Strange Days

2005年11月23日(水曜日)

横浜に帰る

21時54分 天気:晴れ

 さて、慌しくも、横浜に移動する日が来た。しかし、帰路は自転車もヘルメットも置いてゆくので、ほとんど手ぶらだ。これは楽でいいなあ。
 家でメシを食ってから、中通りへと歩いて行った。こういう局面では、自転車があった方が良かったな。とぼとぼ歩いて行った。フライケーキを買いたかったのだ。が、ふとモリスの前を通りがかったら、やってるじゃないか。今日はやってないんじゃないの、と母が言ったので、家で食事してきたのだが。とりあえず入って、中華そばを食べた。すこし、モリス分を補給できた。
 それから福住に寄って、フライケーキを買っておいた。
 呉駅に出ると、ちょうどこぐ夫妻と長岡氏が、輪行準備しているところだった。既に大和ミュージアムを見てきたとか。それを手伝っているうちに、広島空港行きのバスが来た。これ、僕が行きに乗ったのとは違い、補助席が無いタイプだった。おかげで、荷物の持ち込みは、まあまあ楽ではあった。しかし、混在しているというパターンが、一番困るな。
 バスは広島空港に着く。長岡氏は周囲のサイクリングロードを、レンタルサイクルで走ってくるとか。その前に、買っておいたフライケーキを振舞う。が、既に衣がしおしおになっていた。それでも美味しいといってはくれたが、ちゃんと衣のカラッとした状態で振舞いたかった。美味しさが段違いだから。
 フライトは14:20発だったので、その前に食事をしておこうということになる。適当なお好み焼き屋に腰を落ち着け、それぞれに注文する。僕は二回もメシを食っていたのだが、思わずお好み焼きを注文してしまい、皆様に助けていただく破目になった。
 長岡氏はフライトまで間があり、走りに行ってしまう。我々は羽田行きの便に乗り込み、空路羽田に降り立った。
 こぐ夫妻と別れ、京急、地下鉄と乗り継いで、帰宅した。
 部屋に入り、荷物を下ろすと、一台分空いた自転車ラックが目に入った。ああ、やっと一台片付いた、と少ししみじみしてしまう俺様。兄ちゃんに可愛がってもらえよ。自転車は、後何台か整理したいところだな。

2005年11月22日(火曜日)

2005年秋のしまなみ海道ツーリング3日目

22時20分 天気:晴れ

 楽しかった秋しまなみツーリングも最終日。そして実は、いささか憂鬱な気分だった。行程に未知の部分が多く、果たして予定通りに行動できるのか、見通しがつかなかったからだ。特に大崎下島に渡る便に自転車を載せられるかどうか、まだ確認できてなかった。7:00の朝食の時間になっても、運航会社との連絡がつかない。どうしたものか。
 煮え切らない思いを抱えつつ、もしもダメなら松山方面に走るかなどと考えていたら、フロントから内線が入った。実は、フロントにも聞いてみていたのだが、やはり電話が通じなくて不明、という答えだったのだ。話は、やはり高速船のことだった。あれからまた電話してもらって、今度は通じたそうだ。問題なく載るという。やった。これで懸念が一つ消えた。フロントの親切に感謝だ。
 宿を後にし、一行を今治港まで引率した。後で思い返すに、ちょっとくらい寄り道して、今治城くらいは見て行けばよかったか。ともあれ、高速船の切符を買い求め、桟橋で待ち受けた。料金は1700円台だが、自転車をそのまま持ち込む場合は手荷物扱いとなり、1550円を取られる。船内は列車よりはかなり広いので、折り畳んでの輪行も問題ない。折り畳まない*1自転車は、後部デッキに載せられた。後でスピードメーターの表面を見ると、白い塩が薄くこびりついていた。
 やがて船は出航すると、大崎下島を目指して進み始めた。30kt出ているとかで、風晒しのデッキに出ていると、風に息が詰まるくらいだ。しかし、船の旅は視点が異なるので、楽しめる。橋を下から見上げたりして。
 今治から30分で大崎下島の大長港に着く。まずは岡村島でも一周しようではないか。
 大崎下島と岡村島は、三つの島で繋がっている。一つ目の橋は比較的短くて片持ち式、二つ目三つ目の橋は、見た目は同じの双子の橋だ。
 岡村島から豊島まで、そしてその隣の両蒲刈島は、既に橋で繋がっている。豊島と下蒲刈が繋がれば、ここまで陸地と接続されるわけだ。
 岡村島の北側、岬の突端に、ちょっとした公園があった。なんでも、2~3世紀頃にこの近辺に勢力を持った豪族が、多数の古墳を残しているのだとか。
 岡村島はさくっと一周してしまう。再び大長近辺に戻り、昼飯場所を探しながら御手洗までゆっくり走った。いいところはなさげだな。とりあえず、御手洗を散策することに。
 最初は、こぐ氏らがご執心の時計店に。機械式時計の修復で有名だとかで、全国から古い時計の修理依頼が来るらしい。外から作業場を覗けるのだが、確かに日本各地からのものらしい、機械式腕時計がいくつも壁に掛かっていた。
 昼飯どうしようかなあ、などと話しつつ、時計店から走り出す準備をしていると、郵便配達のおばさんが通りかかった。ちょっとした会話があり、ついでに聞いてみると、近くに食堂があるという。そこにするか。
 教えてもらった通りに進むと、海岸通の小さな食堂に行き当たった。他にも飲食店らしきものはあるのだが、外見がどう見てもふつうの家にしか見えないところばかりで、ここがほぼ唯一の食堂だった。中で鍋焼きうどんを頼み、おでんを3本くらい摘む。鍋焼き400円。おでん100円/本。鍋焼きは具は少しチープだが、関西風の出汁に卵、青物、そしてアナゴの焼き物が良く合っていた。おでんは良く煮込まれていて、味が染みきっていた。どうやら、周辺の住民の昼食場所みたいだ。
 この御手洗、古い家並みを細い路地が縫うように走っており、なかなか風情がある。自転車ではなくて、歩いた方が楽しいだろうという判断から、自転車はまとめて駐輪した。海に向かって、いい感じに朽ちつつある物置。来年、台風が何発か来たら、もう無いかも。
 鉄漿事件なる伝説が残る置き屋跡を見てから、方々を歩き回った。乙女座という古い映画館跡がいい感じだった。
 適当に見て回り、次の高速船の時間が近づいてきた。大長に戻り、再び船上の人となった我々は、1時間半後に呉へと到着した。残念ながら閉館日の大和ミュージアム近辺をうろつき、阪急ホテルまで案内、さらに呉の中心街方面に誘導してから、帰宅した。
 これで春、夏、秋としまなみを走った。ネタとしては、冬のしまなみも走らなければならないのだが、うーむ。

2005年11月21日(月曜日)

2005年秋のしまなみ海道ツーリング2日目

21時41分 天気:相変わらずの快晴

 爽やかな気分で目覚める。それほど寒くも無く、かといって過剰暖房で汗をかくようなことも無かった。
 朝食を取り、身支度して、自転車の準備をする。今回、サイドバッグに全ての荷物を詰めているのだが、これが仇となった。このサイドバッグ、細い鉄製荷台に合わせているようで、吊り下げ用フックも、下向きにゴムひもで固定するためのフックも、太いアルミ製フレームのこれとは、微妙に合わないのだ。おかげで、少し振動を与えただけで外れてしまい、往生した。その対策として、上のフックはビニールテープで巻いて固定してしまい、下のフックはタイラップで固定した。これで外れることは無いだろう。
 なかなか快適だった宿を出て、今日の行程を開始する。まずは大山祇神社の参拝だ。神社は、まだ観光客の時間では無いのか、参拝者は我々だけだった。晩秋の朝の冷え込みもあり、森厳な雰囲気だ。もっとも、すぐにバスで乗り付けてきた観光客で、いささか喧しい状況になってしまうのだが。
 島の東に向かう。昨日越えた丘を越えてゆく。幹線道路に沿ってサイクリングロードがあるのだが、ほとんど車道から離れないため、少し面白みに欠ける。
 多々羅大橋に程近い道の駅で一休み。記念撮影大会になったりする。
 ここから大三島橋までは、さほどの距離ではない。にも関わらず長く感じるのは、ひたすら車道沿いの、しかも内陸の道を走らされるからか。
 大三島橋を越え、いつも塩アイスを楽しむ道の駅は素通りし、とりあえず西に走って行く。昼食は、道沿いにあるらしいお好み焼き屋で取りたかった。それが見つからなければ、またさんわまで走るかという声も。さんわまで走るのは憂鬱だという声もあったが、案に相違してお好み焼き屋があっさり見つかった。舟折の瀬戸近くの展望台から下りきった左手に、その店はあった。事前の調査で目をつけていた店だった。ふつうに豚玉+うどんを頼む。鉄板の上で熱々のまま食べられるので、ボリュームの大きさもあって満足感は高い。
 昼食が予想外に簡単に見つかったので、道の駅に戻って塩アイスを食べながら、のんびり過ごすことが出来た。前方には伯方橋+大島大橋が見えている。あれを越えると、今日の行程の最後、大島だ。
 橋を越え、大島へと到達した。今日は昨日より、更に走行距離が短い。大島は、ひたすら推奨ルートを駆け抜けた。いまいち、面白みの無い島だ。別に島の責任じゃなくて、すぐに終点という意識が、そう思わせるのだろう。
 ともあれ、一気に来島海峡大橋の近くに到達する。ここの道の駅で休憩するつもりだったが、誤指示によりみんなして行き過ぎてしまう。あれー。まあ、いいか。
 巨大な来島海峡大橋は、渡りきるだけでも時間が掛かる。いつもは一気に渡りきるのだが、今回は途中の馬島へとエレベータで降りてみた。島は巨大な橋脚に踏みつけられた形になっている。
 馬島から最後の区間を走っていると、一隻の大型帆船がやってくるのが見えた。後で調べた結果、日本丸らしいと判明した。橋の上には、カメラを構えた人々が、ちらほらと見えた。
 帆船との邂逅を終え、今治まで渡りきると、糸山の展望台に登った。記念撮影をしながら、絶景を愉しむうちに、日没を迎えた。昨日といい今日といい、シャッターチャンスに恵まれている。
 今日の宿は、いつものサンライズ糸山。適当な時間に海岸に下りて、浜勝で夕食を取った。海鮮料理はもとより、最後に出されるオレンジのシャーベットが絶品なのである。
 今日も気候に恵まれ、気持ちいい一日だったな。

2005年11月20日(日曜日)

2005年秋のしまなみ海道ツーリング1日目

23時51分 天気:快晴

 朝は5:30に起床。母を起こしてしまったので、お茶をもらい、その辺にあったたこ焼き2パックをパクつき、出かけた。
 リアキャリアにサイドバッグを着けたHARDROCK号は、クソが着くほど重い代物だ。だが、走行自体は非常に安定している。
 駅前で輪行体勢を整える。かなりの重量。乗換えが思いやられる。岡山までの直通便に乗れば、乗り換え無しだったのだが、それは輪行準備に手間取っているうちに乗り逃がした。
 結局、糸崎乗換えの便で尾道に向かった。途中、三原で長時間停車するので不安になったが、結局はこれが正解だった。しかし、尾道着は9:15頃となった。
 改札を出ると、既に他の参加者は揃っている。いつもの重装備BD-1のこぐ氏、7速化Bromptonのあゆこ夫人、Crusoeのまき氏、SatRDayの長岡氏、そして8速化Bromptonのこば氏だった。こぐ氏に依頼して、しまなみ交流館でサイクリングマップをもらって来ていただき、全員に配布した。まずは駅前渡船で向島だ。おっと、フェリー乗り場を間違えるところだったぜ(爆)。いきなりそれかよ。
 フェリーを降りると、すぐに大和の映画セットがある。駐輪場に自転車を停め、案内バスで玄関からセットまで連行してくれる。
 セットは地上に設置してあって、艦首近辺と船体中央、第2主砲塔から高射砲群にかけて、実物大のスケールで再現している。艦橋近辺の司令室レベル以上、第1主砲塔の前面などは省略されている。CGで書き加えるのだとか。きちんと考証しながら*1比較的細部まで作り込んでいるようだ。しかし、96式25mm機銃の場合、マガジンがはまる部分は枠だけで、チャンバーへの給弾口は無い。カメラワーク次第で、写しそうに無い部分は切り捨てたということか。
 セットを出ると、向島の南岸に向かって走り始めた。しまなみ海道の推奨コースからは外れるが、夏に走った時、なかなか眺めが良かったので、選択した。皆、文句も言わず、着いてくる。
 晩秋だというのに、紅葉があまり進んでないのは残念だった。しかし、綺麗に晴れた空の下、海はとても青くて、今までに無く眺めは良かった。ほどなく、因島大橋に到着した。へこへこと登って行く
 因島は、北岸ルートを淡々と走りぬけた。面白そうな島の中央部までは、結構な坂を登りそうでなあ。
 生口島に渡る生口橋を背景に、人物寄り過ぎ&構図傾斜&きっちり逆光の三重苦記念写真を撮った。
 昼食は、当初の心積もりでは、因島のどこかで取る事になるだろうと見ていた。大和のセットで時間を食うと思っていたからだ。しかし、自由観覧ではなくて、順路が設定されていた関係で、意外に早めに切り上げることが出来た。ちょっと欲が出て、生口島で昼食を取る事にする。皆、チョコの類で飢えを癒しつつ、耕三寺界隈まで走った。
 昼食は万作。並びの店に較べてディスプレイがシンプルなので、とても落ち着く。浜子鍋なるものがあったので、定食で注文してみた。浜子というのは、かつての製塩従事者のこととか。浜の産物を、味噌で煮込んだ鍋だ。小エビ、烏賊、魚に絡む味噌が美味だ。具を平らげたら、ごはんを入れて雑炊にする。汁の少ない雑炊で、味噌の焦げる臭いが香ばしい。美味なり。
 昼食後は、ドルチェの耕三寺門前店に入り、アイスにする。目を惹いたのが、アイスぜんざい。ぜんざいをアイスにしたものではなくて、熱いぜんざいにアイスを載せた熱いおやつだ。塩アイスとのコンビを頼んだ。この組み合わせは絶品であった。冬場も、これでこの店は乗り切れるだろう。
 少しぶらついて、コロッケなどを買い食いした後、いよいよ大三島へと渡る。多々羅大橋に着く頃には、かなり日が傾いていた。道の駅も無視しながら、大三島を横断し、大山祇神社方面に走った。丘を越え、下る辺りで日没に遭遇。思わず写真に収める。秋は夕暮れが綺麗だ。
 さて、宿泊地は大三島少年自然の家という。海岸近くに突き抜けて、さらに北上すると、それはあった。宿の手続きを取り、部屋に入れてもらう。木造の新しい施設で、木の温もりがナイスだ。我々が入れられたのは、居間一つに寝室*2二つ、シャワーとトイレが連結された部屋だった。冷暖房完備で、テラスからは海岸を望め、澄んだ星空が見えた。事前の問い合わせに対しては、飲食は原則禁止ということだったのだが、入室時の説明で生ゴミと瓶缶ボトルの出し方を説明される不思議さだった。そこはまあ、大人として行動しなさいということでしょ。問題は、周囲に店の類が全く無いことか。正確には、4kmほど走った大山祇神社界隈には、ヤマザキのショップもあり、9:00~23:00で開いているようだったが。徒歩ではどうしようもないが、自転車があるなら問題は無い。
 風呂は、その大山祇神社界隈から少し南下した、海水温泉施設のタダ券をもらえるので、そこまで走ることにした。夕食もそこで取りたい。お疲れ気味のあゆこ女史はここの風呂で済ませ、我々は海水温泉まで夜道を走った。風呂に入ると、確かに海水温泉。ぴりぴりと辛かった。そこの食堂で、いかにもな感じの適当な食事を取る。
 宿に戻り、明日の行程などを考えているうちに、眠くなってきた。それぞれベッドに戻り、僕は居間の方にベッドを敷いて寝た。

2005年11月19日(土曜日)

まき氏とも遭遇

17時54分 天気:快晴

 すっかり暇をもてあました俺様は、空港1Fのロビーを、腹を空かせたクマーのようにうろつき回っていた。ひとしきりマーキングし終わった*1僕は、ベンチに座って、Sigmarion3を取り出した。とりあえず、日記だな。
 書き終わり、ふと顔を上げると、今まさにゲートから出てきたまき氏と目が合った。早速、3Fの店でお茶する我々。
 そろそろ時間だ、ということで、まき氏共々1Fに降りる。まき氏は尾道だが、我輩は呉のバスだ。まき氏のバスを見送り、ほどなく呉行きがきた。
 …………これ、ただの路線バスとちゃうか? リムジンバスを想定していた僕には、少々宛が外れた展開だ。当然、荷室は無い。でかいMTB輪行袋を背負い、補助席があまりに邪魔な*2通路を通り、MTBは空いている席に押し込んだ。乗客が数えるほどなのが助かった。本数が少ないので、みんな竹原経由JR乗り継ぎに流れるのだろう。
 ともかく、呉までの1時間半ほどを、車中で過ごす。
 呉に着き、また苦労しながら荷物を下ろす。HARDROCK号を組み立て、実家に走った。
 さて、明日からの三日間、いい天気になれよ。

広島に移動

14時59分 天気:快晴

 まだ、Moblog頼りになるような状況では無いな。
 とりあえず、10:00前に荷物を背負い、HARDROCK号に打ち跨って、出発した。といっても、すぐ近くの立場駅で、すぐに輪行するんだがな。
 超速FIVEの威力を見よ。あっという間に輪行準備完了だ。あれー、それでも地下鉄を乗り逃がしました;..) 荷姿が大きいので、運ぶのが大変なのだよな。
 上大岡で京急に乗り換え。ここでも乗り換えにちょっと苦労する。一本早い便なら、羽田直通に乗れたのだが。地下鉄でも京急でも、乗客が多く、でっかい自転車を抱えて立つ羽目になった。
 京急の羽田空港駅で降り、そこからまた歩いて、なんとか搭乗ロビーに到着。すでにこぐ御夫妻がいたので、先にチェックインしてから、手荷物カウンターに並んだ。ちょうどこぐ氏が受け付けられていたところで、その後ろにこば氏も立っていた。
 自転車と、バックパックも預けてしまった。自転車は破損時免責誓約書にサインさせられた。思わず持ってきた、ワコーズのメンテルブ(ボンベではあるわな)はどうなるかと思ったら、そのまま預かってくれた。
 さて、飛行機の旅はあっという間だった。寝入っているうちに、がつんと大きな衝撃に目覚めたとき、既に広島空港に着陸していた。
 降りて、手荷物の受け取りに手間取っているうちに、呉方面のバスが出てしまっていた。あーあ。次は2時間後だよ……。
 こぐ氏らは尾道方面なので、すぐ後に出たバスに乗って出発した。さて、2時間待つかと思いつつ外をうろついていたら、輪行解除中の長岡氏と遭遇。海岸の宿まで自走するのだとか。ああ、僕も竹原まで走って、そこから輪行した方がましだった。しかし、既にバス切符を買っていたのだった。
 やむなく、空港の飲食店でうどんを食い、こうして暇を持て余す俺様であった。
 しかし、いい天気だな。明日も晴れそうだ。

2005年11月15日(火曜日)

輪行袋はどこに行った

23時50分 天気:晴れた

 輪行袋を探している。モノはオストリッチの超速FIVEという奴で、前輪を外すだけで入るという大サイズのもの。MTBやロードの輪行用に買ったのだ。が……。
 おかしいな、見当たらない。一緒に買った肩パッドはあるんだから、超速FIVEもあるはずなんだが。色々しまいこんだダンボールを探っても、自転車ラックの下のガラクタを家捜ししても、見つからない。なんで蒸発するかね? いや、たぶん、部屋を片付けない僕が悪いんだろう。
 まあ、無くても、従来通りにオストリッチの超軽量輪行袋、L-100で運ぶだけだ。しかし、超速FIVEの使い勝手を確認するいい機会なのにな。
 家捜し中に、要らないクランクやスプロケを何式も発掘した。ヤフオクで捌こう。
 後はバッグ類に荷物を詰めて、実家に送っておくだけだ。

あー、もう輪行でいいや

16時19分 天気:くもり

 さて、とりあえず秋しまなみの準備を終えないと。
 まずは宿の人数変更。それから浜勝への予約。勝手ながら3000円コースに統一しました。
 後の行程上の未解決の問題は、もう現地でなんとかしよう! 事前に話すことが出来ませんでした。すまん。まあ、しまなみマスターも居ることだから大丈夫さ。
 後は自分の準備だな。と、最大の懸案である自転車輸送手段を考えていた。昨日のように適当なダンボールで蔽うというのは上手く行きそうに無いので*1、カブトの輪行函での輸送を考えた。が、これはサイズがそれなりにあって、ヤマト便で4000円、佐川で5000円という辺りだ。意外に差は無いものだ。が、佐川の場合、「未梱包品でも2割り増しで引き受け」とある。うーん、なら輪行袋に入れて、そのまま引き受けてもらうのが楽ではないか。ヤマト便の場合、輸送に時間を要するので、今日明日の発送だと土曜日に届くか微妙だわ。よし、佐川に運んでもらおう。
 電話しました。「引き取りは夜6時までじゃないと無理です」。なんと! それでは営業所持込なら、と聞くと、この場合でも夜8:00までだってさ。それは、サラリーマンには厳しい現実だわ。
 しょうがない。速攻で帰宅して、持ち込むか。などと考えているうちに、段々アホらしくなって来た。それで6000円も取られるわけだからなあ。
 やめた。やはり輪行にしよう。重いのは耐え忍ぶとして、輪行経路で問題なのがバスに載るかどうかだ。グーグル先生に調査依頼したところ、実際にリムジンバスで輪行した例は多数あり、逆に断られた例は見当たらなかった。飛行機の乗るものを、その飛行機に接続するバスが運べないのはダメだからでは、との説も聞いた。たぶん、大丈夫だろう。最悪の場合でも、竹原まで走り、そこから呉線一本で輪行できる。なら、そうするか。
 それでも、サイドバッグの類は、先に送っておかないとな。これは宅急便で、近日中に発送しよう。