きると、元気な様子でタクシーの運転手に食って掛かり始めた。それを見て、僕は電話もしないで駅の方に歩いていった。よく考えたら、駅の側に派出所があるのだから、そっちの方が早い。しかし、周囲で何人かが既に警察に通報しているようだったので、結局そのまま帰宅してしまった。
 この場所、開かずの踏切として知られる難所で、いつ事故が起こってもおかしくない状況だ。まずタクシー乗り場が間近にあり、客待ちのタクシーがずらりと並んでいるのだ。それだけで1車線つぶれる。かき入れ時の21:00台なんぞ、客待ちのタクシーが道の対面にまで折り返し(というのは、さらに踏切から離れると、バスターミナルがあるから)、車道は実質1車線になってしまう。といって歩道も広くはないので、自転車、さらには歩行者まで、車道に大きくはみ出してしまうのだ。しかも、フルサイズのバスも通るし、日通の営業所も近いのでトラックも通る。この近辺で、これほど交通状況の劣悪な場所は無い。
 問題の一つはタクシー乗り場の配置にあるのだが、今、まさに再開発が進んでいる状況で、他にタクシー乗り場を移すことも出来ないだろう。
 再開発が完了したとき、タクシー、バス、歩行者、そして自転車の関係がどう整理されるのだろうか。早くやってくれないと、今度は僕がと言うことも無いとはいいきれない。

自転車の時代

10時50分 暮らし 天気:良好

 かつて我が世の春を謳歌した米自動車産業も、大きな転換期にあるようだ。クライスラーはダイムラー・ベンツと合併の道を歩み、2位のフォードまでもがトヨタに食われ、トップのGMも自動車だけでは食えないようだ。こんなモノを出した。(米GM、V8エンジン搭載アシスト自転車発表)
 さぞかし快適なことだろう。ファイヤートリックボブも負けてはいられないぞ。