Strange Days

2008年08月14日(木曜日)

豊島を見てから帰横

23時55分 , 自転車 ( 自転車散歩 ) 天気:晴れのちくもり

 さてさて、今日の夕方には広島に向かわねばならない。昼一杯は遊べそうだ。完成間近という豊島大橋を見てこようと思った。
 大崎下島までは呉市に編入されてしまっているので、豊島大橋が架かれば呉に属する主な島には自走で行けることになる。さらに大崎下島の隣の岡村島とは既に橋で繋がっているので、今治市まで自走で行けることになる。これをオレンジラインと申すそうな。しまなみ海道と同じく、高費用の割に低効果という印象だが、同じく自転車乗りには嬉しい道だ。出来たら、何度でも利用してやろう。
 呉市街からオレンジラインの入り口、安芸灘大橋までは、広トンネルを抜けて、広の市街地をひたすら走ってゆけばいい。仁方手前のトンネル連発が鬼門なくらいか。暑い中、車を横目に走っていった。
 安芸灘大橋は車は有料だが、自転車歩行者は無料。かなり長大な橋で、二つの灘に挟まれた瀬戸の全貌が見渡せる。造船所が多く、大きな船を通すためだろう、高さはかなりある。
 時間が気になっていたので、この先は要点だけ抑えようと思った。まず、未訪だった蘭島閣美術館。入り口の靴脱ぎでスリッパに履き替えさせられると、その先に自動ドアがあるという意表を突いたインタフェースだった。
 館内は現近代の日本画家の作品が中心だ。ロビーにもいくつか展示物があったのだが、ライティングが残念でどうしても映り込んでしまう。一事が万事この調子かと思いきや、展示室ではまともだった。
 ちょうど終戦記念日前後ということで、企画展は原爆に関わるものだった。悲惨絵が多かったのだが、コレを見て我々は何を感じるべきなのか。この、スプラッタムービーや痛いホラーに慣れきった我々が。ディックじゃないが、シンパシー能力こそが人間の証明であり、それを問われ始めているように思えた。
 豊島大橋は、さらに隣の下蒲刈島に絶賛架橋中だ。そこまでは出来るだけショートカットしたい。ところが、下蒲刈島に降り立つ蒲刈大橋と、豊島大橋とは、概ね真逆の位置にある。どっちかといえば短そうな南回りのルートを取ったら、これがまた結構なアップダウンだ。
 なんとか豊島大橋を望む位置に立った。まだガードレールの類は未設置だったが、橋は完全に渡っていて、橋脚部の足場をばらしている段階だった。予定通り、11月の末には架かるのだろう。
 さてさて、これから実家まで走って戻らなければならない。恐らく、残り30km程度。時間は2時間あるが、出来るだけ早く戻りたい。Bromptonにしては頑張って、後半戦は20km/h平均で走りきった。おかげでクタクタ。
 シャワーを浴びて、荷物を持って実家を出る。広島まで輪行し、広島からはバス輪行だ。バスにBromptonを乗せるとき、運転手に『自転車ですか』と始めて聞かれた。そうだと答えると、他の小荷物は持ち込んでくれといわれた。自転車お断りといわれたら、ちゃんと確認取ったよと言おうかと思っていたのだが、さすがにこれよりでかいスーツケースを載せている中で、断ることは出来ないと思ったのだろう。
 俺が思うに、Bromptonがバス輪行の限界サイズだろう。TikitでもBD-1でもダメだろう。実容積ではなくて、スクエアにまとまって安定しないと嫌がられるのだと思う。Birdy系のいろいろ至らない折りたたまれ振りはダメだろうし、小さくまとまるといわれているTikitでもどうだろう。やはりBromptonとでは荷物を扱う側から見て、意外に差があると思うのだ。
 例によって眠れねーと思いつつ、バスに揺られて離広。

2008年08月12日(火曜日)

角島~仙崎

21時41分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:快晴

 さてさて、旅行の最終日になった。今日は結構移動量が大きい。
 まず、朝一で角島に向かった。兄の希望で、この角島大橋を走りたいということだったのだ。この辺の海水が澄んでいるのには驚いた。どこの沖縄ですかと言いたくなるくらいだ。海流の影響なんだろうか。
 結局、角島大橋は僕一人で走ることにした。Bromptonでだが、まだ交通量が少ないこともあって楽勝だ。ただ、船を通すためだろうか、鳩島を通過した辺りで、かなりのアップダウンを強いられる。ま、勢いで突破だ。
 角島灯台までは、兄と僕とで自転車で走った。つのしま自然館に抜ける道が良く分からず、プチ山岳戦をこなしてしまった。
 角島灯台近辺のキャンプ地も、水が澄んでいることもあってたいそう魅力的だった。海水浴客も多数繰り出している。
 角島を後にし、ここも未踏地だった仙崎に入る。観光船で青海島の周りをぐるりと回った。奇観、絶景の連続で、大層濃厚な時間だった。途中、岩場で写真屋さんが待っているのが面白い。右舷、左舷それぞれの客を撮り、後で申し込んでおけば記念写真を送ってもらえるという寸法だ。
 仙崎を後にし、山口市で温泉に入ってから、兄宅に戻った。いやあ、楽しい旅行でした。

2008年08月11日(月曜日)

萩周遊

21時12分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:晴れだな

 今日は萩で遊ぶ予定だ。僕は一日萩を走り回るつもりで、姪たちは昼から海水浴するつもりのようだが、兄はどうしようかなと考えているようだった。
 午前中は義姉、姪(下)もレンタルサイクルで走ることになる。萩旧市街を横断する道を、ゆっくり走った。
 まずは菊が浜と橋本川を結ぶ水路から出る観光船に乗る。これも4年前に乗ったなあ。ちょっと船着場が上流側に移動していた。
 今日は風が少しあって、波しぶきが上がる。そのため、操船も慎重だった。しかし天気よく、眺めも最高だ。
 次に萩博物館に寄った。なんてことの無い展示物だった。これだったら熊谷美術館のほうが良かったなあ。
 食事は萩しーまーとで取るつもりだったので、ホテルに戻り、車で移動した。鮮魚店で鯖を買い求め、半身を刺身に、半身を塩焼きにしてもらう。鯖の刺身は、脂がとろりと甘く、旨い。姪たちは鯖の骨しか残さなかった。鯖の骨が柔らかかったら、何も残さなかったろう。
 午後は、兄一家は菊が浜で泳ぐことにし、兄も気が向いたら僕と合流するということで別れた。さて、自由時間だ。
 まずは伊藤博文生家に寄ってみた。東京の文京区にあったという伊藤の旧宅も移設されていた。旧湯川家に行きたくて、阿武川に掛かった橋を上っていると、日差しに頭がくらくらするのを感じた。これはいかん。出来るだけ涼しい場所で休みながら走ることにしよう。
 湯川家は水場に外からのせせらぎが引き込まれているのだが、これが涼しそうでうらやましい限りだ。今、こういう家を作ろうにも、水を引き込むのが不可能だろうな。
 橋本川に沿って走り、旧田中義一別邸に向かった。案内のご婦人と『4年前にも来たんですよー』などと話す。二階に上り、涼しい風に当たりながら、しばし寝転がって過ごした。
 その後、萩の外周をほぼ1周して、新堀川に掛かっている平安橋という古い橋を訪れた。とても古い橋で、江戸初期には架かっていたそうな。さらに中心部に戻り、菊屋屋敷の前にある久保田家、桂小五郎生家などを訪ね歩くも、あまりの暑さに消耗し始めていた。夕方には合流しなければならないので、いったんホテルに戻った。
 ホテルで兄たちと合流し、今度は夕日を見に笠山に上った。やや早めに行ったのが正解。日没直前に水平線に雲がわいて、陽が飲み込まれてしまったのだ。だが、それまでの眺めはやはり絶景だった。
 日没を見るのを諦め、ホテルに戻ってから、昨日とは違った店に向かった。その途中で毒々しいまでの夕焼けに遭遇した。なにか、今日も一日が無事に終わったなという感じだった。

2008年08月10日(日曜日)

秋吉台~萩

22時43分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:晴れだ

 朝早くに兄宅を出て、車で秋吉台に向かった。姪(上)はすっかり落ち着いたもんだが、姪(下)がものすごく甘えるので弱る。こんな甘える子だったかな。
小郡近辺の山口~秋吉台自転車道に程近いコインランドリーの駐車場に車を入れ、そこから兄、姪(上)とともに秋吉台を目指す。4年前の記憶では、たいしたアップダウンは無かったはず。まあ、大丈夫でしょう。
 途中までは車道を走り、サイクリングロードに分岐してからが本番だ。途中で二本木峠という緩い峠を越える以外、これというアップダウンは無い。
 少し走ったところで、ブルーベリー狩りの看板を見つけたので、ショップに寄ってみた。暑くて消耗し始めていたので、ちょうどいい。
 真長田辺りで迷ったが、その後は川沿いの道を順調に走り続ける。この辺は涼やかでいい景色だな。
 やがてサイクリングロード終端、秋芳洞南に到着。ここで車組の義姉、姪(下)と合流する。
 秋芳洞には寄らず、展望台に上ってみた。この日は晴れで、多少雲もある絶好の日だった。撮れた写真はWindowsの壁紙にしたいくらいだ
 食事はこの先でしようということで、次の目的地の景清洞を目指す。秋芳洞の次に人気がある洞窟だ。駐車場に車を入れ、土産物屋で飯を食う。前回は食わなかった禅師河童蕎麦を注文する。意外にもゲテモノ感は無く、つるりと喉を通ってゆく。
 景清洞は、秋芳洞のようには石筍の類が発達せず、単に侵食されていった洞窟のようだ。面白いのが後半に待っている探検コース*1で、照明が無いので予めライト付のヘルメットを貸与されるのだ。また洞窟もそんなに整備されてないので、腰をかがめたりしながら通らねばならない。姪たちには大受けだった。
 次にサファリパーク。暑いのかやる気無さそうな象ややる気無さそうなライオンを見て通過する。トラは結構やる気だ。
 宿は萩に取ったので、先にチェックインしてから食事に出かけた。店は4年前にこぐ氏らと入った海鮮の店。相変わらず烏賊が異常に旨くて参る。しかし値段もかなりのものだ。ホテルが安かったし、民宿に泊まればこのレベルの飯を含めると1万は取られるよ、と自分を慰めるわれわれ一行だった。

2008年08月09日(土曜日)

呉をうろついて、兄宅へ

23時21分 天気:晴れだな

 結局、数時間しか眠れないまま、広島に着いた。高速バスって、楽なんだかつらいんだか分からんな。
 さて、今日はこのまま広島の兄宅に泊まるのだが、その前に呉の実家に寄っていこう。呉線で呉に帰り、実家に向かう。母がいたので13日にまた戻ってくることを告げ、ひとまず寝る。ぐうぐう仮眠を取った。
 昼前に中通りに出て、モリスを襲撃。相変わらず麺の茹でがアレだが*1、スープはうまいしチャーシューも肉々していてうまい。
 その後、兄一家への土産に天命堂の鳳梨饅頭を買った。これ、うかつにも呉にいた頃には知らなかったお菓子だ。いつも店の前をうろついていたんだが、そんな高名なものとは思っても無かった。
 広島からはBromptonで走り、兄宅に。軽い食事など頂きながら鳳梨饅頭を早速開封。おー、中のジャムがあっさり系で、とても好み。呉でぴか一のお菓子はフライケーキだが、アレは出来立てを食べないと本当の美味しさが分からないものなので、お土産にはこっちがいいだろうな。
 明日は早いのでさっさと就眠。

2008年08月08日(金曜日)

実家にバスで向かう

23時55分 天気:晴れ

 ヒヤヒヤハラハラし通しだった仕事が、午前中に無事片付いた。こうなると余裕を持って帰り支度したくなって、午後年休を取っていったん帰宅した。明日の朝までバスの車中なので、風呂も入っておきたいし。
 19:50横浜駅発に間に合うように、荷物を持って出かけた。BromptonとSパニア、そして着替え類をバックパックに入れて背負った。
 Bromptonは、別に咎められることも無くトランクに収まり、車中の人となる。じゃあ寝て行けたかというと、そういうわけにも行かなかった。席が後輪車軸の真上で、なにか踏みつける度にガツンと衝撃が突き上げてくるのだ。これはたまらん。その上、この日の運転手の癖なのか、やたら標識の類を踏みつけるのだ。おかげで、ほとんど寝ることが出来そうに無い。仕方ないので、時々Willcom03でメールを見たり、Walkmanでひたすら音楽を聴いたりして過ごした。明日、行動するだけの体力が残ってるかな……。

2008年08月07日(木曜日)

輪行一応OKっぽい

23時55分 , 自転車 天気:晴れ

 バス会社*1にメールで問い合わせてみた。出勤前にメールを打って、会社でチェックしたら、もう回答が来ていた。早いな。まあ朝一のチェックに間に合ったんだろう。
 結論を言えば大丈夫っぽい。ぽいというのが心許ないところだが、『宅急便で送れるサイズの自転車をそれなりに荷造りして置くので扱ってくれる?』と聞くと、『トランクルームに入れてね。人の荷物と間違えちゃダメよ』と微妙にずれた応答があったのだ。まあ、基本的に、スーツケースサイズならオッケーなんだろう。多少心配なので、出発までトレンクルにするかどうかで悩むことにする。
 しかし、利用するバスは流行の完全3列シートかつトイレつきなので、荷室には余裕があるはず。ハードルは高く無いと見た。

2008年08月06日(水曜日)

帰省用自転車

23時01分 天気:くもり気味

 帰省したら、兄一家と小郡~秋吉台、萩市街、仙崎界隈を自転車で走ろうということになっている。帰省の便は深夜バスなので、大荷物は少し気が引ける。なので自転車は別便で送ろうと思っていたのだが。
 Bromptonを眺めていて、つくづく考えたのだ。これなら行けるんじゃねえ? だってTraincleだったら余裕で輪行できたんだし、Bromptonの折りたたみサイズは、Traincleと大差ない。一昨年の年末年始に利用したときにはトランクルームもかなり余裕があったようだし。というわけで、バス会社に問い合わせて、拒否されないようならBromptonを持って行こうと思う。拒否されたら、Traincle。さすがにTraincleのサイズ、重さのものは拒否されないだろう。前に乗せたときは運転手に『これはなんだったんですか?』と聞かれ、自転車だとは思ってなかったようだしな。
 しかし、あまりの暑さに姪たちが干からびないか心配だ。いや、まず第一に俺がな。
 そういえば、今日は恒例の広島原爆記念日。今年も観光客が詰め掛けたことだろうな。