Strange Days

2013年08月15日(木曜日)

隠岐ツーリング最終日~離島の日

23時44分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:多少曇る

 朝早くに置き、ポケロケと自転車一式を、トラベルケースにパッキング。朝食後にフロントに預けた。『自転車を部屋の中に持ち込んだ方は初めてです』と笑われた。そうだろうなあ。しかし、快適な宿だった。
 高速船で本土に戻る。この先はあまり考えてないが、バス便が念頭にあった。そこでまず、出雲市駅から広島に出ているバスの予約をすべく、電話を入れた。が、朝から昼にかけての便は、既に席が埋まっているとか。時期が時期だしなあ。
 では米子まで出てとか、松江でとか考えたが、ふと思い出したのが発車オーライネット。ここでバス予約できるのだが、出雲市~広島の便も扱っているのではないか。で、せこせこと検索すると、やはり扱っていた。夕方の便が空いていたので、さっそく入れておいた。
 これで心は決まった。夕方までは時間があるので、出雲大社に行ってこよう。
 まずは出雲市駅まで出て、駅の食堂で出雲蕎麦を食う。悪くないぞ。しかし、後ろでスマホをいじっているアホそうなお姉ちゃんたちが、いろいろアラーム音を試して大音量で鳴らすのがうざい。ご逝去遊ばされてくれたまへ。
 さて、さっき予約したバスのチケットを発見しなければならない。駅から少し離れたローソンで発見したが、よく調べるとエキナカにバスチケット取り扱い所があった。ここで買えたんじゃねえの? ローソンに向かう途中、駅前にこんなもの発見。前からあったかな。
 ともあれ、いつ見てものどかでほのぼのする、一畑電鉄に乗り込み、出雲大社に向かった。途中の川跡で乗り換え。乗客はかなり多い。
 その出雲大社。おお、と思ったのが、ごみごみしていた鳥居前が一気に整理されたこと。門前町へと下る道路も、綺麗に舗装し直されている。
 今年春に修復の終わった本殿。本殿を丸々見るには、背後の山にでも登るしか無いのか。高高と聳える入母屋造りの屋根は、初めて目にする。
 県立古代出雲博物館に立ち寄ってから、また出雲大社駅から一畑電鉄で、出雲市駅まで戻る。そして、またエキナカの店で早い夕食を腹に入れてから、バスに乗り込んだ。
 バスが広島駅に着いたのは20:00頃。実家に帰っても飯はなさそうなので、駅のお好み焼き屋に入ってから、電車で実家に戻った。
 しかし、楽しかったのだが、隠岐の島は遠いと思ったですよ。はい。

2013年08月14日(水曜日)

隠岐ツーリング4日目~島前編

23時26分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:快晴

 島後はだいたい走り終わったので、今日は島前を攻める。
 島前の主要な3つ、そして島後とを結ぶ航路は、隠岐観光が運航する小型フェリーが往来している。これをうまく結ぶと、海士、西ノ島は渡れそうだ。最初は知夫にも行けそうに思えたのだが、便数的に1日では無理とわかったので、今回は諦めた。
 朝一の海士行きの便に乗り込む。隠岐フェリーのような大型船ではなく、瀬戸内に多い内海用フェリーに毛が生えた程度のものだ。
 フェリーは、いったん島前島後間の外海に出てから、島前の島々が囲む内海へと入る。島前は、実は一つの大きなカルデラを囲む外輪山なのだ。やがて、フェリーは、海士の菱浦港へと入った。ここもよく整備された、小さいながらきれいな港だ。
 次の西ノ島への便の時刻を確認してから、海沿いに、時計回りに走りだした。
 港に小公園があり、そこにこんな像が。小泉八雲夫妻が来島した故事を記念したものとか。おや、吉田くん。
 港からして、水が澄んで美しい。諏訪湾をぐるり回り、その出口近辺の小湾に架かった*1北分大橋からの眺めは素晴らしい。ポケロケを置いて
 島の北辺に向かうと、水田を前に宇受賀命*2神社がある。この祭神も、謂れの分からない、この社だけの神だ。小さな丘陵を背後に従え、前面に水田を置き、その真中を参道が伸びている。神社は色々見て回ったものだが、これほどロケーションの素晴らしい神社は、他に北斗神社くらいではなかろうか。参道入口の鳥居から覗いた時の、左右の水田と真っ直ぐな参道のバランス。そして遠く本殿の高々と見えること。小社ながらも、その佇まいに歴史的な裏付けを感じさせられる。ただし本殿は近年の建立だとか。
 島中央の丘陵を通る車道を走り、南下してゆく。暑いなあ。家並みの間、雑貨屋の前に自販機を発見したので、冷たいのを一本入れる。あちこちに盆踊りの飾り付けがあった。
 役所に近いあたりまで来たところに、隠岐神社がある。承久の変で流されてきた後鳥羽法皇を祭った神社だが、建立は戦前のこと。後鳥羽院の配流地と、火葬した灰を埋めた火葬塚を祭ってある。江戸期には寺が護持していたが、例の隠岐騒動の際にどさくさ紛れの廃仏毀釈に巻き込まれ、ここにあった小社ごと廃されてしまったという。
 神社の向かいには、後鳥羽院資料館があり、法皇ゆかりの品々、絵画を閲覧できる。晩年は、各地から刀匠を招き、御前にて仕立てさせたり、時には自ら鎚を振るったという。想像するに、刀匠は各地の武士勢力と当然密接な関係を持っており、鎌倉幕府への不平不満などの情報も耳に入っていたのではなかろうか。すると、決して再起を諦めたのではなく、執念深くその時を待っていたのかもしれない。その前に、寿命が尽きたわけだが。
 港に戻り、西ノ島へのフェリーに乗る。内海をしずしずと進み、やがて西ノ島の玄関、別府港に入る。渡ったはいいが、あまりに暑いので遠くまで走る気になれない。港周辺をぶらつこうかなと思いつつ、昼食場所も探しつつ入ってみたのが、黒木御所資料館。黒木御所は、ご存知後醍醐天皇の配流地だ。その資料館に入ってみると、意外に狭い空間に、あるのは書画の類のみ。受付で暇していた初老の男性に、有料である旨告げられる。まあ時間潰すかと、入ってみた。
 するとその方は、よほど暇していたのか、『長くなりますが』と前置きして、それらの書画を前に、私見を交えつつの説明を与えてくれた。曰く、後醍醐帝が後鳥羽院と同じ憂き目に遭いつつも再起を果たし得たのは、地元の勢力と友好関係を築き得たからだ、と。
 後醍醐は、どうやら気さくに地元民と接し、時に車座になって酒を酌み交わしたという。その前半生が、辛酸を舐めるようなものであっただけに、こうした低い身分の人々との交流にも躊躇わなかった。それが地元民の崇敬を呼び、島抜けに際して協力を得ることが出来たという。
 また、後醍醐の支持者は本土にも多くあった。後醍醐が御所を抜け出し、一山越えた北西にて船を待つと、時を置かずに三木一草の名和長年が手配したと思われる海賊船が迎えに現れている。これも後醍醐が御所を脱してから使いを出したのでは間に合わず、本土側と入念な事前打ち合わせがあったはず。つまり後醍醐は既に本土と自由に意思疎通できていたはずだ、と。これらの点も、生活のために本土との往来がある、地元民の協力があってのものだろう、と。
 歴史上の事件の舞台になった地で、その背景の一説を聞くというのは面白かった。何でもこの方、マスコミ関係だったのだが、隠岐の島が気に入ってIターンしてきたという。
 この方の勧めもあって、景勝地の摩天崖に登る気になった。摩天崖は、景勝地国賀海岸にそびえる断崖絶壁で、その落差は200mに達する。ということは、それだけ登らなければならない。ポケロケで200mなら余裕だが、この強烈な日射のもとで耐えられるだろうか。
 西ノ島は、大きく東西の山塊に別れており、狭い海峡が貫入している*3。その海峡までの一山の途中で、スーパーを見かけたので軽食を買い込んだ。そして海峡に架かる橋を渡る。
 渡りきり、いったん海岸線に出て、しばし走ると、由良比女神社がある。ここも創建の謂れが不詳で、祭神の正体もいまいち謎な古社だ。いいなあ、こういう神社ばかりってのは。
 神社から西進し、学校と店舗に行き当たった辺りから、いよいよ登坂が始まる。谷あいなので風は通りにくい。汗だくになりつつ登りつめると、トンネルを超えてから一度下がる。このまま登らせてくれよ……。
 国賀海岸が見える辺りまで下り、再び登りにかかる。これが、この旅で最悪の上りだった。なにせ午後の西海岸は日射がまともに降り注ぐわけだし、溶岩台地の荒涼とした斜面には灌木すらまばらだ。つまり、逃げ場が殆ど無い。
 途中で、このへんに放牧されている馬の一家に遭遇。人馴れしているはずだが、念の為に距離を取りつつ徐行。
 この後から、いよいよ灌木も消え失せ、完全にカンカン照りに曝されつつの登坂になる。これが辛いこと。ペットボトル2本分の水を背負ってきたのだが、瞬く間に残り少なくなり、滝は汗のように流れ落ちる。それが目に流れ込んでくるので、不快さはマキシマムだ。
 登るうちに、目的地の展望台が見えてきた。残る高低差は100m以下だろう。だが、あの遮蔽物の全くない場所に登るなんて、自殺行為ではなかろうか。危機を察し、しばし考えこんでから、諦めて引き返した。車も殆ど通らないので、熱射病で行動不能になったら、万事休すだ。
 下りは悲しいくらい早く、しかしその先は超えてきた坂を越え返さなければならずで、悲しい限りだ。真夏のツーリングはやるもんじゃないなあ。
 港まで戻る。昼飯を食い損ねていたし、涼しい場所に入りたかったので、港の前の、ここで飯を食ったら負けっぽい感じの喫茶店で、肉うどんを求めた。適当なうどんの上に適当な肉が載ったこれが、\800。負け感がマキシマムだ。とはいえ、黒木御所資料館のおじさんも言っていたが、島の物価はそもそも高いのだ。取れる物といえば海産物の他はわずかな農作物のみで、海産物以外は一切合財を当該から輸入しなければならないこの島は、土地以外の物価がことごとく高いのだ。
 フェリーまでは時間があるので、港の辺りをしばしぶらつく。港の入口に、まるで塞ぐかのように小島が立ちふさがっている。後醍醐がこの島に流された時、鎌倉幕府の役人が監視哨を築いた島だという。
 帰路のフェリーに乗り込み、西郷港に近づいた辺りで、日が島影に没してゆく。今日も楽しかったが、真夏のツーリングは、高強度の運動を想定すべきではないなと思った。

2013年08月13日(火曜日)

隠岐ツーリング3日目~東半分編

22時23分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:憎たらしいほどの快晴

 昨日と同じくらいに起床し、ホテルの朝食。割とガッツリ食う。昨日は消耗したからな。
 しかし、意外なくらいに疲労感は少ない。ともかく、失った分だけの補給はできていたからだろう。今日も出掛けに、裏のショッピングセンターで、携行食と水を買い求めておいた。
 今日も、途中までは、昨日と同コースを取る。すなわち、島の縦貫コースを走り始めた。
 玉若酢命神社を通過し、実は昨日立ち寄っていた国分寺跡*1界隈も通過。隠岐酒造も過ぎた中条で、北東への道に乗り換える。かなりの傾斜だが、まだ走り始めて直ぐなので、のんびり登ってゆく。それでも、汗は滝のように流れる。
 登り切って、やや平坦になった辺りに、銚子ダムがある。そんなに巨大なダムではないが、それでもこの島の人口を十分に賄えるのだろう。
 銚子ダムからサイドの登りにかかると、峠を一つ越える。トンネルを抜けて、やや下りに差し掛かると、程なく道路の北東側に、ひときわ巨大な樹が立ち上がる。これがかぶら杉。根本から幹が分裂している。高さも一等抜けている。
 で、その足元を見ると……。なんと、ここにも水木しげるワールドが! このまま進んだ中村港辺りには、武良(むら)という地名があり、それが水木翁の本名と同じらしい。で、ルーツはここなんじゃね? ってなわけで、この辺の町興しに一役買っているのだそうな。
 さて、その中村に向かって下りきった辺りで、道が集落を抜ける旧道と、それを迂回した新道という、いかにもな場所に出た。旧道を進むと、その新道から身を隠すようにして立つ、自販機を発見。冷水を求めていたら、近所の農家のおじさんと立ち話が始まった。なんでも、この年は隠岐でも異例の少雨で、そろそろ稲もやばいね、ということらしい。暑すぎる夏だな。
 おじさんがちょいちょいと手招きするので、温室に入ると、そこに実っていたブドウ*2を一房、二房をごちそうしてくれた。ありがたい。高温少雨が逆に幸いしたのか、とても甘くて癒されるブドウだった。楽しい旅だ。
 おじさんに礼を言って、更に少し走ったところで、中村港に到着。案内板を見る限り、店を探すのに苦労はなさそうだ。そういえばと思い、すぐ近くにあった酒屋兼雑貨屋で、AAA電池を買い求めた。先にトンネルを抜けた際に、リアフラッシャーが暗くなっているのに気づいたので、電池交換したのだ。しかし、このフラッシャーはシャレにならないくらい電池の脱着が渋い。買い換えた方がいいかなあ。
 ちと早いが、そろそろ食事にしたい。さほど苦労すること無く、海岸近くで小さな店を見つけ、入ってみた。メニューに隠岐牛カレーというのがあったので、注文する。肉はかなり入っていたが、あまり煮こまれて無くて固い。が、カレーとしては妙に美味だった。店構えを見ると、ハングルっぽい店なんだけどな。朝鮮民族な人が経営に関わっているのか、彼の地からの客が多いのか。
 海岸線に出て、もう少し詳しそうな案内板を見る。見どころは多そうだ。特に真北、島の北方を一望できる白鳥展望台は気になったが、そこまで200mくらい登るので断念。真夏のツーリングでは、ヘタすると死にかねない。そこまで、冷水にありつけるか怪しいし。
 というわけで、港を冷やかした。海水浴場があり、意外なくらい賑わっていた。こんな孤島の極北ともいうべき場所に、どこから集まってきた。
 さて、この地に水木しげる翁のルーツがあるとされていると書いたが、当然でっかい足跡も記されている。町中、廃校を流用したと思しき施設の側に、こんな奇矯な像が建てられているのだ。この像が立つ広場は、実は学校とは無関係で、神事に関わる場所らしい。
 中村から南下を始めた。すぐに田の側に立つ案内板に気づいた。蟹に圧倒される神様って、一体何なのだ。
 トンネル抜けた布施辺りで、もう頭が煮えてきた。幸い、このコースは、自販機に困らない。布施にあるレストラン前の自販機で冷水を買い求め、すぐ先のトンネルの広い歩道に寝転がって、しばしクールダウン。顔を洗いたかったのだが、一見公衆トイレに見えた建物は、正体不明の謎の施設で入れず、近くの神社でというのも気が引けたので、かった冷水で顔を洗った。すっきり。
 十分クールダウンしたところで、また走り始める。トンネルが続くので、景色は見えないものの、体力的には助かる。そして、トンネルの間から見える景色に、心洗われるようだ。水が澄んで、かなり離れた海底の地形がはっきり見えるのだ。北から南まで、日本海沿いに結構走ったが、一番水が澄んだ場所だった。
 卯敷で、また自販機を見つけて、クールダウン。そうでもしないとやってられない。しかし、おかげで熱射病の予兆は、まだ現れない。
 ここから大久までの海岸線が、島後の旅のハイライトだった。とにかく奇観美観が多く、2~300m走っては思わず写真を撮りと、ちっとも先に進めない。
 小休止を取りながら、大久に着き、ここでも自販機の冷水を……と思ったら、水は水でも天然みかん水しか無い。余計なものを。これで指を洗うと、帰ってニチャニチャしちゃうんだよな*3
 大久から西郷へと抜ける道が、この日の最大の難関だった。とはいえ、昨日のような本格的山岳戦には程遠い。また、越えたらすぐに西郷港という気楽さもある。
 プチ峠を超え、ビャーっと下ると隠岐水産高校近くに出る。もう完全に市街地で、公園の自販機で最後の休憩を取った。
 西郷港へと渡る橋から海を眺めると、これがまた市街地の近くとは思えない眺めだ。
 ホテルに戻る前に、内陸のショッピングセンターが集まっている辺りに向かう。この辺にコインランドリーがあるよと、フロントで教えられたのだ。行ってみると、思ったよりも新しい、本格的なのがあった。
 ホテルにいったん戻り、洗濯物を抱えて、さっきのコインランドリーに戻る。そして3日分の洗濯物を洗った。これで着替えの心配は不要だ。
 明日はいよいよ島前に渡る。

2013年08月12日(月曜日)

隠岐ツーリング2日目~西半分編

22時59分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:いい天気だ(良すぎ)

 早起きして、ホテルのレストランで朝食。海産物も干物中心の、まあホテルの朝食でバイキングじゃないとすればこう、という感じのものだった。
 さて、今日は隠岐の島の西半分を走りたい。島の真ん中を北へと突っ切ると、著名な神社を2つ拾える。後は景勝地を巡りたい。問題は、昼食を取る場所があるかどうかだ。
 そんなわけで、ある程度の食料は、背負ってゆかねばならない。ホテルの真裏にあるショッピングセンターで、ゼリー食とスポーツドリンク、水、パンくらいを買った。今日はVarioを背負ってゆくので、収納に困ることはない。
 さて、ショッピングセンターから、昨日渡った西郷大橋方面に向かう。港にある水祖神社。これでみやおと読むのだそうな。謂れの分からない、古い古い創建の神社だ。隠岐には、こういうわくわくするような神社がゴロゴロしている。
 昨日渡った西郷大橋を横目に、しばし湾の奥へと向かい、適当なところで内陸に転じる。急坂を上り、平坦になると、すぐに見えるのが、玉若酢命神社だ。古代以来、隠岐の国造だったという億岐家が神職を司ってきた古社で、大本の祭神の正体すらも不明という、まことに素晴らしい神社だ。
 その億岐家の住宅を見学できる。隣接して、有料だが宝物館があり、律令時代に配備された駅鈴*1などを拝むことができる。
 玉若酢命神社の随神門と本殿への登り口の間に、巨大な杉がそびえている。八百杉という、樹齢1000年とか2000年とか言われる巨木だ。背後の森から離れて聳えているせいもあって、その威容には圧倒される。ゴツゴツした根の一部が露出しているのだが、長年の風雪によって磨き上げられ、まるで金属のような光沢を帯びているのもよい。
 で、この神社の前に、こんなものがある。妖怪水木しげる翁のルーツが、この隠岐にありそうとのことで*2、ここまで延長中なのだとか。
 内陸に向かう。しばし、郊外型のショッピングセンターが散見される。その中の電気屋に入り、USBマウスを購入した。VAIO Pro 11に無線LANマウスを組み合わせているのだが、これを使うとVAIOが絶不調になるのだ。このW-LANドライバに問題があり、Windows8の仮想ステーションモードドライバを入れると、端末としての動作にも影響が出てしまうのだ。
 この辺、内陸部の盆地で、瑞々しい田園風景が続く。
 そんな一角に現れるのが、隠岐の地酒、隠岐誉の酒蔵だ。要予約だが、見学が可能らしい。
 更に内陸に進む。暑いので、早くもめげてきた。製材所の近くに自販機を見つけたので、冷たい水を買い求めに立ち寄った。
 そのコイン投入口に硬貨を投入する時、なにか妙な感じがした。コインが通過する金属音がせず、ゆっくり入れたのに何枚か戻ってしまったのだ。あれ、と思ってみると、投入口からなにかが顔を出した。アマガエルだ!
 そろそろ人生も半世紀に近くなっているが、こんな体験は初めてだ。内部の冷気を慕ったのか。しかし、どこから入った? つつこうとすると、ぴょんと跳ねて逃げ出した。
 更に走ると、本格的な登りにかかり、峠を掘り抜いたトンネルに差し掛かる。峠とはいえ、島後は東西に山があって、その間に低地が広がっている塩梅なので、それほどの高さではない。トンネルは結構長いが、交通量が少ないので助かった。
 下ってゆくと、南の玉若酢命神社に比肩する古社、水若酢命神社がある。玉の方もだが、この水の方も、港からは奥行った微妙な場所にあって、峠道を行くにしても、昔は陸路よりもよほど便利だったろう海路を行くにしても、微妙に不便そうな場所にある。東西の山を均等に遠望できる位置と、高地から流れてくる水とが、この位置を決めたのだろうかと思う。
 そろそろ昼だが、もう少し先に進む。ここから西海岸を舐めて戻れるか、いささか気が急いていた。昼食場所も心配だが、一応の心づもりはあった。ここから西に向かう海への途中に、隠岐温泉GOKAという施設があるようなのだ。そこになら食堂の類があるんじゃなかろうか。そこで、海への概ね平坦な道を走っていった。ある程度走ると、どこからか潮の匂いが強まり、ゴツゴツした岩壁が目立つようになってくる。しかし、温泉は見つからない。どこだ。途中で撮った写真を後で見なおした結果、このお役所っぽい建物がそうだったと判明。この面構えで温泉とは思わんじゃん、フツウ。
 ともかく、飯を食い逃し続けていた。後で深く調査すると、先の水若酢命神社近くの郷土館、後出の福浦近くのホテル、そして実はこの温泉でも、一応は食事できることが判明した。リサーチが足りませんでした。
 海に出ると、車道は内陸のトンネルに吸い込まれるが、海沿いに古い隧道が続いているという。そちらに向かうことにした。この隧道、明治初めに手掘りで掘られた後、もう少し土木技術の発展した明治後年になって内陸に掘り直されたもの。かつては、五箇村から海沿いの漁港に向かうには、この道を通るしか無かったし、それ以前は危険な磯道を通る以外になかった。写真の道は、2代目の方。
 隧道を通る間は誰もいなかったが、通り抜けた先にホテルがあった。一見してレストランの類があるように見えなかったので、ここも通過してしまった。しかし、どうやらレストランはあった模様。
 お腹が空いてきたので、重栖漁港の車道沿いにあった自販機近くに停まり、ゼリーとパンをぱくついた。とりあえず空腹は和らいだが、それ以上に消耗している。気温は30℃を大きく超えているだろう。もう1リットル以上の水を消費しているのだが、汗が全く止まらない。
 少し休んでから、覚悟を決めて車道を走り始めた。というのも、あからさまな上りだったからだ。
 道は、プチ峠道の観を呈し、うねるように登ってゆく。山間部なので風が止まってしまい、ますます往生する。これが隠岐の島の必殺技、孤島飢え殺しか。
 長尾田、油井とプチ峠を抜け、油井漁港にせめて店舗でもないかと探しに降りた。しかし、そんな気の利いたものはなさそうな、こぢんまりした漁港だ。それでも、漁港で奇跡のように自販機を発見。冷たい水で、頭を冷やす。
 この油井には油井の池という円形の湿原があるのだが、草木が生い茂り過ぎてよく見えなかった。
 この油井から都万へと抜ける道が、プチじゃないガチ峠道で、正直死ぬかと思った。風の抜けない山上の急坂を、熱くなり過ぎないようにギリギリの遅さで登ってゆく。あまりにも水を消費するので、随分買い込んできた水の残りが、とうとう心細くすらなってきた。
 しかし、やがて報われる。登り切った辺りにトンネルが有り、そこを抜けると、都万への下りが待っていた。ありがたや。自分が巻き起こす涼しい風に、一気に生き返るようだった。
 下りきった辺りに、待望の自販機を発見。一気に蘇った。しかし、隠岐なんて孤島の、車も少ない集落にも、ポツポツと自販機はあるものだ。
 都万の海岸線に、ちょっと入る。闘牛を表したフィギュアがあったりして、この辺は観光に色気ありそうだ。海岸線に入ったのは、この目立つ橋に近寄りたかったからだ。すっかり失念していたのだが、ちょうど登った橋の海岸線に、都万の船小屋*3があったのだ。見忘れたよ……。
 ここと西郷の間にも、ちょっとした山道はあるのだが、たかが知れているので余裕だ。山間の小天地のような稲田の眺めを横目に、ひた走った。
 ホテルに戻る前に、近辺の市街地を少し巡る。やはり、盆休みの店は多い。夜もやっていそうな店もあるが、なぜか市街地の外れにあって、そこで飲んで帰るには遠いのだ。自転車ならば楽勝だが、この暑さでは飲むでしょう。
 というわけで、今日もショッピングセンターで夕食を仕入れる。しかし、この惣菜コーナーは地物を使っていて、隠岐牛のカレーなんぞもある。あれこれ仕入れ、ホテルに戻ってから、ビールを開ける。くぅ、うますぎる。今日は消耗したからなあ。
 明日は東半分を回るつもりだが、どうなることだろう。

2013年08月11日(日曜日)

隠岐ツーリング初日~とにかく島へ編

22時53分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:快晴

 朝、4:20くらいに起床。既に暑い。そして寝不足。まあ、今日は移動日なので、どこかで取り返せるだろう。
 荷物をVario一つにまとめ、身軽に羽田に向かう。カメラは、できるだけ軽くて防水防塵なTG-1というのも考えたが、やはりカメラとしての性能を取ってNikon 1 V2を選択する。
 羽田から米子空港に飛ぶ。機中、少しウトウト出来たが、睡眠不足解消には至らなかった。が、気分はすっきりする。旅の始まりが、一種の憂鬱さと高揚とを、同時にもたらしている。
 米子空港からは、どう境港に向かうか。米子空港到着は8:00過ぎ、境港からの高速船出港は11:00過ぎなので、かなり間がある。とにかく、朝飯を食い損ねていたので、空港の蕎麦屋に入り、出雲蕎麦を食した。
 バス便も調べたが、境港への便は、案に相違して少なかったので、空港に接続している境港線で向かうことにした。駅から振り返ると、乗ってきた便が折り返す所だった
 境港線は、というかこの弓ヶ浜半島以北は、まるごと水木しげるワールドの威光に屈しているが如き場所なので、電車なんてラッピング列車ばかりだ。しかしこの境港線、敷設者に優しい一直線の線形ばかりだな。
 境港に着くも、時間が早すぎて、まだ高速船の切符を買えない。窓口が閉まっているのだ。まあ、予約は入れているので、買えないことはないだろうが。
 それまで、駅周辺をうろつく。涼しい観光コーナーに飽きたので、外の妖怪像を見て回る。ぬらりひょんの旦那、頭を撫でられすぎですぜ。
 うろついているうちに、やっと切符の発売時間が来る。予約番号を忘れていたが、名前その他の照合で難なく買えた。硬券だ。
 しかし、出航時間までは、なおも間がある。待合室と、外とを、まだうろついて時間を潰した。一人、Birdyに乗っていた男性が、待合室前で輪行準備をして待機している。旧タイプの丸フレーム。おやと思った。乗船案内に、手荷物のサイズが明記されていて、小さな折りたたみとはいえ、さすがに持ち込みできないはずだからだ。
 やがて、高速船が入港する。ご覧の通りの双胴船で、瀬戸内では松山~呉~広島航路に就役しているタイプに近い。波の荒い外洋でも、双胴式ならば就役率が高くなるのだろう。
 しばらく行列して待つうちに、やっと乗船時間が来る。2階席を難なく占める。さっきの男性も、特に問題なく乗船できたようだ。これならば、Bromptonならば、全く問題ないのだろう。
 出港してしばらくは、島根半島を横目に走る。自衛隊の美保関基地が目立つなあ。そして洋上に出てからは、しばらくは海以外何も見えない航海が続く。外洋だなあ。
 やがて、前方に陸塊が見えてくる。まず見えるのは、島前の島々だ。島前は一つの大きなカルデラの中央火口と、取り囲む外輪山だ。かなりでかい。
 船は、やがて島前の島々よりも、もっとこんもりとしたまとまりのある島に近づく。これが島後。こちらも火山活動で出来た島だが、まだ日本海が陸地だった時代に出来たものだと聞いた。
 入港し、下船。は、さすがに観光地の正面玄関らしく、整備されている。
 さて、時間は14:00前。お腹が空いているので、まずは食事処を求める。泊まるホテルの近くで、釜飯屋を発見したので、お刺身の定食をいただく。こういう島では、海鮮にまずハズレがない。すこぶるコリコリとした歯ごたえが快感の、お刺身だった。ビールの誘惑には打ち勝つ。夕陽を何処かで見たかったから。
 隠岐での泊地は、隠岐ビューポートホテル。その名の通り、隠岐の港に面して立つホテルだ。しかし、チェックインは16:00からと、少し遅い。それまで、1Fの観光案内所で調べ物をし、更に時間が余ったので2Fのジオパーク情報センターに入る。この情報センターに併設されているミニ博物室、隠岐自然館にも入ってみた。入室受付に誰もおらず、呼び鈴で呼び出す必要がある。中は綺麗に整備されており、隠岐の成り立ちや、海陸に生息する生き物たちを綺麗にまとめているのだが、誰も居ない。30分ほどかけて見て回る間、誰も入館者がなかった。もったいない話だ。出る時に、ようやく別の入館者とすれ違う。
 さて、まだ15:00だが、待ちくたびれたので、荷物だけ受け取って、自転車を組むことにする。3Fのフロントに行ってみると、もうチェックイン可能だという。ということで、ここでチェックインする。
 部屋に入り、荷物を確認する。ポケロケを含め、無事に届いていた。一休みして、ポケロケを組んだ。部屋にはLANは来てなかったのだが、ドコモ回線は使えるので、B-Mobileのモバイルルータ+iijMioで難なく通信可能だ。
 さて、夕陽を見にゆくぞ。ポケロケを持ちだして、隠岐の島を走りだした。隠岐空港近辺に高台があり、良さげだったので、そちらに進路を取る。西郷港近郊から、空港のある半島まで、深い湾が隔てている。そこで、この赤い橋が渡されているのだ。絵になる橋だが、同時に景観を大胆に変えてもいる。
 空港線をひた走り、ふと見つけた"夕日の見える丘公園"の標識に引き寄せられ、高台に登る。隠岐牛の放牧地らしく、方々に牛が黄昏れている。
 公園内の道に沿って走ってゆくと、空港を見下ろせる一角に来た。と言うか、この場所は空港から登ってすぐのところだ。ここで夕陽を待つ。
 ポケロケと夕陽。起伏の多い島の道には、走行性能の高いポケロケが似合っている。
 夕陽は、空港の舗装に照り返しつつ、山の端に沈んでゆく。完全に見送ると、帰路が暗くなって危険なので、そこそこ見送ってから後にした。
 ホテルに戻り、夕食のために外出したが、驚愕の事実。島の夜は早い。目当てにしていた店は、いずれも早々と店を閉めていた。盆というのもあるのだろうか。幸い、ホテルの真裏にショッピングセンターがあり、その地下食品売り場で夕食を買い込んだ。とりあえずビールを開け、明日からのための英気を養うことにした。