Strange Days

2001年01月31日(水曜日)

ぼちぼちとVine2.1の設定

22時56分 コンピュータ 天気:くもりですよ?

 定時退勤日だったので、早い時間に帰宅できた。が、こういう日に限って空が曇っている! 経緯台をまた路上に出せるのはいつの日だろうか。
 帰宅して、Vine2.1の設定にぼちぼちと取り掛かった。これは再作業の必要があったときのための備忘録として書く(滅)。日記を読む限り、久遠氏もLinuxで苦労しているようだな。でも俺は趣味だもんね(爆)。なんていいつつ、既に仕事でもLinuxは足音高く迫っているのだ。
 まずは雑誌の付録CD-ROMから出来るだけパッチを当ててやる。これ自体はほぼ自動(というかコマンドラインでrpm連打連打)で終了。初期状態ではlinuxconfが「ファイルが未来の日付になってるから更新できんもんね」と謎のメッセージを出して動いてくれなかったのだが、それは解消されたようだ。というか、LinuxのこういうGUIベースの設定ツールは、ときどき不安定な奴がある。最終的には設定ファイルを手書きでがしがし更新しなければならない場合もあるわけだ。もう少しがんばれ。
 次にほったらかしのUW-SCSI9GB*2のRAID化を図った。こいつは日立製のハーフハイト(つまり標準の5インチベイ一つ分)のHDDで、猛烈な発熱とそれなりの高速性が特徴のデバイスだ。重さは殺人向き。別に捨てても良かったのだが、いくらATA100で転送速度が100MBPSに達したとはいえ、所詮シングルキューであるATAよりはSCSIの方が負荷に強そうだ。最終的にはこの機械をファイルサーバに(1号機はそういう業務から解放)するつもりなので、高速ストレージの足回りは残しておいた方が良い、かも。
 とりあえずコマンドラインで"mkraid"などのraidtoolが使えないことは確認し、またインストールもされてないことは確認した。それでインターネット検索でVineでのソフトウェアRAIDの状況を確認した。すると最近の世代のカーネル(2.2.14以降?)ではRAID機能が組み込まれてはいるものの、raidtoolそのものはやはり別途用意しなくてはならないことが分かった。確かに、"/proc/md"は存在している。では2号機でraidtool0.9を落とし、FTPして......。できんやん。そう、ftpdが起動されてなかったのである。ではinetd.confにftpdを記述して、"kill -HUP ほげほげ"で再起動する。うん、プロセスはいるぞ。が、やはり2号機から接続できないのである。調べてみると、そもそもftpaccess.confがいません。あらら、手で書くかな。
 もうftpと格闘するのは嫌になったので、RAIDもろとも脇に追いやり、プライオリティの高い別の仕事に移った。
 まずはDistributed.netクライアントの設定。Webサイトから最新クライアントをダウンロードし、適当なディレクトリ(とりあえず/usr/local/binに掘った)に展開し、設定。動作することは確認した。ベンチマークを取ると、同じプロセッサをNTで使ってた時より、多少速度が向上しているようだ。いやまあ、誤差範囲ですが。
 さらに起動スクリプトを適当に書いて、rc3.d辺りにシンボリックリンクを張ってやるとOK。1号機のdnet-proxyとも交信している。
 次にsquid。こちらは/etc/squid/squid.confをやっぱり適当に設定して、と......。つながらないな。ふとdns設定をしてなかったことに気づき、linuxconfで設定してやると、ばっちり。一時的に1号機でdelegateを運用していたのだが、やはりメモリを十分与えたsquidは速い。
 最後にsambaを、と思いつつ風呂に入ったりしていると、猛烈に眠くなってそのまま就眠。以降は明日。

2001年01月30日(火曜日)

旧牛筐体ATX化(ほぼ完結編)

23時30分 コンピュータ 天気:晴れにょ

 朝までにはほぼATX化が完結していた旧牛筐体だが、メインボードが32GB以上のIDEなHDDを認識できないという問題があり、接続した全パーツが稼動するかどうかは未確認であった。既に筐体の問題ではないが、ここまで解決できないとATX化が完成した気持ちになれない。
 この問題は、HDDのジャンパ設定を買えて32GBでクリップすれば、一応回避できる。でも15GBも損するのはなあとも思う。会社でふと閃いたのは、BIOSが古いのではないかということだ。考えてみれば、僕は基本的には問題が無い限りBIOSやドライバのアップデートをやらないので(Windows系OSの場合は穴が大きすぎてアップデートせざるを得ないが)、BIOSなんかは平気で買った当時のままだったりする。3号機に入れたメインボードは、旧2号機から外したTekramのP6B40D-A5。これ、確かなんかのトラブルで1回だけBIOSをアップデートしたんだっけ。
 帰宅して、Tekramのウェブページを見ると、BIOSの最新バージョン(といっても去年の頭時点だが)は1.07。起動画面では1.02。こりゃ古い。アップデート履歴を見ると、1.06辺りで「大容量ディスクに関する障害の修正」というのがあった。怪しいな。Windowsで起動ディスクを作り(ゲッ、Meって"format /s"無くしちゃったんだ。サイテーだ。不要ファイルをガシガシ削りましたよ)、アップデートファイルとEEPROMライターをコピーして、アップデートをかける。そして起動すると、今度はちゃんと45GBを認識してくれた。やったね。さらに内蔵SCSIディスクの接続順などを見直し、最終的に全機器が認識された。これでOSインストールできそうだ。
 ふと気になったのが、内部の気流のことだ。確かATX電源は外部から吸入する仕様だったよな。ところが、電源のファンに手をかざすと、しっかり排気しているではないか。ウゲッ、考えてたのと逆だ。慌てて前面ファンも再度前後を入れ替え、吸入側にした。これで前面吸入、背面排気と、今までと同じ流れになる。プロセッサはちょうど風の流路に当たるようで、都合よい。しかしそれほど強力なファンでもないようなので、夏場にはちょっと気がかりだ。
 このマシンには、IDE接続のDVD-ROM/CD-ROMドライブを着けた。価格的に、CD-ROM専用ドライブと、そう変わりが無いからだ。つまりIDEはIBMのDTTA307045+DVD-ROMドライブの1系統。SCSIはUW-SCSIが富士通の9GB*2、(Nalrrow)SCSIが富士通(なんか多いな)のMOドライブ640MB+外部接続のNakamichi4倍速7連装CD-ROMドライブの2系統。前に較べると、かなり軽量化された。さらに内蔵音源も、以前のSB16からPCIベースのSB128に替えた。この機械もついにISAレスな構成になった。手許の機械の中で、ISAが現役なのは1号機、それも音源のSB64Goldだけだ。
 ここに早速Linuxをインストールする。今回はVine2.1にした。モノはLinuxマガジンの付録CD-ROMを使った。Laser5はフィックスの更新がやや遅くて不満があったので、比較的手が早そうなVineにしてみたのだ。
 2号機でインストール起動ディスクを作り、DVD-ROMにCD-ROMを載せ、起動。後はDisk Druidでのパーティション決定を経て、グラフィックアダプタ、LANの設定くらいで、後はほとんど全自動で進む。凄いね。ほとんどWindowsMe並だ。あっちは「もう設定不要です!」などと誇らしげだが、こっちは単に設定不要という事実があるだけで、寡黙なのが好ましい(笑)。
 インストールが終わり、再起動。この時点では何の問題が無い。しかしXを起動すると、これが懐かしのWindow Makerだったりするわけだ。また800*600表示なのもヤだな。X設定は/sbin/setupで修正し、1600*1280表示を確保。ここで音源設定を試してみると、ほとんど全自動で認識してしまった。恐るべし。最後にWindow ManagerはsetwmでGNOME(というかEnlightenment?)に変えて見た。前から使っていたからだが、色々気分によって他のWMに変えると良いかも。
 後はsquid、sambaの再設定、9GBディスクのRAID化位か。

2001年01月29日(月曜日)

続旧牛筐体ATX化

23時55分 コンピュータ 天気:晴れですね

 今日も今日とて牛箱のATX化に励むのであった。
 早々に帰宅し、まずは開口部の切削を続ける。これは早い時間に終えないと、騒音で近所に苦情が出る恐れがある。特に階下の老夫婦には迷惑をかけたくない。
 この筐体はATボード用の物だから、シリアルだのパラレルだののコネクタが適当に開口している。ATX用のポート群を出すだけの開口を得るには、このいくつかを過ぎる必要がある。おかげでなんだか歪な形になりそうだ。
 ともかく、昨日ある程度まで進んでいた1辺の切削を進めた。金属鋸でごしごしやるわけだ。これは予想外に快調に進み、予定ラインに20分程度で達した。さあ、ここから次の1辺へと移るコーナーの処理が問題だ。金属鋸は薄い板状なので、コーナーを曲がれない。そこでワイヤソーの出番だ。ワイヤソーは細いので、どこにでも入り込めるし、カーブを切ることさえ可能だ、と思ったのだが......。
 早速ワイヤソーをフクロから取り出してみる。「NASAでも採用!」の文字が躍っている。案外、NASAの本部ビルの庭師が使ってるんだったりして。しかし手触りは案外に高級そうだ。では最初に切削した辺からコーナーまで入れて......。は、入らん(爆)。これは盲点だった。案外にワイヤが太いので、薄い板である金属鋸が通った後を辿れないのである。それでも無理に通そうと苦闘していると......。
 折れたやん(核爆)。身も世も無く泣きじゃくる俺様であった。
 こうなると別の一手を考えるしかない。次に思いついたのは、補助線を切ることだった。1辺を切ったら、次の1辺の通過予定地の、コーナーから少し離れた地点(金属鋸の鋸先が入るくらい)まで補助線を切り、コーナーから補助線の先端を通る部分をペンチで折り取るという目論見だ。補助線を出来るだけ短くしたかったので、色々工夫しながら切り出した。
 最後の1辺を折り取り、やすりで仕上げると、まあ見た目はともかく、実用的には充分な塩梅になったのである。
 ここで睡魔に襲われ、朝方まで眠る俺様だった。
 朝方起きだし、メインボードを着けてみた。問題無さそう。電源を取り付け、ボード類、ドライブ類を取り付け、ケーブルを張り巡らす。前よりかなりドライブが減ったので、電源もケーブルの取り回しも楽々だ。唯一の問題が、MB側IDEコネクタが全ピンあるのに、買ったATA100対応ケーブルでは塞がれていることだ。ここが未接続だったらピンを折っても問題無いけれど、MBの説明書を見てもはっきりしない。これは安全策をとり、ケーブルコネクタ側に穴をあけた。
 さらに筐体側コネクタをメインボードに取り付けた。電源スイッチ、リセットスイッチ、LED類、いずれも無駄にならない。改造は完璧だ。多分。
 そしていよいよ起動してみる。電源スイッチはちゃんと機能した。そしてメモリチェック画面が出た。万歳。完璧だ。ここでBIOSセットアップをしてみる。が、ここで問題発生。新たに取り付けたATA100なHDDが認識されないのだ。どうしてだろう。
 しばらく試してみて、HDD側に"32GB CLIPPING"なる怪しげなジャンパ設定があったのを思い出した。もしかして、と思って設定してみると、見事に認識! 32GBで(爆)。つまりこういうことだ。このメインボードが発売された頃には、まだ32GB以上のディスクが無かったので、Over 32GB Problemが対策されてないのだ。これはどうするか。このまま使うか。それともLinuxでは問題なく使えるだろうと見込んでセットアップしてみるか。
 というところで時間切れ。出勤する俺様であった。帰って、どうしようかね。

2001年01月28日(日曜日)

いよいよ旧牛2K筐体ATX化に着手

21時52分 コンピュータ 天気:晴れ

 昨日夕刻まで降り続いた雪が止み、朝から徐々に晴れ始めた。昼前には日差しも強くなってきて、融雪が一層進んだ模様。屋根から電線から、水滴がぽたぽたと落ちてくる。車道の融雪も進み、ぬかるみ状態のところも多い。が、歩道やアパートの通路なんかは、人通りが無いせいでバージンスノーだ(なんぢゃそれわ)。その雪のせいで地表の反射能が上がり、部屋の中に差し込む明かりがまぶしいまぶしい。それとかなり暖かだ。窓を開けて、風を呼び込んだ。
 さて、Gateway社旧型筐体のATX化に着手することにしよう。まずはその前に部屋の片付けだ(爆)。作業場所の確保のために、PCを中心に積みあがっていた本やCD類を片付けた。ああ、すっきりした。
 そして全関係者を寝室に強制連行し、いよいよ執刀である。まずは連続稼動を重ねてゴミが付着しまくった筐体の掃除である。筐体外部を濡れティッシュで拭うと、あっという間に真っ黒になる。筐体を開けると、嫌になるくらいのケーブルと機械が、ほこりにまみれてうずくまっている。なにせこの機械には、IDEのHDD*1と、UW-SCSIなHDD*6が収まって、さらにSCSIなMOドライブまで内蔵しているのだ。これらのうち1GBのHDD*4(いまやゴミみたいなもんだ)とIDEのHDDを撤去し、45GBのATA100ベースHDDに置き換えるのだ。これだけで、相当に発熱は減るはずだ。またプロセッサもMMXPentiumプロセッサ200MHzのデュアルから、Pentium2プロセッサ400MHzデュアルに変わる。かなり強化されるはずだ。
 元々この機械は、買った'95年時点でPentiumプロセッサ120MHz、メモリ16MB、三洋の4連装CD-ROMドライブを奢った機械で、今は亡き友人スミス氏が「これで25万なら俺も欲しい」と羨ましがってくれた機械だったのだ。その後強化に強化を重ね、今ではMMXPentiumプロセッサ200MHzデュアル、メモリが256MBという構成に進化してきた。
 今のままでもsquidを転がすくらいなら何の問題も無い。しかしこの先のことを考えると、ATX化しないことに明日はないと思った。もうATメインボードは、市場でも酷く希少になっている。ATX化のハードルは、そう高くないと見た。
 まずケーブル類を引き抜きながら、筐体内部の掃除をした。掃除機とブロワーで細かいほこりまで処理する。頑固な綿ぼこりはティッシュを濡らしてふき取る。はっきりいって喉をやられるかと思った。そして内部のボードを全て抜き、ビハインドベイも取り去って、ATX化の要領を検討した。背面の開口は除き、電源は同一メーカーゆえかほぼ同じサイズだ。この交換に問題は無さそうだ。ややこしそうなのが電源スイッチ近辺だった。ここはATではケーブルで電源と直結だったので、何とかして外さなければならない。まえはどうやって外したんだっけ。よっぽどケーブルを切ろうかと思った。しかしここでATA66対応のケーブルが無いのに気づいた。時間は16:30。買い物がてら、湘南台のウェーブアイに向かった。ここでATA66ケーブルや細かなスペーサーなどを物色中に、"ATX対応電源スイッチキット"を発見。形状的には、今のAT電源スイッチとコンパチのようだ。これも買って帰った。
 帰宅して、さっそくスイッチを交換する。まずは前面パネルを外さなければ。詳しく観察して、ネジ止めされているのを発見。難なく外した。しかしこれでも取れない。実は前面パネルに伸びているLED類のケーブルが、筐体内部にしっかり留められているので引き出せないのだ。留めているストラップを切って引き出した。
 前面パネルとの隙間には、6年間の酷使を物語る凄まじいほこりが詰まっている。これを掃除機とブロワーで吸い取り、電源スイッチを交換した。パネルを仮止めしてテスト。が、なぜかスイッチがクリックされている形跡が無い。よくよく新旧スイッチを比較してみると、ATXスイッチの押し棒の方がなぜか5mmほど短かった。耐久性等を考慮し、ガムテープを細く切ってぐるぐる巻きにし、その5mmを稼いだ。これでOK。また前面ファンも前後逆に入れ替えておいた。AT機では電源ファンは排気する仕様だったので、前面ファンは吸気側になっている。しかしATXでは電源ファンが吸気する仕様なので、前面排気にしなければならない。
 ここまでで大体めどがついたので、いよいよ後面の開口部切開に取り掛かった。まずATXメインボードを仮に入れ、位置を合わせた。その上で赤マジックで線取りし、金属鋸をシリアルポートの開口部から入れ、ゴリゴリと切り始める。が、これは予想外に難問だった。切る速度自体は3cm/10分位で進むのだが、音が大きくて階下の住人の迷惑になりそうだ。ちょっと夜やるのは気が引ける。今夜は10分ほど作業し、ここで一部中止。休日にやるしかないのかな。
 しかし、切開自身はかなり簡単であることが分かった。難問は、角の処理だ。金属鋸では曲がれない。そこでワイヤソーの出番となるはずだが、今夜はそこまではいけなかった。まあ、すぐに必要になる機械でもない。気長にやろう。

2001年01月24日(水曜日)

Libretto20復活計画

20時46分 コンピュータ 天気:くもり

 ふと、枕元に放ってあったLibretto20を思い出した。確か、以前に日立製9.5mm3.2GBディスクに換えて、Laser5Linuxを入れてあったはずだ。枕元で弄るのはこれが楽である。そう思って、Linuxを起動してみると、LANカードが認識されない。前に苦労して、しかし最後まで認識させられなかったのだっけ。原因不明なのだが、このLANカードは他の環境だとタプルの読み出しが出来なかったりして、なにか変なのだ。まあそれでもより新しいPCMCIAドライバで試してはどうかと思い、いっそのこと雑誌付録のVine2.1にしちゃおうかと思い始めた。ディスクの絶対的な容量が足りなさそうなのだけど、そもそもLANカードを認識してくれないとFTPインストールも無理そうだな。他のカードで試してみるか。

2001年01月23日(火曜日)

Software Choice

23時44分 コンピュータ

 しばらくどうするか悩んでいたOS/2のコンビニパックだが、結局入手することにした。内容的に充実しているし、今後OS/2を再インストールすることを考えれば、入手した方が便利だ。ということで、九十九電気のネット通販に見積もり依頼した。1号機のプロセッサ交換を機に入れ替えてみようと思う。

2001年01月22日(月曜日)

(勝手に)進化するマクロウィルス

22時40分 コンピュータ 天気:くもりなにょ

 かのmelissaの新種が発見されたそうだ。
 一世を風靡したmelissaはMSのOutlook/Outlook Express、Wordをターゲットにしたマクロウィルスだ。ウィルスの本体は何か適当で注意を惹きそうなサブジェクトの電子メールとして送付されてくる。この電子メールに添付されたWord文書を開いた時に、Wordマクロが実行されることで処理が開始される。この時、レジストリの一部に情報を書き込み、Word文書のテンプレートにウィルスを書き込むと共に、Outlook、あるいはOutlook Expressをキックする。キックされたMUAは、そのアドレス帳の先頭50グループに対して、さらに同内容の電子メールと添付Word文書を複製し、発信するわけだ。アドレス帳それぞれには多数のアドレスが記載されうるので、非常にたくさんの2次感染者が発生する可能性を秘めている。
 Melissa自身、発想は単純だし、事実非常に簡単に作成できるタイプのウィルスだ。特にユーザの介入を必要とする点で、ウィルスとしての面白みに欠けるともいえそうだ。本当に優れた(??)ウィルスは、もちろん誰の介入も必要とせず静かに広がってゆき、その感染経路も特定し難いものだろう。しかしこうしたMelissaの単純さは、無数の変種を生み出す素地を生み出している。Wordマクロはその辺のおじさんでも扱えるくらい可読性が高いので、トライ・アンド・エラーでがんばれば、プログラミング未経験者にだって改造できるのだ。そういうわけで、Melissa変種は大変に多い。例えば、Outlook、Outlook Expressを直接キックする処理に変わり、MUAのMAPI呼び出しを埋め込んだものがある。これにより、MUAがなんであれ同様のウィルスメール発行処理を実行できるので、Melissaで有効だったOutlook/Outlook Expressを使用不可にするという対策が無意味になる。
 今回の変種は、新たにMac OFFICE2001を対象としたくらいの違いでしかない。しかし、実はこれが登場した背景が面白い。McAfeeの解析チームの考えでは、このMelissa変種は誰かが改造したのではなく、Mac OFFICE2001を使っているユーザがウィルスに感染したWindows版Word文書を保存したために感染したと考えている。つまり、プログラムの原作者が考えていなかったプラットフォームにまで、期せずして拡大したというわけだ。
 この背景には、アプリケーション設計者なら誰もが夢見るクロスプラットフォーム性の追求がある。MS OFFICEは、もちろんもっとも広範に使われているオフィス・スートだろう。MSの主眼はWindows市場にあるが、Excel自身がMacで生まれた背景もあり、Macでも非常に広範に使われている。この時に問題になるのが文書の互換性だ。異なるプラットフォーム間でも、同じ文書では同じ結果(表示、印刷など)を得たいと考えるのは当然だろう。しかし今のドキュメント類は、テキスト情報だけでなくフォーマット情報、文書の属性、場合によってはプログラムさえも内蔵している。MS OFFICEのマクロもドキュメントに埋め込まれたプログラムの一種だ。これもクロスプラットフォーム性を得たい。そして実際にOFFICE文書の高度なクロスプラットフォーム性を確保した結果、そのOFFICE文書上に実装されたウィルスにまでクロスプラットフォーム性を与える結果になったというわけだ。旧来のウィルスがあるプラットフォームに強く依存したものが大半であったのに対し、マクロウィルスはその壁を比較的容易に乗り越えうる能力を秘めている。特に興味深いのが、MacでもWindowsと同じようにOutlook、Outlook Expressをキックできる点だ。今のMacでもIEが標準だし、OFFICEを入れればOutlookも入るのだろうが、キックできるということはMAPIまで実装されたのかと思う。詳しくは分からないが、MSの戦略を考えれば、自社規格の普及によるユーザ囲い込みを狙うのも必然だと思うのだ。OFFICEやWindowsを支えている足回りの規格が、クロスプラットフォーム性の追求によって普及するに連れ、Windows特有のものだった一部マクロウィルスが、さらに甚大な被害をもたらすようになる可能性を示唆しているのではないだろうか。
 このことは他のプラットフォームを使っているユーザにも当然に無縁ではない。というのは、MS OFFICEドキュメントの蓄積を無視できない他の団体が、それを別のプラットフォームで扱えるような互換環境の整備に注力しているからだ。例えば、SUNはMS OFFICE互換のStar OFFICEを様々なプラットフォーム向けに開発しているが、高度なドキュメント再現性を持たせようとするならば、当然マクロウィルスへの感染可能性まで高めてしまうだろう。Windowsユーザのドタバタを嘲笑いつつ見ていたUNIXやOS/2のユーザにも無縁なものではなくなってしまう可能性があるのだ。それもこれもMSの市場独占が影響していると思う。もしもMAPIやMSのマクロ規格がオープンな現場で生まれたものであるならば、常に批判的な検討が入ることにより、この種の単純なマクロによるウィルス実装は防げたかもしれない。危険性が早い段階で指摘されれば、危険の根は早く摘み取られただろうし、それが出来なくとも代替規格が登場することで結果的に蔓延する可能性を低減できたかもしれない。こう考えてみると、MS社の市場独占を積極的に支持し、あるいはそれを知りつつ楽観視している一般ユーザの責任も、普通考えられている以上に重いと思うのだ。これらの人々の支持なくしてMS社の強い独占体制は維持できないだろうし、そのプロダクトを盲目的に受け容れる素地無くして危険性の高いOFFICE文書の蔓延もありえない。これらMS支持者の無知が、インターネット世界の危険性を高め、しかもそれはMS支持者だけでなく他のプラットフォームにまで影響を与えているわけだ。
 反省しろよMS支持者ども。といいたいが、現在のオフィスではMSの文書規格を全く無視できないというのが辛すぎるくらい辛いところではないだろうか。正直、一刻も早くXMLベースの世界になって欲しい(なったらなったでMS"特有"のXML規格が登場するのかもしれないが)。

2001年01月20日(土曜日)

GW2KケースのATX化

23時35分 コンピュータ

 去年の終わり頃、Windowsな機械の増強が終わった。次はOS/2な1号機とLinuxな3号機だ。1号機でやることは簡単だ。メインボードとプロセッサを換えるだけ。しかも現用のメモリがPC100(CL2)なので、それを流用することを考えればAthlonベースになるのは確実だ。問題は、現用の音源のSB64がISAボードであることくらいだろう。しかしKT133ベースのMBでもISA付きのものはあったし、無くてもSB64をお蔵入りさせて、他の適当な音源を探してくればよいだけだ。
 大きな問題がありそうなのは、3号機の方だったりする。3号機の方は、現状ではMMX Pentiumプロセッサ200MHzのデュアルを運用しており、SIMMベースで256MBにしてある。これを前に2号機で使用していたPentium2プロセッサ400MHデュアルの構成にしたいのである。まずメモリは捨てなければならない。こういう構成は珍しいから、売ってもいいかもしれない。物好きが買うかも。メモリを512MBくらい買うことは、今はもう問題ではなくなっている。問題はメインボードだ。3号機のケースはGatewayの旧型ケースで、ATファクタの設計になっている。今、ATファクタで、スロット1デュアルなどという構成のMBは無さそうだ。というより、ATファクタのMBを探す方が難しい。ということで、早くも暗礁に乗り上げそうなのである。
 しかし世の中にはチャレンジングな人々も多いのである。この旧型GW2Kケースに愛着があり、ATXベースに改造してしまう人がたくさんいるらしいのだ。そうした情報をウェブで探して回った。
 まず、ATファクタとATXファクタではメインボードのネジ位置などはかなり共通だ。問題はATXの場合はバックパネルへの各種I/Oの開口が、ATとは大きく異なるということだ。ATではこれらはケース側に固定し、ケーブルで接続していた。しかしATXでは全てMBに直接ビルトインされるのだ。その結果、まずケース背面を改造しなければならなくなる。また電源そのものが異なるのでこれも交換せざるを得ない。しかしこのATX電源は、高熱を発するプロセッサに直接風を送る設計になっており、実はATXファクタではMBの位置と電源の推奨位置が決まっている。しかしこのケースではもちろんそういう配慮はされてないから、プロセッサの冷却では問題が起きそうに思える。しかしこれは、後方排気式の電源にするとか、あるいはケース前面の吸気ファンを排気式に換えるなどの手がある。念のために、筐体内ファンを追加することも考慮しなければならないかもしれない。最後に、ケースに造り付けのスイッチ類、例えば電源スイッチのコンパチビリティの問題がある。電源スイッチの方式は変わり、従来だと電源を直接操作するものだったのに対し、ATXではMBからの信号で操作するものになっている。ほとんどコンパチではないと思った方が良さそうだ。これを解決するには、もちろんスイッチを換えなければならない。しかし、幸いにしてリセットスイッチを流用するという手があるそうだ。
 この先も使い続けて行くことを考えれば、ここで改造してしまうのはいい考えのように思える。

心臓にクるぜ、Windows Me

22時55分 コンピュータ

 さて、不快な話題も書いておこう。
 夜、DOOM系のゲームをいろいろ試しているときだった。この場合のDOOM系というのは、まさしく".wad"ファイルをプレイできるもののことで、idが作ったものの他はいろんなグループや愛好家が作っている。出来が良かったものにGLDoomがあったが、ソースを紛失したとかいうことで開発中止になってしまった。とにかく、非営利団体によっていくつものコンパチプログラムが開発されているのが、DOOMの一筋縄ではいかないところだ。そろそろQuakeもそうなるのではないかしら。確か同じように、idからソースが開示されたはずだ。
 なぜいくつも試さなければならなかったかというと、FinalDOOMでマウスが使えないことに気づいたからだ。セットアップでマウス使用可能にしても駄目なのだ。旧2、4号機でも同じ問題があったのだが、原因が未だに判明してない。一方、DOOM1/2では音源が使えない。やむなく、代替プログラムを探していたというわけだ。
 BOOMなどいくつか試したものの中では、どうもGLDoomがもっとも筋がよい。BOOMではマウスボタンのアサインがうまくいかず、DoomGLでは起動できなかった。しかしGLDoomでも問題がないわけではない。実はしばしばハングアップするのだ。それもOSごと固まるという怖い固まり方なのだ。それでも、他よりましなので、だましだまし使い続けていた。しかしある時、マップを出すためにタブを押し、同時に押し間違えでシフトキーかなにかを押してしまったところ、それがいけなかったのか、それっきりゲームが固まってしまったのだ。とりあえずリセットキーコンビは効くようなのでキーリセットをかけ、リブートさせた。そして再表示されたデスクトップを見て肝を冷やしたね。最低限のアイコンしかないでやんの。そりゃあ僕はデスクトップにアイコンを並べない主義ではあるが、これはあんまりだ。
 それだけならばまだしも、である。まずエクスプローラを表示させると、「アクティヴXコントロールを使用できない」とかでまともに表示されない。またスタートメニューが表示されない。どっちも現状のWindows系OSでは致命的な障害だ。これはたぶん、IEのデスクトップ統合とやらが徒になっているのだろう。まったく、よけいなことをしやがって(怒)。
 やむなくセーフモードで起動したが、それで直るものではない。おそらく、何らかの理由でレジストリが壊れてしまったのだろう。これがレジストリの怖いところだ。様々な別種の情報を少数のファイルにまとめてしまっているので、そのファイルがダメージを受けると広範囲に被害が及ぶのだ。これが従来の.iniファイルによる個別管理や、さらにはUNIXにおける各自適当な管理だと、ダメージが大きくなることはない。が、こっちはこっちで果たしてどうすれば復旧できるのかはmanの類をじっくり読まなければならない。夢路いたし君かゆしである。
 そういえば以前に復旧ディスクを作ってあったな、と思いだし、起動してみた。起動すると、なにやらヘルプファイルを表示するので読み進むと、レジストリ修復用のregscanなるコマンドがあることが分かった。最後の賭でそいつを起動してみると、なんと直ってしまった。なんと便利な奴。しかしこれが最後の方法であるのは明らかで、レジストリ管理方式が危険であることに変わりないように思う。ちょうどFATが正副二重管理になっているのと同じだ。副がだめならおしまいなのである。
 MS式の危険さと便利さを味わった経験だった。

2001年01月16日(火曜日)

Linuxのアップデート

20時22分 コンピュータ 天気:晴れ

 朝、会社への出掛けにLaser5のWebサイトをのぞいてみると、いつの間にやらLaser5 Linuxのアップデートファイルが多量にアップロードされているではないか。インストール以来ろくにアップデートしてなかったので、帰宅してすぐにアップデートを始めた。ざっと30ファイル、40MB以上はあるのではないだろうか。しかし、アップデートはrpmを使えばそれぞれ一発で済むので、ある意味では非常に楽だった。MS系のOSを使っていると、ちまちま細かなパッチを当てる度に再起動しなければならないことが多いが、PC-UNIXではその必要はあまり無いようだ。MSの場合はFixPackを出してくれることもあるが、あれも場合によっては一発当てただけではうまくいかない場合もあるからな。クローズドなOSの使い難いところだ。
 んでアップデートを当てられるだけ当ててなにが変わったかというと、見た目は何の変わりも無い。でもアップデートの大半はセキュリティホールを塞ぐものなので、常時接続環境では安心感が増した、ような気がする。実際のところ、最低限のことをやったに過ぎないのだろう。~
 これでkernel2.4が安定するまで大丈夫、かな?

2001年01月15日(月曜日)

円安でPCパーツ価格上昇だって

20時19分 コンピュータ 天気:晴れ

 円安が進んでいるが、そのせいでメモリやプロセッサの価格が上昇しているようだ。一時は1万円割れ目前といわれたPC133 256MBメモリも、先週末からかえって上昇し始めているという。去年、メモリがほんの一時反騰した瞬間に買ってしまった身としては、どんどんあがれ~といってやりたい気分だ。
 しかしまあ、かつて16MBメモリ2枚を49800円で買い、「をを安いなあ」と喜んだこともある身としてみれば、いくら上がろうが安いものは安いのだけど。
 去年の増強では1号機にまで手が回らず、P2/300MHzのままなので、Athlon1GHzくらいにしてやりたいのだが。問題はいろいろ余計な機能が着いたメインボードの方だったりするのだ。でもまあ、そろそろ検討してみるか。

2001年01月10日(水曜日)

Appleの新PowerBookG4

23時00分 コンピュータ

 Appleから新しいPowerBookG4が発表されたという。厚さは1インチ、チタニウム製の高級そうなボディーをまとった、重さ2.4kgほどの機械だ。高級そうなイメージはある。しかしまあ、このセグメントって、数年前にノートPCで流行った薄型ノートそのものではないか。実際、液晶のサイズをのぞいて、最新ノートPCに対するアドバンテージは少ないようだ。あまり興味はないのだけど、どうもAppleのノート型に関する政策は奇妙に感じられる。PowerBook主流はともかくとして、iBookってのは結局どうなったのだろう。同じ世代のノートPCに較べて、画面サイズも重さも先祖帰りしてしまったような、あの変なノートは。なんだかちぐはぐに感じるのだ。
 今回のMacWorldExpoで、G4Cubeの増強か大幅値下げを期待していたのだけど、予め発表済みのもの以上はないようだ。売れてないようなのだけど、Cubeのコンセプト自体は間違ってないと思うのだが。やはり、Macに生きる人々は、拡張性を気にするのだろうか。