Strange Days

2010年01月20日(水曜日)

五月旅行泥縄式に検討開始

22時42分 , 自転車 ( 自転車旅行検討 ) 天気:晴れのちくもり

 さて、まだしまなみ縦走の日程も固めてない*1のだが、5月旅行のことを考え始めている。
 今年の5月連休は、5/6,7と休暇を追加すれば、4/29~5/9と11連休に出来そうだ。最低でも7連休で、結構長い。ずっと行きたいと思っていた、阿蘇~島原ツーリングはどうか。
 考慮しなければならないのは、また兄一家と旅行したいねと言っている件、5/3のツールド国東には出たい点だ。すると4月中~5/2くらいまで兄一家と旅行し、5/3のツールド国東から本格的に旅を始めるか。
 従来、長崎から天草~阿蘇~大分というルートを考えていたが、これは逆にしなければならない。しかし、四国から大分に渡るのが大変そうだ。従来は松山~別府間にさんふらわあが就航していたのだが、これが何故か戻りの別府→松山のみの就航になってしまったのだ。すると一度広島に渡って徳山~竹田航路で渡るか、佐田岬半島の先端から大分に渡るか位しか無い。どっちも大回りだな。兄一家との旅行は4/30~5/1位にするしか無いかと思う。いずれにしても、ここが一番厳しい。
 後は別府から阿蘇までなんとかしてたどり着いて、阿蘇を周り、熊本を走り、天草を走る。そして長崎辺りから帰ろうかと思う。結構な距離を、短期間で走ることになりそうだ。むぅ、輪行多用の旅になりそう。
 まあ、2月に入るまでには決めてしまおうと思う。

2010年01月16日(土曜日)

銚子~犬吠埼18切符の旅

21時02分 , 自転車 ( 自転車散歩 ) , デジタルカメラ 天気:今日も快晴

 18切符消化の旅第2弾。そして18切符残弾最後の旅だ。今日は銚子に向かう。
 流石に5時起きは無理で、乗ったのは戸塚7:23のエアポート成田。あまり客はおらず、ずっと座って行けた。対向ベンチシート式だったので、トレンクルは股の間に挟んで支えておいた。トレンクルもいろいろと難点のある自転車だが、軽さは七難隠す。
 成田で銚子行きに乗り換え、実に3時間半強もかかって銚子についた。銚子は思いがけず拓けた土地だった。駅前にはマックもある。
 トレンクルを、海沿いに向けた。駅から海に出ると、銚子大橋が出迎えてくれる。が、今日はここを走らない。
 既に空腹タイムに突入していたので、まずは腹ごしらえと少し辺りを探索。今日は海産物は欲しくないな*1。トンカツ屋があったので入ってみた。チェーン店だったが、ソース類が充実して、トンカツ以外のお代わりも自由で、意外にも当たり。
 満腹状態で、海沿いの道を走る。防波堤を望む岸壁に、フィールドスコープや巨大な望遠レンズを林立させたバードウォッチャーの群れを発見。何を見ていたのか。対岸の風車とカモメたちの対比を狙っていたのか、なにか珍しい渡り鳥でも来ていたのか。
 港湾地区に迷い込むと、少し難儀した。生物を扱うが故にか、氷を大量に生産、消費する光景はよく目にした。すると停車中のトラックから大量の冷水が流れ落ち、それが道に溜まっているのである。それらの魚臭い泥水で、トレンクルがかなり汚れてしまった。あーあ、帰って綺麗に洗わないと。
 港を外れると、もう海の風景が美しい。きっとローディには嬉しいコースなのだろう。隊列を組んで走るローディを何組か見掛けた。
 ちょっと道路が狭い区画もあったが、交通量は意外に少なく、また通りやすい歩道が整備された区画も多く、トレンクルには通りやすい道だった。
 犬吠埼に到るまでは、何箇所か展望点があって、晴れた空に立つ灯台が綺麗に映える。犬吠崎には灯台の他に巨大なアンテナが立っている。船舶用DGPSの発信局なんだげな。
 少し南下すると高浜虚子の句碑がある。この辺は明治昭和の文人たちが句碑の類を残しまくっている。
 長崎鼻近く、ほぼ対岸からの眺め。岸壁の屹立ぶりと合わせ、いい眺めだ。
 長崎鼻の方は、別になんということも無い小漁港と、シンプルな灯台の立つ場所だった。
 長崎鼻を回って西行すると、銚子のドーバーと呼ばれるらしい屏風ケ浦がある。対岸のヨットハーバーに近い公園からの眺め。先端までずいぶんと長い。
 そこから外川駅に取って返す。物凄く時代を感じさせるレトロと言うより遺構じみた駅舎に、可愛らしい電車が待っている。切符を買うと硬券が出てきた。手にするのは30年ぶりくらいじゃないか。
 沿線の風景も楽しく、内陸部もかなり楽しそうに思えた。銚子駅で乗ってきた電車を撮り、また4時間ほどかけて帰宅した。
 銚子の旅は短いが楽しかった。まあ移動時間の長さには泣いたが、鉄分50%の旅だったのだから良しとしよう。銚子もまた再訪したい場所だ。

2010年01月15日(金曜日)

清水~静岡18切符の旅

21時34分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ 天気:快晴

 なんとか朝早くに起きたので、勇躍清水へと向かうことにした。
 朝一の静岡行きには間に合わなかったので、熱海乗り換えとなった。持って行ったのは、走行強度を見てトレンクルだった。これならどこでも持ち込めるぜいと思ったものだ。が、平日朝の東海道線の混み具合を甘く見ていた。戸塚では結構空いていたのだが、大船で乗る乗る。藤沢で空いた隙に、慌てて座席をせしめた。乗った車両はムーンライト長良の返送車両だったのだが、足下にトレンクルなら問題なく収まった。
 戸塚を過ぎると空いてきて、後は長閑な電車旅となった。
 清水には10:30頃に到着。結構きれいに晴れて、富士山が出迎えてくれた。
 静岡駅のすぐ近くを、太平洋自転車道清水~静岡線が走っている。この三保までの部分には元々は国鉄清水港線が走っていたのだが、廃止されて跡地が自転車道として再利用されたものである。走って行くと、途中に遺構が残されている。これは美術館の館外展示場とのことだが、なぜか清水港線で使われていた車両が展示されている。
 途中、途中駅の跡地や、もしかして転車場の跡地と思しき円形の道を過ぎ、やがてかつての終端駅三保駅の跡地にたどり着いた。
 ここらで腹も空いたことだし、と、そば屋に入って桜エビの掻き揚げ入り蕎麦を食した。さらに半島の先に進むと、今日の主目標、東海大学海洋科学館が待ち受けていた。入館料は、隣接する自然史博物館と併せて1800円。結構お高い。まあ1時間ほど入れたらと思って入ったのだが、これがもう楽しいのなんの。平日なので人がいない。思いがけず見応えのある展示物の数々。すっかりはまって、3時間ほども居てしまった。大水槽の前でしばらくボーッとし、津波実験に見入り、クマノミたちに癒され、鯨の骨格標本に驚愕し、海洋生物ロボットの動きにぞわぞわさせられて、ずいぶん長居してしまった。これでもかなり駆け足で移動したつもりだ。
 ついでのつもりだった自然史博物館も意外におもしろく、特に恐竜化石を実際に触れるという展示にはまってしまった。参ったな、この両施設は、是非とも再訪しなければ。
 この先、静岡まで走るつもりだった。太平洋自転車道は、しばらくは海岸沿いの心許ない道になっている。しかし駿河湾越しに見える富士山は、ほとほとフォトジェニックだ。
 海辺の道なんだかなんだか分からないルートを過ぎると、いよいよ太平洋自転車道清水~静岡線が本格的に始まる。走りやすい、いい道だ。砂も湘南海岸のようには多くなく、トレンクルでも快適に走られた。
 途中、遊歩道*1につながって迷子になったりしたが、最終的には幅の広い、よく整備された自転車道につながる。これで静岡まで快適な道のりかと思いきや、最悪の敵が登場した。超強烈な西風だ。トレンクルだと進まねー! これでは日暮れまでに静岡駅にたどり着けないんじゃないかと思った。リアの赤い点滅灯は持ってきていたのだが、フロント側につけるライトがない。これはピンチだ。シングルギアのトレンクルで出せる限りの速度を出し、静岡までジリジリと走っていった。
 この辺、なぜかストロベリーロードなる愛称がつけられているのだが、その理由は国道沿いにずらっと並ぶイチゴ農園の列だ。
 日本平の海側を走る時には、もうこのまま討ち死にするしかないんじゃないかと思ったものだが、なんとか静岡まで走り通せた。登呂遺跡をチラッと見て、静岡駅で蕎麦を食ってから帰宅した。
 それにしても、水族館にはもう一度行きたいものだ。

2010年01月13日(水曜日)

しまなみ縦走2010に参加しようではないかと思う

22時44分 , 自転車 ( 自転車旅行検討 ) 天気:晴れ

 会社で、春までのスケジュールを話していたら、褒賞休暇はどうしても取らなくちゃねと言う話になった。総務から強力なフォローが来るので、上司としてもこればかりは取らせなきゃならないらしい。しかし、春までは仕事の谷間ってそんなに無い。強いて言えば3月中旬以降か。ということで、3/19~29を休暇に充てられそうな気配が漂ってきた。
 この辺のイベントといえば、あれだな、しまなみ縦走2010。今年のは行くつもりは無かったが、どうせなら今年も参加しよう。去年はイベント自体は楽しかったが、雨に降られたのと、我輩自身のお子ちゃまぶりを露呈してしまう苦い体験があって、今ひとつ思い出したくないイベントになってしまった。このトラウマを克服しなければだわ。
 とりあえず、サンライズ糸山に予約を入れようとしたが、3/21は既に満室のようだ。毎度毎度糸山と言うのも食傷気味なので、今回は今治駅周辺に宿を取って、夜は焼き鳥屋に繰り出そう。
 3/20は前から泊まりたいと思っていた大久野島に宿を取ろうと思う。
 とりあえず同行していいぜと言う向きはいないか?

2010年01月07日(木曜日)

山口を歩く

22時56分 , デジタルカメラ 天気:晴れ続く

 明治維新関係の話題を萩に取られている観がある山口(市)だが、それならという訳でもなかろうが戦国期の大内氏でもって売り出そうとしているようだ。ということで、青春18切符消化の一環として、山口まで足を伸ばすことにした。
 山口までは、呉を6:30頃出る下関行きで向かう。途中の新山口で山口線に乗り換え、山口着は10:00を回った頃だ。4時間くらい掛かるのだ。新山口で乗り換えなければ下関に行けるが、到着は11:30。冬場だと現地での戦闘時間は3~4時間しか取れそうに無い。
 山口駅周辺には、びっくりするほど何も無い。といっても荒野に掘っ立て小屋が建っている状況ではないが、小売店の類が駅のNewDaysしかないのではないかという状況だ。
 HT-03AでGoogleMapsと山口の観光情報を見比べながら、まずはザビエル記念聖堂を目指した。ちょうど外壁の塗りなおしで立ち入りは出来なかったが、見たかったのは外観の方なので関係ない。聖堂は山口市中心にある山、亀山の中腹にあり、さらにえらい高い塔を持つので、遠くからでもよく見える。仏教寺院のそれとは異なる鐘の音が、どうやら15分おきに聞こえてくる。
 亀山に登ってみた。頂上にはそうせい殿こと毛利敬親の馬上像が立っている。見晴らしの良い場所で、今日のお目当て、瑠璃光寺五重塔が遠望できる。
 亀山を北に下り、山口県庁方面に歩く。県庁の旧庁舎前に、なぜか古く重々しい門が残されている。幕末に新設された長州藩政庁の門だということだ。
 さらに進み、瑠璃光寺に近づく。その近所にある洞春寺観音堂は、室町時代に大内氏の手によって創建されたという。この寺の鐘楼も見もの。
 瑠璃光寺の近所には毛利家近代の墓地がある。敬親始め明治期の毛利公爵家3代の墳墓が鎮座している。裏手には今の毛利家の墓もあるので、そっとしておこう。
 いよいよ瑠璃光寺五重塔を望む。景観を計算してか、心憎い位置に池があるので、借景しよう。
 ここらで昼食。Twitterで助言を受けながら探したが、蕎麦屋しかなさそう。ということで、山口にあるのになぜか東京蕎麦を名乗る店に入った。鴨南蛮(でも鶏肉)を頼んだ。暖かいのを食べたい。藪蕎麦に薄味の出汁はよく合っていたが、800円ではちょっと値ごろ感が無い。
 さて、昼食後の腹ごなしもかねて、ちょっと足を伸ばす。市域の北側には国宝製造機ともいえる室町期の画僧、雪舟の終の棲家と伝えられる庵がある。すぐ傍に高すぎない山があり、住むにはよさそうだ。かつてはこんなに家屋が無かっただろうし。
 さて、そろそろと山口駅に戻ろう。15:00頃の便に乗ると、今度は下関発で呉まで直通する便に連絡できるのだ。
 その帰路は、歴代の大内氏当主が政務を執り行った築山館の跡を通過する。館の跡は築山神社となっているが、この辺に遺構らしき物があるかなあという程度の薄ぼんやりした雰囲気だ。南に大内義隆が政務を取った大内館跡がある。実質的には1つの館だったようだが、後年になって南西に向けて拡張されていったということらしい。大内館の跡地には竜福寺という寺があり、その周囲にはかつての土塁が見られる。また境内には有料の資料館があったので、ざっと概観してみた。
 竜福寺の南には良い塩梅に古びた洋館造りの写真店があった。
 駅に戻り、往路を逆にたどって帰宅した。行き帰りで7時間強。18切符で安上がりとはいえ、時間を要する旅だった。