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Strange Days
2008年01月30日(水曜日)
22時00分
暮らし
天気:晴れ
昨日一日、腹の不調に悩まされた。腸内で何者かが何かを醸しているらしく、物凄い勢いでガスが生産されるのだ。そりゃもう、平均的家庭の一冬分の暖房を賄えそうな勢いだ。メタンは二酸化炭素なんざ目じゃねえというくらいの温室効果ガスなので、僕のせいで地球はますます温暖化が進んでしまったことだろう。
今日はデスクワークが多く、時間も余裕があったので、お腹の悪玉菌退治と行こうじゃないかと決心する我輩だった。乳酸菌大作戦、作戦名『乳酸菌の嵐』発動。
LB51を買ってきては、ごくごく飲みまくる。500mlパックを3つ消費した。さらに帰宅後も、イトーヨーカドーで買ってきた固形ヨーグルト500gを貪り食った。
そのおかげで、腸内の異常発酵の方は、なんとか収まってきた。さすがの悪玉菌も、この数の暴力の前には無力だ。これで謎の悪臭発散物体として指弾されないで済みそうだ。
しかし、ある種の必然として、別の要因によるお腹のゆるさにのた打ち回る我輩なのであった。拙者、緩いのは頭でありました。
2008年01月28日(月曜日)
23時55分
暮らし
天気:どうだったっけ?
いや、音符つけるような愉快な事態じゃないのだが。
午前中、なんだか体が重いなと思っていた。昨日遊びすぎたのかと、いささか低空飛行中のわが体調を鑑み、しばし反省する我輩であった。
しかし、昼過ぎる頃から、事態はますます悪化して行った。発熱があり、また体の節々が痛くなってきたのだ。加えて、お腹の調子がよろしくない。胃袋が消化不良気味で、昼食がいっかな消化されず、ずっと残っている感じなのだ。腸より先は、やたら蠕動を繰り返し、活発にガスを産出している。何度かトイレに通って出すものを出すと、もはや便意すらなく、ハングアップした胃と、吸収機能を発揮せずガス生産に走る腸とを抱えて路頭に迷うばかりだ。症状としては、ずばりノロウィルス様の仕業と思われる。どこで拾ったかな。先週末は思い当たる節がありすぎて困る。
定時まで何とかこなし、かつて無いしんどさに苦しみながら、踊り場の坂を自転車で越えた。そして帰宅するなり、コンビニで買った軽食を取り、薬を飲んで即座に寝たのだった。
その甲斐あって、熱は夜半には退いた。しかしお腹ハングアップ現象は残っている。胃の方は大分復調したようだが、解熱の切り札として投入したエキセドリンの副作用で荒れた感じがある。これは時間が経てば治るだろう。
腸を復活させるには、これはもう乳酸菌大作戦しかないのではないか。ノロウィルス様御降臨の余波で狂った腸内細菌の均衡状態を平常に戻すべく、ヨーグルトを貪り食おうというわけだ。しかし真夜中。もう出かける気力は無い。乳酸菌大作戦の開始は明朝としよう。
しかし、去年末から体調がひたすら低空飛行だこと。
2008年01月23日(水曜日)
09時18分
暮らし
天気:今日も小雪の降りかかる
なんとなくそんな予感がしていたのだが、起きたら雪が降っていた。雪が音を消すのか、人の動きが乏しくなるからなのか、雪の朝は異様に静かだ。客観的には、雪の降りかかる音が、ずっと続いているんだろうがね。
というわけで、今日は地下鉄で出勤。寒がりの僕は、フリースの上にジャンパーを羽織って、駅に向かった。達磨さんだね。
出社してみると、雪につかまったのか、職場の人口密度が異様に低くて笑った。
このまま雨になって、上がってしまうという予報。一日もたなかったか。
2008年01月18日(金曜日)
19時54分
暮らし
天気:晴れ
今日も新川崎の高層ビルで教育受講。中層だったがイーモバイル、DoCoMo、au、Willcomいずれも電波ビンビンだった。Willcomはビル内にアンテナが設置されている雰囲気だ。
せっかく川崎くんだりに来たんだから、川崎方面隊と合流して行動してもいいかと思ったが、特に動きも無いようなので素直に帰宅。
今日の成果:都市部ならどのキャリアを選んでも使える。
2008年01月17日(木曜日)
22時39分
暮らし
天気:晴れ
昼から、新川崎で教育を受けてきた。冬は夏ほどのビル風ではない。
帰りにどこぞで遊んでいこうかと思ったのだが、あんまりに寒いので速攻でた帰宅。夜も眠いのでさっさと寝てしまった。
しかし、なんとなくアレが来ている気がするのだよな。
2008年01月15日(火曜日)
23時11分
暮らし
天気:晴れ
今日は暖かいなと思っていたのだが、夜が更けるとやはり冷え込む。今月の電気代はそれなりに掛かるだろうと思いながら、暖房機器総動員で凌いだ。
来週にはコタツが手に入りそうなので、もう少し効率的になるかな。
そろそろ体調も戻ってきたので、ささやかなトレーニングを再開せねば。
2008年01月12日(土曜日)
23時00分
暮らし
天気:雨
体調はいまいち、そう書くのにも飽きてきた。が、今日はどのみち雨の一日になりそうなので、しょんぼりとおとなしく過ごすことにする。本当はBikeEやBromptonを改造する当てを付けなければならないのだが、部屋の前の通路まで雨で水浸しだし、寒くて気力も起きないのでその気にもなれない。部屋の中でぬくぬくして過ごし、飽きたら電気毛布を敷いた布団で惰眠をむさぼった。胸を相変わらず病んでいるので、その回復を図る意図もあった。なんか空気が悪くて余計悪化しそうな気もしたので、時々は寒気のために部屋を出た。
結局、起きていたんだか寝ていたんだかはっきりしない一日を終えただけだった。純粋休日というべきか。
2008年01月11日(金曜日)
22時01分
暮らし
天気:雨に向かってます
相変わらず不調すぎる。会社には出ても、仕事に向かう気力が湧かない。っつうか、明らかに熱があるな。咳も相変わらず。春先に向けての仕事で、早々に片付けたほうが楽なのがあるんだけど。
定時で退けた。食事も胃が荒れてきたのか食欲が落ちているので、中華風お粥を作って凌ぐ。
これは、部屋がいまいち寒いせいかもしれない。エアコンの効率が落ちている。正確には、部屋に積みあがっている無駄なもののせいで風通しが悪いのだ。玄関口で作業用に買ってあった小さなファンヒーターを部屋の対角において、室温の平準化を試みた。これはうまくいった。体感気温がずっと快適になった。
問題は寝る時だ。羽毛布団が温まるまで、寒い思いをしなければならない。そこで、ついに最終兵器を出した。奴だ、電気毛布だ!
これのおかげで布団の中はパラダイスだぜ。しかし、これを出したくなかった理由がある。これがあると、朝の寒気に負けて、快適な布団で二度寝する危険性が激増するのだ! しかし、背に腹は、健康に勤務実績は変えられない。っつか、今週だけで1.5日も休んでしまったのだから、まさに背に腹は変えられない状況なのだ。
これから2月一杯に掛けてが、一番辛い時期だ。
2008年01月09日(水曜日)
20時33分
暮らし
天気:晴れ
悲惨だ。とにかく悲惨だ。昨日からずっと熱を出し、しかもぜんぜん回復しない状況が続いている。汗をかかないので体温も下がらない。これはつらい。
真夜中、なんとか起きだして、とにかく薬を飲もうと思い、しかし風邪薬は毎度使い切ってしまうことを思い出し、途方にくれる。いや、アレがあった。エキセドリン。こういう場合にはうってつけではないか。
お腹の負担が軽いものをと思い、うどんを茹でて、食後にエキセドリンを飲んだ。
それからも不快な夢を見つつ時間を過ごしたが、今度は汗を盛大に掻き始めていた。いい傾向だ。朝になっても辛いので会社に休む旨電話を入れたが、その頃には起きて下着を替えるくらいに回復していた。昼前には頭痛だけが残り、とりあえずの昼食後にもう一眠りすると、ようやく頭痛も収まった。
いやー、エキセドリンは効くわ。胃に来るので連用したくは無いが、ここ一番というときに頼りになる。
それにしても、去年の年末からずっと体調低空飛行中です。とほ。
2008年01月08日(火曜日)
23時55分
暮らし
天気:割と良かった気がする
朝から変調は感じていた。朝、部屋の中で目が覚めたとき、寒気に悪寒を感じたのだ。まあそれは、冬だからと、素朴に納得していたのだが。
昼にかけて、段々と体調が悪化してゆく。体の節々が痛い。これはイカンと思い、来週まで大イベントが無いことをいいことに、午後半休を取る。無駄な使い方をしてしまった。
いつもならのんびりの帰宅の道も、今日はゼイハアのつらいものになった。
帰宅途中でマックにより、適当な昼食を買って帰り、それを食らってすぐ寝た。
睡眠は不快の一言。熱があるので体の節々が痛いのだが、汗をかかないのでぜんぜん下がらない。
そんなつらい状況のまま、真夜中まで悶々としていた。明日はどうなる?
2008年01月07日(月曜日)
23時23分
暮らし
天気:ちょっと雨
朝食は、昨日作った七草粥の残りを。いきなり病人食みたいだが、今日の体調には結果的に合っていた。
仕事始めは、例によって雑用ばかりの忙しい、でもなにも残らない時間を過ごす。しかし、時間が経つに連れて、次第に体調が降下し始めた。奴だ、例の咳がまたぞろ顔を出してきたのだ。昨日の夕方、SatRDayで境川を戻っているとき、急に気温が下がってきて悪寒を感じた。アレが来たのかっ。
定時頃には咳が止まらなくなってきたので、自転車を飛ばして体を温め、急いで帰宅した。
こういう時はアレだ。咳止めの指圧。しばらく耳の付け根のリンパ腺を圧迫し、喉元を気管支を広げる感じでマッサージしてやる。しばらくすると覿面に楽になってきた。恐らく、胸の奥の病巣にはあまり影響が無いのだろうが、過敏になっている気管支を触れ合わないように拡げることで、対症療法的には効果を挙げているのではないか。
ともあれ、これで咳が止まらなくて眠れないということも無くなった。明日はまた診察を受けてこよう。
2008年01月05日(土曜日)
23時55分
暮らし
天気:晴れだった気がする
結局、帰りはANAの特割1を利用することにした。新幹線指定席は取りにくいし、満員の自由席利用というのも、MR-4Fを抱えてはつらそうだ。
ANAはSKIPサービスを全面展開しているので、搭乗手続きが今までとはちょっと違う。特に手荷物の取り扱いが心配だった。が、最悪超過料金を払えばいいんだろうと、とにかく利用してみることに。
広島空港7:35発羽田行きに乗るためには、呉駅5:25発のバスに乗らねばならない。朝は4:30起きだった。なんだか眠れず、うとうとしただけで家を出る羽目になった。
空港に着き、早速SKIPサービスを利用してみる。すべてマイレージカードだけで済むのは便利だな。手荷物も、MR-4F程度のサイズなら問題なさそうだ。
セキュリティの手前でまたマイレージカードを読み取らせ、ここで搭乗ゲート番号を印刷したシートをもらう。そして搭乗ゲートで同じようにマイレージカードを読ませ、ここで座席番号を印刷したシートをもらうのだ。事前チェックインしてあったので、みんな分かってたけどな。
羽田に着き、京急、地下鉄と乗り継いで、帰宅した。軽く昼食を取ると、すげえ眠気が襲ってまいりました。逆らわず、久しぶりに自室の布団で眠る。夜まで昏々と眠り、少し活動してから、また寝た。寝てばかりやん。早起きが続いたので、睡眠サイクルが微妙にずれていた。この寝まくりでリセットできればいいのだが。
2008年01月02日(水曜日)
23時37分
暮らし
天気:快晴(だが寒い)
今日は兄夫婦&姪たち襲来の日だった。中学生になったそうで、どんどん背が伸びている。俺を追い越すかもしれない。まじですか?
昼過ぎに来て、宝町のゆめタウンで福袋を買うとか言うので、着いていった。っていうか、自転車で出かけて、現地集合しただけだがな。夢タウンからは
陸に上がった鉄くじらが良く見える。
兄夫婦と、GWにしまなみを走ろうぜという話がまとまった。僕が案を出さないとな。今年は四国カルストに行くつもりなので、それに繋がる旅程を組まないと。
まずは、明日のしまなみ行を終えてからだ。
2008年01月01日(火曜日)
23時09分
暮らし
天気:くもり時々晴れ(おまけに雪もだ)
朝は雑煮を食う物と相場が決まっている。実家の雑煮には牡蠣が入っていて、これが子供の頃は苦手だった。ところが近年は嗜好が変わってきて、牡蠣の味が好みになってきた。逆に昔は増量してもらっていたほどの練り物が、どうもうっとうしく感じるようになって来た。究極の雑煮は、餅、牡蠣、水菜だけか!? それも味気ないものだ。
昼過ぎに亀山神社に初詣。相も変わらずの人出だ。しかし鶴が丘八幡宮の殺人的人出に慣れた拙者、むしろ『空いとるのお』などと暢気に眺めてしまう。
さて、一度家に帰ってから、他のお宮へのお参りに出かけた。相変わらず不可知論的な立場からの無神論者である我が輩だが、近年はお参りするのが楽しみになってきた。古びたお社の佇まいは良いものではないか。それに健康を、幸福を願う人の気持ちに嘘は無いだろう。そんな祈りを捧げる現場を見るのは、そこはかとない共感を呼び起こしてくれて好ましい。
呉全体の総社とされるのは亀山神社だが、近所にはもう二つ、小さな社がある。一つが鯛之宮、もう一つが大蔵神社だ。鯛之宮は間近にあり、実家のある辺りが氏子とされていたので、祭りにも良く参加した。また亀山神社招請以前からある古社で、それゆえか海軍とも由縁が深いらしい。かの
第六潜水艇事件の鎮魂碑もここにある。むしろ鎮魂塔と言うべきか、石積みの立派な尖塔だ。
もう一つが大蔵神社。こっちは各地にある大蔵神社の末社だろう。しかしこの日になって、母から初めてその存在を聞いたのだ。いわく、この三社を全てお参りすればいいことがある、と。うむ、やろうじゃありませんか。
亀山神社の石段までは、実家から歩いて5分だ。実家は神社の裏手のある塩梅だ。この石段は110段程度あるようだ。映画で有名になった両城の200段の階段なんてのもあるが、この急峻な山裾にしがみついた町では、ちょっと知り合いの家に出かけようと思ったら、必ず何十もの石段を登り降りせねばならない。
鯛之宮はひっそりとしている。お社にも人気はなく、しかし普段は置いてないおみくじ箱が、賽銭箱の隣に出現している。亀山神社で大吉を引いたので、ここでは遠慮しておく。この鯛之宮、芸備地震で大損害を受けたのだが、地元の土建業者が復旧に奔走して、今は前よりもしっかりと補強されているようだ。
さて、亀山神社を降りて、両城方面へと歩く。今はかなり寂れてしまった三条通を終点近くまで歩くと、山に向けての参道と
鳥居が現れる。
参道をてくてく登って行くと、鯛之宮と同じくらいの社が現れた。こちらには宮司なのか氏子の当番なのか、ちゃんと人が置かれていた。
この社がある真下を
呉線が通っている。
社の少し下った公園に、ここで正岡子規が詠んだという句を顕彰する
句碑が立っている。
実家への帰り道、たぶんこれが
両城200階段だろうというのを撮ってみた。実家の裏手にも、墓地に通じる似たような急峻な階段があって、子供の頃は『ここを思い切り駆け降りたら、滑って転げ落ちて死ぬんじゃないだろうか』などとドキドキしたものだ。そういう嫌な思い出を呼び起こしそうな眺めである。
帰宅して、YouTubeとニコニコを巡る。しまったな、本を持って帰ればよかったよ。
そんなわけで、今年も駄文を書き連ねるだけの拙ウェブをよろしくお願いします。