Strange Days

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2001年2月23日(金曜日)

コンビニパック到来

コンピュータ 23:04:00 天気:くもりですか
 夜遅くに帰宅すると、ドアの郵便受けに抜きにくい郵便物が入っていた。というのは、この郵便ポスト、内側にモノを受けるための覆いがあるのだが、これが割と小さくて長い郵便物が刺さらないのだ。柔らかい物なら押し込めるが、硬いものだと外に半分くらい突き出すという怖い状態になる。このときの郵便物がそれだった。では外に引き出せばよいのかというと、ポストの口ががっちりくわえ込んで、簡単には引き出せない。わざわざ内側からポストの口を押さえてやらねばならないのだ。
 そうやって苦労した郵便物の中身は、恐らくソフトウェア・チョイスの媒体だろうと見当がついた。差出人がIBMだったからだ。
 ドキドキしながら開けた。というのは、MLで「開けたら中に"スカ"と書いた紙が入っていた」という怪情報があったからだ(爆)。いや、たぶん媒体の製造が間に合わなかったとかで、後で送付する旨記述した紙が入ってたんだろうけれど。
 僕もスカかなと思いつつ開けると、製造が間に合ったようでちゃんと媒体は入っていた。OS/2 4.51、いわゆるコンビニパックだ。
 さて、どこに入れてやろうか、と思っているうちに睡魔に襲われたので、今日はここまで。
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2001年2月12日(月曜日)

逝ったはずだぜHDD

コンピュータ 22:59:00
 昨日、Linux機から外したUW-SCSI*2を1号機に着けてみた。1号機はいろんな目論見が外れ、TekramのSCSIボードが二つ入っている変態構成になってしまった機械だ。
 ちょうどUW-SCSIの口が開いているので、ここに取り付けてみた。この機械、Cドライブにシステムの全てを入れ、以降のドライブはデータ専門なので、ドライブレターずれがあっても問題ない。最初、なぜか再起動できなくなってしまったのだが、SCSIホストアダプタの順番を入れ替えると、これもなぜか起動できるようになった。何故だか分からないが、とにかくやりたいことは実現できたのでこれでいいのだ。パソコン呪術師の面目躍如である。
 二つのドライブのそれぞれにパーティションを切り、フォーマットして、合計18GBの領域が追加できた。さらにSCSIドライブを停止させるフィルタドライバを設定し、全てのSCSIディスクが自動停止、再起動できることを確認した。こういう点、まだLinuxが至らない点だと思うな。OS/2だとこんなに簡単に、しかも安全に実現できるのだ。なんだかんだいいながら、ストレージ関係はOS/2が一番扱いやすい気がする。
 今日はもう一つの懸案事項に手をつけた。3号機につけていたNakamichiの外付け7連装4倍速CD-ROMドライブが、CD-ROMをかみ込んでしまったのか動かなくなってしまった。これを何とかしようと考え、分解してみた。
 分解してたまげたのは、このドライブの構成の複雑なことだった。チェンジャ部もさることながら、電源部の構成も複雑だ。大きなトランスやヒューズが入っている。さすがアナログ屋のドライブだと思った。
 なんとかCD-ROMを1枚だけ引き出したが、それ以上はどうにもならない。破壊的に取り出すしかないかも。でもこのドライブ、凄く便利なんだけどな。
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2001年2月11日(日曜日)

高熱HDD逝く?

コンピュータ 15:18:00 天気:くもり
 昼頃のことである。3号機に接続したHDDに格納してあるmpeg画像を視聴していた。みんなの歌をmpeg1にエンコードしたもので、Linux機のraid復活でアクセスできるようになり、安心していたのだが......。
 20分ほど見ていたときだった。突然、Linux機にアクセスできなくなった。Linux機の方の画面に切り替えると、こいつがブラックアウトして気絶しているではないか。すぐに再起動する。プロセッサの温度は危険領域にまで上がってはいない。しかし日立製(前に富士通と書いたが間違い)のUW-SCSIディスクはどっちも目玉焼きが焼けそうなくらい熱い。以前からそういう傾向はあったのだが。LinuxではまだSCSIディスクのスピンダウンの実装が難しいようで、その手のツールで安全に使えるものは見たことが無い。IDEならhdparamというのを使えば何とかなるのだが。
 とりあえず再起動した。が、再起動中、raidドライブのマウント中にやはり逝ってしまう。何度やっても同じだ。昨夜は20分ほど見たけど、こんなことにはならなかったのになあ。一度スイッチを切り、HDDが充分冷えるまで待って試したが、やはりダメなものはダメなのである。論理的に壊れてしまったらしい。2時間ほど悪戦苦闘して、とうとう諦めた。問題のHDD*2を取り外した。起動できないのでは意味が無い。これでこの機械はIDE45GBドライブ単独という豪快な構成になった。
 問題のディスクは、OS/2機で使えるかどうか試してみようと思う。中のデータの大半は遅くない。強いていえばmpegデータは惜しいが、これは元の8mmビデオテープが残っているので、また作り直せばいいや。
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2001年2月09日(金曜日)

dnet Personal ProxyでFirewallを越えるには

コンピュータ 23:15:00 天気:晴れ
 気を抜いていたのが悪かったのだが、会社で動かしているdnetクライアントの面倒を見ているPersonal Proxyが、いつの間にか一杯になっていた。残キーは0。処理済のキーはたまっている。昨日はかなり余裕があった気がしたのだが。朝に見るとこの有様だ。油断ならんやっちゃな。
 会社のイントラは外部接続にFirewallを噛ませていて、ブラウザで外に出てゆくにはIDとパスワードの入力が必須だ。以前、Proxyperでこれを越えようと試みたのだが、うまくいかなかった。そこでデータファイルのみを持ち帰り、家のプロキシで送受信するという面倒な状態を続けてきた。
 しかしまあ、いつまでもこんな面倒なことを続けてはいられない。readme.txtを参考にFirewall越えを実現してみた。
 まず"httpproxy"、"httpport"に適切な値を設定する。ここまでは直感的に分かる。これからが問題だ。Firewallに認証させる時のIDとパスワードをどう書くのか。.iniファイルを見ると、"httpid"という行がある。readme.txtによれば、ここに書けばよいということだ。しかし書き方は、Firewallの認証の仕方でいろいろ記述の方法が違うのだ。
 試行錯誤の結果、ここに暗号化したID/パスワード対を書けばよいことが分かった。その暗号化の仕方だが、クライアントの方を使う。クライアントでFirewall越えが出来るように-configの2/6辺りを設定し、dnetc.iniに書き込まれた値をそのままコピーすればよいようだ。同時にFirewallの形態にあわせ、"uuehttpmode"を設定する。これで会社のFirewallを乗り越えられるようになった。
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2001年2月08日(木曜日)

外部への接続を減らす

コンピュータ 23:13:00
 ルータのログを見ていると、1号機と3号機からやたらと発呼があって、その度にダイヤルアップされている。どうもNTPが主犯らしい。xntpdが、数分間隔で上位のxntpdに接続しているのだ。その機能からすれば当然だし、別にいくら繋いでもフレッツなので問題は無いのだが、セキュリティを考えると不要な接続、特に不随意のそれは避けたい。
 ntp関係のマニュアルを読むと、server指定で2のn乗秒間隔で接続、という風に指定できるようだ。が、これ、nの最大が10なんだな。するとたった17分強までしか指定できないわけだ。これでもまだ短い。
 ちょっと考えて、serverを自分自身にしてして、外部との調停はntpdateをcronで毎日キックすることにした。これでいいのかな。とにかくntp由来のパケットは止まった。
 これで喜んでいたら、翌朝に別のコネクションがやはり頻繁にあることに気づいた。こいつはrc5-64PerProxyで、上位のプロキシに盛んに問い合わせしている。これはproxyper.iniのconnectperiodを3時間程度に取って対処したが、これでいいのだろうか。
 この二つがうまくいっても、別の誰かが接続にいってたりしてな。常時接続は、それなりに気を使うのである。
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2001年2月07日(水曜日)

プロトコルとの戦い

コンピュータ 23:10:00 天気:寒い雨空
 昨日からの熱が退かず、会社を休む。体の節々が痛くてヤになるぜ。こういうときでも、PCをいじるだけなら負担にならないので助かる。
 昼過ぎまで寝て起き出し、どうにも調子が悪い我がネットワークの調整に掛かった。
 どういう状況かというと、ファイルサーバとして使っているOS/2機の共有ドライブが、他のWindowsな機械から見えたり見えなかったりするのである。特にWindow95/98/Meの系統から見たときに、なぜか見えたり見えなかったりする。一方、Windows2000からは常時接続可能だ。さらにLinuxな機械からsmbclientを使っての接続も可能。
 OS/2機の足回りは、今はTCPBEUIのみにしてあり、それにあわせて他のWindows機からもNETBEUIを取り除いていた。Linux機で走らせているsambaはSMBこそしゃべるものの足回りはTCP/IPだ(つまりNETBIOS over TCP/IP?)。それに統一したつもりだったのだが......。
 NETBEUIの名前参照の方式は基本的にブロードキャスト式なのだが、ブラウズマスタだとかDNSによる解決だとか色んなケースがあってわけがわからん。ネットへの負荷も軽くは無いだろう。しかし考えてみればルータ越えが出来ないプロトコルは、ローカルなネットワークではセキュアかも知れんな。なんて事を思いつつなぜか常に調子がよいWindows2000機のネットワーク設定を眺めていたら、これ、常にNETBEUIがバインドされているんだな。ためしに外してみると、やはりOS/2機へのアクセスが不可能になった。正確にはIPアドレス決め打ちでならアクセスできるので、名前解決に失敗している模様。もう全ての機械にNETBEUIをぶち込んで、さっくりアクセスできるように戻した。これでWindows2000機からもMeからもアクセスできる。ところが、唯一のWindows95機であるLibretto20から、他のWindows機へのアクセスが出来なくなってしまった。なぜかWarp機へは可能なのだ。調べた限り、TCP/IPでNETBIOSが使用可能になって"ない"と、他のWindows機へのアクセスが出来ないようだ。Windows98以降ではこのチェックボックスは常にチェックされているので、Windows同士は基本的にTNBで会話しているのだろうか。
 ともあれ、ほとんどの機械がお互いにアクセスできるようになった。ところが、今度はOS/2機とLinux機が相互に参照できなくなったのである。どういうこと?(X_X)
 と、ここまで書いて気づいたのだが、もしかしてOS/2機のNETBIOSが、TCP/IPでは使用可能になってないのかもしれない。ネットワーク設定で記述順を入れ替えたらどうなるだろう。
 ともかく、この状態でLinux機上のsambaを起動すると、見事に共有ディレクトリを参照出来るようになった。後少しという感じだ。でも自前でBINDを立てたりNFSでLinux同士の共有を実現したりしたのだが、もうちょっと悩みそうな感じ。
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2001年2月06日(火曜日)

XFree86 for OS/2

コンピュータ 23:09:00
 鍵盤も受像機も無い5号機とお話しするために、1号機にXFree86を入れた。これは同盟国(独逸)のさる方(猿ではない)がOS/2用の移植版をまとめてくださったもので、Win-OS2の全画面のような感じで起動される。最初、以前ダウンロードしておいた3.3.1を入れてみたら、我がG200では起動できないではないか。Web上を見てみると、最新は3.3.6ベースのものになっていた。入れ換えると、今度は見事に起動した。が、今のところXTermが一つだけの素のXが起動するだけの寂しい状況だ。日本語関係とウィンドウマネージャをなんとかしなければ。というところで力尽きて爆睡。頭が、頭がとろけるのだ~。
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2001年2月05日(月曜日)

Vineをいじる

コンピュータ 23:06:00 天気:くもり
 3、5号機が稼動し、ウチには2台のLinux機械が登場することになったわけだ。考えてみれば、稼動しているOSはWindows95が1(最近復活したLibretto20)、、Windows98が3(全部ノートPCだが)、WindowsMeが1(4号機)、Windows2000が1(2号機)、OS/2が1(1号機)そしてLinuxという形勢なので、デスクトップ機ではLinuxが最大勢力になってしまった。さらにノートPC機の一部もLinux化する予定なので、もはや全機中でも最大勢力になるのは必至だ。これは裏方で黙々と動いている機械が多いからというのもあるのだろう。
 さて、2台のLinuxでNISを稼動させようかと思っていたのだが、その前にNFSを稼動させなければと思い、参考書を読んでいるうちに眠くなった(爆)。
 とりあえず風呂に入り、NISはもう少しお勉強することにして、3号機のほったらかしのUW-SCSI2つを何とかすることにした。元々、こいつらはRAID化していたのだが、Vineにはraidtoolsが入ってないので再RAID化するにはそれを取って来る必要がある。起動時に認識してくれても良いと思うのだが......。
 実は旧3号機のシステムディスクは5号機に入れてあるので、マウントしてraidtabをコピーしておいた。さらにraidtools0.9を入手して入れようとすると、MAKEDEVのバージョンが3以上で無いとダメよんといわれる。MAKEDEV3.05を入手し、rpmでインストールしてやり、raidtoolsは無事インストールに成功。先のraidtabを現状のデバイス名に合わせて書き直し、mkraidすると例によって"-fせよ"、さらに"--really-force"せよと警告される。多分大丈夫だろうと思いつつ"--really-force"すると、無事にRAID化され、以前使用していたファイルもちゃんと見えた。ホッ、無事だった。
 後はNIS塗りかと思いつつ先にsambaさせた方が良かろうかとsmbclientを起動してみると、おやこっちからは1号機が見える。逆は名前だけ見える状況なのだが、さて、なにが間違っててなにが正しいのやら。
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2001年2月04日(日曜日)

5号機との戦いは続く

コンピュータ 23:04:00 天気:まったりとうすぐもりにゅ
 睡魔に負けて中断していた5号機の製作を再開した。問題はディスクの認識がされたりされなかったりする点なのだ。
 まず疑ったのはSamsungのCD-ROMドライブだった。こいつは以前から挙動不審の極みにあり、職質→逮捕は間違い無しの怪しさ大爆発ドライブの決定版だったのだ。なにか大きなファイルを転送すると、かなりの確率で認識されなくなるのだ。どうもファームウェアの問題があるような気がするのだが。
 CD-ROMドライブの予備は他にもある。予備というか余り物だけど。まず4倍速のシングルドライブ。ノート用の薄いもので、普通のベイにつけるとみすぼらしくなるものだが(爆)。もう一つはGateway2000を買ったときについてきた、SANYOの4倍速3連装ドライブ。こっちの方がましだ。
 呪われたドライブを外し、実績のあるSANYOドライブを装着する。よしよし、こっちは安定しているぞ......しかしさっきよりやや進んだところで、やはりドライブが認識されなくなったのだった。しかも何度かやっているうちに、日立ドライブが起動時に謎のビープ音を出すようになった。これは、壊れたか(泣)。予備の予備だったQuantum2.5GBディスクに換えた。どうもうまくいかない。ううむ。
 こういうときはメモリ周りに問題があることが多い。BIOS設定でファクトリ設定を再読み込みし、再起動。状況は変わらない。乱雑に垂れ下がっているケーブル類をちょっと整理してみる。変わらない。
 しばらく思い悩んで、ケーブル自身にノイズが乗っている可能性に思い至った。使用しているのは旧タイプのATAケーブルだ。このメインボードの場合、LinuxではなぜかPIOでしか使えないので(というかNTでもそうだったような)、このケーブルで充分だと思っていたのだ。だがシールドもアースもされてないこのケーブルは、ノイズに非常に弱いはずだ。そこでやや短いケーブルに換えて見た。......イケるやん。この構成でインストールできた。ここで引っかかっていたのか。
 要するにSamsungのドライブは呪われて無かったのだな。疑ってスマン、と謝りつつドライブを戻してやると、Linux起動時には良いが、何か高速で転送するとやはり認識されなくなる。やっぱりオマエは呪われてるのかっ(怒)。捨て捨てである。
 こうして一通りの設定をした5号機だが、今の状況ではE66Tに接続できるのは4台が精一杯だ。そこで5号機はキッチンの脇に置き、LANで繋いで、TELNETで世話することにした。LinuxだとKB/Mouseが無くても起動できるので、こういう点は便利だ(Windows系はKB必須だったような気が)。
 さっそくマシンをキッチンに転がし、TELNETで繋いで設定を続ける。FTPできるようにしないとね、と思いつつ試してみると、出来るやん。しかし同じくVineを入れてある3号機では出来ないのである。なんでやねん。調査の結果、3号機のinet.confを手で弄ったのが災いしていることが判明した。ftpdはinetデーモン様にお任せするのが筋と思っていたので、何の疑問も無くinet.confでftpd(Vineの場合wu-ftpdではなくproftpd)をキックするようにしていたのだ。しかし、Vineでは起動スクリプトで直接キックするようになっている。inet.confのftpdをコメント化すると、3号機でも問題なくftp出来るようになった。
 さて、後はsambaさせようと思ったが、よく考えると5号機にはNISを入れて、sambaはあくまでも3号機にお任せしてしまうのが吉かなと思った。UNIX同士の連携はやっぱりNISでしょうかね。
 というところで寝る俺様なのである。
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2001年2月03日(土曜日)

余り物で作るPC

コンピュータ 22:01:00 天気:晴れているのですが
 去年の年末からの嵐のようなPCてこ入れで、色んなパーツが余ってしまった。パーツが余れば新しい機械をつくるのがこの業界の掟である(そうだったのか)。
 そういうことで、この週末は特に出かけるつもりも無いので、もう一台マシンを組む事にした。目標:パーツの新規購入は一切無しであること。
 余ったパーツは、まず旧4号機がまるまる。3号機のATX化の際に余ったパーツ、そして過去からの遺産(爆)。その中から使えそうなパーツを集めてみた。旧4号機の筐体、これは最初に買ったPCの筐体だ。3号機の以前のメインボードとプロセッサ、MMX Pentiumプロセッサ200MHzのデュアル構成で、256MBのSIMMがぎっしり載っている。グラフィックアダプタはCreativeのRIVA TNTボード、16MBのメモリが載っている。それからDiamond(現Sonic Blue)のVortex2が載った音源、どっちももう手を引いたメーカーだ。それからPlanexの安い100Base-T LANボード、VIAのRhinoが載った奴だ。確か、今3号機に載っているのと同じはずだ。そしてディスクが有象無象である。さらに3号機から外したSilencerAT電源もある。
 筐体をばらし、ブロワーと掃除機できれいにする。大体9年近いほこりがたまっているので、物凄いことになっていた。さすがに何度か清掃はしてきたのだが、とりきれないほこりもたまっていたのだ。それから電源を250WのものからSilencer270Wに交換した。この250W電源も、実は2代目なのだ。初代の200W電源は、ある日とうとう動かなくなったんだっけ。
 電源を換え、メインボードを取り付ける。スペーサーで適当に固定し、ボードはグラフィックボード、LANボード、そして音源ボードだけを入れる。全PCI構成になってしまった。
 ストレージは適当に見繕い、Quantumの4.3GBのもの、Maxtorの2.5GBのもの、日立の4GB(ただし2.5インチ)のもの、そしてどうしても必要になるCD-ROMドライブとしては、4号機で使っていたSamsungの40倍速のものを着けた。が、これが以前から呪われたドライブであるということを、この時点では甘く見ていた。このドライブを使っていると、いきなり認識されなくなるという現象が頻発するのだ。
 がしがし組んで、ケーブルを接続し、いくつかの接続間違いを乗り越えて(滅)起動実験スタートである。最初のうちはドライブのマスター/スレーブ設定を間違えて失敗続きだったが、やがてBIOSからはきちんと認識できた。
 よし、この機械にはLinuxを入れようではないか。そう考えてVineLinux2.1の起動ディスクを作り、起動するのであった。
 ......なんだか全然安定してないや。HDDを認識したりしなかったりで、とてもまともな動きではない。やはりこの呪われたCD-ROMドライブが悪いのか。
 というところで眠くなったのでここまでなのである。案外に苦戦するものです。
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2001年1月31日(水曜日)

ぼちぼちとVine2.1の設定

コンピュータ 22:56:00 天気:くもりですよ?
 定時退勤日だったので、早い時間に帰宅できた。が、こういう日に限って空が曇っている! 経緯台をまた路上に出せるのはいつの日だろうか。
 帰宅して、Vine2.1の設定にぼちぼちと取り掛かった。これは再作業の必要があったときのための備忘録として書く(滅)。日記を読む限り、久遠氏もLinuxで苦労しているようだな。でも俺は趣味だもんね(爆)。なんていいつつ、既に仕事でもLinuxは足音高く迫っているのだ。
 まずは雑誌の付録CD-ROMから出来るだけパッチを当ててやる。これ自体はほぼ自動(というかコマンドラインでrpm連打連打)で終了。初期状態ではlinuxconfが「ファイルが未来の日付になってるから更新できんもんね」と謎のメッセージを出して動いてくれなかったのだが、それは解消されたようだ。というか、LinuxのこういうGUIベースの設定ツールは、ときどき不安定な奴がある。最終的には設定ファイルを手書きでがしがし更新しなければならない場合もあるわけだ。もう少しがんばれ。
 次にほったらかしのUW-SCSI9GB*2のRAID化を図った。こいつは日立製のハーフハイト(つまり標準の5インチベイ一つ分)のHDDで、猛烈な発熱とそれなりの高速性が特徴のデバイスだ。重さは殺人向き。別に捨てても良かったのだが、いくらATA100で転送速度が100MBPSに達したとはいえ、所詮シングルキューであるATAよりはSCSIの方が負荷に強そうだ。最終的にはこの機械をファイルサーバに(1号機はそういう業務から解放)するつもりなので、高速ストレージの足回りは残しておいた方が良い、かも。
 とりあえずコマンドラインで"mkraid"などのraidtoolが使えないことは確認し、またインストールもされてないことは確認した。それでインターネット検索でVineでのソフトウェアRAIDの状況を確認した。すると最近の世代のカーネル(2.2.14以降?)ではRAID機能が組み込まれてはいるものの、raidtoolそのものはやはり別途用意しなくてはならないことが分かった。確かに、"/proc/md"は存在している。では2号機でraidtool0.9を落とし、FTPして......。できんやん。そう、ftpdが起動されてなかったのである。ではinetd.confにftpdを記述して、"kill -HUP ほげほげ"で再起動する。うん、プロセスはいるぞ。が、やはり2号機から接続できないのである。調べてみると、そもそもftpaccess.confがいません。あらら、手で書くかな。
 もうftpと格闘するのは嫌になったので、RAIDもろとも脇に追いやり、プライオリティの高い別の仕事に移った。
 まずはDistributed.netクライアントの設定。Webサイトから最新クライアントをダウンロードし、適当なディレクトリ(とりあえず/usr/local/binに掘った)に展開し、設定。動作することは確認した。ベンチマークを取ると、同じプロセッサをNTで使ってた時より、多少速度が向上しているようだ。いやまあ、誤差範囲ですが。
 さらに起動スクリプトを適当に書いて、rc3.d辺りにシンボリックリンクを張ってやるとOK。1号機のdnet-proxyとも交信している。
 次にsquid。こちらは/etc/squid/squid.confをやっぱり適当に設定して、と......。つながらないな。ふとdns設定をしてなかったことに気づき、linuxconfで設定してやると、ばっちり。一時的に1号機でdelegateを運用していたのだが、やはりメモリを十分与えたsquidは速い。
 最後にsambaを、と思いつつ風呂に入ったりしていると、猛烈に眠くなってそのまま就眠。以降は明日。
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2001年1月30日(火曜日)

旧牛筐体ATX化(ほぼ完結編)

コンピュータ 23:30:00 天気:晴れにょ
 朝までにはほぼATX化が完結していた旧牛筐体だが、メインボードが32GB以上のIDEなHDDを認識できないという問題があり、接続した全パーツが稼動するかどうかは未確認であった。既に筐体の問題ではないが、ここまで解決できないとATX化が完成した気持ちになれない。
 この問題は、HDDのジャンパ設定を買えて32GBでクリップすれば、一応回避できる。でも15GBも損するのはなあとも思う。会社でふと閃いたのは、BIOSが古いのではないかということだ。考えてみれば、僕は基本的には問題が無い限りBIOSやドライバのアップデートをやらないので(Windows系OSの場合は穴が大きすぎてアップデートせざるを得ないが)、BIOSなんかは平気で買った当時のままだったりする。3号機に入れたメインボードは、旧2号機から外したTekramのP6B40D-A5。これ、確かなんかのトラブルで1回だけBIOSをアップデートしたんだっけ。
 帰宅して、Tekramのウェブページを見ると、BIOSの最新バージョン(といっても去年の頭時点だが)は1.07。起動画面では1.02。こりゃ古い。アップデート履歴を見ると、1.06辺りで「大容量ディスクに関する障害の修正」というのがあった。怪しいな。Windowsで起動ディスクを作り(ゲッ、Meって"format /s"無くしちゃったんだ。サイテーだ。不要ファイルをガシガシ削りましたよ)、アップデートファイルとEEPROMライターをコピーして、アップデートをかける。そして起動すると、今度はちゃんと45GBを認識してくれた。やったね。さらに内蔵SCSIディスクの接続順などを見直し、最終的に全機器が認識された。これでOSインストールできそうだ。
 ふと気になったのが、内部の気流のことだ。確かATX電源は外部から吸入する仕様だったよな。ところが、電源のファンに手をかざすと、しっかり排気しているではないか。ウゲッ、考えてたのと逆だ。慌てて前面ファンも再度前後を入れ替え、吸入側にした。これで前面吸入、背面排気と、今までと同じ流れになる。プロセッサはちょうど風の流路に当たるようで、都合よい。しかしそれほど強力なファンでもないようなので、夏場にはちょっと気がかりだ。
 このマシンには、IDE接続のDVD-ROM/CD-ROMドライブを着けた。価格的に、CD-ROM専用ドライブと、そう変わりが無いからだ。つまりIDEはIBMのDTTA307045+DVD-ROMドライブの1系統。SCSIはUW-SCSIが富士通の9GB*2、(Nalrrow)SCSIが富士通(なんか多いな)のMOドライブ640MB+外部接続のNakamichi4倍速7連装CD-ROMドライブの2系統。前に較べると、かなり軽量化された。さらに内蔵音源も、以前のSB16からPCIベースのSB128に替えた。この機械もついにISAレスな構成になった。手許の機械の中で、ISAが現役なのは1号機、それも音源のSB64Goldだけだ。
 ここに早速Linuxをインストールする。今回はVine2.1にした。モノはLinuxマガジンの付録CD-ROMを使った。Laser5はフィックスの更新がやや遅くて不満があったので、比較的手が早そうなVineにしてみたのだ。
 2号機でインストール起動ディスクを作り、DVD-ROMにCD-ROMを載せ、起動。後はDisk Druidでのパーティション決定を経て、グラフィックアダプタ、LANの設定くらいで、後はほとんど全自動で進む。凄いね。ほとんどWindowsMe並だ。あっちは「もう設定不要です!」などと誇らしげだが、こっちは単に設定不要という事実があるだけで、寡黙なのが好ましい(笑)。
 インストールが終わり、再起動。この時点では何の問題が無い。しかしXを起動すると、これが懐かしのWindow Makerだったりするわけだ。また800*600表示なのもヤだな。X設定は/sbin/setupで修正し、1600*1280表示を確保。ここで音源設定を試してみると、ほとんど全自動で認識してしまった。恐るべし。最後にWindow ManagerはsetwmでGNOME(というかEnlightenment?)に変えて見た。前から使っていたからだが、色々気分によって他のWMに変えると良いかも。
 後はsquid、sambaの再設定、9GBディスクのRAID化位か。
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2001年1月29日(月曜日)

続旧牛筐体ATX化

コンピュータ 23:55:00 天気:晴れですね
 今日も今日とて牛箱のATX化に励むのであった。
 早々に帰宅し、まずは開口部の切削を続ける。これは早い時間に終えないと、騒音で近所に苦情が出る恐れがある。特に階下の老夫婦には迷惑をかけたくない。
 この筐体はATボード用の物だから、シリアルだのパラレルだののコネクタが適当に開口している。ATX用のポート群を出すだけの開口を得るには、このいくつかを過ぎる必要がある。おかげでなんだか歪な形になりそうだ。
 ともかく、昨日ある程度まで進んでいた1辺の切削を進めた。金属鋸でごしごしやるわけだ。これは予想外に快調に進み、予定ラインに20分程度で達した。さあ、ここから次の1辺へと移るコーナーの処理が問題だ。金属鋸は薄い板状なので、コーナーを曲がれない。そこでワイヤソーの出番だ。ワイヤソーは細いので、どこにでも入り込めるし、カーブを切ることさえ可能だ、と思ったのだが......。
 早速ワイヤソーをフクロから取り出してみる。「NASAでも採用!」の文字が躍っている。案外、NASAの本部ビルの庭師が使ってるんだったりして。しかし手触りは案外に高級そうだ。では最初に切削した辺からコーナーまで入れて......。は、入らん(爆)。これは盲点だった。案外にワイヤが太いので、薄い板である金属鋸が通った後を辿れないのである。それでも無理に通そうと苦闘していると......。
 折れたやん(核爆)。身も世も無く泣きじゃくる俺様であった。
 こうなると別の一手を考えるしかない。次に思いついたのは、補助線を切ることだった。1辺を切ったら、次の1辺の通過予定地の、コーナーから少し離れた地点(金属鋸の鋸先が入るくらい)まで補助線を切り、コーナーから補助線の先端を通る部分をペンチで折り取るという目論見だ。補助線を出来るだけ短くしたかったので、色々工夫しながら切り出した。
 最後の1辺を折り取り、やすりで仕上げると、まあ見た目はともかく、実用的には充分な塩梅になったのである。
 ここで睡魔に襲われ、朝方まで眠る俺様だった。
 朝方起きだし、メインボードを着けてみた。問題無さそう。電源を取り付け、ボード類、ドライブ類を取り付け、ケーブルを張り巡らす。前よりかなりドライブが減ったので、電源もケーブルの取り回しも楽々だ。唯一の問題が、MB側IDEコネクタが全ピンあるのに、買ったATA100対応ケーブルでは塞がれていることだ。ここが未接続だったらピンを折っても問題無いけれど、MBの説明書を見てもはっきりしない。これは安全策をとり、ケーブルコネクタ側に穴をあけた。
 さらに筐体側コネクタをメインボードに取り付けた。電源スイッチ、リセットスイッチ、LED類、いずれも無駄にならない。改造は完璧だ。多分。
 そしていよいよ起動してみる。電源スイッチはちゃんと機能した。そしてメモリチェック画面が出た。万歳。完璧だ。ここでBIOSセットアップをしてみる。が、ここで問題発生。新たに取り付けたATA100なHDDが認識されないのだ。どうしてだろう。
 しばらく試してみて、HDD側に"32GB CLIPPING"なる怪しげなジャンパ設定があったのを思い出した。もしかして、と思って設定してみると、見事に認識! 32GBで(爆)。つまりこういうことだ。このメインボードが発売された頃には、まだ32GB以上のディスクが無かったので、Over 32GB Problemが対策されてないのだ。これはどうするか。このまま使うか。それともLinuxでは問題なく使えるだろうと見込んでセットアップしてみるか。
 というところで時間切れ。出勤する俺様であった。帰って、どうしようかね。
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2001年1月28日(日曜日)

いよいよ旧牛2K筐体ATX化に着手

コンピュータ 21:52:00 天気:晴れ
 昨日夕刻まで降り続いた雪が止み、朝から徐々に晴れ始めた。昼前には日差しも強くなってきて、融雪が一層進んだ模様。屋根から電線から、水滴がぽたぽたと落ちてくる。車道の融雪も進み、ぬかるみ状態のところも多い。が、歩道やアパートの通路なんかは、人通りが無いせいでバージンスノーだ(なんぢゃそれわ)。その雪のせいで地表の反射能が上がり、部屋の中に差し込む明かりがまぶしいまぶしい。それとかなり暖かだ。窓を開けて、風を呼び込んだ。
 さて、Gateway社旧型筐体のATX化に着手することにしよう。まずはその前に部屋の片付けだ(爆)。作業場所の確保のために、PCを中心に積みあがっていた本やCD類を片付けた。ああ、すっきりした。
 そして全関係者を寝室に強制連行し、いよいよ執刀である。まずは連続稼動を重ねてゴミが付着しまくった筐体の掃除である。筐体外部を濡れティッシュで拭うと、あっという間に真っ黒になる。筐体を開けると、嫌になるくらいのケーブルと機械が、ほこりにまみれてうずくまっている。なにせこの機械には、IDEのHDD*1と、UW-SCSIなHDD*6が収まって、さらにSCSIなMOドライブまで内蔵しているのだ。これらのうち1GBのHDD*4(いまやゴミみたいなもんだ)とIDEのHDDを撤去し、45GBのATA100ベースHDDに置き換えるのだ。これだけで、相当に発熱は減るはずだ。またプロセッサもMMXPentiumプロセッサ200MHzのデュアルから、Pentium2プロセッサ400MHzデュアルに変わる。かなり強化されるはずだ。
 元々この機械は、買った'95年時点でPentiumプロセッサ120MHz、メモリ16MB、三洋の4連装CD-ROMドライブを奢った機械で、今は亡き友人スミス氏が「これで25万なら俺も欲しい」と羨ましがってくれた機械だったのだ。その後強化に強化を重ね、今ではMMXPentiumプロセッサ200MHzデュアル、メモリが256MBという構成に進化してきた。
 今のままでもsquidを転がすくらいなら何の問題も無い。しかしこの先のことを考えると、ATX化しないことに明日はないと思った。もうATメインボードは、市場でも酷く希少になっている。ATX化のハードルは、そう高くないと見た。
 まずケーブル類を引き抜きながら、筐体内部の掃除をした。掃除機とブロワーで細かいほこりまで処理する。頑固な綿ぼこりはティッシュを濡らしてふき取る。はっきりいって喉をやられるかと思った。そして内部のボードを全て抜き、ビハインドベイも取り去って、ATX化の要領を検討した。背面の開口は除き、電源は同一メーカーゆえかほぼ同じサイズだ。この交換に問題は無さそうだ。ややこしそうなのが電源スイッチ近辺だった。ここはATではケーブルで電源と直結だったので、何とかして外さなければならない。まえはどうやって外したんだっけ。よっぽどケーブルを切ろうかと思った。しかしここでATA66対応のケーブルが無いのに気づいた。時間は16:30。買い物がてら、湘南台のウェーブアイに向かった。ここでATA66ケーブルや細かなスペーサーなどを物色中に、"ATX対応電源スイッチキット"を発見。形状的には、今のAT電源スイッチとコンパチのようだ。これも買って帰った。
 帰宅して、さっそくスイッチを交換する。まずは前面パネルを外さなければ。詳しく観察して、ネジ止めされているのを発見。難なく外した。しかしこれでも取れない。実は前面パネルに伸びているLED類のケーブルが、筐体内部にしっかり留められているので引き出せないのだ。留めているストラップを切って引き出した。
 前面パネルとの隙間には、6年間の酷使を物語る凄まじいほこりが詰まっている。これを掃除機とブロワーで吸い取り、電源スイッチを交換した。パネルを仮止めしてテスト。が、なぜかスイッチがクリックされている形跡が無い。よくよく新旧スイッチを比較してみると、ATXスイッチの押し棒の方がなぜか5mmほど短かった。耐久性等を考慮し、ガムテープを細く切ってぐるぐる巻きにし、その5mmを稼いだ。これでOK。また前面ファンも前後逆に入れ替えておいた。AT機では電源ファンは排気する仕様だったので、前面ファンは吸気側になっている。しかしATXでは電源ファンが吸気する仕様なので、前面排気にしなければならない。
 ここまでで大体めどがついたので、いよいよ後面の開口部切開に取り掛かった。まずATXメインボードを仮に入れ、位置を合わせた。その上で赤マジックで線取りし、金属鋸をシリアルポートの開口部から入れ、ゴリゴリと切り始める。が、これは予想外に難問だった。切る速度自体は3cm/10分位で進むのだが、音が大きくて階下の住人の迷惑になりそうだ。ちょっと夜やるのは気が引ける。今夜は10分ほど作業し、ここで一部中止。休日にやるしかないのかな。
 しかし、切開自身はかなり簡単であることが分かった。難問は、角の処理だ。金属鋸では曲がれない。そこでワイヤソーの出番となるはずだが、今夜はそこまではいけなかった。まあ、すぐに必要になる機械でもない。気長にやろう。
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2001年1月24日(水曜日)

Libretto20復活計画

コンピュータ 20:46:00 天気:くもり
 ふと、枕元に放ってあったLibretto20を思い出した。確か、以前に日立製9.5mm3.2GBディスクに換えて、Laser5Linuxを入れてあったはずだ。枕元で弄るのはこれが楽である。そう思って、Linuxを起動してみると、LANカードが認識されない。前に苦労して、しかし最後まで認識させられなかったのだっけ。原因不明なのだが、このLANカードは他の環境だとタプルの読み出しが出来なかったりして、なにか変なのだ。まあそれでもより新しいPCMCIAドライバで試してはどうかと思い、いっそのこと雑誌付録のVine2.1にしちゃおうかと思い始めた。ディスクの絶対的な容量が足りなさそうなのだけど、そもそもLANカードを認識してくれないとFTPインストールも無理そうだな。他のカードで試してみるか。
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